1963年福岡県生まれ。 1986年筑波大学人間学類、1992年同大学院博士課程修了。英国イーストアングリア大学、米国トランスパーソナル心理学研究所客員研究員、千葉大学教育学部講師、助教授(11年)を経て、現在、明治大学文学部教授。教育学博士。 世界を変えるため、時代の精神(ニヒリズム)と 「格闘する思想家・心理療法家」(心理カウンセラー)。 日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会理事、日本産業カウンセリング学会理事、日本生徒指導学会理事。 教師を支える会代表、現場教師の作戦参謀。 臨床心理士、上級教育カウンセラー、学会認定カウンセラーなどの資格を持つ。 著作 単著、編著多数。 民放、NHK問わず、テレビ、ラジオ出演多数。 ホームページ
■子どもをきちんと叱れない親が増えている 最近、子どもをきちんと叱れない親が増えています。 たとえば、危ない場所で、危ない遊びをして、ケガをしそうなとき。 たとえば、ほかのお友だちをケガさせてしまいそうなとき。 あるいは、幼稚園や保育園、小学校の職員室に、誰もいないときに、子どもがこっそり入ったとき…。 このようなどう見ても「ダメ」なことを子どもがしているときでも、子どもに「ダメ!」と禁止することができない親が増えているのです。 なぜ、このようなことが起きているのでしょうか。 それは「子どもとの関係をこじらせたくない」と考える親が増えているからです。 「ダメ!」「それをしてはいけません!」と厳しく禁止すると、子どもによっては、「どうして? いいじゃないか!」「だって、したいんだもん」などと反発して、親の言うことを聞きません。すると、親としては、ますます厳しく叱らざるを得なくなります。それに対して子どもは反発する…。こうやって、子どもの扱いがますます難しくなってしまうのをおそれます。そして、「友だち親子」のような仲良し関係でいられるために、子どもの行動を厳しく禁止することのできない親が増えているのです。 ■禁止すべきは子どもの「行動」 また、子どもを厳しく叱ることの弊害を論じるメディアも増えています。たしかに、子どもに対して「おまえは、だめな子だね」「まったく、何度言ってもわからないんだから」「バカなんじゃないの」などと親から否定的な発言をされ続けると、「そうか、ぼくはダメな子なんだ」と、自己否定感を募らせていく子どももいます。そして「どうせぼくは、何をやっても、無駄なんだ…」と、意欲を失ってしまう子どももいます。 電車などで、子どもをヒステリックなまでに、大声できびしく叱り飛ばす親の姿を見ることもあります。「ほんと、あんたはどうしてまたそんなことするの!バッカじゃないのぉ!」と、大声で怒鳴るのです。これは叱っているというよりも、「プチ虐待」と言ってもいいと思います。子どもの心に傷がつき、前向きに生きる意欲を失います。その結果、大事なときにも頑張ることのできない子どもになってしまうのです。 では、子どもに「ダメ!」と言ってはダメなのでしょうか。私の答えは、ノーです。つまり、子どもが禁止すべき行動をとったときに、親は「ダメ!」と言って、行動を押さえるべきなのです。これをしないと、自分をコントロールできない子どもになってしまいます。 重要なのは、「行動の禁止」と「人格の禁止」を区別することです。 「人格の禁止」は×です。「あなたは、まったくダメな子ね!もう!」などと厳しく叱り続けると、子どもの中に「ぼくはどうせダメな子なんだ」と、自己否定感を募らせ、生きる意欲を奪ってしまいます。 一方、「行動の禁止」は〇です。してはいけない行動を抑制するしつけは重要です。 このとき、大切なポイントは、「人格を否定された」と子どもが感じないように、穏やかに、説明的に「なぜ、〇〇をしてはだめなのか」を理性的に子どもに、それがダメな理由が理解できるように、説明しながら、語りかけることです。「だめでしょ、それは! あんたはまったくもう!」などと、大声で怒鳴りながら叱っていると、親の側は「行動の禁止」をしているつもりでも、子どもの側からすると「人格を否定された」と感じて、生きる意欲を奪うことになってしまうのです。 ■いい子育て=手間ひまかけた子育て ここまで、読まれて「なんだか。たいへんだな」「説明するって大変なんだよな。面倒くさい」と思った方もいることと思います。 そうです。 いい子育てには「手間ひまかける」ことがいちばん大切なのです。 子どもと「友だち親子」になって、ダメなことも「ダメ」と言わない子育ては省エネ子育て。 逆に、いつも「あんたはダメな子ね!」と感情的に怒鳴り続けるのも、省エネ子育て。一見、真逆でも、どちらも「手抜きの子育て」なのです。 子どもに、なぜそれがダメなのかをわかるように、ていねいに説明するのは、かなり骨の折れる作業です。時間もエネルギーもかかります。しかも、「人格の否定」と伝わらないように、穏やかに、かつ、真剣に、話してわかってもらう必要があります。 もう一度言います。よい子育ては「手間ひまかけた子育て」です。
2016年04月06日4月、新しい学期を迎えると、学校のすべてが変わります。 新しい先生。 新しい友だち。 少し前まで、一番下の1年生だった子どもは、自分よりも年下の、新入生をはじめて迎え入れます。もう、自分たちは「一番下」の学年ではないのです。 新学期は大人が思う以上に、子どもにとっては一大イベントである 先生は言います。「もう皆さんは、1年生ではありません。新しい1年生のお手本になるように頑張りましょう」 ナイーブな子どもにとっては、こうした「環境の変化」のひとつひとつが大きなストレスになります。 自分は、新しいクラスにうまく溶け込むことができるんだろうか。 今度のクラスでは、仲の良い〇〇くんや、〇〇さんは一緒なのだろうか。 担任の先生は、男の先生だろうか。女の先生なのだろうか。 やさしい先生だったら、いいけれども、こわい、きびしい先生だったら、どうしよう? こんなさまざまな悩みや不安に押しつぶされそうになります。 新しい学期を迎える、ということは、子どもにとって、学校生活のベースとなる「安心・安全」を脅かす大きなイベントなのです。 新学期を迎えて不安な子どもへの声かけ・失敗例 では、この一大イベントに親は、どう子どもに接すればいいのでしょう。 まず、失敗例は、次のようなよくあるパターンです。 不安が強く、心配性でナイーブなお子さん。 お母さんも似た性格で、不安が強く、心配性でナイーブです。 ママ「お友だち、できるかなぁ。先生は、きびしくないかな。ママ、心配だなぁ。だいじょうぶ? ほんとにだいじょうぶ?」 こんなふうに、ママから言われると、ただでさえ心配だったお子さんは、さらに不安を掻き立てられ、心配が大きくなります。 なかには 「ぼく、2年生になるのやだよ。1年生のままがいい。ぼく、がっこうに行きたくないよ」 こんなふうに、言い出すお子さんもいるでしょう。 これは、親が自分の不安をそのまま言葉にしてしまうことで、お子さんをさらに追い込んでしまうケースです。 これは、「ぜったいにダメ」です。 子どもにはどう声をかけるのがよいのか では、どうすればいいのでしょう。 お子さんは、これから、大きな心配や不安を抱えたまま、学校で闘うのです。 言えに帰ったときだけでも、ほっとできる「安心・安全」を与えましょう。 「だいじょうぶだった?」などと、不安を募らせるようなことを言うのは×。 親は、自分の心配な気持ちはどこかに置いておいて、どーんと構えて、「家は子どもにとって安心・安全なこころの基地」であることに徹しましょう。 そのためには、親自身が呼吸法を行ったり、アロマテラピーを取り入れたりして、自分自身の気持ちをリラックスした状態に整えることが、いちばん大切です。 親の焦りや不安は、子どもに伝わり、子どもをさらに心配にさせます。 「だいじょうぶ。だいじょうぶ」 「きっとできるよぉ」 こんなふうに、自分にも、お子さんにも言いながら「安心・安全」なこころの雰囲気を伝えましょう。 「ママといるとほっとできるなぁ」 そんな気持ちが、「明日も頑張る」お子さんの心のエネルギーになります。 もし、具体的に心配なことがあったら、それはお子さんには伝えず、親から直接、担任の先生や、学年主任の先生などに相談しましょう。 新しい学期のスタート時点こそ、「こころの安全基地」としての母親の役割をしっかりとこなすときですよ!
