女性自身がお届けする新着記事一覧 (856/893)
「6月21日の朝までは話せていたのが、夜には痛がって、22日の朝には話せなくなってしまったそうです。それまでずっと麻央さんのお母さんと姉の麻耶さん(37)が看病していましたが、お医者さんを呼んで痛み止めを入れてもらうことにしました。少し落ち着いて眠ったのか、夕方に意識がなくなって。子どもたち2人もずっと横にいて、励まし続けていたそうです」(医療関係者) 「愛している」――。6月22日夜、市川海老蔵(39)にそう言い残して小林麻央さん(享年34)が亡くなった。 「子どもたちはずっと麻央さんのそばを離れようとしませんでした。特に麗禾ちゃん(5)は亡くなってからも一緒に寝ると言い張って、横に布団を敷いてもらって一緒に寝ていました」(前出・知人) 翌23日の朝、勸玄くん(4)はいつものように、麻央さんの足をさすっていたという。父はそんな子供たちの姿を見て涙した。――だが、それから数時間後の昼、歌舞伎役者・市川海老蔵は舞台上にいた。 《こういう時だからこそ、より厳しく、より深く己に喝を私が役者として良くなる事を誰よりもまおがよろこぶから、私はやる》(6月22日の海老蔵のブログより) 「満員御礼を申し上げます」 東京・シアターコクーンでの主催舞台『ABKAI』は、この日も海老蔵のアナウンスで幕が開いた。 「絶景かな、絶景かな」 石川五右衛門に扮した海老蔵は名文句を発しながら、華々しく登場する。いつもと変わらない舞台に見えた。だが、観客の多くは、報道で麻央さんが亡くなったことを知っていた。この日はコミカルなシーンでも観客たちの笑い声は遠慮がちだ。 すると海老蔵が「(客が)静かだなぁ、今日は」と笑みを浮かべて言う。それにつられて観客も笑い始めた。舞台がクライマックスを迎えるころ、観客はみな大声で笑っていた。 「絶景かな、絶景かーなー」 冒頭と同じセリフを海老蔵は息が続く限り伸ばしていう。海老蔵の高笑いで幕が下りるなか、両目には涙が溜まっていた。終幕後、会見を開き海老蔵は麻央さんの逝去を伝えた。 《まおの思い元気になったらこうありたい!という気持ちを私も引き継ぎ。生きます。私では力不足ですが、私はまおの生きたかった 行いたかった事をしていきます。まおと私は共に生きます。私の中にいつもある》 6月24日、海老蔵は子供たちと相撲をとる写真とともにブログにそう綴っている。「まおがよろこぶから」。市川海老蔵はこれからも舞台に立ち続ける。
2017年06月27日「私は父を病院で亡くしてるので。病院のときとは違う、家族の中で、家族と共に一緒に居られた時間というのは、本当にかけがえのない時間を過ごせたと思います」 会見で夫の市川海老蔵(39)は涙ながらにそう語った。 小林麻央さんが逝ってしまった。まだ34歳。7月21日の誕生日は目前だった。6月22日夜、海老蔵に、長女・麗禾ちゃん(5)と長男・勸玄くん(4)。そして麻央さんの両親と姉・麻耶(37)。愛する人たちに見守られて、麻央さんは静かに息を引き取った。 今年1月に一度は退院するものの、4月22日に容体が悪化し、緊急入院した麻央さん。市川家に近い知人は「こどもの日までには退院したいというのが麻央さんの希望でした」と言う。だが、容体は日に日に悪くなった。 「ゴールデンウィーク中にも、麻央さんは危篤状態に陥ったそうです。すぐに、家族全員が病院に呼び出されました。呼ばれるということは“最悪”を覚悟せよということです。團菊祭の真っ最中だった海老蔵さんも飛んできたそうです」(前出・知人) “ママ”“麻央”。それぞれの言い方で、家族は麻央さんを呼び続けた。そして、呼びかけに応えるように彼女は再び目覚めた。 「麻央さんの容体が安定し始めたんです。もう一度、海老蔵さんや子供たちと一緒に暮らいて、生きていきたい。そんな強い思いで、麻央さんは持ち直したに違いありません」(前出・知人) 「家に帰りたい」。意識を回復した麻央さんは強くそう希望していた。快適でも病室にはない家族の温もりが自宅にはあった。 「いつ危篤になってもおかしくない状態でしたが、麻央さんは懸命に耐えた。比較的容体が安定し、5月29日に帰宅することがかないました。海老蔵さんが迎えにきて、仲よく帰っていったと聞いています」(医療関係者) 「家族といたい!」。麻央さんの強い思いが奇跡を生んだ。退院して1カ月、麻央さんにとって、苦しくとも幸せな日々だった。子供たちにとっても夢のような時間だった。遠くから子供たちの声が聞こえてくる。部屋にやって来ては、新しい宝物を見せてくれたり、足をさすったりしてくれる。朝、麻央さんの容体を主治医に報告するのは海老蔵の仕事だ。舞台や稽古を終えて帰宅すると、真っ先に麻央さんの顔を見に来る。はかなくも幸せな時間だった。 「がんの顎への転移のために、しゃべることがつらく、筆談をしなければならないことも多かったそうです。自宅の中を移動するときも車椅子に頼っていました。想像を絶するような苦しい闘病でしたが、家族の側にいれて、麻央さんは本当に幸せだったそうです」(歌舞伎関係者) だが、6月22日の夕方に容体が急変する。義母は海老蔵に連絡するが、稽古の真っ最中だった。稽古後に連絡に気付いた海老蔵は家に急いで飛んで帰ると、麻央さんは帰りを待っていた。 「愛している」 いまわのきわ、麻央さんは海老蔵にそう伝え、旅立っていった。麻央さんの家族愛が生んだ奇跡の1カ月は子供たちにとってかけがえのない宝になった。
2017年06月27日6月7日にBTOBからはじめて『bpm82.5』で日本ソロデビューを果たしたLEE CHANG SUB(イ・チャンソプ)のインタビュー後編。リード曲『At The End』にちなみ、世界が終わる前にチャンソプがしたいこととは……?その他の質問も満載!■韓国エンタメ情報&オリジナルインタビュー満載!『K☆STAR LOVERS』記事一覧■女性自身韓流Twitterアカウント(動画/Bravoworks,inc.)
2017年06月27日26日、女優の賀来千香子(55)がNHK『ごごナマ』に出演。番組内でファンだという東方神起の魅力について語り、ファンから歓喜の声が届くなどして、Yahoo!検索ランキング上位に「賀来千香子」がランクインし話題になっている。 賀来はこの日、「これなしでは生きていけない」というテーマでトークを披露。その中で大ファンだという韓国出身の2人組歌手である東方神起について語り、“東方神起のココがすごいベスト3”に1位肉体美、2位清潔感、3位礼儀正しさを上げた。ライブ映像が流れると「ユノ様のこの腰つき」「もうセクシィー」などテンション高めに魅力を語った。 賀来はトーク番組にゲスト出演の際は必ず東方神起の話題を話すとして、ファンの中では有名だという。 これに対しファンは「いつもいつもありがとうございます!」「東方神起さまを熱く語ってくれた 感動です!」「賀来千香子さん最高。東方神起の魅力をテレビで伝えてくれる数少ない人」「活動休止中にありがたい~」「賀来さん、素敵ー、嬉しい!」など反応を見せている。
2017年06月26日日本屈指のアンコウの本場、茨城!……と聞くと冬の鍋やあん肝が思い浮かぶけれど、北茨城では超珍しい“アンコウの干物”が大人気。その名も「ぴーあんこうの干物」。“ぴーあんこう”とは地元漁師さんの呼び方で、成長途上の小さいアンコウ=アンコウの子どものこと。 ぴーあんこうは、10月から5月末ぐらいまで水揚げされるそう。大きさは尾まで入れて20〜26センチぐらい。アンコウらしく肉厚でプリッとした歯ごたえ。パサつき感はなくジューシー。ほどよい塩加減がご飯のお供に酒の肴にピッタリ。 地元民いわく「焼いたぴーあんこうの干物は、酒のつまみに最高だべぇ〜。こごいらでは、県外の人にぴーあんこうの干物を買ってみやげに持って行ぐことが多いべぇ。ほかではめったにないから、すんごく喜ばれっぺ」。食べたい! 県南に下った牛久市に明治36年に開業したのが「シャトーカミヤ」。東京・浅草の「神谷バー」を開業した神谷傳兵衛が日本初の本格的ワイン醸造場として開設した。現在はワインに加え敷地内の牛久ブルワリーでクラフトビールを醸造。 昨年は世界的ビール鑑評会で「牛久シャトービール」の「へレス」と「IPL」が、それぞれスタイル別で世界1位の称号を獲得!品質の高さが世界に認められ、お城みたいなゴージャスな建物とともに、茨城の誇りだっぺ!!
