女性自身がお届けする新着記事一覧 (2/893)
「女性は全年代で鉄分が不足しがちですが、特に更年期世代の女性は疲れやすく、気分の波も生じやすくなっています。更年期だと思っていたら、実は鉄不足が一因ということもあるのです」こう話すのは調理師でフードコーディネーターの毛利有香さん。毛利さん自身、幼少期から鉄欠乏性貧血のため、さまざまな体調不良に悩まされていたのだそう。「小学校のときから同級生に比べて、集中力に欠けていたり、すぐに体が疲れたりして、生きづらさを感じていました。今考えると、鉄不足が原因だったのでしょう」(毛利さん、以下同)毛利さんは出産後、仕事と家庭の両立に忙しい生活を送っているうちに、うつ病とパニック障害を患うようになってしまう。「病院に通って、投薬治療をしてもなかなか改善せず、最終的にかなり強いお薬を処方されるようになりました。このままではいけないと悩んでいたとき、鉄不足がメンタルに影響することに注目し、本格的に食事を見直すことにしたのです」意識的に食事から鉄分をとることを心がけたところ、変化はすぐに表れた。パニック障害とうつ病がみるみる改善されて、薬もいらないほどに回復したのだそう。そこで毛利さんは自身の体験から、鉄分豊富なメニューをSNSなどで紹介していくようになった。鉄分の含まれる食材は、肉類・魚介類・卵・野菜・豆類・果物などと実に幅広い。ところが日本人の鉄分摂取量は少ないのだという。「日本人女性が一日で推奨されている鉄分の摂取量は11mgなのですが、実際にとれているのは6mg程度といわれています。推奨の半分程度しかとれていないのです」鉄不足の原因は、月経などの出血、食事量が少ない、消化管のトラブルなどさまざまだ。「加えて、ここ十数年で食品自体の鉄含有量が下がっていることも鉄不足の一因といわれています。『日本食品標準成分表』(文部科学省)の2010年版と2023年版を比較すると、鶏卵や大豆などで鉄の含有量が減ったものがあります。また、鉄の器具(包丁、鍋)を使用しなくなったことで、切り干し大根やひじきなどの加工食品の鉄の含有量が減ったと考えられています。ですが、鉄分を含む食材を知って、それを増やしたり、“ちょい足し”することで、11mgに達するようになります」まずは毎食しっかりと食べることが大切だと毛利さんは強調する。「特に更年期になると痩せにくくなるので、食べる量を減らそうとしたり、麺類など、簡単な内容の食事になりがちです」麺類などのやわらかい食事に偏ると、咀嚼力が弱まり、タンパク質不足から筋肉低下を招き、鉄不足にもつながりかねない。そして、睡眠の質が落ちたり、メンタル不調に陥ったり、肌が荒れたりと負のスパイラルに入ってしまう。かといってサプリに頼りすぎると、胃腸が荒れたり、便秘になることも。「ですから、ご飯、主菜、副菜、みそ汁といった和定食のような食事をきちんととることが大事です。お米には、亜鉛やタンパク質も含まれています。咀嚼力もつきます。ご飯を食べるときに、ふりかけや梅干しと一緒に食べることで、より鉄分が吸収できます」 クエン酸やビタミンCが多く含まれる食品を最初に食べると鉄分の吸収率が上がるのだそう。■持ち運べる!鉄分ちょい足しレシピ4種を紹介今回は本誌読者のために毛利さんが考案してくれた“ちょい足しレシピ”を紹介しよう。フレーク3種は、密閉容器などに入れて、外食先でもパパッとふりかけることができる超簡単レシピだ。また、冷蔵庫に常備できる、冷や汁レシピもこの時季ぜひ試してほしい。(1)【美肌に】あんずアーモンド<レシピ(5回分、1回分の鉄0.2mg)>干しあんず…10g、ドライブルーベリー…13g、アーモンド…13g<作り方>干しあんずとアーモンドは小さく刻んでおく。すべての材料を混ぜ、容器に入れる。<ちょい足し例>アイスクリーム、プリン、グラノーラなどにトッピング。そのまま食べても◎。お肌の真皮を構成しているコラーゲンの生成に必要な栄養素が鉄分です。あんずに含まれているβカロテン、ブルーベリーに含まれているアントシアニン、アーモンドに含まれるビタミンEには強い抗酸化作用があるため、老化防止対策にも有効です。(2)【ココロの安定に】ごまきな粉<レシピ(5回分、1回分の鉄0.8mg)>きな粉…12g、すりごま…15g、青のり…2g、天然塩…少々<作り方>すべての材料を混ぜ、容器に入れる。<ちょい足し例>ご飯にふりかける、みそ汁に入れる、炒め物や青菜のおひたしにトッピング。精神の安定に必須の栄養素であるカルシウムは、ごまや青のりに豊富に含まれています。きな粉はタンパク質を多く含みますが、タンパク質はハッピーホルモン「セロトニン」の材料となります。うつうつしたりイライラしやすい方はぜひ取り入れてくださいね。(3)【滋養強壮に】かつおゆかり<レシピ(5回分、1回分の鉄0.4mg)>すり黒ごま…15g、かつお節粉…12g、ゆかりまたは天然塩…少々<作り方>すべての材料を混ぜ、容器に入れる。<ちょい足し例>ご飯にふりかける、ゆでもやしとあえる、冷ややっこやおひたしにトッピング。薬膳では滋養強壮にいいとされている黒ごまをたっぷり使います。さらに筋肉や血液、ホルモン、抗体などの材料となるアミノ酸を豊富に含むかつお節粉を使うことで強い体作りにつながります。抗菌作用が期待できるゆかりを加えることで、味にアクセントを加えました。(4)【代謝アップ】煮干し冷や汁<レシピ(5回分、1回分の鉄1.4mg)>合わせ味噌…75g、煮干し粉…20g、かつお節…20g、カットわかめ…1g<作り方>全てを混ぜて冷蔵庫で保管し、使う分だけ取り出し水を注ぐだけで冷や汁のもとが完成。<ポイント>食べる直前に青じそやツナをプラスでさらに鉄分UP!夏野菜を加えてもおいしいです。梅雨から夏にかけてのこの時季はどうしても熱い汁物は食べにくいですよね。冷や汁は暑い日でもおいしくエネルギーチャージができる優れもの。煮干しやかつお節に含まれるビタミンB群が代謝を活発にし痩せやすい体作りに貢献します。毛利さんのレシピで鉄分をとるようになった更年期世代の女性から、「イライラしなくなった」「疲れにくくなった」「落ち込むことが少なくなった」「よく眠れるようになった」などのうれしい反応が届いているのだそう。鉄分の摂取量を無理なく増やすこの方法、ミネラルやビタミンなども同時に摂取できるので、栄養バランスが自然と整うようになる。“鉄分ちょい足し”で梅雨ダル知らずの季節を過ごそう!【PROFILE】もうり・ゆか調理師、栄養カウンセラーとして料理教室や講座、栄養カウンセリングを行っている。著書に『心身の不調が楽になる鉄分ちょい足しごはん』(KADOKAWA)
2024年07月15日7月7日、森高千里(55)がインスタグラムを更新。今秋、おこなわれるツアー「森高千里2024『レッツ・ゴォーゴォー!ツアー』」の日程を恒例の衣装写真を添えて発表していた。森高は86年に「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」で優勝。翌年、映画『あいつに恋して』にヒロイン役として出演するとともに、主題歌『NEW SEASON』の歌手としてデビューした。「当時は“アイドル冬の時代”といわれ、バンドブームが起きていました。そのため森高さんは作詞を手掛けることで個性を強める路線に出ました。ヒットした『私がオバさんになっても』『渡良瀬橋』などは森高さんの作詞です。ただ、森高さんといえば、バブル景気に沸いた平成元年、ミニスカート姿の『17才』のインパクトが強く、“ミニスカ”がトレードマーク。現在もライブで披露しています」(音楽関係者)私生活では99年に江口洋介(56)と結婚して2児をもうけた。今年、銀婚式を迎えて、長女は現在24歳、長男は22歳だ。本誌は2年前、森高が愛犬をペット病院に連れて行く姿を目撃している。子供たちが巣立ち、いまは夫婦で愛犬との時間を大切にしているようだ。森高は夫婦円満の秘訣について、インタビューでこう語っていた。《一番は話し合いを多く持つことかな。夫婦でゆっくりお酒を飲みながら、家族について深い話をすることは多いですね。特に子どもに関することは、必ず二人で話し合って決めるようにしています。仲がいいとはいえ、大ゲンカして3日話さないなんてことも稀(まれ)にありますけど(笑)》(『with』21 年6月号より)そんなときは、どう解決するのか――。《どちらから謝るでもなく時間が解決してくれたり、お互いが好きな和菓子やケーキを買ってきたことをきっかけに、いつの間にか普段通りに戻っていることも多いですね。それとなく歩み寄っていく方法を、もうお互いが心得ているのかも》(同誌より)家庭円満が、“ミニスカ”ライブの原動力のようだ。
2024年07月15日「『虎に翼』は折り返しに入り、初代最高裁長官の長男・航一役を演じる岡田将生さん(34)が初登場。さっそくSNSも大きな盛り上がりを見せています」(制作関係者)今作のNHK連続テレビ小説は日本初の女性弁護士・裁判所所長となった三淵嘉子氏がモデル。ヒロイン・猪爪寅子を伊藤沙莉(30)が演じて視聴率も上々だ。「1日放送の『あさイチ』では恒例の“朝ドラ受け”を。鈴木奈穂子アナが本番前“寅子と航一が結婚する”と話していたと博多大吉さんが明かしていました。史実では嘉子氏は初代最高裁長官・三淵忠彦の長男・乾太郎と結婚。お互い再婚でした。『虎に翼』でも航一の妻は病死と描かれ、ネットで《再婚匂わせ》と話題になりました」(テレビ誌ライター)『なつぞら』でヒロインの兄役を演じて以来、2度目の朝ドラ出演となる岡田は、こうコメント。《みなさんが紡いだものをしっかりと受け取り、さらに新しい風を吹き込めるように頑張りたい》前出の制作関係者は言う。「佐藤健さんや賀来賢人さんなど、30代半ばの人気役者の中でも岡田さんは“カメレオン俳優”として希有の存在感があります。特に『ドライブ・マイ・カー』(’21年)で演じた性格に難のある若手俳優役がハマっていて、伊藤さんとも共演経験があることから航一役での起用が決まりました」岡田自身も同世代で切磋琢磨してきた俳優仲間たちとの絆をいまも大切にしているという。「なかでも松坂桃李さんとは長らく親友だそうです。『会話が弾まなくても空間が満たされる。馬が合う』と話していました。また、『虎に翼』出演にあたり、『なつぞら』放送翌年に急逝した三浦春馬さんを思い出し、役者として成長を見せられるよう励んでいるそうです」(前出・制作関係者)春馬さんが亡くなって4年、7月18日で4回目の命日を迎える。「かつて春馬さんはテレビ番組で親友の名前に岡田さんを挙げていました。一緒にフットサルをしたり、お互いの自宅に泊まったり、伊勢神宮まで参拝に訪れることもあったといいます」(映像関係者)春馬さんの逝去から約半年後の’21年1月、『ボクらの時代』(フジテレビ系)に出演した岡田はこう語っていた。「年々ね、本当にお芝居するのが怖くなってきたんだよね。本当に怖い。それに耐えられなくなったら、辞めちゃうのかもしれないけど。30歳になってから、なおさら感じるんだよね。年々震えが止まらなくなってる」前出の映像関係者は言う。「コロナの時期ということもあり、当時、岡田さんは役者業を続けるか悩んでいたようです。実家に一時戻り“母親の支えに救われた”と話していました。今ではまた、仕事が楽しくなったそうです」永別した盟友との絆を翼にして、岡田は“新しい風”を吹き込む。
2024年07月15日「当時、明菜ちゃんとよくお喋りしてて。『明菜、ごめん、貸して、ファンデーション』って言ったら貸してくれたんだけど、明菜は地が白くて、色白なので。私、地黒だったから明菜ちゃんのファンデーションだと真っ白になっちゃって、お面みたいになって。“やだー”って…」三田寛子(58)は81年にドラマ『2年B組仙八先生』で女優デビュー。翌年、中森明菜(59)、小泉今日子(58)と同じく歌手デビューする“花の82年組”でもあった。昨年8月、彼女はレギュラー出演中のラジオ番組『パンサー向井の#ふらっと』で、同期の明菜とは楽屋が一緒だったことを明かし、冒頭の秘話を語っていた。三田は91年に中村芝翫(58・当時は中村橋之助)と結婚。95年に長男・中村橋之助(28)、97年に次男・中村福之助(26)、01年に三男・中村歌之助(22)を出産。元アイドルから“梨園の妻”として息子3人を歌舞伎役者へと育て上げたが、この数年は夫の不倫が相次いで報じられている。「6月中旬には芝翫さんと40代愛人・Aさんとの“実家”同棲が再び『NEWSポストセブン』で報じられました。もともとは芝翫さんの母・雅子さんが住んでいる“実家”でしたが、10年前、夫妻共同名義で買い取り“別宅”となっています。Aさんとの不倫報道は21年末、京都でのホテル密会が最初でした。そして2年前、自宅の隣家での“リフォーム騒音”を理由に、芝翫さんは別宅へ移ったのです。さらに今春、Aさんは住んでいたマンションを引き払い、飼っていた猫とともに別宅で一緒に暮らすようになったといいます。5月上旬に、三田さんは“実家”に乗り込み、『もっとしっかりしなさいよ!』と家の外にも聞こえる大声で芝翫さんに怒鳴り散らしていたとも報じられました。その後も、同メディアでの不倫関連報道は続いています。七夕の夜には、夫妻と息子3人が勢揃いした成駒屋の親睦会のあとも、芝翫さんはその日が誕生日だというAさんの待つ別宅へ帰っていったとも伝えられました。三田さんの怒りは相当なものですが、息子3人が浅草公会堂で9月に自主公演をおこなうこともあり、贔屓筋の手前、秋までは離婚することはないといいます」(梨園関係者)そんな三田は9日にインスタを更新。“カンに頼って”起きた日常のハプニングをつづっていた。《1シャンプーでボディーを洗い2ボディシャンプーで洗髪なんだか軋む3ボディローションでリンスをしてしまったやばいやっと3番目で髪がおかしな事に気づきよ~く見た次第あああ近視メガネでまだ老眼鏡かけない日常だけどそろそろカンに頼っていられないなぁ〜》前出の梨園関係者は言う。「5月中旬、彼女は引き出しにしまっていた自らの下着の数々を“下着のリサイクルに出すので、名残惜しい”と写真付きでインスタに公開。SNSで話題になり、数日後に投稿を削除したことがありました。後日、ラジオ番組で“息子たちにも怒られた”と謝罪。下着は新品で、高級下着のコレクションが自らの趣味であること、そして“エルメスのスカートぐらいのつもりで載せたら、字足らずで伝わらなかった”と説明していました。この炎上事件も、“カンに頼っていた”面もあったかもしれません。ただ、いまの三田さんにとっては、老眼鏡をかけることで、夫との現状がハッキリ見えすぎてしまうのが、感情的にしんどいのかもしれませんね」夫の不倫報道については沈黙を守っている三田。レギュラー出演中の生放送『ひるおび』(TBS系)で彼女が“自らの夫婦関係”について何かコメントする日は来るのだろうか。
