Be inspired!がお届けする新着記事一覧 (7/30)
2017年4月28日に渋谷にオープンした複合施設、「SHIBUYA CAST.」。都会のど真ん中にあるこの場所で、血縁にも地縁にもよらない「拡張家族」になることを目的に、共に暮らし、共に働く集団がいる。名前は「Cift(シフト)」。現在のメンバーは39名。半数以上が起業をしていたり、フリーランスのような形で働いている。ファシリテーター、弁護士、映画監督、美容師、デザイナー、ソーシャルヒッピー、木こり見習いなどなど、全員の肩書きを集めると100以上に。大多数のメンバーがCift以外にも、東京から地方都市、海外まで、様々な場所に拠点を持っていてその数も合わせると100以上になる。メンバーのうち約半数は既婚者で、何人かは離婚経験者。2人のメンバーはパートナーや子どもも一緒にCiftで暮らしている。そうした“家族”も含めると、年齢は0歳から50代にわたる。バックグラウンドも活動領域もライフスタイルも異なる39人が、なぜ渋谷に集い、なぜ「拡張家族」になることを目指しているのか。本連載では、CiftのメンバーでありこれまでにBe inspiredで記事の執筆もしてきたアーヤ藍が、多様なメンバーたちにインタビューを重ねながら、新しい時代の「家族」「コミュニティ」「生き方」を探っていく。アーヤ藍Photo by Jun Hirayama第2回目は、「ものづくり系女子」として、執筆・講演活動やイベント企画、広報等の仕事を手がけている神田 沙織(かんだ さおり)さん。Ciftのなかでも、季節を感じさせるオーナメントを作ってくれたり、ユニークなイベントを次々と仕掛けています。Ciftの部屋は他の3人のメンバーとのシェアルーム。起業のパートナーでもある夫と1歳半の息子さんも一緒に、家族ぐるみでCiftでの暮らしを刻んでいます。神田 沙織さんPhoto by Jun Hirayama「自分の気持ちに嘘をつきたくない」。元丸の内OLから起業アーヤ藍(以下、アーヤ):まずは、さおたん(神田 沙織さんのこと)が今やっている「ものづくり系女子」について簡単に教えてもらえる? 神田 沙織(以下、神田):「かわいいものはかっこいい技術でつくられている」をキャッチコピーにしていて、かわいいっていう感性のものをかっこいい技術でどう実現していくか、逆に言うと、かっこいい技術を知っていれば、自分なりのかわいいものを作ることができる!っていうのをテーマにやってる。東京・神田に「Little Machine Studio」っていう場所をかまえていて、そこで個人向けの3Dプリンティングサービスをやっていたり、3Dプリンターに関する本を出したり、講演活動もやっていたりするよ。東京・神田の「Little Machine Studio」の様子アーヤ:始めたきっかけは? 神田:大学卒業後、最初に入った会社が3Dプリンターの製造コンサルをやっていて、そこに今の「ものづくり系女子」のきっかけがあるかな。 …とはいえ、当時は大真面目だったけど、今考えるとしょうもない理由で就職したんだけどさ。私、大分県南部にある港町の田舎で生まれ育って、そこから日本女子大に進学して、「女子大生」っていう肩書きみたいなものを満喫していたんだよね。それで「女子大生の次はじゃあ丸の内OLかな」って田舎者のミーハーな発想で(笑)。その頃ちょうどできた新丸ビルをリクナビで検索して出てきた会社を受けたら、そのまま通ったっていう。入社したら「営業やって」って言われちゃって…。 アーヤ:外回りだと丸ビルに居られないじゃん(笑)。 神田:そうなんだよね(笑)。私が就職したのが2008年で入社した年の冬にリーマンショックが起きたから、飛び回ってた営業の人もずっと会社にいるようになって。「じゃあ社内で何かしよう」って提案した新規事業が3Dプリンターを使った個人向けサービス。それまで個人向けは金額が小さいからやらなかったんだけど、リーマンショックの影響もあって「やってみろ」って言われて。Photo by Jun Hirayama私ずっと、田舎の狭い世界に生きづらさを感じて、ヤンキーみたいにすかして生きていたし、中学校の時にハマったL’Arc〜en〜Ciel(ラルクアンシエル)以外、夢中になったものって基本なかったんだけど、そのプロジェクトを任されてから一気にギアが入って、人生で初めて一生懸命になったんだ。毎日終電まで働いて、電車がなくなったら歩いて帰って、翌朝7時に起きてタクシーですぐ出社する…みたいな。 そんな風に4年くらい働いていくうちに転職もして「ものづくり系女子」として個人で執筆や講演の依頼をもらうようになったんだけど、転職先のボスから「お前、会社で働いているんじゃないのかよ。自分を売りすぎ」って言われてね。 会社員をしていると所属している企業や集団にとって良い回答をしないといけないじゃん。でも自分がやりたいこととかを聞かれたときに、自分が一番良いって思う回答をしたいし、自分の気持ちに嘘をつきたくはない。それで辞めちゃったんだよね。 そこから、ものづくり系女子とか3Dプリンターは、仕事ではなくて「自分ごと」にしようって決めたの。そこからアパレルプレスを経て、当時結婚2年目の夫と起業して今に至る…っていう感じかな。1日限定で、Ciftの自室を友人のファッションブランドのショールームにしたことも。Ciftで暮らし始めて、人生が楽になったアーヤ:Ciftに入ったきっかけは? 神田:もともとCiftのファウンダーであり、コンセプターであるけんちゃん(藤代 健介さんのこと)が家族みたいなものだったんだよね。Ciftの前身的なコミュニティ「PROTO(プロト)」にも私は入っていたし。夫もけんちゃんたちと会社を立ち上げているしね。▶︎コンセプター 藤代 健介さんインタビュー記事はこちらからアーヤ:Ciftに入ってみてどう? 神田:人生が楽になったよ。子育ても含めて、人生全体が楽になった。小さい頃から人並み外れて”好き放題”やるタイプで、社会人になってからもそうだったのに、ここ数年は無理していたなって、Ciftに入ってから気づいたんだよね。 アーヤ:無理? 神田:ひとつには、会社をやっていると、年単位で成長させていかないといけないし、そのための戦略や計画を立てないといけない。私、それまでは「1年後に予想もしないようなことをしていたい!」っていう性格だったから。真逆の発想というか…。 もうひとつは「いいお母さんになろう」って頑張ってた。子育てにいい環境とかもすっごく気にしてて、生まれる前から全寮制の私立中学とか調べてたくらい(笑)。子どもが産まれてから、ずっとブレーキをおろしたまま走り続けているような感覚だったんだよね。そのブレーキは世の中の“ふつう”みたいなものを内面化し過ぎたものだと思うんだけど。普通産後はこれくらい休むでしょ、とか、ふつうのママは…みたいなプレッシャー。別にそういうことを直接言われることってほとんどないし、気にしているのは自分自身でしかないんだけど。でも同じようなブレーキを、子育てという正解もないし答え合わせもしづらい営みの中で、どんなママでも、働き方を問わず、働いていなくても、感じているんじゃないかなと思うよ。アーヤ:そのブレーキから解き放たれたのはCiftでの暮らしが影響してる? 神田:Ciftに誘われた時、まだ子どもが生まれて間もなかったから、最初は迷ったんだよね。でも、けんちゃんから「子どもごとおいでよ!子どもは障壁にならないよ?」って言われて、ハッとしたんだ。未経験の子育てという一大事業への恐れを感じていたこととか、その恐れからブレーキをかけていたんだなって。だから、Ciftに入る決断をしたこと自体がひとつの解放だった。そしてCiftで暮らす日々のなかでも、解放のプロセスを実践しつづけているような感覚がある。 アーヤ:「子どもがいるから…」って遠慮してブレーキをかけることって、確かに周りのお母さんたちと接していても、結構あるような気がする。まだ1歳半の子どもさんにとっては、Ciftのメンバーってどんな存在にこれからなっていくと思う? 神田:それは私もぜひ息子にインタビューしたい(笑)。彼が名前を覚えて懐いているCiftメンバーは何人もいるし、最近は朝、共用キッチンで朝食をとるときに「だれか、いるかな?」って言いながら歩いて行ったり、保育園から夕方Ciftに帰る日は、「みんな、いるかな?」って足をぴょんぴょんさせていたりして。彼の中にもCiftでの暮らしや、Ciftの家族と紡いでいる人生が確かに存在しているんだなって。大げさかもしれないけど、胸が熱くなるよね。 まだまだ小さいけど、コミュニティの中で成長すること、そこで私や夫という親だけでなく、いろんな大人や他の子どもたちと関わって行くことが本当に楽しみ。旦那さんと息子さんとともに。Ciftでは家族揃って過ごすことも多い。今、息子は保育園に預けているけど、保育園は働く親が子供を預ける場所で、幼稚園は教育をする場所なんだよね。幼稚園だとお昼過ぎとかには終わってしまうから、子どもに「教育」を与えたいって思っても、うちみたいに共働きしている家だと幼稚園は選択できない。でもこれって、親や行政の、言ってみれば大人の都合じゃん。だから私はできるかぎり、出張でも取引先でも理解と協力をしてもらえるところには息子を連れて行くようにしてる。お勉強という意味での教育ではないけれど、結局は、周りの大人や仲間から学ぶことが、一番大きな人生の糧だと私は思うから。そういう意味でCiftも、私や夫とはまったく違うバックグラウンドの人たちが集まっているから、息子の可能性を無限大に広げられる、ある種の教育の場のようにも思っているよ。 それに、Ciftに住んでいるカップルやシングルのメンバーにとっても、子どもをもつことのシミュレーションにもなるような気がするし、今私が住んでいる部屋は、生後半年ぐらいの赤ちゃんがいる寺井 暁子(てらい あきこ)さんも一緒だけど、お互いの子どもを預け合うことで、「うわ〜2人子どもがいるのってこういう感じか!」って体感してみる機会もつくれる気がするし…いろんな可能性があるよね。 アーヤ:私もCiftで暮らすなかで、血が繋がっていない子でも、こんなに愛おしくなるんだなって知ったし、今から反抗期を迎えた時のことを想像して、泣きそうになるくらいだよ(笑)。Ciftメンバーの一人とともに、高山出張に行った際の写真家族に「完成」「定型」「正解」は存在しないアーヤ:シフトに入ってから、さおたんにとっての「家族観」って変わった? 神田:家族観は日々アップデートされるのを感じてる。…というか、自分のオリジナルの家族、両親と私と弟の「家族」はこれまでも今もよく機能しているから、家族についてこんなに意識して考えたことって今までなかった気がするんだよね。 自分が結婚して新しく作っている夫や子どもとの家族は、オリジナルの家族に比べたら、「まだまだこれから」っていう感じだけど、でも、作ろうとしている時点でできているとも言えるし。そういう絶え間無いあがきみたいなものを、今私はやろうとしているんだと思う。「完成」や「定型」、「正解」はなくて、家族であろうとする姿勢そのものが家族なんじゃないかなって、Ciftに暮らし始めてから強く思うようになったかな。 あと、拡張家族ってやっぱり革新的だと思ってる。私の結婚してからの家族、両親共働きに子ども一人って、都会にはよくいるペルソナだと思うんだけど、普通は、自宅の玄関を開けて外に出たら、自分の他に子どもが頼れたり、私たちが信頼して預けられる人って基本はいないと思うんだよね。でも、Ciftがやっている拡張家族って、玄関のドアを開けたら、そこにまた家族がいて、ドアを開けっ放しでも怖くないし、子どもも私も自由に行き来できる。その範囲をぐいぐい外に広げていきたいから、私は毎週のようにいろんな親子をとにかくCiftに招待しまくってるよ(笑)。Photo by Jun Hirayama子育ても夫婦関係も、「家族」のなかに閉じていくと、自分たちで自分たちを駆り立ててしまい、気づくと息苦しくなっていることは少なくない。共に暮らす仲間のなかに、子育ての“先輩”がいたり、逆にまったく未経験の“後輩”がいたりするなかで、「自分たちだけで背負いこむ必要はないんだ」と気付けたり、少し距離をおいて自分たちを見つめ直し、“縛られていたもの”に気づけることがあるのだろう。それは家族を「拡張」することの意義のひとつだと思う。次回の連載もお楽しみに!CiftWebsite|FacebookAyah Ai(アーヤ藍)1990年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。ユナイテッドピープル株式会社で、環境問題や人権問題などをテーマとした、社会的メッセージ性のあるドキュメンタリー映画の配給・宣伝を約3年手掛ける。2017年春にユナイテッドピープルを卒業し、同年夏より「ソーシャル×ビジネス」をさらに掘り下げるべく、カフェ・カンパニー株式会社で精進中。
2018年02月08日生まれてくる国を誰も選ぶことはできない。だからといって生まれ育った国が自分に1番合っているかというと、そうでもないこともある。今回、Be inspired!は大学卒業後すぐに日本を離れ、ドイツで生きていくことを決断したWSBI(ワサビ)に話を聞いた。どうしてドイツなのか、ドイツで日本人として生きていくこととはどういうことか、ドイツの“今”やドイツ移住に関する情報、ワークスタイル&ライフスタイルについてベルリンから発信している彼女が考えることを少し教えてもらった。ードイツの好きなところは? みんなが「生活を楽しむ」ということを知っているところです。全体的に流れる時間がゆっくりしていて生活にゆとりを持てます。冬は寒くて気候は厳しいですが、ドイツは衣食住で言えば圧倒的に住環境に力を入れている国なので、そんなときはDIYやボードゲームなど室内で豊かに暮らすための方法もたくさんあるんです。 あとはこれでもか!というくらい合理的なところです。ドイツ人のコミュニケーション自体もそうですが、歯に衣着せぬ感じでサバサバしているので、単細胞な私はなにかとやりやすいです。(笑)ードイツの嫌いなところは? 役所関係の煩雑さはどうにかして欲しいですね。私はビザ申請に4回失敗しているので….。(ビザ取得苦労談はこちらから)あと、嫌いというほどではないですがサービス業全般の質はもう少し向上するべきだと思います。 ードイツで「日本人だから」「アジア人だから」などの理由で差別を受けたことはありますか? 私自身は一度もありません。ベルリンは外国人も多く、壁が崩壊した歴史的な背景からもリベラルな空気があるのでそこまで差別を心配する必要はないと思います。 ただ、やはり近年の移民増加の背景から移民に対して反感を持つ人もいることは事実ですし、外国人でも人種によってベルリンで体験していることはだいぶ違います。 たとえば、私はカンボジア出身の女性から「外出するたびに差別的なことを言われる」と聞いてとてもびっくりした覚えがあります。日本人として生きていてそんなことがベルリンで起こるとは信じられないですが、同じ外国人でも肌の色や人種によって体験していることが違うと思います。 差別を怖がる人も多いですが、日本でも外国でもどこに行っても、人のあらを探していじわるなことをする人は一定数います。私の差別へのスタンスとしては、言うべきところではしっかり戦おうと思っています。ただ、そもそもそんな人にかまっている暇はないので怖がるのさえ時間の無駄ですし、もっと楽しいことはまわりにたくさんあるのでそちらに目を向けたほうがいいかなと思います。「終身雇用」という概念がいまだに存在感を示す日本では、「大学を卒業して、就活して、就職する」というレールのままに進んでいかないと、取り返しのつかないことになるのではないかという、目に見えないプレッシャーがあるのかもしれない。それでも、一歩日本から離れてみるといろいろな生き方が存在していることを強く感じられる。どの生き方が優っているということではなく、WSBIがいうように、自分の「譲れないこと」を見つけレールや国は無視して進めば、自分に合った形でやりたいことをしながら、そして「今を楽しみながら」生きていくことが意外と簡単にできるのかもしれない。WSBI(ワサビ)Website|Twitter|Instagramディレクター/翻訳家/ライター
