コミックエッセイ:夫婦・子育ていまむかし
「パンがなければお菓子を食べればいい」なんて言ってない! マリー・アントワネットの真の姿とは?(前編)【夫婦・子育ていまむかし Vol.27】
マリー・アントワネットが貴族から嫌われた理由とは?
王妃になったマリー・アントワネット、実はヴェルサイユ宮殿内の儀式の簡素化や無駄なしきたりの廃止、緩和などを進めていきました。
より自由な気風の実家ウィーンに寄せようとすることに不満を持つというのはまぁ理解できますが…でも、無駄を省くって国政においてとても大事なお仕事ですよね?
しかしどうやらこれが彼女が反感を買った大きな要因の一つ。
“ムダ“な決まりや儀式の中には特権を示すものがあり、その既得権益を守ることで他の貴族に対するマウント材料になっていたのです。
それをムダの一言で奪い取られた上流貴族たちが王妃に不満を持ち、離れていった…ということみたい。
さらにマリー・アントワネットは、自分のお気に入りの貴族としか付き合わなかったことも宮廷内での溝を深めてしまったようなのですが…それにも理由がありそうです。
彼女が嫁いだ先には先代ルイ15世の寵姫、デュ・バリー夫人が社交界の華として君臨していました。マリー・アントワネットは早々にこのデュ・バリー夫人と壮絶なシカトバトルを繰り広げたと伝えられていますが、その陰にはルイ15世の王女たちの企みがあったようです。
デュ・バリー夫人の存在を面白く思わない王女たちがマリーを味方に引き入れてそそのかしたようなのです。美しく朗らかで宮廷でも人気者のデュ・バリー夫人ですが、出自が貧しく、母マリア・テレジアが下賤の職業の女性を嫌っていたことも重なって、マリーは王女たちの企みに加担してしまいます。
無視は2年も続き、最後はルイ15世を怒らせてしまいます。騒動をおさめるため予め決められた言葉をデュ・バリー夫人にかけたマリー・アントワネットですが、その後王女たちとは距離を置くようになりました。
なんだか中学生のいじめみたいですが…って当時14〜15歳なので現代なら中学生ですよね。若く経験の浅いアントワネットは、陰で操る王女たちによっていじめの主犯格みたいになってしまったのですが、彼女も被害者なのでは?とも思えます…。
人間不信になって、本当に自分の味方でいてくれると思った人だけに付き合いを限定したくなる気持ちもよくわかります。
そんないろんな事情が積み重なり、彼女に恨みを持つ貴族たちが集っては悪意あるデマを広めて世論を印象操作していった…と考えられています。
「贅沢で無責任な王妃」という悪評が定着してしまっていますが、彼女はその時代と政治のプロパガンダの犠牲者だったようです。
後編では、そんな彼女の人間性にさらに迫ってみたいと思います!
死刑直前の最期の言葉とは? マリー・アントワネットの真の姿に迫る(後編)【夫婦・子育ていまむかし Vol.28】