『ロード・オブ・ザ・リング』、『ホビット』シリーズのピーター・ジャクソン監督と、スティーヴン・スピルバーグ監督が秘密のプロジェクトを進行中だという。ジャクソン監督とスピルバーグ監督は2011年に『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』を共同製作した仲であり、『タンタン』シリーズ2作目はジャクソン監督がメガホンを取ることが発表されていた。しかし1作目からすでに5年が経過しているが一向に続編製作の進み具合が聞こえてこない。「TimesOut」がスピルバーグ監督に話を聞いたところ、「ピーターはここ数年『ホビット』シリーズで忙しかったから『タンタン』からは遠ざかっていたね。それに、彼は私の製作会社でもう1本の映画を作っているんだ。誰も知らない秘密の映画だよ。それが終わったら『タンタン』に着手するだろう」と密かに1本の映画が製作進行中であることを明らかにした。また、『タンタン』2作目に関しては、まだ公開日は決定していないとのことだが、タイトルは「The Adventures of Tintin: Prisoners of the Sun」(原題)に決まっており、脚本は出来上がっているそうだ。スピルバーグ監督は、「ピーターは私の製作会社と『タンタン』シリーズを3作一緒に製作する契約を結んでいる。2作目は私がプロデューサーで彼が監督、3作目はまだ誰とは言えないけれど、新たに監督を選ぶつもりだ」と語っている。『タンタン』2作目よりも早く公開が見込まれる秘密の映画とは一体何なのか、情報解禁を乞うご期待!(Hiromi Kaku)
2016年07月04日マイケル・ジャクソンがプリンスに対して苦言を呈しているインタビューが発見されたという。極秘に録音されたというこのテープには、2009年に他界したマイケルが、今年4月に急死したプリンスに嫉妬心や嫌悪感を抱いていることをうかがわせる発言が含まれているようだ。ザ・デイリー・ミラー紙が入手したそのテープの記録によれば、マイケルがプリンスのことを「ひどくて意地悪」な男だとした後、「プリンスと比べられたくなんかないよ」「僕は小さい頃から自分の力を証明してきたんだ。不公平だよ。彼は僕のライバルだと思っているみたいだけどね。それが変わることを願っているよ。だってそうじゃなきゃ彼が傷つくことになるからね。彼は自殺とか図るようなタイプだろ」「彼はすごく失礼だったんだ。僕が出会った中でも最も失礼な人の類だったね。プリンスはとてもライバル心が強いんだ。彼は僕の家族にもすごく意地悪でひどい態度を取ってきているよ」と続けた。マイケルはそのインタビューの中で、プリンスがジェームス・ブラウンのコンサートでセットの街頭を本物だと思ってつかまってステージから転倒した一件についても触れており、「彼はばかみたいなことをしたよね。アホみたいだったよ。みんなは走り回りながら叫んでいて、僕は恥ずかしかったね。すべてビデオに収められていたんだから」と苦言を呈している。またマイケルは、プリンスだけでなく自らの家族に対してもキツい言葉の数々を発しており、兄ランディは「頭の堅い人間」、ジャッキーは「ネガティブ」、ジャーメインは「才能はあるけど自信が足りない」としたほか、妹ジャネットがおてんば娘だったことを明かしたり、姉ラトーヤは「変わり者」などとそのテープの中で口にしているようだ。(C)BANG Media International
2016年06月28日警察がマイケル・ジャクソンのことを「性欲に飢えたプレデター」と表現したことを受け、マイケルの娘パリス(18)が父を擁護した。2003年の警察による報告書の中でマイケルの自宅ネバーランドから「子供が虐待されている様子や、子供と大人が裸である姿、また、女性を縛り付けたサディスティックな写真」が見つかったと21日に報道されており、パリスはツイッターで父を擁護するコメントを出した。「残念ながら、ネガティブなことはいつもお金になるのでしょうね。父を中傷しようとしてキャリアを手に入れようとするこのくだらない寄生虫みたいな輩はみんな無視してね」「もっとも純粋な人々がいつも打ちのめされる。私の愛する父がいつまでも永遠に無罪であることはこれからも証明され続けるでしょう」パリスの反論に続き、マイケルの遺産管理団体もマイケルを擁護する声明を出している。その声明には「世界で最も素晴らしいアーティストであり、世界中の恵まれない子供たちを支援していた博愛主義者を我々が失ってから今週の土曜日でちょうど7年になります。遺産管理団体を含むマイケル・ジャクソンのファンは、タブロイドのくだらない人々によってまたもやマイケルが否定的に話されていることに注目するよりもマイケルが残してくれた素晴らしいギフトを思い出すほうを好みます」と記されている。そして、「サンタバーバラ郡が『インターネット、もしくは、不特定の情報筋から入手したと思われるコンテンツ』と呼んでいるものを含むこれらの情報は、間違っていますし、マイケルの命日にタイミングを合わせているのは明らかです」と主張。「恥を知ることなく、ネット上でうすっぺらな人目を惹くタイトルをつけてマイケルを不当に利用し続ける人々は、魔女狩りかのようにマイケルにかけられた14のわいせつ容疑が2005年に陪審で無罪となったことを無視しています。マイケルは自身を擁護することさえもできませんが、生前も他界した後もマイケルはこれらの汚名に対して無罪であり続けます。もうたくさんです」としている。マイケルは、性的虐待の7つの容疑と薬物を与えた2つの容疑で2005年に無罪判決を受けている。(C)BANG Media International
