ベビーカレンダーがお届けする新着記事一覧 (14/1287)
今から6年前、咲花(しょうか)さんは第一子・はる君を出産。初めての育児に奮闘しますが、思うようにいかないことの連続で咲花さんの情緒は不安定になり……。はる君が生後3カ月になったころ、会社から連絡がありました。 突然の会社からの電話。内容は… 会社からの連絡はうれしい知らせでした。表彰式と食事会について夫に相談すると、「オレも休みとるし、せっかくだから行ってきなよ!」と参加を後押ししてくれました。そして表彰式当日。会社の同僚にはる君をかわいいと言ってもらえて、うれしかった咲花さん。 はる君が生まれてからは家族以外の人と会っておらず。久しぶりの再会でドキドキの咲花さんでした。 スーツ姿の咲花さんを見て、「ママ、かっこいい!」と話す夫。行動を後押ししてくれる声かけはうれしいですよね。出産後、しばらくは家族としか会話しなかったという人も多いのではないでしょうか。仕事復帰で久しぶりに会社の人と話し、ドキドキしたという方もいらっしゃるかもしれません。 リフレッシュする上で、わが子を安心して預けられる環境があることも重要ですよね。ひとりで育児に奮闘するママも多いと思うので、気軽に、そして安全に預けられるところが増えていってほしいですね。>>次の話監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター 咲花
2024年06月20日まだ預けるのは早いと思いながらも、仕事復帰と第4子の妊娠を機に、生後6カ月で保育園に入園させたわが家の次男。罪悪感を抱きながらも、娘を預けてみることにしたのですが……?まずは支援センターへ!次男を入園させた保育園は、わが家の長女と長男が通っていた保育園でした。先生方もわが家のことを知ってくれているし、わが家の家族も先生方をみんな知っています。 まずは保育園が併設している支援センターへ遊びに行き、次男の様子を見つつ、先生に自身の状況を説明しました。先生方は私の体を気づかってくれると同時に、「次男の入園を心待ちにしている」と言ってくれたのです。温かい言葉を受け、生後6カ月で預けるという罪悪感を抱きながらも、思い切って保育園にお願いすることを決めました。 保育園で大人気の次男くん!いざ登園の日。ドキドキしながら保育園へ行くと、次から次へと次男に黄色い声が飛んできました。「やだ~! かわいい~!」「抱っこさせてください」など、園で最年少となる次男は先生たちから歓迎を受けました。それだけでなく、園内ですれ違う園児たちからも「赤ちゃんだ!」「赤ちゃんおはよー!」と、たちまち在園児たちに囲まれていました。 当の本人も最初はきょとんとしていたものの、初めて見る大勢のお兄さん、お姉さんたちにニコニコ。これまで家族としか過ごしていなかったので、次男にとっては新鮮だった様子でした。 「小さいうちに預けるとラクよ」のひと言登園して1カ月ほど経つと、次男は全園児から名前を覚えてもらえるようになっていました。本人もお兄さんやお姉さんたちに遊んでもらえるのがうれしいのか、登園するとニコニコしています。 ある日の登園時、たまたま主任の保育士さんに会い、自分が抱えていた罪悪感を打ち明けました。すると保育士さんは、「何言っているの! 小さいうちのほうが、子どもは抵抗なく保育園に馴染めるからラクなのよ。子どもを預かるのは私たちの仕事。お母さんたちは安心して、お仕事してね」と言われました。その言葉を聞き、今まで抱えていた罪悪感が軽くなりました。保育園と保育士さんを、とても心強い存在に感じた瞬間でした。 保育士さんからも、園児からもかわいがられている次男。毎日ニコニコ登園し、お迎えのときもご機嫌です。生後6カ月で預けたことに罪悪感を抱いていましたが、次男の様子、保育園の雰囲気、先生の温かい言葉を聞き、気持ちがだいぶラクになりました。心にも余裕ができ、余計に次男を愛おしく思うようになりました。 イラストレーター/大福 著者:ライター 木村なち
2024年06月20日私は33歳の専業主婦です。結婚後すぐに義両親との同居が始まりました。結婚する前は知らなかったのですが、義父は寝たきりで介護が必要な状態でした。義母と夫は私に介護の話を伝えていなかったことを謝罪してくれました。私は義母と一緒に介護を頑張ろうと決心しましたが……。 介護と家事に追われる日々結婚後も仕事を続けるつもりでしたが、家事と介護に大忙しの日々。夫も義母も義父の介護にはノータッチで、すべて私に丸投げ状態です。さらに家事も一人でやらされて、仕事を辞めざるを得ませんでした。 夫や義母に介護か家事のどちらかを手伝ってほしいと何度も伝えましたが、聞く耳を持ってもらえませんでした。 唯一の救いは、義父がとても心やさしく、いつもお礼を伝えてくれること。しかしその後、義父の病状が急変し、帰らぬ人となりました。 義母と夫の本音義父の死後、義母は信じられない発言をしました。「金だけはある一回りも年上のじいさんと結婚して我慢の連続だったけど、やっといなくなって清々したわぁ~」 やさしい義父にそんな言い方……私は義母の本音を聞き、驚きとショックで動揺しました。 葬儀が終わると、夫は私に「じゃ、葬式も終わったし、もうお前を家に置いておく理由もないから、離婚してくれ! 父さんがいなくなった今、無職女を置いておくわけにはいかないからな」と言いました。義母も大賛成の様子。 私はその瞬間、自分がただの介護要員としてしか見られていなかったことに気づきました。 解放と新たなスタートそんな2人を見て、私は最初こそショックを受けたものの、今後は夫や義母に振り回されることがないと思うと、次第に解放感でいっぱいになりました。 夫への愛情なんて、とっくに冷めていました。心やさしい義父が心配でなかなか離婚に踏み切れなかったのですが、最後まで見届けることができ、もう何も心配することはありません。 私は夫が手渡してきた記入済の離婚届を手に、「わかった! 今すぐだすね!」とそのまま役所へすぐに出しに行き、無事に離婚成立。その後、家を出て久しぶりに自由な生活を取り戻しました。 「助けてほしい」と連絡がところがそれからすぐ、元夫と元義母から電話がかかってきました。電話の内容は、義父の遺産を頼りにしていたものの、義父がお金をすべて寄付していたというもの。そのせいで、生活費が無くなったから助けて欲しいのだとか。さらに元夫は「これからもウチに来て、家の掃除とか料理とかやってくれよ!」と言うのです。 もちろん今さら助ける義理もありません。預貯金をすべて寄付していたのも、義父の意思です。別れたあとも、私を家事をさせようとする元夫に、心底うんざりしました。 私は「もう縁を切ったおふたりのことなので、そちらで解決してください」と伝え、静かに電話を切りました。 元夫と義母に良いように使われてしまったこの数年間は戻ってきません。でもこれからは自分の時間を楽しむ自由があります。これから前向きに、人生を歩んでいこうと思います。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年06月20日当時20歳だった私は、出会い系サイトで同い年の男性と知り合い、スムーズに交際まで発展しました。しかし、彼のある部分がどうしても理解できなくて……。 私の場合、彼と食事に行く際に毎回1円単位でワリカンにされるのは、精神的に疲れてしまいました。彼とのデート前日に「あっ、10円を崩して1円玉を作っておかなくちゃ」と考えるときもあったのです。それに、彼とのデート先は大体決まっていて、チェーンの安いファミレスかお金のかからない公園のみ。 そんな恋愛が窮屈に感じて、結局彼とは別れてしまいました。今は自分と金銭感覚の似た男性と付き合っていて、デートや同棲生活がとても快適に感じるので、元カレとは別れてよかったと思っています。 原案/熊さん作画/おはな ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター おはな
