女性自身がお届けする新着記事一覧 (810/893)
「主人公は専業主婦で、一家そろって茶の間でゴハンを食べる。テレビは箱型のブラウン管だし、黒電話をいまだに使っている。そんな“昭和の空気感”にあふれた『サザエさん』は、平成の時代を生きる人たちにとって、幻想の世界の話として見えてしまうのかも……」 そう話すのは、コラムニストのペリー荻野さん。スポンサー降板、現代社会とのギャップ……。’69年10月にスタートし、日曜夜の顔として半世紀近く愛されているアニメ『サザエさん』(フジテレビ系)が苦境に立たされている。 そんな『サザエさん』を取り巻く危機を詳しく見ていこう。 【1】48年間スポンサーだった東芝が降板 ’69年10月の放送開始から半世紀近くCMを提供してきた東芝。経営再建をめざす東芝は『サザエさん』の番組スポンサー降板を決断。新しいスポンサーがつくのか……? 【2】専業主婦で三世代同居……広がる“時代とのズレ” 専業主婦で育児に専念しているサザエさんを、待機児童を抱える働きたいママたちはどう見ているか?いまだに黒電話を使い続けている磯野家を、スマホを使いこなす若者たちは? 【3】取り戻せない視聴率 ’79年9月には視聴率39.4%を記録!’14年2月まで平均視聴率が21%を超えていたが、’16年にはひと桁台が増加するなど急降下。今でも12.6%(’17年11月26日放送)を記録するなど、アニメ部門では首位を維持しているが……。 【4】フジテレビが進める“聖域なき改革” 『めちゃ×2イケてる!』を来春で打ち切るなど、大胆に刷新中なのが『サザエさん』を放映するフジテレビ。“聖域なき改革”の目玉として、国民的アニメがターゲットになる可能性も!?【5】スタッフ、キャストの高齢化問題 サザエさんの声を担当しているのは78歳の加藤みどりさん。さらに、放送開始からシナリオを担当している重鎮脚本家・雪室俊一氏が76歳と、スタッフ&キャストに高齢化の波が。 そんな危機が訪れている『サザエさん』について、’92年にベストセラーとなった『磯野家の謎』の編者「東京サザエさん学会」の代表で、慶應義塾大学名誉教授の岩松研吉郎さんはこう語る。 「’70年代前半の中流家庭を描いた『サザエさん』が半世紀近く続いているのは、そこに、いつの時代も日本人の心をほっこりさせてくれる“家族像”があるから。『サザエさん』の物語は、高齢化、受験競争、住宅などの問題とは無縁。人の心をざわつかせるこれらの問題を、あえて入れないという作者の愛があるのでしょう。今の時代とかけ離れていると言われがちですが、磯野家は、実は“未来の家族像”なのかもしれない――。そんな視点で見てみると、おもしろい発見がいくつもあるのです」 いつまでもサザエさんは“ゆかいだな~”という存在であり続けてほしい。
2017年12月10日11月下旬の正午前、1台の高級ベンツが、東京・世田谷区内の通りに停車した。運転していたのは、ドラマ『陸王』(TBS系)にも出演する俳優の和田正人(38)。助手席には、妻でタレントの吉木りさ(30)が座っていた。 2人は、11月22日の“いい夫婦の日”に入籍したと発表したばかり。吉木が1人でコンビニに行くと、和田は彼女が帰って来るまで車中で待機。2人とも普段着なのを見ると、新妻のちょっとした買い物をわざわざ高級外車で送迎してあげたようだ。約5分後、彼女が帰ってくると、笑顔で出迎え、車を発進させた。 「和田さんは先輩にも後輩にも気づかいができる人。とにかく横のつながりを大事にする人で、一度しか共演していない、そんなに知名度のない俳優さんの結婚式にも顔を出すような律儀な人です」(テレビ局関係者) 吉木が惹かれたのも、そんな和田の“マメさ”だという。 「彼女が和田さんと結婚すると聞いて“どこに接点が……”とびっくりしました。じつは、ちょうど“結婚を考えられる人と本気で恋愛がしたい”と思っていたところに、和田さんと出会ったそうです。誠実でやさしい和田さんは、彼女にうってつけだったんでしょうね」(広告代理店関係者) 2人に入籍を決意させたのは、懇意にしているレイザーラモンHG(41)・住谷杏奈(34)夫妻だった。 「夫妻とは入籍前から親交が深いんです。杏奈さんも元グラドルですから、吉木さんは彼女に仕事や結婚、子どものことについて相談していました。そうしたら『彼氏も連れてきなよ』となって、手巻き寿司パーティーに和田さんを連れてきたそう。2人から『早く結婚しなよ!』と急かされたのが入籍の決めてだったと聞きました(前出・広告代理店関係者)」 新妻の助けを得て、来年はますますビッグになりそうだ。
2017年12月10日2017年も残すところあと3週間。今年も芸能界にはいろんなスクープがあり、世間を賑わせてくれました。振り返るといろんなことが起きたように感じますが、1つ1つのニュースを拾い上げると実はそこに傾向があるように思います。来年のトレンドにもつながる2017年のスクープについて考えていきましょう。 ■不倫熱は降下するも女性不倫にスポット! 昨年から続く不倫ニュースに対する強烈なバッシング。“ゲス不倫”が流行ったのも2016年ですから、多くの人にとって「他人の不倫は見飽きた」と満腹感を覚えるころです。しかし今年はネタとしてのおもしろ要素を足した不倫報道や女性の不倫報道など、新鮮さのあるスクープが注目されることが多かったです。 たとえば袴田吉彦さん(44)の“アパ不倫”。女性でいえば斉藤由貴さん(51)や元SPEEDで現在参議院議員の今井絵理子さん(34)、衆議院議員の山尾志桜里さん(43)など女性有名人の不倫が印象的でした。筆者は斉藤由貴さんの不倫に母と女の間で揺れる“心の闇”を感じましたが、みなさんはどうでしたか? ■2018年はラブラブブーム到来の予感!? 不倫の恋に対するバッシングや批判は落ち着いていくであろう2018年。そこで台頭が予想されるのは「熱愛を撮られるくらいならいっそ認める」という、スクープを逆手に取った“ラブラブアピール”です。すでにいしだ壱成さん(43)やお笑い芸人・にゃんこスターの2人が実践し、話題を呼んでいます。 もともとこの市場はぺこ&りゅうちぇるの独壇場だったのですが、2人は結婚。それに続くタレントがいない状態です。ラブラブ生活暴露には難しい準備が必要なく、うまくすれば好感度も上がる。別れた後の批判というリスクもあるのですが、2018年はラブラブアピールタレントが増えていくと筆者は予想します。 ■芸能人のキャリアパスには今後も注目が集まる! また2017年で特に多かったのが、芸能人の「電撃引退」です。引退といえば、堀北真希さん(29)、江角マキコさん(50)、元乃木坂46の橋本奈々未さん(24)など。出家した清水富美加さん(23)も一時は引退と報じられましたし、安室奈美恵さん(40)も来年引退が決定しております。 引退にあたっての問題があったなかったは別として、こう多くの芸能人が引退するというのは「芸能界に居続けるメリットが少なくなった」と感じているからではないでしょうか。恋愛すれば追いかけられ、SNSをやれば批判され、ちょっとした一言がすぐニュースになる。うんざりしてしまうのもわかります。 また今年は、若くしてセカンドキャリアをスタートさせる芸能人が多かったのも注目です。柴咲コウさん(36)や、ダレノガレ明美さん(27)は自身の会社を立ち上げ(柴咲さんが会社を立ち上げたのは正式には2016年)、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さん(44)もアメリカに会社を設立しています。 今まで芸能人の副業としては飲食店やサロン経営、自身のブランドプロデュースが多かったと思います。だた今後は芸能人としてテレビ出演したり広告でスポンサー収入を得るだけでなく、ブロガーとしてネット中心で活動したり経営者となって仕事をこなす人など「マルチ化」は間違いなく加速するでしょう。 なかには事業家としての側面をあえて売り出すことで、新たなポジションを取りにいく芸能人も増えるかも……。本当に起業で儲けているのかアピールとしての起業なのか、見る側の目も試されてくるでしょう。 ■あわせて芸能界のコンプライアンス マルチ化とあわせて来年以降も注目なのが、芸能界の透明化です。今年は西内まりやさん(23)やローラさん(27)など、事務所との関係が話題になった人も増加。芸能界の暗黙のルールが明るみになり、注目を集めました。その根本には、今までの事務所と芸能人の力関係が崩れているのかもしれません。 ただこの流れを逆手にとった動きも、起きてもおかしくありませんん。たとえばいわゆる芸能界の永遠の謎である“枕営業”について実名告白して、名前を売ろうとする人が出て来ることも考えられます。とはいえ、芸能界はやはり憧れの世界であって欲しい。きな臭い闇は、個人的に見たいとは思えません……。 世間でも働き方や生き方には注目が集まっていますが、同じ流れが芸能界にもあったのが興味深かった2017年。「芸能人として売れれば勝ち組」という旧来の考えは、もう通用しないのでしょう。今年の流れを反映し、来年はどんなニュースがありどんな人が注目されるのか。みなさんと見ていきたと思います。 <2018年ニュース予想> ラブラブアピール芸能人が増加する!会社起業するタレント・俳優が増え、実業家タレント枠が激戦に!芸能界のコンプライアンス化が注目され、“枕営業”経験者が実名告白しだす!