2016年06月24日「キング・オブ・ポップ」のマイケル・ジャクソンがこの世を去った2009年6月から7年。このたび、ワーナー・ブラザース・テレビジョンが、J.J.エイブラムスの制作会社「Bad Robot」が、21日(現地時間)に発売されたタヴィス・スマイリー著の「Before You Judge Me: The Triumph and Tragedy of Michael Jackson’s Last Days」を元に、マイケルの最後の日々をテレビドラマ化すると発表した。「E!News」によると、今作ではJ.J.とタヴィスが製作総指揮を務めるが、2人とワーナーがタッグを組んだのは今作が初めてではないという。タヴィスが書いたマーティン・ルーサー・キング牧師の伝記のドラマ化も昨年発表され、現在進行中である。前述のタヴィス著のマイケルに関する本は、彼が亡くなる数か月前に焦点を当て、常にプライバシーをさらされる危機にあったマイケルの苦悩や、抱えていたプレッシャー、生きているのが辛くなるほど追い詰められていた繊細な精神について描かれているそうだ。先日、マイケルの娘パリス・ジャクソンが、父の日にSNSに父マイケルについて何も投稿しなかったことでファンから非難を浴びた。マイケルの死から7年経ってもなお、熱狂的なファンが後を絶たない。このドラマの需要は多いだろう。(Hiromi Kaku)
2016年06月21日4月に57歳で他界したプリンスを題材とするミュージカルがブロードウェイにお目見えする可能性があるようだ。音楽界の大御所チャールズ・コッペルマンは、プリンスとは自身がEMI社長時代に契約し、1996年作3枚組みアルバム『エマンシペーション』をリリースした仲であり、プリンスの弁護人兼マネージャーであったL.ロンデル・マクミラン氏と共に、プリンスの遺産管理団体からプリンスのエンターテイメント関連の資産の管理人に指名されている人物だ。そんなコッペルマン氏が、プリンスを題材としたブロードウェイのミュージカルもしくは、プリンスの曲を取り入れたシルク・ドゥ・ソレイユのショーが作られる可能性もあるとした上で、「プリンスはビートルズやマイケル・ジャクソンと同等レベルのアイコンでしたし、彼が残したものはたたえられるべきです」とコメントした。コッペルマン氏はまた、プリンスがたくさんの未発表曲を残しており、それをファンの元へと届ける予定であるとニューヨーク・ポスト紙に語った。「我々はよい時間を過ごすことになるでしょう。まだまだこの遺産には可能性があります。ほんとにたくさんの音楽が存在していますからね」39枚のスタジオアルバムやその他の音楽プロジェクトも数多く手掛けたプリンスは2012年、そのほとんどが80年代に作られたとみられている自身の未発表曲が、いつか他の誰かの手によってリリースされる可能性があると話していたことがあった。「いつか、誰かがそれらをリリースするよ。自分がリリースするべきかわからないよ。ほんとにたくさんあるからね」プリンスの作品の数は、100年間毎年アルバムを出しても足りるくらいあると言われており、プリンスの元レコーディング・エンジニアであるスーザン・ロジャーズは「ほとんどの人が1年、もしくはそれ以上かかるだけのことを、1カ月以内でできるくらいでした」と最近話していた。(C)BANG Media International
2016年06月21日歌手プリンスさんの遺産を巡り、新たな2人の相続人候補が現れたようだ。相続人を名乗る1人目のノーマン・イエイツ・カーテンズさんは今年4月に亡くなったプリンスさんの養子であると話しており、それを証明した遺書があること記した書類を遺言検認裁判所に提出した。ノーマンさんはプリンスさんが自分のために700万ドル(約7億5,400万円)の遺産を残していると主張しているが、現在その遺書がどこにあるか職員たちに話すことはできないとしている。また、もう1人のレジーナ・ソレンソンさんは、プリンスさんの異母兄弟であると主張しているとTMZが報じている。プリンスさんは遺書を残していなかったことから妹タイカ・ネルソンが相続財産管理人になっており、プリンスさんの残した遺産は推定3億ドル(約320億円)といわれている。タイカは自身の半分血のつながった兄弟たちアルフレッドとオマーと今年4月、ミネソタ州でプリンスさんの遺産についての話し合いを行ったが、タイカが葬儀にアルフレッドを呼ばないという決断を下したことにアルフレッドが腹を立て、2時間の話し合いはけんかで終了してしまったようだ。タイカの兄弟たちは、タイカが遺産を多くを受け取る権利があると思っていると感じたといわれている。ミネソタ州の法律では、6人のプリンスさんの兄弟たちは平等に遺産を受け取る権利が与えられるという。プリンスさんの家族たちは、現在もペイズリー・パークにあるプリンスさんの自宅に保管されていた何百万ドルもの価値があると言われるプリンスさんの未公開の作品を含めた全ての遺産を巡り、争いを繰り広げているところだ。(C)BANG Media International
2016年06月08日歌手プリンスの死因は鎮痛剤「フェンタニル」の過剰摂取であることを、ミッドウェスト検視局が発表した。その結果を受け、その中毒性の高い強力なオピオイド剤の入手ルートを探る犯罪捜査が始動したようだ。警察関係者がTMZに伝えたところによると、捜査はその鎮痛剤を「不法に」所持していたことが捜査の焦点となり、州と連邦の警察どちらも捜査に携わっているという。同ウェブサイトは、薬を不法に処方もしくは調剤したことで患者が死亡した場合、第三級殺人罪で最高25年の懲役を科せられる可能性もあるとしている。以前には、プリンスはお尻の問題を抱えていたために鎮痛剤パーコセットの中毒に何年も悩まされていたといわれ、死の1週間前にはアセトアミノフェンとオキシコドンを含むその鎮痛剤を過剰摂取したために、その効果を解毒する「セーブショット」なるものを投与されていたと報じられていた。プリンスは4月21日、ミネアポリスにあるプレイズリー・パークの自宅で意識不明のところを発見されていた。お尻の問題を抱えていたために鎮痛剤パーコセットの中毒に何年も悩まされていたといわれ、死の1週間前にはアセトアミノフェンとオキシコドンを含むその鎮痛剤を過剰摂取したために、その効果を解毒する「セーブショット」なるものを投与されていたと報じられていた。また、長年杖をつくほどの状態だったというプリンスは、全股関節置換が必要であった状態だったにも関わらず、輸血がエホバの証人の教えに反するとして手術を受けるのを何度も拒んできたとみられている。(C)BANG Media International
