目に見えないからこそ「愛」というのは、厄介なもの。頭や心で感じるものなのか、はたまたそんなものは幻想なのか。「愛とは何か」という命題は、哲学者プラトンの時代から問われていることですが、未だに明確な回答には示されておらず、その代わりに愛に関するいくつかの迷信が人々を困惑させています。「愛があれば・・」と誰しも一度は思ったことがあるのではないでしょうか。人生とは、「愛を求め、傷つき、それでも尚、愛にすがりつく」というサイクルの繰り返しのようなものですよね。ということで、今回は心理学博士「B・アンジェリスさん」の著書を参考に、愛に関する迷信と真実を5つご紹介。愛について学び、大切な人と幸せになれるチップとしてご活用いただければと思います。■【迷信1】愛さえあれば、どんなことでも乗り越えられる「二人の関係がうまくいくためには、愛だけでなく、相性のよさと互いの努力が必要」というのが真実です。ふたりが穏やかにいられないのは、相性が悪いから。どんなに愛し合っていても、残念ながらうまくいかないことはあります。そこで、むりに相手や自分の個性を変えようとすると、不健全な関係ができあがってしまいます。相手と合わないと感じたら、静かに身を引くことも、また愛なのです。■【迷信2】運命の相手は、出会った瞬間にわかる「恋に落ちるのには時間はかからない。でも真の愛が育つには、時間がかかる」というのが真実です。第一印象で「すてきな人だな」という直感に固執すると、相手を理想化しすぎる恐れがあります。どんなに見た目が好みでも、セックスの相性がよくても、外でデートをしていて、心が休まらないようでは、一緒にいるべきパートナーではないのです。■【迷信3】私を幸せにしてくれる人は、この世にひとりだけ「真実の愛を育てられるのは1人とは限らない。あなたを幸せにしてくれる人はたくさんいる。」というのが真実です。男の人とデートをしているとき、「この人は将来のパートナーにふさわしい相手かしら」と査定しすぎてはいませんか?相手の欠点ばかり探して、完璧さばかりを求めていては、いつまでたっても幸せになれません。■【迷信4】パートナーは自分の欲求をすべて満たしてくれる「あなたにふさわしい相手は、あなたの欲求の多くを満たしてくれるが、全てではない。」というのが真実です。人の欲というのは、底が計り知れないほど深いものです。相手にすべてを満たしてもらおうと求めすぎると、どちらかが息苦しさを感じてしまいます。バランスを見て制御する術を身につけることも大切なのですね。■【迷信5】セックスが素敵なのは、深く愛し合っているから仲直りするのはベッドの上だけ、というサイクルに陥ったことはありませんか?「セックスのよさが真実の愛とは限らない。」というのが真実です。本当は分かり合えない相手とカラダの相性がいいというだけで、ダラダラ付き合い続けることほど不毛なものはありません。もちろん、「セックスだけ」と割り切れば話は別ですが。■おわりにいかがでしたか。上記の5つのうち、誰でも一つぐらい当てはまるものがあったのではないでしょうか。人は「愛」について、自分に都合のいいように「思い込む癖」があり、それによって、ふさわしい人との出会いを逃したり、大切にすべき人を失ったりしてしまうのです。愛に関する迷信が解けた今、すこし大切なあの人との付き合い方を見直していきたいものですね。(著:さとみん/ハウコレ)参考文献:B・アンジェリス『好きな人に愛される人、愛されない人』三笠書房