2024年06月20日私はごはんはみんなで食べるからおいしい、だからこそコミュニケーションを大切にしたいと考えています。そのため、家族でごはんを食べるときには、たくさん話していいんだよと子どもたちに伝えています。しかし、夫は口を開けば子どもたちに注意ばかり。とうとう、夫と喧嘩になってしまいました……。今までの食卓の様子当時6歳、4歳、2歳、1歳の子どもたちと私の4人でごはんを食べるときは、楽しく会話をしながら食べていました。私1人で子どもたちを見ているので、てんやわんやなところはあります。けれど、6歳と4歳の娘2人がおふざけしながら会話をしていて、楽しい雰囲気でした。 しかし、夫が早く帰宅した日や休日は、夫も一緒にごはんを食べるので、子どもたちは黙々とごはんを食べます。理由として夫は口を開けば会話ではなく、注意をするからです。 例えば「ひじをつかない」、「口を閉じて食べる」、「お皿を持って食べる」などです。子どもたちは注意されるとむきになってしまうのか、注意された行為をやめられなくなり、そして夫がイライラするという悪循環が起こっていました。 夫婦喧嘩に発展!?食卓は楽しい場所であってほしいので、夫に「なんで注意ばかりするの? 口を開いたら注意ばかり。お行儀も大事だけれど、楽しんで食べることが大事でしょ」とイラついて言ってしまいました。夫は「何で注意したらダメなの? 〇〇も注意してるじゃん」と反論してきたので、私の考えを話すことに。 私は日中子どもたちとずっと一緒にいるので、会話をたくさんしています。その中で「~したほうがいいよ」という注意の仕方をしているということを伝え「パパの場合は楽しい会話もなしにただ注意をするだけだから、子どもたちはパパが口を開いたら注意されると思っているのかもよ?」と話しました。 その後、夫は変化して……夫はなるほどと思った部分があったのか、まず食事のはじめには「今日は幼稚園で何をしたの?」など、子どもたちが話してくれるような話題を夫が提供するようになりました。 そして話し合いをして解決策としてうまれたもう一つの方法があります。それは、夫が気になったことは私に伝えて、私が子どもに伝えるという方法です。これによって子どもたちの夫へのムキになった行動がなくなり、夫のイライラも減りました。 夫が食卓にいて雰囲気がビシッとするのもいいことかもしれませんが、私はそれより子どもたちが楽しんでごはんを食べてほしいと思っています。夫の変化をご紹介しましたが、夫と喧嘩をしたことで、お互い意見を言い合えたので、食卓での子どもたちの笑顔が増えたように思います。喧嘩をすることでお互いまた成長し合えたらいいなと思った出来事でした。 著者:松谷えりな/女性・主婦。2019年生まれの息子と、2016年、2018年、2020年生まれの娘たち4児のママ。教員免許保持。子ども4人と夫、ペットのわんちゃん1匹と暮らしており、趣味は子どもたちといろいろな公園へ遊びに行くこと。 ※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています
2024年06月20日少し過干渉なところがある私の義両親。トラブルは、妊娠報告をしてから起こるようになりました…。妊娠報告後、最初のプレゼントに喜んでいたら…私の義両親は、少し過干渉なところがあります。 妊娠報告をしてからすぐのことです。義実家に行くと、お祝いとしてベビー服をプレゼントされました。それは有名ブランドのベビー服でとてもセンスがよく、かわいらしいもの! 服は何枚あってもよいので私もとても嬉しく、喜ぶ私の姿に義両親も満足気でした。 しかし、これが事の始まりだったのです。 それからというもの、義両親はベビーバスやメリーなどの大型グッズを次から次へと勝手に買ってくるようになりました。私は、初めての妊娠ですし、SNSや雑誌等でいろいろと調べてから自分の気に入ったものを買いたかったのですが、違うものを勝手に買って来られるのです。 これには私は不満が募るばかり…。すると、義両親も夫も「別にこれを使わなくてもいいからね?」と言うのです。そんなことを言われたって、ベビーバスもメリーも一つあれば十分ですし、だったら勝手に買って来ないでよ!と正直ありがた迷惑…。苦肉の策として、いただいた大物ベビーグッズは里帰り中に私の実家で使うようにし、頻繁に使う自宅では自分好みのものを買い直すことにしました。 この経験をきっかけに、ベビーグッズはそれぞれママのこだわりがあるので、出産祝いをプレゼントする際はいくつあっても差し支えのないものを贈ろうと思いました。 作画/きりぷち著者:けい
2024年06月19日主人公のはるかさんは夫と息子の3人家族。やさしい義父と少しクセのある義母と同居しています。夫とともにケーキとパンのお店『かぐら』の2号店を経営しながら、充実した日々を送っていました。ある日、赤ちゃんを連れた義姉が突然帰ってきて、はるかさん家族の居住スペースで同居することになってしまいます。はるかさんたちの居住スペースである2階の空き部屋を使っていた義姉。義姉の赤ちゃんの夜泣きや義姉の問題行動を指摘したところ、義姉は義父母の居住スペースの1階で生活することに。 やっと平和な生活が戻ってきたと思っていた矢先、義母が急に食事会をはるかさんの家で開こうと提案してきて……!? なんでウチで!? 外食を断ると、はるかさんたちの居住スペースで食事しようと提案してきた義姉。 「はるかちゃんの手料理食べたいなー! 」 そんな言葉を耳にしながら、仕事と家事育児、義姉へのストレスによって今にも心が折れそうなはるかさん。 「食事は出前とりませんか? 」なんとか手料理を作らずに済むよう提案したところ、義父が賛同してくれました。 ホッと胸をなでおろしていたところに、義姉からの強烈な視線が突き刺さります。 「私は義姉に何か嫌なことをしてしまったのだろうか……」特に思い当たる節がないはるかさんは、義姉との関わり方がますますわからなくなってしまったのでした。 はるかさんに対する嫌がらせにも思える行動が目立つ義姉。一緒に生活するなかで、はるかさんが気づいていない要因やストレス、悩みごとがあるのかもしれません。 それにしても、義母や義姉の「明日食事会を開いてほしい、食事作りもお願いね」という一方的なお願いごとは、家族だとしても非常識のように思います。迷惑な強要をされる日々が続くはるかさん。しっかり自分の意思を伝えつつ、夫にもしっかりはるかさんを守ってほしいですね。 >>次の話著者:マンガ家・イラストレーター あおば
2024年06月19日妻の出産方法について口を出す義母をババキュアがぶった斬る! コメント欄でも多くの意見をにぎわせた育児マンガ「ダルっババキュア」にて、無痛分娩をしたいというお嫁さんを責め立てる義母に「ありえない」と読者から声が寄せられています。そんなママたちのモヤモヤをババキュアが代わりに撃退! ぜひ、この記事を機に読んでみてください!無痛分娩なんて許さない!お嫁さんが、義母に無痛分娩での出産を相談。すると、夫と義母は猛反対してきて……。 「あの痛みに耐えてこそ、子どもに愛情も湧く」、「真の母親になれる」とお嫁さんを説得し始める義母。旦那さんも横でボソッと「そうだよ」とささやき、お嫁さんの味方は誰もいません。 すると、どこからかババキュアが現れて……。 「昔の常識にしがみついてはいけないよ」ババキュアの必殺技に…お嫁さんのそばに現れたババキュアは、さまざまな方法で義母の概念を更生し始めます。 「無痛なんて甘えだ!」、「苦しいことから逃げてはいけない!」と語る、義母。すると、紫のババキュアが義母の常識をアップデート。その後のアップデートされた義母の様子は見違えるようにやさしくなります! 義母も出産のつらさや痛みは知っているはず。同じ経験者として、寄り添っていけたらいいですよね。 この義母の考え方やババキュアに対して、さまざまな声が寄せられました。 ババキュアが現実世界にいれくれたらいいのに!●パバキュア! 現実世界にも居てくれたらいいのにな……(以下省略)。 ●ラクしちゃダメならお義母さんは、お風呂も自分で薪を割って沸かすし、洗濯も洗剤なんか使わず手洗いするし(中略)家も自分で建てたのかな? 毎日使っているものこそ昔からのやり方じゃないよね。ラクさせてもらってるって気づかなきゃ。時代によって利用できるものが変わってるってことに気づいて欲しいですよね。 ●自然分娩で痛い思いをすることが美徳な考え方は本当にいらないですし、押し付けないでほしいなと思います。無・和痛分娩でも帝王切開でも、産後会陰やお腹の傷口が痛いのは変わらないし、後陣痛の痛みもある。ママたちは十分痛い思いをして産んでいます!! ●うちの場合は痛い思いをしていない主人でも愛情をもってこどもに接してくれていますし、養子を迎えた知り合いもいますが愛情もってこどもを育てています。痛い思いをしないと愛情が出ないなんてありえません。 ●痛みに耐えてこそ母親になれるっていうなら、父親はどうやって父親になるのか……。 ●お母さんの体調とおなかの子どものことを考えて無痛分娩でってお医者さんと決めることもあるらしいね。素人がグチグチ口出しすることじゃないわ。 多かったのは「無痛分娩でもちゃんと母親になれる」という意見。実際に無痛分娩をした方からのコメントもありました。また、「出産を経験していない父親は?」というコメントも! たしかに、男性は出産を経験せずにいきなり父親になります。しかし、コメントにもあった「痛い思いをしていない夫も愛情を持って子どもを育てている」という意見にはとても頷きたくなりますよね。 どんな出産方法であろうが、2人の子ども。さまざまな人の意見はありますが、出産するのはママ本人なので、自分が納得できる方法でするのが、一番良いですよね。 このようにコメント欄には、義母や無痛分娩についての考え方をたくさんコメントでいただきました! このあと、義母と加担していた夫もババキュアが成敗してくれます! ババキュアの必殺技にスッキリしてみませんか? 『ダルっババキュア』ママたちの声を代弁してくれるお話となっていますので、ぜひ他のお話も読んで、皆さんのご意見も聞かせてくださいね!