2024年07月14日「明菜さんとは当時、同じレコード会社所属だったんです。私がデビューしたのは明菜さんが『DESIRE -情熱-』をリリースした頃でした。明菜さんをディレクションした方が私にもデビューから携わってくださっていて、先輩の経験談として明菜さんのことを教えていただいたりもしました」そう話すのは、中森明菜(59)の”後輩”に当たる杉浦幸(55)。雑誌『Momoco』の美少女紹介ページの人気投票で1位になったことをきっかけに芸能界入り。1985年に大映ドラマ『ヤヌスの鏡』で主演に抜擢され、優等生と不良の二重人格の少女役を演じて注目を集め、翌86年にアイドル歌手としてデビューした。「あの当時のアイドルってものすごく縦社会で、体育会系的な上下関係がすごかったんですよ。明菜さんとは歌番組とかでも結構ご一緒させていただいたんですが、こちらから世間話をするような感じじゃなくて、挨拶だけしたら余計なことは喋らないみたいな(笑)。でも、明菜さんからは『今日も頑張ろうね』とか声をかけて気遣ってくれたりして、私にとってはいつまでも偉大な先輩です」杉浦の同期には「桃組3人娘」と呼ばれた西村知美(53)や島田奈美(53、現・奈央子)などがいる。「イメージ戦略的に同世代の子達が集まる番組にあまり出してもらえなかったし、賞レースにも出してもらえなかったのは寂しかったですが、西村知美ちゃんとは今でも仲良しです。『夜のヒットスタジオ』に出たときに、西村知美ちゃんや島田奈美ちゃん、渡辺美奈代ちゃんとかと『みんなでクリスマスパーティーをやる』って言ったら、番組の方からクリスマスケーキをプレゼントしていただいたり、ほかにも、たまに誰かの家に集まってお料理を作ってみんなで食べたりしたのはいい思い出です」その後、杉浦は趣味を活かして“パチドル”としてパチンコ番組や雑誌での露出を増やし、さらには女流雀士となるなど、アイドルとしては異色のキャリアを進んでいく。「アイドル当時は携帯がなかったので、時間が押しても連絡できない中、必ず迎えに来てくれる母との待ち合わせ場所を、雨風もしのげて時間も潰せる駅前のパチンコ屋さんにしていたんです。それで私もちょっとやってみたら楽しくなっちゃって。趣味でやってたらお仕事をいただくようになって。麻雀は、40歳くらいで何か新しいことに挑戦してみたくて、どうせならと、日本で1番厳格な団体でプロ資格を取りました。筆記、面接、実践と結構しっかりやるんですけど、40過ぎて“覚えるってこんな大変なんだ”って思うぐらい苦労しました(笑)。コロナ禍で一旦やらなくなりましたが、勝負事が好きなんですね」現在は、ラジオやバラエティなどに出演するほか、今年2月には、鈴木おさむが手がける最後の脚本ドラマ『離婚しない男』(テレビ朝日系)に主人公の妻の母親役で出演。昨年開設したYouTubeチャンネル『杉浦幸のきみに幸あれ』では、過去の出演作の秘話を明かしたり、家族とのキャンプの様子を公開するなど幅広いジャンルの動画を配信し、若者世代からも人気上昇中だ。「好奇心旺盛なので、できることは何でもやってみたいんですよね。 私、今55歳なんですけど、“もう50代だから”っていろんなことに対して“ちょっと諦めモード”に入るんじゃなくて、今から何かを始めるのも全然いいし、やってみてダメだったらやめるのもいいし、とにかく何か興味を持ったことにチャレンジしていきたいです。去年、35周年にはコロナ禍で開催できなかった記念ライブを東京と大阪でやらせていただいて、 今年もまた年末にでもイベントができたらいいなと思っています。とにかく、元気に遊んで、元気に働く。年齢に関係なく今を楽しみたいです」最後に、復帰する中森へのメッセージを問うとーー。「当時、レコード会社には宣伝用のアルバムがいっぱい置いてあって、明菜さんの新しいアルバムが出る度に毎回もらって結構聴いてたんです。私は『セカンド・ラブ』が特に大好きで、他にも素敵な楽曲がいっぱいあるじゃないですか。アルバムの中にもいい曲がたくさんあるので、そういう歌も歌っていっていただけたら嬉しいですね。私にとってはずっと偉大な先輩なので、これからもまたパワフルな歌声を聴かせていただけたらすごく嬉しいです」先輩後輩の固い絆と型にはまらぬキャラクターは、時が経っても変わらないようだ。
2024年07月14日「デビュー当時はアイドル番組ばかり出ていたので、明菜さんは1年先輩ということもあり何度もいっしょでした。『ヤンヤン歌うスタジオ』とか、早見優さんとか堀ちえみさんとかは、わりとスタジオの前室でしゃべっていたのですが、明菜さんはギリギリまで楽屋にいらっしゃって、いい意味で群れない自分を持った方でした。聖子さんとは一回だけトイレでいっしょになったことがありました。思い切って『1983年3月21日にデビューした小林千絵です!よろしくお願いします!』と挨拶したら、聖子さんは『あ~そうなの。頑張ってね。かわいい衣装ね~』と声をかけてもらった思い出があります」小林千絵(60)は83年にポニーキャニオンから『いつも片思い』でデビューした。だが、いつしか“不作の83年組”といわれるように、小林もデビュー前から苦難の日々が続いていた。「河合奈保子ちゃんとは同じ年なんですよ。大阪での地区予選大会で出会ったのが最初でした。書類審査を通った約100人が集まった会場で、そのときに会ったのが初めてです。私はお友達といっしょに行ったんですけど、友達に『絶対にあの子(河合)になるで!』と断言していました。奈保子ちゃんは洗練されていない宝石の原石みたいな感じだったんです。私は高校1年生だったのでおしゃれに興味をもつ年ごろで、頑張っておしゃれするじゃないですか。でも奈保子ちゃんは白に汽車のアップリケがついたようなトレーナーを着ていて、素朴な感じだったんです。それでいて透き通るような透明感があって本人から出てるオーラが凄くて。結局、奈保子ちゃんと私の2人が大阪代表として選ばれ東京の本選に進んだんです。東京の決選大会に行くときに、私は兄と、奈保子ちゃんはお父さんといっしょに4人で新幹線に乗って東京に行ったんです。本選は中野サンプラザホールでした。そこに一緒に行って、すごく仲良くなって、トイレ行くのも手をつないでという感じで(笑)。本戦の最後に『河合奈保子!』と選ばれたとき、集まっていたマスコミのカメラマンが一斉に奈保子ちゃんのところに集まってフラッシュたいて、さっきまで手をつないでいた奈保子ちゃんが遠い存在になってしまったという経験があって……。私はしょんぼりと大阪に帰って普通の高校生の生活に戻ったんです」それでも芸能界を諦めることはなかった。「奈保子ちゃんから“デビューが決まりました”という手紙をもらって、それを読んだときに『私も追いかけるからね』と返事を出したんです。高校3年生になったときに担任の先生と進路相談をして、“1年間はオーデションを受けまくって、それでダメだったら別の道を考えよう”と決意。それまではなかなか受からなかったんですが、“最後の1年間”と思ってからは次々に受かるようになったんです。ヤマハのザ・デビューというコンテストもグランプリに選ばれ、うちの母親が『ヤマハさんだったら知っているし安心やわ』ということでデビューすることになったんです」■大磯ロングビーチの部屋で「私たち本当に売れなかったね。悔しかったね」と握手しかし「花の82年組」と対比され、83年は「アイドル不作の年」と言われるように。「同じ世界にいても82年組の皆さんとは全く扱い方が違っていましたね。悔しかったこととしては、賞レースのときにプロフィールを持ってテレビ局に挨拶回りをするのですが、忘れもしないのがある局の音楽番組のプロデュサーが目の前でプロフィールをゴミ箱に捨てたんです。売れないと人間以下なんだなと涙が出ました。ただ、これには理由があって、これまでヤマハのニューミュージック系の方は“テレビの賞レースには出ません”としていたのに、ヤマハのアイドルは私が初めてだったので、“これまで断っていのに、なにをいまさら賞をくださいなんだ”という意味を込めていたらしいです。本当につらかったけど、それがあったので頑張ってこれたと思います。水泳大会でも私たちが歌うときはワイプ(下の方の小さい画面)でしたし。水泳が得意だったのでクロールの自由形に手をあげて出て息継ぎもせず25メートル泳ぎ切ってバッと上に上がったら“カメラが待ってる”と思ったのに、周囲からは“オマエ、なに勝ってんねん”という感じでした(笑)。カメラは私ではなく後ろで泳いでいる堀ちえみさんを追ってたんですね。いつもそんな感じでした。ただ、何回も水泳大会には出ていたんですが一回だけグットファイト賞で名前を呼ばれたことがありました。頑張っていたらちゃんと見ていてくれる人がいるんだと。その時の嬉しさは今でも忘れません」同期の松本明子(58)とはいまや盟友だ。「明子ちゃんとはデビューの年は一緒でお仕事することが多かったし、プライベートでも会っていました。でも84年になると新人という枠がはずれてしまって、みんなバラバラになったんです。その最後の日、大磯ロングビーチで水泳大会があって、みんな前の日からホテルに泊まるのですが、そのとき私の部屋に83年組が集結。今でも忘れないのは明子ちゃんが『私たち、本当に売れなかったね。悔しかったね。でも私たち生き残ろうね!』と握手したんです。そのあとはずっと会ってなかったんですが、今から10年ほど前に大沢逸美ちゃんがある番組で『誰か会いたい人はいますか?』という企画で『同期に会いたい』と言ってくれて、そこで呼ばれたのが私と松本明子ちゃんと桑田靖子ちゃん。逸美ちゃんをサプライズで驚かす企画で喫茶店でドッキリみたいなことをやりました。それがきっかけで“今度、ご飯食べようね”と電話番号を交換。その後、誰かの誕生日だとかで定期的に集まるようになったんです。5年前には『お神セブン、不作のアイドル35周年記念』で銀座博品館でライブもやったんです。そのあたりから朝から晩までみんなでLineやってますね。家族以上に(笑)。きっと売れなかったから絆が深くなったんだろうなと思います。大磯ロングビーチでの固い握手がみんな心のどこかに残っていたんです」『お神セブン』は基本的には自主イベント。物販のクリアファイルなどは自分たちで注文して袋詰めしている。いまや50歳代のファンの方々が地方から集まってくれるように。「82年組は“手が届かないアイドル”で、83年組は“手が届くアイドル”みたいな感じですね(笑)。観客は、当時のファンというよりも、自分の青春時代を思い出す、または同年代を応援するという方々が多いですね」昨年11月にデビュー40周年と還暦を記念して大阪と東京でライブをおこなった。「結婚してお仕事をお休みして子育てを優先していた時期はありますが、引退を考えたことはありません。記念ライブにあわせて『100センチの幸せ』という新曲も発表しました。これまではがむしゃらに成功を追い求めてきましたが、この年になって本当の意味での成功ってなんだろうと。人生って思い通りにならないことが多いから、これからは成功って意味ではなくて、私が生まれてきた意味を求めようと。自分はトークが好きだし、歌も好きだし。それで1人でも笑顔にできるならどんなところにでも行きたいと思っています。それが歌うことなのかしゃべることなのか。文章を書くことなのか、なんでもやっていきたいしライブを作る側もやりたいですね」
2024年07月14日「少女隊というグループをデビューさせる話しがあって、メンバーの1人にレイコ(安原麗子)だけ先に決まっていたんです。そのレイコとグループを組むメンバーを探していて、私はたまたま渋谷駅構内を歩いているときスカウトされました。驚いたのは、私は地元が逗子なんですが、もともとレイコと同じクラスで、大親友だったんです」そう語るのは、元少女隊の藍田美豊(54)だ。84年8月にアイドルグループ「少女隊」としてデビュー。レイコ(安原麗子)、ミホ(藍田美豊)、チーコ(市川三恵子)の女性3人組で、宣伝予算は総額30億円とも報じられた“破格のアイドル”だった。「私たちはまだ14歳だったのでそういうことを全くわかってなかったんです(苦笑)。最初にアメリカに1カ月間滞在して、レコーディング、プロモーションビデオや、写真集やCMの撮影をしました。私たちは新聞の記事を読んで“そうなんだ~”と思うだけでした。 今思うと超一流のスタッフの方々とご一緒させてもらったようですが、 それは後から実感したことで当時は初めての海外でしたし、全てが物珍しくて楽しくて。スタジオの近くにアイスクリーム屋さんがあって、“今日もアイス美味しかったね”って楽しみながらお仕事させていただいた環境でした(笑)。今でも少女隊のメンバーとは仲良しです。いまだにしょっちゅう連絡してて、昨日も連絡してました」復活する中森明菜(59)についての思い出を聞くと――。「中森明菜さんは何度か歌番組でご一緒させていただいたことがあって、明菜さんの楽屋に緊張しながら、ご挨拶に行ったことは覚えています。そのとき超笑顔で応えてくれて、すごくやさしい方という印象があります」■「少女隊の大ファン」福山雅治と“ニアミス”していた少女隊といえば、結婚式で私は受付をやっていました。そのとき、お仕事の都合で来られなかった福山さんの代わりにマネージャーさんがいらっしゃってご祝儀をお預かりしました。まみちゃんのご主人が福山さんの事務所と同じだった縁で、“福山さんからのご祝儀”を受けとったことをすごく覚えています。福山さんが私達のことをお話してくれるなんて、本当にありがたいです。私の密かな自慢です」少女隊は89年で解散。わずか5年間の活動だった。「メンバーチェンジしたのは、チーコがケガで活動を続けられないということがありました。ただ、解散に関してはとくに、なんとなくという感じで…。解散=芸能界を辞めたというわけではなかったので、ソロの仕事にシフトしていきました」現在は刺繍好きが高じて、作品の販売やワークショップなど開催するほか、地元のドーナツショップでも働いている。「じつは私は今、『ミサキドーナツ』(*神奈川県三浦市の港町“三崎”発のドーナツショップチェーン)の社員なんです。少しの間、古着屋さんをやっていた時期もありましたが、今は『ミサキドーナツ』直営店のマネージャーとして働いています。もともと私は逗子の出身で逗子のセレクトショップで働いていたんです。そのお店が『ミサキドーナツ』のすぐ近所にあって、本当に好きで買いに行ってたんです。最初はお客さんなんですよ(笑)。それでショップを辞めるタイミングで、募集もしていないのに『ミサキドーナツ』におしかけて、『ここで働きたいです!』と販売のスタッフの方に電話番号を渡してきたんです。そしたら2カ月後くらいに連絡をいただいてスタッフになりました。いまでは時々、少女隊時代のファンの方々も来て来てくださいます。嬉しいです」デビュー40周年のタイミングで8月24日、25日、表参道でイベントを開催する事が決定した。「今後は新曲の発表やイベント開催など私のペースで活動をして行きたいと思っています。私のWEBサイト()を作りましたのでそこで色々とお伝えできればと考えています」
