音楽会社宣伝部のアシスタント、雑誌編集のアシスタントを経て、フリーのライターに。現在は映画をメインにテレビ誌、雑誌、ウェブメディアなどでレビューや俳優及び監督らのインタビュー記事などを執筆中。
どうしたら子どもをやる気にさせられるのか? ぬまっち先生の愛称で各メディアでも取り上げられ、話題を集める現役の小学校教師の沼田晶弘さんは、「子どもは楽しいことは自然とやりたくなる」といいます。これからのAI時代や教育現場の現状を踏まえて、親として何ができるのか、お話を聞きました。
どうしたら子どもの学力を伸ばせるのか? いかに勉強グセをつけさせるか? 日々頭を悩ませている親御さんは多いことでしょう。 そのヒントとなるのが、秋田県にある人口約2500人の山間の小さな村、東成瀬村。コンビニは1軒だけ、民間の塾やスーパー、書店もない。そんな山村が文部科学省の全国学力テストにおいて、 「学力日本一」 に! いったい、この村で、どのような学力向上の取り組みがなされているのか? 普通に考えても、単なる教育プログラムの充実だけではダメで、やはりそこには子どもが率先して学ぶ気になる“何か”がないと学力日本一は難しいと思うのです。 ■人口約2500人の山村が学力日本一になったワケ 「子どもが進んで学ぶ」。これを可能にしている学習法のいくつかが東成瀬村にはあります。そのひとつが、秋田県内の多くの小中学校で採用されている 「自学ノート」 です。 自学ノートとは、自分で勉強をする内容を決めて、家庭で学習するための自主学習ノートのこと。この「自学ノート」を、家庭で取り組むにはどうすればいいのか。書籍 『「学力日本一!」秋田県東成瀬村のすごい学習法』 からひも解いていきたいと思います。 「自学ノート」で行うのは、得意教科をより理解する勉強でも、苦手教科を克服する勉強でもどちらでもいいんです。子どもたちが自分で「これを今日はやる」と決めて、自宅で自主学習する時間を持つ。このノートを東成瀬村では徹底的に活用しているそうです。 とかく、子どもの学習というのは、親の口癖「勉強しなさい」を代表するように、大人からの押しつけがほとんどではないでしょうか? さらに「あれしなさい、これしなさい」とついついせかし、「なんでこれができないの」と責めてしまう。 対して、自学ノートは自主性を重んじます。 主導権は子ども 。他者からの押し付けではなく、自分で課題を決めて実行する。親や教師はあくまで、実行しようとする子どもを見守り、少しだけ後押しするに過ぎません。 <自学ノートのねらい> ●子どもたちが自分で計画して、実行 →家での学習を習慣化し、自ら学習の計画を立てる。 ●子どもたちが自ら課題を見つけ、解決 →学業のつまずきをいち早く発見し、解消する。 ●子どもたちが自ら進んで興味のあることにトライ →学ぶことの面白さを子どもたち自身が見い出す。 ただ、村ではさらに広い見地をもって取り組んでいるそう。「自学ノート」の最終目標。それは、 子どもに自立を促し、自分が何を目指しているのか人生を設計する 。こうした最終目的につながっているといえそうです。 ■学力アップする「自学ノート」のヒミツ では、自学ノートとはどういうものなのでしょうか? 写真をみればわかるように、パッと見ると、とくに変わった取り組みにはみえません。すぐにでも取り入れることができそう。これが基本です。 ただ、細かく目をとおすと、よくできた工夫がなされています。自学ノートには5つの約束があるのですが、これがじつに理にかなっているんです。 ① 日付(〇月〇日)を書く <立ち返るポイント> ・いつの勉強だったかをすぐ思いだせ、復習などに有効 ・毎回決まった位置に書いて、目的の日をすぐ検索 ② 取り組む内容(計算ドリルの〇ページなど)を書く <立ち返るポイント> ・ノートを開けばすぐにやった内容がわかる ・ドリルなどはページや番号を入れると、答え合わせがスムーズ ・将来的に自分で学習計画を立てる力の基礎となる ③ 取り組んだ時刻・時間(〇時〇分~〇時〇分まで)を書く <立ち返るポイント> ・量のノルマがない代わりに、勉強時間の目安を可視化 ・勉強時間は学年×10分+10分が基本。2年生なら2×10分+10で、40分が目安 ・勉強時刻から生活が乱れていないかチェック ・ちょうどいい勉強量を見つけ、正しい生活のリズムを作る ④ めあてで弱点を克服する <立ち返るポイント> ・ビジョンをもって学習に取り組む ・最初はクリアしやすいことをしながら、じょじょにレベルアップ ・最後は、苦手なことや弱点に積極的に取り組むよう意識改革! ⑤ 振り返りで次につなげる <立ち返るポイント> ・自分がどれぐらいのことができて、次はどう改善すれば目標を達成するのか考えさせる ・要点をまとめて書くトレーニング ・次に学ぶことへの興味や好奇心、もっと上を目指してやる気を起こさせる ■子どもの可能性を広げるための親の役割は… 自学ノートはうまく活用すれば、子どもに無理を強いることなく、学習に向かわせるとともに、子どもにいい意味で主体性をもたせることで学ぶ意欲に刺激を与え、子どもの可能性を広げます。 そこで大きな役割を果たすのが親です。みなさん、ここからが親の出番です(笑)。 このノートにおいての親の役割は、子どものやったことをよく見て 丁寧にアドバイスしてあげる こと。きちんとできていればほめる。抜けていることや間違っているところは、叱らない。まずは必ずいいところをみつけ、「ここはこうしてみたら」と責めるのではなくアドバイスに徹する。 たとえば字が汚かったら、まず「もう少しきれいに書いてみたらかっこいいよ」といったように子どもに提案してみる。ものは言いようです(笑)。 子どものがんばりを、親がきちんと認めてほめてあげる 。じつはこれ、普段の生活では厳しさの方が先に立ってしまい、「ほめる」ことができていないのではないでしょうか? 自学ノートの成功と失敗の分かれ目は、じつは親にかかっているのかもしれません。 たしかにわが身を振り返ってみても、あまりわが子も勉強したノートは見せたがらない。東成瀬村の自学ノートの取り組み方を知ると、それは小言を言われることが明白だからという気が…。裏を返せば、子どもを尊重してあげれば自学ノートは親と子を学習をテーマにしたコミュニケーションツールとなれる予感がします。 ■「学び」の本来の意味を親自身が考えるとき ただ、注意しておきたいことがあります。おわかりのように、自学ノートは人よりも先に進むことや量を競うものではありません。 子どもが目標をきちんと自分で決め、それをしっかりとやって理解する。この繰り返しがいつしか大きな力になる。ついつい学習に対して、 親は費用対効果や即効性を求めがち ですが、自学ノートは一夜にして学力を伸ばしたりするものではありません。 長い時間をかけて学ぶ力を養う 。目先ではなく、長い目で東成瀬村は子どもを見ています。 このスタンスは、とても大切ではないでしょうか? いろいろな知識を得て、物事の理解を深めるのは楽しいこと。そう、本来、 学びは楽しいこと であるはず。でも、人間としての成長よりも、テストでいい点数をとることを優先し、子どもに必要以上に無理を強いている気がしてしまう現代。 私たち親世代は、 本来の「学び」の意味 についてもっと考える必要がある気がします。親の意識が変われば、きっと子どもたちとの接し方も変わってくるはず。環境をきちんと整えてあげれば、子どもは学ぶことを嫌がらない。自学ノートをはじめとする東成瀬村の学習の取り組みはそのことを教えてくれます。 ■参考書籍 『「学力日本一!」秋田県東成瀬村のすごい学習法』 (主婦の友社/1404円(税込)) 2007年に再開された「全国学力テスト」で8年連続1位の秋田県。その秋田県の中でもトップクラスの学力を誇るのが人口2600人、村の93%が山林という、小さな村、東成瀬村。 村にはスーパーマーケットはなくコンビニはも1つだけ。塾もないこの村の子どもたちはなぜ優秀な学力を誇るのか? その驚きの学習方法に迫ります。
2019年07月21日「みなさんの時代の学校と今の学校は違う。自分たちの時代とはまったく違う国になっていると思ってください」と話すのは、 「ダンシング掃除」「勝手に観光大使」 などがメディアに取り上げられ、その斬新な授業法がアクティブラーニングの先駆けといわれ、AI時代に負けない教育法といわれている 沼田晶弘先生 。 「子どもにやる気があれば、勝手にがんばって子どもは伸びていきます。それが子どもの自信につながります」と沼田先生は話します。しかしそれを阻害する 「大人の都合で貼られてしまうレッテル」 についてお話を伺います。 【AI時代を生き抜く「自信が持てる子」の育て方】 第1回 子どものやる気を引き出す親、ブレーキをかける親 第2回 子どもの「考える力」を見逃さない方法 ■子どもの前にある「すべての石」を拾うことはできない 沼田先生のお話をうかがっているうちに、小学生の娘がいる筆者が思ったことがあります。それは、親として子どもに対して説明し尽くさなければいけないことを曖昧に終わらせて、本来ならば見守らないといけないことを 手とり、足とり教えてはいないか ということ。 沼田先生はこう言葉を寄せます。 「僕からすると、今のお母さんとお父さんはがんばりすぎています。自分の子どもが進もうとする道があるとします。そこにいっぱいの石ころが落ちている。子どもがつまずいたり、転んだりすることを心配し、先回りして親御さんは石ころを拾い始める。しかも、そのすべてを。何もないまっさらな道にしようとしているように見えるときがあります」 さらにこう続けます。「僕の意見ですけど、石ころを拾いきることは不可能です。それよりは転んだときの 受け身の仕方 や、 起き上がり方 を教えてあげたほうがいい。転んだら、こういうリスクがあることを伝えることの方が重要。そこにあるものをないものにしてしまっては、なんの対処もできない人間になってしまうのではないでしょうか」 沼田先生は、昔に比べて、親の目が子どもに行き届いていないという指摘に対しても、「むしろ届きすぎている。しかも、そこは届かなくてもいいのではというところに届いている気がします」と話します。 ■子どもを成長させるのは「失敗」から たしかに思い当たるところがあります。筆者も「上着を1枚余分に着なさい」とか、「マフラーをしていきなさい」と、子どもに任せていいことも、ついつい先んじて注意をしてしまう。 子どもの自主性 に任せていいところまで口を出してしまっているのかもしれません。 沼田先生はこう続けます。「目が届きすぎるということは、 子どもの学ぶ機会を奪っている ことになりかねないんです。学ぶ機会がなければ、そのことはいつまでたって上達しないし、子どもの成長を妨げることにもなってしまう」 たとえば、箸が苦手な子どもにスプーンでばかり食べさせていたら、箸がうまくなるはずがないし、野菜が嫌いな子だからと、ずっと食卓にあげないでいたら、あたり前ですけど食べられなくなると沼田先生はいいます。 「たとえば、子どもに洗い物を頼んで、水浸しにされて、怒ったなんて経験がある方もいるのではないでしょうか? でも、任せると自身が決めたなら、怒るのは子どもに理不尽。 もし、水浸しにされたくなかったら、子どもに事前にしっかりと洗い方を教える。それができないなら、頼まない。その上で、頼んだなら、黙って途中で口を出したりしない。失敗したら怒るのではなく、 何が原因だったか教えてあげればいい 。そうでないと、子どもの成長はないと思います。」 そんな沼田先生ですが、「日々失敗の連続」だといいます。ある日の給食がポトフだったとき、沼田先生は、忙しくて子どもに配膳を任せてしまったところ、ポトフの鍋がどうなってしまったか…!? ここで大人は「汁だけが大量に残った」と思いがち。しかし実際には、具だけが残ってしまったそうです。 「汁だけが大量に残っていたと考えるのは、大人の考え。逆なんです。なぜかというと、子どもたちにとって、ポトフはスープ。スープだと味噌汁ぐらいの具の量でいいと認識して、結果、具だけが残る。これは僕の失敗。 説明すべきことを怠ってしまった 。だから、子どもを責められないんです」 ■「トイレに行ってもいいですか?」と聞いてはいけないワケ 「目が届きすぎるということは、子どもの学ぶ機会を奪っていることになりかねない」という考えは、授業においても常に頭に入れていることだと沼田先生は言います。 「 先生が教えすぎる ことって必ずしも正解ではない。もしかしたら、子どもの学ぶ機会を奪っている可能性がある。教えすぎると、本当はもっと伸ばせた子どもの能力を伸ばせないで終わってしまう可能性がある。だから、僕は常にそうならないように注意を払っています。ついつい口を出したくなる気持ちはわかるのですが、時には黙って見守ることも大切かなと」 また沼田先生が重んじるのは 自主性 。沼田先生のクラスでは「やっていい」とか「やっていいですか?」という言葉が、学期が進むにつれどんどん減っていくそうです。なぜかというと、沼田先生から 「自分で考えろ」 と言われることが生徒たちはわかっているから。 「授業中に 『トイレに行ってもいいですか?』 と聞かれたら、 『尋ねるな 、ダメといったらもれちゃうだろう』と。 『トイレに行ってきます』 でいいと言います。 言い切れ と教えています。 まずは自分で判断させる。そこで間違ったことをしたら教えてあげればいい。先回りして、それはダメとしてしまうのも子どもの学ぶ機会を奪っていること。もっと子どもの自主性を大切にしていいと僕は思っています」 ■大人の一言が子どもを「いい子」にも「悪い子」にもする また、子どもの能力を伸ばすために、“うちの子はこんな子”と決めつけるのも注意したいところと沼田先生。ついつい、「うちの子は得意なことがなくて」なんて人前で言ってしまったりすることないでしょうか? 沼田先生は「この子はこんな子」と決めつけないでと訴えます。 「ボクは教師として、いろんな子どもたちと出会ってきました。明るい子、おとなしい子、勉強が得意な子・苦手な子、スポーツが得な子・苦手な子。「いい子」といわれる子もいれば、「悪い子」といわれる子もいます。でも、本来子どもに良いも悪いもない。 大人が大人の都合で、レッテルを貼っている にすぎません」 出典: 『家でできる「自信が持てる子」の育て方』 (沼田晶弘(著)/あさ出版) 「子どもたちはみんな、まだまだ伸びている最中です。いろんな一面があるのに、大人の都合や常識に照らし合わせ、一部を取り上げて、 『この子はこんな子』 とするのは、その子なりの事情がまったく考慮されていません。決めつけると、『自分はそうなんだ』と子どもは思ってしまう。そこで成長をやめてしまうかもしれません。」 さらにこう続けます。 「大人の何気ないひと言が、その子を『いい子』にすることもあれば、『悪い子』にすることもあります。そのことを忘れないでいてください」 この言葉はちょっと子を持つ親としては胸にぐさりと刺さるのではないでしょうか。 そして沼田先生は最後にこうメッセージを贈ります。 「親が子どもに期待することは上限がない。少しでも上を目指してほしいと願う。そして、子どもをけっして見捨てることはありません。なので、悩みは尽きない。 たぶん、親御さんたちは子どものことでずっと悩み続けるんです(苦笑)。ですから、力まず、ほどよく距離をとって、その大きな愛をもって、子どもと寄り添ってもらえればと思います。」 日々、子どもたちと向き合うお父さん、お母さんにとって、沼田先生の言葉は、何かしらの気づきを与えてくれることでしょう。 ■今回のお話を伺った沼田晶弘さんのご著書 『家でできる「自信が持てる子」の育て方』 (沼田晶弘/あさ出版 ¥1,400(税込み)) 「ダンシング掃除」「勝手に観光大使」など、ユニークな授業で各種メディアの話題を集める東京学芸大学附属世田谷小学校教諭 沼田晶弘の最新刊。どうしたら子どもたちの中に自信が芽生えるのか? どうしたら何事にもやる気が起きるのか?そんな子どもの自主性や自立性、自己肯定感、やる気を引き出す方法のヒントになるメソッドが満載の一冊です。 沼田晶弘さん 国立大学法人東京学芸大学附属世田谷小学校教諭。学校図書生活科教科書著者。東京学芸大学教育学部卒業後、アメリカへ。インディアナ州立ボールステイト大学大学院で学び、インディアナ州マンシー市名誉市民賞を受賞。スポーツ経営学の修士を修了後、同大学の教職員などを務める。その後、2006年から東京学芸大学附属世田谷小学校に赴任。児童の自主性や自立性を引き出す、ユニークな授業が新聞やテレビに取り上げられ、大きな話題に。その授業はアクティブラーニングの先駆けと言われる。
