Be inspired!がお届けする新着記事一覧 (4/30)
「トイレにトイレットペーパーは常備されているのに、なんで生理用品はないの?」そう聞かれると、答えがパッと思いつかない。なるほど、「排泄」という自然な現象に必要なトイレットペーパーが必需品として(大抵)どこでも提供されるのならば、生理用品だって同じであるはずだ。排泄と比べれば頻度が圧倒的に少ないから、生理がある人だけの問題だから、となんとなく現状として生理用品がトイレに常備されていない理由を予想はできるが、常備された方がいいことも容易に想像できる。「人って慣れ親しんだ環境を変えようってなかなか思わないから。『当たり前』になってしまったことに対してどう改善できるかってあまり考えないのかもしれない」。そう話してくれたのは、アメリカで「当たり前のようにトイレに“ない”生理用品事情」を変えようとしている企業。今回Be inspired!は教育施設や企業に生理用品を常備させることを目的とした「オーガニック生理用品」の企業、Aunt Flow(アント・フロウ)に話を聞いた。ーどうして生理用品がトイレットペーパーみたいに無料でトイレに置かれるべきだと思う?生理用品は必需品。だって生理は自然な現象でしょ。日常的な生活を快適に送るために必要だから。ーそもそもどうして生理用品がトイレに常備されていないんだと思う?人って慣れ親しんだ環境を変えようってなかなか思わないから。「当たり前」になってしまったことに対してどう改善できるかってあまり考えないのかもしれない。でもジェネレーションZ(1990年代半ばから2000年代前半生まれの世代)として、私は残り20年以上は生理と共に生きて行くんだから、状況を改善したい!ー生理がない人にとってこの問題は他人事のように思えるかもしれないけれど、それについてはどう思う?生理は自然な現象。道端でスボンに血がついている人がいたら、どうやったら助けてあげられるか知っているべきじゃない?(セーター腰に巻いてあげて!)それに、生理がない人だって、生理について理解すればシンパシーがうまれるはずだよ。▶︎オススメ記事・セックス、生理、ピルについてオープンに話さない日本が背負う“代償”について声を上げる一人の女性・47杯目:なんで生理の話はタブーなの?ハーバードに通う元ホームレスの彼女が、街で生理用品をタダで配布する理由 #MenstrualMovement|「丼」じゃなくて「#」で読み解く、現代社会All photos via Aunt FlowText by Noemi Minami ーBe inspired!
2018年05月17日5月26日(土)に東京・渋谷で「音楽×アート×社会をつなぐ都市型フェス」が開催される。「Make All(すべてをつくる)」というメッセージ、そして「カルチャーの集まるショッピングモール(Mall)のような場所」という意味が二重に込められたイベント名は『M/ALL(モール)』。 クラウドファンディングが目標に達成し、すでに無料開催が決定している。イベント開催に向けて『M/ALL』の運営メンバーや参加アーティストに取材をしていく連載の第4弾として、今回Be inspired!は、シンガーソングライター・トラックメーカーであるマイカ ルブテ(Maika Loubté)さんにインタビューを行なった。日本人の母とフランス人の父を持つ今注目のアーティスト、マイカさんが語る多様性とはなにか。そして、分断された社会にもたらす音楽の喜びとは。「違いを受け入れる」ことが何よりも大事国や人種、宗教の違いがあっても地球に存在する70億人は、それぞれ全く異なる人生を送っている個人にすぎない。生きるうえで、何よりもそのことを実感していたいとマイカさんは強調する。この考え方は、社会に対するスタンスでも一貫している。人はよく「右」だとか「左」だとか、あの国の人はどうだとかカテゴライズしてしまう。言葉の持ってるイメージが先行している気がして。そうすると、世界の見方がとても狭くなる。どちらかを強く主張して対立するんじゃなくて、まずはそれぞれ考え方の違いを受け入れるだけでいいと思うんです。「違う」ということを恐れなくていい。それが多様性なんじゃないかな。とはいえここ日本でも近年、ヘイトクライムやハラスメントの問題が紛糾し、どこか不寛容な雰囲気が漂っている。そんな時代に私たちの頭を悩ますのは、「不寛容にも寛容になるべきか?」「多様性を認めない人たちをも受け入れる多様性は必要なのか?」というとても難しい問題だ。この質問を投げかけると、彼女はこう答えてくれた。うーん、相手が違いを受け入れないときにどうするかということですよね。うまく語れないし、答えが出ない問題なのですが、やっぱり相手を見下すとか、自分たちの方が優れているとかは、ちがう。「違いを受け入れる」ことが共存するための大前提のルールかもしれないですね。「みんな違うけどみんな同じ」。私たちは、この平凡で当たり前の言葉を共有することから始めなくてはいけないのかもしれない。過度なカテゴライズが分断をもたらし、個人が埋没していくこの社会で他者と共に生き、価値観の相違や多様性を認め合うために。そしてこんな時代にも、音楽は私たちのすぐ側で「一緒に聴こう」「一緒に踊ろう」と呼びかけ続けている。心を閉ざしていた学生時代のマイカさんが音楽室で救われたように、音楽が私たち人間に与える影響は計り知れない。言葉を介して、そして音楽を介して、私たちは一度断絶を感じた他者とも再びわかり合い、共に喜びを感じることができるのだ。「ただずっとそこに溺れていたい」と語る彼女の言葉にも、音楽への愛が溢れていた。人間死ぬから、最後は。みんなで生きてるということを引き受けて、なるべくハッピーな時間が多い方がいい。私は、自分が感動した音楽をそのまま人に渡せたらハッピーです。マイカ ルブテWebsite|Twitter|Instagram▶︎これまでのM/ALLの連載はこちら・#003 坂本龍一に聞いた、政治とアート。「ほんの少しの勇気でいいんじゃないかな。一度しかない人生なんだから」・#002「恋愛観や政治的な見解が合わない人も呼びたい」大学生2人が“壁のない”30時間イベントを開催する理由・#001「国会前とクラブは同じ社会の空間でしょ」。奥田愛基が“社会とカルチャーをつなぐフェス”を開催する理由▶︎オススメ記事・日本とルーマニアという“鎖国”をしていた国をルーツに持つ彼女が、「日本の多様性」について考えたこと・“平和ボケ”の日本人へ。社会がいう“正しい答え”ではなく、自分にあった答えを探すための冊子を作る若者All photo by Kotetsu NakazatoHair by ASAMI OTAMakeup by KOTOMiText by Reina TashiroーBe inspired!
2018年05月16日このところ、ニュースで「セクハラ(セクシャルハラスメント)」という言葉を聞かない日がない。ハリウッドで始まった、セクハラをされた経験を告白する#metoo運動は、日本の有名人も賛同したこともあり、比較的広まった。でもなかには、「セクハラの定義って?」「セクハラの問題点って何?」と理解があやふやな人もいるかもしれない。そんな人たちにも伝わるように、わかりやすくて可愛いポスターを使ってセクハラの問題について呼びかける若い女性たちがいる。本記事で紹介するのは、彼女たちが日本のアート界でのセクハラに焦点を当て、広めようとしているハッシュタグ「#NotSuprised」「#私たちは驚きません」についてだ。Illustration by Lola Rose明日少女隊Website|Facebook|Twitter|Instagram|tumblr▶︎これまでの「丼」じゃなくて「#」で読み解く、現代社会・59杯目:“なんでもシェアすることが普通”のSNS時代に知っておくべき「子どもの写真」をシェアすることの危険性 #kidsforprivacy・58杯目:「インスタ映え」ばかり気にする人へ。インスタグラムが野生動物とセルフィーするユーザーを“警告”する理由 #Koalaselfie・57杯目:「本当にその買い物は必要?」爆買いできる“ブラックフライデー”に、あえてアウトドアを選択する人たち #OptOutside▶︎オススメ記事・アンジェリーナ・ジョリーなどの著名人が「過去のセクハラ被害」をSNSで告白したことでわかった社会の闇・日本で異常なほど“日常化”する「痴漢」を経験した女性5人に聞く「MY 痴漢 STORY」。All images via #私たちは驚きませんText by Shiori KirigayaーBe inspired!
2018年05月15日現在、1歳半になる娘が生まれたとき、筆者と夫は「SNSに娘の写真をあげる場合は、基本、顔を隠していこう」と決めた。とは言っても、今やほとんどの人が何かしらのSNSアカウントを持っていて、「お家に帰って、写真をアップして、コメント・いいねなどをもらうまでが遠足」の時代。筆者としてはあまり頑なにならず、常識の範囲内であれば、友人たちがSNSで娘の写真を共有しても全然オッケー、という心構えでいるのだけど、いかんせんこの“常識の範囲”っていうヤツが難しいのだった。Child Rescue Coalitionは子どもが受けうる性的虐待や心的苦痛を未然に防ぎ、そうした被害を受けた子どもたちを救うために活動する慈善団体だ。彼らはこれまでの経験を踏まえ、この春、SNS上で子どもを悪意から守るために「#kidsforprivacy」(子どもたちにプライバシーを)という活動を開始した。では、この#kidsforprivacy、一体どんな活動なんだろう? 例えば、#PottyTraining(トイレトレーニング)などは乳幼児を育児中の保護者たちにとってはお馴染みのワードだろう。全裸でおまるの上に乗る我が子。愛らしくも平凡ないつもの風景。しかし、小児愛者にとって、それは十分に性的で魅力的なピンナップだ。そこで、#PottyTraining、#BathTime(お風呂の時間)や#NakedKids(裸の子ども)など小児愛者たちの関心を引きそうなハッシュタグを、紙に書かれた「Kids For Privacy」という警告文で顔を隠した子どもの写真とともにアップロードする。そうすることで、上記のようなハッシュタグを使ったり検索した人に届く「プライパシーを訴える匿名の子ども達の写真」は、悪意を持った者たちには警告を、何も知らず“餌”をアップしてしまう保護者たちには注意を喚起することができるのだ。これが、#kidsforprivacyの取り組み。日常とSNSが一続きの今、子どもを守るためにできること
2018年05月14日こんにちは、いくつかの媒体でライターをしているルルです。みなさんカジュアルレイシズムって聞いたことあるでしょうか?簡単にいうと日常生活の中にあるサッと流されてしまいがちな人種差別のこと。今回はBe inspired!の「もし私が日本人じゃなかったら?“彼女がドイツ、ベルリンで出会った『日本人好き』の人々に抱いた疑問。”」の記事を読んで私も自分の体験を書きたいなと思いました。私は高校を卒業後そのままイギリスの大学へ進学し、4年半を過ごしました。カジュアルレイシズムは私が過ごした4年半の最初から最後まで日常的にあったし、何年したって私は慣れなかったし嫌だった。友達では「国に帰れ!」と怒鳴られたり、中指を立てられた、なんて人もちらほらいますが、私は4年半の中一度もそのような怖い思いしたり、暴力的なレイシズム(人種差別)にあったことはないです。留学といっても、アメリカやカナダなどは国が違うし、同じイギリスでも地域、ましてや大学、出会った人によって体験は違うので、これは私の個人の体験として読んでください。アジア人は「別世界の人」?私は最初の一年はロンドンに住んでいましたが、あと残りはボーンマスというロンドンから3時間ほど離れた海辺の街に住んでいました。国際的なロンドンとは違って90%は白人のイギリス人が占めている街。学部にアジア人は私一人、私以外の留学生は全員ヨーロッパ人でした(一応中国系とインド系の生徒が二人いたけれど二人ともイギリスで生まれ育っていた)。大学初日、私が教室に入った瞬間に5秒くらい会話が止まり、ハローと挨拶してみたものの皆無言…。これは割とメンタルにきた(笑)結局一年目は他の留学生と仲良くしていたのですが、イギリス人が私たちに話しかける時、私ではなくヨーロッパ人の友達を見て話すことがほとんどだった。アジア人は英語が話せない、下手というイメージが強いので、最初から話しかけない、という態度はすごく多かった。それで話を聞き終わって、私が意見を言ったらびっくりしたようにやっとこっちを見てきたり。他の国に旅行したときも、そういったアジア人は別世界の人、みたいな壁はすごく感じた。日本人だからって、日本の全部を知ってるわけじゃない「ベルリン〜」の記事にもあったように日本好きからのレイシズムもあった。私の大学の先生は、日本好きで、授業中日本に関係することだと全部みんなの前で「ルルは日本人だからこれ知ってるよね?どう思う?」と聞いてきた。日本人だからって日本の全部を知ってるわけじゃないのに。▶︎オススメ記事・アジア人の女の子は従順で、エロいことに興味津々?彼女がベルリンで感じた“好意の裏に隠れた差別”・「自分の価値は他人が決めるものなの?」。私が10代の頃に感じた違和感を、今Webで発信する理由。honeyhands magazineライター RuruAll photos via Ruru RurikoText by Ruru RurikoーBe inspired!
2018年05月11日ヨーロッパの国の多くが加盟しているEU(ヨーロッパ連合)。それらの国に対してどんなイメージを持っているだろうか?ヨーロッパの国々といえば、社会や文化事情が似通っていると思う人もいるかもしれないが、実際にはそれぞれ特色があり、どの国の内部も多様。特別プログラム:『フェイス・ダウン』 ©Anastas Petkov2009年当時の欧州理事会の議長が「27の加盟国は、文学、芸術、言語のいずれも異なる。そして、それぞれの国に多様性がある。多様性は、私たちの財産、発展、力の源である。EUは寛容と尊厳の模範であり、また、そうでなければならない」(引用元:外務省)と述べているくらいで、連合として「多様性」は重要なのだ。だから加盟国は多様性に対する取り組みを、そのほかの地域に比べても行ってきたといえる。そんなEUに加盟する28か国*1のうち25か国の作品が観られる「EUフィルムデーズ2018」が、5月26日から東京、京都、広島で順次に開催される。そこで本記事では29作のラインナップから、「多様性」や「若者」にフォーカスを当てた作品を紹介していく。(*1)2013年にクロアチアが加盟し、現状では28か国が加盟しているアイルランド:『マッド・メアリー』ナイトクラブで暴行事件を起こし半年間服役していたメアリーは出所後、友人の結婚式に招待され、同伴者の男性を探すがどの男性ともうまくいかない。同作では、はちゃめちゃな性格の彼女が自身の悪いところを変えようと奮闘しながら「真の自分」を見つけるまでの、友情と愛のストーリーがコメディタッチで描かれる。2017年にはアイルランド・アカデミー賞作品賞を受賞し、LGBTQをテーマとするレインボー・リール東京〜東京国際レズビアン&ゲイ映画祭でも上映された。上映の詳細はこちら(原題:Swagger/監督:オリヴィエ・バビネ/2016年/フランス/ 84分)オーストリア:『世界でいちばんの幸せ』ヘロイン中毒の母親と暮らすいう、一見「不幸な家庭環境」にいた7歳の少年アドリアン。だがそこには冒険が溢れていて、献身的に愛情を注いでくれる母親との生活はとても幸せだった。また母親もヘロインを使い続けてしまうものの、いい母親であれるよう努力していた。しかしある日警察が彼らのところにやってきて、ソーシャルワーカーに母親のヘロイン中毒を知られてしまう…。人にとって「幸福」とは何なのかを考えさせられる同作は、1991年生まれの監督が実体験をもとに撮った長編デビュー作で、日本での公開は今回が初となる。上映の詳細はこちら▶︎オススメ記事・11作目: 「多様性を認めない社会」へのジョージ・クルーニーからの警告?笑いながらも考えさせられるコメディ映画『サバービコン 仮面を被った街』|GOOD CINEMA PICKS・10作目:“性別”の枠を超えた愛とは。二度と訪れない、二人の青年の一夏を描く『君の名前で僕を呼んで』| GOOD CINEMA PICKSText by Shiori KirigayaーBe inspired!