2018年02月07日今から4年前、カネボウ化粧品の化粧水を使用した約2万人の肌に「白い斑点」ができた事件が起こったのを覚えているだろうか。(参考:日経新聞)「ぼく/私は化粧水を使わないから関係ない」とか「自分には起こってないし関係ない」と思う人もいるかもしれないが、実際にはそうでもない。なぜなら普段使用している「動物実験で安全と判断された化粧品や医薬品」は、30%~60%しか人体への安全性を予測できていないからだ。日本では化粧品大手の資生堂などが社内外での動物実験を廃止しているが、いまだに多くの化粧品や医薬品が動物実験を使って開発され、市場に出回っている。安全性30%~60%ということは、平均して約50%。口に入れたり、目に入れたり、肌に塗ったり…命や人体の健康に関わる化粧品や医薬品の「約半分が危険」と聞いたら、誰もが「え、安全性低すぎるよ(汗)」と思わないだろうか?その安全性の低さゆえに起こったのがカネボウの事件なのだ。冒頭から脅かすわけではないが、筆者がこの耳を疑うような驚きの事実を聞いたのは、昨年11月に東京で開かれた日本動物実験代替法学会に参加したときのこと。そこで動物実験の安全性の低さを「コインを投げて表が出る確率とほぼ変わらない」とたとえていた英国出身の科学研究コンサルタント レベッカ・ラム氏は、「人間と動物では種の差があるため、動物実験では人間にとって100%安全かどうか知ることはできない」と語った。では、どうすればいいのか?動物実験以外に方法があるのか?そこで今回Be inspired!は、“代替法(だいたいほう)”という「動物の命を無駄にしない」+「人間の体に安全」な化粧品や医薬品を開発する実験方法があることを紹介したい。日本人が知らない、人間にとっても、動物にとっても「より良い社会の作り方」とは。「医学の進歩のため」「科学の発展のため」といった大義名分のもと、動物に毒を飲ませ、有害物を皮膚に塗ることで無理やり病気にさせ、肉体的にも精神的にも苦しめ、そして殺してしまう動物実験。その残酷な実態は内部告発や潜入調査などで、ほんの一部が表に出ることはあっても、未だに行われ続けている現状がある。もちろん日本でも。そんな動物実験をなくすために作られた3Rの原則が「Reduction(リダクション)」、「Refinement (リファインメント)」、「Replacement(リプレイスメント)」。いわゆる“学校で習わないほうの3R”だ。①Replacement(リプレイスメント)=動物を使用しない実験方法への代替②Reduction(リダクション)=実験動物数の削減③Refinement (リファインメント)=実験方法の改良により実験動物の苦痛の軽減(参照元:JAVA)ここで①の「リプレイスメント」にあたるのが、リードでも登場した、動物実験に代わる実験方法「代替法」だ。そんな動物実験に頼らない研究開発支援や動物実験の廃止に向けた活動を推進することを目的とした世界最大の基金「Lush Prize(ラッシュプライズ)」が英国生まれのコスメティックブランド「LUSH(ラッシュ)」によって毎年ロンドンで開催されており、Be inspired!はその授賞式に参加し、①のリプレイスメントについて詳しく聞いた。今年の応募は過去最高の38カ国からあり、そのうち11カ国、18プロジェクトが受賞。応募数が年々増えていることを見ると、世界の興味関心が高まっていることが言える。「若手研究者部門アジア」を受賞した高崎健康福祉大学の小山 智志氏2012年に開始し、6回目を迎えたLush Prizeは、動物実験に終止符を打つ活動を行う活動家や科学者を支援することを目指しており、これまでに科学者や活動家に約2億5,000万円(180万ポンド)の資金を提供している。あくまでも同イベントは動物実験廃止を目的としているため、動物実験を減らしたり(リダクション)、動物実験での痛みを減らしたりすること(リファインメント)ではなく、先ほど紹介した3Rのうちの1R「リプレイスメント(代替法)」を開発する活動のみを支援の対象としている。代替法とは、“21世紀の毒物学”と呼ばれており、動物実験のない未来の実現のために最も効果的だと考えられる最先端科学の研究だ。Lush Prizeで振舞われた料理は、全て動物性食品を使用しないビーガンフード「私は動物の権利より人権に関心がある」。受賞した科学者の視点とはもっと代替法の研究を進め、動物実験よりも正確であることを証明していかなければいけないそう語るのは、今年のLush Prizeに参加した際に話を聞くことができた米ハーバード大学のジェニファー・ルイス博士。最後に「なぜ代替法の研究をしているのか?それは動物実験廃止のためなのか?」と彼女に聞くと「私の研究は動物のためというより、人間のためにしている」という意外な答えが返ってきた。実はアニマルライツ(動物の権利)の活動に参加したことなんてないわ。トランプ大統領の抗議デモやウーマンズマーチには参加したことがあるけど(笑)。もちろん医薬品や化粧品産業による動物実験を終わらせたいけど、私は動物の権利より人権に関心がある。アメリカには、私の研究である「3Dプリンターを使って作られた腎臓」を必要としている患者さんがたくさんいるんだもの。私の研究は人の命を救うことが中心となっているかもしれけど、それと同時に動物の命を救うことにもつながっている。「動物の命を守りたい」というわけではなく、コインを投げて表が出る確率並みの安全性しかない動物実験より、代替法のほうが正確だし、より多くの人の命を救うことができるから代替法を推し進めたほうがいい。そう考えるジェニファー博士の話を聞いて気づかされたことは、「動物実験をなくすためのデモに参加すること」も「人の命のために代替法の研究をすること」も「自分の健康のために、動物実験ではなく代替法を使用して開発された化粧品・医薬品を買うこと」もすべてアプローチが違うだけで、たどり着く世界は一緒だということだ。※1ポンド=140円で計算しています▶︎オススメ記事・もう消費は豊かさの象徴ではない。日本企業に不足する「持続可能なアイデア」を探る国際会議がお台場で開催・「子どもにはものではなく体験を与える」。ある母親が提唱し、世界的ムーブメントとなった“ゴミゼロ生活”All photos by LUSHText by Jun HirayamaーBe inspired!
2018年02月06日福祉、教育、労働環境の制度が整っていて、世界幸福度ランキングでは常に上位。男女平等や性的マイノリティの権利のための活動が積極的に行われているうえ、建築、デザイン、ファッションも一歩先を行くミニマルで機能的なものばかり…。北欧と聞けばそんなイメージが浮かんでくる。これまでBe inspired!も、本ではなく人を借りる図書館や「性別の固定観念」にとらわれない幼稚園、国内の食品廃棄を25%も現象させたデンマークの女性など北欧の先進的な取り組みを数多く取り上げてきた。2018年2月、そんな北欧のうちスウェーデン、アイスランド、フィンランド、ノルウェー、デンマークの5か国の映画、音楽、アートを体感できる1週間が渋谷にやってくる。北欧の光を渋谷へ。トーキョーノーザンライツフェスティバル今年で8年目となる、北欧の映画を軸とした、カルチャー、社会、アートを楽しめる『トーキョーノーザンライツフェスティバル』。これまで100本以上の北欧映画を東京で上映してきた。いいイメージが多い北欧だがアメリカや、同じヨーロッパでもイギリス・フランスほど映画は知られていないかもしれない。『トム・オブ・フィンランド』意外なことに、ダークユーモアで知られているのが北欧映画。絞首台に立つような絶望的な状況でうまれてくるユーモアという意味を込めた「絞首台ユーモア」で有名だという。そのネーミングからしてかなりダークである。これは国内・国外で成功を納めるデンマークの監督アナス・トーマス・イェンセンの「もしデンマークで死体が見つかったら、必ず誰かがその死体についてジョークを言うよ」という言葉にもあらわれているだろう。(参照元:BBC culture)「極夜が北欧の自殺率の高さの原因かもしれないし、そうじゃないかもしれない(フィンランドは西ヨーロッパで殺人が1番多い)。でも間違いなく、ダークユーモアには影響している」と北欧のダークユーモアを天候と関連づけてBBCライターは説明する。(参照元:BBC culture)今回の映画祭でどれくらいこの「絞首台ユーモア」が見られるかは、行ってからのお楽しみだが、語られるのは「理想の北欧」だけではないことは確かだ。『ストロベリーデイズ』ラインアップされている映画は、児童文学を元にした愛に溢れるものから、精神病、家庭内暴力、人種差別などをテーマにしたものまで多種多様である。「理想の社会」のイメージをもつ北欧の国々にも問題は存在し、彼らのストーリーから私たちが学べることや共感できることは多いかもしれない。フェスティバル期間中は、アイスランドの大型音楽フェスティバルの写真や自然を長年撮り続けているシバノジョシアの展示や、北欧の伝統音楽とノルウェージャズのアーティストのデュオ、アルヴァスの来日公演、北欧ディナーパーティーも開催される。(イベント情報はこちらから)トーキョーノーザンライツフェスティバルでは普段なかなかみる機会のない、イメージを超えた北欧のストーリーが体験できるだろう。トーキョーノーザンライツフェスティバル 2018Website|Facebook|Twitter@ユーロスペース
2018年02月05日本当にわたしたちを縛るものは何もないし、わたしたちは何も縛ることはできないよ。“僕”とアートからもらったエネルギーこんにちは。ふらふらと写真を撮っている、ふじ がらといいます。“おふじ”って呼んでもらえたら嬉しいです。いまわたしは24歳だけれど、なんだか昨日産まれたばっかりのような気分で毎日を過ごしています。そんななか、なぜだかひどく惹かれて衝動的に買ったコンパクトフィルムカメラと、それと同時期に観た映画、デヴィット・リンチの「ロスト・ハイウェイ」…。「もしかしたら“僕”は消えたんじゃなくて、わたしのなかに戻っただけかもしれない」“僕”は、ひとりで抱えきれないことを代わりに受け止めるためにわたしがつくった、もうひとりの自分だったんじゃないかな、と考えるようになりました。写真を撮る行為とそのひとつの映画が、自分と向き合うきっかけをくれたんです。そこからゆっくりと思うがままに写真を撮って、絵を描いて、惹かれる音楽を聴いて、映画を観て、舞台を観て。いろんな表現に触れることで、ここにいていいんだ…と思えるようになっていきました。これは大袈裟なことじゃなくて、誰かが発する表現には、そのぐらい大きな力があるんじゃないかな。そこには生きるためのエネルギーが止まることなく流れていて、すごく居心地がよくて、すべてがフェア。アートが身近にあったことは、わたしにとって本当にラッキーなことだったと思う。というのも、わたしが惹かれた映画や音楽、美術、舞台っていうのは、すべてお母さんからの影響だから。もしお母さんが音楽を全く聴かず、デヴィット・リンチって誰?って感じで、たくさんの色のクレヨンよりたくさんのドリルを買ってくるような人だったら、わたしはとっくに死んでいたかもしれない。たくさんのドリルで勉強することが好きな人もいるけれど、自分にはクレヨンで絵を描いたり、踊ったりするほうが合っていたみたいだし、母もそれをよく理解していました。子どもが必要とする大人という存在「自由」は、ひとつじゃないあの時のことがフラッシュバックして気持ち悪くなったり、突然人が恐くなったり、恋愛感情や性欲というものがよく理解できなくてまわりに置いてかれてるような気持ちになることが、いまでもあります。過去に虐待の被害にあった人で、そういった後遺症に悩む人は結構いるんじゃないかな?前まではその悩みが、父に精神的に支配されているような感じがしてすごく嫌だったし、世の中の流れに追いつかなきゃ!普通にならなきゃ!って焦っていました。だけど最近は、気持ち悪くなったら休むし、恐くなったらカメラを持って一度ひとりになる。いつか誰かと恋愛するかもしれないし、しないかもしれないし、そんな感じでいいかなって。そうやってゆる~く過ごすようにしたら、はじめは心配だったけどなんだか徐々にいろんなことが楽しくなってきたし、そんなんでも世の中意外と生きていけるんだなって思った。人によって置かれてる状況や考えも違うからみんながみんなそういう生き方をする必要はないけれど、けど苦しかったら、ひとまずそこに止まってゆっくりしてみてもいいんだと思う。それか、自分を真っ直ぐに見てくれる人に「助けて!」って声をあげてもいい。マイペースに生きてみてもいいんじゃないかな?いまこうして生きていて思うことは、人間はひとりじゃ生きていけない弱い生きものなんだなってこと。そして「人」対「人」の関係は危ういけれど、生きていく上で崩せるものではないんだなということ。わたしたちは常に、「誰か」から影響を受けて過ごしてる。音楽や映画や美術も「誰か」のエネルギーからできていて、わたしはそれをキャッチして自分のエネルギーにする。母は虐待のことを何も知らない(死んでも言わない)けれど、わたしたちの間にはお互いの話を聴いて、いっしょに考える時間が存在する。「人」と「人」がいまを共に生きていくには、「共に、聴いて考える」という行為と、その時間が絶対に必要だと思う。そしてそれは、虐待の連鎖を断ち切る唯一の方法なんじゃないかな。過去に負わされた傷は、死ぬまで消えない。でも他者との対話を通して自分と向き合うことができれば、痛みをなくすことはできるし、傷跡が残ろうとも、わたしたちは笑って生きていくことができる。わたしは、その可能性を信じています。fujigara(ふじ がら)Website|Twitter1993年生まれ。2016年より写真を撮り始める。2017年10月、自身の夢や幻覚を写真にした1stZINEを発行。2018年に展示を計画中。