2016年06月04日先月21日(現地時間)、57歳という若さで亡くなったアメリカのカリスマ・アーティスト、プリンス。この度、深夜の音楽番組「SONGS」では、SONGS「プリンス ~孤独な天才~」と題して、26日(木)今夜、プリンス特集を放送する事が明らかになった。プリンスことプリンス・ロジャーズ・ネルソンは、1978年、アルバム「フォー・ユー」でデビューし、1982年のアルバム「1999」で一躍有名に。そんな彼は、ファンク、ロック、R&Bなど、様々な音楽の要 素を取り入れた唯一無二のサウンド、圧倒的な ライブ・パフォーマンス、奇抜なファッション、そして本格的な映画製作にも進出するなど、時代の最先端を走り続けてきた。一方で、人種差別や音楽業界と闘い、孤高の存在であり続けたプリンス。そんな彼が死の直前まで追い求めて来た音楽とは何だったのか?突然の訃報を受け、マドンナをはじめ、バラク・オバマ米大統領ら世界中が哀悼の意を示す中、ウィル・スミスは、亡くなる前日に会話を交わした事を明らかにするなど、世界中にその衝撃を与えた。日本でも今回の訃報を受け、プリンス自らが監督を務めたライブフィルム『プリンス/サイン・オブ・ザ・タイムズ』を追悼上映するなど、様々な追悼番組が放送されてきた。そんな中、今回放送される番組では、かつてNHKで1度だけ放送したライブ映像(1988年、ドイツ・ドルトムント)や、日 本初公開のインタビュー、そしてスティービ ー・ワンダーの追悼インタビューなど、貴重なアーカイブスを基に、天才と呼ばれたプリンスの魅力に迫っていく。SONGS「プリンス ~孤独な天才~」は5月26日(木)22時50分~NHK・総合にて放送。(cinemacafe.net)
2016年05月26日マイケル・ジャクソンの娘パリス(18)が、マイケルのアルバム『デンジャラス』のカバーデザインのタトゥーを腕に入れたようだ。先月に誕生日を迎えた際にマイケルの手書きの文字「Queen of My Heart」を左手首に刻んだばかりのパリスだが、再び父をトリビュートするタトゥーを彫ったことをインスタグラムで報告した。その投稿には、新しいタトゥーの写真と共に、「『人生の意味は、人生のあらゆる表現の中に現れている。全ての創造物の中に存在する形や現象の中に、それは存在する』。あなたのルーツを忘れることはない。あなたのルーツをいつも誇りに思います」と1992年に発刊のマイケル著作『ダンシング・ザ・ドリーム』の中からの言葉を引用しながら、父への想いをつづったコメントが添えられている。『リメンバー・ザ・タイム』『ヒール・ザ・ワールド』などを収録する1991年リリースされたマイケル8枚目のアルバムのデザインをかたどったそのタトゥーには、マイケルの目、王冠、象、猿、孔雀が登場する。マイケルが亡くなった時まだ11歳だったパリスは2011年、父の誕生日8月29日にちなんだタトゥーを入れたいとツイートしていたこともあった。そんなパリスは、大好きなバンドであるモトリー・クルーのタトゥーを下唇の裏にも入れている。(C)BANG Media International
2016年05月25日歌手のマドンナが、今月22日にラスベガスで行われるビルボード・ミュージック・アワードで、先月57歳の若さでこの世を去ったプリンスさんへの追悼パフォーマンスとして、歌を捧げるそうだ。同式典ではマドンナのほかにもジャスティン・ビーバーやフィフィス・ハーモニー、デミ・ロヴァート、ショーン・メンデス、ニック・ジョナス、ブリトニー・スピアーズらがステージに立つことが決定している。さらに同イベントでアイコン賞を受賞することが決定しているセリーヌ・ディオンも歌を披露する予定だ。今回プリンスさんのための追悼パフォーマンスを行うことになったマドンナは、プリンスさんと共にツアーを行うことを熱望していたようで、マドンナのマネージャーを務めるガイ・オセアリーは以前、自身のインスタグラムでそのことについて触れていた。「僕がプリンスに出会ったのは12歳の時でした。その時僕は彼にサインをお願いしたんです。それから何年も経ってからプリンスに再会して、僕らは友達になりました。数年前には彼に電話してマドンナとプリンスの合同ツアーのアイデアを提案しました。それをマドンナに話した時にはすぐに『それはいいわね。王家ツアーって呼ぶのはどうかしら。ザ・クイーン(マドンナ)とプリンスのコンサートだからよ』って言ってくれました。彼女のその考え方がとても好きでしたね。プリンスにこのアイデアを話したときには『世界はまだそれを受け入れる準備ができていないよ。規模が大きすぎるからね』と言っていました。僕はいつも、いつかこれを実行する日が来たらと考えていましたね」プリンスさんの訃報を耳にしたマドンナは当時、自身のソーシャルメディアに「彼は世界を変えたの。本当に先見の明のある人だったわ。なんて人を亡くしたのかしら。私は悲しみに打ちひしがれているわ。これは愛の歌ではないもの」とつづっていた。(C)BANG Media International
2016年05月13日米歌手プリンスさんが死の前日に医師の診察を受け、さまざまな薬を処方されていたようだ。今月5日の捜査で4月7日と20日にプリンスを診察したことが明らかになった家庭医のマイケル・トッド・シューレンバーグ医師は現在警察の捜査対象となっており、ロサンゼルス・タイムズ紙が入手した警察からの報告書によると、シューレンバーグ氏はその2日間に謎の症状に対する薬をプリンスに処方していたようだ。とはいえ、プレイズリー・パークの自宅で4月21日に急逝したプリンスがその処方された薬を飲んでいたかについては明らかになっていない状況だ。警察当局はプリンスの自宅の再調査を実施し、またシューレンバーグ氏が勤務していた病院の記録を入手したという。ノース・メモリアル病院の広報担当者は、プリンスが自宅のエレベーター内で死亡しているところを発見された当日、シューレンバーグ氏が同系列のミネトンカ・クリニックに勤務していたが、現在は在籍していないとしている。警察は検視によりアセトアミノフェンとオキシコドンを含有するパーコセットがプリンスの体内にあると結果が出たことを受け、どれだけ鎮痛薬がプリンスの死に影響を与えたかを現在調査しているところだ。また、死亡した日の翌日には、プリンスは鎮痛薬への依存症において医者に相談に行く予定だったともみられている。プリンスの代理人たちは、死の前日4月20日にオピオイド系鎮痛薬依存症の専門医ハワード・コーンフェルド氏に緊急事態のためプリンスの自宅を訪問するよう連絡を取っていたようだ。自殺の可能性がなくなった時点でプリンスの死後検査が行われたが、その結果はまだ数週間かかるとみられている。(C)BANG Media International