2017年06月26日再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第11回】『神様がくれた14日間』――歌手の余技とは思えない俳優としての存在感 最近のK-POP出身の男優としては、「紳士の品格」(’12年)のCNBULUEのイ・ジョンヒョンのケースがあるが、最初から有望な新人俳優と認識したのは『神様がくれた14日間』(’14年)に主演したB1A4(グループ名はメンバーの血液型から命名)のバロだった。 これがとても歌手の余技とは思えない出来で、バロの俳優デビューは『応答せよ1994』(’13年)だが、俳優としての評価を決定付けたのは、やはり、この『神様がくれた14日間』の知的障害者役といっていい。 この出演は本人にとってもかなりの英断だったと思われるが、結果的にその決断はプラスに働いた。さらに、この作品での配役はかなり異色で、大体、こういった役柄を演じる自体、かなりのイメージリスクがあるのが当然である。俳優としてまだ経験の浅い歌手がわざわざ演じる必要はないような役柄だ。 実際、難しい演技を要求されるシーンが多く、一般の俳優であっても二の足を踏みそうな、そのくらい微妙なジャンルなのだが、バロは、その役を見事に演じ切っている。筆者自身、同様の子どもを持っている親として、この種の描写や、障害者を登場させることについて、いつも特別な関心で接しているつもりだが、この作品に限っては、バロの好演でそれは杞憂だったといえるだろう。もう一人、障害のある人物が容疑者として登場するが、これにも納得できる必然性が用意されている(演じたチョン・ウンピョにも注目)。そのくらい、韓国ドラマにおいては障害者の扱われ方は慎重に、しかも細心の注意を払って真摯な姿勢で製作されていると思う。 ストーリー構成上、このバロの役は主人公たちの子どもの年上の友達として、常に一緒にいなければならない設定になっているのだが、その子どもとの2人の関係が微笑ましく、最後は事件の重要な証言を引き出す導火線的な役目も果たすようになるに至っては、このストーリーテリングがかなりの計算ずくの上に成り立っていることがよくわかる。 この作品自体、見どころ満載の最近の傑作の一つだが、このバロの演技と存在なくしては、それもかなわなかったと思わせるように作られているところが心憎い。
2017年06月26日26日、KinKi Kids主演のスペシャルドラマ『ぼくらの勇気~未満都市2017』に、元ジャニーズJr.で現在は芸能界を引退して一般企業勤務の小原裕貴(37)が出演すると発表された。小原は17年ぶりの演技に挑戦することになり、Yahoo!検索ワードで2位にランクインするなど話題となっている。 小原はジャニーズJr.黄金時代と言われた90年代に滝沢秀明(35)らとともにトップクラスの人気を誇り、多数のドラマにも出演するなど活躍していた。だが多くのファンから惜しまれるなか、’00年に学業専念のため芸能界を引退。ファンからは「伝説のジャニーズJr.」などと言われていた。 小原は「プロデューサーさんから話を聞いた時は驚きましたが、Kinki Kidsさんの記念すべき20周年に少しでも貢献できればと、出演を決意しました。演技は久しぶりでとても緊張していますが、みなさん温かい目で見守っていただければ幸いです」とコメント。 前作では、堂本光一(38)が演じるヤマトの友人キイチ役を熱演。劇中で重要な役柄を演じていたため、スペシャルドラマの放送が決定してからも小原のドラマ出演へ注目が集まっていた。 そのため、今回の出演決定にネットでは「嘘でしょ?信じられない!」「小原くんが出演するなんて!絶対に絶対に見るしかない」「まさかまさかまさかだわっ!」「懐かしいし、楽しみすぎる」などの反応があがっている。
2017年06月26日乳がん闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが22日、34歳の若さで亡くなった。 夫で歌舞伎役者の市川海老蔵(39)は23日記者会見を行い、麻央さんが最期の瞬間に「愛してる」と言って旅立っていったことを明かした。さらに闘病中の麻央さんとはプロポーズの言葉通り「来世も一緒にいよう」と話したという。その深い夫婦愛に多くの人が感銘を受けている。 しかしそんな彼らが交際6カ月でゴールインした、いわゆる“スピード婚”だったことはあまり知られていない。 2人の出会いは08年12月。麻央さんがキャスターを務める『NEWS ZERO』(日本テレビ系)でのインタビューでのことだった。その後、麻央さんが海老蔵の出演する歌舞伎の観劇に赴くなどのデートを重ね、09年11月に交際が発覚。10年3月に入籍した。 “慎重派”なイメージの麻央さんが出会いからすぐに結婚を決めた理由について、彼女が語っていたことがあった――。 10年4月放送の『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)に姉の小林麻耶(37)と出演。番組放送の1カ月前に海老蔵と入籍したばかりの麻央さんは、出会いから結婚にいたるまでのエピソードを告白していた。 中居正広(44)が「お付き合いしてどのくらいでしたっけ?」と訊ねると、麻央さんは照れくさそうに「半年くらい」と答えた。この“スピード婚”には麻耶も驚いたようで、「びっくりしました。そんなに早く決めちゃっていいのかなって思ったんですけど」と語った。 すると麻央さんは結婚の決め手について「4カ月でも、ぴたっと合えば運命の人で、結婚できるって聞いたんです」と説明。中居は「でも、4カ月って怖くない?」と話していた。 当時麻央さんが語っていたように、一緒に過ごした時間の長さと愛情は必ずしも比例しないのかもしれない――。
2017年06月26日「読むと心が軽くなる」「蛭子さんなのに、またいい話してる」「安定の競艇オチ」……とネット上で話題を呼び、たちまち4刷というヒットとなった単行本『蛭子能収のゆるゆる人生相談』(光文社・630円+税)。その好調な売れ行きに、「え、あの本が?信じられない……」と驚く蛭子能収(69)が、本誌読者からの相談に答える! 【Q】「大学2年生の息子がひきこもり、さらには春にアルツハイマー病と診断された母の介護がこれからはじまりそうで、落ち込んでしまいそうな気分。蛭子さんの言葉で励まされたいです」(富~ずさん・45・派遣社員・東京都) 【A】「つらいときこそ、日常を大切に生きる」(蛭子能収) オレもよくヘコみます。この前も、福岡の若松競艇場でオレのサイン会に来た人と競艇を楽しむイベントがありましたが、いいところを1つも見せられず5万円負け。小遣いが減らされているのに……、涙が出るほど落ち込みました。そんな夜は、布団に入ってもなかなか寝付けません。でも、目をつぶってジッとしています。そうして競艇で負けた悔しさや苦しみを乗りこえてきたんです。 だから、息子や母親のことで、嫌なことがあってもしっかり寝ることだと思いますよ。寝不足だとすべてうまくいかなくなります。大変なときこそ、いつもの日常生活をしっかり守ったほうがいいと思いますよ。つらいことがあったときこそ、寝る、食べる、働く、そして競艇という生きるための動作をやり続けることが大事です。 朝になると、パッと違う世界が広がる気がするじゃないですか。それにしても若松競艇場で4号艇の舟券を買っていればよかったのに……、あ〜4号艇を選んでいれば、4号艇!あっ、また涙が出てきました……。 【『蛭子能収のゆるゆる人生相談』たちまち4刷&電子書籍化!】建前だらけの世の中に、疲れ果てたらこの1冊!当コラムをまとめた“きれいごと、ゼロ”の単行本『蛭子能収のゆるゆる人生相談』(光文社・630円+税)好評発売中です。詳しくは特設ページを。
