今までの人生の中で「後悔したこと」がない人はいないと思います。生きているのであれば、誰もが経験すること。やらないで後悔するより、やって後悔した方がいいとよく言うように、やる後悔はだんだん小さくなりますが、やらない後悔はどんどん大きくなっていくことが多いですよね。人間関係後悔する原因の中でも上位に挙がるのが、人間関係。自分以外の人間と接することは、日々の生活の中で当たり前ですよね。人間関係が上手な人と苦手な人とで分かれますが、苦手な人の中で最も後悔する原因となるのが「人見知り」です。人見知りであるがゆえに、本来の自分を出し切れなかった、分かってもらえなかった、誤解されてしまった、など様々な失敗談が生まれます。そこで後から段々と後悔の念に駆られてしまうんですよね。「あの時にもっと〜だったら」「〜していれば」と、「たられば」の気持ちと考えで、心と頭がいっぱいになってしまうんです。人見知り中に吸収すべきことでも人見知りの性格って、後悔しても気を付けても、簡単に治るものではありません。むしろ努力して人見知りを克服しようとした結果、もし失敗してしまったら…。その後は更に人見知り度が悪化してしまうでしょう。ですから、無理に治そうとするよりは、人見知りのままのあなたで今後の人生をいかに上手に生き抜いていくか、を考えるべきです。人見知りだからと言って、決して本来の性格が物静かなタイプの人ばかりではありませんが、人見知り中は大人しく周りをじっくり観察出来る能力に長けています。最初からおしゃべりで人懐っこい人にはない部分ですよね。「じっくり観察してしまう=周りの人をより理解しやすい」訳ですから、人見知り後の人間関係に役立つ事を、人見知り中に吸収しておきましょう。ちょっとした行動や動作で、実はこんな人なんだと、良くも悪くも人を見る目が養われるはずです。恋愛の掟「あなたが後悔したのはどんな時ですか?」とアンケートをとれば、きっと恋愛に関係するエピソードが何より多く出てくるのではないでしょうか。恋愛で失敗したことがない人を探す方が難しいかもしれません。それ程みんな、恋愛でたくさんの失敗をして大人になってきているんですよね。十人十色、ひとつとしてこの世に同じ恋愛はありませんから、前回の恋愛での経験を活かしたとしても、今回は失敗に終わってしまう、なんて事も普通に起こりうるのが恋愛というもの。しかし、どんな恋愛にも唯一共通するものがあるんです。それは「素直になる」ということ。とても簡単な事で、とても当たり前の事。でも、恋愛中って自分が自分でなくなってしまうような事だらけですから、そもそもが正常ではないんです。だからこそ「素直になること」が何より大切なんですね。恋愛は1人では出来ません。相手がいてこそ成り立ちます。そしてその相手もまた1人の人間。人間対人間なのですから、気持ちがすれ違ったり、意見がぶつかることがあって普通です。そこで意地を張らない、駆け引きしない、素直な気持ちを相手に伝える、それこそが恋愛の掟。掟がもたらす効果とはこの恋愛の掟は「失敗しない」ために、心掛ける訳ではありませんよ。「後悔しない」ために心掛ける掟です。もし、素直になれずに失敗したら…「どうしてあの時素直になれなかったんだろう」とずっと心の中にもやもやが残ります。でも、素直になった結果が失敗だったら…「結果は失敗に終わったけれど、あの時素直な気持ちを伝えられたんだ」と、あなたの気持ちはスッキリしているでしょう。ですから、素直になれた方が別れた後も立ち直りが早い、ずるずる引きずることはありません。それだけでなく「素直な気持ちを伝えられた、自分はやりきった」と自信も付きます。自信に溢れている人というのは男女問わず魅力的なもの。ひとつの恋愛が終わりを迎えたとしても、すぐに次の恋愛がスタートするはず!参考元:健康美人「後悔したことアンケート」株式会社エムスタイル
2016年06月01日2016年5月18日、テレビ番組『あさイチ』で子どもがいない生き方についての特集が放送され話題を呼びました。番組では山口智子さんが女性誌のインタビューで“出産しない”という生き方 を選択したことを取り上げて議論がされ、 視聴者からは賛否両論さまざまな意見が寄せられたということです。女性の社会進出や低所得者の増加などにより晩婚化が進み、子どもを産まないという選択をする人も増えています。今回は、実際に子どもを産まないことを決めた女性たちの話を聞いてみました。●子どもを産まないと決めた女性たちの声●(1)自分の幸せを一番に考えた『子どもがいる人生というのも魅力的だとは思いますが、それ以上に自分のことを大切にする人生を歩みたいと思ったんです。結婚を考えていた彼にこの考えを理解してもらえずお別れしたこともあるんですけど、間違っていたとは思いません』(30代女性/事務職)夫婦2人だけで仲睦まじく生活するというのも幸せの形のひとつ。何に重きを置き、大切にするかは一人ひとりが決めることです。子どもを産めば、時間やお金などを子育てに費やすことになるなど、必然的に子ども中心の生活 となってしまいます。子どもから与えられる幸福感もあるとは思いますが、それ以上に夫婦としての結びつきや自己の幸せを求めたいと思う人は少なくないようです。