2024年07月14日「中森明菜さんとは、『ザ・ベストテン』『トップテン』などの歌番組で、何度かご一緒させていただきました。こういう生放送では、スタジオも楽屋裏もピリピリと緊張感が漂っていました。明菜さんは本当にお忙しい方ですし、順位も常に上位でいらしたので、リハーサルでお会いすることはなく、本番のスタジオでいきなりご一緒する、というのが常でした。歌う直前に行われる黒柳徹子さんとのトークでは、少し震えているというか、緊張されているのが、後ろのソファにいる私にも感じ取れました。あの中森明菜さんでも緊張するのかと驚き、また後輩の私は少し安心する気持ちにもなったものです。ところが曲が始まった瞬間、明菜さんの表情ははっとするほど変わり、キレのある動き、伸びやかな歌声で周囲を圧倒するので、私は愕然とさせられました。あの頃、生で明菜さんを拝見できた経験は、とても大きかったと思います」そう振り返るのは1986年にアイドル歌手としてデビューした島田奈央子(当時の芸名は島田奈美・53)。雑誌『Momoco』に登場していた同期の西村知美(53)と杉浦幸(55)と共に「桃組3人娘」と呼ばれていた。島田はデビューから4カ月後、小泉今日子(58)のトーク番組で中森と共演したという。「小泉今日子さんと明菜さんと私の3人という、今思うと奇跡のような時間でした。お2人の目の前で歌う私は、緊張で顔がこわばっていたと思います(笑)。新人だった私に明菜さんは『この状況で歌うって、やりにくいよねぇ(笑)』『全国のレコード店を回ったりして、プロモーション活動は大変でしょう。私も店頭のミカン箱の上に乗って、歌ったんだよ』『学校に通いながらお仕事するのは、本当に大変よね。頑張ってね』と、自分の体験を交えながら、優しく励まして下さいました。自然体の明菜さんは、キュートで、優しく、人を笑わせたり、気づかいのある方でした」意外にも同世代との共演は多くなく、「友達と楽屋が一緒になる日は、嬉しくてたまらなかった」と話す島田は、アイドル仲間との思い出をこう振り返る。「西村知美さんとはデビュー前から友達で、今でも仲良くしてもらえる、本当に貴重な存在です。あと同期の杉浦幸さんとはお休みが一緒の時は家に遊びに行ったり、真璃子さん(55)とは、アミューズメントパークやコンサートに出掛けたりしていました。携帯がなかった当時の連絡方法は、家の電話か手紙でした。渡辺美奈代さんとも仲良くて、手紙交換をしていました。なんと、家に手紙が届くのですよ。何気ない日常のこと、仕事の話などを書いていました。今も大事に持っています」■“女子ジャズ”ブームの火付け役に多忙を極めたアイドル時代だったが、デビューから4年後の90年に島田は突如引退する。「イカ天」こと『三宅裕司のいかすバンド天国』が89年に始まり、”時代の変化”を感じとってのことだったという。「私はやっぱり音楽が好きでしたので、作詞やレコーディング、コンサートを中心に活動していましたが、次第にこのままのスタイルで続けられるか不安になりました。当時、まだ19歳だったので、自分の心境も複雑に揺れていたと思います。ならば、一旦ここでアイドル歌手という活動を終えて、自分のやりたいような音楽の道に突き進もうと思いました」引退後、音楽雑誌の編集者から「CDのレビュー記事を書いてみないか」との誘いを受けて原稿を書くようになり、行き着いたのがジャズ系の音楽ライター。2010年には、著書『Something Jazzy~女子のための新しいジャズガイド』(駒草出版)を出版し、”女子ジャズ”ブームの火付け役にもなった。「子供の頃から作文を書くのが好きでした。締め切りがあるのは好きではありませんが(笑)、文章を書いていると、なんとなく楽しくなってきて、心が落ち着きます」現在は、音楽雑誌などでの執筆に加え、ジャズのWEBラジオ番組のパーソナリティも務める。イベントなどでDJとして活動するほか、音楽プロデューサーとして自らイベントも開催。2022年には自身でプロデュースしたアルバム『Something Jazzy~メロディ・イン・ザ・リビングルーム』をリリースしている。今年2月からは、月額制オンラインサロン『島田奈央子オフィシャル・コミュニティ~今のワタシ・昔のワタシ~』も開設。SNSとは異なる、深みのあるコミュニケーションを取れる場を提供している。「このコミュニティでは、10代の頃の“島田奈美”が経験した出来事、その後の“島田奈央子”が学んだモノ、コトを、他では見られない写真や動画、これまで語らなかったエピソードなどをエッセイで書いています。これからも芸能界での経験と、現在のライターやプロデューサーとしての活動が繋がるような、独自の活動をしていきたいと思っています」最後に、中森へのメッセージを問うと――。「10代の頃から憧れている明菜さんが活動されるお話は、いつでも嬉しくなり、励みになります。これから、どんな音楽を私達に届けてくださるのか、楽しみにしています。心から応援しています!」震える中森の背中を間近で見た昔と今、2人の音楽への情熱はともに色褪せないようだ。
2024年07月13日「明菜は何かの話をした時に、『あんまり出過ぎちゃうと飽きられちゃう』というようなことを言っていました。あと、例えば『自分の歌の終わりがフェードアウトで終わるのは、やっぱりなんかちょっと違う』的な感じで言っていたりとか。本当にプロ意識が強いと感じていました」そう語るのは北原佐和子(60)。中森明菜(59)や小泉今日子(58)らと同期の「花の82年デビュー組」だ。北原は高校卒業からのデビューなので“少し年上”だった。「当時はプロモーションのため、みんなでバス移動したり、泊まる先は同じホテルだったりしたので、いろいろと話していましたね。あと、レコードは結構交換していました。みんなで新しいのが出ると交換したりしていましたが、明菜は交換しようとすると、『買って』っていう感じで言われたみたいなことは覚えています(笑)。私の場合は、もともと芸能界に興味があったわけではなくて、大人たちにお膳立てされて、たまたま流れでなってしまったっていう感じでしたけど、明菜なんかは、やっぱりそうじゃなかったなっていう風に思いますよね」ファッション誌『mcシスター』にモデルとして応募。掲載されたことがきっかけでスカウトされ芸能界デビューしたが――。「当時、ボーイフレンドがいたんですが、事務所から別れるように言われ、お別れすることにしました。実際今考えると、もっと要領よく生きられたかな…という風に思うんですけどね(苦笑)。妙に正直だったかもしれません」その後、女優へと転身。さまざまな人気ドラマ、映画に出演する。「女優として活動するようになると、隙間時間が増えたんですよね。連続ドラマの撮影が入っている間は休みもなかなか取れないのですが、それが終わったとたん、今度は数カ月にわたって仕事がないこともあります。私は、やることがない状態が続くと気持ちが不安定になりやすくて、それがとてもつらかったんです。自分が芸能界、あるいは社会から必要とされてないのかな……なんて考えてしまうのが嫌でした。日本舞踊や三味線など、女優の仕事に生かせるお稽古事に挑戦したり、乗馬の練習に行ったりもしていました。それでも、心の中にぽっかりと空いた穴のようなものがふさがることがなくて。『何か違う』という思いを抱えていました。そうして30代を迎え、その先の人生を考えるようになりました。自分がこれまで歩いてきた道を振り返ってみた時に、いくつかの記憶が鮮明に浮かび上がってきたんです。それが、どれも福祉につながることばかりでした。特に印象が強かったのは、小学生くらいから続く思い出です。その頃は、夕方になると駅まで父を迎えに行っていました。父を待つ間、ご高齢だったり、視覚障害があったりする方が、券売機の前で戸惑っているのを見かけることが度々あったのですが、幼い私は勇気を持って声をかけることができませんでした。そんな日はいつも、家に向かう足取りが重かったんです。大人になり、大雨の日に車を運転していたら、大通りでタクシーを探す四肢まひの男性を見かけたんです。手にもまひがあり、傘を差していたけれどずぶぬれでした。子どもの頃の記憶がよみがえって、『乗ってください』と声をかけました。その方は手伝いはいらないとおっしゃり、シートや付近の金網につかまりながら、自力で車を乗り降りしていました。発話も不自由でしたが、週に2~3日、電車を乗り継いで仕事に行っていることなどを一生懸命話してくださったんです。ハンディキャップを抱えながら自分の足で立とうとするたくましさに、強く心を動かされました。私は10代でデビューして、大人たちがお膳立てしてくれたところに立って、仕事をしてきたのに、と。そんな記憶が、10年以上もたってから鮮やかによみがえってきたんです。これは何かのメッセージなんじゃないかと感じました」■女優業が介護に活きている北原は05年にホームヘルパー2級(現・介護職員初任者研修)の資格を取り、グループホームなど複数の施設に勤務。17年にはケアマネジャー(介護支援専門員)と、難関資格を取得し、女優業の休みを利用して介護士として働くようになる。その後、准看護師の資格も取得し、現在は東京・三鷹にある認知症専門『のぞみメモリークリニック』で准看護師としても勤務している。介護歴はすでに18年におよぶ。「自分の足で立ち始めて、自分で介護の道を選択をするようになったら、生きてるという実感を感じたんです。かつて、私たちが声をかけると『うるせえ』と怒鳴る認知症の男性がいました。時には拳が飛んでくることもあり怖くて、どう関わっていいか分かりませんでした。ある日、みんなで歌を歌っている時に、その男性の好きな『故郷を離るる歌』というドイツ民謡を歌いましょうって、他のスタッフが言い出したんです。それを聞いて私は『?』と思ったわけです。会話も難しい人なのに、歌を歌うなんてと。ところが歌い出したら、その男性は目に涙をためて、それまで見たこともないような優しい表情をしているんです。仕事でドイツに駐在していた時期があったそうなので、当時のことを懐かしく思い出したんでしょうね。その方のこれまでの人生の歩みに触れたように思えて、何とも言えない喜びがありました」女優業が介護に活きることも多いという。「多くの先輩たちに教えていただいたことが、実は介護の仕事でも生きてることはいっぱいあります。以前、演出家の先生に舞台上で『ここは消えてくれる?』って言われたことがありました。当時は意味が全くわからなくて。一晩考えて、舞台に立っていながら、微動だにしない自分を演出してみたんです。そしたら、『消えてるよ。OK』と言われて。介護の現場では、その利用者さんとトイレに入る必要性がある時があります。排泄に必要なサポートをするわけなんですけど、トイレに他人が入るって恥ずかしくて、なかなか受け入れられることではないですよね。だけど、入らなきゃいけないってなった時にどうしたらいいかなって最初はすごく悩みました。自分だったらとっても嫌だったので。ここで、“あ、そうだ。舞台で演出家に『消えろ』って言われたな”という記憶を活用してみようと思って、トイレの中で気配が“消えた”んですね。そしたら、スムーズにいきました」介護の職場では「女優・北原佐和子」だと気づかれることはなかったのだろうか。「施設では『女優』を名乗ってはいないので、気づかれることはほとんどありません。目の前のテレビに私が映っているのを見て、『あれ?』という表情をする人もいますが、一瞬だけですね。『似た人がいるなあ』というくらいの感覚なんじゃないでしょうか。松平健さんや『水戸黄門』の出演者と一緒に撮った写真をお見せすると、とたんに反応が変わるんですけどね。『へえ~』って驚いて、私の顔と見比べて『全然違う』なんて言われることも(笑)。元女優の利用者さんがテレビを見ているときに、ちょうど私の出演しているドラマが流れていたので、『あれ、私なんです』って言ってみたことがあるんです。90歳を超えていた方でしたがとても綺麗な方で、引退されてから何十年もたっていたはずなのですが、『セリフ言うときに顔が揺れてるわね』って。痛いところを突かれました。バレたかって、自分ではわかってるんですよ、頭が動いてるって(笑)」准看護師として勤務するかたわら、新たな試みにもチャレンジしている。「去年の12月から自分がやりたいと思っていたケアマネジャー業務をグループホームで行っています。また、ボランティアで『命と心の朗読会』を学校中心に開催しています」芸能活動は事務所に所属せず、個人でおこなっている。SNSのフォロワーへ朝のご挨拶をすると毎回1000近くの“いいね”がつき、コメントが多く寄せられるそう。9月には著書も発売される。
2024年07月13日「秀美さんは明菜さんと同じ82年デビュー組で、誕生日も同じ7月13日なんです。85年7月10日、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)に出演した2人は、誕生日ということでバースディケーキが贈られました。抱負を聞かれた二人は『早く結婚したい』と口をそろえ、秀美さんは『24歳くらいに』、明菜さんは『25〜26歳には』と話していました。実際に秀美さんは24歳で同期デビューの薬丸さんと結婚したので、“正直な人”だったんだ、と思った記憶があります」(音楽関係者)石川秀美(58)は82年に『妖精時代』でデビュー。各音楽祭で新人賞を獲る活躍を見せたが、90年に「シブがき隊」の薬丸裕英(58)と結婚。3男2女をもうけた。結婚後は基本的に芸能活動を控えている彼女だが、インスタには、昔の仲間たちの交流を定期的に更新。昨年7月の誕生日には、“花の82年組“同期の早見優(57)、松本伊代(58)、渡辺めぐみ(60)が祝福する様子が投稿されていた。「今春には同期の三田寛子さんとの2ショットをアップ。家族ぐるみのつきあいだそうで、この日は三田さんの息子たちが出演しているスーパー歌舞伎を鑑賞しに行っていました」(スポーツ紙記者)夫や子供たちなど、家族のSNSにも登場していた。「結婚記念日の6月8日に、薬丸さんは夫婦2ショットの写真を載せています。去年の結婚記念日には《33回目の結婚記念日33本のプリザーブドフラワーとても喜んでくれました》と、赤い花束を贈ったことを報告していました」(前出・スポーツ紙記者)21年1月には長男の薬丸翔(33)に第一子が誕生。薬丸は《54歳でおじいちゃんになりました》と報告していた。「今年4月には、薬丸さんは桜の写真とともに孫の入園式のお祝いをする写真をアップ。車の後部座席にジュニアシートを取り付け、秀美さんから『孫に甘々のじーじ』と言われたことを明かしていました」(前出・スポーツ紙記者)昨年には長女の薬丸玲美(28)がハワイに移住した。「玲美さんはハワイのカフェで店長を務めているそうで、秀美さんが定期的に様子を見に行っているそうです。現地で加藤茶さん夫妻と偶然会ったこともあるとか」(前出・スポーツ紙記者)いつかハワイで“花の82年組”同窓会が開かれるかも!?