2016年03月25日2歳から3歳にかけての、イヤイヤ期の子どもにどう接するかは、どの親にとっても難しい問題でしょう。私自身の子育てを振り返っても、もっとも難しかった時期のひとつは、娘が2歳から3歳のころの「人生最初の“反抗期”」=「イヤイヤ期」でした。 ことらが、何をしようとしても、いちいち拒否してくるのです。 たとえば、私が娘を抱こうとしても 「ダ~メ~な~の~!!」 「ヤラも~ん!」 「かあちゃん、いいの~!」 「とうちゃん、キライ~!!」 の大連発。 さすがにお風呂だけは「とうちゃんと入るの~」と言ってくれましたが、ほかはすべて拒否、という時期がありました。 あまりに何度もそうされてしまうと、かつてつきあっていた女の子にふられた場面と重なって、「パパとしてだめなのか」と落ち込んでしまうこともありました。 しかし、大丈夫です。安心してください。 それは、あなたがパパやママとして、だめだからではありません。子どもの「自分づくり」の第一歩として、「イヤイヤ期」は重要な意味を持っているのです。 子どもが「イヤイヤ期」に入ると、どうやら、母親より父親のほうに動揺が大きく、どう接すればわからなくなることが多いようです。日本の家庭では、子どもを叱るなどの役割はもっぱら母親が担い、父親はと言えば、一緒に遊ぶ、お風呂に入るなど、楽しい役割専門、といった傾向になりがちです。このことも手伝って、子どもが「イヤイヤ期」に入ると、ふだん叱りなれていない父親は、どう接すればいいかわからなくなるのです。 私も、遊びとお風呂中心の、楽しい役割専門の育児化していなかったので、子どものイヤイヤに戸惑ってしまったのです。 いまでもよくおぼえているのは、電車の中で、くつをぬいで投げ始めた時です。さすがに「やめなさい!」と叫んだ私を面白がるように娘は、くつを投げ続けました。 子どもがイヤイヤ期になると、どうしていいかわからなくなった親は、突然きびしい態度をとりがちです。しかし、そうすると、子どもの反抗は、ますます大きくなってしまいがちです。 では、どうすればいいか。 「わたしメッセージ」を使うことです。 子どもを否定するような、押しつけがましい言葉は、その隠れた主語が、二人称(お前、あなた、など)になっています。同じ内容の言葉を、一人称(わたし)に変えて言ってみると、それだけで、押しつけがましくなく伝わりやすい言葉になるはずだ、と。 たとえば、「どうしてそんなことするのぉ!」と叱り飛ばすのではなくて、「お父さん、それはとってもいやだなぁ」と、穏やかに、けれど目をみてしっかり伝えるのです。「だめでしょう!」と怒鳴るのではなく、「もっと●●してくれると、うれしいな」と、しっかり真剣に伝えるのです。 この時期の子どもは、親の困った顔を見るのがうれしくて、わざと困るようなことをしてきます。たとえば、ぐったり疲れているのをわかっているのに、いつまでも「おんぶ、おんぶ」といってきたり。 こんな時、「いい加減にしなさい!」とどなるよりも、「パパ、つかれちゃった。自分で歩いてくれると、助かるな。お願いできるかな」と、真剣にこちらの気持ちを伝えるのです。 子どもは、否定された気持ちにならず、「パパを助けてあげよう」と前向きな気持ちで、自分で歩こうとしはじめます。これは大きな成長の証です。ぜひお子さんにもパパやママの「わたしメッセージ」を伝えてみてください。 (諸富祥彦)
2016年02月24日みなさんは、お子さんがお友達をつくる力について気になったことはありませんか? 「うちの子は、内弁慶。家では、言いたいこと言っているけど、幼稚園や保育園・学校では、ほとんど友だちがいないし、自分からも話しかけていない」 「なんだか、友だちから言われっぱなしで、自分の思っていることは、言葉にできていない気がする」 そんなふうに、お子さんの友人づくりの力について心配しているお母さんは少なくありません。 子どもたちの約8割は、小3になり自然と「ふつうに友だちをつくることができる子」になっていくのですが、2割くらいは、小学校や中学校で不登校になってしまうのです。 では、どうすればいいか。 答えは一つ。できるだけ、早いうちから、同世代や少し上の子どもたちとの遊ぶ関係を体験する機会をつくっていくことです。 私たちカウンセラーのもとに、不登校になってやってくる子どもは、「大人とは仲良くなれるけど、同じくらいの子ども同士の関係は苦手」という子が圧倒的に多いからです。 