女性自身がお届けする新着記事一覧 (14/917)
日本テレビが『ザ!世界仰天ニュース』から元SMAPの中居正広(52)の降板を発表して、まもなく2カ月が経とうとしている。発表直後に中居は引退を表明し、ひとりでMCを担う笑福亭鶴瓶(73)を支える存在として、有望視されているタレントも出てきているようで――。3月11日の放送回では「衝撃のアレルギーSP」と題して、様々なアレルギーを持つ芸能人が集合した。番組では事前にスタジオゲストのアレルギー検査を実施し、9年前に205項目中154項目のアレルギーの陽性反応が出た狩野英孝(43)も登場。狩野は“アレルギーを知り尽くしている”とのことから、アレルギー検査結果発表の進行役に抜擢されていた。そんななか注目を集めたのは、狩野の“手腕”だった。「狩野さんは大きな声と聞き取りやすい話し方で、ゲスト陣のアレルギー検査結果を紹介していました。専門医とのやりとりでは台本もあったかと思いますが、ユーモアを交えながら質問し、コーナーを盛り上げていましたね。狩野さんの詳しすぎる知識と、思わずつっこみたくなるボケのギャップもあり、ゲスト陣もリラックスした表情に。いっぽう鶴瓶さんは3月に入ってから舞台が続いていたためか、やや声がかすれていました。狩野さんの存在は大きな助けになったのではないでしょうか」(テレビ誌ライター)このほかには番組開始直後に、元日向坂46の加藤史帆(27)が「私、楽しみにしてたのが、英孝さんの大ファンで……」と告白する一幕も。スタジオからは自然と拍手が沸き上がり、狩野も「ありがとうございます!」と明るく返答し、場の空気を温めていた。狩野の活躍にほっこりした視聴者もいたようで、Xではこんな声が上がっていた。《仰天ニュースの次期MCは狩野英孝かな?》《もう狩野英孝がメインMCでいいよこの番組》《英考ちゃん回し上手くて草》《狩野英孝MCしてるだけで面白いのなに笑笑》「『仰天ニュース』はVTRを見終わったあとに、スタジオトークに切り替えられるのがお決まりです。MCだった中居さんはゲストの話を広げたり、いじったりする役割をしていました。ですが中居さんがいなくなってからは、スタジオトークが盛り上がりに欠けることもしばしば。番組側としても打開策を模索しているのかもしれません。そうしたなか、狩野さんはアレルギーの豊富な知識を持っていたとはいえ、持ち前のキャラで番組を盛り上げるのに一役買っていました。過去には女性スキャンダルで世間を騒がせたこともありましたが、近年では好感度が急上昇。4月からはフジテレビで、『ワイドナショー』の後番組として散歩バラエティー『かのサンド』も始まります。狩野さんはいじられキャラでありながらも、人を傷つけない人柄。いっぽうタレント業のかたわらでは、神主の資格を取って実家の神社を手伝うといった真面目な一面も好感度が高い理由のひとつでしょう」(芸能関係者)『仰天ニュース』の“ポスト中居”として、正式に狩野が抜擢される可能性はあるだろうか?
2025年03月12日「今月12日にseason23が終わる『相棒』ですが、10月期からseason24の放送が決まっています。最近の水谷さんには“まだ『相棒』を終わらせるわけにはいかない”という固い信念があるそうです」(制作関係者)3月5日に放送された水谷豊(72)の主演ドラマ『相棒season23』最終回スペシャル前篇(テレビ朝日系)は世帯視聴率10.1%(関東地区)を記録。初回放送の2000年から四半世紀が過ぎた『相棒』だが、いまだに絶大な人気を誇っている。前出の制作関係者は続ける。「テレ朝制作サイドの本音としては『相棒』シリーズはできる限り続けたいと考えています。しかし水谷さんはすでに70代となり、体力的な問題から継続に消極的な時期があったそうです。そんななかseason24の制作が決定した大きな理由として、水谷さんが3代目の相棒を務めた成宮寛貴さん(42)を『相棒』に復活させたいという強い希望があったからだといいます」成宮は甲斐享としてseason11からseason13に出演。水谷演じる杉下右京の相棒でありながら“ダークナイト”として警察の手が及ばない犯罪者たちに制裁を加えるという罪を犯していた。そのため最終回で逮捕されるという衝撃的な展開で作品から卒業した。「水谷さんは共演当時、成宮さんについて“まだ若いけどこの現場で大きく育ってほしい”と彼の成長をとても期待してましたね。成宮さんを“ナリ”と呼び、現場で演技指導するなど、初代『相棒』の寺脇康文さん、2代目の及川光博さんへの接し方と違い、息子のようにかわいがっていました。本来、成宮さんは2年間限定の出演予定でしたが、水谷さんからの要望もあり3年間の出演となりました」(ドラマ関係者)しかし、成宮は『相棒』を卒業した翌’16年に芸能界を電撃引退。一部週刊誌で掲載された記事が世間を騒がせた直後だった。最近のインタビューで、成宮は当時の思いをこう振り返っている。《とにかく、エンターテイメントの世界から距離を取るべきだと思いました。その時、どんなことを言っても、自分の意思に反して周りを巻き込んでしまう。これ以上迷惑かけたくない一心でした。エンターテイメントに携わる人間として、客観的に自分を見つめ直し、俳優の仕事自体をやめることが正解じゃないかと思えた。実は、その前から仕事にも少し疑問を感じていた部分もあり、俳優の仕事から離れようと決意しました。その時は、アーティストとして、感情よりも今何をすべきか深く考え、行動しました》(「AERA dot.」’25年2月19日配信)成宮は昨年11月にボートレースのイベントで芸能活動を再開。今月27日から始まるドラマ『死ぬほど愛して』(ABEMA)で約8年ぶりに俳優復帰する。前出の制作関係者は言う。「水谷さんは、成宮さんから定期的に近況報告を受けていたそうです。芸能活動復帰については直接会って報告されたと聞きました。成宮さんは『相棒』の制作スタッフにも挨拶をしたようです」水谷は2年前のインタビューで、歴代の『相棒』についてコメントするなかで、成宮に関してはこう語っていた。「(成宮演じた甲斐は)不思議な魅力がありました。年下なんですね。ちょうど甲斐享くんが30歳、僕が60歳のときだったでしょ。男気とそして若さで…。色気というものは必ずしも男・女あるものではなく、人として持っているものなんだけど、彼は色気ありましたね。自分の息子みたいな年齢だけれど、男同士の何かを感じる相手でした。彼を見ているとちょっと(自分の)若い時とダブるところがあったんですよ。これはナリ(成宮寛貴)か甲斐享の中にあったのか…両方だと思いますけれど。安住できない、いつも揺れ動いているような自分がいました」(「テレ朝POST」’23年3月14日付)■成宮の復活はまず単発出演から――水谷は親子ほど年の離れた成宮から役者として強く刺激を受けていたという。「成宮さんの活動再開へ、水谷さん自ら助け舟を出したかったようです。昨年の『相棒』元日スペシャルでは、成宮さんの過去の出演シーンが放送され、甲斐の恋人・悦子(真飛聖)は9年ぶりに復活を遂げました。これは成宮さんの“復帰”を前提に撮影されたと聞いています」(前出・制作関係者)水谷が熱望する成宮の『相棒』復帰。だが、課題も少なくない。「広告主がコンプライアンス問題に過敏になっており、水谷さんがいかに望んでも成宮さんが10月期からレギュラー出演するのはハードルが高いです。そのため、現在水面下で進んでいるのは、来年の元日スペシャルでの甲斐享“単発復帰プラン”なのです。成宮さんが復帰した『ABEMA』はテレ朝系列でもあります。視聴者の反応を見ながら、水谷さんの“鶴の一声”があれば『相棒』の広告主も納得します。成宮さんの『相棒』復活が反響を呼べば、新たな展開が生まれるかもしれません」(前出・ドラマ関係者)水谷は1年半前の『朝日新聞』のインタビューで、『相棒』への本音をこう明かしていた。《放送開始前に『この面白さならシーズン5はやれる』と言ったら、皆に『えっ』と驚かれました。始まってみると好評で『シーズン7までいけばいいね』となり、『映画版までは』となって、今はプロデューサーと『完全にやめ時を失ったね』と話しています(笑)。道を歩いていても『あ、水谷豊だ』じゃなくて『あ、右京さんだ』と呼ばれます。若い頃はイメージが固まるのが嫌で、すぐに違うことをやりたがっていた。でもね、右京はなかなか飽きさせてくれない。だからこんなに長く付き合えているのでしょう》(2023年8月23日)水谷と成宮の『相棒』再共演、いちばん複雑な思いは寺脇かも!?
2025年03月12日毬谷友子のXアカウントより4月13日に開幕予定の大阪・関西万博で、会場内に設置されるトイレが注目を集めている。3月10日、建築エコノミストの森山高至氏が《万博のトイレの完成写真が届きました。こういう建築にもっと予算を付けろ!と思いましたよ》といい、自身のXにトイレの写真を2枚アップ。それはカラフルなトタンのような素材でできていた。そんな“トイレ”について、同日宝塚歌劇団出身の毬谷友子(64)は憤りをあらわにした。毬谷は同日、Xで森山氏がアップした写真を紹介すると、こう綴った。《これがなんだかわかりますか?2億円かけて作られた万博のトイレだそうです。さすがに我慢の限界です。怒りで震えています。明細を国民に見せて下さい》続けて《何処かの運動会の仮説トイレかと思った》(原文ママ)と述べた毬谷は《このトイレ、雨樋ついていますか?雨降っても入れますか?》と心配していた。さらに、毬谷は《Grokが作った2億円のトイレの画像》として、豪華なトイレのイメージ画像も投稿。毬谷が抱いていた2億円トイレのイメージと今回の万博のトイレの出来栄えには差があるようだった。「万博では40カ所の公衆トイレのうち8カ所に、若手建築家が設計するデザイナーズトイレが設置される予定です。そのうち3カ所の大規模トイレの解体費を含めた建設費用が約1.5〜2億円だったため、”2億円トイレ”は高すぎるとして物議を醸してきました。しかし、’24年2月20日、大阪府の吉村洋文知事(49)は『50基、60基ある(大規模な)トイレですから。通常の公共のトイレの単価と変わらないというのが事実です』とコメント。Xでも、当時すでに落札されていた2箇所の平米単価は77万円と64万円であり、’21〜’22年の公共トイレ施設の平米単価である98万円よりも安く、高額なものではないと説明しています。また、その後昨年6月に落札された3カ所目の平米単価は約62万円でした。経済産業省によると、若手建築家を活用したトイレ施設の便器は、企業協賛により提供されるためコストを抑えられるそうです。2億円トイレという言葉から、豪華であったり特別感のあるトイレを想起する人が多く、がっかり感につながってしまったのかもしれません」(全国紙記者)毬谷の投稿には賛否さまざまな声が寄せられている。果たして実際の使い心地はどのようなものになるのだろうか。
2025年03月12日元欅坂46メンバーで女優・歌手の平手友梨奈(23)が3月11日、自身のInstagramを更新。背中に”タトゥー”が入った後ろ姿を公開した。平手は’22年12月にBTSなどが所属する韓国の大手芸能事務所に移籍したが、’24年8月に専属契約が終了。昨年9月からは歌い手のAdoなどが所属するクラウドナインに移籍している。平手は8日、ガラリと雰囲気の変わったイメチェン姿を投稿。これまでの暗めの髪色から一変し、明るい水色の髪に真っ白なゴシック風のドレス姿を公開してファンを驚かせていた。最新の投稿は、その水色の髪とゴシック風のドレスを着た平手の後ろ姿で、オフショルダーのドレスからは肩と背中の一部があらわになっている。その右肩の後ろに、2つの猫らしき頭、リボン、王冠など、独特の世界観のタトゥーのような絵が描かれている。「昨年10月に所属事務所のクラウドナイン5周年記念特別番組で新曲の『bleeding love』を披露した際にも、左腕にタトゥーらしき放射線状の模様が描かれていて、ファンの間ではタトゥーなのかシールなのかと話題になっていました。本物のタトゥーではなく、作品の世界観にあわせた演出かもしれません」(音楽系ライター)コメント欄は平手の美しいバックショットへの驚きと歓喜の声で溢れた。《やばいきゃわ!!!!》《可愛すぎる。ヤベェ》《あかーんあかーーーん!》《タトゥーになんか意味あるのかな?もーかわいすぎです!》《えぇぇぇぇ!美し!何が始まるの!》
2025年03月12日16年10月、荒れ果てた自宅前で“自撮り”する馬場さん(撮影:馬場靖子さん)「つい先週の日曜日、2月16日にも、浪江町・津島の元の自宅を夫婦で訪ねてきました。これまでも荒れ果てたふるさとの様子を写真に撮ってきましたが、わが家の田んぼが、まるで原生林のようになりつつある光景を目の当たりにし、原発事故前の光景とのあまりのギャップに愕然としたんです。カメラを手にしたまま、しばらくその場に立ちすくんでしまいました……」そう語るのは、福島県安達郡大玉村在住の主婦カメラマンの馬場靖子さん(83)。2011年3月11日に起きた東日本大震災と福島第一原発事故から、14年目の春を迎えた。馬場さんは、原発事故により全域が「帰還困難区域」となった福島県双葉郡浪江町の津島地区に、事故が起きるまで30年以上暮らしていた元小学校教師でもある。「おおらかな自然とともに、豊かにたくましく暮らす人々の笑顔が、津島にはたしかにあった。そのことを忘れてほしくないから」と、震災後からカメラを手に被災地に入り、ときには放射線被曝から身を守るために防護服を着て撮り続けてきた写真をまとめ、昨年10月に『あの日あのとき古里のアルバム私たちの浪江町・津島』(東京印書館)として出版した。この写真集が注目されているのは、馬場さんが震災前から撮りためてきたふるさとの写真も数多く収録されていること。農作業の合間にお茶で一服、田んぼに連なる緑の苗、秋祭りのにぎわい、雪遊びする子供たち……。何げない日々の営みもしっかりと記録されているからこそ、失われたものの大きさ、悲惨さが余計に見た人の心を打つ。「“ふるさと”って、漢字で書けば普通は“故郷”で、出生地などを思い浮かべますね。でも、私にとっての浪江町・津島は、人々の生活や地域の歴史が根付いた“古里”のイメージなんです」その古里の変化をきちんと記録しなければとの思いで、今も被災地への訪問を続けている。「原生林のようになり始めたわが家の田んぼも、そのことを嘆くばかりではなく、写真で現実をきちんと後世に伝えるのが自分の役目と思い直して、シャッターを押しました」馬場さんは、1941年(昭和16年)7月14日、会津の北部の熱塩加納村(現・喜多方市)に5人きょうだいの次女として生まれた。地元の小中学校を出て、高校は喜多方高等女学校(現・喜多方高等学校)へ。卒業後は郡山女子短大の家政科へ進み、栄養士の資格を取得して、喜多方市の小学校へ就職。ここで、ある出会いがあった。「一人の高齢の女性の先生がいました。やさしいだけでなく厳しさもある方で、生徒たちにもすごく慕われていて。