2018年02月02日“しょうもない1日も美味しいピーナッツバターでちょっとハッピーに”という意味を込め、“HAPPY NUTS DAY”と名付けられたピーナッツバターがある。千葉の名産、落花生を丁寧に加工し作られたそれは、全国津々浦々、約140箇所で取り扱われ、今日も人々を笑顔にしている。約5年前、「何もない」と言われた九十九里町で産声をあげたスタートアップが、日本中で愛されるピーナッツバターを生み出した秘密とは? そして、衰退傾向の地域産業を盛り上げる秘訣は?誰も知らなかった“いらない落花生”の価値を掘り起こし、周囲を、そして日本を巻き込み始めた、とあるスケーター兼起業家に話を聞いた。HAPPY NUTS DAY代表の中野 剛さん中野さんが呼び出されて向かった九十九里町にあったのは、「でかいビーチと海と畑だけ」。地元の人間は「何もない」と自虐するような環境だったと彼は懐かしそうに語る。普通なら「なんか面白いこと」を始めるには適していないように思えるだろうが、ここから始まった「なんか面白いこと」は、やがて日本中に笑顔をもたらすピーナッツバターを生み出すことになる。その落花生いらないからおまえらにやるよ!“はねだし”や“ガチャ”と呼ばれ、形が悪いから商品になりづらい落花生を中野さんが手にしたのは2012年の春。ちょっとだけブサイクな落花生を見て、中野さんは「これってピーナッツバターになんのかな?」と思った。友達の母ちゃんに道具を借りて作り始めたのが最初。だいたいうまくいかないんですけど、「おいしいねこれ!ピーナッツバターみたいじゃん!」って。それを2人でやりながら、畑も借りて、まわりを巻き込みつつどんどんはまっていったんです。まあ当時は好きな仲間と集まる口実に過ぎなかったんですけどね。今もそうですが、この時から大事だったのは、「大好きな仲間と何かをすること」だったから。だから集まっても結局スケートして、サーフィンして、BBQして。ピーナッツバターにかける時間なんて10分ぐらいでしたよ(笑)“ちょっとブサイクな落花生”にのめり込み、地元の道の駅で売るなどしているうちに、ビジネスとして本格的に取り組もうと思い始めた中野さんは、後に二人のメンバーを加え、2013年の夏に起業。それを周囲に話していると、いきなり大きな依頼が舞い込んだ。原作のタイトルが「ピーナッツ」である世界的に有名なキャラクター、スヌーピーとのコラボ商品を売り出すことになったのだ。スヌーピー×HNDのピーナッツバター依頼を受けたのは偶然だったんですけど、このときはピーナッツバターを5,000個作ることになって、まず焙煎するための工場を探したんです。でも実績のない若造が電話口で1トンの発注をお願いするもんだから、「いきなり1トンなんてあるわけねえだろ!」って断られまくり。しかも3件目ぐらいから「聞いてたぞお前、噂の詐欺師だろう!?」みたいな。落花生の業界は横のつながりが強いから、すぐに話が広まってて苦労しました。まあなんとか納期に間に合わせて、最終的に3カ月で3万個売れたんです。そしたら「こいつら大丈夫だな」となり、ようやく製造ラインが安定しました九十九里町の魅力を全国に発信する架け橋になるスヌーピーとのコラボの大成功がきっかけになり、落花生業界で信頼を得たHND。これが飲食業界に飛び火。口コミを中心に少しずつ名が売れていき、今では全国約140カ所でHNDのピーナッツバターが取り扱われている。「おれらが思う最高のピーナッツバターを作る」ことで、図らずもその純粋さが伝わり、多くのファンを生み出してきた。糸井重里さんが代表を務めるほぼ日刊イトイ新聞とコラボ。中野さんの憧れだった糸井重里(いとい しげさと)さんと合同で商品を世に出し、ビジネスとしての基盤が固まった今、じゃあ次に見据えるのは?HNDの原点、九十九里町の魅力を内外に伝えることだった。最近は九十九里町のおばあちゃんやおじいちゃんから、「九十九里町には美味しいイワシやハマグリがあるんだけど、これもどうにかならない?」っていう声が届き始めていて。落花生の新しい価値を生み出した実績が周知されたことで、僕らにそういう声が届き始めたんでしょうねHNDが地道に続けてきた活動が今、信頼という形になって可視化され始めている。この機を逃さず中野さんが仕掛けたのが、九十九里町の魅力を伝えるための体験型ワークショップ、「HAPPY DAY TRIP」だ。「HAPPY DAY TRIP」のロゴ。テストを兼ねた初回は全てのツアーがほぼ完売。現在継続開催を目指して奮闘中。「HAPPY DAY TRIP」は、九十九里町の場と産物の魅力をもっと伝えていくために始めました。ここ4年で九十九里町にある保育園が4校も廃校になり、アクセスのいい国内屈指のサーフィンのメッカなのに、東京五輪の会場候補にもなれなかった。この現状は変えないといけないと思っています。だから廃園した海辺の保育園を拠点にして、プロサーファーの市東重明(しとう しげあき)さんにサーフィンをレクチャーしていただいたり、九十九里町の産物であるイワシやハマグリを使ったBBQを楽しんでもらったり、視界が360度良好なビーチでヨガをしてみたり。九十九里町にあるいろんなものを組み合わせた日帰りツアーが「HAPPY DAY TRIP」です。ピーナッツバターだって、「形が悪いから価値がない」とされていた落花生に新しい価値を見出して、より多くの人にその魅力を届けることができたんですから、「何もない」と言われる九十九里町も、工夫次第でもっと広いところに届けることができると考えています誰も見出さなかったところから価値を創り出せたワケ誰もその価値を見出していなかった落花生を生まれ変わらせ、何もないと思われていた九十九里町町の埋もれていた価値を掘り起こす。中野さんのその視点は、意外にもスケートボードに通ずるという。スケーターって、みんなが通り過ぎるなんてことのない階段や手すりや花壇にすごくワクワクするんです。今そこにあるものから新しい価値を見出せる視点がある。たとえば誰もが「いらねえよ」と言った落花生を、「これピーナッツバターにしたら最高じゃん!」とか。廃校になった保育園を、「これツアーの拠点にしたらいいじゃん!BBQなんてしたら最高だよ!」って。落花生と同じように、埋もれていた価値を掘り起こすことができるんです今年で5周年を迎えたHND。これから彼らが目指すのは、さらなる成長への前進だった。今や6次産業界の旗頭に躍り出ようというHNDのストーリーは、全国の地域産業の従事者に勇気を与えつつあるのではないだろうか。日本全国で地域の産業を盛り上げようという機運が高まりつつある昨今、マイノリティ産業の成功例として教科書に載るような活躍を、彼らは今後も見せてくれるだろう。相変わらず、まわりのすべてを笑顔にしながら。HAPPY NUTS DAYWebsite|Instagram「大好きな仲間と、大好きな場所で、大好きなピーナッツバターを、世界の誰にも負けないクオリティでお届けする。」をスローガンに、2013年に創業されたピーナッツバターブランド。口コミでじわじわと人気を集め、現在国内約140箇所で取り扱われている。
2018年02月02日人とは違ったセルフィーを撮りたいがために、わざわざ危険な行為に出る人たちがいる。そのせいでけがをする人もいれば、死に至ってしまう人までいる。だがセルフィーによる問題は、自分の命を危険にさらすことだけではない。珍しいセルフィーを撮るために野生動物に近づけば、その動物に相当なストレスをかけ、もしそれを家へ連れて帰ってしまった場合にはその経験が野生動物にとってトラウマとなるらしいのだ。
2018年02月02日「サステナブル(持続可能)な社会を目指そう」と言われはじめてどれくらい経っただろうか。サステナビリティ(持続可能性)と一口に言ってもさまざまで、「自然環境を壊さない」や「誰もが暮らしやすい社会を実現する」だけでなく「社員を働きやすくする」もその一つの側面だ。それらへの総合的な関心がまだ低いという日本で、主導的な立場にある企業たちは、どう社会をリードしていこうと考えているのだろうか。
2018年02月01日家族、恋人、友人、隣人の死。 たえがたいその事実が、「本当は防げたかもしれない」と知ったらあなたはどうするだろうか。「静かなる時限爆弾」の存在を知っていますか?人間は1分間にほぼ18回の呼吸をする。 私たち人間は「呼吸」なしでは生きられない。当たり前すぎて、普段は意識もしていないかもしれない。 でも世の中には呼吸をすることも困難で、苦しんでいる人々がいる。多くの社会問題にいえることかもしれないが、解決には消費や労働の中心を担う若者の参加は不可欠だ。しかし、アスベスト問題のように、苦しんでいる人々が高齢者であるとなかなか自分ごととなりにくいのも事実。 だからこそ、野口さんはオイリュトミーという「芸術」の形をとった。同時にそれは彼女が楽しめて、続けられることでもあるから。個人が長期的に社会問題と向き合っていくうえで、自分が続けられるか、楽しめているのかというのはいたって重要な要素である。私が一番初めにアスベスト問題に興味を持ったのは「尼崎のアスベスト疾患 患者と家族の会」の冊子がきっかけでした。でも高齢の方が多いから彼らのウェブサイトはあんまり機能していない。それで会の拠点である大阪へ実際に行って話を聞いたりしたことが自分にとっては発見が多かったです。それでウェブサイトが機能していないなら自分でアスベストに関する最新情報を発信していこうと思って作ったんです。でも最新動向を追っていくことが自分の仕事じゃないとやってるうちにだんだんわかってきて。結局、芸術系のことに落とし込まないと自分の興味も続かないから、アスベスト事情とか治療の現在とかはアスベストセンターなどの専門家に任せて、そんな彼らを私は紹介していこうと思いました私は誰かのために働き、誰かは私のために働く困っている人の問題を「自分ごと」と感じられなくても、そんな人たちに手を差し伸べるような社会は結果的にすべての人が生きやすい社会だということに、少しでも多くの人が気づくべきなのかもしれない。野口さんはオイリュトミーの生みの親、シュタイナーの言葉を引用してこう説明してくれた。「共に働く人びとの全体の幸せは、一人ひとりが自分の働きの収益を自分のために求めることが少なければ少ないほど大きくなる。言い換えれば、その一人ひとりがこの収益を共に働く人々に分け与えることが多ければ多いほど、そして自分自身の必要としているものを、自分の働きによってではなく、ほかの人々の働きによって充すことが多ければ多いほど、ますます大きくなる」とシュタイナーは言いました。 自分がやったことによって他人がうるおって、他人がやったことによって自分がうるおう…。自分が自分のために働いて得た収益だけで、「ああ今月お金足りない、人生どうしよう」とか「お金がなかったら老後は死んだも同然」みたいな感じが現代社会にはあるじゃないですか。でも「自分が必要なことを他人がやってくれる」「自分はその逆をする」ってなれば社会はどんどん良くなっていく、みたいなことをシュタイナーは言っていて。その方が効率的だし、なんかいいなと思って。うまくいけばクラウドファンディングはそういう仕組みをつくる存在になりうると思うんです。法の整備が間に合わなかったら、身近な人同士で助け合っていくっていうのが、今後のモデルにならざる得ないというか。そうじゃなかったら死んじゃうから現在、一部の中皮腫に罹患し余命宣告されている患者たちが、全国を駆け回り精力的に同じ病気の人の相談にのり、応援する活動をしているそうだ。(参照元:中皮腫サポートキャラバン隊①, ②)私たちには何ができるのか。 一個人ができることは限られている。それでも、問題の認知があがれば救える命もある。自己責任と思われやすい肺がん患者のなかにはアスベストが原因の人が多くいるといわれており、職業履歴をさかのぼることで労災認定される可能性が高いが罹患者本人がアスベストについて知らないので補償を受けられていないケースが少なくないのだ。 自分に直接関係がないように思えても、社会に存在する問題を知り、より多くの人に伝えることで変わることもあるかもしれない。一人ひとりが「他人のための働く」ことですべての人にとって安心な社会は作り出せる。オイリュトミー ワークショップEARTH + gallery詳細はこちらから
2018年01月31日こんにちは。赤澤 えるです。思い出の服を持ち寄る連載『記憶の一着』、スタートです。たくさんの服が捨てられる世の中で、残る服って何だろう。それはどうして残るのだろう。それを手放す時ってどんな時…?服の価値、服の未来、ゲストのお話をヒントに考えていく連載です。 ちなみに、私のクローゼットは『記憶の一着』だらけ。自分なら何を紹介するか、この連載が終わるまでにじっくり考えてみることにします。Eru Akazawa(赤澤 える)Twitter|InstagramLEBECCA boutiqueブランド総合ディレクターをはじめ、様々な分野でマルチに活動。特にエシカルファッションに強い興味・関心を寄せ、自分なりの解釈を織り交ぜたアプローチを続けている。また、参加者全員が「思い出の服」をドレスコードとして身につけ、新しいファッションカルチャーを発信する、世界初の服フェス『instant GALA(インスタント・ガラ)』のクリエイティブディレクターに就任。イベントの公式ウェブサイトは2月中旬にオープン予定。最新情報は赤澤えるのSNSをチェック。
2018年01月30日初めまして、徳永 啓太(とくなが けいた)と申します。私は先天性脳性麻痺というマイノリティな障害で車椅子を使用しているジャーナリストです。“健常者”という言葉がマイノリティを生み出すまた、私なりにいろいろな方とお会いして見えてきたのは、“健常者”という言葉の壁です。世間では障害者と分けるためにわかりやすいように使われていて、違和感がないかと思います。しかし、この言葉が自然と人を分ける記号になっているのではないかと思います。辞典では「心身に障害のない健康な人。健全者。」とあります。健全者という定義に決まった事項もなく、健康な人というのもぼんやりとしていると感じます。つまり、ぼんやりとした定義にも関わらずほとんどの方が自分のことを健常者だと認識し、身障者は健常者に少しでも近づくことが“良し”とされている風潮があると思います。2020年東京オリンピック・パラリンピックが決まって以降、各地で様々な福祉活動やイベントが行われるようになり、2017年は「ダイバーシティ(多様性)」という言葉が話題になって、男女、LGBT、障がい者、人種と多様な価値観を受け入れる街にしようと企業の活動、講演会が活発に行われてきました。渋谷区は多様な人と仕事のあり方などを積極的に受け入れようと体制を整えています。しかし、日本は人間の多様性を受け入れる度量があるのか。健常者という言葉もあるように、日本は国際化を長年掲げつつ変わらない環境で、同じ価値観を持った小さな島国であって、違う国の価値観や考え方を表面では理解できても感覚として受け入れにくいのかなと思います。 このようにダイバーシティという言葉と現状には乖離があります。多様性を認めるのであれば、まず健常者という言葉に流されることなく身体の形や考え、国籍などマイノリティと呼ばれる方を尊重し、生きやすい世の中になるにはどうすれば良いか考える必要があると思います。私はそんな日本の現状を悪いといいたいわけではありません。これが日本であると受け入れながら、理想とする多様性に向けて日本人はどのようなことを理解し、共存しなければならないか。それを探っていく必要があると思います。2020年まで国の予算がオリンピック・パラリンピックを名目に公共施設や様々な人を受け入れるための福祉イベントなどに使われている現状、いわゆる“福祉バブル”が起きており、変わろうとしている日本。私もマイノリティの1人として、様々な価値観を持ち人生を歩んできた方を毎月取材し、Be inspired!で「日本の多様性」を受け入れるため何が必要で、何を認めないといけないか私の価値観を含めたインタビュー形式の連載『車椅子ジャーナリスト徳永 啓太のkakeru』を来月からスタートします。この連載名には、自分の価値観と誰かの価値観を”掛け合わせて”新しい価値観を提案すること。そして、人生を“賭ける”、“駆ける”人をインタビューするという意味を込めています。記事を読んでくださる方々に、新しい価値観を提供できるような記事を執筆していくので、よろしくお願いします!Keita Tokunaga(徳永 啓太)Blog|Instagram脳性麻痺により電動アシスト車椅子を使用。主に日本のファッションブランドについて執筆。2017年にダイバーシティという言葉をきっかけに日本の多様性について実態はどのようになっているのか、多様な価値観とは何なのか自分の経験をふまえ執筆活動を開始。