2012年12月08日山梨県甲斐市竜王新町にあるJR東日本の「竜王駅」の駅前広場が幻想的なイルミネーションで飾られる。イルミネーションの点灯期間は2012年11月11日(日)~2013年1月6日(日)まで。点灯時間は17:00~21:00。11月11日(日)17:00からは竜王駅北口駅前広場で点灯式が行われる。イルミネーションによる装飾は、竜王駅を拠点とした地域活性化事業の一環として、魅力「甲斐市」を目指して実施されるもの。コンセプトは「森のイルミネーション」。森の木漏れ日をイメージして設計されている。使用されるLED電球の数は約9万にもおよぶ。配置されるイルミネーションは、南口では富士山やケヤキを表現。北口では昇仙峡の仙娥滝をイメージしており、光が屋根から流れ落ちるようなものもある。さらに「水晶」をイメージしたオブジェ、山梨県を代表する特産品の「ぶどう」や「さくらんぼ」が実る姿を表現したイルミネーションなど、見どころが多い。南口道路の街路樹を彩る電飾も用意される予定だ。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年10月29日もし、そう尋ねられたら何と答えるでしょうか?恋は奪うもの、愛は与えるもの。恋は経過で、愛は結果。恋は自分本位、愛は相手本位。恋は不安定で、愛は安定。恋には下に心(下心)があって、愛には中心に心があるとも。こんな風に、世間で言われている違いも様々。答えは人の数だけあるのかもしれません。フランスの文学者で「愛について―エロスとアガペ」を記したドニ・ド・ルージュモンは、愛と恋の違いについて、こう言っています。「惚れるのは状態であり、愛するのは行為である」深いですね。では、あなたがいま誰かを好きだとして、それは恋なのか愛なのか。その狭間で揺れている、それを測りかねているというのなら、観ておくべきは映画『恋と愛の測り方』。キーラ・ナイトレイとサム・ワーシントン演じる夫婦ジョアンナとマイケルが“3年目の危機”に直面しながら、自分たちの関係について、もう一度考え始めるという物語です。夫婦の危機となるのは、妻の元カレ(しかも、恋の国から来たフランス人!)と、妙にセクシーな夫の同僚(出張にも一緒に行く関係!)。妻も夫も、彼らの存在について内緒にしているあたりが、何やら意味深。そこには、潜在的な欲望が隠れているということなのです。夫婦ともに、互いを愛し、いまの生活には満足しています。でも妻が、夫と参加したパーティで、夫に気になる同僚がいることを知ってしまうところから物語は動き始めます。たまたま夫とセクシー美女が楽しげに話しているのを発見。絡み合う視線に胸騒ぎを覚え、2人が「たぶんタイミングを狙っている」と感じ、これまでの出張でも何かあったのではないかと疑い始めるのです。疑念が生まれた以上、妻は冷静ではいられません。その後の夫婦の議論は、なかなかの見もの。夫は動揺し、「とんだ言いがかりだ」「ただの同僚だ、何もない」と言い続けるのですが、それがたとえ本当だとしても、夫の動揺は見過ごせません。肉体の関係がないとしても、夫が誰かに惹かれているというだけで、不快だし、不安なのが女心というもの。こうなると、肉体関係があったかどうか、自分の方が愛されているかどうかは、もう二の次なのです。女性の場合、自分が“一番”になるより、“唯一”であることの方が重要だと考える人も多いようです。反対に男性は一番になりたがる。ジョアンナとマイケルの議論がいつまでたっても平行線なのも、そのあたりに理由がありそうです。そんな状況のまま、夫は問題のセクシーな同僚と出張へ。そんな日に限って、妻は偶然にも元カレ(いまも好き)と再会。どちらにとっても、間違いを犯すには格好の機会が訪れるのです。夫婦は、愛のために踏みとどまるのか。それとも、感情に流されてしまうのか。もしかすると、妻が元カレに、夫が同僚に対して抱いている感情を、人は恋と呼ぶのかもしれません。でも、人はなぜ最愛の人がいるにも関わらず、ほかの人に惹かれるのでしょう。愛の方が崇高だと思われているけれど、人は恋する者の情熱を羨ましがるものです。愛を捨てるつもりはないけれど、恋もしたい。それが愛を脅かすかもしれなくても、です。それは、ジョアンナがマイケルに叫んだように「人は常に新しさを求める生き物だから」かもしれません。パートナーを傷つけると分かっているのに、自分本位にほかの誰かを求める気持ちこそ、恋ということなのでしょうか。たとえそれが、後に愛に変わったとしても。では、もし別の人に恋心を抱いているとして、それでもパートナーのためにセックスはしないとしたら、それは自分を犠牲にして愛を貫いたことになるのでしょうか。