その師弟の交流ぶりを見ていて、やっぱり私も先生になりたいと思って、栄養士を1年で辞め、新たに都留文科大学に入り直して教員免許を取得しました」最初の赴任先は、南相馬市の小高小学校だった。やがて、教材を手作りするなどの工夫を重ねるなかで、児童たちと心を通わせていく。やりがいをもって教員生活を送るなか、28歳で結婚。夫となった績さん(81)は津島の出身で、結婚後に「地域とともに生きる」を信条に町議会議員となる。分校で3年間を過ごし、’79年4月に浪江町・津島に転居し、このあとの20年間を浪江小や津島小などで過ごす。60歳で教員生活を終え、できた時間で公民館活動などに参加していくなか、友人に誘われて始めたのが写真だった。「ずっと学校での活動に夢中で、私には還暦を迎えるまで趣味がなくて。でも、いまさら絵などを習うのもおっくうでしたし、カメラならパチリとシャッターを押せば撮れると思って(笑)、軽い気持ちで始めました。かつて母親も親しんでいましたしね。それからは、どこへ行くにも、カメラをお供に出かけるのが習慣になりました。愛用のカメラはキヤノンの一眼レフ“EOS 5D”と、田んぼなどに入るとき用に軽量のミラーレスの2台です」町内を歩けば、必ずどこかで何かの催しや顔見知りと出会う。「写真、撮らせて」とカメラを向けると、「こんな年寄りの写真を撮って、どうすんの」「ううん。ふだんの暮らしのなかのおばあちゃんがいいんだから」そんな古里・津島の、なんでもない日常の光景が、馬場さんのカメラで次々と切り取られていった。もちろん、その被写体となる対象はわが家にも。 「夫も議員の仕事と同時に田んぼも牧畜もやってましたから、その様子も写真に撮りました。彼が議員活動で忙しいときは、私も牛のエサやりを手伝ったりも」その言葉どおり、“あの日”の前日まで、自宅の牛舎はじめ町内のふだんの様子を、馬場さんはカメラに収めていた。そして、2011年3月11日午後2時46分。馬場さんは体調を崩した90代の母親に付き添い、実家のある喜多方市の病院にいたときに、東日本大震災に被災。「あの日、私は体験したことのない激しい揺れに、思わず傍らのベッドにしがみついてました。すぐにテレビを見ると、自宅のある浜通りは震度6と。その日は、移動を控えて実家に泊まりました」続いて、翌12日の東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故。「実家から夫に電話すると、建物は無事だった浪江町のわが家には、親戚や知人など20人以上の被災者が避難しているとのこと。それを聞いて食料を買い込み、2千円分だけガソリンを入れて、夕方に帰宅しました。議員をしていた夫は支援に走りまわり、使用不能となったトイレの代わりに地面に穴を掘って対応したりしていました。自宅は第一原発から北西に約25キロのところにあり、当初は避難指示も出ていなくて、大丈夫だと思い込んでいたんです。といっても、けっして楽観していたわけではなく、原発事故という体験したことのない非常事態に茫然とするだけ。その証拠に、あれだけ毎日撮っていた写真のことも、すっかり忘れていました。正直、カメラどころじゃなかったんです」テレビニュースなどで放射線の汚染マップが映し出されると、自宅の周辺は真っ赤に表示されていて、不安ばかりが募っていったという。「3月15日には町の災害対策本部も避難指示を出して、それぞれが知人などを頼って避難。私たちは喜多方市の実家に移りました」同市での避難生活は、この後2年9カ月にも及んだ。浪江町が線量によって「帰還困難」「居住制限」「避難指示解除準備」という3つの区域に再編されたのは’13年4月だった。馬場さんの自宅のある津島地区は、帰還困難区域となった。これは放射線の年間積算線量が50ミリシーベルト超であり、原則立ち入り禁止。安全基準とされる年間1ミリシーベルトに比べると、驚くほど高い数値だった。やがて夏を迎えると、馬場さん夫婦は、墓参りなどのため2年ぶりに浪江町を訪ねる。「7月には変わり果てた自宅のありさまに茫然とするんですが、もっと強烈な衝撃を受けたのが9月の再訪時でした。前回からわずか2カ月でしたが、荒れる速度が確実に、また急激に早まっていると感じたんです。そのとき初めて、このまま古里がなくなってしまうのではないかと、得体のしれない恐怖に襲われました。私たちの地域はとりわけ汚染の数値が高く、当時の私の計算では、年間1ミリシーベルトに戻るまでに、なんと270年もかかるというじゃありませんか」悔しい思いが込み上げる。「よそから来た人、初めて見た人は、この荒れた場所が津島なんだと思ってしまう。でも、それは違うんですね。原発事故前の津島には、大自然に包まれた穏やかな生活があったんです」そして、思う。「この変化を写真に撮らねば。この地は自分が住んでいた場所なんだから、当事者として撮ろう。これは、私の告発だと」これ以降、馬場さんは、現実の中にわが身を置くという覚悟を持って“自撮り”をするようになる。三脚を立てて、セルフタイマーで自分を撮りはじめたのだ。「古里から、人々の住んでいた証しがどんどん消えていく。一方で春になれば、主不在の庭に変わらずにリンドウが咲いている。何が起きても自然だけは変わらない、すごいなぁと思う半面、むなしさも感じたり。そんな自分の思いを込めてシャッターを押しました」以降、2~3カ月に一度のペースで、現在も津島に通い続けている馬場さん。災害の当事者として、土地を愛したものとして、さまざまな思いを胸に、これからもシャッターを切る。(取材・文:堀ノ内雅一)【後編】防護服を着て被災地の写真を撮り続ける83歳主婦「復興の掛け声から取り残された人がいる現実伝えたい」へ続く
2025年03月12日カメラを手に被災地への訪問を続けている馬場靖子さん(撮影:高野広美)【前編】「かつて暮らした場所が今は原生林のように…」浪江町・津島地区の83歳主婦が被災地を撮り続ける理由から続く「自宅へ戻りたいときは、前もって一時立入り受付コールセンターに連絡して、訪問場所、目的、人数、車種などを申請します。許可が下りると、スクリーニング場で防護服や線量計、トランシーバーなどを支給され、目的地に向かいます。そして自宅でパソコンやアルバムなど必要なものを探したりして、午後3時半までにスクリーニング場に戻って、持ち出したものや自動車のタイヤなどの線量を測って、許可されたら持って帰ります」そう語るのは、福島県安達郡大玉村在住の主婦カメラマンの馬場靖子さん(83)だ。馬場さんは、東日本大震災と福島第一原発事故原発事故により全域が「帰還困難区域」となった福島県双葉郡浪江町の津島地区に、事故が起きるまで30年以上暮らしていた元小学校教師でもある。震災後からカメラを手に被災地に入り、ときには放射線被曝から身を守るために防護服を着て撮り続けてきたのだ。冒頭のような手続きの煩雑さを嘆く声は多いという。「スクリーニング場を“関所”のように言う人もいます。許可制なので、高齢者が『今日は体調がいいから』と思い立っても、当日に行くわけにはいきません。私にしてみれば、写真を撮るときにも動きにくい防護服を、これがなければと思うこともありますが、正直、それ以上に怖いのが放射能です。特に草むらを歩くと、胸に下げた線量計の警告音が鳴り響き、数値が跳ね上がるのがその場でわかるんですね。やはり、地面に近いところは高いというのが実感です。もちろん、防護服を着ていても被曝の恐怖は消えません。夏の暑さも閉口しますし、『こんなの着てても効き目ないよ』という声もありますが、私は面倒くさくても、ここでは防護服を着てなくてはいけないんだと、自分に言い聞かせてきました」その動きにくさ、煩雑さこそが、原発事故の残酷さや理不尽さそのものと言えるだろう。被災地だけでなく、仮設住宅などでも撮影を続けてきた馬場さん。そのなかで、多くの元住人たちから、「事故前の写真はないの?」という声がかかるようになったという。「その声があまりに多くて、以前は趣味のつもりでしたが、地域の記録としてもっといろんな場面を撮っておくべきだったと後悔もするんです。でも、当時は、まさか津島がこんなことになるなんて、思いもしなかったから……」’13年12月、自宅周辺の変わらぬ線量の高さもあって、馬場さん夫婦は、中通りの大玉村に転居することを決めた。「この地への引っ越しを決めた理由の一つが、雄大な安達太良山を身近に感じられる環境でした。避難者が100人いれば100通りの事情と選択があると思います。カメラを手に仮設や知人を訪ねると、自宅に『戻る、戻らない』で夫婦や家族が仲たがいしたとか、地方の娘さん宅に身を寄せていたが、避難をめぐって親子げんかをして『お母さん、絶交だよ』と宣言されたという話も耳にします。精神的な不安で高血圧や糖尿病の悪化など健康問題も深刻。ずっと農村の広い家に大家族で暮らしていた人が、狭い仮設住宅でのストレスからのうつや、また認知症や関連死も多かったです」さらに、馬場さん夫婦が、津島の自宅解体に踏み切ったのは’24年1月のこと。「現実的に家の中まで野生動物に荒らされていたし、いちばんの決め手は、先が見えないことですね。夫とも話して『負の遺産は残せないよね』と決心しました」そして同年10月、この自宅や牛舎の解体の光景も収められた写真集、『あの日あのとき古里のアルバム私たちの浪江町・津島』(東京印書館)を出版した。’19年5月の写真は、一時帰宅した自宅で教師時代の子供たちとのアルバムを見つける場面。「あどけない笑顔が無性になつかしい」との添え書きが。また’18年8月の「物置で。好きだった服」と題された写真には、馬場さんが薄紫色の花柄のワンピースを防護服の上から体に当てている姿が。「段ボールを開いたら、あのワンピースが出てきて。お気に入りの服だったことや、友人の結婚式に着ていったなぁと、次々に昔の思い出がよみがえってきました。私にとっては宝物のような洋服ですが、その日はまだ放射線の線量が心配で、持って帰ることは断念しました」写真集のラストに配されたのは、馬場さん夫婦の結婚式の写真。「長く津島で教員生活を送り、結婚もして、地震と原発事故で古里を追われて……。そのすべてが自分史であり、夫婦の歴史なんです。つくづく思うのは、写真に救われたということ。私、写真がなかったら、80代の今、こんなに元気にしている自信はありません」それから、津島の日常が記された写真集のページを愛おしそうに手でさすりながら、「この本を手にした元住人の方から『一晩中泣きながらページをめくったよ』などと聞かされると、本当によかったと思います。お年寄りが山菜を採っていたり、夫婦で鶏の世話をしてたり、ばったり教え子と再会したり。そんな何でもない光景を前に、ああ、津島って、古里っていいなぁと思ってシャッターを押す喜び──。私には芸術写真は撮れませんが、せめて元気な間は、帰りたくても帰れない古里の姿を、カメラで撮り続けたいと思うんです」夫の績さんがこう語る。「私たち夫婦はどちらも頑固だから(笑)、よく意見がぶつかりますが、それだけに会話も多いのが円満の秘訣かもしれません。彼女はこのとおり明るくて、人が好き、写真が好き、そして津島のことが大好き。その愛する古里を奪われた者の心情を、写真を通じて代弁しているのではないでしょうか。私も、妻と一緒に元の自宅を先日訪ねましたが、原生林のようになった田んぼを見て、目をつむっていても歩けるほど馴染んだ場所だっただけに、ただただ無念でした」そう話す績さんは、’15年から国や東京電力に対して原発事故の責任を問う「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」に共同代表として関わってきた。’21年には福島地裁郡山支部で勝訴しているが、さらに原状回復などを求めて裁判はいまだ継続中だ。馬場さんも言う。「原発問題は福島県だけのものではありません。14年が過ぎて忘れられつつあるのも感じますが、風化させない努力も、私たちの役目だと思います」震災前には1千459人いた津島の居住者は写真集が出た時点でわずか20人だが、一方で一昨年春には避難指示が解除される地域も出ている。「現在、元の自宅周辺のおおよその放射線量は、毎時2マイクロシーベルト前後と聞いています。しかし、除染されている場所を少し外れるだけで、線量がグンと上がることもわかっています。私たち夫婦がこの先、津島に戻るという可能性は、年齢のことを考えても、現実的には難しいでしょう。だからこそ、『復興』の掛け声はありますが、そこから取り残されている人もいることを、私は写真を通じて伝えていきたい」今年もまた、福島県に春がやってくる。「本来なら、私の古里では、誰もが農作業の合間にお花見を楽しむころ。地区のどこかに花見の名所があったのかって?いやいや、津島では、桜だって、そこらじゅうに当たり前のように咲いてましたから」もう少し暖かくなったら、あぜ道や野山に咲く桜の写真を撮りに、カメラ片手にまた古里を訪ねるつもりだ。(取材・文:堀ノ内雅一)
2025年03月12日3月10日、63回目の誕生日を迎えた松田聖子。この日はデビュー45周年の記念アルバム『永遠のアイドル、永遠の青春、松田聖子。~45th Anniversary 究極オールタイムベスト~』が、6月4日に発売されることが発表された。「聖子さんは4月1日にデビュー45周年を迎えます。ベストアルバムには新録されたセルフカバー曲や人気ヒットシングルのオリジナル音源など、聖子さん自ら厳選した多彩な楽曲が収録されています。6月から8月にかけてコンサートツアーも開催されますし、聖子さんも気合いが入っているといいます」(音楽関係者)新たに開設された45周年特設サイトでは《45年間の軌跡が導くように誕生した45周年記念楽曲が、聖子史の新章の幕開けを告げる》とも紹介されており、さらなる活躍に期待が高まっている聖子。昨年3月には中央大学法学部通信教育課程を4年で卒業し、《大学で学んだことを糧にして、これからも仕事に励んでまいります》とコメントを寄せていた。その言葉どおり音楽活動に邁進しているが、45周年を迎えるまでには歩みを止めたこともあった。「聖子さんが入学して間もなくコロナ禍に見舞われ、デビュー40周年を記念したコンサートやイベントが次々と延期や中止に。さらに21年12月には、たったひとりの愛娘・神田沙也加さん(享年35)が急逝するという悲しい出来事もありました。沙也加さんの訃報直後は予定していたディナーショーや『NHK紅白歌合戦』などすべての仕事をキャンセルし、約3カ月間にわたって芸能活動を休止していました。聖子さんは沙也加さんの喪失感を紛らわすように、忙しい合間を縫って勉強に集中していたといいます」(芸能関係者)22年4月に東京・品川のグランドプリンスホテル新高輪で開催されたディナーショーを皮切りに、再びステージに立ち続けている聖子。失意からの復帰後は、プロのアーティストとして新たな挑戦も欠かしていない。「聖子さんは昨年2月に3作目のジャズアルバム『SEIKO JAZZ3』を発表し、収録曲『Tears In Heaven』が先行第2弾として配信されました。この曲はエリック・クラプトンが亡き息子を悼んだメッセージ・ソングとして知られていますが、聖子さんの愛娘を失った心境と重ね合わせて選曲されたのかもしれません。彼女は以前からジャズに取り組んでいましたが、沙也加さんの亡き後はアップテンポな曲ではなくじっくりと聴かせるジャズに傾倒していったようです」(前出・音楽関係者)そんな聖子の音楽活動に込める思いは、沙也加さんとともにあるという。「一時は悲嘆に暮れて自宅に引きこもっていた聖子さんですが、人気アイドルとして常に芸能界のトップを走り続けてきたプロ意識は随一。沙也加さんを失った悲しみは完全に癒えることはないかもしれませんが、復帰のタイミングとなった22年3月のファンクラブ会報では『彼女のぶんまで歌っていきたい。彼女と一緒に歌っていきたい』と強い決意が記されていたといいます。同年11月に登壇したトークイベントでは『沙也加に会いたい!』と嗚咽したこともありましたが、それでも彼女は前を向いて歩き続けています。そうした彼女のひたむきな姿に心を打たれ、“応援したい”というファンは後を絶ちません。きっと45周年のメモリアルイヤーは、聖子さんにとってさらなる飛躍の年になるのではないでしょうか」(前出・芸能関係者)愛する沙也加さんとともに、新たな節目を迎えようとしている――。