2016年05月12日初めてプリンスの音楽に出会った時のことを、今でも覚えています。ラジオ「アメリカン・トップ40」で、DJのケイシー・ケーサムが、ワーナー・ブラザーズ・レコードに所属するこの若きシンガー・ソングライターを紹介したんです。彼はプリンスについて、18種類以上もの楽器を演奏し、自分で作詞とプロデュースをすると話していました。そしてその週にチャートに初登場したシングル曲「I wanna Be Your Lover」を聴いた瞬間、恋に落ちたんです。その時からプリンスは、私のとても大切な“人生のサウンドトラック”になりました。ウォークマンでアルバム「1999」を聴きながら、バレーボールやバスケットボールの試合にバスで向かったことを思い出します。映画『パープル・レイン』を見た後、高校の女子友と一緒にピアスを開けました。だって…私も彼みたいに大胆になりたかったの。そしてその後、私は音楽業界やラジオの世界で働くようになり、常に素晴らしくて斬新な音楽を生み出すプリンスを目撃してきました。“なぜエンタメ業界で働くことを決めたの?”と聞かれると、私はいつも即答するんです。“12歳の時にプリンスに出会って、人生が変わったの。運命的な出会いだった”ってね。あんな才能高きミュージシャンと仕事をする機会を得られた私は、本当に恵まれてると思います。私のキャリアにおいて、とても大きな出来事です。プリンスは音楽業界に大きな足跡を残しただけでなく、映画のサウンドトラックもいくつか手がけました。もちろん『パープル・レイン』の音楽もそうです。この映画は、映画史に残るような最高傑作ではないかもしれませんが、今でも根強い人気のある作品であることは事実です。それに、彼はこの映画でアカデミー音楽(編曲・歌曲)賞を受賞しました。こんな私にとって、プリンスが自宅で亡くなったというニュースは、とてもとても悲しくて、本当にショックでした。私の人生の一部だった人がいなくなってしまうなんて!夢にも思いませんでした。不思議なことに、彼が旅立った翌日、彼のホームタウンのミネアポリスに行くことになっていたんです。信じられないタイミングでしょう!でもその時の私は、まだショックから立ち直れず、彼の死を信じられなかったので、ペイズリー・パーク・スタジオの自宅に行って、最後のお別れをするなんてできないと思いました。でもできたんです!彼の訃報から2日後の、土曜日の午後にペイズリー・パーク・スタジオを訪れると、そこは一面が紫の海のようでした。たくさんのファンが、プリンスの大好きな色の紫の洋服を着て、集まっていたんです。アメリカ中から集まっただけでなく、東海岸に観光で来ていたヨーロッパの人もいました。彼らはニューヨークに到着して、プリンスの訃報を聞き、すぐに予定を変更して、ミネアポリス行きのチケットを買い、伝説のミュージシャンの歩んできた軌跡を祝うために、ミネアポリスに来たそうです。プリンスの音楽を大音量で流す人や、彼の絵を描いてきて、ペイズリー・パークのフェンスに飾る人もたくさんいました。私が到着した時は、ちょうど親しい人たちだけで葬儀を行っている最中でした。プリンスの妹は2度出てきて、フェンスの近くにいるファンに向かって手を振ってくれたし、義弟も車でフェンスの近くまでやって来て、ドアを開けて、プリンスの音楽を大音量で流してくれました。それから私がファンの絵を写真に撮っていると、門が開き、関係者が葬儀のお花を持って出てきたんです。そしてそこにいるファンに渡し始めたの。ラッキーなことに、私ももらいました!たくさんの人が彼の話をするその場所は、アーティストとしても、人としても、多くの人を魅了していた彼への愛にあふれた素敵な空間でした。現代を代表する天才ミュージシャンの一人が、もうこの地球にいなくて、新しい音楽を聴かせてくれないんだと私が理解するには、まだ長い時間が必要のようです。でも天国で穏やかな時間を過ごしていることを願っています。きっとプリンス、マイケル・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストンで、盛大なパーティをやっているんでしょうね!安らかに眠ってね、私の大好きな紫の王子様。寂しくなるわ。(text:Lisle Wilkerson)
2016年05月11日米歌手プリンスさんの遺産を求めて、半分血のつながった兄弟と名乗る人物が700人ほど殺到しているという。先月に他界したプリンスさんが遺書を残していなかったことを受け、兄弟間で分配されるという2億万ドル(約215億円)の遺産を求めて名乗りを上げてきた人物の事実確認を急いでいるところだそうで、モース・ジニアロジカル・サービスのハーベイ・モース氏はメールオンラインに「弊社の電話は鳴りっぱなしです。恐らく600から700件の連絡が入っています」「その中にはありとあらゆるものがあり、『同じ地域に住んでいたから血縁関係があるはずだ』というようなものから『親族の集まりの写真にプリンスが写っている』というものまで多種多様です」と語っている。しかし、事実関係の怪しい個人の主張よりも書類上の証拠が好ましいとモース氏は訴えており、「公的な書類が好ましいです。出生証明書や結婚、死亡、離婚証明書、国勢調査の記録など、今回の件に関係なく作成された書類です」と続けた。ミネソタ州の法律においては、両親か片親が同じである兄弟全員が平等にプリンスさんの遺産を受け取れることになっている。そんな中、プリンスさんの妹タイカ・ネルソンと腹違いの5人の兄弟シャロン、ノリー、ジョン・ネルソン、オマー・ベイカーとアルフレッド・ジャクソンは今後の遺産管理についての審問に出廷したところで、何百万ドルもの価値があると言われるプリンスさんの未公開の作品を含めたすべての遺産の一部相続を全員が希望していた。(C)BANG Media International