2024年06月19日わが家の近所に住む男性のAさん。Aさんは夫の親戚で、出産前は会っても軽くあいさつするくらいの関係でした。子どもが生まれてからは道端で会うたびに少し話すようにはなりましたが、それでも世間話程度。ある日公園で遊んでいるとAさんがやってきたのですが、Aさんの突然の行動にギョッとした体験談です。 公園で会ったAさん当時4歳の娘と生後半年の息子を連れて行った近所の公園。楽しく遊んでいると親戚のAさんが公園にやってきました。軽くあいさつし、散歩中だった様子のAさんはベンチで休憩。公園で遊ぶ私たちを見ていました。時間はお昼前。私たちはたっぷり遊んだあとで、もうそろそろ家に帰ろうかという時間でした。 私は娘に「そろそろ帰るよ」と声をかけましたが、遊び足りない娘は「やだーまだ遊ぶー」と言って走り回っています。私もすぐに娘が応じると思っていないので、段階的に声をかけるつもりでいました。 ゴツン!! いきなりげんこつ「最後にこれだけする!」を何度も繰り返し、なかなか遊び終わらない娘。私が「もう終わりにするよー!」と強めに言うと、Aさんがツカツカと娘に近づきました。急に動いたAさんに驚いた次の瞬間、Aさんは娘の頭にゴツン!といきなりげんこつをしたのです! 娘は一瞬驚いた顔になり、一呼吸おいてわんわん泣き始めました。 Aさんはそんな娘に向かって「母親の言うことを聞かないか!」と怒鳴ったのです。普段はおだやかな印象のAさん。その方がまさかいきなりげんこつをするとは思わず、私もかなり驚きました。 しつけが甘い!と一喝娘は私にしがみついて大泣き。唖然としている私に、Aさんは「俺が子どものころはこうやってしつけられたんだ! そんな甘いやり方でどうする!」と一喝。そのままの勢いで後ろを向き、「気分が悪い!」と言いながら公園から去っていきました。 私は「だからっていきなり殴っていいわけないでしょ!」と娘に手を挙げられたことで怒りMAX。げんこつされた頭をさすりながら精一杯娘を抱きしめました。しばらくして娘が落ち着いてから帰宅することに。娘はショックだったのか、何度も思い出しては泣くのを繰り返しながらの帰路となりました。 本気でされたげんこつは相当痛かったと思いますし、怖かったと思います。確かに昔はげんこつも当たり前だったのかもしれませんが今は今。自分の常識を押し付けないでほしいと思いました。これ以降Aさんに会ってもおびえてあいさつをしなくなった娘。しかしげんこつをした本人は何も気にしていない様子です。親戚である以上、適度に距離をとりながら良好な関係を続けていかなければと思っています。 イラストレーター/あさうえさい著者:山口花
2024年06月19日ヒカリさんは、結婚7年目で専業主婦。夫・晴彦と息子・リクとの3人で暮らしています。晴彦はヒカリさんに異常な執着心を持ち、常に自分の管理下におくため、ママ友や友人と付き合わないように言ったり、周囲に噓を吹聴しヒカリさんを孤立化させようとします。そんな中、晴彦がヒカリさんの友人・リツコと不倫をしていることが発覚。友人・ヒナの協力により、自分の知らない晴彦の裏の顔を知ります。晴彦とヒカリさんは元々同じ職場で働いていましたが、結婚後にヒカリさんは退職。その後、晴彦にすべてのSNSのアカウントを削除されてしまい、職場の人たちとの交流も断たれてしまっていました。 しかし、自分の知らない間に晴彦が転職していたことを知ったヒカリさんは、晴彦のことを聞くために、久々に元職場の同期・佳子に連絡します。 そこで佳子から「相川部長(晴彦)に騙された。みんな謝りたいって」という言葉を聞き、さらに話を聞き出そうとしました。 元職場の人間関係が悪い原因は…? 元から人間関係の悪かったヒカリさんの元職場。 佳子は、そんな中で晴彦がマメで話を聞いてくれるからと、みんなが相談していたけれど人間関係の悪さは晴彦が原因だったというのです。 そこでヒカリさんは、晴彦が自分以外の人間関係も揉めさせていたことを知ります。元職場でヒカリさんが浮いてしまっていたのも、晴彦が原因だったとのこと……。 何も知らなかったヒカリさんは、みんなのことも自分のことも騙した晴彦に代わって「みんなごめんなさい……」と謝ります。 職場でも巧妙に人間関係を搔き乱す晴彦は、想像以上に恐ろしいですね。ヒカリさんは、これでさらに晴彦の異常さに気づけたのではないでしょうか。 >>次の話著者:マンガ家・イラストレーター ネギマヨ
2024年06月19日イヤイヤ期真っ最中の娘を育てながら、正社員として働くりささんは、現在第2子を妊娠中。平日はワンオペ育児でヘトヘトでした。さらに、妊娠4カ月を迎えて会社の上司に報告をしたところ、参加していたプロジェクトのメンバーからも外されることになりました……。そして、休日は義実家で家事を押し付けられ、まったく休む暇がありません。自由気ままに過ごす夫が羨やましく思えて、つい夫に「入れ替わりたい」と非現実的なことを言ってしまいました。すると、なんと本当に入れ替わってしまい、夫はりささんとして過ごすことになります。ひどいつわりに耐えながらの家事や育児は想像以上に大変でしたが、ママ友にも助けられ、すこしずつ慣れてきました。そして、りささんの仕事ぶりがしっかりと上司に評価されていることを知り、うれしくなったのでした。予定どおり、りささんの姿のままで産休に入ることになった夫。自分の実家に里帰りしますが、母親は容赦なく用事を言いつけます。また「嫁の一日は日の出前から始まるのよ!」と言い、午前4時過ぎに起こされてしまい、こんな生活が出産まで続くかと思うと、不安いっぱいになるのでした……。こんな扱いを受けていたの…? 料理に掃除、義父のお世話……。ゆっくりする暇もなく、なんのために里帰りをしているのかとモヤモヤしてしまう夫。そして、夫の姿だった自分に対するはまったく違う態度で接する両親を見て、りささんはこんな扱いを受けていたのかと愕然としました。 そして、朝食の準備が終わり食卓についた夫。目の前に並んでいるのが、娘の嫌いな食材ばかりだと気付いた夫。娘もそれに気付き「いらない!」と言い出しました。義父からはわがままだと言われますが、今がちょうどイヤイヤ期なのもあるとフォローしたところ、タイミングわるく「これイヤ!」と娘が卵焼きを投げてしまいました……。すると、義母の顔色が一変……! 「食べないなら食べなくてよし」そう言って、娘の前から食事を下げ「これ以上泣くなら、庭に連れ出してちょうだい!」とすごい剣幕で怒鳴ってきて、夫はとっさに娘を守るように抱きしめていました。 両親の知らない一面を見て、夫は戸惑っているかもしれませんね。義両親の立場になって考えてみると、義理の娘や息子にどのように接したらいいのかわからないと考える人もいるのかもしれません。ただ、りささんは出産間近。少し体を労ってあげても……とも思ってしまいますが、みなさんは、義両親の自分への対応で困惑した経験はありますか?著者:マンガ家・イラストレーター しろいぬしろ 著者:原作者 中澤夕美恵
2024年06月19日共同作業をするかわいい姉妹の様子をご紹介!3歳と0歳の姉妹が、2人でお手伝いをしているようで……。こんなにやさしい世界、見たことある!? 3歳と0歳の姉妹が、ハンガーを片付けるお手伝いをしていますよ。 妹ちゃんがハンガーを渡すたびに、目を見て「ありがとう」と言うお姉ちゃん。 妹ちゃんが最後の1つを渡そうとしますが、じょうずにつかめません……! 妹ちゃんが少し諦めた様子でお姉ちゃんを見ると、お姉ちゃんは「最後の1個だよ」とやさしく声をかけてくれました。 お姉ちゃんは少し眠い様子ですが、妹ちゃんが取れるまでじっと見守ってくれています。 そして、妹ちゃんが最後のハンガーを渡すと、ここでもまた「ありがとう♡」とお姉ちゃん。 お姉ちゃんは最後に扉を閉めながら、「お手伝いしてくれてありがとう」と改めて妹ちゃんに感謝の気持ちを伝えるのでした。 動画のコメント欄には、「ちゃんとありがとうを言えるの偉すぎ!」「きっとお母さんがちゃんと待ってくれているし、ありがとうとたくさん伝えているんだろうなと思いました。素敵なご家族ですね」「泣けてくる! 自分にはやさしすぎる世界」 など、尊い2人の様子に涙する人も……! 「親の背を見て子は育つ」ということわざがあります。きっと、ママやパパはいつも子どもたちのことを見守り、待ってくれているのでしょうね。親から子どもたちへのやさしさの連鎖、素敵な世界です♡ 画像提供・協力/@yu_ri_ka4848さん