●(2)選択肢のひとつとして認めてほしい『決して自分の考えが正しいことだと言いたいわけではありません。ただ、子どもを産まないとする選択肢が批判されるのは納得いかないですね。「産むのが当たり前」という風潮はなくなってほしいなと思います』(40代女性/アパレル)男女が結婚し夫婦となれば、次は子どもを産むのが当然という考えを持つ人もいまだ多いはず。特に、子どもを産めるのに産まない という選択をした人に対して冷たい視線があびせられることも多く、女性に対する風当たりは強いと言わざるを得ません。しかし、人の生き方についての選択を周りが批判するというのは決して褒められたことではないでしょう。どんな人生を歩むか決めるのはその人自身です。周りの目を気にして、自分の思う幸せな道を歩めないというのは生きづらい社会ではないかと感じます。●(3)子どもにつらい人生を歩ませたくない『結婚はしましたが、私たちが今生きている社会が生きやすいものだとは到底思えません。そんな社会で自分の子どもが生きていかなければならないと考えると、安易に「産もう」という考えにはなりませんでした』(30代女性/塾講師)子どもは産んで終わりというものではありません。親は、子を育て、社会へと送り出していく責任があります。そんな中、不幸なニュースばかりが流れる今の社会を嘆き、子どもを産み育てることに不安を感じる のは仕方のないことなのかもしれません。「子どもには幸せになってほしい」と考える母性が、子どもを産むことの障壁となっているとも言えるのではないでしょうか。----------実際に産まないという選択をした人の中には、「子どもを産んでいれば良かった」と後悔する人もいるかもしれません。しかし、下した決断がどのような結果をまねくかは誰にも分からないでしょう。その人が選んだ人生を、周囲が応援してあげられるような社会になることを願ってやみません。●文章/パピマミ編集部
2016年05月31日私には6歳になる息子がいますが、子どもと遊ぶのがとても苦手でした。そのことで「私は子どもにとって、いい母親じゃない」と思っていましたが、子育てするうちに「相手をしようと思っていなくても大丈夫なんだ」ということに気づきました。私と同じように「子どもと遊ぶのが苦手」と感じ、申し訳なさを感じている人に伝えたい3つのことをお伝えします。「遊ぶ」以外の方法で関わってもいい(お願いする、会話する、一緒に寝る)あるとき、子どもが図鑑を持ってきて「読んで」というので「ママ知らないことが多いから読んで聞かせて」と応じたら、はりきって教えてくれたことがありました。私は「へえ~」「知らなかったな~」と答えるだけでしたが、密度の濃い時間を過ごすことができました。また、「今日の夜ごはん、何にしようかな」「僕は魚がいいと思うよ」「魚おいしいよね~」などと会話するだけでも子どもはうれしそうな表情をします。子どもは必ずしも「遊んでもらう」ことだけに執着しているわけではないようです。一緒に寝転がりながら鼻歌を口ずさんだり、昼寝につきあって一緒に寝転んだりするだけでも子どもは満足そうな、いい笑顔をたくさん見せてくれているのです。ママがしたいことをしてもいい当時、産後太りを解消するために何か家でできる運動をしたいなぁと思っていた私はダイエットDVDを購入しました。そのDVDは比較的動きがゆるやかで、リズムにのって踊るもの。子どもの目にも楽しく映ったようです。気づけば息子も隣で一緒に踊っていました。ダイエットのために運動する時間があるなら遊んであげたほうがいいかな…と思う人もいるかもしれません。でも、ママがしたいことの中にも子どもが喜ぶことはあります。ママがしていることが子どもの興味を惹きつけることもあるのです。「遊んであげなきゃ」と思わない「子どもの相手をしなければ」「遊んであげなければ」と頭で考えていると、それが母親の仕事であるかのように、プレッシャーを感じてしまうことも。よく「1日30分でも子どもだけに向き合う時間をつくったほうがいい」という話を耳にしますが、私はそこまで子どもと遊ぶ時間について意識することはないのでは、と思います。子どもはママと一緒にいるだけで笑顔を見せてくれます。それに気づくことで後ろめたさから解放され、子どもとの関わりにプレッシャーを感じなくなり、自然なつき合い方ができるという良い循環につながるのではないでしょうか。最近では自宅でお酒を飲んでほろ酔い気分の私の相手をしてもらうこともあります。しつこくちょっかいを出されることがうれしいのか、息子は「やめろ!」といいながらも楽しそうです。日々の暮らしの中で「普通に子どもと接する」だけで子どもは意外と楽しんでいるものかもしれませんね。