2025年03月12日《松竹さんからの差し入れ!頂きまぁ~す》3月9日、木村拓哉(52)がInstagramのストーリーズを更新し、黒毛和牛専門店『ミート矢澤』の弁当の画像と共にこう綴っていた。同投稿には木村の左手も写っており、親指を立てて“グッドサイン”を出していた。11月に公開を予定している松竹制作の映画『TOKYOタクシー』に出演しており、その撮影に松竹が差し入れたものだと思われる。今回、『ミート矢澤』の弁当の差し入れを受けた木村だが、2月7日にNetflixで配信されたtimeleszのオーディションを追ったドキュメンタリー番組『timelesz project(タイプロ)』episodo15にサプライズ出演した時に、『ミート矢澤』の弁当をtimeleszメンバーと候補生に差し入れていた。『ミート矢澤』の差し入れはこれが初めてではないようだ。「‘21年にも映画『マスカレード・ナイト』の撮影の際に、『ミート矢澤』のお弁当を差し入れしたと『デイリー新潮』で報じられていました。1つ3000円ほどのお弁当を200名分用意したそうです。スタッフや出演者は大変喜んでいたといいます」(芸能関係者)木村のお気に入りの『ミート矢澤』。実は元SMAPメンバーも好きなようだ。‘24年5月放送の『人生最高レストラン』(TBS系)に草彅剛(50)が出演した際、食べることに貪欲だと言い「(デパ地下に)すごく行きます」と告白していた。さらに東京駅八重洲口の百貨店・大丸東京店にある『ミート矢澤 テイクアウトステーション大丸東京』の画像が映し出されると、「ここもすごい好きで。1万円弁当があって、これご褒美に。1万円するんすよ。やばくないですか。僕、わざわざ東京駅に買いに行くんですよ」と、税込みで1万1千円する『ミート矢澤』の極味弁当について熱く語っていた。「また草彅さんは同じ番組で、安くて旨い最高の一品として、SMAP時代からお世話になっているケータリング店『千鳥』のサムゲタンをあげていました。実は木村さんも“ゲストがこっそり教える名店”として『千鳥』の名前を出し、鶏肉のビール煮が絶品だと語っていました」(前出・芸能関係者)木村と草彅は食の好みが合うのかもしれないーー。
2025年03月11日3月11日、“学生の街”で知られる東京・高田馬場で衝撃的な事件が起きた。同日午前10時前、JR高田馬場駅近くの路上で20代とみられる女性が男性に刺され、緊急搬送されるもその後死亡した。各メディアの報道によると、人が刺されたという通報を受け駆けつけた警察が、その場にいた40代の男を殺人未遂の現行犯で逮捕。女性はナイフで頭や首などを複数回刺されており、「TBS NEWS DIG」の取材に応じた目撃者によると、男が倒れた女性をスマートフォンで撮影しながら蹴飛ばしていたという。また、事件当時、女性がライブ配信中だったとみられており、SNS上には真偽は定かではないが、実際のライブ配信の様子をスクリーンショットしたものや動画が拡散している。拡散されている動画の1つを見ると、画面は真っ暗だが、右下のタイムコードは止まっておらず、ライブ配信が続いていることがわかる。画面は何も見えないものの、周囲の音声が拾われており、けたたましい音量でパトカーのサイレンが鳴り響き、警察官と思われる人物の声も聞こえてくる。状況から察するに事件後の現場とみられ、「下がってください!」と周囲に呼びかけたり、「規制線貼っちゃって!」と話す警察官らしき人の声が入っており、物々しい様子が伝わってくる。またキャプチャされた動画下部には、ライブ配信のコメント欄も映っており、「助かって!」「夢であってくれ」と女性を心配する声が次々と並んだ。女性と男の間になんらかのトラブルがあったと見られており、男は警察の調べに対して「殺そうとは思わなかった」と供述していることも報じられている。一刻も早い真相解明が待たれる。
2025年03月11日(大森元貴のインスタグラムより)3月10日、14日に行われる「第48回日本アカデミー賞授賞式」に先駆けて、新設された「主題歌賞」の初代受賞者を、人気ロックバンド「Mrs. GREEN APPLE」(以下、ミセス)が受賞したことが発表された。対象となるのは、ミセスが手掛けた、’24年6月公開の映画『ディア・ファミリー』の主題歌『Dear』。映画は’70年代の日本を舞台に、小さな町工場を経営する主人公が、心疾患で余命10年と宣告された娘のために、自ら人工心臓を作るべく奮闘するヒューマンドラマだ。ミセスの楽曲について、日本アカデミー賞公式サイトでは、《作詞・作曲を担当した大森元貴(編注・ミセスのフロントマン)が、事前に作品の資料や映像を見て得たエネルギーや生きる活力を込めて書き下ろした。壮大でエモーショナルな楽曲はエンディングにさわやかな余韻を残し見る者の感動をより深めた》と講評。また、主題歌賞を新設した経緯については、《賞発足当初から「音楽部門」は設立されており、劇伴作曲者を対象に顕彰してまいりましたが、さらに、作曲の世界観を表現する重要な存在であり、映画と観客の架け橋になっている主題歌につきましても、顕彰することにいたしました》と説明している。受賞に際し、大森はこんなコメントを寄せた。《映画と音楽は非常に密接な関係にあり、日々音楽を創作する者として「作品の邪魔だけはしたくない。その映画に 関わったすべての方々へ感謝の気持ちを込め、最大のラブレターであるべきだ」と思いながら主題歌を担当させていただいております。名誉ある祭典で初の受賞者となり、その大きさに背筋が伸びます。今後とも胸を張って、より良い音楽を創るべく邁進してまいります》栄えある初代受賞者に輝いたミセスの快挙に、ネットやXではこんな声が上がっている。《主題歌賞初受賞、ミセス凄いな!映画の感動が蘇る、なんて素敵な曲なんだろ》《初の受賞って凄いな。この感動、きっと永遠に残ると思う》《ミセスが日本アカデミー賞の主題歌賞受賞だって!ファンとして凄く嬉しい!流石すぎます!》いっぽう、新設された「主題歌賞」をめぐってこんな疑問の声も。《そもそも”主題歌賞”って要るの?別にMrsの事が嫌いでもないし、いい歌を歌っていると思っているんだけど、日本アカデミー賞のやり方が強引すぎてちょっと引く》《音楽賞で良くね?主題歌賞って、ミセスのために作られた感じ》《アカデミー側がミセス人気に乗っかった感が否めない》『Dear』はYouTubeですでに2000万回以上再生されるなど反響を呼び、ミセスの手腕や映画と楽曲の親和性を疑う声はほとんど見られない。しかし、主題歌賞の設立をめぐる運営側の動きに一部から批判的な声が上がっているようだ。「日本アカデミー賞は米国の本家オスカーを運営する映画芸術科学アカデミーの正式許諾を受けて’78年に発足しています。本家では劇中の音楽に与えられる“作曲賞”と、書き下ろしの主題歌などの歌曲に与えられる“歌曲賞”があり、日本のアカデミー賞では前者に該当する『音楽賞』が発足当初から作者に授与されてきました。『主題歌賞』も本家に倣った形ではあるのでしょうが、本家では『アナと雪の女王』の『Let It Go』(13年)、『RRR』の『ナートゥ・ナートゥ』(22年)のように、映画本編と密接に関わっている曲が受賞する傾向にあります。昨年公開の日本映画では、2人組デュオ『ハンバート・ハンバート』の同名楽曲から着想を得て制作され、主題歌にもなっている『ぼくのお日さま』(池松壮亮主演)もあります。今回の『Dear』も映画のために書き下ろされた楽曲ではありますが、本家や『ぼくのお日さま』などと比べるとそうした要素は薄いでしょう。今回の主題歌賞は他のノミネート楽曲が明かされておらず、ミセス“決め打ち”のような印象を持つ人も少なくありません。そうした背景から、昨年のレコ大も受賞して話題沸騰中のミセスだけに、日本アカデミー賞がその人気にあやかろうとしているように感じる人が多いのではないでしょうか。また、日本アカデミー賞には衣装デザインやメイクアップやヘアメイクなど、本家と違って、映画を作るうえで重要な“裏方”の人たちにスポットを当てた賞が少ない。実際、日本を代表する映画監督でもある是枝裕和さんも、過去に衣装部門の賞新設を提言したことがありましたしね……」(映画ライター)
2025年03月11日フィソンさんのInstagramより3月10日、韓国の人気歌手・フィソンさんがソウル市内の自宅マンションで死亡しているのが発見された。43歳だった。各メディアによると、所属事務所TAJOエンターテインメントはフィソンさんの訃報を伝え、「突然の悲報に、遺族をはじめTAJOエンターテインメントのアーティスト仲間および社員一同、悲痛な思いでその死を悼んでいる」とコメント。そして「フィソンに惜しみない声援と愛を送ってくださったファンの皆さんに悲しいお知らせをすることになり、とても胸が痛む。フィソンが安らかに眠れるよう、故人の冥福を祈っていただきたい」と述べたという。「フィソンさんは’02年に1stアルバム『Like A Movie』で歌手デビュー。R&B、ポップ、ヒップホップを融合させた音楽で人気を博し、『不治の病』『Insomnia』『結婚まで考えた』などのヒット曲で親しまれていました。また、T-ARAの『I Go Crazy Because of You』やTWICEの『Dance The Night Away』の作詞を担当するなど人気アーティストの楽曲制作にも携わっていました」(韓国の音楽に詳しいライター)そんなフィソンさんの最後のInstagram投稿は、ファンに向けてのメッセージだった。3月6日、自身の写真をアップしたフィソンさん。3月15日、大邱EXCOオーディトリアムでシンガーのKCMとの合同コンサート「The Story」を開催する予定だったため、写真にはこう綴られていた。《ダイエット終了、3月15日に会いましょう》しかし、フィソンさんは帰らぬ人に――。そのためフィソンさんの最後の投稿には、ファンからの哀切のコメントがこう寄せられている。《苦しい時に力をくれて、寂しい時に心を満たしてくれて、ご機嫌な時に楽しんだ歌に合わせて歌ってくれた、かつて大好きだった人の声が聴けないのは悲しい》《信じられない.. あの場所でずっと幸せに》《本当に好きだった.. あなたの歌が思い出される..》《あなたの歌は私をとても幸せにした。私は決して忘れない。ありがとう》
2025年03月11日《主人は何十年もの間、走り続けてきました。疲れがたまっていても、体調を整える時間がほとんどなかったので、今回、休養を取ることができるのは、私も息子達もとても安心しております》3月10日、自身のブログでこう綴ったのは小川菜摘(62)。同日に夫でダウンタウン・浜田雅功(61)の休養が発表されたことを受け、妻として家族の思いを明かした。吉本興業の発表によれば、昨年末ごろから体の不調が続いていたという浜田。相方・松本人志(61)が不在のなかコンビの人気を支えてきたが、歩みを止めることとなった。「浜田さんが抱えるレギュラー番組は、テレビのほかにラジオも含めて9本。松本さんが24年1月に活動休止を発表して以降はコンビの冠番組もひとりで担ってきましたが、負担が大きかったのかもしれません。一部スポーツ紙では、事務所関係者が休養の理由を“加齢と疲労”だと説明していました」(スポーツ紙記者)小川は冒頭のコメントに続けて、《このお休みの間は、お医者様の指導のもと、体調を万全にするためにゆっくり過ごしてもらおうと思っています。(たまには好きなゴルフも楽しみながら)》とリフレッシュを願った。そして《ご心配くださる方もいらっしゃるかと思いますが、またお茶の間に「結果発表〜!」という元気な声が響く日まで、どうか温かく見守っていただけますと幸いです》と、前向きに締めくくっている。ネットでは小川のコメントに、《妻が立派だなぁと改めて思います。すごいです》《奥様のコメント、あたたかくてウィットに富んでいて素晴らしいですね》と讃える声が続々。これまでも浜田の窮地には、迅速な対応が注目を集めてきた小川。14年6月に『FRIDAY』で浜田とグラビアアイドルとの不倫が報じられた際は、反省した浜田の様子を《意気消沈ゴリラ》とユーモラスに表現。その上で《我が家は大丈夫です!》と、気丈に呼びかけていた。「当時、菜摘さんのこの対応は“器が大きい”と反響を呼び、浜田さんにとって騒動を収束させる救いとなりました。23年1月に夫妻の別居が報じられた際も、菜摘さんはSNSで《え?笑んなアホな~》と否定。浜田さんも出演したラジオで、『俺らも何じゃそれ? って。俺もうちの嫁と一緒に笑うてた』と一笑に伏していました。しかし翌2月に『FRIDAY』で浜田さんに2度目の不倫が報じられると、菜摘さんは沈黙を貫くことに。そのため離婚の危機も心配されていましたが、実はこの時期は菜摘さんが出演する大切な舞台が京都で上演されていたのです。上演期間中に夫のスキャンダルについてコメントを出すことで、“共演者や関係者に迷惑がかかってしまう”といった配慮があったのかもしれません」(芸能関係者)昨年12月放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)では、夫と2人の息子も舞台を鑑賞しにくることを明かしていた小川。現在は舞台俳優として活躍の場を広げているが、その活力の源は家族からのエールだという。「菜摘さんが浜田さんと結婚したのは26歳の時。子育てや家のことに注力するため、舞台から遠ざかっていました。2人の息子が大きくなってからは50歳で舞台復帰し、家族も菜摘さんがやりたかったことを理解してくれたそうで、“どんどん好きな舞台をやったらいいよ”と背中を押してくれたといいます。また、浜田家ではクリスマスやお正月、誕生日といったイベントを家族で過ごすことでも知られていますが、これは浜田さんの意向だそうです。菜摘さんは結婚した年に浜田さんから『節分やから太巻きこうといて』と言われ、以降は家族で恵方巻きを食べることが毎年の恒例行事に。長い夫婦生活で大きな衝突はあまりなかったそうですが、菜摘さんは言いたいことはしっかりと言う人。でも伝え方には気をつけているそうで、家事に疲れてもイライラの感情を浜田さんにぶつけたりせず、お願いすることで手伝ってもらうなど工夫しているとか。2人とも還暦を迎えたいまでは、お互いに補い合える良い関係性にあるそうです」(前出・芸能関係者)20年11月に『婦人公論.jp』で公開された渡辺徹さん(享年61)との対談では、小川は夫婦関係について《いろいろあるよね!》と言いつつ、浜田への揺るぎない気持ちをこう語っていた。《私から言わせてもらうと、モテない男なんて魅力がない!この仕事をしていたらとくにそう。私はそれを覚悟して結婚しているのね。そして、なぜここまで夫婦として続いているかというと、大事にされてるんです。そんなことよりも何倍も幸せにしてもらっている。だから、揺るがないの。負け惜しみじゃないですよ。(笑)》第一線を走ってきた浜田にとって、愛妻の支えは大きな糧になることだろう。