2024年06月19日私は3歳半と1歳半の息子がいる2児の母です。現在3歳半の長男のイヤイヤ期が、それはもう強烈でした。毎日試行錯誤しながら、イヤイヤ期の長男を育てるのに必死だったのですが、そんな長男のイヤイヤ期を振り返りたいと思います。今回は長男がお風呂が嫌いで困っていたとき、どのように対応したのかをお話しします。 それは突然やってきたこれは長男が1歳半ごろのお話です。私はちょうど第2子の妊娠が判明したときでした。私はつわりの影響でお風呂に入ると気分が悪くなるので、長男のお風呂は夫に任せていました。長男は夫とお風呂に入るのが大好きで、毎日楽しくお風呂に入っていました。 ある日、夫がいつものように長男とお風呂に入ろうとすると、「嫌」と長男が泣くようになりました。お風呂に入ろうと誘うと「嫌」と長男は激しく泣くようになり、家中逃げ回る日もありました。これがお風呂イヤイヤ期の始まりでした。 無理矢理お風呂には入れたくないけれど…私たちは「無理矢理お風呂に入れて、これ以上お風呂を嫌いになってほしくない」と思っていました。そこで私たちは長男がお風呂に入りたくなるまで、待つことに。しかし30分経っても、1時間経っても「お風呂に入ろう」と誘うと返事は「嫌!」のひと言。長男がお風呂に入ることを拒否し続ける日がほとんどでした。待ち続けても寝る時間が遅くなってしまうので、最後は強行突破。結局、長男を無理矢理お風呂に入れていました。 脱衣所でも浴室でも長男は大号泣。私は脱衣所から大音量で長男の好きな音楽をかけて、気を紛らわせようと必死でした。ちなみによくかけていた歌は「とんとんトマトちゃん」です。この曲には何回も助けられました。嫌なお風呂を頑張ったあとは、毎日たくさん長男を褒めてギュッとしました。 救世主現る!お風呂に楽しく入ってほしいと思い、お風呂用のおもちゃをいろいろ買って試しました。しかし長男はどれもすぐに飽きてしまいました。私はたまたま家にあった入浴剤を発見。長男に入浴剤を渡すと、「これをお風呂に入れると色が変わるから、何色になったか教えてね」と伝えました。 すると長男はすんなりお風呂に入ったのです。お湯の色が変わるのが不思議だったようで、その日は泣かずにお風呂に入っていました。長男のお風呂イヤイヤ期を救ったのは、入浴剤! おもちゃではなく身近にある物でした。 うまくいかないときもあるすっかり入浴剤のとりことなった長男。しばらく長男は楽しくお風呂に入っていました。しかし、そこはイヤイヤ期。長男もその日の気分もあるため、私のつわりも落ち着き、私が一緒にお風呂に入るようになってもダメ、入浴剤もダメ、おもちゃもダメ、全部ダメ。そんな日もありました。 それでも入浴剤のおかげでお風呂を嫌がる日が減り、とても助かりました。そうこうするうちに、長男が2歳を過ぎたころにはお風呂を嫌がらなくなりました。 3歳半になった現在では長男のイヤイヤ期はかなり落ち着きました。しかし今度は次男のイヤイヤ期が始まりました。今のところ長男と比べると穏やかなような……。イヤイヤ期にも必ず終わりは来ると信じて、毎日子育てに奮闘したいと思います。 イラストレーター/星田つまみ著者:小林加奈3歳と1歳の息子、夫との4人暮らし。教員免許を保有。教員、ママとしての経験を生かし、ライターとして活動中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月19日A美さんは高校の同級生のB太郎と大学で再会し、交際をスタート。社会人になっても交際を続けていましたが、A美さんは避妊に非協力的なB太郎に不満を抱いていました。あるとき、行為中にB太郎は避妊を失敗してしまい、後日妊娠が判明。これを機に2人は入籍し、A美さんはつわりに苦しめられながらも、その後無事に娘を出産しました。A美さんが退院後、早速B太郎は行為に及ぼうとしますが、産後1カ月はできないと拒否されます。さらに、行為が解禁になった後はゴムをつけるように求められ、渋々了承したB太郎。産後1カ月が経ち、行為に及んだもののA美さんは痛みを感じてしまいます。B太郎はゴムアレルギーのせいだと言い始めますが、A美さんは否定し、ホルモンバランスが原因だと説明……。A美さんのホルモンバランスが整うまで、行為はできないと知ったB太郎。「これ以上は我慢できない!」と怒り、浮気をほのめかすのでした。友だちにB太郎のことを相談すると… A美さんの相談にのった、友だちのC奈は大激怒。「父親になったばかりなのに、浮気をほのめかすなんてどうかしてる!」と怒りをあらわにします。 C奈に話してみて、B太郎に大切に思われてないと思ったA美さん。しかし、A美さんにとってB太郎は大切な人に変わりありません。A美さんはB太郎と再度話し合ってみることにするのでした。 B太郎との行為に悩んでいたA美さん。誰かに話してみることで、物事を客観的に見られることってありますよね。A美さんはC奈に話すことで、B太郎から大切にされていないと感じました。しかし、A美さんたちは結婚して間もなくで、子どもも生まれたばかり……。B太郎がA美さんの思いをしっかり聞いて、理解してくれることを願いたいですね。著者:マンガ家・イラストレーター 紙屋束実
2024年06月19日高校生のころ、イケメンで俳優活動をしている井場矢(いばや)先輩と運命的な出会いをした成瀬雪さん。卒業後に偶然再会した2人は連絡先を交換し、デートを重ねます。ところがある日、雪さんは彼の不穏な噂を友人から聞き、本人に確認したところ衝撃的な事実が発覚するのでした。著者・岡田ももえさんの知人の体験談です。 仕返しから数カ月後…雪さんの高校時代の友人によると、井場矢先輩は元カノと20万円の時計を割り勘で買うと約束したものの、当日に「お金を忘れた」と言って彼女に全額払わせたうえ、時計を預かったまま別れを告げたとのこと。 不信感を抱いた雪さんが先輩に真偽を確認すると、先輩は友人たちと「誰が一番女の子に貢がせたか」というゲームをしており、雪さんと仲良くしていたのも、そのゲームのためだと暴露します。 一方、先輩の本性を知った雪さんの親友「ちーちゃん」は仕返しとして、「先輩を所属事務所から追い出す」という仕返しを実行。先輩と直接対決をし、彼が暴言を吐く音声を録音します。そして、その音声をモデルの友人に渡し、その友人から井場矢先輩と同じ事務所の女優を経由して、事務所の関係者に聞いてもらった結果、先輩は事務所をクビになったのでした。 井場矢先輩が事務所をクビになってから数カ月後、雪さんにはちーちゃんから「今日デートでしょ?」「今度ダブルデート行こうね〜」との連絡が。雪さんは井場矢先輩との関係が終わったのちに、素敵な人との新しい出会いがあったようです。 「運命的な出会い」だと信じていた井場矢先輩に騙されて大きなショックをうけたものの、ちーちゃんや仕返しの協力者のおかけで立ち直ることができた雪さん。新たな恋をすることができて、本当に良かったですね。 岡田ももえさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター 岡田ももえ