2018年01月29日「理想的だけど、日本だと難しいかな。そこに労力をかける時間もないし」世界10各国以上で翻訳されたベストセラー、『ゼロ・ウェイスト・ホームーゴミを出さないシンプルな暮らし』のタイトルを見た時の筆者の正直な気持ちだ。 アメリカのカリフォルニア州で家族4人と暮らしている本書の著者ベア・ジョンソンさんは、1年間で片手で持てる中瓶ひとつ分のゴミしか出さない(!)という。商品のほとんどがプラスチックに包まれている日本で生活をしていると、とても不可能に思える。「ゼロ・ウェイスト・ホームーゴミを出さないシンプルな暮らし」の著者、ベア・ションソンさんしかし、ベアさんのゴミを出さない生活スタイルは、世界各地で積極的に取り入れられつつある。個人にとどまらず、市や自治体ベースでだ。多くの人を惹きつける「ゼロ・ウェイスト」生活とはどのようなものなのだろうか?5つのRで、シンプルな生活をミニマムかつ、シンプルに整えられた、ベアさん一家の一室ゼロウェイスト生活のベースとなるのは、5つのR(アール)。以前は大邸宅に住み、いくつもの家具を所有していたというベアさん一家だが、この5Rのルールに従い、劇的にゴミの量を減らしていったという。①Refuse(不必要なのを断る)買い物のときのビニール袋や連絡先を知っている人からの名刺など、ベアさんは不必要なものを受け取らない。学校の社会見学などで配られるノベルティに対しても子どもたちに受け取らないように伝えているそうだ。「ありがとう、でも大丈夫」の一言で、ゴミは減らせるのだ。② Reduce(必要なものを減らす)たとえば、掃除用洗剤。ベアさんも以前は、窓拭き用、床拭き用、風呂掃除用など、環境にも有害なさまざまな洗剤を、洗面台の下に溜めていたという。しかし、「必要」なものを減らすと決めると、ホワイトビネガーとカスティール石鹸のみで、すべての場所が清潔に保てることに気づいた。掃除する場所によってそれぞれ専用の洗剤が必要だという思い込みは広告会社の策略だとベアさんは強調する。 ③ Reuse(繰り返し使う)プラスチック包装を避けるため、ベアさんが買い物に出向くのは、食料品が裸のまま売っているファーマーズマーケットや、量り売りショップ(BULK)。パンは布の袋へ、お肉はガラス容器へ、シャンプーやワインは専用のガラスビンへ詰めてもらう。再利用できる容器を使用すれば購入から使用されるまで、ゴミは出ない。④ Recycle(リサイクルする)1、2、3番の方法が適用できず、たい肥化もできないものは、リサイクルへ出す。しかしベアさんは、リサイクルは「最終手段」だと強調する。1〜3番を意識し、リサイクルに出す必要のあるもの自体を減らすことが重要なのだ。 ⑤ Rot(たい肥化)たい肥化できるものは、ディスポーザーに入れ、土に還す。生ゴミや、髪の毛のみならず、キッチン用具や容器なども、たい肥化が可能かどうか購入の際にチェックするという。不要なパッケージやものの消費に奪われる、お金と時間ベアさんは、自身が使う化粧品も手作りしているルールはシンプルでも、慣れきった生活に変化を起こすことは、多くの人は「負担」と感じるかもしれない。しかし逆に、その「当たりまえ」の生活が、自身や家族に与える負担を意識したことがあっただろうか? ベアさん自身、フルタイムで働きながらこの生活スタイルを実践しているが「ゼロ・ウェイスト」生活は、人生を大変にするどころかより豊かにしたと断言する。そもそも必要なものが減ったため、買う量が減り、物を買うときも一般的に安価な、リサイクル用品を選ぶようになりました。量り売りで購入するため、無駄な量やパッケージにお金を費やしません。この生活を始めてから、私たち家族の1年間の生活費は40%も削減されたのです豊かになったのは、経済面だけではない。買い物や、ものの管理、ゴミ出しなどに費やされていた時間が、本当に大切なことに使えるようになったとベアさんは言う。本当に必要としないものを買っては捨てるの繰り返しは、文字通り、あなたのお金や時間を捨てていることと一緒です。あなたが夢見ている旅行や、休暇を捨てるのと同じなのです一例としてベアさんは、子どもたちへのプレゼントは使わなくなるおもちゃなどの「もの」ではなく、「体験」を贈るようになったという。アメリカ横断のサイクリングや、スカイダイビングなど、家族でさまざまなことに挑戦しているそうだ。そして、このゼロ・ウェイスト生活がベアさん一家にとってだけでなく、地球環境にも優しいのはいうまでもない。世界に広がるゼロウェイスト再利用できる布袋や、瓶にはいって調達されたベアさん一家の食料ベアさんの取り組みは個人にとどまらず、アメリカやニュージーランドで多くの自治体が「ゼロ・ウェイスト宣言」を行うなど、世界的な広がりを見せた。読者が量り売り店を開く例も多くみられ、2017年には、南アフリカのケープタウンで、Colleen Black(コリーン・ブラック)さんがゼロウェイストの量り売り店「Life Lived Simply」を開店。こうした店は、各地でゼロウェイストの暮らしを住民に伝える拠点となっている。ベアさんの公式ホームページには、近くの量り売り店をみつけられる「BULK LOCATOR」(バルク・ロケーター)機能が開設され、ゼロウェイストを広める活動は、加速しているようだ。日本も例外ではない。日本で始めてゼロ・ウェイスト宣言をした徳島県上勝町は「上勝ゼロ・ウェイストアカデミー」を開き、2009年には、熊本県水俣市が市として初めて同宣言をするなど、ゼロ・ウェイスト宣言は、年々広がりをみせている。(参照元:上勝ゼロ・ウェイストアカデミーくるくるWEB)1人で始められる、ささやかで、楽しい革命。フライドポテトも布袋に入れてもらえば、ゴミが出ない。だれもが、ゴミを出したくて出しているわけではないにも関わらず、ペットボトルや、お菓子の袋、レシート、調理後に散らばる豆腐パックや、野菜の包装紙など…「常に捨てている」といっても過言ではない生活が続いていくのはなぜだろうか? 著書のなかで、ベアさんはこう述べている。ゼロ・ウェイストは「考えかた」ではなく、ものの「見かた」そのものを変えることでもあります。(中略)私が見ているのは、「パッケージづくしの世界」ではなく、「パッケージのない世界」です。みなさんもそういった視点で、世界を眺めるようになれば、どこにいても量り売りが見つかりますよ筆者の場合、住んでいるところの近くに野菜が裸で売っている八百屋があることを思い出し、量り売りでビールやワインを売っている店があることをインターネットで検索して知った。そして嬉しいことに、どちらも美味しそうである。 ゼロ・ウェイストな暮らしは、きっと誰もが楽しめる「小さな革命」だ。それが世界中でおこり、大きな革命となる日もそう遠くないのかもしれない。 著書詳細ゼロ・ウェイスト・ホームーごみを出さないシンプルな暮らし著:ベア・ジョンソン訳:服部雄一郎本体価格1700円(税別)「台所と買い物」「仕事部屋」「子育てと学校」「外食・旅行」など生活のシーンごとに紹介される実践的なアイデアには、様々な角度から暮らしを変えていくヒントが満載。リフューズ(断る)、リデュース(減らす)、リユース(繰り返し使う)、リサイクル(資源化)、ロット(堆肥化)という5つの基本ステップをもとに、生活のシーンごとに実践的な取り組みが紹介されているので、身近なところから少しずつ始めることができます。
2018年01月26日自動販売機に並ぶペットボトルやコンビニ弁当の容器…。私たちの生活には欠かせないプラスチックは毎日大量に製造されてはすぐにゴミとして廃棄される。使い捨てだと思っているプラスチックのことなんて気にも留めないかもしれない。だってただのゴミだから。しかし、そんなプラスチックからスタイリッシュな製品を自分で作り出せることを知っているだろうか。プラスチックがどのようにリサイクルされ、どのような製品に生まれ変わることができるかに関心を向けると、新しい発見があるかもしれない。世界中で拡大する「プラスチック」の可能性を広げるコミュニティそんなリサイクルが欠かせないプラスチックに対し、エコな活動に取り組む人々がいる。Precious Plastic (貴重なプラスチック)は2013年にDave Hakkens(デイブ・ハケンズ)によって始められたプロジェクトで、プラスチックゴミの問題を解決するために活動するグローバルなコミュニティだ。プラスチックのリサイクルが誰でもできるようにリサイクルに必要な情報をオンライン上で無料でシェアしていて、あらゆる国の人々が地域レベル・個人レベルで活動しやすいものとなっている。今まであまりゴミ問題に関心がなかった人や、関心はあったけどどう取り組んでいいかわからなかった人なども参加しやすく、取り組みやすいはずだ。さらに、地図上でリサイクル場所、リサイクル機械の設計者、リサイクルを始めたい人、と3つのピンから世界中の活動を検索でき、コミュニティに参加したい場合は地図上に自分のピンを追加する。自分の住む地域にあるリサイクル場所や機械の設計者を探せたり、企業や個人がリサイクル場所を持った場合はリサイクルを始めたい人と繋がりやすくなるのだ。また、コミュニティに参加した人々は同じように活動するほかの国や地域のコミュニティのことも知れる。現時点では日本でこの活動を行なっている場所は一箇所しかなく、小規模だが、個人のコミュニティへの参加が増えれば日本の各地でこのリサイクル活動が盛んになるかもしれない。まずはPrecious Plasticで自分のピンを追加してみよう。エコなDIYでゴミ問題を解決
2018年01月26日「命の価値は誰がつけるのか?」こんな質問が存在していること自体がおかしいと思うかもしれない。命の価値は誰にもつけられないというのが一般的な道徳だろう。しかし、これはいたって現実的な質問でもある。サハラ砂漠以南のアフリカ24カ国では野生動物の狩猟が許可されていて、年間1万8500人のハンターが、動物の毛皮や頭だけを目的に狩猟する“トロフィー・ハンティンク”を楽しんでいるのだ。それぞれの動物に値段がつけられ、ハンターたちはお金を払い、合法で「命を奪うこと」を楽しむ。アフリカ諸国がこのトロフィー・ハンティングで得る収益は年間約217億円とされていて、この貴重な観光収入の獲得のため各国が積極的にハンティングを許可しているという背景がある。 今回の社会問題に焦点を当てた映画を紹介する『GOOD CINEMA PICKS』では、このトロフィー・ハンティングを楽しむ欧州からの観光客ハンターたちの姿を映し出したドキュメンタリー『サファリ』を紹介する。トロフィー・ハンティングはいうまでもなく残酷な行為だ。ハンターたちは、動物を殺し、解体は現地の人に任す。食べるわけでもない。殺した動物とポーズを決め写真を撮ったり、戦利品として剥製にしたりと「殺す」ことに誇りを持ち、純粋に楽しむハンターたちの姿に嫌悪感を覚える人は多いだろう。しかし、この映画はハンター批判も、動物愛護を押し付けることもしない。自身の非道な行いを「ハンティングが管理された条件で行われている限り、それは合法であり実行可能です。特に、 アフリカのような途上国では、人々はそこからお金を得ることができる。私たちは、通常の観光客が2ヶ月で使う費用を、たった1週間で使っている。ハンティングはすべての者に利益をもたらせている」と正当化するハンターの姿。獲物を仕留めたあとに涙を流しながら抱き合う家族の姿。狩りに出る前に互いに日焼け止めを塗りあう老夫婦の姿。決してハンターたちを正当化しないが、彼らのなかでは成立している“理論”が垣間見られ、ところどころに誰もが感情移入できるような人間の姿が映し出される。人間の気持ち悪さやダークな側面をモチーフにした作品がこれまでも多かったザイドル監督。同じくアフリカを舞台にした『パラダイス』 3部作(2012)の1作目『パラダイス:愛』では、売春の相手を求めてアフリカに訪れるオーストリアの孤独な中年女性の姿を描いた。現地の黒人男性をまるで肉の塊かのように話す彼女の気持ち悪さが描写されつつも、自分の生きる社会で女としての価値を失った「中年女性」の圧倒的な孤独さもみられる。「命を奪うことを楽しむ」「売春」といった、道徳の授業では必ず“悪”だと教えられるような行いをする人々を、決して肯定するわけでもなく、否定するわけでもないザイドル監督の態度は一貫している。ザイドル監督の作品はその過激さから、賛否両論があるのも事実。『サファリ』の資金調達をしているときに、テレビ局の論説委員に作品中の動物が殺されるシーンや解体のシーンが理由でテレビでは放送できないと抗議を受けたそうだ。これに対して彼は世の中の「偽善」に疑問を投げかける。彼の立場を考えると、その抗議はもちろん理解できますが、私たちが現在生きている世界がどれほど偽善的なものなのか、一度真剣に考えてほしいと思いました。アフリカのトロフィー・ハンティングは現実で行われています。その現実を強制的に検閲してひた隠すことが、不必要なタブーを作っているのではないでしょうか。それは本当に社会のためなのでしょうか。現実を見ることが大切です。この映画の場合、動物愛護という一側面だけで語ったり、考えてしまってはいけないと思います。動物が殺されているのを隠すことが動物愛護ではないと思います。現実に向き合うことで、本当の意味で視聴者はアフリカのトロフィー・ハンティングについて多角的に考えられますまた、作品が「グロテスク」「醜い」と批判されることが多い事実に対して、「醜いと思うのは、観客が映画の登場人物に自分自身を見るから」と語ったそうだ。観た人の数だけ異なるメッセージが存在するザイドル監督の作品。みなさんは『サファリ』を観て何を思うだろうか。目を背けたくなるような事実に直面したときに私たちは、人間の闇に、そして自分の闇に気づかされるかもしれない。 予告編※動画が見られない方はこちら 『サファリ』監督 ウルリヒ・ザイドル脚本 ウルリヒ・ザイドル、ヴェロニカ・フランツ2016年/オーストリア/90分/16:9/カラー/5.1ch/ドイツ語、オーストリア語/日本語版字幕 佐藤惠子/後援 オーストリア大使館/オーストリア文化フォーラム/配給 サニーフィルムWDR Copyright © Vienna 2016配給 サニーフィルム2018年1月27日(土)よりシアター・イメージフォーラム、2月3日(土)よりシネ・リーブル梅田ほか全国劇場ロードショー