2025年03月11日『silent』撮影中の目黒蓮フジテレビは、3月11日午後1時50分から『silent』第1話の再放送を行う。以後、3月12日、13日、週を跨いで17日に2話ずつ放送される予定となっている。2022年10月6日から12月22日まで放送された同ドラマは、ロケ地を「聖地巡礼」する若者が多発するなど社会現象にもなった超名作。第1話の見逃し配信は、民放公式テレビ配信サービス「TVer」での「民放歴代最高」記録を塗り替える443万再生という記録を打ち立てた。そんな『silent』のヒットに大きく貢献したのが、ほとんどの聴力を失った佐倉想を演じた目黒蓮(28)の繊細な演技だ。再放送を記念して、当時の目黒の奮闘ぶりを記した記事を再配信する。記事中の肩書きや年齢等の情報などは掲載時のまま。■10月下旬の早朝。まだ薄暗い東京・渋谷のCDショップ前に目黒蓮(25)と川口春奈(27)の姿が。話題沸騰中のドラマ『silent』(フジテレビ系)の撮影が行われていた。「本作は川口さん演じる主人公が、目黒さん演じるかつての恋人と再会することから始まるラブストーリー。目黒さんは難病のため聴力をほとんど失っているという役で、劇中では手話を披露しています」(テレビ誌ライター)世帯平均視聴率は初回の6.4%から右肩上がりで第3話では7.1%を記録した。「10月27日放送の第4話はプロ野球中継のため放送時間が繰り下がり視聴率は5.2%となりましたが、ツイッタートレンドは世界1位を獲得しました。そして何よりすごいのが放送後1週間の見逃し配信再生回数。第1話は531万回、第2話は567万回と、フジテレビ全番組で歴代最高の記録です」(制作関係者)好記録は幅広い層からの支持が理由だとか。「20代から30代の女性視聴者ばかりかと思いきや、ナインティナインの岡村隆史さん(52)も『ダダハマりしている』と話しており、年代・性別問わず夢中になっているようです。丁寧に描かれた登場人物の心情が『切なくて泣ける』と話題になっていますが、これだけの反響は“目黒効果”が大きいと思います。彼のもともとの人気に加え、手話と表情だけで感情を表す演技が真に迫っていると評判なのです」(前出・テレビ誌ライター)目黒が所属するSnow Manは9月発売のアルバムが100万枚を突破するなど飛ぶ鳥を落とす勢い。そのなかで、目黒は端正なルックスと愛すべき天然キャラクターで知られる。「人気は熱狂的で、デビュー直後の2年前は目黒さんが表紙を飾ると発表されるやいなや、その雑誌のサイトにアクセスが集中し、サーバーがダウンしてしまったことも。最近は『silent』の影響で注目度は急上昇。“もうすぐ目黒さんのファンになりそう”という状態を山手線の駅名になぞらえた『今、恵比寿』という表現まで生まれているほどです」(前出・テレビ誌ライター)冒頭の撮影現場で目黒は、時折スタッフと談笑する姿もあったものの、それ以外は緊張した面持ちを浮かべていることが多かった。『silent』の撮影について、目黒はインタビューで、《ボクは本番でパッと気持ちを切り替えられるほど器用じゃなくて、待ち時間もずっと役の気持ちでいないとダメなタイプだから…》(『Myojo』12月号)と語っているが、前出の制作関係者もこう証言する。■滝沢秀明も「暑苦しい」と評した“男気”「繊細な役柄を演じきるため、集中力を切らさないように休憩時間を一人で過ごすことが多いです。物語で重要なポイントになっている手話についても、目黒さんはクランクインの何カ月も前から手話を勉強し始め、撮影現場でも手話の先生に細かいニュアンスを確認しています。撮影の合間には少し距離の離れた位置にいる川口さんと手話を交えて会話していることもあります。連日深夜まで続いている撮影の後も、目黒さんは自宅で手話の勉強をしているそうで、頭が下がります」こうした目黒のド根性ぶりは下積み時代から続いている。「ジャニーズJr.時代、舞台に出演するよう声がかかったらすぐに行けるようにと気合が入るあまり、出演が決まる前に劇場の近くに引っ越したそうです。主演を務めていた滝沢秀明さんが目黒さんを『暑苦しい』と冗談めかして言っていたほど、“おとこ気”の人なんです」(前出・テレビ誌ライター)放送中のNHK連続テレビ小説『舞いあがれ!』にも主人公の航空学校での仲間として11月から登場する目黒。グループとしてもライブツアー中と超多忙だが、不屈の精神を発揮しているという。「アクロバットを得意とするSnow Manに途中加入した目黒くんは、もともとバク転はできたものの、ほかのメンバーに比べると苦手な様子で、これまでSnow Manのライブではバク転を披露してこなかったんです。でも10月のライブで初披露したのです。“自分が加入する前からのファンにも認めてもらいたい”とよく言っていたので、忙しいなかでも必死に練習したのだと思います」(女性ファン)前出の制作関係者は言う。「かつては“月9”などでいくつもの名作を送り出してきたフジテレビですが、ここ数年はドラマも低迷していました。ですがここに来て『silent』と目黒さんに注目が集まっていることに局は沸いています。木村拓哉さん(49)が『あすなろ白書』(’93年)で大ブレークし、のちに“視聴率男”とも呼ばれたように、目黒さんも拓哉さんのような大スターになってくれるのではないかと期待が高まっているのです」ジャニーズ最強のド根性で「目黒に到達する乗客」が増えそうだ。
2025年03月11日「2月上旬から木村拓哉さん(52)は映画『TOKYOタクシー』の撮影に臨んでいます。名女優・倍賞千恵子さん(83)が座長を務め、巨匠・山田洋次監督(93)がメガホンを握るハイレベルな現場に、刺激を受ける日々だといいます。木村さんはよい作品を作るために細部までこだわる山田監督の熱意に感銘を受けたと、自身のラジオ番組で話していました」(映像制作関係者)3月3日にも昨年12月公開の主演映画『グランメゾン・パリ』の興行収入が40億円を超えたことが発表され、充実の日々を送る木村。そんな彼を支える存在が。芸能関係者が明かす。「木村さんは東京都内にある人気ケータリング店・千鳥の女性店主を“お母さん”と呼び慕っています。業界内でおいしいと評判のお店で、あまりの人気に現在は付き合いのある顧客からのみケータリングを受けているといいます。人気歌手のmiletさんなども利用しているそうです。“お母さん”は、木村さんが好みそうなメニューを必ず一品用意してくれているのだとか。コロナ禍でも、個別包装ができるお弁当にしてもらうことで、関係者に“母の味”を楽しんでもらっていたと聞いています」東京周辺で行われる重要な仕事のとき、木村は“お母さん”を頼る。「昨年10月13~14日に横浜アリーナで開催された木村さんの単独ライブに、千鳥が入っていました。このとき、ライブ見学に来ていたNEWSの増田貴久さん(38)が自身のInstagramに、“兄さんの現場でケイタリング食べる男”とつづったうえで、完食後の皿の画像をアップ。一般的に見学に訪れたライブでケータリングは食べません。千鳥の味を後輩にも味わってほしいと、木村さんが増田さんに勧めたのでしょう。昨年11月にも木村さんの映像作品の撮影のときに、千鳥に依頼したと聞いています」’21年5月に木村は自身のInstagramに千鳥の弁当の画像をのせて、《昔からお世話になってる千鳥さん!!》とつづっていた。その言葉どおり、木村と千鳥の店主との出会いは、SMAP時代までさかのぼる。「関東近郊で行われるSMAPのコンサートでは必ず千鳥に依頼していたそうです。SMAPメンバーはおいしい手料理を作ってくれて、いつも優しい店主のことを“僕らのお母さん”と称していました。中居正広さん(52)は“お母さん”に自分専用のメニューとして、つけ麺をお願いしたこともあったといいます。草彅剛さん(50)はハンバーグがお気に入りだと以前、発言していました。SMAPのライブDVDのメイキング映像にはたびたび“お母さん”が登場していました」(SMAPのファン)■新しい地図の現場でも千鳥のケータリングが解散から8年あまり、新しい地図の3人とSMAPの母との絆もいまだに途切れてはいない。「新しい地図のメンバーがイベントを東京近辺で開催する際、千鳥にケータリングを依頼することがあるそうです」(前出・芸能関係者)’22年12月に香取慎吾(48)のYouTubeでライブの裏側に密着した映像が公開された。このライブで、ケータリングとして、カレーを振る舞っていたのが“お母さん”だった。香取はカレーを食べ「うまーい」と感想を述べたうえで、「僕らは“お母さん”のご飯を何十年と食べ続けています」と語っていた。“SMAPの母”である千鳥店主だが、木村との結びつきは特別に強い。「’19年2月、サントリーの商品『金麦』のCMに木村さんが出演した際、CM本編で“お酒のお供”として登場したきんぴらごぼうやアサリバターを作ったのが、“お母さん”だったそうです。木村さんから『“母の味”を実際に食べることで、演技ではない自然な感じが出せるのではないか』と提案し、実現したと聞いています」(前出・芸能関係者)CMが発表されると同時に、メイキング映像として木村が千鳥のケータリングを食べる映像が公開されていた。木村は“お母さん”の横で手料理を食べ、「うまいね!」と絶賛。またCM本編でも使われたきんぴらごぼうに対して、木村が「きんぴらってたまたま?」と“お母さん”に尋ねると、「好きかと思って……」と返答が。これに木村も「好きだよ」と返していた。千鳥の店主は本当の母親のように木村の味覚を理解している。「木村さんは千鳥のケータリングでは、おかずや味噌汁に対して、よそってもらうご飯の量が毎回ぴったりだと話していました。周囲は木村さんのことをスターとして扱いますが、“お母さん”は変に気を使うことはしません。木村さんからするとそういった関係が心地よいのではないでしょうか」(前出・芸能関係者)前出のCMのメイキングでは、千鳥の店主が木村に「あんまり無理しちゃダメなんだよ。カラダ大事なんだから」と気遣う一幕も。これに木村は、「はい」と答えたうえで、「無理はしてないですよ」と伝えていた。過去には“お母さん”が、木村のピンチを救ったこともーー。「全国4カ所を回るワンマンライブツアーの最終日であった’22年3月6日、木村さんは初めて声がかれてしまったそうです。公演終了後、千鳥のケータリングのお味噌汁を2杯飲んだところ、喉の調子がよくなったといいます」(前出・芸能関係者)『TOKYOタクシー』の撮影を終えた後も、主演映画『教場』の撮影が控えている木村。“SMAPの母”の手料理に癒され、仕事に邁進するーー。
2025年03月11日3月10日、嵐の二宮和也(41)とお笑いコンビオードリーの若林正恭(46)がMCを務めるAmazon Prime Videoの新バラエティ番組『シークレットNGハウス』(3月27日配信開始)に、KAT-TUNの上田竜也(41)が参加することが発表された。『シークレットNGハウス』は、様々なジャンルの芸能人が賞金をかけて、MCが設定した「シークレットNG(絶対にしてはいけない行動)」を回避しながらトークやアクティビティに挑むというバラエティ番組。上田は、タレントのベッキー(41)やお笑い芸人の狩野英孝(43)、元櫻坂46の山﨑天(19)、クイズ作家の松丸亮吾(29)など、合計8人の豪華キャストに名を連ねる。KAT-TUNが2月12日に、3月末で解散することを発表してからまもなく1カ月。解散と同時に所属事務所のSTARTO ENTERTAINMENTを退所する亀梨和也(39)は、キャスターを務める『Going!Sports&News』(日本テレビ系)の続投がすでに決まっており、上田も地上波ではないものの、新作バラエティ抜てきという順調な滑り出しを見せている。そんななか、いまだ音沙汰が聞こえてこないのが、上田と同様、解散後も事務所で個人活動を継続する中丸雄一(41)だ。昨年8月に『週刊文春』で女性問題が報じられると同時に、活動を自粛していた中丸は、今年1月3日に活動再開を発表しているのだが――。「復帰後初の公の場は、自粛前にレギュラー出演していた『シューイチ』(日本テレビ系)、『家事ヤロウ!!!』『旅サラダ』(テレビ朝日系)など、中丸さんの主戦場でもあるテレビが有力視されていましたが、活動を再開してからも復帰の発表は聞こえてきません。さらに、日テレの福田博之社長は2月17日の定例会見で、中丸さんの復帰について『可能性はゼロではない』と含みを持たせていましたが、3月4日に開かれた改編説明会では、編成幹部が、『シューイチに関しては発表していること以上のことはない』と話し、中丸さんサイドとの話し合いも行っていないと近況を明かすなど、ややトーンダウンした印象すら感じられました」(スポーツ紙記者)いっぽう、中丸と二宮、山田涼介(31)、菊池風磨(29)で運営する人気YouTubeチャンネル「よにのちゃんねる」では、中丸の名前がたびたび浮上している。「3月9日に公開された動画では、菊地さんが、中丸さんがチャンネル復帰した場合を想定して、『(登録者数)マイナスもありえます』と冗談を言う場面がありました。こうした“中丸イジリ”は動画の中でよく行われており、中丸さんが自粛したことで、数本の動画がお蔵入りにもなってしまっているので、視聴者のなかでも復帰を早めて欲しいと望む人は多いでしょう。ただ、2月2日の動画では、チャンネル以外の中丸さんの活動を優先するべきというメンバーの話もありましたし、結局は中丸さん個人の判断が待たれる状況なのかもしれません。いずれにせよ、解散発表から約1カ月経ったいま、中丸さんは有料ブログを一度更新しただけですし、気を揉んでいるファンのためにも、なんらかの発信があってもいいと思うのですが……」(前出・スポーツ紙記者)