2019年02月19日子どもたちがやる気を引き出すためには、 「仕掛けて、仕掛けて、さらに仕掛ける」 と語るのは、現役の小学校の先生ながら、児童の自主性・自立性を引き出す斬新でユニークな授業が新聞やTVでも取り上げられて話題となっている 沼田晶弘先生 。 沼田先生は、「これからの子どもたちに求められる能力は、 『考えを言葉にする力』 」といいます。ではどうやって子どもたちに考え、学び、自分の意見が言えるようなきっかけを作れるのでしょうか。 【AI時代を生き抜く「自信が持てる子」の育て方】 第1回 子どものやる気を引き出す親、ブレーキをかける親 ■学ぶ楽しさを知るために必要な3つのこと 沼田先生は、「子どもは勉強をしないといけないことはわかっている。 いかに、楽しく学べるかが重要 」と話します。そのための勉強を楽しくする方法とは? 親にもできるアプローチ法を教えてもらいました。 まずは、第1回 「子どもの“やる気”を引き出す親、子どもの心を動かせない親」 について触れます。 親としては、「やる気にさせることを見つけることこそ大変なんだ」と思うかもしれません。でも、意外と発想の転換をするだけで、変わることもあると沼田先生は言います。 「本来学ぶことは楽しいはず。知識が増え、考えが深まって、できないことができることに変わっていく。でもそれを教えてくれる大人がいない。にも拘らず『これをやりなさい』『あれもやりなさい』と言われ、子どもたちにとって勉強は 『やらされるもの』 になりがちです」。 そこで、沼田先生が学ぶ楽しさを知ってもらうために必要な3つのものを教えてもらいました。 「 一つめは、「課題」 。 「やってみよう」と提案するとき、必ず「これから何をやるのか」「どうやるのか」をわかりやすく説明します。 二つめは、「制限」 。 「課題」を出すとき、同時に何らかの「制限」をつけるのです。できることが限られると、子どもたちは許された範囲でできる最大限のことは何か、どうすればそれをやれるのかと、ワクワクしながら考えはじめるからです。 三つめは、「報酬」 。 「課題」を達成したあかつきに、子どもたちが手にすることのできる成果やご褒美について、最初にきちんと提示してあげます。 出典: 『家でできる「自信が持てる子」の育て方』 (沼田晶弘(著)/あさ出版) 沼田先生のクラスではこの「課題」「制限」「報酬」をうまく利用したテストがあります。先の回でも触れた「U2(ユーツー)」。これはUnder 2minutes、つまり制限時間が2分で行う「81ます計算」のことです。 この計算テストを行う際に、沼田先生は音楽をかけます。沼田先生とっては、音も子どもたちをやる気にさせる小道具のひとつで、 「音」を流すことで子どもたちの気持ちをワクワク させます。 「テスト開始のときも、まずファンファーレが鳴り響く。次にクイーンの『ウィ・ウィル・ロック・ユー』(We Will Rock You)がかかって、これが準備時間。そしてテストがはじまると、F1のテーマソングでおなじみのT-SQUAREの『TRUTH』がかかる。すると、みんなもう一生懸命、集中してテストに挑みます」 2分という「制限」があるので、みんなそれを切りたくなる。すると自然と練習にも熱が入るそうです。さらにこのテストで2分を切った子にはシールという「報酬」が与えられます。 「1日5枚練習してきたり、休み時間にU2をしたりする子もいる。あるお母さんから『家から帰ってきたら、一目散でU2をやっている』」と連絡が入ったことがありました(笑)。1枚に81問あるわけですから、5枚といえば400問を超える。それは早くなりますよね。記録があがれば誰もがうれしい。だから、みんな知らず知らずのうちに集中して打ち込む。そして、気づけば学力もあがっているというわけです」 ■子どもにも意見はある。その瞬間を見逃さないためには やる気スイッチ は、子どもの中にもあるといいます。 沼田先生はこうヒントをくれます。 「 子どもはアイデアマン 。僕がニュースを見て、北方領土のことをやっていたら、子どもたちに『ロシアは何で還してくれないのかな?』と聞いてみます。すると子どもたちも一生懸命考えて、そもそもロシアってどこにあるんだっけと、地図で探し始めたりして、自分なりの意見を言ってくれます。 子どもは子どもなりにしか話せないけど、 彼らにはちゃんと意見がある 。それを僕は受け流さないし、耳をきちんと傾けます。すると子どもたちがどんなところに興味をもって、乗ってくるのかがわかるときがあって、それがアイデアのタネになったりするんです」 沼田先生のメソッドとして 「勝手に観光大使」 というものがあります。これは、子どもたちが自分で担当する都道府県を決めて、その地域の魅力は特色をPRするというもの。 沼田先生いわく「担当する地域を自身で決めたということは、この地域について自分は勉強するぞと宣言したことに等しい」とのこと。まず、その地域を知らなければPRのしようがないですから、子どもたちは一生懸命調べることになります。 沼田先生はここで終わらせません。次にあらたな課題を与えます。それはパワーポイントでのプレゼン資料作り。すると生徒たちは、「誰よりもかっこいい資料を作りたい」と、みんな、自分で率先して学び、調べ、工夫をして資料作りに邁進(まいしん)していくそうです。 最後には、その地域の自治体の関係者にお願いし、実際に子どもたちはみごとにプレゼンをやり遂げます。 「調べる」という能力において、人はAIには太刀打ちできません。 では、子どもたちにこれから求められる能力は何かと考えたときに、 「考察する力」 そして 「考えを言葉にする力」 ではないかと、ボクは思っているからです。 出典: 『家でできる「自信が持てる子」の育て方』 (沼田晶弘(著)/あさ出版) みなさんも、子どもと話していて自分でも想像していなかったことに子どもが興味を示したり、くいついてきたりする瞬間があるのではないでしょうか? 沼田先生はそういった 子どもの気持ちや興味を絶対に見逃さない とのこと。親もこの瞬間を見逃さずに仕掛けることで、子どものやる気スイッチを入れられるようになるのかもしれません。 ■親の時代の価値基準で子どもを判断してはいけない 沼田先生と話していて、筆者が1番に痛感させられたのは、 親の意識改革 こそが必要ではないかということです。 沼田先生は、親に向けて次のようにお話するそうです。「 みなさんの時代の学校と今の学校は違う 。教育法も違う。自分たちの時代とはまったく違う国になっていると思ってください」と。 「あるお母さんが自分はバスケット部だったから、子どもにもバスケ部に入ってほしいと言ってきたら、『いいですよ』と言います。ただ、今の部活動の在り方は昔とはまったく違う。旧態依然としているところもあれば、すごく進歩的なところもある。一律ではない。学校や指導者によっても大きくかわる。昔のイメージではなく、現状をきちんとみてくださいね」とアドバイスを贈るそう。 とかく年齢を重ねると「昔はよかった」と思いがちなところがあります。たとえば、ちまたでは、ゆとり世代は使えないとか、コミュニケーション能力が低いとか言われたりもしています。 しかし沼田先生は、今の若い子にも すごいところがいっぱいある と話します。 「今の学生に調べものを頼むと、ネットを駆使して必要な情報をパパっと調べてきます。若い企業家は、ものすごいスピードで仕事を処理していく。 ただ、若者に 苦手なのはアポイントをとること 。なぜなら、彼らにはもともとメールやスマホがあって、都合が合えば即決があたり前。でも、上の世代は、アポは2週間前ぐらいから先方に伝えてないと失礼にあたると思っています。だから若者が直前にアポをとったりすると、『若い奴らはなってない』と判断してしまう。でも、それは若い世代は知らないだけで、教えてあげれば済むことなんです」 沼田先生は、「 自分たちの時代の価値基準 で、子どもたちのことを判断しないで」と話します。「これからの子どもたちは、こういう価値観のある時代を生きていくんだということをお父さんもお母さんももっと意識したほうがいいと思います」 たしかに世の中の環境は大きく変化しているのに、昔からの固定観念にしばられて、これは絶対にいいこと、これは絶対に悪いことと思い込んでいることってけっこうあるのではないでしょうか? でも、時代も変われば価値も変わる。こう考えることで、子どもを見る目が変わってくるかもしれません。 ■今回のお話を伺った沼田晶弘さんのご著書 『家でできる「自信が持てる子」の育て方』 (沼田晶弘/あさ出版 ¥1,400(税込み)) 「ダンシング掃除」「勝手に観光大使」など、ユニークな授業で各種メディアの話題を集める東京学芸大学附属世田谷小学校教諭 沼田晶弘の最新刊。どうしたら子どもたちの中に自信が芽生えるのか? どうしたら何事にもやる気が起きるのか?そんな子どもの自主性や自立性、自己肯定感、やる気を引き出す方法のヒントになるメソッドが満載の一冊です。 沼田晶弘さん 国立大学法人東京学芸大学附属世田谷小学校教諭。学校図書生活科教科書著者。東京学芸大学教育学部卒業後、アメリカへ。インディアナ州立ボールステイト大学大学院で学び、インディアナ州マンシー市名誉市民賞を受賞。スポーツ経営学の修士を修了後、同大学の教職員などを務める。その後、2006年から東京学芸大学附属世田谷小学校に赴任。児童の自主性や自立性を引き出す、ユニークな授業が新聞やテレビに取り上げられ、大きな話題に。その授業はアクティブラーニングの先駆けと言われる。
2019年02月18日「AI時代が来て、仕事の半分以上はコンピューターに取って代わられる」 などと言われても、親としては子どもにどういったスキルを身に着けさせればいいのかわかりません。 そこで、 ぬまっち先生 の愛称で各メディアでも取り上げられ、話題を集める現役小学校教員の 沼田晶弘さん に、現在の教育現場の現状、そしてこれから来るAI時代を踏まえて、親として何ができるのか、お話を聞きました。 沼田晶弘(ぬまたあきひろ)さん 国立大学法人東京学芸大学附属世田谷小学校教諭。児童の自主性や自立性を引き出す、ユニークな授業が新聞やテレビに取り上げられ、大きな話題に。その授業は アクティブラーニングの先駆け と言われる。 ■大人の「注意」は、子どもに届いているのか? 子どもがどういった将来を描くのかは未知数。でもまずは子どもに「やってみたい」という気持ちが起きないことには始まりません。しかし、「どうしたら子どもをやる気にさせられるのか?」は、親にとっての永遠の命題ともいえます。この問題に、沼田先生は、「子どもは楽しいことは自然とやりたくなる」といいます。 沼田先生の著書 『家でできる「自信が持てる子」の育て方』 を読んで、筆者が思い出されたのは自分の子ども時代。漫画やおもちゃが部屋に散乱していると、当然のごとく、親から“片づけなさい”の声が飛んでくる。しぶしぶ片づけると、今度は“それで整理したことになるのか”となる。そんな大人の言い方が嫌だったのに、いざ自身が小学生となる子の親になってみると、意外と同じ轍を踏んでいたりする。 沼田先生はこう言います。「たとえば、みなさん、子どもに“ちゃんと”とか“きちんと”って口癖のように使っていませんか? でも、単に“ちゃんと”と“きちんと”といっても子どもはわからない。それぞれ 基準が違う んです」。 沼田先生は、たとえば部屋の片づけならば、床に散らばっているものを片づけるのか、それとも棚を片づけるのか、 具体的に基準を明確に伝える ことを提案します。 以前、沼田先生のクラスで、夏場に生徒が扉を開けっ放しにしてクーラーの効果がゼロになったことがあったそうです。 「僕としては、なんで“開けたら閉める”の当たり前のことができないんだとなる。そこでまず扉を開けた子どもに聞くと、『後ろに来ていた子がいたから開けたままにした』と。その後ろにいた子に聞くと、『後ろにすぐ来る子がいると思った』という。 みんな開けたら閉めないといけないことはわかっている。でも、次の人のためにという意識があったんですね。それで、クラスで合言葉を変えたんです。“開けたら閉める”ではなく、このクラスは“開けなくても閉める”と」 これにより翌日から常にピシッと扉が閉まるようになったそうです。「開けたら閉める」では、他人に任せてしまうときがある。そこで、開けたら閉めるのはもちろん、扉が開いていたら気づいた人が閉める。「扉は必ず閉めた状態にする」というルールを徹底したことで子どもは理解したわけです。 つまり沼田先生が伝えたいのは、 「ルールの共有が大切」 ということ。家庭でもそれぞれルールがある。でもそのルールさえ共有できれば、親がカリカリしなくても子どもがすんなり行動してくれることもたくさんあるといいます。 「なんでこの子は何度言ってもしっかりできないんだろう?」とついつい考えてしまうけれど、その前に「曖昧な指示だから、子どもがわからないのかも」と考える必要がありそうです。明確な説明がなければ、それにむけてのやる気持ちも高まらない。むしろ、やる気を削ぐ可能性さえある。 ■子どものやる気は、どうやって引き出すのか? さて、本題の “子どもからどうやってやる気を引き出すのか?” 沼田先生が実践しているさまざまなメソッドには、共通点があることに気づきます。それは、どれも子どもが学ぶ楽しみを見つけているものであること。沼田先生は、 子どもが楽しく学ぶためならば労を惜しまない といいます。 「 『勉強は誰がするの?』 というと、子どもなんです。だから、僕は『子どもがどうしたら楽しく学ぶことができるか?』にポイントを置いて、工夫をしているだけなんです。ただ、「勉強しなさい」といっても子どもの心は動きません」 ささいなことかもしれませんが、ネーミングひとつで変わることもあります。沼田先生の現在のクラスには勉強のやり方にネーミングがついています。たとえば、「N1(エヌワン)」、「U2(ユーツー)」(※)。 ※●N1(エヌワン):「Notebook for the one」の略で、日記のこと。 ●U2(ユーツー):Under 2minitus(制限時間2分)で行う「81ます計算」のこと そして、漢字テストでは子どもたちが「漢字なので『KG(ケージー)』、『N1』『U2』があるから『KG3』にしよう」と決定したそうです。沼田先生は心の中で、「漢字はKANJIだから“KJ”だと思うけど」と思ったそうですが…。 しかし、それに止まらず、先生は「せっかくだから“3”にも意味を持たせよう。3回連続で満点をとったらライセンスをあげよう!」と提案。すると子どもたちはがぜんやる気になって、「KG3(ケージースリー)チャレンジ」が始まったそうです。 こんなネーミングだけで、勉強がなんとなくゲームのような楽しいイメージに変わるような気がしないでしょうか? ■与えっぱなしでは、子どもの心は動かない 沼田先生はこう言います。「僕は小道具を大量に使います(笑)。地声でいえばいいのに、あえてちょっとしたマイクを使ったり。スタンプやシール、ライセンスなどいろいろと作って、子どもたちの目標にする。 学ぶことをワクワクするものにしたい んです」 「やる気を引き出せるまで、あの手、この手、あっちの手、そっちの手と、あらゆる手を尽くして子どもたちに仕掛けていきます。 また、「これは楽しい!」とやる気になってくれたからといって、安心してはいられません。今度は、また違う手を使って、子どもたちのやる気が失われないように工夫します。 ときには、他人の手でも、機会の手でも、猫の手でも、子どもたちを飽きさせないためなら、ありとあらゆる手を使います。彼らが夢中になってからも、“その手”も“どの手”も“誰の手”でも利用して、その興味が長続きするようにチャレンジします」 出典: 『家でできる「自信が持てる子」の育て方』 (沼田晶弘(著)/あさ出版) そう、つまりは子どもたちに“とにかくやれ”の一点張りで、親は「やる気を引き出す創意工夫」をちゃんとしているのか? そこに「楽しい」を見い出させてあげることができているかということなのです。 たとえば、ネットかなにかで評判のいいドリルがあったら、それをとりあえずやりなさいと渡しっぱなしにしてしまいがち。でもドリルなら自分で一度目を通してみて何か子どもが興味をもちそうにアレンジしてみる、何分で解けるか競争してみるといった楽しくなるように提案することが大切です。 沼田先生は、子どもに各教科の専用ノート以外に必ず1冊ノートを用意してもらい、必ず毎日提出してもらうそう。このノートに子どもたちが書くのは翌日の時間割から、連絡事項、自分だけの連絡事項(たとえば忘れ物をしたら、それを持ってくるといった伝言)、先生との日記など。 そして、このノートはどんな勉強に使ってもいいことにしているそうです。その理由は、子どもが勉強しようと思ったとき、その教科のノートを探す時間の無駄を省けることと、せっかく芽生えた子どものやる気をしぼませないようにしたいという考えから。 また、学校の授業以外、自宅でやった学習についてはこのノート1冊にまとめることで、自主勉強の成果をひとつにまとめることができる。こうすることで、子どもの がんばった証の蓄積を可視化 できるといいます。つまり、子どもも自分がどれだけがんばったかがわかるというわけです。 与えっぱなしでは、子どもの心も動かない。そういう意味で、子どものやる気を引き出すか否かは、親の姿勢や工夫次第ということなのかもしれません。 ■今回のお話を伺った沼田晶弘さんのご著書 『家でできる「自信が持てる子」の育て方』 (沼田晶弘/あさ出版 ¥1,400(税込み)) 「ダンシング掃除」「勝手に観光大使」など、ユニークな授業で各種メディアの話題を集める東京学芸大学附属世田谷小学校教諭 沼田晶弘の最新刊。どうしたら子どもたちの中に自信が芽生えるのか? どうしたら何事にもやる気が起きるのか?そんな子どもの自主性や自立性、自己肯定感、やる気を引き出す方法のヒントになるメソッドが満載の一冊です。 沼田晶弘さん 国立大学法人東京学芸大学附属世田谷小学校教諭。学校図書生活科教科書著者。東京学芸大学教育学部卒業後、アメリカへ。インディアナ州立ボールステイト大学大学院で学び、インディアナ州マンシー市名誉市民賞を受賞。スポーツ経営学の修士を修了後、同大学の教職員などを務める。その後、2006年から東京学芸大学附属世田谷小学校に赴任。児童の自主性や自立性を引き出す、ユニークな授業が新聞やテレビに取り上げられ、大きな話題に。その授業はアクティブラーニングの先駆けと言われる。