それとも、別の誰かに恋心を抱いた時点で、もう裏切りなのか。実はこの作品では、観る者はこの問題にも突き当たります。それは“身体の浮気”と“心の浮気”なら、どちらがより酷い裏切りなのかということ。この話題が出ると、メリル・ストリープとロバート・デ・ニーロ共演の恋愛映画『恋におちて』(’84)を思い出します。既婚者同士が出合い強く惹かれあうのですが、身体の関係は結ばないまま、互いのパートナーに知られてしまうのです。そのとき男が自分の妻に、「体の関係はない」と告白すると、妻は余計に逆上し、「そのほうがよほど罪だ。本気だってことでしょ。肉体関係があったほうが許せるのに」と言うのです。好きだけど、しない。できるけど、しない。大人の男女は、そこに肉体関係以上の深い繋がりや、真剣な想いを見てしまいます。タイトルでは、2人は“恋におちた”ことになっていますが、実はこれは愛なのかもしれません。身体の関係を結んだときよりも、愛する人以外に惹かれるという自分の気持ちに気づいたときこそ、パートナーへの裏切りを意識する人もいることでしょう。気持ちは自然発生的で抑えられないもの、そしてすべての行為の根源。でも、行為は意志で抑えることができる。どちらが厄介か、明白ですからね。だから、ジョアンナは、夫がほかの女性に惹かれていることに気づき、とても傷つき不安になるのです。彼が自分を愛していると分かっていても、自分が彼にとって唯一無二ではない可能性を感じてしまうから。そんなときに、まだ好意を持っている元カレから連絡を受け、誘いに乗って出かけてしまう彼女の気持ちに、共感できる人も多いはず。不安定なときに、自分が特別だと感じさせてくれる男が現れたのですから、すがりつきたくもなるでしょう。もし、「私ならこの状況でも絶対に出かけたりしない」「こんな誘いに乗るなんてダメよ」と断言できる人がいるとしたら、なかなかの理性派。「私は行ってしまうかも」と考える女性と、そうでない女性との違いは、きっと恋愛経験の種類によるもの。現在、愛するパートナーがいるのに、まだ気になる相手がいる人と、いない人では、恋愛観は大きく違うはず。人のキモチとは割り切れないもので、自分ですらコントロールできないと知ってしまった人とそうでない人、ある人に恋をしながら別の人を愛せると気づいてしまった人とでは、ジョアンナへの共感にも大いに温度差が生まれるはずなのです。それにしても、ジョアンナとマイケルを見ていると、結婚の意味がよくわかります。結婚とはいわば契約。“この人”と決めた時点で、残りの一生をともに過ごす誓いを立てます。それは、いわば覚悟の表明。でも、忠実な愛を信じるならば、人は結婚という契約で相手を、そして自分を縛る必要などないのです。つまり、結婚の前提には、人の心は揺れるもの、移ろいやすいという事実が見えてきます。約束事があるから、人はより慎重に行動し、自らの気持ちをコントロールしようとする。だからといって、自重は愛ゆえとは限りませんが。浮気をしていない夫婦が、必ずしも愛し合っているわけではないのですからね。さて、ジョアンナとマイケルはどうなるのでしょう。あなたなら、ジョアンナとマイケルが互いに持つ感情は愛なのか、彼らが元カレや同僚に抱いている感情は恋なのか、はっきりと見分けがつくでしょうか。誰が誰を一番深く愛しているのか。エンディングを見ただけでは、単純に測りかねないのが、彼らの心理というもの。あなたならこの夫婦の抱く感情を、どう推し量るでしょうか。実は、映画をフィルターにして見えてくるのは、あなた自身の恋愛観なのかもしれませんよ。(text:June Makiguchi)特集:恋と愛のちがいって…■関連作品:恋と愛の測り方 2012年5月12日より新宿ピカデリーほか全国にて公開© 2009 Last Night Productions, Inc.■関連記事:『恋と愛の測り方』ハート型ジュエリングブックマーカー&プレスを5名様にプレゼント愛する人がいても恋に迷うことも…?『恋と愛の測り方』試写会&座談会に10名様ご招待恋と愛の違いって?キーラ・ナイトレイ主演『恋と愛の測り方』女性限定試写会に20組40名様ご招待恋と愛の違いって何…?キーラ・ナイトレイ主演『恋と愛の測り方』予告編を公開
