一般社団法人備前青年会議所が中心となる伊部本製作委員会(岡山県備前市)は、2022年7月1日から9月末までの期間、3,000部限定で「伊部本(いんべぼん)」を出版いたします。「伊部本」は、日本遺産「六古窯」の一つ「備前焼」の町である岡山県備前市伊部地区に特化したガイドブックです。備前焼の窯元・販売店など約50店舗の紹介の他、備前焼の知識を深めながら観光できる情報を多数掲載しています。表紙・裏表紙これまで「備前焼」という文化を元に「備前焼まつり」などのイベントを行い観光誘致を行ってきた伊部地区ですが、新型コロナウイルスの影響により備前焼発展の新たな道を模索しなければいけない状況にあります。岡山デスティネーションキャンペーンに係る受入対策事業(期間 2022年7月~9月)の一環で制作した本誌では、この機会を生かすべく、新たな観光の在り方に挑戦しています。■観光客が備前焼を買いやすい仕組みづくりこれまで伊部に訪れた観光客からは、「マップやチラシが乱立し分かりにくい」「町歩きの情報が入手しにくい」「何か買わないといけない雰囲気があり、器のお店に入りにくい」などという声が上がっていました。そこで、本誌では伊部駅周辺の情報を所属団体などに関係なく重点的に収録し、写真入りの情報で町歩き、備前焼巡りを楽しくできる様な情報を掲載しました。本がコミュニケーションツールとなることで、店舗へ入りやすくなる様にしています。また、コロナ禍に行われた多くの対策は備前焼のお店と飲食が同じ枠だったため、客足が飲食店へ流れてしまい、備前焼業界への効果が薄いのが現実でした。そこで本誌では、備前焼でのみ使える1,000円券や10%オフ券を付属しお買い物をサポートする仕組みにしています。■伊部地区に特化した初のガイドブック岡山県備前市伊部(いんべ)は、800年以上前から備前焼の技と伝統が受け継がれてきた土地です。人口 約6,000人(※1)の小さな町でありながら、「備前焼まつり」には2日間で約10万人もの観光客が訪れるなど、焼き物ファンには馴染みの場所でもあります。これまで備前市全域を紹介したガイドブックはありましたが、伊部に特化したガイドブックは初めての発行になります。(※1:備前市HPより・令和4年6月30日 時点)■備前焼を楽しむ情報&各種クーポンを掲載備前焼の窯元・販売店 約50店の店舗情報の他、備前焼作家の暮らし取材、備前焼ができるまで、史跡や美術館などを巡るウォークラリー(賞品あり)、地元高校生による魅力紹介など、備前焼の知識を深めながら観光するための情報を多数掲載しています。また、備前焼の購入に使える1,000円引券、10%Off券に加え、備前市立備前焼ミュージアム・特別史跡旧閑谷学校の入場割引券も付いてきます。■史跡を巡るウォークラリーで商品ゲット備前市立備前焼ミュージアムや国指定史跡 伊部南大窯跡など最大7ヶ所を巡るウォークラリー企画を掲載しています。ポイント取得には、岡山発のクーポンアプリ「ポークン」を使用。巡ったポイントの数に応じて賞品に応募でき、地元老舗旅館「常盤旅館」のペア宿泊券(一泊二食付き)、物産詰め合わせ、備前焼ミュージアムペア入館券などが抽選で当たります。■書籍概要タイトル: 伊部本(いんべぼん)価格 : 500円(税込)発行部数: 3,000部発売日 : 2022月7日1(金)~9月末ページ数: 50ページ仕様 : A5、カラー、無線綴じ冊子発行元 : 伊部本製作委員会(一般社団法人備前青年会議所 内)URL : ※販売期間・1,000円クーポンの使用期間は9月末までとなります。※一部掲載店舗や備前焼窯元 宝山 窯のウェブショップなどで購入いただけます。【掲載内容】1. About IMBE2. 備前焼めぐり・備前焼図鑑・訪問備前焼のお店・備前焼作家の暮らし3. 伊部を歩こう・備前焼の町ポイントラリー・天津神社で備前焼散歩・高校生カメラマンが見つけた!「#伊部いいとこ」・オススメお土産紹介・伊部のご飯屋さん4. 特別クーポン5. 