2016年03月20日ファッション雑誌を見始めた頃、日本の雑誌は「1ヶ月間着回しコーディネート術」とか「痩せて見えるパンツスタイル」といった実用的な記事が多いのに、外国雑誌は「不思議の国のアリスのお茶会に招かれて」「鳥の背中に乗って世界を巡る旅」といったファンタジックな特集が載っていてびっくり! 5キロ痩せて見える、5歳若く見えるハウツー記事も役立つけれど、もっと違う美意識のレッスンがあるんだなあ、と思ったものです。そんな記事を載せる最たる雑誌がVOGUEでした。1892年、アメリカで創刊以来、世界各国で発売されているハイファッションの最先端、ファッショニスタ垂涎の雑誌。歴代の名物編集長は映画にもなっていて、セレブ並みの人気者に。そんなカリスマ編集長の登場する映画を3本ご紹介しましょう。この秋のお洒落心に火が点くこと、間違いありません。元フレンチ・ヴォーグ編集長カリーヌ・ロワトフェルドの生き方が潔く美しい▼マドモアゼルC ファッションに愛されたミューズ監督:ファビアン・コンスタン出演:カリーヌ・ロワトフェルド, スティーブン・ガン, カール・ラガーフェルドその美貌から18歳でモデルとしてのキャリアをスタート、20代で「ELLE」の編集者、スタイリストに転身し、40代でフランス版「VOGUE」の編集長に就任以来、2011年まで10年間務めたカリーヌの顔は、どこかで見たことがある人が多いのではないでしょうか?50代になってもスッと伸びた美脚にピンヒール。パリコレのフロントロー(最前列)の常連で、パパラッチされるスナップ写真では、爪先をやや内側に向けた立ち姿が有名でした。そんな彼女が、新雑誌「CR」を創刊するまでのドキュメンタリーがこの映画。「大勢が足を引っ張ろうとする」業界で、「ファッションは夢の世界。ファンタジーは私の本質よ」という姿勢からブレずに、苦心しながら夢を実現していく彼女の生き方が素敵です。夫がいて2児の母。「仕事も夫も愛してる」と言いながら、世界中のデザイナーたちからミューズとあがめられるエレガントでセクシーなカリーヌの魅力は、実は素直でピュアな人間性。そこが伝わる映画です。「誰にでも敬意を払うのが素晴らしい。自分が特別で重要な存在だと感じさせてくれるの。だから、みんなが彼女に尽くしたくなる」とは、彼女のアシスタントの弁。「いつか飽きられるわ」とサラッと笑いながら、ハイヒールで歩き続けるカリーヌの姿は、私たちに生きる勇気と美意識を問い直させてくれるでしょう。現アメリカン・ヴォーグ編集長アナ・ウィンターはファッション界のリーダー▼THE SEPTEMBER ISSUE ファッションが教えてくれること監督:R.J.カトラー出演:アナ・ウィンター, グレイス・コディントン, シエナ・ミラーショーを見る間も外さない黒いサングラス、金髪のボブヘア、女性らしい色合いのヒザ下丈のワンピースかプリーツスカート…アメリカ版ヴォーグ編集長、アナ・ウィンターも、常にスタイルが決まっている女性です。イギリス出身ですが、アメリカのハーパース・バザーやイギリス版ヴォーグでもキャリアを積み、1988年から現職。映画「プラダを着た悪魔」に登場する鬼編集長のモデルにもなった彼女は、同時に、3000億ドルのファッション産業で最も重要な人物、映画スターよりも注目の的、といわれています。この映画は、アナを中心にニューヨークのヴォーグ編集部が、2007年、ファッション誌の新年号といわれる重要な9月号を出版する様子を描いたドキュメンタリー。アナの片腕のクリエイティブディレクター、グレイス・コディントンと写真をめぐって対立したり、シエナ・ミラーの表紙撮影では豪華なヨーロッパロケが組まれたり、締め切り5日前にグレイス担当の特集が撮り直しになったり、ハラハラドキドキで目が離せないおもしろさ!“氷の女”と呼ばれるほどクールで仕事第一のアナですが、映画内のインタビューで「強みは決断力、弱みは子供たち」と答える一面も。セレブ文化が世界的流行になることを予見し、ファッションも生き方の一部だと示し、30年近く編集長を務め続けるアナ。垣間見せる情熱的な笑顔が美しく、生き方にもインスパイアされます。それにしても現在、アナは60代、グレイスは70代で現役バリバリ。そこからして元気になれると思いませんか?元アメリカン・ヴォーグ名物編集長ダイアナ・ヴリーランドがぶっ飛んでる!▼ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ監督:リサ・インモルディーノ・ヴリーランド出演:ダイアナ・ヴリーランド真紅のドレスで赤いソファに横たわる真っ赤な部屋は、彼女のリビングルーム。そのDVDのカバーからして、ただならぬ異才を放っているダイアナ・ヴリーランドは、1989年に亡くなるまでアメリカのファッション界に君臨した、まさにアイコン的存在です。キャリアのスタートは戦前。シャネルを着てセントレジス・ホテルで踊っていたら、ハーパース・バザーの編集長、カーメル・スノウから「お洒落ね。仕事しない?」とスカウト。ハーパース・バザーの黄金時代を築き、良妻賢母風で退屈だったファッションを一変させます。ハーパース・バザーで25年間、ファッションエディターを務め、オードリー・ヘプバーン主演の映画「パリの恋人」に登場する編集長のモデルにも。1962年、ライバル誌ヴォーグへ。彼女自身が芸術品といわれるほどクリエイティブな企画で、エジプトロケやヒマラヤロケ、モデルを象と撮影したり、モデルに豹を演じさせたり、ミック・ジャガーを初めてファッション誌に起用したり、垢抜けない娘を女王に仕立てたり、ヌード撮影も…。信じられないほど斬新でダイナミックな企画は、未だに語り継がれるほど。そんなダイアナが1983年、80歳の時、作家のジョージ・プリンプトンに回顧録を依頼した時のインタビュー映像を中心に、周囲の人々へのインタビューで構成されたのが、この貴重な映画です。「自分で磨かなきゃダメよ。肌もポーズも歩き方も、興味の対象も教養も」「新しい服を着ているだけではダメ! その服でいかに生きるかなの」「人生は一度きりよ。やりたいことをやらなきゃ」と、彼女の力強い言葉が背中を押しまくります。人生で迷った時や落ち込んだ時に、間違いなく“活”を入れてくれる1本です。