2012年04月27日アメリカで暮らすエセルの元にアイルランドから届けられた指輪。それは、彼女が50年前に失った愛の証だった。彼女は心の奥に封印してきた運命の愛に向き合うことを決意する。イギリスの名匠、リチャード・アッテンボローが描く、2つの時代、2つの大陸を結ぶ壮大な愛の物語『あの日の指輪を待つきみへ』。7月に公開を迎える本作で、主人公・エセルの若かりし頃を演じたミーシャ・バートンが来日、4月23日(水)に記者会見が開かれた。自身が演じた若き日のエセルを「純真で無垢な存在」と語るミーシャ。「ひたむきで、自分の気持ちに一生懸命なところが彼女のいいところ。最近の映画では、あまり見られないタイプのキャラクターで、素晴らしい経験ができました」とふり返った。劇中では美しいヌードを披露しているが、ミーシャは「恋愛に関して、エセルは情熱的で、好きになったら自分でどんどん決断していく女性。あのヌードシーンには、彼女が自らの感情をむき出しにした、という意味があるんです。変にいやらしさを感じさせず、いいシーンになっていると思います」と語った。現代のエセルを演じるのは名女優、シャーリー・マクレーン。「昔からシャーリーのファンだったので、彼女の若い頃を演じられるなんて夢みたいだった」と言うミーシャ。「現場で会ったシャーリーは、はつらつとしていました。彼女の方が先に撮影に入っていたので、事前に彼女のシーンの映像を見せてもらえたのはラッキーでした。現代のエセルは、戦争に打ちのめされ、自分の殻に閉じこもってしまった女性。ただ、私はそうした暗い部分とは切り離された、全くの別人格の人間としてエセルを演じればよかったので、やりやすさはありました。もちろん、シャーリーと同じ人物を演じるという責任は感じましたけど」と役作りの過程を明かしてくれた。日本でも人気のTVシリーズ「The OC」の撮影後初めての映画として、本作の撮影に入ったというミーシャ。TVと映画の違いについて「TVドラマは、長いシーズンを通じて、キャラクターの成長を演じられる、というのはあるんですが、物語がどこに進んでいくのか分からないままに演じなければなりません。映画では、最後がはっきりと分かっているので、やりやすい部分はあります。演じる上で、ドラマと映画は全く違うものだと感じました」と語ってくれた。指輪についてミーシャ自身、何か個人的に思い出は?と尋ねると「指輪は毎日してるわよ。いろんなものを持っているけど、それぞれにセンチメンタルな思い出があるわ」といたずらっぽく笑った。劇中のファッションについてもミーシャは「撮影では、実際の1940年代の洋服を着る機会もあったんですが、あの時代のスタイルは本当に素敵です。女性たちが、ファッションにいつも気を配っていたことも映画できちんと描かれています」と嬉しそうに語った。そして、この映画で描かれる愛について「いまの時代の若い人には、『あり得ない』と感じられるかもしれませんが、私には信じられます。というのも、監督と奥様のシーラさんは、いまの私ぐらいの年齢で出会い、戦時中もずっと一緒に乗り越えてきたそうです。すぐそばに“真実の愛”の実話があったことで、すんなりと信じることができたんです。リチャードと一緒に映画を作ることができて、本当に幸せでした」と力強く語ってくれた。『あの日の指輪を待つきみへ』は7月、テアトルタイムズスクエアほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:あの日の指輪を待つきみへ 2008年7月19日よりテアトルタイムズスクエアほか全国にて順次公開(C) SCION FILMS PREMIER (THIRD) LIMITED PARTNERSHIP/UK FILM COUNCIL/ CLOSING THE RING LIMITED/ CTR CANADA LIMITED
2008年04月23日