2024年07月13日今年4月に北海道旭川市で発生した女子高生殺人事件。7月3日に主犯の内田梨瑚被告(21)が殺人と不同意わいせつ致死の罪で起訴されたが、同日は「文春オンライン」で内田被告と妻子持ちの担当刑事との不倫関係も報じられた。衝撃的なニュースに震撼が走るなか、両者の親密ぶりを裏付けるような写真が流出している。12日に配信された「FLASH」の記事では、内田被告と本事件を担当する北海道警旭川中央署の警部補の“親密ショット”が複数枚掲載されたのだ。記事によれば旭川市の探偵が提供した写真だといい、スナックのカウンター内に立つ警部補を囲むように内田被告やその仲間が写っていた。また、内田被告と警部補の関係は地元では有名だったといい、逢瀬の場所として利用していたスナックは旭川中央署の“御用達”でもあったという。「『FLASH』の記事では内田被告以外の顔にはモザイク処理が施されていましたが、ネットやSNSでは警部補の顔がハッキリとわかる加工無しの写真が拡散しています。それだけでなく、警部補と思しき人物の名前が記載された名刺の画像も出回っているのです。記事内では、警部補はすでに別の部署に左遷させられたとも伝えられていますが……。これだけの騒動に発展しているにもかかわらず、未だに北海道警察から説明などはありません」(社会部記者)そこで本誌は12日、流出している写真について事実関係を北海道警察・広報部に取材。しかし、今月5日に内田被告と警部補の不倫関係を取材した際の回答と同様で、「いずれについても、個別具体的内容については、回答を差し引かえます」とまたも“ゼロ回答”だった。「この事件はSNSでのトラブルを発端に起きましたが、内田被告の女子高生に対する仕打ちは残忍極まりないものです。電子マネーで10万円の送金を要求するもスムーズにいかなかったため、女子高生を約4時間にわたって監禁、暴行を加えながら車で連れ回したといいます。高さ約10メートルある神居(かむい)大橋では、女子高生に自ら服を脱がせ土下座を強要。橋の欄干に座らせて『落ちろ』『死ねや』と暴言を浴びせ、橋から落下させたとされています。内田被告は地元でも有名な“ワル”だったといい、素行の悪さが相次いで報じられています。しかし事件の担当刑事と親密な仲だったというのが事実であれば、被害者や遺族の心情は察するに余りあります」(前出・社会部記者)内田被告と警部補の“親密ショット”が流出してもなお沈黙を守り続ける道警に、ネットでは不信感を訴える声が広がっている。《何もかもが気持ち悪すぎる…》《警察がこれじゃ…死んだ子も浮かばれない》《なんで説明せんのだ?ひっそりやり過ごそうとか舐めた考えしてないか?》《これは、道警が記者会見して違うなら違うと説明し、本当ならきちんと処罰しないといけない事案だとおもう》《警察に不信感しか無いわ。亡くなった子がどんな思いかと言葉が無い。酷いことをする》
2024年07月13日《「女子ども」かぁ。20年前の国会で当たり前の景色だったことを思い出しました。 今も、ですか。 「女子ども」に「男」もね、って返そう》7月11日、Xにこう投稿したのは、蓮舫氏(56)。これは同日放送された『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)に、都知事選で蓮舫氏を抑え2位に躍進した石丸伸二氏(41)にVTR出演した際の発言へのもの。石丸氏は番組のなかで、7日に放送された「Mr.サンデー“七夕決戦”都知事選SP」にて、元乃木坂46の山崎怜奈からの質問に対して「前提が正しくない」と厳しく指摘した件を振り返り、石丸氏は「女、子どもに容赦するっていうのは優しさじゃないと思っている」と自身の胸中を告白。石丸氏の「女、子ども」発言への疑義を呈した蓮舫氏だが、この投稿をきっかけに自身の過去の“ある失言”も再びクローズアップされてしまうことに。それは、’16年9月7日に長野市で開かれた民進党代表選の候補者討論会。そこで前原誠司元外相が旧民主党政権の“失敗”について聴衆に謝罪したのに際して、玉木雄一郎国対副委員長が「謝ってほしくない」と訴え涙する場面があった。この玉木氏に対し、当時、同党の代表代行だった蓮舫氏は「男なら泣くな」と一喝したのだ。当時から「男女差別ではないか」と物議を醸していた蓮舫氏のこの発言。同年12月に蓮舫氏は「私の発言がいろいろと誤解を呼んだので改めて訂正するが、男も女も泣いちゃいかん」と訂正。しかし今回の石丸氏の「女・子ども」発言に対する疑義を示したことで、“ブーメラン”となって返ってきてしまったようだ。X上ではこのような声が。《蓮舫の「男なら泣くな」はOKなのですか?》《玉木さんに、「男なら泣くな」って言ってたのは誰よ》《ダブルスタンダードもいい加減にしてくれ》《またブーメラン投げてるやん…この前「男が泣くな」とか言ってませんでしたっけ》10日には、小池都知事とイスラエル大使とのツーショット写真をX上で批判するも、2年前の写真だったことが判明し、謝罪することもなく無言でポストを削除したことが問題視されたばかりの蓮舫氏。3位という手痛い敗戦に加えて、X上での言動で自ら傷口を広げてしまっているが、13日の20時から自身の公式アカウントでのインスタライブで何を語るのか。
2024年07月13日7月10日、YouTuberのヒカル(33)がYouTubeチャンネルを更新。YouTuberの“カジサック”ことお笑いコンビ「キングコング」の梶原雄太(43)と焼肉を食べながら対談する動画を公開した。対談の中で、ヒカルはYouTuberを面白くないと言っているお笑い芸人と共演したいと明かし、「どんな状況でもいいから絡めるんやったら会いに行きますよ」とコメント。それに対し、梶原が「ヒカルさんはファイトスタイル取っていても、向こう(芸人)が取らなかったら、それはスカされてるってことになる」と話すと、ヒカルは「(芸人も)取ってますよ。嫉妬ビンビンに感じてるんで。だって、じゃなかったらYouTuberの名前出します?」と反論した。さらに、「YouTuberおもんないって言われて。粗品さんにね」と、“YouTuberは面白くない”論争を巻き起こした霜降り明星の粗品(31)について触れ、「他のYouTuber、誰も何も言わないじゃないすか。だからこそ言いますよ。いや、俺の方がおもろいし。普通に、人間としてね。生き方がおもろいから、こっちの方が。人間としては遥かに俺の方がおもろいな、マジで」と豪語した。また、「今テレビで活躍されてる千鳥さんとか、かまいたちさんとかにも会いたいんですよ」と明かし、以前にも別動画で話したと断りを入れたうえで、「大悟さんが子供に『この人たち(YouTuber)、なんなの?』って言われたときに、『あ、これパパになれなかった人たちだよ』(と答えた)っていう話あったじゃないっすか」と、千鳥の大悟(44)の発言を紹介。続けて、「でもダウンタウンになれなかった千鳥が何言ってんの? ってなるんすよ。で、別に俺もパパに(なれなかった人)って言われても。ダウンタウンにはなりたいっすよ。でも別に千鳥になりたいって思ってないから」と持論を展開した。最後に、「そんなことを言える人間が多分今いないと思うんすよ。いや、そら(大悟は)圧倒的に面白いじゃないすか、すごいのは分かるんすよ。でも俺も圧倒的に才能あるんで、同じぐらいっす。マジで。トントンぐらい。才能で言ったらトントンっすよ。総合力でいったら、どう考えても」と話し、締めくくった。果たしてヒカルの希望通り、「才能がトントン」の大悟と共演できる日はくるのだろうか。
2024年07月13日《改めまして、皆さま。本当に温かく、優しい言葉の数々をありがとうございます。俳優としてだけでなく、人として、女性として、これからも健やかに、変化することを柔軟に楽しみながら、学び続け、トライし続け、日々、精進していきたいと思っています》7月11日、女優の小西真奈美(45)が自身のインスタグラムを更新。2日前に所属事務所エレメンツの退社と独立を報告しており、その投稿に対する反響への感謝と今後の決意を綴った。小西は、98年に舞台『寝盗られ宗介』で女優デビュー。デビューからわずか三年の01年にには、NHK連続テレビ小説『ちゅらさん』で、主人公・国仲涼子(45)の“恋のライバル”役を好演。同年から07年にかけては、当時人気バラエティ番組だった『ココリコミラクルタイプ』(フジテレビ系)にもレギュラー出演し、コメディエンヌとしても活躍していた。当時の小西を知る制作関係者はこう明かす。「あるドラマの現場で、監督から『もっとこうしてほしい』と演技指導を受けていたのですが、小西さんは『でも〜』『いや、それは~』と、なかなかアドバイスを受け入れない様子でした。仕事にまじめで、芝居へのこだわりも強かったのだと思いますが、スタッフやマネージャーなどへの要求も厳しく、これまで5つの事務所を渡り歩いているのは、そういう彼女の気難しい性格が影響しているのかもしれません」小西が最後に所属していた事務所はミュージシャンが多く所属する音楽系事務所だ。18年には、歌手のKREVA(48)がプロデュースした初のメジャーアルバム『Here We Go』で、全ての楽曲の作詞作曲に挑戦。ラップも披露し、そのギャップが話題になった。しかし、その音楽活動も20年に発売したアルバム『Cure』を最後に動きが止まっている。「音楽活動はずっとやりたいと思っていたらしく、始動した当初は気合い十分だったようですが、パタリと音沙汰がなくなってしまいましたね……」(前出・制作関係者)小西は元々飽き性な性格なのだと制作関係者は続ける。「小西さんは好奇心旺盛で、興味があるものには果敢にトライするのですが、その後が続きにくいんです。過去にお仕事でご一緒した際、鶏肉料理にハマっていると聞いて、その話題を持ち掛けたら、『最近は別に…』みたいな反応をされたことがありました。以前、インスタでお手製スムージーをレシピ付きで投稿していたこともありましたが、それもたった三回の投稿で終わっています。熱しやすく冷めやすい性格なのでしょう」また、小西はファンから”こにたん”の愛称で呼ばれ、癒し系女優として親しまれているが、世間からの清純なイメージとは違う一面があったと制作関係者と語る。「下っ端のADさんには挨拶しないけど、プロデューサーにはしっかり笑顔で挨拶するなど、人によって態度を変えていた印象があります。そういう態度を感じが悪いと受け取るスタッフも多いので、彼女がフリーになってこの先やっていけるのか心配です」小西は「朝日新聞DIGITAL」のインタビューで、自身の性格を《人の目は気にしない》《好奇心が旺盛で、怖がりだけど行動力があり、失敗を恐れない》(20年11月25日付)と語っている。フリーとなった今、好奇心旺盛なところと行動力を生かすためには、人の目を気にして他人の意見に耳を傾けることも大事になってくるのかもしれない。
