NPOマナー教育サポート協会 理事長。30歳からマナーの勉強を始める。全日本作法協会 故 内田宗輝氏 小笠原流30世 故 小笠原清信氏にマナーを学ぶ、お茶の水女子大学 森下はるみ氏より動作学を学ぶ、1985年現代礼法研究所設立して企業でビジネスマナー研修の仕事を頂くようになって現在に至る。 他に NPOマナー教育サポート協会 理事長。もしもし検定専門委員。NPOりすシステム理事。日経新聞プラスワン「マナーのツボ」など連載、多数。
お盆休みに家族で夫の実家へ帰省、というママも多いのではないでしょうか。必要以上に気負いなどしていませんか。そもそも、お盆とはご先祖さまを敬う儀式。そこで、夫の実家でダメ嫁認定されないための心構えと、お盆に関する基礎知識を紹介します。 お盆はいつ? お盆って何? お盆って、そもそも何でしょう? お盆の時期は、7月13日から4日間。地域によっては月遅れで8月13日4日間行われます。(月遅れのお盆にお休みを取って帰省される方が多いと思います) 日本人は一年に2回、ご先祖様を迎えています。1回は仏教と結びついてお盆です。もう1回は神道と結びついてお正月です。ご先祖様をお迎えするために家を綺麗にします。昔は6月と12月、1年に2回大掃除をしました。 6月30日に神社で行われる夏越しの払いもそれにあたります。半年間の体についた穢れや厄を落とすのです。 そして、私たちが今、生きているのは、ご先祖様のお陰でもあるわけですから、お迎えしたご先祖様に、感謝のお供えものをしました。その感謝の気持ちが、両親やお世話になった人に広まったのがお中元です。 知っておきたいお盆の由来 また、なぜ7月の15日になったかというと、二つのエピソードが関係しています。 一つは、中国の道教の三官大帝の一人である地官赦罪大帝(大地の神々を統率し、人々の罪を許す神様・中元二品の位)が7月15日生まれで、この日に地官赦罪大帝の廟を訪れてお参すると、日頃の罪が許され、厄が払らわれて幸せになると言われています。 二つ目は、仏教の盂蘭盆会が7月15日だったからです。釈迦の十大弟子の目連の母親が、自分の子供さえよければ他の子はどうなってもよいと思ったため地獄に落ちて苦しんでいました。目連は母親を救いたいと思い、お釈迦様に尋ねたところ7月15日に供養するように教えられ、その結果 母親は救われたのです。 この二つの風習が日本に伝わり、日本古来の祖霊祭と一緒になってお盆の習慣が民間に広まっていったと言われています。 ご先祖様を迎える儀式? ご先祖様をお迎えするのですから、お盆に入る前に、家を綺麗にするとともに仏壇もお墓もきれいにお掃除します。祖霊をもてなす盆棚(精霊棚・先祖棚とも言います)を作ります。 家にお迎えした先祖の霊は、仏壇でなく、この盆棚に祀ります。今では仏壇の中に祀ったり、仏壇の前に小机をおいて盆棚を作るところが多いようです。 盆棚には、初物の果物、野菜、牡丹餅、お花(盆花)を飾ります。キュウリを馬に見立てて苧殻(割り箸でもよい)で足を作ります。茄子は牛に見立てて同じように飾ります。 13日は頭を家の方に向けて、帰る日には頭を玄関の方に向けるように言われました。ご先祖様は来るときには早く来たいので馬で、帰りはノロノロと牛で帰るとも母親から聞きました。 お子さんと一緒に精霊棚を作りながら亡くなった方のお話をしてあげてください。亡くなった方も喜びますし、お子さんの心の栄養にもなると思います。 盆に入り(13日)の夕方に提灯をもってお墓まで迎えに行きます。お墓が遠い家は、家の前で「迎え火」をたきます。先祖の霊が道に迷わず家にたどり着くようにです。門前で苧殻(麻の茎を干したもの)をたいて迎えます。 お盆の間、お供え物は毎日かえます。必ず最初のものを供えます。 お盆の最後の日(15日または16日)には、先祖が無事にあの世へ戻れるように迎え火と同じ場所で送り火をたきます。お墓が近ければ提灯をもって送っていきます。京都の「五山送り火」も送り火の一つです。 盆踊りは、ご先祖様が帰ってきたことを喜び慰める踊りと言われています。 夫の実家に帰省する際のマナー 夫の両親はよい人なのですが、私も若いころ、やはり実家に帰るのと違い少し気が重かったものです。ですから喜々として夫の実家に帰る人を見ると私は、なぜそうなれないのだろうと思ったりしました。 私にも息子がいましたから、いずれは息子の嫁も私と同じ気持ちを味わうのだと思ったのです。夫の実家に帰るのが嫌だ嫌だと思っていると息子も家に帰ってこないようになるのだと思ったのです。 それは、寂しい!いずれは自分も行く道ならば、夫の両親も私も、滞在中、気持ちよく過ごせることを、思いやりの気持ちで考えていったらどうだろうかと思いました。 それから、コミュニケーションを自分からとるようにしました。明日は何時に起きたらよいのでしょうか? 早い場合は、もう少し寝ていてもよいでしょうか? などお互いに理解することが大事だと思います。 お土産は、義理の父母が好きな物を少し。例えば日本酒が好きだったら1合瓶の美味しいお酒を。自分のことを考えて選んできてくれたと思うと嬉しいものです。あとは、皆で食べられる「おかず」になるようなものを持っていけばよいと思います。 経済を扱っている義理のご兄弟姉妹がいる時は、その方だけに一つ何か買って行ってあげてください。 