「親友の“裏アカ”投稿に傷つけられている」雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第25回
そこで全員に向けて話をするなら、聞く人たちが「知らない相手」だと仮定して話をするほうがずっと楽です。
おそらく、お友達は「見つからないだろう」と高をくくっている部分もあるのでしょうが、それ以上に「知人相手ではなく、知らない相手に対して話すことの気楽さ」の中毒になっているのだと思います。そして、見つかったとしても、実際に会っている関係のほうがネット上での交流よりもずっと重いのだから、修復可能だという思いがあるのではないでしょうか。
ネット上に書いていることのほうが本音に見えるケースはままあります。きついことを書いているほうが本音に見える場合も多いです。けれど、必ずしもそうだとは言えないのが人の不思議なところです。例えば、短いスパンでは腹を立てていても、長いスパンではむかついた相手と縁を切りたいとまでは思っていない、ということはよくありますよね。意見が合わないことがいくつかあっても、関係を続けたいと思っていることもあります。
一見、瞬間的に爆発した怒りや、合わないと感じた瞬間のほうが「本音」に見えますが、「合わないところがあっても、友達でいたい」のほうが、本音だったりすることもあるわけです。