しかし、「同じ年や少し上の子どもと遊ぶ体験」をつくる機会をつくりたくても、なかなかつくれない、と多くのお母さんは、悩みます。 そして、そんな「同じ年や少し上の子どもと遊ぶ体験」を与える貴重なチャンスが、お正月にやってくるのです。兄妹の少ない今、いとこと関わることは人間関係を育てるのに最適な環境です。 私の娘もそうでした。 2歳のころ、福岡の実家に帰省した際、少し上のお姉さん、お兄さんと遊んでもらっているうちに、わずか2、3日のあいだに、娘のボキャブラリーが驚くほど、増えたのです。 それまで、単語をいくつか並べることが多かったのが、「~はね、~なのよ」と主語と述語を明確にして話すことが途端に増えたのです。 こんな短期間のうちに、これほど、手に取るように、子どもの発達の様子がわかることはめったにないので、さすがに驚きました。いとこのお姉ちゃんとの会話の中で、お姉ちゃんたちがよく使っていた表現を模倣して身につけたのでしょう。 おそらく、同じように保育園で少し上の子どもたちとのかかわることで、娘はいろいろなことを学んでいることでしょう。子どもの数の都合で、娘はある年、「数カ月から1才年上の子ども」たちといっしょのクラスになって、毎日を過ごしています。 この「少しだけ上の子どもと遊ぶ体験というのが、子どもの知的発達にとって大きな効果があることが発達心理学の成果として言われています。 知的発達ばかりではありません。 社会性の面「少しだけ上の段階」にある子どもとのやりとりが刺激となって、発達がワンステップ上昇していくのだと、発達心理学では、考えています。「少しだけ年上の子どもたちといっしょに生活体験を重ねる」ことが、子どもにとって最大の成長の機会になります。 年齢の近い兄弟姉妹がいる時、弟や妹のほうが、言葉の習得も社会性の獲得も早いとよく言われることがありますが、あれも、理に適ったことです。 オリンピックでメダルをとる選手にも、第一子よりも第二子や第三子が多いのです。それも、お兄ちゃん、お姉ちゃんを見ているからかもしれません。 忙しい毎日。正月に、地方の実家に帰省するのも面倒くさいという方もいるかもしれません。 しかし、私たち自身の子ども時代を振り返ってみると、どうでしょう。盆や正月を父や母の実家で過ごし、全国から集まってくるいとこたちと遊んだのが、何か、とても大切で、懐かしい思い出になっている方も少なくないのではないでしょうか。 さらに、いとこたちとの遊びを絶えずあたたかく見守ってくれる祖父母や叔父、叔母など、大勢の大人たちに支えられ、見守られている感覚を持つことができたことも、私の子どもの折の成長にとって大きな意味を持っていたように思います。 正月だけに限らず、「少しうえのいとこと遊ぶ体験」は、大きな成長のチャンスになります。その体験が、将来不登校になるのを防ぎ、友人作りや恋愛、結婚、職場での人間関係作りなどに、たいへん役に立つのです! (諸富祥彦)
2015年12月29日お子さんが引っ込み思案であることで悩んでいる親御さんは少なくありません。 「うちの子は、なんで自分の考えを言えないんだろう」 「ほかの子は話をよくするのに、なんで、うちの子はしないんだろう」 「このままでは、ほかの子のいいなりになってしまうんじゃないだろうか。9歳くらいから、いじめも増えてくるみたいだし、心配だなぁ。いじめられても、何も言えず、溜め込んでしまうんじゃないかなぁ。つらい思いをするかも」 こんな心配をするのです。親としては、当然ですよね 安心してください、引っ込み思案は直ります 何を隠そう、私自身も、子どもの頃は、相当な引っ込み思案でした。 小学校の頃、授業中に手をあげて発言した記憶がありません。ほとんど、一言も話すことができない子でした。 しかし、大丈夫。ほとんどの引っ込み思案の子は、そのうち、自分の気持ちをちゃんと話せるようになります。私自身も現在、全国で多くの子育てに関する講演などを行っています。次々、いくらでも言葉が出てきます。 ですので、長期的に見ると、ほとんどの引っ込み思案は、「自然と」いつのまにか直ってしまいます。心配はいりません。 でも、やはりそうは言っても、できれば早いうちに、引っ込み思案を直してあげたいものですよね。 では、どうすればいいか。