2024年06月19日息子がまだ3歳のころ、息子の通う保育園に仲の良いママ友がいました。お互い男の子のママで年齢が近かったこともあり、私たちはすぐに意気投合。子どもたちも仲が良く一緒に過ごす時間が増えていきました。そんなときに突然起こったトラブル……。ママ友との関係に溝ができてしまいました。 息子を連れて保育園に登園したら…いつもどおりの朝。私は息子を連れて保育園に登園しました。門をくぐったところで「おはよー」という声。振り向くとママ友とその子どもが後ろから歩いてくるところでした。ママ友の子どもは無言で近づいてくると……、突然「バシッ!」っと息子の背中を強く叩いたのです! 痛みとショックで泣き出す息子。一瞬何が起きたかわからずフリーズする私……。「ごめん! 大丈夫だった!?」。ママ友が慌てて私たちのほうへかけ寄ってきました。ママ友は息子の様子を気にかけてくれましたが、自分の子どもに注意する様子はなく、「あの子、今日は朝から機嫌が悪いのよ」。そう説明するママ友。息子はすぐに泣きやみましたが、私の中でモヤモヤした気持ちが膨らんでいきました。 ママ友の態度に怒りがおさまらない「どうして、叩いたことを子どもに注意しないのだろう……」。その後も私の中でママ友に対する疑問がわいてきて、怒りへと変わっていきました。その日の保育園の帰りにママ友親子にばったり再会。「朝はごめんね。最近よく叩くのよ。この前も遊び場で他の子を叩いちゃって……でも子どもだから仕方ないよね」。 そう話すママ友の言葉に「子どもだから仕方ない? どういうこと?」と、怒りが増していく私。子どもたちは何事もなかったかのように楽しく遊んでおり、朝の出来事を引きずっているのは私だけでした。 ママ友に自分の気持ちを伝えてみた気持ちが晴れないまま時は過ぎ、私はママ友親子と過ごすことがだんだん苦痛になっていきました。このままではいけないと思い、思い切って「その場で子どもにきちんと注意してほしかったこと」をママ友に伝えたのです。 私の言葉に驚くママ友でしたが素直に聞き入れてくれて、その日から子どもが手を出すと注意してくれるようになっていきました。態度を変えてくれたことがうれしかった反面、一度覚えた不信感を消すことはできず、そこへママ友家族の引っ越しも重なり私たちは疎遠になっていきました。 あれから5年以上たち、私は3人の子どもの母親になりました。今でもママ友に自分の気持ちを伝えたことが果たして正しかったのだろうかと考えることがあります。しかし、自分の子どもが暴力を受ける姿を見るのは悲しいですし、「子どもだから暴力をふるっても仕方ない」というママ友の考え方を受け入れることは私にはできませんでした。仲の良いママ友でも関係が壊れてしまうことがあるということを身をもって経験した出来事でした。私も自分の言動に気を付けていこうと思います。 イラストレーター/miyuka著者:小林ゆかこ
2024年06月19日妹が不慮の事故で亡くなりました。妹はシングルマザーだったので、幼い姪はひとりぼっちになってしまいます。両親は高齢で、これから子育ては難しいでしょう。妹の忘れ形見……私は引き取ることを決意しました。一緒に暮らし始めてわかったのは、姪が超がつくほどのわがままだということ。自分を中心に世界が回っていないと気が済まないタイプです。 しかしこれは、母親を亡くした反動かもしれません……。そう考えた私は、長い目で見守ることにしました。トンデモ娘は変わらないしかし数年経っても姪の性格は変わりません。思い返すと亡くなった妹にそっくりです。 祖父である父にお金をせびるところは妹そのもの。父は妹に甘く、そのせいでわがままに育ったのですが、姪に対しても同じ……。これでは当時の二の舞です。 姪を改心させられないまま、私は仕事・家事・子育てに奔走し、あっという間に20年が経っていました。 姪は進学も就職もせず、ネット上で出会った男性の家に転がり込んでは戻ってくる、そんな日々の繰り返し。顔がかわいく人懐こいのですぐに新しい彼氏ができるものの、本性がバレた途端に追い出されてしまうのです。 姪ももう立派な大人。私は、ひとりで生きていくことの大変さを学ばせるためにも、絶縁したほうがいいのではないかと始めていました。 しかし、ただ絶縁したら他人様に迷惑をかけるだけ……。そう考えると行動に移せずにいたのです。 結婚の挨拶だと思いきや…ある日突然、姪の結婚が決まりました。家に連れてきたのは、お世辞にも“素敵な人”とは言えない男性です。 さらに驚いたことに、姪が彼を連れてやってきたのは結婚の挨拶ではありませんでした。結婚を機に私と縁を切るという「絶縁宣言」だったのです。 たとえ義理でも貧乏人と家族だなんて絶対に嫌なのだそう。ニセモノの母親は結婚式に来るなと言われてしまいました。本物の親子ではないけれど、20年一緒に暮らした家族です。こんな仕打ちを受けるなんて思ってもみませんでした。 しかし絶縁しようと思っていたのは私も同じ。私は姪の申し出を受け入れることにしました。ただし、ひとつだけ、最後に母親として社会の厳しさを教えておかねばなりません。 最後の大事件!婚前旅行に出かけた2人は、携帯電話を切っていました。楽しい旅行を邪魔されないようにするために、姪が命令したのです。しかし、これが大事件の発端に……。 挙式当日に現れた2人は、思いもしないセリフを式場関係者から聞くことになりました。料金未払いのため、式はキャンセルされましたと……。 支払い期日までに振り込みがなかったら、キャンセルされるのは当たり前。そして、式場担当者は何度も電話をくれたのに、電源を切っていたのも姪たちです。不運が重なった結果ここまで大事になるとは思っていませんでしたが、未払いが発生したのは、私の作戦です。 収入がない姪が使っていたクレジットカードは、私の家族カード。引き落とし先は私の口座でした。これまで容認していたのですが、縁を切るなら話は別です。 私は口座に入っていたお金をすべて別の口座に移動。残高0になった口座からはお金が引き落とされず、ついに姪のカードが止められたのです。 ここからは姪の不運。ボーナス払いに設定していたであろう結婚式代の引き落としが発生したのは、カードが止められたすぐ後。姪は問題なくカード払いできたと思い込んでいたのでした。 招待客を返すことになり、婚約者は「恥をかかされた」と激怒! 結婚は白紙になってしまいました。姪が泣きついてきたのは想像の通り。しかし縁を切っているので、もう面倒はみません。これからは自分の力で生きてほしいと思います。 恩を仇で返すとは、まさにこのこと。子どもを一人前に育て上げるには、お金も体力も必要です。 今からでも遅くはありません。ありがたみを再確認し、親代わりになってくれた感謝を伝えられるといいですね著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年06月19日タケオの妻・アザミは、明るい笑顔と真面目な性格がすてきな女性でした。しかし産後のアザミは精神的に不安定で、医師に診てもらった結果、うつ病の診断がくだされます。あるとき、親友・リンの婚約者であり、尊敬する配信者・マネゾウの入院費用を貸してと頼まれ、アザミはタケオへの相談もなしに30万を渡そうとしました。しかしあろうことか振込先を誤り、30万が消え去ります。タケオはその話を聞いて、唖然としてしまいました。アザミはお金の心配よりもマネゾウの命が危ないと取り乱しますが−−。マネゾウが急性胃腸炎だと知り、思わず笑ってしまったタケオ。マネゾウの容態よりも誤入金したお金のことが気がかりです。 しかしそんなタケオにアザミは激怒! 医師からアザミを否定しないようにと注意されていたタケオですが、穏やかな日々を過ごしていたことで油断してしまいました。 取り乱し、とんでもない行動に出るアザミを見かねて、タケオは評判の良い別の病院を受診することにしました。セカンドオピニオンを受けた結果… 実家でゆっくり過ごすことになったアザミ。 お母さんが笑顔で受け入れてくれた一方、お父さんからはタケオのせいでアザミがうつになったのではと、疑いの目を向けられてしまいました。 娘の変わりようをなかなか受け入れられないお父さん……。それでも、すべてタケオへ一任するのでした。 妻の父からの圧を感じながらも、タケオには病気を治すための解決策があるようです。 アザミも両親のもとで落ち着いて暮らし、平穏な日常を取り戻してほしいですね。 >>次の話著者:マンガ家・イラストレーター ミント