滞在費は、両親だけ住んでいるのならいらないと思います。かえって水臭いです。ご兄弟姉妹が財布を握っている場合は、滞在費として一日家族で2~3千円ぐらいを目安に,行った日に封筒に入れて、「気持ちばかりのものですが」と渡すか、滞在中外食に誘ってご馳走するのも喜ばれると思います。 沢山お世話になったと思えば帰ってから商品券など贈っても喜ばれます。 滞在中はお客様にならず何をしてよいか指示してくださいとお願いして動きましょう。普段、老人が手が届かない窓ガラスや高い処をふいたりしてくれると有難いです。 エプロンと動きやすい服装をバックの中に入れてください。ただし、行くときには、ご近所の方にも会うでしょうから、ちょっと素敵な格好、スタイルでお願いします。「あそこのお嫁さん、綺麗な方ね」とほめられた方が夫の両親も喜びます。 泊り客が帰った後は、洗濯、布団干しなど何かと大変です。そんなことも思いやって行動できると気の利いた、好かれる嫁になるのだと思います。 帰ったら、電話を入れてください。夜中になるのでしたらその旨、伝えて朝電話をしましょう。できたら滞在中の写真をとって、それにコメントをつけてお礼状と一緒に送るのも喜ばれるでしょう。 ダメ嫁認定されるのは、お客様気取りで何も手伝わない気遣いをしない人ではないでしょうか。 何でも悪く取ると自分が辛くなります。夫の両親と自分の両親を知らないうちに比べているのです。義理のお母様をお隣のおばさまと思えば、そんなに感情的にならずに済むのかなと思います。 お盆を伝えることは命のリレー お子さんに「あなたが、今ここに生きているのは、パパとママがいて、パパとママのおじいちゃん、おばあちゃんがいて、そのまたおじいちゃんとおばあちゃんがいるからなのよ。20代まえにさかのぼると109万人の人があなたの前にいるのよ。誰か一人かけててもママもパパもあなたもこの世にいなかった。今、いるのはご先祖様が命のリレーをしてきてくれたお陰なの。だから感謝の気持ちでご先祖様を大切にしましょうね」と上手に教えていただけると命を大切に、また人を大切にするお子さんに成長すると思います。
2017年07月18日医学が発達していなかった時代、1歳になることが大変だったことから、初誕生日は人生の節目のお祝いとして大切に行われていました。地域によっては初誕生日に一升餅を担いだり、家族、親族が集まり、みんなでお祝いをしました。おじいちゃん、おばあちゃん世代には、このしきたりを大切に思っている人も少なくないでしょう。おじいちゃん、おばあちゃんにも喜ばれる1歳の初誕生日のお祝いの方法と、しきたりの由来についてご紹介します。 個人の誕生日を祝う、この習慣は近年のことです。今は年をとるのは、生まれた月日ですが、戦前までは年をとるのはお正月でした。 今は、満年齢で数えますが、数え年で年齢を数えていた時代は、生まれたときがもう1歳。それ以降は元日ごとに皆、一斉に年を重ねていったのです。例えば12月30日にうまれた子どもは二日後の元旦には、もう2歳になるのです。 大晦日の夜を「歳取りの晩」という謂れです。今のように個人ごとの誕生日をお祝いする風習はありませんでした。 一升餅を担ぐしきたりと由来 赤ちゃんが一生食べ物に困らないようにという意味と一生円満な人生が送れるようにという願いで、一升の餅米でついた丸餅(一升餅とも力餅とも言います)を作ります。餅米の一升を子どもの一生にかけて一升餅と呼ぶのです。 地域によって、風呂敷で包んで、赤ちゃんに背負わせて歩かせようとしたり、餅踏みと言って大きな鏡餅を赤ちゃんに踏ませるしきたりがあります。 初誕生日はいつ何をするべき? お餅を背負わせるだけでなく、うまれて初めて迎える誕生日に神社にお参りして草鞋などを履いて、力餅(一升餅)を踏むことによって足からお米の霊力が貰えて、しっかり大地に足を下ろして生きていける人間なれる事を願う儀式をする地域もがあります。 初穂料の用意がいりますが、神社に問い合わせをしておくとよいです。何事も準備が大切なので、初誕生日の2~3か月前には問い合わせておきましょう。 神社でなくてもお家にお客様を迎えてお祝いをしてもよいのです。 赤ちゃんが無事に1歳を迎えられたことに感謝して、親戚や仲人さんを招待して、このように無事に育っていますよということのお披露目する行事です。 皆さんの都合も聞いて初誕生日ジャストにするか、それより前にするか決めておきましょう。遅れるのはよくありません。 ■「選び取り」のしきたりとは 一升餅を用意しますが、地域によっては、「選び取り」と言って子どもの将来を占うこともします。 筆やそろばん等を用意して何をとるかで子どもの将来を占うのです。基本的には、そろばん(商才がある)、筆(文芸の才)、お金(財布・富豪の才)ですが、そろばんのないお家も多いと思いますので電卓でもよいと思います。 昔は、女の子には物差しや針箱を並べていました。マイクなども置いておくと芸能界に行くようになるか占えますね。 筆もないうちが多いと思います。万年筆など尖っていない安全なものを置いとくことをおすすめします。お子さんにこういう道に進んでもらいたいという夢があったらそれに関する物をおくのもよいでしょう。 何故お餅を背負うの? どうやって背負うの? 