2017年12月09日元AKB48で女優の篠田麻里子(31)が、12月9日公開の映画「ビジランテ」(入江悠監督)で悪女役に挑戦している。 劇中では夫役の鈴木浩介(43)と車中で愛し合う、自身初のラブシーンに挑戦。公開初日の舞台あいさつでは「2017年の仕事始めが、そのシーンだったんですよ。なかなかないですよね」と明かした。 「激しいラブシーンで、篠田さんもオファーが来たときは驚いたようです。撮影では入江監督からダメ出しをされて凹むこともあったようですが、AKB48の下積み時代から鍛えられた忍耐力で乗り越えたようです。もともとスタイルは抜群。演技に対する”本気度”が作品ごとに増しているようで、評価する声も多い。今後は女優としてますますの活躍が期待されています」(映画ライター) 撮影を乗り越えたことが自身につながったのか、舞台あいさつで篠田は「私たちの覚悟が詰まった作品です」と笑顔でPRした。 来年2月には初主演となる舞台「アンフェアな月」が上演を控えている。同作は篠原涼子(44)の主演でテレビ・ドラマ化された「アンフェアシリーズ」を初めて舞台化したもの。篠原のイメージが強い主人公・雪平夏見を演じるとあって、篠田は製作発表会見で「プレッシャーしかない」と苦笑していたが……。 「すでに頭の中は”舞台モード”に切り替わっています。ちなみに雪平は酒豪の役です。篠田さんはあまりお酒が飲めないそうですが、『来年の稽古が始まったら、しっかり飲んで役になりきります』と宣言。周囲を感心させていました。初日を迎えるころには、すっかり雪平になりきっているはずですよ」(舞台関係者) 今後も大きな仕事が舞い込みそうだ。
2017年12月09日「歌を始めたきっかけは母でした。私はちいさいころ、すごく人見知りをする子だったので、母が心配して、民謡教室に通わせることに決めたんです。5歳のときから、祖母といっしょに教室に通っていました」 こう語るのは、今年12月31日に放映される『第68回NHK紅白歌合戦』への初出場が決まった丘みどり(33)。出場歌手発表から約1週間後、丘の喜びの胸中と、これまでの歌手としての道のりを聞いた--。 「母自身も若いときに歌手を目指していたこともあり、歌に関してはとても厳しかったです。自宅でも稽古があり、ワンフレーズ覚えて歌えるようになったら、『眠ってもいいよ』と……。いわゆるスパルタ教育ですね。“一度始めたことはやめない”というのは、母から教わったことです。祖母も母も演歌が大好きでしたので、たくさんのコンサートに連れて行ってもらいました」 民謡教室での稽古の成果により、11歳のときに初めて出場したコンクール「兵庫県日本民謡祭名人戦」で、見事優勝。その後も数々のコンクールで優勝を果たし、「民謡の天才少女」と呼ばれるように。 地元の高校を卒業後、アイドルグループ「HOP CLUB」のメンバーとして芸能界デビューするが、「演歌を歌いたい」との思いからアイドル活動をやめ、音楽の専門学校で基礎から勉強し直すことに。その後、カラオケ番組に出演したことがきっかけでスカウトされ、’05年、20歳のときに再デビュー。だがデビュー翌年、実家の父から電話が……。 「母が大腸がんで、余命半年だというのです。ほかの場所にも転移していて、手術してもどうにもならないと……。母は私には元気そうにふるまっていたので、信じられませんでした。お仕事をお休みして、実家に戻り、つきっきりで母の看護をすることにしました」 そんな状態なのに、母は最後まで厳しかった。 「特に『お世話になった方々には、きちんと挨拶しなさい』とか、礼儀に関することはいろいろ教えてもらいました。少しでも長く母に生きてもらいたかったので、『私、絶対に紅白に出られるような歌手になるから。それまでちょっと待っていて』と母に言いました。母も『みーちゃんが紅白に出るまで頑張らなきゃ』と、言ってくれましたが、とうとう天国に旅立ってしまいました」 母の他界から10年後の’16年、丘は所属事務所を移籍し、活動拠点を東京に移した。するとキングレコードから発売された移籍第1弾シングル『霧の川』が7万枚を超えるヒットを記録し、オリコン演歌ランキングで1位を獲得。今年11月には、有楽町・よみうりホールで、ファーストコンサートも開催し、『佐渡の夕笛』や『雨の木屋町』などを熱唱している。 「会場には、父や祖母も駆けつけてくれました。再デビューから13年、ついにコンサートができたことで感無量でした。なにより、昔から応援してくれたファンの方たちが喜んでくださったのもうれしかったです。これまで私の歌手生活は、けっして順調ではありませんでした。今回“紅白出場”という大きな夢をかなえることができたのは、亡き母の言葉や、いままで励ましてくれた大勢の皆さんのおかげだと思います。本当に感謝しかありません。12月31日の本番で、泣かずにいられるか心配ですね。もちろん最後まで歌いきるつもりですが」 そして、丘はこう続ける。 「実は、母の形見の着物があるんです。母が成人式のときに着たもので、私がいつかステージで着られるようにと、リメークしてくれました。青い着物ですので、紅白では着られないのですが、近いうちに袖を通して歌う姿を天国の母に見せたいと思っています」
2017年12月09日「『紅白歌合戦』に出場できることを、さっそく兵庫県の実家で暮らしている父と弟に報告したのですが、最初は『またまたぁ~』とか笑って、全然信じてくれなかったんです。本当のことだと理解してもらうまで、すごく時間がかかりましたね(笑)」 そう話すのは、今年12月31日に放映される『第68回NHK紅白歌合戦』への初出場が決まった丘みどり(33)。丘は民謡教室での稽古の成果により、11歳のときに初めて出場したコンクール「兵庫県日本民謡祭名人戦」で、見事優勝。その後も数々のコンクールで優勝を果たし、「民謡の天才少女」と呼ばれるように。だが……。 「演歌コンサートに親しんでいたこともあり、自然と『将来は演歌歌手になりたいな』という気持ちが芽生えてきました。でも、どうしたら演歌歌手になれるのかわからなくて……。近所の書店でオーディション情報雑誌を買って、表紙をめくってすぐのページに掲載されていたオーディションに応募することにしたんです」 地元の高校を卒業後、アイドルグループ「HOP CLUB」のメンバーとして芸能界デビューすることに。 「漠然と想像していたのとは違い、歌のお仕事よりも、バラエティで体を張るようなお仕事が多かったですね。バンジージャンプをしたり、警察犬に追いかけられてプロテクターをつけた腕にかみつかれたり……。もちろん最初は楽しんでいましたが、『あれ?私、本当は演歌を歌いたかったはずなのに』と、自分の夢を思い出しました。アイドル活動をやめ、所属していた大阪の事務所に紹介してもらい、音楽の専門学校で基礎から勉強し直すことにしたんです。母は、『仕事を途中で投げ出すなんて』と、怒っていましたが、結局は専門学校の費用も出してくれました」 その後、カラオケ番組に出演したことがきっかけでスカウトされ、念願の演歌歌手として再デビューすることができたのは’05年、20歳のときだった。 「デビュー曲は『おけさ渡り鳥』。夢心地でしたが、なかなか思うようにはいきませんでした。『これ、衣装ね』と、差し出されたのは、ミニスカートでおヘソも出ている、すごく露出が多いものでした。演歌といえば着物と思いこんでいましたから、ショックを受けなかったといえば、ウソになりますね。その衣装を着て、イベントや営業に行くのですが、新人なので、お客さんは5人だけ、といったこともしょっちゅうです」 感想も歌よりも衣装のことばかり。 「『演歌をそんな衣装を着て歌うなんて、バカじゃないか!』と、言われて悲しい思いをしたこともありました。4歳年下の弟も友達に『お前の姉ちゃん、ヘソ出して演歌歌ってるやん』と、いじめられたそうで、申し訳ないやら、恥ずかしいやら……。正直、続けていくのは厳しいと思いました。ストレスで過食気味になって、いまより10キロも太っていたんです」 そんな丘をみまもりながらも、叱咤してくれたのが’06年に他界した母だった。 「『あなたが選んだ道なんだから、文句ばっかり言わずに、もっと一生懸命に歌のレッスンをしなさい!プロとしての意識が低すぎる。『やらずに後悔』よりも『やって後悔』の人生を送りなさい』。そんな母のことばで、私は踏みとどまることができたのです」 ’16年、丘は所属事務所を移籍し、活動拠点を東京に移した。するとキングレコードから発売された移籍第1弾シングル『霧の川』が7万枚を超えるヒットを記録し、オリコン演歌ランキングで1位を獲得。今年11月には、有楽町・よみうりホールで、ファーストコンサートも開催。そして、芸能界デビューから15年でついに夢舞台への出場が実現した。
2017年12月09日香港で撮影されたジャニーズ事務所公認『Sexy Zone カレンダー 2018.4-2019.3』(3月9日発売・光文社)の撮影裏側に本誌カメラが独占潜入。 この日は都内で出発前の衣装合わせ。着替えが終わった中島健人とマリウス葉がなぜかノリノリで踊っているかと思えば、松島聡や佐藤勝利が菊池風磨に寄り添ったりと、終始仲よしないいムード。 そこで、彼らに香港撮影への意気込みを聞きました! ■佐藤勝利(21) 「モンスターマンション(と呼ばれる密集したアパート群)ってカンフー映画に出てきそうで、楽しみ。アジア、行きたかったんです」 ■マリウス葉(17) 「おばあちゃんやお友達が住んでいるので、3回行ってます。ジャニーズ入る前だからずいぶんたってて。中国語もう話せないかも……」 ■松島聡(20) 「夜景がキレイだから見とけ、って友達に言われました。5人での旅がうれしいし、10代最後の海外を(※撮影時は松島19歳)楽しみたい!」 ■菊池風磨(22) 「初めての香港だから、ベタなところに行って、ベタなもの食べたいな(笑)。今回のカレンダーはめちゃめちゃ大人っぽく撮りますよ」 ■中島健人(23) 「香港は1回行ってるの、返還前に。2歳だったからうろ覚えだけど、ネオンがキラキラしてた。約22年ぶりに行くのがめちゃ楽しみ」 そんな彼らの香港での様子を、来週号からどんどん紹介していきます。お楽しみに!