2015年09月14日『対岸の彼女』な私たち(c)チェコ好き男女ともにアラサーになってくると、中学高校大学時代にできた友人たちと、ちょっと話が合わなくなってきたりしますよね。結婚、出産などはその理由としては定番ですが、私の場合はそれに加え、仕事に対するモチベーションのちがいが原因になっていることも多い気がします。文化系女子である私の究極の夢は「高等遊民」なんですけど、おかげでキャリアウーマン系を目指す女性とは話が合わないことが多いし、もちろん専業主婦志望のゆるふわ女子とも話が合いません。昔は一律「女子高生」「女子大生」でいられたから何とかなったのに、大人になるとクラスタが変わって話が合わなくなってくるんですね。(というか、「高等遊民」の部分はあまり突っ込まないでいただくとしても、キャリア系でもゆるふわ系でもない中間層の女性ってけっこういるはずなんですけどね、いかがでしょう)角田光代『対岸の彼女』文藝春秋社刊 友人同士とはいえ、話が合わなくなってくると自然と疎遠にもなっていくわけで、学生時代に培ってきた友情は、30歳前後を境に変容していかざるを得ません。このあたりの感覚は角田光代さんの『対岸の彼女』という小説によく描かれていますので、興味のある方は読んでみては。昔の友人と心が離れていくのは、どうしようもないこととはいえ、やっぱり少しさみしいものがあります。そして、いくら一人の時間が充実していようと、現在の社会状況からして30歳前後からの人生は、一人でいる女性にとってはなかなか過酷なものがあります。世間の目も気にならないといえば嘘になるし、自分の人生の選択は正しかったのだろうかとか、私は人生をナメていたんじゃなかろうかとか、人によってはとてつもなく孤独で、精神的につらい経験をすることになるかもしれません。でもですね、ちょっと視点を遠くに投げてみましょう。30歳になりました、40歳になりました、50歳になりました、60歳になりました、さらに進んで70歳になった自分と周囲を、ちょっと想像してみてほしいのです。転機は70歳になったらやってくるその頃にはおそらく、どんなキャリア系女子も、仕事に一区切りついているはずです。また、どんなママであっても、さすがに子供から手が離れているでしょう。そして私のような、どこにも属せないかんじの人も、適当に遊びつくして一息ついている……はず。そうなんです。70歳になれば、またもう一度、全員が「女子高生」「女子大生」だったあの頃のように、一律「おばあちゃん」になれる。そうしたら、今疎遠になってしまっているあの子やその子とも、またみんなで集まってワイワイやれるんじゃないかって、私は夢見てしまうのです。もちろん、現実には自由にできるお金に格差があったり、昔の友人と連絡をとろうにも難しかったりして、「高校の頃のあのメンバーがそっくり揃って大集結!」ってわけにはいかないでしょう。要は「一度形成されたクラスタが高齢者になることによって解体される」という話で、「キャリア」とか「恋愛」とか「子供」とか、今私たちが悩んでいることが完全に過去のものになる日が、いつか必ずやってくると思うんですよね。いってみれば、キャリア系もママ系もアウトロー系も、プレイしているゲームがちがうだけです。そこに価値や難易度の高低はない。だから70歳になって、ほぼすべてが片付いて「アガった」ら、重要なのは「自分がしてきたゲームからいかに面白い話を引き出せるか」、これだと思うんですよ。関係がフラットになったら、話が面白くて気の利くヤツがいい思いをするに決まっています。そこから逆算すると、おひとりさまもおひとりさまじゃない人も、今の私たちがやらなければならないことは、結婚するとかしないとか、子供を産むとか産まないとかの「正しい(とされる)生き方を選ぶ」ことじゃなくて、「話が面白い人になる」ことじゃないでしょうか。話が面白いっていうのは、笑いをとるということだけじゃなくて、相手の好奇心をいかに引き出せるかってことです。仕事でも、育児でも、趣味でも、恋愛でもなんでもいいのだけど、とにかく目の前のことに夢中になって、工夫して、解像度を上げて、思いっきりめちゃめちゃ楽しまないと、きっと「話の面白い人間」にはなれません。それで、その「話の面白い人」になるための具体的な方法はなんかないんかというのを私はみなさんと一緒に考えていきたいのですが……それはまた次の機会に。Text/チェコ好き