子どもの名前や「寿」という字を書いた一升餅(食紅で書くので食べられます)を背負わせるのは、色々な困難が持ち受けている人生に力をつけても貰いたい、そうすることで食べ物に一生困らず、一生丸いお餅のように円満な人生を送れるようにという願いが込められました。 1歳の誕生日に2キロ近くの重さを背負わせることで、子どもに一生の人生の重みを感じてもらう意味もあったようです。 風呂敷に包んで赤ちゃんに背負わせますが、首に巻かないように、肩から反対の脇の下に通すように斜めに背負わせます。リュックでもよいのですが、肩ひものやわらかいものを選んでください。 マチも広めのものがよいです。リュックを嫌がるようでしたら無理に押し付けないようにしてください。無理に背負わせて、それからリュックに拒否反応を起こすお子さんもいるようです。 ■わざと転ばせるしきたりも さて、一升餅を背負ってトコトコあるく赤ちゃんに親が餅を投げつけたり、わざと突き倒して乱暴なことをすると聞いたことがありませんか。 赤ん坊に魂の象徴でもある一升の丸餅を背負わせた状態で転ばせるということは、赤ん坊がハイハイをして過ごした頃の古い魂を体から転がり出させて、これから二本足で歩く、新しい魂の力を身につけさせようとしている、立ち歩きに際しての魂入れ(たまいれ)のお祝いとも考えられていたようです。 初誕生日のお祝いとしきたり 両親が中心になって祖父母や両親の兄弟姉妹など招待して、バースデイケーキや初誕生の記念に色紙を用意して赤ちゃんの手形や足形などもとると良い記念なります。 勿論、写真もとって皆さんに一言、書いてもらいましょう。写真だけより言葉が書き添えてあった方がよい思い出になります。とくに、このころのことは、子どもの記憶にないので子どもにとって宝物になると思います。 初誕生日の思い出 私も子どもの初誕生の時は、自分で子どもの好きなイチゴケーキを作り、一本のローソクを用意しました。子どもがケーキを吹き消している写真が、今でも宝物です。 また、ケーキを食べた後、子どもが初めて5~6歩、歩いたのです。数十年前ですが昨日のことのように覚えています。 「這えば立て、立てば歩めの親心」というように親は子どもの成長が本当愉しみですね。ご両親の気持ちも子育てすることでわかるようになるのではないでしょうか。親孝行をするようになったのも子育てをするようになってからでした。 これから、オムツをとるなど躾も始まります。また、事故も多くなり目が離せません。 あせらず、ヒステリックにならず、ゆったりとした気持ちでお子さんと接してください。子育て大変ですが、一生続くわけではありません。 人生の中のホンの短い期間です。 思いやりの心をもって、笑顔で、明るく、愉しんでください。写真やその時の書き残した言葉が、生きた証、良い思い出になると思います。
2017年06月09日赤ちゃんが生まれてから七日、「お七夜」を命名式ともいいます。生まれて七日目に子どもに名前を付けます。何でこのように早く名前を付けるのでしょうか。一生使う名前です。もっとゆっくり考えたいですね。 昔の命名の方法 名前は今のように両親がつけるものでなく、昔は色々な考慮がなされ、大きく分けて5つのつけ方がありました。 1. 生児が将来偉い人、尊敬される人になるようにと、神主やお坊さん、地域の有力者などに名づけを頼む。 2. 幾つかの名まえの中からおみくじ等の神意によって決める。 3. 子沢山で丈夫な子を育て上げている人に名付けを頼む。 4. 祖父母の名まえの一字をもらう(祖名継承)。 5. 生まれてきた環境によって名前をつける(季節や続柄など)。 また、この日、初めて赤ちゃんに産着を着せました。男の子は左手から袖を通し、女の子は右から手を通し、帯は結ばず、産着を打ちかけておいたそうです。 出産届は、いつまでに誰が出すか 出産したら必ず出産届を提出します。用紙は、市役所、区役所、村町役場にあります。産院や病院にも備えてあります。 生まれた日を入れて2週間以内に出産した土地の市役所、区役所、村町役場の戸籍係に出します。提出する時は、病院で書いてもらった出生証明書と母子健康手帳、印鑑などが必要になります。届け出をするのは誰でも構いません。 お七夜に隠された、名前を早く付ける意味 もっとも役所に名前を届けるのは、生まれた日から14日以内に届ければよいのですが、なぜ、七日に名前を付けるのでしょうか。 それは、子どもに何かあった時、名前がないとこの世に呼び戻せないと考えたようです。私たちの名まえは、肉体でなく魂についていると考えられています。乳幼児の死亡率の高かった時代には、今よりも不安が多くあったのでしょう。 また、昔は七日目に生児の父親の忌みが、晴れて産室への出入りも許されるというというところもあり、父親が生児とかかわりをもち名前をつけることが許されることを意味したようです。 今は、父親も出産から立ち会うことも多く、時代が随分違いますね。 お七夜の由来 現代では、生まれて七日目を大事な日としていますが、奈良・平安時代の貴族階級には「産養」(うぶやしない)とか「産立(うぶだち)の祝い」と言って、子どもが生まれた日を「初夜」、生後三日目を三夜(みや)、五日目を五夜(いつや)、七日目を七夜(しちや)、九日目を九夜(くや)と言って、奇数日に生まれた赤ちゃんの無事を祈って宴が開かれていました。 