2016年05月10日6日(現地時間)、先月21日にミネソタ州の自宅で急逝したプリンスの追悼コンサートがロサンゼルスで行なわれ、スティーヴィー・ワンダーらが出演した。「Los Angeles TImes」紙によると、ロサンゼルス市庁舎で行なわれたコンサートにはフェイス・エヴァンスやハル・ベリーの元夫でR&Bシンガーのエリック・ベネイらが出演。約5,000人の観衆を前にプリンスの楽曲を演奏した。プリンスの元妻のマニュエラ・テストリーニと2011年に再婚したエリックは「I Wanna Be Your Lover」をカバー、「彼は本当に特別な人だった」と語った。コンサートは、スティーヴィー・ワンダーがリードヴォーカルを務め、ソウル・シンガーのアロー・ブラックがサポートする「パープル・レイン」で幕を閉じた。プリンスは先月21日(現地時間)、ミネソタ州ミネアポリスの自宅で意識不明状態で発見され、その後に死亡が確認された。死因はまだ不明だが、死の直前に鎮痛薬依存症の専門医と連絡を取っていたことが明らかになっている。(text:Yuki Tominaga)
2016年05月09日今月16日(現地時間)に50歳の誕生日を迎えるジャネット・ジャクソンが第1子を妊娠したようだ。ジャネットは先月、昨年から続けてきたワールド・ツアーの残りの日程延期を発表したが、その理由として、彼女の3番目の夫でカタール人のビジネスマン、ウィッサム・アル・マナ氏(41)と “家族を作ること”を挙げていた。ジャネットとアル・マナ氏は2012年に極秘結婚し、2013年になってから公表した。4月にSNSに投稿された動画メッセージでジャネット自身は妊娠を明言していなかったが、「夫と私は家族計画をしていて、ツアーを延期しなければなりません」「医師からの指示で休養しなければならないのです」と語っていた。「E!News」では関係者が、不妊治療に成功したジャネットは妊娠第二期に入っていると話している。(text:Yuki Tominaga)
2016年05月06日米歌手ジャネット・ジャクソンが第1子を妊娠中だと報じられている。今月16日に50歳を迎えるジャネットが夫ウィサム・アル・マナとの第1子を妊娠中であると『エンターテイメント・トゥナイト』が伝えた。ジャネットは約1カ月前に「家族を計画している」ことを理由にワールドツアーの延期を発表。当時ビデオメッセージの中でジャネットは、「今、ツアーは第2節に突入しているけど、急な変更があったの。そして、このことをみんなに最初に知ってもらうのが重要だと思ったのよ」「夫と私は子供のことを計画しているの。だから、ツアーを延期しなければならないの」「できるならことなら、今これをすることが私にとって重要だってことを理解してくれたらうれしいです。今、お医者さまの判断で休まなければならないの。でもみんなを忘れたわけじゃないのよ。できるようになったらすぐにツアーを継続するわ」とツアー延期の理由を説明していた。ジャネットは手術を受けることをアドバイスされたという理由で29日間のアメリカ公演を7月と8月に延期していた。その延期の告知の際、ジャネットは公式ウェブサイトで「ねぇみんな・・・幸せなホリデーをね!今日私の医師団から手術がすぐに必要だと言われたことをみんなにお伝えしなくちゃいけないわ」「それで春まで『アンブレイカブル・ツアー』を延期しなくてはならなくなったことをみんなにお伝えするのはとても心が痛いんだけどね」「このつらい時期に私と家族、そして私たちの会社の全ての人たちのために祈ってください...これ以上はコメントを出さないわ」と説明していた。(C)BANG Media International
2016年05月06日米人気歌手プリンスさんの死において、薬物過剰摂取の可能性を探る調査が進められているようだ。先週ミネアポリスのペイズリー・パークの自宅で急逝したプリンスさんの死を巡る調査において、薬物の関連性と、死の6日前にプライベートジェットで移動中にプリンスの体調が急変して緊急着陸した際に1人の医師がいたかどうかが焦点となっているようだと新たな情報が入ってきている。この緊急着陸の1件があった当時、プリンスさんはインフルエンザの治療を病院で受けたとプリンスの代理人たちは主張していたが、通常アヘン剤の解毒のため使われる「セーブショット」を投与されたともみられている。警察の1人はE!ニュースに「プリンスの死をめぐる状況について我々は引き続き調査を進めています。臨床工学技師が毒物検査の結果を出してくれる予定で、おそらくそれまでに数週間かかるでしょう」と説明する。また、プリンスさんは臀部に問題を抱えていたために取っていた鎮痛剤パーコセットに長年中毒になっていたともいわれており、さらには、半年前にエイズが発症していたことを医師から告げられていたものの宗教上の理由により治療を拒否していたとも報じられている。(C)BANG Media International
2016年04月30日57歳という若さで死去した歌手プリンスさんの長年のコラボ相手であり、元恋人でもあるシーラ・Eが、プリンスの残した作品を管理したいと考えているようだ。1983年に代表曲「パープル・レイン」のレコーディングにも参加しているシーラが、推定3億ドル(約320億円)といわれる遺産の管理をしたいとプリンスさんの妹タイカ・ネルソンに申し出たという。関係者の1人は「シーラはなんとしてもプリンスの遺産を守りたいようで、プリンスの友人達もそれをかなり推してくれているみたいですが、家族はそれを許可しないような感じです」と明かす。また、このシーラの申し出は自身の利益のために動いているだけではなく、自身をスターダムに駆け上がらせてくれ、またずっと友人関係を続けていたプリンスさんへの純粋な愛情からきているようで、その関係者は「シーラは無料で管理をするとまで申し出たんです」とRadarOnline.comに続けた。そんな中、プリンスさんは遺書を残していなかったことからタイカが相続財産管理人になっており、全作品や、ペイズリー・パークの自宅に残っているとみられているたくさんの未発表曲の管理にあたることになっている。金銭的な財産については、プリンスの兄弟や姉妹に分与されることになる。一部の曲の権利はワーナー・ブラザース・ミュージックが持っているものの、こんなにも素晴らしいソングライターの作品を長期的に保護していくためには、適切な管理が必須となってくるが、前述の関係者は「タイカはこういうものを管理するのに慣れていないので、完全に混乱しています」「とはいえ、他の義兄弟や義姉妹たちは、さらにこういうことにうといのです!」と理想とは程遠い現状を説明する。現在プリンスの音楽はiTunesやCDなどで購入することができる。(C)BANG Media International