2018年05月10日日常的に消費する物の「背景」が、着実に注目され始めている今日この頃。「私たちの世代は変革の瀬戸際にいて、私はその変革を後押しする人間になりたい」と話すのは、イギリス出身のビクトリア・ジョーンズだ。彼女は「やりがいを感じられるキャリア」を探し求めて、インドネシアのバリに移り住んだ。そこで目にしたのは豊かな森林と、その半分以上が商業的な目的で伐採されているという現実。それは地元の住民に悪影響を与えるだけではなく、地球の未来に関わるグローバルな環境問題だと感じたビクトリアは、自身が大好きだという“髪飾り”のブランド「SAYA Designs(サヤデザイン)」を起業する。髪飾りの製造・販売を通して彼女が目指すのは、「より多くの人に環境問題への興味を持ってもらうこと」。ビクトリア・ジョーンズビジュアルアートを仕事とする彼女は、オークション会社や教育機関など様々な業界で働いていた。そんななかで、人が「大切にしている物」に対して持つ強い思いについて考え始め、「物」の力を使って環境問題を考えるきっかけを作れるのではないかと思い立つ。以前、彼女のボーイフレンドが中国に旅行に行ったときにお土産として買ってきてくれた伝統的なハンドクラフトの髪飾りに感激し、髪飾りは彼女にとって大切な物となった。髪飾りなら小さくて軽いので、世界中に簡単に送ることもできる。そこで髪飾りの会社を起業したのだ。そしてSAYA Designsは髪飾りのブランドである以上に環境問題について学ぶ場であり、より多くの人に興味を持ってもらうための「媒体」だと彼女は言う。そこでSAYA Designsは「サーキュラーエコノミー(循環型経済)」を体現しようとしている。サーキュラーエコノミーには「回復」と「再生」がデザインに取り組まれている。イノベーションを利用し、無駄になる部分をゼロにし、生産過程での地球へのインパクトも考える。経済を生み出し、自然と社会の富を、枯渇するのではなく増やすことが経済方針だ。アクセンチュア 戦略コンサルティング本部 マネジング・ディレクター牧岡 宏(まきおか ひろし)氏は、内閣府の消費者動向調査からみても近年の傾向として「新製品の投入で既存の製品を時代遅れにし、買い替え需要を創出する“強制陳腐化モデル”は通用しない」と話す。(参照元:Harvard Business Review)1990頃から指摘され始めた、自然から資源を「奪い、作り、捨てる」このビジネスモデルには経済的にも、資源的にも未来がない。今後は消費者一人ひとりが、循環可能な経済へとマインドシフトしていくことは不可欠になっていくのかもしれない。そんなときに楽しくショッピングできるのが、SAYA Designsのようなブランドなのではないだろうか。SAYA DesignsWebsite|Facebook|Instagram
2018年05月09日初めまして、車椅子ジャーナリストの徳永 啓太(とくなが けいた)です。私が車椅子を使用しているマイノリティの一人として、自分の体験談や価値観を踏まえた切り口と、取材対象者さまの価値観を“掛け合わせる”対談方式の連載「kakeru」の第2弾です。ここでは様々な身体や環境から独自の価値観を持ち人生を歩んできた方を毎月取材し、「日本の多様性」を受け入れるため何が必要で、何を認めないといけないかを探ります。徳永 啓太▶徳永啓太のインタビュー記事はこちら今回のテーマは「ちがい」です。インタビューをしたのはプロダクトブランド「MUKU」を運営する松田文登(ふみと)さん、崇弥(たかや)さんの双子の兄弟。知的障がいのあるアーティストが描くアート作品をプロダクトに落とし込むことをコンセプトに、傘やネクタイと身近なものを老舗の職人とのコラボレーションにより展開し、社会と繋がることモットーにしている。今あるものとはちがう視点から、ちがう価値観を届けたいという彼ら。プロダクトや福祉、アートと様々な方面で活動する中で見えてきたこととは何か、そしてその「ちがい」にブランドとしてどうアプローチしているのかを探っていきます。左から文登さん、崇弥さんアートを超えるプロダクトを目指して徳永:まずはMUKUを始めるきっかけなどをお伺いしてもよろしいでしょうか?松田崇弥(以下、崇弥):知的障がいのある方のアート作品に興味を持ったきっかけは双子の上に自閉症の兄がいまして、 幼少期は週末など母親に連れられて福祉施設に通っている方たちとキャンプに行ったりした経験から、 小学校の卒業論文に「養護学校の先生になりたい」と書くぐらい福祉関係の仕事に興味がありました 。今は広告の仕事をしていますが、ある日母親から岩手県にある「るんびにい美術館*1」を紹介され 、主に知的障がいのある方のアートを展示している美術館があることを知りました。そこに展示してある作品のクオリティーの高さに驚き、これはちゃんとプロダクトに落とし込めば世の中に提供できると思いました。 このときの衝撃を双子で話し合い、MUKUをスタートすることに決めたのです。(*1)知的な障がい、精神的な障がいなどのあるアーティストの作品を多く展示する岩手県・花巻市にある美術館。館内のアトリエではアーティストたちが作品の制作を行っている徳永:MUKUの活動でお互いの役割分担はありますか?松田文登(以下、文登):僕が営業や施設の方とのお話をさせてもらっていて、 崇弥が企画や広告などを担当しています。 先ほど崇弥から知的障がいのある方のアート作品の活動についての話がありましたが、僕は日本の縫製工場が失われつつある現状を知り、職人仕事を盛り上げていきたいという気持ちがあるため、「知的障がいのある方のアート」と「職人仕事を盛り上げる」という二つを掲げてやっていきたいと思っています。徳永:MUKUとしてのブランドのこだわりを教えてください。文登:僕らは「アートを超えるプロダクトを作りたい」といつも話していて、 まずはじめに値段が高くなっても構わないので、最高品質のものを作ること、そして日本製品にすることを決めました。価格が上がるという面もありますが、「知的障がいのある方の中からアートを通じてヒーローを生み出す」ことをやりたいと思っていて、そのためには品質は徹底的にこだわりたいと思っています。現在お願いしている職人さんは山形に自社工房を構える創業明治38年の「銀座田屋」というネクタイを専門にしているところです。細い絹糸を使用していて、高密度かつ多色の織りが出来ることで、アート作品の細やかな表現が再現できプリントよりも上品な仕上がりが実現しています。また傘は日本橋にある洋傘一筋87年の小宮商店というところにお願いしています。蓋を開けてみるとどちらも自社以外の製品を作るのはMUKUとが初めてということで、職人さんは「技術をより多くの人に知ってもらう機会になった」と喜んでくださいました。Artwork by SASAKI SANAEアート作品では白色になっているものを、ネクタイでは銀色で表現することで高級感が出る仕上がりになっている徳永:絵のセレクトやアーティストとの契約はどのように行なっていますか?崇弥:MUKUには双子を合わせてメンバーが5人いるんですが、みんなで話し合って決めています。 我々のところに美術館や親御さんから直接情報をいただき、そこから素敵な作品を我々で選びご連絡させていただいて、契約を結ばせてもらっています。 また僕らは売上分ではなく、工場へ発注した段階でデザイン使用料として商品価格の一部をアーティストさんに渡す仕組みにしています。なので今後も製造した分に比例してアーティストさんへ貢献できます。徳永:なるほど!アーティストにしっかり使用料が渡る仕組みになっているわけですね。他にも知的障がいのある方のアートでプロダクト作りをしている企業はありますが、品質へのこだわりと若者に受け入れられやすいようなプロモーションをしていて、これまでにないものだと感じました。徳永:個人的にこういった施設に通っている方のアート作品を世の中に広める活動について思うことがあって、アーティストと紹介する前に“知的障がい”という言葉を説明に使うことが、ありかなしかという問題です。どんな人であれ、いいものはいいと判断したいのですが、僕は“知的障がい”という言葉をみると良くも悪くも偏った見方をしてしまうなと正直思っていまして、その言葉だけで物事に対する価値観が変わってしまうこともあるかなと思っています。崇弥:この活動を始めて約1年半になりますが、最初は“知的障がい”という言葉を使わなくていいんじゃないかと話をしていました。一方でその言葉を使わなくなると、ブランドとしてのアイデンティティがなくなっていることに気がつきました。 色々話し合い悩んだ末、最終的には“知的障がい”という言葉を使うことにしました。 文登:ある日るんびにい美術館のアートディレクターをされている板垣さんと話をする機会があり、 “知的障がい”という言葉をつけるかつけないかついて悩んでいたことを打ち明けました、板垣さんからは「出すも出さないも、最終的に出た答えでいいのでは」というご意見をいただきました。しかし正直なところ、まだすっきりとした答えが出ていないと思っています。理想は、MUKUの情報を知らずにアーティストの作品を見てかっこいいと思ってくださった方が、後から知的障がいのある方の作品だと知るというサイクルに持っていけたらいいなと思っています。 崇弥:この件に関しては、常に僕たちも考えていてそのサイクルができたら一番嬉しいのですが、今の段階だとその導線を作るのは難しいとも感じています。 例えばトークショーに呼ばれる機会も増えてきたのですが、知的障がいのある方と一緒に活動していることの話について聞かれることが多く、作品にあまり触れられてないなと感じる時があります。僕らは世の中によく思われたいからやっているわけではなくて、彼らのアートの価値が正しくつけられるように持っていきたくて活動していると思っているので、世間が期待していることと僕らの考え方に差があり、それに違和感を覚えています。 徳永:最近知的障がいのある方のアート作品が注目される機会が多くあると思いますが、「知的障がいのある方=アーティスト」というわけではないと思います。もちろん中にはとても優れた才能を持っている方もおられますが、そういった方ばかりではないですよね。そうした方の作品をすくい取るというか、プロダクトに落とし込む受け皿のような活動をデザインを通じてできたらいいなと前々から思っていて、MUKUさんは今後そういった活動の役割として重要な位置になると思いました。崇弥:そうですね。僕たちが使用許可も含めて交渉できるアーティストの作品は現在1000作ほどですが、 毎年MUKUとして世の中に発表できているのは10数作という現状があり、とてももったいなさを感じています。今後はいろんな企業や行政、クリエイターと彼らの作品をプロダクトに落とし込めないか企画、提案をしていきたいなと思っています。インタビューの中でも少し触れていますが、そもそもアーティストであることに“障がい”のあるなしは関係ないはずなのに、“知的障がいのある方のアート作品”と言葉で括って取材することは野暮だと思っていました。それは「いいものはいい」と判断したいのに、知的障がいという言葉を使った説明が私の判断を鈍らせているためでもあります。また福祉関連に関わることは、色々な方が色々な解釈をされる分野でもあり、とてもセンシティブな問題がつきまとうと思っていて、どのような話題にするか正直迷いました。しかしお話しすることが決まったとき、私が疑問に思っている事柄についてどのように考えているのか、あえて深く掘り下げてみようと考え質問を投げかけました。それに対してMUKUのお二人は知的障がいという言葉の扱い方から、福祉事業でしっかりビジネスを試みていることまで難しい問題に快く答えてくれました。特に「売って儲けることでアーティストへ貢献したい」と筋の通ったお答えにはとても感心いたしました。何事にも継続が必要で、そのためには資金が必要です。なのでビジネスをすることは、とてもまっとうな考えだと思います。MUKUさんのように、アートとプロダクトを通じて価値観を整理するような活動を今後とも期待したいです。MUKUWebsite|Facebook|Twitter|Instagram“ちがう視界から、ちがう世界を描き出す”をテーマに、強烈なアイデンティティをもつアーティストが描くアート作品をプロダクトに落とし込み、社会に提案するブランド。クリエイティビティを徹底的にブランディングすることで、社会に新しい価値の提案を目指す。2016年六本木アートナイト、国立新美術館の展示会、伊藤忠青山アートスクエアの企画展、代官山蔦屋書店のフェアへの参加、100個のプロジェクトがうごめく実験区100BANCHへの参画など、福祉の枠を越えた精力的な活動を行う。▶︎これまでの徳永啓太の「kakeru」・#001 乳がんを患ってから起業。病気にかかると行動に制限をかける人が多いなか、“新しい肩書き”を手にした女性▶︎オススメ記事・障害者という“レッテル”はやめよう。アートキュレーターが語る「言葉に左右されない審美眼」の重要性・使わなくなった毛皮製品を仕立て直す男が、いくら“社会にいいこと”でも「押し付けでは意味がない」と考える理由Portrait photos by Anne Yano (Website|Instagram)Other images via MUKUText by Keita TokunagaーBe inspired!
2018年05月08日「服をただ着るのではなく、マニフェスト(宣言)として着よう」というモットーを持つBe inspired!の編集部がセレクトしたブランドの詰まった「人や環境、社会に優しく主張のあるWARDROBE(衣装箪笥)」を作り上げる連載、『GOOD WARDROBE』。今回取り上げるのはアメリカの「セレブリティ」と呼ばれる人やモデルの間で話題のブランドで、イスラエルのテルアビブからアメリカのニューヨークに拠点を移した「Urban Sphistication」(アーバン・ソフィスティケーション)。彼らの商品で「ソーシャルメディアへの警告スマホケース」に焦点を当て、インタビューを行った。スウェット全体に「ここに広告を」と書かれているー「ソーシャルメディアを批判するコレクション」が、ソーシャルメディア上で人気なキム・カーダーシアンとかジジ・ハディードのような「セレブリティ」っていわれている子たちにも人気な理由はなぜだと思う?彼らはソーシャルメディアで批判され続けているから、私のメッセージに共感してくれたのかもしれない。人気モデル ジジ・ハディードもUrban Sophisticationのスマホケースを使用しているーソーシャルメディアを批判することをテーマにしながらもブランド自体がソーシャルメディアでアクティブなのはなぜ?それも皮肉なの?皮肉でもある。ソーシャルメディアにネガティブな面があるのに気づいていても、その一部であり続けることを選んでるってことなんだ。ー今の時代にソーシャルメディアから離れるのは簡単ではないと思うけど、ソーシャルメディアとはどう付き合っていけばいいと考えてる?楽しみながらも、それが映し出す“現実”を信じないように自分にリマインドし続けること。だから私は「メンタルヘルスへの警告スマホケース」を自分のために作ったんだ、リマインダーとなるように。▶︎これまでの『GOOD WARDROBE』・#9:「マス受けは望まない」。消費者と環境と“ワタシ”のために服を作る英国ファッションブランド・#8:「話題性」や「売れたときに得られる利益」は二の次。ロンドンの社会派ストリートブランドとは・#7:胸には“SEX”と小さくプリント。健全な性教育を受ける権利を追求する「いやらしいTシャツ屋」とは▶︎オススメ記事・33杯目:インスタグラムが若者の精神面に悪影響を及ぼすことがイギリスの王立公衆衛生協会の研究で判明。#StatusOfMind|「丼」じゃなくて「#」で読み解く、現代社会・現代社会に潜む闇「SNS中毒」を“SNSの力”を利用して喚起させる22歳の風刺画アーティストFrancesco Vullo。All photos by Urban SophisticationText by Shiori KirigayaーBe inspired!
2018年05月07日▶この3人の記事はこちら:スマホを持っていない“ミレニアル太鼓研修生”がバチを振るう理由 VOL.1▶この3人の記事はこちら:スマホを持っていない“ミレニアル太鼓研修生”がバチを振るう理由 VOL.2▶この3人の記事はこちら:スマホを持っていない“ミレニアル太鼓研修生”がバチを振るう理由 VOL.3Lui Arakiwebsite鼓童展覧展「青い太鼓」鼓童展覧展「青い太鼓」が中目黒にて開催されます!写真家 荒木塁が、実際に佐渡に足を運んで、研修生の姿を撮影した20点の写真と、9本の動画が展示されます。日時:5/8〜5/13 11:00~18:30場所:W+K+ Gallery153-0051 東京都目黒区上目黒1-5-8Google Map:太鼓芸能集団鼓童の研修生。彼らの音には観客もいなければスポットライトを浴びることもない。あるのは己の体だけ。しかし、自分を信じて叩き続ける彼らの太鼓はあまりにも虚しく美しい。これは覚悟を決めた何者でもない者たちによる等身大のポートレイト。「青い太鼓」
2018年05月04日AIによる自動運転の実用化、ブロックチェーンやIoTによるデジタル革命……。近未来に起こるであろうこれらの技術革命が芽吹きつつある昨今は、まさに時代の転換期だと言える。そんな時代の変わり目に、スマホを捨て、都会から離れ、日本で野生のトキが唯一羽ばたく、新潟県の佐渡島に移り住んだ9人の若者がいる。彼らは、これまで世界50カ国で6,000回以上の公演を行ってきた、太鼓芸能集団「鼓童(こどう)」の研修生。島の南東にある研修所で共同生活を送る彼らは、毎日5時に起き、稽古に明け暮れ、22時には床につく。身の回りの雑事はすべて自分たちで行う。世間の動向を知る情報源は新聞のみ。このような生活を2年続けて、鼓童の正式なメンバーになれるのはたった数人。大半は夢破れて島を去るこのシビアな世界で、彼らは今日も、一心不乱にバチを振るう。今回、Be inspired!は佐渡島での取材を敢行し、彼らの“青い声”――若さゆえの大望、先の見えない道を行く不安、親元を離れたことによる自立心の芽生え――を聞いてきた。そしてそれらを、3つの記事に分けて紹介する。第3弾は、石井 彰馬(いしい しょうま)、 新山 萌(にいやま もえ)、定成 啓(さだなり けい)の3人。▶︎『“スマホを捨てた若者”が、太鼓に夢を懸ける理由 VOL.1』はこちら▶︎『“スマホを捨てた若者”が、太鼓に夢を懸ける理由 VOL.2』はこちら石井 彰馬 Syoma Ishii 19歳ー太鼓を始めたのはいつですか?3歳です。幼稚園児から上は60歳ぐらいの方がいるチームに入って、そこで高校卒業までやってました。数あるプロの太鼓集団から鼓童を選んだのは、中学生の時に見た公演の衝撃からです。太鼓ってこんなに格好良く叩けるんだ、俺も鼓童の舞台に立ちたいと思いました。小学生の時からちょくちょく鼓童の公演は観に行っていて、以前はそこまで惹かれていなかったんですけど。ー何か心境の変化があったんでしょうか?そういえば、その頃はちょうどバスケで挫折を経験していたときでした。小学生の時から太鼓と並行してバスケを始めたんですが、その理由は、当時の俺が太鼓をダサいと思っていたからです。友達は太鼓をよく知らないし、馬鹿にもされました。だからバスケで見返してやろうと思って、太鼓はそっちのけでバスケばかりの毎日でした。それでそこそこいいところまでいって。でも、地域の選抜チームに入ったあとに、身長が小さいという理由で外されてしまって…。ーそこで挫折を味わったと。そうです。ーそんな時に鼓童の公演を観て、なぜ再び太鼓への情熱を取り戻したんでしょうか。結局バスケは格好よく見られたいという、自分本意のモチベーションが大きかったんです。結果的に身長も伸びたので、バスケを続けようと思ったらできたんですけど、なぜかあまり真剣になれなくて。太鼓を叩くときは、公演を見てくれる方に、何かエネルギーを与えたいという気持ちが根底にありました。太鼓は自分のためじゃなく、誰かのためにというモチベーションが先にあったんです。その違いは大きかったと思います。ーその「誰かのために」と思うようになったきっかけはありますか?これまでたくさんの人に支えられてきたからかもしれません。中学生の時に足の指を骨折したんですが、それがかなり酷くて、まともに歩けなかったんです。ちゃんと治さないと歩けなくなるかもしれないってレベルでした。だから母が毎日学校や病院に送り迎えしてくれていたんですが、当時はその苦労も分からずに、「早く来いよー」なんて文句を言ったりしてて。ー後から気づいたんですね。実はあの時すごく助けてもらっていたんだなと。そうですね。振り返るとあの時は母の他にも、いろんな人にお世話になりました。母がいないときはおばあちゃんがご飯を作りに来てくれたり、歩けないからって友達が家まで遊びに来てくれたり。そういうみんなの助けがあったから、今ここに居られるんです。だから俺も、人のために何かしたいと思うようになったんだと思います。そのための太鼓なんです。ーじゃあ鼓童の舞台に立った自分の姿を見せることが、一つの恩返しになりますね。はい。ここに来るまでずっとお世話になっていたチームや先生、友達、家族に、いつか鼓童の舞台に立った姿を見せられたらと思います。定成 啓 Kei Sadanari 19歳ー太鼓を始めたのはいつですか?小学生の時ですね。おじいちゃんが太鼓のチームに作っていたので、最初はしょうがなくって感じで。それで高校生まで続けて、こっちに来ました。ー最初はやらされている感覚だったと?はい、もう大嫌いでしたから。ーいつから自分ごとになったんですか?小学校の高学年になると、チームの友達といるのが楽しくなってきて。メンバーも変わっていったんですけど、年上もいれば年下もいて、幅が広いんですね。ある程度年齢が上がると子どもたちに教えたりとか。ー年齢を問わずできる競技だから、世代を超えて人とつながれるんですね。そうですね。その中で気の合う仲間ができて、それが楽しくて、ずっとやってきた感じです。ープロになろうと思ったのはいつですか?高校生の時です。他のチームも考えたんですが、やっぱり歴史があって王道を行くのが鼓童なので。鼓童を知ったのは、小学生の時にイベントで共演させていただいた時です。ー研修所は特殊な生活環境だと思いますが、約1年過ごしてみてどうですか?高校の時は朝と夜が逆転したような生活で出席もギリギリだったので、たぶんここにいなかったらダラけてたと思います。適当に大学行って、適当に遊んで。そういう生活は楽ではあるんですけどね。だからみんなに変わったと言われました。体型とか生活リズムとか。あとほんの少しだけ心が広くなったかなと思います。昔はすぐに頭にきていたんですが、それを抑えられるようになって。研修所ではムカつくことも多いんですよ。9人で共同生活してたらいろいろ言い合いますから。ープライベートな時間がないのがきついですね。そうなんです。昔は一人が嫌いで、すぐに外に遊びに行ってたんですけどね。ーこういう閉鎖的な生活と、友達の進学や就職で広がっていっている生活と比べてどう思いますか?こっちに来ると決めてから人の倍以上は地元で遊んだので。まあ学生の遊びなんてたかが知れているんですけど。ー友達は今は遊んでいるんでしょうか。そうですね。遊んでるやつもいれば、一人で上京して仕事を頑張ってるやつとかもいて。人それぞれですね。ー友達に何か太鼓で表現したいことはありますか?一緒に頑張ろうよって伝えられたらいいですね。給料が低いとか、休みが少ないとか言ってるやつも多いんですけど、それに対して直接何か言うと説教がましくなっちゃうし、自分が言える立場でもないので。誰だって不満はあるし、きついこともあるだろうけど、だから何かを成し遂げられるんだって。いつか鼓童の舞台に立って、背中というか、姿勢でそういうことを示せたらと思います。鼓童展覧展「青い太鼓」鼓童展覧展「青い太鼓」が中目黒にて開催されます!写真家 荒木塁が、実際に佐渡に足を運んで、研修生の姿を撮影した20点の写真と、9本の動画が展示されます。日時:5/8〜5/13 11:00~18:30場所:W+K+ Gallery153-0051 東京都目黒区上目黒1-5-8Google Map:太鼓芸能集団鼓童の研修生。彼らの音には観客もいなければスポットライトを浴びることもない。あるのは己の体だけ。しかし、自分を信じて叩き続ける彼らの太鼓はあまりにも虚しく美しい。これは覚悟を決めた何者でもない者たちによる等身大のポートレイト。「青い太鼓」