江戸時代に幕府が七夜を公式の儀式としたこともあって、現代にも残っているようです。徳川将軍家では、お七夜を命名の儀として名前を披露して諸大名からお祝いの品を受け取る公式行事としたため庶民にも広まったようです。 お七夜は、別名「枕下げ」「枕引き」とも言われ、昔は仲人夫妻を招いて祝膳を囲むことが行われましたが、現代では特別な祝宴をせず、内輪で簡単なお祝いをする方が多いようです。 出産して間もない母親のためにも現代の祝い方のほうが思いやりのあるやり方だと思います。出産して七日目に親戚の人や近所の人を招いてお披露目の祝宴をするのは、出産したばかりの母親には、大変だったことと思います。 命名書の書き方 命名書は、「はいばら」「鳩居堂」など大手文房具店などにも日の出、亀、鶴、犬張り子など縁起のよい絵が入ったものが売られています。 命名書はきれいな字で書かなければと思い、他人に頼む人もいますが両親や祖父母が書くことが生まれた子にとって大事なことなので、是非、肉親が丁寧に書くことをおすすめします。 市販の略式の命名書には「命名」と書いた字の下に、赤ちゃんの名前を大きく書きます。左側に誕生日月日、赤ちゃんの名前の右上に親の名まえを書きます。 「田中太郎・花子 長男」というようにです。昔は父親の名前しか書かなかったのですが、両親の名まえを書いてもよいと思います。 それを神棚の下、床の間の柱、今では、ベビーベットの頭側の壁などに飾ります。命名書はひと月ほど飾り、へその緒と一緒に取っておいた家族が多かったようです。 お七夜の当日 赤ちゃんに名前が付いたことを祝う命名式当日のお祝いの仕方ですが、母親にとって出産七日目でご両親をお招きしてお祝いをというのは、しんどいことだと思います。 おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に住んでいる場合や出産の里帰り中であれば、簡単な御祝いなら無理なくできそうですね。 できたら大事な命名のことですから、出産前にそのことを話し合って決めておくとよいと思います。いづれにしても命名書なども出産前に購入しておくとよいですね。 親御さんが主催してくれる場合は、甘えてお客様になってよいでしょう。 お七夜の祝膳は、母乳が出るようにとお赤飯や消化のよいお餅などで祝いました。お赤飯はたくさん炊いて、熨斗紙に「内祝」の表書き、子どもの名前を書いてご近所に配ったようです。多くの人に食べてもらうことでその赤ちゃんは幸せになれると言われました。 赤ちゃんは、全く記憶にないお七夜です。集まった人たち一人ひとり赤ちゃんを抱いてもらい写真をとって、その下にメッセージを書いてもらうことをお勧めします。 赤ちゃんに対する想い、将来の希望など思いつくままに書いてもらうと記念にのこるお七夜になると思います。 ご両親と離れて暮らしているママは、夫に手伝ってもらって、簡単な祝宴をするとよいでしょう。 名前が付いた喜びなどの感想をそれぞれ書いて、命名書とともに大事にしまっておきましょう。 また、この時に足形や手形をとる家族も多いようです。小さな紅葉のような赤ちゃんの手形や足形は、子どもが成長する上で比べると「本当に大きくなったな」と実感できると思います。 赤ちゃんの健やかな成長を祈り、ママに無理のない素敵なお祝いになるとよいですね。
2017年04月26日端午の節句は、五節句のひとつです。3月3日は女の子の「桃の節句」、それに対する男の子の節句と認識している方も多いと思います。また、「こどもの日」として男女を問わず子どもの健やかな成長を願う日でもあります。 端午の節句の由来と意味 端は「初め」の意味で、端午とは月の初めの午の日のことです。 中国では、ふるくから五月は悪月で、月の初めの午の日に野にでて草を摘んで、草を武器として野で遊び、舟で競争などし、またヨモギで人形や虎を作って、門にかけ、菖蒲をひたした酒を飲んで、蘭を入れた湯に浸るなど穢れや災厄をはらうための行事が行われていました。 日本では、5月は、皐月または早苗月と言って、早乙女が田んぼに稲を植える月でした。 「サ」は神様を意味します。「桜」は、「神様(サ)の座るところ(クラ)」なのです。 それで日本では、桜の開花が豊作の占いになっているのです。田植えをする早乙女にも「サ」がついています。 稲の苗床を田んぼに植えるのですが、それに先立って田の神を迎えるために、独身の女性が菖蒲や蓬で葺いた屋根の小屋に入り、穢れを払い、身を清めました。 もともとあった日本の風習と中国の風習が、鎌倉時代になると菖蒲が「尚武」に通じるという縁起のために流鏑馬も行われて、菖蒲打ちなど男子中心の勇ましい行事となっていきました。 室町時代に兜人形が作られて、江戸時代になると男の子の健康と出世を祈って、鯉幟が立てられるようになり、男子を中心とする祝いの日になっていったのです。 5月5日が、「こどもの日」になったのは、昭和23年に発布された「国民の祝日に関する法律(祝日法)」によって「子どもの人格を重んじ、子供の幸福をはかるとともに母に感謝する日」と定められたのです。「母の日」でもあるとういうのが驚きです。 端午の節句は「菖蒲の節句」とも言われるのは、菖蒲は香りが高いので、邪気をはらい疫病を除くと言われているからです。 