●有人火星探査の実現を目指して2015年3月28日から、国際宇宙ステーション(ISS)で、2人の宇宙飛行士による1年間の宇宙長期滞在が始まった。ISSの長期滞在は半年間が通例となっており、1年にもおよぶ滞在は史上初めてのことだ。このミッションに挑むのは、ロシア連邦宇宙庁(ロスコスモス)所属のミハイール・カルニエーンカ宇宙飛行士と、米航空宇宙局(NASA)所属のスコット・ケリー宇宙飛行士の2人。彼らは第43~46次長期滞在員として2016年3月までISSに滞在し、長期にわたる宇宙空間での生活が、人体にどのような影響を与えるかを調べることになっている。将来、人類が火星や小惑星、さらに先の星々に向けて旅立つとき、年単位の宇宙滞在は避けては通れない道だ。今回のミッションはそんな未来に実現に向けた、大きな一歩となる。○1年間の宇宙滞在カルニエーンカ宇宙飛行士とケリー宇宙飛行士の2人は、ロスコスモス所属のギナジィ・パーダルカ宇宙飛行士と共にサユースTMA-16M宇宙船に乗りこみ、カザフスタン時間2015年3月28日1時42分(日本時間2015年3月28日4時42分)に、カザフスタン共和国にあるバイカヌール宇宙基地の1/5発射台、通称「ガガーリン発射台」から旅立った。彼らを乗せたサユースFGロケットは順調に飛行し、打ち上げから約9分後に地球を回る軌道に入った。そして打ち上げから約6時間後の日本時間10時33分に、国際宇宙ステーション(ISS)のポーイスク・モジュールに到着した。すでにISSには、2014年11月24日から、テリー・バーツ宇宙飛行士(NASA、コマンダー)、アントーン・シュカープリラフ宇宙飛行士(ロスコスモス、フライト・エンジニア)、そしてサマンサ・クリストフォレッティ宇宙飛行士(欧州宇宙機関(ESA)、フライト・エンジニア)の3人が搭乗しており、ここに今回打ち上げられた3人が合流し、ISSは6人体制での運用となる。ISSの長期滞在期間は、おおよそ4か月から6か月間が通例となっている。これまでで最長の滞在記録は、2006年9月18日から2007年4月21日まで滞在したミハイル・チューリン宇宙飛行士とマイケル・ロペス-アレグリア宇宙飛行士による215日間で、今回のカルニエーンカ、ケリー宇宙飛行士のように、1年間も滞在するのはISSにとって史上初のことだ。これまで、連続で宇宙に滞在し続けた世界最長の記録は、1994年1月9日から1995年3月22日の437日間、ロシアの宇宙ステーション「ミール」に滞在したヴァレーリィ・パリャコーフ宇宙飛行士が持っている。2位は1998年8月13日から1999年8月28日の379日間にわたってミールに滞在したシルゲーイ・アヴデーイフ宇宙飛行士、3位は1987年12月21日から1988年12月21日のちょうど1年間滞在したヴラジーミル・チトーフ宇宙飛行士とムサー・マナーラフ宇宙飛行士だ。カルニエーンカ、ケリー宇宙飛行士が、今回のミッションで厳密に何日間滞在するのかはまだ決まっていないが、ちょうど1年間ならチトーフ、マナーラフ宇宙飛行士の記録に並ぶことになり、もし1日でも伸びるようなら、記録が塗り替えられることになる。○有人火星探査に向けて今回のミッションは、長期間の宇宙滞在が人間の体にどのような影響を与えるのかを調べることが目的とされる。将来、人類が火星や小惑星、さらに先の星々に向けて旅立つとき、年単位の宇宙滞在は避けては通れない道だ。どういうミッション内容かにもよるが、例えば有人火星探査であれば、500日間は宇宙船に乗って宇宙を航行する必要があると想定されている。これまでの研究で、人間が長期間宇宙に滞在すると、視力が落ちたり、筋肉が萎縮したり、また骨量が減少したりすることがわかっている。また、それには個人差があることもわかっている。しかし、そうした衰えがどの程度まで進行するのか、またそれは防いだり、進行を遅らせたりすることができるのか、といったことについては結論が出ていない。つまり人間の体が、火星や、さらにその先の星への飛行に耐えられるかどうかは、まだわかっていないのだ。今回のミッションでは、宇宙滞在中の2人の睡眠パターンの調査や、頭蓋骨の内部の圧力の変化の調査、代謝の変化を通じたストレスや免疫機能の調査、運動活動を通じた身体機能の調査、体にいる微生物の調査などが実施され、地球への帰還後もさらに調査が続けられるという。