愛あるセレクトをしたいママのみかた

コミックエッセイ 夫婦・子育ていまむかし

12人産んで仕事も育児も全部やった?! 与謝野晶子が最強ワーママ説【夫婦・子育ていまむかし Vol.33】

ウーマンエキサイト

略奪婚を乗り越える!


与謝野晶子は大阪・堺の老舗和菓子屋『駿河屋』の末娘として生まれました。当時は時代的に社会経済は苦しくなってきており、10人以上の兄弟の末っ子ということもあり裕福とは言えない状況でしたが、そんな中にあっても女の子である晶子が読書をしたり学問を学びに塾へ入ることには寛容だったそうです。
12人産んで仕事も育児も全部やった?! 与謝野晶子が最強ワーママ説【夫婦・子育ていまむかし Vol.33】
この時代にありがちな女は無知で従順であれという考え方に縛られることなく、幼い頃からさまざまな作品に親しんできたことは自由な感性を育んだことでしょう。

ただ過激なだけの作品ではなく、育ちの良さに裏打ちされた教養の高さが知識層から受け入れられたようなのです。

そして20歳で歌人・与謝野鉄幹と出会い略奪婚となります。これだって当時の価値観から考えると社会から爪弾きにされそうなもんですが…。革新的な作風が注目され、「一人の女性」としてのスキャンダル以上に「表現者」としての才能が評価されるのです。また明治後期はちょうど「個人の感情」や「自由な愛」を尊ぶ浪漫主義文学が台頭していた時代でした。与謝野鉄幹が主宰した雑誌『明星』の周辺では、「恋愛=魂の解放」とするような思想が広がっており、晶子の行動もその文脈で「自由と情熱の象徴」として理解されやすかったのです。

伝統的な型・様式に縛られがちな和歌というジャンルで晶子のような開放的で革新的な表現が受け入れられたのは、この明星派の隆盛も大きな後押しになっていたんですね。

若く感性豊かな時期に新しい思想を持つ文化人と恋愛関係になり、影響を受けたことは彼女の作品をより彼女らしく磨きあげた…正直、この部分だけ切り取るとあざと女子にも見えてしまうところですが、実際に人並み外れた才能と実力を持ち活躍し続け、略奪愛からはじまったとはいえ、生涯を鉄幹と共にしたことを踏まえると、強い信念を貫く女性だったのだろうと思われます。


もう一つ、明治後期は近代国家建設推進の中で「女性教育」や「自由恋愛」のような欧州の思想・価値観が知られるようになり、平塚らいてうや津田梅子のような女性活動家も同時期に現れていました。
12人産んで仕事も育児も全部やった?! 与謝野晶子が最強ワーママ説【夫婦・子育ていまむかし Vol.33】
時代の転換期なので上記の女性たち同様に反発する保守的な層ももちろんいましたし、同じ女性でも「はしたない」「同じ女性として恥ずかしい」と距離を置く人たちもいたのも事実です。
ですが、逆に新しい価値観を知り始めた若い女性たちは熱狂的に支持したようです。こういうことって現代でもありますよね。
ジェンダーや多様性のような古い慣習を変えていこうという価値観のアップデートには、どうしても受け入れられない層の反発と古い価値観に疑問を持つ若者の熱狂的支持、必ずどちらもあります。

インターネットもテレビも無い時代、彼女は短歌や詩という作品を通じて静かに、しかし熱く光り輝くまさに『明けの明星』のような存在になっていたのです!まさに時代の人!

ところで、現代でもバリキャリママ VS 専業主婦ママ、子育て VS 産まずに働く など、極論で争っている構図をSNSなどでも見かけますね。(どちらが正しいわけでもなく、どんな選択をしたとしても、子育て中心になっても収入に困らない社会であればこいいと思うのですが…。)

これだけ若くから勢力的に作品を生み出し続け、どんどん活躍の場を広げ、さらには文化サロンの運営もしていた与謝野晶子の家庭生活はどうだったと思いますか…?

この記事のキーワード