つまり「目の前にあるものを正確に見ていない」ということ。だから嫉妬心をなおそうと思えば「目の前にあるものだけがある」と認めることが、まず大切なのではないでしょうか。
■■自分のなかの「イヤな自分」を「見る」
目の前にあるものだけがあると認めること、つまり過不足なく(私情を挟まずに)ものを見るというのは「そういう眼」を養わないとむずかしいことだろうと思います。ではどうやったらそういう眼を養うことができるのか?
たとえば、自分のなかのイヤな自分を見ることから始めてみてはいかがでしょう。たいていの人って、イヤな自分を見ていないか、見て見ぬふりをしていると思います。
サボり癖のある自分とか、彼のことが好きかどうかわからないけど、彼氏がいないと「なんとなく」落ち着かないから彼にちょっとウソをついてつきあい続けている自分とか、そういうイヤな自分から、たいていの人は目をそらしがちでしょう。
イヤな自分と四六時中顔をつきあわせていたら、きっと誰だってアタマがおかしくなるでしょ?
*
でも、それをあえてやってみる。つまりまず、自分のイヤなところを見る。
見るというのは「受け入れる」わけではありません。