「子どもの心により添う保育」をモットーにした「りんごの木 子どもクラブ」代表。絵本作家。 保育者。育児書の執筆、雑誌への寄稿だけでなく全国で保育者向けセミナーや母親向け講演会をおこない支持を得る。NHK『すくすく子育て』出演。園で行っている「子どもたちのミーティング」はテレビ・映画で取り上げられ「子どもの力を最大限に引き出している」と話題に。
公共の場では静かに、邪魔にならないように…。子どもとのお出かけは周囲への気遣いでドッと疲れるというママ、多いですよね。 わが子を育てるのはもちろん自分だけれど、どうしてここまで周囲に気を遣わなければならないのでしょうか? 今回は「子育ては親だけに責任がある」という世間一般の風潮や子どものしつけについて 『今日からしつけをやめてみた』 (主婦の友社)を監修された柴田愛子先生にうかがいました。 お話をうかがったのは… 「りんごの木 子どもクラブ」代表 柴田愛子先生 「子どもの心により添う保育」をモットーにした「 りんごの木 子どもクラブ 」代表。絵本作家。 保育者。育児書の執筆、雑誌への寄稿だけでなく全国で保育者向けセミナーや母親向け講演会をおこない支持を得る。NHK『すくすく子育て』出演。園で行っている「子ども達のミーティング」はテレビ・映画で取り上げられ「子どもの力を最大限に引き出している」と話題に。 ■子どものしつけ「それって、おかしくない?」 ――先生は 『今日からしつけをやめてみた』 のなかで「ママを脅かすしつけはいらないのでは?」という提案をされていますよね。では、ママやパパ自身が「子どもにどうしてもこれだけは伝えたい!」というしつけについては、どのようにお考えですか? 柴田愛子先生(以下、柴田先生):そうね。伝えたいことってあるわよね。例えば「出されたものは食べる」というのがある。それは、残さず食べてほしいと思う「根拠」があればいいと思うの。 ――根拠、ですか…? 柴田先生:「残さず食べなさい」というしつけの理由として「残したら、つくってくれた人に失礼でしょ」という人がいる。これ、ちょっと変じゃない…? つくってくれた人がいるのは分かるけど、だからおなかがいっぱいでも、すごく苦手なものでも苦しみながら食べなさいってことでしょ。それは、ちょっと変かなと思うのね。 ――残さず食べるのはいいことだと思うし、自分も親からそういわれてきました。でも、はっきりとした根拠ってなかったかもしれません。 柴田先生:前にりんごの木クラブで遠足に行ったとき、お弁当がひっくり返ってしまった子がいた。中身は焼きそばだったんだけど、落とした子はそれを拾ってね…。1本ずつ水道の水で洗いはじめたの。 ――え…! 柴田先生:洗った麺をお弁当箱に戻して、ゆすいで、食べはじめた。私は「え、食べるの?」と聞いたの。そしたら「そうだよ、食べなきゃいけないんだ」というのね。結局、全部食べたのよ。 ――全部ですか…! 柴田先生:そのあと、子どもを迎えにきたお父さんに聞いたの。「お宅は、食べ物は残しちゃいけないとしつけているんですか?」って。そしたら「そうなんです」って。 「どうして、そうやってしつけているんですか?」と聞いたら「僕の家は裕福じゃなかった。だけど食べることは親がきっちりやってくれたから、今の僕の体がある。僕はこの体があるから今、家族を養っていける。だから親に感謝している」と。 ――ふむむ…。 柴田先生:そして「これ、やり過ぎですか?」って私に聞いたのね。だから「お宅のお子さんだから、それでいいと思います」と答えたの。それにね「妻はけして料理が得意じゃない。その妻が一生懸命つくっている姿を見たら、残していいっていえないですよ」だって…。いいお父さんでしょ! でも、お母さんは「落ちたものは食べなくても良かったのに…」って。そしたら、お弁当を落とした子は「え? 食べなくて良かったの?」だって。今度からこの子は落としたものは食べなくていいって分かるわよね。 ――そうか…! そうですね。食べなくていいときもあることが分かりましたね。 柴田先生:こんなふうに、しつけはそれぞれの家によって違う。だから世間一般のしつけを取り入れたら数十、数百あるかもしれないけれど、親が大事にしていることを子どもに教えていけばそこに大きな柱ができる。 そのあと、子どもがどう育っていくかは、その子の問題。苦しかったらしないし、感謝していたら同じようにやっていく。そうやって、つないでいくものなんじゃない? 親の思いを受け継いでいくことのほうが、きっと大事だと思う。 ■もっと頼って、もっと迷惑をかけて! 孤独をはね返す豊かな子育て ――自分流のしつけでいいんですね…! 子育ての一般論にあてはめるより、自分流でやると自分もしっくりくる感じがします。 柴田先生:そうね。お母さんはいろいろなものに脅かされることが多い気がするし、人を頼らない人も多い。「他人に迷惑をかけちゃいけない」というお母さんもいるわね。 ――あ、私もそうでした。夫も頼りにならないし、子育てはひとりでやらなきゃいけないものだと…。 柴田先生:うんうん、そういうお母さんには「迷惑はかけるもの。迷惑をかけて人は生きていく。かけないのは孤独でしかない」って私はいうわね。 ――迷惑をかけたくない、と思うのは孤独…? 柴田先生:迷惑をかけて、かけられるような人間関係をどれだけ築いているかが、お母さんや子どもの豊かさであると思うの。迷惑をかけられる人を何人持っているか。それが「生きやすいこと」につながる。 りんごの木クラブでも具合の悪いお母さんがいると、おうちまで子どもを送り迎えするのね。お弁当をつくったりして。 子育ては思うようにいかないものだから、自分が動けないときに「お願い!」っていえる関係を持っていると、生きやすいじゃない? 国や行政に頼ってもなかなかうまくいかないから、そんなときは地域力、友だち力なんかが力を発揮するわね。 ――何かあってもお願いできる人が側にいれば、ママも心強いですね…。 柴田先生:そうね。でも、なかにはお手伝いしたら「本当に申し訳ない…」って私に謝るお母さんもいた。 だから私は「頼まれるって、うれしいんだよ」と伝えたの。「お願いできますか?」といわれると、私が役に立てる! って、うれしくなる。