だれだって、淋しさを抱えたままずっと「ふつうに」暮らすことなんでできないわけだから。
■不倫という恋はない
ただ、著者は不倫という恋はないと思っています。ある特定の条件を背負った者が恋をすれば、世間はそれを不倫と呼ぶわけですが、要するに、ひとを好きになるという行為の、いちカテゴリに過ぎず、つまるところ、不倫は恋愛だというふうに思っています。
だから、結婚後、ほかのだれかに恋をするというのは、(その倫理を度外視して言えば)ある意味ではとても正しい心の動きだというほかはなく、それで淋しさを消すことができるのであれば、それでもいいのでは?と思ったりもします(その倫理を度外視して言えば)。
■それが良くないというのであれば・・・
それが倫理的に良くないというご意見も当然理解できます。でも、話がもとに戻りますが、良くないというのであれば、淋しさの消し方も一緒に提案してあげないと、淋しさゆえに不倫をするひとが救われないですよね?
今の世の中の「一般的なところ」というのはおそらく、淋しいから不倫をしたい、でも倫理的に良くないから我慢する、というところだろうと思います。
でも、我慢とは意識で、淋しさは無意識だから、そもそも根本的な対策として「我慢」