伊部のイベント6. アクセス・マップ・近隣の施設紹介・伊部MAP・アクセス情報・アンケート■発行人一般社団法人備前青年会議所【Staff】企画 :森 敏彰、有本 和敏、有本 祐子編集 :森 敏彰、杉原 禎章(スギカフン)デザイン:杉原 禎章(スギカフン)イラスト:MAKOTO(表紙・目次・クーポンページ)、江角 明日香(伊部MAP)取材 :有本 和敏、有本 祐子、塚本 結菜、那須 巧、田中 雅裕、佐藤 隼、森 敏彰協力 :公益社団法人岡山県観光連盟、備前市、備前市教育委員会、株式会社有本建設【法人概要】法人名: 一般社団法人備前青年会議所所在地: 岡山県備前市東片上230 備前商工会館2F電話 : 0869-64-1545FAX : 0869-64-1005メール: bizenjc1545@gmail.com URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年07月20日日本のジュエリーブランド「ヤヌカ(januka)」は、東京・南青山に新直営店を移転オープン。「ヤヌカ」とは?ヤヌカは“お手本から少しずれた”をコンセプトにユニークなデザインのジュエリーを展開している日本ブランド。デザイナー中村穣が生み出すジュエリーは、天然石を大胆に“スライスカットした”したピアスや、“金を巻き付けた”ダイヤモンドネックレスなど、新発想のビジュアルが特徴的だ。そんなヤヌカが、東京・南青山に場所を移して新しい直営店をオープン。ブライダルラインを含む、ヤヌカのフルコレクションをゆっくり楽しめる空間となる。“スライスカットした”天然石ピアスに限定品目玉となるのは、オープンを記念して発売される限定品。ヤヌカのアイコンの一つ「スライス」シリーズから、甲府の伝統工芸士「詫間宝石彫刻」が切り出した天然石を使用したピアスが展開される。アメジスト、ラピスラズリ、アクアマリンなどさまざまなストーンが用意されるので、自分好みのデザインをセレクトして欲しい。カスタムサービスもまた、新直営店では、天然石を自由に選んでオーダーできるカスタムサービスも実施。リング、ネックレス、ピアスの中から好みのアイテムを決めて、デザインや太さなどを選択すると世界に1つだけのマイデザインが完成する。なお、空間デザインは関祐介が担当。美術館に展示されているような大きな展示台をイメージした開放感あふれる什器に、ヤヌカのこだわりのジュエリーがラインナップする。【詳細】ヤヌカ ショップ(januka shop)オープン日:2021年3月3日(水)住所:東京都港区南青山4-23-4TEL:03-6419-7704営業時間:13:00~19:00定休日::月・火※祝日営業、当面の間、アポイント制取扱アイテム数:約400~500アイテム<価格帯>ジュエリー:17,000~300,000円ブライダルリング:35,000円~■限定アイテム「スライス」イヤリングペア /K10/K18 ポスト・AMETHYST/LAPISLAZULI 95,000円+税・RUTILQUARTZ 100,000円+税・AQUAMARINE/MORGANITE 120,000円+税■ノベルティフィトアドバイザー HORTENCE伊部知代のフィトアロマミストと、ジュエリーボックスにもなるプロダクトレーベルAJOYの木箱のセットを50,000円+税以上購入者、先着70名にプレゼント。
2021年03月12日’78年4月に結婚してから、ほぼ40年。12月8日、野村克也氏(82)の愛妻・野村沙知代さんが逝去した。享年85。タレント活動も行い、 “サッチー”の愛称でも知られていた沙知代さん。毒舌家でもあり、夫の野村さんに対しても厳しい物言いをしていたが、常に深い愛情を注ぎ、守り続けた。 3年前の’14年秋には、野村さんは体調を崩している。仕事をマネージメントしている会社が入院を認めているにもかかわらず、沙知代さんは、本誌の取材にこう主張し続けた。 「病気なんて、とんでもない!(仕事をキャンセルしたのは)イヤだったから断っただけ!」 いま振り返ると、夫の体調不良を“絶対に”信じたくないという強い思いもあったのではないだろうか。 その後、沙知代さんの看病もあり、野村さんは回復した。だがそのいっぽう、どちらかといえばふっくらした顔立ちだった沙知代さんは、この1年ほどで急速に痩せていた。