あなたには申し訳なく思うことでも、私にとってはうれしいことなのって(笑)。 ――そんなふうにいわれたら、泣いてしまいます(涙)。 柴田先生:「何かお返しがしたい」といわれたけど、それは違う人にするといい。ありがたかったことは「ありがとう」っていえばそれでいい。その人に返すのではなくて、今度は違う人の役に立つ。元気になったときに、頼まれたらうれしいって思う出来事がきっとあるから、そのときのためにお返しはとっておいてほしいわね。 ■子どものしつけは親だけの責任? ――少しずつでも人を頼りにできたら「私はひとりなんだ」という子育て中の孤独が薄らいでいきそうですね。そもそも「まわりに迷惑をかけたくない」という思いは「子育ては親がするもの」という世間一般の空気感が影響しているようにも思えます。 柴田先生:しつけって「子どものため」というより、周囲の目が怖いからやっているのかもしれません。 例えば、電車の中で子どもが騒いだら「しーっ」というでしょう? でも黙るのは一瞬(笑)。親だって困ってるのよ。 ――そうです、そうです! いちばんなんとかさせたいと思ってるのは私たちなんです…! 柴田先生:そうよね。そんなときって、親じゃない別の大人が「うるさいよ」っていえばいいと思う。子どもは親じゃない人からいわれると、ビクっとするわよ。 ――確かに、すごくびっくりしそうですね(笑)。 柴田先生:困っている人に対して「親であるあなたがなんとかしなさい」って冷たくない? いくつになっても子どものことは親のせい。一生、親が責任を持っていかなきゃいけないなんて、そんなバカな話ある? ――私も、そう思っていいんでしょうか…? 柴田先生:子どもと大人は生まれたときから違う人間で別人格なの。だから、子どもがうるさくしたときに「本当に困っちゃうよね。元気なのはありがたいんだけどね~」っていってくれる人がいたら、どんなにありがたいかって思う。「親だけがしつけなさい」という考え方は違うんじゃないかしら。 ――そういう考えの人が増えたら、肩身の狭い思いをするママもきっと減っていきますね。 柴田先生:保育園の建設で反対運動があったりするけど、反対する人は自分の子育てのときはうるさいなんて思わなかったと思う。でも、静かな環境でずっと過ごしていると、気になるようになってしまうのね…。 自分の不都合は、遠ざけて排斥する風潮なんでしょうね。何よりも自分だけが大事。子どもがいてこその社会なのにね。 でも、実をいうと私も「うるさい」と思うことはあるのよ。遠足でたくさんの子どもたちが電車に乗ってきたりすると、車両を変えたくなったりします。 でも、ふと子どもの表情が目に入ると、「ああ…そうか、うれしいのね」って、はしゃいでいる子どもたちの気持ちが伝わってくる。自分の遠足のときの光景さえ浮かんでくると「楽しんできてね」なんて気分になるのよね。 子どもを物体として見ていると「自分を脅かすもの」に感じる人もいるかもしれないけど、そんなときは表情を見てほしい。人として見ると表情があって、自分自身に置き換えたりできるのね。 ――子どもたちの顔を見ると、気持ちが変わることもある…。 柴田先生:そう。そう考えると「うるさい」と思うのは、こちら側に余裕がないときなのかもしれないわね。 ■しつけなくても子どもはできる! あなどれない「観察力」 ――先生、ここでちょっと疑問です。自分流に根拠のあるしつけだけを実践してみたものの、本当にそれだけで社会のマナーや礼儀などが身に付くのか、不安になるママもいるかと思うのですが…。 柴田先生:そうね。いいエピソードがあるわ。あるとき、りんごの木に通っている4~5歳の子どもたちを、隣の保育園の園長先生が招待してくれたのね。 お正月に獅子舞がくるイベントだった。イベントが終わったあとで園長先生が「今から年長さんは部屋の中でお茶のお点前をいただきます。一緒にどうですか?」と誘ってくれたの。 ――楽しそう…! 柴田先生:でも「うちは無理です(たぶん、落ち着いていられない)」って断ったの。園長先生は「そんなこといわず、どうぞ」って…。 だから子どもたちに「これからごちそうしてくれるようだから、おじゃましようか?」と相談したの。そうしたら、子どもたちは玄関のほうにバーっと走っていって、靴をきちんとそろえてなかに入ったの。りんごの木では一切靴なんかそろえないのに…。 ――「ここは、ちゃんと靴をそろえるべき」と分かっている…? 柴田先生:そう。きちんとする場所は「分かってる」ってことよね。 それから部屋の中でも正座してるのね。お菓子にあんこ入りのおまんじゅうが出たんだけど、あんこが苦手な子が中身を知らず、口に入れてしまった。 ペッと吐き出すかと思ったら、私の顔を見て「どうする…?」って泣きそうな顔をしてるの(笑)。「紙に包んで…」と小声でいったら、紙にそうっと包んだのね。 ――ここでは、いつもみたいにペッと吐き出しちゃいけない、と思ったんですね。 柴田先生:そうかもね。こんなふうに子どもは大人を見ている。それに大人がどういうことを好むか、分かっていると思うの。だから家の中ではちゃめちゃでも、外にいくと「おはようございます」っていったりするじゃない? 外だと良い子っているわよね。これは外面が良いというより、場をわきまえる子なの。 ――場をわきまえる子…。 柴田先生:保育園の園長先生に「ちゃんとした子どもたちですね」っていわれて、私「はあ…(苦笑)」って。そのあと「何か質問はありますか?」って園長先生がいったら、子どもたちは「はい! はい! はい!」って手を上げて。 「なんで、これはこうなんですか?」って質問攻め。そこは空気を読むんじゃなくて、自分を持っている。そこでのふるまいを心得ているんだと思ったの。 ――場をわきまえて、ふるまう。知りたいこと、興味のあることは素直に聞く(笑)。その姿勢って、すごく理想的ですね。 心にストンと落ちる。柴田先生のお話はそんな表現がぴったりです。 「子どものことは親だけの責任」という空気感に「私がしっかりしなきゃ」「迷惑をかけちゃいけない」と息苦しくなっているママは多いのではないでしょうか。 みんなが心にゆとりを持てるような社会。そのためにまずは自分の心を楽にしてあげようと思いました。 参考図書: 『今日からしつけをやめてみた』 (主婦の友社) あらい ぴろよ (イラスト), 柴田 愛子 (監修) 「小さいうちから、きちんとしつけないと…」そうしておこなわれる「しつけ」は子どもにどんな影響を与えているのか? しつけなくして、親子が笑顔になる方法はあるのか? 子どもの目に映る世界は、大人が見ている世界とは違うもの。親子でストレスの溜まる「しつけ呪縛」から解放される一冊。