2017年12月09日ヤクルト、阪神、楽天などで監督を務めた野村克也氏(82)の妻・野村沙知代さんが12月8日、都内の病院で死去した。享年85。 「サッチー」の愛称で親しまれ、タレントとしても活躍した沙知代さん。辛口な発言で知られていた彼女だが、私生活では克也氏を内助の功で支え続ける良妻だった。94年には「ナイスカップル賞」に選ばれ、克也氏とともに“球界のおしどり夫婦”と呼ばれていた。 克也氏はかつて女性自身09年7月21日号で、沙知代さんについてこう語っている。 「うちの奥さんは、家では何もしないように見えるけど、料理が得意でね。最近は、僕に対する愛情が冷めたのか、得意中の得意のローストビーフを全然作ってくれなくなったなぁ」 そうボヤく克也氏に対し、沙知代さんは「食べさせてあげるね、こんど。でも、子供たちがいたころは作りがいがあったけど……」と返答。すると克也氏は「ローストビーフは手が込んでいるから愛情を感じるんだよなぁ」と振り返っていた。 そのほか卵を使ったコンチネンタル朝食なども、克也氏の好物だった。沙知代さんは冷蔵庫にあるもので手際よく作ってくれることが多かったという。 「きのう(12月7日夜)も、レストランでいっしょに食事をした。本当に元気だったんだよ……」 妻の急逝を受けて、克也氏はそう語っている。最後まで沙知代さんと食卓をともにした克也氏。彼が愛してやまなかったのは、沙知代さんといっしょに食べる料理だった――。
2017年12月09日12月8日にこの世を去った野村沙知代さん(享年85)。辛口コメントとともに「サッチー」の愛称で親しまれたが、元プロ野球監督の野村克也氏(82)とは球界きっての“おしどり夫婦”として知られていた。 そんな2人が、女性自身09年7月21日号の対談でなれそめについて語っていた。夫婦漫才のような掛け合いのなかで明かされたのは、ふたりの“意外な出会い”だった――。 ■ 夫人あなたと出会ったのは70年(昭和45年)だけど、当時私は野球をまったく知らなかったから、最初「この人、何者だろう……」と思ったの。「お仕事は何をなさっているの?」と聞いたら、「雨が降ったら商売になりませんわ」と言うから、「ああ、工事現場の監督なのか……」と。ジバンシィのシャツを着ているから最近はあの業界も景気がいいのね、と思ったわ。 監督出会ったときは精神的にまいっていた時期でね。別れた前の女房とは話し合いの最中で、離婚届に絶対サインしないと言われて……。 夫人奥さんとは別居していましたからね。 監督だから帰る家もなくて、知り合いの家で寝泊まりしていた。離婚調停のまっただなかで、精神的に非常に弱っていたときに会ったから「世の中には、えらい活発な女性がいるもんやな」と思ったね。それと、名刺を見てびっくりしたよ。肩書に「取締役社長」と書いてあって。「どういう会社です?」と聞いたら、ボウリング関係の会社だ、と。当時はボウリングが大ブーム。すごい女性だなと思ったけど、ワクワクもドキドキもしなかったな。 夫人あら、そうなの? 監督若いコだったらワクワク、ドキドキしただろうけどもうおばさんだったからね。 夫人失礼ねぇ。あのときは、まだ37~38(歳)よ。 監督それが不思議な縁で結ばれて……。幸か不幸か。 夫人よく言うわよ(笑) ■ 結局、最後まで克也氏と寄り添い続けた沙知代さん。出会いからずっと元気づけてくれた妻について、克也氏は「いい奥さんでした」と語っているという――。
2017年12月09日「いま思えば、白血病の彼の淡々とした姿に、私自身の生きづらさがリンクしたんだと思います。彼も、本当の自分を後回しにしているように見えた。まわりに、とくに親にね、迷惑をかけないように頑張っているというか」 そう当時を振り返るのは、女優の東ちづるさん(57)。「お嫁さんにしたい」ともてはやされていた25年前。東さんが、たまたま自宅で情報番組を見ていると、画面に17歳の高校生が現れた。 「彼は白血病でした。私の故郷、広島の因島の男のコで、余命幾ばくもないかも、と」(東さん・以下同) 気になったのは、取材を受けている少年の、あまりにも淡々とした様子だった。 「なぜかすごく引っかかったんです。死を見つめているはずなのに、泣くでも怒るでもない。彼はどうして出演をOKしたんだろう。だって、全国ネットで自分の病気を公表するんですよ」 少年の本当の気持ちが知りたくて、「居ても立ってもいられなくなった」。連絡先を調べ、彼の自宅に電話。そんな衝動は初めてだった。 「じつは、あのころの私は、周囲の期待どおりに振る舞いながら、ひとりになると、わけのわからない焦燥感に押しつぶされそうだったんです。『生きていて何の意味があるんだろう』とか」 ――東さんは、1960年、広島県因島市(現・尾道市)に生まれた。造船関係の仕事をしていた父25歳、会社員の母21歳という若い共働き両親の初めての子どもだ。 「母は、子育て本を読みあさって、それはもう一生懸命に私を育ててくれた」 “女のたしなみ”として常に薄化粧をし、家族にも素顔を見せないしっかり者の母親である。幼い東さんは毎晩、本の読み聞かせをしてもらい、小学校に上がるころには、自分から2歳年下の妹に読み聞かせをした。 「母から『1番がいいのよ』『優しい子がいいのよ』『ちゃんとしなさい』と教えられて、子どもってやっぱり親に褒められたいですから、応えちゃうんですよ。そうしたら『いい子ね。つぎも頑張ろうね』って言われて、また頑張って」 教師たちからも一目置かれ、もちろん成績はずっとトップクラスだった。当時の東さんは、周囲の期待を感じてなんとなく教師を目指していた。しかし広島大学の教育学部を受験して失敗。その通知を受け取ったときの母親の言葉が忘れられない。 「母は、ボソッと自分自身につぶやくように言ったんです。『18年間の期待を裏切ったわねえ』って。それはとてもリアルで」 周囲からは浪人を強くすすめられたが、母親の言葉に何かが吹っ切れたのだろう。東さんは大阪の関西外国語短大に滑りこみ、都会の一人暮らしとキャンパスライフを謳歌。卒業後は、大阪ソニーに入社したが、スキーのインストラクターになろうと4年で退社。 ところが、飛び入り参加したオーディションに合格し芸能界入り。関西の番組リポーターとして飛び回る。そして’87年、27歳のときに『金子信雄の楽しい夕食』(朝日放送)で全国ネットにデビュー。2年後には『THE WEEK』(フジテレビ)の司会に抜擢されて上京し、複数のレギュラーを持つ売れっ子となった。 「とにかく忙しくて、本当の自分がどういう人間かなんてこともわからない。でも、例の『お嫁さんにしたい』と言われたころから、素の自分とのギャップを感じはじめたんです。私、違うって」 白血病の少年に連絡を取ろうとしたのは、32歳のそんなときだった。 《ちづるさん、どうか協力してください。骨髄バンクのことを多くの人に知ってもらいたいんです。啓発のためのポスターを作ってください》 少年の家に電話をしたとき、電話口に出た父親とは、さしたる話もできなかったが、その後、彼の妹から分厚い手紙が届いたのである。 「読んで、最初は無理だと思ったんです。私はノーギャラでいいけど、ポスターを作るには多くのスタッフの力やお金が必要です。でも、『お兄ちゃんに死んでほしくない。治療法はあるんです』という文面に動かされて」 東さんは仕事で親交のあるカメラマンなどクリエーターたちに声をかけた。すると、一流のプロたちが二つ返事で快諾してくれたのである。 「そのうえ、撮影スタジオ代や印刷代なども、みんなでカンパし合って、ポスターが完成したんですよ。この経験で私は、お金がなくても、利益や利潤につながらなくても、人は誰かのために動いてくれるということを知りました」 それはまさに、いまの東さんの活動の原点だった。以来25年、東さんが関わってきたボランティア活動・社会活動は多岐にわたる。「あしなが育英会」。障害者アーティストを応援する団体。3.11後は被災地支援に力を注ぎ、「世界自閉症啓発デー」では、国連が定めた癒しの色・ブルーで渋谷や原宿の街を染めるという一大イベントも仕掛けた。国内だけでなく、戦争で傷ついた子どもたちのリハビリを行う「ドイツ国際平和村」の支援もしている。 それにしても、なぜボランティアを続けるのだろう。ニコッと東さんは笑った。 「最初は『救いたい』とか「癒したい」と思っていたんです。でも、“上から目線”の自分の態度が気持ち悪くなってきて。続けていくうちに、『私が癒されてるんだ』と気づくんです。あるがままのみなさんと一緒にいると、私も素でいられる。居心地がいい。ということは、この活動を求めているのは私なんだ、と。そうしていくうちに、『私、なんかつまらない優等生をやってたな』と自分を振り返れるようになったんです。もっと言いたいこと言って、弾けるような子ども時代を送りたかったとか、大人の目を気にしてたな、とか……」 ボランティア活動のきっかけになった“白血病の高校生”と、東さんは対面を果たしている。訪ねてきてくれた彼は、幸い薬物療法が効いて健康を取り戻していた。「東さんは、たくさんの白血病患者の命の恩人です」。彼の言葉に、東さんもまた心からの感謝をこう口にしたという。 「あなたこそ、私の人生の恩人なんですよ」
