「子どもの塾代が高すぎる」と嘆く声を聞いて……「子どもの居場所になる、激安の学習塾を作りたかった」——哲夫さんが「寺子屋こやや」を立ち上げたきっかけを教えてください。哲夫さん(以下、哲夫)きっかけは事務所の社員さんが「子どもの塾代が高い」と嘆いていたことからなんです。もちろん塾にもよるとは思いますが、小学生でも月6~7万円もかかると聞いて、これでは今は一部の裕福な家庭の子どもしか塾に行けないのでは?と思いました。もっといろんな家庭の子が通える塾があったらいいのに、と考えるようになりました。——学生時代に塾講師のバイト経験もあったんですよね。哲夫大学時代は塾講師や家庭教師、教職課程の単位をとって勉強をしていたので、ずっと教育には興味を持っていました。そこで同じような志を持つ友人に声をかけ、どんな家庭の子でも通える激安の塾を開こうという話になりました。現在は小学校3年生から中学3年生までの子どもが通っていて、後輩芸人にも手伝ってもらいながら経営しています。——小学生は3500円/月から、中学生は通い放題でも最大20,000円/月という価格設定は確かに激安だと感じます。「寺子屋こやや」はどんなスタイルの学び舎なのでしょうか?哲夫一般的な塾のように、集団で決まった時間に授業をしているわけではありません。授業や宿題などでわからないところを、その場にいる大人に聞いて個別に理解していくというスタイルの学び舎です。生徒一人ひとりが苦手な科目を克服する場、と思ってもらえたら想像しやすいと思います。「あんたはもともと賢い子やのに、なんで勉強せぇへんの?」「子どもの頃は勉強なんて嫌いでした(笑)」哲夫僕自身も小~中学生のころ、学校が終わってから近所のおばあちゃん先生に月3,000円で勉強を教えてもらっていました。そこでは家族や学校以外の大人に叱られたり、褒められたりという、貴重な経験をしました。——哲夫さんは子どものころ、勉強が好きでしたか?哲夫嫌いでした(笑)。あるとき、おばあちゃん先生に「あんたはもともと賢い子やのに、なんで勉強せぇへんの?」と言われました。そのときは「だって勉強嫌いやもん」と答えたことを覚えています。勉強をするようになったのは中学に入ってからですね。どうしても高校でサッカーの強豪校に進学したくて、そこからスイッチが入り、猛勉強しました。——小学校の時に出会ったおばあちゃん先生は、哲夫さんがスイッチさえ入ればものすごく頑張れるということを見抜いていたのかもしれませんね。哲夫どうでしょうね(笑)。でもあの言葉は、僕にとっては自信につながるものでした。その言葉をお守りにして、学生時代は勉強に向き合えていたんだと思います。——学校や家庭に心地よい居場所がなく、生きづらさを感じている子どももいます。そうしたお子さんにとって、まったく別の人間関係を築ける塾は第三の居場所になり得ますよね。「寺子屋こやや」もそうなっていると思いますか。哲夫そうですね。思春期の子どもにとって、学校が終わってからの自分の居場所があることは大事だと思います。子どもはそういう場で社会経験を積んで大人になっていきますから。それにね、夜の時間に、堂々と家の外で友達や大人と過ごしているって、ちょっと冒険っぽくてワクワクすることだと思いませんか?これからも「寺子屋こやや」が子どもたちにとって、“親に認められた冒険の場所”であってほしいと思っています。「いじめはダサイ」という空気が必要「自分ではあまり覚えてないんですが……ヒーローだったらしいです(苦笑)」——春から一番上のお子さんが小学生になります。哲夫さんが日本の教育現場に望むのはどんなことですか。哲夫とにかく“いじめ”がなくなったらいいなと思います。今も昔も先生たちも本当に忙しいと思うので四六時中、子どもを見守ることは難しいと思います。でも、相手は子ども、先生は大人ですからクラスでは受け皿の存在でいてほしいです。そのためにも先生たちの労働環境はもっと向上させるべきだと思いますし、きちんと子どもを叱れるように保護者の側にもある程度の寛容さが求められると思います。それともうひとつ、教員側、学校側の「いじめを容認しない」という態度はもちろん重要ですが、子どもたちの側もそうであってほしいです。僕は、いじめをやめさせるには、「イケてるやつ」が空気を変えることが必要だと思っています。ーー「イケてるやつ」が、ですか?哲夫どういう意味かというと……これは自分の子どもの頃の話なんですけどね。小学校6年生のとき、クラスに女の子が転校してきたんです。今でも覚えていますが、可愛らしい子でした。次第にクラスの目立つ女子グループに目を付けられ、陰口を言われるようになってしまいました。まあいじめですよね。さて当時の僕はサッカーが一番上手で、学年1のイケイケだったんですが……ーー学年で一番イケている哲夫さんが……哲夫その集団に向かって、「女子、おもんないことすんなよ!」って言ったそうなんです。それがきっかけでいじめがなくなった、と聞きました。