2018年05月04日AIによる自動運転の実用化、ブロックチェーンやIoTによるデジタル革命……。近未来に起こるであろうこれらの技術革命が芽吹きつつある昨今は、まさに時代の転換期だと言える。そんな時代の変わり目に、スマホを捨て、都会から離れ、日本で野生のトキが唯一羽ばたく、新潟県の佐渡島に移り住んだ9人の若者がいる。彼らは、これまで世界50カ国で6,000回以上の公演を行ってきた、太鼓芸能集団「鼓童(こどう)」の研修生。島の南東にある研修所で共同生活を送る彼らは、毎日5時に起き、稽古に明け暮れ、22時には床につく。身の回りの雑事はすべて自分たちで行う。世間の動向を知る情報源は新聞のみ。このような生活を2年続けて、鼓童の正式なメンバーになれるのはたった数人。大半は夢破れて島を去るこのシビアな世界で、彼らは今日も、一心不乱にバチを振るう。今回、Be inspired!は佐渡島での取材を敢行し、彼らの“青い声”――若さゆえの大望、先の見えない道を行く不安、親元を離れたことによる自立心の芽生え――を聞いてきた。そしてそれらを、3つの記事に分けて紹介する。第2弾は、中谷 憧(なかたに しょう)、小室 利樹(こむろ りき) 、廣木 優一(ひろき ゆういち)の3人。▶︎『“スマホを捨てた若者”が、太鼓に夢を懸ける理由 VOL.1』はこちら中谷 憧 Shou Nakatani 19歳ー研修所に来て約1年が経ったと思います。今の心境はいかがですか?太鼓に集中できるこの環境はとてもありがたいです。まあでも、就職や進学した友達を羨ましく感じる時もありますね。ーそういう感情も本音ですよね。はい。ただ、今はやるべきことに集中できています。ーそれはよかったです。でも、入所当初にはホームシックになったと聞きました。大丈夫でしたか?もう辛くて太鼓の音が聞きたくないぐらい追い込まれましたね……。休憩時間なんて、誰かが練習している音が聞こえないように耳を塞いでうずくまってました。「太鼓で生きていく」ということを真剣に考えられていなかったんだと思います。ーかなり辛い状況だったと思います。どう持ち直したんですか?入所して3〜4カ月経つと、研修所の生活にも慣れてきて、だんだん落ち着くことができました。「太鼓で生きていきたい」という気持ちも改めて、自分の中に強く感じることができました。なんで研修所に来たのかを思い出すことができたんです。ー「太鼓で生きていく」「心を伝え続ける」という目標のために研修所に来たんですよね。「心を伝え続ける」というのは、具体的にはどういうことになるんですか?太鼓奏者とは別に、唄い手にもなりたいと思っているんですが、ここでいう唄は、昔から現代に伝わっている民謡や子守唄のことで、この唄の歌詞が僕の言う心です。民謡や子守唄って、昔から伝わる知恵が歌詞になっていることが多いので、現代にも通ずるところがあるんです。だから唄の歌詞を通して、日本人が大切にしてきた心を伝えていきたいと思っています。ーなるほど。あとは目標に向かって進むだけですね?はい。まあ、今ちょうどホームシックなんですけど(笑)。ーあ、そうなんですか(笑)。急にきました。周りもたまにそういう話をしているんですが、僕は割と定期的に来るのかもしれないです。ー家族に会いたいという気持ちが?そうですね。ーメンバーになれるか分からないし、不安にもなりますよね。はい。将来が分からないこの生活への不安はあります。きついこともありますし。苦しい時は本当に苦しいんです。研修所での生活って自分の弱さがすごく見えるんですよ。だから落ち込むこともあります。でも、諦めません。同期のメンバーもみんなそうだと思います。ーメンバーに選ばれる自信はありますか?いや、ないです。メンバーの方々は技術はもちろん人間的にも尊敬できる人たちです。僕はまだまだ学ばないといけないことがたくさんあります。でも、ここに来て、家族や友人のありがたみも分かりましたから、みんなのためにも頑張りたいです。ーお世話になっている方々に、感謝の気持ちを伝えたいということですか?はい。みんなは僕の支えなんです。今まで一緒に頑張ってきた友達。相談に乗ってくれる家族。みんなすごく優しくて、応援してくれます。僕が頑張れるのは、応援してくれるみんなのおかげです。いつか、鼓童のメンバーとして舞台に立った自分の姿をみんなに見せて、今までの感謝を伝えたいんです。廣木 優一 Yuichi Hiroki 19歳ー中学卒業後に太鼓の世界に入ろうとして、親に止められたと聞きました。そうです。中学生の時から太鼓を仕事にしたいと思っていたんです。何か他の仕事をしながら太鼓を叩いている自分の姿が想像できなくて。地元から出てみたいとも思ってたので、だったらもう中学卒業後でいいじゃんって。ー大胆ですね。これはさすがに親から止められたので、ひとまず高校に行って、そのあとどこかで修行しようと考えました。それで高校2年生の時に、鼓童の演奏を初めて生で見たんですけど、その時の衝撃がもう……一目惚れでしたね。今まで考えていた太鼓の概念を覆されたというか。ー鼓童と他のチームでは何が違ったんですか?他のチームの演奏は引き込まれるように感じるんですが、鼓童の演奏は押し寄せてくるように感じるんです。鼓童の世界観が観客席を包み込むみたいな。あえて言葉にするとそんな感じです。とにかく衝撃でした。だから修行するなら鼓童だって決めて、ここに来ました。ー実際に修行してみてどうですか?中学生の頃からほぼ毎日叩いていたので、太鼓が生活の一部なのは変わらないんですけど、周りに誘惑がないのは良いですね。集中しやすいから自分の弱みや強みが分かってきて、改善点や伸ばしていけばいいところが見えてきたんです。ー外から情報が入ってこない分、自分と向き合う時間が増えますからね。そうですね。練習中きつい時に「まだ頑張れるだろ?」って自分と対話したり、一人になれるところに行ってひたすら考えたり。そうすると自分の限界がどこにあるのかが分かってきました。後は夢の実現のために、一般の方がもっと太鼓に触れる機会を増やさないといけないなあとか、そんなことも考えたりしますね。ー「太鼓という楽器を誇りに思ってもらいたい」。これがその夢ですよね。“誇りに思ってほしい”というのは誰に対してですか?以前サッカーと太鼓を両立していた時期があったんですね。まあサッカーは友人の付き合いだったんですけど、なぜかスタメンに選ばれていて。でも僕にとっては太鼓がメインだから、試合や練習に行けないこともあって。そしたらまあ陰口されたり、ちょっとしたミスですごい怒鳴られたりとか。その流れで太鼓のことまでバカにされるんですね。それが悔しくて。ー悔しい? ムカつくではなく?言い方が悪いですが、序列があるとすれば低いんだなと思って。ーそういうことですか。だから太鼓をバカにしてきた人たちに、その存在を認めさせたいんです。自分の国の楽器が、人を感動させることができるすごい楽器なんだということを知ってほしいんです。そして、そんな太鼓のことを誇りに思ってもらえるようにしたいんです。そのためにも今が頑張り時です。落ち込むこともあるんですけど、ネガティブな感情に負けないように、しっかりやっていこうと思います。鼓童展覧展「青い太鼓」鼓童展覧展「青い太鼓」が中目黒にて開催されます!写真家 荒木塁が、実際に佐渡に足を運んで、研修生の姿を撮影した20点の写真と、9本の動画が展示されます。日時:5/8〜5/13 11:00~18:30場所:W+K+ Gallery153-0051 東京都目黒区上目黒1-5-8Google Map:太鼓芸能集団鼓童の研修生。彼らの音には観客もいなければスポットライトを浴びることもない。あるのは己の体だけ。しかし、自分を信じて叩き続ける彼らの太鼓はあまりにも虚しく美しい。これは覚悟を決めた何者でもない者たちによる等身大のポートレイト。「青い太鼓」
2018年05月04日AIによる自動運転の実用化、ブロックチェーンやIoTによるデジタル革命……。近未来に起こるであろうこれらの技術革命が芽吹きつつある昨今は、まさに時代の転換期だと言える。そんな時代の変わり目に、スマホを捨て、都会から離れ、日本で野生のトキが唯一羽ばたく、新潟県の佐渡島に移り住んだ9人の若者がいる。彼らは、これまで世界50カ国で6,000回以上の公演を行ってきた、太鼓芸能集団「鼓童(こどう)」の研修生。毎日5時に起き、稽古に明け暮れ、22時には床につく。身の回りの雑事はすべて自分たちで行う。世間の動向を知る情報源は新聞のみ。このような生活を2年続けて、鼓童の正式なメンバーになれるのはたった数人。大半は夢破れて島を去るこのシビアな世界で、彼らは今日も、一心不乱にバチを振るう。今回、Be inspired!は佐渡島での取材を敢行し、彼らの“青い声”――若さゆえの大望、先の見えない道を行く不安、親元を離れたことによる自立心の芽生え――を聞いてきた。そしてそれらを、3つの記事に分けて紹介する。第1弾は、前濱 純(まえはま すなお)、加藤 雄大(かとう たけひろ) 、崔 永根(ちぇ よんぐん)の3人。前濱 純 Sunao Maehama 19歳ー小さな頃からずっと続けてきた太鼓に懸けて、鼓童の研修所に来たと聞きました。大学への進学と迷ったようですが、結果的に鼓童を選んだのはなぜですか?最初は進学を考えていたんです。だって“花のキャンパスライフ”なんて言うじゃないですか(笑)。でも、あるイベントで鼓童の演奏を初めて生で聴いた時に衝撃を受けて。ー衝撃?「すごい、私にはあんな演奏できない!」って。ーなるほど。悔しかったんです。差を感じて。それで進学か鼓童かで悩んでいた時に、お母さんから「大学卒業後でも鼓童には入れるけど、あなたが一番好きな太鼓の世界で生きていきたいなら、体力的に余裕のある今の方が良いんじゃない?」って言われて……。ー鼓童を選んだんですね。はい。それに、もっと太鼓を世界に広めたいんです。ーそれはなぜですか?一度メキシコに行って、あるイベントで太鼓を叩いたことがあるんです。そしたら現地の人に、「“Japanese Drum”なら分かるけど、“WADAIKO”じゃ分からない!」って言われたんですよ。鼓童は毎年世界を回って、いろんなところで太鼓を叩いているんですけど、まだまだ知られていないんだなって。だから私、「WADAIKO」を世界の共通言語にしたいんです。こんなに素晴らしい楽器があるんだよってことを知ってほしいんです。ーではまず鼓童のメンバーにならないといけませんね。はい。それもオールマイティーな奏者になりたいんです。ーどういうことですか?太鼓だからといって……やっぱり男の人には負けたくないです。男性的な、力強い音も叩きたい。でも反面、女性にしか出せない音、女性らしい音も魅せられるような、そんなオールマイティな奏者になりたいと思っています。ーそう思うのはなぜでしょう。欲張りなんでしょうね。一つに絞れないというか。研修所に来る前は、男性に負けないようにって、大きな、力強い音を叩こうとしていたんです。でも研修所に来てからは、女性にしか出せない音もあるということを知りました。私もそんな音を出せるようになりたいなあとも思います。でも、女性だからって、女性らしく叩くだけがすべてじゃない。そういう欲もしっかり自分の中に残っていて。ー枠に収められたくない?10の選択肢があったとしたら、そこに100の選択肢を見出したい(笑)。ーなるほど(笑)。現状に満足しないんですね。そうですね。「女性は女性らしく」ではなくて、「女性だけど〇〇」っていう。そういうところを目指したいんです。崔永根 Choi Yeonggeun 23歳ー日本の大学に進学した時は、太鼓のことを全く知らなかったんですよね?はい。最初は漫画家になりたくて、日本の大学に進学しました。ーその夢が太鼓に関わることに変わったのはなぜですか?まず日本のことを知ろうと思って、大学のサークルの体験会を回っていたんです。そこで太鼓のサークルに出会って。他にも色々と回ったんですけど、そこが一番居心地がよかったんです。それからどんどんのめり込んでいって、いつしか太鼓で生きていきたいって思うようになりました。ーそしてついに鼓童の研修生になったと。込み入ったことを聞きますが、この決断に親はどういう反応をしましたか?そもそも日本に行くこともすごく反対されました。ーどうやって説得したんでしょうか。うちの両親は公務員だから、安定した職業に就いてほしかったみたいで、漫画家になるために日本へ、なんて考えられなかったんです。ただお母さんは応援してくれました。美術の勉強ができるように手配してくれたりして。心配はしつつ、やりたいことをやらせてあげようって。ーお父さんは?特に反対されました。「とりあえず成人するまでは俺の言うことを聞け」と。でもちゃんと勉強して、大学に受かったから、お父さんも「結果を出したんなら頑張ってこい」と送り出してくれました。その時はまだ全面的に賛成していたわけではないんですが。ーじゃあ今は応援してくれているんですか?卒業前に帰国した時に、お酒を飲みながら話したんですね。そしたら「こんなに成長してくれて、親として誇らしい。日本に行かせてよかった」と言ってくれたんです。その時に鼓童に入りたいと言ったら、「頑張ってみろ」と言ってくれました。お母さんは「いつかは帰ってきて」と。ーそうですよね。なかなか連絡も取れないですから。はい。ただ、実は僕、韓国が大嫌いだったんです。ーその理由は?何にしても雑なところや、今はそうでもなくなってきているんですが、男性は女性に奢らなければいけないとか、徴兵とか……。だから大学生まで大嫌いだったんです。友達や家族以外の韓国人は嫌い。そんな感じでした。ー今は違うと?はい。きっかけは韓国のとある詩人です。日本と韓国がまだ戦争をしていた時に、その詩人は日本に留学していたんですが、「なぜ祖国が独立のために戦っているのに、自分は勉強のために日本に来ているのだろう」と、彼は自己嫌悪に陥ったらしいんですね。彼の詩にはこの時の思いが込められたものがたくさんあります。この人のことを知った時に、自分の過去を否定するべきではないのかなと思ったんです。自分が生まれて育った場所を否定してしまうことは、自分のアイデンティティを否定してしまうことだと気付いたんです。ーなるほど。愛国心が芽生えたんですね。はい。そして竹島問題について考えてみたんです。この問題はお互いに言い分があるし、歴史的な文献もたくさんあるけれど、いがみ合うだけではなく、もっといい解決の仕方があるんじゃないかと思って。ーその手助けをするのが夢なんですよね。そうです。世界ツアーで韓国に行って、自分が日本人の中に混じって、堂々と演奏をする姿を見せたらいいじゃないかと思ったんです。日本は韓国人を受け入れて、伝統文化を共有してくれるんだという証明になればいいじゃないかと。日本と韓国は分かり合えるんだって。単純な話ではないですが、そういうことができれば、少しずつでも、いい影響が与えられるんじゃないかと思うんです。鼓童展覧展「青い太鼓」鼓童展覧展「青い太鼓」が中目黒にて開催されます!写真家 荒木塁が、実際に佐渡に足を運んで、研修生の姿を撮影した20点の写真と、9本の動画が展示されます。日時:5/8〜5/13 11:00~18:30場所:W+K+ Gallery153-0051 東京都目黒区上目黒1-5-8Google Map:太鼓芸能集団鼓童の研修生。彼らの音には観客もいなければスポットライトを浴びることもない。あるのは己の体だけ。しかし、自分を信じて叩き続ける彼らの太鼓はあまりにも虚しく美しい。これは覚悟を決めた何者でもない者たちによる等身大のポートレイト。「青い太鼓」
2018年05月04日たくさんの服が捨てられる世の中で、残る服って一体どんな服だろうか。そして、それはどうして残るのだろうか。そんな「残したい」「捨てたくない」「誰にも譲りたくない」という思いが込められた、あなたの思い出に残る「記憶の一着」がドレスコードの思い出の服の祭典『instant GALA』が4月22日(日)、渋谷のライブハウスWWWXで開催された。▶︎連載・赤澤えると『記憶の一着』はこちら主催者の赤澤えるさんと壁一面を服で装飾されたイベント会場「記憶の一着は何ですか?」から始まる会話“何年間も着ている無地の白いTシャツ”“25年前にお母さんがスペインで買い、譲り受けたバック”“古着の着物の布地をリメイクして作ったジャンプスーツ”“赤澤えるさんのブランド「レベッカブティック」で買った赤いワンピース”“ロンドン留学中に古着屋で購入し、卒業式にも着たお気に入りのシャツ”(ちなみに筆者は“小学生の時から着ている黒いカーディガン”)今回、初の試みである思い出の服の祭典『instant GALA 』は、ライブ・フリーマーケット・写真展など多彩なコンテンツが用意され、会場には思い思いの「特別な服」を身に纏った人で溢れかえった。イベントには、現在進行中の赤澤えるさんの連載で紹介した4組のアーティストが参加し、各々のアーティストのファンやコンセプトに共感した人々が約250人も集まった。会場では見知らぬ人とも、名前の紹介よりも先に「記憶の一着は何ですか?」という質問から会話が始まり、今さっき会ったばかりなのに、少しだけその人を知った気になる感覚が新鮮なイベントだった。その人が身につけている服のストーリーを知って、自分の「記憶の一着」のストーリーを語る。身につけている物たちが会話のきっかけになり、ファッションがその人の一つのアイデンティティとなることも実感した。世界初の「服フェス」が届けるメッセージ今回のイベントの主催者の一人でもあるラフォーレ原宿に店舗を持つ「LEBECCA boutique(レベッカブティック)」でディレクターとバイヤーを務めている赤澤 える(以下、える)さん。会場で赤いワンピースを身に纏い、ひたすらにステージを見つめていたのが印象的だ。彼女は服の買い付けのために訪れたLAで見た「山積みにされた“布の塊”」に衝撃を受け、自身のブランド・レベッカブティックやSNS、メディア、イベントなどで「大量生産される服の問題」を訴え続けている。▶︎赤澤えるのインタビュー記事はこちらムーブメントを一回きりにしないフリーマーケット型の販売スペース「FASHION STORY MARKET」では、古着等が並べられ、えるさんが手掛けるブランド、レベッカブティックもブースを出展。普通のフリマ、古着屋と違ったのは、金額の他に出品者の名前とその服を買った時、着ていた時のストーリーが書いてあったことだ。次の購入者が、その服を纏って、また新たなストーリーを紡いでゆくその目に見えない繋がりが、とてもあたたかいと思った。▶︎赤澤える関連記事・#009 清水文太の『記憶の一着』・#008 SHE IS SUMMER MICOの『記憶の一着』・#007 ガールズバンド「suga/es」佐藤ノアの『記憶の一着』・#006 マカロニえんぴつ はっとりの『記憶の一着』・#005 読者モデル 荒井愛花の『記憶の一着』・#004 音楽家 永原真夏の『記憶の一着』▶︎オススメ記事・坂本龍一に聞いた、政治とアート。「ほんの少しの勇気でいいんじゃないかな。一度しかない人生なんだから」・「恋愛観や政治的な見解が合わない人も呼びたい」大学生2人が“壁のない”30時間イベントを開催する理由All photos by 雷神inc.Text by Mizuki OzawaーBe inspired!
2018年05月03日社会派の映画を紹介するBe inspired!のシリーズ『GOOD CINEMA PICKS』では今回、ジョージ・クルーニーXコーエン兄弟製作の新作コメディ、『サバービコン 仮面を被った街』をピック。人種差別問題を抱える50年代アメリカの「郊外ユートピア」を舞台に巻き起こる異常な事件の謎解きに、笑っていいのかだめなのか混乱しつつも、スリリングなエンターテイメントが楽しめるだろう。しかしある日、中産階級の白人家族しかいないその街に、一組のアフリカ系アメリカ人家族が引っ越してくる。「白人のためのユートピア」にそのマイヤーズ一家が越してきたことで街は狂い始めてしまう。ロッジ家のニッキーは、マイヤーズ家の息子アンディと野球を通して仲良くなっていくなか、住民たちは「アフリカ系アメリカ人一家の存在」が悪影響、脅威だと人種差別を正当化し、「自分たちが平和に暮らす権利」のためになんとしてでも一家を追い出そうと、悪質な嫌がらせを始める。この映画はそのマイヤーズ一家が越してきてから嫌がらせがピークに達するまでの狂気の1週間に平行してロッジ家に襲いかかる、異常な事件を描いている。また、コメディといえどもこの映画は私たちの社会でも起こりうる本質的な問題を捉えているといえるだろう。サバービコンの街で起こる「アフリカ系アメリカ人家族に対する住民の嫌がらせ」は現実に存在する街で起きた事件を元にしているのだ。その街とはレヴィットタウン。レヴィットタウンは1947年、不動産開発者・建築家 ウィリアム・レヴィットによる「家の大量生産」の先駆けとなった例である。17,000軒の同じデザインの家が立ち並ぶ郊外の街。当時、ニューヨークの都心は家賃が高すぎるため中産階級の白人ですら快適に住むことができず、レヴィットタウンはそんな人々の「楽園」として大々的に宣伝されていた。それは白人のための「アメリカン・ドリーム」を体現していたのだ。実際、12年間は住民の100%が白人だった。(参照元:The Gurdian)しかし1957年、アフリカ系アメリカ人家族のウィリアムとデイジー(本作のマイヤーズ一家のモデルとなった家族)が越してきたことで住民による大々的な“プロテスト”が始まった。彼らの家の前で一日中居座り騒音を立てたり、十字架を燃やしたり、やがてその“プロテスト”はエスカレートし、警察が介入しなければならないほどになった。▶︎これまでの『GOOD CINEMA PICKS』・9作目:「エイズ問題」を見て見ぬふりをする政府や、製薬会社に抗議する若者を生々しくエモーショナルに描いた映画『BPM ビート・パー・ミニット』・8作目:摂食障害、セクシュアリティ、鬱。ティーンエイジャーの友情と葛藤をパンクに描いた映画『チーム・ハリケーン』・7作目:偽善的な世の中に波紋を起こす。「命を奪うことを楽しむ人間」の姿を非批判的に描いた映画『サファリ▶︎オススメ記事・日本とルーマニアという“鎖国”をしていた国をルーツに持つ彼女が、「日本の多様性」について考えたこと・どこで生まれても“ハーフ”はつらい。24歳の混血児ラッパーが「社会への怒り」を前向きに発信する理由All photos via ©2017 SUBURBICON BLACK, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.Text by Noemi Minami ーBe inspired!