2024年07月13日シンガー・ソングライターの長渕剛(67)が7月6日に公式YouTubeチャンネルを更新し、SNS上での自身への誹謗中傷について怒りをあらわにした。動画では、6月30日に福岡市内で開催したライブでのMCの様子を公開。「まあしかし、この約半年ぐらいだっけな。クソネットのウヨどもに悩まされたんだけれども」と切り出すと会場のファンから「負けるなー!」と声援が。静かになった会場に向かって「笑えよ、一緒に。俺だよ?俺よ、俺。“N渕”じゃねーよ。NとかWとかXとかTとかYとか…ふざけんじゃねーよ!このヤロー!知らんけど。散々っぱら人のイニシャルをグダグダ言ってくれましたが、やっぱりね……」というと「死んじまいたい〜」と自身のヒット曲「STAY DREAM」のを歌唱。「この気持ちが、よく分かったね?自分で書いといてなんですが」と話した。「考えてみ?俺だよ。もうね、SNSのない時代から叩かれまくってきたわけよ。自慢じゃないけれど。狙ったわけじゃないっつーの、知らんけど。せっかくやってんねん、知らんけど。ええ言葉や、知らんけど」とファンを盛り上げつつ、「俺なあ、俺はいいよ。もう叩かれ慣れているから、もう別にって感じなんだけど。だけどちょっとこれは俺、腹立ったもんね、久しぶりに」と怒りを滲ませた。「こんだけ集まってきてくれてるみんな、そして俺をこれまで支えてきてくれたみんな、俺はみんなのこと誇りに思ってるよ。だから、許せないと思った。黙ってらんなかった」といい、「ささやかな抵抗ではございますが、自分のチャンネルを持った」と、今年4月に自身のYouTubeチャンネルを開設した理由を明かした。続けて「半年経ったろ。ほとんどネットウヨいないよ。腹立つね。おそらくいろんな人たちが、正義の立役者たちが一生懸命、本当のことを今、探してもらってます。結果は自ずと出ますよ。ハッキリ言いますよ。ハッキリ言いますよ!事実無根です!」と、一部報道や憶測に対して宣言すると、ファンらから大きな拍手と声援が上がった。「お前ら猜疑心持ってるんじゃねーだろうな。俺、ハッキリ言わしてもらうよ。結構、残念だった」と、これまでは平和だったInstagramで「コメントの中に『もう僕は長渕剛のファンを辞めます』とか『歌に説得力がない』とか。ふざけんじゃねーよ!最初から聴くなっつうの!」とバッサリ。「若気の至りでいろんなこともあった」からこそ「人に幸せをもたらすように、上書きをして生きるんだろ?そうじゃない?」といい、沸き上がる客席に向けて「SNSは誹謗中傷をするところじゃない。人の悪口を言うところじゃないよ。人が幸せになることをいっぱい投稿しよう!」と呼びかけた。具体的な事柄については触れなかったが、はっきりと「事実無根」と否定した長渕。何について否定しているのかは定かではなく、ライブ会場に足を運んだファンのみに向けられたメッセージであったことから、“否定する場所”について疑問を抱いた人も少なくないようだ。Xやネット上ではこんな声があがっている。《記者会見を開いてちゃんと主張するなら分かるんだが、ファンという名の信者しかいないところで事実無根と言ってもね。否定する奴なんか一人もいないのが分かっててやってるんだからもう単なるパフォーマンスだね》《本当に事実無根なら立派な名誉毀損なんだから裁判すべき。事実無根ですと言うだけでは信用はできない。出るところに出て白黒つけるべき。そうしないということは…と思われても仕方ない》《自分のライブ会場で自分の味方しか居ない場で事実無根を訴えるより、然るべき場で事実無根を証言し、報道した媒体、誹謗中傷してる方達に然るべき対処をする方が自身やファンの皆さんにとっても有意義な事だと思う》《あなたの全てを肯定するファンの前で吠えたって何の解決にもならないと思う。当事者同士で法廷に立って名誉毀損なり恐喝なりセクハラなり白黒ハッキリつければいいじゃないの?》
2024年07月13日■お片付け■今週のフランス語【fragile(フラージル)】=壊れやすい「われもの注意」の荷物タグにも使われています。英語では同じスペルでフラジャイルと発音しますが、Every Little Thingの同名曲はフランス語読みです。作者 ムッシュー・タンのインタビューも配信中!【PROFILE】本名:Antoine Dole(アントワーヌ ドール)。フランスで累計1900万部を突破した大人気マンガ『Mortelle Adèle(毒舌アデル)』の著者。親日家でたびたび来日しており、お気に入りのスポットは上野公園。『YOUは何しに日本へ?』(テレビ東京系)でガドゥ誕生秘話が紹介された。
2024年07月13日7月11日に放送された『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)に俳優の中山忍(51)が出演。そこで独自の差し入れを明かし、SNSで波紋を呼んでいる。’88年に『オトコだろッ!』(フジテレビ系)で俳優デビューを果たした中山は、中山美穂(54)の実妹として注目を集めることに。同年11月に歌手デビューを果たし、アイドル活動も並行して行っていたが、のちに俳優業に専念。近年は2時間ドラマを中心に出演しており、“サスペンスドラマの新女王”との異名も持つ。そんな中山が11日の『ダウンタウンDX』で、現場への差し入れについて語った。マネージャーから「料理を大量に作るのが得意で、寒いドラマ現場では大量のおでんやキムチ鍋を振る舞ったこともある」というタレコミのあった中山。「何でも大量に作ると美味しいじゃないですか」と述べた。さらに、現在餃子を焼くのにハマっていると話し、「大量に焼きたいんです。で、思いついたんです。食べてくれる人のところに行って、焼けばいい」と発言。「打ち合わせで制作会社さんに行った時に差し入れとか買うじゃないですか」と言い、番組では実際に中山が旅番組の打ち合わせで餃子を振る舞う様子がVTRで放映された。VTRでは会議室に制作会社のスタッフ5名が集まるなか、電話に出た1人が「着いたって」と他のスタッフに報告。中山の到着にスタッフらが慌ただしく動き出したかと思えば、次の場面では中山の後ろに続くスタッフが、中山の持ち込んだ大量のスーパーの袋を会議室に運ぶ姿が。会議室に荷物が運びこまれると、中山は「お腹空きました?おにぎり食べますか?」と聞き、スタッフは「ありがとうございます!」と感謝。そして、「打ち合わせしてから食べますか?」と提案されたものの、中山は「ちょっと待ってください」と差し入れの準備に夢中に。先に打ち合わせを済ませたいスタッフを尻目に、大量の冷凍餃子やスンドゥブを彼らに見せ、打ち合わせもほどほどにして料理タイムが始まった。■「片付けはスタッフに任せて帰宅ってスタッフが可哀想」この制作会社は料理番組も担当しているため器具も揃っており、中山は卓上コンロやフライパン、フライ返しを使い、スタッフの手も借りながら餃子を焼き始めた。フライパンをひっくり返して綺麗に餃子が焼けると、スンドゥブと思われる鍋料理を作っていたスタッフは手を止めて拍手。次々と作り続けた結果、150個もの餃子を焼き上げ、最後にはスタッフ9名から拍手喝采が起こっていた。そして食事のシーンの後、中山は「ごちそうさまでした」と言い、餃子を3個だけ食べて帰宅。後片付けはスタッフ任せで、1人が「これ、片付けますか……」というと彼らは作業を始めた。VTRが終わり、FUJIWARAの藤本敏史(53)がスタジオで「みんな、ちょっと嫌がってないコレ?」とツッコむと、中山は「違う!笑顔で食べてたよ!」と説明。司会の浜田雅功(61)が「片付けは任せるっていう?」と言うと、「『忍さんいいですよ、置いといてください』って言ってくれるんで、甘えます」と笑顔。また、餃子が焼き上がった後、スタッフが拍手したことについて中山は「すごい自己肯定感が上がるんです。ありがとうございます」と語った。中山独自の差し入れにスタジオでは笑いが起こり、中山も笑顔で語っていた。ところが、視聴者の心証はあまり良くない様子――。勝手に大量の料理を振る舞い、後片付けもせずに去っていった中山。独りよがりな差し入れに対して“ドン引き”の人たちは多く、Xでは厳しい声がこう上がっている。《中山忍さんってあんな感じの人なのか。あんな会議室で焼肉や餃子焼いたら油や煙で部屋が大変な事になってそう。しかも片付けはスタッフに任せて帰宅ってスタッフが可哀想。やるんだったら最後までやらないと。自分勝手にもほどがあるし、ただのありがた迷惑》《ギョウザ焼くだけ焼いて一番面倒くさい後片付けは一切やらずスタッフ任せでとっとと帰るのマジない。スタッフはそりゃあ片付けいいですよ〜って言うやろ。逆にそのままおいてよく帰れるねその神経がスゴいわ》《中山忍さんのスタッフさん達可哀想すぎる…。中山さんの自己肯定感のために、仕事中断して荷物運んで食べたくもない(かも)の料理作るの手伝って、最後だけやる中山さんを拍手で盛り上げてあげて、最後片付けしてあげてるのやばすぎる》《中山忍さん無理すぎる〜 あーゆー人が上司とか姑だったら終わってるんだろうな。自分の為だけに差し入れ上げるのとか迷惑でしか無い片付けさせられるスタッフ可哀想すぎる》
2024年07月12日7月12日、新曲『Delusion:All』をリリースした人気ロックバンド・ONE OK ROCK。同日に公開された映画『キングダム 大将軍の帰還』の主題歌であり、シリーズ1作目以来のタッグとなった。いっぽう同曲のジャケット写真も公開されたが、SNSでは思わぬ層の間で反響が広がっているようで……。モノクロを基調としたジャケット写真では、袖をまくり上げたワイシャツとスラックスを着用したボーカルのTaka(36)が大空の下に立つ姿が。右手にはテープでぐるぐる巻きに束ねた複数のマイクを持ち、まるで演説をしているようなアートワークだ。なんとこれが、東京都知事選で2位に躍進した石丸伸二氏(41)への“エール”と受け取った人がいたというのだ。一部Xでは同氏の支持者から、歓喜の声が上がっている。《ワンオクの新曲のジャケが完全に石丸伸二!!笑最高です笑》《ONE OK ROCK の新しいジャケ写に、石丸伸二さんがオマージュされてる??TAKAさん粋なことしてくれるねぇ》《ワンオク最高すぎるだろ!どう見ても石丸伸二だわ!カッケ〜!》なぜ、このような解釈が広まってしまったのだろうか。ある音楽関係者は、Takaが2日にInstagramへ投稿した動画が背景にあると指摘する。「Takaさんは動画の中で東京都知事選について言及し、メディアで取り上げられるなど注目を集めました。ご本人はロサンゼルス在住で投票権がないものの、東京都出身であることから『非常に重要な選挙になります』とファンに投票を呼びかけていました。また、候補者のなかで『推している人がいる』とも語り、『テレビなどで注目されている4候補者のうちの1人』『現職ではない』『政治家から立候補した人ではない』『男性で(自分と)歳も近い』とも述べていました。Takaさんは具体的な候補者名を明かしませんでしたが、これらのヒントから“石丸さんではないか”と推測する声が広がっていたのです」いっぽう新曲『Delusion:All』が映画『キングダム 大将軍の帰還』の主題歌として発表されたのは、6月11日のこと。その際、Takaは《「世の中の色々な争いや今の時代背景」をしっかり僕らとしても汲み取りながら、キングダムにふさわしい楽曲を作ったつもりです》とコメントを寄せていた。「たしかに、新曲のアートワークは選挙演説にも見えなくもありません。しかし『キングダム』の主題歌はシリーズ1作目に起用された時から、同シリーズを手がける松橋真三プロデューサーが“いつかまたワンオクにお願いしたい”と望んでいたといいます。そうした関係性もあり、映画のストーリーにそってワンオクが書き下ろした楽曲でしょう。世界的人気を誇るワンオクですから、楽曲の準備はかなり前から進められていたでしょうし、リリース日もたまたま都知事選の後になっただけでしょう。そもそもTakaさんは石丸さんへの支持を明言していませんし、インスタライブでの発言はあくまでTakaさん個人のもので、バンドは関係ありません。そんな状況で今回の新曲が“石丸さんへのエール”だと見るのはあまりにも早合点ではないでしょうか。もちろんTakaさんが石丸さんのことを支持している可能性はありえるとは思いますが、今回のアートワークを支持と結びつけるのは“政治利用”と捉えられても仕方ありません」(前出・音楽関係者)Xでは歓喜する石丸氏の支持者に対して、ファンの間で不快感を示す声が上がっている。《石丸さんのことはなんとも思ってなかったけど、こうやってワンオクが石丸信者に利用されてるのはガチで嫌信者のせいで石丸さん嫌いになりそう》《だからなんで結びつけるのよTAKAは別に石丸さん意識して曲作ってねーよ。ワンオク好きだから、ちょっとイラッとした》《我らのワンオクを政治利用しないでほしいてか絶対Takaは意識してないよ》《石丸さん全く関係ないとは言えないけど、すぐ結びつけるのはやめてほしい。 本気でワンオク好きな人からしたら不愉快。 どういう意図があるのかTAKA本人が言うまではこういった妄想(Delusion)はやめてほしい》
