イギリス生まれのヤンチャな機関車「トーマス」。ママ世代ではジオラマに模型だった映像が、今ではCGアニメーションへと変化。表現方法は変わっても、子ども達からは変わらぬ人気を集めています。
今回は「きかんしゃトーマス」の日本でのマーケティングを担当するソニー・クリエイティブプロダクツの西岡敦史さんと、長年、同社でクリエイティブを担当してきた久岡たつやさんにインタビュー。トーマスのはじまりは、ある牧師が息子に語り聞かせた機関車の物語。その歴史と、魅力に迫ります。
西岡敦史さん(左)、久岡たつやさん(右)。 西岡「久岡さんは、日本では誰よりもトーマスのビジネスに関わっていますね。海外にいる相手の担当者が変わっても、久岡だけはずっと変わらないってね(笑)」
■トーマス誕生の経緯と歴史
「きかんしゃトーマス」の原作となるお話は、イギリスのウィルバート・オードリー牧師によって書かれました。それが1945年に出版された汽車の絵本『3だいの機関車』という絵本です。
久岡「実は最初の絵本に、トーマスは登場しません。最初はエドワード、ヘンリー、ゴードンのお話でした。オードリーさんのイメージだと主人公はエドワードだったと思います。子どもの頃に住んでいた家のそばで働いていた機関車をイメージして作ったみたいですね。
トーマスが出てくるのは、2巻目から。息子であるクリストファーにねだられて、彼がトーマスと名付けたお気に入りの木製玩具をキャラクターとして登場させたそうです」
西岡「玩具は、もともと緑色の機関車。それで2015年に発表された長編作品『きかんしゃトーマス トーマスのはじめて物語』の中にも、初めは緑だったトーマスが青に塗られるシーンがあるんですよ」
久岡「トーマスに書かれている車体番号は1番。クリストファーが2歳くらいの時にはその玩具に“1”しか書けなかったから、1番になったという話も聞いたことがあります」
オードリーの息子・クリストファーが「トーマス」と名付けた木製の機関車。「きかんしゃトーマス」のモデルとなった玩具 *写真はレプリカです。
西岡「ストーリー自体は、幼いクリストファーが病気になったときに、オードリーさんが物語を語り聞かせたのがはじまりなんですよね」
久岡「イギリスは読み聞かせの文化なので、オードリーさんが自分の好きな鉄道の記憶を紡いでお話を作っていったようです。彼は今で言う機関車好きの“鉄ちゃん”だったと思います」
西岡「実は現在、その息子が引き継いで本を書いているんですよ。お父さんは26巻までで、27巻からの作者はクリストファーです。
トーマスは、イギリスでは70年以上の歴史があるので誰もが知っている3世代キャラクター。日本で絵本が出版されたのは1973年で、原作の誕生から30年近く経ってからなんです」
久岡「絵本が初めて出版された1945年は、第二次世界大戦が終わった年。本当はもっと早く出したいという話もあったけれど、物資不足でなかなか本が出せず、戦後になってようやく出版できたという経緯があります。物資がなかったので、紙の質も良くないんですよ」
原作となった『汽車のえほん「3だいの機関車」』。挿絵作家のダルビーは、絵本らしい描き方をしていたが、当時オードリーは機関車が忠実に描かれていないことに不満を持っていたという逸話も
■トーマスの魅力と、オードリー牧師の願い
ひとつの乗り物である機関車を、まるで人のように描いたトーマスの世界。そこには道徳心を伝えたいという、牧師ならではの願いが込められていました。
久岡「初めて映像を見た時に僕も、機関車に灰色の顔が付いていることにビックリしました(笑)。蒸気機関車は自分で燃料を燃やして動力を作って走っているから、生き物に近いという印象なんでしょうね。
頑張って走っている蒸気機関車を観ると手を振る人がたくさんいるっていうのも、そういうことなんじゃないかなって」
西岡「トーマスは、出てくるキャラクター設定がすごく現実的。ガキ大将もいるし、ワガママもいるし、気が弱いのもいる。個人的にはイギリスならではのリアルな設定だと思います。現実離れしていないから、感情移入しやすい。
一般的に子ども向けのアニメは勧善懲悪がハッキリしているけれど、トーマスはそれがないのが特徴じゃないかと」
