■とうとう病気を発症! それでもキラキラ生活にしがみつく妻
ある日、熱があろうが頭痛がひどかろうが、意地でも会社を休まなかった笑美が、尋常ではない腹痛に襲われて病院に駆け込むことに。そこで彼女はストレスによる心の病気という診断を下される。
笑美から話を聞いた文哉は驚き、「通院の頻度は?」「どんな治療をするんだ? 薬はもらったのか?」と妻を質問攻めにした。
しかし、文哉を驚かせたのは、笑美の答えだった。
「
しないわよ、通院なんて。残業ができないだけでも大きなハンデなのに、加えて通院のために半休なんてとんでもないわ。
薬も勧められたけど、飲むと眠くなったりだるくなったりするんですって。そんな薬飲んでちゃ、仕事にならないわ」
普段、穏やかな文哉も、この時ばかりは猛抗議した。
健康が第一。きちんと通院して薬も飲んで、働き方も見直すべきだと文哉は主張する。
しかし笑美は「この病気の原因がストレスだって言うなら、定期的に通院したり、毎日眠くなる薬を飲んで仕事をしなきゃいけないのが
最大のストレス」だと言い張り、聞く耳を持たない。
この議論は未曾有の夫婦ケンカに発展した。どちらも自分の言い分が絶対に正しいと信じているので、
仲直りの糸口すら見えないまま、険悪なムードで日々が過ぎてゆく。
その間も笑美は、毎日絶不調の体を引きずるようにして仕事と家事・育児、ママ友付き合いをどうにかこうにか回していた。顔にはいつもの笑顔を貼り付けていたが、正直、心身ともに限界だった。
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そして迎えた、ある週末。
前々から寛人・淑美夫妻と約束していた、キャンプの日がやって来た。
笑美は最悪な顔色と微妙な夫婦仲のまま、まぶしすぎる淑美と顔を合わせたくなかったが、仕方がない。寛人が誘ったもう一家族も加えた三家族分のキャンプ場がすでに予約されているからだ。
鬱々とした気分のまま、笑美はキャンプ場に向かった。
淑美が雑誌の撮影にも使用したその場所は、従来の「キャンプ場」のイメージを覆すものだった。新しいキャンプ体験ができる最近流行のグランピング施設で、どこもかしこも清潔でセレブ感が漂う。
これなら雑誌の撮影現場にもなるだろう。子どもたちが安全に目一杯遊べる遊び場も併設されている。
一言で言うと「さすが淑美さん」としか言いようのないキャンプ場だった。
優乃は早速歓声を上げながら、淑美の娘・恵麻と、もう一家族の子どもたちと遊んでいる。その楽しそうな姿を見て、笑美はまた心が沈んだ。
こんな場所があるなんて、私、全然知らなかった…
情報収集不足だわ。恵麻ちゃんはきっと、優乃よりずっとたくさん楽しい場所に連れて行ってもらえてるのよね。それに、今日も恵麻ちゃんのファッションは完璧。子ども用のアウトドアウエアに、こんなにかわいいアイテムがあるなんて…。
ひたすら落ち込んでゆく今日の笑美に、キラキラと輝く淑美の姿を眺め続けるのはキツすぎた。
淑美がもう一人のママとの話に花を咲かせている間に、笑美はそそくさと退散。一人になれそうな場所を探して歩いた。
■憧れの女性だったのに…親友の告白で知る現実
木陰に腰を下ろして缶ジュースをすすっていると、誰かが近づいてくる。振り向くと、そこには寛人が立っていた。
「よっ!って、笑美、お前何だよ、ジュースかよ!? ビール持って来ようか?」
いつも通りの屈託のない寛人の笑顔に、笑美もつられて微笑みながら「今はジュースでいい」と答える。まさか「ストレスによる心の病気でおなかの調子が悪いから、アルコールは控えている」なんて言えない。
寛人が笑美の隣に腰を下ろしながら、笑美の顔をのぞき込む。
「笑美、なんか今日元気なくないか?」