「菖蒲葺き」として屋根において、「菖蒲髪」として髪に飾り、「菖蒲枕」として枕の下に入れ、「菖蒲湯」として風呂の中に入れる習慣ができました。 葉の形が刀に似ているので子供が武士の真似をして菖蒲刀にしたり、地面を打ち合って菖蒲打ちもありました。 菖蒲が邪気を払うと言われるのは、昔、中国で、王が不忠の家来を殺したが、その魂が毒蛇となって災いをもたらすようになったので、頭が赤く、葉が青い蛇の形をした菖蒲を裂いて、酒に入れて飲んだところ降魔の術を授かり蛇を退治したという故事によるそうです。 準備するものとその意味 ■鯉のぼり 中国の竜門(黄河の中流で流れがはやいところ)の下流にはいろんな魚が群れをなして登ってくるが鯉だけが滝を登り切って竜になるという故事によります。 栄達の糸口になる関門を登竜門というのも面白いですね。「鯉の滝登り」などと言い、鯉は立身出世のシンボルとされています。 中華料理でも最後に鯉の丸揚げなど出すのも、お客様の栄達を祈る意味が込められているとか…。 日本でも包丁式にもちられるのは鯉です。鯉は「鯉の水離れ」といって、水揚げされた時は一度は跳ねるけれども、息が長く、まな板に載せられても覚悟を決めてじたばたしないところから、潔く強い魚として武士に尊ばれたとか。 もともと、武士の家では、子供が生まれると子供の健康と武運を祈って幟を立てたそうです。 町民たちは、幟が立てられないので武士に対抗して、立身出世の鯉のぼりを立てるようになったときいています。 その他、漁村では大漁旗に生まれた男の子の名前を入れて立てるところもあります。 鯉のぼりは、上から吹き流し、真鯉(黒) 緋鯉(赤) 子鯉(青など)の順に飾っています。吹き流しは、滝や雲になぞられて、風にたなびきながら泳ぐ鯉の姿を引き立てます。 また、吹き流しの青赤黄白黒の5色は、邪気を払う霊力があると言われ、鯉を食べようとする竜は、この五色が苦手なため近づけないのだそうです。 ■柏餅 柏の葉で包んだ白い御餅です。柏は、若い芽が出ないと古い葉が落ちないために「跡継ぎが絶えない」ということで縁起の良い木とされいるが、親が子供の無事を願う気持ちを表している。関東では柏餅、関西はちまきが多く食べられます。 ■ちまき 笹や竹の皮でモチ米や餡入りの餅を巻いたものです。もともと茅(ちかや)の葉で巻いたために「ちまき」と呼ばれています。 また、ちまきは戦国時代の携帯食の名残とともにその形が鉄砲に似ていることから武士の魂を託したものとも言われています。 ちまきを5月5日に贈ったり、食べたりするのは中国の楚の屈原の故事により、王の側近であった屈原が、周りから妬まれ失脚し、流罪になり、泪羅(べきら)で入水して死んだことを憐れんで、楚の人たちが命日の5月5日に竹筒にお米を入れて、泪羅に投げ入れていました。 それを蛟竜{こうりょう・想像上の動物でまだ竜にならない蛟(みずち)}が食べてしまうので栴檀の樹の葉(竜の嫌う匂い)に包んで5色の糸(竜の嫌う色)で巻いてくれということで今のようなちまきの形をしたものを投げ入れるようになったそうです。 ■菖蒲 菖蒲は古くから薬草として使われ、邪気払いになると考えられていました。根や葉を浴槽に浮かべて入浴するとララックス効果があると言われています。 菖蒲には、茎や根に芳香のある精油成分があり、菖蒲湯にすると血行を促進して、腰痛を和らげると言われる。 また、アヤメと菖蒲は、別の植物です。菖蒲はサトイモ科で、アヤメや花菖蒲は、アヤメ科です。葉が、細長い剣のような葉で似ていますが、お風呂に入れるのは菖蒲です。 特に菖蒲は夏の病を防ぐ呪力があるとされ菖蒲の鉢巻をしたり、腰にさすこともありました。 ■五月人形 江戸時代に、武家が兜を飾ったのが始まりと言われています。豪華なものは3段飾りがあります。 三段飾りの場合は、上段中央に、鎧兜。向かって左に弓矢、右に太刀を置きます。中段には、軍扇、陣太鼓、陣笠。下段には柏餅やちまきを飾ります。 ■鍾馗 中国から伝わった疫病や魔を追い払う神様。濃く長い髭と大きな目をして剣を持っています。子供を病気から守る願いが込められています。 どうして鍾馗さまが飾られるようになったかというと、玄宗皇帝が瘧(おこり)にかかった時、熱に浮かされて夢うつつの中で、鬼が皇帝の笛と楊貴妃の香の袋を盗んで逃げようとしたところ、一人の男があらわれてそれを退治したそう。 皇帝が素性を尋ねると「私は終南山の鍾馗というものです。科挙(役人の試験)に二度失敗し悲観して、死を選んだのですが、陛下が憐れんで丁寧に葬ってくださったので、いつか恩返しをしたいと思っていました。お役に立って幸せです」と答えて消えました。 玄宗皇帝が夢から覚めると熱病は治っていました。皇帝は、忘れないうちに絵師に鍾馗の姿を描かせたと言われています。 ■虎 虎を飾るのはなぜかというと虎は、五毒(サソリ・ムカデ・ヤモリ・ガマ・へび)を食うと言われています。 また、虎は、祈祷によって病を治し、厄を払い、不老長寿を望んで仙人(真人)になることを願う五斗米道の祖、張陵を表し、護符に虎の絵が描かれていることから虎が飾られたようです。 ■金太郎 金太郎(実在に人物で坂田公時の幼名)源頼光の四天王の一人です。 桃太郎(桃から生まれた桃太郎が犬・サル・雉を供に鬼をやっける昔話)を飾ることもあります。 ■薬玉(くすだま) 端午の節句に邪気を払うために柱などにかけたもの。じゃ香 沈香 丁子などの香料を錦の袋に入れて糸や造花で飾り、菖蒲や蓬をあしらい、5色の糸を長く結び下げたもの。 ■飾る時期 1か月ぐらいを目安に飾ります。一夜飾りはNGです。ひな祭りのようにすぐに片付けなさいとは言われませんが、けじめなので終わったら綺麗にしてしまいましょう。子どものころからつけさせたい躾のひとつです。 ■初節句、兜などだれが買う? いつ祝う? 男の子が生まれて初めて迎える5月5日。昔は、女性の実家から節句を贈ったそうですが、今は両家で贈る家もあり、あまり問われません。生まれてすぐの場合は、来年に延ばしても問題ありません。