2024年07月12日7月12日、中森明菜(58)のファンイベントが都内のライブレストランで始まった。17年12月のディナーショー以来、6年半ぶりにファンの前に姿を見せたのだ。「14日までイベントが同所で開催されます。応募者殺到で、チケットを入手できなかったファンも多いなか、見事当選を果たした明菜ファンは、イベントの前後に、必ずといっていいほど寄る場所があるのです」(音楽関係者)その場所は、明菜の出身である東京・清瀬市内にある。地元関係者は言う。「もともと明菜さんは大田区で生まれ、清瀬市で育ちました。小・中学校も清瀬市立の卒業です。清瀬には愛着が深いんです。今年6月11日、開業100周年を迎えた清瀬駅は新たな発車メロディとして地元出身の明菜さんの楽曲を採用しました。彼女自身もその曲の選定に関わり、上りホームは朝乗る人向けに元気が出る『DESIRE-情熱ー』、下りホームは帰宅する乗客を癒す『セカンド・ラブ』に決定。それにあわせ、構内に《清瀬駅100周年おめでとうございます中森明菜》と直筆で綴られた中森さんの巨大メッセージボードが設置されたのです。設置直後から、明菜ファンが次々に清瀬駅を訪れるようになりました。本来の設置期間は6月末までの予定だったのですが、全国のファンから“彼女の誕生日である7月13日前後まで伸ばしてほしい“という要望メールや電話が続々と清瀬市に寄せられたため、15日までの延長が決まったのです。そのため、イベントに参加するため全国から集まったファンは、同時に清瀬駅のメッセージボードも見に行くことがルーティン化したといいます」ファンが訪れるのは清瀬駅だけではない。実は明菜の直筆メッセージパネルに使用されたデザインの公式ポストカードが、清瀬駅から徒歩10分の『清瀬市郷土博物館』(入場無料・企画展除く)で12日から数量限定で無料配布されている。「ポストカードは4種類あり、15日まで各千枚、計4千枚配られます。原則1日1枚、デザインも1種類のみの配布なので、4日間通う予定のファンもいるとか。世間は3連休ですし、“清瀬巡礼”のファンが増えることでしょう」(前出・地元関係者)初日終了間際、本誌は『清瀬市郷土博物館』に反響を聞いてみた。「初日は約250枚配りました。明日はその残りと、別の種類のデザインのポストカード1000枚を配布します」(担当者)残数が発生した場合は翌日に繰り越して配布されるというが、転売目的での来訪は禁止とのこと。清瀬は今夏、明菜ファンのホットスポットになる――。
2024年07月12日85年、『ファースト・レター』で歌手デビューした佐野量子(55)。95年6月に武豊(55)と結婚して芸能界を引退。騎手の妻として武を支え続けている。「結婚直後、武夫妻がフランスに遠征した際、スポーツ紙の記者たちが同行したことがありました。夫妻の2ショット写真を撮影した後、取材陣がまだアイドル時代の面影が残る量子さんにお願いして、記念撮影会もおこなった逸話が残っています。量子さんは笑顔で応じた後、最後に『これからも主人をよろしくお願いします』と挨拶していたそうです。武さんは今年5月、JRAで前人未到となる通算4500勝を記録。これだけの成績をあげられたのは量子夫人の内助の功によるところが非常に大きいと思います。96年、細江純子さんが初めて女性の騎手となりました。武さんに憧れて競馬の世界に入ったそうです。現役生活は5年ほどでしたが、彼女によれば引退の際、量子夫人が武さんに『あなたに憧れて、この世界に入ったんだから、引退後も面倒をみないと』と助言したため、競馬評論家の道が切り開けたと話していました」(スポーツ紙記者)そんな量子夫人の名前が久々にメディアを賑わしたのは今春のこと。4月4日、武豊の自宅で窃盗事件が発生したと報じられたのだ。「京都府警は3月24日深夜、京都市内の武さんの自宅に何者かが窓ガラスを破壊して侵入し、ブランド品のバックや財布、高級腕時計など計22点、総額75万円相当の被害があったことを明らかにしました。犯行は複数人とみられ、量子夫人が在宅中だったといいます。幸い量子夫人にケガはなく、公式サイトでは《物質的な被害よりも家内の精神的なショックの方が大きく、私自身ももちろんショックを受けています》と心境をつづっていました。いまだに犯人は捕まっていません」(前出・全国紙記者)量子夫人の事件当時の心労は計り知れない。「彼女の気分転換は10年以上続けているフィギュアスケートだそうです。武さんも最近では『引退したら、ペアでフィギュアをやってみようかな』と話していますよ」(前出・スポーツ紙記者)量子夫人の最強サポートを受け、武の現役生活はまだまだ続きそうだ。
2024年07月12日《石丸氏は意味のない質問に対して塩対応をしてるだけなのに必要なサブウェイの注文なんかちゃんとするに決まってるのにクソみたいなお笑いにしてしまう所がイラっとするね》7月12日、自らのXでこう呟いたのは実業家の堀江貴文氏(51)。東京都知事選で2位になった石丸伸二氏(41)の言動が波紋を広げるなか、批判的な風潮に異論を呈している。きっかけは、8日にふかわりょう(49)が《【心配】石丸さん、サブウェイ注文できるかな》とXで呟いたこと。堀江氏はふかわに賞賛が集まっていると報じたニュースを引用し、冒頭のように苦言を呈したのだ。「石丸氏は各選挙特番でインタビュアーへの逆質問や、威圧的な態度が物議を醸しました。いっぽう『サブウェイ』では、パンやトッピング、ソースの種類など注文が多岐にわたります。店員とのやりとりも多くなることから、ふかわさんは渦中にあった石丸さんに言及したのではないかと見られています。実際、ふかわさんの投稿をきっかけに、SNSでは“石丸構文”と称する大喜利が広がりました」(スポーツ紙記者)こうした現象について、石丸氏は11日に『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)で放送されたインタビューの中でこう答えていた。「めっちゃ面白いじゃないですか。この後、サブウェイ行こうかな。そこでやってみましょうか。『一体、何の話されてます?』って。逆にサブウェイの注文はめちゃくちゃ速いですよ。具体的に聞かれた時は即答します」本人も面白がっていたが、堀江氏は“お笑い”として受け取ることができなかったようだ。別の投稿では、こう不快感を示していた。《こういうお笑いが好きな人は、石丸さんがサブウェイの注文はちゃんと出来ると思ってるけど、それを出来ないかのようにあえて揶揄するのが面白いと思ってるのか、それとも本気でちゃんと注文できないと思って揶揄してるのを面白いとおもってるのかどっちなんだろう》他のユーザーから《できると思ってるけど、面白くしているのかなと思います》と反応が寄せられると、《それ、面白いですか?そうかぁ、それを面白いと思ってしまうのかぁ。私は意味がわからないけど、そういう感覚なんすね》と疑問視していた。いっぽう別のユーザーの“ウィットに富んで面白い”と評価する声には、《これを面白いと思ってしまう人が一定数いることはよく分かった。とはいえ、面白くないしイラッとするので、これまで通りそういうクソツッコミを,してくるやつは全力で叩いていこう。ウザいので撲滅したい》と猛反論。また、“他人を貶めるような笑いが嫌いな人にとっては面白くないのかも”と分析する声には、《頑張って成果を出した人を馬鹿にしてマウント取ろうとするからイラッとするんだよな。頑張れない人、成果を出せない人がそれを笑う。それを容認する社会はやっぱり良くないな》と私見を述べたのだった。堀江氏はその後の投稿でも、《誰も傷つかない種類のものであれば構いませんが、他人を小馬鹿にしたり揶揄したりするお笑いは撲滅してもいいんじゃないの?ダメ?》と投げかけていた。「堀江さんは10日にも、元・乃木坂46の山崎怜奈さん(27)への対応が物議を醸していた石丸さんについて、《適当に答えられないんだろうな。真面目なんだよ》と理解を示す投稿をしていました。また、お笑いに関しても自らの価値観を大切にしており、“誰も傷つかないネタ”が好きなようです。2年前には好きな芸人に、小島よしおさん(43)とハンバーグ師匠ことスピードワゴンの井戸田潤さん(51)の名前を挙げていました。堀江さんは石丸さんの人柄を尊重しているだけに、“サブウェイいじり”は不快に感じたようです」(WEBメディア記者)とはいえ石丸氏は『グッド!モーニング』のインタビューで、選挙特番でのメディア対応について「内心おちょくってました」とも語っていたが……。堀江氏の主張に、Xでは《なるほど一理あるな》《ホリエモンに同意!》と賛同する声が。だが、物議を醸した石丸氏の言動を“棚に上げている”と見る人も少なくないようで、厳しい声も上がっている。《タレント小馬鹿にしてたの石丸さんじゃんww》《他人を小馬鹿にする者が権力を握るような政治は撲滅してもいいんじゃないの?ダメ?》《元を辿れば石丸さんがインタビュアーを馬鹿にしてマウント取ってるよね》
2024年07月12日「チャーシューとか作ります」こう話したのは菅田将暉(31)。7月11日、CMに出演する「ウィルキンソン」のイベントに登場。第1子誕生後初の公の場で家庭的な顔を覗かせた。7月3日にはアルバムを発売するなど、音楽活動にも精力的に取り組んでいる菅田。しかしその“ビジュアルの変化”が話題を呼んでいた。「7月2日に公開された新曲のMVで、菅田さんは前髪パッツン&眉毛なしの姿だったんです。眉毛は剃っていたのか、メイクで消していたのか定かではありません。ですが、おでこがほとんど見えるほどの前髪の短さだったので“眉なし”もかなり目立っていました」(スポーツ紙記者)金髪や赤髪などかねて奇抜なファッションセンスで知られる菅田だが、この「前髪パッツン」と「眉毛なし」はかなりの衝撃ビジュアル。「蓮舫かと思った」と見間違える人も続出している。「菅田さんは演技力には定評があり、個性的なファッションや音楽のセンスも人気。ですが今回のビジュアルが独特すぎたせいか、“菅田将暉はイケメンか否か”という論争がSNSで巻き起こっているのです」(前出・スポーツ紙記者)実際、Xにはこんな意見が。《やはり菅田将暉は、イケメンではなく雰囲気イケメンだった事が立証された。》《なんか菅田将暉って申し訳ないけどどこがイケメンなのか分からん、、、》《ごめん、ほんっっとにごめん。菅田将暉は「イケメン」だと思えないのごめん、、!!》いっぽう、どんなスタイルでも菅田はかっこいいという人も。《菅田将暉イケメンじゃないとか言ってるやつやっぱりありえないまだ本気を出してないだけと言え》《菅田将暉ずるいどんな髪型でも髭でも、別種のイケメンになるイケメンのイーブイみたいな素材》《菅田将暉って眉毛なくてもかっこいいなぁ…》ある芸能関係者は言う。「菅田さんはかなりストイックに役作りをすることで知られており、映画『銀河鉄道の父』では、病気で痩せていく宮沢賢治を演じるために食事制限をしていたといいます。髪の色も役に合わせて変化させることが多く、作品が終わってもしばらくはその役のスタイルのまま過ごすこともあるといいます。今年3月の日本アカデミー賞の授賞式で見せた金髪は役のためと明かしていました。俳優としてビジュアルが変わることが多いため今回は論争が起きてしまいましたが、“前髪パッツン”と“眉毛なし”も、何かしらの作品の可能性もありますね。菅田さんは女性ファッション誌『ViVi』の国宝級イケメンランキングで1位を獲得していますし、ビジュアルが変わっただけで毎回大きな話題になるのも俳優としての注目度が抜群に高い裏返しでしょう」今後も菅田の新ビジュアルから目が離せない!