2017年12月09日「わっ、バケモノ!」と毒づいた、女優で一般社団法人「Get in touch!」の理事長・東ちづるさん(57)に、「あ~ら、あ・り・が・と」と野太い声ですかさず切り返したのは、髭面にド派手なメークとウイッグ姿の女装詩人「ベアリーヌ・ド・ピンク」こと、長谷川博史さん(65)。電動車いすの上で情感たっぷりにしなをつくる。そんな2人のやりとりに周囲の人たちはどっと笑う。 12月10日に東京・品川プリンスホテルの「クラブeX」で開催される一夜限りのショー『平成まぜこぜ一座・月夜のからくりハウス』の全体ミーティングである。“悪徳座長”役の東さんをはじめ、演者たちの大半が集合。進行の打ち合わせが行われ、終盤には、本番さながらのメークと衣装のフィッティングが行われた。 演者の1人、長谷川さんは長年日本のゲイカルチャーを牽引してきたドラァグクイーンだ。25年前にHIV感染がわかったのち、「恥ずかしい病気だと思われたくない」と実名を公表したうえで講演活動を開始。この病気に対する偏見を打ち壊してきた。一昨年、糖尿病の合併症で右足を切断し、義足になる。 「長谷川さんの義足、マシンみたいでカッコいいよねえ」と、骨格むき出しの義足に東さんが見惚れると、長谷川さんは「足だけじゃなく、ほかも見せたほうがいいかしら~」と、ニヤリと笑う。 苦笑しながら東さんの視線は、髪をセット中の佐藤ひらりさん(16)へ。東さんに「あ、ひらりちゃーん!そのウイッグ、かわいいねえ」と呼ばれた佐藤さんは、声の出どころを探して首を伸ばし、よくとおる声で「ありがとうございます!」と答えた。彼女に東さんの姿は見えない。 佐藤さんは、生まれつき全盲のシンガー・ソングライターである。5歳からピアノを始め、12歳でニューヨーク・ハーレムの音楽の殿堂・アポロシアターに挑戦。見事、アマチュアナイトのウイークリーチャンピオンに輝いた。 この日の彼女のウイッグは、とぐろを巻いた明るい茶髪。東さんの「ひらりちゃんの頭、うんこみたいで、ホントかわいい!」というぶっ飛んだ発言に、皆またも爆笑。佐藤さん自身も、付き添いの母親まで屈託なく大笑いだ。 『月夜のからくりハウス』の出演者のほとんどは“障害者”である。脊髄性筋萎縮症のため顔と左手親指以外は動かない「寝たきり芸人」、骨形成不全症の「身長100cmのコラムニスト」、先天性脊椎側彎症・二分脊椎症の「義足の女優・ダンサー」、ろう者でLGBTの「手話漫才師」、小人症の「日本で一番小さい手品師」……。 長年、ボランティア活動を続けている東さんだが、今回、「Get in touch!」でつくり上げる舞台は、障害という個性のある表現者たちのエンタテインメントだ。 《障害者を見せ物にするのか》 そんな批判も聞こえてくるが、東さんは意に介さない。 「そういう人には『はい、そうですよ』と答えます。『もう、最高に上等な、クオリティの高い見せ物にします』って」(東さん) ほがらかな笑顔に力みはない。長谷川さんが言う。 「障害者をこれだけ集めて見せ物にするってこと自体、僕たちからしたらすごくカッコいいですよ。ドラァグクイーンには、『男でも女でもない、特別な存在になってあげるわよ!』という開き直りがあって、わざと蓮っ葉な女のふりをするんですけど、たぶん東さんはね、同じようなメンタリティを持っているんです」(長谷川さん) 関心を持ってほしくて東さんは知恵を絞る。『月夜のからくりハウス』のコピーは刺激的だ。 《見世物小屋のドキドキ感が復活!》 「テレビ画面や一般の舞台で彼らのことを見慣れていないから、現実の社会でも見て見ぬふりをされて、街に出にくいから、ますますいないことになる。この悪循環をなんとかしたいんです」(東さん) 障害者が登場する舞台を「けしからん」と怒る人には、無自覚な差別意識があるのではないかと東さんは言う。演者の1人、佐藤ひらりさんの母親・絵美さん(43)も同意見だ。 「娘も私も、『日本のスティービー・ワンダーを目指す』って勝手に言ってるんですけど(笑)。そのためにも、見てもらってナンボなんです」(絵美さん) ちなみにチケットは公演の2週間前に完売した。 「この『月夜のからくりハウス』には弱者は一人も出ていません。皆が対等な立場で舞台に上がって、チケット代をきちんといただいて、彼らにきちんとギャラをお支払いする。そういう舞台です」(東さん) この舞台の先に、東さんが目指すのは――。 「色とりどりの人たちが街に、ごく普通にいる社会。それはきっと誰にとっても居心地のいい社会だと思います」(東さん)
2017年12月09日「細かいことの後先を考えずにまっすぐ進むところが藤吉の魅力であり、かっこいいところだと思います」 NHK連続テレビ小説『わろてんか』で演じる藤吉の魅力をそう語るのは、松坂桃李(29)。長年の夢であった寄席の経営に乗り出した藤吉とてん(葵わかな)。若き寄席経営者として奮闘するヒロインの夫・藤吉は、思い込んだらまっすぐな性格で、まわりを巻き込みヒヤヒヤさせる一面も。 「気持ちのぶつけ方もストレートで見ていて気持ちがいい。僕が怖くてできないようなことも、彼は跳ねのけていく強さと勇気がある。そこは男としてかっこいいと思いますね」(松坂・以下同) たしかに藤吉は大胆で決断力がある人。松坂自身はそんな藤吉をうらやましく思っているのだとか。自身と重なる点についてたずねると、こんな返事が。 「似ているところを探してみたんですけど、なかなかなくて、うらやましいなと思うことのほうが多いです。彼のまっすぐな行動力と気持ちというのは自分にはないもの。僕はけっこう迷ってしまうことが多くて。藤吉のようにストレートに行けたら、人生を謳歌できるんだろうなって」 ドラマのテーマとなっている“笑い”。自分にとって笑いとは?と最後に聞いてみた。 「笑いは心の薬みたいなもの。嫌なことや悔しいことがあっても、笑うと、凝り固まってしまった気持ちが解きほぐされる。藤吉とてんは笑いを提供することで、多くの人の心の医者になろうとしているのかなと思いますね」
2017年12月09日元プロ野球監督の野村克也氏(82)の妻・野村沙知代さんが12月8日、亡くなった。85歳だった。 歯に衣着せぬ物言いや浅香光代(89)との“ミッチーvsサッチー”騒動など、お騒がせタレントとしても親しまれていた沙知代さん。『悪妻こそ、良妻』『夫の転がし方』といった著書を出版するなど、恐妻キャラとしても知られていた。 いっぽう1994年には「ナイスカップル賞」に選ばれるなど、“球界のおしどり夫婦”と呼ばれた野村夫妻。2009年7月には、夫婦そろって本誌での対談取材に応じていた。そこでは恐妻ぶりとともに、沙知代さんの本音が――。 「ときどき僕の携帯電話を壊すのがたまにきず」 対談で沙知代さんの“恐妻ぶり”をこうボヤいた克也氏。これに対し沙知代さんは「私に内緒で買うから」と憤慨。克也氏が内緒で買った携帯電話をたまたま見つけたところ電話が鳴り、女の声がしたために電話を折って庭に捨てたという。 「いま持っている携帯電話は6台目。ものすごい力でバチン、グシャとやるからね。すごいやきもちというか……」 そんな克也氏のボヤきにも「やきもちじゃなくて、不愉快なのよ!」とサッチー節で一蹴していた。あきれた克也氏が「僕のどの辺にひかれているわけ?」と聞くと、沙知代さんは「何もひかれてないわよ」と跳ねのける。だがその後で「健康で、よく働いてくれるところね。一家の主は健康で、よく働いてくれる――これが奥さんにとっては最高のプレゼントだから」とも答える優しさもあった。 そして沙知代さんはこうも語っていた。 「男の人は休んじゃだめだから。死ぬまで体を動かして、働いていないと!人間は呼ばれているうちが華なのよ。声がかからなくなったらおしまいなの。そうならないよう、死ぬまで呼んでもらえるように私も頑張るから、あなたも頑張ってくださいね」 その言葉通り、克也氏は82歳となった今でも「S1」(TBS)などスポーツ番組の解説者として活躍している。最期まで「悪妻こそ、良妻」を貫いていたに違いない――。