2018年01月26日今から30年以上も前、冷戦時代のドイツで「ベルリンの壁」をすり抜け、西ベルリンからラディカルな音楽が禁止されていた東ベルリンに、“パンクミュージック”を密輸していた男が存在する。Be inspired!の姉妹メディア「HEAPS MAGAZINE」で昨年まで連載をしていた、マーク・リーダーだ。2月に彼が来日し、東京と京都で開催される音と光を実験的な表現で探索するフェスティバル『Berlin Atonal』に参加することが決定した。一歩間違えたら秘密警察に連行されるという危険を犯して、“正義感”で音楽を密輸してきた男は、日本に何を運んでくれるのか?今回のイベント『Berlin Atonal』を共催するHEAPS MAGAZINEからの告知文は以下。*****立ち入り禁止のフェンスをおもしろ半分によじ登っちゃいました、借りてきたCDをこっそり自分用にコピっちゃいました、どころの話ではない。冷戦時代のドイツで「ベルリンの壁」をすり抜け、禁じられていた音楽を詰めこんだ「カセットテープ」を東に「密輸」しちゃいました。一歩間違えれば秘密警察に連行される危険を冒した(それも正義感から)、命知らずな男がいる。イギリス人音楽プロデューサー/DJ/ミュージシャンのマーク・リーダーだ。昨年に完結したHEAPSの連載で、はじめてその存在を知ったみなさんも多いことと思う。その渦中の“音楽密輸人”、来たる2月16日(金)・17日(土)に京都と東京の二都市で開催されるベルリン発の音楽・アートフェスティバル「Berlin Atonal(ベルリン・アトーナル)」主催のトーク/クラブイベント「New Codes」に出演することが決定した。貴重な当時のベルリン話とドキュメンタリー映画、DJセットをいそいそと担ぎ、もうすぐ音楽密輸人が日本の税関をすり抜ける!(今回は密輸はしません)『B-Movie:LUST & SOUND IN WEST-BERLIN 1979 – 1989』 – 公式トレイラー※動画が見られない方はこちら※2月17日(土)第一部:上映会&トークショーのみ、Berlin AtonalとHEAPSとの共同開催です。※マーク自身が記録したドキュメンタリー映画『B-MOVIE』は、フェス、音楽イベントの開催と一緒にしか流すことができないという制約あり。この機会にしか見れない貴重な映像に、プ・ラ・ス、マーク本人にも会えるスペシャルな上映会&トークショーです!国境警備隊・秘密警察を出し抜いた「マーク・リーダーの偉業」を簡単に振りかえる東ベルリンは、世界一入場規制が厳しい“ナイトクラブ”のようだったラディカルな音楽が禁止されていた東に“パンク”を運んだ男、マーク・リーダー(Mark Reeder)にしか発せられない言葉だ。冷戦時代、ドイツが東西にわかれていたころの話である。一夜にして有刺鉄線が張り巡らされ、着々と建設された3メートルの「ベルリンの壁」が自由な西と制限のある東を分断。ソ連でビートルズが禁止されていたように、東では西の先進的な音楽は禁じられていた暗黒の時代だ。20歳のときに「クラウト・ロック*1」と「デイヴィッド・ボウイのベルリン移住」に刺激され、故郷イギリス・マンチェスターから鉄道に乗り、ヒッチハイクし、“普通が普通でない”ベルリンへとたどり着いたマーク。真昼間からパブでトランスジェンダーに出会ったり、取っ手が欠けたスープボウルに注がれたコーヒーをすすったり、到着して数日後には東ベルリンで不味いキャベツ料理を食したり、驚きと興奮でベルリンを体感していた。同時に、音楽人としても本領発揮。マンチェスターのレコードレーベル特派員として西ベルリンのラジオに故郷のバンドを売り込み、西ベルリンのナイトシーンにも頻繁に出入り。その傍ら、マークは誰に頼まれるわけでもなく「豊かな西の音楽を東に届けなくては!」と使命感に駆られ、前代未聞の暴挙に出ていた。その暴挙を少しだけ紹介する(連載で知っている人は飛ばしてくれ)。(*1)西ドイツ生まれの前衛的・実験的音楽。Kraftwerk(クラフトワーク)やCan(カン)、Neu!(ノイ!)みたいなバンドが操るキテレツでプログレッシブな音が特徴。若かりし頃のマーク1. “カセットテープ密輸中毒”になる国境をすり抜けるスリリングさに、ハマってしまったのでしょうか。当時の東では、ロックレコードを手に入れるのは至難のワザだ。エレキが市場に出回っていない。バンド演奏するためには適性検査に合格しなければならない。どんどん型破りになる西の音楽シーンに比べ、東の規制は依然変わらず、国営レコードや検閲にパスした音楽だけがラジオの電波を独占していた。そこでマーク、西ベルリンのアパートでせっせとパンクやらディスコやら前衛音楽やらをカセットに詰め込み、先進的な音楽が禁じられた東に幾度となく“密輸”。目をギラギラ光らせる国境警備隊の関門を突破し(見つかったらブラックリスト入り)、東の友の手へと届けた。あのペット・ショップ・ボーイズの未リリース曲が東の隠れゲイディスコで流れたこともあった!どこに隠したかはいまでも明かせないらしい(今回、こっそり聞いたら耳打ちしてくれるだろうか)。2. 東の教会での違法パンクライブを成功させる「パンク」が禁じられた東の「神聖な教会」で「違法パンクライブ」を成功させてしまったのである。字面だけでもパンチがあるが、やっていることはパンチ以上の問題ではない。西のパンクバンドの音を東に伝えたい、と彼らと国境を突破し、教会の神父を説き伏せ、かき集めた楽器で極秘ライブをアレンジ。3. エレクトロ、シンセポップ、テクノシーン。ベルリンの音楽と世界各地の架け橋に西のディスコで流れていたハイ・エナジー*2のテープをバーナード・サムナーに渡していなかったらニュー・オーダー*3の『ブルー・マンデー』はおそらく生まれていなかっただろう西ベルリンの音を英バンドの耳にいち早く届けたり、東のパンクバンドを英音楽番組で紹介したり、壁崩壊後にはベルリン・テクノシーンの初期レーベル「MFS」を創設しミュージシャンをプロデュース、国際的ヒットをとばした。デペッシュ・モード、日本のバンド・電気グルーヴなど世界的バンドのリミックスも手がけ、現在ではイギリスや中国などの若手バンドのプロデュースも精力的に行っている。ベルリンの代表的な「テクノカルチャー」の根源に、マークあり。東西が統合された新生ベルリンにおいて電子音楽の普及に務め、その音楽が再び他国と電子音楽と影響し合う架け橋となった。(*2)80年代初頭にロンドンのゲイディスコ・シーンで生まれたエレクトロニック・ダンスミュージック。(*3)イギリス・マンチェスター出身のエレクトロ・ダンス・バンド。「新しいサウンドの可能性を探求せよ」実験的クリエイションの仕掛け人Berlin Atonal…ついついマークの紹介が長くなってしまった。社会に変革をおこそうとユニークなムーブメントを追うHEAPSにとって、アンダーグランドシーンに棲息し、突飛なアイデアと反骨精神、それを突き通す精神力でベルリンの、いや世界の音楽史に影響を与えたマークは、いわば師匠とも呼べる存在。現在では“低音響くテクノクラブ”のイメージがあるベルリンにも、音楽が自由に鳴り響いていない区域のある時代があった。規制や法を破ってまでも文化や表現の自由を救おうとするマークのピュアさ、タフさ、そして音楽のためなら身を粉にする献身(どこまでも突っ走る音楽狂ぶり)に脱帽した。と同時に、既存の文化や体制にとらわれないカウンターカルチャー精神が流れるHEAPSにこの上なく嵌った人物だと、我々は歴史の先端から坂向くように追っていたのである。Berlin Atonal 2017 © Camille Blakeそして、そのマークと同様のメンタリティを持つのが、今回のイベント主催者「Berlin Atonal(ベルリン・アトーナル)である。新しい音楽の良さを聞き分ける耳と、失敗を恐れない果敢なチャレンジ精神を持ち、「まだ誰も良いと言っていない音楽やアート」の創造的表現を実験的な創作を支えたい、継承しようと動く。ベルリン・アトーナルとは、壁がまだあった頃の1982年、西ベルリンではじまった音と光の実験的フェスティバル。初公演は、パンキッシュなクロイツベルク地区のライブハウスSO36にて。アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンやマラリア!などの前衛的な西ベルリンバンドが実験性を爆発させた。それから4回にわたって開催されてきたが、6回目の開催を前に主催者のディミトリ・ヘーゲマンが休止を宣言、テクノこそが新たな時代の音楽だとクラブ「Tresor(トレゾア)」を創設。アトーナルは長い休止期間に入ってしまった。その後トレゾアはベルリン・テクノを確立し、ベルリンのクラブカルチャーを形成することになる。が、同時にテクノは徐々にマスに受け入れられる音楽となっていく。前身アトーナルがノイバウテンらをステージに立たせたその挑戦的な目線、成功するかわからない音と光、創造の化学反応実験が、いま必要だ。23年の年月を経て、2013年にベルリン・アトーナルは復活した。「有名でないアーティストを2000人の観客の前で演奏させる」「フェスディレクター自身も未見のパフォーマンスを遂行させる」「完成度の高いエンターテーメントではなく、未完成・未知数領域の“実験”のスリルを楽しむ」「成功するだろうとコンフォートゾーン(楽な領域)にいたら、文化や創造性は衰退してしまわないか」常識や既成を鵜呑みにせず、必要であればそれを壊すことさえ躊躇しない。音と光、芸術、スペースを実験的・先進的な表現で探索し、まっさらな新しい音楽のあらゆるアイデアや可能性のプラットフォームをあたえる。音楽フェス大陸・ヨーロッパでも、その個性と精神性で唯一無二のポジションを獲得、堂々鎮座するのが、ベルリン・アトーナルなのである。そのベルリン・アトーナルが来月東京・京都で開催するクラブイベント「New Codes(ニュー・コーズ)」に、マーク・リーダーを呼ぶ!型破りなマークとアトーナルが連携して生まれるイベントとは一体どんなものになるのか…。アバンギャルドなアプローチで新たな芸術表現・カルチャーを切り拓く両者の熱量を、細胞レベルで感じてみたくないか?Berlin Atonal 2017 © Camille BlakeMEET HEAPSとは?HEAPS / Be inspired!で取り上げた取材対象者を日本へ呼び、実際に会って確かめてもらうコンセプトのイベントシリーズです。Experience Studio(再現イベント)、Public Interview Studio(公開インタビュー)の二つのイベントから構成されています。このイベントシリーズの特徴は、読者のみなさんと共創しアクションをする場を作ることと、参加者が新しい概念や多様な意見をミッションとして社会に広めること(発信すること)です。そのため、イベントは写真、動画、録音取り放題、拡散し放題という形式をとっています。メディアでありながら、メディアを疑って欲しいと考え、「見て、確かめて、発信する場」として提供します。ネガティブな意見があったとしても“それでいい”、というか、“それがいいい”!多様な意見として発信してもらいたいと考えています。開催会場・日時2/16(金) 京都 Metro第一部 19:00〜 第二部 23:00〜2/17(土)東京 Contact第一部 19:00〜[50名限定]第二部 23:00〜[人数制限なし]※2/17 (土)第一部、上映会&トークショーのみ、HEAPSとの共同開催※第一部は、未成年の方でも入場可能です。第二部は、20歳以上で写真付きIDが必須となります。Berlin AtonalとはBerlin Atonalは音と光を実験的な表現で探索するフェスティバルです。1982年に西ベルリンで始まり、創造性豊かなパイオニアたちが芸術、特に音を使った表現の全く新しいアイデアや可能性を試すためのプラットフォームとなりました。しかしベルリンの壁の崩壊と共に、1990年に一度休止しました。2013年、フェスティバルはベルリンに復活し、それ以来ヨーロッパでも代表的な、新たなオーディオ・ビジュアル・アートの創造、発表、発展の場として定着しつつあります。芸術、スペース、音と光に対する、先進的で妥協を許さないアプローチの代名詞として。問い合わせはこちらから〈第一部:映画上映 & Mark Reederトークショー〉19:00〜[50名限定]『B-Movie:LUST & SOUND IN WEST-BERLIN 1979 – 1989』1980年代のベルリンの音楽、アート、混沌を描いた映画。壁で分断された都市は、特別な種のサブ・ポップカルチャー故にクリエイティブな人種のるつぼとなり、独創的な物好きや有名人も同様に惹きつけた。その多くは、長く続く商業的な成功ではなく、瞬間、スリル、刺激を楽しむことを選んだ。そこにはヨーロッパの他の地域では不可能のように思われるあらゆることが、全て集まっていた。英国マンチェスターからこの街に飛び込んできた音楽好きの青年、Mark Reederの目を通して描かれる、熱狂的で創造的な10年間を駆け抜けるコラージュであり、パンク・ミュージックから始まりセクシャル・マイノリティーのLove Parade、テクノの誕生までを辿った、現在のベルリンの音楽とカルチャーのルーツを紐解くドキュメンタリー。予告編:〈第二部:クラブイベント〉23:00〜[人数制限なし]※20歳以上の方対象。写真付き身分証明書をご持参下さい。出演者2/16(金)京都METROMoritz von Oswald (DJ)Demdike Stare (DJ)YAMA (DJ)YPY (Live)Barium (Live)Taguchi (Live) 2/17(土)東京ContactMoritz von Oswald (DJ)Demdike Stare (DJ)YAMA (DJ)YPY (Live)Carpainter (DJ)Mark Reeder (DJ)Takahashi (DJ)Lil Mofo (DJ)Changsie (DJ)セーラーかんな子 (DJ)料金<上映イベントのみ>前売 1000円 ドリンク代別途当日 1500円 ドリンク代別途 <クラブイベントのみ>前売 3000円 ドリンク代別途当日 3500円 ドリンク代別途 <第1部&第2部 通し券>前売 3500円 ドリンク代別途当日 4000円 ドリンク代別途前売り券販売開始:1/20(土)チケットはこちらから [e+]※京都METRO「前売」、及び「通し券」メール予約方法:ticket@metro.ne.jp宛にタイトルをそれぞれ「2/16 映画上映予約」、「2/16 New Codes前売予約」、「/16 New Codes通し券予約」、として頂き、前日までに、お名前と枚数を明記してメールして下さい。詳しくはこちら [フェイスブックイベントページ]マーク・リーダー/Mark Reeder1958年、英・マンチェスター生まれ。78年から独・ベルリン在住。ミュージシャン、プロデューサー、サウンドエンジニア、レコードレーベルの創設者として英独、世界のミュージシャンを育てあげる。過去にはニュー・オーダーやデペッシュ・モード、電気グルーヴなど世界的バンドのリミックスも手がけてきたほか、近年では、当時の西ベルリンを記録したドキュメンタリー映画『B-Movie: Lust & Sound in Berlin (1979-1989)』(2015年)でナレーションを担当。現在は、自身のニューアルバム『mauerstadt』の制作やイギリスや中国などの若手バンドのプロデュースやリミックス、執筆・講演活動なども精力的に行っている。markreedermusic(ウェブサイト)この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!世界50ヶ国を渡り歩いた元難民DJが解説、デンマークがクリエイティブな理由とは? 「人生何が起こるかわからない」―イラクから難民としてデンマークに渡り、音楽で人生を変えた男に、その言葉はピッタリだ。壮絶な人生を送った彼だからこそわかる、デンマークの本...