2024年06月19日職場に出会いがないため、マッチングサービスを始めたサナさん。そこで知り合ったユウタさんと実際に会い、おしゃれなレストランで食事をしました。サナさんがお手洗いに行っている間に、ユウタさんがお会計を済ませてくれたのですが……。 え…?スマートにおごってくれたユウタさんに、お店を出たあと「ごちそうさまでした」と感謝を伝えたサナさん。すると、ユウタさんは「サナちゃんは7,000円でいいよ」と言ってきてーー。 ユウタさんのスマートな振る舞いに心惹かれていたサナさんは、「7,000円でいいよ」と言われたことに拍子抜けしてしまった様子。「初デートだし割り勘が普通だよね」と思い、お金を渡そうとしましたが、ぴったり7,000円が手元になくお金を崩しにコンビニへ行くことになりました。 その道中、サナさんは「なんか……こういうやり取り高校生みたい」と、さっきまで大人でかっこよく見えていたユウタさんにがっかり。楽しそうに「サナちゃんいっぱい食べたね~」と話すユウタさんに、サナさんは何やら疑問を抱いてしまったようなのでした。 デートのお会計をどのようにするのがベストなのかは、難しい問題ですよね。割り勘がいいと思っていても、合計金額がわからない中、相手に提示された金額を支払うのは、サナさんのように疑ってしまうかもしれませんね。 著者:ライター ShareStory
2024年06月19日子どもが3歳になったころ、子どもと二人で近所の公園に遊びに行ったときのことです。 まさかの展開に…公園に親子で遊びに行った日。子どもは公園が好きで、遊具であそびながらとても楽しんでいました。そのとき、娘と同年代くらいの見知らぬ女の子が近寄ってきたのです。うちの子と女の子は、意気投合し一緒に遊びだしました。しかし、女の子のお母さんはママ友との話に夢中で、まったく子どもたちのことは見ていません。結局、私がそこから2時間二人のことを見守り続けることに……。 しかし、3歳になると行動範囲も広がり、少し危険なことにも挑戦しようとする年ごろ。2時間見守りつづけ疲労もピークになり、私たちは帰ることにしました。しかし、女の子のお母さんからは、お礼の一言もありませんでした。 このエピソードの後日談ですが、この親子は、この後入園した保育園で一緒になりました。私はこのエピソードがあり距離を置いていましたが、子どもたちは仲良しになり、現在、子どもたちは成人しましたが親友となっています。 作画/大福著者:東京花子子ども2人を育てる母。趣味はおいしいものを食べ歩きと温泉。
2024年06月19日9歳の息子が学校から帰ってきたある日のこと。いつもは友だちと遊ぶ約束をしているのに、その日は帰宅するなりどこにも行かず、トイレに駆け込んでいきました。まさかの診断結果にあ然しかし、15分ほどしてもトイレから出てこず、心配になり声をかけました。すると、息子はトイレの中で気を失っていたのです。慌てて起こしたものの、体は冷や汗がビッショリで、動けないようでした。もしかしたら、虫垂炎かもしれないと思い、急いで救急車を呼びました。しかし、診察の結果、便秘ということが判明。浣腸をしてもらうと、スッキリした顔でみるみる元気になっていきました。 ◇◇◇ その後は整腸剤を処方してもらい、私も息子のトイレを観察するようになりました。ひとりでトイレに行くようになってから、息子のトイレ事情なんてまったく把握しておらず、便秘だったことにも気付けなかったからです。おかげで、今では毎日カレンダーに大が出たのか出ていないのかをチェックして、それに合わせて薬を飲ませています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/犬野ぽよ彦著者:雨宮香菜30代、9歳の息子を育てる母。韓ドラとK-POPが好きなため、韓国語を勉強中監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月19日4月は小学校のクラス役員決めの季節。役員決めの会議は立候補がおらず難航していました。そこで私が立候補をすることに。すると、予想しなかった展開になったのです……! コロナ禍があけて役員にコロナ禍の約3年間は保護者の小学校来校が認められず、実際の活動はない名ばかりの役員を毎年順番で回していました。子どもの学校は少人数のため、クラス役員はすぐに回ってきます。 私は子どもが2年生のときに役員になりましたが、活動はできませんでした。やっとコロナ禍が収束し5類感染症に移行となった年に、私は4年生になった子どものクラス役員になりました。 コロナ禍があけPTA活動が再開されたとはいえ、コロナ禍前のような活動はできず、だからといって何もしないわけにはいかず。小規模な活動実施やオンラインでの役員会の参加など、手探りの中進めていったのです。 立候補なし、からの…私は1年間の役員任期を終え、翌年の役員決めの4月になりました。 今までの小規模な活動と違い、本格的な活動が伴うとなるとみな難色を示すように。いざ役員決めとなると、仕事や家庭の事情など、みな自分がいかに忙しいかを訴え、役員はできないという保護者ばかりだったのです。 にっちもさっちもいかなくなり、「それなら私が2年連続でやります。ただ、来年は遠慮させていただきます」と立候補しました。すると、今までできないと言っていた保護者たちが一斉に立候補。どうやら来年は6年生で行事が増えるので、6年生で役員をするのを避けたかったのが理由のようでした。 結局全員が立候補という展開になったのですが、私が初めに「2年連続でやるので」と宣言した手前、立候補を取り下げることはしませんでした。そして全員立候補となったので、結局くじで決めることに。結果、なんと私はまた役員となったのです。小規模活動とはいえ、去年の実績がまったく考慮されない結果は悔しいですが、もう決まったのだから文句は言いません。昨年の経験を活かしつつ、今年も役員を全うしたいと思います。イラスト/まげよ著者:新谷けご
2024年06月19日私の息子たちは年子で、画数と下の漢字をお揃いにした名前を付けました。私たち夫婦はもちろん、祖父母や他の親戚もみんないい名前だと満足していたのですが、義妹がそんな様子を見ていて、いろいろと思うことがあったようで……。人の子の名前を批判する義妹私が出産した数年後に義妹が結婚し、双子の女の子を妊娠しました。するとマタニティハイに突入したのか、変なスイッチが入ってしまい、生まれる前に義実家含め親戚や友人の子どもの名前にいちゃもんをつけるように……。「個性がなくてありきたりじゃん」「古くてダサ〜い」と、びっくりするようなことを言い出したのです。 すると義母もその言葉に触発されたのか、義妹と一緒にわが家の息子たちの名前をけなすようになってしまい……。今ではほぼ絶縁状態となりました。義妹が出産した数年後、義妹の夫が色々と耐えかねたようで2人は離婚し、親権は義妹の夫が持つことに。 よその子どもの名前を悪く言うことは、どんな理由があってもしてはいけないことだと思います。義妹のことを反面教師として、これからも自分の発言が人を傷つける物になっていないか、よく考えてコミュニケーションを取っていこうと改めて思った出来事です。 作画/さくら著者:さくら はなこ