2016年04月30日4月21日(現地時間)に急逝したアメリカのポップミュージシャン、プリンス。この度、プリンスを追悼する特別番組「PRINCE ~創造にみちた天才の軌跡~」が5月8日(日)にBSプレミアムで放送される。57歳という若さでこの世を去ったプリンスことプリンス・ロジャーズ・ネルソン。1982年に大ヒットアルバム「1999」で一躍有名となり、そのキャリアにおいてアルバム累計セールス1億万枚以上、そしてグラミー賞を何度も受賞するという輝かしい記録を残してきた。斬新なアイディアで時代の先端を走り続け、常に彼は人々を驚かせ続けた。訃報を受け、マドンナをはじめ、バラク・オバマ米大統領ら世界中が哀悼の意を表し、またウィル・スミスは、亡くなる前日に会話を交わしたことを明らかにし、悲痛の想いをFacebookの公式ページに書き込んだという。世界中にその衝撃与える中、今回の放送は、そんな彼の生涯をミュージックビデオやライブ映像など貴重なアーカイブスでふり返る特別番組。創造の神に愛された天才の作品、「パープル・レイン」「1999」「KISS」「サイン・オブ・ザ・タイムス」ほか、様々な人に愛された楽曲をあらためて紹介する。また、現在渋谷HUMAXシネマにて、プリンス自らが監督を務めたライブフィルム『プリンス/サイン・オブ・ザ・タイムズ』が追悼上映。さらに5月11日~22日(現地時間)に開催される「カンヌ国際映画祭」では、プリンスの追悼企画が行われる。「PRINCE ~創造にみちた天才の軌跡~」は5月8日(日)22時50分~BSプレミアムにて放送。(cinemacafe.net)
2016年04月29日57歳という若さで死去した歌手のプリンスさんは、死の半年前にエイズが発症していると知らされていたようだ。90年代にHIVに感染していたというが、宗教上の理由から治療を受けることを拒否し、昨年ついにエイズが発症していたとみられている。エホバの証人の信者だったプリンスさんの友人たちは、ナショナル・インクワイアラー誌に「プリンスさんは調子を崩していました。医師たちは、血球数が異常に低く、体温が平温の37度よりも危険なほどに下がっていると伝えていたみたいです。彼は完全に鉄欠乏症で、とても弱っていて、たびたび方向感覚を失っていました。たまに何か食べましたが、食べても全てをもどしてしまっていました」と語っている。そんな体調が思わしくない中でもプリンスさんは周囲に「神が僕を治癒することができ、そうしてくださる」と話していたという。医師からエイズの事実を知らされた際、その宗教の信者たちはプリンスさんが薬物治療を受けるのを勧めなかったのだという。ある関係者は「プリンスさんは永遠の命を持っていると彼らから言われていましたし、信仰によって治ると信じていました」「ですが、症状がまた戻ってきて、治療を施すにはもう遅い段階でした。夏を過ぎた頃までの命と言われていましたが、彼の免疫システムはとても弱っていました」と様子を説明する。プリンスさんはエイズからくる痛みと臀部の問題のために、オピオイド系の鎮痛剤を取っていたといわれている。また、死の6日前にアトランタ公演を終えプライベートジェットで自宅へと帰る途中、鎮痛剤のパーコセットを過剰摂取し、アヘン剤を解毒する「セーブショット」を投与されていた。友人たちによると、プリンスさんは自身の死を察しており、葬儀のことも計画し始めていたともいわれている。先週検死が行われ、死の原因となる外傷や暴力を振るわれた跡はみられなかったことが確認されている。(C)BANG Media International
2016年04月29日去る4月21日(現地時間)の早朝、世界を代表するミュージシャン、プリンスがミネソタの自宅“ペイズリー・パーク・スタジオ”で急死した。この訃報を受け、同い年のマドンナらミュージシャンのみならず、米国オバマ大統領まで、世界中が哀悼の意を表しているが、このほど、プリンス自身が監督を務めたライブフィルム『プリンス/サイン・オブ・ザ・タイムズ』を“劇場最高音響”にて追悼上映することが決まった。「モーターヘッド」レミー・キルミスター、デヴィッド・ボウイ、そしてプリンスと、昨年末から相次ぐビッグスターたちの急逝。日本でもミュージシャン、音楽ファンが一様に悲しみに沈んでいる中、今回、1987年発表の2枚組アルバム「サイン・オブ・ザ・タイムズ」(グラミー賞ノミネート)のリリースにあわせて行われたヨーロッパツアーを中心に収めた本作が、“劇場最高音響”で蘇る。プリンスの劇場映画としては、『プリンス/パープル・レイン』『プリンスアンダー・ザ・チェリー・ムーン』に続く3作目で、監督を務めたのはプリンス自身。1989年に日本初公開、2014年にはHDニューマスター版でリバイバル上映された。キャット、シーラ・Eほか、当時の恋人とうわさされていたシーナ・イーストンも登場する。プリンスの音楽を愛するファンたちで、もう一度、彼の音楽を堪能したい。『プリンス/ サイン・オブ・ザ・タイムズ』は4月30日(土)~5月7日(土)連日20時40分より渋谷HUMAXシネマにて公開。(text:cinemacafe.net)
2016年04月27日21日に57歳で死去した米人気歌手プリンスさんのペイズリー・パークの自宅兼スタジオが、ミュージアムとしてファンに公開されることになると、遺族が発表した。プリンスさんの義弟モーリス・フィリップスは、ザ・サン紙に「私たちはプリンスの思い出の場としてペイズリー・パークをミュージアムにするつもりです」「ファンのための場所になります。プリンスにとってファンの皆さんが全てでした。この場は彼の遺産である彼の音楽をとどめるところとなります」「プリンスは常にプライベートを大事にする人間でしたが、彼の音楽は記憶にとどめてほしいと願っていたことでしょう」と話した。この言葉を裏付けるように、コラボレーターであり元恋人でもあったシーラ・Eは、プリンスさんが生前、すでに自宅のミュージアム化を考えていたと『エンターテイメント・トゥナイト』に明かしていた。シーラは「ペイズリーをプリンスが望んでいたかたちにしてくれることを願っているわ。彼はミュージアムにすることに取り掛かっていたの」「彼はツアーからの記念品などの品々を集めて始めていたところだったの。私のドラムとか彼のバイクとかね」と語った。シーらはまた、「彼のアワードとかが飾られている廊下があるの。本人はそういうことにこだわらなかったんだけど、ファンは見たがるだろうと分かっていたから飾っていたのよ」「その廊下は彼の写真が並んでいて、みんなが目にしたことのあるものもあれば、そうでないものもあるわ」「彼が手を伸ばした姿の壁画があって、その手の片方はプリンスが影響を受けた人たちでもう一方は私たちみたいに一緒にプレーした人になっているの。すごく美しいのよ」と説明していた。(C)BANG Media International