2019年06月18日しつけをするのは「子どものため」ですよね。人にはやさしくあってほしい、ずるいことを考えず、正しいおこないをしてほしい。良い子になってもらうべく、私たち親は奮闘するわけです。 けれど「これが本当に子どものためになるのだろうか」と迷い、悩むことがあるのはなぜなのでしょう。子育てで目指すべきゴールはどこにあるのでしょうか。 今回は、子どもが「生きやすくなる」ために親ができることについて 『今日からしつけをやめてみた』 (主婦の友社)を監修された柴田愛子先生にうかがってきました。 お話をうかがったのは… 「りんごの木 子どもクラブ」代表 柴田愛子先生 「子どもの心により添う保育」をモットーにした「 りんごの木 子どもクラブ 」代表。絵本作家。 保育者。育児書の執筆、雑誌への寄稿だけでなく全国で保育者向けセミナーや母親向け講演会をおこない支持を得る。NHK『すくすく子育て』出演。園で行っている「子ども達のミーティング」はテレビ・映画で取り上げられ「子どもの力を最大限に引き出している」と話題に。 ■親が自慢に思う「良い子」を演じる子どもたち ――世のママやパパがしつけをするのは「良い子になってほしい」という思いがあるからですよね。でも「良い子」であることって、そんなに重要なことでしょうか? 柴田愛子先生(以下、柴田先生):小さいときから「良い子」というものが評価されすぎているわね…。評価されすぎると、良い子は良い子を崩せなくなる。 本当の気持ちがいえなくなってしまうの。空気を読むようになって、大人たちから褒められることが自分の生きがいになっていくのね。 ――褒められることが生きがい…。 柴田先生:20~30代の人がこんな事を言ったりするの。「本当の私はいつ出したらいいんですか?」って。 小さなころから、みんなに「良い子ね」っていわれてきた。だけど、本当の私は別にある。本当の自分をいつ出せばいいのか、分からなくなってしまったのね。 ――良い子の自分とは別に、本当の自分がいたんですね。 柴田先生:そう。だから私は「今日から良い子をやめなさい。ひとつでもいいから自分の本音をいってごらん」といったの。 自我のない人間はいない。でも、我が子が「良い子」の評価を受けると、親は満足するでしょう。それを見て、子どもは親を喜ばそうと、自ら「良い子」路線に進んでしまうの。 ――子どもも親の期待に応えたいと感じるんですね。 柴田先生:でもそれは、人のために自分をつくることで、自分の人生じゃない。たとえ誰かに迷惑をかけても、非難されても、良い子じゃなくても…。 我が子には「自分で良かった」と思って、生きてほしいじゃない? ――はい…! ■「好きなこと」があれば生きていける! ――でも「あるがままでいい」と思うことは大人でも難しいことですよね…。まわりに振り回されず、自分の軸をしっかり保ちながら生きていくにはどうすれば良いのでしょう? 柴田先生:そうね。私が小学校低学年のときに、母から「人間、好きなことがひとつあれば、生きていけるから」といわれたことがあるの。 ――好きなことがあれば、生きていける? 柴田先生:当時「ピアノが習いたい」と母にいったら「そう。あそこにピアノ教室があるからいっておいで」って。私、1人で教室に「習いたいです」といいにいったの。ほかの友だちはみんな親がついてきてるのに(笑)。 やりたいことは応援してくれたけど、手取り足取りじゃなかったわね。自分のやりたいことは自分の力で進まなくちゃいけない。 ――自分の力で…。「好きなことがあれば生きていける」というのは、好きなことを仕事にして食べていく、ということでしょうか? 柴田先生:当時は私も意味がよく分からなかったけど「好きなことがあれば食べていける」ってことではなかったわね。「今、何かしら好きといえるものがあれば大丈夫」ってこと。 ――好きなことがあれば「大丈夫」…? 柴田先生:母は専業主婦で大変だったけど「今日は民芸です」といって、月に1度、外出するときがあった。私はどこへでも母についていく子だったけれど、その日だけは「一緒にいく!」とはいえない空気があったの。 18歳になったとき、ようやく「今日は一緒に民芸にいこう」と連れていってもらえたんだけど、劇団の芝居だったの。社会問題を扱った難しい芝居が多かったけど、一緒にいくことで私は母の考え方を知った。 「母はこういう考え方を支持してるのか」と理解できたわ。 ――親がどういう考え方を持っているかって、聞く機会をつくらない限り分からないですよね。 柴田先生:そうね。母は何より、自由を求めていた人だったと思う。「好きなことがひとつあれば生きていける」といったのはたぶん、好きなことがひとつあれば「自分がブレない」ってことじゃないかな。 子育てや仕事で自分を見失ってしまうこと、いっぱいあるじゃない? そのとき、自分が好きといえるものに出会うと、自分を取り戻せるような気がしない? 好きなことって何でもいいのよ。「その先に何があるの?」ってよく聞かれるけど、そこに意味や価値はなくてもいいの。 例えば、私は山登りが好きで、すごく疲れていても大自然を感じると、空気が体の中にはいってきてホッとできる。帰ってきたような気分になるのね。 だから、好きなことがあると「私はこういうのが好きなんだ」「私はこう思うんだ」って自分を取り戻せる。まわりにおびやかされず、自分を守っていけるんだと思うの。 ■生き抜くために「たくさんの友だち」より大切なこと ――それは、親だけではなく子どもにもいえることですよね。 柴田先生:そう。子どもにとって、お友だちがいるかいないかはそんなに大事なことじゃない。自分がやりたいことを見つけられる力を持っていることのほうが、ずっと大事だと思うの。 あるとき、りんごの木にお迎えにきたお母さんが「今日はお友だちと遊んでましたか?」