2024年07月12日7月12日から3日連続でファンクラブ向けイベントを開催する中森明菜(58)。一世を風靡した歌姫の復帰で、ほかの80年代アイドルたちにも注目が集まっている。同じ82年デビューで“同期”なのが小泉今日子(58)。2人はある事件をきっかけに絆を深めたという。「新人だったころ、音楽イベントで客席から投げられた生卵が小泉さんに当たるという事件が起きました。生卵で顔や衣装が汚れてしまった小泉さんのもとに駆け寄って舞台袖に連れていったのが、同じステージに立っていた明菜さんでした。以来2人は親しくなり、中目黒などで飲み歩く姿も目撃されてきました。小泉さんは最近でも、カラオケで明菜さんのデビュー曲『スローモーション』を歌うそうです」(テレビ局関係者)明菜同様に小泉も波瀾万丈の人生を送っている。「小泉さんは18年2月に、前所属事務所からの独立を発表しました。その際に豊原功補さん(58)を“同じ夢を追う同士”と呼び、『一部の週刊誌などで報道されている通り恋愛関係でもあります』と公表したのです。同時に豊原さんは記者会見を開き、自らの妻子とは別居状態であることを告白し、小泉さんとの不倫関係を認めたのです」(芸能関係者)だがそれから6年、2人の破局がささやかれ始めたのは今年2月のことだった。「2月27日放送の『紙とさまぁ~ず』(テレビ東京系)で、番組からの事前質問に対し、小泉さんが回答しているのです。《世間のイメージとのギャップは?》との質問に、《華やかな芸能界の世界で長く生きてきたので日常も華やかだと思われがちですが、仕事以外はずっと家にこもっています。外食なんて年に3回ぐらい。旅行も行きません》などと、答えたのです。特に注目されたのは《50代になってからはお酒を飲みに行くこともなくなりました。こんなことでよいのでしょうか?孤独死しそうで心配です》という言葉でした。私生活での交流がほとんどない、ともとれる発言に、ネットでは《お一人になられたのでしょうか》《例の彼氏はどうしたのかな?》などと心配する声が上がったのです」(前出・芸能関係者)いっぽう豊原功補は、6月3日に映画『朽ちないサクラ』の完成披露上映会の舞台挨拶に登壇。“自信があること”という質問に対し、「酒飲んだ後に後輩に作る飯」と答えている。レパートリーも豊富なようで、「“バズレシピ”にも負けないんじゃないかな」と自信たっぷりだったという。「小泉さんの“孤独死が心配”発言とは対照的に、豊原さんはリア充ぶりを強調しています。また豊原さんの発言からは、“恋人のことを気にせず、いつでも自分の部屋に後輩を連れて来られるような自由生活”が思い浮かぶのです。以前は頻繁にツーショットが目撃されていましたが、最近はそれも途絶えています。また小泉さんが代表取締役を務めている会社『明後日』のHPを見る限りは、小泉さんと豊原さんが、いっしょに企画に携わる予定もないようです。そういった状況から、芸能記者たちも“破局しているのではないか”とみています」(前出・芸能関係者)だが、芸能記者たちが破局を確信しきれない理由もあるという。「HPによれば、小泉さんの会社『明後日』は渋谷区内のマンションの一室にあります。また豊原さんが代表を務めている会社『有限会社ヘッドロック』もHPによれば、同じ部屋にあるのです。いわば事務所同士は、いまも“同棲”状態にあるため、芸能記者たちも破局を断定しきれていないようです」(前出・芸能関係者)“盟友”明菜の復活を受けて、小泉が新たな決断を下すこともあるのか。
2024年07月12日「米倉さんの主演作の続編が決まったと聞いています」(制作関係者)米倉涼子(48)といえば、12年前から主演している『ドクターX』(テレビ朝日系)の映画版が12月6日に公開される。だが、制作される続編は『ドクターX』ではないという。「19年に公表した低髄液圧症候群の影響もあり、ハイヒールがトレードマークの大門未知子役を再び演じるのはかなり厳しい状態だそうです。制作発表時のコメントで米倉さんが《私自身、大門未知子と12年間お付き合いできるとは思っていませんでした》《私たちの12年の想いがこもった作品になっていると思います》と“区切り”にしていることからも、映画でラストになる見込みです」(テレビ局関係者)米倉は6月14日に出演した生放送の情報番組『あさイチ』(NHK)で病状についてこう明かしていた。「止まっているエスカレーターって上がったことあります?本当は(上がることは)ダメですよ。でも、そういう感じがずーっと続く」「車のライトとかも全部つながって見えて、自分がどこにいるか分からなくなる。座っていることすらできなくなっちゃう」「頑張れる、頑張れない、とかっていう次元ではなく、(『ドクターX』の継続出演は)完全に無理でした。ヒールとかも履けないし、もうあきらめるしかない状態」一時は「引退」も覚悟したというが、昨年、現在の担当医と巡り合い、手術を経て、今年5月からはかなり元気な状態に戻ったと説明していた。そのため、“続編”への出演を決めたというのだ。「『エンジェルフライト』のシーズン2です。第10回開高健ノンフィクション賞を受賞した佐々涼子さんの『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』をドラマ化した作品で、国境を越えて遺体や遺骨を故国へ送り届けるスペシャリスト『国際霊柩送還士』の奮闘を描きます。米倉さんはシングルマザーの剛腕社長・伊沢那美を好演しています。もちろん、役柄上ハイヒールなどを履くこともなく、米倉さんには身体の負担が少ない作品でしょう。昨年3月から『Prime Video』で世界配信され、amazon社のオリジナルドラマ配信数1位を獲得。もともと、今作はNHKエンタープライズで制作されていたこともあり、今年6月からNHKBSでも日曜夜10時から放送することになりました。BS放送の反響も想像以上に大きいことを受け、続編が決まり、早ければ来年2月から撮影がスタートする予定だと聞いています」(前出・制作関係者)本誌はNHKエンタープライズに続編について聞いたが、コメントは得られなかった。前出の制作関係者は言う。「実は米倉さんは今作でNHKのドラマに登場するのは『ハルとナツ 届かなかった手紙』以来、19年ぶりのことなんです。続編もNHKで放送されることになるでしょう。『ドクターX』卒業後は、米倉さんの女優業の“基盤”はテレビ朝日からNHKに移るのかもしれません。近年では、朝ドラヒロインの母親役は、民放の連ドラで何度も主演した40代~50代の人気女優が務めることが多いです。『なつぞら』では松嶋菜々子さん、『あまちゃん』では小泉今日子さん、現在の『虎に翼』では石田ゆり子さんが起用されています。近い将来、米倉さんに白羽の矢が立つ日も来るかもしれません」『ドクターX』卒業後も、女優人生が失敗することはなさそうだ。
2024年07月12日「堀ちえみちゃんが15歳。松本伊代ちゃんが16歳でとにかくみんな若かったんです。一応19歳もティーンエイジャーですけど一人だけお姉さん(笑)。楽屋ではみんな学校の話題で盛り上がったりしているからなかなか話も合わなくて。“仲いいな~”と思いながら横目で見ていました(笑)」そう当時を懐かしむのは女優の白石まるみ(61)。中森明菜(58)とは“花の82年組”として同期デビュー。すでに女優としてドラマ出演を果たしていた白石は歌手デビューが19歳だったこともあり、82年組の中でも“お姉さん”的立ち位置だった。歌手活動を20歳で終了すると、ドラマ『スチュワーデス物語』などに出演し女優として活躍。1992年にはNHK教育テレビジョン(現NHK Eテレ)のキャラクター“ニャンちゅう”の初代パートナーに就任し“まるみおねえさん”として人気を博した。そんな中でドラマ共演をきっかけに82年組との仲を深めていった。「公開収録番組で初めて明菜ちゃんと一緒になったとき、明菜ちゃんが“私、まだ衣装を作ってもらってなくて今日は自前なの”と話していたのを覚えています。当時、私は19歳。明菜ちゃんは16歳でしたが、自分の意見をきちんと言う“大人びた子”だと感じました。ちえみちゃんとは『スチュワーデス物語』で仲良くなり、伊代ちゃんともドラマ共演がきっかけで仲良くなるとお互いの家で遊んだりしました。ちえみちゃんとは子供ができてからも一緒にディズニーランドやファミリーコンサートへ行き、この前も一緒にご飯を食べました」そして昨年には“80年代アイドル合唱団“として番組企画の合唱コンクールに参加。当時の”最強アイドル”たちが集結し一致団結して歌声を響かせた。「同期の早見優ちゃんや、つちやかおりちゃん、岩崎良美さんや浅香唯さんなど80年代のいろんな方々が集り、本当にみんな当時と変わらずで楽しかったですね。”80年代アイドル合唱チーム“というLINEグループを作って合唱コンクールに向けてみんなで励まし合っていました。収録後には同期の渡辺めぐみちゃんのお店で打ち上げも行われ、40年以上ぶりにみんなと話して当時のことをたくさん思い出しました」現在は女優業の傍ら、様々な“芸能人初”という資格を取得している。そして全国に370人の弟子を抱える“先生”でもある。「15年ほど前に国際認定資格のインド式ヘッドマッサージの資格を取り、そこから“芸能人初”という資格にこだわっていて(笑)。次に『個性心理学』という資格を取得しました。個性心理学は動物占いで一世を風靡しましたが、実は人間関係をよくしたり、会社の売り上げをあげたりと、なんにでも使えるコミュニケーションツールの心理学です。今は個性心理学の講師として全国で講演活動を行い、講師を育てています。全国に教え子が370人以上いて、今年中に400人くらいにしてみんなで社会貢献出来たらいいなと思っています。これまで取得した資格は10~15個くらいですね。ほかの芸能人が持っている資格はカウントしていません(笑)あと、バトミントン指導員の資格もあるので定期的にバトミントン教室の初心者クラスを教えています。こちらでも“先生”と呼ばれているので、私はいつから“女優ではなく先生になったんだろう?”と思うこともあります(笑)」7月末まで『松平健芸能生活50周年記念公演』に出演する。「6月から舞台稽古が忙しくて、しばらく資格の勉強はできていません。『マツケンサンバ』の踊りを一生懸命覚えています(笑)」客席からは“先生”と慕う教え子たちからの声援が聞こえてきそうだ。
2024年07月12日動画が大炎上し、活動を一時停止していたYouTuber「ラウなのファミリー」。7月5日に復帰宣言したものの、物議を醸している。三人の子供と夫婦の日常を動画で伝える、チャンネル登録者数約5.8万人のYouTuber・ラウなのファミリー。炎上の発端は5月24日にアップした動画だった。2歳の長女が炎天下の車内に閉じ込められてしまい、動画の中で長女は汗びっしょりになって号泣。さらにこの号泣シーンは、父親が動画を回し始めて30分が経過した頃に撮影されたもので、ネットでは「残酷すぎる」など怒りの声が多数上がった。すると5月31日、「前回の動画についてママがブチギレています…」と題する動画をアップ。父親は「皆さんを不快にさせてしまう映像を流してしまって本当に申し訳ございません」と謝罪したが、母親は「JAFをなぜ呼ばなかったのか」という批判の声に反論。その姿がネットで「逆ギレ」と波紋を呼ぶこととなり、6月3日までに上記2件の動画は削除された。そして6月3日、謝罪動画をアップし、父親は「自分の立場や子供に対してどうあるべきかっていうところに関して改めて考え直したいので、申し訳ございませんが、少しお時間をいただきたいです」とコメント。以降、YouTubeの更新はストップしていた。そんななか活動休止から1ヵ月後となる7月5日、ラウなのファミリーは“復帰”を宣言した。YouTubeにアップされた動画で父親は「まずはじめに、なのは(長女)に怖い思いをさせてしまったこと。なのはの気持ちと未来を考えたら、謝っても謝りきれないことをしてしまったと深く反省しております」と長女に謝罪。また、「今回の件で自分が行った行動は親として以前に、人として異常な行動ばかりでした。どう考えても、今思えば撮影したこと、それを編集したこと、投稿したこと、サムネイル、タイトル、全て振り返るとなぜそんなことをしたのかすら、今となっては考えられないほど、おかしな行動でした」と言い、「どこか焦りからなのか再生回数を稼いでいると言われてもしょうがないような内容でした。その後の対処も、熱中症に関しての自覚の甘さや配信者に必要な意識の低さ、全て反省しないといけないことだと思います」と語った。■「体が勝手に『この笑顔を動画に撮りたいな』って思ったんですよ」母親も「私は視聴者のみなさんが本当に子供たちのことを思って対処法などのアドバイスをくれたコメントに対して、学び、感謝をしなければいけなかったのに、その言葉を伝える前に自分の家族が誤解されている部分だけのコメントだけ注目して、その感情を露わにしてしまい、その結果、視聴者のみなさんに不快な思いをさせてしまいましたこと、大変申し訳ございませんでした」と視聴者に謝罪。父親は、動画配信をやめていた期間の心境について告白し、「どこか子供達にカメラを向けて写真を撮ったりとか、動画を撮ったりするのがもうダメなことなんじゃないかっていう気持ちになってしまって。いまだに全然撮れてない現状です」と話した。しかし、「それでもいつも通りの日々を過ごそうと、向き合って毎日を送っていたら、体が勝手に……。『この笑顔を動画に撮りたいな』って思ったんですよ」と発言。そして、こう続けた。「僕は思いました。今後も、この子供達の笑顔やかけがえのないこの瞬間や、今しかないタイミングを撮影し、動画投稿を続けたいと本当に心の底から思いました。これからは視聴者のかたの笑顔はもちろんですが、一番にらうと(5歳の長男)となのはと、ふわり(0歳の次女)が大人になっても恥ずかしくない、『この家族に生まれて良かったな』って心の底から思える動画を作っていきたいと思っています」そして「今後ともラウなのファミリーをよろしくお願いします。今回は本当に申し訳ございませんでした」と頭を下げて、動画を結んだ。しかし、この復帰宣言がSNSで非難轟々となることに――。「炎天下の車内に2歳児を閉じ込めた」というインパクトが強いようで、わずか1ヵ月での復活にXでは厳しい声があがっている。《こいつらは 子供の事を何だと思っているんだ?》《は?何考えてんの?》《子供の命より承認欲求》《自分達がやった事の重大さもわかっていない》
2024年07月12日家を開けることなどめったになかった私ですが子どもたちも成長し、プライベートな飲み会を楽しむ余裕もちらほら出てきました。子どもたちも、やれ片付けだ宿題だとうるさい私がいないそんな日はここぞとばかりに羽を伸ばしているらしく、部屋の中はたいへんカオスな状態らしい。とはいえ帰ってきた私に小言を言われたくない思いと、なんなら褒められてやろうというまめの下心により「部屋の中が散らかり放題でカオスな状態だった」ことと「まめが率先してその部屋を片付けたこと」が夫の口から帰宅後にセットで伝えられることとなるため、舞台裏を全て知った状態で新鮮に驚いてみせたりほめてみたりという難易度高めのミッションが私に課せられることとなるのです。