2016年04月26日5月にフランスで行われるカンヌ国際映画祭で、21日に急逝した人気歌手プリンスさんの追悼企画が行われることになった。広報担当が「プリンスの追悼するつもりですが、現時点ではそれ以上の情報はありません」と認めた。そんな中、プリンスさんと近しい人々はそれぞれのかたちで追悼の意を示そうとしており、プリンスの元妻マニュエラ・テストリーニはプリンスさんのために学校を計画しているのだという。「私はプリンスをたたえる学校を創立しようって数日前にプリンスに連絡していたところだったの。今となっては彼の思い出とともに学校を作ることになってしまうから、胸が痛いわ」と明かした。マニュエラはまた、「プリンスと私は一緒に魔法のような経験をして、彼のことを本当に愛していた。私は彼を夫、友人、本物の博愛主義者として知っていたわ。慈善を通して私たちは一緒になり、10年以上前にプリンスが私に自分のチャリティ団体をスタートさせることを応援してくれたの」と語った。カンヌ国際映画祭は5月11日から22日に開催される。(C)BANG Media International
2016年04月26日俳優のウィル・スミスは、人気歌手プリンスさんの死の前夜に話をしていたばかりだったという。21日午前にプリンスさんがペイズリー・パーク自宅内のエレベーターで遺体で発見されたことを受け、前日に話をしたばかりだったというウィルがフェイスブックに「とにかく驚いているし、悲しみに打ちひしがれているよ」「昨晩に彼とは話をしたばかりだったんだ。今日ジェイダと僕は、美しい詩人であり、真のインスピレーションであり、この地球上に存在した最も素晴らしいアーティストの1人を失った喪に服しているよ」と心境を明かした。また、ウィルの妻ジェイダ・ピンケット=スミスも自身のフェイスブックで、追悼メッセージを投稿。「プリンスはこの業界に私を入れてくれた最初のアーティストの1人だった」「彼は天才的アーティストというだけでなく、親切で面白く、美しい意味で奇抜で、探求心が強く、創造力に富み、魅惑的で、スピリチュアルで反抗的、そしてとても知的な人だった。そして他人のルールではなく、自分なりのルールで自分の人生を生きるという力を私に早くから教えてくれた人だった」「今日私たちが失った存在を言葉で表すことなんて本当にできない」「私の友人パレスの言葉を借りれば『音楽はその心音を亡くしてしまった』。美しいあなた、安らかにお眠り下さい」とつづった。(C)BANG Media International
2016年04月25日スパイク・リー監督が21日、人気歌手プリンスさんの死を追悼したストリートパーティーをブルックリンで開催した。同日午前に遺体が発見されたプリンスさんの死を悼んで、リーは自宅前に集まった1,000人以上のファンたちと共にプリンスさんのヒット曲の数々に合わせて踊り明かした。スパイクはその場で「僕たちはみな彼の突然の死に驚いているけど、彼はスピリットという形でまだここにいるし、僕らはそんな彼が大好きなんだ」「だから僕らはただ歌って踊って叫びまくるのさ!」と話した。警察もこのパーティーに協力し、その一角を通行止めにしていたという。ファンたちはニューヨークのアポロ・シアターやロサンゼルスのレイマート・プラザ・パーク、『パープル・レイン』が撮影されたミネアポリスにあるナイトクラブ、ファースト・アベニューなど各地で同じような追悼パーティーを開催したようだ。ファースト・アベニューのフェイスブックでは「私たちの心は痛みに打ちひしがれています。プリンスはファースト・アベニューの守護聖人でした。彼はこのステージで成長し、その後は指導しました。それに彼は私たちの都市をひとつにしてくれたのです...安らかにお眠り下さい」と追悼メッセージが投稿されている。(C)BANG Media International
2016年04月25日57歳で急死した米人気歌手プリンスさんは、死の数日前に薬物過剰摂取に対する治療を受けていたようだ。21日にペイズリー・パークの自宅兼スタジオのエレベーター内で死亡しているところを発見される前の今月15日、プリンスさんはプライベートジェットでの飛行中にインフルエンザが悪化したことにより病院へと搬送されたと複数の関係者がTMZに伝えたと報じられていたが、その真相は全く違うものだったようだ。アトランタ公演からミネソタ州の自宅まで帰る途中、到着まであと48分という距離で、緊急着陸となり病院搬送されていたが、その際、医師団からアヘン剤の効果を抑える「セーブショット」が投与されたという。プリンスさんは医師たちより病院で24時間安静にするようにと言われていたが、個室の確保ができなかったために、その後また自宅へとプライベートジェットで向かったと前述の関係者たちはTMZに話していた。他の情報筋は、病院を去ったときのプリンスの体調は思わしくなかったと語っている。プリンスさんの正式な死因についてはまだ明らかになっていないが、ミネソタ警察当局は、調査を進めるにあたってその病院での記録を参考にしたいと考えているようだ。プリンスさんの代理人はこれらの主張に対してまだ正式コメントを出していない。(C)BANG Media International