2015年08月20日いよいよ佳境を迎えつつあるドラマ『マッサン』。ドラマでは、マッサンを支える妻 エリーのけなげな姿が人気ですが、実際の彼女はどんな女性だったのでしょう。数々のマッサン本からは、私たちも共感できる彼女の本当の生き方が見えてきます。「マッサンの夢は私の夢」・・・そう信じて生涯を異国の地 日本で、夫のウィスキー作りの夢の実現を支えた女性、リタことジェシー・ロベルタ。ドラマでは“エリー”と呼ばれていますが、彼女の本当の通称は“リタ”。リタの生き方を紹介した本は、これまでも数多く出版されていましたが、今回の朝ドラの影響で再注目されています。そうした彼女の生き方に触れると、リタがどれほど強く、愛にあふれた人だったかがわかります。愛する人を失った悲しみと出会い祖国スコットランドを捨てて、日本人の竹鶴と結婚することを選んだリタ。なぜそこまでして?と私たちはリタの行動力に驚かされましたが、本を読むとその理由も見えてきます。リタにはマッサンと出会う前に同郷の婚約者がいました。しかし愛を誓ったにもかかわらず戦争で帰らぬ人となってしまったのです。それはリタにとって、愛する人を戦争で奪われたというトラウマとなって生涯つきまといます。そんな時に現れた異国の恋人 マッサンは、リタの心の傷を癒してくれたことでしょう。そして今度こそ“失いたくない”という強い想いがあったに違いありません。森瑶子さんが書いた『望郷』は、森さんらしい情緒あふれる表現力で、リタとマッサンのロマンスを描いています。リタの伝記をもとにしたフィクションですが、恋愛小説として一気に読めてしまう面白さがあります。日本の壁を超えようとしたリタまた、リタはもともと病弱で、繊細な心の持ち主でした。そんな彼女が、どのように日本での困難を乗り越えてきたのか?ドラマでは「渡る世間は鬼ばかり」のあの人が大いに鬼姑ぶりを発揮していましたが、あれは何も竹鶴家に限らず当時の日本は長男の嫁に対して非常に封建的なところがありました。そんな日本の時代背景と、当時リタを支えていた人々、リタの心の葛藤を客観的に描いているのが『リタの鐘が鳴る』(早瀬利之著)です。本の中では取材に基づいて、当時リタを知る人たちの証言やリタの写真が出てきます。そのため本当の素顔が見えてくるという点でも、この本はオススメです。まだ日本では恋愛結婚は一般的ではなかった時代に、異国の花嫁 リタがどうやって周囲の人々の偏見をはね返す努力をしてきたか。着物を着て、漬け物や和食を作り、一生懸命日本人になろうとしていたリタ。それは並大抵の苦労ではなかったことがわかります。夫の夢をあきらめさせない、支えるチカラウィスキー作りの夢に向かいながらも、何度も挫折しそうになるマッサンを、リタはどうやって支えてきたのでしょうか。『リタの鐘が鳴る』では、その叱咤激励ぶりが、当時を知る人々の証言からも浮かび上がってきます。夫が仕事を失った時も、家庭教師などをしながら地道に家庭を支えていたこと。そして夫が窮地に立たされている時も、陰ながら支援を取り付ける努力をしてきたこと。事実、マッサンの独立時に支援者となったのは、リタが家庭教師をしていたのが縁でつながった人々でした。夫婦共同経営的な強い信念そんなリタには、夫を支えるあるやり方がありました。それは夫の状態を常に顔色や態度から把握し、もうそろそろ限界だ、となる少し前に話し合いをしようとすることです。今では夫婦が話し合いをするのは当たり前のことかもしれませんが、当時の日本では、まだまだ「女は男の仕事に口出ししない」というのが通例でした。けれどもリタは、「マッサンの夢は私の夢」という強い想いから、夫の気苦労をそれとなく聞き出し、常に夫を叱咤激励してきたのです。そのためにも夫の仕事の人間関係をよく把握し、そうした人々とのコミュニケーションのつなぎ役を買って出ることもいといませんでした。現代でいう夫婦共同経営的な発想が、リタにはありました。夫に頼りきるのではなく、夫と一緒に夢を実現するという発想は、リタの強さの原点でもあったのでしょう。けっしてあきらめない、生き方そしてどれほどリタは、夫マッサンへ愛情を注いでいたのでしょうか。ウィスキー作りを軸に描いたドキュメンタリー『マッサンとリタ』(オリーヴ・チェックランド著和気洋子訳)では二人の関係性がよくわかりますが、中でも心に残ったのは、リタが愛読していたというロバート・バーンズの詩の一節です。「恋人よ、たとえ海が枯れても、たとえ岩が太陽の炎に解けても、それでも私はあなたを愛します。命の時計が秒を刻む限り」・・・そこからは、夫を愛するリタの強い覚悟さえ伺えます。文化の違いや、経済的困難、戦争による軋轢など、さまざまな苦境の中にあっても、故郷に帰ることなく、夫のそばに添い遂げたリタという女性の生き方は、私たちに勇気を与えてくれます。決して夢をあきらめないということ、それは現代の私たちにも、何か生きるヒントを与えくれるに違いありません。ぜひ、ドラマと一緒に、リタの生き方を読み解いてみてはいかがでしょう。・ 望郷 ・ リタの鐘が鳴る ・ マッサンとリタ ・ リタとマッサン