2017年06月26日その霊能力のために、楽屋では霊視を求める先輩芸人たちが行列をつくることもあるという、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の“霊がよく見える”ピン芸人・シークエンスはやとも(25)。『ポップな心霊論』は、彼が人生で見てきた霊たちや霊現象などを紹介していくコラム連載! 【“真夜中の病院って、そんなに怖いですか?】 僕のように、いつもポップな感じで霊が見えていると、一般の人の「怖い」という感覚がよくわからないんです。実話系のホラー番組を見ては「へえー、こういうのが怖いのか」と発見したり。 先日、腸閉塞で入院したときもこんなことがありました。 夜、ベッドのなかで寝ていると、廊下のほうからガラガラとカートを押して徘徊する音がするんです。普段ならたぶん、怖くて布団にもぐるシチュエーションですよね。でも僕、気になって見に行っちゃったんです。でもとくに変わったことはなく、看護婦さんがカートを押して歩いているだけでした。 ちょうど尿意もあったので、トイレに寄ってから部屋に帰ったんです。そうしたら、僕のベッドの前にさっきの看護婦さんが立ってるんですね。不思議に思いつつ「こんばんはー」って声をかけたんですが無視されてしまって。 そこでやっと「あ、死んでる人なのか」と気が付きました。その後もずっと彼女は僕の枕元に立っていてくれて。巡回に来た生きてる看護師さんと、幽霊の看護師さんのふたりに見守られながら検温してもらいました。
2017年06月26日「主演だと聞いて大喜びしたんですが、BL(ボーイズラブ)の男のコの役は初挑戦だったので、『僕にできるのかな』という漠然とした不安がありました」 健康的な白い歯と爽やかなスマイルで話すのは、ミュージカル『テニスの王子様』2ndシーズンで7代目・手塚国光役を演じてブレークし、スーパー戦隊シリーズ『手裏剣戦隊ニンニンジャー』にも出演するなど、イケメンスターの道を着々と歩んでいる、俳優・多和田秀弥(23)。 多和田が初主演を果たしたのが、人気コミックを実写化した映画『ひだまりが聴こえる』(6月24日公開)。そこでテーマとなっているのがBLだ。 「でも、文乃ゆきさんの原作を読ませていただき、素直に感動しましたし、『こういう恋ってありそうだな』と思えたんです」(多和田・以下同) 演じるのは、突発性難聴の影響で同級生たちにも心を閉ざしてしまっている大学生・航平。そんな彼が大学の裏庭で出会った同級生・太一は、航平とは真逆の、声が大きくて明るい男のコ。徐々に会話を交わすようになっていく2人だが、キャンパスでの陰口や嫌がらせで卑屈になる航平に太一がかけた「聞こえないのはお前のせいじゃないだろ!」という一言で、航平は心の底から救われて……。 「心を許せる友情と、お互いを好きだっていう愛情の境界線って、ないんじゃないかなって。友情も愛情も、相手を思いやる気持ちは同じなんですから」 さらに「撮影中は本当の母のように見守ってくれた」という高島礼子が演じる「母」の立場にも思いを寄せる。 「耳に障害のある子を持つ母にしてみても、わが子を理解してくれる友達ができて、とっても救われたはず。友情を信じられない人、お子さんの気持ちがわからなくなったお母さん、いろんな立場の方の心が温かくなる作品だと思います」
2017年06月26日話題のスポットやニューオープンのお店を、本誌編集者・めた坊(42歳独身。食いしん坊生活が続き、身長170センチで体重はかろうじて0.1トンを切るメタボ体形に成長)が覆面取材。“勝手に対決”させるこの企画。今回は、「世界規模の写真展」対決だ! ■東京都写真美術館「世界報道写真展2017」 最初に向かったのは東京都写真美術館の「世界報道写真展2017」だ。展示されているのは毎年オランダで開かれる“世界報道写真コンテスト”の受賞作品。応募総数8万408点から選ばれた、62点が紹介されている。 頂点に立ったのは、’16年12月トルコの展覧会で、ロシアの駐トルコ大使が現地警察官に射殺された事件を捉えたもの。入るとすぐに、この大賞作品が連作で展示されている。恐怖におびえる来場者の表情、射殺され横たわる大使……と、いやがうえにも緊張感が伝わってくる。決定的瞬間を命がけで押さえたのかと思うとその勇気に恐れ入った、めた坊であった。 そのほか、イスラム国(IS)の影響で避難民キャンプにいる子どもの切ない姿や、キューバのカストロ(元国家元首)の葬列の様子など、日常生活で目にすることができない写真が並んでいた。いま、世界で何が起きているかを教えてくれる展覧会だった。■日比谷図書文化館「ネイチャーズベスト傑作写真展」 次に向かったのは、日比谷図書文化館の「ネイチャーズベスト傑作写真展」。ネイチャーズベストは自然写真の世界最大規模のコンテストで、応募はプロ、アマ問わず。本展覧会では、歴代の受賞・優秀作品など約80点が紹介されている。チーター親子の毛づくろい、マウンテンゴリラのあくび、ブタオザルの水飲みなど、貴重な瞬間を切り取った作品が勢ぞろい。 どの作品も色鮮やかで、その美しさに心奪われること間違いなし!自然や野生動物が被写体となると、撮影時間は長時間に及ぶため、その粘り強さに敬意を払いたくなった! 【めた坊ジャッジ】どちらもふだん目にできない貴重な瞬間を捉えていて圧倒されっぱなしだった。今回は引き分けだ!
2017年06月26日22日放送の「週刊文春」(文芸春秋)で、大手新聞社社員で既婚者の40代美女との不倫密会疑惑を報じられたフジテレビ系情報番組「とくダネ!」の小倉智昭キャスター(70)。よほど腹に据えかねたのか、さっそく同日の番組生放送で冒頭2分間にわたって釈明した。 同誌は所属事務所の全社員が退社後、2時間密会したと報道。その件については事務所の内装が灯りの漏れないミニシアター風だと説明。「映画を2人で見たりしたのが、密会って言われたら密会なのかもしれません」と釈明した。さらに昨年、ぼうこうがんが発覚し治療を続けていることから「そっちのことはご無沙汰ですよね」と笑い飛ばした。 「女性が既婚者であったことから密会が問題になったが、“決定的”な写真はなし。そのため笑いごとで済み、番組終了後も和やかな雰囲気だった。ただこれまで不倫報道に厳しいコメントを発してきた小倉キャスターだけに、今後当事者が『映画を見ていた』と発言したときの反応が注目されますね」(番組関係者) 小倉キャスターは「私、文春砲にまた撃たれました」と自虐ネタも繰り出したが、同誌に“不祥事”を報じられたのはこれが初めてではなかった。 「昨年8月に覚せい剤で逮捕されその後有罪となった俳優へ “資金援助”していたことを報じられています。長年同じ事務所に所属していた俳優で、その際も小倉キャスターは同番組で苦し紛れに釈明していました」(前出・番組関係者) 以前は朝の時間帯で視聴率が断トツトップだった同番組だが、ここ数年はテレビ朝日や日本テレビの後塵を拝すことも。そのため、小倉キャスターの立場も安泰ではないようだ。 「間もなく新体制になるフジは、同番組のリニューアルを画策しています。小倉キャスターに三度目の“不祥事”が発覚すれば、待ったなしで降板となりそうです。崖っぷちに立たされていますね」(民放キー局の編成担当者) 小倉キャスターはこれまで以上に自戒した方が良さそうだ。
2017年06月25日女優の土屋太鳳(22)が、俳優の森山未来(32)主演の舞台「プルートゥPLUTO」(来年1月7~28日、東京・渋谷シアターコクーン)で舞台に初挑戦する。 漫画家・手塚治虫さんの代表作「鉄腕アトム」の「地上最大のロボット」を原案に、漫画家・浦沢直樹氏(57)とストーリー共同制作者・長崎尚志氏(61)が作った人気漫画。それを今回、舞台化するという。 人間とロボットが共存する時代、世界最強といわれるロボットが次々と破壊される事件。その解決に挑むアトムや刑事ロボットのゲジヒトらの姿を描く。同作で土屋は、森山演じるアトムの妹・ウランとゲジヒトの妻・ヘレナの2役に挑戦する。 「今月30日に公開の『兄に愛されすぎて困ってます』など、制服姿のかわいらしい女子高生を演じることが多かった土屋。これまでは映画・ドラマが主戦場だったが、女優としてさらにステップアップするために舞台挑戦を決意。所属事務所も絶好の機会とばかりにオファーを受けたようです」(演劇関係者) 国内のみならず、同舞台は2月に英国、オランダ、ベルギーのヨーロッパ公演を予定。舞台初挑戦にしていきなり世界デビューを飾ることになったが、いよいよ土屋の“本気”が出せそうだというのだ。 「高校時代は創作ダンス部で全国大会に出場。日本女子体育大学でも続け、さらに磨きをかけた。しかし、これまであまり創作ダンスで培ったものは芝居に生かせず。そんな中、豪の歌手・シーア(41)の楽曲『アライヴ』の日本版ミュージックビデオに出演し、創作ダンスの実力を存分に発揮。その動画は海外のユーチューバーの間でも話題になった。本領発揮でチャンスをつかめば、今後海外に活動の幅が広がる可能性もありそうだ」(音楽業界関係者) 土屋にとって、初舞台が今後の女優人生を大きく左右する正念場となりそうだ。