って聞いてきたのね。だから私は「お友だちと遊ぶことは、そんなに大事なことではないです」って答えた。 お友だちはだんだんできていくもので、つくろうとしてつくるものではないのね。ひとりぼっちでもいいじゃない? 昨日も2歳の子がずーっとひとりで泥遊びをしていたんだけど、「ああ…! たっぷり自分の時間を過ごしてるなあ」ってうれしく思ったの。 ――友だちは多いほうがいい、ひとりでいるより大勢でいたほうがいい。そう思い込んでいた気がします。 柴田先生:大人も子どもも、基本は自分ひとりよ。ひとりでも不安にならず、夢中になれることがあることがどれだけ大事か。 だから、他人の視線を気にするあまり、やってしまうのが「しつけ」だと思う。他人を気にしすぎて、自分がもろくなっていない? それより、まず自分を大事にしようって思うのね。 ――人の目を気にしていると、自分がもろくなる…。 柴田先生:毎日毎日、子どもに「静かにしなさい」「良い子にしなさい」といっていると、お母さんは自分が自分じゃなくなるようでつらくなりますよね。 もし、そう感じたのなら「うちの子うるさいな。耳栓買うか」くらいに思えばいいのよ(笑)。 ――耳栓!(笑) 柴田先生:そう思わなきゃ、周囲に気をめぐらしすぎて自分を見失っていくと思う。今のあるがままが、どんなに大事かっていうことね。 ■「嫌です」面と向かっていえる? 正論が子どもを追いつめる ――小学生の息子が私に「今日、友だちにひどいことをされた」と報告してくることがあります。そんなとき私は「嫌なら嫌っていわないと、相手には伝わらないよ」と答えるのですが、息子はぶぜんとした表情のままで…。息子の心に響いてない気がするんです。 柴田先生:親は事実を確認して、一歩踏み込んで「あなたはこうするべき」と正論でいくことが多いわね。「嫌なことされたら、嫌っていいなさい」って。でも実際、自分より強い人に嫌っていえる人、いる? ――…え? 柴田先生:上司に「それ、嫌です」っていえるかしら? 自分より強い人に、嫌っていえる勇気を持っている人なんていないですよ。 ――確かに私も嫌といえないとき…あります。 柴田先生:大人でもあるわよね。そんなときは「それはなかなかいえないよね~。いえればいいんだけどね…」と気持ちに寄り添う。それが、子どもの元気を取り戻すことになるのね。 ――子どもの元気を取り戻す? 柴田先生:そう。子どもは「僕(私)は、こんなにひどい目にあってるんだよ!」とあなたに泣きついているの。だから「そんなにひどい目にあっているなんて…かわいそう!」って受け止めてあげるの。ここで共感してあげると、子どもはすごくホッとする。 ――そうか…。子どもを守りたい、という気持ちもあってつい正論で返していました。そうじゃなくて、元気を出してもらうように接すればいいんですね。 柴田先生:そうね。それから嫌と言葉でいわなくても、嫌と伝える方法はいくつかあるよ、と伝えるのもいい。まず泣くのが何より効果的。それから先生やお母さんにいいつけるのも良し。その場から逃げるのもアリだよって。 ――確かに、いろいろな方法がありますね(笑) 柴田先生:大人が正論ばかりいうから、子どもは生きる力を持てないの。嫌なときは嫌といいなさいとか、困ったら乗り越えなさいとか…。 大人だって、お金使ったり、物の力を利用したりしているじゃない? なのに子どもには正論をいう。これは子どもの生きる力を奪っていると思う。 ――子どもにだけ正論をかざすのは、確かに変ですね。 柴田先生:自分を守る方法を教えていけば、道はある。それに、わが子を分析し正論で判断ばかりしていると、親である自分も苦しくなってくるんじゃない? もちろん「今日も嫌なことをされた」と同じようなことが続くなら、何か別に理由があるかもしれない。そんなときは、先生に相談してみるといいと思う。いずれにせよ、最後の最後まで結論を追い求めるんじゃなくて、追いつめないことのほうが大事だと思うわね。 良い子を強要するのは、もしかすると「本当の自分を隠しなさい」といってるようなものかもしれません。あるがままの自分を大事にすることが、生きる力になる…。ずっと忘れずにいようと思いました。 次回は、「子育ては親だけに責任がある」という世間の風潮について、引き続き柴田先生にうかがいます。 参考図書: 『今日からしつけをやめてみた』 (主婦の友社) あらい ぴろよ (イラスト), 柴田 愛子 (監修) 「小さいうちから、きちんとしつけないと…」そうしておこなわれる「しつけ」は子どもにどんな影響を与えているのか? しつけなくして、親子が笑顔になる方法はあるのか? 子どもの目に映る世界は、大人が見ている世界とは違うもの。親子でストレスの溜まる「しつけ呪縛」から解放される一冊。
2019年06月17日ガミガミいわず、いつも子どもと笑っていたい。でも親である以上「私がしっかり言い聞かせないと」と思っているママは多いですよね。 私たちは、本当にしつけをしなければならないのでしょうか? 最終回となる今回は子育てにありがちなシチュエーション別の対応を 『 今日からしつけをやめてみた 』(主婦の友社)を監修された柴田愛子先生にうかがいました。 お話をうかがったのは… 「りんごの木 子どもクラブ」代表 柴田愛子先生 「子どもの心により添う保育」をモットーにした「 りんごの木 子どもクラブ 」代表。絵本作家。 保育者。育児書の執筆、雑誌への寄稿だけでなく全国で保育者向けセミナーや母親向け講演会をおこない支持を得る。NHK『すくすく子育て』出演。園で行っている「子ども達のミーティング」はテレビ・映画で取り上げられ「子どもの力を最大限に引き出している」と話題に。 ■場面その1:おはよう、バイバイなどのあいさつをしない ――先生、今回は子育て中によくあるシチュエーション別に、ママの対処法をお聞きしたいと思っています。最初の事例は「あいさつ」です。「おはよう」や「バイバイ」がいえない…と悩むお母さんは少なくありませんが、先生はどのようにお考えでしょうか? 柴田愛子先生(以下、柴田先生):これはね、大人がいいたいの。だから大人がいえばいいのよ。 ――え、大人がいうんですか?(焦) 柴田先生:そう。