2018年01月25日「なんか身体がだるい」「生理痛がつらい」。そんなときに手に取る薬だけど、ちょっと待ってほしい。それは本当に、あなたの生活を改善してくれるものだろうか。3月3日に台湾で店舗をプレオープンするスタートアップ、「DAYLILY(デイリリー)」が提案するのは、天然の滋養で身体を整える、漢方のあるライフスタイル。病気になってから対処するのではなく、病気にならないように体質を改善していこうという試みは、あなたが持つ根本的な病因を解決してくれるかもしれない。Top photo by Jun HirayamaText by Yuuki Honda ーBe inspired! この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!17店目:一杯のお茶から人と地球の健康と未来を考える、GINZA SIXのLUVOND TEA SALON | フーディーなBi編集部オススメ『TOKYO GOOD FOOD』 フェアトレード、ダイレクトトレード、オーガニック、ベジタリアン、ビーガン、ゼロウェイスト、昆虫食、未来食…。東京の街に日々増えていく、お腹をただ満たすだけではない...
2018年01月24日Be inspired!をご覧のみなさん、こんにちは。山脇 耀平(やまわき ようへい、25歳)と申します。EVERY DENIMWebsite|Facebook|Twitter|InstagramEVERY DENIMとは2015年現役大学生兄弟が立ち上げたデニムブランド。なによりも職人さんを大切にし、瀬戸内の工場に眠る技術力を引き出しながらものづくりを行う。店舗を持たずに全国各地に自ら足を運び、ゲストハウスやコミュニティスペースを中心にデニムを販売している。All photos by Jun HirayamaText by Yohei YamawakiーBe inspired! この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!「作り手」と「買い手」に新たな価値を。前代未聞の“移動型デニム工場”の設立に挑戦する兄弟。 2017年4月に「Forbes誌が選ぶ、アジアを代表する『30歳未満』」に選出された“デニム兄弟”が日本に存在する。二人の名前は島田 舜介(しまだ しゅんすけ、1994生まれ)...
2018年01月23日こんにちは!池尻大橋からALL YOURSというお店でDEEPER’S WEARというブランドを取り扱っている、木村 昌史(きむら まさし)がお送りします。ヒトの悩みを解決するために、服をハッキングする男。新年なので、改めてお話しさせていただくと僕らは「洋服=ファッション」じゃなく、「洋服=道具」だと思ってる。「インターネット時代のワークウェア」と言うコンセプトはここから生まれている。僕らの2018年からの目標は「服をハッキングするコト」。どういうことかって?ヒトには合理性以外にも惹かれる強烈なコトがある。それは「体験」や「思い入れ」と呼ばれるもの。一見すると「無駄」に思えるものでも、その人にとって「すごい大切なもの」そんなモノが確かに存在する。ニンゲンはひとつの要素で出来上がっている訳じゃない。右へ左へ、前へ後ろへ、ゆらゆら、フラフラしているのだ。そのグラデーションのような、レイヤーになっている部分があるからニンゲンなのだと思う。僕も無駄なコトが大好きだし、同時に意味のあるコトも好きだ。好き嫌い、趣味趣向、興味無関心。色々な部分に触発されて、ヒトは生きている。みんなが欲しいモノは作れない。それぞれ、好き嫌いがそこに存在するからだ。ビジネスとしての僕らのようなモノ売りには、そこが限界だと言ってもいい。でも、みんなが必要なものは、存在する。「雨に濡れたくない」「自分のニオイが気になる」「色が落ちて困る」そんな、根本的な悩みや、ストレスは結構なヒトたちが持っているはずだ。それは、今あるものをハッキングするコトで、解決できるかも知れない。そんな気持ちがどんどん強くなっていった。「無駄なモノ、作ってない?」と自問自答しなくなったら終わり。アメリカのヴィンテージウェア。特にワークウェアやミリタリーウェアは何のために作られたのだろう?と考えてみると、ファッション消費のために作られたわけではない。例えばワークウェア。LEVI’Sのジーンズはなぜ作られたのか?例えばミリタリーウェア。M-65はなぜ作られたのか?以前記事で詳しいことは書かかせてもらったけど、そこにはヒトが「ストレス」を感じる部分を衣類で解決しようとした工夫がある。そこには解決すべき問題があり、応えるべきニーズがあったのだ。必要だから作り続けられてきた。それがモノとしての本質だと、僕は思うのです。だから、長い間作られ続け、流通し、人の手にわたり、長い年月をかけて、古着(ヴィンテージ)として僕らの手元にまで残る。だから、古いものにも値段がつく。LEVI’Sの501®なんて、1890年誕生。もう130年近く作られてるんだぜ?服のそもそもは、カラダを保護したり、寒さ暑さから身を守るために生まれたはずだ。今の服はその「必要」な要素を果たしているだろうか?という意味で、僕らはファッションの外側にいる。(ただ、絶対に時代性というものがあるので、その部分だけ間違えないようにしているけれど)少なくとも僕らは「リーバイスの501®」のような製品を作りたい。そこに挑戦している。ワンシーズンだけ着て捨てるようなモノづくりはまっぴらごめんだ。「無駄なモノ、作ってない?」これは毎回、自らに問いかける、重要な質問だ。僕らの時代はアメリカのヴィンテージウェア=1940年代〜1970年代に作られた服がそう言われていたけれど、どうやら今は90年代のモノもヴィンテージというらしい。こっから2000年代の古着がヴィンテージと呼ばれるようになるのか?「ニンゲン中心」ではなく、「マーケティング中心」に作られたZARA、H&M、UNIQLO、GAPの服が「ヴィンテージ」と呼ばれるようになるのか?ちょっと、想像ができないよね。そんなのに価値がつくのかな?(僕がおっさんになっただけなのかも知れないけど…)ALL YOURSWebsite|Web store|Blog|Facebook|Instagram|Twitter|FlickrTEL:090-6075-5854住所:〒154-0004 東京都世田谷区太子堂4-4-5 三軒茶屋リリエンハイム #1004
2018年01月22日グリッター*1といえば、化粧品などによく入っているキラキラしていて可愛いもの、という印象だろうか。あまり知られていない事実ではあるが、そのグリッターの多くは、自然に分解されることがない。つまり水に流してしまうと、水中で生きる動物の体内や、そのまわりの環境に残ることになる。だがグリッターの使用を諦めるのはまだ早い。その眩しい輝きの持つ可能性に魅せられて、「Shine responsibly」(責任を持って輝く)というメッセージを掲げ、生物分解が可能なグリッターを開発したブランドがある。(*1)ラメや大粒のラメであるホログラムなどの総称
2018年01月20日「世界で生産される食料の、約1/3が捨てられている」「今日も地球のどこかで、9人に1人が飢えで苦しんでいる」それを聞いても、なんだか食料廃棄の問題は、遠い世界で起こっていることのように思える。深刻な問題なのだろうということはわかるが、それよりも自分の目の前の現実に、日々追われていく。もしかすると、そんなふうに感じてしまう人は多いかもしれない。では、もしいつもの料理に「クックパッド」のあるレシピを取り入れるだけで、あなたがそんな状況を救うきっかけになれると聞いたら、どう思うだろうか?“もったいない”発祥の地、日本は廃棄大国「食品ロス」とは、本当はまだ食べられるのに廃棄されてしまう食品のこと。年間で日本が発生させている食品ロスは、およそ621万トン。(平成26年度)この数字は、世界の途上国に援助する食料の約2倍と言われている。(参照元:農林水産省)日本の食料自給率は、先進国の中でも最低水準の38%で、食料の大半を海外からの輸入に頼っている。だがしかし、その多くを無駄にしてしまっているのだ。実は、そのうちの約半分である282万トンが、家庭から発生するいわゆる生ゴミだという。実際の内訳は食べ残しのほかに、約3割が野菜や果物の皮や芯などの、「調理くず」だ。(参照元:農林水産省)「平成29年度山形県環境にやさしい料理レシピコンテスト主食部門準グランプリのレシピ」実はこうした料理を作ることは、家計だけではなく地球に、そして見知らぬ誰かにも優しい。世界の食料廃棄量は年間13億トン。飢餓で苦しむ人々は8億人。いま食品ロスは、国際社会全体で解決しなければならない課題となっている。国連でも、2030年までに「世界全体の一人当たりの食料廃棄を半減させる」という目標を設定するほど。(参照元:国連広報センター)この食品ロスによって無駄になるのは、食料はもちろんのこと、生産にかかった水やエネルギーなども含まれる。それだけではなく、食料を生産することでただでさえ環境に負荷をかけているうえ、ゴミ処理の過程で排出される不要な二酸化炭素によって、地球にも悪影響を与えてしまう。各国の状況を見てみると、開発途上国では生産段階で食料の多くが廃棄されるということに比べ、先進国ではその多くが消費段階で捨てられているという。にもかかわらず、栄養不足によって命を落としてしまうと言われる年間500万人の人々は、開発途上国に住む子どもたち。そんなあまりにも大きな「矛盾」にインパクトをもたらすことのできる方法は、食品ロス削減レシピのように、意外にも身近なところにあった。
2018年01月19日「いつも興奮してるの」「クリトリスに指を入れて」「淫ら」「強気でかっこいい」「オーガズムに達したふりをしないで」なんて書かれたTシャツのセレクション。とあるブランドが、そんな思わずドキッとしてしまうような文句を多用するのには、明確な目的があったのだという。「服をただ着るのではなく、マニフェスト(宣言)として着よう」というモットーを持つBe inspired!の編集部がセレクトしたブランドの詰まった「人や環境、社会に優しく主張のあるWARDROBE(衣装箪笥)」を作り上げる連載『GOOD WARDROBE』。今回紹介するのは、スペイン・バルセロナ発のセックス・ポジティブを謳うブランド「Badass Prints(バッドアス・プリンツ)」。同ブランドの創始者であるカーラさんに話を聞いた。
2018年01月19日Mona CordesWebsite|Instagram(写真)|Instagram(個人)
2018年01月18日「フェミニズムとかではないけど…」。女性が、女性ならではの不満をこぼすときにちょこちょこ耳にするこのフレーズ。「フェミニズム」「フェミニスト」が日本でマイナスなイメージに捉えられていることを示唆している。フェミニズムにもいろいろあって、なかには論理的ではない意見が存在していることも事実。日本のテレビ番組に出てくる“フェミニズム・タレント”が男性を一方的に攻撃するシーンに嫌悪感を感じてしまう人が多いことも理解できる。過激になるのにも個人のストーリーと理由(もしくはタレントとしての役目)があるだろうけれど、一ついえることは、それがフェミニズムというアイデアを代表しているわけではないということ。過激で目立つ意見だけがフェミニズムなのだと勘違いされやすい日本の現状に対して今回Be inspired!はステレオタイプのフェミニストのイメージとは少し違う、akiraちゃんを紹介。akiraちゃんは現在ロンドン在住、NYLONブロガーの学生。フェミニストTシャツをキュートに着こなす彼女に、フェミニズムとはなにかについて話を聞いた。ーフェミニズムってどういう意味だと思う?男女に平等にいろんな機会が与えられてみんなが一人の人間として好きなように生きられることだと思う。ーフェミニズムについて考え始めたきっかけは?エマ・ワトソンの国連でのスピーチを聞いたのがきっかけ。多分3、4年前かな?それまでフェミニズムって聞いたことはあったけど、考えたことなんてなかったの。当時何回も聞き直したくらい感化されたのを覚えてる!それから自分でも色々調べてちゃんとフェミニズムについて考え始めたのは2年前くらいかな。ーInstagramでフェミニストTシャツを着ている写真をアップしているけど、どうして?それまでフェミニストって実際にSNSを通して言ったことがなかったんだけど、ファッションを通したらみんなに興味も持ってもらいやすいかなと思って。ひらがなの方のTシャツは知り合いのrurikoちゃんがやってるウェブサイトhoneyhandsで作られてて頂いたの。デザインが可愛くてお気に入り!Instagramよりー思想をファッションで体現することは大切だと思う?うーん…大切ではないかも。ファッションは自分が着たいと思う服を着るのが一番だし、私は自分が可愛いと思った服を着たいな。でもショーなんかで体現してたり、自分の考えをファッションで表現できたりしたら素晴らしいことだと思う!ーこれまで生きてきて女の子だからという理由で言動を制限されたり、役割を期待されたりしていると感じたことはある?大学三年生の時に私が就活をせずに卒業したらロンドンに行くって知り合いの男の子に話したら「女子って最終的に結婚して主婦になれるから何でもできていいよね」って言われたの。心の中では「は?」って思ったけどその場では何も言い返さなかった。私はもし結婚しても続けたかったら仕事を続けたいし、二人で協力して生計を立てていきたいと思ってるのに、何でそんなこと言われなきゃいけないんだろうって悲しかったな。もちろん相手は悪気なんてなかったんだろうけど。あとこれはフェミニズムには関係ないかもしれないけど、私の「アキラ」って名前が男の人に多い名前だからたまに自己紹介すると「何で男の名前なの?」とか「男なの?」って言われたりからかわれたりすることが今でもあって。何で男の名前って決めつけるの?って小さいとき嫌だったなぁ。今では自分の名前は大好きだけどね!ーどうしてみんながフェミニズムについて興味を持つべきだと思う?日本は本当に平和な国だから男女差別についてそんなに考える機会がない人が多いと思うの。特に若い人たちは。例えば女の子の将来の夢がお嫁さんとかまわりでも将来結婚できたらいい、って人も多くて。もちろん結婚することは素晴らしいことだけど、それが女の子の幸せでゴールって決まってるのはおかしいと思う。幸せは人それぞれだし極端にいえば、男の人の将来の夢が専業主夫だっていいと思う。雑誌やテレビの男の子にモテるためのメイク、ファッションなんて必要ないし、インスタでアートとしてアップされてるトップレスの女性の写真が削除される必要だってない。会社でお茶やコーヒーを出すのは女性なんてルールはないし、男の子がピンクを好きだっていいんだし、強く男らしくいなきゃいけないっていう必要だってない。自分には関係ないって思う人も多いと思うけど、フェミニズムっていう言葉を一人ひとりが理解するだけでも世の中は少しずつ変わると思うの。日本だけが関係ないなんて絶対ない。だからみんながフェミニズムについて少しでも知ってくれたら嬉しいな。
2018年01月18日こんにちは、伶奈です。大学院まで哲学を専攻しちゃったわたしが、読者から日常の悩みや社会への疑問、憤りを募り、ぐるぐる考えたことを書き綴る連載の第5弾。一方通行ではなくみんなで協働的に考えられるようにしたいので、時に頷き、突っ込みながら読んでくださると嬉しいです。「あなたがいないと生きられない」は、ダメだ友達に相談される「別れたいけど、でも…」のあとは必ずといっていいほど執着話。でも7年間も一緒にいた、でもいい人、でも好き、でも相手は変わると言った、etc…。人間、一筋縄ではいかぬ。複雑すぎる。「なるほどそっかー」と頷きながら、頭のなかでは別のことを考える。わたしたちは、一体なにに執着しているのだろうか。もしかして、相手に執着しているようで、実は自分に執着しているのではないか。7年もあなたと一緒にいたわたし、こんなあなただったけど一緒にいたわたし、わたしのために変わると言ったあなた。結局どこまでもわたし。わたしがわたしを縛っているだけで、その目にあなたは映っていない。めうさんが言うように、「今までかけてきた時間」の呪縛はとくに恐ろしいと思います。もはや自分でも相手でもなく、宙に浮いてしまった「関係性」を必死に捉えようとしている。でもこの関係性だって、実は相手に共有されていない自分だけのものかもしれない。相手の意志が配慮されている感じはしません。あと、孤独が辛いから執着してしまうということもよくある。でも、相手はわたしの孤独解消の手段なんかじゃない。人格だ、人格。これら執着に共通するのは、世界が自分のものになってしまっている、他者不在の自己愛だということ。「あなたがいないと生きられない」みたいな、他者を自己に還元してしまう、依存だ。自戒を込めて、他者と世界はお前のものじゃねえよ、と言いたくなる。そういう意味では、愛と執着をちゃんと分ける必要はある気がします。いや、もっと相手に執着したら?でもそのうえで(←これ大事)、執着なんてし合わないで「あなたの好きにして」も、なんか違う気がする。束縛しちゃだめ、所有欲は罪だ、みたいな恋愛観って一見正しいけれど欺瞞的だとも思います。前提に「人間ひとりで生きられる」的な、行き過ぎた個人主義が潜んでいる気がするから。18世紀に活躍したドイツの哲学者イマヌエル・カントは、「自律」と「他律」を分けて、「大人だったら自律して理性的に生きろ」と言います。カントの世界観では、関係性や他者よりも「自己」が先立っていて、自律した大人たちがそれぞれ理性的に結びついている。イメージは、きちんとした大人同士の恋愛。(カント研究者たち、雑な解釈で本当にすみません)でも、わたしたちは本当にそういう世界で生きているのでしょうか。そういう人間像を理想としているのでしょうか。わたしは、自律した個人が点在しているのではなく、網の目のなかにすでに人間は存在してしまっている、つまりネットワーク的な関係性を持ってしまっていると思います。そして、この世界や存在はすでに「ある」ものではなく、「つくっていく」動的なものだとも思います。人間関係は、乾いた砂のようにサラサラしたものではない。ここは、誰かがいるからこそ生きていける世界。だからといってベタベタだけでも自己愛に回収される執着ごっごでもない。孤独だし、孤独じゃないし。誰でもいいようで、誰でもよくないし。なんか言ってそうで、何も言ってない…?いや、そうなんだけど、その揺れ動きのなかで、どうしようもなさのなかで、ひとは生きているのだなあ、と思うのです。わたしの敬愛する20世紀ドイツの実存哲学者、カール・ヤスパースがこんなことを言っています。私自身であることは孤独だということである。私もまた自立者として独立して自分自身でないならば、私は全く他者のなかに自分を失う。このとき私自身がなくなると同時に、コミュニケーションが破棄される。私は、コミュニケーションへ入ることがなければ、自分になることができず、孤独でなければコミュニケーションに入る事ができない。どっちだよ、というツッコミはさておき、ヤスパースがいうコミュニケーションは、「おはよ」「ういーっす」ではなく、「心を本気で見せあおうぜ」みたいなヤバイやつで、「愛しながら戦い」と言い換えられたりもします。コミュニケーションが、戦いかよ。生半可な執着じゃない、キングオブ執着。ヤスパースは、人間は孤独とコミュニケーションの「両極性」のうちに存在する。ひとは、「他者へのコミュニケーション的態度と、自己の絶対的独立性という緊張関係のうちに存在するのである」と続けます。でも思うのは、いまこの世界で圧倒的に足りていないのは、コミュニケーションのほうではないでしょうか。だからもっと「相手」に執着したら?と思う。もっともっとコミュニケーションをとって相手を知ろうとしたり、応答し合ったり、感情を出し合ったり、愛を持って戦ったりすればいいのに。そしたら世界は、孤独でバラバラで壊れそうな人間がへばりついているところじゃなくて、同質さも異質さも共有して「あなたがいるから生きられる」空間になるのにな。All photos by Junko KobayashiText by Reina TashiroーBe inspired! この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!#004 「レディファーストって古くない?」でも、嬉しくない?“男性が女性を丁寧に扱う文化”を哲学的に考える| “社会の普通”に馴染めない人のための『REINAの哲学の部屋』 こんにちは、伶奈です。大学院まで哲学を専攻しちゃったわたしが、読者から日常の悩みや社会への疑問、憤りを募り、ぐるぐる考えたことを書き綴る連載の第4弾。一方通行ではなくみん...