2017年06月25日ダウンタウンの松本人志(53)が6月25日放送の「ワイドナショー」(フジテレビ系)に出演し、22日夜に亡くなったフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)について言及。麻央さんは14年10月に乳がんの告知を受けて闘病中だった。 これまで同番組を通じて麻央さんの容態を案じてきた松本。麻央さんが闘病のさなかに開設したブログについても、「麻央さんのブログはよくニュースになっていた。すごく明るく、でもそればっかりやなくて、つらいときはつらいときで正直にブログに載せていて……」と、振り返った。 続けて松本は、「ああ、なんとか乗り越えてほしいなと思っていたんですけどね。本当、こういう人を“美しい人”というんじゃないですかね……」と、麻央さんの健闘をたたえた。松本は、麻央さんの夫である市川海老蔵(39)の会見の映像を見ながら目を潤ませ、ときおり指で涙を拭うような所作も見せていた。 いっぽう、この日出演していたHKT48の指原莉乃(24)は、麻央さんの訃報に対する報道のあり方に言及。麻央さん夫妻の自宅前を帰宅途中に通りかかった際、公表前にもかかわらず報道陣がいたと明かし、「身内が亡くなったかもしれないという状況で、なぜそこまで執着して……」と、苦言を呈した。 指原のこの苦言に対し、芸能リポーターの長谷川まさ子(54)は、「マスコミが事実確認をとるため、夜通し家の前にいる状況になってしまったことは確か」と、補足した。
2017年06月25日乳がん治療のため、右乳房を全摘してから1年4カ月になるだいたひかるさん(42)。ご主人が家中に「大丈夫」と張り紙をしてくれたエピソードや「がんはテロのようなもの。個人では防げないから、心配しすぎない」という格言(?)が印象的だったが、その後の様子が気になり、連絡をしてみると……。「妊活再開にチャレンジしようと思ってます」と回答が!前回同様ご主人の小泉貴之さん(39)共々、インタビューに答えてくれた。 だいた「妊活再開について説明したいんですが、ちょっと話が遡ってもいいですか?私が38歳のときに結婚してるんで、すぐ子どもを作ろうって話してたんですね。それで翌年になって本気で取り組もうと産婦人科に行ったんです。そうしたらちょうど排卵日で、仲よくしてくださいって言われたんですよ」 小泉「仲よくって、その、そういうことです(笑)」 だいた「そう。それで仲よくして1週間後に病院に行ったら、『おめでとうございます』って言われて、実感わかないまま説明受けました。それから数日後に実感のないまま化学流産という、生理のような出血で流れちゃって」 小泉「その後またすぐ、4月に妊娠したんですけど、また化学流産になってしまって。もう大学病院で人工授精をしようとなって、それからはあっという間でした」 流産経験後、すぐに妊活を再開するパワフルさは、いかにも二人らしい。しかし、結果的には大学病院でもうまくいかず、不妊治療専門クリニックに転院した。 小泉「僕は、注射を打たれるわけでも内診されるわけでもないですから、実体験としては妻の大変さはわからない。クリニックに通うようになっても、温度差があったと思います。最新技術を用いた治療でも1回目の移植ではかすりもせず、2回目で着床したんですけど、また化学流産しちゃって。自分も落ち込んでるけど、妻の気持ちは想像することしかできなくて……泣きたい気持ちになったこともあります」 だいた「お互いピリついたりして、正直しんどかったです。でも、凍結してある受精卵がまだあったんで、次いこう!と3回目の移植周期に入りました。けっこう気合入ってたんですけどね、出血があったんで移植がキャンセルになっちゃって。それが、運命の分かれ道だったんですよ。移植のスケジュールが飛んだことでぽっかりと暇になって、乳がん検診に行くことにしたんです。そして乳がん発覚というね、また自覚のないまま未知なる世界に足を踏み入れてしまいました」 小泉「あのとき、ひかるちゃんは、子どもはもう無理かもって完全に思ってたよね」 だいた「うん。もう無理だなとおもったんですけど、がん治療の前にあともう1回採卵して凍結しよう、後悔しないようにと夫が言うので、またクリニックに行ったんです。……で、卵子は採れずに終わりました。私、空っぽになっちゃった、と思ったくらい落ち込みました。だけど、乳がんに早く気がつけたのは移植キャンセルになったおかげだし、不妊で自分の体と向き合う経験ができていたのはよかったなと思えたんです」 小泉「赤ちゃんができたらおなかに神経が集中して検診に行ってなかったと思うから、妻の命が、赤ちゃんに助けられたんだと思いました」 最後の採卵は失敗という結果だったが、移植できずに凍結してある受精卵が1つある。抗がん剤治療後のホルモン療法を中断すれば移植が可能で、だいたさんが通うクリニックではそういう前例があるそうだ。 だいた「雪の日に朝から並んだり、注射の多さや薬に戸惑ったり、めちゃくちゃ大変でしたけど、自分は恵まれてたんだと今になってわかります。病気だったらできないですから。妊娠して出産できる健康があって、この人の子どもが欲しいと思える夫がいるって、すごく幸せなことですよね。こうしてクリニックから離れてみると、あー、いいなって思うんです。また、あそこに行きたいなって」 小泉「たとえばホルモン治療をきっちり終えて46歳。それから移植しても出産できるかもしれないよ?クリニック卒業生の最年長、新記録作ってみたいよね?」 だいた「それが実現したらすごい。自己責任になるけど、この1~2年で薬を中断して移植するのもありかもとか、最近はやる気まんまんで話すことが多いです。二人の受精卵を戻して、1日でも“あ、今、おなかにいるんだな”って思える日がきたら、すごく楽しみ」
2017年06月25日乳がん治療のため、右乳房を全摘してから1年4カ月になるだいたひかるさん(42)。ご主人が家中に「大丈夫」と張り紙をしてくれたエピソードや「がんはテロのようなもの。個人では防げないから、心配しすぎない」という格言(?)が印象的だったが、その後の様子が気になり、連絡をしてみると……。「妊活再開にチャレンジしようと思ってます」と回答が!前回同様ご主人の小泉貴之さん(39)共々、インタビューに答えてくれた。 だいたさんには乳がん発覚前に行っていた不妊治療の際、人工授精のために採卵した、移植できずに凍結してある受精卵が1つある。抗がん剤治療後のホルモン療法を中断すれば移植が可能で、だいたさんが通うクリニックではそういう前例があるそうだ。 小泉「統計学で考えると妊娠成功率は低いかもしれないですけど、あくまで統計ですから。気にしてません」 取材中も小泉さんがだいたさんをマッサージしたりと、ノロケ指数の高さは半端じゃない。最終的に赤ちゃんを授からなかったらという話になっても、「生きるって、悲しみを背負うみたいなもんだから。どう?格言ぽい?」とだいた節は健在だ。 だいた「不妊治療に関してはすでに気持ち的には乗り越えているというか」 小泉「二人が一緒にいる幸せを痛いほどしっているので。愛の証しが子どもだとしても、自分たちにしか作れない愛の証しも必ずあるんだって。くさくてすみません。でも本当に、そう思うんです」 人工授精をスタートしたころから、小泉さんのことを「耐久性があるなと思っていた」というだいたさん。泣き虫だけど、いつでも前向きな小泉さんに支えられている。 小泉「今、不妊治療をしている人には“とにかく夫婦仲よく”って言いたいです。二人の愛の結晶が欲しくて妊活を始めたのに、仲が悪くなったら本末転倒ですもんね」 だいた「もし赤ちゃんをあきらめることになったとしても、二人で笑って過ごせればいいんだと再確認できたら、やってよかったと思えるはずです。理想を言えば、高齢出産の難しさがもっと世の中に広まればいいなとは思います。40代後半で出産!なんてニュースを聞くと、出産できる年齢も上がってるイメージを持っちゃいませんか?でもそんなことはなくて、排卵日にドンピシャで頑張っても40歳の妊娠率は5%ですからね。流産率は40%。避妊の方法を保健の授業で指導するとき、中年のオバサンの自然妊娠率も併せて教えるべきですね」 ものすごくまじめに締めくくるだいたさんを、いとおしくて仕方がないという目で見つめる小泉さん。二人の赤ちゃんが生まれ、物心ついたときには両親の仲のよさにあきれるかもしれない。 だいた「あと補足させてもらうと、不妊治療は人生でいちばんまじめに取り組んだことでした。仕事もいつもふざけてたし。がん治療の直前まで採卵に行くなんて、われながらすごかったなと。だから確率は低くても、まだ二人の赤ちゃんはあきらめません!」 小泉「ありがとう(笑)」