2018年05月01日「環境活動=まじめ=つまらない」。そんなイメージを吹き飛ばす環境NGOが日本に存在する。それが「国際環境NGO 350.org Japan 」だ。年齢、職業、性別、人種もとにかく多様。下は6歳の子どもから上は70代のおばあちゃんまで。シングルマザーや障がいをもった人、外国人もメンバーにいる。そこで主体的に動いているのは主にミレニアル世代(1980年代から2000年代初頭までに生まれた世代)の若者たち。少しでも多くの人に、楽しみながら環境活動ができることを知ってもらいたい!そこで、Be inspired!では、以前本誌でも紹介した350.org Japanのフィールド・オーガナイザー イアンが活動に関わる人をインタビューする連載をお届けする。その名も『「世界は気候変動で繋がっている」。若き環境アクティビストのリアルな声。by 350.org』。350のフィールド・オーガナイザー イアン連載5回目の今回は、350のボランティアメンバーである、さおりと陸にインタビュー。2018年3月にみずほ銀行が環境に悪影響を及ぼす石炭事業に世界で一番お金を費やしていることがわかり、世界中から批判の嵐が起きている。そんな不名誉なNo.1を獲ってしまった日本に住む私たち一人ひとりが今こそ考えるべきこと。日常の生活のなかの小さな選択で地球に大きなインパクトをうむ「ダイベストメント」について、「気持ちがいい選択をしたい」「誰も傷つけない選択をしたい」と話す2人に改めてうかがった。陸、イアン、さおり3.11を機に環境や消費について考えるようになり、ファッション業界から転身してライターになったさおりは、SDGs*1やダイベストメントを広める活動をしている。東京生まれで、最近はゼロウェイストや東京の地産地消に興味があり、都市農園やコンポスト作りにも参加している。中央大学4年生の陸は、神奈川生まれ。大学の授業でダイベストメントを知り、その後オーストラリアのシドニーに留学。実際に市民が銀行に石炭事業から手を引くように働きかけている光景を目撃し、同様の活動に参加したいと日本に帰国後、350ボランティアを始める。▶︎350 フィールド・オーガナイザー イアンのインタビュー記事日本の銀行が環境破壊に加担する事実」を知らない日本人へ。25歳のアクティビストが提案する解決策とは』(*1)SDGsとはSustainable Development Goalsの略。2015年に国連で採択された、持続可能な社会のための世界共通目標のこと。日本でも広まりつつある。“小さなお金の流れ”から社会を変える。誰でもできる社会変革「ダイベストメント」イアン:ここでちょいと脱線して2人について聞きたいんですが、2人が活動するモチベーションは何ですか?さおり:一つは、未来の地球は、私たち次第で暗いSF映画に出てくるような緑のないグレーな世界にもなり得るし、自然と調和して緑がたくさんある世界にもなり得る。私は、後者の世界を思い描きたいし、次世代にそれを残したいなって思ってる。もう一つは、途上国の人たちのこと。気候変動によって例えば海面上昇が起きたときに、一番その被害を受けるのは、一番温暖化に加担していない途上国の人たち。温暖化の影響に脆弱な彼らは、生活を追われてしまう。だから気候変動は、命の問題でもある。日本はというと、温暖化に大きく加担しているのに、そこまでは影響を受けない。このままじゃいけないと思って、この活動しているよ。イアン:それでは話を戻します。現在の活動の焦点を教えてください!さおり:今350は「石炭と銀行」に焦点を置いて活動してる。イアン:ほう。「石炭」について普段考えることもないと思うので、なんで「石炭」にフォーカスするのか教えてください。 陸:日本は石炭の使用を国内でも国外でも進めているけど、いくら高効率な火力発電技術でも、石炭は天然ガスや石油より二酸化炭素の排出が多い。つまり石炭は、もっとも気候変動を悪化させる燃料だってこと。さらには、採掘するときに環境破壊を引き起こしたり、燃やすことで大気汚染を引き起こすし。 さおり:2015年にパリ協定っていうのが世界で合意されて、それによって世界195ヶ国が気候変動を1.5度から2度未満に防止する、という約束を交わしたんだけど、その後に国連環境計画UNEP*2が調査報告書を出して。そのなかで1.5度から2度未満の目標を達成するには、新しい石炭火力発電所の建設は今後一切許されない、さらには既存の火力発電所も段階的に廃止していく必要がある、っていう勧告を出したんだよね。 陸:そんななか日本は、自国に石炭火力発電所を40基以上建設しようとしていて、これは先進国の中ではもっとも多い数。(*2)国連環境計画UNEPとは、世界の気候変動サミットを統括している一番大きな環境の枠組みイアン:つまり気候変動的には石炭は絶対アウト。だけど増やそうとしていると。じゃあ石炭と銀行の繋がりについては? 陸:最近発表された海外のNGOの調べで、みずほ銀行が世界で1番、三菱東京UFJ銀行が世界で2番、三井住友銀行が世界で5番目に石炭に融資してることがわかって。つまり日本のメガバンクは、世界トップクラスの石炭推進派になっていて、気候変動防止に貢献するどころか、悪化させる側に立ってしまってる。 さおり:レインフォレストアクションネットワークっていう団体が、世界の主要銀行を対象に、森林伐採や化石燃料に対してどういう方針を持っているかというのを元に銀行を評価するレポートを発表したんだけど、その中で三菱東京UFJ銀行が最低ランクのF、みずほ銀行と三井住友銀行がDマイナスという評価を受けてしまった。なぜそんな評価なのかというと、ほとんど方針を持っていないから。Urgewald, Banktrack, 350.org陸:同じ調査の対象になっているオランダのINGという銀行は、もう石炭へは出資しないことを表明していて、Bの評価を受けてる。世界がそういう流れのなかで、日本のメガバンクの後進的な姿勢が際立ってきてるのが現状だね。さおり:今までずっと産業単位の話だったけど、プロジェクト単位での融資も日本の銀行は行ってて。例えば、今日本は東南アジアに石炭火力発電所をたくさん建設しようとしていて、そのほとんどのプロジェクトに日本のメガバンクが関わってる。こういったプロジェクトのなかには、人権侵害が報告されている例や、地域住民の暮らしへの被害が報告されているものもあるんだ。陸:こういう風にあらゆる問題があるから、今はメガバンクに石炭への新たな融資をやめてください!って声を届けるための署名を集めてる。誰かを傷つけるお金の使い方じゃなく、誰かを支える使い方に。「ダイベストメント」で自分と世界の繋がりを取り戻すさおり:それでいうとダイベストメントって、自分が預金として預けたお金が、環境や社会にどういう影響を与えているかを考えるきっかけになるから、すごくいい活動だと思う。お金を通して社会を俯瞰して見られるというか。ダイベストメントに関わるようになって、一気に意識の範囲が広がったもの。イアン:うちらがやっている活動は、社会にいいインパクトを与える選択肢があって、せっかくならそっちを選びませんか?と提案しているだけ。そしてその選択を通して、物事を変える力があなたにもあるっていうことを伝えたい。あとはボランティアと一緒にいろいろと実現することを通じて、環境活動に参加するハードルを下げたいな。自分らしく、でいい。それぞれの環境意識を表現できる場所イアン:それでは、最後に今後に向けて一言ください!!さおり:ダイベストメントは一つのきっかけ。誰かと喧嘩をしたいわけでも、誰かを責めたいわけでもない。いろんなセクターの人と楽しく環境活動をやりたいし、みんなで一緒に平和を実現していきたいな。陸:気になったらプラスチックでもビーガンでも、なんでもいいからまずは調べてみてほしいな。NGOの職員にならないといけないじゃなくて、もっと身近なところ、「ストローいらないです」って言ってみるとか、小さなところに落とし込む。全員が毎日一つでもゴミを拾えば、世界はすごくきれいになるって言われて「あぁ、たしかに」ってなる感覚。そういうのって、ハードル高くないところからはじめていくと、どんどん面白くなっていく。一人が小さいことをやるだけでも、日本の1億2653万人がやれば大きな力になるって信じてほしい。自分も信じているからダイベストメントや、ビーガンや、プラスチックを使わないように生活をしてる。信じることが一番大事かなって思います。「環境問題」と聞くと、なんだかスケールが大きくて自分一人の力ではどうしようもないことのように思えるかもしれない。でも実際は「日常生活のなかの小さな選択」が大きなインパクトを生むことができる。その可能性を信じて活動しているのが、350のメンバーだ。同時に350は彼らにとって自分らしくいられる居場所でもある。これを読んでいるアナタも、350に参加して「自分らしく地球に優しい生き方」を見つけてみてはどうだろうか?SAORI & IAN & RIKUボランティアに参加する/署名する/Facebook/Twitter/ Instagram/銀行を変える
2018年05月01日店頭で売られているブランドものにつけられた値札をチラリと見たとき、「似たような商品でもブランドのロゴが入っているだけで、なぜこんなに高いのだろう…」と思った経験はないだろうか?そんな不信感を覚えさせるような「上から下にものを売る立場」をとるブランドとは正反対に、消費者と同じラインに立った下着ブランド「One Nova(ワンノバ)」を始動させた若者たちがいる。今回Be inspired!は、ブランドのクラウドファンディングの開始を目前に控えた創業者である大学生二人にインタビューを行った。たいが(左)りりあん(右)「パンツ作ったらおもしろいんじゃない?」One Novaは慶應大学の湘南藤沢キャンパス(通称SFC)に通う、大学二年のたかやま たいが(代表兼社長、20歳)と、かねまる りりあん(PR、19歳)が始めたブランド。同大一年のとき、高校時代に通っていた塾が同じだった二人はたまたまラーメン屋で食事を共にし、起業することになったという。長らく起業を考えていたたいがはその仲間が見つからず、フェアトレードのバナナ売りをしていたりりあんは新しい活動に挑戦したいと考えながらも内容が定まっていなかった。そこで「ラーメンを奢るから、一緒に起業しない?」とたいがが誘い、りりあんが二つ返事で返して話が決まったらしい。そんな起業の約束をするまでの短い会話のあとに「事業は衣食住なら衣がいいな」と話していた二人だが、そこで出た「じゃあ、パンツならおもしろいんじゃない?」という冗談半分のアイデアから、製造過程における情報をすべて公開する“透明なパンツ”One Novaの構想は練られていった。先ほどのように、りりあんがたいがの誘いに即答できたのも、出回っている商品の透明性の欠如や流行に流されて消費する文化など、互いが消費に対する問題意識を共有しており、信頼関係があったからだった。同ブランドは現在、男性向けのボクサーパンツを製造しているが、消費者が自分の普段の消費行動を見直せるような、製造の過程にこだわっていて透明性の高いものにすることを重視している。透明性が高ければ、消費者が商品を選ぶ際の判断材料が増えるだけでなく、ブランド側にとっても利点がある。それは都合の悪いことをうまく言い繕わなくていいことで、非常に人間味が感じられる。この「透明さ」の側面も、「パンツ」という言葉との組み合わせがおもしろいと彼らは感じており、One Novaのパンツを“透明のパンツ”と呼んでいるのだ。「なんでパンツなの?」「なんでパンツにしたの?」と二人に聞いてみたなら、彼らは「その質問を待ってました」と言わんばかりに笑うかもしれない。最初はただの思いつきだったものの、二人が実際にパンツのブランドを立ち上げることを選んだのは、パンツがほかのアイテムには代替できない要素を持っているからだ。まず「パンツ」というキーワードが人の関心を引きやすいという点が挙げられる。製造の過程を公開するなど、透明性にこだわって作っていると「“そういう真面目な活動”やってるんだね」と色眼鏡をかけられてしまうことが少なくないが、One Novaならそんなことはない。りりあん:私たちがもしこの取り組みを、違う商品でやっていたら見られ方が全然違っただろうな。たとえば「スキンケアのそういうエシカルな商品ね、はいはい」「エシカルなTシャツって聞いたことあるな、そういう系ね」って“真面目なことをやっていますフィルター”を挟んでひとくくりにされちゃって、そのあとの話に入っていきにくいというか。でもパンツって「そういう感じね」って流されてしまうところを「透明なパンツってなに?」って離さない。そういうどこかおもしろくて笑いを誘うアイテムだからこそ、「こういうプロセスで作っています」っていうのがギャップに映って相手に伝わりやすいのかなりりあん:エシカルは別にOne Nova的には推しているわけじゃないけど、私たちの姿勢とかはエシカルなのかなって。エシカルはあらゆる面でいいことだけど、それは本来なら当たり前のことじゃないですか。今の流通の構造的にそうするのが難しいから、エシカルを売りにしている面があるのはすごくわかっているんですけど、そうしているとやっているほうもどんどん苦しくなっちゃう気がして。そこを突き詰めるときりがないとも思っています。だから特にエシカルは推していないのですが、私たちのあり方的にちゃんとしていたいみたいな気持ちはありますねそれからたいがは、「One Novaはエシカルファッションブランドです」と言い切れば、細かい部分を指摘されてしまうこともあるかもしれないと話していた。それは具体的に挙げるなら、オーガニックコットンを使っているが、パンツをはっきりとした色に染めるため化学薬品で染色しているところ。もし天然の草木などで染めていたら、よりエシカルであっても、くすんだ色になってしまい作っても売れないと彼は判断した。エシカルさを完璧に突き詰めることは現状では難しいが、「消費について考えてほしい」という彼らのメッセージを消費者に届けるためには人が買いたいと思うものを作ることが必要なのだ。パンツを“メディア”に消費者の目印をOne Novaというブランドネームには、「一つの新星」という意味が込められている。パンツという生活必需品を通して、これまで自分の消費しているものに対して深く考えてこなかった人たちがそれを意識し始めるきっかけや目印にするものになりたいと二人は考えている。透明性は、消費者が自ら判断し、企業が隠そうとするような不当な行為に加担しなくなるきっかけとして重要な役割を果たせるのだ。たかやま たいがTwitter▶︎オススメ記事・トランプ大統領を血まみれに。「生理×ファッション」で、“政治的なメッセージ”を訴える下着ブランドとは・竹で作られたアンダーウェア『HARA』に込められた、「働く人」も「環境」も顧みないファッション業界への反抗心とは。All photos by Jun HirayamaText by Shiori KirigayaーBe inspired!