2025年03月10日明石家さんま(69)が3月8日、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組『ヤングタウン土曜日』(MBSラジオ)に出演。SMAPの影響力に言及する場面があった。さんまは番組冒頭で、「これ言うてもええねんな?SixTONESの新番組が今度やるんですよ、『行列』の後。TBSでSnow Manが頑張ってやってて。で、まぁSixTONESも初めてのレギュラーで」と切り出し、4月から開始する新バラエティ番組『Golden SixTONES』(日本テレビ系)の初回ゲストに選ばれたことを発表。その番組の収録が先日あったといい、番組の内容について「もう要するにタレ、俺が焼肉のタレが好きなんですっていう。スタッフが、『さんまさん、タレ好きですよね?』って決めつけてんねん(笑)。で、『さんまさんに合う焼肉のタレをメンバーが作る』って」と明かした。続けて、さんまはこの企画に対し、「『えー?』って言うてね、『これ、ビストロやん』いう話で」と、SMAPの冠バラエティ番組『SMAP×SMAP』内の人気コーナー「BISTRO SMAP(ビストロスマップ)」に似ていると指摘。さらに、「ほんで、俺の両端にジェシーとか(他のメンバーも)いてて、それが赤い服なんです。『それ、金スマやん』言うて。ほんで、呼ぶときにチーンって鳴る、『それ、ホンマでっかやん』言うて。いい風に言えば、全部入れてくれてはんねん、ありがたい」と冗談めかして話した。また、共演者から「タレはいろいろ再現していくんですか?」と聞かれたさんまは、「いろんな自分のオリジナル、好み。さんまさんはこれが好きなんでこうしてくれるとかっていうような新番組ですよ」と説明。そのうえで、「だから、頑張っとるのよ、アイツらも。やっぱりSnow ManとSixTONESってやっぱりいい関係のライバルで。ともにテレビで頑張ろうとしてくれてるからな。これはまぁ、SMAPの影響はかなりあるとは思うけども、テレビで頑張ってなんとかっていう。だから一生懸命さも分かるしな。テレビが好きっていうのも分かるし。そういうので最初のゲストが俺で…」と感慨深げに語っていた。さんまから絶賛されたSixTONESとSnow Manのバラエティに全力で取り組む姿勢は、さんまの言う通り、SMAPのあるメンバーの影響を強く受けているという。「木村拓哉さん(52)は昨年末、Snow Manの冠番組に出演した際、『SMAP×SMAP』が長く続いた秘訣はスタッフやメンバーとの“チームワーク”だと言い、自分からスタッフにどんどん企画を提案していたと明かし、Snow Manメンバーは感銘を受けている様子でした。別の放送回では、Snow Manの向井康二さん(30)が自分たちの番組について、『結構いつも低予算』と口走ったところ、木村さんが『本番中、低予算っていう言葉はやめたほうがいいと思う。スタッフのモチベーションが下がるから』と注意していました。また、ジェシーさん(28)とバラエティ番組で共演した際には、ジェシーさんのスタッフに対する口のきき方を見て、『あんまり好きじゃない。もう一回勉強し直したほうがいい』と“ダメ出し”をしたこともあります。木村さんはスタッフの支えがあったからこそ、『SMAP×SMAP』を20年間も続けられたという思いが強く、そうした姿勢の大切さを後輩たちへ伝えたかったのでしょう。SixTONES、Snow Manのメンバーにとって、木村さんは尊敬できるお兄さん的存在ですから、木村さんからのアドバイスは真摯に受け止めているに違いありません。もしかしたら、今回の新番組の“ビストロスマップ風”企画には、SMAPや木村さんへのリスペクトを込めたSixTONESメンバーたちの意見も取り入れられているのかもしれませんね」(芸能ライター)SixTONESのメンバーは“兄貴分”から学んだことを生かして、“お笑い怪獣”との共演でどんなケミストリーを起こしているのだろうか――。初回放送が待ち遠しい。
2025年03月10日フリーアナウンサーの田中みな実(38)が3月8日に更新されたタレントのあのちゃんのYouTubeチャンネルに出演。その際に田中の取った“ある行動”が波紋を呼んでいる。あのは《田中みな実にスキンケア教えてもらった》と題した動画で田中と共演。冒頭から“美容好き”で知られる田中は愛用のコスメを紹介した。田中が「メイクさんに教えてもらった」というフェイスパウダーをカメラに向けて紹介。するとあのは「全然メイクのアレがわかんない。わかんないっていうか、なくしちゃうから……」と言いながら、田中のパウダーの蓋を人差し指でコンコンコンと何度も叩いた。すると「どういうこと?なくしちゃうの?」と聞きながら田中はパウダーに目をやり、おもむろにパウダーの蓋を着ていたニットの袖でゴシゴシと拭いてポーチにしまったのだった。この田中の仕草を見ていたあのは思わず「フフっ」と苦笑いのような何とも言えない表情を浮かべていたが、田中の行動には言及することはなく、動画はそのまま何事もなかったかのように続いた。この動画はXで大拡散。さらに、田中の行動に対して、《想像以上にあからさまに拭いてて笑った》《一瞬悲しい目をしたあのちゃんが切ない》《指紋は拭いたくなるけれど、本人の前では拭かないわぁ。あのちゃんの笑顔、、なんだか可哀想になる》などの声があがった。その上、“勝手に人の化粧品に触るあのちゃんの方が悪い”などと田中の行動を擁護する人も現れ、論争状態に。しかし、動画をよく見ると、あのが触ったのは蓋の縁辺で、田中が拭き取った箇所は蓋中央の鏡面部分。実際、動画の冒頭で田中が実際にパウダーを使って見せるときに、この部分に指があたっていた。「田中さんには化粧品の容器を磨く習慣があり、過去にタレントのMEGUMIさんと共演した際も、MEGUMIさんのファンデーションの容器が汚いと指摘。そのときにも田中さんはご自身の化粧品に汚れを見つけて、履いていたデニムのパンツでゴシゴシとこすっていました。あのちゃんが触ったから拭いたのではなく、単純に汚れを見つけて気になってしまい、とっさに磨いただけではないでしょうか」(美容誌ライター)“綺麗好き”と“ガサツ”のケミストリーが、悲しい誤解を生んだようだ。
2025年03月10日3月10日、稲垣吾郎(51)、草彅剛(50)、香取慎吾(48)が所属する事務所「CULEN」に新しいメンバーが2名加入することが発表された。その報告文の一節にファンが驚いている。今回加入することとなったのは、小澤竜心(20)とヘイテツ(22)の2名。小澤は子役としてデビューして以降、ダンサーや俳優として活躍中。またヘイテツはK-POPのオーディション番組「NCT Universe : LASTART」で注目を集めたという経歴を持つ。そんな2人の加入報告の際、「CULEN」は公式サイトにこう綴った。《この度、クルミ・レオンに続き、小澤竜心、ヘイテツがCULENに合流することになりました。これからもあたたかいご声援の程、よろしくお願いいたします》小澤とヘイテツの先輩であるクルミとレオンとは、草彅の愛犬であるフレンチ・ブルドッグのこと。実は二匹は、CULENにアーティストとして所属しているのだ。「草彅さんは’17年3月からクルミちゃんを飼い始め、レオンくんは’20年3月にクルミちゃんが生んだ男の子です。草彅さんのYouTubeやSNSにも親子でたびたび出演しており、草彅さんのみならずファンにとっても“アイドル的存在”です」(芸能関係者)クルミとレオンが、小澤とヘイテツの先輩アーティストに。そんな“粋な報告文”は話題となり、Xでは驚きとともに喜ぶ声がこう上がっている。《CULENのリニューアルサイト覗いたらアーティストの序列に癒されたw 竜心君ヘイテツ君はクルミ&レオンの後輩なのね こういう遊び心というか洒落が効いてるところ、好きだわ》《クルレオを入れてくるあたり流石です 竜心くんとヘイテツくんは、クルレオの後輩!笑》《先輩がワンコ2匹って和む事務所でよき》《クルミとレオンの方が先輩ってとこがツボ 最高にいい事務所じゃん》
2025年03月10日《浜田は昨年末ごろから体の不調を覚えるようになり、医療機関を受診した結果、医師より、当面の間、静養することが望ましいとの助言を受け、3月10日(月)より休養を取らせていただくことになりました》3月10日、吉本興業はお笑いコンビ「ダウンタウン」の浜田雅功(61)について、公式サイト上でこう発表した。昨年1月に相方の松本人志(61)が活動休止を発表して以降、1人でコンビの仕事も切り盛りしてきた浜田。10日配信の「スポニチアネックス」の記事によると、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)、『水曜日のダウンタウン』(TBS系)、『ダウンタウンDX』(読売テレビ系)などは、収録済み分以降の対応は検討中だという。そんななか、’07年から放送されている浜田のMC番組『ごぶごぶ』(MBS系)が開催している野外フェス『ごぶごぶフェスティバル』の公式Xは、こう発表した。《浜田雅功CEOの順調なご快復を切にお祈りしつつ、現時点で「ごぶごぶフェスティバル2025」は、5月10日(土)、11日(日)に予定通り開催する運びです。浜田CEOが不在の間は、我々スタッフが、全方位に浜田の血が通った「ごぶごぶフェス」、そして、昨年以上に皆様に楽しんで頂ける「ごぶごぶフェス」の開催に向け、責任をもって準備を進めてまいります》昨年開催の第1回目では、2日間で3万5000人を超える観客が来場するなど大反響を呼んだ「ごぶごぶフェス」。Xでは、第2回の予定通りの開催に安心するファンの声も多いが、浜田の体調を不安視する声も多い。《浜ちゃんが元気な姿でフェスに登場するのを楽しみに、まずはゆっくり休んでください》《いろいろ不安に思うことはあるけれど少しでも早く回復される事を願うばかり…》《ごぶごぶフェスまでに帰ってこれるかな。でも無理はせずにごゆっくり》ファンから気遣いの声が相次いで寄せられる浜田。体調が回復して一日でも早い復帰が待たれるところだが、実は昨年8月に放送されたフェスの関連番組『浜田雅功 完全密着~ごぶごぶフェス ビハインド・ザ・ストーリー~』(MBS系)で、自身の“引き際”について明かす一幕があった。「番組では、浜田さんが将来の展望を語る場面があり、インタビュアーから『引き際とか考えている?』という質問が投げかけられました。これに対し、浜田さんは『元気なうちにやめたい』と返答。第一線で活躍してきた芸能界から離れ、元気なうちに“自分の時間”を楽しみたいという思いがあったといいます。また、浜田さんといえば、コンビで’25年の関西万博のアンバサダーに任命されていますが、番組では『25年からちょっと目処かなぁっていうのはあったのよね、ホンマは』と“引き際”について自ら踏み込んだ場面も。いっぽう、活動休止中の松本さんを念頭に、『“俺が踏ん張っとかなアカン”ていうのがある』とも告白。具体的な年齢や時期に関する明言は避け、“元気なうちに”というコメントに留めた浜田さんでしたが、いつかは訪れる引き際に、ファンからは『その未来を受け止められるのか心配』といった声が上がっていました」(芸能ライター)浜田の妻で俳優の小川菜摘(62)は10日、ブログでこう呼びかけた。《またお茶の間に「結果発表〜!」という元気な声が響く日まで、どうか温かく見守っていただけますと幸いです》多くのファンが、元気な浜田のカムバックを心待ちにしている。
2025年03月10日お笑いタレント・千原せいじ(55)が3月8日に自身のYouTubeチャンネルを更新し、4月13日から開催される大阪・関西万博について持論を展開した。スタッフから「大阪万博って行く予定ありますか?」と質問されると、せいじは「ない!」と即答し、その理由について「ダダすべりやろ」と回答。万博は何をするのか聞かれると「いや、知らんけど、万博で当日券が出るぐらい人気ない(笑)。ありえへんやんそんなもん」と笑った。2023年11月末に販売を開始した万博前売り券の売れ行きは、3月5日時点で、目標とする1400万枚には遠く及ばぬ806万枚。この不振に、当日券の導入や通期パスの割引などが導入される予定だ。京都府出身で、ちょうど以前に大阪万博が開催された’70年生まれのせいじ。「昔もやったんですよね?大阪万博」と聞かれると「そうそうそうそう」と同意し、「だから俺らのときは“博(ひろし)”が多いねん。万博の“博”で、1970年生まれは」と当時の賑わいぶりを解説した。だが、この’70年万博が盛り上がったのは「日本が高度経済成長期でガーって」と勢いがあったからだとし、今は「いや、だぁれも行かへんよ。だっていろんな国が“もうええわブース”って言って断って、なあ?そんな不人気なこと」とバッサリ。「そういうこともやっぱニュースで言わへんやんか。日本めっちゃ不人気やで〜って(笑)」といい、「まだジジイババアは“日本はまだ豊かや”思うてるけどさ、超クソ貧乏なのに」と率直に本音を明かした。せいじの歯に衣着せぬ痛快な持論に、動画のコメント欄は共感の嵐となった。《ダダすべりに共感!!ほんとソレですよ!》《せいじさんが…皆の言いたい事をスッパリと代弁してくれました。ホントにそれ》《私も絶対行かない。せいじさん同感です。日本貧乏やのにその通りです》《無茶苦茶的得てるコメントで最高!吉村知事よう聞きなはれ。笑》
2025年03月10日3月9日、菊池桃子(56)が南野陽子(57)とのツーショットをInstagramで公開した。Instagramに《南野陽子ちゃんと、おとなのプラチナ旅 という番組で北海道を旅行させていただきました。2人だからこそ楽しさ2倍でした》と投稿した菊池。《#陽子ちゃんの笑顔が昔も今も大好きです》とも綴っており、朝日放送の旅番組『おとなのプラチナ旅』での“二人旅”を満喫したようだ。この投稿に、菊池は南野とのツーショット写真を2点アップしている。一つはホテルのロビーのような場所で撮影したもので、もう一つは2人が花畑を歩いているというもの。どちらの写真でも2人は若々しい笑顔を見せており、表情の輝きはアイドル時代と変わらない。そんなアラ還の元アイドル女優同士のツーショットにファンは歓喜。コメント欄には、こんな声が寄せられている。《同世代。マジで昔から可愛いし大好き。56.7でこの可愛さは、一般人には出せない》《お二人共素敵すぎる》《お二人とも素敵な年齢を重ねて魅力的です!!》《御二人スタイルも変わらないし本当に素敵ですね!》《お二人ともあの頃と全然変わらないですね》
