「個性を大事に」「向き不向きは人それぞれ」「自分らしく」「自分と他人は違う、違っていて良い」と、子どもに伝えようにも、親自身がそういう状態でなかったとしたら、どのように「
みんなちがってみんないい」の素晴らしさを示せばよいのでしょう?
■「子どもかわいそう」押し付けにさようなら
私も大好きな金子みすゞの詩にこんな一節があります。
「みんなちがってみんないい」
出典:『わたしと小鳥とすずと』
このように語りかけることが「オトナと子ども」の間ではままあると思いますが、これはママやパパにも当てはまることではないでしょうか。
現時点で、とくに女性は
妊娠や出産を機にこれまでの生き方からガラッと生活を変えざるを得ない方が大半ではないかと思います。
親になることは「自ら選択したこと」だとしても、「成長や変化」として受け入れるにはあまりにも環境やシステムの不具合が多く、個人個人が思うような子育てをかなえにくいのが現状ではないでしょうか。
また「お母さん」になった途端に、
社会から求められる「理想や幻想」も多いと感じます。「お母さんだから」「お母さんなのに」「お母さんじゃなきゃ」…この辺の言い回しはすべて平成以前から脈々と受け継がれてきた「呪い」のように感じます。
しかもこれらはたいてい「子どもがかわいそう」という善意(あるいは善意とみせかけた何か)からくる個人的な価値観の押し付けではないかと(もちろん子どもの生命や尊厳に関わる場合はこの限りではありません。その時は第三者だろうが速やかに然るべき機関へ!)。
そして厄介なことにこの「呪い」はたいてい言葉のみ、そう「
口は出すけど手は出さない(手助けしない)」。