SOLOがお届けする新着記事一覧 (7/14)
職場の理想郷がここに…!by Mariya Tyutina先日、夢のようなゲストハウスに泊まりました。札幌にある、割と新しい宿です。おしゃれな内装に惹かれて予約しました。行ってみるとそこでは、70年代少女マンガに登場する男子みたいなスラリスラリと細身の男子たち3~4人が、キャッキャ働いていました。そのキャッキャぶりはまるで韓流ドラマでも見ているかのようです。青春ドラマ☆ゲストハウスって感じ。みんな宿に住みつつ仕事をしていて、就業時間とか関係なく、ずっとそこらをウロウロしています。そして手の空いた人がサッと誰かの手伝いに入ります。和久井が到着したときのチェックイン作業も、就業中の男子が電話対応中だったため、非番の男子がこなしてくれました。これイヤイヤやってたら完全にサービス残業のブラック企業です。昼間、宿に戻ってみたら、全員でお掃除の最中でした。「トイレ掃除した?」「まだ」「じゃあ俺トイレやっとくわ」「じゃあ俺は昼飯作るついでにキッチンやっとく」などと、それぞれが自分で仕事を見つけて、必要なことを率先してこなしていきます。職場の理想郷って感じです。昼や夜などの食事の時間になると、料理の得意な男子が「ラーメン作るけど食べる人~!」などと言って買い出しに行き、ちゃっちゃとご飯を作り始めます。夜にラウンジで仕事をしていたら、「豚汁食べます?」とか「ワイン飲みます?」とかいろいろサーブしてくれました。なんなら食事になんか出掛けなければよかった!その日、爽やか男子たちが新人女子を採用したようでした。一生懸命研修を行っています。まだ学生で敬語もうまく使えない女子。たどたどしい言葉遣いに男子たちは萌え萌えのようで「可愛いなあ!」を連呼しています。そのうち男子の誰かと恋が芽生えそうです。奥の部屋では、非番のスタッフが英語の勉強をしています。テキストを読んだり、文法をチェックしたりしています。ゲストハウスには外国からのお客様も多いので、実用英語を使えるスタッフが多いんです。「この場合はこう言う」なんて女子に教えているようでした。キラキラ光る若者の爽やかな世界ゲストハウスのスタッフたちはたいていみな旅好きですが、男子のひとりは、旅先で知り合った女子を追いかけて北海道まで来て、そのまま住みついているのだそうです。人生は自由なんだなあ。愉快な仲間と、楽しい仕事を、住み込みで。ごはんをみんなで分け合い、なんの天国ですかここは。この宿には、薄汚いものがひとつもありません。あるのはキラキラ光る若者と爽やかな風だけ。とまあ、目の前で青春☆ドラマが繰り広げられていたわけですが、その時和久井は、旅先で書くのをすっかり忘れていた原稿に必死に取り組んでおりました。SOLOの姉妹サイト「AM」 からの依頼の原稿で、「ラブグッズを使って彼とのエッチをもっと楽しく!」 という感じのヤツです。「グッズで締まりをよくしました」とか「彼があっという間に……」とかピー音ガンガン入りそうな体験投稿を読みあさり「これだ」というものをピックアップして文章を成型します。爽やか男子たちを横目にしながら、これほど自分が薄汚れてしまったと痛感した日はありません。その男子たちが、ラウンジでパチパチパソコンのキーを叩いている和久井のところへ来て、「お仕事ですか?」「なにをされてるんですか?」と無邪気に無垢な瞳で尋ねてきます。「ああ、女子のあそこの締まりをよくするラブグッズを使って、彼をビンビンにさせる体験談を書いているんですよ。なんかもう、トロットロみたいよ。どう? きみも」……いや、ないない。言えません。肉欲のカケラもなさそうなこの爽やか世界に、エロウィルスを投下したら末代まで祟られそうです。「いろんなこと書いてるライターです」とお茶を濁したわけですが、その「いろんなこと」のうちのひとつとして、今回君たちのことを書かせてもらいました。いつまでも青春☆ドラマハウスでいてください。まぶしすぎるけど隣で見てみます。Text/和久井香菜子
2017年01月18日ひとり旅をはじめて10年。今まで訪れた150カ国以上をブログに綴り、旅ライター・旅写真家として活躍している、黒水綾乃さん。現在は旦那さんとふたり、台湾で暮らしながら、一年の半分はひとりで旅をしているそう。彼女をかき立てる「ひとり旅」の魅力はなにか? そして、どこに行っても聞かれる「ひとり旅ってさみしくないの?」から、さみしさの正体について伺いました。旅は「誰かと行く」のが目的ではない撮影:黒水綾乃さん――では、「さみしい」という感情はどんなときに沸き起こるものだと思いますか?私は人と一緒にいるからこそ、「さみしい」という感情が沸き上がるんだと思います。上京したての20歳のころ、私は東京の三軒茶屋に住んでいて大失恋をしました。三茶のTSUTAYAにいるカップルがうらやましくて、余計に切なくなってたんですよね。もともとひとりの時間も好きで、「さみしい」という強烈な感情も持っていなかったのに、それまでずっと一緒にいた彼と会えなくなることが「私はこんな大東京でひとりなんだ…」と意識させ、猛烈にさみしくなったんだと思います。でも、どなたの格言だったか忘れてしまいましたが、「誰かと一緒にいる寂しさよりひとりの寂しさのほうが幸せ」という言葉に出会えて心が楽になりました。――あったものがない、傍にいた人がいないという「喪失感」「欠乏感」が「さみしさ」を引き起こすと、小池龍之介さんもおっしゃっていました。そうですね。さきほども答えたように、私はいつも人と別れた(分かれた)後にさみしくなります。旦那と一緒に旅をして、私だけそのまま続けるというときは、別れ際に多少さみしさを感じますから。まあ旦那とはすぐにまた会えるので、次の日にはその感情はなくなりますけどね(笑)。現地の人との別れ、旦那と別れたさみしさがこみ上げてきたら、次の目的地のことを考えて自分を奮い立たせます。どんな景色が待ち受けているんだろう、どんな文化に触れられるんだろうって。地図ばかり眺めて妄想するんですけど、かえって眠れないほどの興奮状態になりますよ(笑)。ハタチの頃のような猛烈な感情はもう戻ってこないですし、最近はさみしいという感情もかなり薄くなったので、ひとり焼き肉、ひとり居酒屋、ひとりご飯はもちろんのこと、ひとりディズニーも(アミューズメントパーク全体)ひとりワイキキも、ひとりヘタクソボーリング大会もなんだってできるようなりましたよ。<結婚後、ひとり旅を続ける意味…>特集「さみしさは敵か」もあわせてご覧ください!・“たまたまひとりでも大丈夫”と思えれば、世間の目なんて気にならない/月読寺・小池龍之介さん・美しいさみしさの奥にあるグロテスクな本音と向き合う
2017年01月16日働くおひとりさまにとっての毎日はめまぐるしくて、ゆっくり季節を感じる時間さえ取れないですよね。「休日のたった1時間でいいからほっとしたい…」元外資系バリキャリから一転、丁寧な生活を目指して料理研究家になった太田みおさんが、四季の彩りを簡単に楽しむ「レシピ=歳時記」をお届けします。春の七草「すずな」は「蕪」のことby 太田みお<4人分>蕪 400g (中サイズだいたい4個分)水 2カップ白だし 30ml味噌 小さじ1砂糖 小さじ1塩 小さじ1/3牛乳 50ml蕪の葉 少々1. 蕪の葉は茹でて細かく切っておく。蕪は火が通りやすいように適当な大きさに切り分け、鍋に入れて、水、白だし、味噌、砂糖、塩を加えて中弱火で10分煮込み柔らかくする。2. 1.をミキサーにかけて撹拌する。3. 2.を鍋に戻し、牛乳を加えて、混ぜながらあたためる。器に注ぎ、1.で用意しておいた刻んだ蕪の葉をトッピングしてできあがり。Text/太田みお前回記事<もしかして厄年?縁起のいい食材の厄除けごはんで2017年を乗り切ろう>もチェック!厄除けに効くと言われる食材をつかったレシピを紹介します!
2017年01月11日第5回:人がいるから一人になれる今回は「新婚ですが、夫とは部屋は完全に分けている一人好き」という読者投稿より、イメージした爪をつくった。誰かと一緒に過ごす時間もあるけど、一人の時間も好きだと綴られていた。一人の時間に焦点を当てた映画や音楽は多いが、私が印象に残っている作品で「誰かと一緒にいながら一人」を表したものがある。『EDEN』という映画だ。これは、90年代のエレクトロやダンスミュージックシーンに翻弄されていくDJの話で、DAFTPUNK結成当初が描かれていることでも話題となった。以前観て印象的だったのは、主人公がほとんど「一人でいない」ということだ。時系列が移るにつれて、主人公はその立場や環境が次第に変化していき、やりたい音楽と流行の差が徐々に広がるのを感じ葛藤していく。そんな彼の傍には常に仲間や恋人、家族がいるにも関わらず、どこか孤独感を漂わせており、周囲から孤立していく様子がハッキリと分かるのだ。そして、たった一人になるラストのシーン。彼はようやく、それまでの自分を顧み、先を見据えることができたのだ。堕落の結果「一人になってしまった」ように見えるが、実は、やっと「一人になれた」という、ほんの少し希望を含んだような終わり方が私は好きだ。孤独は、周囲に人がいる、あるいは居た、という事実が前提にある。だからこそ一人でいることを意識する。今回の読者投稿は「こんな私って変ですか?」という文で締められていたが、むしろ誰かと一緒にいるからこそ一人の時間を欲し、大事にしたいと思ってしまうのではないか。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。
2017年01月09日あけましておめでとうございます。昨年も『ひとり純喫茶』をご覧頂き、本当にありがとうございました。2015年11月から連載をはじめて早いもので1年あまり経ちました。こうして純喫茶のことを綴る場所があるというのは大変ありがたいことです。今年度も引き続きよろしくお願い致します。難波里奈『純喫茶、あの味』難波さんの新刊『純喫茶、あの味』にご興味がある方はこちらから!