2024年06月19日私は夫の海外転勤に付き添い、約4年アメリカに住んでいました。現在わが家には子どもが3人いますが、渡米当時はまだ2人。どちらも幼く、第1子の長男は3歳、第2子の長女は生後3カ月でした。渡米して間もないころのこと、休憩しようと立ち寄ったフードコートで私は見知らぬ女性から、思いもよらぬ注意を受けてしまったのです……! 見知らぬ女性が…渡米して2週間ほど経ったある日、混雑したフードコートで休憩していた私と子どもたち。当時3歳の長男は、私のスマホで撮った写真を一緒に見ることが大好きでした。 その日も妹の写真を撮りたいという長男に、私は自分のスマホを渡していたところ、突然ある中年女性が大声で、声をかけてきました。 「子どもにスマホ持たせちゃダメ!」と注意してきたのです。 注意された、その怖い理由私は女性の突然の注意に、「なんでそんなこと言われなきゃいけないの?」と憤りと戸惑いを感じつつ、子どもたちの前で険悪な雰囲気にしたくないと思い黙っていました。 そんな私の様子を見て、「知らないみたいだから言うけど、小さな子どもが持っているスマホがひったくりに盗まれることがあるのよ。ストラップを首から掛けさせるのも、万が一引っ張られたとき危ないからやめたほうがいい」と続けた女性。 治安のあまり良くないアメリカ社会では、私が何気なくとっていた行動は、実は子どもを危険に晒しかねないことだったのです。アメリカに来るまで考えたこともなかった、予想外の理由による注意に私は驚きました。 女性に注意を受けたあと、私は念のため、人通りの多い場所で子どもたちにスマホを持たせることはやめました。その約3カ月後、ベビーカーに乗った知人の子どもが手に持っていたスマホを通りすがりに奪われたと聞いたときは、女性のアドバイスは正しかったと納得した私。渡米間もない私には予想外もしなかった危険を教えてくれた女性に、感謝したのでした。イラスト/まげよ著者:濱田よし
2024年06月19日息子が2歳のころ、家族3人で郊外の大きな公園へお出かけしました。そこで、公園で遊んでいた男の子と息子がトラブルに! 男の子のママに状況を説明するも、話が通じなくて……? 「早く行けよ」息子が背中を蹴飛ばされた!?私は息子に付き添い、一緒に滑り台の列に並びました。しばらくして、ようやく息子が滑る順番に。夫も、息子を受け止めようと滑り台の降り口で待ち構えています。ところが、滑る直前になって息子は「こわいよ~」と怖気づいてしまい、なかなか滑ろうとしません。一緒にすべり台の階段を登っていた私も「大丈夫だよ~」と声を掛けますが、効果なし。後ろに並んでいる子もいるので諦めようと思い、立ち上がった矢先、並んでいた小学1年生くらいの男の子が、急に息子の背中をひと蹴り! さらに「早く行けよ」と催促してきたのです。 男の子の乱暴な態度にイラッとしつつも、私は「足で蹴ったら痛いでしょう。もうやめてね」と冷静に伝えました。しかし男の子は無言のままどこかへ行ってしまいます。息子は背中を蹴られたことでさらに怖がり、滑りたがりません。仕方がないので、滑り台を滑らずに私は息子を抱えて階段を降りることに。 すると、息子と私が夫に合流したところに男の子のママらしき女性がヅカヅカと近寄ってきます。「うちの子から聞いたんですけど、叱ったみたいですね? 怒られて怖いと言っているんですけど。あまり大袈裟に怒ると息子が怖がるのでやめてもらえます?」とひと言。私は冷静に注意しただけなので、女性の言葉にびっくり。言葉を失っていると夫が「お子さんの様子、見ていませんでしたか? うちの子は降り口で背中を蹴られて、事故寸前だったんですよ?」と説明を入れてくれました。夫の口調は冷静でしたが、自分勝手な女性の主張にイラッとしているようです。危ない状況だったことに気がついてくれたかな? と思いましたが、女性は鼻で笑って「え? 事故なんか起きてませんよね?」とこちらの言い分をわかってくれない様子……。夫が「事故が起きてからでは遅いんです。きちんとお子さんに伝えてください。そしてお子さんをきちんと見ててください」と語気を強めてその女性と後ろに隠れている男の子へも目線を送りながら伝えてくれました。男の子が気まずそうにしている姿を見て女性は「すみませんでしたね」と吐き捨てて、その場を去って行ったのです。 この一件で、一つの情報だけで状況を判断して、一方的に物事を決めつけてしまうのはよくないなと改めて思いました。何かトラブルが起きたときは、様々な立場から物事を考えて発言することを心がけたいと感じた出来事です。また、息子はその後すぐに別の遊具に夢中になっていたので、切り替えの早さを見習いたいと思いました。 作画/Pappayappa著者:桂ゆかり
2024年06月19日ある日、義父母から突然「私たち離婚しました」の報告が! 衝撃を受けていたのですが、義母からさらに予想もしないおねだりをされて……? 巻き込まないで!私は小学1年生の息子と夫の3人家族。義父母は他県に住んでいましたが、定期的に義実家へ帰省していました。ある日、夫宛てに義母からビデオ電話があり、私もそばで話を聞くことに。義母はあっけらかんとした調子で「私たち離婚したの」と言います。夫は、両親があまり仲良くないことを察していたようで、「そっか……」とだけ返事をしていました。 義父母が離婚してしばらくしたある日、義実家にひとりで暮らしている義母を訪ねたときのこと。義母が「ひとり暮らしになって、これからお金に困りそうなの。月10万円くらい援助してくれない?」と言ってきます。義母はパートで働いていますが、それだけでは暮らしていくのが大変だと言います。お世話になった義母の助けになりたい気持ちはあるものの、月10万円はわが家にとって安い金額ではありません。それに、義母は後先考えずに衝動買いをするタイプのため、余計に躊躇してしまいます。私は戸惑い、「子どもにもこれからお金がかかってくるので、そんなに援助はできません……」と正直に義母へ話します。すると義母は「なによ、冷たいわね!」と不機嫌に。義母の態度に私がオロオロしていると、夫がリビングに投げ出されていた義母のカバンを拾い上げ「このカバン……新品のブランド品だよね? 本当に金銭的につらいんだったらできる限りの援助はしたいと思う。でもまずは母さんのお金の使い方を見直してほしい」とズバッと言いました。義母は息子に言われたこともあり、「そ、そうね……」と引き下がります。そして、ブランド品を買うことをやめ、今持っているものも売りに出せるものは出すなど行動してくれるように。結局月10万円の援助の話はなくなりましたが、ネットで購入した食材を義母に送るなど、お金を渡す以外の方法でたまに援助を行っています。援助の話をされたときは戸惑いを隠せなかった私。私と夫が歳をとったときに、子どもに同じ気持ちにさせないよう今のうちから貯金をしていかないといけないと思った出来事でした。 作画/yoichigo著者:山川みさ
2024年06月19日私と夫は付き合った当初から、よくお寿司屋さんでデートをしていました。いつものようにお寿司を食べに行き、私は普段食べないウニを注文。とてもおいしかったのですが、お寿司屋さんからの帰り道で悲劇が起こり……。 奮発してウニを注文夫と結婚する前の話です。私たちはお寿司が大好きで、よく2人で食べに行っていました。 付き合って3年の記念日も、お気に入りの回転寿司店でデートをすることに。 いつもは値段が安いネタしか食べないのですが、この日は奮発して1皿300円のウニを注文しました。口の中でウニがとろけ、とてもおいしかったです。 帰り道で腹痛に襲われ…食事を終えた私たちは、電車に乗って彼の家へ向かいました。しかし、途中で悲劇が! 最寄駅から彼の家へ歩いていると、おなかが急に痛くなってきたのです。 なんとか痛みを我慢して急いで帰ろうとしたのですが……間に合いませんでした。彼の家の玄関先で、私は「うわぁぁぁ!」と叫びながら、ゆるゆるのう◯ちを漏らしてしまったのです。彼は驚きながらも私を抱え、そのままお風呂に直行。 腹痛の原因がウニだったのはわかりませんが、このお漏らし事件以降、ウニは食べていません。 夫は昔のことはあまり覚えていないタイプなのですが、15年ほどたった今でもこのエピソードだけは鮮明に覚えているそうで、度々からかわれます。恥ずかしくて嫌な思い出ですが、そんな姿を見ても引かず、結婚してくれた夫には感謝しています。 著者/濱田ゆに作画/ななせはるみ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように!