「〇〇ちゃん、おはよう」っていわれて、子どもが何もいわなかったらお母さんが「おはようございます!」って代わりに答えればいいの。 ――それでいいんですか…? 柴田先生:いいと思う。親の後ろ姿を見て「こういうときは、こういうのか」って子どもは学んでいくもの。いわなくてもいいよっていうことではなくて「母は母でやらせていただきます。母のやり方で」っていうことなの。 ――親がお手本になる…ということですね! ちなみに、どのくらいで自らあいさつできるようになるんでしょうか? 柴田先生:そうね。最初のうちはお母さんが「おはようございます!」っていっても子どもはボーッとしてる。でも、5歳の中ごろになると、親をまねて「おはようございます」っていうようになる。それまではいいんじゃない? りんごの木に子どもがやってきて、私が「おはよう!」っていうと子どもは「ふふっ」と満足そうな顔をするの。それでいいじゃないですか。 ――ふふって、かわいいですね(笑)。親の私たちが「あいさつ」ができた、できなかったを必要以上に気にしているだけなのかもしれませんね。 柴田先生:そうね。「おはようございますは?」と子どもにいうのは、調教しているように思う。もちろん、儀式的なことを大事に考えている人もいるわね。その人はそれで良いかもしれない。 でも、礼儀作法はあとでも間に合うと私は思っているの。人と人とのつながりを優先したいと思うから。 ■場面その2:帰ろうと声をかけても遊びが切り上げられず、泣いて暴れる ――夕方、帰宅のため子どもに「帰ろう」と声をかけると「イヤだ!」「帰らない!」とごねられ、なかなか帰れない…というお悩みについてはどう思いますか? 柴田先生:これは、当たり前のことだと思う。親っていうのは勝手なときがあるわね。公園でおしゃべりしていて、子どもが「帰ろうよ!」といったら「待ってて」と待たせるのに、自分の用事が終わったら「さあ、帰ろう」って。 こんなときは「待っててくれてありがとね。ママの話、終わりました! じゃあ、帰ろうか」といってほしい。 ――確かにそうですね…! 柴田先生:帰ろうっていわれて、素直に準備して帰るのは大人にゆずっているのよ。子どもに失礼なことだと思う。 でも、子どもからの「帰ろう」の言葉を自然に待ってたら、夜は更けちゃうわけね…。 ――そのとおりです…! 柴田先生:そんなときはね。「もうすぐ帰ろう」と声をかけて、遊びたい熱をさましてあげる時間をつくるの。「もうちょっとたったら帰ります」「もうすぐ帰ろう」「そろそろ行きます」「そろそろですけど…?」という感じで、4回くらい繰り返すのよ。 ――4回もですか…! 柴田先生:場所と時間によっては大変かもしれない(笑)。3歳くらいの子だったら、20分くらい用意できるといいわね。20分たつと、子どももそろそろ意識しはじめるから。 ――20分かぁ…(涙)。「ごはんが食べられなくなるよ~」と声がけするのはどうでしょう? 柴田先生:時間的な把握は、子どもにはまだ難しい。だから「早く帰らないとごはんが食べられなくなる」といっても「早く帰ること」と「ごはん」が結びつかずに、ピンと来ない。脅かしになってしまうの。 だからとにかく「早く帰ろう」っていう気持ちにさせるしかない。「もうすぐ帰るからね。もうすぐね」「お母さん、ごはんをつくらなきゃいけないから」って少しずつプッシュする。そして最後は「さあ、帰ろう!」でいいですよ。 だけど夢中になってるときに、いきなり「帰るよ!」は人さらいみたいで無謀よね。泣いて暴れるっていうのは自分の気持ちを無視されて、腹がたっているんじゃないかな。急に連れて帰ろうとするから「なんなんだ!」って抗議しているんだと思うわね。 ■場面その3:友だちのことを悪くいう、横柄な態度や言い方をする ――私の息子がときどき、友だちのことを「バカ」とか「お前、アホだな~」とか悪くいうときがあって「そんなこといわないの」と諭すのですが、こんな場面で親はどうすべきなのでしょうか? 悪口や人を馬鹿にしたような物言いは気になってしまいます。 柴田先生:そうね。これはね、人の悪口や人を馬鹿にする子に育ってほしくないという思いからよね。 ――そうです! 柴田先生:そうよね。でもこれ、親だからいってるのかもよ? ――…え? 柴田先生:例えば、強い子にいばられた子は、うちに帰っていばるわね。だって自分がいばられた分、消化しなくちゃいけないから。 だから外でも人のことを悪くいっているかというと、私はあまりいってないと思うのね。なぜって、気持ちを受け止めてもらったら落ち着くから。「あら~、それは嫌な子だね~」って共感してあげると子どもは落ち着くの。 ――嫌な気持ちを、家でリセットさせている…? 柴田先生:そう。「僕は何もしていないのに、意地悪された」っていってきたら、親は「本当に何もしてないの?」とか「誰に意地悪されたの?」と追求して事実確認しようとすることが多い。事実がどうとかではなく、今この子は自分の味方が欲しいだけなのね。 「そうなんだ、嫌だったね」と受け止めて欲しいと思っている。事実だけを知ろうとしてその結果「あなたが悪かったでしょ」となったら、この子の気持ちは消化できないままになってしまうのね。 ――子どもが外で経験したイヤなことを受け止めてあげることが大事なんですね。 柴田先生:そう。「ママは僕の味方だ」と思うと、子どもは心が落ち着いて処理できる。おもしろいのはね。子どもって気持ちが落ち着いてくると「でも、○○(友だち)ってそこまで意地悪でもないんだよ」といったりするのよ(笑)。 ――友だちをかばいはじめる(笑)。 柴田先生:そんなものなのよ。だから大人の八つ当たりと同じで、子どもなりに社会を持っているから、社会のイヤなことは全部おうちではき出させてあげましょうよ。 はき出すから、また社会に出ていける。これって大人と同じだと思わない? イヤなことがあるとグチをこぼしたり、やけ食いしたり、物に当たったり、どなったりするわよね。そうすると、次の日スッキリして元気になったりする。抱えたままだと、気持ちはおさまらないと思うの。 ――大人と同じ…! 私も嫌なことがあった日はコンビニで高めのアイスクリームを買って、気持ちを切り替えようとします(笑)。 柴田先生:子どもは「このモヤモヤを受け止めてほしい」と思っている。大事に思ってほしいのね。愛されていると確認をすることが、社会に出る元気をもらうことなのね。何歳になってもそうだと思うわよ。 子どもを変えようとせずに、親である自分も穏やかに過ごせる方法を選んでいく。すると、子どもも大人も心を開きやすくなるそうです。 「親も子どもも、ありのままを大事にして生きられたらいいね」という先生の言葉が心に残りました。 参考図書: 『 今日からしつけをやめてみた 』(主婦の友社) あらい ぴろよ (イラスト), 柴田 愛子 (監修) 「小さいうちから、きちんとしつけないと…」そうしておこなわれる「しつけ」は子どもにどんな影響を与えているのか? しつけなくして、親子が笑顔になる方法はあるのか? 子どもの目に映る世界は、大人が見ている世界とは違うもの。親子でストレスの溜まる「しつけ呪縛」から解放される一冊。