2017年01月06日思わず赴きたくなる「旅テロ」漫画『乙嫁語り』(森 薫/エンターブレイン)1巻(最新9巻)舞台は19世紀後半。中央アジア周辺の女性たちを描いた作品です。綿密に描かれた家屋や衣装の柄、そして活き活きとした彼らの生活っぷり。読んでいるうちに、自分もすっかり作品の中に入り込んでしまいます。数年前、2カ月ほどトルコで生活をしていたのですが、『乙嫁語り』を読んでいると、その時の記憶が蘇ってきます。特に、家の軒先で近所の人たちが集まってわいわいおしゃべりをしている様子を読むと、小さなホテルに泊まりに行ったときのことを思い出します。みんなで仲良くチャイを飲み、誰に聞いてもなんとなくみんなが応えてくれるので、誰がホテルのスタッフか、最後までわかりませんでした。5分喋れば「友達」、半日一緒にいれば「家族」だと言い出す人たちです。家に誰かを呼んでもてなすことにとてもオープンで、よくお宅に泊めてもらいました。作中でも、主人公であるイギリス人のヘンリー・スミスさんが、いろんなお宅で世話になっています。「ちょっと懐かしい感じがする異文化」に触れられるトルコと日本はもともとモンゴルあたりから広がった、同一民族という説があるらしいです。言語もちょっとだけ似ているし、お茶を好み、白米を食べ、木の家に住んでいるなどの共通点があります。『乙嫁語り』が旅テロに加えて飯テロになるのが、みんなで市場に行き、買い食いをするシーン。ここらのくだりを読むと、トルコのバザールを思い出します。香辛料などの食材をはじめ、コスメやストール、じゅうたん、ランプといったお土産的な商品まで、これらを扱う小さな商店が一カ所に集められ、ありとあらゆるものが売られていました。こうしたバザールは、シルクロードから渡ってきたものを売る場所だったと聞いていますが、日本にも、こうした市場が今でも残っていますよね。アーケードと言うには古くて昭和的で、床はいつでもびしょびしょのコンクリート打ちっ放し。おなかが空いているときに買い物に行くと、ついいらないお総菜まで買ってしまう……それこそ飯テロがいっぱいある場所です。アジアって「ちょっと懐かしい感じがする異文化」って感じがしますよね。作品には、遊牧民族もたくさん出てきます。いつか行ってみたいモンゴルの草原での生活にも近いんだろうな、なんて想像しています。女性たちは嫁入り前にたくさんの布に刺繍を施して、お嫁入り道具を作るのですって。マンガの絵からでも充分に伝わるその美しさに、つい刺繍も始めたくなります。って、今度は刺繍テロ? いや、たぶん針と糸を買ったところで満足する予感がしますけど。強烈な旅テロ作品ですが、登場する20歳の花嫁エミルと、12歳の花婿カルルクさんもステキです。カルルクさん、たった12歳なのにたいへんデキた少年で、完全に犯罪になりそうですが、私も結婚して欲しいです。少年テロ。先日、最新刊が出たのでまた1巻から読み直してトリップしています。ああ、モンゴルでもウズベキスタンでも、トルコでもいい、『乙嫁語り』を彷彿とさせるどこかに行きたい!Text/和久井香菜子
2017年01月04日働くおひとりさまにとっての毎日はめまぐるしくて、ゆっくり季節を感じる時間さえ取れないですよね。「休日のたった1時間でいいからほっとしたい…」元外資系バリキャリから一転、丁寧な生活を目指して料理研究家になった太田みおさんが、四季の彩りを簡単に楽しむ「レシピ=歳時記」をお届けします。これぞ、厄除けごはん!by 太田みお縁起の良い桃を、牛乳寒天と合わせたデザートです。魔を除ける「赤色」のいちごも添えてさらに運気アップ!【材料】白桃(缶詰)1玉分苺 適宜牛乳 100ml水 150ml粉寒天 2g砂糖 30g1. 小鍋に水と粉寒天を入れ、よくかき混ぜる。火をつけて、2分ほど沸騰させる。お砂糖を加えて煮とかす。2. 火を止めて、牛乳を入れて混ぜたら、バットやタッパーなどの容器に流し入れて、冷蔵庫で固める。3. 切り分けた桃や苺とともに、固まった牛乳寒天も切り分けて盛りつける。食事以外にできる「厄除け」さあ、厄除けごはんを食べて、さらに運気をあげたいあなたのために、厄除けまめ知識です。★ 水まわりと玄関を清潔に保とう!まず、悪い気が入ってこないように、玄関は清潔にすっきりと保つことがとても大切。そして、家の中は、特に水まわりの清潔を保つこと。トイレ、風呂場、洗面台、台所、排水溝や換気扇は掃除を怠らないようにしましょう。これから迎える新しい年が、皆様にとって素晴らしい年となりますように、お祈りしております。Text/太田みお
2016年12月28日「さみしさ」を解消しようとしてはいけない藪からスティックな話なのだけど、実は私、結婚式が大嫌いである。私の年齢はもうすぐ三十だが、参加した結婚式よりも、参加を断った結婚式のほうが多い。もちろん、これが決して褒められた話ではないことは十分に承知している。結婚式(披露宴)が嫌いな理由はいくつかあって、まず、新札を用意したり、ご祝儀袋に筆ペンでぷるぷるしながら書いたりする作業が苦痛でならない。それから、学生時代の友人の式に出席する際は、同級生と世間話として近況報告をしなくてはいけないのが嫌である。極め付けは、新婦が涙しつつ読む、親への手紙だ。あれを見るともらい泣きしそうになる反面、「お前は昔、もっとロックでリベラルな奴だった! それがなんだ、いつの間にこんな保守層に成り下がりやがって!」と社会に対する憎しみが湧いてくる。あとはやっぱり、先にそれを言えという感じだが、自分だけが未婚のまま取り残されてしまう感覚が、どこかさみしいのだろう。結婚式は命を懸けて出席しろ!あまりにも嫌いなので、いっとき結婚式を批判する正当な理由を探そうと、世界各国に散らばる民族の、婚姻の習慣について調べてみたことがある。いわずもがなだけど、世界にはいろいろな文化や伝統がある。婚姻という制度を持たない、婚姻関係を結んでも披露宴にあたるような「式」を特に行わないなど、この広い世界にはそういった民族が必ずいるはずだと思ったのだ。今我々が行っているこの「結婚式」とは、人類にとって絶対的なものではない。私はそれを証明したかった。もちろん、この考え方がとてつもなく歪んでいることは十分に承知している。しかし結論からいうと、世界広しといえど、結婚式という慣習を特に持たない民族というのは、どうも存在しないらしかった。むしろ、今の日本社会の披露宴なんて、ライトでかわいいものだ。親族間の結び付きがもっと強固なミャンマーの山奥に住む少数民族などは、「結婚式」となったら何があっても、這ってでも、命を懸けて出席しなければならない。『走れメロス』でメロスは友人を人質に妹の結婚式へ命懸けで赴くけれども、たぶんノリとしてはあんな感じである。親族とただの友人の結婚式とではまたちがうのかもしれないが、とりあえずミャンマーの山奥や『走れメロス』の世界では、「同級生に近況報告をするのが嫌」とかヌルいこといっていられないのは確かだ。都市生活者はみんなさみしい村上春樹でも、スコット・フィッツジェラルドでも、ポール・オースターでも、「さみしい」物語の主人公はいつだって都市で生活している。一方で、ミャンマーの山奥にいる少数民族や、アフリカで六人くらい子供を育てている太鼓腹のお母さんは、きっと私たちみたいなさみしさを感じることはないだろう。彼らは親族や自然という、大きな大きな共同体に身を委ねている。そして、そういったしがらみから解放されることを選んだ私たちが「さみしい」と感じるのは、ある意味では必然というか、自由と引き換えに得た必要悪のようなものだ。友人の結婚式に出席した後の、ちょっとぽっかり穴が空いたような感じ。たまの夜に降ってくる、「誰も私のことをわかってくれないんじゃないか」という不安。そういうものはぜんぶ、都市で生活することを選んだ者ならば、抱えて生きていかなければならないものだ。好きな人と一緒に住んだり、子供を産んだりすればいくらか軽減されるかもしれないけれど、よくよく話を聞いてみると、既婚者でも子持ちのママでも、さみしいときはさみしいらしい。都市生活者である限り、本質的にはこの「さみしさ」から逃れることは誰もできないのだ。Text/ チェコ好き特集「さみしさは敵か」もあわせてご覧ください!・美しいさみしさの奥にあるグロテスクな本音と向き合う/紫原明子・閉じこもってた3年…認められると人ってこんなに変われるんだ!/『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』作者・永田カビさん・みんな寂しい。だから「寂しい」って言うのに意味なんてない/つめをぬるひと
2016年12月27日第4回:「好き」の距離感今回いただいた「アイドルの追っかけをしています。趣味って基本『おひとりさま』って感じですが、そこから出会える仲間もいたり。」という読者投稿。たしかに、趣味は一人で楽しむことが多い。多趣味ではない私が、自分の趣味を挙げるとすればライブに行くこと。昔から音楽が好きで、多い時は月1でライブハウスへ足を運んだ。現在その頻度は減ったが、ライブに行く時は、ほぼ一人だ。一人で行くのは気楽だ。好きな時に移動できて、好きな時にドリンク交換に行ける。それに、SNSが発展した今、同じ会場にいた人の投稿を見ていると、不思議と一人で行った感じがしない。同じ場所にいた他人と楽しさを共有したような気分になる。そしてそこで感じるのは、好きなものに対して堂々としていることの気持ち良さだ。趣味や嗜好で「本当は好きなのに、そんなに好きじゃないフリをする」という現象に、私は痒くなる。本当はすごく詳しいのに「そんなに詳しくないけどね」と言いながら、内輪では知識を投げ合っている。自分の好きなものを恥じるなよ。堂々と「いや、私は好きだよ」と言えば良いじゃないか!と、熱くなってしまったが、逆に好きなものを周囲に押し付けたり、興味のない知識をおおっぴろげに披露されたりするのも結構うんざりするもので、「ブレないこと」と「空気を読むこと」の境界線をはかるのは簡単じゃない。人や場に合わせてうまくやらなきゃいけない時もある。そうやって「好き」の距離感を見ながら、楽しめるようになってからが本領。一人でライブに行って、誰にも邪魔されず、誰の邪魔もせず、好きなものを好きだと自覚できる時間。そこで人に会ったり会わなかったり、余韻に浸ってラーメン屋に寄ったり、浸りすぎて脇目もふらず家に帰ったり。趣味の醍醐味って人の深みに近い。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。