2018年01月17日テレビCMや、駅のホームに貼られた広告で微笑むモデルやタレントと目が合い、新年早々、「◯キロ痩せる」などの目標を掲げた人も多いのではないだろうか。 筆者も例に漏れずだが、ふと、いったい何年前から、そんな広告に映る「誰か」のようになろうとしているのかと考える。ネットを開けばダイエットサプリや、美容サロンの広告が目に入る昨今。より「きれい」になる努力を、四六時中、強いられているように感じるのは筆者だけではないだろう。That’s a wrap on the 2017 #VSFashionShow!! BIG thanks to the Angels, the people of Shanghai & YOU for watching! pic.twitter.com/FaVxkoJKIP— Victoria's Secret (@VictoriasSecret) November 29, 2017「XSサイズのモデル」ばかり使う下着ブランドに疑問を投げかけたファッションショー近年アメリカでは、そうした風潮に疑問を投げかけるボディ・ポジティビティという動きが、広がりを見せている。ファッショモデルのような細さや、ルックスのみを「美しい」とする社会に対し、どんな体型やサイズも、そのままを祝福しようというのがこのムーブメントだ。昨年10月にフィットネスのトレーナーを務める、Alyse Scaffidi(アリス・スカフィディ)さん、 Lexi Scaffidi(レクシー・スカフィディ)さん姉妹が開催した「Anti-Victoria’s Secret Show」(アンチ・ヴィクトリアズシークレット・ショー)も、そのひとつ。このショーは、アメリカ最大のランジェリーブランド「ヴィクトリアズ・シークレット」が、毎年盛大に開催するファッションショー「ヴィクトリアズシークレット・ショー」に疑問を投げかけたもの。毎年、著名アーティストが出演する同ブランドのファションショーは、テレビ放映され、世界的に注目を集めている。美しいランジェリーを身にまとい、ランウェイを闊歩する「エンジェル」と呼ばれるブランドのトップモデルたちは、“世界中の女の子の憧れ”だ。Goddesses @bellahadid & @mengyaoxi basking backstage in all their #VSFashionShow glory! Shop their looks: pic.twitter.com/76Nquhets6— Victoria's Secret (@VictoriasSecret) November 29, 2017同ショーでは、これまでモデルのほとんどが白人であることが問題視されてきたが、近年では改善を見せ、昨年のショーでは起用したモデルの半数が黒人、もしくはアジア系やラティーノだった。しかし、写真からもわかるとおり人種こそ広がりを見せ始めたものの、「エンジェル」たちはみな背が高く、足が長く、XSサイズの典型的なモデル体型ばかり。世界的な有名ブランドのショーゆえ、若い世代に与える影響は大きいが、起用されるモデルはとても「リアルな女性像」とはいえない。そこで、スカフィディ姉妹は、自分たちを含め、身近な女性21人をモデルとして起用したアンチ・ヴィクトリアズシークレット・ショーを企画。モデルたちは、自身の家族や、友人からの紹介、SNSの告知から募ったが、プロデューサーのDomenik Cucinoba(ドミニク・クチノバ)さんの協力を経て、アメリカのニュージャージー州で開かれたショーは、本物さながらだ。※動画が見られない方はこちら魅力的にランウェイを歩くモデルたちの多様性は、身長や体型だけにとどまらない。ガンや拒食症を克服した人、障害を持つ人、いじめから立ち直った人など、スカフィディ姉妹が選出したモデルたちは、人生経験もさまざまだ。 BGMに乗せてセンターでポーズを決める姿は、まさしくそれぞれの「エンジェル」の魅力に満ちている。
2018年01月16日「年下も、同い年も、年上も関係ない」。そう言わんばかりに、被写体の世代にとらわれずにシャッターを切り続け、自然光のぬくもり溢れる写真で「平成」を切り取ってきた1993年生まれの写真家、小林 真梨子(こばやし まりこ)。そんな世代を超えて愛される彼女がいま、自分が生まれた「1993年」という世代で切り取り、同い年の表現者を総勢30人以上を集めて、表参道ヒルズに佇むギャラリー「OMOTESANDO ROCKET」で企画展『1993』を開催した。「大人ですが、それでもどこか子どもみたいにもがきながら今を生きている微妙な時期」と今年25歳になる自身の年齢を表現する彼女が、今回の企画展に込めた意図や、世代の壁を超えて人々に届けたい想いをBe inspired!は聞いた。普段から同い年のクリエイターとの親交が深い彼女がすかさず思いついた企画が、「93年生まれを集めたグループ展」だったという。そこで以前から写真家としてだけではなく、キュレーターとして活動する小林氏は、急ピッチで1993年生まれの同い年のクリエイターを総勢30名以上集めた。「93年生まれ」&「表現者」。そんな二つの共通項をもとに集められた25歳のクリエイターたち。1週目(1月5日〜1月10日)は、1993年生まれの、ミュージシャン、写真家、映像作家、モデル、俳優などを起用したミュージックビデオを撮り下ろし、披露。そして、2週目(1月12日〜1月17日)は、空間イメージを変えて、やはり1993年生まれの自身を含む写真家たちが、上記のミュ ージックビデオ撮影中に別角度から撮りおろした写真を展示した。分断された世代と世代をつなげたいから、世代で切り取る。「普段は、同い年か下の世代と遊んだり、彼らの写真を撮ることが多い。年上の人には気を遣ってしまう…」と語る小林氏。今回「1993年」というかなり限定された1年で切り取ったことで、逆に「分断された世代と世代をつなげたい」という意図があったと語る。日本では未だに「若いから」「フリーランスだから」ということを理由に、企業からクリエイターへの報酬が減額されて支払われることが多くある。そんなフリーランサーやクリエイターが生き残るのが困難な日本の現状に、小林氏は「今回の企画展のウェブサイトや販売したZINEに載っている名前を、世代関係なくいろんな人たちが見て、コラボレーションや仕事など新しい可能性やつながりが生まれたらいいな」と語る。また、今回の企画展を通して自分の写真や同い年のクリエーションを上の世代に見てもらうことで、「25歳でもプロの世界で通用するクオリティの作品を作れるんだ」ということを届けたいという。筆者は昨年25歳になり、大学も卒業したし、社会に出て働いているからか、成人したときよりは少し大人になった気分だ。子どもからの出口であり、大人への入口のような微妙な時期、25歳。その世代の心情を絶妙に切り取り、世代と世代をつなげるきっかけを作った小林氏の今回の試み。彼女のような媒介者が、今後日本に新しいクリエーションやコミュニケーションを生み出していってくれるに違いない。Mariko Kobayashi(小林 真梨子)Website | Instagram | Twitter1993年、東京生まれ。大学入学をきっかけに写真を始め、「楽しいこと」を追求しながら写真を撮っている。月刊誌『MLK』を制作ほか、アパレルブランド等の撮影も行う。初の写真集『ふれる、ゆれる。』販売中。※今回、以前Be inspired!で取り上げたHIGH(er) magazine編集長であり、小林氏の親友でもあるharu.氏が撮影を担当。All photos by haru.Text by Jun HirayamaーBe inspired! この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!「今の日本のマスメディアは私たちをなめてる」。22歳のHIGH(er) magazine編集長haru.が「タブーの存在しない雑誌」を作った理由 出版社や新聞社の編集者100人の投票で決められる「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」。23回目を迎える今年の大賞は「ベッキー31歳禁断愛お相手は紅白初出場歌手!」(週刊文春...