2019年02月17日年末年始を含む冬休みシーズンのファミリー・ムービーの定番は、やはりアニメーション映画。今年は 『グリンチ』 と 『シュガー・ラッシュ:オンライン』 という大注目作がスタンバイしています。 かたや子どもたちに大人気のキャラクター「ミニオン」でおなじみのイルミネーションの最新作で、かたやディズニーの最新作。否が応でも期待が高まりますが、どちらもその期待を裏切らない。もう一つ言うと、今の子どもたちに見て、 考えてほしい問題 の含まれた内容になっています。 ■これまで描かれなかった子どものリアル問題を描く 『グリンチ』と『シュガー・ラッシュ:オンライン』ですが、ひと言でいえば単に楽しいだけでは終わらない作品といっていい。どちらも、親としてはなかなか言葉で説明できないメッセージを子どもたちに届けてくれる内容になっています。 しかも、それは従来のアニメーションがよくテーマにしてきた「夢」や「希望」の大切さといったことではありません。これまで子ども向けアニメーションで正面から語られることの少なかった、今まさに 子どもたちが実生活で直面しているであろう友人関係や親子関係の問題 が、物語の中に大きなテーマとして組みこまれ、大切なメッセージを伝えます。 魅力的なキャラクターや美しいアニメ映像にももちろん目を奪われて、一瞬見落としてしまいそうになるのですが、そのストーリーは今の時代をまるで反映させたかのような内容で、中身はじつに骨太です。 ■謝る大切さを教えてくれるグリンチ。大人はどうする? まずはじめに 『グリンチ』 は、世界で愛される絵本作家、ドクター・スースの原作の映画化です。主人公の人里離れた洞窟で愛犬のマックスと暮らしているグリンチ。ひねくれ者の彼は村の人々に意地悪なことばかりをしています。 そんな彼は人々がみんな楽しそうで一緒に過ごす クリスマスが大っ嫌い 。そこで、プレゼントからツリーまでクリスマスに関わるありとあらゆるものを、クリスマス・イブの夜に村中の家から盗んでしまおうと思いつきます。 詳しくは明かせませんが、そのなかで、グリンチはひとつ改心します。みずからの過ちに気づき、深く反省するのです。それに気づかせてくれるのが、村の少女、シンディ・ルー。 グリンチはあることから彼女の“サンタへのお願い”を知ります。じつは彼女、自分のためのプレゼントもクリスマスのごちそうも望んでいない。彼女がサンタにお願いしたいのは、「いつも一生懸命働いて、なんだか最近、ちょっと お疲れ気味のママの幸せ 」だけ。 そのとき、グリンチは気づくのです。「クリスマスは独り占めするものではない。みんなで幸せを分かち合う。 誰かの幸せを願うこと なのだ」と。さらに自分がクリスマスを嫌いな本当の理由にも気づきます。「本当はクリスマスが嫌いなのではない。あるトラウマから、クリスマスを誰とも祝えない、ひとりぼっちの自分が嫌いなのだ」と。 これまで目をつぶってきた自分の嫌な面と向き合うグリンチ。そして、彼は最大の勇気を振り絞って、自分のしたことを正直に話し、みんなに「ごめんなさい」の気持ちを伝えます。 このグリンチの行いから、 「謝ることの勇気」 や 「人の言葉に耳を傾けること」 など、子どもが学ぶことはきっと多いはずです。また、なにか最近、謝罪会見といいながら、言い逃れしたり、話をはぐらかしたりといったいい大人の悪あがきを目にすることが多いのではないでしょうか? そういう意味で、グリンチの潔い姿には、大人も見習うべきところがあるといっていいでしょう。 ■グリンチが描く、今の世界に対する痛切なメッセージ もうひとつ触れておきたいことがあります。それはシンディ・ルーをはじめとする村の人々の厚意です。悪いことをしたことに気づくグリンチですが、悪いことをしたことに変わりはありません。普通ならばみんなからそっぽを向かれても仕方がない。 でも、シンディー・ルーは、グリンチをパーティーに招待します。グリンチがパーティーにいくと、村の人々も何事もなかったかのように彼に接します。つまり、悪いことをしたグリンチを大きな心をもって受け入れるのです。 ここに込められたメッセージこそが本作の最重要ポイントといっていいかもしれません。 いま、世界では仲間以外は認めない。自分とちょっとでも違う人間は受け入れない。そんな排他主義の意識が社会で強まってきている。そのことを危惧するように、本作は 他者との協調性の重要さ と、思いやりの心の大切さを唱えます。それは大人、子ども関係なく、いろいろと自分の身の回りの人間関係について考える機会になることでしょう。 ■自分の想いは相手のため?『シュガー・ラッシュ:オンライン』 一方、全米で公開され記録的な大ヒットになっている 『シュガー・ラッシュ:オンライン』 もまた多くのメッセージを届けてくれます。“今”を生きる子どもたちにぜひみてほしいと個人的にはいいたい1本です。 この作品のストーリーの根本で言及しているのは、 「真の友情」 といっていいかもしれません。 本作の主人公は、ラルフとヴァネロペ。人間たちが知らないアーケイド・ゲームの世界の住人であるゲーム・キャラクターの二人は、大の仲良しで楽しい毎日を過ごしています。 でも、ヴァネロペが活躍するレースゲーム<シュガー・ラッシュ>のハンドルが壊れてしまう緊急事態が発生。このままではゲームが廃棄処分の危機に! それを防ぐためにはインターネットでハンドルを買うことが必要と知ったラルフとヴァネロペはインターネットの世界へ向かいます。 ただ、そこでヴァネロペは自分が本当に活き活きと生きられ、 自分らしくいられる場所 を見つけてしまいます。ラルフと過ごす楽しい毎日も捨てがたい。でも、苦渋の決断で、彼女は新たなレースゲームの世界で自分の力を試す決断をします。 それを知ったラルフはひどく落ち込みます。ヴァネロペと別れるのは寂しい。どうにかして一緒にいたい。そして、ヴァネロペを自分に振り向かせようと、ほんの出来心から、ちょっとしたいたずらをしてしまいます。 それをきっかけに大の仲良しだったはずの二人の関係にひびが入るのですが、本作はそのときどきに沸き起こる二人の感情を互いにぶつけ合うような構成にしてこちらへ届けます。そのため、われわれはラルフとヴァネロペ、双方の言い分に耳を傾けることになります。 その互いの感情のすれ違いから垣間見えてくる「真の友情」。ラルフもヴァネロペも、自分がどれだけおのおのを想っているか、その思いのたけをぶつけるように語ります。 でも、ある瞬間に、その思いが時に 相手の重荷 になってしまうこと、良かれと思ってやったことが相手にとっての 幸せの妨げ になってしまうことに気づきます。そのとき、はじめて自分のひとりよがりを認識するのです。 相手のことを想うならば時に一歩引くこと、隠れて見えないところから応援することも必要。そして、二人は自分たちの関係において、ほどよく心地の良い距離と関係を見つけていくのです。 こうしたトラブルはおそらくほとんどの子どもたちが体験したことがあるはず。友人関係を構築する上で、なにが大切なのか? 子どもたちにヒントをきっと与えてくれることでしょう。 ■ささいないたずらが「いじめのタネ」になる それからもうひとつ。ラルフがヴァネロペにいたずらをしてしまうと触れましたが、これがのちのち大変なことに。このいたずらがあれよあれよと暴走し、取り返しのつかない事態を招きます。 このことが物語るのは、ほんのささいないたずらが時に 「いじめのタネ」 になってしまうこと。 たとえば自分にとってはたいしたことでなくても、相手によってはその人の心を深く傷つけてしまうことがある。仲良くしたいからこそ生まれてしまう相手への嫉妬や憎悪をどうコントロールすればいいのか? そのことを物語全体で本作は伝えています。そういう意味で、いじめが社会問題になっている日本こそ、最も心に響くメッセージの込められた1作といっていいかもしれません。 いずれも話題性だけのアニメーションではありません。人として大切にしたいことのメッセージが含まれた内容です。そのメッセージに親子で耳を傾け、学校のこと、友人関係のことなどいろいろな会話をもってみてはいかがでしょうか。 『グリンチ』 12月14日(金)全国公開 『怪盗グルーの月泥棒3D』をはじめ、『ミニオンズ』、『SING/シング』など大ヒットアニメーションを生み出しているスタジオ「イルミネーション」による最新アニメ。 絵本作家、ドクター・スースの代表作を原作に、ひねくれ者のグリンチが起こすとんだ騒動が描かれる。 字幕版のベネディクト・カンバーバッチが担当したグリンチの日本語版吹替えは大泉洋。そのほか吹替え版には杏、宮野真守らが声の出演を果たしている。ひとりぼっちのグリンチがどんな幸せなクリスマスを迎えるのか注目です! 『グリンチ』と共に同時上映! 『ミニオンのミニミニ脱走』 『シュガー・ラッシュ:オンライン』 12月21日(金) 全国公開 2012年に公開され大ヒットを記録したディズニーのアニメーション『シュガー・ラッシュ』の続編。 ゲームの裏側の世界を舞台に、アーケード・ゲームの人気キャラクターであるラルフとヴァネロペ が、ゲーム廃棄危機に直面し、インターネットの世界へ。新たな大冒険を繰り広げる。 インターネットの世界を可視化したアニメーションのユニークな表現に目を奪われる一方で、「真の友情」について言及したストーリーに大人から子どもまで深く考えさせられます。
2018年12月13日自閉症やダウン症など、 親とは違う性質を抱えた子 をもつ300組以上の親子を取材した『FAR FROM THE TREE』。世界中で50以上の賞を受賞した作家、アンドリュー・ソロモンの同作は、同じような境遇にいる親子に勇気を与えると共に、あらためて家族の本質について問う内容で瞬く間にベストセラーとなり、24か国語に翻訳されるまでの反響を呼んでいます。 ドキュメンタリー映画 『いろとりどりの親子』 は、この原作の映画化。作品では6組の親子を取材しています。ここで映し出されることは、ひとりの人間としてひとりの親として考えさせられることばかり。ちょっと大げさかもしれませんが、「これまでの社会通念をガラッと変えるようなこと」が示されているといっていいかもしれません。 ■親の考える「普通」と子どもが違っていたら… そもそもアンドリュー・ソロモンが本著を書くきっかけになったのは、自身がゲイでそれに対し苦悩する両親の姿を見てのこと。自分の両親と同じような状況に置かれたほかの親たちは“どう向き合ってきたのだろう?”ということから、いわゆるマイノリティに属する子のいる家族を取材するようになったといいます。 彼はろうの子のほとんどは健常の親から生まれ、親は子どもを治療しようとするけれど、子どもは思春期になると、 「自身のコミュニティ」 を発見することに気づく。すると同時に、親から子へ受け継がれる「縦軸のアイデンティティ」と、周囲の仲間から学び、養われる「横軸のアイデンティティ」が存在することに気づいたそうです。 そして、自閉症、ダウン症、LGBTに関わらず、親の「普通」と、子どもが成長とともに発見するアイデンティティが異なると、両者がその違いを認め、受け入れるまでには時間がかかることがわかったといいます。この親と子の 「違いの受容」 こそが本作の大きなテーマといっていいでしょう。 ■親の気持ちが子どもを追い詰める この作品には6組の家族が登場します。 1組は、原作者で映画のストーリーテラーでもあるアンドリュー・ソロモンと、その父のハワードの親子。 2組目は、かつて ダウン症 の人々の可能性を示す代弁者になるほどの知名度を得て、テレビ番組『セサミストリート』にも出演していたジェイソンと、母親の脚本家、エミリーの親子。 3組目は、 自閉症 のジャックと彼のためにあらゆる治療を試したというエイミーとボブのオルナット夫妻。 ほか3組も、直面した問題や抱えた困難はそれぞれに違いますが、最終的に彼らがたどり着いたのは「受容」の心にほかなりません。 親としては「普通」の子との違いをそう簡単には認められない。先のエミリーもオルナット夫妻も「この子ならば」と一般的な子に近づけ、普通の学校に通えるように、あの手この手を打つ。でも、そのことが逆に子どもを追い詰めて、関係が悪化してしまう。 最終的に行き着くのは、互いに認め合うこと。他の子との違いをきちんと認めてあげたとき、ここに登場する家族は思わぬ世界と未来が開けていくのです。 ■他人とわが子を比較していたら、親の愛情は伝わらない これはなにもマイノリティに属する子をもった親に限ったことではないと思います。私自身を含め、一般的な親というのは、どうしても 他人の子とわが子を比較しがち となっているように思えます。 「●●君はできるのに、なんであんたはできないの!」とか、「その歳で、この程度のことはできないと恥ずかしいよ」なんて、ついつい口から出てしまう。ほかの子より勉強が遅れているように思えると、やみくもに追いつかせようとしたり、不得意なことがあると、人並みぐらいにできるよう求めたりしがちとなってしまったり。 「十人十色」という言葉があるように、子どもによって個性も違えば得意なことも違う。性格も違えば、考え方も違う。そんなことは言われなくてもわかっている。でも、実際は子どもがほかより劣っていることがあると敏感に反応してしまう自分がいることに気が付き、愕然とします。 そうしてついつい冷たく、厳しく当たってしまう。でも、それは残念ながら、どんなに愛情があっても一方通行。まずは、互いの意思を尊重して認め合う。子どももひとりの人格者。そこからはじめないと 親の愛情が伝わらない ことを本作は教えてくれます。そして、違いを認めることで子どもを楽にできれば、じつは親の気持ちも楽になることを教えてくれます。 ■「自分たちには直すべきところなんてない!」心を自由に ただ、この作品は、そうした親と子の関係で大切なことを伝えながら、そのさらに一歩先のメッセージをわれわれに届けます。それは、いまの社会にある固定観念のチェンジといいますか。ある意味で世の中の意識改革を求めるメッセージです。 低身長症のリア・スミスとジョセフ・A・ストラモンドはこう言います。 「自分たちには直すべきところなんてない」 と。続けて、ジョセフはこう言います。「俺があんたなら自殺すると言い放ったやつがいる。 身体が不自由なら、心も不自由だと? 」。 自閉症で話すことのできなかったジャックは、ある医師によりタイピングで自分の言葉を伝えることができたとき、「僕はがんばっている。僕は頭がいい」と言います。 また、アンドリューは以前「同性愛は異性愛より劣ったもの」とずっと感じていたそうです。 ただ、ここにきて性的マイノリティに対する見方が大きくかわってきました。病気だとみなされていた同性愛が、いまでは個性として認められることになった。ちょっと視点を変えただけで見方がかわる。そう彼は伝えます。 障がい=かわいそう。こういったマイノリティに対するネガティブな社会的なイメージは、そろそろ払拭(ふっしょく)したほうがいいかもしれません。障がいがあっても、マイノリティであっても、ごくごく一般の人間と変わらない。 別に自分の境遇を恨んだり、悔やんだりしているだけではない。自分なりに喜びも幸せも感じている。 「違い」はけっして闇ではない 、考え方によっては大きな光になりうることを、ここに登場する親子のそれぞれの生き方は物語ります。このマイノリティや障がい者に対する意識の改革は、これからの社会を考える上で、非常に重要になってくる気がします。 少し飛躍した話にもなりましたが、よりよい親子関係のヒントを与えられるとともに、これからの社会の在り方について見つめるいい機会になることでしょう。 ドキュメンタリー映画 『いろとりどりの親子』 11月17日(土)新宿武蔵野館ほかにて全国順次公開 自閉症、ダウン症、低身長症、LGBTなどの子どもを持つ6組の家族を取材したドキュメンタリー映画。困難を抱える子どもと、彼らと向き合う親たちが、自分たちのたどってきたこれまでの山あり谷ありの道のりと、決して苦難ばかりではない歓びの日々について語る。 作品中に出てくる言葉、考え方をひとつ変えるだけで「しあわせの形は無限に存在している」ことがほんとうに実感できる心温まる映画です。 公式サイト:
2018年11月16日新日本プロレスの人気レスラー、棚橋弘至が主演を務めていることが話題の映画 『パパはわるものチャンピオン』 。 『パパのしごとはわるものです』『パパはわるものチャンピオン』という2冊の絵本をもとにしている本作は、親子で楽しめるファミリー・ムービーといっていいでしょう。ただし、それだけでは終わらない。とくに子育て世代の父親にとっては自分の仕事について、そして生き方について深く考える機会になるかもしれません。 ■自分の仕事を子どもに説明できますか? ところで、みなさんは 自分の仕事 がどんなものかを子どもに伝えているでしょうか? 大人になれば自然とわかることなので、小さいころにはきちんと説明していないケースが多いのではないでしょうか。 理由は、なかなか小さい子には説明しづらいから。私のようなフリーランスの物書きは、はっきりいって言葉に窮します(苦笑)。それ以外にもいろいろな理由があると思うのですが、父親としては知られるのがちょっと恥ずかしいという思いもどこかにあるのではないでしょうか。 親としては、小さい子どもには大きな夢や希望を抱いてもらいたい。でも、小さな子どもにとって憧れの対象になるような、「すごい!」と思ってもらえるような職種や自らの希望に沿った仕事に就いていない父親も多いでしょうし…。だから自分の仕事が、子どもの気持ちを削いでしまうのではないかという心配があります。 それで「ちょっと打ち明けるには」と、とまどう気持ちが、私を含む名もなきお父さんたちの心のどこかにある。この作品はまさにそこがひとつのポイントになっています。 ■父親は、一度失った信頼をどう取り戻すのか 物語の構図を簡単に説明すると、父親の大村孝志はプロレスラー。もともとは花形レスラーとして活躍していましたが、ケガで第一線で活躍することは無理になり、いまはゴキブリマスクという悪役で現役を続けています。 プロレスラーという仕事に誇りを持っている彼ですが、一般ファンから見ると反則ばかりを繰り出す嫌われ役。ゆえに息子の祥太(寺田心)に自分がどういう仕事をしているのか言い出せない。いつか明かさないといけないことはわかっている。けれども、勇気が持てずに、のばしのばしにしてしまいます。 一方で、息子の祥太は父が悩んでいる間に着実に成長して9歳に。巡業で家を空けることも多く、授業参観をはじめ学校行事に出席することもめったにない父がどんな仕事をしているのか興味を抱きます。 ただ、父親や母親の詩織(木村佳乃)に問うても、はぐらかされる。それで、もうこれは実力行使で直接確認するしかないと、ある日、こっそり父の後をつけて、プロレスラー、しかもゴキブリマスクということを知ってしまいます。 このときの、祥太の落胆ぶりといったらない。力持ちでいつも優しいパパが、リングの上でゴキブリのマスクをかぶって観客から大ブーイングを浴びている。「正々堂々」と教えてくれたはずのパパが、反則ばかりしている…。 あまりに動転したのもあって、祥太はプロレスの大ファンでたまたま試合をみにきて遭遇してしまった同級生の女の子に自分のパパは人気レスラーで正義の味方「ドラゴンジョージ」と言ってしまいます。そして、これまでうそをついていた父に怒り、思わず 「わるもののパパなんて大嫌い」 と言ってしまいます。 この言葉を受けた孝志は意気消沈。でも、ここから彼の父親としての 信頼回復への巻き返し が始まります。 はたして、孝志はどんな行動をとったのか? それこそが世のお父さんたちに、大きな気づきを与えてくれるはずです。 ■子どもにとって「父親は人気のある職業」は大切か 祥太の言葉に深く傷ついた孝志は、最初は息子のためにフラシュライトをあびていたころのヒーローに戻ろうとします。でも、そこで立ち止まる。それは悪役プロレスラーという仕事を否定することではないか? それは 自分がこれまで歩んできた道 を否定することでもあるのではないか。それほど自分は恥ずかしい生き方をしてきたのかと。 そのあとの彼の決断には、思わず納得させられると同時に「はっ」と気づかされるはず。自分は孝志と同じようにできるのかと問いたくなります。 孝志は勇気をもって祥太に自分という人間を包み隠さずさらけだします。その生きざまを見せることが、祥太の心を動かします。それがタイトルの「パパはわるものチャンピオン」という言葉につながっていきます。 ステイタスのある仕事かどうか、人気のある職業かどうかなんて、 子どもには関係ない 。どんな仕事でもいい。 問題は、父親がその仕事をいっしょうけんめいにやっているかどうか。人として誤ったことをしていないか。生き生きとしているか。自信をもって 自分の背中を見せること さえできれば、きっと子どもたちはわかってくれる。子どもにとってはそれが重要なんだと教えてくれます。 ■等身大の自分を子どもに見せることも大切!? “いい父親” でありたい。ゆえに、見栄を張るつもりがなくても、子どもの前では親というのはいいところを見せたくなるものです。それはそれで悪くない。 でも、ときに背伸びをしないで、ちょっとカッコ悪いかもしれないけど、等身大の自分を子どもに見せることも大切かもしれない。そんなふうに本作を観ると、思えてきます。そして、ひとりの父親としてしっかりしなければと思った次第。 理想の父親像を演じるのではなく、現実の自分を見せる。そのことが恥ずべきことではないことに本作は気づかせてくれます。もしかしたら、よきパパであろうとしているお父さんたちの肩の荷がちょっとだけ下りるかもしれません。 『パパはわるものチャンピオン』 2018年9月21日(金)全国ロードショ!! 配給:ショウゲート かつてエースレスラーとして名をはせながら、ケガで悪役レスラーのゴキブリマスクになった大村孝志。悪役ゆえ、彼は自分の仕事を9歳の息子の祥太に言い出せないでいた。そんなある日、偶然、祥太にそのことがバレてしまい、彼と息子の間には溝が……。 息子との関係を修復するため、彼は人生を賭けたタイトルマッチに挑む! プロレスラーの父と多感な時期に差し掛かった9歳の息子の絆を描く、ファミリーで観たい感動物語です。
2018年09月21日こんなに「子どもが、子どもとして存在する」映画はこれまであっただろうか? ひと言でいえば、映画 『泳ぎすぎた夜』 は、そんなことを思わせる作品です。 描かれるのは、少年の過ごすたった1日のこと。その日になにか特別なことが起きるわけではありません。ごくごくありふれた日常でしかない。でも、主人公の少年の一挙手一投足から目が離せなくなる。この映画を観ると、「親は 子どもの持つ力 をもっと信用しないといけないのでは?」と、問いかけられている気がします。 世界の映画祭でも“いままでにない、子ども映画”と高い評価を受けた本作の 五十嵐耕平監督 と ダミアン・マニヴェル監督 に話をお聞きしました。 ■大人にコントロールされない本当の子どもの姿とは 『泳ぎすぎた夜』で驚かされるのは、少年のほんの些細で日常的な行動になぜか目を奪われてしまうところ。子どもの世界や子どもの時間そのものが作品に刻まれています。どうやったらこんな子どもの自然な姿をとらえられるのだろうか。 ――どうして子どもを主人公にした作品を撮ろうと、思ったのでしょうか? 五十嵐耕平監督 (以下、五十嵐):二人の意見で、「雪国での少年の物語」ということになったんですが、僕が「子ども」という題材に取り組みたかった理由は、その 存在の曖昧さ というか。ひと言でいうと、子どもって次にどんなことをするのかリアクションが読めないから。 たとえば大人だったら取っ手のある荷物を持つとなったら、迷わずその取っ手をつかんで持ち上げる。その行動はこちらの想像の範囲内で収まります。でも、子どもの場合は、想像に収まらない。取っ手があってもそれをつかまないで、もちあげようとするかもしれない。そんな 子どもの意外性のある感性 が引き出すことができたら、おもしろい作品ができるんじゃないかなという漠然とした考えがありました。 ダミアン・マニヴェル監督 (以下、ダミアン):ただ、子どもを主人公にした映画ではあるんだけれど、通常のアプローチとは違うものにはしたかった。 五十嵐 :通常の映画に出てくる子どもは、ほとんど子役です。映画の撮影というのは、基本的にすべてにおいて大人の都合で進んでいく。何時から何時までというスケジュールから、セリフを言うタイミングまで大人の指示。子どもの役を任された子役はその指示どおりに動くわけです。 ふと、「そこに ほんとうの子どもの姿 が存在しているの?」と疑問に思ったんです。僕たちが撮るのであれば、子どもの本質をとらえたい。大人にコントロールされていない子どもの本来の姿を映画の中に落とし込めないものかと。 ダミアン :コントロールできないということはリスクがあるということ。撮影が滞りなく進むとは限らないし、最悪、映画が完成しない可能性も否定できない。でも、子どもはすごくクリエイティブ。被写体としては最高で、そこに賭けてみようと思ったんだよね。 ■「子どものルール」は大人とはまったく異なる? 監督たちは、「いまどきの子どもはシャイでおとなしい」といったイメージを持っていたそうだが、主人公を演じる古川鳳羅(こがわ・たから)くんはそのイメージとまったく違ったと話します。鳳羅くんは、自分の想いを体ごとぶつけてくるエネルギーを持ち、次の瞬間、何を考えてどう動くのかまったく予想できなかったとか。 ――演技経験のない彼を起用して映画作りに取り組まれたわけですが、子ども本来の姿をひきだすため、どんな創作がなされたのでしょうか? 五十嵐 :鳳羅くんに出会ったことで、はじめて形になっていたことが多いですね。子どもの純粋な姿を撮りたいと思っていたわけですけど、鳳羅くんに接するようになって、子どもには 「子どものルール」 があるということがわかってきました。ただし、大人が考えたルールからは完全にはみだしているんですけど(苦笑)。 時間の使い方、何に目的意識を持つのか、何に興味を持つのか。これらが大人とはまったく違う。同じ風景をみても、大人が考える範囲以外のところを見ていて、 まったくの別世界を感じていたりする 。それを映し撮りさえすれば、自然と目指すものになるのではないかと思いました。 ダミアン :僕は鳳羅くんの中に、喜劇王のチャップリンを見いだしていました。彼ならきっと人とは違う世界を見せてくれる。たぶん彼が次にどんなリアクションをするのか楽しみで目が離せなくなると。 五十嵐 :僕ら大人はもう子どものころの感覚って、忘れてしまっている。考えたところで浅はかなアイデアでしかない。だから、そこに頼るよりも、鳳羅くんを信じる。こちらの枠にあてはめないで、彼に自由にやってもらう。そうすれば、なにか彼から子どもならではのことが出てくるだろうと。 たとえば犬を相手にほえ合うシーンがあるのですが、犬にほえられたら、本能的な反射で彼はほえ返す。それだけなんだけど、もう目がくぎ付けになる。最終的には、僕たちが、鳳羅くんの世界に入っていって、そこで映画を撮る感覚でした。 ■「子どもの正しい判断力」を親は奪っていないか 少年は父の仕事場を探して、寒さ厳しい雪の中、道をトコトコ歩いて、電車にのって記憶をたよりに目的地を目指します。しかし子を持つ身としては、ついつい“危ない”とか“気をつけろ”とか思ってしまう。しかし一方で、もっと子どもの本能を信用しなければいけないという気にもさせられます。 筆者自身、「寒いから手袋して」、「マフラーまいて」とか、本人任せにしてもいいことまでついつい口を出してしまっている気がします。でもそんなこと言わるまでもなく、 「子どもには子どもの正しい判断力」 があって、過度な干渉は必要ないのではないか? といったメッセージが作品から伝わってきます。 五十嵐 :雪が降っている中で、子どもがひとりで出かけるというのは相当危険な行為だと思います。道をわたるのも危なっかしいし、電車に乗るのも大丈夫かなと思いますよね。子どもにとっては大冒険。ただ、こうした経験を多かれ少なかれ僕らも子ども時代に体験しているんじゃないですかね。 海で泳いでいたら、想像以上に沖に出てしまったとか(笑)。それで初めて 身をもって危険を感じる 。そういったことはいまでもふと頭をよぎる瞬間があって、忘れてはいない。こういう判断力って自分で実際に経験して初めて実感として体得していくような気がするんです。それが自分の生きていく上での力にもなる。 危ないことは知識として知っているけど、 「どう危ないのかわからない」ことが本当は危ない 気がする。もちろん経験することの限度はあると思うけれど、危険なことをすべてシャットアウトしてしまうのはどうなんだろうと個人的には思います。僕自身も今回、鳳羅くんをとおして、子どもの判断力や自立心をもっと信じてあげてもいいんじゃないかなと思いました。 ダミアン :そして子どものときの自由な時間、ひまな時間ってすごく長い。大人になると、「子どものとき、あんなに時間があったのに、なんでなにもしなかったんだろう」って思ったりするぐらい(苦笑)。 この 「自由に想像をめぐらす時間」 も子どもには必要なんじゃないかなって思いました。こういう自由な時間が持てるのも、じつは子どものときだけなんじゃないかな。だからこそ大切にしてあげたい。 実際の日本についてはよく知っているわけではないけれど、なんとなく日本の子どもにはあまり自由がない印象がある。フランスはもうちょっと自由がある。ただ、怒るときは世界共通で、親はものすごく怖いけどね(笑) ■「子連れのお母さんを見守りたい」と思える作品 本作を撮るときに、監督たちは鳳羅くんと男同士の約束を交わしたと言います。たとえば「今日は終わったら一緒に遊ぶから、あとワンシーンは撮ろうね」と。それを鳳羅くんが守れないときは、きちんと叱ったそう。「映画とか僕の都合ではなくて、人と人が約束したこと。僕と鳳羅くんの問題だから。」と五十嵐監督は話します。 ――今回の作品をとおして、自身の少年時代といまの子どもたちと比べて、感じた違いはありましたか? 五十嵐 :たとえばスマホといった社会や時代で表面的なことは変わっている。でも、本質的なところでは、あまり変わってないんじゃないか。子どもは子どもでしかなくて、じつは僕たちが子どものときとなにも変わらないのではないかと思いました。 ダミアン :僕も同じ意見。たとえばパリの子は大人っぽいし、田舎はもっと子どもっぽい。でも、子どもの持っている本質みたいのはまったく変わらないんじゃないかな。 五十嵐 :たとえば鳳羅くんはゲームが大好きです。でも、あんな雪国に住んでいるのに、雪でも楽しんで遊ぶんですよね。「雪=ちょっとウキウキ」みたいな感覚は、子どもから失われていない。 ――お二人ともまだお子さんはいらっしゃらないということですが、ご自身も将来、子どもを持ちたいと思いましたか? 五十嵐 :想像できないというのが正直なところ。でも、毎日のこと考えると、大変ですよね。とくに悪ガキの男の子をもったら(笑)。 今回、鳳羅くんと接するなかで、僕は自分の母に感謝しました。そして東京などで電車に乗っていると、子連れのお母さんをよく見かけます。いつも大変そうだなと思ってましたが、その苦労は想像以上だと思う。もっと社会として優しい目でみていいんじゃないかなと思いました。 ダミアン :想像はしましたね。自分も「子どもをもったらどうなるのか?」と。たぶん大変。でも、そうなったらがんばるしかないかな(笑) 『泳ぎすぎた夜』 4月14日(土)よりシアターイメージフォーラムほか全国順次公開 日本の五十嵐耕平監督とフランスのダミアン・マニヴェル監督が、青森県平川市に住む小学二年生の男の子、古川鳳羅くんとともに作り上げた、これまでにない子ども映画。ある朝、すでに仕事に向かっていない父親にふと自分の書いた絵をみてほしいとおもった6歳の少年。思い立ったが吉日と彼は父親の働く魚市場へ! ここから少年のとても小さいけど、本人にとっては大きな冒険がスタートする。 子どもだけに流れる豊潤で自由な時間を映像に映しこむことに成功したそのシーンの数々に驚かされる1本。大人が見過ごしがちな、子どもの可能性と豊かな感性を体感できることでしょう。