2016年12月26日2016年も終わりに近付き、色々と慌ただしくなる時期ですが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか?忙しいながらも、クリスマスに冬休み、大晦日、元旦と行事も目白押しな楽しい季節でもあります。街のいたる場所では木々が煌びやかな照明でデコレーションされ、思わず寒さに首をすくめ、下を向いて歩きがちな冬の景色を鮮やかに彩ります。有名な観光スポットに出掛けるも良しですが、人気の場所は混雑しているのが難点です。そんな「人混みは苦手、でもクリスマス気分は味わいたい」という方におすすめしたいのは、あたたかい珈琲を頂きながらクリスマスツリーを眺めることのできる「純喫茶 ヒスイ」です。「昭和」を味わえる、美術館のような趣き場所は和歌山県和歌山市駅周辺。私は大阪のなんば駅から南海電鉄の特急サザンに揺られて向かいました。のんびりした街並みを散策するも一興ですが、「建築物としても素晴らしい」という事前情報を頂いていたので、つい早足になって向かってしまいました。緑色の文字で「純喫茶 ヒスイ」と書かれた看板と、まるで洋館のような外観は期待を裏切りませんでした。入口には“自家製生ケーキ付”とコーヒーセットを知らせるボードが。メニューサンプルは色の濃いガラスの向こう側にあり、ぼんやりとしか見えないところも魅力的です。扉を開けて中に入ると、まず視界に入るのは可愛く飾り付けられたクリスマスツリー。隣には貴重な大型のコーヒーミルが並べられています。現在は開放されていませんが、かつては多くの人で賑わったであろう二階へ上がるための階段が。手摺の美しい鉄細工や大きなシャンデリアに目を奪われながら奥へ進むと、思わず言葉を失ってしまうほどの豪華な吹き抜けが現れます。一階席がある右側と、数段下がった半地下の座席がある左側。一本足の椅子は橙色と黒色の2種類があり、座る場所によって見える景色が違うので、どの席にしようかしばし迷ってしまいました。吹き抜け部分にはまるで神殿のような柱が立っていて、頭上には大きな輝くシャンデリアが。ぐるりと360度うっとりする美しさで、時間が止まって、しばらくここに閉じ込められてしまいたいと思うほど。「もともとあった建物を改装したのではなくて、この店を始めるために一から作った。大阪の心斎橋にあった好きだった純喫茶を真似してね」とは、ご高齢ながらもお元気そうなマスターのお言葉。尋常ではないこだわりを感じられる数々の細工が施されたこの素晴らしい空間を、たった珈琲一杯の値段で味わえるなんて…。やはり純喫茶は素晴らしい“昭和美術館”である、と今までに何百回、何千回と感じた思いをまたもや噛み締めるのでした。Text/難波里奈
2016年12月23日ひとり旅なんて、何が楽しいの?by JÉSHOOTS「ひとり旅なんて、何が楽しいの?」と言われたことがあります。したことがない人に説明するのは難しいですが、一口で言えば、おひとり旅と誰かと行く旅は、お寿司とフルコースくらい違います。なんならお寿司とテニスくらい別物かもしれない。私が初めてひとり旅をしたのは、26歳の時です。2週間ほどアメリカの西海岸を回りました。離婚したばかりだったので、まさにセンチメンタル・ジャーニー。今思えば、ぜんぜん旅に慣れていなくて、無事の帰還に感謝、くらいの内容でした。目が腫れて病院に駆け込んだり、怪しげなクラブに連れて行かれて這々の体で帰ってきたり。でもこれが、おひとり旅に目覚めたきっかけとなりました。旅に出るって、普段目にすることのない景色や、予想もつかない常識、文化に触れることだと思います。そうした驚きを目の当たりにしたとき、誰かと一緒なら「すごいね!」「びっくりだよね」と感想を述べ合いますよね。でもひとりだと、それができない。感動を言葉にせずにグッとこらえていると、その風景がじわじわと身体の中に染みこんできます。感動の波が、全身を駆け巡っていくんです。これを声に出して会話にしてしまうと、話す、聞くということに神経を奪われて身体の表面をスッと通り抜けていってしまいます。1人で行動していると、自然に思考が外へ外へと向くようです。旅先の出会いも格段に増えます。普段、人見知りなんで知らない人に声をかけたりとかまずしないんですが、おひとり旅中なら違います。吉野山でなんどかすれ違った人の顔を覚えていて、ふもとのお茶屋さんで「よく会いますね」とか言って一緒にお茶したり。京都霊山護国神社で出会った男子から「運命だ」とか言われたこともあります。そう、うっかりすると新しい出会いまでついてくるかもしれないんです。何かが終わったとき「おひとり旅」のチャンス好きな場所には誰にも気兼ねせずにいつまでも浸っていられるし、物事の吸収具合がぜんぜん違うように思います。例えるなら、友達と一緒に楽しく勉強はできるけど、研究するのには向かない、みたいな。おひとり旅は、自分を研究する旅なんです。以前、探偵の方が言っていたのですが、夫の不倫に悩む妻の相談を受けるとき、ひとり旅を勧めたりするそうです。夫の浮気で頭がいっぱいになって視野が狭くなっていると、よくない対応ばかりしてしまうんだそう。いったん現実から逃れておひとり旅に出ると「ああ、自分のこんなところがいけなかったな」なんて反省したりするんですって。これ、すごくよくわかります。離婚直後の初めてのおひとり旅、見るもの聞くものすべてが新鮮で驚きの連続なのに、誰ともその感動を分かち合えない(SNSとかなかった時代なんで)。グッと飲み込んでいたら、いろんなことを考えて、感極まっちゃってずっとメソメソ泣いていました。反省も、したかもしれない(よく覚えてないけど)。まあ、浮気中の夫は、妻のおひとり旅の最中に大喜びで逢瀬を楽しんじゃうらしいので、行くタイミングは要注意らしいですが。失恋すると、大きな柱を失ったような気持ちになります。身体がぐにゃぐにゃになって、どこへも行けないような気がする……そういう時こそ、おひとり旅です。卒業旅行をするように、何かが終わったとき、終わりそうになって行き詰まってしまったとき、どこでもいいから、ふらりと旅に出てみましょう。新しい出会いかもしれないし、自分の知らなかったことに気付くかもしれない。きっと何かが見つかります。Text/和久井香菜子
2016年12月21日「分かったような分かんないような」作品:つめをぬるひと好きな映画で、「みんな寂しいんだよ。だから『寂しい』って言うのなんて意味ない」というセリフがある。これは「周りも辛いんだからあなたも我慢しなさい」という押しつけではなくて、「さみしい」というごく当たり前の感情に振り回されるなんて、というニュアンスがある。そのセリフに対して相手は「分かったような分かんないような」と返す。さみしさに深入りしすぎて「どうして自分だけ」みたいになってしまうこと(「この世で自分が一番可哀想」が一番可哀想に見えない仕組み)や、逆に、何事もなかったように無理矢理スッキリ楽しいフリをすること(SNSでコメントしようがなく「とりあえずいいね」をさせてしまう現象)は、周囲の反応を困らせ、さらにさみしさを増長させているように見える。冒頭の映画のセリフは、そのどちらでもない。さみしさを肯定も否定もせず、ごく当たり前に誰もが持ってる感情として扱う。「どうせ帰れっつっても帰らないんでしょ」と、しばらくそのへんで好きにさせておけば、「さみしさ」は知らないうちに帰ってる。そういう付き合い方もある。そして、実際はそう、うまくいかないこともあるのが現実。たしかに、分かったような分かんないような。Design&Text/つめをぬるひと※連載「誰に見せるでもない爪」より、出張コラムです。特集「さみしさは敵か」もあわせてご覧ください!・美しいさみしさの奥にあるグロテスクな本音と向き合う・閉じこもってた3年…認められると人ってこんなに変われるんだ!/『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』作者・永田カビさん
2016年12月19日働くおひとりさまにとっての毎日はめまぐるしくて、ゆっくり季節を感じる時間さえ取れないですよね。「休日のたった1時間でいいからほっとしたい…」元外資系バリキャリから一転、丁寧な生活を目指して料理研究家になった太田みおさんが、四季の彩りを簡単に楽しむ「レシピ=歳時記」をお届けします。by 太田みお【4cm型11個分】冷凍パイシート 2枚りんご 1個バター 30g砂糖 大さじ2シナモン 小さじ1レモン汁 大さじ11. りんごは8等分にして皮をむいて芯をとり、小さな面をスライスしていく。2. 鍋にりんご、バター、シナモン、砂糖、レモン汁を入れて、火にかけ混ぜながら、水分が出てりんごが柔らかくくたっとするまで煮る。3. 冷凍パイシートはラップで挟んで綿棒でのばし、最適な大きさに切り抜き、焼き型に敷く。そのなかに2のりんごのフィリングをスプーンで入れる。4. 200℃のオーブンで15分焼いてできあがり。Text/太田みお