2025年03月10日3月10日、ダウンタウンの浜田雅功(61)が体調不良のため一時休養することが発表された。浜田の所属事務所「吉本興業」は、公式サイトで《浜田は昨年末ごろから体の不調を覚えるようになり、医療機関を受診した結果、医師より、当面の間、静養することが望ましいとの助言を受け、3月10日(月)より休養を取らせていただくことになりました》と経緯を報告。そして、《関係者各位、ファンの皆様には、ご心配とご迷惑をおかけいたしますが、浜田の体調回復を最優先とすることへのご理解と、引き続き、ダウンタウン、浜田へのご支援を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます》と呼びかけた。相方の松本人志(61)が’24年の年始から芸能活動を休止して以来、冠番組で“孤軍奮闘”してきた浜田。ネットでは《まっちゃんがいない間ダウンタウンを支えるべく孤軍奮闘していたし、少しオーバーワーク気味だったんかもね》《相方が不在の中大変な心労だったと思います》と労う声が相次いでいる。そんななか、浜田の不在によって心配を集める芸人が。それは、ランジャタイの国崎和也(37)だ。というのも国崎は’24年6月26日放送の『水曜日のダウンタウン』(TBS系)に出演した際、右眉毛だけがきれいになくなっているという“激変姿”を披露。麒麟の川島明(46)が「どうしました?」と尋ねると、国崎は渋い表情をしながら、「これ信じられないかもしれないですけど、あの、ダウンタウンと連動してて……」「信じられないでしょ。急になくなったと思ったら、そうだった(連動していた)んですよ」と松本の不在によって眉毛がなくなったと報告。そこで、みちょぱこと池田美優(26)が「もうじゃあ、ずっと(眉毛ない)?」と質問すると、「全然生えてこない」「ずっとそう」と国崎は即答し、川島から「今年入って生えてない?」と聞かれると「今年入って生えてない」と答えていたのだ。そのため、ネットでは浜田の休養が発表されると、「左眉もなくなってしまうのでは……」と心配する人が続出することに。Xでは、国崎に対してこんな声が上がっている。《浜ちゃんにはゆっくり休んでもらいたいのだが、ランジャタイ国崎さんのまゆげはどうなるんや…消滅??》《浜ちゃん休養するのか ゆっくり休んでほしいな ところでダウンダウンの2人がいないことでランジャタイ国崎の眉毛はどうなるんや》《ランジャタイ国崎の眉毛も心配です》《ランジャタイ国崎の眉毛が両方消えてしまう》
2025年03月10日元木大介氏のInstagramアカウントより3月8日、元巨人ヘッドコーチで野球評論家の元木大介氏(53)がインスタグラムを更新。自身の近影を公開したのだが、その姿にネットで驚きの声があがっている。黒縁の眼鏡をかけカジュアルな服装でポーズを決めたショットに対して、コメント欄には、《大介さん…なんか痩せたんじゃないですか?》《元木さん痩せました?》《見る度に痩せて行くみたいやし、カッコエエけどちょっと心配やなぁ~》《体調は大丈夫ですか?》と元木氏の激やせした姿を心配する声が並んだ。一部のコメントに対して、元木氏本人も反応。「大丈夫だと思うけど」「大丈夫ですよ」などと返信。体調に問題はないと訴えているが、確かに以前より痩せた印象は否めない。さらにネットニュースのコメント欄の一部にはこんな声もあがっていて……。《大谷選手の件で非難殺到しての心労かと思った》《大谷のあの不快感丸出しでの完全拒否は心に来るよなあ…まあ自業自得な訳だけども》“大谷さん”とは、ロサンゼルスドジャース・大谷翔平(30)のこと。「元木さんは大谷選手絡みで炎上しましたからね……」と語るのは、スポーツ紙記者。「ことの発端はドジャースが4年ぶりの優勝を果たした昨年10月31日のMLBワールドシリーズでした。元木さんはフジテレビのリポーターとして現地で観戦をしていたのですが、フジの取材チームは優勝後の大谷選手に取材を試みましたが、大谷選手は彼らのほうを一瞥したものの、カメラの前にやって来ることはありませんでした。大谷選手がその際にらむような表情をしたため、“フジの取材を拒絶したのではないか”という見方をされたのです」過去にフジは大谷選手が購入したロスの新居を勝手に空撮したことで、同選手を激怒させ、取材パスを没収されたとも報じられていた。それに加えて……。「フジの取材に同行していた元木さんが過去に大谷選手のポルシェを自身のインスタに勝手に公開したことが指摘されて炎上しました。つまりフジと元木さんの双方が行っていた過去の行為が、大谷選手の“取材拒否”を招いたのではないかとされたのです」大谷が元木に対して憤りを感じたかどうかは定かではないが、元木は炎上した投稿を削除。同年11月8日には、《今回、ワールドチャンピオンの余韻が残っているなか、このような騒動でご迷惑をおかけしたくなかったので、本日のご説明となりました。関係者各位にご心配ご迷惑をおかけしましたこと、ご覧になり不快な思いをさせてしまった皆様に深くお詫びいたします》と謝罪までしている。ネットには元木をフォローする声も。《大谷に嫌われた影響で痩せたわけでないことを祈りたい。元木が全て悪いわけでないと思うので。》心労による激やせでなければよいのだが……。
2025年03月10日3月9日、自民党大会で比例代表の候補予定者として紹介された杉田水脈氏(写真:時事通信)自民党は3月8日、7月の参院選比例代表に杉田水脈元衆院議員(57)を擁立すると発表した。この自民党の方針に波紋が広がっている。杉田氏は’12年に日本維新の会から衆院選に出馬して初当選し、’17年と’21年は自民党公認で衆院比例中国ブロックで当選。しかし、昨年4月に’18~’22年の収支報告書への不記載額が1564万円に上ったことで党の役職停止6カ月の処分を受け、昨年10月の衆院選は立候補を辞退。なお、衆院政治倫理審査会で弁明はしていない。今回の公認に対し特段疑問視されているのは、過去の発言だ。杉田氏は’16年に国連の会議に参加した際に、《チマ・チョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場》などと写真付きで自身のブログに投稿。さらに、’18年7月発売の月刊誌『新潮45』で、同性カップルに対し「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」などと寄稿し、批判を集めた。杉田氏は’22年にこれらの発言を謝罪・撤回。しかし、’23年には札幌法務局と法務省が’16年の発言について人権侵犯だと認定した。■杉田氏の発言に石破氏は「これでどれほど傷ついた人がいるだろうか」3月9日に東京都内で開かれた党大会では、ダンスパフォーマンスに乗って参院選に公認された候補者が続々と登壇。杉田氏は石破茂首相と握手を交わし、会場に手を振る杉田氏に石破首相は拍手を送った。しかし、この石破首相の姿には違和感がーー。なぜなら、自民党総裁選直前の’18年9月17日、 TBSの『NEWS23』に安倍晋三元首相と石破首相が出演した際、石破首相は杉田氏の比例擁立を強く疑問視していたからだ。「当時、杉田氏が月刊誌『新潮45』に同性カップルは”生産性がない”などと評し、国内外から大きな批判を浴びていました。同誌は休刊に追い込まれるほどのインパクトにも関わらず、杉田氏は衆院選中国ブロックの比例第1位でした。番組内でそのことが問題提起されると、安倍元首相は『私の夫婦も残念ながら子宝に恵まれていません。だからと言って生産性がないというと大変辛い思いに、私も妻もなります』としながらも、『まだ若いですから、そういうことをしっかり注意しながら仕事していってもらいたい』と当時51歳だった杉田氏を擁護。それに対し、石破氏は『全く正しいことだとは思わないし、多様な意見があるのだからいいんだという自由民主党であっていいとは私は思わないですね。これでどれほど傷ついた人がいるだろうか』と厳しく指摘。さらに『この方、中国ブロックの比例第1位です。我々中国地方が出してるということになってるわけです。それは本当にいいことだろうか』と問題視し、杉田氏擁立の経緯を党が明かすべきだとの考えを示しました」(全国紙政治部記者)同番組内で、「自民党は多様性を尊重している」と、党の”多様性”を盾に杉田氏の比例第1位を正当化しようとした安倍元首相に対し、「私はそんな自民党であってほしいとは思わない」と切り返していた石破首相。そんな石破首相がトップを務める自民党が決断した杉田氏の公認について、Xでは自民党への批判とともに、石破首相への落胆が広がった。《裏金と差別発言の杉田水脈氏を今回公認するに至った経緯は説明すべき》《石破さんには少しは期待していました。しかし、杉田さんに公認を与えたことで、私の期待の糸はプッツンと切れてしまいました》《彼女のこれまでの言動は、政治家である前に人としてどうかと思われる。自民党は本当に人材不足なんですね》党大会では笑顔の杉田氏を見つめながら拍手を送った石破首相。その胸中には何があったのだろうか。
2025年03月10日(写真:Luce/PIXTA)長年、特効薬がなく白髪に悩まされ続けてきた私たち。今回の名古屋大による世界で初めての発見により、ついに光明が差し込んだ!「現状では白髪を完璧に予防できる有効な方法がないなか、今回の研究は白髪の治療や予防につながる一歩になるかもしれません」そう語るのは、日本臨床毛髪学会理事で東京メモリアルクリニックの院長、栁澤正之先生。染めたと思ったらまた白髪!毎月のカラーリング代もバカにならない。そんな悩みを抱えている人にとって希望の光と期待されているのが国際学術誌『Antioxidants』電子版(2024年12月17日付)に載った名古屋大学などの研究チームの報告だ。「名大の研究は黒毛から白毛に変わりやすくなるように交配したモデルマウスを使った実験で、野菜などに含まれる『ルテオリン』を塗ったり投与したりして白髪抑制効果を調べています。当初のマウスの白髪量は20%でしたが、16週間治療を続けたマウスはほとんど変わらなかったのに、治療しなかったマウスは白髪の割合が60~80%も増加。ルテオリンが白髪の予防や改善に役立つ可能性が示されました」(栁澤先生)■世界で初めて白髪への有効成分が科学的に証明された栁澤先生がこう続ける。「髪の色はメラニン色素の量で決まります。メラノサイトという細胞で作られたメラニンが髪内部へ取り込まれることで髪の毛は黒くなります。一方、老化や遺伝などの影響でメラノサイトの働きが弱まったり、メラニンを髪の毛に取り込む働きが弱くなったりすると白髪となります。実験ではルテオリンが白髪を予防する可能性が示されたとはいえ、実験でマウスに使われた有効量を人間の体重(60kg)に換算すると、かなりの量のルテオリンを摂取することに。白髪対策としてルテオリンのサプリを必要以上に飲むことは安全性からみて危険です」白髪ストップ効果は、今のところマウスで示されただけ。ヒトに効果があるかどうかは、今後の研究を待つほかないようだ。「白髪改善薬が世に出るためには、ヒトに対する安全性や有効性が確認されてから。かなりの時間がかかるでしょう。そんななか白髪を含めた毛髪について間違った情報に惑わされないことが大切です。たとえば頭皮マッサージをしている人がいますが、マッサージの刺激は頭皮と毛根に対してダメージにしかなりません。また毛染めに抵抗がある人もいると思いますが、しっしんやかぶれなどの頭皮トラブルがなければ、今のところ白髪対策としては、いちばん安全で確実な方法です」(栁澤先生)■ルテオリンとは花や果実の色素や苦味成分であるフラボノイドの一種そもそも白髪の抑制効果が期待されているルテオリンとはどのようなものだろうか?「花や果実の色素や苦味成分であるフラボノイドの一種で、ブロッコリーやセロリ、ピーマン、ケールなど広く野菜類にも含まれます。皮膚の健康増進や尿酸値改善などの報告があるルテオリンには強い抗酸化作用があるのが特徴です。体内では酸素を利用する代謝が行われる過程で『活性酸素』が発生します。加齢により活性酸素を除去する力が落ち、過剰に増えてしまうことで、肌のコラーゲンを作る働きを弱くしたり、メラノサイトを攻撃したりするためシミやシワなどの老化の原因になることも。増えすぎた活性酸素を撃退するのがルテオリンなど抗酸化作用のある物質です」とは、栄養士で日本フードコーディネーター理事の若宮寿子さん。アンチエイジング効果の高いルテオリンを上手に摂取するにはどうすればいいの?■ブロッコリーには髪に有効な成分がたっぷり若宮さんがこう続ける。「ブロッコリーはルテオリンが豊富に含まれているだけでなく、野菜には珍しく、髪をつくるタンパク質を含有しているほか、髪の成長を促すビタミンB群も野菜のなかではトップクラスです。さらに摂取後、体内でビタミンAに変わり頭皮環境を整えてくれるβカロテン、髪の主成分ケラチンの生成を助けるビタミンC、髪の成長を促すビタミンEなどの抗酸化作用が強い栄養素がたっぷり。ルテオリンの働きをサポートして活性酸素を撃退してくれる。ブロッコリーは加齢によってダメージをうけた毛髪ケアとしても有効な食材といえるでしょう」2026年度から「消費量が多く、国民生活にとって必要な野菜」として『指定野菜』に仲間入りするブロッコリー。高い抗酸化力があり“野菜の王様”と呼ばれるだけに、免疫力強化やシミやシワなどの抑制、うつ病の発症を抑えるといった効果も報告されている。そんなブロッコリーに白髪改善という新たな効果も期待されるのだ。しかし、有効成分を取り入れるには少し工夫が必要だ。■ブロッコリーの栄養を効率よく摂り入れるには、レンチン3分がオススメ「ルテオリンは熱を加えても壊れないので加熱調理にも向いています。しかし、熱に弱い水溶性のビタミンCやビタミンB群はゆでると含有量の半分が溶け出してしまうため、ゆでたり高温調理することはあまりおすすめできません。ブロッコリーを一口大にして、電子レンジ(600W)で2~3分お好みの硬さになるまで加熱すれば栄養素をキープすることが可能。茎の部分も硬い皮をむけば、おいしくいただくことができます」レンチンしたブロッコリーは、マヨネーズやオリーブオイルなどの油分と一緒に食べるのがいい、と若宮さんがこう続ける。「油に溶ける性質があるβカロテンは、油を一緒に取ることで吸収力がアップします。毎日、50gほどのレンチンブロッコリーを食べるだけでもアンチエイジングの効果が期待できます。食べきれなかったブロッコリーはバターで軽く炒めたり、シチューやカレーに加えたりしてもいいでしょう。最近では冷凍食品としてカットブロッコリーも売られているので、手軽に使えるのがうれしいです」毎日のブロッコリー習慣で白髪ケアを心がけよう。