2015年03月06日NHKで放映中の「マッサン」の妻、リタは「あなたの夢を共に生き、お手伝いしたいのです」と故郷スコットランドを離れ、内助の功で夫を支えるピュアで健気な生き方で私たちを魅了します。このマッサンとリタのように夫婦2人支え合い生きた、純印度式カリーなどで有名な老舗、中村屋の創業者である相馬愛蔵とその妻、黒光(こっこう)のことをご存知ですか?黒光は、リタが生まれる21年前の1875(明治8)年、星良(ほし・りょう)という本名で仙台に生まれました。“アンビシャス・ガール”と呼ばれた少女時代を経て、結婚、出産、起業。明治の終わりから大正、昭和初期にかけて多くの芸術家たちをサポートし、中村屋に彼らが集ったその様子は、のちに“中村屋サロン”と呼ばれました。夫を支え、自らの生き方も貫いた彼女の足跡をご紹介します。相馬黒光(そうまこっこう)という鮮烈な生き方黒光の自伝「黙移」には、自伝的要素だけでなく、大正デモクラシーと呼ばれた当時の自由な空気、時代の変化が描かれており、歴史を知るうえでも貴重な史実が満載。女子教育のプロセスとしても実に興味深い書籍です。このころは女性が学問を続けることが、まだ一般的ではなかった時代。しかし、向学心の強い黒光は、生まれ故郷の宮城女学校で学んだのち、当時の女学生たちの憧れの的、ミッションスクールの最高峰で英語教育の名門、フェリス女学院に転校しました。さらには、進歩的かつ芸術的な校風を求めて、作家の島崎藤村や北村透谷が講師を務めていた明治女学校に転校します。その女学校時代だけでも、多彩な友人に囲まれ、ストライキを起こしたりプラトニックラブに翻弄されたりとチャレンジングな日々。彼女のペンネームでもある“黒光”は、明治女学校校長が「あなたの才気溢れる光を黒い色で隠しなさい」と命名したもの。いかに才気煥発であったかがうかがえます。中世ヨーロッパのような芸術支援の殿堂 “中村屋サロン”卒業後、黒光は故郷の知人の紹介で長野の相馬愛蔵に嫁ぎますが、1901(明治34)年に上京します。そこで本郷の「中村屋パン」を居抜きで買い取り、中村屋の店名をそのままに創業します。初めて食べたシュークリームの美味しさに驚き、パンにできないか考え、クリームパンを創案します。そのクリームパンは今でも日本の三大菓子パンのひとつといわれています。その後、新宿に本店を構えてからは、彫刻家の荻原守衛(碌山)、画家の中村彝(なかむら・つね)、ロシアから訪れた盲目の詩人ワシリー・エロシェンコら、多くの芸術家に中村屋の敷地内にあった洋館を解放。彼らを物心両面でサポートします。相馬夫妻や彼らを「安曇野」という小説に書いた作家の臼井吉見は、「まるで中世ヨーロッパのサロンのようだった」と描写しています。この中村屋サロンは日本の近代芸術・文化を牽引し、大きな刻印を残す偉業を果たしたのでした。2014年10月、中村屋は本店を建て替え、商業ビル「新宿中村屋ビル」としてグランドオープンし、3階には「中村屋サロン美術館」という美術館を併設しました。現在は、「開館記念特別展」が開催中(2015年2月15日まで)。黒光の情熱的な意志が、現在も脈々と受け継がれているのを感じます。昭和2年発売の純印度式カリー、ボルシチ、中華まんは現在も人気商品黒光のすごいところは、実業家としての商品開発センスも然り。インドの革命家ラス・ビハリ・ボースとの出会いから、日本で初めて純印度式カリーを発売しました。また、ロシアの詩人ワシリー・エロシェンコとの出会いをきっかけにボルシチやピロシキなどのロシア料理を、中国視察旅行では、月餅や包子(パオズ、現在の中華まんじゅう)と出合い、日本人の口に合うようにアレンジして発売しました。彼女の企画・発想力はとても素晴らしく、それらが現在も中村屋の人気商品として愛され続けているのは、ご存じの通りです。黒光は自らの志を持ち、夫とともに仕事に励みながら、己から溢れ出る光を黒色で消すことなく、周囲を愛の力で照らし続けました。リタより6年早い1955年、79歳でこの世を去った黒光。こんな圧巻な女性が日本に存在していたということに、勇気が湧いてくる気がします。人生の折々に迷ったら、ぜひ彼女の自伝「黙移」を開いてみてはいかがでしょうか。
2015年02月05日アンジーナ的生き方とは?凛としたまなざしで明日を見据えながら、しなやかに美しくそして力強く生きるアンジー世代を密着取材。「憧れ」と「リアル」の境界線で生きる、アンジー世代の歩きかたを模索します。今回のゲストは、2014年にデビュー15周年を迎え、デビュー曲を手掛けた小室哲哉氏と再びタッグを組み、珠玉のウェディングソング「graduation」をリリースする鈴木亜美さん。支えてくれたすべての人への感謝の気持ちを歌に込め、「graduation」では作詞にも挑戦しています。「まだ幼いココロ迷えばいい焦ればいい見えなくていい」、「負けないように前だけ見てる私がここにいるから」といった、同世代なら共感せずにはいられないメッセージが盛り込まれた「graduation」は、本日配信開始です!鈴木亜美1998年「love the island」でデビュー。2004年12月30日、エイベックスへ移籍後、第一弾シングル「Delightful」をリリース。2007年には様々なアーティスト、ミュージシャンとのコラボレーション企画アルバム「join」シリーズを発表し、新たなクラブミュージックにも挑戦。2009年からは本格的にDJ活動を始め、現在では国内のみならず、韓国、台湾、上海、オーストラリア、LAなどで、Girls DJとして活躍。