2016年12月14日大学中退後、所属コミュニティがなくなった不安から鬱による自傷行為を繰り返し、摂食障害も患った永田カビさん。満たされない寂しさから、人肌を求めてレズビアン風俗に足を運ぶことになるまでの心情を描いた自叙伝的漫画『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』がネットで話題となり書籍化。誰の心にもある寂しさや、承認欲求との向き合い方が共感を呼び、あれよあれよと重版がかかる大ヒットとなりました。自己否定のループにあった永田さんが、漫画での成功をきっかけに変わったこととは? 寂しさの先にあった、今のお気持ちを伺いました。「若い芽を摘みたい…」ライバルに負けたくない覚悟永田カビさん――作品の中では、ご両親からの愛に飢える様子も描かれていますね。いわゆる「毒親」ではなくて、永田さんも、お母さんのことが大好き。でも、一緒にいるのが苦しいという。「毒親に悩む人にオススメ」というレビューがあったりするんですが、そのつもりで描いたわけではないんです。作中では「毒親」という言葉は使っていないし、母は世間でいう「毒親あるある」にも当てはまらないんです。母は連載(『一人交換日記』(ヒバナ/小学館))も読んでくれていて、「私はあんなのじゃない」って直接クレームも来るんですけど(笑)、あくまで私の主観で描いていて、当時はお母さんが怖く見えたんだよって。ただ、それだけですね。――作中で描かれているご両親は、攻撃的になるわけでもないですし、永田さんを全否定する感じでもないですよね。でも、一緒にいると何か休まらない部分があると。実家にいる時は、自分の部屋が超汚かったんです。それは、「母が見たら悲しむものを自分の部屋に隠しておく」という意味があったんです。それなのに、母はドカドカ遠慮なく入ってくるので「わざわざ見に来てどうするの!」って思ってました(笑)。一人暮らししてからは、母が来る前に、念入りに片付けるようにしています。「粗相がないうちに帰って欲しい」と思うくらいに気を遣うし、緊張するんですよね。母が帰ったあと、どっと疲れちゃうのは、いいように見せたいっていう表れかもしれません。―― 一人暮らしをして、ご両親への気持ちや関係は変わりましたか?実家から近いところに引っ越したんですけど、想定していたよりも、両親からの連絡があんまり来なかったんです。「連絡がないってことは、意外と私は親に信用されているのかな」と思えて嬉しかったですね。家事も「自分はできない」と思い込んでいたけれど、やってみるとちゃんと出来たんです。人から肯定してもらえることで、こんなに変われる――漫画の反応や、親元を離れての一人暮らしで自信がついたんですね。状況が大きく好転してから、永田さん自身にとって一番の変化は何でしたか?認めてもらえたことで、自分も着実に変わってきたと思います。まずは、人と会えるようになりましたね。今までは「私なんかに会っても楽しい時間が過ごせる訳がないから、相手の時間がもったいない。申し訳ない」という気持ちでした。3年くらい、ずっと人と会っていなかったんですけど、こちらから人を誘えるようになったのが一番大きな変化です。距離感が近い人に対しても、「そんなに受け入れてくれるの?…じゃあ(笑)」っていけるようにもなりました。今は無理のない範囲で、できるだけ人と会うようにしています。その代わり、「今日は無理」というのがわかったら、なるべく早く連絡するようにしてます。昔はバイト先にも友達にも、ドタキャンばかりしてしまっていたんです。直前で苦し紛れに嘘をついてしまったり。今は、そういうことはしなくなりましたね。自信がついてきたからこそ、気が乗らない約束も断れるようになりました。今までは上手くいかなかったフラストレーションがあったけど、認められたことで、変な遠慮がなくなったのかもしれません。――お写真は出せないのですが、今日の永田さんは口角がキュッと上がっていて、柔らかな笑顔が印象的です。お仕事が上手くいってから、お顔つきも変わったのでしょうか。昔からずっと暗いし、猫背だし、アルバイトの面接も落ちまくるし、初対面なのにいきなり「表情が暗い」って言われるくらいでした(笑)。人と会えるようになったのもそうだし、自分の身なりを整えることもそうなんですけど、「人から肯定してもらえることで、こんなに変われるんだ!」と、自分でも驚きですね。--------------------------------------自身の内面や葛藤を漫画にさらけ出すことで、世界がどんどん広がっていった永田さん。人から認めてもらえたことで、意識が外に向き、自分が心地良いと思うことを素直にできるようになったというお話が印象的でした。ただ寂しさをごまかすのではなく、そう感じる原因を分析して向き合うことで、解決の突破口になるということを、心に留めたいと思います。Text/小沢あや特集「さみしさは敵か」もあわせてご覧ください!・“たまたまひとりでも大丈夫”と思えれば、世間の目なんて気にならない/月読寺・小池龍之介さん・美しいさみしさの奥にあるグロテスクな本音と向き合う
2016年12月13日第3回:寂しさで賑わいを見せる「結婚期間を終えて『おひとりさま』になってから1年が経った」という読者投稿をいただいた。私は結婚をしたことはないが、今年の夏頃まで1年半ほど「おひとりさま」の時期があった。その最初のクリスマス。仕事を終えた私は、帰りに駅前のコンビニに寄った。そこにあった小さめのクリスマスケーキを見て、素直に美味しそうだと思った。昨今のコンビニスイーツはどれも目を引くものが多く、侮れない。尚かつ、クリスマス。つい気分が上がり、ケーキ買おう! ついでにチキンも! と、後先考えずにクリスマスの定番品を買って帰宅。しかし、わくわくしたのも束の間。私はそれらを食しながら気付いてしまった。あ、分かった! これ寂しい! やってしまった! あーすごいすごい! 寂しい!こうハッキリ寂しいと分かると、可笑しく思えてくるもので、「寂しい」という感情が部屋の装飾になったような、滑稽な気持ちになった。そこから学んだことは、寂しい時は寂しいとハッキリ認めてしまうことだ。その1年はいろんなことをやらかしたが、無かったことにするべきではない。というよりも、自分の中ではどうやったって無かったことにはならない。周囲に声を荒げて言う必要もないが、認めるということを忘れてはいけない。素直にケーキを買っちゃう自分のことも、寂しいと認めた上で労ってあげるのが大事で(ここが大事。寂しくない、平気だ、と自分に嘘をついたんじゃ不健康極まりない)、そんな自分に最適なご褒美をあげられるのもまた、自分だ。もうすぐクリスマス。なんでもない普通の日として過ごすのも良いが、自分にご褒美をあげる日として過ごすのも良いのではないか。この連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。Design&Text/つめをぬるひと
2016年12月12日皆さんが純喫茶で過ごす時間は、だいたいどのくらいでしょうか?長居するように思われる私ですが、実は平均して30分程です。店内にいる時は、たいてい何もせずひたすらぼんやりして過ごすことが多いので、一杯の珈琲をゆっくりと飲み干した頃合いで、自然に立ち上がり店内を後にすることが常です。しかし、それは「ある場合」を除いてのこと。というのは、好みの漫画が本棚に多数並んでいた時は、つい時間を忘れて過ごしてしまうこともしばしば。例えば、ここのところ頻繁に足を運んでいる、練馬駅にある「アンデス」などがそうです。地下鉄大江戸線から、地上にあがってすぐ目の前。30秒もかからずに行けるので、雨の日や風の日にも心強い存在です。一面が広い窓に囲まれている、二階にある店内には、日中は光が差し込み、夜も信号の灯りに照らされた通行人たちを眺めることができる、開放的な空間です。窓と反対側の壁をぐるりと囲む棚には、漫画や雑誌、小説など様々なジャンルの本が天井に届くほど高く積まれています。まるでここは大人の図書館のようで、好きな漫画を片っ端から読んでも通い続けたくなる楽しみがあるのです。私が好んで読むのは、純喫茶の定番である「ゴルゴ13」や「黄昏流星群」「人間交差点」など。豊富なメニューの中には、東京ではなかなかお目にかかれない“鉄板ナポリタン”もあるので、空腹時に訪れたいところです。ただし、混雑する昼時は鉄板が足りなくなるため、普通のお皿で提供されるのでご注意を。他にも気になるメニュー名として「日焼けパフェ」に「シェフマリオ」などが。通常のチョコレートパフェは白いバニラのアイスクリームが乗っていますが、日焼けパフェにはいったいどんなアイスクリームが…?何が出てくるのかは、注文してからのお楽しみに。「アンデス」という店名から分かるように山登りがお好きだというマスター。「ここでガツンと儲けて、いつかはアンデスへ旅をしたいってずっと思っていてね。でもきっとずっとここで働くのだろうなあ」と冗談を交えながら、優しい顔で笑います。実はこちらの鉄板ナポリタンを有名にしたのは、漫画家のあだち充先生。今でもたまにいらっしゃるそうで、店内にはお店宛に描かれた絵も飾られています。絵の横には『コーヒーとナポリタンは注文すれば出て来たが、作品のアイデアは「アンデス」のメニューに無かった…』と思わずくすりと笑ってしまう一言。訪れた時には探してみることをお薦めします。Text/難波里奈
2016年12月09日障がい者と結婚した人に「偉いね」と言ってしまったあのとき2016年4月から、障がい者差別解消法が施行されました。人の個性に応じて、できる範囲で助けてあげましょうねという法律です。最近はパラリンピックも注目されつつあり、テレビで放送されるようになりました。今までは障がい者と縁がなかった人でも、これからはどんどん身の回りに接する機会が増えていくでしょう。不慣れなものには、不慣れな対応をしてしまうもの。私もいくつか経験があります。もう10年くらい前だったと思いますが、知り合いの女性が、車いすの男性と結婚をすると聞いたときのことです。思わず「偉いね」と言ってしまったのです。直後に、「あれ、思っていることと違うことを言った」と思いました。「車いすの男性とわざわざ付き合うなんて、あなたはいい人ね」と言いたかったのではないのですが、彼女にはそう聞こえたかもしれません。今、Co-Co Life☆女子部という障がい女子のためのフリーペーパーの制作に関わっていることもあり、車いす女子と一緒に出歩くことも普通になりました。まあそれで感じるのは、靴で歩くか車いすで歩くかは大した違いではなく、単に一緒にいて楽しければまた遊びに行く、というだけの話です。あのとき私が言いたかったのは、心のバリアを取り払って一人の男性として車いすの彼を選んだその女性はステキだな、ということだったんですよね。『パーフェクトワールド』(有賀リエ/講談社 KC KISS)既刊3巻『パーフェクトワールド』は、高校時代に好きだった男性と同窓会で再会したら、彼は歩くことができず、車いすの人になっていた、というストーリーです。絵柄はカワイイのですが、ネタはシビアです。ラストで、彼が迫ってくる牛が怖くて思わず立ち上がって歩けるようになりました、みたいことは(たぶん)ないでしょう。「私があなたの足になるわ!」ジャジャーンでハッピーエンド、ということでもないでしょう。少女マンガは社会の問題や来るべき未来を先取りするストーリー中、「幻肢痛」といって、動かなかったり切断してしまった足が痛むことや、排泄などの健康上の問題を次々とぶつけられます。とはいうものの、テレビでよく見かけるような、「車いすの生活は大変だけど頑張っているんです!」みたいなお涙頂戴の障がい者ポルノでもありません。障がいを客観的に見つめ、そこで起こる問題をどう解決していくのか、主人公は努力をしていきます。きれい事だけでは済まない、障がい者との恋愛について真摯に受け止め考える姿勢には、とても好感が持てます。これからますます社会のバリアフリー化が進んで、障がいがあるとかないとかの境界線がなくなっていくでしょう。和久井が少女マンガって素晴らしいと思うのは、こうした社会の問題や来るべき未来を先取りする作品がとても多いことです。障がいを持つ人と関わる機会が増えれば、当然、恋愛や結婚という問題も身近になっていくでしょう。「障がい」と一口に言ってもさまざまで、車いすひとつとってもたくさんの種類があります。「車いすの人はこうだ」と決めつけてしまうことはできませんが、ひとつの例として、そして自分が恋愛に求めるものや条件を考えるのに、参考になるかもしれません。ちなみに和久井は、車いすの男性はけっこう好みです。付き合ったらどうかというのは、経験がないからわからないけど。Text/和久井香菜子