野村夫妻の知人も1カ月ほど前に、沙知代さんに会って驚いたという。 「都内のホテルのレストランでお茶を飲んでいました。服装の趣味も変わったのか、地味な感じになっていて、すごくやせていたので、最初は別人かと思いました。でも挨拶をしたら、やっぱりサッチーで……。レストランにいた人たちも、ほとんど気づいていなかったと思います」 ’09年に東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を退任してから8年、野村さんは80代になっても「もう一度監督を!」と考えていたという。9月にはインタビューでこう語っている。 《優勝して、ベンチで『監督!』と、声をかけたら死んでいた。それが理想だ》 野村さんの夢は、沙知代さんの夢でもあった。 「野球関係者やテレビ局関係者など顔見知りたちに、『(夫に)監督をさせてあげたいけど、何とかならない?』と奔走していました」(野村夫妻と親しい野球関係者) 「もう一度、夫をグラウンドで見たい」、そんな最後の夢を抱きながら、沙知代さんは旅立った。
2017年12月14日12月8日に虚血性心不全のためこの世を去った野村沙知代さん(享年85)。1日がたった今も、その突然の死を悼む声があふれている。 「サッチー」の愛称で親しまれ、辛口な発言で芸能界のご意見番となっていた沙知代さん。99年には浅香光代(89)との確執から批判合戦へと発展。「ミッチーサッチー騒動」と呼ばれ、連日ワイドショーを賑わせた。 96年には「笑っていいとも!」(フジテレビ系)にレギュラー出演するなど一世を風靡したが、近年ではあまりテレビで見かけることもなくなっていた。だがTwitterでは、彼女の辛口発言や騒動を懐かしむ声が多くあがっている。 ≪ミッチーサッチー騒動が懐かしい≫≪うわー!毒舌!!とは思っていたけどバラエティでは面白かったな~≫≪残念だな。ああいう人はなかなかいない≫ たしかに沙知代さんのような超辛口のご意見番は、最近ではテレビから姿を消しつつある。かつては浅香光代や細木数子(79)など“バランスブレーカー”のような存在がテレビにいて、予定調和ではないガチンコ対決を生み出していた。 「もちろん昔の辛口ご意見番がテレビに出なくなったのは年齢的な面もあるでしょうが、世の中の変化も大きいと思います。最近は何かあったらすぐクレームが殺到するので、テレビ局としても起用しづらくなりました。今は辛口タレントといっても、どこかでバランスを取っていますからね。今回の訃報を受け、局内でも昔の大らかさを懐かしむ声が聞こえてきています」(テレビ局関係者) 沙知代さんは09年の本誌で「人間は呼ばれているうちが華なのよ。声がかからなくなったらおしまいなの。そうならないよう、死ぬまで呼んでもらえるように私も頑張るから」と語っていた。 彼女は晩年、今のテレビ番組をどう見ていたのだろうかーー。
2017年12月10日ヤクルト、阪神、楽天などで監督を務めた野村克也氏(82)の妻・野村沙知代さんが12月8日、都内の病院で死去した。享年85。 「サッチー」の愛称で親しまれ、タレントとしても活躍した沙知代さん。辛口な発言で知られていた彼女だが、私生活では克也氏を内助の功で支え続ける良妻だった。94年には「ナイスカップル賞」に選ばれ、克也氏とともに“球界のおしどり夫婦”と呼ばれていた。 克也氏はかつて女性自身09年7月21日号で、沙知代さんについてこう語っている。 「うちの奥さんは、家では何もしないように見えるけど、料理が得意でね。最近は、僕に対する愛情が冷めたのか、得意中の得意のローストビーフを全然作ってくれなくなったなぁ」 そうボヤく克也氏に対し、沙知代さんは「食べさせてあげるね、こんど。でも、子供たちがいたころは作りがいがあったけど……」と返答。すると克也氏は「ローストビーフは手が込んでいるから愛情を感じるんだよなぁ」と振り返っていた。 そのほか卵を使ったコンチネンタル朝食なども、克也氏の好物だった。沙知代さんは冷蔵庫にあるもので手際よく作ってくれることが多かったという。 「きのう(12月7日夜)も、レストランでいっしょに食事をした。本当に元気だったんだよ……」 妻の急逝を受けて、克也氏はそう語っている。最後まで沙知代さんと食卓をともにした克也氏。彼が愛してやまなかったのは、沙知代さんといっしょに食べる料理だった――。