2019年04月28日電車の中でさわぐ。好き嫌いが多い。友だちと遊んでいると、すぐに手が出てしまう…。子育てをしていると「どうしたらいいのだろう」と思う場面は少なくありませんよね。 しつけをしなければ…と考える前にちょっと意識してほしいのは、子どもの年齢です。それぞれの年齢で、世界はどのように見ているのか。その違いを知っておくと、伝える言葉や行動が変わってくるといいます。 前回 は、子どもを「こんな子にしたい」ではなく「そもそも、どんな子なのか知る」ことから子育ては始まり、親都合のしつけをやめてみることが第一歩であると、『 今日からしつけをやめてみた 』(主婦の友社)を監修された柴田愛子先生にうかがいました。 実は、2~3歳の場合と4~5歳の場合では対処が大きく違うそうです。年齢ごとの対応に踏み込んでお話を聞きました。 お話をうかがったのは… 「りんごの木 子どもクラブ」代表 柴田愛子先生 「子どもの心により添う保育」をモットーにした「 りんごの木 子どもクラブ 」代表。絵本作家。 保育者。育児書の執筆、雑誌への寄稿だけでなく全国で保育者向けセミナーや母親向け講演会をおこない支持を得る。NHK『すくすく子育て』出演。園で行っている「子ども達のミーティング」はテレビ・映画で取り上げられ「子どもの力を最大限に引き出している」と話題に。 ■「困った!」その1:公共の場でさわぐ、走る、興奮する ――例えば、電車やバス、お店の中などで子どもが大きな声を出してさわいだり、走り回って困る…というお悩みがあります。できることを工夫しているママも多いかと思いますが、先生はどのようにお考えでしょうか? 柴田先生:そうね。結論をいうと、2~3歳までの子どもには何をどういい聞かせてもムダだと思うの。 ――2~3歳は何をいってもムダ…! 柴田先生:この時期、子どもは自分のことしか分かっていない。「静かにしようね」「走らないでね」といわれても分からないの。だから「さわいではいけない場所に極力連れていかない」というのがベストな対処になる。 とはいっても、病院での診察や家族の都合などあって、連れていかなければならないときってあるわよね。けれど子どもを変えることはできない。だったら大人が工夫するしかないのね。 ――やっぱり…(涙) 柴田先生:おもちゃ、絵本、食べもの。私はスマホを使うのも仕方ないと思うわ。子どもの気をそらす、ありとあらゆる道具を駆使して乗り切っちゃいましょうよ。 電車に乗るときは最前部か最後部がおすすめね。この場所は、車掌さんの席や窓からの風景がよく見えるところだから、子どもの気も多少まぎれると思う。 ――なるほど。4~5歳くらいになると、対応はまた変わってきますか? 柴田先生:4~5歳になると、周りの状況を見てだんだん自分をコントロールできるようになるから、おでかけの前に緊張感を与えてみましょう。 「今から電車に乗るけど、寝ている人や疲れている人がいるの。大きな声を出すとみんな驚いちゃうからシーッね」。そして「さわいだら電車はおりるからね」と伝えます。 でも悲しいことに、子どもはそんなことをすっかり忘れてさわいでしまうこともある(笑)。そんなときは、思いきって電車をおりましょう。 すると、ママが電車をおりたのは、自分がさわいだからと子どもは理解します。「ママは本気だ!」と思うと、次回からの行動が少し変わっていくかもしれないわね。 ■「困った!」その2:いつも食事を残す、好きなものしか食べない ――子どもが好きなものしか食べなかったり、残してしまったりしたとき「栄養をきちんと摂ってほしい」というもどかしさから、つい「残さず食べなさい!」「好き嫌いはダメ!」と厳しくいってしまうことがあります。こんなときはどうしたらいいでしょうか? 柴田先生:そうね。子どもがごはんを食べているのを監視しているようなお母さんっているわね。でも「残さず食べよう」っていうのは、生き物の中で人間だけのこと。 本来は命をつなぐために体が要求しているものだけ食べる。いわば「おなかが空いたときだけ食べる」という本能的なものを、子どもは持っているのね。 2歳くらいは胃も小さくて未発達だから、おなかがすぐいっぱいになるし、すぐに空く。4~5歳になると大人の食文化が分かるようになって、ウロウロしないで食べるようになる。体の大きさに比例して食があるから、自然と食べるようになるのね。 ――4~5歳くらいまで待てば自然と食べるようになる? 柴田先生:そう。2~3歳の本能的に生きている時期に、子に「あれもこれも食べなさい」「残さず全部食べなさい」というのは、大人の文化を押し付けていることになる、ということに気付いてほしい。 食事を摂るのは、命をつなぐためよね。そして、食べることは楽しいこと。それを忘れてしまって「栄養価のあるものをバランス良く食べさせなきゃ」「せっかくつくったのにどうして食べないの?」とイライラする…。そんなの、子どももつらいけど大人もつらいわね。 ――先生のお話を聞くと、親と子でまったく別の次元にいるような気がしてきますね。 柴田先生:親は「どうしたら子どものためになるか」を頭で一生懸命に考えている。でも、子どもは本能的に生きている。そのギャップがすごくストレスになると思うの。 