2017年12月09日12月8日発売の「FRIDAY」(講談社)で、女優の水川あさみ(34)と俳優の窪田正孝(29)が同棲中であることを報じた。 2人は7月クールの連ドラ「僕たちがやりました」(フジテレビ系)で共演。共演者同士で食事に行くうちに仲良くなり、秋ごろから交際&同棲をスタートさせたという。 もともと水川が住んでいたマンションの家賃40万円は窪田が支払い、窪田の愛車でドライブデートとしているとのこと。すでに“夫婦”のような生活を送っているようだ。 「水川さんは若いころからかなり結婚願望が強く、交際は結婚が前提。交際相手ができるととにかく相手に尽くし、仕事よりも恋愛優先になってしまいます。今回はまさに水川さんの望む形で恋愛をスタートさせたようです」(テレビ局関係者) 水川といえばかつて俳優の小出恵介(33)と交際。14年秋には大東駿介(31)との交際が発覚。大東とはゴールイン寸前と言われていたが、窪田との交際前に破局していたようだ。 「小出さんのときも大東さんのときも、水川さんは結婚について具体的に話し合っていたようです。しかし2人とも役者としてステップアップを目指していたので、ゴールインとはなりませんでした。2度の“挫折”を経験した彼女は、仕事に打ち込むべく独立して個人事務所を設立しています。今回は同棲していることからも手ごたえがありそうですが、窪田さんは売れっ子。最後まで気が抜けない状況でしょう」(前出・テレビ局関係者) 果たして、水川の思い通りにことが運ぶのだろうか。
2017年12月08日12月8日、草なぎ剛(43)が公式Twitterを更新。オートレーサーの森且行(43)への祝福コメントを投稿し、Yahoo!リアルタイム検索に「森且行」が上位にランクインし話題を集めている。 草なぎは自身の公式Twitterに「森且行さん。森君。600勝おめでとうございます!おめでとう」と投稿。森は11月17日に川口オート第10R準決勝で勝利し、通算600勝を成し遂げている。 草なぎは森へのメッセージの前、この日誕生日である稲垣に対して「稲垣吾郎さん。お誕生日おめでとう!」とのメッセージも送っている。それに合わせて、森にも祝福コメントを送ったとみられる。 これに対しファンは、「森くん!おめでとうお祝いいっぱいだ!」「つよぽん、教えてくれてありがとう。森くんおめでとう!嬉しいなあ」「森君。600勝おめでとう!」「森くん600勝すごいです。おめでとうございます。吾郎さんの誕生日プレゼントにも重なりましたね」と祝福コメントを送っている。
2017年12月08日「今からミリオンヒットを飛ばしてやろうか、なんていう気持ちは正直言ってございません(笑)。シングルを出して、テレビや雑誌に出させてもらえている今がベストなので、この状況を40周年でも迎えられることが理想かな」 デビュー37年目を迎え、歌手としてますますの円熟味をみせるマッチこと近藤真彦(53)。最新シングル『軌跡』は、所属事務所社長・ジャニー喜多川氏が彼の曲に初めてタイトルを付けたことでも話題を呼んでいる。そんな新曲にかけて、これまでの歩みにおけるターニングポイントを振り返ってもらった。 ■ジャニーさんの目に留まって、それまでの人生が一変 「13〜14歳のある日、ジャニーズ事務所から電話がかかってきたことで僕の人生はひっくり返りました。デビュー後は、家族も親戚も、田舎の町中が大騒ぎに(笑)。もしジャニーさんが僕の履歴書の小さな写真を見つけてくれなかったら、今ごろ何をしてたのかな」 ■ムードや色気を帯びるように……『愚か者』から曲作りが変わった 「『愚か者』までは“手を上げてみんなで踊ろう”みたいな歌を歌ってきたけれど、だんだんとムードや色気を意識した大人っぽい曲をいただくように変わっていった。その後は、またにぎやかな曲をリリースしたりと、時代によってさまざまな歌を歌ってきましたね」 ■人としての成長のチャンスをくれた歌とレースの“二足のわらじ” 「レーサーの経験は、レースという芸能とはまったく別の社会を見られたことが僕にはよかったんだと思う。芸能の仕事だけでは性格的に行き詰まってしまっていたんじゃないかな。いろんな人と出会い、話を聞かせてもらったことで社会人として成長させてもらえました」 ■ファンの反応に泣きそうに……25周年、武道館での感激 「25周年を迎える前は、仕事に対してどこにも軸足がないような居場所のなさを感じていました。それが25周年のときに日本武道館でコンサートをやらせてもらったことで、僕の歌を待っていてくれたたくさんの存在を目の当たりにして、歌うことへの思いが変わりました」 ■35周年から40周年へ……キャリアを重ねて見えた“僕が歌う意味” 「ランキングや売上げ枚数などの数字的な結果ということよりも、歌やラジオを聴いた人がちょっとでもエネルギーが出たり、笑顔になってくれることが今はうれしい。その場にいない相手に対して発したメッセージが、誰かに届いてくれたとしたら、それが僕の結果かな」 ジャニーズ事務所所属の最年長アーティストとして、常に道を開拓してきたマッチ。「デビュー40周年」には、どんな姿を見せてくれるのかーー。
2017年12月08日「53歳になった今の僕に、ジャニーさんが何を思うのかを聞いてみたい。ふと、そうひらめいたのが、今回のシングルが生まれたきっかけです」 こう語るのは、デビュー37年目を迎え、歌手としてますますの円熟味をみせるマッチこと近藤真彦(53)。最新シングル『軌跡』は、所属事務所社長・ジャニー喜多川氏が彼の曲に初めてタイトルを付けたことでも話題を呼んでいる。そんな新曲にかけて、これまでの歩みを振り返りながら、歌にかける思いを聞いた。 「当初、ジャニーさんには作詞をお願いしたんです。それは時間的に難しかったけれど、タイトルと歌詞のテーマをいただけることになって。ジャニーさんからは『年齢的にも、一度人生を振り返ってもいい時期。これまで歌手とレースの二足のわらじを履いて走ってきたマッチだから、車偏の付く“軌跡”をテーマにしたらいいよ』と言ってもらいました」 重厚なタイトルとは対照的に軽やかなサウンドは、山あり谷ありの芸能生活を乗り越えてきた現在の心境を表現しているのだろうか。 「僕は15歳のころからこの仕事をしているんだけど、これまでいいこともあれば悪いこともあった。むしろ悪いというか、つらいことや失敗のほうが多かったんじゃないかなあ。今の僕を見て、『好きなことをして、いい人生を送ってきたんでしょ』、と言われることもよくあるんですけど、実際そうでもなくて。歌もテレビも、レースにしても、いいところは見てもらえるけれど、そうじゃない部分ってこちらも見せないですから。これでいて、けっこう大変なんです(笑)」 ’80年のデビュー曲『スニーカーぶる〜す』は初登場でいきなりヒットチャート1位を獲得。誰もがうらやむ鮮烈なデビューに見えるが……。 「僕の時代は今のジャニーズのコたちと違って、歌やダンスのレッスンをみっちり積んでいる時間なんてなかった。ろくにレッスンも受けずにデビューしてすぐに“新人賞”でしょ。当然、まわりからは“あいつは演技が下手だ”“歌がダメだ”と陰口をたたかれて……。そりゃそうですよ、だってなんの勉強もしていないんだもん(笑)。デビュー後は、人気に伴う実力をつける努力をしながら人気者の自分を追いかける日々、正直言ってメチャメチャきつかったです。世間からはやんちゃというイメージをもたれてきたけど、自分ではあまりピンときてなくて。例えば『この赤い服を着て』と言われたら、そんなの無理だなんて文句は言わず、黙ってやるタイプ。それは昔も今も同じです」 彼の“やんちゃ”というイメージを増幅させたのは、前代未聞の“歌手とレーサーの両立”も大きい。 「たしかに、歌手をやりながら、片方でレースもやるって普通はありえないですよね。スペシャルな立場を与えてくれたことを、ジャニーさんにも、事務所にもとても感謝しています。もちろん『どうぞ好きなことをやってください』ということではまったくないので、できるかぎり事務所に迷惑をかけることのないようにやってきて。今回ジャニーさんから『軌跡』というテーマをもらえたことで、少し僕の“二足のわらじ”を認めてもらえたのかな、とうれしく感じました。ジャニーさんって、先のことを考えている人。常に、後ろにいるコを見て“あのコとあのコとあのコでグループを組ませたらいい”ってことを考えている。このコは伸びる、と人を見抜く力は本当にスゴイ」