2024年06月19日息子が小学校低学年のとき。その日は授業参観で学校に向かいました。早めに着いたのでママ友と話していたら、「捕まらなくてよかったね。見つかったら大変だよ〜」と言われ……。なんのことかわかりませんでしたが、授業が始まったのでその話は途中で終了。その後、壁に展示されていた息子の絵日記を読んだところ……。 大人の話をよく聞いていて…教室の壁には夏休みの絵日記が展示されていました。わが子の絵日記を読み始めてビックリ。内容は夏休みに家族で行ったキャンプの話でした。 あの日、キャンプ場はどこも混雑しており、目指していたところには泊まれませんでした。結局、営業しているのか?わからないキャンプ場にテントを張って泊まることに。料金は格安で、「タダみたいなものだったね」なんて話していました。 そのやりとりを聞いていた息子。「お金を払わず、タダで泊まった」と勘違いし、そこだけを抜粋して絵日記に書いているではありませんか。まるで食い逃げならぬ、泊まり逃げのような書き方で、恥ずかしやら逃げたいやらでした。 後からママ友に本当のことを話し、笑い飛ばしました。その後、息子には事情を説明し、表現方法も考えて書くように伝えました。子どもって、大人の話をよく覚えているものだと改めて思った出来事でした。 ◇ ◇ ◇ 子どもは大人が思っている以上に、大人同士の会話を聞いていますよね。子どもの前では話す内容や言葉遣いに気をつけたいですね。 イラスト/しおん著者:まみ
2024年06月19日一つ屋根の下で義母と同居しているまる子さん。嫁姑問題や介護の話をメインに自身の体験をマンガにしています。義母と肛門科の受診を終え、夫に報告をしたまる子さん。夫はすぐに義母と手術の相談をしてくれたのですが、「どうするのか聞いても、答えが返ってこない」ということで、戻って来てしまいました。直腸脱(肛門から直腸が飛び出す病気)のケアを一生続けるのはさすがに無理だと思い、まる子さんは手術をしてほしいと考えていますが、義母は手術をきっかけに認知症になるのが怖いと言い、前向きではありません。義母の直腸脱はその後も繰り返していて、まる子さんは嘔吐と闘いながら腸を戻す日々。それ以外にも、ハァハァが止まらないだの、息苦しいからお昼はいらないだの、義母からの要求は止まりません。しかし、そんな中で、まる子さんは貴重なお昼寝時間をゲット。「無」になれる時間が永遠になればいいのに……と思うのでした。 いつも最優先で動けるわけじゃない 腸を戻すのもコンディションがあるようで……。苦戦しているうちに、肌着を汚してしまいました。 安静タイムに突入した義母に、着替えを用意していることと息子の散髪をすることを伝え、部屋を後にしました。 ※王子:まる子さんの息子 しばらくして、明らかに怒っている義母の声で呼ばれました。 息子の散髪をしていて気づきませんでしたが、どうやら電話もしていた模様。 部屋に行くと、予想通り激おこ。 グっと感情を抑え、丁寧にいつも最優先というわけにはいかないと説明します。 着替えのときに汚した床を拭き……。 汚れた服を洗い……。 その途中でも、呼び出しは止まりません。 さすがに義母もおむつのほうがいいと理解したようなので、すぐに買いにいこうとすると「明日でいい」と言われました。 やっぱり、おむつは先に買いに行けばよかったかも……。 そして、淡々と汚れた床を拭き……。 汚れた洋服をまた洗濯。これも、もう少しの辛抱……のはず! 息子から散髪を頼まれ、義母の腸を戻した後の安静タイムを活用して済ませることにしました。義母にも声をかけていたのですが、散髪を終えたころに激おこの義母が部屋から叫んでいる声が聞こえました。 散髪をしていて気づかなかったのですが、電話でも呼び出しをしていた模様。急いで部屋に向かうと、体が汚れていて着替えられないとのこと。直腸脱に加えて尿漏れもあり、だいぶ汚れていました。ずっと呼んでいるのになぜ来ないのかと怒られましたが、私だっていつも義母を最優先にできるわけではありません。 文句を言われながらも、着替えを手伝い汚した服を洗い、床を拭き……。少しオーバーワークな気もしますが、手術をしてもらうまでの辛抱だと自分に言い聞かせながら、なんとか頑張っています。 --------------直腸脱を繰り返すようになってから、まる子さんの負担がかなり大きくなってきましたね……。今は、自分を奮い立たせて勢いでこなしている部分もあると思いますが、それがいつまでも続くわけではないと思うので、まる子さんの心の健康も保てるような方法を見つけて乗り切ってほしいです。 ※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。 シニアカレンダー編集部では、自宅介護や老々介護、みとりなど介護に関わる人やシニア世代のお悩みを解決する記事を配信中。介護者やシニア世代の毎日がハッピーになりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター まる子
2024年06月19日2歳の娘・ひぃちゃんと夫と暮らすおなかさんは、第2子妊娠中。妊娠中期まで順調な日々を過ごしていたのですが、2020年の冬・妊娠後期になり、医師から子宮頸管が短いと指摘されてしまいます。第1子妊娠中にも指摘があったので大丈夫だと思っていたのですが、なんと緊急入院することに……!?入院中、夜になると娘・ひぃちゃんのことを思い、不安と寂しさから涙が溢れるおなかさん。 入院生活が始まって2週間後、子宮頸管の長さは変わらずでしたが、体調も安定していることから退院の許可を得ることに。 退院当日、ママに会いたい気持ち・寂しさなどたくさん我慢をしてくれた娘・ひぃちゃんを見て、「少しだけお姉さんになった」と驚くのでした。 安静生活は続き… ※誤)検診→正)健診 退院後も医師との約束を守って、仕事を休み自宅で安静生活を送るおなかさん。家族に支えてもらいながらクリスマスと年末年始を過ごし、両親に協力をしてもらいながらマイホームへの引っ越しと多忙な日々を過ごします。 その後の健診でも子宮頸管の短さを指摘されるおなかさん。娘・ひぃちゃんの保育園へのお迎えと健診以外は外出せず、安静生活を送るのでした。 ◇◇◇ 医師からの言葉を守り、安静生活を過ごすおなかさん。無理しがちなイベントごとも、家族とうまく連携をとり、乗り越えることができよかったですね。そして、家族への感謝の気持ちを忘れないおなかさんはとても素敵です! しかし、なにやら不穏な予感が……。おなかさんの身になにが起こったのでしょう? 続きが気になります。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター おなか
2024年06月19日