「検察は、再審公判で巖の有罪を求める立証を行うと言っておりますが、“お好きにどうぞ”という気持ちです。57年も闘ってきたんですから、いまさら1年くらいどうってことない。巖は無実なんですから」10月27日の再審初公判を目前に、そう力強く答えるのは静岡県浜松市在住の袴田ひで子さんだ(90)。今から57年前、静岡県清水市の味噌製造会社の専務一家4人を殺害したとして、放火・強盗殺人などの罪に問われた“無実”の死刑囚、袴田巖さん(87)の姉である。2014年3月、静岡地方裁判所は、巖さんの裁判で〈重要な証拠が捜査機関によってねつ造された疑いがある〉として、裁判のやり直しである再審の開始を決定。〈これ以上、拘置を続けることは耐え難いほど正義に反する〉という村山浩昭裁判長の裁量により、再審での無罪判決を待たずに巖さんを釈放した。以来9年間、2人は浜松市のマンションで暮らしている。「巖が出かける前に、こうしてヒゲを剃ってやるのが私の日課」そう言って電気シェーバー片手に手際よく巖さんのヒゲを剃るひで子さん。さらにマッサージも。目を閉じる巖さんの表情は、実に気持ちよさそうだ。「巖はね、今でも時々トンチンカンなことを言います。出所して6年間は、『バイ菌がはびこらないようにパトロールする』と言って、休まず毎日、何時間も街を歩き回ってね。だけど、数年前に石段から落ちてケガをしてからは、支援者の方々が“見守り隊”を結成して、毎日交代でクルマを出してくれているの」巖さんには、長期収監による“拘禁反応”がある。ひで子さんや支援者の手厚いケアによって症状は和らいでいるものの、今もなお妄想と現実の世界を行き来しているのだ。そんな巖さんは、裁判の行方を、どう感じているのか。「巖には、裁判のことは一切、話しません。巖は“もう裁判は終わった”と思っていますから」ひで子さんは、そう言って巖さんを気づかう。ヒゲを剃り終えた巖さんは、次にティッシュペーパーを一枚一枚ていねいに広げ、それを再び重ねていく。これが、ドライブに行く前の準備なのだ。その様子を、急かすことなくそばで黙って見守るひで子さん。「巖は、48年間の収監で大変な苦労をしてきたわけだから、思うようにさせてやろうと思ってね。巖がローマに行きたいと言えば、『よし、ローマに行こうね』と言って、京都や東京まで足を延ばして、それらしいところに連れていくんです」2人は、半世紀かけて取り戻した穏やかな時間を愛おしんでいた。■「夢は巖と一緒に世界旅行に行くこと」記者が自宅を訪ねた日、ひで子さんは鮮やかなピンクのシャツをまとっていた。聞くと、巖さんからの誕生日プレゼントだという。「私の誕生日に巖が黙ってくれたの。物は言えんからね。それでも私は、すごくうれしかった。巖が出てくるまでは、誕生日も盆も正月もない。そういう生活でした。世間とは離れてひとりで生活していたから」出所してしばらくは、ひで子さんのことを「この人は姉じゃない」などと言っていた巖さんだが、最近はひで子さんの姿が見えないと心配して探すようになったという。2人が心から笑顔になれる日は、いつ訪れるのか。再審の結審は来年3月、判決は6月ごろの見込みだ。ひで子さんは、闘い続けた57年間を、改めてこう振り返る。「とにかく裁判に時間がかかりすぎた。検察から重要な証拠も開示されないし、再審が決定しても、なかなか開始されない。今の制度にはおかしな点がいくつもあります。巖のほかにも、えん罪犠牲者はたくさんいる。だから巖の事件をきっかけに、再審法や死刑制度を見直してほしい。そうすれば、48年間の巖の獄中生活もムダにならんでしょう」晴れて無罪になったら、ひで子さんにはかなえたい夢がある。「できることなら世界旅行をしたい。巖と一緒にね」巖さんは釈放されてからも、“死刑囚”であるために国外には出られなかったからだ。ひで子さん90歳、巖さん87歳。“無罪”を勝ち取るための半世紀に及ぶ闘いのゴールは、もう目の前に見えている。【中編】袴田巖さん姉・ひで子さん明かす苦難「『巖はもうダメかいね』そう繰り返しながら母は死んだ」へ続く