2017年06月25日「映画出演120本、よく元気でここまでやってこれたと思います。私、子どものころはすごく体が弱くって、1年に1カ月は必ず肺炎になっていたほど。それが『赤胴鈴之助』というラジオドラマに入ってから体が強くなってきて。それで日活に入ってからは、病気なんかしていられないでしょう?今回も撮影期間が半年くらいあるんですが、毎日、芝居よりもなによりもまず体調管理。そればかりに気を配っていますね」 そう語るのは、2018年3月に公開を控える映画『北の桜守』で、映画出演120本となる女優・吉永小百合(72)。記念碑的作品で彼女が演じるのは、戦中、戦後を息子とともに必死に生き抜く女性。 「体調管理で心がけていることは、しっかりといいかたちの食生活をすること。昼は撮影があるから、おにぎりやサンドイッチを少しつまむ程度ですが、朝はしっかりと朝食を食べます。最近は、クロワッサンに凝っていて、毎朝必ず食べるんです。ハムやチーズ、卵を挟んだりしています。それに、コーヒーと野菜サラダとりんごとヨーグルトと……。とにかく朝はいっぱい食べて、目を覚ますのが習慣です」(吉永・以下同) 今回の映画のために、筋力トレーニングも始めた。 「戦後に担ぎ屋をやる役なので、そのために力をつけないといけないと思ったんです。ふつういないですよね、私くらいの年齢でバーベルを使っている人なんて。でも、それがまた楽しい。水泳も相変わらず続けています。水泳は、鍛えるというより癒し。スポーツが好きなんです」 共演者たちとのコミュニケーションも良好だ。 「撮影の待ち時間では、篠原涼子さんに『ふだんどういうものを食べてるんですか?』と質問されたり、堺雅人さんに『好きな女優は?』と聞かれて『映画では高峰秀子さん。お芝居は杉村春子さん』なんて答えたり。佐藤浩市さんは、初共演ですが、すごくセクシー。佐藤さんのデビューのころから拝見していますし、お父さまとも共演経験があるので、ご一緒できてうれしいです」 映画では、38歳から60代半ばまでを演じる。 「演じるのは、肝っ玉母さん。子どもがいじめられたら『泣いている場合じゃない、殴ってやんなさい』というような。やってみると面白いです。38歳から60代半ばまでを演じるんですが、後半になると逆に息子がお母さんを引っ張っていく。だから2人の人間を演じているような気分もあります。それも新鮮ですね」
2017年06月25日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が、乳がん闘病中だった妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)を亡くしたことを明らかにした会見から一夜明けた24日、ブログを更新。麻央さんがいない悲しみをしたためながらも、「私は2人に恩を何十倍にもしてかえします」と子どもたちを支える決意をつづった。 「かなしささみしさがより現実的になっていく朝です」と心境を吐露した海老蔵。「今日から少しづつですが、おにぎりつくり40の手習い?今日からパパママもやります」と父として覚悟を記した。 続けて更新した記事では、長女・麗禾ちゃん(5)、長男・勸玄くん(4)と相撲をとる写真を公開。「とても辛いです。そんな時子供達の笑顔が皆を救ってくれる」と悲しみのなかでも気丈に振舞う子供たちに支えられていることを明かした。 つづけて「しかし2人にはお母さんがいません。これから2人には大きな心の戦いが待っています。2人の笑顔で救われていますが、私は2人に恩を何十倍にもしてかえします。そう決めました」と決意を新たにした。 そして「まおの思い元気になったらこうありたい!という気持ちを私も引き継ぎ。生きます。私では力不足ですが、私はまおの生きたかった行いたかった事をしていきます。まおと私は共に生きます。私の中にいつもある。そう思ってます。いついつまでも」と愛妻・麻央さんへの思いをつづった。 麻央さんは在宅治療中だった22日に容態が急変。同日夜に家族に見守られる中、息を引き取った。海老蔵は23日午後に会見を行い、報道陣に向けて「息を引き取る瞬間、『愛してる』と言って、本当にそのまま旅立ちました」と語った。
2017年06月24日もう夏のボーナスは出ましたか? 幸い(?)まだ使いきっていない人は、“家電タレント”が『女性自身』読者のために厳選した、家電の購入を考えてみては? 紹介するのは、俳優・タレントとしてドラマや映画などで活躍するかたわら、熱い家電愛を披露し、家電王子として人気の細川茂樹(44)。キーワードは「自慢」だ。 【精米機】エムケー精工小型家庭用精米機「RICELON」 「精米機は実際使うと感動します。お米は一度精米すると、次第に劣化しますが、これで精米しなおすと、おいしさがよみがえります。この最新型は0.5合から対応できるという圧倒的なコンパクトさなので、おひとりさまでも便利。ペットボトルサイズなので場所もとりません」(細川・以下同) 【ヨーグルトメーカー】タニカヨーグルティアS 「あまたのヨーグルトメーカーのなかでも最上位機だと思っています。最初のモデルは’71年に誕生したので、僕と同じ歴史が。幅広い温度調節機能があり、味噌や甘酒まで簡単につくることができます。『レシピどおりにつくれば、まず失敗しない』と、信頼しています」 【送風機】ボルネードサーキュレーター6303DC 「ボルネード社は飛行機のプロペラを作っていた米国の会社です。5月末に出たばかりのこの製品は、よりパワフルになったうえ、音はかなり静かになりました。消費電力も少ないし、コンパクトでスタイリッシュ。アンティーク風のファンもかなりかわいい」 【アイロン】ティファール2in1 スチーム アンド プレス 8630 「ティファールというと鍋が有名ですが、アイロンでも実績が。わが家には4台アイロンがあり、それぞれいい仕事をしますが、特にこの製品は洋服をつるしたままシワを取ることができるので、毎日使っても苦になりません。スチームアイロンは除菌も簡単にできます」 家電選びは「“5つのJ”をポイントにしています」と語る細川。5つのJとは時短・除菌・自動・実績・自慢だという。 「その製品のおかげで、どれだけ手間や時間が省けるか(時短)、パーツを取り外したりして手入れが可能かどうか(除菌)、などを選ぶ際の基準にするのです」 ますます進化を続けているロボット掃除機や、しゃべる冷蔵庫は「自動」、製品の故障が少なく評判がいい場合は「実績」があてはまる。 「『自慢』は、ほかの人に自慢できたり、胸をはってススめることができる製品かということですね。家電選びで悩んだら、この5Jを思い出してください」
2017年06月24日もう夏のボーナスは出ましたか? 幸い(?)まだ使いきっていない人は、“家電タレント”が『女性自身』読者のために厳選した、家電の購入を考えてみては? 紹介するのは、元SDN48で「家電製品アドバイザー」の資格を持つ、タレントで女優の奈津子(27)だ。 【冷蔵庫】三菱電機MR-WX70A 「『朝どれ野菜室』は、3色のLEDライトが葉物野菜の光合成を促進させ、栄養素をUPさせるというシステムで、革命的です。『氷点下ストッカーD』も、肉とお魚の鮮度と色合いが落ちず見事な保存力。冷蔵庫は大きな買い物なので、このくらい個性が欲しいですね」(奈津子・以下同) 【ドライヤー】ダイソンDyson Supersonic ヘアドライヤー 「髪の健康にこだわりの強い日本人向けに改良された新商品。従来のものに比べて、ずば抜けて風量が強く、最高温度も100度と大幅にアップ。すぐに乾くので、その分髪への負担が少なく、またモーターがハンドル部分に内蔵されているため、持ちやすいです」 【アロマディフューザー】ソニーアロマスティック 「アロマをたく手間もなく、周りに香りが広がりません。ひと息いれたいときワンプッシュすれば、好きな香りの世界を堪能できます。別売りカートリッジは英国ニールズヤード製で『仕事に集中したいとき』や『リフレッシュしたいとき』など、用途によって選べます」 【アイスクリームメーカー】ハイアールアイスデリ プラス JL-ICM720A 「幅広く冷製調理ができて、アイスクリームやジェラートはもちろん、カッペリーニから冷製スープ、ドレッシングまで作れます。内部に冷却装置を内蔵しているので、ポットを事前に冷やす必要がなく、コンセントを入れたらすぐに調理できるところが革命的です!」 大事な夏ボーナス、達人たちのアドバイスを参考に、満足できる製品をゲットしよう!