次の3つのポイントを、大切にしてください。 子どもの引っ込み思案を直すポイント(1)責めない 「どうして、自分の気持ちを、ちゃんと言えないの!」などと、責めないこと。 これが一番、大切なことです。 引っ込み思案の子の多くには、「自分は『言えない子』なんだ」と、「気にすれば気にするほど、話せなくなる」という特徴があります。気にすることで、ますますそれができなくなってしまいます。私たち心理士は「神経症状」と呼びますが、これは「気にすれば、気にするほど、ますますそれが強くなってしまう」のです。 引っ込み思案のほかにも、つめかみ、歯ぎしりなど、さまざまなことがこれに当たります。 これに対する親の対応のポイントの一番は、「あまり意識させないこと」です。 そしてそのためには、まず、親御さん自身が、「お子さんの引っ込み思案」を「意識しない」ようにすることです。 親が気にすればするほど、子どももそれを気にするようになる。そして、自分の引っ込み思案を気にすればするほど、ますますそれは強くなってしまうのです。 子どもの引っ込み思案を直すポイント(2)親がモデルを見せる 2つ目は、親が「モデル」を見せることです。 お子さんの引っ込み思案を目の当たりにしていると、親としてはつい、イラッとしてしまいます。 「どうして、自分で言えないの!」となってしまいがちです。 しかし、これは逆効果。子どもはますます言えなくなってしまいます。 そんな時、そっとお子さんの側に寄って言って「○○くんに、『○○』って、言ってみようか」「だいじょうぶだよ、言ってみよう」と声がけしてください。 それでも言えない時は、お母さんがお子さんの後ろに行って、お子さんの代わりに言葉を言ってあげてもいいでしょう。そして、だんだんそれを少なくしていく(お子さん自身に一言でも言ってもらうようにする)のです。 子どもの引っ込み思案を直すポイント(3)言えない言葉を紙に書く 言えない言葉を「紙」に書いてもらう。 自分の考えを「言う」ことはできなくても「紙に書く」ことはできる子がいます。 幼稚園や保育園、小学校の先生方と相談して、ほかの子が言っている場面で、替わりに、「紙に書く」ことを許可してもらいましょう。そして、先生に代わりに読んでもらうのです。 読んでもらった後、クラスのみんなから大きな「拍手」をしてもらうと、さらに効果的です。 私自身の「引っ込み思案」が治るきっかけになったのは、小学校2年生の時の学級担任の先生が、これをやってくれたことです。 「今日の授業で一番、おもしろかったのは、諸富くんの意見でした。先生が読みます」 私の考えたジョークが先生に読んでもらえたその瞬間、学級全体で、ドッとあたたかい笑いがおき、拍手になりました。私は、その時をきっかけに、徐々に人前で話すことができるようになりました。 引っ込み思案の子の多くは、「人からどう思われるか」が気になって、緊張しています。 みんなからあたたかく、受け入れられる体験をすることで、引っ込み思案の多くは直っていきます。 これは先生方の協力なしには、無理なことです。 ぜひ、このページを先生方に見せながら、協力してもらってください! (諸富祥彦)
2015年12月22日私は、子育てのカウンセリングをして、30年になります。その中で、もっとも多いと感じるのが、「私は、自分の子どもがかわいいと思えません。だめな親なんでしょうか」という相談です。 子どもを愛せないことに罪悪感を持つ母親は多い とりわけ、「下の子が生まれてから、上の子をかわいいと思えなくなりました。どうしても上の子をきつく叱ってしまうんです」とか、「息子のことはかわいいのですが、娘のことがかわいいと思えません。つい厳しくしてしまいます。愛情不足の子に育ってしまわないか心配です」といった相談が少なくありません。 いずれの場合も、どちらも自分の子なのに、一方の子は愛せるのに、もう一方の子は愛せないことに罪の意識を抱いているのです。 では、一人っ子の親はどうでしょう。きょうだいを持つ母親と同様に「私は自分の子どもがかわいいと思えません。親失格なのでしょうか」と訴えます。そして、自分を責め、涙を流すのです。 完全な親なんてどこにもいない 私は、こうした相談を聞いた後、こう伝えることが多いです。 「そうですか。自分の子どもだから、愛したいし、愛さなくてははらないと思っている。