なお、ISSには常に緊急帰還用にサユース宇宙船が係留してあるため、万が一体に何かが起きたとしても、すぐに地球に帰ることは可能だ。また、ケリー宇宙飛行士にはマーク・ケリー氏という一卵性双生児の兄弟がおり、2人のDNAを比べることで、宇宙と地球上での変化の違いなども調べられるという。余談だが、マーク・ケリー氏は元宇宙飛行士で、スペースシャトルで4回飛行した経験を持っている。●宇宙滞在の合計日数の世界記録も更新○パーダルカ宇宙飛行士は世界記録を更新今回のミッションではもうひとつ、パーダルカ宇宙飛行士による宇宙滞在の合計日数の世界記録も作られる予定だ。現時点での合計日数の世界記録保持者はシルゲーイ・クリカリョーフ宇宙飛行士で、6回の宇宙飛行で計803日滞在している。2位はアリキサーンドル・カレーリ宇宙飛行士の759日、3位はシルゲーイ・アヴデーイフ宇宙飛行士の747日だ。パーダルカ宇宙飛行士はこれまで4回の宇宙ミッションを行い、宇宙滞在日数を合計すると710日で第4位の記録だが、今回のミッションで約半年間宇宙に滞在するため、これらの記録をごぼう抜きにし、1位になることになる。また、クリカリョーフ宇宙飛行士とアヴデーイフ宇宙飛行士はすでに宇宙飛行士を引退しており、カレーリ宇宙飛行士は引退こそしていないがもう高齢なため、おそらく当分の間、パーダルカ宇宙飛行士の記録が抜かれることはないだろう。○宇宙旅行者枠の復活今回の1年間の宇宙滞在によって、副次的に宇宙旅行者の飛行機会が訪れることになった。宇宙旅行者とは文字通り、国の代表である宇宙飛行士としてではなく、宇宙飛行に掛かるお金を自分で負担し、旅行者として宇宙に行く人のことだ。ロシアは、サユース宇宙船の座席を販売することで外貨を稼ぐという試みを行っており、また米国のスペース・アドヴェンチャーズ社という会社が仲介人となって、これまでに実業家のデニス・チトー氏や、ゲーム・クリエイターのリチャード・ギャリオット氏、「シルク・ドゥ・ソレイユ」の創設者ギー・ラリベルテ氏など、これまでに7人が宇宙旅行者としてISSに行っている。だが、ISSの6人体制が始まったことや、またスペースシャトルが引退したことで、販売できる座席の余裕がなくなり、2009年を最後に中断されていた。ISSは現在6人体制で運用されているが、6人の宇宙飛行士を一度に打ち上げるのではなく、3人の宇宙飛行士を6か月ごとに、3か月ずらして打ち上げることで維持されている。ある3人の宇宙飛行士が打ち上げられれば、そのときすでにISSには3人の宇宙飛行士が滞在しており、合流後6人で運用される。その3か月後に先に滞在していた3人が地球に帰還すると、直後に新しい3人の宇宙飛行士が打ち上げられ、ISSはまた6人体制になる、の繰り返しだ。だが、今回はその3人のうち、2人が1年もの間滞在し続けるため、2席分の空きが生じることになり、パーダルカ宇宙飛行士は1人で帰還しなければならなくなってしまう。そこで今回は変則的に、まずサユースTMA-16Mの帰還の前にサユースTMA-18Mを打ち上げ、一時的にISSを9人体制にし、その直後にサユースTMA-18MでISSにやってきたうちの2人と一緒に、パーダルカ宇宙飛行士がサユースTMA-16Mで帰還するという運用が行われることになっている。この場合、サユースTMA-18MでISSにやってくるうちの2人の宇宙滞在が約2週間ほどしかないが、ここに今回が初の宇宙飛行となる新人のアンドレアス・モゲンセン宇宙飛行士と、宇宙旅行者として参加する、世界的歌手のサラ・ブライトマン氏が充てられていることになった。新人と旅行者にとって2週間はちょうど良い、というわけだ。現在サラ・ブライトマン氏は、ロシアのモスクワの郊外にある、通称「星の街」と呼ばれる宇宙飛行士の訓練センターで、宇宙飛行に向けた訓練などを行っている。宇宙旅行者は、ただ単にサユースに乗るというわけにはいかず、厳しい身体検査や、宇宙飛行の理論からサユース宇宙船の仕組みや構造の学習、地上の設備や航空機を使った訓練などを受けなければならないためだ。○付記: 今後のISSへの宇宙飛行士の飛行予定以下に、今後カルニエーンカ、ケリー宇宙飛行士が帰還するまでの、ISSへの宇宙飛行士の飛行予定を一覧にまとめた。名前の横は(所属機関、サユース宇宙船での役目)を示す。なお、日付は現時点での予定であり、今後延期される可能性がある。