2017年06月24日もう夏のボーナスは出ましたか? 幸い(?)まだ使いきっていない人は、“家電芸人”が『女性自身』読者のために厳選した、家電の購入を考えてみては? 紹介するのは、『アメトーーク!』(テレビ朝日系)でもおなじみのお笑いコンビ・品川庄司の品川祐(45)と、ペナルティのヒデ(46)の2人。キーワードは「時短」だ。 ■品川祐おススメ家電 【洗濯機】パナソニックななめドラム洗濯乾燥機 NA-VX9700L 「いろいろ悩んだ末に購入したものですが、大正解でした。ヒートポンプ乾燥は従来よりもふんわりと仕上がりますし、黄ばんだTシャツも白くなって驚いています。あと、靴なんかはナノイー機能で、水を使わずに除菌・消臭ができて型くずれしません」(品川) 【電子レンジ】シャープウォーターオーブン ヘルシオ AX-XW300 「いまいちばんほしい家電です。上下2段で、上で焼いて、下で蒸すとか、別メニューも同時に調理できます。朝食なら目玉焼きを作りながら、冷凍したごはんを温めるとか、時短になりますよね。ほかにも水蒸気でパンがおいしく焼けたりなど、すごく便利そうです」(品川) 【ブルーレイディスクレコーダー】パナソニックDIGA DMR-UBX7030 「最大10チャンネルを、28日間まるごと録画できる『全録機能』付きです。『昨日のあの番組、録画し忘れた!』という悔しい思いをしなくてすむんです。録画した番組を、移動中にアプリで見て、帰宅してからその続きを見たりできるので、すごく重宝しています」(品川) ■ヒデおススメ家電【炊飯器】アイリスオーヤマ銘柄量り炊きIHジャー炊飯器 RC-IA30 「米の銘柄にあわせて、いちばんおいしく食べられる水分量を量るので、ほぼ間違いなく和食屋さんなみの味に炊き上がる。日本人はごはんがおいしいと自然と笑顔になれますね。おひつ部分は取り外せ、IHヒーターとしても使用可能。二刀流ぶりは家電界の大谷翔平!」(ヒデ) 【掃除機】アイロボット床拭きロボット ブラーバ 380j 「そこそこの値段ですが、長い目で見れば経済的だと思っています。買い物へ行っている間に、拭き掃除をこれに任せては?高さもボックスティッシュ程度なのでベッドの下もくまなく掃除してくれます。縦横自在な動きが、サッカー選手のC・ロナウドみたいですわ」(ヒデ) 【ホットプレート】プリンセステーブルグリルピュア 「一般的な黒い鉄板のものに比べると断然スタイリッシュ。セラミック製のプレートは中央部分がくぼんでいて、食材から出る余分な油が穴から流れ落ちるというヘルシーな仕掛けに。お手入れが簡単なところも、女性の『うれしい』をちゃんと押さえてくれている」(ヒデ) ヒデは家電選びの基準を次のように語る。 「僕は、人にプレゼントしたとき、喜ばれるかどうかを基準にしてますね。たとえば体に優しいもので、祖父母に喜んでもらえるかとか、母の家事の時間が短くなるか、といった感じです」
2017年06月24日(写真:SWNS/アフロ) 記録的な高温が続いている英国で、男子学生の通学ファッションに劇的な変化が起こっている。 デヴォン州エクセターにあるISCAアカデミーに通う14歳の男子生徒は、制服のスラックスで汗だくになって登下校していた。その様子を見た母親は学校に電話をかけて、半ズボンで登校することを許可してほしい、と掛け合った。しかし教師は、校則にないから、とあっさり却下。さらに、「もし穿いてきたら今週いっぱい隔離室で過ごさせます。そしてもし学校を休ませるなら、無断欠席扱いにしますので」と言い渡したという。 学校の対応に業を煮やした男子生徒たちは団結し、抗議行動に打って出た。友人や姉妹に借りたスカートで登校し始めたのだ。 もともと、このアイデアは校長が出したものだったという。校則に規定されていないことから半ズボンの着用を頑なに禁じているエイミー・ミッチェル校長は、生徒たちの嘆願を受け「そんなに言うならスカートで来たらいいじゃない」と発言。もちろん、彼女は冗談のつもりだったが、「じゃあやってやろうぜ!」と男子生徒が実行に移したというわけだ。 男子生徒の1人は、「1日中、スラックスでは座っていられません。暑すぎるんです」と語り、風通しの良いスカートを満喫。 また、前述した14歳の生徒の母親は地元紙の取材に対し、「女子は1年中スカートを穿いても良いのに、男子が半ズボンを穿けないのは不公平ですよ。この暑さが子どもにどんな影響があるのかもわからず、本当に心配です。私は彼らが自分たちの権利を主張するために立ち上がったことを心から誇りに思います」とコメントしている。 また、ミッチェル校長はBBCの取材に、「ここ数日、例外的に気温が高いことは認識しており、我々スタッフも生徒が心地よく過ごせるようできる限りのことはしています。半ズボンは現時点で男子の制服として規定されておらず、生徒および保護者と協議をせぬまま一方的に変更を加えることはできかねます。しかし、このような高温状態が続くようであれば、将来的に変更を考慮することはやぶさかではありません」と語った。
2017年06月23日「6月は、インポータントな月というイメージが子どものころからありまして。親父の命日が6月23日、敬愛するマイケル・ジャクソンは25日、そして僕のデビュー日が21日。もう20年以上、毎年6月にはシングルを出していて、気合の入る月なんです。新曲の『フェミニスト』は、女性の持つ母性と美しさを歌っています。僕ら男は、女性によってこの世に生を受けて、人生が始まる。愛する人がいて、支え、支えられてという愛の根源がテーマです」 そう語るのは、6月21日、11年ぶりにメジャーレーベルから新曲『フェミニスト』をリリースした田原俊彦(56)。デビュー直後から、近藤真彦、野村義男の3人で「たのきんトリオ」と呼ばれ、超人気アイドルのオーラで輝いたトシちゃん。還暦を4年後に迎えるいまも、毎年、夏の全国ライブツアーと冬のディナーショーを欠かさず開催。迫力たっぷりのダンサブルなステージで、多くのファンを魅了し続けている。 「独立」から23年、田原がジャニーズ事務所に入るまでのことを振り返る。 「生まれたのは、横須賀市馬堀町。横須賀って、海岸沿いの町で、しゃれた雰囲気があって。ところが、親父(冨士雄さん・享年37)が亡くなって、いきなり山梨県甲府のね、ほんと、やばいくらい田舎へ引っ越したから。カルチャーショックでしたよ。カエルはいるわ、毛虫はいるわ、カブトムシは捕れるわ(笑)。僕は早生まれ(’61年2月28日)なんで、6歳4カ月で親父が亡くなったんです。急に白い布かぶって、寝ていて。死んだって、わからなかったんじゃないかな。泣いたのか、泣かなかったのか……。父は小学校教師でね。また宿直がある時代で、親父と一緒に学校に泊まった思い出があります。膝の間に座らされて、上を向いたら、髭がジョリジョリと痛かったな」 田原は母と姉2人、妹1人という女系家族。父の死後、母・千代子さん(85)は、姉2人をしばらく父方の実家に預け、田原と妹を連れて、甲府の実家に戻っている。喫茶店や化粧品会社で働いて、女手一つで子どもたちを育てた。母の苦労を見て育った田原は、負けず嫌いのやんちゃ坊主。野球が大好きな少年だった。 「給食費を払うのが精いっぱいだったり、クラスで物がなくなると、僕が疑われたり、そういう母子家庭への偏見は多少、あったと思いますよ。生活するのがいっぱいいっぱいだったこともあるでしょうけど、それへの反骨精神もあって、たとえば父親参観のときに『なんで、親父がいないんだろう』って思うじゃないですか。負けん気も強かったし、かけっこでも勉強でも負けるのはいやだった。絶対、自分は、人としてでかくなって稼ぐぞという気持ちは、たぶん誰よりも強かったんじゃないかな」 中学時代は、やんちゃ仲間と野球チームを掛け持ちしながら、小遣いくらいは自分で稼ごうと、新聞配達を始めている。甲府工業高校土木科に進学すると、「3年間でスターになる」と、心に決め、ジャニーズ事務所に履歴書を送った。返事はなかったが、ならば自分で行くしかないと、高校1年の夏休みに、上京。ジャニーズ事務所の門をたたき、以後、研修生としてレッスンに通った。 「ジャニーズに行くとき、おふくろからは反対も賛成もなかった。一度決めたら、テコでも動かない僕の頑固なところは誰より知っていましたから。15歳から、往復6時間かけて、毎週末、レッスンに通った3年間は、俺自身、よくできたなぁと思うし、コツコツやる姿をおふくろも見ていた。帰りは、いつも特急あずさでした。ジャニー喜多川さんがチケットを買ってくれて。あのジャニーさんが、ホームまで見送ってくれたんです。30人くらいの研修生が毎週、当時、テレ朝の旧社屋の真ん前にあった第一リハーサル室でレッスンをして。夜8時のあずさで帰るんですが、新宿から帰る子どもらを引き連れて、ジャニーさんが、列車の時間までインベーダーゲームで遊ばせてくれてね。あずさに乗ると、みんながバイバイと見送ってくれた。帰りのあずさの2時間半は、さすがにもんもんとしてね。光が見えないなか、どうなるんだろうという思いもあったけど。俺、絶対、スターになるというのはあったよね。あのジャニー喜多川が、あんなに入れ込んでくれたわけだし、それに応えなきゃと思ったし。ハングリー的なガッツは尋常じゃなかったでしょうね」