2016年12月06日『さみしさサヨナラ会議』(宮崎哲弥と共著)という著書もある月読寺住職の小池龍之介さん。前回、“さみしい”という感情は脳内物質による錯覚が引き起こすもので、人間関係では満たすことができないと伺いました。後編となる今回は、そんな“さみしさ”とうまく付き合う具体的な方法や、「“おひとりさま”はかわいそう」という世間の偏見に負けないための心得を教わりました。さみしさを埋めようとすると“心の借金”が増えていくだけ――そもそも“さみしい”と感じてしまうのは、悪いことなのでしょうか?何を良い/悪いとするかにもよりますが、仏法的な観点からすると、苦しみが増えるのはよくないこと、苦しみが減るのは好ましいこと、とします。ですから、さみしいと感じると苦しみは増えるので、悪いことだと言えそうですね。ところが、これにはカラクリがあって、多くの人は自分のしていることが“悪いこと”だとわかると、自己嫌悪や罪悪感が湧いてきて、苦しみが増えてしまうんです。だから、「さみしくなっている自分はダメだ」と自分を責めたり、抜け出そうともがくことで、余計に苦しみが増えてしまっては本末転倒です。――では、どう対処すればいいのでしょうか?さみしさは、抜け出そうとするとうまくいかないんです。たとえば、さみしいと感じているとき、私たちは「さみしさの部屋」にいるとしましょう。そこで、“さみしさポイント”10Pを受け取ります。でも、その部屋の中にとどまってじっとしていれば、さみしさはやがて消えてなくなり、10Pは返済できるんですよ。ところが、となりに「友達に電話する部屋」があると、多くの人はつい安易に移動して「さみしさの部屋」を抜け出そうとします。でも、そうすると10Pは返済されずに借金として残る。しかも、電話が終わるとまたさみしくなって10Pが発生してしまい、さみしさの総量が増えてしまうんです。――さみしさを埋めるために、別のことをしてはいけないということですか?さみしさを何か別の手段で紛らわそうとする行為はすべて、「さみしさの部屋」から別の部屋へ移動しただけです。つまり、“さみしさポイント”という借金を返済するために、別のところから借金をしている状態なんです。特に、電話やメール、SNSといった人とのつながりや恋愛など、人間関係で孤独を紛らわそうとするのはおすすめしません。自分の欠損を満たしてくれる相手を求めると、特別扱いしてもらおうと傲慢な態度を取ったり、過剰に卑屈になって相手に従属しようとしたりと、ろくでもない行動を引き起こしてしまいます。だから、さみしいときは人に会うべきではないし、新しい出会いも求めてはいけないんです。さみしさも怒りも、必ず消えていくもの――では、具体的にはどうすればいいんですか?何もしないことが大事です。まず、さみしさを感じている自分を、「かわいそうだ」とか「ダメな人間だ」などと一切“評価”しないでください。さみしい自分を、ただ“認めて、受け入れる”だけでいいんです。ざわざわ、もやもやするような、なんらかの身体感覚に意識を向けて、さみしさに寄り添うイメージを持ってください。――さみしさに寄り添うとは…?心の中で、自分自身に声をかけてあげましょう。「さみしいんだね、わかるよ、大丈夫だよ」とか、「じっと待っていればそのうち消えるからね」とか、小さい子どもをなだめるような感じです。他のことで紛らわすのではなく、さみしさのエネルギーそのものと一緒にいてあげて、消えてなくなるまで待つようにしてください。――では、寝て忘れちゃうというのもアリですか?それも「寝て忘れる部屋」という別の部屋に移動して、借金を増やすことと同じになってしまいます。もし、起きていると何かしたくなってしまうなら、楽な状態でゴロゴロと寝転がって天井の木目を数えたり、公園で空を眺めたりして、さみしさが収まるのを静かに待ってあげましょう。意識のある状態で、さみしさが減っていくのを体感しきることが大事なんです。――なぜ、“さみしさポイント”の借金は増えてしまうのでしょうか?前回お話しした通り、“ドーパミン中毒”が原因です。さみしさを別の手段で満たすということは、刺激が入力されることでドーパミンが発生し、脳が快楽を得るということです。ところが、次はもっと強い刺激や快感でないと物足りなくなるため、どんどん耐性ができてしまいます。昔は手紙や電話くらいしか手段がなかったので刺激自体も弱かったし、ドーパミンが切れても、次の刺激を受け取るまでにそれなりの時間がかかりました。そのため、そこまで重いドーパミン中毒にはならずに済んでいたんです。ところが現代のSNSは、刺激が入力される頻度や速度、その強度もケタ違いに大きいですよね。不特定多数の人から一度に注目され、圧倒的な承認を得られますが、私たちの脳には刺激が強すぎるんですよ。一度に受け取るドーパミンが多すぎてすぐに飽和してしまい、耐性がついてどんどんさみしくなっていく。借金がものすごいスピードで増えていくということです。――でも、“さみしさ”には終わりがくる、とは思っていませんでした。この方法はさみしさに限らず、“怒り”に対しても有効です。「物に当たる部屋」や「怒鳴りちらす部屋」、「怒りを我慢する部屋」に移動してしまうと、“怒りポイント”は返済されないまま借金としてどんどん溜まっていきます。だから、必ず「怒りの部屋」にとどまって、「そうか、イライラしてるんだね、大変だね」と怒りの感情に寄り添ってあげれば、怒りポイントのゲージは減っていき、そのエネルギーも自然と収まっていきます。安心感が諸行無常であるように、さみしさも怒りもすべては無常で、必ず消えていってしまいますから。“たまたまひとりでも大丈夫”と思えばいい――無理して恋愛や結婚をしなくていい、と思っている人でも、周囲からの「ひとりなんてさみしい人だ」という価値観にさらされて、考えがグラついてしまうこともあると思うのですが…。いまや、ひとりで生きていくこともひとつのスタンダードですから、以前と比べれば「ひとりなんてかわいそう」という視線の圧力はだいぶ弱まっているとは思います。むしろ、圧力をかけてくる人たちに「他人の愛情に頼って依存する価値観でしか生きられないのね」と心の中で見返してやることもできるでしょう。ただ、味方や仲間がいるとか、“おひとりさま”というグループに所属していることに安心している、という意味では、孤独やさみしさを受け入れているとは言えないでしょうね。――でも、周りの目がどうしても気になります。それは、幼い頃に親の視線を自分の中に内面化するクセがついているからです。子どもは、親に同調することで愛情や承認を得て、庇護やお世話をしてもらう戦略を取ってきました。そのせいで大人になってからも、相手や世間の規範を内面化しないと、見捨てられ見放されてしまうんじゃないか、という恐怖が残っているんです。――自分の身を守るために、周りに同調してしまうんですね。そういった心の仕組みをわかっていれば、「ひとりってさみしくない?」と言われて心がグラついてしまいそうなときに、「ああ、私は今、この人に嫌われたくないという“さみしさ”を抱えているんだな」と自己分析できるようになるのではないでしょうか。まあ、こうなるとほとんど修行の域ですけどね。ただ、“おひとりさま”として生きていこうとしている人が、他人から言われて不安になってしまうようでしたら、その人はたぶん強がりで“おひとりさま”を選んでいる可能性があると思うんです。前の恋愛で痛い目を見たからもう嫌だとか、どうせ他の男もそうに違いないとか、何かしらの強い感情によって孤独を抑え込んでいるのだとすれば、あまりよくない状態だと思います。それは、「強がってやせ我慢する部屋」に移動しているだけですから。――心から“おひとりさま”であることを受け入れていないと、それも借金を増やしていることになるわけですね。私たち人間は、そもそも生まれたときから孤独でさみしい存在なんです。恋愛相手であれ、自分の親であれ子どもであれ、ある特定の人間関係に自分のさみしさを預けて解消してもらおうとすると、必ず痛い目に遭います。まずは「さみしいから」という理由で人とつながるのをやめてみましょう。「さみしい自分はかわいそう」などと評価せず、さみしいという感情にただじっと寄り添い、受け入れることができるようになると、ちょっと大袈裟な言い方ですが、人生が変わります。つまり、人間関係に過剰な期待をしなくなって、精神が自立した状態になります。――かなり強い心が必要になりそうですね。だからといって、一生ひとりぼっちになるわけではありません。むしろそういう状態のときに出会い、関わる人とのほうが、強烈に求め合うような刺激はない代わりに、ほどほどに満たされた、安定した人間関係を築けるようになるでしょう。さみしさとうまく付き合って自立できるようになれば、わざわざ「自分はこの先ずっとひとりで生きていく」と頑なに決めなくてもいいんです。“たまたまひとりでも大丈夫”なだけであって、運良くいい人が現れたら好きになればいいし、結婚してもいい。いなければ、それはそれで「ひとりでもいいや」と思える。そういう精神状態を保っていられるなら、相手がいてもいなくても、どちらでもハッピーなのですよ。Text/福田フクスケ■プロフィール小池龍之介(こいけ・りゅうのすけ)1978年生まれ、山口県出身。東京大学教養学部卒。2003年、ウェブサイト「家出空間」を立ち上げる。同年、寺院とカフェの機能を兼ね備えた「iede cafe」を展開(〜2007年まで)。現在は、鎌倉にある月読寺の住職として、宗派仏教を超えた立場で自身の修行と一般向けの座禅・瞑想指導を続けている。『考えない練習』(小学館文庫)、『超訳 ブッダの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『しない生活 煩悩を静める108のお稽古』(幻冬舎新書)など著書多数。特集「さみしさは敵か」もあわせてご覧ください!・さみしさは“人とのつながり”では満たされない/月読寺・小池龍之介さん(前編)・美しいさみしさの奥にあるグロテスクな本音と向き合う