2018年04月27日インターネットの時代の今は、人の好みが細分化して溢れている。音楽、ファッション、写真、それぞれが流行りからサブカルチャーまでが細かくわかれてきている。この数が増えていくなかで自分自身のアイデンティティや好みを作り上げるもののカテゴリーが重要になってきているように思える。カテゴリーが増えたことで、人を分類することも増えてきているのかもしれない。しかし、人間は誰であろうと簡単にひとつのカテゴリーに収まらない。もちろん、何かに対して情熱を持つことはいいことだ。とはいえ、カテゴリーひとつで自分自身を定義されるべきだろうか。私たちは、何についてであろうと、「マニア」や「ファン」という言葉を重視している。それだけでなく、ファンと一口に言っても、どこまで熱狂的かでその人に対する見方が大いに変わる。その熱意の一番の見せ方はやはり、どれほど一筋であるかを伝えることだ。これは、音楽のファンでもそう。したがって、違うジャンルに分類されるアーティストのファンでもあると言うと、甘く見られることがないだろうか?しかし、その一筋さにとらわれているせいで見えないこともあるように思える。違う世界にも視野を広げることは、それまで一途に好きだったジャンルの知らなかった一面が見えてくるのではないだろうか。音楽界のレジェンドのジミー・アイオヴァインの若かりし頃今回Be inspired!はゴールデンウィークに合わせ、一つの音楽ジャンルにとらわれずに活動を行ってきたからこそ成功した音楽界のレジェンドDr. Dre(ドクター・ドレー)とJimmy Iovine(ジミー・アイオヴァイン)のドキュメンタリー4部作『The Defiant Ones』(ディファイアント・ワンズ:ドレー&ジミー)を紹介する。音楽界のレジェンドで、著名なコンビのドキュメンタリー二人は「b」のマークが印象的なBeats by Dre(ビーツ・バイ・ドクター・ドレー)のヘッドホンで知られるBeats Electronics(ビーツ・エレクトロニクス)を立ち上げ、2014年にアップル社と30億ドルの契約をしたことで有名。しかし、彼らのストーリーはそれだけではない。3月23日よりNETFLIXで配信が開始されたこの作品は、Allen Hughes(アレン・ヒューズ)監督が手がけた、異なるバックラウンドを持ちストリートから成功した二人のドキュメンタリーだ。ヒューズは21歳の若さで映画『ポケットいっぱいの涙(原題:Menace II Society)』を双子兄弟でプロデュース、そして監督したことで知られている。『ディファイアント・ワンズ:ドレー&ジミー』は、アレンが3年間に渡って撮影し、制作。ドレーとアイオヴァインの独占インタビューに限らず、数々の大物アーティストのインタビューも収録。ライフストーリーにとどまらず、ロックンロールそして西海岸のヒップホップの歴史を二人の過去を語りながら探る。ドレーとアイオヴァインが持つ音楽への熱意から生まれた予想外なコンビのサクセスストーリーだ。アレン・ヒューズ(左)ドクター・ドレー(右)バックグラウンドの異なる二人にあった一つの共通点ドクター・ドレー、本名Andre Romelle Young(アンドレ・ロメル・ヤング)は1965年生まれ、西海岸のカルフォルニア州コンプトン出身。薬物を使用し、家庭内で暴力を振るう実の父と義理の父から身体的虐待を受けた彼。しかし、時代が時代で「暴力は当時のコンプトンでは当たり前だった」と作品のなかでドレーの母は話している。彼は、母親の愛情に育てられたのだ。一方、ジミー・アイオヴァインは、1953年生まれでニューヨーク州ブルックリン出身。イタリアから移民してきた祖父母を持つ家に生まれた彼の祖父と父は港湾で働く労働者で、家族みんな仲が良く、愛情に溢れた家庭に育ったという。ドクター・ドレージミー・アイオヴァイン生まれたときから音楽とつながりを感じたドレー。母が開くホームパーティーでのレコードの選曲は自然と幼いドレーがやっていたという。早くにヒップホップを見つけたドレーは、コンプトンのドラッグと暴力から逃れようと音楽に熱中した。そして、初めてレコードの「スクラッチ」*1を目の当たりにしたときに天職を見つけたのだ。それから、毎日のように練習し、母のクリスマスプレゼントのミキサーでレコードし始めた彼は、近所の子どもたちに作ったテープを売り小遣い稼ぎをしていたという。一方、男子校のカトリックスクールに通わされていたアイオヴァイン。昔から学校が嫌いだった彼は、学校から逃れるためにギターを買い、バンドを結成した。そのバンドは続かなかったが、父が彼を港で働かせようとするのから逃れようとしたときにプロデューサーの職を知る。どうしてもその職に就きたくなったアイオヴァインは、いとこのつてでレコードスタジオの掃除係のバイトを始めたのだ。(*1)スクラッチはレコードをこすって効果音を出すテクニック。レコードを前後に動かすことで音を作り出すことをいう異なるバックグラウンドを持つふたり。それでも、大事な共通点が一つある。それは、自分の手で何かを作り上げたいという信念だ。ドレーは、当時の環境から自分を逃避させて音楽に専念すること。アイオヴァインは、親の決めた道から外れた自分で見つけた道を進むこと。きっかけが違うとはいえ、彼らは自らの力と精神で音楽への道を切り開いたのだ。「やり遂げる熱意」を自分自身に根付かせた二人ドレーはヒップホップ、アイオヴァインはロックンロール、そして互いのジャンルから影響を受けた。ミックステープを作り始めたドレーは、DJ活動を開始。今まで一般的には聞かない二つのテンポをアレンジしてDJをしたドレー。すぐさま人気になり、DJグループのマネージャーに誘われ、「World Class Wreckin’ Cru」(ワールド・クラス・レッキング・クルー)のメンバーとして活動を開始。人気の絶頂は旅をしながら毎週末DJをしていた。クラブで踊ることや恋愛のことは頭になく、彼はとにかくターンテーブルでDJをしたかった。一方アイオヴァインは、偶然と出会いが重なり当時駆け出しのロックレジェンドBruce Springsteen(ブルース・スプリングスティーン)のブレイクアルバム「Born To Run」(明日なき暴走)のエンジニアとして名を上げた。しかし、この転機は、単に大物となるアーティストのブレイクアルバムを手がけたことからきたものではなかった。このアルバム制作を通して初めて、必要とされている仕事をこなす以上に、心と身体の全てを入れて音楽を制作するということを経験したのだ。スプリングスティーンと仕事をすることで身についた労働に対する倫理観こそが、彼を成功へと導いたといえる。しかし、存在するものをまたなぞるのでは新しいとはいえない。アイオヴァインは、ロックの括りにとどまらず新たなアーティストや才能を求める信念があってこそドレーに辿り着いたのだ。スプリングスティーンが「ジミーのキャリアは前進することを全く恐れないことからくる」と語っているように、彼は常に次を見ていたのだ。そうだったから、U2(ユーツー)、Stevie Nicks(スティーヴィー・ニックス)、Eminem(エミネム) やLady Gaga(レディー・ガガ)、2PacことTupac Shakur(トゥパック・シャクール)とドクター・ドレー本人まであらゆる有名アーティストのプロデュースを手がけてきたのだ。ドレーは、当時DJとして活動していたグループから離れて独り立ちし、ギャングスタ・ラップのパイオニアとされるヒップホップグループN.W.A(エヌ・ダブリュ・エー)*2を結成した。彼は、自分の才能を信じて、自らの手で新たなものを作りあげることを決意して自分を成功へ導いた。(*2)ネットフリックスで配信中の『Straight Outta Compton(ストレイト・アウタ・コンプトン)』でストーリーを描かれた伝説的なヒップホップグループ過去を見ることで見えてくること繰り返すが、このドキュメンタリーは、それぞれがどのように互いのジャンルで名をあげたかの話ではない。ドレーとアイオヴァインは、一つ一つの成功に執着せず、常に新たなチャンスや才能を求めていた。そこで誕生したのが予想外なコンビのサクセスストーリー。2人の異なる過去から見えてくるのが、ヒップホップとロックンロールの普段気づかれないつながりや共通点を尊敬しあうことで広がった道だ。そして自分の好みにとどまらず、違うスタイルや人に目と耳を傾けることで生まれるものがあること。だからこそ、人は人種や家庭環境などのバックグラウンドで運命は決まらない。一つのことに対しての情熱を持ちつつ、世界に目と耳を傾けることで新たな道を切り開ける、そして自分の人生は自身が変えられると同作は教えてくれる。予告※動画が見られない方はこちら『The Defiant Ones』(『ディファイアント・ワンズ:ドレー&ジミー』)Netflix製作:Silverback 5150 Pictures、Alcon Television Groupエグゼクティブプロデューサー:Allen Hughes、Doug Pray(ダグ・プレイ)、Andrew Kosove(アンドリュー・コソーヴ)、Broderick Johnson(ブロデリック・ジョンソン)、Laura Lancaster(ローラ・ランカスター)、Jerry Longarzo(ジェリー・ロンガーゾ)、Michael Lombardo(マイケル・ロンバード)脚本:Allen Hughes、Lasse Jarvi(ラッセ・ジャルビ)、Doug Pray編集:Lasse Jarvi、Doug Pray音楽:Atticus Ross(アッティカス・ロス)、Leopold Ross(レオポルド・ロス)、Claudia Sarne(クラウディア・サーン)プロデューサー:Steven Williams(スティーヴン・ウィリアムズ)監督:Allen Hughes
2018年04月27日韓国と日本の歴史は、日本人が知りたがらない・話したがらない話題かもしれない。日本人として、日本が過去に行った非道な行いと向き合うのは容易なことではない。今回Be inspired!は韓国系アメリカ人であり、東洋(韓国)と西洋(アメリカ)の狭間で自身のアイデンティティを問い続けているあるアーティストに話をうかがった。彼女が自身のアイデンティティ探求のなかで出会ったのは「恨(ハン)」という韓国の思想。これには日本が大きく関係している。決して日本を責めることが目的ではなく、アメリカで育った彼女にとって「韓国人としての自分」を知るうえで重要だったというこの「ハン」を、彼女のアートを通して日本にも紹介したい。2つの世界の狭間で子どもの頃は、韓国人である自分を拒否しようとしていたという彼女。アメリカで育てられたというアイデンティティの方が韓国人であるということよりも大きかった。ハングル語を話しても、韓国の伝統的な儀式に参加しても、韓国育ちの韓国人には認めてもらえなかったという。その自分の経験を元に、作品で韓国と他の国や文化(特に西洋文化)とのギャップを表現するようになったのだ。ミクストメディアと油絵をメインとする彼女は、様々な材料や手法を使って作品を制作している。多種な素材を使うことで彼女の多面的なアイデンティティ、伝統的ながらもモダン、そして東洋と西洋の文化両方を持つ自分を表現できる。自身の体験を通し社会のタブー、フェミニズム、セクシュアリティと抑圧といった様々な問題を描く。ローレン・ハナ・チャイ彼女の作品一つひとつは、は彼女の自伝。今では、2つの文化の狭間で育てられたことを大事に思う彼女。2つの文化から自分に合う部分をとりながら活用しているという。だからこそ彼女は、韓国文化をすべて自分の文化とは思えなくても、理解ができる。過去に散乱していた自分のアイデンティティがアートを通してひとつになりつつあるという。私たちも日本人として、歴史に目を向けることで、みえてくるものがあるのかもしれない。Lauren Hana Chai(ローレン・ハナ・チャイ)Website|Facebook|Instagram
2018年04月27日アフリカ・欧州中心に世界の都市を訪れ、オルタナティブな起業家のあり方や次世代のグローバル社会と向き合うヒントを探る、ノマド・ライター、マキです。Maki & Mphoという会社を立ち上げ、南アフリカ人クリエイターとの協業でファッション・インテリア雑貨の開発と販売を行うブランド事業と、「アフリカの視点」を世界に届けるメディア・コンテンツ事業の展開を行っています。マキ:ハジラは、今は主にジュエリーデザインを手がけているけれど、元々は、理系で研究所でも働いていたんだよね。簡単に今までの経歴を教えてもらえるかな。ハジラ:OK。わたしは、ケニアの中流家庭に生まれて、ナイロビで育った。元々、理系的なものに興味があって、高校の時から生物学、化学、物理学などを学んでいて、大学は米国のボストンにある大学に留学をした。そこでは、最初、生物学を専攻していたんだけど、途中で、ちょっと違うかなと感じて、化学に転向したんだけど、最終的にはやっぱり物理学がおもしろいと思い始めて。ただ、物理学の勉強を始めたころには、もう卒業間近だったんだけどね。それで、卒業後の3年間は、そのままアメリカで生物医療関係のラボに就職して、生化学研究員として商品開発に携わっていたの。マキ:アメリカで研究員をしていたとは知らなかった。わたしが始めてハジラにあったのは、2015年だけど、そのときは、ハジラはジュエリー制作もやっていたけど、メイクアップアーティストの仕事もしていたよね。ハジラ:生化学研究員の仕事は楽しかったんだけど、実は副業もし始めて。それが、たまたま化粧品の代理販売の仕事で、その仕事を通じて、化粧品のこととかマーケティングのこととかを学んだ。でも、そうこうしているうちに、米国での研究員の仕事がなくなってしまって、ケニアに帰国した。マキ:それはとても面白い視点だね。今のハジラのジュエリー・デザインに繋がる筋が少し見えた気がする。物理学に想像力が必要という部分をもう少し詳しく教えてもらえるかな。ハジラ:物理学は、目に見えない力を扱う学問。実際は見えないものや、見たこともないものを可視化して、理解するには、イマジネーションが必要になってくる。結構、「解釈不能」みたいなことも多いから。例えば「ある分子が、ある空間に存在して、ある動きをしている…」みたいな概念を習って、それを想像のなかで、可視化することが求められる。ジュエリー・デザインに置き換えると、どうやって顧客のイメージを形にするかということにとっても非常に重要な要素。特にわたしはカスタムデザインのジュエリーをよく作っているので、例えば顧客がどんなものを欲しているのかとか、彼らの感情とかを汲み取って、それをビジュアルにして提示する必要がある。想像力がなかったら、カスタムジュエリーは作れないと思う。マキ:起業のセオリーでも、MVP(ミニマル・ヴァイアブル・プロダクト:実用最小限の製品)をまず作ることを目指すという考え方があるけど、まずやってみて、手を動かして、形にするというプロセスは、想像力と現実化したり、クリエイティビティを活発化させる上で、一番重要なことかもしれないね。スケッチがない場合、顧客とのイメージ共有はどうやってやっているのかな。ハジラ:だいたいヒアリングをして、わたし自身が完成イメージを可視化できたら、オンラインでそれに近いような画像を探して共有したり、すごく簡単にサンプルを作ってみたりするかな。たまに簡単なスケッチをすることもあるけど、基本は既存の画像でイメージ共有をしている感じ。ちょっと難解で「意味不明」なデザインマキ:アフリカとかケニア的なカルチャーは、影響しているのかな。ハジラ:アクセサリー作りにあまりアフリカらしさはないかな。色、テクスチャー、材料は特徴的だけれど、必ずしもアフリカのカルチャーが影響しているわけじゃない。両親は地方出身だけど、欧米的な影響を受けて、都会で育ったし。サイエンスのバックグラウンドのほうが、ジュエリーに影響している。アフリカの文学もあまり知らないし、あまり興味もないけど、サイエンスはすごく興味あるし、確実に自分のクラフトに影響していると思う。「想像力」を「創造力」に変えるヒントマキ:他人の目を気にしないというのは、日本やケニアのようにコミュニティ重視で、非個人主義的な社会のなかでは、必ずしも簡単なことではないけれど、そういったバリアを超えて、自分のイマジネーションをもっと形にしていくことができる人が増えるといいね。最後に、ハジラの今後のビジョンを聞かせて。ハジラ:アフリカン・ジュエリーを、アフリカ人たちの間での主流ジュエリーにすること。真珠やゴールド、ダイアモンド以外にも、同じように素晴らしいアフリカ大陸産の素材があるということを、もっと広めていきたい。アフリカ人発のデザインが、欧米産のもの以上に素晴らしいものとしてみてもらえるようにしたい。少なくとも、マサイ・ビーズは、それなりにグローバルな位置づけを確立させている。アフリカ人が手がけるアフリカン・ジュエリーを、公式の晩餐会などの重要な場にもっと露出させていきたいと思う。Photo by Photo via Phowzieマキノマド・ライターMaki & Mpho LLC代表。同社は、南アフリカ人デザイナー・ムポのオリジナル柄を使ったインテリアとファッション雑貨のブランド事業と、オルタナティブな視点を届けるメディア・コンテンツ事業を手がける。オルタナティブな視点の提供とは、その多様な在り方がまだあまり知られていない「アフリカ」の文脈における人、価値観、事象に焦点を当てることで、次世代につなぐ創造性や革新性の種を撒くことである。
2018年04月27日日本を代表する世界的アーティスト、坂本龍一。2012年から“脱原発”を掲げた音楽フェス「NO NUKES FES」を開催するなど、長年、平和活動や環境活動に積極的に取り組んできた。日本の音楽シーンを変革し続けているだけでなく、声をあげるアーティストとして、政治への向き合い方、社会問題への関わり方を模索し続けた第一人者である。そんな坂本龍一の姿勢に多大な影響を受けて始まったのが、5月26日に渋谷で開催される、音楽×アート×社会をつなぐ都市型フェス『M/ALL』だ。イベント開催に向け、『M/ALL』の運営メンバーや参加アーティスト、賛同者に取材をしていく連載の第3弾として、今回Be inspired!は、坂本龍一に独占インタビューを行なった。『M/ALL』への賛同をいち早く表明し、「職業に関係なく社会・政治に参画するのは、民主主義の基本」と言い切るアーティストは、私たちに何を語るのだろうか。Photo by Zakkubalanー坂本さんは、2012年に脱原発をテーマとした音楽フェスティバル「NO NUKES FES」を始めましたよね。なぜ、デモではなく音楽フェスを始めようと思ったのですか?デモにも個人的に行ってましたが、音楽の現場でもやろうと思ったのは、主にデモに来ない若い層にも話しかけたいと思ったからです。デモには行かないけど、音楽は聴きに行くという人は多いと思います。好きなバンドを聴きに行って、そのバンドのメンバーが一言でも、社会的問題への気づきとなる言葉を投げてくれれば、少しは問題意識をもってくれるファンの人もいるのではないかと思うからです。ー最近「音楽に社会や政治をもちこむな」という批判をよく耳にします。このような風潮をどう思いますか? そのようなことを言う人たちは、音楽の中でなくとも、社会・政治問題を話すのが嫌なのではないでしょうか。理由は分かりませんが。もう一つは、音楽家を蔑んでいるからでしょうか。職業に関係なく社会・政治に参画するのは、民主主義の基本だと思いますので、そのような人たちはまず民主主義から学んだらどうでしょう。ー資本主義的な利便性や実用性が最上の価値を持つとされがちな日本社会ですが、アートに意味や価値があるとしたら、それは私たちの人生の中で、どんな意味や価値だと思いますか?アートの価値というものは、「誰かにとって意味があるから存在価値がある」というようなものではないとぼくは思っています。ある人にとって、「それをやらざるを得ない」、「それを作らないと自分とは思えない」ぐらいに何かを作りたいという衝動があるから作るわけです。それをアートと呼ぶか、そこにどんな価値を見出すかは本人には関係ない。ましては、それがいくらになるかなど関係ない。アートの有り様とは本来そういうものだと思います。例えば草間彌生さんを見るとよく分かります。Photo by Yoshie Tominagaー今の日本社会は、もはや「リベラルvs保守」や「左vs右」といった単純な図式で語れないほど複雑になっています。特に若い世代は、差別問題や貧困問題、奨学金問題やハラスメントの問題など、先が見えない様々な社会問題を前に「生きづらさ」や「閉塞感」を抱えている人が多いと思います。このような社会である原因は何でしょうか?「みんなが生きやすい社会」はどんな社会だと考えますか?原因は一部の階層による富の収奪からきていると思います。世界中の富がますます一部の少数の者の手に集中しています。そして生産の機械化、AI化はこれから進んでいきます。当然、世界には職のない人が溢れます。これから地球は職のない何十億の人間を食べさせていかなくてはならないのです。残念ながら、このままだとますます生きにくい社会が到来してしまいます。日本も例外ではありません。本当は根本の原因を改善しないとこの現象はなくならないと思いますが、それは大変な事業になりますね。ー坂本さんの眼から、今の日本はどのように映っていますか? 坂本さんがお住いのアメリカでは2016年にトランプ政権が誕生してから、アーティストの積極的な社会的発言が目立ちます。日本のアーティストとの社会的態度の違いはなんでしょうか?こんなことを言っても生産的ではないかもしれないけれど、やはり犠牲を払って自分たちの力で民主主義を獲得してきた長い歴史をもつ国と、戦争に破れて他の国からそれをいきなり与えられた国とでは、それを守ろうという人々の意識や意志がずいぶん異なると感じます。だから、今の日本はどうしたらいいかというと、すぐ答えは出てこないのですが。ただ、ここまで憲法がないがしろにされ、民主主義の屋台骨が壊されているのだから、それを復活させる、再構築することが市民の急務で、その行為を通して民主主義が血肉化したものになっていく可能性はある。最近よく思うのですが、日本にはまだフランス革命が起きていない。こんなことを言うと歴史学者には笑われると思いますが。もう一つはフランス革命のような大変革があったとしても、人間性が変わらない限り結局、富と権力を収奪しよう、あるいは富と権力にすり寄ろうとする人たちはい続けるでしょう。それは政治体制がどうなっても同じだと思ってしまうのです。もちろん独裁制よりは民主主義の体制の方がましではあるでしょうが、根本に人間性の変革なしには同じことの繰り返しになるような気がします。Photo by Yoshie Tominagaー坂本さんは影響力も大きいので、「NO NUKES FES」をはじめ、社会的な発言をする際に、たくさんの批判や誹謗中傷を受けてきたと思います。そんな坂本さんから、「社会問題や政治に関心があるのに友人と話しにくい」と感じている若者を勇気付ける言葉、アドバイスはありますか?そんなに批判や中傷を受けたという自覚はないんですが(笑)。どうなんでしょう、ほんの少しの勇気でいいんじゃないかな。一度しかない人生なんだから、自分に嘘をつかずに生きていきたいね。自分を大切にする気持ちがあればこそ、言いたいことは言わないと。ー今回のM/ALLのコンセプトは「MAKE ALL」です。MAKE(つくる)ことは、葛藤が伴う行為でもあると思いますが、坂本さんにとってMAKEはどんなものですか?一番楽しいのは、作っている当の本人が何を作っているのか分からない状態。一番つまらないのは、青写真があってその通り完成を目指すこと。人生は即興じゃなきゃ面白くない。そして人生は決してプラン通りにはいかない。ぼくはいつも音楽を作るとき、子どもの砂遊びだと思ってやってるよ。何を作るのか自分では分からないけれど、とりあえず砂をもってみるでしょう。そして途中までいって壊してみたり。それと同じだな。ー最後に、5月26日に開催されるイベント『M/ALL』に賛同している坂本さんから、運営メンバーやアーティスト、支援する方々へ応援のメッセージをお願いします。社会は若者が作るもの。消えていく世代はそれを見守り、時に応援し、時には助言を与える程度でいいと思うよ。THE M/ALLクラウドファウンディング「音楽」「アート」「社会」をひとつに繋ぐ”カルチャーのショッピングモール”、「THE M/ALL」が渋谷で初開催! 「MAKE ALL(すべてを作る)」のマインドで、この社会をいまより少しでもマシなものにするために。クラウドファンディングを通し本イベントの無料開催を目指します。「音楽xアートx社会を再接続する」をテーマに、ミュージシャン&DJによるライブ、アートと社会問題について各分野の若手クリエイターや専門家が語り合うトークセッション、会期前日から会場に滞在するアーティストがその場で作品を作り上げていくアーティスト・イン・レジデンスなど、さまざまな企画が4つの会場(WWW、WWWX、 WWWβ、GALLERY X BY PARCO)をまたいで同時進行します。<WWW / WWW X / WWWβ>2018年5月26日(土)OPEN 15:00 / START 16:00<GALLERY X BY PARCO>2018年5月26日(土)~5月27日(日)OPEN 15:00 / START 16:00【出演者】<WWW / WWW X / WWWβ>出演アーティスト・コムアイ・BudaMunk・MOMENT JOON・odd eyes・行松陽介・1017 Muney・Gotch・Awich・田我流・Yellow Fang・テンテンコ・Maika Loubté・Bullsxxt<GALLERY X BY PARCO>出演アーティスト・中川えりな(Making-Love Club)・野村由芽(She is)・桑原亮子(NeoL)・haru.(HIGH(er) magazine )・村田実莉(アーティスト)・ヌケメ(ファッションデザイナー/アーティスト)・歌代ニーナ(マルチクリエイター)・JUN(Be inspired!)・UMMMI.(映像作家)・五野井郁夫(国際政治学者)・奥田愛基()
2018年04月26日「グラビア」と聞いたとき、「男性のためのもの」「卑猥」というイメージを連想する人は多いだろう。そのため特に女性にとって、その多くが嫌悪の対象になってきた。この現状を変え、女性にとってポジティブなグラビアを届けようとしているのが、女の子のためのグラビア写真集「がるびあ~Girls Gravure~」だ。最新号Photo via がるびあ~Girls Gravure~そもそもなぜ、「女性にとってポジティブなグラビア」を発信する必要があるのか。その背景にあるモデルたちの本音や、撮影現場にはびこる違和感を、同誌の発案者であり制作チームを統括する吉田みおさんと、クリエイティブディレクターとしてビジュアルで世界観を構成するNAMIさんのお二人に聞いてきた。ゼミ室生まれ、創刊1年。160万円の制作費をクラウドファンディングで調達吉田さんとNAMIさん昨年3月に、「女性だけで作る、女性目線のグラビア写真集」として創刊され、今月初旬に都内の書店で3号目が発売された「がるびあ~Girls Gravure~(以下、がるびあ)」。その始まりは、吉田さんが通う大学のゼミ活動にあった。吉田さん:最初はあくまでゼミ活動の一環だったので、発刊を継続する予定じゃなかったんです。でも1号目の反応が予想以上によかったから、「じゃあ2号目も出そうか」となって今に至ります。でも最初は苦労しました。協賛企業を探すにしてもキャスティングにしても、いきなり来た大学生の話を聞いて、「ぜひお願いします」なんてことにはなりませんからそんな手探りの制作過程を経て届けられた1号目が評判を呼び、2号目の制作に取り掛かった段階で制作チームに加わったのが、以前から吉田さんと親交のあったNAMIさんだった。NAMIさん:みおから「デザインの知識が全くないから助けて!」と言われて参加しました。私は当時からグラフィックデザイナーとアートディレクターをフリーランスでやっていたので、今はクリエイティブ関連の統括役として、がるびあの世界観を視覚化する役割を担っていますこの2号目から制作チームの骨子が固まり、現在はお二人のほか、カメラマンのヨシノハナさんと平岡花さんを加えた4人を中心にがるびあは作られている。平岡花さんの作品Photo via がるびあ~Girls Gravure~ヨシノハナさんの作品Photo via がるびあ~Girls Gravure~創刊から約1年、写真集は着実に支持を集め、3号目の制作費を募ったクラウドファンディングでは160万円が集まった。アイドル業界内では知名度が高まりつつあり、アイドルグループのジャケットカバーのアートディレクションを「ぜひがるびあ制作チームで」と依頼されるなど、仕事の幅を広げている。なぜ「女の子のため」のグラビア写真集が生まれたのか?NAMIさん:いつも言っているのが、「エロさじゃなくて色気」。私は女の子特有の「儚さ」「強さ」「色気」という要素を大事にしてます。普通のグラビアって、「元気」「爽やか」「セクシー」みたいな切り口で、可愛く or 格好良くってイメージで撮られることが多いんですけど、可愛さや格好よさだけじゃ女の子の魅力って伝えきれないと思うんです普段私たちがグラビアを目にするのは、その大半が青年誌や少年誌で、いわゆる男性に向けて作られている雑誌ばかりだというのは示唆的だろう。掲載される場所が男性に向けて作られているのだから、写真に求められる傾向は必然的に男性的なものになる。誤解を恐れずに言えば、露出は多ければ多いほどいいし、バストやヒップは大きければ大きいほどいいし、ポージングは過激であればあるほどいい…なんてことになる。しかしそれが誌面に登場する彼女たちの意向に沿っているかと問われれば、必ずしもそうではない。Photo via がるびあ~Girls Gravure~Photo via がるびあ~Girls Gravure~今も昔も、女性タレントにとって、グラビア活動は知名度を上げるための主な選択肢の一つだった。しかし男性的な価値観が大勢の世界に飛び込むことに、抵抗を感じる人もいるだろう。事実、撮影中にセクハラまがいな光景が広がる現場も珍しくないという。業界の構造を変えなければ、こうした事例はこれからも無くならないだろう。吉田さん:グラビアは卑猥なものじゃないんです。ディレクション次第で表現は変わります。もっとポジティブにグラビアをやる人が増えてくれればと思いますが、がるびあがそのきっかけになれれば嬉しいですNAMIさん:女性が道具として扱われるような撮影現場は変えていかないとダメ。個人的な思いも含めて、がるびあが、女の子が、自信を持って輝ける社会のきっかけになれればと思います▶︎オススメ記事・#2 フェイスブックに止められても、2人の若い女性が「1001枚のお尻の写真」を撮り集める“心温まる理由” 1,001 Fesses|GOOD ART GALLERY・「世界平和にはポルノが必要」と本気で考えたAVプロダクションによる、国際人権NGOのための作品とはAll photos by Rina Kuwahara unless otherwise stated.Text by Yuuki HondaーBe inspired!