本能的に生きているのに、いきなり私たち大人の食文化を押し付けられた子どもは気の毒だと思わない? だから子どもを信じて、1年、2年待ってみましょうよ。 ――待っていても、いいんですね…! ■「困った!」その3:友だちと遊んでいると、言葉より先に手が出てしまう ――先生、これも聞きたいのですが息子が小さいとき、持っていたおもちゃをとられて思いきり友だちをたたいてしまったことがあったんです。 しかも自分より小さい子を…。相手の子に申し訳ないのと、この子にどういえばいいんだろうという気持ちで泣きたくなりました。手が出てしまうとき、親はどう対処すれば良いのでしょうか? 柴田先生:2~3歳までの子は、自分の思いを言葉で説明できないのね。だから、行動で訴える。「イヤだ」という気持ちをたたくことで伝える子もいるし、かんだり、けったり荒っぽい表現をする子もいる。その子にとってはコミュニケーションのひとつになっているの。 ――コミュニケーションのひとつ? 柴田先生:そう。言葉で伝えられない思いを行動であらわしている。だからこの時期に「たたいちゃダメ!」と言い聞かせても、本人には分からないものなの。 ――では親ができることは…? 柴田先生:ほかの子をたたいてしまったら、親がごめんなさいねと謝りながら「一緒に遊びたかったみたい」と子どもの気持ちを相手に伝えてみてはどうでしょう。それは、子ども同士をつなげることにもなりますよ。 なかなかつらい時期かもしれないけど、4歳くらいになると言葉で気持ちが表現できるようになる、と覚えていてほしい。気持ちと行動が結びつきはじめると、たたいたり、けったりという表現がおさまってくるから。 ――どうして言葉で表現できるようになると、手が出なくなるんでしょう? 柴田先生:「やめて」というと、相手がやめてくれることが分かってくるからね。ずっとたたいたり、けったりと乱暴な子もいるけれど、そういう子は5歳くらいでほかの友だちに敬遠されちゃうのね。遊び相手がいなくなってしまうの。 そうすると本人も「これはまずいぞ」と気付いて、行動が変わってくる。暴力だけじゃ自分の思い通りにならないと悟るのね。 ――成長にともなって、自分で自分を変えていくんですね。 柴田先生:そうね。それから言葉うんぬんではなく、手が出る子もいる。そういう子は警戒心が強くて、さびしがり屋なことが多い。何かしら満たされない思いを抱えているものだから、そんな子が暴力をふるったら、私は無条件で抱きしめてあげる。 そして私が「あのおもちゃが使いたかったね。でも貸してくれなくて、くやしかったね。だからぶっちゃったんだね」とその子の気持ちを代わりに言葉にするのね。 「この人は自分の気持ちを分かってくれた」という安心感は、子どもに自分の感情の出所を理解させるの。こんなにも苦しい気持ちになったのは、おもちゃを貸してもらえなかったからなんだって。 子どもの手が出てしまったとき、どうしても大人は「悪いのはあなたです」と裁判官のようになっちゃう。でもそうじゃなくて「通訳」になってあげたらいいと思うわね。 子どもを変えようとせずに、大人が工夫する。子どもを信じて待つ。ジャッジせず、どう感じているかを理解しようとする。 先生の口からは「しつけ」という言葉が出てこないことに驚きます。「私がいわなければ…」というママのプレッシャーが少しでも軽くなるのではないでしょうか。 最終回となる 次回 は、「あいさつをしない」「遊びが切り上げられなくて泣いて暴れる」など、どう対処すればいいのか悩む子育てあるあるシチュエーションでの具体的な対処法をうかがいました。 参考図書: 『 今日からしつけをやめてみた 』(主婦の友社) あらい ぴろよ (イラスト), 柴田 愛子 (監修) 「小さいうちから、きちんとしつけないと…」そうしておこなわれる「しつけ」は子どもにどんな影響を与えているのか? しつけなくして、親子が笑顔になる方法はあるのか? 子どもの目に映る世界は、大人が見ている世界とは違うもの。親子でストレスの溜まる「しつけ呪縛」から解放される一冊。
2019年04月27日お行儀よくできない。友だちと仲良く遊べない。そんなわが子の様子を「私のしつけが良くないのかな…」と自分のせいにしてしまうお母さんは、とても多いように感じます。 「子どものしつけは親の責任」という言葉にうなずきながらも、「そうだけど…」とどこか釈然としない気持ちになったことはありませんか? 本当にしつけって必要? しつけは本当に子どものためになるの? そんな疑問を解決すべく、今回は『 今日からしつけをやめてみた 』(主婦の友社)を監修された保育のプロ・柴田愛子先生にお話をうかがってきました。 お話をうかがったのは… 「りんごの木 子どもクラブ」代表 柴田愛子先生 「子どもの心により添う保育」をモットーにした「 りんごの木 子どもクラブ 」代表。絵本作家。 保育者。育児書の執筆、雑誌への寄稿だけでなく全国で保育者向けセミナーや母親向け講演会をおこない支持を得る。NHK『すくすく子育て』出演。園で行っている「子どもたちのミーティング」はテレビ・映画で取り上げられ「子どもの力を最大限に引き出している」と話題に。 ■イヤイヤ期の2〜3歳「本能で生きる時期」しつけは押し付け? 今回、お話をうかがってきたのは「子どもの心により添う保育」をモットーにした幼稚園「りんごの木 子どもクラブ」代表の柴田愛子先生です。 ――先生、今日はよろしくお願いいたします! 先生が監修された『今日からしつけをやめてみた』のタイトルに「え? いいの?」と驚くお母さんも多いかと思いますが、ここでいう「しつけをやめる」とはどういう意味なのでしょうか? 柴田愛子先生(以下、柴田先生):なかなか過激なタイトルよね(笑)。これは「しつけはいらない」という不要論ではなくて、あなたを脅かしている、誰がいっているか分からない「しつけ論」をちょっとやめてみない? という意味なの。 ――誰がいってるか、分からない「しつけ」…? 柴田先生:しつけをしなければいけない、と悩んでいるのは2~3歳のお子さんを持つお母さんに多いわね。でも2~3歳ってイヤイヤがはじまる、いちばんどうにもならない時期なんですよ。そんな子どもをどうにかしようとするほど、至難の業はないと思うの。 ――でも、早いうちからいろいろ示しておかないと将来が心配だし、しつけることがわが子のためになると思って口うるさくいってしまうんです…。 柴田先生:そうよね。最近までおっぱいやミルクを飲んで寝ていたのに、立ち上がるようになって、大人のような姿かたちになりはじめる。でもね、大人に近づいたように見えるだけで、まだまだ未発達の状態なの。 2~3歳ごろまでは本能的に生きている時期で、それが自然。その本能的に生きている時期に、世間一般でいわれるような「しつけ」をするということは、人間の文化を無理やり押し付けていることになるの。 ――未発達な時期でのしつけは、押し付け…? 柴田先生:そう。押し付けられる子どもは気の毒だなぁ…と私は思う。子どもにとっても、「しつけないとしょうがない子になる」と頑張る大人にとっても、つらいものだと思うんです。 ■「ごめんなさい」の言葉の前に「なんだかイヤ」の感情を大切に ――先生は「りんごの木」でたくさんの子どもたちと過ごされていますよね。しつけが必要とされるような場面では、どうされているのですか? 柴田先生:例えば「ごめんなさい」ね。相手が泣いちゃった、だから「ごめんなさい」をいわせる。これは大人の終止符の打ち方ですよね。 大人は効率良く、さっさと片付けたいと思う。でも、子どもというのは効率を考えないし、さっさと片付けられないものなのね。 ――私も子どもがケンカしたときは「ごめん」をいわせて、早くいざこざを終わらせたいと思ってました…。 柴田先生:りんごの木では、子どものペースを保証したいから「ごめんなさい」は強要していないんですね。 2~3歳の子は、今自分が持っている気持ちと「ごめんなさい」の言葉がまだ結びついていない。「なんだかイヤだった」という気持ちと、相手が泣いちゃって「困った」という気持ちはあるけれど、そうした気持ちから「ごめんなさい」という言葉を出そうとは思わないんですね。 ――そうか、なんて言葉にしたらいいかまだ分からないんですね。 柴田先生:そうです。分かっていないんですね。でもここで、あなたが今感じている気持ちが「ごめんなさい」という言葉なんだ、ということは大人として伝えてあげたい。そんなときはこう伝えます。 「痛かったね~。ごめんなさいだね~。ごめんね」って私がいうんです。 そうすると「ああ、この気持ちはごめんねっていえばいいんだ」と子どもは分かっていく。 ――「ごめんねといいなさい」と強要するんじゃなくて、気持ちと言葉を大人がつないであげるんですね。 柴田先生:そうです。気持ちに言葉がついていくのであって、言葉で処理すべきことではない。これは「ありがとう」もそう。「ありがとう」「ごめんなさい」はとても大事な言葉ですね。だからこそ、子どもがたっぷり育ってから、言葉と気持ちがくっついたときでいいと思うんですよ。 ■「どんな子にしたいか」じゃなくて「どういう子なのか」 ――りんごの木では保護者に向けて、何か伝えていることはありますか? 柴田先生:りんごの木には遅刻という言葉はありません。「用意ができたら来てください」と伝えています。 乳幼児って、朝がうまくいかないじゃない? 出かけようとすると「うんち」っていったり、飲み物をこぼしてびしょびしょになったり…。 ――そうそうそう! そうです! 柴田先生:そのときに「出かけられないでしょ!」って怒るなら「あ~あ。やっちゃったか。じゃあ、着替えてね」でいい。みんなの用意ができたら来てね、なんですね。私の家が遅刻OKの家庭で、実はみんな遅刻常習者だった(笑)。 だからって大人になって遅刻するようになるかというと、そんなことはなかった。そこはわきまえて成長する。育つってそういうことなんじゃないのかな。 ――「朝は準備できてからでいい」って、なんだか夢のようです…! 柴田先生:これまで長く幼稚園の先生なんかをやってきたけれど、いつも親は「どういう子に育てたいか」「どういう子にしたいか」という大人の思いで子どもに接していると思うんです。 そうして行き着いたところで、何が正しいことなのか分からなかった。それに気づいたとき、私は「どういういう子に育てたいか」の前にそもそも「どういう子なのか」。子ども本人のことを知らないんじゃないか、と思ったのね。 ――わが子が「どんな子」なのか…。 柴田先生:そう。だから知りたいと思ったの。どんな子なのかを知るためには、子どもの育ちは子どもに任せてみようって。子どもを知るためなんだから、ルールは一切なし! 大人の「こうさせたい」をなしにして「りんごの木」をはじめたんですね。 ――子どもの育ちを子ども自身に任せる…? 柴田先生:そうよ~。だから子どものやりたい放題の世界よ! でも、子どものやりたい放題って、思春期の子と違ってそうたいしたことじゃない。水道出しっぱなしとか、家の中に水を持ち込むとか、壁に絵を描くとか…。これは大変かしら(笑)。 でも、やることが一人ひとりすごく違うのね。ママと別れるとき、ある子は我慢していたり、ある子は事実を目をつむって見ないようにしていたり。ワンワン泣く子もいれば「ママがいないからあなたでいいわ!」と別の大人に抱きつく子もいる。みんなこらえ方が違うのね。 本当に子どもっておもしろいなって。子どもがどうあるべきかでなく、どういう子なのかを知りたい。ただそれだけなのね。 「子どものために」としつけをしていたはずが、そもそも子どものためではなく、親のため、大人の都合だったとしたら…。それならしつけなんて、今日からやめたい! と思うのは私だけでしょうか。 子どもの文化を大事にすることで「これは私のせい?」「こうしなきゃいけない?」と不安になっている時間を、子どもと笑顔になれる時間に変えていくことができるかもしれませんね。 次回 は、子どもの3大「困った!」での、年齢別対処法をご紹介しましょう。 参考図書: 『 今日からしつけをやめてみた 』(主婦の友社) 監修 柴田 愛子/イラスト あらい ぴろよ 「小さいうちから、きちんとしつけないと…」。そうしておこなわれる「しつけ」は子どもにどんな影響を与えているのか? しつけなくして、親子が笑顔になる方法はあるのか? 子どもの目に映る世界は、大人が見ている世界とは違うもの。親子でストレスの溜まる「しつけ呪縛」から解放される一冊。
2019年04月26日