2024年07月12日‘86年に映画『ドン松五郎の生活』で女優デビューを果たし、同時に主題歌『夢色のメッセージ』を発売するという、華々しいデビューを飾った西村知美(53)。“とろりん”の愛称で親しまれ、トップアイドルとして活躍後、天然ボケのキャラクターを武器に『さんまのSUPERからくりTV』(TBS系)など、バラエティタレントとしても人気を集めた。「たしかにデビュー当時は忙しかったですね。ドラマを掛け持ちして台本6冊を持ち歩き、歌番組も2~3本。その間にラジオや雑誌の取材があって、移動する車の中でインタビューを受けたり。ドラマも最初から『深夜3時終わり』って言われて、それが結局朝の5時までかかるんです。次は朝6時からって言われて、もう家に帰る時間もないじゃないですか。それでもセリフや歌を覚えなくちゃいけなかったり、あるときはドラマ終わりで『サイン500枚書いてきて』、と言われたことも。そんな毎日の連続で、よく車の中で大泣きしたのを覚えています。当時高校には一人で通っていましたが、何度も反対方向の電車に乗って、このまま失踪しようかな、なんて思ったりもしました」当時、事務所のスタッフから「(‘86年デビューの)同期は600人いる」と聞かされていたという。「でも、私は‘80年代にアイドルとしてデビューできてよかったと思うんです。今のアイドルは、歌も踊りもトークもできなくちゃならない。完璧を要求されるじゃないですか。あの時代だからこそ、歌唱力のない私でもデビューできたんだと思います。今はあえて“元アイドル”と言わせていただいているんです。もちろんこの年齢でアイドルができるわけではないのですが、現在の肩書を聞かれると“歌手”でも“女優”でもなく、あえていえば“バラエティタレント”なんですけど、それもおこがましいと。だから、しょうがないので“元アイドル”や“‘80年代アイドル”とさせていただいてます」そう謙遜する西村だが、芸能界きっての“資格マニア”としても知られている。その数、芸能界屈指の55個!介護資格や小型船舶免許などのほかにタイ古式マッサージ、さらに河童捕獲などユニークなものまで多岐に渡る。「もともと、いつ仕事を干されてもおかしくないと思っていたので資格を取るようになったんです。残念ながら、直接仕事につながっているわけではないんですけど……。河童捕獲の資格ですか?あれは許可証なので、申請すれば200円で買えるものなんです。昔、タモリさんがテレビの前世占いで『前世は河童』と言われたときがあったんですが、そのとき私もロケにご一緒していて。以来、河童の存在を信じてるんです。タイマッサージも29歳のときに家族の反対を押し切って、タイへ行って取りました。でも、向こうでとったので、タイでしか有効ではないんですよ。でも、私はいつかタイに住みたいと思っているんです」プライベートでは‘97年に元CHA-CHAのメンバーで料理人の西尾拓美さんと結婚。’03年に長女をもうけた。「夫も‘80年代アイドル?ホントですね。気がついたら娘も二十歳過ぎました。不妊治療を経てありがたく授かって……。大きな病気もせずに、元気でいてくれるだけでうれしいですね。最近は、娘と旅番組のロケに出させてもらうこともあります。じつは、彼女がお腹の中にいたころから母娘でテレビに出演しているんですが、娘はデビューはしていません。あくまで肩書は一般人。あえて言うなら“西村知美の娘”でしょうか。もう就職活動をしなくてはいけない時期(大学3年生)なのですが、どうするんですかね。芸能界入りはなさそうです。パパを見習って料理の腕を磨いてもらえたらいいな。娘とはよくカラオケに行くんですが、採点付きで私の曲を歌うと、娘のほうが私より高得点なんです。私が自分の持ち歌で80点台なのに、娘は90点以上取っちゃう。それでからかわれてますね(笑)」歌に対する苦手意識は、アイドル時代からのものだと話す。「ご存じのとおりの歌唱力ですから、歌はなるべく避けてきたんですけど……。それでも、来年がデビュー40年なんです。あっ、再来年でした(笑)。そんなことで“最後の集大成”じゃないけど、ちょっとその節目には何か歌わなくては、と考えているんです。これまでも名だたる作詞家・作曲家の先生に曲を作っていただいたので、ご相談して。お客さんが集まるかわかりませんが、頑張ってやりたいです!」80年代当時から変わることのない、まっすぐな瞳で宣言してくれた。
2024年07月12日韓国の5人組ガールズグループNewJeansが、先日、東京ドームで日本初のファンミーティングを行った。なかでも、メンバーのハニが、松田聖子の『青い珊瑚礁』を披露したことが日韓でトレンド入りの大反響。これについてハニは「ミン・ヒジンさんがおすすめしてくれたんです」と発言し、生みの親であるミン・ヒジン氏(以下、ミン氏)にも「選曲が天才すぎる」と称賛の声が集まった。「ミン氏は、もともとは大手事務所『SMエンタテインメント』で18年ほどディレクターを務めていました。数多くのヒット曲を送り出してきた女性辣腕ディレクターです」そう解説するのは、日韓の音楽シーンに詳しい、ジャーナリストの松谷創一郎さんだ。ミン氏は若手時代から現場に携わり、アルバムコンセプトと衣装がマッチしていないことなどの問題に気づいていた。それまで誰も指摘しなかった問題に次々と切り込み、持ち前の審美眼とガッツで担当する領域を広げていく。’17年にはアートディレクター統括に就任した。家父長制がはびこる韓国社会で、平社員からトップに上り詰めたスーパーウーマンなのだ。「ミン氏のビジュアルアイデアは常に革新的でした。少女時代の『Gee』でのカラージーンズや『GENIE』の白い制服スタイル等の衣装も、ミン氏が手掛けたものです」(松谷さん、以下同)常に新しい手法でアーティストの魅力を引き出すミン氏は“コンセプト職人”といわれている。「ミン氏は’18年に同社を退社後、BTSなどを抱える韓国最大手“HYBE”のもとで、新レーベルADORの代表になりました。2年ほど手塩にかけて育て、プロデュースしたのが、NewJeansなんです」■5月には代表辞任に追い込まれる泥沼騒動も……その彼女たち、実は親会社のHYBEとADORのミン氏の間の“泥沼”騒動に巻き込まれているという。「ことの発端は、4月22日。HYBEが突然、『ミン氏がADORの経営権を乗っ取りNewJeansと共に独立を企てている』と疑惑を提起。ミン氏の代表辞任を法的に求めるため、監査に着手したという報道があったのです」これに対しミン氏は緊急記者会見を行い「私はADORの株の18%しか持っていないのにどうやって会社の経営権を奪うのか」と反論。パン・シヒョク氏(以下パン氏)との極秘チャットまで大暴露し、「このクソじじいども」と暴言を吐くシーンもあり、号泣しながら辞任に追いやられた悔しさを語った。その後HYBE側が、ミン氏を業務上背任の疑いで告発するも、ソウル中央地裁は「証拠不十分」として、ミン氏は代表解任を免れた。会見前の韓国世論はHYBE派が多数だったが、会見後は世論が割れた。さまざまな仕打ちを受けたミン氏を擁護する声、大人のけんかに巻き込まれた若いメンバーたちへの心配などである。韓国内ではこの騒動だけで、9日間で1千275件もの記事が上がるほどだった。■泥沼騒動の原因、理解するためのポイントは?「そもそも、HYBEが企業として上場したのは’20年と、まだ日が浅いんです。’20年までに、芸能事務所の企業を買収・吸収し、巨大複合企業へと急激な成長を遂げます」HYBEが、短い期間に巨大化したひずみが、今回の騒動に発展したと松谷さんは分析。さらに、この泥沼騒動を理解するには2つのポイントがあると指摘する。一つ目は、今回のけんかが「ビジネスvs.クリエイティブ」である点だ。パン氏をはじめとするHYBEの経営陣は利益を追求するが、一方のミン氏はクリエイター。利益よりは作品を大事にするという。「ミン氏はNewJeansがデビューする前から、自分がやりたいことを貫いていたのでしょう。ただ、経営陣からすると、ミン氏の要望をすべてかなえるわけにもいかない。前社も含め相当なキャリアを築いてきたミン氏の“声の大きさ”をよく思わない経営陣は多かったかもしれません。涙の会見で国民の同情を誘ったのも、HYBE経営陣としては非常に嫌だったと思います」二つ目のポイントは、「新たな音楽シーンを開いたNewJeansの魅力」にある。「NewJeansは、10代の女の子の刹那的な感情をナチュラルに映し出しています。従来のK-POPよりもクールでリズムも複雑。圧倒的に耳に気持ちよく、何度聴いても飽きません」’80年代、坂本龍一のシンセサイザーを使ったYMOのテクノポップが、新たなシーンを開拓したのと似た衝撃があったと松谷さん。「世界的にインパクトを与え、NewJeans前と後というほど音楽シーンをがらりと変えました。とにかくミン氏の功績は大きいです」しかしミン氏は、パン氏が’24年に手掛けた「ILLIT」というグループが、NewJeansのスタイルをコピーしたと批判している。「確かに似通う点はあるかもしれませんが、『まねを許さない』というのはどうだろうかと思います。流行というのは、新たに誕生したものに同調し、またそこから差異化してと、追いつ追われつをくりかえしていくものです。ミン氏の気持ちもわかりますが、やや過激に感じます」今後の展開について、松谷さんは、かつての東方神起、SMAPのように分裂・解散の可能性もあると予想している。「元のさやに戻る可能性は低いでしょう。ファンにとって理想的なのは、ミン氏とNewJeansが一緒に独立することかもしれませんが、そうなると商標となるグループ名は使えない。ミン氏が辞任して、NewJeansだけ残るというパターンもあります。メンバーが決裂をして一部だけがミン氏と一緒に独立する可能性もゼロではありません。結局、最後のイニシアチブは、メンバーが握っているでしょう」ミン氏独立の真偽は定かではないが……NewJeansの音楽が長く続くことを願うばかりだ。
2024年07月12日むしむし、ベトベト、紫外線ダメージ……。蒸し暑い日本の夏は、ヘアケアの大敵だ。「髪の毛がうねる」「紫外線でパサつく」「においが気になる」「汗で髪がぺたんこに」「頭皮がベタつく」など、“夏の5大ヘア悩み”を抱えている方も多いだろう。なかでも、この時季いちばん気になるのが、湿気やダメージによる“うねり”ではないだろうか。「年齢を重ねると、髪の中の水分や脂分のバランスが崩れ、タンパク質の密度も下がってきます。そこに白髪染めや紫外線などでダメージを受けると、髪の内部がよりスカスカになって余計な水分が入りやすくなり、うねりが強く出てしまうのです」そう話すのは、パーソナルビューティープロデューサーで、毛髪診断士・美養研究家の齊藤あきさんだ。とくに50代以上の女性は、「トップはぺたんこなのに、毛先は広がる……」という方も少なくない。そんな方におすすめなのが、しつこい髪のうねりを抑えつつ“ぺたんこ”悩みもカバーできる“酢リンス”だ。「定期的に白髪染めをしている方は、薬剤によって髪がアルカリ性に傾き、キューティクルが開いてパサパサになりがちです。酢は酸性なので、酢リンスをすることで、傷んで開いたキューティクルをキュッと引き締め、サラサラにする効果が期待できます」(以下、齊藤さん)酢リンスだけでも効果は得られるが、その効果を最大限に高め、夏の5大ヘア悩みを解消するためには、次のような手順でケアするのがおすすめだ。すべて実践するのが難しい場合は、気になる悩みに対応するケアから始めよう。■夏の5大ヘア悩み解決方法【1】毛穴詰まりを解消する頭皮クレンジング「汗をかく夏場は、頭皮の毛穴が詰まりやすい時季。とくに髪の“根元”がうねりやすい、という方は、毛穴詰まりや頭皮の老化によって毛根の形が変わってしまっている可能性があります。シャンプーの前に週2回ほどプレシャンプーとして頭皮クレンジングを行うのがおすすめです」頭皮クレンジングは、市販の頭皮専用のクレンジング剤か、アルガンオイルなど植物系のオイルでも代用できる。「オイルの場合は、大さじ1杯ほどを手にとり、頭皮によくなじませて、指先でほぐすようにマッサージしましょう」【2】パサつきを撃退するトリートメント頭皮クレンジングのあとは、通常どおりシャンプーを。そのあとに続く“酢リンス”を行う前に、トリートメントは必須だ。「酢リンスには、髪の表面のキューティクルを引き締め、うねりを落ち着かせる効果はありますが、髪内部の補修はできません。ですから、その前にトリートメントでしっかりと水分・油分・タンパク質などを補うことが大切。両方行うことで、酢リンスだけよりも、サラサラに仕上がります」とくに、紫外線のダメージを受けやすい夏は、しっかり補修を。「トリートメントは、つけ方を工夫するだけで効果がアップします。ポイントは、シャンプーのあと、タオルで水気を拭き取ってからつけること。ぺたんとなりやすい根元は避けて、傷みやすい毛先を中心につけましょう。目の粗いコームで髪全体になじませたあと、3~5分置いてから洗い流すと効果が高まります」【3】“酢リンス”で髪表面を引き締めサラサラにいよいよ“酢リンス”の出番だ。作り方は、洗面器に約7割湯を張り、そこに大さじ1杯のりんご酢を入れるだけ。「アミノ酸が多く、しっとりするのは米酢や黒酢ですが、においが少なく使いやすいのはりんご酢です。洗面器に毛先から髪をひたして、手で全体になじませるようにつけていきます」髪がぺたんとなりやすい方は、ボリュームダウンの原因になるので、根元への塗布は避けよう。「逆に、ボリュームが出やすく、より落ち着かせたい方は、酢リンスに大さじ1杯程度の市販のグリセリンを加えると、しっとり感が出ます」塗布したあとは、3分ほど時間を置く。さっとお湯で洗い流せば終了だ。【4】しつこい“うねり”を撃退する乾かし方うねりを出さないためには、乾かし方もひと工夫しよう。「ヘアオイルは、乾かす前と乾かしたあと、2回に分けてつけるのがポイント。髪のダメージによるうねりが強い方は、タオルドライしたあと、傷みやすい毛先から中心へとなじませます」髪がぺたんとしやすい方は、ここでも、根元にヘアオイルをつけないこと。「手ぐしで髪をしっかり伸ばしながら乾かすと、広がりやうねりが出にくくなります。また、とくにうねりが出やすいところは、ブローの仕上げに固めるタイプのヘアスプレーを吹きつけたブラシでコーミングすると、うねりを抑えられます」【5】ベタつきやにおいにはドライシャンプーが◎最後に紹介したいのは外出先でのケアだ。せっかく髪をセットして出かけても、汗をかくとベタついたり、においが気になったりしてしまう。そんなときは、手軽に頭皮のベタつきやにおいを抑えることができるドライシャンプーの出番だ。「出先でも手軽に使えるドライシャンプーには、スプレー式のものや、汗を拭き取って皮脂を抑えるペーパータイプのものがあります。携帯しやすいものを選んで、バッグに入れておきましょう」酢リンスの効果を最大限に高めて、夏のサラサラヘアを手に入れよう!
2024年07月12日