2018年04月25日ただ好きな人の寝息を聴きながら小さく揺れるまつげを眺める何の変哲もないどこにでもあるような朝、午後の気まぐれな日差しでいつもとは違う色を見せてくれる庭の木々、優しい月明かりの下を鼻歌を歌いながら歩く帰り道。自分の目に映る世界、耳から聴こえてくる音、肌に伝わる温度、今というその瞬間の全てを、自分だけのものにしてしまいたい、そう思ったことはないだろうか。そんなとき、心の後ろ側を引っ張られるような、どことなく切なくて、でもどうしようもなく愛おしい、よくわからない気持ちでいっぱいになる。きっとこの気持ちを一言で表すとしたら、「恋」と呼ぶのだろう。社会派の映画を紹介する『GOOD CINEMA PICKS』では今回、人間が愛するということ、何かを感じるということについて考えさせてくれる、北イタリアの小さな田舎町を舞台に描かれた、二人の青年のどこまでも切なく限りなく美しい恋の物語『君の名前で僕を呼んで』を ピックした。どんな恋でもそれは素晴らしく、尊いもの。1983年、北イタリアの小さな街。美しい街並みと豊かな自然のなかで、エリオは17歳の夏を家族とともに過ごしていた。本を読んだり、ピアノを弾いたり、女の子と遊んだり、いつもと変わらない毎日に、大学教授をしている父の教え子である24歳の大学院生オリヴァーがやってくる。なぜか、オリヴァーに意地悪ばかりしてしまうエリオだが、自分のなかにある気持ちに正直になり、二人は一夜をともにする。また、原作は過去の思い出を振り返るスタイルで描かれている一方、この作品は、ストーリーが現在進行形で進んでいく。スクリーンの前に座る観客は、二度と戻らない瞬間を、その瞬間にしか感じることのできない感情を抱きながら生きているエリオやオリヴァーたちの世界に、スクリーンを通して入り込んでしまうのだ。オリヴァーとの別れに悲しむエリオに父パールマンは、「痛みを葬るな。感じた喜びも忘れずに」と声をかける。エリオとオリヴァーのすごした1983年の夏はもう二度と来ない。その夏に感じた悲しみも喜びも、同じ感情はもう感じることはできないのだ。しかし、その感情を、心にしまうことはできる。数えきれないほどの感情を重ねながら、私たちは少しずつゆっくりと大人になればいいのだ。▶︎これまでのGOOD CINEMA PICS・9作目:「エイズ問題」を見て見ぬふりをする政府や、製薬会社に抗議する若者を生々しくエモーショナルに描いた映画『BPM ビート・パー・ミニット』・8作目:摂食障害、セクシュアリティ、鬱。ティーンエイジャーの友情と葛藤をパンクに描いた映画『チーム・ハリケーン』・7作目:偽善的な世の中に波紋を起こす。「命を奪うことを楽しむ人間」の姿を非批判的に描いた映画『サファリ』▶︎オススメ記事・「なんで複数の人と恋人関係になっちゃいけないの?」28歳の彼女が“社会の理不尽な恋愛ルール”に物申す。・そのペニスは生きている?死んでいる?「見た目主義」な社会の体に対するイメージをひっくり返すアーティストText by Foo ShojiーBe inspired!
2018年04月24日音楽、アート、都市を繋ぐ新感覚都市型フェス『M/ALL』が5月26日(土)に東京・渋谷で開催される。同フェスにフィーチャーし、イベント運営メンバーと参加アーティストにインタビューをしていく企画、第2弾。今回取材をしたのは、イベント開催会場の一つ渋谷の「GALLERY X BY PARCO」でキュレーションを務める中川えりなさん、haru.さん。二人は普段、それぞれのインディペンデントマガジン/イベントの運営をしている。中川えりなさんが立ち上げたMaking-Love Clubは「政治も愛もセックスも、カルチャーの最前線に」をテーマに掲げ、年4回、イベントの開催とマガジンの発行をしているクリエイティブ・コレクティヴである。haru.さんが編集長を務めるHIGH(er) magazineは、毎号多くの若手クリエーターとコラボレーションし、フェミニズムや政治といったトピックも包括的に取りあげているメディアだ。東京のユース達のなかでも一際アイコニックな存在として、度々メディアにも取り上げられる二人が、今回のイベントを通して私たちに見せてくれるものとは—。ーM/ALLのオフィシャルインスタグラムはえりなさんが担当されているとうかがいましたが、他国で起きている社会問題を取りあげたドキュメンタリーを投稿されていたのが印象的です。「世界と自分をどこまで接続するか」というのは、ご自身のイベント、Making-Love Clubでも取りあげていたトピックですよね。今回のプロジェクトとお二人の普段の活動は、やはり多かれ少なかれ連動してるのでしょうか?haru.:今回のプロジェクトは、自分たちが普段やっていることの延長線上にあるんです。これまでHIGH(er) magazineが、多くのクリエーターと誌面上でコラボレーションをして、政治的・社会的なトピックを取り上げてきました。それが誌面から飛び出たみたいな感覚ですね。唐突じゃない。駆け出しのクリエイターの参加で敷居を低くー今回たくさんのアーティストが参加しています。エンターテイメントの世界にいる人が自分の社会的、政治的な姿勢を表立って世間に示すのは、あまり日本では見かけないことですよね。これは最近の流れだと思いますか?えりな:M/ALLの前身は、数年前からあるんです。2012年に「脱原発」をテーマにしたロック・フェスティバル「NO NUKES FES」が、坂本龍一さんの呼びかけで始まりました。だからこれまでになかった、というわけではないんですよね。haru.:ただそういったビッグネームばかりが揃ってしまうと私たちみたいな駆け出しのクリエイターは参加しづらい雰囲気があって。私たち若手が積極的に参加しているのが見えたら、敷居を低くすることができるんじゃないかと思います。M/ALLの運営メンバーたちとー今回M/ALLは、イベントの無料開催を目指してクラウドファンディングを行っていますよね。インディペンデントメディアを運営する二人にとって、クラウドファンディングはどんな存在ですか?えりな:Making-Love Clubは実はあえてクラウドファンディングをしていないんです。ただそれには、こういった社会的なメッセージを発信するメディアがビジネスとしても成立し得るんだということを(本当に利益を生んでいるかは別として)外にアピールしたかったから。私自身、周りにいる社会的なメッセージを訴えるクリエーターやアーティストにお金が集まっていないということがすごく気になっていて。「そういうところにお金は出ない」というイメージを作るのは良くないって思ったんです。ファッションだとか、消費行動を促す業界にいると、社会的な意識を持っていても行動に移すのがなかなか難しい。それは、簡単に消費文化に取り込まれてしまうから。だからそういう人たちが参加する手段の一つとしてメディアに広告を入れる「広告協賛」の選択肢があるっていうのは重要なんじゃないかな。haru.:HIGH(er) magazineは二号目を作ったときにクラウドファンディングをしました。私も実際にクラウドファンディングをしている友達を支援することはよくあります。自分が実現したいと思えるものを、それをやっている人を支援することでそのことへ賛成を表明できる。直接じゃないけど、参加できるっていうメリットは大きいですよね。えりな:私も、若い子がクラウドファンディングで資金を集められるということにはすごく賛成しています。それが基本になればいいなって。ーM/ALL全体のテーマ「消費を終わらせる」について、それぞれの見解をお聞かせください。えりな:M/ALLの全体のテーマとして「消費を終わらせる」っていうのがあって。ドントラ*2で音楽イベントを開催したときは、「選挙に行こう」っていう本来のメッセージよりも、アーティストの人気が先行してしまったという印象がありました。例え社会的な意識を持っていたとしても、それを浸透させるためにはうまく消費に取り込むしかないっていうふうに思っている人がほとんどですよね。でも本当はそうじゃなくて、消費にとどまらずにきちんと文脈づくりみたいなものをすることができるんじゃないかと。M/ALLはその実験の場でもあるんです。haru.:実際、私やえりなはメディアに出たり、大手企業の広告にモデルで起用されたり、消費の対象になっている部分もあって。でも、それで人に知ってもらうことで活動を後押ししてもらうきっかけにもなるから、消費自体を否定はしません。ただ、今後はバランスをとっていきたいなとは考えています。えりな:一時は、路上も「消費」だったと思うんです。デモや街宣が自意識の矛先として機能していた。そこはSEALDsが変えた部分なんじゃないかな。「自分の言葉で話す」というのはSEALDsが最も重要視していたところ。フライヤーやプラカードのデザインにこだわったのは人に届けるためだったから、それがメディアの目について、確かに表面的には消費されていたように見えていたのかもしれないけれど…。M/ALLというタイトルにはショッピングモールという意味での“モール”も掛かっています。クリーンにしすぎるのではなくて、“消費”そのものの付加価値も認めていけたらいいんじゃないかな。(*2)「DON’T TRASH YOUR VOTE」。2016年、SEALDsと12XUがコラボレーションしたキャンペーン▶︎これまでのM/ALLの連載はこちら・#001「国会前とクラブは同じ社会の空間でしょ」。奥田愛基が“社会とカルチャーをつなぐフェス”を開催する理由▶︎オススメ記事・痴漢にあっても、黙っているのが「ふつう?」日本の理不尽な常識を崩す“レディース集団”とは。・「音楽に政治を持ち込むな?だったら恋愛も持ち込むな」。25歳のラッパーが語る日本社会の“病”。All photos by Daigo Yagishita “wooddy”Text by Makoto KikuchiーBe inspired!
2018年04月23日2017年4月28日に渋谷にオープンした複合施設、「SHIBUYA CAST.」。都会のど真ん中にあるこの場所で、血縁にも地縁にもよらない「拡張家族」になることを目的に、共に暮らし、共に働く集団がいる。名前は「Cift(シフト)」。現在のメンバーは39名。半数以上が起業をしていたり、フリーランスのような形で働いている。ファシリテーター、弁護士、映画監督、美容師、デザイナー、ソーシャルヒッピー、木こり見習いなどなど、全員の肩書きを集めると100以上に。大多数のメンバーがCift以外にも、東京から地方都市、海外まで、様々な場所に拠点を持っていてその数も合わせると100以上になる。メンバーのうち約半数は既婚者で、何人かは離婚経験者。2人のメンバーはパートナーや子どもも一緒にCiftで暮らしている。そうした“家族”も含めると、年齢は0歳から50代にわたる。バックグラウンドも活動領域もライフスタイルも異なる39人が、なぜ渋谷に集い、なぜ「拡張家族」になることを目指しているのか。本連載では、CiftのメンバーでありこれまでにBe inspired!で記事の執筆もしてきたアーヤ藍が、多様なメンバーたちにインタビューを重ねながら、新しい時代の「家族」「コミュニティ」「生き方」を探っていく。アーヤ藍Photo by Jun Hirayama第4回目は、鍼灸師・デザイナー・映像作家アシスタントの工藤正起さん。約40人のメンバーのなかで身体に直接的に関わる仕事をしている数少ないメンバーで、他のメンバーの治療もCiftでよくしている。また、Ciftメンバーの子どもたちと、親以外で一番多くの時間を共にしているのが工藤さんだ。工藤正起さんアフリカで感じた持続可能な医療としての鍼灸アーヤ藍(以下、アーヤ):高校を出てから鍼灸師になるための専門学校に通ったんだよね?どうして大学進学とかじゃなくて鍼灸の道を選んだの? 工藤正起(以下、工藤):商業高校に通っていたんですけど、普通にサラリーマンになるのがいやだったんです。毎日同じ時間に同じ場所に行って、同じことをする生き方をしたくなくて。昔からサッカーをやっていたので、じゃあそこと何か繋がるような仕事ができないかと思って調べていた中で鍼灸に至りました。それまで一度も自分が治療を受けたことはなかったんですけどね(笑)。 それで専門学校に3年間通って、卒業後すぐ開業したんですけど、体を治してお金をもらうことにすごい違和感があったんですよ。そんななかで、ふとアフリカに行きたくなっちゃって(笑)。アーヤ:アフリカから帰国してからはどうしていたの? 工藤:鍼灸を無料でうけられるような環境を行政を巻き込んで作れたら良いんじゃないかって思って、伝手で内閣官房に行かせてもらえたときがあったんですけど、お灸ってエビデンスが少ないんですよね。それでデータがあまりないし、火を使うから火事の危険もある。いろいろハードルを感じたうえに、国から支援をもらってたら、自分が持続的じゃないって気づいたんです。じゃあまず自分がどこの場所でもお金を稼げるようにしようって思って、デザインを学び始めました。 同時に、 名古屋にあるエコビレッジに住んでいて、畑で作物を育てたり、自然の中でサステナブルな生活をしていました。でも、当時23歳ぐらいだったから、もっと色々なこと経験したいなって。そこでもたくさんの学びをいただいたのですが…。一度は最先端の東京に出なくちゃ!っていう典型的な田舎者の思考ですけど、そう思っていたら、ご縁が重なって、東京でかずおさん(Ciftメンバーの河村和紀。映像制作等をやっている)のアシスタントをすることになったんです。一人ひとり「健康」の定義は異なる。多様な40人のケーススタディアーヤ:Ciftのメンバーの子ども達と、Ciftのなかで一番一緒に過ごしていると思うけど、それは意識的に関わりたいって思っていたの? 工藤:いや、自分でも不思議なくらい、いつの間にか子どもたちと遊んでいましたね。 そもそも、「子ども」として特別意識をしていないんだと思います。アーヤさんとか他の大人のメンバーと子どもたちと、みんな同じ感じなんです。みんな居なくなったら寂しいし、みんなグレたら嫌だし…。だからあんまり、「子どもだから、赤ちゃんだから」みたいな感覚はないですね。アーヤ:確かに私も、「私は大人、相手は子ども」みたいな意識で接することはないなぁ。むしろその子が見て、感じている世界のなかに、私もおじゃまさせてもらう感じかも。でも、時には怒ったほうがいいんじゃないかって迷うこととかはない? 工藤:もともとそんなに人に怒れないタイプなんですよね。それに怒る理由ってあまりないと思っていて…。本当に死ぬところさえ防いでおけば、すべては経験だと思うので。怪我とかしても、だいたいのことは対処できる自信もありますし。ぶつけて痛いくらいなら、そこから学んで次にやらなくなりますしね。ただ、Ciftの共有スペースの空間は、机の角がいっぱいあったりして危ないので、子どもには適していない場所だなとは思っていますね。 アーヤ:今、まさきくんと何人かで、子どものためのシェアハウスを作る話も出ているんだよね? 工藤:僕が主体的にやるかどうかはわからないですが、Ciftメンバーの何人かと「子どものための大人の空間」っていう場をつくりたいっていう構想を練っています。子どものために用意されたものは、きっとすべて大人にもいいはずなんです。机とかの角がなければ、子どもにとって危なくないけど、それは大人にとっても危なくない。子どものために動物を飼うってなったら、大人にとっても癒しだし。子どものカラダにいいごはんは、絶対に大人にとってもいいじゃないですか。子ども目線でいろいろつくると、結局まわりまわって大人にとってもいい空間がつくれるんじゃないかなって思っているんです。親以外の大人が子どもと密に関わる“選択肢”を増やしたいアーヤ:Ciftや、Ciftメンバーと一緒のシェアハウスで過ごすなかで、家族観は変わった? 工藤:そもそも家族のことであまり苦労したことがないから、家族について深く意識したことがないんですよね。でも、Ciftメンバーの子どもたちと、ただ遊ぶっていうよりも、もっと深く、オムツを替えたり、寝かしつけたり…っていうことをやらせてもらっているなかで、親に感謝だなって思うようになりましたね。一人暮らししたときも一回思ったんですよ。お金を稼ぐことと家事をこなすことを、自分でやってみて、親ってやっぱり偉大だなって思ったんですけど、今は、たぶん一般的に、子どもができたときに感じることを、先に感じているんだと思います(笑)。Ciftメンバーの神田沙織さんが企画した「子連れ100人カイギ」でも登壇し、自らの体験を語った工藤さんPhoto via Ciftあとは、僕に自分の大事な子どもたちを預けてくれているメンバーたちがすごいなってしみじみ感じています。だって、24歳、独身、彼女なし、もちろん子育て経験もない…みたいな男に任せるって、すごく勇気がいることじゃないですか。同じ男性の旦那さんたちからすれば、自分が仕事で関われない時間に、別の男性である僕が子どもたちと遊んでいるとか…自分がその立場だったら、ヤキモチを妬いちゃう気がしますもん(笑)。だから、僕に一緒に子どもたちと過ごさせてくれているみんなに感謝しかないです! アーヤ:本当にそうだよね。友達の子どもとかと多少遊ぶことはあっても、こんなに密に関わらせてもらえるって、すごい貴重だよね。ありがたい…。まさきくんは、「将来子どもを持ちたい」って昔から思っていたって、前に話していたけど、将来自分が子どもをこう育てたいとか、こういう環境に居させたいとか思うようになった? 工藤:もともとお母さんだけが子どもを見るスタイルはいやだったんです。お父さんは仕事ばっかりして全然会えなくて、お母さんだけ子どもと過ごせるって…ずるいです!(笑)だから、フリーランスの道を選んだっていうのもあるんです。デザインとかパソコン作業だったら、子どもを見ながらできるんじゃないかとか思い描いていたんですよ。 でも、どんなにフリーランスでやっていても無理だなっていうのは、子どもと密に関わらせてもらうようになって実感しました。子どものことが気になって集中力が途切れるとか、物理的に関われない時もありますし。 あと、さおたんの家族は僕にとって理想の形だったんです。お互いフリーランスで会社をやっていて、子どもの面倒を二人とも見られるっていう。でも間近で見聞きしていると、産後数ヶ月で復帰したり、手当てや育休が出ないこととか、大変なこともいろいろ見えてきたのはすごい学びでしたね。Photo via Cift血縁の「親子」は自ら選択することはできない。そして自分が育ってきた環境、自分の親との関係性以外に、親子の在り方、子育ての仕方を学べる機会は、そう多くはない。だからこそ、自分自身の家族をつくること、特に子どもをもつことへの不安を、抱きやすい。様々な「家族」と密に関わり、そのライフスタイルやパートナーシップの在り方、親子関係の育み方を間近に見ることができれば、私たちはもっと心のゆとりをもって、自分自身の”選択”をできるのではないだろうか。親以外の多くの大人と共に密に時間を過ごしていった子どもたちが、将来どんな選択をしていくのかも、いつかインタビューしてみたい。次回の連載もお楽しみに!CiftWebsite|FacebookMasaki Kudo(工藤正起)鍼灸師、デザイナー1993年生まれ、愛知県岡崎市出身鍼灸の専門学校卒業後、愛知県岡崎市にて鍼灸院を開業。その後ケニア、タンザニアに旅に行ったり、帰ってきてからはエコビレッジで畑などをやりながら自分で食べるものは自分で作る生活を体験したりする。現在は東京に拠点を移し、「健康をデザインする」をテーマに、個人宅、会社、趣味の場など個人それぞれにあったライフスタイルに入り込み施術をする。それぞれの健康の定義を明確にし、そこに向かい自分自身のカラダを感じ、理解し、人間本来の自己治癒力で自ら治っていく、そのお手伝いを施術として行っている。▶︎これまでのCiftの連載はこちら・#1 平和のための“ホーム”を渋谷につくる「建てない建築家」・#002 「人生が楽になった」。一児の母が39人の大人が住む家で子育てして気付いた“家族には正解はない”ということ・#003 “我慢と孤独”を抜け出した女性が「39人の家族」で見つけた、“ゆとり”を持ち寄ることで得られる豊かさ▶︎オススメ記事・性的、人種的、宗教的マイノリティのために「映画」で戦うふわふわガール。・#002 「家族」を壊して、「家族」を見つけなおす。| マイノリティに目を向ける。UNITED PEOPLE アーヤ藍の「シネマアイ」All photos by Shiori Kirigaya unless otherwise stated. Text by Ai AyahーBe inspired!