2018年01月15日私がこの映画で見せようとしたのは、難民のことを哀れな犠牲者か、さもなければ社会に侵入しては仕事や妻や家や車をかすめ取る、ずうずうしい経済移民だと決めつけるヨーロッパの風潮を打ち砕くことですこれは世界的に有名なフィンランド出身の映画監督アキ・カウリスマキが、現在日本でも公開されている「難民」をテーマにした映画『希望のかなた』に込めたメッセージの一部だ。独特なユーモアセンスを持つことで知られる彼は、「難民問題」で揺れる世界にどのようなアプローチをとったのだろうか。※動画が見られない方はこちら難民の直面する現実を盛り込んだストーリー舞台はフィンランドの首都ヘルシンキ。内戦が激化するシリアのアレッポから難を逃れようとして国々を渡り、同地にたどり着いた青年カーリドが主人公だ。ハンガリー国境で生き別れてしまった妹との再会を祈りながら難民認定を待っていた彼だが、トルコへ送還されることになり、不法滞在者として留まろうと決意する。そしてネオナチに襲撃されかけたところをレストランのオーナーに助けられ、彼は風変わりな従業員たちとレストランで働くことになる。実際のところ、難民が初めて入国した国が当人の難民申請作業を行なう責任を負うと定められているのだが、カーリドと同様に多くの難民は、逃れてきた人で溢れかえる地では難民申請をせずなるべく難民に寛容な国を目指すのだという。また、ネオナチが作品に出てくるように、大量に難民が流入してきたことにより、職を奪われてしまうかもしれないという危機感から難民を排斥する人々が存在するのも残念ながら事実である。このように観る者に難民にまつわる現実を見せながら、庶民の哀歓を切り取ったストーリーが展開されていく。過酷な問題にも、いつものようにユーモアで抵抗映画自体はほんの数カ所でしか撮影しないなどミニマルにしながらも、カウリスマキは独自のユーモアを入れることで作品に彼特有の味を出している。本作に関していえば、劇中に登場するレストランになぜかカウリスマキと彼の兄が経営する店にあったジミ・ヘンドリクス*1の肖像画が飾られていることや、同レストランで寿司*2をメニューとして提供しようとする場面の一部始終(日本人なら特に笑わずにはいられないだろう)が挙げられるだろう。(*1)ジミ・ヘンドリクスは「愛国心を持つなら地球に持て!魂を国家に管理させるな!」という発言で知られている(参照元:cinefil)(*2)アキ・カウリスマキは日本好きともいわれ、来日のたびに毎晩老夫婦が営む渋谷の寿司店に通っており、その老夫婦をテーマに映画を作ろうとしていた
2018年01月12日2017年4月28日に渋谷にオープンした複合施設、「SHIBUYA CAST.」。都会のど真ん中にあるこの場所で、血縁にも地縁にもよらない「拡張家族」になることを目的に、共に暮らし、共に働く集団がいる。名前は「Cift(シフト)」。 現在のメンバーは39名。半数以上が起業をしていたり、フリーランスのような形で働いている。ファシリテーター、弁護士、映画監督、美容師、デザイナー、ソーシャルヒッピー、木こり見習いなどなど、全員の肩書きを集めると100以上に。大多数のメンバーがCift以外にも、東京から地方都市、海外まで、様々な場所に拠点を持っていてその数も合わせると100以上になる。メンバーのうち約半数は既婚者で、何人かは離婚経験者。2人のメンバーはパートナーや子どもも一緒にCiftで暮らしている。そうした“家族”も含めると、年齢は0歳から50代にわたる。 バックグラウンドも活動領域もライフスタイルも異なる39人が、なぜ渋谷に集い、なぜ「拡張家族」になることを目指しているのか。 本連載では、CiftのメンバーでありこれまでにBe inspiredで記事の執筆もしてきたアーヤ藍が、多様なメンバーたちにインタビューを重ねながら、新しい時代の「家族」「コミュニティ」「生き方」を探っていく。 第1回目は、Ciftの発起人であり、他の38人のメンバーを集めた人物でもある藤代健介(ふじしろ けんすけ)さん。Ciftは、一般公募はせず、藤代さんが自分の周囲に声がけをし、彼との面談を経て、メンバーが選ばれている。 建築学科を卒業後「場の設計」のコンサルティングをしてきた藤代さんに、彼自身の来歴やCiftへ懸けた思いなどを聞いた。(c) CiftCiftとは?拡張家族とは?アーヤ:まず初めに、Ciftを知らない人にCiftを一言で説明すると? 藤代:平和活動のための拡張家族。「自分」が拡張して、「あなたもわたし」になれば、平和な状態になると思うんだよね。自分を傷つけたい人ってあまりいないから。 アーヤ:私は自己否定しちゃうことも結構あるな(笑)。けんちゃんは、自己否定したり、悩んだりすることはない? 藤代:僕は自己否定はあまりしないかな。何のために生きているのかとか、そういうことで悩むこともなくなりつつある。「生かされている」っていう感覚が強いからかな。 ここ数年でいろんな出会いがあって、色々な世界観に触れて、科学的にも哲学的にも「自分という存在は自我だけのものではない」っていうことを、頭と心で納得するプロセスを経てきたんだ。最初は好奇心から学び始めたんだけど、学んでいくなかで、結局は自己愛が自分を苦しめるっていうことを納得してきたし。 アーヤ:「家族」という言葉には、何かこだわりはあるの? 藤代:いや、家族っていうのは方便というか…。やりたいことはあくまでも「あなたもわたし」を、深めて広げていくこと。自分自身の拡張。その感覚を日本において分かりやすく伝えるには家族だと思ったんだ。今の時代の血縁家族が「あなたもわたし」かというと、必ずしもそうではないとは思うからこそ新しい家族像を創っていきたいよね。それぞれの平和観や家族観を共有するために、定期的に、家族会議や家族対話を開催している(c) Ciftアーヤ:そもそもCiftを立ち上げようと思ったきっかけは? 藤代:去年の夏ぐらいに、デザイナーからアーティストになろうと思ったんだ。相手の課題を解決すること、他者に答えを与えることじゃなくて、自分の問いを他者と共有することをしようって。いろんな背景があって、その思いに至ったんだけど。アートって、心で感じたことを体で表現していくプロセスで、その表現方法が、画家は絵を描くし、ダンサーは踊る。自分にとってはコミュニティを創ることだって思ったんだ。 アーヤ:Ciftの前もコミュニティづくりを結構やっていた? 藤代:自分でゼロからコミュニティを立ち上げたのは二回目かな。コミュニティの立ち上げとかにも関わったし、事務局をやっていたこともあるし。自分たちでお金を集めて、自分たちで運営する、市民的な動きは、大学2年生くらいからずっといろいろやってるね。 あと、3年前には30人くらい集めて、半年限定で「PROTO(プロト)」っていうコミュニティを祐天寺につくってた。そのときはCiftとは逆で、「自分の人生をプロトタイプにしよう」っていうコンセプトだった。「自分の人生をアートにしよう」とも言えるかと思うけど、目的が「自分」で、全体としてどうなるかっていうことは目的にしていなかった。そうするとコミュニティが自然とバラバラになっていって、それを半年ギリギリもたせた感じ。そのときの学びが、「家族になろう、平和を目指そう」っていうCiftの全体を目的にするコンセプトに繋がっているかな。目的が全体であることは、あらゆるコミュニティにおいて一番重要なポイントだと思うよ。(c) Cift「建てない建築」から生まれた「神話」がCiftの原点アーヤ:大学時代は建築学科だったんだよね。どうして建築をやりたかったの? 藤代:色々な縁が重なって偶然入った感じだよ。僕が好きだったのは、建物を作ることじゃなくて、物語をつくることだったから。大学の卒業制作では、神話をつくってたし。 アーヤ:神話!? 藤代:21世紀、仮想空間が発達して、ネットワークが脳みそに拡張して、その拡張された環境が私たちの行動とか思考をすべて変えて、生き方も見直さなくちゃいけなくなる時代、っていう背景設定。ミニマムのベッドルームがあって、その部屋を出ると、同じような部屋が集まってる。廊下には服とかすべてのものが集まっていて、すべてが自分の物であり、かつシェアされてる。メンバー同士がコミュニケーションをとっていて、いろんな組織があるんだけど、それが一個の生命体みたいになる。人はそこをヘモグロビン*1のように行き来しているんだけど、その大きい生命体と一人の人間だったら、生命体の方が圧倒的に拡張されているから、人はどんどんこのヘモグロビンになっていく。結果的にこの生命体が世界中にできていって、繋がって、地球上が一個の村になるっていう神話。(*1)ヘモグロビンとはヒトを含む全ての脊椎動物や一部のその他の動物の血液中に見られる赤血球の中に存在するタンパク質(c) Kensuke Fujishiroアーヤ:その発想がCiftのコンセプトの原点になってるんだね。 藤代:これは学生時代のポートフォリオなんだけど…(c) Kensuke Fujishiro藤代:「美術館をつくれ」っていう課題だったんだけど、僕は世界遺産をつくりにいったんだ(笑)。代々木公園のなかに何もない塔を建てる。そこに一人のヒッピーが壁画を描き始める。それがムーブメントになって、みんながハシゴをかけて、天井まで平和の絵を描き続けた…っていうストーリー。他の学生が模型をつくってきているなかで、僕は図面もなく、この詩を朗読したんだ。建築家というより、詩人だよね(笑)。 アーヤ:変態だね(笑)。 藤代:自分の魂に出会って、新しい自分になって帰っていく、「ソーシャルアニマルからトゥルーアニマルへ」っていう壮大なストーリーで語っているし(笑)。これは、要は温泉を作るプロジェクトなんだけど。(c) Kensuke Fujishiro藤代:これは、ARを通して、その都市がどれだけエコ活動をしているかが見える展望台。ここの人たちはこれだけエコ活動をやっていますっていうのが見えて、世界ランキングとかも見られるみたいな。思想が先にあって、そこに形を与えるっていう感じだった。(c) Kensuke Fujishiroアーヤ:すごい面白い!昔から平和とか哲学が好きだったの? 藤代:いや、そんなことはないよ。1960年代にスーパースタジオっていう「建てない建築家集団」がいて、彼らにすごく影響を受けたのと、大学3年生の時の先生にライゾマティクスの代表の齋藤精一(さいとう せいいち)さんがいたんだけど、彼から「建築は哲学だから」って言われて、ジル・ドゥルーズとかレヴィ・ストロースとか哲学家の思想にふれるようになった。 あと、僕は模型を作るのが不器用ですごい苦手だったんだ。自分の卒業制作をつくるときにも、後輩から「あなたが触ると壊れるから触らないでください」って言われるくらい(笑)。だから、言葉とか、態度とか、生き方そのものでしか自分のアートを表現できないと思ったし、それが自分の特性でもあると思ったんだよね。新婚の奥さんは、Ciftに入らない。でもそれも「拡張」の要素に。アーヤ:けんちゃん、去年結婚したんだよね。法的な「家族」である奥さんは、Ciftのことをどう思っているの? 藤代:あなたがやっていることは応援するけど、私は入らない、なぜなら過去の経験(PROTO)から、こういうプロジェクトは一緒にやらないほうがよいと学んだって言われたよ。僕と彼女は、人生を実験し続けるとか、シンプルで、ミニマムな生き方とか、世界への愛の持ち方とか、社会問題の切り取り方とか、そこに対する態度とか間合いとかはすごく合ってるけど、アクションは全然違う。彼女は一人の時間が好きだし、変なイデオロギーとかに巻き込まれたくない。すごくリアリストだし、左脳的で理論的。逆に僕は、エモーショナルなものが大好きだから。そこが違うっていうことをお互い認め合っているし、尊敬しあっているから、いいなって思えるようになった。 逆に、Ciftにいる時に出てくる自分と、彼女といるときに出てくる自分は全然違って、それが今の自分の人生に豊かさを与えているとも言えるし。 アーヤ:それもある種、自分を相手のほうに拡張していくっていうことだね。 藤代:そうそう。彼女がいることで自分が拡張されるし、パートナーという立場の彼女がCiftから距離を置くのも今ならすごくわかる。 アーヤ:そういうポイントも、Ciftのメンバーを選ぶ時に意識してた? 藤代:もっと複雑かな。女性と男性もそうだし、資本主義系と協働主義系、父性系と母性系とか、いろいろある。解きと結びの集合体として、複雑なレイヤーで、言語化できないレベルでバランスをとっているつもりだよ。メンバーそれぞれ、全国各地を飛び回っているため、テレビ会議も活用。Ciftは未来の文化遺産になるアーヤ:Ciftは将来どうなるんだろう?「終わり」みたいなものってあるのかな? 藤代:成功したら文化遺産みたいになるんじゃないかな。Ciftは、渋谷という都会のど真ん中、資本主義の中心みたいな場所で、協働主義の「村」であることを意義としているけど、そういう役割は時代の過渡期におけるものでしかないから。 歴史を見ていると、こういうのって物語として3回起きるんだよね。CiftはPROTOのあとの2回目だから、もう1個、未来に自分には何かあるんじゃないかな。それを自分が作りたいとかやりたいって思っているわけではなくて、そうなるんだろうなっていう予想だけど。Ciftはある種の「破壊」のプロセスで、3回目は新しい社会をつくる「創造」かな。そのときは、都会のど真ん中ではないと思うし、今あるエコビレッジとも違う何かになるんじゃないかと思う。 Ciftが時代における役割を終えた時に、僕も他のメンバーも卒業して、時間と空間を共にすることはなくなるけど、ここでの生活経験が、これからの時代を切り拓くひとつの価値になり得ると思ってる。だからみんながそれぞれのフィールドでCiftみたいなものをつくって、時代を引っ張っていくことが、ひとつの“エンド”なんじゃないかな。Ciftキックオフパーティーの時の写真(c) cift学生時代に思い描いていた、世界を一つに繋ぐ「村」のアイディア。それが、ある種の時代のニーズと重なり、Ciftという形で実現化されたのかもしれない。そんな実験的な場に集った多様な38人のメンバーの一部を、次回以降、紹介していく。CiftWebsite|FacebookAyah Ai(アーヤ藍)1990年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。ユナイテッドピープル株式会社で、環境問題や人権問題などをテーマとした、社会的メッセージ性のあるドキュメンタリー映画の配給・宣伝を約3年手掛ける。2017年春にユナイテッドピープルを卒業し、同年夏より「ソーシャル×ビジネス」をさらに掘り下げるべく、カフェ・カンパニー株式会社で精進中。
2018年01月12日Facebookがライブストリーミング動画の配信サービスを開始した2017年初頭、あらゆるマーケターは歓喜しただろう。フォロワーとの距離を縮めるのに、これほど有用なツールはないと。しかし「Facebookがまた革命を起こした」と騒がれた当時、このライブ配信で、トルコの青年がライフルで自らを撃ち抜いた事件は、あまり知られていないかもしれない。彼は恋人にフラれた悲しみに耐えきれず、大勢の視聴者の前で自ら命を絶った。FacebookのCEOマーク・ザッカーバーグはこの事件を受け、昨年2月に「Facebook上で起きた自殺の配信という出来事に心を痛めている。誰かが事前に対処できれば、それは起こらなかったかもしれない。AI(人口知能)はこの点において優れた効果を示してくれるだろう」という談話を発表したが早くもそれが現実のものになっている。
2018年01月11日2050年までに、廃棄されるプラスチックは120トンになるといわれているにも関わらず、現在リサイクルされている割合は9%。プラスチックは自然に還らないうえ、人体にも悪い化学物質が使われている。この事実に対しアフリカ・ルワンダの政府は、あまり意識せずビニール袋を使う日本人は驚くほど過激な「ビニール袋規制」を行なっていることを知っているだろうか。「麻薬ぐらい悪い、ビニールの密輸」Photo by WillSpirit SBLNルワンダではビニール袋を輸入することも、製造することも、売ることも違法(病院や薬品会社だけ例外的に許される)。ルワンダの国境警備隊は、「ドラッグと同じぐらい悪い」と日々国境でビニール袋を密輸しようとする人を監視している。もし捕まると罰金、刑務所行き、または公共で自白を強いられる。政府はビニール袋が洪水の原因になったり、雨水がビニール袋のせいで土に浸透しにくいため作物が育つのを邪魔するからだと公表している。生分解性プラスチックを使用しているビニール袋は肉や魚のために使われることは許可されているが、果物や野菜のために使うことは禁止。これは生分解性プラスチックでも分解するのに24ヶ月かかるからだ。ポテトチップスなどプラスチックに入った製品については、政府が許可を与えた会社だけ売ることが許される。その場合も、どのように製品のプラスチックを回収してリサイクルするかを提示しなければならない。結果的にルワンダはアフリカでもっともビニールゴミが少ない国と言われている。首都では月一回大統領も一緒にクリーンアップをしているそうだ。(参照元:The New York Times)ビニール袋で刑務所行きは過激だけど、必要以上に使う必要がないのは事実Photo by Allanルワンダの大統領ポール・カガメ氏が率先して行う環境への配慮、過激過ぎるといえるかもしれない。1994年の100日間で約80万人の命を奪ったと言われるルワンダ虐殺後、復興と発展を目指して大統領になったカガメ氏が大いに貢献したと言われている。過去12年間で小学校に通えるようになった子ども数は3倍となり、平均寿命も伸びた。また、女性の政治家の割合が世界一。(参照元:The Guardian)国民からも非常に高い指示を受け、2017年の8月の選挙では約99%の支持率で勝利した。その一方で、世界からは独裁政権ではないかと批判もされる。(参照元:The Guardian, The New York Times)彼に対抗する政治家やジャーナリストが刑務所に送られたり、殺害されたりしているのも事実だからだ。(参照元:The Guardian)ビニール袋に対する規制に関する厳しい刑罰からもわかるように政府が決めたポリシーを守るための過激な手段にも疑問が残る。しかし、ルワンダの政治からは一歩離れ、ビニール袋の危険性と真剣に向き合う姿勢からは日本も学ぶことがあるのではないだろうか。ビニール袋の代用として考えられるペーパーバッグや布のバッグも環境にダメージを与えるため全くビニールを使わないことが正義だとは一概にはいえないが、日本の必要以上に使う姿勢は考え直されるべきである。最近では海苔からできた食べられるパッケージ素材や、キャッサバイモをベースに作られており、お湯につけると溶けるレジ袋も登場している。2018年、必要もなく環境を傷づける行為を止めることはあなた一人の簡単な選択でできるはずだ。Text by Noemi MinamiーBe inspired! この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!学校の400m圏内にファストフード禁止。ロンドン市長が決断した、肥満と戦うための大胆かつ手荒な手段 子どもの頃の楽しかった記憶を思い返してみてほしい。あなたの思い出のなかに、ハンバーガーやフライドポテト、アイスクリーム、ドーナツ、フライドチキンなどの、ファストフ...
2018年01月09日