2017年12月08日タレントのヒロミ(52)が12月8日、自身の公式ブログを更新した。7日にフジテレビのバラエティ番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』が来年3月に終了すると番組内で発表されており、番組終了について心境を語った。 ヒロミは、「残念」と題したブログを更新。「昨日、『みなさんのおかげでした。』のオンエアでとんねるずの二人が3月いっぱいで番組終了を伝えるお二人らしい告知」と前日の番組での発表にふれ、「話は聞いてはいたが正式に発表されると残念しかない」と胸の内を明かした。また「近くで見て来ただけに終わるのは残念だけど30年以上も続いた『みなさん』は本当に凄い番組だ」と称賛した。 7日に放送された『みなさんのおかげでした』ではエンディングで共同テレビ・小港浩一社長に扮した木梨憲武(55)と、石田弘・番組エグゼクティブプロデューサーに扮した石橋貴明(56)が登場。コント仕立てで番組の終了を発表した。 これに対しファンは「みなさんのおかげでしたが終わってしまう。とても悲しいです。ヒロミさん、また番組出て盛り上げて下さい」「たまにスペシャルやって欲しいです!」「スマスマも、いいともも、みなさんも、めちゃイケも、ホントに心から楽しそうで、見てて楽しかったです」「同世代でずーと見てきた番組なので本当に終わってしまうんだと思いました。残念です」など番組を惜しむ声があがっている。
2017年12月08日大竹しのぶ(60)が11月22日にリリースしたアルバム「ち・ち・ち」。その中の1曲が話題を呼んでいる。 「キライナヒト」と題されたその曲に“ツッコミ”で参加しているのは、大竹の夫だった明石家さんま(62)。離婚から25年経った元夫婦2人による、異例のデュエットが実現しているのだ。 全編で、大竹とさんまの掛け合いが展開されるこの楽曲。大竹が「あなたは自分のギャグ見て笑う」と歌い、さんまは「おい、殺虫剤オレにかけたことあったよな?」「信楽焼のたぬき100枚買うてきたよな、あれどこやった?」とボヤき続けるという、夫婦時代のエピソードの満載の1曲となっている。 この楽曲ができたきっかけは、7月に開催された大竹の還暦記念パーティー「大竹しのぶと60人の男たち」。作詞作曲したのはこのパーティーに招待されたシンガーソングライターの高橋優(33)で、大竹とさんまが繰り広げた漫才さながらのトークを聞いて書き上げた。 仮歌を聞いた大竹は、さんまに共演を打診。レコーディングは打ち合わせもなしの1回きりで、掛け合いは全てアドリブだったという。 アルバムの発売前後からラジオでのオンエアが続き、twitter上では《最高、聞いてて笑っちゃう》《こうゆう関係性ってなんかいいなって思える曲》と大反響。さらには《もうボロボロ泣ける》《今年の泣ける曲オブザイヤー》という声も。コミカルでありながら胸にせまる掛け合いに、感動の声が上がっている。
2017年12月08日「今年もとんでもなく緊張しますが、色んな想いを受け止めて、しっかりとあの場に立てるように、楽しい空間となるように、精一杯臨みたいです」 今年のNHK紅白歌合戦で司会を務める有村架純(24)。2年連続の抜擢を受け、自身のInstagramでこう胸中をつづっていた。 今年1月からはNHK朝ドラ「ひよっこ」でヒロインを務めるなど、大役続きの有村。その重圧をはねのけて活躍する陰には、”肝っ玉母の教え”があるという。 兵庫県に生まれ、両親と姉の4人家族で暮らしていた有村。だが両親が離婚したため、有村らは母のもとで暮らすことに。母は女手ひとつで娘たちを育て上げたという。有村は雑誌のインタビューでこう語っている。 《母は一人で働きながら、私と3歳上の姉を育ててくれました。仕事で忙しくしていても、お料理や掃除はいつも完璧。気の休まる暇もないのではと、時々心配になるくらいです》(『婦人公論』14年2月7日号) 決して豊かではなかった母子生活。そんななか女優の道を志した有村は高1から週6でアルバイトを開始。平日は学校が終わりに4時間、休日は10時間働くド根性ぶりをみせていた。勤めていたそば店の店主は、本誌にこう語っている。 「彼女はちょっとのことでは仕事を休みませんでした。そういえば、血まみれになっても出勤してきたことがありましたね。どうしたのかと聞いてみると『自転車で転んだだけです。へへへ……大丈夫ですよ』と笑って働こうとするんですが、膝から下が真っ赤に染まっている。さすがにこの日は強制的に家に帰しました」 そうして上京資金を貯め、高2で芸能界デビューを果たした有村。現在に至るまで大役を次々と務め上げる彼女を支えているのは、“肝っ玉母”のこんな言葉だという。 「自分がやりたいことがあるなら思い切りやりなさい。たとえつらくても、頑張っていればいつか花は咲くから――」
2017年12月08日漫才No.1決定戦「M-1グランプリ」で審査員を務めた博多大吉(46)が12月6日、TBSラジオ「たまむすび」のラジオクラウド特別配信で自身のM-1での審査を振り返った。 番組冒頭で自身がレギュラーを務める生放送とは別枠であえて収録番組を配信したことについて、「生放送だと慌てちゃう、というのもあるし。でもやらないわけにはいかない。こういう時間は大事だと思う。なんでこの点数を付けたのか、とか」と語った大吉。 その言葉通り、時間に囚われず1組目のゆにばーすから10組目のジャルジャルまでリアルタイムで感じたことを織り交ぜながら、自身がつけた点数の理由を丁寧に解説した。 10組の最初のネタと点数について解説を終えると、話題はいよいよ「激戦」と言われた和牛・ミキ・とろサーモンの最終決戦に。 「M-1グランプリ」当日では、和牛ではなくとろサーモンに入れた理由について「つかみが一番早かった」とコメントしていた大吉。しかし「テレビでは言いづらいと思ったから言わなかったけど」と、とろサーモンにはもうひとつ勝因があったことを明かした。 その勝因とは――。 「どっちが爆笑のまま終わったかと言うと、とろサーモンなんよ。和牛は爆笑の後もうひとくだりあるの。その差なんね」 とろサーモンの「続行!」と漫才を終わらせないというボケを反則とは言いつつも、笑いのなか逃げきったことを評価した。 大吉はデビューしたころから「漫才師にとって一番大事なのは最初と最後だ。誰よりもお客さんを笑わす。で、空気を作って爆笑で終わらせる。これが漫才師にとって一番大事なものだ」と言われていたという。 最終決戦のネタで、この価値観に合っていたのがとろサーモンだったのだ。 だが「こんなたられば言っても仕方ないけれど」と付け加えて「もし和牛のネタが逆やったら、最後にウェディングプランナーがステージにぱーんと飛び出してたら、俺は文句なしに和牛で入れてる。あんな見事な終わり方ないもん」と和牛の一本目を讃えた。 35分に及ぶ、大吉の一連の丁寧な解説に、《プロは見るところ違うんだなやっぱり》《ラスト数分鳥肌立った!》《M-1見た人全員聞いてほしい》とお笑いファンからは絶賛の声が上がり、この放送を受けてのM-1グランプリの感想ツイートも増えている。 今年の“激戦”の熱は、まだまだ冷めやらなさそうだ。
2017年12月08日12月1日の「2017ユーキャン新語・流行語大賞」で「インスタ映え」が大賞に選ばれるほど、人気となっている写真共有SNS「Instagram」。そんな“インスタ時代”にもっとも愛されている人、それはおそらく叶姉妹だろう。 現在、フォロワーは32万7千人。これだけでもすごいが、数字だけならもっと多くのフォロワーを抱えている芸能人もいるだろう。だが注目すべきはその“密度”。Twitterでは彼女たちのインスタについて“崇拝”ともいえるほどのコメントが溢れているのだ。 《ハァ~~~~ン今日も叶姉妹のインスタが尊い》《人生で知っておくべきことは、全て叶姉妹のインスタに書いてあった》《叶姉妹のインスタ徳が高すぎる》《叶姉妹のインスタに救われてる》《叶姉妹のインスタ見たあとガチャ引くと当たり出るらしい》 なぜ、叶姉妹はこれほど熱烈なファンを獲得できるのか。その理由は彼女たちとインスタとの親和性にあるという。 「インスタは言うまでもなく写真のキレイさが重要。みんながこぞって“セレブできらびやかな写真”をアップしようとしています。しかし彼女たちは普段からお城のパーティから出てきたようなゴージャスさがあり、常人離れしたセクシーさも持ち合わせています。つまり、叶姉妹という存在自体が“インスタ映え”するのです」(ファッション関係者) たしかにネット上では《叶姉妹!!インスタ映えハンパない》《インスタ映えを考えなくても絵になる叶姉妹》《叶姉妹をフォローするためにインスタをやるべき》など、叶姉妹のためにインスタが存在するかのような絶賛コメントが上がっている。 「彼女たちのインスタは、投稿コメントが美しいことでも知られています。ものすごく長い文章を投稿することもありますが、人生の格言や新しい気づきにあふれています。その“深い”価値観がファンをさらに惹きつけているようです」(前出・ファッション関係者) 最近ではコミケでも絶大な人気を博している叶姉妹。そう考えると、“時代が叶姉妹に追いついた”ということなのかもしれない。