2016年12月05日寂しくなくなったのは一人になったからby Flash Bros矛盾しているように聞こえるかもしれないけど、3年前に離婚してからというもの、全然寂しさを感じなくなった。それは別に、寂しさの回路がショートした、みたいな絶望的な理由ではなくて、本当に、離婚したら寂しくなくなったのだ。だって、結婚していたときなんて、一年のうちの4分の3くらいは寂しかった。一つ屋根の下に住んでいるはずの家族が、なぜだかほとんど家にいないのだから。初めのうちは私も遅くまで起きて、夫の帰りを健気に待ったりもしていた。代わり映えしないSNSのタイムラインを延々とリロードし続けたり、漫画アプリに課金し続けたり、だらだらと時間をやり過ごす合間に「まだ帰ってこないの?」なんてメールを送ってみる。一向に返事がないことにイラっとして、今度は少し悲しい口調でメールを送ってみる。それでもやっぱり返事がないので、今度はちょっと、むっとした感じでメールする。一人、寂しさを持て余す時間に、家のリビングから繰り出すあの手この手は、自分では全て正当性のあるものだったけど、客観的に見れば情緒不安定な、“触るなキケン”な人だっただろう。そのうち、珍しく夫が家にいるときだって、いないときと全く何も変わらずさみしい、ということに気がついた。家にいないからさみしいと思っていたのに、一緒にいたってさみしいのだ。結婚生活の終盤には、とにかくそんな粘着質なさみしさが、一度手に付いた納豆の糸みたいに、何をやっても、どこにいっても、しつこくまとわりついてきた。そんな期間が結構長く続いたので、たかだか離婚ごときでは逃げきれないと腹をくくっていたけれど、意に反して、あのときほどのさみしさには、離婚してから一切お目にかかることがなくなったのだ。このことを考えてみると、少なくとも私にとってのさみしさとは、本来埋まっているべき隣の席が埋まっていないこと、ぽっかりと空いていること。そのことへの、耐え難い空虚さなのだった。離婚して、一人になることを選んだ今の私の隣には、そもそも誰かのための椅子なんてない。だからもう、あのときのように空虚にならない、さみしくないのだ。「さみしい」という便利な言葉の奥にあるものつい先日、友人がこんなことを言っていた。「僕は“かわいい”という言葉を極力使わないようにしてる。行き場のない軽い性的な興奮を“かわいい”というと、それ以外に表現できなくなるから」これには唸らされた。猫も赤ちゃんも老人も、総じて「かわいい」存在は「かわいい」。そしてこの「かわいい」という言葉があまりにも便利過ぎるので、その奥にあるべき自分にとっての意味を、個別に定義することを怠けてしまっている。そんな真実は確かにある。これと同じことが「さみしい」にも言える。何しろ社会にはいまだに、成人はツガイになってしかるべき、といった考え方がしぶとく残っている。恋愛したり、結婚したり、子供を生んだりするのが当然という無言の圧力もある。そんな中、おひとりさまであることはそれだけで、何かが不足している、不完全な自分を作る動機になる。そしてあらゆる物足りなさは、大体「さみしい」で表現できてしまうのだ。だけどざっくりと「さみしい」と表現したその気持ちの正体は、本当は「人肌恋しい、セックスしたい」なのかもしれない。あるいは「毎日が退屈でつまらない」かもしれない。恋人がいたり、結婚したりしている女性と自分を比べて、つい本来不要な劣等意識を持ってしまっているのかもしれない。幸せそうなあの子への嫉妬かもしれない。もしくは、案外仕事のストレスが思わぬ形で影を落としているだけかもしれない。本音って大体グロテスクで、エゴイスティックで、自分ですら向き合うのを避けたくなるようなものだ。だけど、一度わかってしまえば、案外、なんだ、そんなことだったのか、と理性や論理で片が付くことはよくある。もし生理前でもないのにただ無性にさみしいと感じるとき。本当は、その言葉のもっと奥にある何かが、“ここをケアしてほしい”と、しきりにSOSのサインを出している。一見綺麗なベールの内側にある本音と覚悟を持って向き合うことで、そのときの自分に必要なものが、見えてくるのだろうと思うのだ。Text/柴原明子特集「さみしさは敵か」もあわせてご覧ください!・さみしさは“人とのつながり”では満たされない/小池龍之介さんインタビュー
2016年12月01日働くおひとりさまにとっての毎日はめまぐるしくて、ゆっくり季節を感じる時間さえ取れないですよね。「休日のたった1時間でいいからほっとしたい…」元外資系バリキャリから一転、丁寧な生活を目指して料理研究家になった太田みおさんが、四季の彩りを簡単に楽しむ「レシピ=歳時記」をお届けします。(c)太田みお余ったハーブを束ねる。コツは、長いものを奥に、短いものを手前に。今回は、ローズマリー、タイム、そして家にあったドライフラワーを少しアクセントに加えました。束ねたら、麻ひもやリボンできつめに縛り、根元の茎の長さをはさみで切りそろえればできあがり。
2016年11月30日無理して恋愛や結婚をしなくてもいい。頭ではそう思っていても、どうしようもなく襲いかかる“さみしい”という感情。ときに家族との関係や友達付き合いまでも面倒なものにしてしまう“さみしさ”の正体はどんなもので、その対処法はあるのでしょうか?『考えない練習』『超訳 ブッダの言葉』など数々の著書や、新聞の人生相談でも活躍されている、月読寺住職・小池龍之介さんにお話を伺いました。人の心はさみしさを“自転車操業”のように埋めている――「一人でいるとさみしい」とか、「誰かとつながりたい」といった気持ちは、私たちの心のどういった仕組みで発生するのでしょうか?足りていないから、なんとか足りるようにしたいと思い悩む欠乏感や欠落感のことを、すべてまとめて“さみしさ”と私は定義しています。本来、さみしさって人間関係とはまったく関係なく生じるものなんです。いつも楽しめているものが楽しめないとか、あってほしいと思っているものがないとか、そういうことだけでも“さみしい”という気持ちは生じますからね。――たしかに、さみしさの原因は人間関係だけとは限りませんね。ですから、“人とつながる”こと以外でも、さみしさを満たすことは可能です。たとえば、何か足りないという渇望感を抱いたとき、食欲に走る人は多いですよね。性欲もそう。セックスの快楽も一時的には満たしてくれます。このように、さみしさの代替行為は実はたくさんあるのです。しかし、私たちはそれらよりも、人とつながることで他人から受け入れられたり、重要な存在として扱われたりするほうが、よりレベルの高い永続的な満足が得られると思いがちです。――俗に“人のぬくもり”と言われるものですね。そのため、“さみしさ”は人間関係において足りてない状態を指すことが多いんです。だから、多くの人は誰かと会ったり、電話したり、メールしたり、SNSに投稿したり、そういった“人とつながる”ことでさみしさを解消しようとします。でも、人間関係によって得られる満足も、食欲や性欲と同じで、すぐに消えてしまう一時的・刹那的なものにすぎないんです。人から愛情や承認を受け取ると、脳内ではドーパミンが分泌されるので、一瞬は満たされます。ただその快感は長持ちせず、すぐに色あせてしまうので、また満たし直さなければいけないという、すごくあやうい零細企業の経営のように“自転車操業”で回っているんです。満たされると感じるほど、余計にさみしくなってしまう――自転車操業を続けてしまった場合どうなってしまうのでしょう?快感が切れてしまったあとは、「もっと愛されたい」「もっと受け入れられたい」という、禁断症状が出てきます。そうやって、刺激(愛情・承認)→快感(満たされた気持ち)→渇望感(やっぱりさみしい)というパターンを繰り返すうちに、脳に耐性がついてしまう。すると、前よりも強い刺激でないと満たされなくなり、より強いさみしさが引き起こされ、結果、常に人とつながっていないと不安になってしまう、というわけです。人の心は、満たされれば満たされるほど、余計にさみしくなるようにできているんですよ。――なんとも皮肉なものですね……。では、自分の親や家族、恋人のように、より強い愛情や承認を得られるような相手には、より強いさみしさを感じてしまう、ということですか?その通りだと思います。私たちは、とりわけ家族やパートナーに対して、過剰な期待を抱きがちです。そして、それが叶わないと他の人よりも強い怒りや、憎しみを抱くので、よりさみしくなります。特に恋愛は、「愛されたい」「求められたい」という渇望感を強烈に満たしてくれますからね。すると、脳はもっと強い快感を欲しがって、その反動で、より強い「さみしい」「満たされない」という不安を引き起こそうとする。だから人は、恋愛すると不安になりたがるんです。――特別な期待や要求をしてしまうからこそ、相手にネガティブな感情を抱いてしまいやすいんですね。私たちは、目の前の相手の言動が原因で怒ったり不安を感じたりしているように錯覚していますが、本当はもともと自分の中に怒りや不安といった“感情のエネルギー”があって、たまたま目の前にいる人をそのターゲットにしているだけなんです。人は自分の世界の中に閉じこもっていて、そもそもすごく孤独なんですよ。相手が自分を愛してくれないから、腹を立てたりさみしくなったりしているのではなくて、私たちはそもそもさみしくて、それを満たしてくれるはずだと思い込んでいる相手が満たしてくれないことに勝手に腹を立てている。因果関係が逆なんです。「自分がさみしいから、相手に腹を立ててしまうんだ」と理解していれば、むやみにイライラしたり不安になったりしても無意味だと気付くはずですよ。