自分の子どもだったらかわいくて仕方ないのが当たり前なのに、そう思えない。そんな自分はおかしいのではないか。だめな親なのではないか。そう思っているんですね。そして自分を責めて苦しんでおられるんですね。 でも、そんなことないですよ。自分の子どもをかわいいと思えない人は、たくさんいます。そして、それは自然な感情です。 完全な親なんて、どこにもいません。 かわいいと思えなくても、いいのです。無理して、かわいいと思わなくては、と、自分を追い詰めると、どんどん苦しくなってきます。ストレスも溜まります。そして、自分の中に、溜め込んだ気持ちが爆発するとキレてしまい、子どもに、『あんたはどうしてそうなの!』と八つ当たりしてしまう方が多いのです」 いいも悪いも、自然に湧いてくる感情を受け入れるしかない 「かわいいと思えない子どものことを、無理にかわいいと思おうとする必要はありません。かわいくないものは、かわいくない。仕方ないのです。 そして、下の子に比べて、上の子はかわいいと思えない場合も、かわいいと思えないなら思えないなりに、親としてできるだけ大切に育てていこう。そんなつもりで、無理せずやっていかれてはどうでしょうか」 そう言います。 実際、子どもに手をあげてしまっている親御さんには、真面目すぎるがゆえに、「自分の子をかわいいと思えない自分を責めてイライラし、気づいたら子どもをぶってしまっていた。もしかすると私のしていることは、虐待の一歩手前ではないか」と、ハッとしてカウンセリングに相談にきた、という方が少なくありません。 あえてハッキリ言いますが、子どもをかわいいと思える親もいれば、かわいいとは思えない親もいます。きょうだいのどちらかしか、かわいいと思えない親もたくさんいます。そして、それでいいのです。いいも悪いも、それが自然に湧いてくる感情なのであれば、それを受け入れるしかないのです。 そして、子どものことをあまりかわいいと思えないならば、その気持ちはそのままにしながら、親としてするべきことは、きちんと分け隔てなくしていけばいいのです。 「自分の子どもならば、かわいいと思えるはず」というのは、ただの迷信です。事実では、ありません。かわいいと思えないなら、かわいいと思えないからこそ、差別やえこひいきにならないように、自分の子どもへの言動に注意すればよいのです。 「かわいいと思えないなら思えないまま、それでも、親としての務めはきちんと果たしていく」そんな、無理のないスタンスで、わが子に関わっていくのがおすすめです。 (諸富祥彦)
2015年12月20日子どもをきちんとしつけようとして、きびしく叱る親御さんもいます。 しかし、叱り方を間違えると、一生、心に傷が残ってしまいます。実際、3歳から5歳くらいのお子さんを持つお母さんから「私、叱り始めると、つい、止まらなくなってしまうんです。『もしかしたら、虐待では?』と思うこともあって。どうしたらいいですか?」と相談を受けることも少なくありません。 では、子どもの心に「一生心の傷になって残る」リスクのある、「これは、絶対ダメ!」という叱り方には、どのようなものがあるでしょうか? クセになった暴力は、絶対ダメ! まず、最悪はこれ。 愛のムチ、という言葉をよく耳にします。「子どものため」を思って行った平手打ちなら、それは教育上意味がある、という考え方です。 けれど、多くの子どもにとって、暴力は、ただイヤな思い出でしかないようです。とくに ・説明もなく、いきなり殴られた時 ・たいした理由もなく、親が自分を殴るのがクセになっているのが、子どもから見てもわかる時 こんな時、子どもの心の中には、親に対する不信感が育まれます。自分は親にとって「単に面倒くさい存在」であるかのように感じてしまうのです。 こうやって身につけた不信感はかなり根深いものがあり、その後、どんなに良いことを親が言ったとしても、子どもは素直に聞く気持ちになれません。 とにかく、子どもにとって納得のいかない暴力は、百害あって一利なし。よーく心得ておきましょう。 自分の気分次第で叱ったりほめたりするのははダメ 2番目に良くないのがこれです。 仕事がうまくいっているなど、何らかの理由で機嫌がいい時には、子どもにめっぽうやさしい。 逆に、仕事で滅入っていたり、何かつらいことがあったりしてストレスが溜まっている時には、子どもにも厳しくあたってしまう。