2017年03月26日妊娠して5か月目になると、つわりも少しおさまり妊婦さんも安定期に入ります。赤ちゃんもお腹の中で動き出し、母親になる喜びが感じられる頃です。 「戌の日」に安産で多産の犬にあやかって腹巻を巻く風習があります。戌の日は、お腹の赤ちゃんをしっかりと意識すべき日だと思っています。 2019年戌の日カレンダー 1日(火)・13日(日)・25日(金) 2月 6日(水)・18日(月) 3月 2日(土)・14日(木) ・26日(火) 4月 7日(日)・19日(金) 5月 1日(水)・13日(月)・25日(土) 6月 6日(木)・18日(火)・30日(日) 7月 2日(金)・24日(水) 8月 5日(月)・17日(土)・29日(木) 9月 10日(火)・22日(日) 10月 4日(金)・16日(水)・28日(月) 11月 9日(土)・21日(木) 12月 3日(火)・15日(日)・27日(金) 2020年戌の日カレンダー 1月 8日(水)・20日(月) 2月 1日(土)・13日(木)・25日(火) 3月 8日(日)・20日(金) 4月 1日(水)・13日(月)・25日(土) 5月 7日(木)・19日(火)・31日(日) 6月 12日(金)・24日(水) 7月 6日(月)・ 18日(土)・ 30日(木) 8月 11日(火)・23日(日) 9月 4日(金)・ 16日(水)・ 28日(月) 10月 10日(土)・22日(木) 11月 3日(火)・15日(日)・27日(金) 12月 9日(水)・21日(月) 妊婦さんが寺社へのお参りをする日ではない? 戌の日には必ず寺社にお参りをするものと勘違いをされている人も多く、昨今寺社では、お参りの人で行列ができ、妊婦さんが救急車で運ばれるなんていう話も聞きます。 折角の良い思い出になるお参りも、そのようなことにならないように気を付けなくてはなりませんね。 お参りに行くのであれば、 妊婦さんの体調と相談して、良い日を選びましょう。 大安などの六輝(六曜)にこだわる方もいますが、六輝自体は鎌倉時代に中国から入ってきた占いの一つです。 入ってきた当初は一日の時間の吉凶を占ったものを、後に江戸時代に日にちの吉凶を占うものになったので、筆者はあまり意味のないことと思います。 日々是好日と体調の良い日にご家族でお参りすることをお勧めします。 そもそも戌の日の起源とは? 犬は多産でお産が軽いので犬の出産にあやかる意味で、妊娠がはっきりして、そろそろ胎動が感じられる 5ヶ月目の戌の日の前に、各地の寺社で安産祈祷をしてもらった腹帯を戌の日にしめることが風習 となっているようです。 何故、戌の日かというかと言いますと、犬の出産にあやかろうとすると説明されることが多いのですが、その他にも、犬はあの世とこの世とを往復できる動物と考えられていることにも関係がありそうです。 ただ、現代のようになったのは、江戸時代に入ってからと言われています。その前は、子(ね)の日に行われていたようです。鼠も多産で子孫を増やす力があったために、その力にあやかろうとしたためと言われています。 早いところでは3ヶ月、遅いところでは7ヶ月の戌の日に妊婦のお腹に腹帯をまくところもあるようです。 腹帯を巻く風習の起源 腹帯を巻く風習は、平安時代に皇室でおこなわれたのがはじめとされています。 昔は、妊婦の実家が赤白二筋の絹と白木綿一筋の帯を重ねて奉書紙で包み、表書きを「岩田帯」「祝の帯」「祝帯」と書いて、蝶結びの赤白の水引をかけて贈りました。 絹帯は、あとで祝着に仕立てて、赤ちゃんの誕生の時に使い、白木綿はオムツに使われました。 妊婦がつけるさらしの腹帯「岩田帯」は、もともと齋肌帯(いはだおび)から転じた言葉で「齋」のは「忌み」という意味があり、昔は出産が穢れ(けがれ)と考えられていたことによります。 帯祝いの日から出産の忌みに入るので肌帯をつけて安産を願ったのですが、岩田帯をお腹にまくことで胎児を守り、妊婦の腰を支えたり、冷えを防いだりする実用的な役割もあったと思われます。 昔は、腹帯は産婆に巻いてもらうほか、仲人、里の親、夫などにしめてもらったり、子運のよい人、産の軽かった人、丈夫な子供を育てている人などに帯親を頼んでしめてもらったりすることが多かったそうです。 腹帯には、各地の寺社で安産祈願をしてもらった布が用いられるほか、上棟式、船卸の幟、土俵の四本柱の巻き布など祝儀の時にもちいたものが使われることもあったそうです。また、葬式の時にたてる5色の旗を巻くところもありました。 