2017年12月09日12月8日にこの世を去った野村沙知代さん(享年85)。辛口コメントとともに「サッチー」の愛称で親しまれたが、元プロ野球監督の野村克也氏(82)とは球界きっての“おしどり夫婦”として知られていた。 そんな2人が、女性自身09年7月21日号の対談でなれそめについて語っていた。夫婦漫才のような掛け合いのなかで明かされたのは、ふたりの“意外な出会い”だった――。 ■ 夫人あなたと出会ったのは70年(昭和45年)だけど、当時私は野球をまったく知らなかったから、最初「この人、何者だろう……」と思ったの。「お仕事は何をなさっているの?」と聞いたら、「雨が降ったら商売になりませんわ」と言うから、「ああ、工事現場の監督なのか……」と。ジバンシィのシャツを着ているから最近はあの業界も景気がいいのね、と思ったわ。 監督出会ったときは精神的にまいっていた時期でね。別れた前の女房とは話し合いの最中で、離婚届に絶対サインしないと言われて……。 夫人奥さんとは別居していましたからね。 監督だから帰る家もなくて、知り合いの家で寝泊まりしていた。離婚調停のまっただなかで、精神的に非常に弱っていたときに会ったから「世の中には、えらい活発な女性がいるもんやな」と思ったね。それと、名刺を見てびっくりしたよ。肩書に「取締役社長」と書いてあって。「どういう会社です?」と聞いたら、ボウリング関係の会社だ、と。当時はボウリングが大ブーム。すごい女性だなと思ったけど、ワクワクもドキドキもしなかったな。 夫人あら、そうなの? 監督若いコだったらワクワク、ドキドキしただろうけどもうおばさんだったからね。 夫人失礼ねぇ。あのときは、まだ37~38(歳)よ。 監督それが不思議な縁で結ばれて……。幸か不幸か。 夫人よく言うわよ(笑) ■ 結局、最後まで克也氏と寄り添い続けた沙知代さん。出会いからずっと元気づけてくれた妻について、克也氏は「いい奥さんでした」と語っているという――。
2017年12月09日元プロ野球監督の野村克也氏(82)の妻・野村沙知代さんが12月8日、亡くなった。85歳だった。 歯に衣着せぬ物言いや浅香光代(89)との“ミッチーvsサッチー”騒動など、お騒がせタレントとしても親しまれていた沙知代さん。『悪妻こそ、良妻』『夫の転がし方』といった著書を出版するなど、恐妻キャラとしても知られていた。 いっぽう1994年には「ナイスカップル賞」に選ばれるなど、“球界のおしどり夫婦”と呼ばれた野村夫妻。2009年7月には、夫婦そろって本誌での対談取材に応じていた。そこでは恐妻ぶりとともに、沙知代さんの本音が――。 「ときどき僕の携帯電話を壊すのがたまにきず」 対談で沙知代さんの“恐妻ぶり”をこうボヤいた克也氏。これに対し沙知代さんは「私に内緒で買うから」と憤慨。克也氏が内緒で買った携帯電話をたまたま見つけたところ電話が鳴り、女の声がしたために電話を折って庭に捨てたという。 「いま持っている携帯電話は6台目。ものすごい力でバチン、グシャとやるからね。すごいやきもちというか……」 そんな克也氏のボヤきにも「やきもちじゃなくて、不愉快なのよ!」とサッチー節で一蹴していた。あきれた克也氏が「僕のどの辺にひかれているわけ?」と聞くと、沙知代さんは「何もひかれてないわよ」と跳ねのける。だがその後で「健康で、よく働いてくれるところね。一家の主は健康で、よく働いてくれる――これが奥さんにとっては最高のプレゼントだから」とも答える優しさもあった。 そして沙知代さんはこうも語っていた。 「男の人は休んじゃだめだから。死ぬまで体を動かして、働いていないと!人間は呼ばれているうちが華なのよ。声がかからなくなったらおしまいなの。そうならないよう、死ぬまで呼んでもらえるように私も頑張るから、あなたも頑張ってくださいね」 その言葉通り、克也氏は82歳となった今でも「S1」(TBS)などスポーツ番組の解説者として活躍している。最期まで「悪妻こそ、良妻」を貫いていたに違いない――。
2017年12月09日