2018年04月13日かわいい赤ちゃんなのに、なぜか着ているのは黒のスーツ! そのビジュアルが早くも話題になっている 『ボス・ベイビー』 は、『マダガスカル』シリーズを手がけたトム・マクグラス監督の最新アニメーション。 ちょっと変わった設定のコメディ作品なのですが、単なるお笑い話ではない、とりわけ兄弟、姉妹がいる親としてはいろいろと考えさせられる内容の1本になっています。 ■黒いサングラス、スーツを着こなした赤ちゃんはスパイ!? この『ボス・ベイビー』ですが、設定が特殊なのではじめに少しその説明を。 主人公は7歳の少年、ティム。ひとりっ子の彼は両親からの愛情を一身に受けて毎日を過ごしています。ところがある日、何の前触れもなく赤ちゃんがやってきます。なんとタクシーで家の前に乗りつけ、黒いサングラス、スーツを着こなし、ブリーフケースをもって(苦笑)。 両親は“新しい家族”“弟”といいますが、ティムは納得できない。というのも、この赤ちゃん、両親の前では愛くるしいが、ティムをライバル視してるようなところがある。そのティムの直観は大正解。じつはこの赤ちゃんは見た目は赤ちゃんだけど、 心は中年のおっさん という“ボス・ベイビー”で、「ベイビー株式会社」から送り込まれた刺客だったのです。 この「ベイビー株式会社」は、天から人々に赤ちゃんを授けるのがおもな業務。ただ、ここにきて赤ちゃんの人気がペットの躍進で急降下。ティムの両親が務める「ワンワン株式会社」が近く発表予定の永遠に子犬のままの”フォーエバーワンコ”の販売を阻止すべく、送り込まれたスパイなのです。 ■突然現れた“弟”に親の愛情を独占されたら… ティムにその正体はばれたものの、両親は実の子どもと信じて疑わない。ボス・ベイビーの巧みな作戦もあって、両親はメロメロ。小さな赤ちゃんをもつ親御さんはわかると思いますが、朝から晩までとにかく目を離せない。つきっきりで面倒を見ることになり、ティムはついつい放っておかれてしまいます。 作品の前段パートから痛切に感じられるのは、 ある日突然、お兄ちゃんになってしまった ティム=小さな男の子の胸の内にほかなりません。 突然現れた“弟”という存在にティムはなすすべなく、いままで自分に向けられた 親の愛情 を独占されてしまう。この理不尽さにティムはどうしていいかわらかない。就寝前、お決まりだった寝かしつけの絵本3冊、ハグ5回も、ボス・ベイビーの 夜泣きに負けて 自然消滅してしまう。 それでも両親の気をひこうとするティムですが、その涙ぐましい努力も、ボス・ベイビーの泣き声ひとつにかなわない。そこからは否応なく兄になった男の子の戸惑いや寂しさ、不満ややりきれなさといった気持ちが痛いほど伝わってきます。 同時に彼は親の気をひこうとちょっとした子どもっぽい(実際に幼いから仕方ないのですが…)も行動も起こします。そこからは、兄となった子どものしがちな行動や心理が読み取れます。 おそらくティムのとる行動は、多子家庭の親御さんならば“こういうことあるある”と思いあたる節があるはず。わかっているつもりでも、ついつい“お兄さんなんだから” “甘えない”“我慢しなさい” としかって片づけてしまっていることがあるのではないでしょうか。 ただ、ティムの心に思いを寄せたとき、ちょっと反省させられ、親子のコミュニケーションについて考えさせられることでしょう。 ■兄弟がいるって、ほんとうはとても楽しい! このあと、少し話が進むと今度はティムとボス・ベイビーは、あることで利害関係が一致。一気に手を組んで良きコンビぶりを発揮します。 ここから垣間見えるのは、ずばり 兄弟愛 。行動をともにするうちにティムは実際は弟でもなんでもない赤の他人、しかも少し前まで宿敵だったボス・ベイビーに特別な感情を抱くようになります。 たとえばいままでひとりで遊ぶのがおもちゃも独占できて楽しいと思っていたけど、相手がいるともっと楽しいことを知る。弟がいると楽しいことも喜びも倍になる。落ち込んだときは励ましてくれる。悲しいことや気のめいることが半減する。 そうした分かち合いがあることに気づいていきます。いいことも悪いことも一緒に経験して、本物の兄弟のように深く結びつく二人の姿は、すなおに感動を覚えるはずです。 ■赤ちゃんよりもペット? これからの世界を暗示!? 最後にもうひとつだけ。 ペットが赤ちゃんよりも愛される存在 になったという設定は見逃せないポイントです。ペットが家族の一員という認識が世界で広まっていることはたしか。それを否定するつもりはありません。でも、赤ちゃんより愛される存在というのはいささかショックを感じたというのが本音です。 ほんとうにそれでいいのかと思うと同時に、いまの風潮を見ると、どこかそうなってもおかしくないように思えてきます。それほど子どもへ逆風が吹いている。住民の反対運動で保育園の建設ができなかったり、妊婦が電車で嫌がらせを受けたり、なにかと子どもへの風当たりが強い。そういった社会に対して、大きな問いを投げかける作品にもなっています。 表向きは、大人から子どもまで笑えて大喜びのコメディ映画。でも、その題材の裏を読み取ると、親として子育てについて、子どもがのびのび育ちやすい社会について、少子化問題と、いろいろ考えさせられる大人の映画といっていいかもしれません。 『ボス・ベイビー』 3月21日(水・祝)より全国公開 優しいお父さんとお母さんと楽しい毎日を送る7歳の少年、ティム(声:芳根京子)。ところがその幸せな日々が終わりを告げる緊急事態が!ある日突然、新しい家族としてかわいい赤ちゃんがやってきたのだ。両親は弟というけど、この赤ちゃんなんだか怪しい。それもそのはず、この赤ちゃんは容姿は赤ちゃんだけど、中身は完全におっさんの“ボス・ベイビー(声:ムロツヨシ)”。そして彼は驚くべき秘密の任務でこの家にやってきたのだった! 見た目は赤ちゃんなのに中身はおじさんの“ボス・ベイビー”と彼を弟にもった少年を主軸に、友情と冒険の物語が進展する1作。大人も子どもも楽しめる全世界で大ヒットしている注目作です。
2018年03月20日NHK Eテレの番組 『プチプチ・アニメ』 で現在放送中の人形アニメ 『森のレシオ』 や、Mr.Childrenのミュージック・ビデオ 『HERO』 。こちらのパペット・アニメ―ションを一度目にしたことがある方は多いのではないだろうか。 この2つの作品を手掛けたのは映像作家、 村田朋泰さん 。今回、彼の作品を集めた特集上映が開催されます。CGを使わず、アナログにこだわった温かみのある彼のパペット・アニメは世界から高い評価を受け、大人から子どもまでを魅了します。その作品に込めた想いを本人にききしました。 ■説明をしつくさないことで、親子の対話が生まれる 村田さんの作品は、たとえば大人だったら幼少期の記憶の扉をノックされるようで、ふと子ども時代の体験やあのとき抱いた感情がよみがえってきます。一方、子どもだったら、別世界に連れて行ってくれる、想像の世界を広げていくおもしろさがあります。その要因のひとつが、セリフを一切つけないことではないでしょうか。 ――なぜ、セリフを一切つけないスタイルをとろうと思ったのでしょうか? 子どものときから映画が好きで、その影響が大きいかもしれません。僕が子どものころ、1980~1990年代の映画は、いまのように懇切丁寧な説明がないというか。セリフにしても極力省いて、基本的には“画”で見せる作品がけっこうありました。 “このことはこういうことなのかな”とか、“なんかわからないけど、すごく印象に残る”といったような解釈が自由で感覚に訴えかけてくる作品が僕自身好きで。そういうある意味、受け手に委ねるというか、受け手の感受性を信じている作品に心ひかれたんです。 説明できたり、へんに理解できた気になったりする作品よりも、正直よくわからない、でもなんか心に訴えかけてくるものを作りたいと思いました。だから創作活動をはじめたとき、言葉に頼るのではなく“画”でみせていくことに力点を置くようになっていました。 ――言葉は大切ですし重要。でも、映像においては、束縛のひとつとなってしまうのかもしれません。村田さんの作品は、そこから解き放たれているのかもしれませんね。 もちろん僕自身がこのシーンには「こういう意味を込めているんだ」とか、「こういった気持ちが伝わればいいな」とか考えているところはあります。でも、それがすべてじゃない。 解釈って人それぞれでいい し、正解なんてない。余白を与えることで想像をめぐらすことができる。セリフを使わないのは、その余白作りのひとつでもあります。 ――いまのドラマや映画は、ともすると状況から感情まで言葉で説明していたりする。村田さんの作品は、もっと子どもの感性や解釈を信じて大人が大切にしてほしいというメッセージを含んでいるような気さえしてきます。 説明し尽くしてしまうと、お互いわかっているわけですから、話さなくても良くなってしまって、対話が生まれない気がするんです。それはそれで同じ思いを共有したことになるのかもしれないですけれど、僕の作品を親子でみてくれたら、親子で対話する時間ができてくれたらと思っています。そういう作品でありたい。 “あのシーンはどんなことを感じた?”とか、“あの子はあのとき、どんなこと考えてたんだろう?”とか、 解釈を相手に委ねることで、会話が生まれる 気がする。わからないならばわからないなりに考えて、そのことについて対話する方が豊かな時間になるような気がするんですよね。 ■子どもに「自由に考えていいんだよ」と感じてほしい 今回の特集は、すごく子どもの想いを大切にした作品が多く見受けられます。 ――創作の上で、子どもに向けて考えていることがあるのでしょうか? 先ほどの話につながるんですけど、小さな子どもがパパやママと会話ができる余白を残しておくことは大事にしています。 たとえば、学校の美術の授業で、運動会がお題目だったとします。すると、玉入れやリレーの様子とわかる絵を描いた人が正解でいい点数がとれる。でも、ほんとうは生徒一人一人で運動会の見え方も違うはず。へんな話、そのときの気分を色で表した抽象的な絵があったりしてもいい。そういうことを考える子どもの自由な発想を肯定してあげたい気持ちが自分にはどこかあって。 一定のルールではない、 “自由に考えていいんだよ” と感じてもらえる作品にしたいなと常に思っています。目に見えることがすべてじゃない。この世の中には目に見えない世界もあって、思わずいろいろと空想する子どものイマジネーションを刺激するような作品になればなと思っています。 ■自分の気持ちが置き去りになる「速さ」と自分を見失わない時間 ――大人に向けて意識していることはあるのでしょうか? その記憶にコミットするというか。さきほど、おっしゃっていただきましたけど、記憶の扉をノックするというか、たとえば忘れかけていた感情とかあのころの体験が思い出されるものになればと。 今回上映される中では、娘を亡くしたピアニストがちょっとした夢へ誘われる『朱の路』、大人になっても忘れられない思い出を見つめた『白の路』という<路>シリーズがそういったノスタルジーが顕著に出ていると思います。 ――たとえば下町の理容店を舞台にした『家族デッキ』など、ノスタルジックな世界の作品が多いのはその理由が大きいのでしょうか? 僕は1974年生まれなんですけど、とにかく子どもの数が多い世代でした。受験にしろ、就職にしろすべてが競争で。全部を勝ち抜かないといけなかった。いま思い起こしても喧噪のなかにいて、せわしない感覚がある。 でも、僕は谷根千と呼ばれるエリアが地元なんです。そこは戦時中、空襲にあわなかったので、そのままの古き良き昭和の風情がいまだに残っている。時間がとまったような雰囲気があって。 少年時代、子どもながらにその町に流れるゆったりした時間が心地よかった。受験戦争など周りに一生懸命ついていかなければと焦る自分がいる一方で、その下町のゆったりとした時間と空間があったおかげで 自分を見失わずにすんだ ところがある。その原体験が作品には少なからず反映されている気がします。 ――たしかに、作品はどれもゆったりとした時間が流れています。どういったことを大切にされたのでしょうか? いまどきの作品は、物語もバンバン進んでいくし、ワンシーンにつめこまれている情報量もすごい。たぶんひと昔前と比べたら、スピードも情報量もそうとうアップしているはず。でも、それに人もついていけるようになっている。ゲームとかやっているとすぐなれますよね。 それを否定する気はないんですけど、僕自身はもっとゆったりした時間に身を置くときがあってもいいのではないかなと。僕のなかで「速い」という感覚は、 自分の気持ちが置き去りになって 、流れにのらないといけないというときに感じるもののように思うんです。 そこで 大切なことを取りこぼしたり、見落としたりすることがあるんじゃないかなと。用意されたものを敏速にこなすのではなくて、 一度立ち止まってじっくり考えて 、そこになにかを見つけたり、得難い体験したりすることが大切なんじゃないかなと思うんです。 だから自分の作品は、ゆったりとした時間が流れるようにしているところはあって。知らず知らずのうちに見過ごしていることや抜け落ちてしまうことをくみ取りたい。たとえば、お母さんが子どもに絵本を読み聞かせるするときのような1ページ1ページをめくっていく流れを意識しています。 ■コミュニケーションが苦手な僕がみつけた「居場所」 村田さんの作品は、ゆったりとした時間が流れているからこそ、観客としても映像の隅々まで目が届いて、いろいろと思いを巡らせることができるのではないだろうか。そしてこのゆったりした時間というのは、心地よい時間。それは心地よい場所にもつながっているのかも。 ――村田さんの作品は、自分にとっての「心地のいい場所=居場所」について触れているのも共通テーマなのでしょうか? 僕は子どものころ、みんなと一緒に遊んだり、騒いだりするのが得意じゃなくて。家でひとりでなにかやっていることが好きでした。大学でアニメーションをはじめたときも、研究室のはじっこを貸してもらって、ひとりでちまちまと(笑)撮影していました。 でも、ひとりでいるのが不思議と苦ではない。安息の地でした。いまも基本ひとりというか。もちろんスタッフにいろいろ手伝ってもらうんですけど、僕のスタジオとスタッフのスタジオは別に用意していて、ほどよい距離をとっています。 昔から自分の世界でいろいろとモノづくりするのが性に合っているんです。ある意味、 コミュニケーションが苦手なことが許される 、この仕事が見つけられてほんとうに良かったといまでも思っています。見つけられなかったらどうなっていたことかと(笑)。 でも、人それぞれ、 だれにでも居場所って必ずあるはず 。内向的な僕も見つけられましたから(笑)。そういう僕の意識がどこか作品に反映されているところはあると思います。 ■自分自身が身を置く場所と別世界がとなりにある感覚 もうひとつ村田さんの作品の大きな特徴は、「コマ撮り」。たとえば森の中だったら木から草、土まで手作り。もちろん登場する人形もひとつひとつ手作りのパペット・アニメーションであることです。 ――CG全盛となったいまとなっては、珍しい手法ですね。 子どものころから漫画が好きで漫画家に憧れていた時期がありました。また、映画も好きで、映画制作に憧れてもいたんですけど、映画って大所帯じゃないですか。ですからコミュニケーション能力の低い自分としては厳しい(笑)。 ちょうど大学のころ、マッキントッシュが出てきて、個人での映像制作がしやすい環境が整ってきた。それでパペット・アニメーションなら、人形やミニチュアを自分で作って、たとえば風が吹いているというように自分の思うがまま描くことができるなと。2Dのアニメと映画のちょうど中間ぐらいにあるようで、自分に向いていると思いました。 ――人形にしても小物ひとつもすべて手作りであることに驚かされます。すべてが手作りであるからか、なにかぬくもりがあって愛しい。この情感はCGでは出せないかもしれませんね。 撮影のとき、人形も舞台となるセットも僕のすぐとなりにあるわけです。いわば作品の世界の空気を僕も一緒に共有している。いってしまえばその世界に自分自身も身を置いている。 そのような感覚が映像に定着して、みてくださる方も別世界ではあるんですけど、 その世界がとなりにある ような感じに受け止めてもらえたらなと思っています。 ■東日本大震災をきっかけに何を伝えるべきなのか 心に深く刻まれたのは<生と死にまつわる記憶の旅>シリーズ。このシリーズは東日本大震災と福島原発事故を機に制作がスタートされました。シリーズ5作を予定していて、今回の特集では『木ノ花ノ咲クヤ森』『天地』『松が枝を結び』の3編が上映されます。 ――どうして東日本大震災について描こうと思ったのでしょうか? 東日本大震災と福島の原発事故は、ひとりの人間として ここに生きていることの意味 を考えました。また、ひとりの作り手としてこれからなにを伝えていくべきなのか、あらためて考えるきっかけにもなりました。 そのなかで、「祈り、信仰、記録」をコンセプトに、この日本で繰り返している時代や時間を広い視点から描けないかと。いまは日本人のアイデンティティを掘り下げるとともに、これから生きていく上で 語り継ぐべきもの、忘れてはいけないこと を描き、それが語り継がれるものとして残ってくれるものになればと思っています。 ――とくに震災で生き別れた姉妹の心を見つめた『松が枝を結び』は胸にグッとくるものがありました。 じつは僕も双子で、そこが物語の出発点になっています。対のものがときに重なりあい、ときにぶつかりあう。そうした等しい力がきっこうしたときに生まれるパワーや熱みたいなものをとおして、姉妹の結びつきや伝心するものを描ければと思いました。 ――最後にメッセージをお願いいたします。 自由に楽しんでもらえれば、それだけです。作り手としてひとつだけ触れさせていただくと、自然現象をアナログの手法でどこまで精巧に表現できるかは追求しているところなので、ちょっとだけ気に留めおいてもらえるとうれしいです。 『村田朋泰特集 夢の記憶装置』 3月17日(土)よりシアターイメージフォーラムほか全国順次公開 CGを一切用いらず、アナログにとことんこだわる映像作家、村田朋泰の珠玉のパペット・アニメーションを7作品一挙上映。震災で引き裂かれた双子の姉妹を主人公にした最新作『松が枝を結び』から、NHKプチプチ・アニメでおなじみの『森のレシオ』、下町のタカタ理容店に住む七福神の“髪様”がちょっとした騒動を起こす『家族デッキ』など、これまでの創作から厳選された作品が並ぶ。 大人は子ども時代の記憶を呼び起こされ、子どもは夢のワンダーランドへと誘われるパペット・アニメーションの数々。大人も子どもも想像を膨らます時間になるはずです。