2023年10月27日映画上映会の最中に、『火事だ!』と叫ぶ声が聞こえて、ひょっと見たらウチの方角から火の手が出ていたの。“こりゃいかん、ウチに燃え移る”と思って、急いで巖の手を引いてウチに戻り、タンスの引出しを1つずつ引っ張り出して、私ひとりで近所の畑まで運び出しました」おかげで家財道具は焼失を免れた。「そのとき巖が運んだのは、飼っていた小鳥と、母親が煎ってくれた落花生が入った鍋だけ(笑)。巖は、そんなのんびりした優しい子だったのよ」終戦後、ひで子さんは15歳で地元の税務署に就職。女性はお茶くみ係で、結婚までの腰掛けという時代。「私は、そんな仕事じゃ満足できんし、一生、夫に扶養されるような人生はイヤでね。だから手に職をつけようと、仕事終わりにそろばんやタイプライターを習いに行ったの」しかし、スキルを磨いても、任される仕事は帳簿整理だけだった。「これではいかん」と思ったひで子さんは、13年間務めた税務署を退職。28歳で税理士事務所に転職し、本格的に経理を身につけていった。仕事をバリバリこなす一方で、恋多き女性でもあった。「職場に女性が少なかったからか、モテたわね(笑)。私は男とか女とか気にしない性格だから、紅一点の社員旅行でも平気で参加したし、休みの日には役所の独身寮に集まって、男性社員に交じってマージャンするのも楽しみだったの」21歳で結婚するも、1年で離婚したひで子さん。キャリアを重ねつつ青春も謳歌していた。■「巖はもうダメかいね」そう繰り返しながら母は亡くなった順風満帆に見えたひで子さんの人生が暗転したのは1966年6月30日。ひで子さん33歳のとき。巖さんが住み込みで働いていた味噌製造会社の専務宅が全焼。メッタ刺しにされた専務一家4人の遺体が見つかったのだ。警察は、元プロボクサーだった当時30歳の巖さんを犯人に仕立て上げた。巖さんの寮の部屋にあったパジャマに、血液かどうかも不明な小さな茶色のシミが付着していたのを理由に犯人と断定。放火・強盗殺人などの容疑で逮捕に踏み切った。そのうえ、苛烈を極める取調べで自白を強要。巖さんは20日間の取調べの末、たまりかねて自白したのだ。新聞やテレビは、巖さんを“ボクサー崩れ”と揶揄し、犯人と決めつける報道を繰り返した。「だから、巖が逮捕されてから3年は一切ニュースを見なんだ。私ら家族は巖の無実を信じていたけど、黙っているしかなかったんです」静岡地方裁判所で開かれた第一審公判で、巖さんは起訴事実を全面否認する。巖さんは、“裁判で本当のことを話せば、必ず無実だとわかってくれる”と信じていたという。ひで子さんは、頻繁に拘置所へ足を運んだ。「ほかのきょうだいには家庭があるけど、私は独身。だから、私が巖を支えにゃいかんと思ってね。私が面会に行くと、巖はいつも『母ちゃんは元気か?』と母を心配して。毎日のように母宛ての手紙を書いていました」第一審が進む中、事態が急変したのは事件から1年半後のこと。現在は捜査機関の“ねつ造”が強く疑われている“5点の衣類”が、味噌タンクの中から突如発見されたのだ。これを受けて検察は、第一審の途中で〈犯行着衣はパジャマではなく5点の衣類〉〈犯行後に(巖さんが)味噌タンクに隠した〉と、あっさり当初の主張を覆す。「逮捕時には〈パジャマで犯行に及んだ〉と言って自白を強要されたのに、こんなおかしなことがあるもんかと思ってね。巖も『5点の衣類は“ねつ造”だ。必ず真犯人が見つかる』と、当初から言っていたんです」ところが1968年9月11日、静岡地裁が巖さんに下した判決は“死刑”。巖さんは即控訴するも、翌年、母は失意の中で息を引き取った。68歳だった。「そんな若くして逝くような人じゃないのに、ストレスで体調を崩して。『巖はもうダメかいね、ダメかいね』とうわごとのように繰り返しながら死んでいきました」母の後を追うように翌年、父も他界。獄中で両親の死を知った巖さんは、“この事実が何かのまちがいであってほしい”と手紙にしたため、悲しみに打ちひしがれた。ひで子さんは、経理の仕事を続けながら巖さんを支えた。死刑が執行されたと聞けば、「巖じゃないか……」と気が気でなかった。仕事仲間はひで子さんによくしてくれたが、“殺人犯の姉”などという心ない声を耳にすることもあった。「あの時代は、誰もが“警察がすることは間違いない”“えん罪なんてない”と思っていたわけ。だから仕方ないと思って大きな顔をして生きていましたよ。今でこそ、“気丈に闘う女”のように思われている私だけど、“巖は無実なのに”と思ったら寝付けなくなった時期もありました」眠るためにウイスキーを何杯もあおる日々が3年半ほど続き、ひで子さんは体調を崩してしまう。その状況から抜け出すきっかけになったのが、各地で広がり始めた“支援の輪”だった。「“えん罪だ”と気づいた人たちが署名活動を始めてくれて。なのに、巖の姉である私が飲んだくれていたらどうしようもない。そう思って37歳ごろに一切のアルコールを断ったんです」必ず、巖を助ける。ひで子さんが、そう腹をくくった瞬間だった。【後編】「袴田事件」姉弟愛が拓いた再審の道!姉・ひで子さん「48年ぶりに確かめた弟の手の温もり」へ続く