2025年03月10日ハンバーグ、餃子……動物性タンパク質が豊富なひき肉を使った料理が健康の秘訣(写真:takeuchi masato/PIXTA)「元気で長生きするためには、食事がもっとも大事な要因です。国民の消費生活の実態がわかる家計調査には、健康寿命を伸ばすヒントが隠されています」そう語るのは、日本介護予防・健康づくり学会理事長で筑波大学名誉教授の田中喜代次先生。健康的に生活できる期間を示す「健康寿命」。2022年時点の最新の推計結果によると、都道府県別でもっとも長かったのは静岡県の女性(以下「女性」は省略)。しかも平均寿命から健康寿命を引いた「日常生活に制限がある期間の平均」でも「10.31歳」ともっとも短く、静岡県には元気で過ごしている高齢者女性が多いことが明らかになった。そこで総務省が2月7日に発表した2024年の「家計調査」(二人以上世帯)を調べてみると――。都道府県庁所在地と政令指定都市のなかで、静岡市は昨年1年間で、外食や冷凍食品を除く「ハンバーグ」の1世帯あたりの支出額が3千10円で全国1位に。2位には浜松市(2千689円)が入り、静岡県勢が上位を独占。「県民のソウルフードとして親しまれている静岡にしかないハンバーグチェーン店も人気。外食や冷凍食品を含めると週に1回はハンバーグを食べているかもしれません」(静岡県在住の主婦A子さん)。「太平洋に面し、温暖な気候の静岡県は長寿県として知られていますが、ハンバーグに加え、餃子の購入額で浜松市が日本一になったことから、ひき肉を使った料理にも長寿のヒントがあると推察できます。ひき肉は食が細ったり歯が悪かったりして肉が食べられない高齢者でも、動物性タンパク質を効果的に取ることができます。動物性タンパク質をしっかり取ることで、低栄養による免疫力の低下から風邪をこじらせて、肺炎で亡くなるケースを防ぎます。また血管を強くし、筋肉の衰えを予防する動物性タンパク質をしっかり取れば、寝たきりや熱中症死の予防にもなります」(田中先生、以下同)静岡で晩年を過ごした徳川家康は“健康オタク”として知られ、肉を食べる習慣がなかった戦国時代に誰よりも肉を食べ、平均寿命が50歳ともいわれる時代に75歳まで長生きした。そんな家康公の教えを静岡県民は守っているのだろう。「ひき肉だけではなく、静岡では『まぐろ』の支出額が全国平均の2.5倍、『しらす干し』『干しあじ』は2倍と多いことから、魚由来の動物性タンパク質を取っていることがわかります。また『家計調査3年(2022~2024年)平均』では、植物性タンパク質が多い『豆腐』の支出額で静岡市が全国3位に。静岡県民は長寿のカギを握る動物性・植物性のタンパク質をバランスよく取り入れていることがうかがえます」さらに静岡市の支出額で日本一となった「緑茶」は、がん細胞の増殖を抑制する働きがある茶カテキン、血管の健康を保つカフェインなどを含有。国立がん研究センターの研究では、1日5杯以上緑茶を飲む女性は、1杯未満の人と比べて、胃がんのリスクが3割減、脳梗塞のリスクも2割程度減ることが示されている。■「喫茶代」が多い岐阜県では会話が脳を刺激して認知機能を維持健康寿命で2位になったのは山口県。高級魚ふぐで知られている山口市で、全国1位となったのは「あじ」。年間支出額は2千315円で、山口県民は全国平均の2倍以上もあじを食べている。「県民に愛されているのは地元ブランド“瀬つきあじ”で、毎年6月3日は“あじの日”になっています。郷土愛が強い山口県民は全国各地から集まってくるふぐよりも、安くて栄養価が高く近海で取れるあじを好んで食べているのでは」(県庁職員)そんなあじも健康寿命の伸びに大きく関係しているという。田中先生が解説する。「あじだけでなく、『家計調査3年平均』を見ると『さば』(5位)、『いわし』(8位)と山口県民は青魚をとても多く取っていることがわかります。青魚には、オメガ3脂肪酸の一種であるDHAとEPAが豊富に含まれています。認知機能の改善効果が期待できるDHAと中性脂肪や悪玉コレステロールを減少させるEPAは、どちらも抗炎症作用があり、大規模研究では、摂取する習慣のある人は、すい臓がんのリスクが30%低下、肝臓がんのリスクは3分の2になると報告されています」3位にランクインしたのが岐阜県。岐阜市で支出額が全国一だったのが『えのきたけ』。腸内環境を整える食物繊維や骨を強くするビタミンDが豊富なきのこが健康寿命に関与していそうだが、田中先生は支出額が5位だった「喫茶代」にも注目している。「岐阜には、全国有数の喫茶文化があり、喫茶代の支出額が『家計調査3年平均』で1位(1万4千750円)です。コーヒーには、抗炎症作用のあるクロロゲン酸が老化を促す活性酸素の働きを抑えるなどの健康効果がありますが、それ以上に、友達同士で語り合うことが大きなポイント。気の置けない同士の会話は脳をフルに刺激して認知機能の維持に大いに役立ちます。また喫茶店まで行くことも運動になり、足腰の強化にもつながります」あの織田信長が根づかせたとされる「もてなし精神」がある岐阜では、充実したモーニング(岐阜県は「卵」の支出額も2位)や、薬局とコラボして喫茶店で健康相談できるサービスも。そんな“おもてなし喫茶文化”がさらに健康寿命を引き延ばしていきそうだ。■海がないのに魚介類を多く取っている山梨県は健康志向健康寿命で4位となった山梨県。名産の「ぶどう」が甲府市では支出額で1位になったのは当然として、海がないのに「まぐろ」が3位に。さらには「あさり」は日本でもっとも食していることが明らかになった。「健康寿命ではいつもトップクラスの山梨県民が、魚介類を積極的に取っているのは健康意識の高さのあらわれでしょう。とくにあさりは、酸素を体の隅々まで運搬し、エネルギーを燃やしやすくするなどの働きがある鉄や、筋肉や骨、皮膚、臓器に含まれ、タンパク質の合成や酵素の生成に関わる亜鉛が豊富。どちらも長寿のためには意識して取りたい栄養素です。また山梨県には『無尽』という古くから伝わる地域の集まりがあり、高齢になっても交流の機会が多いことも健康寿命の長さに関わっているのでしょう」さらに山梨県は、65歳以上の就業率が全国2位と高い。働くことで適度な緊張感と責任感が生まれ、健康をキープさせるようだ。健康寿命で5位となったのは宮崎県。宮崎市の支出額が高かったのは「餃子」(2位)、「緑茶」「あじ」(ともに3位)と、これまで紹介した長寿を支える食材が上位に入っている。さらに「米」の支出額が全国一だ。「生きていくうえでのエネルギー源となる米は、タンパク質も入っている大切な栄養素。食べすぎると血糖値コントロールが難しくなるので要注意。その点、宮崎ではキャベツの支出額が多い。キャベツに多く含まれる食物繊維は、腸内の有用(善玉)菌のエサになり、腸内環境を整えるだけでなく、食後の血糖値の上昇を緩やかにする働きも。また、キャベツに含まれる『イソチオシアネート』というフィトケミカルは、体内で発がん物質を解毒する酵素の働きを活性化します。キャベツに多いビタミンKは、骨を丈夫にする効果が期待されています」温暖で南国情緒にあふれた宮崎県人たちの性格は“おっとり系”が多いといわれるが、健康意識については“しっかり系”が多いようだ。最後に田中先生が語る。「これだけを食べていれば元気で長生きするという食材はありません。寿命の続く限り健康であることをかなえるためには、健康にいいとされる食材をバランスよく適量摂取することです」健康県の食生活を参考に、いつまでも元気で過ごそう!
2025年03月10日3月8日、お笑い特別番組『ENGEIグランドスラム』(フジテレビ系)が21時から生放送された。歴戦の実力者が漫才やコントを披露する不定期ネタ番組で、今回は直前に生放送された『R-1グランプリ2025』で見事優勝を果たした友田オレ(23)も出演し、いつも以上の盛り上がりを見せた。中居正広の女性トラブルに端を発する騒動によって、CMがほとんどACジャパンのものという異例の放送となったが、X上ではもう一つの“異変”を指摘する声が相次いでいた。《松岡茉優顔変わりすぎて全然本人だって気づかなかったどしたん》《松岡茉優ってこんな顔だった? 名前出るまで指原かと思ったw》《ところで松岡茉優ちゃんてこんな顔だったっけ?》初回放送以来、ナインティンナインとともに長らくMCを務めている女優・松岡茉優(30)の顔の印象がいつもと違うというのだ。確かに、この日の松岡の顔を見ると、化粧が厚く施されているのか全体的にいつも以上に白さが目立ち、少しのっぺりとした印象だ。とはいえ、これには売れっ子女優の松岡ならではの“事情”があるという。「松岡さんは前日の3月7日から開幕したばかりの舞台『やなぎにツバメは』に、大竹しのぶさん(67)や林遣都さん(34)らとともに出演中。東京公演は30日まで続き、その後は大阪公演も控えています。8日も昼夜2回公演があり、17時からの回を終えて、すぐさまスタジオに駆けつけたそうです。舞台は長時間演じ続け、舞台上での陰影をつけるためにも、メイクを通常より濃く施す傾向があります。本来なら、テレビ用にメイクをし直すはずですが、この日は舞台終演から生放送まで2時間弱というハードスケジュールだったため、おそらくその時間が取れなかったのだと思います。松岡さんといえば、“ナチュラルメイク”の印象を抱いている人も多いでしょうから、普段はあまり見られないメイクに思わず“顔が変わった”と思った人も出たのでしょう」(舞台関係者)そのことに気づいた人からは、Xでこんな声があがっている。《松岡茉優ちゃんの顔変わったって言ってる人いっぱいいるけど、舞台やった後だからメイクいつもと違くて違和感あるのかも》《多忙すぎて、舞台後メイクそのままでENGEIの司会やった松岡茉優ちゃんが顔変わったって言われてるらしく、メイクに興味ない人間の眼力なんて所詮この程度なのおもろすぎるし一周回って微笑ましいまである》《松岡茉優ちゃん 舞台用の濃いメイクでテレビ出てただけで顔変わったとかいじったとか言われてるの、、、》
2025年03月10日大河ドラマ『べらぼう』吉原の女郎屋のセットで(撮影:加治屋誠)【前編】『べらぼう』時代考証家(71)制作会社から門前払い、睡眠時間も削り…ドラマ『JIN』までの紆余曲折より続く「たわけ者」「バカ者」を表す“べらぼう”という言葉は、時代を経て《「甚だしい」「桁外れな」という「普通を超える」様を表す言葉に変化》したと、大河ドラマ『べらぼう』の制作統括を務める藤並英樹氏は語っている。舞台である吉原に息を吹き込む山田順子さんは、15歳で志した時代考証家への夢に向かってひたむきに歩みを重ねてきた。その思いは71歳にして結実。生きざまはまさに、“べらぼう”だった──。「じつは『JIN』から最初のコンタクトがあってからしばらく連絡がなくて、有名な先生に決まったかな、とあきらめかけたんです。ところが私が所属していた事務所の社長が亡くなり、通夜の前日にいきなり『JIN』のスタッフから『明日、お会いしたい』と電話があったんです。『葬式だから行けない』と言うと『こちらから行きます』ということに。お通夜のおすしや花の手配をしながら、5? 6人のスタッフと打ち合わせをしてね。その日から怒濤のように仕事が始まって、翌々日には衣装合わせの現場に立ち会っていました」『JIN』のスタッフにとって、時代劇は初めての経験だったという。そのため、刀の持ち方、座る位置、服装などに関して一からのレクチャーが必要だった。「旗本屋敷のセットがあったのですが、それ以外はほとんどオールロケ。ロケハン(ロケ地の下見)から参加しました」ロケでは有形文化財や資料館となっている古い民家も訪れた。「江戸時代にリフォームするため、室内や廊下の電灯ははずし、電気のコンセントを美術さんと一緒に隠す方法を考えたりしました」誰よりも早くに現場入りして、撮影につきっきりだった。「スタッフの一段上から指導する人ではなくて、スタッフと同じ目線で参加したいんです。当時、50代後半です。人生の最終コーナーに差し掛かったところで夢だった職業に転身できたわけですから、悔いは残したくなかったんです」現場にいる時間が長いからこそ、共演者とも仲よくなっていく。あるとき、ロケ地で蛇が出たことが話題になった。「それでスタッフとキャーキャー話していると、大沢さんが『何を騒いでいるの?』と聞いてくるんです。それで蛇の話をすると、大沢さんがいきなり棒に巻きつけた蛇を私の目の前にひょいと出して!びっくりして腰を抜かしそうになりましたよ(笑)。そんなおちゃめなところもあるんですね」脚本家の森下佳子が書き上げた台本に、修正を施していくのも山田さんの役割。山田さんの時代考証家としての強みになったのは、長年のテレビマンとしての経験だった。「台本をやりとりするうちに、森下さんの目指している世界観がわかってくるんです。ドラマとして成立させるため、歴史的な矛盾がないようにアドバイスしていくのも仕事でした」そんなやりとりで信頼関係が築かれ、森下さんが脚本を手がけた『天皇の料理番』(主演・佐藤健、35)の時代考証も務めた。大河への道が拓き始めたのは’23年の秋ごろのことだった。東京国立博物館の松嶋雅人さんから「NHKのスタッフが打ち合わせに博物館に来たんですが、吉原の考証ができる人を聞かれたから“山田さんしかいません”って答えておきました。そのうち話が来るでしょう」と連絡が入った。じつは松嶋さんとは、『JIN』に出演していた中谷美紀(49)を通じて知り合ったのだ。『べらぼう』の吉原風俗考証の仕事のオファーが来たのは、それから間もなくのことだった。脚本の森下さん、近世美術史考証の松嶋さん以外にも、演出・美術に見知ったスタッフが何人もいた。「NHKサイドも大河で初めて吉原を舞台に描くということで、『雰囲気だけじゃ困る。しっかりつくりたい』と、かなり本気の熱量を感じました」だからこそ、山田さんも本気で取り組む決意をした。吉原の撮影がある日は必ず顔を出して撮影全般に関わるという、独自のスタイルを貫けるように条件を出した。「当然『そこまでのギャラは出せません』とのことでしたが、ギャラは既定どおりでいいんです。自宅からNHKまで近いから、交通費もいりませんって。その代わり自由にやらせてほしいって頼んだんです」幼いころ、時代考証家になるという夢を見るきっかけとなり、人生の指針となった大河ドラマに、ようやくたどり着いたのだ。「もちろんすごくうれしかったです。でも……、男性と同じように働くために、結婚や出産を考えたこともないし、男性とのデートすらほとんどしたことがないんです。でも、その代わりに今、人生を懸けて打ち込める仕事ができているんだから、やっぱり、十分に幸せですね」山田さんの仕事部屋の壁一面にしつらえられた本棚には、茶色く変色した『国史大系』『風俗画報』『国史大辞典』『三田村鳶魚全集』などの分厚い資料がぎっしりと詰め込まれている。「まだ別の部屋にも資料はたくさんあるんです。問題なのは、必要な一冊を探すのに1時間以上かかってしまうことですね」『べらぼう』の台本を広げながら膨大な資料をひもとき、現場に向かうのだ。「大河ドラマで吉原のシーンがあるときは、だいたい朝の6時に起きて、7時30分の地域バスに乗るようにします。NHKに到着するのは8時過ぎ。撮影が始まる9時に間に合うように、ゆっくりとセットなどをチェックしています」いつでも美術スタッフから質問を受けられるよう、撮影現場からは離れない。「そもそもテレビっ子だから、番組を作る過程を見るのが好きなんです。それから、モニターを見ながらどこかボロは出ていないか、チェックしています」いっぽう、故郷の広島銀行が発行する月刊誌に、瀬戸内海の島々を巡る「せとうち津々浦々」を8年にわたり連載しているうえ、『吉原噺蔦屋重三郎が生きた世界』(徳間書店)を出版したばかり。ハードな毎日だが、長年夢見た時代考証家としての仕事ができる喜びを日々感じられるのだ。「15歳に抱いた夢とはいえ、ずっと時代考証家のことばかり考えてきたわけではありません。ただ、長い仕事人生の中で選択を迫られたとき、たとえば数字が取れるバラエティ番組があっても、数字は望めなくても歴史番組があればそちらを選択するなど、抱いた夢に近いほうを選んで進んできました」少しずつ夢に近づき、そしてかなえた。だが、大河ドラマがゴールではない。「年齢的なこともあるので、今後、どんな作品に巡り合えるのかわかりませんが……。でも、真田広之さん主演の『SHOGUN 将軍』が世界で認められるなど、時代劇にはまだまだ可能性が秘められているんです。世界に通用する時代劇に携わっていきたいですね」人生という大河を、べらぼうな夢を抱いて漕ぎ出していく──。(取材・文:小野建史)