フードアナリスト3級の資格を取得し。料理タレントとしても活動する。その他アーティスト・女優など多方面で活躍。デビュー15周年。忘れられないデビューイベント。「15年間でいちばん印象的だったことは……いろいろあるけど、やっぱりいちばん最初の、ASAYANのデビューイベントは忘れられないですね。横浜のランドマークタワーでやったイベントなんですけど、フリーのイベントなので当日は、人が来るか来ないかもわからなくて、もう、ずっと緊張していたんです!ランドマークタワーの上から人が集まってくるのを見ていたんですけど、最初は全然人が集まって来なかったので心配でしたね。でも結局、3,500人もの方々が集まってくれて、本当に感動しました」DJ Ami Suzukiをはじめたキッカケ。「DJをはじめたキッカケは、違うジャンルや変わったものにチャレンジしたい!と思ったことでした。ちょうどその時に出会ったのが中田ヤスタカさんで、『FREE FREE』という曲をリリースしたんです。これはもう、すごくチャレンジであり冒険でしたね。今までのファン層と違うところに突っ込んでいくというか……。これはどう出るかわからなかったので、もしクラブ層に受け入れられなければクラブミュージックというジャンルはやめよう!というくらいの覚悟で突っ込んでいきましたね。中田さんのイベントにシークレットで参加して、毎回『Free Free』を1曲だけパフォーマンスする、というのをやり続けているうちに、DJをやっている中田さんの姿を見て、「これ、自分でできたら楽しいだろうな」って思っちゃったんですよ。自分の曲のプロモーションを自分でやるのって面白いかも!って。それでDJの勉強をはじめたのがキッカケですね」歌手として、DJとして……15年の活動の中で、様々な表情でファンを魅了し続けている鈴木亜美さん。明後日6/6はagehaにてDJとして登場するイベントagePa!! × MONSTER NIGHTが開催されます。女性はナント入場無料!DJ AmiSuzukiの新たな魅力に触れに是非足を運んでみてください。さて、次回(明日11:30更新!)は、亜美さんのさらに素顔の部分に迫っていきます!お楽しみに……♪鈴木亜美のリズムゲーム「SHAKE」がついにリリース!配信限定シングル「graduation」をはじめ18曲が遊べます!*一部有料のコンテンツもありますが、ダウンロードは無料です。■android■iOScoming soon!!Photo by Gota
2014年06月04日前回 はパリの道端であった元モデルのマダムにお話しをききました。今回もきれいなおばあちゃんになるために、今からしておくべき美とファッション、生き方を学びましょう。パリジェンヌは、運動やスポーツをたくさんします。マダムも毎日パリの街を散歩がてらにスタスタと早歩きしているようです。YukaCocoもパリに住み、歩くのが早くなりました! 早歩きは一番運動になり、身体に良いとマダム。それに好きな音楽を聴きながら歩き、大好きなワインや食べ物、甘い物も何でも頂くみたいです。YukaCocoの周りのパリジェンヌ、パリジャンも同じです。しかし、太った事が無いと言っていました。それは、日々たくさん運動し、好きなものをストレスなく著度よく取るということですね。見習わないといけないと思いませんか? 最後に、マダムの肌がとても綺麗なので、「何か特別な事しているの? 」と聞いたら「していないわよ。石鹸だけ。」だそうです。さらにビックリ。以前80歳の美しいマダムにも聞いたところ石鹸だけだと言っていました。色々塗りたくらずみなさんシンプルを心がけているようです。日本では湿気がある分、凄く肌が綺麗だと世界中で言われています。YukaCocoもそう思いますが…最近は日本に帰国すると、顔が固まっていたり、パンパンに張っている方々を良く見かけます。若い時や今は良いと思っていても、将来的に醜い顔になってしまったり、ずっとボトックスやヒアルロン酸を打たないと行けなくなるので皆さん気をつけてくださいね。なんでも付ければいいというものではありません! オートクチュールの巨匠に「フランスでは、自分にあったオシャレを見付け、自然にオシャレにカッコ良く生きてこそ外見ではなく中身から輝く」教えて頂いたことがあります。日本は、物まねが多く、街を歩くとみんな同じ格好ということがありませんか? 自分のオシャレをして、自分をより良く見せて欲しいと願います。他人は他人と言うヨーロッパ人の考えは大好きです。面倒くさくないですしね。日本やアジアは他人を気にしたり真似たりするけれど、他人は合っていても自分は合わない事など良く知っています。だからこそ、パリジェンヌのように独自のオシャレが出き、自分らしさを磨けるよう皆さんに伝授します。最後に日本の素敵な女子へむけてマダムから一言! 中身から綺麗になることは、外見に現れるとの事です。運動しスポーツし好きな物食べて飲んでストレスが無い人生こそ自分磨きになるそうです。その日の疲れは、その日に取るという事が一番だそうですよ。自分に合うオシャレを見つけて楽しんでくださいと言っていました。皆さんもずっと、カッコ良い素敵な女性で居られるように頑張りましょうね!