・サユースTMA-16M打ち上げ(2015年3月27日)ギナジィ・パーダルカ(ロスコスモス、コマンダー)ミハイール・カルニエーンカ(ロスコスモス、フライト・エンジニア)スコット・ケリー(NASA、フライト・エンジニア))・サユースTMA-15M帰還(2015年5月11日)アントーン・シュカープリラフ(ロスコスモス、コマンダー)サマンサ・クリストフォレッティ(ESA、フライト・エンジニア)テリー・バーツ(NASA、フライト・エンジニア)・サユースTMA-17M打ち上げ(2015年5月26日)アレーク・カノネーンカ(ロスコスモス、コマンダー)油井亀美也(JAXA、フライト・エンジニア)チェル・リングリン(NASA、フライト・エンジニア)・サユースTMA-18M打ち上げ(2015年9月1日)シルゲーイ・ヴォールカフ(ロスコスモス、コマンダー)アンドレアス・モゲンセン(ESA、フライト・エンジニア)サラ・ブライトマン(宇宙旅行者)・サユースTMA-16M帰還(2015年9月11日)ギナジィ・パーダルカ(ロスコスモス、コマンダー)アンドレアス・モゲンセン(ESA、フライト・エンジニア)サラ・ブライトマン(宇宙旅行者)・サユースTMA-17M帰還(2015年11月5日)アレーク・カノネーンカ(ロスコスモス、コマンダー)油井亀美也(JAXA、フライト・エンジニア)チェル・リングリン(NASA、フライト・エンジニア)・サユースTMA-19M帰還(2015年11月20日)ユーリィ・マレーンチェンカ(ロスコスモス、コマンダー)ティモシー・ピーク(ESA、フライト・エンジニア)ティモシー・コプラ(NASA、フライト・エンジニア)・サユースTMA-18M帰還(2016年3月)シルゲーイ・ヴォールカフ(ロスコスモス、コマンダー)ミハイール・カルニエーンカ(ロスコスモス、フライト・エンジニア)スコット・ケリー(NASA、フライト・エンジニア)
2015年04月13日○ソ連製ロケットエンジンNK-33この原稿を執筆している11月18日現在、まだ失敗の原因は断定されていない。しかし、アンタレスの第1段に使われているAJ26というロケットエンジンが原因ではないか、と疑われている。AJ26は、ソヴィエト連邦で開発、製造されたNK-33というエンジンを輸入し、アンタレス用に改修したものだ。アンタレスの第1段には、AJ26が2基装備されている。NK-33が製造されたのは今から約40年ほども前のことだ。設計が、ではない。今回のアンタレスに使われていたNK-33が、40年前に製造されたものなのだ。1960年代、ソ連は米国のアポロ計画に対抗し、人間を月に送り込むためにN1(エヌ・アジーン)と呼ばれる超巨大ロケットを開発したが、NK-33はその過程で生み出された。N1開発の先頭にいたのは、ソ連宇宙開発の父とも呼ばれる人物のセルゲーイ・コロリョーフであった。N1開発がフルシチョーフ首相から許可されたのは1964年のことだったが、コロリョーフは1958年ごろから、すでに構想を暖めていたとされる。N1は全長105m、最大直径17.0mと巨大で、打ち上げ時の質量は274tもあり、打ち上げには強力なロケットエンジンが必要であった。そこでコロリョーフは、ニコラーイ・クズネツォーフという技術者にN1用エンジンの開発を打診する。しかし、クズネツォーフと彼の設計局は航空機用エンジンの開発を専門としており、ロケットエンジンを手がけるのは初めてのことだった。なぜコロリョーフは、ロケットに関しては門外漢だったクズネツォーフを頼らねばならなかったのだろうか。それは当時のソ連の宇宙開発の内情に原因がある。当時、コロリョーフの他に3人のキーパーソンがいた。天才的なロケット技術者のヴラジーミル・チェロメーイ、宇宙ロケットよりミサイルに強い関心を持つミハイール・ヤーンゲリ、そしてロケットエンジンの専門家ヴァレンティーン・グルシュコーだ。彼らの間では多かれ少なかれ派閥争いが起こっており、特にコロリョーフとグルシュコーとの間には個人的な遺恨もあったことから、エンジンに関して協力を得ることができなかったのだ。クズネツォーフらによるエンジンの開発は1959年ごろから始まり、約10年の苦難の末、NK-15というエンジンを完成させる。N1は第1段に実に30基ものNK-15を使い、第2段にも大気の薄い環境に合わせて改造したNK-15Vを8基使う。ちなみに、アポロ計画で使われたサターンVロケットは、N1と大きさや質量もよく似ているが、第1段にはエンジンを5基しか装備していない。