2017年12月08日「すでに兵庫県、大阪府、鹿児島県、滋賀県などでは自転車保険加入が義務化されています。背景にあるのは、自転車事故による損害賠償額が、場合によっては“超高額”になってしまうことなんです。とくに’13年に兵庫県で起きた事故は、自転車保険を意識させる大きな出来事だったと思います。当時小学5年生の少年が、夜間走行中、62歳女性に正面衝突。女性は頭蓋骨骨折の重傷で、一命は取り留めたものの、意識が戻らなかった。女性への損害賠償額は、9,521万円。子どもの起こした事故のため、監督責任のある母親に賠償命令が神戸地裁から下されました」 そう話すのは、生活経済ジャーナリストの柏木理佳さん。埼玉県は今年10月、自転車保険への加入について、これまでの努力義務から義務に引き上げる条例を公布した。施行は来年4月からされる。同じく京都府でも、自転車保険の加入が義務化されることになった。挙げた賠償額は、現実離れした額に思えるかもしれない。しかし、自転車事故は、乗る人なら誰もが起こすリスクがあるのだ。 「朝、ぎりぎりまで子どもがぐずって保育園に急いで自転車を飛ばすママさんや、仕事帰りに夕飯の買い出しに追われる主婦でも加害者となりうるため、“まさか”に備える必要があるのです」(柏木さん) では、自転車保険に入るまえに知っておくべきことは何だろうか。柏木さん、ファイナンシャルプランナーの風呂内亜矢さんに教えてもらった。 【ポイント1】「個人賠償責任保険」の重複加入に注意! 一般的に販売されている自転車保険とは、自身に対する「死亡保障」や「入院保障」と、事故を起こした場合に被害者への補償に充てる「個人賠償責任保険」という保険がパッケージ化されたもの。個人賠償責任保険については、“知らない間に加入していた”という人も多いのだ。 「クレジットカードに年間費数千円で付加しているので、加入している人も多いはずです。また、自身に覚えがなくても火災保険や自動車保険に組み込まれていたり、マンション住まいの場合は管理組合で各種保険に加入していることもあります」(柏木さん) 【ポイント2】月額数百円で加入できる商品が多数 具体的な保険商品について、風呂内さんはこう語る。 「『au損保:自転車向け保険 Bycle』は、『本人タイプ』、家族で入れる『家族タイプ』などのコースがあり、どのコースでも個人賠償責任の上限額が2億円以上という特徴があります。『本人タイプ』で個人賠償責任保険の上限額が最大2億円の商品は、月額360円です。また、『東京海上日動:ネットでeジョー「eサイクル保険」』は、条件次第で本人タイプ・個人賠償責任保険無制限が、月額170円という低価格に抑えられます」(風呂内さん) 【ポイント3】自転車そのものにかける保険も 2で挙げた商品のように、個人に保険をかけるのではなく、自転車そのものに保険をかけるものもある。それが、自転車店などで、自転車安全整備士による点検整備を経て受け取れる「TSマーク」だ。 「このマークには、1年更新型の賠償責任保障が組み込まれています。個人向けの商品との違いは、TSマーク付きの自転車に乗っていれば自転車保険に加入していない場合でも補償の対象になる点。マークには青色と赤色の2種類があり、それぞれ補償内容が異なります。相手側が死亡、重度後遺障害を残した場合の賠償責任補償の上限が、青色1,000万円、赤色は1億円です」(柏木さん) 【ポイント4】自転車の受け取りは自転車店で! 最近では、ネットで気軽に自転車を購入する人も多い。しかし、商品の受け取りは、あえて近所の自転車店で行ったほうがよいと柏木さん。 「店頭では安全上の注意や、条例のこと、自転車保険に関しての説明も、きっとしてくれるはずです。保険加入も含め、自転車事故への備えを考えるきっかけにしましょう」(柏木さん) 【ポイント5】保険金が下りないケースも 「当然のことながら、けんかや、嫌がらせなど故意による事故は対象外です。また、飲酒運転や『幼児2人同乗基準適合車』ではないのに子どもを同乗させるなどの“法令違反”を犯していた場合、保険金が支払われないことになるでしょう」(柏木さん) ひとたび事故を起こせば、高額な賠償額を前に、“事故破産”にもなりかねない自転車事故。加入している人も、これから検討するという人も、まず相手を思いやった“安全運転”を心がけよう。
2017年12月08日「全国平均で、自転車が関わる人身事故は交通事故全体の約2割。ですが埼玉県は3割と高く、自転車事故が多い県と言えます。にもかかわらず’16年の県内調査では、自転車保険の加入率は45%と半数以下にとどまっていたため、加入の義務化に踏み切りました」 そう語るのは、埼玉県・県民生活部の職員。埼玉県は今年10月、自転車保険への加入について、これまでの努力義務から義務に引き上げる条例を公布した。施行は来年4月からされる。同じく京都府でも、自転車保険の加入が義務化されることになった。 生活経済ジャーナリストの柏木理佳さんは、自転車保険における都道府県の取り組みについてこう語る。 「すでに兵庫県、大阪府、鹿児島県、滋賀県などでは自転車保険加入が義務化されています。背景にあるのは、自転車事故による損害賠償額が、場合によっては“超高額”になってしまうことなんです」 日本損害保険協会のホームページによると、次のような判例が出ている。 【ケース1】賠償額9,266万円 男子高校生が自転車で歩道から車道を斜めに横断した際、対向車線から自転車で直進してきた24歳男性会社員と衝突。男性会社員には言語機能の喪失等重大な障害が残った。(’08年・東京地裁判決) 【ケース2】賠償額6,779万円 男性がペットボトル片手に下り坂を猛スピードで走行。交差点に進入した際、38歳の女性に衝突。女性は脳挫傷で3日後に死亡。(’03年・東京地裁判決) こうした事件が後を絶たない、と柏木さんが続ける。 「とくに’13年に兵庫県で起きた事故は、自転車保険を意識させる大きな出来事だったと思います。当時小学5年生の少年が、夜間走行中、62歳女性に正面衝突。女性は頭蓋骨骨折の重傷で、一命は取り留めたものの、意識が戻らなかった。女性への損害賠償額は、9,521万円。子どもの起こした事故のため、監督責任のある母親に賠償命令が神戸地裁から下されました」 兵庫県では、全国に先駆けて’15年10月に義務化をスタートさせている。同県の県民生活局の職員に話を聞いてみた。 「交通事故件数は減っているものの、人対自転車の事故は’13年までの10年間で1.9倍増。事故に遭われた方がすみやかに賠償を受けられるためにも、保険加入義務化の声は上がっていたんです。’13年には24.3%だった加入率が、’16年に義務化してからは60%、’17年には64.7%に増えました」 先に挙げた賠償額は、現実離れした額に思えるかもしれない。しかし、自転車事故は、乗る人なら誰もが起こすリスクがあるのだ。 「朝、ぎりぎりまで子どもがぐずって保育園に急いで自転車を飛ばすママさんや、仕事帰りに夕飯の買い出しに追われる主婦でも加害者となりうるため、“まさか”に備える必要があるのです」(柏木さん)
2017年12月08日「10代、20代のファッションリーダーな女性芸能人がこぞって通う鍼灸サロンがあるんです。ゴッドハンドの院長が経営する店で、撮影やライブといった大事な仕事の前後に駆け込んでは、施術を受けています」(美容ライター) 元AKB48の高橋みなみ(26)や峯岸みなみ(25)、モデルの三戸なつめ(27)ら若い女性芸能人が通っているという。 「峯岸さんは自身のツイッターで『美容鍼で小顔になった!』と大喜び。月に2回も通っているそうです」(前出・美容ライター) しかし、鍼灸院といえば中高年世代が通うイメージ。なぜ彼女たちが――? 「若い子たちの間で、顔に鍼をさした状態で写真や動画を撮り、SNSにアップするのが流行っているんです。ハリネズミみたいで“インスタ映え”するというのが人気の理由みたいです(笑)」(前出・美容系ライター) 実際、きゃりーぱみゅぱみゅ(24)もこの鍼灸サロンで撮った施術中の写真をハリネズミ風に加工してアップしていた。 さっそく、そんな鍼灸サロンに本誌の女性記者も体験に行ってみることに――。電話予約を試みたところ、指定されたのはなんと2週間後!電話で指定された住所を訪れると、サロンは都心の駅からほど近いマンションの1室にあった。表札も看板もない“隠れ家”感が芸能人にも安心なのだろう。店内は南国リゾートっぽいインテリアがおしゃれで、漂うアロマの香りも心地よい。飾り棚には有名人の直筆サインがずらりと並ぶ。藤田ニコル(19)は『大好き!』とメッセージを添えていた。 予約した初回の体験コースは、40分で5980円。会員価格は60分8900円で、意外にもリーズナブル。まず、カウンセリングシートの記入を済ませて別室へ移動。女性スタッフに「施術直後から小顔効果が実感できますよ」と説明された。 ベッドに仰向けになり、施術開始!顔のマッサージから始まり、アゴ周りやこめかみなどを力強く揉まれる。鍼を打つ前に顔全体のリンパの流れをよくすることで、より一層小顔効果が期待できるそうだ。マッサージが終わり、いよいよ鍼をさしていく。最初は怖がっていた記者だが、まったく痛みはなし。むしろ適度な刺激が気持ち良い。30本ほど打ってから15分待ち、最後に目の周りのマッサージを受け、40分のコースが終了。 鏡を見ると、はやくも目がパッチリし顔全体がすっきり!気になっていたあごのたるみが消え、頬骨の位置もあがって見える。しかも肌がしっとり&ツルツルに。あまりの効果に驚いて次の予約をとろうとしたが、残念ながら2カ月後までびっしり埋まっているという。 実は、今回施術してもらったのは若いスタッフの鍼灸師。それでもこの効果だから、院長の鍼にはどれほどの“小顔効果”が――。