2013年10月14日+αの要素が美を引き立てる「美魔女」という言葉があるように、いくつになってもびっくりするくらい美しい女性はいますよね。その生き方も美しさの秘訣かもしれません。そこで、マイナビニュース会員402名の男性に、生き方も美しい、リスペクトする美熟女について、訊いてみました。年齢不詳な美女、上手に年をとった美女、みなさんはどんな美熟女が好きですか?>>女性編も見るQ.生き方も美しい、リスペクトする美熟女を教えてください(複数回答)1位黒木瞳11.7%2位天海祐希9.2%3位小泉今日子9.0%4位杉本彩6.7%5位夏木マリ6.0%■黒木瞳・「清楚な美しさを兼ね備えているから」(28歳/情報・IT/技術職)・「美しいだけでなく、演技やトークに深みがある」(26歳/不動産)・「女優という仕事をしながら、主婦としてもしっかりしているイメージ」(30歳/医療・福祉/専門職)■天海祐希・「やや男っぽいけど、ハッキリと物を言う点がシッカリしていてかっこいいから」(41歳/機械・精密機器/技術職)・「芯が強そうだし、弱音を吐かなそうなイメージがあるから」(30歳/小売店/販売職・サービス系)・「スマートな生き方がかっこいい」(38歳/農林・水産/営業職)■小泉今日子・「タバコを吸う姿がかっこいいので」(45歳/情報・IT/事務系専門職)・「自分の軸があってぶれなさそう」(31歳/自動車関連/事務系専門職)・「年をとってもかわいらしい」(33歳/小売店/販売職・サービス系)■杉本彩・「エロスという自分の生きざまをかっこ良く表現しているので」(30歳/機械・精密機器/技術職)・「いまだにセクシーでアダルトな印象しかないので」(29歳/学校・教育関連/事務系専門職)・「苛烈な人生に負けることなく、芯が強く人や動物に優しくできる人」(31歳/小売店/販売職・サービス系)■夏木マリ・「人生を謳歌(おうか)しているところがリスペクトできる」(25歳/金属・鉄鋼・化学/技術職)・「とても自由に生きている気がする」(26歳/金融・証券/営業職)・「ドラマでかっこよく感じる」(28歳/機械・精密機器/技術職)■番外編:話しぶりからにじみ出る美しさ・岡本夏生「本音で話していると伝わるし、人生経験も豊富なのでとても親しみやすいからです」(33歳/医療・福祉/専門職)・岩井志麻子「貫禄と色気があるのがいい」(37歳/商社・卸/販売職・サービス系)・叶恭子「お金持ちでいられること、好きなことをできているのがすごい」(26歳/小売店/販売職・サービス系)総評栄えある1位に選ばれたのは、「黒木瞳」です。美しさと品格、女優業と主婦業など、美しさとほかのもののバランス感覚の良さが支持を集めているようでした。気張らず自然体なのに、当たり前のように美しい。憧れますね。2位は「天海祐希」です。「かっこいい」「芯が通っている」など、自立して生きている雰囲気が支持の理由のようでした。宝塚歌劇団で鍛えたキビキビした身のこなしが、天海さんの美しさをさらに引き立てているのでしょう。3位には「小泉今日子」がランクイン。「美しい」「あこがれる」というコメントと同時に、「かわいい」という声も寄せられました。「なんてったってアイドル」を歌ったキョンキョンは、いくつになってアイドルなのかも。「熟女」とひとことで言っても、実際には「たおやかな品格(黒木瞳)」「かっこよさ(天海祐希)」「かわいさ(小泉今日子)」「セクシーさ(杉本彩)」「自由さ(夏木マリ)」など、いろいろな熟女がいるようでした。まさに若さとは違うそれぞれの味なのかもしれないですね。(文・OFFICE-SANGA臼村さおり)調査時期:2013年2月15日~2013年2月21日調査対象:マイナビニュース会員調査数:男性402名調査方法:インターネットログイン式アンケート■関連リンク【男性編】来年のスターは誰!? そろそろブレイクしそうな若手女優ランキング【男性編】AKB48のメンバー何人まで名前言える?ランキング【男性編】黒髪が似合う女優ランキング完全版(画像などあり)を見る
2013年04月11日