2018年04月22日こんにちはタニリサです。そんなこんなで自分の手足に生えた毛を恥ずかしい、と認識するようになってから10年以上経つが、あの頃から日々目にする脱毛広告の基本構造はさして変わっていない気がする。もちろん脱毛そのものが悪なのではない。多毛症に悩む人や、コンプレックスを持つ人にとって、プロによる永久脱毛は救いだ。それに、自分自身の追求する美の定義が体毛がないことなのなら、永久脱毛は美への近道だ。ただ、体毛があるとみっともないから、モテないから、という理由で高い永久脱毛をするように消費者を煽るのは間違っていると思うのだ。先述したように、脱毛広告で一番よく目にするのが、脱毛をすることで自信を得て、恋愛をすることができる、要は「モテる」ようになる、といったメッセージだ。消費者に、異性からの視線を意識するよう価値観を押し付けて、「ムダ毛がある=(異性から)モテない=女性・男性として社会から認められない」といった公式を作りあげ、恐怖心を煽り、永久脱毛という商品を消費するよう強制する。同じように、消費者の「社会の規範から外れてしまうのではないか」という恐怖を煽る構造のメッセージが、マナーやエチケットといった概念を打ち出したものだ。「ワキの甘い人は、全身甘い」なんてうまいことをいったようなコピーもあった。「わき毛の処理もできないようでは、社会からマナーのない女性だと思われてしまう、だから脱毛しましょう」というように脱毛を“女性に科された義務”のように騙っている。「モテ」だけでは売れない時代のフェムバタイジングと脱毛広告それでも、いくつかの女性向け脱毛広告を見ていると、「モテ」という言葉は以前に比べ身を潜めている気がする。代わりに台頭してきたのが、近年欧米で流行っている女性のエンパワーメントを促すメッセージを用いた「フェムバタイジング」の手法と、それにともなう「自信」というワードだ。フェムバタイジングとは、例えばP&Gの生理用品ブランドである Alwaysの広告に代表されるような、ジェンダー平等を訴えかけるフェミニスト的メッセージを盛り込んだ広告を指す。
2018年04月21日こんにちは。赤澤 えるです。思い出の服を持ち寄る連載『記憶の一着』、第9回です。たくさんの服が捨てられる世の中で、残る服って何だろう。それはどうして残るのだろう。それを手放す時ってどんな時…?服の価値、服の未来、ゲストのお話をヒントに考えていく連載です。本日のゲストはスタイリスト・清水文太くん。スタイリストとしての活動だけでなく、アート展示やZINE制作、コラム執筆など、アーティストやライター活動でも知られる彼。バイイングした古着や生み出したオリジナルグッズなどを並べたポップアップストアも、開催の度に注目されています。服への価値観や、想像を絶する壮絶な過去、マイノリティとして堂々と生きている現状について、包み隠さずありのままを語ってくれました。東京ファッションの最先端を生きる彼が選ぶ、「記憶の一着」とは?赤澤えると清水文太氏▶︎赤澤えるのインタビュー記事はこちら最悪な家庭環境の中で出会った『記憶の一着』とは赤澤 える(以下、える):『記憶の一着』について聞かせてください。清水 文太(以下、文太):このコートです。ANREALAGE(アンリアレイジ)というブランドのもの。これは高校生の時、初めてのバイト代で頑張って買いました。中学生の時にショーの写真や映像を見て感動して、その後たまたまANREALAGEのフラッグシップに行った時に好きになって。当時憧れだったブランドです。このコートは13万くらいなんだけど受注会の時に勢いで頼みました。える:文太くんの言う「お金が無い」っていうのはお小遣いが貰えないっていうレベルじゃないように聞こえる。文太:生活に困窮していてごはんを食べるお金も交通費すらも無い状況だった。学校まで電車に乗るお金もなかったから、往復5時間半もかかる道のりを毎日歩いて通っていました。教科書もなかったし、ごはんも交通費もなくて家も最悪だったし、もうどうすれば良いんだろうって思ってた。える:そんなに壮絶だったとは思ってなかった…。文太:その前も結構酷かったけどね。でも服が好きとか欲しいって気持ちはずっとあった。たまにもらえる500円を持って原宿まで歩いて行って、古着屋の100円コーナーで掘り出し物がないか漁ってました。俺がそういう状況っていうことがどこからか知られて、瞬く間に学校中に広まって、教科書をみんなが買ってくれたり、「お弁当1つ多く買っちゃったからあげるよ」とか言ってごはんを恵んでくれたり、そういうあたたかいこともあった。預けられたその家での生活は1年半くらい続いたかな。その後は、今住まわせてもらっている家。える:今の家にはどういう経緯で?文太:苦しかった時代によく遊びに行ってた家で、俺そこから歩いて帰る途中に体調を崩して倒れちゃったんです。救急車で運ばれるってなったけどそうすると警察に連絡がいく。そうなると児童相談所に行けって言われる。でも児童相談所には半年前に行ったけど環境が良くなった実感なんて少しも無くて信じてなかったんです。今住まわせてもらっている家の人は俺のことをすごく気にしてくれていて、児童相談所にも一緒に行ってくれていたから状況をよく知っていたの。その時はもう行く場所がないって思ったけど「家に住みなさい」って言ってくれて、迎え入れてくれました。える:物凄い苦難を乗り越えてきたんだね。文太:家でみんなでごはんを食べるとか、ベッドがあるとか脚を伸ばして寝られるとか、最初は変な感覚だった。苦しい思いをしたから有り難みが分かるのかなと思います。だから服を捨てるなんて考えがないのかも。そんな概念ないです。服を捨てたら俺、何のために生きてるんだろうって思っちゃう。そう考えると無駄にしてしまう人になってしまうよりこっちの方が良かったって思えますね。思い返すと本当にあの時は毎日苦しくて先が見えなかった。このコートはそんな環境なのにも関わらず必死に手に入れたコートだからこそ、思い入れが深いです。「今のファッションとリンクするか」って言われたらそうじゃないところもあると思うんだけど。他に持ってるコートも好きなんだけどね、これは違う。これだけは絶対に人に渡せないな。何をどうやっても好きになる対象って変えられないえる:この服をもし手放すとしたらどんな時?文太:もし、だよね?俺は子どもの支援をしたいと元々思っていて、俺が設立したその場所に集まった子から欲しいって言われたらあげるかな。それもポンってあげるんじゃなくて、その子が20歳になったらとかそう言うタイミングであげたい。える:文太くんは子ども欲しいって思う?文太:欲しい。俺は男同士で恋愛をする人、“ゲイ”だから今すぐは無理なんだろうけど、技術が進歩して俺と俺の彼氏の遺伝子を持った子どもができたら一番良い。純粋にそう思う。養子も考えたけど、引き取られた先が男同士のカップルってなったら、今の日本だと子どもが傷つくかもしれないよね。どう見られるかとか俺自身は気にしてないけど。養子に関しては、児童支援の夢が叶った場でそのくらいの気持ちを持って子どもと接することの方が俺には良い気がしてます。だから、俺の子どもなら俺の遺伝子でつくりたいかな。俺らの遺伝子でできた子どもだったとしても絶対何か言われちゃうだろうからもう仕方ないけどね。それに養子でも自分の子どもに変わりはないし愛せるから、養子も良いと思ってるけど。難しいね。まぁどうなったとしても、俺は色々な面において全てに責任を持って子どもを育てたい。今の気持ちを素直に話すとそんな感じかな。もしかしたら将来異性愛者に変わるかもしれないし。える:私の友達にも同性同士の恋愛をしている人が何人かいるけど、みんなそれぞれ少し苦しそうな印象を受ける。色々なところにハードルがあるというか。海外でもラクなことではないだろうけど、日本国内では特に窮屈そう。ただその人を愛してるってだけなのに変なのって思う。同性同士の恋愛を理解できないっていう人の言っていることも全てわからないわけではないけど、人が人を好きっていうことに必要以上にルールがあるのってやっぱりおかしい。不倫しているわけじゃないんだし。文太:日本じゃ結婚もできないしね。どんなに愛し合って長年一緒にいても、入院しても面会する権利がないとか、親族として何かに参列することにも権利がないとか、そういう現状。パートナーシップ制度みたいなのもあるけど、何故か結婚するのに金がかかったりする。金?俺らだって男女のカップルと変わらない人間同士だけど?って思う。でもこれは日本だけじゃないから、今は我慢時かなって感じ。海外の歴史ある有名ブランドが同性同士のキス写真を使った時にものすごい数のヘイトコメントが来ていて、それを見て日本だけじゃなくて世界的に難しい問題なんだと思った。こういうのって社会全体の意識が変わっていかないとなかなか解決しない。だから俺もこういうことを隠さずに仕事したり、今こうやって答えたりしてるんです。清水文太=ファッションじゃないえる:これからの仕事でやっていきたいことってある?文太:俺、別に服だけにこだわってないんですよね。だから服と農業とか、服と児童福祉とか、そういうリンクの仕方で仕事を続けたい。今はまず顔を売りたい。そうじゃないと次に繋がらないから。「清水文太=ファッション」じゃなくて10年後は違うことをやってても良いって思ってるから、あまり難しく考えていないです。える:農業とか、その発想はどこから生まれてくるの?文太:農業は、通ってたのが農業高校だったし園芸部で畑に関わることをやっていて面白いと思ったからかな。あと、スタイリングさせてもらっている「水曜日のカンパネラ」のコムアイが元々そういうことをやってたから詳しくて、単純に食べ物を自分で作ってみたいなって思っていて。児童福祉は、自分の家庭環境が悪かった経験から。俺の働き方や形態も特殊だから色々参考になったら良いな。正社員っていう働き方がまだまだ世の中的に強いけどそうじゃない働き方っていっぱいあるし。こういう働き方をしていても、こういう恋愛やファッションをしていても、家が借りやすいとか暮らしやすいとかそういう日本にしていけたら良い。マイノリティでも普通に生きられるっていう選択肢を増やしたい。「文太さんのおかげで毎日頑張れてます」って言ってくれる人がたくさんいるから、その人たちのためなら何でも頑張れるって思います。える:しかもそういう人の中にもファッションが好きな人は確実にいて、モノを大切にする人だってちゃんと存在するんだよね。文太:そうそう。日本の給料が上がるか、良いとされているものがもう少し手に取りやすくなるか、どっちかしかないのかも。どちらにしても俺は“服を捨てる”って行為が嫌。単純に勿体無いし、他の選択肢ないの?っていつも思う。「服はゴミじゃねぇんだよ」って思う(笑)せっかく自分の元に迎えたんだから、捨てるくらいなら集めて何か作っちゃいなよって感じ。捨てるっていう行動が無駄すぎる。そういう意味ではファストもハイも一緒。もっと買い方から考えなよって思います。える:最後に1つ質問。文太くんは自分のブランドを作りたいって思う?文太:思うことはある。けど、今は色々経験しておきたい。経験していく中でその構想が1つにまとまっていけば良いし、そうやって1ランク上にいけたら理想だよね。良い大学、良い企業、っていうことだけがステータスっていう風に思っている人たちと真逆にいるし、俺は色々な意味でマイノリティ。俺はもうあまり気にしないけど世の中の人はそうじゃないから、俺がどんどん経験値を増やして前に進んでいく姿で勇気付けられたら今は一番良いと思います。Eru Akazawa(赤澤 える)Twitter|InstagramLEBECCA boutiqueブランド総合ディレクターをはじめ、様々な分野でマルチに活動。特にエシカルファッションに強い興味・関心を寄せ、自分なりの解釈を織り交ぜたアプローチを続けている。また、参加者全員が「思い出の服」をドレスコードとして身につけ、新しいファッションカルチャーを発信する、世界初の服フェス『instant GALA(インスタント・ガラ)』のクリエイティブディレクターに就任。▶︎これまでの赤澤えると『記憶の一着』・#008「未来の自分が納得できる服が欲しい」。25歳のアーティストが“ただ可愛い服”よりも、古着が好きな理由・#007 ガールズバンド「suga/es」佐藤ノアの『記憶の一着』・#006 マカロニえんぴつ はっとりの『記憶の一着』・#005 読者モデル 荒井愛花の『記憶の一着』・#004 音楽家 永原真夏の『記憶の一着』▶︎オススメ記事・「無条件で子どもを愛してあげて」。10歳のドラッグクイーンと母に学ぶ“自分らしく生きることの大事さ”・“平和ボケ”の日本人へ。社会がいう“正しい答え”ではなく、自分にあった答えを探すための冊子を作る若者All photos by Ulysses AokiText by Eru AkazawaーBe inspired!