2025年03月09日大河ドラマ『べらぼう』吉原の女郎屋のセットで(撮影:加治屋誠)「たわけ者」「バカ者」を表す“べらぼう”という言葉は、時代を経て《「甚だしい」「桁外れな」という「普通を超える」様を表す言葉に変化》したと、大河ドラマ『べらぼう』の制作統括を務める藤並英樹氏は語っている。舞台である吉原に息を吹き込む山田順子さんは、15歳で志した時代考証家への夢に向かってひたむきに歩みを重ねてきた。その思いは71歳にして結実。生きざまはまさに、“べらぼう”だった──。若者の街・渋谷の喧騒を抜けた先にあるNHK放送センター。その一角にあるスタジオ前には、和服にカツラ姿の俳優たちが椅子に座り雑談する姿が。江戸時代にタイムスリップしたような感覚だ。横浜流星(28)主演のNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』。江戸時代の幕府公認の色里・吉原のシーンの撮影だった。同ドラマで吉原風俗考証を担当している時代考証家の山田順子さん(71)が、花魁・花の井(小芝風花、27)が所属する女郎屋「松葉屋」のセットに向かうため、美術部が用意した手作りの階段を利用する。「足を痛めたものだから、手すりは私のために作ってくれたみたいなんです。若い俳優さんはみんな優しくて、私がいると『先生、大丈夫ですか』って手を差し出してくれるんです」朗らかに笑い、勝手知ったるセットの内部を進むと松葉屋の中庭に行き当たり、こんな裏話を。「女郎屋はどこでも同じ構造。中庭があって、縁起物の松が植えられているんです。だからこのセットも、提灯だけ替えればほかの女郎屋に早変わりできるんです」時代考証家の仕事は、映画やドラマで描かれる時代の風習やしきたり、立ち居振る舞い、建造物や調度品などに違和感が生じないよう、考証すること。同ドラマのこだわりの一つは、吉原大門から続く仲の町の通りだ。「史実どおり、幅11mの道路を作ってもらったんです。ただ、あまりに広いから、混雑している雰囲気を出すためには大人数の通行人が必要になるんですね」通常、時代考証は大学の教授などが務め、考証会議だけ参加するケースも多いというが、山田さんはテレビ番組の構成作家などを務めた経験があるテレビマン。「現場が大好き。だから誰よりも早くに撮影現場に入ってセットをチェックして、一日中つきっきりで立ち会ったりするんです。こんなスタイルの時代考証家は、私ぐらいかもしれません」大河ドラマの第1作を見て時代劇ファンになり、15歳のときに時代考証家になる夢を抱いた。大学卒業後はCM制作会社に就職し、歴史のクイズ番組などの構成作家に転身して働くうちに、「歴史のことなら山田に聞け」と言われるほど有名な存在に。ドラマ『JIN-仁-』で本格的に時代考証家としての活動を始め、『天皇の料理番』など話題作に関わり、ついに大河ドラマに初挑戦。「『べらぼう』では、吉原の女郎たちの生きていくための力強さを感じてもらいたいんです。性を売る仕事の中であっても、いずれは身請けされたり、年季奉公があけて自由の身になることを夢見て、自分を磨き続けました。そんな、生きていく力強い姿を──」山田さん自身も、時代考証家になるという夢を失わずに自分を磨いたからこそ、今があるのだと振り返る。「’53年8月29日生まれ。日本テレビが日本で最初に民間放送を開始した翌日だから、いつも人には『テレビの歴史とともに、私の歴史もある』って言うんです」山田家にテレビがやってきたのは、山田さんが9歳のとき。「縁側からおじさんたちがテレビを大事に抱えて運んできて、いちばんいい和室の床の間の前に設置して、布をかける。“すごいものが来た!”という感じでした」テレビを導入した翌年、大河ドラマ第1作となる尾上松緑主演の『花の生涯』が放送された。このドラマがきっかけとなり、山田さんは歴史に目覚めた。「それまでも映画館で美空ひばりさんの時代劇を見たりしていましたが、チャンバラしていたひばりちゃんが途中で歌い出したりするんですね。でも、大河ドラマはそういう演出がない。“大河は嘘をつかない。これこそ本物の歴史なんだ”って思うようになりました」学校の授業より、大河ドラマが歴史の教科書だった。すっかり“歴女”となった15歳のとき、広島市内の目抜き通りにある書店で、ふと手にした林美一氏の著書『時代考証うらおもて』が、人生の転機を与えてくれた。「行灯の火の始末の仕方や刀の持ち方など、細部を考証することでリアリティを持たせることができると知ったんです。確かに大河ドラマを見ると『時代考証』とクレジットに入っている。それで“将来は時代考証家になろう”って決めたんです」歴史を深く学ぶために専修大学文学部人文学科(当時)に進学した。所属したゼミの教授はプロ劇団の顧問をしていたこともあり、時代考証の仕事に理解があった。「だから就職活動の際に相談したんです。でも、教授は“うーん”と渋い顔で『今は無理だよ。君の頭が白くなったら、できるかもね。そもそも君のような若造に“昔はこうだった”なんて指示されたくないだろう。今は知識と経験を増やすことだ』と言われたんです」教授のアドバイスどおり、まずはテレビの世界で経験を積もうと考えた。「就職はオイルショックのさなかでしたし、そもそも女性がテレビ局に就職することは容易ではない時代。ある制作会社の面接でも『女はいらん。地方ロケのときに大部屋で雑魚寝させるわけにもいかないじゃないか。第一、カメラの脚も重くて持てないだろう』と言われ、門前払いでした」就職先が見つからず困っているとき、偶然、従姉妹の知り合いがCMの制作会社を起業した。「人手不足だったから、なんとか女性でも潜り込めました。日産スカイラインのCM撮影で、靴磨きを使ってピカピカにタイヤを磨くのが人生最初の仕事でした」当時はワイドショーの放送中、冷凍食品や洗剤などの生のCMがあった。「60秒か90秒のCMの原稿を書いて、それにあわせてできあがった料理を箸で摘んでみたり、洗剤のキャップに洗剤を入れて実演したりと、手タレのようなこともしていたんです」現場では男性スタッフよりも機敏に動き、重いものも持ち、とにかく大きな声を出した。「“女性だから”という差別を感じることはありませんでした。でも、ろくにロケには連れていってもらえなかったから、裏では何かしらあったのかもしれませんね」生CMの仕事は変化に乏しいこともあり、29歳のときに生CMのタレントに「そろそろやめようと思っている」と相談した。すると、「うちの主人が文化放送のディレクターだから、構成作家をやらないか」とラジオの仕事に誘われた。「主にナレーション原稿を書く仕事で、その原稿を読んだのがうつみ宮土理さん。そのツテで愛川欽也さんが司会を務める『なるほど!ザ・ワールド』の仕事が舞い込んだんです。番組冒頭の数字にまつわるクイズ1問と、番組後半に出題する国内クイズ2問を作っていました」同時期に、NHKの鈴木健二アナウンサーが司会を務める『クイズ面白ゼミナール』の仕事も始まった。「ある日、番組スタッフから『歴史に詳しい人を探しています』と連絡があったんです。面談では、漢文まじりの『徳川実紀』の原文を出されて『これ読めますか?面白いところはどこですか?』と質問されたんです」歴史好きの山田さんはそんなテストにもすんなりと答えて、見事採用となったのだ。「『なるほど』のクイズは月曜日から金曜日までかけて新聞や雑誌で資料集めをし、専門家に連絡をして裏を取り、スタッフに提案して作成していました。『面白ゼミナール』の作業は土曜日と日曜日。NHKの資料室の本は全部読みました」当初『なるほど』にはクイズ作家が20人ほどおり、テロップで名前が出るのは2人だけだった。しかし3年もすれば、3人目として山田さんの名前が表示されるようになったという。「誰にも負けたくなかったから、人が家庭を持って家族サービスをする時間も、私は仕事に打ち込んでいました。睡眠時間も削ったし、そうじゃなければ女性が男性に勝つことは難しかったんですね」だが、そんな生活を3~4年も続ければ無理がたたり、体調を崩してしまったことも。「30歳を超えて“このままでいいのだろうか”って立ち止まりたくなる年齢でもあったんですね。それで32歳のときに両番組とも降りて、フランスに留学したんです」しかし、番組が山田さんを放っておかなかった。本来、留学は半年間の予定だったが、渡仏して5カ月後にはNHKから「すぐに帰ってきてくれ」と連絡があった。帰国後、『面白ゼミナール』の仕事ぶりもあり、山田さんは“業界でいちばん歴史に詳しい人”という評判が広がっていった。再現ドラマ付き偉人伝や歴史の逸話クイズなど、ありとあらゆるクイズの仕事が舞い込んだ。「『なるほど』のプロデューサーから『君のための番組を作りたい』と声をかけていただき、近藤正臣さん(83)や桂三枝さん(現・桂文枝、81)が出演した討論バラエティ番組『七人のHOTめだま』の構成作家を務めました」『クイズ!年の差なんて』(フジテレビ系)など人気番組を立ち上げ、『おしゃべりクラシック』(NHK-FM)といったラジオの音楽番組にも活躍の場を広げ、テレビ・ラジオ業界での足場を確かなものにした。一方、仕事は順調だったものの、15歳のときに抱いた時代考証家になる夢は果たせずにいた。「単発で時代考証をすることはありましたが、大きな作品には巡り合えませんでした。テレビ業界にはたくさんの知り合いもいましたが、私から営業をかけることはしなかったんです。時代考証というと大学教授が務めるというイメージがあるから、肩書で比較されてしまうのが嫌だったんですね。それならば、向こうが欲しいというまで待っていようと」50代半ばとなるころには、広島に住む両親の介護生活が始まった。「月1回ほど帰省していましたが、徐々に回数が増えて週1回になることも。かなり体力的にきつくて、仕事量も減らしていたんです」’05年に父が亡くなり、しばらくして母が施設に入所したことで、時間的な余裕ができた。偶然にもそのタイミングで、一本の電話がかかってきた。「『今度、江戸時代のドラマを撮るのですが、レギュラーで撮影の全部に立ち会って時代考証をしてくれる人を探しています。5カ月くらい付き合ってくださいますか』と。それが、大沢たかおさん(56)が主演を務めた日曜劇場『JIN-仁-』だったんです」かつての恩師が予想していたように、本格的な時代考証家の仕事が舞い込んだのは白髪が目立ち始めた56歳のときだった。(取材・文:小野建史)【後編】『べらぼう』時代考証家(71)50代後半で“夢の職業”に転身も「デートすらほとんどしたことがない」へ続く
2025年03月09日病気療養やスキャンダルなどにより、ときに活動休止を余儀なくされる芸能人。活動休止からそれほど時を置かずに活動再開している人物もいれば、長い間復帰の目処が立っていないケースもある。ドラマやバラエティなど、複数の番組で目にする機会が多かった人物ほど、突如テレビから姿を消してしまうと物足りなさを感じるもの。好きな芸能人が活動を休止してしまい、復帰を待ち望んでいるという人も多いのではないだろうか。そこで本誌は、WEBアンケートツール「Freeasy」にて、20代から60代の男女500人を対象に「テレビ復帰してほしい芸能人」についてアンケート調査をおこなった。第3位は、嵐のリーダー・大野智(44)。2020年12月31日をもって活動を休止した、国民的アイドルグループ・嵐。リーダーの大野が「嵐としての活動をいったん終えたい」と伝え、メンバーで話し合った結果、解散ではなく休止の道を選んだという。大野以外のメンバーは個人で活動を続けているが、やはり大野を含めた5人で嵐として復活してほしいという声が多く寄せられた。大野といえば、歌やダンス、演技などマルチな才能を持つことでも知られている。ダンスに関しては、自身のソロ曲や嵐の楽曲の振り付けも担当しているほど。演技力にも定評があり、舞台『青木さん家の奥さん』で主演を務めた際には、演出家から「ひとつアドバイスをすると、求める以上のものがポンと返ってくる。彼からは可能性しか感じませんでしたね」と絶賛されている。《嵐を復活させて、グループで歌ってほしい》《面白くてダンスも歌も上手いから》《嵐でメンバー揃って活躍するのを見たい》《俳優としての演技がとても好きだった》第2位は、抜群の演技力が光る香川照之(59)。2022年に女性への過去の“性加害”が報じられ、表舞台から身を引いた香川。ときに「主役食い」とも評される香川の高い演技力は今も支持され続けており、復帰を望む人が多いようだ。ドラマ『半沢直樹』(TBS系)では主人公の宿敵である大和田暁を好演し、圧倒的な存在感を見せつけた。主演映画『宮松と山下』でも、監督の関友太郎が「顔の演技が想像以上に豊かで、顔全体が可動域」と感嘆のコメントをしている。しばらくテレビから姿を消していた香川だが、今年4月からWOWOWにて放送・配信されるドラマ『連続ドラマW 災』で主演を務めることが発表された。香川は同作内で、6人の登場人物に災いをもたらす6役の男を演じるという。3年ぶりとなる香川のドラマ出演に期待が集まっているようだ。《演技がとてもうまくて魅力的なので》《ドラマではなくてはならないような役どころをしていたから》《香川さんにしかできない演技があるから》《半沢直樹に欠かせないから》第1位は、お笑い界のカリスマ・松本人志(61)。2023年末に女性問題が報じられ、以降活動を休止している松本。目立ったのは相方・浜田雅功(61)とともに、またダウンタウンとして活動してほしいという声だ。現在、『水曜日のダウンタウン』(TBS系)や『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)など、複数の冠番組が松本抜きで放送されている。松本の秀逸なボケに、浜田が鋭くつっこむやり取りが見られないのは寂しいと感じている人が多いようだ。また松本の才能を高く評価する声も多く寄せられている。『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)や『笑ってはいけない』シリーズ(日本テレビ系)など、多数のコンテンツを生み出した発想力は「天才」と称されるほど。お笑いコンビのナイツ・塙宣之(46)も、「松本さんってウォルト・ディズニーみたいな感じ」と尊敬の念を語っている。《鋭いボケをまた聞きたい》《ダウンタウンとしてまた活動してほしいから》《頭の回転の良さと、面白さが天才》《ダウンタウンで浜ちゃんと一緒にテレビに出て笑わしてほしいから》
2025年03月09日