そんな親がいます。 もちろん、人生いろんなことがありますから、そうなってしまう気持ちもわからないではありません。 いつも同じ、一貫した態度で子どもに接することなど、普通の親には、なかなかできるものではありません。 しかし、あまり喜怒哀楽が激しく、自分の気分次第で、子どもにやたら優しくしたり、冷たくしたりを繰り返していては、子どもはいったい、何をどうすれば、親に喜んでもらえるかわかりません。 親を喜ばせるつもりで何かをしたのに叱られた。あるいは逆に、何もしていないのにやたらとほめられた。 そうなると、子どもとしてはどうしていいかわからず混乱します。 ほかに、心を傷つけてしまうダメな叱り方には、次のようなものがあります。 ・「お姉ちゃんなのに」「お兄ちゃんなのに」と叱る ・「マサル君はもう~なのに、サトシはまだそれしかできないの」とほかの子どもと比較して叱る ・「せっかく、~教室に通っているのに、そんなんじゃ、お金の無駄ね」とお金のことを出して叱る ・努力したにもかかわらず、「何だ、~点か」と、結果のみ見て叱る これらを頭に入れて、お子さんの叱り方に気を配ってみてはいかがでしょうか。 (諸富祥彦)
2015年12月04日つらいことが、人生にはつきものです。学校では、勉強のこと、スポーツのこと、友だちのこと、と、試練の連続です。社会に出た後も、何度もへこたれそうになったり、ギブアップしたくなる時期があります。受験に失敗したり、部活でレギュラーになれなかったり。就職で失敗したり、結婚する約束をしていた人に急に別れを告げられることもあるかもしれません。 多くの人には、20代で大きな試練がきます。 そのとき、もうちょっと頑張ろうと思えるのか、それとももうダメだと諦めてしまうのか。その粘りやふんばりができるかできないかで、人生の道は大きく分かれます。 お子さんの人生にも、残念ながら、その「つらいこと」はやってきます。 大切なのは、「つらいこと」があったときに「立ち直ることができるタフなこころ」を育てていくことです。 そのうえで大切なのが、親が愛情を惜しみなく注ぐことです。とくに0~6歳(乳幼児期)は、「心の土台づくり」となる重要な時期です。人生における基本的な安心感、信頼感などが育つ時期です。 愛情をたっぷり受けた子どもは、「ぼくは(私は)愛されている。大切にされているんだ」と実感します。すると、「自分は幸せになっていいんだ。なれるんだ」と自分を肯定する気持ちを持つことができるようになります。 お子さんに「愛している」と言葉でどんどん伝えてください。心で思っているだけではなく、「愛している」と言葉で言いましょう。だっこしたりタッチしたり、たくさんスキンシップを行ってください。ぎゅっとしたり、ほっぺにチュッとキスしたり、スキンシップをされてください。 そうされていると、「ぼくは、わたしは、愛されているんだ!」という感覚が育ちます。この感覚が、将来、お子さんが「つらいこと」を乗り越えていくうえで、基本的な「生きる力」になっていくのです。「心の折れない子」に育っていくのです。 ラブとハッピーに満ちた子育てで「立ち直り力」(レジリエンス)が育つ ラブとハッピーに満ちた時間をすごし、お子さんが「愛されている実感」を持つことができると、それが大きな自信につながります。すると、そのあとの人生で、たとえ失敗しても「大丈夫!」と思えるような大きな自信を持つことができるようになるのです。 この「こころの回復力」=「立ち直り力」のことを、心理学では「レジリエンス」といい、いま、子育てでもっとも重要な「育てておきたい力」の一つとして、注目されています。 6歳までの、愛に満ちた子育てが、お子さんが20歳以上になったときに、「困難を乗り越える力」となって生きてきます。それは、幼少期に「心の土台づくり」ができているかどうかにかかっているのです。0~6歳の時期に「親から十分に愛された」という経験が少ないと、人間は、心が折れやすくなります。 実際、何かにつまずくと「もう頑張れない」となってしまう人のカウンセリングをしていると、「幼いころに、お母さんと楽しく遊んだ思い出が思い出せない」というのです。 楽しい思い出をたくさんつくりましょう。 そして「あなたなら大丈夫」「きっとできる」と信頼と期待に満ちた言葉をかけていきましょう。 (諸富祥彦)
2015年11月05日