久岡「やっぱり牧師が書いた話だから、道徳心を根付かせたいという思いがあるんだと思いますね。“悪いことをすると罰が当たる、でも反省すればいいんだよ”って。だからお話では、みんなワガママを言って結局失敗するけど、その後、自分が悪かったんだと反省する。また何度も同じことを繰り返すけどね(笑)。
物語の根底は、人の成長を諭すというところにあるのでしょうね。またオードリーさんはお話を作るうえで、子どもが簡潔に理解できるような文体にすること、さらにお話の内容は実際の鉄道であったことをベースにすることを心がけていたみたいですね」
オードリーが描いた絵本のラフ。これをもとに、ダルビーがキャラクターの原点を作っていった
久岡「後年、オードリーさんは絵本を通じて保存鉄道に関心を集めることを目的にしていたようです。実際、絵本では保存鉄道を舞台にしていたり、ステップニーという実在する蒸気機関車がブルーベル鉄道という保存鉄道の象徴として登場したりしています。
子どもに対しての道徳心と共に、蒸気機関車を忘れないでほしいという気持ちで絵本を書いていたんですね。執筆していたころの鉄道が蒸気機関車からディーゼル機関車に変換する時期だったので、お話ではディーゼルが意地悪に書かれていたりもするのでしょう」
■紆余曲折を経てアニメ化が実現
初めてのアニメーション化は、1984年。絵本の出版から実に40年近く経ってからでした。長い長い道のりを経て、ある人物との出会いを契機にようやく実現したのです。
西岡「アニメ化が実現したのは、ブリット・オールクロフトという人物が映像化しようと思い付いたのがきっかけだと言われています」
久岡「実は、それ以前にも映像化を試みたらしいんですけど、あまりにも出来がよくなかったようでオードリーさんが映像化なんてダメだと却下したみたいです。
ブリット氏はBBC(イギリスの公共放送局)のプロデューサーで、もともとトーマスが好きだったこともあり、どうにか映像化したいと持ちかけました。オードリーは最初前向きじゃなかったけれど、自分が鉄道のジオラマと模型を作っていたこともあって“ジオラマでやればいいのでは?”と提案したらしいということです。
映像化が成功したもうひとつの要因は、監督がデヴィッド・ミットンという『サンダーバード』の制作に携わっていた人だったことかもしれません。制作でデヴィッドと組んだことで、イギリスの特撮技術を生かして、ジオラマを使ったあの世界観ができたんじゃないかと。
実際には、ジオラマのほうがセルアニメやストップモーションアニメよりもコスト的に安かったらしいですけどね。必ず原作から映像化するという約束のもとで、TVシリーズが制作されました」
ウィルバート・オードリー(左)と、息子のクリストファー・オードリー(右)を収めた貴重な写真。顔つきは双子のようにそっくり
■ジオラマの制作秘話
ママ世代には馴染みのあるジオラマと模型による撮影の裏側とは?
久岡「ロンドン郊外のスタジオの中にセットを組んで、1シリーズ全26話を一度に制作します。
山のセットを作ったら、山が出てくるシーンを全話分撮る。それが終わったらセットを変える…すごくちっちゃなカチンコで『よーい!』って(笑)。
できたところから上映するのではなく、26話分を一気に撮影してその後、編集して放送するというシステムだったと思います」
西岡「撮影に使っていたジオラマは、スタジオいっぱいに広がっていてすごく大きい」
久岡「周りには空のカーテンがあって、晴れ・夕焼けっていうのを変えながらセットを組んでいました。隣にある工房で、職人さんたちが機関車から建物や小物までを作っているんですよ」
西岡「今はCGになって表情が豊かになりましたけど、昔は目が動くだけでしたからね。顔の表情も、笑っている顔や怒っている顔をはめ変えたりして」
久岡「とにかくすべてが手作業だった。煙をタイミングよく出したり、線路に沿った形で天井にもカメラ用のレールを引いて、機関車が走るシーンは列車を機関車たちの目線で撮影した。手作りなので手間がかかる。でも、それだけ映像に存在感がありましたよね」
スタジオでのジオラマ撮影風景。久岡「すべてが手作業で、一種の職人技ですよね」