2016年04月23日米人気歌手プリンスさんが57歳で急死したことを受け、バラク・オバマ大統領が「クリエイティブのアイコンを失った」と追悼した。オバマ大統領は声明の中で「本日、世界は1人のクリエイティブのアイコンを失いました。ミシェル(大統領夫人)と私は世界中の何百万人ものファンの皆さんとともにプリンスの急な死を悼んでいます」「(ポップ音楽のその音とメロディーで)こんなにも顕著な影響を与え、またその才能でたくさんの人々の心に触れたアーティストは数多くいません」と追悼の意を表した。さらに、オバマ大統領はプリンスさんの多才さをたたえ、「最も才能のある多作のミュージシャンとして、プリンスは全てをやりました。ファンク、R&B、ロックンロール。楽器演奏の達人、素晴らしいバンドリーダー、衝撃的なパフォーマーでした」「プリンスはかつて、強い精神はルールを打ち破ると言いました。プリンス以上に強く、大胆で、クリエイティブな精神を持つ人はいませんでした」とし、最後に「我々の想いと祈りは、プリンスのご遺族、バンド、彼を愛する全ての人々とともにあります」という言葉で締めくくった。(C)BANG Media International
2016年04月23日音楽界の偉大なスターがまた1人この世を去った。1月にはデヴィッド・ボウイが亡くなり今月21日(現地時間)には歌手のプリンスが57歳の若さで急逝、世界に衝撃を与えている。以前より体調を崩していたというプリンスだが、「亡くなる前日の夜に会話したばかりだったのに」とFacebookの公式ページに書き込んだウィル・スミスの悲痛は計り知れない。「呆然とし、悲しみにくれている」と言うウィルは、「妻ジェイダと共に、美しい詩人、本物のインスピレーションであり、そして地球上に美しい音をもたらした素晴らしいアーティストの1人を失ったことをみんなで悼みたいと思います」とコメント。妻ジェイダ・ピンケットも「私たちみんなが今日失ってしまったものを言葉で表現することは本当にできない…」と絶句している。死因は明らかになっておらず、金曜日(現地時間)に解剖が行われるという。プリンスが亡くなった際、身元の分からない男性から救急車要請の電話があったといい、そのときの会話の記録が現地の郡保安官事務所によって公開された。それによれば、男性から電話があった21日午前9時43分、すでにプリンスは意識もなく、亡くなっているようだったのが見て取れる。プリンスの周りには何人か人がいたらしく、混乱した状況だったようだ。ミネソタ州にある自身のスタジオのエレベーターで発見されたプリンス。「ETonline」によれば引き続き保安官事務所が詳しく捜査をする予定とのこと。(Hiromi Kaku)
2016年04月22日2016年に入り、デヴィッド・ボウイ、グレン・フライ、モーリス・ホワイトが亡くなった。また一人、巨星が消えた。プリンスの遺体が21日(木)朝、ミネソタ州にある自身のペイズリー・パーク事務所で発見された。プリンスのデビューは意外に古く1978年、20歳だった。一人で全パートを作り上げたと言われるサウンドは、ファンクでソウルそのものだった。1979年発表のセカンドアルバム「Prince」の中では「I Wanna Be Your Lover」という曲で、ヴォーカルトラックを加工し、彼の世界を進み始めた。転換はソロ名義からプリンス・アンド・ザ・レヴォリューションを名乗るころ。大ブレイクの「Purple rain」を発表する時期に向かう。元々マルチプレイヤーな彼だが、「Purple rain」のミュージックビデオでのギタープレイは最高のギタリストの一人であることを証明した。クラウドギターと呼ばれる、何となく弾きにくそうなオリジナルギターを抱えジミ・ヘンドリックスのオマージュを色濃く漂わせていた。イントロはLittle wingを彷彿とさせ、リッケンバッカーを持ったウェンディー・メルボインのカッティングフレーズが、この大作にふさわしかった。プリンスのギターソロでは、ファズたっぷりのフィードバックや分厚く、もったりとしたグリッサンドには痺れた。またプリンスの愛機はクラウドギターの他に、日本のH.S.アンダーソン製のMad Catというテレキャスターモデルがある。デビュー当時から使用しており、このMad Catをジョージ・ハリスンのトリビュートコンサートでも弾いている。While my guitar genrly weepsでトム・ペティやジョージの息子を従えて、フロント・ピックアップから生まれる情感のこもったギターソロを聞かせてくれた。最高のギタリストの57歳という早すぎる死に冥福を。
2016年04月22日米人気歌手のプリンスさんが21日、米ミネソタ州にある自身のペイズリー・パーク事務所で死去しているのが発見された。複数の関係者が米メディアに認めた。57歳だった。午前9時43分に救急隊が現場に駆け付けたものの、その遺体がプリンスさんであることはすぐに認識されなかったという。プリンスさんは今月15日、数週間に渡って患っていたインフルエンザの症状がプライベートジェットでの飛行中に悪化したことにより、病院へと搬送されていた。しかし翌日には、ファンに元気な姿を見せようとダンスイベントに出席するほどの回復ぶりを見せていた。そのステージで歌こそ歌わなかったが、観衆に「祈りを無駄にするまで数日間待ってくれよ」と呼びかけていた。また、プリンスさんは体調不良のため2公演をキャンセルしており、先週にはインスタグラムに真っ白な画像を投稿したことでファンからお見舞いのメッセージが殺到していた。プリンスことプリンス・ロジャース・ネルソンさんは、1982年に大ヒットアルバム『1999』で一躍有名となった後、そのキャリアにおいてアルバム累計セールス1億万枚以上、7度のグラミー賞受賞という輝かしい記録を残した。2004年にはロックの殿堂入りの資格を得たその初年に殿堂入りを果たしている。1993年にレコード会社との契約に反対するかたちで芸名をシンボルへと改名したことはあまりにも有名だ。その生涯において2度の結婚をしており、初婚の相手であったダンサーのマイテ・ガルシアとの間には1996年に息子のボーイ・グレゴリーが誕生したが、生後わずか1週間で他界した。その後、マイテとは4年間の結婚生活の末2000年に離婚し、翌年に結婚したマニュエラ・テストリーニとは5年間の結婚生活の末2006年に離婚している。昨年9月に『ヒット・アンド・ラン フェーズ・ワン』、同年12月に『ヒット・アンド・ラン フェーズ・ツー』をリリースしたばかりで、今年に入ってからは『ザ・ビューティフル・ワンズ』という名の回顧録を執筆していることを明かしていたところだった。(C)BANG Media International
2016年04月22日