2018年03月11日『アメイジング・スパイダーマン』の成功でスター監督となったマーク・ウェブが手がけた 『gifted/ギフテッド』 は、ひと言で言えば感動のファミリー・ドラマ。 ただし、われわれ、大人にとってはちょっと痛いところを突かれる作品になるかもしれません。なぜなら7歳の主人公である少女の姿をとおして、親と子どもの関係性についてさまざまな問いが投げかけられるからです。 ■わが子が“ギフテッド”だったら… タイトルの “ギフテッド” とは、生まれつき平均よりも高度な知的能力を持つ人および、その能力のことを指します。また、その能力の持ち主ですが、すべての分野に秀でているのは少数で、ひとつ突出した才能をもっているタイプが多数を占めるそう。 ここに登場するメアリー(マッケナ・グレイス)は生まれながらの 数学の天才 。じつは彼女の母親、ダイアンも数学者でした。しかも、世界が注目するほどの高頭脳の持ち主。数学の世界においてある偉業を成し遂げるであろうと将来を嘱望されていましたが、メアリーが生まれて間もなく、ダイアンは自らの命を絶ってしまいます。 残されたメアリーをダイアンの遺言で託されたのは、叔父のフランク(クリス・エヴァンス)。 “普通の生活を送ってほしい” とのダイアンの願いをくみ、フランクは大学教授の職を捨て、ボート修理で生計を立てながらの慎ましい生活環境の中で男手ひとつでメアリーを育てていきます。 ところがそこに縁をきったはずのメアリーにとっては祖母、フランクにとっては母に当たるイブリン(リンゼイ・ダンカン)が出現。メアリーに数学の天賦の才があると知った祖母は、財力にものをいわせて孫娘に最高の勉学の環境を与えようと親権を巡ってフランク相手に裁判を起こします。はたして、メアリーの運命は? ■それは子どもの可能性? それともエゴ? この作品で親世代として、深く考えさせられることが、子どもへの期待について。さらに踏み込むと、「子どもへの期待が、ときとして 子どもの可能性 を奪うことにならないか」ということです。 多かれ少なかれ親はわが子に期待をかけるのではないでしょうか? 最初は「元気にさえ育ってくれたらいい」ぐらいのレベルだったはずが、次第に 親の願望 が出てきてしまうもの。 いつからか何か可能性があるのではないかと、いろいろな習い事に通わせてしまう。少しでも良い教育を受けさせたいと勉学に関することならお金を惜しまなくなる。これらは子どもの可能性をひろげるための親心ではありますが、 期待の裏返し でもあります。 そのことを否定はしません。ただし、子どもにだってやはり向き不向きがある。そこを無視して“あなたならできる”と叱咤激励するのは、はたして本当に子どものためなのか? そこには 親のエゴ が入っていないか? 作品では、イブリンの行為をとおして問いかけます。 ■なしえなかった夢を子どもに押しつける罪深さ そのイブリンですが、じつは彼女自身も数学の天才だったのです。ただし、家庭に入ることでその才能を存分に発揮できないまま終わらせてしまった過去を持っています。その夢は娘ダイアンへと引き継がれ、ダイアン亡き後には孫のメアリーへ引き継がせようとします。 なによりも数学を学ぶことを重視するイブリンは、メアリーに最高の数学教育とそれを学ぶ環境を与えたい。それ以外は邪魔でムダとばかりに、排除しようとします。それに対し、フランクは異を唱えます。でも、イブリンは聞く耳をもちません。 自分としては孫娘メアリーのためをおもって、良かれと思ってやっている思いが強い。自分のやり方が正しいと信じて疑わないのです。しかし、ラストでイブリンは子どもへの 過度の期待 が自らに大きな代償となって跳ね返ってしまうことに気づかされるのです。 このイブリンの払った代償について、親は深く考えさせられることでしょう。また、 子どもだってひとりの人間で、きちんと自分がある。それを所有物のようにしてしまうことの罪深さ をあらためて目の当たりにするのではないでしょうか。 ■子どもが生き抜くために親がすべきことは? 本作が気づかせてくれる重要なことは、ともすると忘れがちになる親として 「子どもにすべきこと」 です。ごく普通の小学校に通い始めるメアリーですが、天才ゆえ通常の学習はつまらない。クラスメイトも“幼稚で付きあってられない”とちょっとバカにしてしまうところがあります。また、自分を子ども扱いする先生にも反抗的な態度をとりがち。 ただし、それをフランクはひとつひとつ諭していきます。“世の中にはいろいろな人がいる。自分は人より秀でているからといってすべてが思いどおりになるわけではない。人を見下してはいけない”と語りかけているかのように。 そして、気づくと数学のことしか考えなくなるメアリーを外へ連れ出し、自然と触れ合う時間をもとうとします。 “勉強だけが人生じゃない。世界は広い。人生には楽しいことがいっぱいあるのだ” と伝えるかのように。 とかくいまの時代、わが子かわいさゆえ、誤ったことがあってもその要因を別に求めがち。ついつい“うちの子に限って”と思いがちではないでしょうか? 親として事実を把握して、きちんと子どもと向き合うときがある。この世界をきちんと見せる。そのことの大切さをこの映画は教えてくれます。 いっけんすると普遍的な家族ドラマですが、細かく目を向けるとひとりの親として考えさせられるシーンに次々と出くわします。とくにメアリーと同世代の子どもをもつ親御さんには感じるところが多いと思う作品になっています。 『gifted/ギフテッド』 11月23日(木・祝)よりTOHOシネマズ シャンテ ほか全国ロードショー 公式サイト:
2017年11月22日現在、日本テレビ系で放送中の 『先に生まれただけの僕』 。 櫻井翔 ふんする教育現場のことなどなにひとつ知らない若きビジネスマンが旧態依然とした学校に風穴をあけていく奮闘劇です。 ただし、その大筋だけで見てしまうのはちょっともったいない。学園が舞台なのでティーン向けに思われがちですが、このドラマは違います。むしろ子どものいる親ほど意義深い内容になっているからです。 ■社会の理不尽や格差を伝えることの意義とは 5話までの個人的な見解ですが、もっとも考えさせられたのが、 「社会の本音と建て前」 をどこまで子どもに伝えるべきかということ。本音と建て前は、「社会のいいところ、悪いところひっくるめてのリアル」と言い換えていい。もっといえば、 はたして自分はいまの現実社会の “明と暗” を子どもにきちんと伝えることができているか ということです。 本ドラマの主人公で新米校長の鳴海涼介は、社会に “理不尽や格差 ”があることを生徒たちに隠しません。ちょっと前のめりの性格もあってか自分が良かれと思ったら、ネガティブなことも生徒にズバズバ伝えていきます。 ●デジタル万引の愚かさと罪 ある生徒がコンビニエンスストアで漫画の全ページをスマホで写真に撮るデジタル万引をしでかしたとき。 担当教師は、メールをみていただけとしらを切る生徒を、注意にとどめて一度見過ごす選択をします。本音のところでは追求しなくてはならないと思っているが、ここは穏便に済ます 建て前を選択 するのです。 対して、鳴海はどうか? 生徒を責めることはないが、「デジタル万引の愚かさと罪」を徹底的に説明。漫画家の著作権のこと、お店が被害をこうむること、 価値あるものには対価が必ず生じること など安易な隠ぺいには走らずに、きちんと説明することで反省を促していきます。 ●企業の有名大学採用の現実 あるときは大学進学を前にした3年生に、学歴が及ぼす就職の現実を話します。 「うちの学校の学力でいける大学は、たかがしれている。そういう大学に入っても、残念ながら就職に有利になるとはいえません。企業は採用する際、優秀な大学の生徒をポイントに置いている現実がある。ですから、みなさんは 人間力 で勝負しなければならない」と。 ●奨学金が借金である覚悟 家庭の事情で大学進学をあきらめかけた生徒に対して、担任は奨学金制度があることを報せ、大学進学を進めます。 でも、鳴海は奨学金はじつは借金で、大学卒業したらすぐに返済が始まること、それで苦しむ学生が多い現実を伝えます。それでこう問います。 「その覚悟があるか」 と。 ■理想論だけでは子どもは不安を増すだけなのか? たしかにいずれも厳しい言葉です。夢も希望もない(笑)。その言葉を受けた登場人物たちもはじめは戸惑いを隠せません。ただし、ドラマ上ではありますが、いずれも生徒たちは現実をきちんと受け止め、自分という人間について考えをめぐらせます。 先行きが不透明な時代。世界情勢をみてもけっして楽観視はできない。いま、社会に厳然とある現実は、それがたとえひどいことであっても変に包み隠さず、子どもには伝えるべきではないのだろうかということ。 むしろへんな理想論や絵空事だけ伝えていると、結果として 子どもたちにわからないことの 不安感 を与え、かえって将来像を描きづらくさせているのではないだろうか という心配です。厳しい現実であっても情報を与えないことによって、きちんと物事を考える機会を奪ってしまっているのではないだろうか。親としてどう行動すべきなのか、突き付けられている気がします。 ■危険を遠ざけてしまう親の立場を見直すべき? ふり返ってみると、社会人になったとき、“これは学生時代に知っておきたかった”“子どものころに教えてほしかった”といった仕事や社会の常識があります。逆に“夢が壊れるので知りたくなかった”という経験をした人もいるかと思いますが…。 いざ自身が親の立場になってみると、すっかり抜け落ちて子どもに伝えていない。わが子かわいさか、どうしても起きそうな 危険や危惧 されることをいち早く察知して、そこから子どもを遠ざけようとしがちです。 それでいて子どもになんでダメなのか聞かれると、“悪いことは悪いんだ”“これはいいことなんだからやっておきなさい”と、具体性に欠ける説明ですましがちです。私自身も思い返すと、そんな対応をした記憶がちらほら…。 ただ、そこは子ども。もし現実を伝えるならば、実例をあげてしっかり説明してあげなければならない。あいまいな説明では、大人ならなんとなく察しますが、子どもは納得できない。もちろん、時と場合をしっかり考えることが必要になるでしょう。 鳴海はいい意味で、子どもを子ども扱いしません。人として向き合う。 人生の先輩 として社会のリアルを伝えていく。それがいま必要ではないか? このドラマからはそんなメッセージが聞こえてくるようです。 もちろんこれが正解かはわかりません。ただ、やはり、現実の厳しさはいずれ体験するもの。いましきりに“説明責任”という言葉が報じられますが、われわれは大人として、子どもに説明責任を果たしているのか? 現実を見せないままでいいのか? そんな問いがなげかけられているように思います。 今後、どんな展開を見せるかわかりません。でも、本ドラマは大人が子どもに伝えるべき社会の現実のひとつの目安、ひとつの指針を与えてくれるような気がします。
2017年11月17日保育園に入れるか否かは、共働き世帯にとっては、その後の人生プランが揺らぐぐらい切実な問題。働くママたちの声がようやく届き始めて、遅ればせながら待機児童対策に乗り出す自治体もここにきて増えてきました。 その待機児童問題と同等に語られてもいいのではないかと思う保育の現場を直視しているドキュメンタリー映画 『夜間もやってる保育園』 。どこか置き去りにされた、というよりもほとんど語られてこなかった 認可夜間保育園 に本作は目を向けています。なぜ夜間保育園を映画の題材に選んだのか、制作に至った経緯、そして取材して実感した現実を大宮浩一監督にお伺いました。 ■夜間保育園はなぜ世間一般に知られていないのか? これまで介護福祉や東日本大震災の被災地といった現場に足を運び、記録してきた大宮監督。今回、 夜間保育園 を取り上げたのは、一通の手紙がきっかけだったそうです。 「今回の作品に登場するエイビイシイ保育園の片野清美園長から手紙をいただいて。僕の過去の作品をみてくださっていて、『夜間保育園の映画を作ってほしい』と。それで直接お会いしたのですが、 夜間保育園の重要性や必要性 が話からひしひしと伝わってきたんです。 私が不勉強なだけかもしれないけど、自分の感覚からすると、『夜間保育園の存在ってそこまで世間に浸透していないのでは?』と思って。そこで実際の現場を見てみようと心が動きました」 ■夜間“に”やっているではなく、夜間“も”やっている保育園 当初、夜間保育園について監督自身は、こんなイメージを持っていたそうです。 「私は、子どものことをほぼ妻に任せっきりの昭和のオヤジでしたから、幼稚園と保育園の違いがかろうじてわかるぐらい。だから、ほんとうに恥ずかしいんですけど、夜間保育園とはじめ聞いたとき、それこそ夜遅くまでお遊戯とかしているのかなとか思っていたんです(苦笑)。 通常の保育園が昼間にやっているようなことを夜も行われているのかな、と。でも、実際に訪れてみると、子どもたちは夕食を食べ、入浴し、あたり前ですけど夜には静かにぐっすりと寝ているわけです。 子どもが安心して安全に眠れる 。それを夜勤の保育士がしっかりと見守っている。夜間保育園は生活の場なんだと、そこでようやく気づきました。 また私は、夕方から登園して朝まで子どもを預かるみたいな、夜間だけやっている保育園をイメージしていた部分もあります。でも、実際はタイトルにもなってますけど、 夜間“も”やっている保育園 なんです。昼間は昼間の保育園として機能しているんです。 いかに自分が何も知らなかったかを痛感しました。ただ、私のように勝手なイメージをもっている人も多いんじゃないかと思うんです。そこで、これはきちんとした現実を伝えなければいけないと思いましたね」 ■夜間に子どもを預けて働く親への偏見や批判の目 大宮監督が訪れたのは先に触れた「エイビイシイ保育園」をはじめ、沖縄県那覇市にある「玉の子保育園」、北海道帯広市にある「すいせい保育所」、新潟県新潟市にある「エンジェル保育園」、東京の「たいよう保育園」など。 各園の日常を収めるとともに、そこで働く保育士や園長、実際に利用しているママたちにインタビュー取材を行い、現場と保護者の生の声に耳を傾けています。なかでも、夜間に子どもを預けざるをえない現状に対する 負い目 や、“ここに預けられなかったら、生活がどうなっていたかわからない”といった 苦しい現実 に直面する母親たちの言葉が深く印象に残ります。 「片野園長と最初にお話ししたときも、伝えられたんです。 『夜間に子どもを預けてまで働く親と、その子どもを預かる夜間保育園には 偏見や批判がある 』 と。でも、これだけ核家族化が進み、共働き世帯も増加している。家庭の事情もさまざまで夜に働くしかない人だっている。ひとりで家事と育児をこなすシングルペアレントだってもう珍しくない。 夜間に子どもを預けている親御さんたちは、育児を放棄しているわけではないんですよ。夜間保育園だって通常の保育園となんら変わらなくて、園内には笑顔と泣き顔があふれ、元気な声が響いている。なのに昼間に預けるのは問題なくて、 夜だと悪 に決めつけられるのは、いまの時代や社会状況を考えてみても、ちょっと違うでしょう。見ていただければわかると思いますが、夜間保育園も通常の保育園も 子どもたちの大切な育ちの場 であることに変わりはない。 エイビイシイ保育園は、完全オーガニックの給食や療育教室を実施したりと、むしろ時代の先をいく取り組みをしているところもある。そしてなにより働く親と、その子どもにとっての重要な セーフティ・ネットのひとつ になっている。 全国で保育園は2万5千ヶ所ぐらいあり、そのうち認可夜間保育園は80ヶ所ほどしかない。それゆえ、知られていないからこういう批判や偏見も出てきてしまうのかもしれない。今回の作品を通して、夜間保育園やそこに預ける保護者に対する偏見が少しでも消せたらうれしいですね」 ■「保育が変われば社会がかわる」日本の子どもをめぐる状況 そして大宮監督はこう訴えます。 「ニュースを見ても、むごたらしい幼児虐待の事件が次々と飛び込んでくる。少し前までは、これほど報じられることはなかったと思いますけど、いまは…。最近も給食をほとんど与えていなかったといった保育園の事件があったり。子ども食堂や給食で、命をつないでいる子どもがいたりする。 『こどもひとりの命を大切にできない、守ることもできない社会ってどうなの?』 って思うんですよね。作品のコピーに “保育が変われば社会がかわる” と記しているんですけど、これは偽らざる本心なんです。子どもにもっと寛容な社会であってほしい。今は、日本の子どもをめぐる状況が少しでもいい方向に改善されていくことを願っています」 監督の言うように夜間保育園の現場からは、たしかにいまの日本の子どもをめぐる社会の環境が見えてきます。そこには親として多くの気づきがあると思います。意外と知られていない夜間保育園の現状に少し関心を寄せてみてはいかがでしょうか? 『夜間もやってる保育園』 9月30日(土)より、ポレポレ東中野にてロードショーほか全国順次公開 公式サイト:
2017年09月28日スクールカースト 、 いじめ 、家庭環境の 経済格差 など、これらの問題の渦中に入ってしまった少女の孤独や屈辱に戸惑い、心の叫びが痛いほど伝わる映画 『わたしたち』 が9月23日(土)公開されます。 子どもを主人公にした名作と呼ばれる映画は数多く存在します。でも、それらのすべてが子どもの立場にたったものになっているのでしょうか? 本作は、今を生きる子どもたちの気持ちを代弁し、子どもの心模様が手に取るように伝わってきます。 現代の学校 における子どもたちの間では、どんなことが起こりうるのか? 大人として考えさせられることが多い作品になっています。 ■誰にも相手にされない10歳の少女が主人公 主人公は10歳のソン。地元の小学校に通う彼女は、スポーツが得意なわけでも、勉強がとりわけできるわけでもない。クラスで“その他大勢”のところにいるさして目立たない存在の女の子。 でも、いまの彼女はクラスになじんでいるとはほど遠い。というのも、ついこの前まで仲良くしていたはずのボラが成績優秀で女の子グループを仕切りはじめるとソンへの対応が豹変。完全に距離を置かれてしまいます。これはほぼ 誰にも相手にされない こととイコール。 ところが、そんなソンに転機が! 夏休み前日の終業式の放課後、転入の手続きにきていた転校生のジアと出会ったのです。家は裕福ながら両親が留守がちで寂しさを抱えるジアと、ソンはすぐに仲良くなり、友情を深めていきます。ソンにとってはこれ以上ない楽しい夏休みが過ぎていきますが、その幸福な日々は続かず…。 たまたまジアとボラが同じ塾に通っていたことから、二人は急接近。ソンのクラスでの立ち位置も知ったジアは、瞬く間にボラのグループに合流します。新学期が始まり再びひとりぼっちに戻ったソンは、それでもジアとの関係を修復しようと試みます。 ■スクールカースト、いじめ。いま、少女に何が起こっている? スクールカースト、いじめ、家庭環境の経済格差など、韓国のユン・ガウン監督はこれらの問題の渦中に入ってしまったソンの心の揺らぎを丹念に切り取っていきます。 教室でひとりで過ごすときの 孤独感 。ドッチボールのチーム分けで最後まで選ばれないことの 恥ずかしさと屈辱 、さらに自分がチームに入ったことで友人にがっかりされることのやるせなさ。相手のことを思ってやったことが裏目に出てしまったときの 焦り 。 こうしたちょっとしたボタンの掛け違いが、友情に亀裂が生じてしまう恐怖や昨日の友が今日の敵になってしまう哀しみ。ソンの揺れ動く心情が、言葉ではなく彼女の表情やしぐさからこちらへと届けられます。その肉体をもって表現された感情は、言葉よりも強力。そのパワーはソンの心の叫びとなって、こちらへと痛いほど伝わってきます。 こうした感情は、おそらく誰もが一度は味わったことがあり、だからこそいたたまれない気分に陥ります。でも、その切実さは同時にけっして目をそらすことができない気持ちにもなるはず。 この映画には、ほとんどの子どもが 当事者意識 をもつほど、無視できない“今”を生きる子どもたちの偽りのない感情と本心が存在します。この映画の舞台は韓国ですが、 どの国のどの学校でも 起こっていると思われることで、“これはわたしたちの物語だ”と思いを共有する少年少女も少なくないでしょう。 ■大人たちの形成した社会の縮図の問題点とは 一方、親世代にも、ここで描かれる物語は多くのことを教えてくれます。10歳の女の子にとって学校も大きな社会ですが、自分の家族もひとつの大きな社会。そのまなざしは大人へも注がれます。 そこで気づかされるのは、 子どもは親をよく見ている ということ。いい意味でも、悪い意味でも親はわが子に大きな影響を与えている。ちょっと耳の痛い話になってしまいますが、親としては自分が子どもときちんと向き合っているか? 社会の中で子どもに恥ずかしくない立ち振る舞いをしているか? そんなことを考える時間になるかもしれません。 いずれにしても、スクールカーストやいじめの問題は子どもだけの問題ではない。現在を生きる大人たちの形成した社会の縮図であることを痛感することでしょう。もしかしたら、これが本作の裏のテーマかもしれません。 けっして軽いテーマを扱っている映画ではありません。でも、子どもの心に寄り添ったドラマは、大人も子どもも、きっとすっとその世界には入り込めることでしょう。親子で観て、学校のこと、友だちのことなどを語り合いたい映画です。 『わたしたち』 9月23日(土)より、YEBISU GARDEN CINEMA ほか全国順次ロードショー 公式サイト: www.watashitachi-movie.com
2017年09月21日重松清 の原作を映画化した 『幼な子われらに生まれ』 は、DV、離婚同士の再婚、女性のキャリアと出産、育ての親と生みの親といった、日本ではもうめずらしくなくなった社会と家族の問題が絡みあい、もつれあいながら物語が進んでいく。 本作でのキーワード“家族”には、さまざまな社会的テーマが内包されている。そのなかで、自分がもっとも強く感じたポイントをひとつあげるとすれば “父の存在” だ。 ■娘のいるお父さんが、深く肩入れする物語 田中麗奈 が演じる奈苗は、DV被害に遭い、その夫と離婚後、 浅野忠信 扮する信と再婚。その奈苗の元夫で暴力を振るった張本人、子どもにも愛情を抱けず家庭に不向きと自分で判断した 宮藤官九郎 扮する沢田。彼らの実の子で小学6年生という微妙な年ごろを迎えた薫。 この家族をとりまくどの登場人物に肩入れするか、もしくはどの問題に興味を抱くかで、まったく違った風景が見えてくる。なかでも浅野忠信が演じる信の在り様は、子どもを持つ父親、もっといえば 娘のいる父親 こそ感じる部分が多いといっていいかもしれない。 彼は普通のサラリーマンで、妻と、小学校6年生の薫とその妹の恵理子と暮らしている。ただ二人の娘は、信の実の子ではなく、妻の連れ子だ。 再婚して4年、なんとなく家族関係が築けたころ、奈苗の妊娠が判明。うれしくないことはないが、二人の娘のことを考えると、彼は複雑な気持ちにならざるえない。また、彼には前妻との間にも沙織という娘が。定期的に実の娘と会う機会をもっていることも、連れ子である娘たちへの引け目へとつながっている。 だからといって間違ったことを子どもがすれば、きちんとしかるし、注意もする。良き父でありたいとは思いながらも、必要以上に遠慮すれば溝ができることも、愛情も伝わらないことも承知している。 子どもへの向き合い方は仕事へのスタンスにも表れ、残業して昇格するより、必要以上に残業をしないで、子どもとの時間に当てるのを選ぶタイプ。実際、彼は降格人事ともいえる出向のうわさ話が出てきたとき、“働けて同じような給与をもらえれば仕事はなんでもいい”と打ち明ける。結果、かなり理不尽な職場へ出向となるが、どこか受け入れているふしがある。 良い意味で、自分らしい生き方を模索し、対外的なことや他人の評価といったことはあまり気にしていない。周囲の目はどうでもいい。要は、内情さえよければ問題ないのだ。 ■頑固オヤジ→ダメオヤジ→そして現代の父親は? これまでの日本のドラマや映画において、この信という人物はきわめて異例といっていい。逆を言えば、これまでのドラマや映画において、彼のような人物が主要キャラクターとして登場することはほとんどなかったのではないだろうか? そういう意味で 新鮮味のある父親キャラ といえる。 ひと昔前、日本の映画やドラマに登場する父親といえば、父の威厳を振りかざす厳格な 頑固オヤジ が相場だった。しかし時代が平成へと移り始めてからだろうか、その父親像は崩壊し、いわゆる ダメオヤジ がとってかわった。 家庭から疎まれ、子どもに尊敬もされなければ、妻に敬意を払われることも少ない。ほとんど存在感ゼロ。“父の存在”どころか、“父の不在”で語られる作品もめずらしくなかった。そして、こうしたステレオタイプな父親像がいまだ多く現代の映画やドラマには登場する。 ただ「自分の周囲」に限っていえば、自身が子を持つ父としていろいろな親御さんと出会う中で、こうした映画に多く登場するようなお父さんに出会ったためしがない。はっきり言ってしまえば、映画やドラマに登場する父親は、フィクションということでは片づけられないぐらい、現実からかなりかけ離れている気がしてならない。 対して、この信という人物はどうか? この信という人物を前にしたとき、自分の皮膚感覚で日々体感している “いまどきのお父さん” に彼はかなり近い。自分の周囲にいても不思議ではないと思えるほど、身近な存在に感じられる。そういう意味で、 “自分の代弁者がようやく登場した” と共感を覚えるお父さんは、私以外にも多いのではないだろうか? ■ヒーローじゃない。でもいまの父親に求められていること 昔の父親とは違って、いまの父親は子どもにも関心があって、女性が働くことも異論はなく、自分なりのワークスタイルも確立している。そして信と同じように、それでも家庭生活は順風満帆とはいえず、悩みは尽きない。 年ごろを迎えた、奈苗の連れ子、薫にはある日突然、話すことさえ拒まれ、“ほんとうのお父さんに会わせろ”と言い放たれる。 “自分はほんとうの父親になれないのか” という事態に直面し、心が揺らぐ。一方で、実の娘である沙織がすでに自分の手から離れている現実を目の当たりにすると、どこか一抹の哀しみを感じる。 そうした事態に直面し、信は子どもとの関係、妻のとの関係、家庭の問題を、やりきれない気持ちを抑えられずに試行錯誤しながら、解決というよりも、いい着地点を見いだしていく。 そんな信の苦悩し、奮闘する姿からは、 いまの父親たちに求められていること が浮かび上がっているように思える。たとえば、父親の家庭における役割、親が子どもにしてあげられることなど。ヒーローとは言い難いが、父としてその役割をまっとうしようとする信の姿に、勇気づけられるお父さんはきっと多いに違いない。 裏を返せば、お母さんたちにとっては都合のいい話にもみえるかもしれないが(笑)、いまどきの夫が考えていることがつまっている作品となっている。 きわめて 現代の父親像を描き切った 1作であり、とりわけいまを生きるパパたちに感じることが多い作品であることを約束したい。 『幼な子われらに生まれ』 8月26日(土)、テアトル新宿・シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー 公式サイト:
2017年08月24日いま子育て奮闘中の現役父母の現場の声と、乳幼児教育に関する専門家のアドバイスなどが収められているドキュメンタリー映画 『いのちのはじまり:子育てが未来をつくる』 。 育児のヒントをくれるテキストとしての役割を持つとともに、重大な 未来への提言 も行われています。それはこれからの社会の根本に関わること。よりよい平和な社会を築こうと思ったら、きちんと子どもたちの権利を守る社会を作らないといけないということです。 ■「将来の夢がない」と答える世界の子どもたちの現実 映画の後半で、切実に訴えるのは 貧困 が子どもに及ぼす影響。たとえば、ひとりで幼い妹弟のめんどうをみる小学生の少女に、「“将来の夢”は?」と聞く場面があります。少女の答えはひとこと 「夢はない」 。 それを受け、作品はこう続けます。「危険な環境や厳しい状況で生きる子どもたちは、たまに悪い日があるのではなく、 年中それが続く と思う。そのような状況下ではポジティブな対話は成立せず、大きなストレスがかかる」と。さらにこうした状況下では、「うつ病や薬物乱用、深刻な精神疾患などになる リスクが高まる 」と警鐘を鳴らします。 こうした調査結果を踏まえた上で、作品が示すメッセージは「これからの未来を築くであろう 子どもたちの未来 を守ることが、最終的に豊かな社会を築く礎になること」。 ある人はインタビューで訴えます。「育児をするのは政府でも施設でもない、 人間が子どもを育てる のです。大事なのは大人が子どもに必要なものを与えてあげること。ただ、いまの社会は、それを訳あってできない親を処罰することはあっても、助けようとしない」。 さらにこう続けられます。「子どもを助けるには、まず 親を助けなくては ならない。育児に仕事に頑張っている人は 不平等に思うかもしれない 。“それができない人の責任まで負えない”と。ただ、長い目でみたとき、自分の子どもが将来良い人生を送るには、 社会に尽くす人間 が同世代にどれだけいるかが重要なんです」と。こういわれると思わずだれもが納得するのではないでしょうか。 ■子どもへの投資は、アメリカの株式市場よりも高い 子どもの未来を守ることについて、ユニークな研究報告も。いかにもアメリカらしい研究なのですが、 乳幼児に1ドル投資 した場合の利益を調べたそう。 すると結果は、1ドル投資すると生涯7ドルが戻る計算になったとのこと。これはアメリカの株式市場よりも ずっと高いリターン率 だそうです。くわえて、犯罪は減り、社会の不平等も軽減するとの結果も出ているということから、乳幼児の投資はいいことずくめ! 作品では、「子どもへの支援は、よりよい 社会への投資 」と訴えます。 こうしたリポートを耳にすると、私たちを取り巻く子どもたちの環境を当てはめて考えずにはいられません。とくに、子育て世代にとっては無視できないのではないでしょうか? ひとりの子を持つ親として自分もこれまでの経験を振り返ると、「保育園に入れる」ただこれだけで、どれだけの労力を必要としたことか…。 待機児童問題 は、相当以前からあるはずなのに、いっこうに解消されていない。最近のニュースを見ても、子どもをめぐる状況はいい方向へ向かっているとはいいがたいのではないだろうか。 日本では、毎日の食べ物がない、戦争により生死があぶない。こういったことはないかもしれません。それでも、所得格差による 教育格差問題 は、社会問題となっています。 選挙で子育て支援や教育の充実はよく公約にあがる。でも、本当に実行されているかといったら、正直かなり疑問が残るのが現実ではないでしょうか。 保育園の増設を訴えて、実際に保育園の開設が予定されても、周辺住民の反対運動が巻き起こって白紙に戻ってしまう。公園で子どもがちょっと大きな声を出しただけで、区役所に苦情が寄せられる。身の危険や周囲の反感を恐れてマタニティマークをつけない妊婦が増えている現状など、日本のあちらこちらで子どもをめぐる “現在” が次々と浮かびあがります。 もう少しだけ「子どもに理解を示す寛容な社会に日本はなれないのか?」と、考えずにはいられないのは自分だけではないはずです。この作品が 子どもの未来 について考えるきっかけになってくれることを切に願います。 『いのちのはじまり:子育てが未来をつくる』 2017年6月24日(土)アップリンク渋谷、ユジク阿佐ヶ谷、7月1日(土)よりCINEMA Chupki TABATA、横浜シネマリン他にて全国順次公開 公式サイト: 公開記念トークショー(6月24日~7月1日)開催
2017年06月24日“育児に正解はない” とは、よくいわれることですが、そういわれても何が正解かを求めてしまうのが育児。「ここは叱るべきか」などと、自分の育児法に日々頭を悩ませている子育て世代の親御さんはけっこう多いのでは? そういった中で、今回ご紹介するドキュメンタリー映画 『いのちのはじまり:子育てが未来をつくる』 は、良い意味で、子育てに関するひとつの指針を与えてくれる1作といっていいかもしれません。 ■世界中の育児に奮闘する家庭の悩みと喜びとは ブラジルのエステラ・ヘネル監督がてがけた本作は、ブラジル、アメリカ、フランス、イタリア、インド、中国など世界9ヶ国の、現在育児に奮闘中の家庭を訪問。 育休を経ての職場復帰時期について頭を悩ます母親や、世間からの目を気にしながら子育てをするレズビアンカップルなど、人種も社会的立場もさまざまな人々からそれぞれの育児の悩みや喜びを聞き出すとともに、ユニセフ本部でECD(乳幼児期の子どもの発達)世界キャンペーンを統括するピア・ブリットらいわば 幼児教育のエキスパート たちへのインタビューを収録した内容になっています。 すべての言葉や提示内容をもちろんうのみにすることはできません。それでも子育て中の身としては、 子育て方法 についていろいろなことに気づかせてくれる エピソードが満載 。子を持つ親としての見地に立ったとき、知ってて損はないと思える情報がたくさんあります。 ■赤ちゃんは、“最高の科学者” とりわけ、目からうろこともいうべきエピソードが子どもの 頭脳メカニズム について。おそらく日本では、「生まれたばかりの赤ちゃんの 頭の中は白紙 でまっさらな状態。そこからひとつづついろいろなことを学んでいく」と、認識されているのではないでしょうか? 実際、哲学者や心理学者、精神学者も長らくそういう認識できたそうです。でも、それはもう古い考え方。過去30年の研究から、現在では赤ちゃんは“この世界で 最も学ぶ能力が高い存在 ”と判明し、“ 最高の科学者 ”と呼べるぐらいの能力を持っているそう。 赤ちゃんは理性に欠け、自己中心的で物事に集中することができないと思われてきました。でもじつはまったく逆。 集中することしかできない 存在だったのです。赤ちゃんは集中して身の回りで起きることに敏速に反応し、それらで得た情報を吸収・活用してこの世界を理解しているそうです。 たとえば小さなお子さんをお持ちのなら、何度言い聞かせても、子どもが スプーンを床に落とし続ける といった経験をしたことがあるのではないでしょうか? これも赤ちゃんが学んでいる証拠。赤ちゃん自身が「スプーンを落としたらどういうことになるのか?」と 推測や仮設 を立てて、予測どおりの反応になるのか、それとも違った反応があるのか? ひとつひとつ確認して学んでいるそうです。 こんなことを赤ちゃんが考えているとは正直驚き。でも、この見地に立つと、赤ちゃんもひとりの人格があることがよくわかって、子育てのストレスが少し和らぐのではないでしょうか。 ■生活環境によって子どもの学習能力が異なってくる この赤ちゃんの驚異の 学習能力 につながる話では、少しショッキングなデータも映画では示されています。社会階級別に子どもの聞く言葉を調査した結果、一般的な家庭の子どもより 生活保護家庭 の子どものほうが4歳時点で、聞いていた言葉の数が 3000万語も少なかった そうです。 この言葉の数の差は思っているよりも重要とのこと。親が話しかけるたびに、乳幼児の脳は刺激されるそうで、親がいろいろと話すことで赤ちゃんは自分が家族の一員という帰属意識を深め、たとえば祖母や祖父の昔話などからより広い世界を知っていくそうです。 そう考えるとふだんからのコミュニケーションや触れあいはすごく大事。働きすぎといわれる日本人としてはちょっと考えさせられる事例です。“仕事が忙しくて子どもの顔をまともにみていない”なんていうお父さんにはちょっと耳の痛い話かもしれません。 ■探求心や創造力が養われなくなってしまう原因は? もうひとつ日本の親として耳が痛い話が示されています。それは、子どもにあまりモノを与えすぎないこと。じつは、子どもの自主性と創造性を伸ばす秘訣(ひけつ)は、 自由を与え、モノは何も与えない ことなのだとか。 身の回りにあるもので遊ばせれば、子どもは勝手に創造力を働かせて自分が望むものを作り始める。たとえば段ボールでおもちゃを作ってみたりする。そのような場を与えることが大切。なんでも与えてしまうと、むしろほしいものはすぐに手に入ると思ってしまって、探求心や創造力が養われなくなってしまう可能性があるそうです。 また、自分だけでいろいろと想像を巡らせる 自由な場と自由 を与えてあげることも重要とのこと。子どもは自由を与えられることで、自主性を学ぶ。それが自立していくことにつながっていくことが示されています。 もちろん、これらがすべて正解というわけではありません。でも、育児が一辺倒ではない、さまざまな子どもとの向き合い方があることを教えてくれます。この映画で語られていることを育児のひとつ参考にしてみてはいかがでしょう? 『いのちのはじまり:子育てが未来をつくる』 2017年6月24日(土)アップリンク渋谷、ユジク阿佐ヶ谷、7月1日(土)よりCINEMA Chupki TABATA、横浜シネマリン他にて全国順次公開 公式サイト: 公開記念トークショー(6月24日~7月1日)開催