力士のように強い力をもらったり、死者の霊魂を胎児に付与することによって運がつけられたり、胎児の霊魂も強くなるといった強いもの、縁起のよいものの力を借りようとする意識がみられます。 帯の長さも縁起の良い3尺3寸や7尺5寸長さに切って使用したり、安産のまじない札を挟んでおきました。 まじないは、腹帯に犬という字を書き、腹帯の間に熊の腸や毛や蛇の抜け殻などを挟むやり方があったそうです。 腹帯の起源は、神功皇后の新羅征討の時に、応神天皇を出産しそうになり、腹帯に小石を挟んで出征して帰国するまでに出産をのばしたという故事に由来すると言われています。 きりっと締めると子供が育ちすぎずに産が軽く済むと言われるとともに、腹帯をするのは、世界中でもめずらしいようで、日本オリジナルの出産文化である事が分かります。 安産祈願のお祝い金や内祝について 親しい人がお金でお祝いをする場合は「ご着帯御祝」と書いて贈ります。 お祝いを頂いた家へは、お金をもらった場合は、1割のお移り(おため)を入れて返礼します。 犬の張子人形を贈ることもあります。犬張子は平安時代に産室の魔よけとして飾られたものです。また、江戸時代には初宮参りのとき、あいさつ回りを迎える側から贈り物として使われていたという縁起ものです。 基本的には、帯祝いにいただいたものには、特にお返しの品は必要ないと言われています。 また、着帯しましたよということを近所や親戚に知ってもあうために「帯掛け内祝」として折箱に赤飯を軽く入れて南天の葉を添えて贈るところもあります。 赤飯を軽く入れるのは、お産が軽く済むようにとの願いです。南天は難を転じるおまじないです。 寺社へ参拝する場合 戌の日を前に岩田帯を用意して寺社に安産祈願をしますが、東京では、中央区の水天宮が有名です。 水天宮にように安産祈願に有名な寺社は、戌の日には想像以上に混み合うことも多いので気を付けましょう。 水天宮には「御子守帯」(みすずおび)という岩田帯も用意されています。実家の母親とお参りする人が多いようですが、姑を一緒に誘ってあげても喜ばれると思います。 特に男の子しかいない母親には、自分もそうだったと懐かしく思ってもらえると思います。夫婦やその親と一緒に神社で安産祈願したあとで食事会などする人も多いと聞きます。 ▼服装のルールは? 服装は、神様にお願いに上がるので余りカジュアルな服装よりある程度きちんとした服装の方が良いと思います。 ▼初穂料は?のし袋は必要? 祈祷してもらう場合は、初穂料をおさめるのが一般的。赤白の蝶結びの水引に熨斗付きお金包みに「初穂料」と書いてお金を包みます。いくら包むかは、前もって訊いておくとよいでしょう。 出産に伴う不安を払拭させたい方も多いと思いますが、体調の悪い場合は、無理せず、戌の日でなくてもよいのです。戌の日には、腹帯をつけることをなさるとよいと思います。 <参考> 人生儀礼辞典(小学館) 日本橋はいばらがおくる四季の心得帖(自由国民社)
2017年02月27日春の訪れを感じさせる「桃の節句」こと、ひな祭り。小さい時に家族とひな人形を飾るのを楽しみにしていた方も多いのでは。 そんなひな祭りですが、その由来や意味をどこまで子どもに説明できますか。とても深いひな祭りの世界をご紹介します。 子どもに伝えたいひな祭りの由来 禊と厄払い 中国では古くは、3月の最初の巳の日を忌日として災厄から逃れ、不浄を除くために「踏青」と言って青い草を踏み、川に入って川の流れで禊をして、お酒を酌み交わし穢れを払うことが行われていました。 それが日本に入ってきて、平安期のころからあった子どもの人形(雛遊び)遊びが、禊や中国の三月の上巳の払いの行事と一緒になって、人形や撫でものに身体の穢れを移し、川や海に流すようになったようです。 今もその形が、鳥取に流し雛として残っています。ひな祭りの風習がうまれたのは天正以後(安土桃山時代)のことではないかと言われています。 慶長のころ(安土桃山時代から江戸初期)までは、雛は厄を払うための紙の人形でした。江戸時代に3月3日が五節句の一つに定まられて将軍家や大名、庶民の間までひな祭りが行われるようになりました。 そういう中で、日本最後の女帝である後桜町天皇の御代に宮中で、雛の装束が作られ、ひな人形を楽しむようになったと言われ、雛人形を流さずに飾るようになりました。その後、寛永雛という美しいひな人形がうまれました。 ひな祭りは花嫁修業? 江戸初期の風俗を書いた「むかしむかし物語」には、「3月には、女子は雛遊びと言って、雛や雛の道具を飾り、食事を作り、草餅や甘酒を親類に届けた。これは成人して嫁入り時に世帯を持つ稽古であって、ただの遊びではない」とあります。女性の花嫁修業の意味もあったようです。 災厄から逃れるために人形に身体の穢れを移し、川に流していたものから、人形を飾るようになって、女の子の健やかな成長と幸せを祈る行事になっていったのです。 雛人形を飾る期間 「桃の節句」は、立春から2月中旬ごろまでに飾ります。前の日に飾るのはお葬式と同じ一夜飾りになるので縁起が悪いのでやめましょう。 片付けるのは3月3日過ぎたらすぐにします。いつまでも飾っているとお嫁にいけないと言われていますが、ひな人形は今は飾るものになっていますが、もともとは子どもの身代わりになってもらって、穢れを移して流すものだったので、「すぐに片付けることで、流す代わりとした」と言われています。] 