それを自覚できている人はほとんどいませんが…。結婚でさみしさは解消されない――家族やパートナーに対して、なぜ過剰な期待や要求をしてしまうのでしょうか?そこに、“特別な絆”や“無償の愛情”があると信じているからでしょうね。しかし、残念ながら人間関係というのは、多かれ少なかれ「自分がしてあげたから、相手も返してくれる」という交換関係なんです。打算や利害関係が一切なくて、無条件に自我を肯定してもらえる人間関係なんてありません。それは家族やパートナーであっても同じです。でも多くの人は、自分が何もしなくても特別扱いしてくれる相手、というのを求めてしまうんですね。――親子やカップルの間には、“特別な絆”や“無償の愛情”が成立しているように見えますが…。それは、“幸せホルモン”や“愛情ホルモン”と呼ばれるオキシトシンが分泌されるからでしょう。このオキシトシンの分泌によって、相手に対する献身的な愛情が無条件に湧いてきて、相手の欠点が見えなくなります。ところが、やっかいなことに、このオキシトシンの分泌は、長い人でも3年で終わってしまうそうなんです。“無償の愛”は、刺激が新鮮な間だけ生じる、およそ3年間の幻想なんです。――それが幻想なら、多くの人は恋愛や結婚なんてしなくなってしまうのでは?結婚生活は、“特別”だった3年間が終わった後のほうが遥かに長いから、特別な関係なんて幻想だとわかっていて、相手に過剰な期待や要求を抱かない人のほうが、かえって安定したパートナーシップを築けるんですよ。ところが、得てして「結婚したい」と強く望んでいる人ほど、特別扱いしてくれる相手と結婚すれば一生さみしさから解放されると思っています。だから、3年経ってオキシトシンが切れたとき、さみしさを満たしてくれない相手に失望や怒りを抱くようになってしまう恐れがあります。――さみしさを動機に結婚するのは、よくないですね…。結婚でさみしさを解消しようとする人は、その期待が大きすぎるので、満たされずにますますさみしさが増幅してしまう。逆に、結婚に過剰な期待をしていない人は、さみしさを解消したいと思っていないからこそ、結果的にさみしさから解放されることができるんです。どんな人間関係であっても、一度得られた安心感や充足感が永続するということは絶対にありません。どんな感覚や刺激も、脳の神経に一定の影響を与えたら、やがて必ず薄れて消えていくからです。でも、消えていくからこそ、また次の感覚や刺激を受け取ることができる。もしも安心感が薄れなかったら、脳がそれ以外考えられなくなり、他に何もできない病気のような状態になってしまいますからね。――どんな感情も長続きしないのは、脳に必要な機能なんですね。永続するものなんてどこにもないのですが、だからこそ人はいろんなことに意識を向けて、絶えず変わっていくことができる。それを“諸行無常”と言うんですよ。(後編に続く)Text/福田フクスケ■プロフィール小池龍之介(こいけ・りゅうのすけ)1978年生まれ、山口県出身。東京大学教養学部卒。2003年、ウェブサイト「家出空間」を立ち上げる。同年、寺院とカフェの機能を兼ね備えた「iede cafe」を展開(〜2007年まで)。現在は、鎌倉にある月読寺の住職として、宗派仏教を超えた立場で自身の修行と一般向けの座禅・瞑想指導を続けている。『考えない練習』(小学館文庫)、『超訳 ブッダの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『しない生活 煩悩を静める108のお稽古』(幻冬舎新書)など著書多数。
2016年11月29日第2回:「飽き」からの脱却先日、髪を切ったときのはなし。ここ数年はボブで過ごしているので、また昔みたいに伸ばしてみようと思っていた。「肩あたりで我慢できなくなるんですけどね」と美容師に軽口をたたいたその数分後、「すみません、やっぱりそこ切っちゃっていいです」と言ってしまったのだ。結局ボブ。我慢する気がない。やっぱりこれが好き。某サランラップのCMさながらに店を後にした。その日、私は無性にパスタが食べたくて、どこでもいいから食べられるお店を探していたのに、気づいたらうどん屋に入っていた。うどんが好きで、年がら年中食べているにも関わらずに、だ。さらに食後は大満足しちゃって、もうパスタのことなどどうでもよくなっていた。この”うどんマインド“から脱却するために、私は衝動的にぶどうを買った。「美味しい。なんでもっと早く食べなかったんだろう」普段、家であまりフルーツを食べない私にとって、朝から一粒一粒ぶどうを食べるこの幸福感は、些細なようで大きい発見だった。しかし、後日スーパーに行ったら、旬は終わって値上がりしており、脳内の旬も終了した。「飽き」は安心感の裏返しでもあるので、脱却するにはそれなりの意志が必要だ。気持ちがあるうちにやっておかないと機会を逃すし、自分にとって何が一番しっくりくるかを再認識することもできる。ひとえに「一つのものが好き」と言っても、変化を望まずあーだこーだと文句を垂れている人より、好きなものの範疇外を知っている人のほうが、言動に説得力がある。飽きから脱却するための意志や芯の強さを感じるからだろうか。この連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。Design&Text/つめをぬるひと
2016年11月28日「いつも純喫茶では何を注文しますか?」「必ず食べるメニューを教えて下さい」という質問をたまにいただきます。だいたいの場合、店の看板メニューともいえる珈琲は注文しますが、食べ物のメニューに関してはその日の気分によってまちまちです。ケチャップたっぷりの熱々ナポリタンやマスターこだわりのスパイシーなカレー、ふんわり卵で巻かれたオムライス、冷たいアイスクリームと美しい色合いのソーダ水を交互に楽しむクリームソーダ、レトロな飾り付けにうっとりときめくプリンアラモードなどなど。純喫茶へ行く度にどちらを食べようか迷ってしまうので、胃袋がいくつあっても足りない…と思ってしまうほど。そんな豊富な純喫茶メニューに迷ってしまった時、よく注文していたのは「ホットケーキ」です。誰もが幼い頃に一度は食べたことのあるような、懐かしく親しみのある味。そして、運ばれてきた時の見た目になんともいえない幸せな気持ちになるところも、私が心惹かれるだけでなく、多くの人から人気がある秘密ではないでしょうか。綺麗なまんまるも、少しいびつな形も愛おしい…。今回は、誰かと一緒に分け合って食べたくなる、ホットケーキのある店を紹介します。錦糸町の南口から歩くこと数分。夜になるとネオンが輝き出す街並みの一角にあり、長い間近隣の人たちを癒してきたであろう純喫茶「ニット」です。今ではすっかり名物になった、驚くほど分厚くて美しいホットケーキを求めて、遠方からもたくさんの人がやって来るそうです。注文してから運ばれてくるまで約20分。もし誰かと一緒ならば、銀色のトレイで提供される太麺を使用した、ナポリタンも一緒にいかがでしょうか。他に、少し変わったメニューとして、かに雑炊やおにぎりセットなどもあります。表面カリッと中はふわふわ、美しいホットケーキ白いシャツと黒いパンツの制服に身を包み、素敵な声でもてなして下さる感じの良いボーイさん。彼が運んでくれるホットケーキは本当に美しくて、何度見ても思わず感嘆の声をあげてしまうほど。セルクル(形)に入れられてじっくり焼かれたホットケーキは、表面はカリッとしていて、その厚さにも関わらず中はふんわり。最初はバターだけで味わい、その後にシロップ(こちらでは透明のもの)を好きなだけ染み込ませて。焼き立てのホットケーキみたいに艶やかで、素敵な洋服をお召しのママさんは、品があっていつもにこやか。閉店間際にはレジにいらっしゃることも多いので、ホットケーキやナポリタンの美味しさの秘密について、伺ってみるのはいかがでしょうか?Text/難波里奈
2016年11月25日手に届きそうで届かない…眩しすぎる少年(c)Unsplash少女マンガは、めちゃくちゃおおざっぱに分類すると、「胸キュン恋愛系」と「そうじゃない系」に分かれます(ホントにおおざっぱだった!)。そうじゃない系には、ドロドロ、ノンフィクション、ミステリ、問題提起などがありますね。胸キュン恋愛系は、もう最初っから“くっつく”ことがわかってる男女がヤキモキしながら、女子が2ページに1回キュンキュンしたり、単行本1冊ほとんど泣いてたりする、そんな感じ。10ページ使って、ぽつりぽつりとポエムを詠んだりすることも。人気タレントを起用して映画になるのもこのタイプが多いです。少女漫画が好きな人でも、この「胸キュン恋愛系」と「そうじゃない系」とに分かれるように思います。しかも、胸キュン系が好きだった純粋な女子も、そのうち「あ、こりゃファンタジーなんだな」とか気付いたりして、そうじゃない系好きに移行したりします。ところがこの『溺れるナイフ』は「胸キュン恋愛系」でもありながら「そうじゃない系」の要素もたくさんあるんです。人間のどろっとした暗く汚い部分もありながら、でもドロドロ系というほど徹底してもいなくて、全体としてはポップです。適度に笑いもあって、暗くもキュンキュンにもなりすぎない。退廃的で、少女マンガにしては暴力シーンが多い。読んでいると、心がザクザクと切り刻まれるような思いがします。そしてラスト。たった一言のセリフで幕を閉じるのですが、それだけでいろんな想像をかき立てられます。たった一言で、人間の20年、30年が表現できるなんて。『溺れるナイフ』というタイトルもいいですよね。ナイフとは、夏芽のことなのか、コウちゃんのことなのか。確かに、ナイフは水につけたら溺れそうです。鋭利なナイフも、水の中なら怖くないかもしれない。コウちゃんに溺れて無力化してしまう夏芽のことなのか、世間という海に溺れているコウちゃんのことなのか。もしこのタイトルが「田舎で出会ったコウちゃんを好きになった」とか「大好きなコウちゃんはなかなか振り向かない」といったタイトルだったら、もっと中身はわかりやすかったはずです。タイトルからして「うぅむ」とうならせられます。『溺れるナイフ』はすごい作品なんです。ほんとうに。Text/和久井香菜子