2017年06月23日“映画は時代を映す鏡”とはよく言われること。現代を描く映画において、今やスマホやメール、FacebookにLineといったソーシャル・メディアが登場しない作品はない。裏を返すともはや物語に欠かせないアイテムや元ネタになっているといっていい。 もはや現代劇に欠かせないソーシャル・メディアだが、6月10日(土)に公開を迎える 『パパのお弁当は世界一』 は、 Twitter で8万人がリツイート、26万人がいいねをしたという実話をもとに、高校生の娘とその父の間でかわされた 3年間のお弁当 のやりとりというごくごく当たり前の日常が描かれている。 ■“父親=思春期の娘に嫌われる存在”から“新しい父娘物語”へ 私自身はTwitterもLINEもやらないので、このことに関してはまったく知らなかったが、多くの人が共感したことはしごく納得。さりげないお弁当のやりとりが、じつはかけがえのない親子の時間にもなる。そんなことを静かに教えてくれる1本になっている。 その上で、この映画をひと言で表するならば、 “新しい父娘物語” といっていいかもしれない。何が新しいのかというと、父と娘の関係の在り方だ。 “年ごろの娘と父親”の関係をイメージしたとき、どんな光景を思い浮かべるだろう? おおよそが“わかりあえない二人”といった構図ではなかろうか(笑)。たとえば、なんとなく加齢臭を感じさせる父に対して、娘が“私の洋服とお父さんの下着一緒に洗わないで”みたいな、 “父親=思春期の娘にもっとも嫌われる存在” といったシーンを思い浮かべるのではなかろうか。それを証拠に、そういったイメージがいまだにテレビドラマや映画でまかり通っている。 でも、本作の主人公である父親と娘のみどりの関係はかなり違う。ちょっと理想形すぎるようにも思うが、つかず離れずの絶妙の関係。ただ、これがいまの親子とも思える。 離婚した父は、高校一年生のみどりのために弁当を毎日作ることを決心。これまで料理の経験はなし。当然、最初は弁当作りに四苦八苦する。一方、その父が作った、おおよそ女の子のサイズとはおもえないデカい器のお弁当を、 みどりは拒まない 。おそらくこれまでの映画やドラマだったら、この時点で娘はもっていくことを拒否していてひと悶着おきるのではないだろうか? でも、みどりは持っていく。友人たちにパパが作った弁当と宣言して恐る恐る弁当箱を開く。ここもこれまでの映画やドラマなら、誰にも見せないというのがパターンではなかろうか? 初めての料理で作った父の卵焼きは、見た目最悪。食べると味もしょっぱくて最悪。でも、みどりは完食する。ここもこれまでの映画やドラマなら一口、口にしてあとは食べないのがオチだろう。 でも、みどりは違う。空になった 弁当箱にメモを残す 。正直な味のコメントを。そんな父とみどりのやりとりが彼女の 高校生活が終わるまで 続いていく。 この父と娘のやりとりが不思議なぐらいものめずらしい感じに映らない。不自然さがみじんも感じられない。いまどきの父と娘の関係ってこれがスタンダードなのでは? と、思えてくるから不思議。それこそ 実話のもつリアリティ の強さなのかもしれない。そういう意味で、本作はこれまでのステレオタイプの“父娘物語”のイメージを一新させる、まさにいまの時代を映した“父娘物語”といっていいかもしれない。 ■サラリーマンパパの娘へのぎこちない愛情 もうひとつ、とくに娘を持つ父親は感じるところが多い作品に違いない。そう思えるのはやはりキャストの力。父親を演じるのは、映画初出演で初主演となる 「TOKYO No.1 SOUL SET」の渡辺俊美 だが、その飾らない演技が素晴らしい。 だんだん料理の腕をあげていくところなど堂に入っていると思ったら、彼自身が実際に息子が高校生のとき、ずっと弁当を作り続けたという。さらには 「461個の弁当は、親父と息子の男の約束。」 という本も出していると知って、“どうりで”と納得。しがない サラリーマンパパ の娘へのぎこちない愛情がにじみ出ていて、その想いを共有せずにはいられない。 ■手作り弁当は、親と子をつなぐ愛情表現のツール でも、個人的なことを言わせてもらうと、自分も娘を持つ身であるが、ここに登場する父親のようにお弁当を作り続けることができるかは、はなはだ疑問で心許ない。私自身もたまに娘にお弁当を作ることはあるが、手の込んだことはしない。あまりがんばった感を出すのも、娘に恩着せがましく感じさせるような気がして、極力、やりすぎないことにしている。まあ、ずぼらな性格ゆえのていのいい言い訳かもしれないが。 ただ、作品を見て思ったのは、親と子をつなぐひとつの愛情表現として、 手作り弁当 は年齢を問わず、 いいツール になるかもしれないということ。そういう意味では、自分も作るときはもうちょっと力をいれようかなと思ったのは確か。まあ、もっとも実際に実行できるかは怪しいが…。 でも、子どもとの関係がぎくしゃくしたとき、お弁当を作って渡してみると、案外効果的かも。それまでのわだかまりがすっとなくなって、意外とわかりあえるかもしれない。本作を見ていると、手作り弁当には、親と子をつなぐそんな不思議な力があるような気がしてくる。娘のことがわからないと悩んでいるお父さんたち、一度、娘のために愛情弁当を作ってみてはいかがだろう? あと、ひとつ触れておくと、最近のドラマや映画は親子で楽しめる作品が限られる。でも、本作はお父さん、お母さんから、小中高生の子どもたちまで一緒に安心して楽しめることを最後に付け加えておきたい。 『パパのお弁当は世界一』 監督:フカツマサカズ 出演:渡辺俊美(TOKYO No.1 SOUL SET)、武田玲奈、清原翔、田中光、ほか 公式サイト: papaben-movie.com 6月10日(土)ヒューマントラストシネマ渋谷にて公開
2017年06月09日小さい子どもがいると、どうしても行きづらいところが出てしまうもの。そのひとつに映画館がありませんか? 作品によってはファミリー鑑賞の回を作ったりといったサービスはあるものの、それもまだごく一部で限定的な試み。子ども向け映画であっても、予告編で子どもがびっくりして泣きやまず、何も見れないままやむなく劇場を後に……なんて経験をしたパパ・ママはけっこういるのではないでしょうか。 そんな中、もっと子どもと一緒に映画館で映画を楽しみたいと思っている人にとって、心強いシアター「CINEMA Chupki TABATA(シネマ・チュプキ・タバタ)」が、昨年9月1日に誕生しました。JR田端駅から徒歩約5分のところにあり、全20席の小さな映画館。なんと親子鑑賞室があるのです! 映画館=子連れはいけないというイメージを覆した場所 この親子鑑賞室は通常の座席空間とは別に設けられた小部屋。ベビーカー1台と親が一人入れるほどのスペースです。しかし、この部屋は完全防音構造でスクリーンの見える窓と、映画の音が流れるスピーカーを完備。もし上映中に子どもが泣いてしまったり、ぐずってしまったときは、こちらに移動して、ほかに気兼ねすることなく、安心して映画を鑑賞できます。 まさに、いつ泣くかわからない赤ちゃんを持つ親としてはうれしい、ほかの劇場にはないセーフティスペースといっていいでしょう。この親子のスペースを作った理由を代表の平塚千穂子さんはこう明かします。 「この劇場を始める前に上映スペースをやっていて。そのときに、北区十条にある子育てママの応援サロン『ほっこり~の』さんの皆さんと出会いました。そこで、みなさんといろいろとお話しをすると、子どもが突然泣き出したりするので、周りに迷惑がかかることを考えると“映画館には怖くていけない”と。実際は映画館にいきたいのだけれど、ためらう親御さんがたくさんいる。これはどうにかならないものなのかなと思い、いざ劇場を作ろうとなったとき、親子鑑賞室のアイデアは自然とわいてきました」(平塚千穂子さん) 子連れだけじゃない、発達障害、目や耳が不自由な人にも対応 新たな発想のもと作られた親子鑑賞室は大好評。ただ、劇場サイドとしては意外なことになっているそうです。 「劇場はすべての人に開かれたユニバーサルシアターを銘打っているので、それを前提にみなさんいらっしゃています。お子さんが多少ぐずったり、泣いたりしても、それを子連れでないお客さまがあまり気にしない。“いいよ、いいよ”といった感じですごく温かく見守ってくださるんです。 だから、思ったより使う親子が少ないというか。けっこう、多少ぐずってもそのままいれちゃう。ということもあって、最初から親子鑑賞室を希望される方もいらっしゃるんですけど、まずは通常のお席にどうぞと私はご案内しています。 その一方で、たとえば発達障害をお持ちのお子さんが、上映から1時間ぐらいすると、どうしても話をしたくなってしまう。それで親子鑑賞室に移動されて話しながらみたりといった感じで使うケースも出ていて。当初考えていたよりも、より幅広い方が安心して使える良いスペースになったなと感じています」 このように子を持つ親としてはとにかく安心。ちょっとした身動きでさえはばかられるような窮屈さがある昨今の映画館に対して、CINEMA Chupki TABATAにはいろいろな人が同じ空間を共有して、映画で泣き笑いする昭和の古き良き映画館のような温かな時間が流れています。 全座席にはイヤホン完備、日本映画にも日本語字幕を その最大の理由は、先ほど平塚さんの話に出たユニバーサルシアターであるということ。同館は、子ども連れだけに開かれた映画館ではありません。ユニバーサルシアターとは、目の不自由な人も、耳の不自由な人も、車いすの人も、発達障がいのお子さんや精神障がいの人も、だれもがいつでも安心して、一緒に映画を楽しむことのできる映画館。そう、すべての人に開かれているのです。 平塚さんはこう話します。「私がこの映画館を作るに至った出発点は1999年のこと。チャップリンの『街の灯』を、目の見えない人たちに届けるというイベントに関わることになったのがきっかけでした。 そこで映画を観ることを諦めていた視覚障がい者の方たちと出会ったんですけど、調べてみると欧米の映画館では、当たり前のように視聴覚障がい者へのサポートがあって、封切りと同時にその新作映画を見ることができる。 ところが、そういうサービスが日本には一切ない。だったら“自分で作ろう”と、City Lightsというボランティア団体を立ち上げました。その中で、視覚障がい者の方にむけた上映会や映画祭など行ったところ、やっぱり常設のハコがあると便利だから、どうしてもほしい。 そこで当初、目標に掲げたのがバリアフリー映画館を作ること。ただ、バリアフリーという言葉がどうもしっくりこない。もっともっと広い意味にしたい。そのとき、障がいがあってもなくても関係なく安心して参加できるユニバーサルキャンプというのを八丈島でやっている、ユニバーサルイベント協会の方と出会って、これだと思ったんです」 すべての人に開かれたユニバーサルシアターは、さまざまな配慮と創意工夫がなされています。まず、全座席にはイヤホンが搭載。常時、場面解説の音声ガイドを聴くことができるシステムになっているので、視覚に障がい害のある方も、一緒に映画を楽しむことができます。また、イヤホンで本編の音を増幅できることで難聴の方にも対応しています。 次に、日本映画を上映するときも、日本語字幕付きでの上映。聴覚に障がいのある方も、一緒に映画を楽しむことができます。さらに劇場は入口からトイレ、客席まで完全バリアフリー。車いすのまま映画を観ることができます。そして、人の大勢いるところが苦手な子どもや、赤ちゃんをお連れの方には鑑賞室というように、みんなが安心して映画を楽しめる映画館になっています。ほかにも駅からの誘導や手話サポートといった予約サービスがあったりと、ほんとうにどんな人も迎えてくれる体制が整えられています。おそらく日本でもっとも間口の開かれた映画館といっていいかもしれません。 人工芝がひかれた床、360度のフォレスト・サウンド、振動が伝わるスピーカーも その一方で、映画を見せる劇場としてのこだわりも。シアター内は“森の中”をイメージして、木や緑を感じられるものをところどころに設置。床は人工芝が敷かれ、屋内にいながらなにか野外を思わせるようなリラックスできる空間になっています。子どもだったら地べたに座ってみたくなってしまうかもしれません。 また、音で映画をイメージする視覚障がい者の方のためにもできるだけよい音響環境を作りたいということから、360度音に包まれる“フォレスト・サウンド”を実現。音響監督の岩浪美和さんの監修・コーディネイトのもと音響設計がなされ、劇場の前面、側面、後面、天井までスピーカーを配して、森にいるように優しく音に包まれる音響になっています。さらに映画の音を振動が感じられる、抱っこスピーカーも用意されています。 触れ合ってみないと分からなかったできごとがたくさん オープンして半年が経ちますが、平塚さんは劇場を通して人の輪ができ始めていることがうれしいそうです。 「おかげさまで多くの方に足をお運びいただいています。何よりうれしいのは、いろいろな方にお越しいただけていること。これまでたとえば視覚障がい者に向けた上映会やイベントをいろいろとやってきましたが、来てくださるのはどうしてもボランティアやそういった活動に興味のある人に限られていました。 しかし、映画館ということで、もちろん障がいのない人もきてくださる。すると、『あれ、目が見えない人が映画を見ている、どういうこと?』みたいなことになって、障がいをお持ちの方への見方が変わる。触れ合って知ることで彼らの中に何かしらの意識の変化や気づきがある。 たとえば、目は見えるけど音声ガイドを聞いてみた方から、『ちょっとだけ目の見えない方の世界が想像できた』といった感想をいただいたり。その一方で、視覚障がい者の方から、『音声ガイドのおかげではじめて見える人と同じタイミングで笑えてうれしかったです』というお言葉をいただいたりして。 自分が目指してきた障がい者の方もそうでない方も、映画を一緒に楽しむというひとつの目標が達成されつつある。今は、いろいろな立場にいる人同士が相互理解できる場になってくれるんじゃないかという手応えを感じています。 この前も、視覚障がい者の方がちょっと道を迷ってしまったら、地元の人が連れてきてくれたり。商店街のみなさんが障がいをもつ人をお店に受け入れてくれる体制を整えてくださったりと、本当にこちらも予期しないような嬉しいこともいろいろと起きています」 最後に、今後の目標を聞くと「まだまだ至らないところもありますが、課題に一つひとつ向き合い、クリアして、もっともっとみなさんに愛される劇場にしていきたい。今後もお客さまときちんと向き合っていきたい」と代表の平塚さん。 「今は無駄や遊びが許されないというか。何事も効率化・デジタル化されてしまうような時代。そういう意味で、じっくり吟味して上映作品を決め、それに字幕も音声ガイドもほぼ手作りでつけていく。お客さま一人ひとりと向き合うことを大切にする僕らのやり方は、アナログ過ぎてもしかしたら時代遅れなのかもしれない。ただ、オープンして5ヶ月、自分たちの目指す道は間違ってなかったかなと今は思っています。今後は、この劇場がこの地域の文化の発信地で拠点になっていけたらと思っています」と支配人の佐藤浩章さん。 CINEMA Chupki TABATAは、これまでにない映画館。今後どんな成長を遂げていくのか期待が高まります。ちなみに、3月の上映作品は、宮沢りえ主演で昨年度の日本の映画賞レースを沸かせた『湯を沸かすほどの熱い愛』、日雇い労働者の街と呼ばれる大阪市西成区釜ヶ崎で38年続く施設「こどもの里」に密着したドキュメンタリー『さとにきたらええやん』、龍村仁監督による人気ドキュメンタリーシリーズの最新作『地球交響曲 第八番』の3本。 3/19(日)は終日、東京藝大アニメーション専攻学科の学生さんたちと共催で、「アニメーションマーチ」というイベントを開催。大人から子どもまで楽しめる、学生たちの作った短編アニメーション作品を無料でご鑑賞できます。親子鑑賞室もあるユニバーサルシアターに、ぜひ一度、足を運んでみては? (水上賢治) CINEMA Chupki TABATA 北区東田端2-8-4 マウントサイドTABATA TEL 03-6240-8480 営業時間 10:00~23:00(水曜定休) 料金 一般1500円/シニア(60歳以上)1000円/学生1000円/中学生以下500円 アクセス JR山手線「田端駅」北口から徒歩5分
2017年03月09日