雛人形は、身代わりになってくれる女性のお守りですから、一人一つが原則です。母子で共有するものではありません。 初節句には ですから初節句には、新しい雛人形を贈るのが習わしです。 初節句は、子どもがその地域に仲間入りをしたことをあらわし、人々に今後の加護を乞う儀礼でありました。今は、両親と祖父母などでおこなう内輪の祝い事になってきています。 雛人形の飾り方(七段飾り)とその意味 1段目:内裏さま(天皇・皇后をかたちどった一対の雛人形) 現代は、向かって左に男びな。右に女びなが主流になっています。これは、国際儀礼(プロトコール)の飾り方で、日本礼法だと、反対になります。 国際儀礼では、右上位です。右(RIGHT)には、正しい、聖なるの意味があります。天皇から見て右が上位になります。雛段に向かってみると左が天皇です。日本礼法では、天皇から見て左上位になるので、雛段に向かってみると右が天皇になります。 2段目:三人官女 二段目からは、日本礼法の並び方です。天皇から見て左が上位です。 向かって左から加柄を持っている官女 真ん中が三宝を持っている官女 右が長柄を持っている官女です。真ん中の官女は、眉毛がありません。結婚している証拠です。 平安時代は結婚すると女性は眉毛をそります。真ん中の官女さんが、3人のなかでは一番偉い方です。長柄は、お酌をする官女、加柄は、お酒がなくなった時、長柄に補給する道具です。 3段目:五人囃子 向かって右から謡、笛、小鼓、大鼓、太鼓の順で並んでいます。能の囃子方を模したものです。右から扇子や楽器が少しづつ下の方になるのが面白いです。 4段目:随身 向かって左が若い右大臣(天皇から見て右になるから右大臣です)、右が右大臣より位の高い左大臣(天皇から見て左)です。お髭を生やしている年配の大臣です。 間に菱餅、白酒、あられなど飾ります。ひな祭りの食べ物として日本歳時記(1688年)には、「よもぎもちい」を食べ、桃花を飲み、モチを親戚に贈るとあります。桃花酒は、桃の花を浸した酒で、これを飲めば病を除き顔色が良くなるとあります。 ■あられ 平安時代の干し飯に由来し、乾燥させた餅から作ることもあります。炒る時、勢いよくはぜると吉、あまりはぜないと凶と占ったともいわれています。 ■白酒 甘酒がひな祭りに用いられたこともあるが、白酒が用いられるようになったのは、江戸時代後期のようです。神田にある豊島屋は、白酒では江戸の草分けです。 ■菱餅 もともと雛祭りの食べ物としてヨモギ(旧くは、ハハコグサを用いて草餅としたようです、どちらも邪気を払う薬草)餅を食べていました。 今のような赤白緑の三色の菱餅が用いられるようになったのは明治に入ってからと言われています。下から緑 白 赤の順で重ねます。赤は魔よけ、白は清浄、緑も邪気を払うと言われています。 5段目:仕丁 それぞれ台傘、沓台、立て傘を持った3人が並びます。関西では、ほうき、ちりとり、熊手をもっている雛段もあります。仕丁とは、雑役をする人です。向かった左に右近の橘(天皇から見て右です)。右に左近の桜です。 6、7段目:嫁入りの道具 箪笥、長持、鏡台、火鉢、籠、重箱、牛車など並べます。 ひな祭りのたべもの 貝料理を出します。昔、浜辺にでて禊をして遊んだ名残です。中でもハマグリの吸い物を出します。ハマグリなどの二枚貝は、元が同じ貝でないとぴったりと合わないところから、貞操を意味すると言われています。その他、海の幸、山の幸を彩りよく仕上げたチラシ寿司はひな祭りの定番です。 >>E・レシピでレシピを見る ・ちらし寿し ・ハマグリのお吸い物 ・ひなあられ ・草もち団子 ・桜もち ひな祭りには、いつ何をすべき 初めての桃の節句が、生まれてすぐの場合は、来年にします。準備があるので母親を気遣ってのことです。 基本的には3月3日にします。片付けるのが早い方が良いので、3日より遅くしないことです。その前の土日など皆の都合を考えて計画を立てた方が喜ばれます。子どものことも考えてお昼にするとよいでしょう。 お出しするものは、チラシ寿司、ハマグリの吸い物、草餅や桜餅でよいと思います。皆で集まって女の子の無事な成長と幸せを願います。 集合写真など取ると、子どもが大きくなって、その笑顔の写真をみて、こんなに多くの人に愛されたのだと思うことも、その子の生きる力になると思います。写真は是非、残してくださいね。 お呼びする人は、兄弟、親戚や親しくしている友人、ご近所の方です。家で留守をしている人のために、草餅やチラシ寿司をもって帰ってもらうのも喜ばれます。日にちが決まったら、早めに連絡を入れましょう。 その時に、皆様でひな祭りの歌を歌ってください。皆で一緒に歌ったり、踊ったりすることも楽しい思い出になります。 うれしいひな祭り あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花 五人囃子の笛太鼓 今日は楽しい ひな祭り お内裏様とお雛様 二人並んで すまし顔 お嫁にいらした姉さまに よく似た官女の白い顔 金の屏風うにうつる日を かすかにゆする 春の風 すこし白酒 めされたか 赤いお顔の 右大臣 着物を着かえて 帯しめて 今日は私も晴れ姿 春のやよいのこのよき日 なにより嬉しいひな祭り
2017年01月30日