鋭い指摘にギクッとする。
けれど、今自分が抱えている鬱々とした気分、健康問題、夫婦ケンカ…何をどこから、どう寛人に話せばいいのだろう。考えがまとまらないまま、気付くと笑美はつぶやいていた。
「寛人は幸せ者だよね…」
「はぁ? 何だよ急に?」
「淑美さんみたいな、いっつもきれいでおしゃれで余裕があって、職場でも家庭でも完璧な奥さんがいて。私なんてさ、もうダメダメだよ。仕事に追われてヒーヒー言ってるし、家でも頑張ってるつもりなのに、一人で空回ってる感じ。家族に喜んでもらいたいのに、全然うまくいかなくて…」
いけない、
涙目になってきた。笑美は思わず寛人から顔を背ける。
寛人はしばらく黙っていたが、キョロキョロとあたりをうかがうと、低い声で話し始めた。
「ここだけの話だぞ。淑美ってさ、確かに余裕しゃくしゃくみたいに見えるけど、本当は全然そんなことないんだぜ。毎日ボロボロになって帰ってくるし、特に締め切り前なんて殺気立っててさ。家でもいらだってて、恵麻が怖がることもあるくらいだよ」
「うそ…そんなの全然想像できない。私、淑美さんのインスタもチェックしてるんだけど、いつもすごく豪華なお料理の写真をアップしてるじゃない。恵麻ちゃんにお菓子作ってあげたりとか」
「あれなー。なんか『職場のみんながインスタやってるから、私もやらなきゃ』とかって言って始めたんだけど、
“ステキな暮らし”の演出に躍起になってるよ。
俺は見栄えだけいいワケの分からん洋食より、普通に肉じゃがが食いてえって言っても、即却下。
やたら手の込んだ洋菓子作って、恵麻の反応がイマイチだと腹立てるしな。ハッキリ言って、家族からするとはた迷惑なことも結構あるよ」
何だか耳が痛い…あの「完璧な淑美さん」が、家では実は、私と同じようなことをしている…? 笑美はポカンと口を開けたまま、寛人の話を聞いていた。
「知り合った頃、仕事をバリバリ楽しんでる淑美をいいなって思ったのは事実だよ。でも 仕事を楽しんでるからって淑美を好きになって結婚したわけじゃない。
結婚しても、子どもが生まれても、仕事は昔と変わらずバリバリ、家庭でも完璧な妻、母で、ファッションや習い事は独身貴族並みなんて、どう考えてもムリだろ?
俺はただ、淑美に昔みたいにニコニコしててもらいたいだけなんだ。そのために仕事をセーブしたければ、すればいい。家事や育児で手抜きをしたければ、すればいい。
でも淑美には、そんな選択肢はあり得ないんだよ。『ここまで全力疾走してきたんだから、
ここで足を止めるわけにはいかない』みたいに思ってるみたいで」
そのうちぶっ倒れたり、ノイローゼになるんじゃないかって、結構真面目に心配してるんだ、と寛人は苦笑した。
ずっと憧れていた、理想としてきた「いつも余裕の完璧な女性」の実態を知って、笑美は脱力してしまった。
淑美さんのようになれれば、「私にはあれが足りない、これも足りない」なんて
自分を責めなくてすむようになるはず。そうすれば、いつも感じている欠乏感や飢餓感から解放されて、自分に自信が持てるはず。幸せになれるはず。ずっとそう思っていた。
けれども「ゴール」にたどり着いたところで、見える景色はどうやら今と大差ないようだ。それなら…それなら私は、
どうやって幸せになればいいんだろう。どうやって家族を幸せにすればいいんだろう。
寛人の話を聞き終わる頃には、笑美の涙も乾いていた。遠くから、「おーい、寛人、笑美! 肉焼くぞー」という文哉の声が聞こえてくる。2人は顔を見合わせると、同時に立ち上がった。
みんなのところへ足早に戻りながら、「今夜は少し、文哉と話してみようかな」と笑美は思った。
結婚で家族のもとを離れる娘。出発する直前になると、母の”愛情のこもった言葉”に「今でもテレビ電話します」