2017年06月23日「ドラマ『教師びんびん物語』(フジテレビ)が27〜28歳。『金八』(TBS)で生徒役だった僕が、徳川龍之介という先生役に出会って、また違う時代をつくることができた。そこまでの10年間、『ジ・アイドル』田原俊彦は、調子こいて、頑張って、バブルとともに遊びまくって、仕事しまくって、やりたい放題でね」 こう話すのは、6月21日、11年ぶりにメジャーレーベルから新曲『フェミニスト』をリリースした田原俊彦(56)。デビュー直後から、近藤真彦、野村義男の3人で「たのきんトリオ」と呼ばれ、超人気アイドルのオーラで輝いたトシちゃん。還暦を4年後に迎えるいまも、毎年、夏の全国ライブツアーと冬のディナーショーを欠かさず開催。迫力たっぷりのダンサブルなステージで、多くのファンを魅了し続けている。 「独立」から23年、田原がジャニーズ事務所からの独立時のことを振り返るーー。 ’92年11月、『CanCan』モデルの向井田彩子さん(45)との交際が発覚すると、マスコミは色めき立った。常時、カメラマンが30人ほど張りつく生活となり、甲府の実家にまで報道陣が押しかけた。’93年10月に結婚。’94年2月、長女が誕生しても、マスコミの取材攻勢は収まることがなく、田原は会見を開く。このとき、「隠密にやりたかったけど、僕くらいビッグになると、そうもいかない」の一部分だけが過剰に取り上げられ、“ビッグ発言”と猛バッシングされた。その会見から半年後、ジャニーズ事務所から独立。田原は、33歳だった。 「ビッグ発言したなんて、僕は思いもよらなかったから。ギャグのつもりだったしね。ジャニーズを卒業したのは、15年間、存分にやらせてもらったし、お世話になった恩は返したと思っていたからです。30代になって、歌でも、踊りでも、芝居でも、ここからは自分で歩いていくためのスキルを自分で磨いていかなくちゃいけない。ここからは俺の勝負だと考えていました。ジャニーさんからは、すべてのものを盗んだし、いただいた」 田原は「だから、ジャニーズという学校の卒業証書をもらいたかったんです」と語る。 「ジャニーさんとも、メリー喜多川さんとも、僕は話をしているんですよ。『一人でやりたい。卒業したいんです』『わかった』と。だから、僕のなかでは円満退社。ただ、現実はそうじゃなかったんですね。たぶんね。さんまさんに言われました。『吉本の人間が吉本を飛び出したら、干されるやろ』って。たしかに、独立後、ジャニーズの後輩たちとの共演はなくなったけど。でも、僕はそれを言い訳にしちゃいけない。僕が表舞台に出られない、活躍できないというのは、僕の責任なんです。イコール僕に力がなかった。自分の責任で、自分で選んだ道ですから。そりゃ苦しいさ。名だたる会社に所属してるわけでもない。ほんと、一兵卒ですから。撃たれるだけ、撃たれるぞ、と」 ただ、一方で、「そんなんじゃ絶対に死なない」という揺るぎない自信もあった。 「ここからが、新しい船出だと、自分のエネルギーを感じていましたね。まぁ、あんまり出番はなかったけどね(笑)。そこからコツコツコツコツやって、いまに至るわけです。だから、33歳は、僕にとって、すごい大切な年でした。そこから、人としての田原俊彦が始まった。家族を得て、子どもを得て、そして、自由を手にした。……なんか、興奮してるな、俺(笑)。いまのオレがあるのは、あのときジャニーズを辞めたからです。あのとき闘った田原俊彦がいて、それに耐える僕がいて、支えてくれるファミリーがいた。だから、僕はまだ歩み続けているわけです」
2017年06月23日「ジャニーズ事務所から独立した33歳は、僕にとって、すごい大切な年でした。そこから、人としての田原俊彦が始まった。家族を得て、子どもを得て、そして、自由を手にした。……なんか、興奮してるな、俺(笑)。いまのオレがあるのは、あのときジャニーズを辞めたからです。あのとき闘った田原俊彦がいて、それに耐える僕がいて、支えてくれるファミリーがいた。だから、僕はまだ歩み続けているわけです」 こう話すのは、6月21日、11年ぶりにメジャーレーベルから新曲『フェミニスト』をリリースした田原俊彦(56)。デビュー直後から、近藤真彦、野村義男の3人で「たのきんトリオ」と呼ばれ、超人気アイドルのオーラで輝いたトシちゃん。還暦を4年後に迎えるいまも、毎年、夏の全国ライブツアーと冬のディナーショーを欠かさず開催。迫力たっぷりのダンサブルなステージで、多くのファンを魅了し続けている。 「独立」から23年、田原が家族について語ってくれた。 田原は’93年10月に『CanCan』モデルの向井田彩子さん(45)と結婚。’94年2月、長女が誕生した。 「妻とは、夫婦として、もう23年ですからね。落ち着いてきたかな。ケンカもたまにね。ちょっとした言葉の行き違いとか、翌日忘れているようなこと。普通の皆さんの家庭と同じですよ。結婚を考えてつき合い始めたときから、彼女には仕事を辞めて、家庭に入って、子どもの世話をしてほしいと言っていました」 亭主関白宣言。「いまの時代にそんなことを言ったら怒られそうだけど。昭和のサザエさん的な生活感が僕には普通で、理想だったんです」と、田原は言う。 「彼女は僕より10歳も若かったんで、大変だったと思いますよ。しかも、あれだけ(交際発覚から、結婚、出産まで)騒がれちゃったし。でも、メンタルが強かったんで、普通に頑張ってくれました。そう考えると、恵まれてましたね。家では仕事の話は一切、しません。嫁さんが笑ってくれているのがいちばんだと思うので。外にいると、田原俊彦ですが、家のなかではまったく違いますからね」 そして、田原は幼い娘たちと過ごした日々を振り返る。 「娘たちが生まれたときは、耳を押さえて、風呂にも入れましたし。普通のお父さんと同じ作業をしていました。幼稚園の参観日には、カメラを回し、小学校の運動会も、時間があれば顔を出し、場所取りで、朝、ゴザを敷きに行ったりね。月1回は外食で、ディズニーランドも行きましたし、普通の父親の生活です」 長女は、女優で歌手の田原可南子(23)。 「長女は、芸能界に入ったといってもアルバイトみたいな立ち位置。僕は全然、タッチしないし、放任です。彼女も、父親には触れない。距離感はしっかり保っています。2世だからっていうの、僕はイヤなんです。成人したら、何をしてもあなたの責任。あなたの人生ですから、責任持って、歩んでくださいと、それは話をしたのかな。これから彼氏を連れてきてということもあるだろうけどね。たたき切ってやりますよ、ハハハハ。でも、それはしょうがないね……」
2017年06月23日23日、歌舞伎俳優、市川海老蔵(39)の妻で、フリーアナウンサーの小林麻央さん(34)が、22日夜、都内の自宅で死去したとスポーツ紙が報じた。小林麻央さんは14年10月、乳がんの告知を受けて闘病中で、21日容態が急変したという。 海老蔵はこの日朝、ブログを更新し、朝6時から普段と変わらない様子をブログで投稿。しかし、本日4度目の更新となる「2017/06/23」と題した投稿には、「人生で一番ないた日です。」とつづり「マスコミの方々もお察してください」などと呼びかけていた。現在、多くのアクセスのせいか海老蔵のブログは表示されない状態となっている。 SNSやYahoo!検索ワードには小林麻央さん、麻央ちゃんが1、2位を占め「嘘でしょ…信じられない」「若すぎる…ショックだ」「闘病生活お疲れ様でした」「「本当に本当に素敵な方でした。ご冥福をお祈りします。」など悲しみの声が広がっている。 また、海老蔵は23日午後2時30分より、公演先の東京・渋谷シアターコクーンで会見を行う予定だという。