2016年11月22日働くおひとりさまにとっての毎日はめまぐるしくて、ゆっくり季節を感じる時間さえ取れないですよね。「休日のたった1時間でいいからほっとしたい…」元外資系バリキャリから一転、丁寧な生活を目指して料理研究家になった太田みおさんが、四季の彩りを簡単に楽しむ「レシピ=歳時記」をお届けします。(c)太田みお↑今回使った調味料。国産の材料を使った天然醸造の醤油や、圧搾しぼりのごま油、自然の塩など、選べるならばこだわりたいところです。
2016年11月16日なんとなく爪を塗ったら「つめさん」になった転機と転機の間。誰かと出会い別れてから、また、出会うまでの間。その間に生じる一人の時間は「自分のためだけの時間」とは限らない。私は前職をやめた次の日に、それまで全く興味のなかった「爪に色を塗る」ということをはじめた。その後、今の会社で働きながら、あくまで趣味としてつけ爪を作るようになり、とりあえず分かりやすいから、というだけで「つめをぬるひと」という名前をつけた。その後、一人になるタイミングがあって、より一層自分の活動と向き合うことになった。ただただ、やりたいことに奔走した数年間。人に爪を塗る企画を開催したり、Dommune(ライブストリーミングサイト)の番組内容を爪に描く“Dommune爪”をはじめたり。その奔走がなければ、今現在の活動や、周囲にいる人には会えなかった。「初回だから自己紹介にしたほうがいいだろうか」と、さっそく駄文を書いてしまっているこのコラムだって、その奔走がなければなかったお話。転機と転機の間に生じる一人の時間は、自分のためだけのように見えて、実は意外なところで次の転機に作用し、誰かと共有する時間になることがある。少なくとも、なんとなくはじめた爪塗りで、「つめさん」と呼ばれるようになった人は実在する。この連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。Design&Text/つめをぬるひと
2016年11月14日好きなものがなくなってしまうことは、とても寂しいことです。もちろん純喫茶もその例外ではなく、「閉店」を知る瞬間は幾度となくやりきれない気持ちに。閉店の理由はいくつかあり、例えば、店主の高齢化、建物の老朽化、後継者の不在、お客さんの減少など…。どんなにその純喫茶を好きでいても、店主が下した「閉店」という決心はなかなか変えられるものではありません。それならば、せめて営業している時に少しでも多く足を運び、「珈琲、美味しかったです」「ここのサンドイッチが食べたくて一日を頑張れました」「今日もお元気そうで何よりです」など、マスターやママと言葉を交わしたい。そして、お店を続けて下さっていることへの感謝とその店が好きだという気持ちを素直に伝えられたならと思いました。そんな思いを込めて、今回はぜひ皆さんに訪れて頂きたい純喫茶を紹介します。日本を代表する金融商品取引所として、日本経済の成長に貢献してきた東京証券取引所。近くには、かつてスーツ姿のサラリーマンたちがひとときの憩いを求めてひっきりなしにやってくる純喫茶がありました。場所は兜町。東証の向かいで今も営業を続けている「may」という店です。時代の流れとともに技術が発達し、作業がコンピュータ化された結果、今ではmayの扉を開ける人もめっきり少なくなってしまったそうです。かつては、決して広くない店内に4人の女性アルバイトが忙しく働き、毎日やってくる常連客の顔と好きな席を把握しては、切り盛りしていたのだとか。前の賑わいはなくなりましたが、昭和の時代に、働くサラリーマンたちを見守り続けてきた老舗は今も訪れる人たちをほっとさせる空間です。歴史を感じるあたたかみのある店内と、カウンターの奥にいらっしゃる白い髭をたくわえた穏やかなマスターとやさしいママが出迎えてくれます。店の扉を開けて、すぐ注目してほしいのは、入口近くの左側の棚にある給水器。年月を重ね、鈍く光る銀色の大きな容器はどこか懐かしく、思わず見とれてしまいます。カウンター後ろの棚には、長い間大事にされてきた食器たちが美しく並べられています。こちらでぜひ注文して頂きたいのは「チャンポン」というメニュー。その昔、まだカフェオレというものが一般的でなかった頃からこの界隈で親しまれていた、珈琲を牛乳で割ったものです。細長いカップも珍しく、ぽってりとした手触りが癖になります。窓の向こう側に流れていたという川に思いを馳せながら、マスターとの会話を楽しみ、ゆっくりと過ごしてみるのはいかがでしょうか。営業は11/30(水)まで。訪れた方へ素敵な時間をお約束します。Text/難波里奈
2016年11月11日「隙がないからモテない」女性へby picjumbo.com世間でモテないと自認している女性で、「隙がないっていわれるんです」っていう人、いますよね。SOLOを読んでくれているような、一人で自立した生活を送っている女性にも、こういう人は多いかもしれません。かくいう私も、隙があるかないかでいえば、圧倒的に隙がないタイプ。小学生のときに親友から「性格がドライだ」と言われたのを皮切りに、笑顔が少ないとか、表情の変化が乏しいとか、冷静だとか、愛想がないだとか、今までも散々言われてまいりました。そんな私が「魅力的な隙の作り方」という大見得を切ったタイトルの文章を今回書こうとしているわけですが、これは私が思う「魅力的な隙の作り方」をみなさんにレクチャーしよう、という主旨のものではありません。一種の思考実験として、「隙がない」といわれてしまう女性が、隙がある女性になるためにはどうすればいいのかを、一緒に考えてみようという試みです。そしてこの思考実験は、「隙がない→作る」以外の様々なシーンでも、応用が可能だと私は考えています。「隙を作ったほうがいい」という助言はほとんど無効まず大前提として、自分が「隙がない」タイプか、「ある」タイプか、どちらなのかを自覚しておくことは大切です。自分だけでは気付きにくい点を指摘してくれる人、またその助言は受け入れるべきだし、この時点までは有効でしょう。だけどその先、「あなたには隙がない。だから隙を作りなさい」という助言は、隙がない私たちにとってほとんど無効なんじゃないかと思います。なぜか。野球の野村克也監督の言葉で、「『ボール球を打つな』という指導はダメ。かえって注意がボール球に行ってしまうから。そういうときは『ストライクを打て』と言わなければ」というものがあります。これは野球の世界ではけっこう有名な教訓みたいなのですが、人間の脳はネガティブな刺激に対してとても敏感です。「(打ち損じが多いとされる)ボール球を打つな」と指導されると、人間の注意はとにかくボール球を避けることに向いてしまい、打てるはずの球も打てなくなってしまう。体が動かなくなって、攻めではなく現状維持の守りの姿勢に入ってしまうのです。これと同じ原理で、「隙を作りなさい」と助言を受けた女性は、自分のネガティブな要素である「隙のなさ」に意識が向いてしまい、余計に肩の力が入ってしまう。これが私の仮説です。仮説というか、実体験ですけどね。「隙がない」人間というのは、いない!ではどうすればいいのか。「隙がない女性」が考えるべきは、「ボール球を打たない」ことではなく、「ストライクを打つ」ことです。つまり、ないものを創造しようとすると「ない」ことに意識が向いてしまうので、「もともとあるものを効果的に出す」という方向に考え方を切り替えればいいのです。私見ですが、本当にまったく一分の隙もない人間、というのはいません。みんなそれぞれ、隙、それも魅力的な隙がある。これが大前提です。あとはその隙がどこにあるのか、本人が自覚すればいい。たいていは、自分が好きなものの話をしているとき、楽しいと思う瞬間に立ち会っているとき、こういうときに人は隙だらけになります。あとは逆に、何かに対してものすごく妬みを持っていて、その嫉妬を素直に表明しているときとか。ようは、感情が強く出ているシーンですね。繰り返しますが、「ないものを創造しなければ」と考えると肩に力が入って悲しくなってしまうので、「もともとあるものを拡大する」と考えたほうが、自分もまわりも幸せなのではないかと思います。そしてこれは、「隙がない」といわれ悩んでいる女性以外にも、私が広く伝えていきたい考え方です。今の社会は、広告にしろ漫画にしろSNSにしろ、「ボール球を打つな」という助言が溢れかえっているように思います。だけど、一度問題が自覚できたらいつまでも「ボール球の見極め」をやっている必要はありません。ストライクを打ちに行かなければ。読書の秋……というにはもう随分寒くなってきてしまいましたが、私が秋の夜長に考えていたのは、そんなことです。みなさんはこの命題、どう考えますか?Text/ チェコ好き
2016年11月04日働くおひとりさまにとっての毎日はめまぐるしくて、ゆっくり季節を感じる時間さえ取れないですよね。「休日のたった1時間でいいからほっとしたい…」元外資系バリキャリから一転、丁寧な生活を目指して料理研究家になった太田みおさんが、四季の彩りを簡単に楽しむ「レシピ=歳時記」をお届けします。(c)太田みお3. 茹で上がったパスタを加え、パルメザンチーズとパセリのみじん切りも入れ、全体に絡め合わせて出来上がり。空気の気持ち良い秋の休日に、ぜひ作ってみてください♪ワインとともに幸せなお一人さまごはんを。
2016年11月02日皆さんは何かを集めることがお好きでしょうか?私は年を経るごとに物を集めることは少なくなりましたが、かれこれ10年ほど、訪れた純喫茶の思い出を『純喫茶コレクション』というブログにマイペースに綴っています。ブログを開設する際に「訪問した喫茶店の記録を自分のために、後から見返して色々なことを思い出せるように、まとめていこう。タイトルは、『喫茶店コレクション』でも良いけれど、特別な思いを込めて『純喫茶コレクション』にしよう」と考えたのでした。ブログ名にある『純喫茶』は、一般的に言われる「アルコールを出さず珈琲を出すことを生業としている喫茶店」という解釈に加えて、私の考えるゆるやかな定義の「昭和の時代から今に至るまで、長い間たくさんの人たちに愛されている喫茶店」という意味を含め、「私は『純』粋に『喫茶』店が大好きである」という強い気持ちを込めて名付けました。このブログでは、純喫茶の内装、そこで食べたもの、マスターとの会話など訪問した時の記録を主に残していますが、実は形として残るものも集めていて、今もとても大切にしています。それは「マッチ」です。難波里奈『純喫茶、あの味』難波さんの新刊『純喫茶、あの味』にご興味がある方はこちらから!
2016年10月28日