2018年04月20日池尻大橋の“新店舗”からこんにちは!ALL YOURSというお店でDEEPER’S WEARというブランドを取り扱っている、木村 昌史(きむら まさし)がお送りします。今回は「お店」という視点で僕自身が3年半ブランドを運営して感じたこや、僕なりの考えを書きます。これは、新しくブランドを始めたい。とか自分で物販ビジネスを立ち上げたい。って人たちの参考になれば嬉しいと思っています。余談ですが、これは先日開催した Be inspired!との共同イベント『(un)TREND』もそうです。あのイベントに参加したいブランドを増やしたい。新しいブランドが生まれて、選ぶ選択肢が増えるって、いいことだと思うから。なにか良いものがないか?あてもなく探して歩くようなウィンドウショッピングをしている人は今や絶滅危惧種。出会い頭の衝動買いってのはもちろんあるけれど、今は行きたいお店、入るお店だってあらかじめ検索してから来ている人が多いはずだ。じゃあオンラインのみで頑張る!といっても検索されなきゃ購入されない。特に物販で洋服売っていると、「実物が見たい」「サイズがわからない」など、実物を見られる環境がどうしても必要になってきます。オンラインオンリーで始めても、結局リアルの重要性を直視させられます。やはり初期段階では知名度をあげなくちゃいけないから、お客さんとの接点を作っていくことが一番重要。それを実現するための機会が「POP UP STORE」なのです。3年近く、POP UP STOREを繰り返した。ほぼ毎週のように、各地を転々と動き回った。売れないバンドのように、スタッフと機材を積み込んで。そこで出会った人たちは、かけがえのない友人たちだ。出会いがきっかけで意外なプロジェクトに繋がったりもしている。そんな人たちが今の僕らを支えてくれていると言っても過言ではない。場数を踏んだことでイベントにも慣れて、ほぼどんな立地条件でも対応できる底力がついたし、それなりにローカルの特徴を知ることもできた。ただ、POP UP STOREの限界点も同時に感じた。「お店は誰のもの?」を考えるお店。リアル店舗の最も重要なことは販売じゃない。それはブランドを表現する一部分に過ぎないのだ。そのブランドの姿勢を発揮し、そこで行われる全てのサービスがブランドらしさを表現するもの。ブランドとのコミュニケーションを重視した場を作りたいと思っています。そこで考えたオールユアーズの店舗コンセプトはこんな感じ。①フラットな場であること(全部見せる)②リンクする場であること(つながる)③シェアする場であること(おすすめする)①フラットな場であること(全部見せる)僕らの考えに共感してくれる人たちにとっての「公共の場」でありたい。「お店は誰のもの?」という問いを僕は最近サービスを考えるときに起点にしています。よく考えるとお店は不思議な場所です。事務所は会社とそのスタッフがいれば成り立つ。でも、お店は「お客さん」が入ってきてくれて、初めてお店になる。お客さん=第三者がいないとお店じゃない。契約しているのは僕らなので、権利としては僕たちオールユアーズのものなんだけど、それだけじゃ成立しない。新店舗は、1階がお店で、2〜3階が事務所なのですが、お店だけじゃなく事務所にも遊びにこれるように、オフィスを解放する日を作ります。それは僕らが働いている現場を見てほしいから。どんな場所でプロダクトが生み出されているか、その心臓部をお見せします。敷居が低くてお茶のみにくるような場所。そして“買う”以外に遊びにくる理由がある「友達の家のリビングのような場所」であり「フラッと立ち寄れる場所」を作ります。②リンクする場であること(つながる)人をつなぐ場所としてのお店。ここに集まる人たちのコミュニティを促進するための場を作ります。偶然の出会い。新しいアイデアが生まれる場。そのために移転する店は一軒家にこだわりました。「同じ釜の飯を食う」コミュニケーションの触媒に、これ以上強いものはないでしょう。一軒家の機能をフルに活かしたコミュニケーションの場を作ります。『おーるゆあーず食堂』や『宅飲みおーるゆあーず』など、一緒にご飯食べたり、お酒飲んだり、お店とお客の付き合い以上のコミュニケーションを生みだすコンテンツを連発していきます。(※料理振る舞いたい!って人も募集中です!)③シェアする場であること(おすすめする)僕らが考える、オススメできるものを仕入れたり、場合によっては僕らのお店でPOP UPができる状態を作ります。店舗のスペースを独り占めするんじゃなくて、解放する部分を作って共有していく。世の中には素晴らしい製品がたくさんあるし、それを紹介していくのも僕らのビジョンです。価値観の近い似たような思想を持っているブランドやお店をお誘いして、うちのお店で販売したいし、出店してほしい。特に無店舗のブランドさん、ローカルのお店さんに出店してもらうようなことが出来たら面白いと思っています。「シェア=共有」することで、新しい価値や、思ってもいないメリットが生まれるのは、インターネットが証明してます。価値観も物理的なスペースもシェアしていくことで生まれる偶然性を生み出す「場」としてお店を運営していきます。お店は販売場所でもあるけれど、販売はオンラインでもできるし、お店にオンラインと同じような機能を追求してもあんまり意味がないかなって思うからです。「フラット、リンク、シェアなお店づくり」をテーマに、みんなで新しいお店を作っていきましょう。店を運営していくにつれて、誰のものなのかわからなくなってくるような、そんな参加型のお店を目指します。ぜひご一緒に協力してくださると嬉しく思います。ALL YOURS新店舗情報4月23日(月)〜4月26日(木)プレオープン、4月27日(金)オープン住所:〒154-0001東京都世田谷区池尻2-15-8電話番号:03-6413-8455営業時間:(平日)15:00〜21:00 (土日祝)12:00〜20:00定休日:月曜日ALL YOURSWebsite|Web store|Blog|Facebook|Instagram|Twitter|FlickrDEEPE’S WEARWebsite服を選ぶとき、何を基準に選んでいますか。天候や環境を考えて服を選ぼうとすると、着られる服が制限されてしまう。そんな経験ありませんか。そこで、私たちDEEPER’S WEARは考えました。服本来のあるべき姿とは、時代・ライフスタイル・天候・年齢・地理など、人ぞれぞれの環境や日常に順応することではないだろうかと。あなたの持っている服は、どれくらいあなたに順応していますか。服にしばられず、服を着ることを自由にする。人を服から“解放”し、服を人へ“開放”する。このDEEPER‘S WEARの理念を可能にするのが、日常生活(LIFE)で服に求められる機能(SPEC)を追求した日常着(WEAR)、「LIFE-SPEC WEAR」なのです。DEEPER’S WEARはALL YOURSが取り扱うブランドです。▶︎これまでのALL YOURS木村のLIFE-SPECの作り方・#014 ファッション業界が作るトレンドって必要?「洋服に必要なもの」について考えるイベントを開催します・#013 “環境にいいゴミ作り”はやめよう。オーガニックコットンを使う前に服を作る人が知るべき、もう一つの手段・#012 8ヶ月で3600万円を調達。“イカれた男”が教えるクラウドファンディング成功のための「3つのヒント」・#011「高機能の服を売っても、つまんない」。機能よりも大切な“生活にフィットする余白”を持つ服を作る男・#010「試着のためならどこでもいきます」無名ブランドが既存のマーケットに頼らず“熱狂的ファン”を作れた理由▶︎オススメ記事・使わなくなった毛皮製品を仕立て直す男が、いくら“社会にいいこと”でも「押し付けでは意味がない」と考える理由・「ゴミを作っている感覚だった」。大量生産・大量消費の服作りに疑問を抱いた男が立ち上げたアパレルブランドCover photo by Jun HirayamaText by Masashi KimuraーBe inspired!
2018年04月19日「好みが細分化した時代」と言われて久しいが、自分と似たような考えの人たちとばかり付き合っていないだろうか。たとえばストリートカルチャー好きはストリートカルチャー好きと、サーフカルチャーが好きな人はサーフカルチャー好きと、といったように似たような志向の人たちと集まりがちかもしれない。人がどうしてそんな関係を選びやすいかというと、共通の認識があれば話が早いし、意見の衝突が比較的少ないから。そのほうが楽に生きられるといえば、その通りかもしれないが、それが続いていくとコミュニティ同士の分断が進み、それぞれの対話が不能になってしまわないだろうか?「放射能汚染の実際の規模とか東京電力のこととか、情報を出してても、実際のところどうなのかわからないじゃないですか。それがいやだったので17、18歳くらいからテレビは見てないです」。そんなわけでテレビは一切見ないという彼だが、情報の発信元(フォローする人)を選べるSNSは使っているし、インターネットも時にチェックする。だが、それでは狭い視野でしか物事をとらえられなくなってしまわないだろうか。しかし彼の場合は違った。スペースを似たような価値観の人ばかりの“共感コミュニティ”にしないことを念頭に置いていたからだ。自分と似たような系統の人ばかり集まっていたら、イエスマンだらけですから。多様な人たち、こいつとは考え方合わないなってやつを積極的に呼んでました。自分はそれこそ行動が基本的に論理に基づいてないんですよ、だからもう超理屈的な当時映画評論をやっている人とか文章寄稿をずっとやり続けてきた人とかを呼んで下手くそなコミュニケーションを交わして、お互いを理解していったみたいなそんな場の運営も、彼が20歳のときに終了。だが、そのとき持っていた建設的な考え方は現在のギャラリー運営にも通ずるようだ。(*1)ギャラリーを持ち、価値を定めた作品の展示と販売を行う職「公共性のあるスペース」のない東京都市が公共性をなくしている、たとえば道の通りかたみたいなルールは「歩く」か「止まる」の二通りしかないし。今新しい条例でさ「みだりにうろつかない」みたいなことが規制対象に定められて。それじゃ散歩で捕まりますから壁を白く塗っただけのギャラリーが多い東京には「公共性のあるスペース」の少なさ以外にも、作家が自分や作品を売り込んでいくコマーシャルギャラリー*2の数が作家の数と比べて圧倒的に少なく、また多くのギャラリー自体が日本のライフスタイルにあっていないという問題があるという。美大生は毎年たくさん生まれてきますが、彼らがプロになって作品を売り出していきたいって言っても、手段がないわけですよ。バンドマンにはライブハウスがあって、DJにもクラブとかがあるわけじゃないですか、今現代美術家って呼ばれる人たちには、その宣伝媒体が圧倒的に少ないんですよ。だからレンタルギャラリーはまだ消えないんです。レンタルギャラリーは楽ですしね、ただ物件を借りて壁を白く塗ればいいですからね日本人って、誰もが知っている外国の著名人が購入するアーティストの作品は「あ、投機性があるんだ」ってみんなこぞってその作品を買うようになったりします背景にあるのは、盲目的な外国に対する“信仰心”とも呼べるものではないだろうか。日本に外国のもの、それも西洋に対する憧れがないといったら嘘になる。その憧れゆえに、盲目的にたとえばアメリカの人が選んでいるからいいと考えてしまう人が存在するのだ。そのような考え方があるから「いくらお金も選択肢もないアーティストを志す若者でも、成功してお金を手にしたら外国へ“移民”してしまう」と佐藤氏が嘆くような事態にもつながっているのかもしれない。その「移民化」を食い止めることは、実際のところ簡単でないが、還元先を日本にしてくれる・日本の特異性のある表現を続けていきたい人を仲間に、現代日本の様相を反映したシーンを作っていくことで、TAVを過去の時代の美術史に引けを取らない「2010年代の日本のリアルタイム美術史」をアーカイブできるようなギャラリーにしていきたいというのが彼の思いだ。TAV GALLERYWebsite|Twitter|FacebookTAV GALLERYは、東京・阿佐ヶ谷にある現代美術ギャラリーであり、2014年の開廊以来、未開の表現と、それを生み出す人々のプラットフォームを使命に掲げ、日々生まれる新たな潮流の兆しを積極的に取り上げています。▶︎オススメ記事・「西洋の真似だと芯が弱い」。東京に和菓子カフェを開いた28歳の女性がトレンドよりも本物を追求する理由・「建国記念の日」に合わせ、日本の“国家主義/全体主義”をテーマにした現代アートが阿佐ヶ谷に集合All photos by Keisuke MitsumotoText by Shiori KirigayaーBe inspired!
2018年04月18日こんにちは。赤澤 えるです。思い出の服を持ち寄る連載『記憶の一着』、第8回です。たくさんの服が捨てられる世の中で、残る服って何だろう。それはどうして残るのだろう。それを手放す時ってどんな時…?服の価値、服の未来、ゲストのお話をヒントに考えていく連載です。本日のゲストはアーティスト・MICOさん。エレクトロポップユニット“ふぇのたす”のボーカル“みこ”としてメジャーデビュー後、2016年4月より“MICO”名義でソロプロジェクト“SHE IS SUMMER(以下、SIS)”を始動。『とびきりのおしゃれして別れ話を』のミュージックビデオの再生回数は約200万回を誇ります。ガーリーな印象を与える独自の世界観で観る者を惹きつけ続けている彼女が選ぶ、『記憶の一着』とは?MICOさんと、赤澤える▶︎赤澤えるのインタビュー記事はこちら最後の瞬間を彩った『記憶の一着』とは赤澤 える(以下、える):『記憶の一着』について聞かせてください。MICO:3年間活動していたバンド「ふぇのたす」の解散ライブで着ていた衣装を持ってきました。23歳の時かな。もうそんなに経つかぁってかんじ。バンドを解散するって決まって、どういう風に解散するかっていうのを決めずに「解散」っていう結論だけが先に出たから、最後ライブするの?ってところから話し合ってたなぁ。3年間活動していたバンド「ふぇのたす」の解散ライブで着ていた衣装える:なんとなくだけど覚えてるよ。その時はまだMICOちゃんと友達じゃなかったけど、解散のニュースを知った時は本当にびっくりした。解散することが公になってから本当に解散するまでが一瞬だったような気がする。MICO:そう、解散発表から解散ライブまでの期間が短くて本当にギリギリだった。ライブハウスのスケジュールもなかなか空いてなかったけど、なんとか新代田FEVERを押さえられたの。最初は夜公演だけのつもりだったんだけど即完しちゃったから昼も追加公演したんだ。今日の撮影は思い出の場所で…ということだったから、その新代田を選びました。える:なんだか懐かしいね。じゃあこれは2回ステージに上がった服ってことか。MICO:そうだね。1日で2回の解散ライブをした服。これはバンドグッズのリメイクなの。グッズは最初のうちは私の手書きで作ってたんだけど、メジャーデビューしてからはロゴをデザイナーの方に作ってもらっていて。でも最後は初心に返るというか、最初にやっていたことを大切にしようってことになって、当初のやり方でグッズを作ったの。これは解散するって決めてから作ったんだ。える:大切に持ってるんだね。MICO:私、今までの衣装は全部持ってるよ。グッズも。大切だからね。える:じゃあ、この服をもし手放すとしたらどんな時?MICO:え…!そんなこと考えられない。自分からは手放すつもりはないかな。卒業アルバムみたいなものだと思うんだよね。でも、どのアーティストもそうだと思うんだけど、衣装って一度ツアーとかで着たらもう着れないというかもう一度着ることはないと思う。それはどうにかできないかなっていつも思うんだけど、あげるのも捨てるのも売るのも無理だもん。える:そうだよね。日常で着る服も捨てられないタイプ?MICO:捨てることはあまりないかな。服は元から大量買いするタイプじゃないけど、入れ替えは激しい方かもしれない。友達からもらったりすることも多いし、誰かにあげることも多い。解散ライブ当日の楽屋でのMICOさんの写真解散についての、本当のことえる:解散ライブで着ていた衣装ということだけど、解散した時の話を聞かせて。MICO:うーん。あの時のことは言葉にするのが難しくて、2年かかってやっとブログに書けたんだ。思い返せば、今まで通り今できる一番最高のライブをしようって思ってたし、お客さんからも「二人がいつも通りで救われた」って言われた。える:これを読むまではMICOちゃんは隠して生きているのかと思ってたよ、正直。聞いちゃいけない感じもしてた。大切な人が亡くなってしまっているわけだしね。MICO:そうだよね、みんなにそう思われているだろうなって思ってたよ。でも私は、本当に大事なことだったからこそSNSに簡単に書けなかったの。かと言って他に話せる場所もないし、みんなに隠し事をしているみたいでなんだか気持ち悪かった。でもこのブログを書いたらみんながほっとしてくれて、「聞けて良かった」って言ってくれる人もいた。える:解散ライブ当日はどうだった?MICO:私の中では解散=悲しいことではなくて、自分でちゃんと決めたことだったし前に進むためのことだった。逆に解散しないことの方がその場に立ち止まっているっていうことな気がしたの。だから最後のライブでは、解散についてのことは話さなかったんだよね。変かもしれないけどこれを着ている時の私は生き生きとしていたよ。ちゃんと自分で歩けてるし、これからも歩いてく!って。音楽をやめようかなって思ったえる:解散を決めた時って、次の音楽活動をするつもりはあった?MICO:次に何をしようって考えて解散したわけじゃなかったし、なんならここから歌わないっていう選択肢もあるのかなって思ってた。積み重ねてきたことでもこんなに一瞬でなくなっちゃうなんて、こんなことあるんだな…って呆然としてしまって。また積み重ねてもなくなっちゃうのかなって思ったりもした。える:そういうことを思ったのは初めて?MICO:私はバンドをやる前から音楽活動をしていて、その頃も何度か音楽をやめようかなって思ったこともあったりしたんだけど、やめている時ほど家で歌を歌ってしまっていて。結局歌が好きなんだなって。解散した頃も本当は「バンドをもう一度やりたい」って気持ちがあったと思う。バンドやる前は自分のことがすごく嫌いで、自分を変えたいと思っていて、バンドを始めてから自分の中にないキャラクターに出会えて。それが自分に馴染んできて、ある意味そっちが本当の自分だったのかもって思えてきて。だからまずは本当の自分というものをもう一回フラットに探すところから始めようって思って探し始めた。今までにやったことがないことをやってみようって思ったの。える:具体的にはどんなことを?MICO:海外に行ったことがなかったからロンドンに行ってみたり、とにかく今まで食わず嫌いしていたものとかやってこなかったことに挑んでみようって。それは小さいことでも良くて、定食を選ぶ時も「自分って本当はどっちが好きなんだろう」って向き合ってみるとか、そういうこともしてみた。える:新鮮に、丁寧に、生活していくってイメージかな。MICO:そうかも。友達の食べてるものが良く見えたり、誰かが着ている服の方が可愛いなって思ったりすることってあるでしょ?今自分が選んでいるものが自分らしくないなら、それは本当の自分じゃないのかも。憧れているものが本当の自分なのかもって私は思ってて。そういうものに自分が一歩でも近くためにまずはたくさんのものを見たいって思った。える:自分探しに近い感覚かもしれないね。MICO:次の活動はどうなるの?って心配してくれる人たちもいたからなるべく早く伝えたいって思っていたけど。SISの最初の頃はかなり手探りだった。2nd EPを出したあたりでやっとSISってこういうものだって確立できた気がする。それは自分に向き合う時間を作れたからかもしれない。2nd E.P.「Swimming in the Love E.P.」収録『出会ってから付き合うまでのあの感じ』MV※動画が見られない方はこちら外見は、今の私にとっては一番大事なことじゃないえる:「MICOちゃんの世界観が好き」って声をSNSとかでよく見るけど、それはどこで培われたと思う?MICO:お母さんの影響が強いかなぁ。お母さんは服が好きな人で、小さい頃から色々な可愛い服を着せてもらってた。小さい頃の子供服でもまだ持ってたりするの。それを持ってきても良かったなって思えるくらい大切に持ってる。える:それも見たいなぁ。MICO:お母さんには「女の子はお洒落で可愛いことが一番良いこと」って教えられてきたんだ。中身の可愛さっていうより、純粋に見た目の可愛さがまず大切だよって。その教えのもと育てられてきてそれを信じてきたんだけど、ここ数ヶ月、人生で初めて “お洒落をする”っていうことに興味が湧かない期間があったの。こんな気持ちになるのは初めて!える:何があったの?MICO:自分を見つめてみて、お洒落をするということ以外に大切なことってあるって思ったのが大きいかも。母は“モノが大切”ってタイプだから、旅行に行くよりも可愛い服を買って何回も着ようっていう考え。でも私は、旅行する方が一生残る思い出になるよなって思ったの。ロンドンに行った時に思った。これは一生忘れないなって。える:どちらも正しい考え方ではあるけど、割と対極の考え方に変わるってすごいね。MICO:今ちょうど自分の中でのモノの選び方とか価値観が変わっていってるのかな…って。最近は服が全然買えなくなった。どれも欲しいと思わなくなっちゃった感じ。何が揃えば自分は「この服なら大切にできる」って確信を持てるのかまだわかってなくて。どの服を買ってもどんな服を着ても何年か経ってその写真を見ると「すごくダサい!」って感じてしまって、それがもう嫌なの。服を選ぶ時に「2年後の自分が見たらダサいんだろうな」って思ったら何も選ぶ気力がなくなっちゃう。える:その時その時で可愛いと思うものが変わっていくのって悪いことじゃない気もするけどな。MICO:未来の自分も納得したいって思ってるのかもしれない。今は外見のイメージにほとんど興味がなくなってしまってる。可愛いということは意味がないことではないけど、今の私にとっては一番大事なことじゃない。SISが始まった時って私はもっとガーリーなものが好きだったし、写真とか映像とかで作品を残していくことが好きだったから結構衣装らしいものを着ていたけど、もしかしたらそういうところが変わっていくかもしれない。える:新しいね。一皮むけたらどうなっちゃうんだろう!MICO:こんなこと初めてなの!この気持ちは何度か文章にしてみようとも思ったけどまだ答えが出ていないから書けないでいるんだ。でもね、やっぱり古着が好きかもって思う。こういう服なら今の私をちゃんと表現できるんじゃないかなっていう気持ちで古着屋さんを見てる。その気持ちにフィットすれば好きだと言えるかな。える:お洒落や可愛くいることに興味が薄れている今でも、それをキャッチする心はちゃんと動いているんだね。MICO:その日の自分を表現するためのものとして捉えているんだと思う。着飾るってことと表現するってことは私の中では別。表現は意思表示。今はそういう意味で服を選んでるんだと思う。“思い出の服の祭典”出演にあたって思うことえる:最後にもう1つ。この連載は、SHE IS SUMMERが出演してくれる『instant GALA 〜思い出の服の祭典〜』に連動しているんだけど、MICOちゃんは4/22当日どんな服を着て来るの?MICO:まだ悩んでる!どうしようかな。えるちゃんは?える:当日までのお楽しみということにしておこうかな。MICO:私もそうしよう。ドレスコードが“思い出の服”のイベントって、新しいよね。楽しみだな。Eru Akazawa(赤澤 える)Twitter|InstagramLEBECCA boutiqueブランド総合ディレクターをはじめ、様々な分野でマルチに活動。特にエシカルファッションに強い興味・関心を寄せ、自分なりの解釈を織り交ぜたアプローチを続けている。また、参加者全員が「思い出の服」をドレスコードとして身につけ、新しいファッションカルチャーを発信する、世界初の服フェス『instant GALA(インスタント・ガラ)』のクリエイティブディレクターに就任。▶︎これまでの赤澤えると『記憶の一着』・#007 ガールズバンド「suga/es」佐藤ノアの『記憶の一着』・#006 マカロニえんぴつ はっとりの『記憶の一着』・#005 読者モデル 荒井愛花の『記憶の一着』・#004 音楽家 永原真夏の『記憶の一着』・#003 モデル 前田エマ の『記憶の一着』・#002 れもんらいふ 千原徹也の『記憶の一着』▶︎オススメ記事・「自分の好きな自分でいると、自信が持てる」。イケメンな彼女に聞いた、“モテるファッション”への違和感・「好き」を仕事にするから成功する。ポートランドが教えてくれた「人間らしい働き方」とは。All photos by Ulysses AokiText by Eru AkazawaーBe inspired!
2018年04月17日