■求められる幸せは、親も子も感じていたい
求められるのに慣れすぎた私は、
自分から子どもに求めることを怠っていました。
求められたら応じるけれど、自分からは求めない。
そして、子どもから「求められている幸せな時間」を過ごしていることも、そうした愛情をもらっていることにも気づかず、子どもの気持ちの上にあぐらをかいていたかもしれません。
いまは子どもとのハグはあたり前の日課なのに、だんだん減っていって、あと数年たって思春期にもなれば、触れることもほとんどなくなるのでしょう。
心の中を幸せな気持ちで満たしてくれる
わが子とのハグは、あたり前のことではないんだなと、あらためて思いました。
触れることができなくなったとき、私は
与えられてばかりだった子どもたちのぬくもりを覚えていられるのでしょうか。
子どもに言われてショックだった言葉、うれしかった言葉