2023年10月27日音楽家の古澤巖と俳優の山本耕史がタッグを組み、音楽と言葉でステージを彩るコンサート「Dandyism Banquet」が9月から全国で開催される。本公演は音楽と言葉を融合させて、これまでにないエンターテインメントを描く試みで、8月には本コンサートのメンバーで収録されたミニアルバム「Dandyism Banquet」も発売される。当日は古澤、山本のほか、塩谷哲、小沼ようすけ、大儀見元、井上陽介が出演。Bunkamuraオーチャードホール公演はすでにチケットが発売中で、愛知と大阪公演は今月11日(土)からチケットが発売になる。古澤巖×山本耕史コンサート「Dandyism Banquet」9月4日(日)東京Bunkamuraオーチャードホール9月11日(日)愛知愛知県芸術劇場コンサートホール9月17日(土)大阪NHK大阪ホール10月3日(月)静岡アクトシティ浜松 大ホール11月5日(土)東京かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール12月20日(火)静岡静岡県コンベンションアーツセンター グランシップ中ホール大地12月21日(水)横浜関内ホール2023年1月28日(土)宮崎野口遵記念館(延岡市)【出演】古澤巖(ヴァイオリン)、山本耕史(語り・歌)、塩谷哲(ピアノ・音楽監督)、小沼ようすけ(ギター)、大儀見元(パーカッション)、井上陽介(ベース)■チケット情報
2022年06月10日ニューヨーク在住のピアニスト海野雅威を支援する配信コンサートが11月15日(日)に開催される。海野は9月27日午後7時半頃、ニューヨーク市マンハッタン区内の地下鉄駅構内および地上で激しい暴行に遭い、救急車で病院に運ばれた。命に別状はなかったが、全身に大怪我を負う。今後もピアノを弾くために特に損傷が激しかった肩の手術を10月9日に受けたが、右手はまだ使用できない状態であり、事件による身体的・精神的なダメージにより活動再開の見通しは立っていない。この事件を受け、ニューヨークのジャズコミュニティーが立ち上がり、彼を支援する行動を展開。ドラマーで指揮者のジェローム・ジェニングスがいち早く立ち上げたドネーションサイトでは、世界中からたくさんの寄付が寄せられた。そして、日本では鈴木良雄、akiko、吉田豊、海野俊輔を中心に「海野雅威さんを励ます会」が立ち上がり、音楽を通して海野を励まし、継続的な支援の必要性を発信し続ける活動が始まった。その活動のひとつとして、45人の日本を代表するジャズミュージシャンが一堂に会し、7時間に渡り演奏を披露する「海野雅威さんを支援する配信コンサート」が開催される。チケットの売り上げは海野に全額寄付される。3カ月間アーカイブが残るため、ぜひたくさんの方に配信ライブを通して海野にエールを送ってほしい。【「海野雅威さんを支援する配信コンサート」概要】配信日時:11月15日(日)12:00~19:00アーカイブ期間:3カ月(ライブ配信後もご購入できます)視聴チケット価格:3000円(税込)+アーティストサポートお支払い方法:Amazon決済※視聴チケットの売り上げは全額寄付に回ります。※アーティストサポートとはチケットをご購入して頂いたお客様が、さらに海野氏を支援するために、任意でお金を払っていただくシステムです。※詳しくは 公式サイト() をご覧ください。<出演者>鈴木良雄(b)/中牟礼貞則(g)/山本剛(p)/増尾好秋(g)/植松孝夫(ts)/大坂昌彦(ds)/TOKU(vo、flh)/諸田富男(ds)/井上智(g)/小沼ようすけ(g)/大山日出男(as)/小杉敏(b)/大塚雄一(acc)/多田誠司(as)/川嶋哲郎(ts)/松島啓之(tp)/Gene Jackson(ds)/井上功一(ds)/倉田大輔(ds)/上村信(b)/中村健吾(b)/安ヵ川大樹(b)/増原巖(b)/吉木稔(b)/工藤精(b)/岡崎好朗(tp)/岡崎正典(ts)/石崎忍(as)/Raymond McMorrin(ts)/原川誠司(as)/宮崎勝央(as)/宮本裕史(tp)/紅野智彦(p)/林正樹(p)/吉田智(g)/野本晴美(p)/熊谷泰昌(p)/石田衛(p)/北島佳乃子(p)/Towada(ds)/紺野智之(ds)/大村亘(ds)/akiko(vo)/海野俊輔(ds)/吉田豊(b)※敬称略、順不同※出演者は都合により変更になる可能性があります。予めご了承ください。
2020年11月09日