2017年12月08日12月5日放送の『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)に、ハリセンボンの近藤春菜(34)と箕輪はるか(37)が揃って出演。そこでの発言が話題を呼んでいる。 独身の2人が「結婚も子供もあきらめました。だから他人の子を溺愛しています」といきなり告白すると、スタジオではどよめきが起こった。MCの松本人志(54)は、「お前そんな年でもまだないやろうに」と驚きを隠せない様子。はるかは「まだそういう予定がなくて……。私には母性みたいなものがあって、その出口がない」と説明したが、「春菜はもっと気持ち悪くて」と相方にバトンタッチした。 はるかより“ツワモノ”だと言われた春菜は「インスタグラムで知らない子供をフォローして成長をずっと見ている」と明かした。なんと「一般の方のお子さんを4~5人フォロー」しているそうで、とくにモデルの今宿麻美(39)の長男・青馬くん(2)への思い入れが強いらしい。春菜は一度も青馬くんに会ったことはないが、今宿が妊娠しているときからずっと見守ってきたという。そのことを詳細に語れば語るほど、松本や浜田雅功(54)が「こわいこわい」「お前の子じゃないし」と“ドン引き”。出演陣からはあまり共感されていなかったのだが――。 40代の未婚女性はこう語る。 「子供のいる人には理解できないと言われるかもしれませんが、他人のお子さんを可愛がる春菜さんの気持ちは良く分かります。35歳を過ぎたあたりから、自分の子供を持つことを諦めてしまいました。でも、やっぱり子どもが欲しかったなって思うときもあって……。甥や姪はいますが、あまり干渉すると母親から鬱陶しがられるので正直複雑です。だからこそインスタで知らない子供を見て、純粋な気持ちで癒されるんだと思いますよ」 番組のサプライズで青馬くんと初対面した春菜は、感動して涙を流していた。他人の子供でもそれだけ可愛いと思えるなら、いい母親になれること間違いなしなのだが――。
2017年12月08日「昨年夏、“宇多田ヒカルのプロデューサー”を名乗る人物から突然メールが届いたそうです。詐欺メールだと思ったものの書かれていた番号にためしに電話してみると、出たのは本物の宇多田さん担当プロデューサー。『レコ-ディングのため、ロンドンに来てほしい』と言われ、びっくりしたそうです」(音楽関係者) 今年9月、8年ぶりのアルバム『Fantome』を発売した、宇多田ヒカル(34)。このアルバムでコラボした気鋭のアーティスト・小袋成彬(26)を、来春発売予定の彼のアルバムで、宇多田が“単独プロデュース”することが極秘に決まっているという。冒頭のエピソードは、小袋自身もラジオで明かしていたものだ。 「宇多田さんはこれまで他のアーティストと共同でプロデュースをしたことはありますが、1人でやるのは初めてです。それほど、小袋さんの歌唱力と音楽センスに惚れ込んでいるんですよ」(前出・音楽関係者) “世界の歌姫”がそこまで入れ込む小袋とは、いったいどんな音楽家なのか。じつは小袋の経歴には驚くべき点が――。音楽を始めて、まだたった8年だというのだ。 「高校までは野球一筋で、音楽を始めたのは大学に入ってから。大学ではコピーバンドを組み、在学中にR&Bユニットを結成して頭角を現しました。大学では経営学を学び、メディア関係の会社から内定をもらったものの、就職せずに“自分たちのCDを出したい”と、インディーズの音楽レーベルを設立したそうです」(音楽ジャーナリスト) 一般ではほとんど知られてない小袋。だがその才能は宇多田だけでなく、音楽業界ではすでに高く評価されてきた。 「楽曲制作を手掛け、これまで柴咲コウさんやきゃりーぱみゅぱみゅさんなどの楽曲にも携わっています」(前出・音楽ジャーナリスト) 最新アルバムは売り上げ100万枚を突破した宇多田。プロデューサー業でも成功を掴むことはできるのか――。
2017年12月08日「ちゃんこ鍋、ウッマー!ひとり暮らしなので、家で鍋を食べる機会がなくて」 本誌『旬男撮り下ろしシリーズ・デートしようよ』撮影で訪れた、元大関霧島がオーナーを務めるちゃんこ料理店「ちゃんこ霧島両国本店」(東京都墨田区)で、そう話すのは俳優の鈴木伸之(25)。ちゃんこ霧島は、鶏がら豚骨スープをベースに鶏団子や野菜がたっぷりのちゃんこ鍋がおすすめのお店。 ちゃんこ鍋に舌鼓を打つ鈴木に、理想の女性のタイプを聞いた。 「寒い季節に鍋デート、いいですね。男はテンションあがりますよ、マジ幸せ!実は、女性も、このちゃんこの味のようにあっさりとした“塩顔”がタイプなんです(笑)。清楚で、見るからに優しい女性がいいですね」 12月23日公開の映画『リベンジgirl』でヒロインの恋人を演じ、12月21、28日放送のスペシャルドラマ『眠れぬ真珠』に出演。そんな彼の理想のデートとは? 「手をつないで散歩したり、ショッピングしたりと、ふつうのデートに憧れます。僕自身、ファッションに関心があるので、女のコの服を見るのも好きだし、ああだこうだ言いながら選んであげたい。今年だったら、ふわふわのファーとかかわいいのかな(笑)。もし、クリスマスにデートできたら、変装してディズニーランドに行きたいですね。イルミネーションを見て、おすしを食べて、スペシャル感を味わいたい!」
2017年12月08日先週、家族4人揃って初めての海外旅行へ行ってまいりました、横峰です。初めてもへったくれも、そもそも4ヶ月前にゆめこを産んだばかりなのです。これが1人目だったら怖くて絶対に行かなかったであろう海外旅行を決断させたのは2人目の余裕。行き先はえいやっ!と思い切ってハワイです。(なんてかっこいいこと言ってますが、お仕事です) 子供が2人になるとまた違った大変さや面白さがあるもので驚いたのはゆめこのたくましさ。そもそもあまり動じない性格らしく、どっしりと構えてほとんどグズることはありません。きっちり3時間おきに食事(ミルク)を摂りその合間に睡眠、というサイクルを旅行中も一切乱すことなく、1人時差知らず……強い。 心配だったまめといえば、随分と成長し、飛行機の中でも思ったほどグズりませんでした。遊びで培った高い集中力を発揮し、座席についているモニターのゲーム機能でひたすら神経衰弱。周囲にさほど迷惑をかけずに済んだぶん、精神的には楽でしたが神経衰弱への参加を私にも要求し、自分がわからない時には私に正解を求めてくる上に正解しなければ怒るので、違った意味で脳みそフル稼働というハードモードな移動でした。
2017年12月08日12月6日に放送された綾瀬はるか(32)の主演ドラマ「奥様は、取り扱い注意」(日本テレビ系)最終回の平均視聴率が14.1%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録した。 見事に有終の美を飾ったが、ストーリーとともに今回のドラマで注目されたのが綾瀬のアクションシーンだったという。 「原案・脚本を担当したのが、岡田准一さん(37)主演の人気シリーズで知られる金城一紀さん(48)。綾瀬さんは、初の本格的なアクションシーンに挑戦することになりました。そこで取り入れたのが、岡田さんが師範の資格を持つフィリピンの武術『カリ・シラット』。もともとバスケットボールをしていて運動神経抜群の綾瀬さんは、個人指導を受けてみるみる上達。おまけに体も引き締まって、肉体改造に成功しました」(日本テレビ関係者) 武術系の文献などによると、フィリピンでは広く広まっているとのこと。特徴は棒やナイフ、ヒモなどの武器を使った場合と素手の技術が共通。同じ動きでいろんな技が使え、武器を持った相手に素手で対応できるというのだ。 「なかなか一般の方が通っているということは聞いたことはありませんが、日本でも首都圏や大阪にいくつかあります。岡田さんは有名な師範のいる米・ロサンゼルスに飛んで、みっちり練習したそうですよ」(武術系雑誌編集者) 綾瀬のように“肉体改造”できる道は開かれているようだ。
2017年12月07日