この差は純粋のエンジンの能力の差であり、NK-15エンジンの推力が1.5MNであるのに対して、サターンVに使われたF-1エンジンの推力は6.8MNと、4倍以上もの違いがある。NK-15は航空機エンジン屋が試行錯誤の末に完成させたエンジンであったが、F-1エンジンは予算も人材も、そして時間も十分に与えられた状態で造られたエンジンであった。N1計画が進む中で、クズネツォーフはNK-33とNK-43という、NK-15の改良型エンジンを開発した。NK-33とNK-43は、N1Fという改良型のN1で使用することを計画していたが、N1が4回打ち上げのすべてに失敗したことから、N1Fは結局造られることなく、計画はすべて中止されることになる。N1の部品は解体されるか、公園の屋根などに転用されるなどしたが、一方ですでに製造されていたNK-33とNK-43は、価値があると判断されたためか、倉庫に保管されることになった。その後、たびたび新しいロケットに使おうとする動きはあったようだが、実現することなく、約30年もの間眠り続けた。冷戦の終結やソ連崩壊、ロシア連邦の誕生を経て、1990年代中ごろに米国の技術者がこの倉庫にやってきた。NK-33とNK-43の総生産数は200基ほどとされるが、この時点で倉庫に眠っていた数は、正確には不明だ。ただ100基以上は残っていたとされる。米国ではそのうちの1基を米国に持ち帰り、試験を行った。その結果、極めて高い性能を持つエンジンであることが明らかになる。前述のようにエンジンの推力自体はF-1エンジンには遠く及ばないものの、ロケットエンジンにとっての燃費のような数値である比推力と、エンジンの推力と質量との比率が高く、その数値は世界最高で、米国でさえこれに匹敵するエンジンは開発できていない。クズネツォーフは、大推力の大型エンジンを造ることはできなかったが、小型ながら高い効率を持つエンジンを造ることには成功したのだ。そして1990年代中ごろ、米国のロケットエンジン・メーカーであるエアロジェット社は、ロシアから34基のNK-33を購入した。当時、ロシアは資金難に喘いでおり、少しでも外貨が欲しかったのだ。購入価格は1基あたり110万ドルと伝えられており、これはロケットエンジンとしては、何よりこれほどの性能を持つエンジンとしては、破格の値段だった。余談だが、当時は日本にもロシアから購入の打診が来ており、中止されたGXロケットの第1段に使うという構想もあったという。事故後の報道では、AJ26はNK-33を「改良」したエンジンだとするものもあったが、実際のところNK-33には、アンタレスに装着するために電気系統などに手を入れ、またエンジンを振って推力の方向を変えるためのジンバル機構を装着するなどの改修が行われただけで、「改良」という言葉から連想されるような、例えば米国の技術でエンジンの性能を向上させる、といったようなことは行われていない。つまりNK-33をそのまま使っているといってよい。40年来のエンジンをそのまま使うということに対しては、その間に部品が腐食するなど、劣化しているのではないかという懸念がなされてきた。40年の間の保管状態がどの程度のものであったかは明らかにはなっていないが、おそらく万全ではなかったはずである。また、今回の事故との関連は不明だが、2011年6月9日にはAJ26の燃焼試験中に、燃料漏れによる火災事故が起きている。さらに今年5月22日には試験中に爆発し、エンジンが全損する事故も起きている。後者の事故に関する詳細は発表されていないが、やはりエンジンに問題があったとされる。今回の失敗では、おそらくはエンジンのターボポンプが原因ではないかとする説が濃厚となっている。ターボポンプはその名のとおりポンプ、つまりロケットの推進剤をロケットエンジンの燃焼室に送り込む役割を持つ。燃焼室は高い圧力になるため、そこに推進剤を送り込むためには、燃焼室よりもさらに高い圧力で押し込んでやらなければならない。そのためにポンプを駆動させるタービンは猛烈な勢いで回転する。少しでも欠陥があれば、そこから爆発的に破壊が始まる。ただ、仮に部品の腐食や劣化が原因であったとしても、アンタレスに搭載される前に試験や検査を受けており、なぜそこで見抜けなかったのか、という問題もある。(次回は11月22日に掲載します)参考・・・・・
2014年11月21日