2017年06月23日「深キョン、きれい……」と居合わせた主婦たちから次々とため息がーー。 6月中旬、都内で行われていた7月開始のドラマ『ハロー張りネズミ』(TBS系)のロケ。舞台となった商店街では、午前9時ごろから主演の深田恭子(34)や瑛太(34)らを見るために50人以上の住民が集まっていた。なかでもギャラリーの注目を集めていたのは深キョン。実は彼女、ここへきて男性だけでなく女性からの人気も高まってきているという。 「深田さんは昨年7月に2冊の写真集を出しましたが、女性をターゲットにした『This is me』は大ヒットを記録しています。またインスタグラムアカウントのフォロワー数は150万人を突破していますが、支持層の多くも若い女性層みたいです」(ファッション誌関係者) 人気急上昇には、深キョン自身の“変化”が大きく関係しているようだ。 「彼女は30代になって体作りを一から見直しました。単にダイエットで体重を絞るのではなく、筋力をつけて基礎代謝をアップ。『女のコの憧れ』といわれる理想的な体になりました。仕事の関係者からも『年齢を重ねるにつれてキュートさに磨きがかかっている』と褒められ、大人カワイイ女優のポジションを確立しています」(前出・ファッション誌関係者) さらに深田は、精神面でも大きく変わったという。 「最近の彼女は『みんなに好かれたい』と言うようになりました。昔はそんなこと言わなかったので『大人になったね』と噂しています。“天然系”と言われていた若いころと違って変に着飾らないし周囲にも気を配るようになっています」(前出・ファッション誌関係者) そうした内外の変化が同性に好かれる雰囲気を醸し出す力となっているのだろう。冒頭のロケ現場でも深田への歓声は瑛太以上!また近くの大衆料理店でも彼女を絶賛する声が。 「この前も撮影の合間に、瑛太さんらと深田さんが来ていました。彼女は食事中も役作りについて話し合っていて、さらには主演の彼を立てるような発言も連発。それを観ていて『真剣にドラマを作っているな』と感心しました」(居合わせた客) 撮影を終えて出てきた際、集まっていたギャラリーの若い女性が深田に声をかける。だが彼女は嫌な顔もせず「ありがとうございます」と会釈。そうした“神対応”に、まわりの主婦たちも「やっぱりいい子ね〜」と笑顔になっていた。34歳となり、気負いのようなものが取れた深田。20代のころとは違う自然体な感覚が今の彼女を輝かせているようだ。
2017年06月23日野際陽子さん(享年81)の逝去に、芸能界では悲しみが広がっている。新人アナウンサー時代、共に研修の日々を送った押坂忍(82)は、野際さんの在りし日のたくましい姿を覚えている。 「私はテレビ朝日、野際さんはNHKでしたが、当時は民放のアナウンサーもNHKで一緒に研修を受けました。野際さんとは同じ立教大学出身で、彼女はとてもクールでクレバーな女性。彼女が名古屋支局でアナウンサーをしていたときは、その美貌でディレクターやプロデューサーにモテモテでしたね」 NHKで女子アナの先輩後輩として野際さんと仲良く寮生活を過ごしたのは、作家の下重暁子さん(しもじゅうあきこ・81)だ。 「入社してすぐ、私は名古屋に配属。そこに1年先輩の野際さんがいました。名古屋の荒田という場所にNHKの独身寮があり、女性は私と野際さんだけ。木造3階建てで、3階の隅の4畳半が野際さんで、その手前が私。野際さんの部屋には、大学の演劇サークルのときの彼氏という恋人の写真が飾ってありました」 「ノンちゃん」「アッコ」と呼び合う仲になり、一緒に飲み歩いたという。 「よく2人でいろんなお店に行きました。私も野際さんもお酒が強かったんです。神話の大酒飲みの怪物ヤマタノオロチになぞらえて、私たちは“荒田の大蛇(おろち)”と寮のみんなに呼ばれていました(笑)。でも、どんなに深夜まで飲んでも、翌日はきちんと仕事していました。当時はセクハラや女性差別は当たり前ですから、いくら飲んでも仕事は絶対ミスしない。そんな“女の意地”を野際さんから学びました」 芸能レポーター・東海林のり子さん(しょうじのりこ・83)は大学の英語会ESSの先輩だった。 「私が1年先輩で、2人で英語劇やったり、合宿をしたり。学生時代は地味で、すっぴんで白いブラウスに紺のスカートだったノギが、ミニスカートを履くようになったのは、びっくりでしたね(笑)。彼女からグチを聞いたことは一度もないです。病気のことも言わなかった。本当に、強い人でした…」 野際さんは都内にも自宅があるが、仕事が休みに日は、神奈川県逗子市の豪邸で過ごすことが多かった。地元の人も、報道で野際さんの逝去を知った。 「ご病状が悪いなんてまったく知らなかったので、びっくりしました。野際さんはご両親が健在の頃から、こちらに住んでいました。独り身になられてからは、野際さんが海沿いを1人で散歩する姿をよく見かけました。気さくで、地元の私たちとも親しく会話してくださる方でした」(地元の商店主) 逗子の家には弔問客と花が絶えない。その中には、TBSの貴島誠一郎プロデューサー(59)の姿があった。『ずっとあなたが好きだった』で野際さんを起用し、同ドラマは大ヒットした。 「僕を一人前にしてくれた芸能界の母です。去年の夏、野際さんと食事をした際、『悪いんですか?』と聞いても『全然。治っちゃったから大丈夫よ』と。心配させたくないという気配りだったのでしょう」 そう貴島さんは偲ぶ。野際さんの遺族と対面したが、娘の真瀬樹里(まなせじゅり・42)をはじめみんなつとめて気丈に振る舞っていたという。
2017年06月23日(写真:アフロ) ウィンブルドンの開幕を7月3日に控え、前哨戦のドイツ・ハレ大会にエントリーした錦織圭(27)。だが、ここにきて心配な問題が……。全仏オープン3回戦でのラケット破壊行為に、厳しい目が向けられているのだ。 「第4セットで格下の韓国選手に追い上げられた錦織選手は、自分のサービスゲームをブレイクされた直後にラケットを激しくコートに叩きつけて折ってしまった。そんな彼の行為に、主審はコード・バイオレーションの警告を与えました」(テニス関係者) コード・バイオレーションとは、選手がしてはいけない違反行為。遅延行為や言葉による侮辱などと並び、ラケットを怒りにまかせ破損する行為も禁じられている。 「テニス選手にとって、ラケットは命の次に大切といっても過言ではありません。フランスのツォンガ選手は、父親から『ラケットを壊したら俺がお前を壊してやる!』と厳しく教え込まれたほどです。紳士のスポーツだからこそ、そうした違反行為は激しく批判される対象になります」(前出・テニス関係者) さらに錦織は、今年2月のリオ・オープンでもラケットを破壊し大ブーイングを受けている。その結果、ペナルティは“試合外”にまで波及してしまったようだ。 「錦織選手はラケットメーカーのウィルソン社と生涯スポンサー契約を結んでおり、スポンサー料は年間2億5千万円とも言われています。錦織選手は、試合終了直後すぐウィルソンへ謝罪の電話を入れたそうです。ふつうメーカーとの契約書には『ラケットを故意に破損させた場合、契約料10%相当の違約金を支払う』などの条項が。錦織選手のラケット破壊は今年2度目。つまり通常なら5千万円を支払うことになります」(別のテニス関係者) 代償は金銭だけではない。ATP(男子プロテニス協会)からも厳しい視線が……。 「錦織選手は冷静でマナーの良い選手と評価されてきました。だからこそ相次ぐラケット破壊が際立ってしまい、審判たちは錦織選手を“要注意選手”に指定しているとも聞きました。審判の心証が悪くなれば、試合中に警告を受けやすくなる可能性なども考えられます。錦織選手にとって、厳しい事態といえるでしょう」(前出・別のテニス関係者) ウィンブルドン初制覇を目指す錦織だが、まず大切なのは“自分との闘い”かもしれない。
2017年06月23日