——「言ったそう」「聞きました」ということは……哲夫さんは当時のことをあまり覚えていないんですか(笑)?哲夫そうなんです(苦笑)。実はこの話は大人になってから、その転校生と再会したときに聞きました。「哲夫くんのあの時の言葉に私は救われた、ありがとう」と御礼まで言われてしまったんです。当の本人は「そんなこと言ったっけ」な状態ですけど、たしかに当時の僕はイケイケでした(笑)。だからいじめ問題が勃発したら、イケてるやつが正論を言うと、空気がガラッと変わり、「いじめ=ダサい」となるんじゃないかなと思っています。だから自分の子どもも、空気を変えられるイケてるやつになってくれたらいいなって思います。笑い飯 哲夫(わらいめし・てつお)1974年奈良県生まれ。2000年に西田幸治さんと漫才コンビ「笑い飯」を結成し、2010年には『M-1グランプリ』で優勝。2014年より小・中学生に向けた格安補習塾「寺子屋こやや」の運営をスタートし、教育分野にも積極的に関わっている。著書に『がんばらない教育』(扶桑社)、『えてこでもわかる 笑い飯哲夫・訳 般若心経』(ワニブックス)など。0歳、3歳、6歳の3児のお父さん。みんなのお悩みに哲夫さんが答える!『がんばらない教育』(扶桑社)『がんばらない教育』¥ 1,540(取材・文=安田ナナ)
2024年03月05日「去年、3人目が生まれたんです。まだまだがんばらなあかん」三児の父に!——哲夫さんは芸人としてステージに立ちながら、テレビやラジオ出演、学習塾「寺子屋こやや」の運営、農業、そして子育てと非常に多忙です。現在はどのようなスケジュールで活動されているのでしょうか。哲夫さん(以下、哲夫)芸人としては主に劇場や営業、ラジオやテレビで活動していて、お寺巡りのロケなんかもあります。吉本の劇場はあちこちにあるので、いろんな場所で漫才をやっています。特に決まったスケジュールはないのですが、子どもたちの保育園の送り迎えやお風呂はできるだけやるようにしていて、寝る前にカルタやトランプで遊んだりもします。——お子さんの年齢はおいくつですか?哲夫一番上の子が6歳、次が3歳。そして昨年の9月に3人目が誕生しました。奥さんは赤ちゃんに付きっきりなので、とにかく自分が家のこともやらないと回らないですね。——第三子が! おめでとうございます。それは毎日にぎやかですね。哲夫そうなんです。3人目が生まれてさらに責任感が増しました。49歳ですがまだまだがんばらなあかんなって思っています。最近は上の2人の子をラジオの仕事現場に連れていって、収録中、現場のスタッフさんにお世話になりました。そんなに長い時間じゃなかったのに、終わって戻ると子どもたちがスタッフさんにあだなを付けたりして、すぐに仲良くなっていてびっくりしました。——お父さんと一緒に仕事をしている人など、親や保育施設の人だけでないいろんな大人に触れることも、お子さんにとって良い影響がありそうです。哲夫まさにそうで、子どもだからといって子どもだけの世界にいるのではなく、多くの大人に会っていろんな考え方があるということに触れることは社会勉強になると思います。僕自身も小さいころから、両親以外に祖父母や近所の人など、さまざまな大人に触れてきました。子どもながらに「ここではこれを言うたらあかん」など、場の空気を読んで言ってはいけないことをほどよく理解しながら子ども時代を過ごしていたんじゃないかと思います。春から故郷・奈良に家族で移住自分が育った環境で子どもたちを育ててあげたい、という哲夫さん。——子育てに関して奥様と衝突することはないのですか?哲夫僕も妻も奈良の田舎で育って、比較的同じような感覚で子育てをしているので、衝突するようなことはないですね。お互い、子どもにはYouTubeを見せない、遊びと言ったら川遊び・土いじり・虫とりというような感覚が一致していて、ともすれば古臭いかもしれません。でも我が子にはそうした自然との触れ合い経験をある程度積んでほしいと思っています。この春から、故郷の奈良に移住して子育てをする予定なんです。——新生活が楽しみですね。哲夫自分の育った環境で子育てができることは本当にありがたいです。両親もすぐ近くにいるので、子どもたちにとっておじいちゃん、おばあちゃんがすぐそばにいる環境はすごくいいと思います。ご近所さんも昔から知っている方ばかり。僕が東京や大阪で仕事がある時も安心です。——慣れ親しんだ環境での子育てはリラックスできそうでいいですね。いろんな大人に触れる、自然と遊ぶ……お子さんたちを育てるうえで哲夫さんが大事にしていることは他にもありますか?哲夫実家が農家をしていたので、僕は子どものころから「ご飯粒は残さない」ということを厳しくしつけられてきました。これは我が子にも徹底しています。そして、叱るときと叱る、褒めるときはしっかり褒めます。——「褒め方が難しい」という声もよく聞きます。子どもを褒めるときのコツはありますか?哲夫よその子と比較するのではなく、その子自身の成長をしっかり褒めてあげてほしいです。たとえば、うちの3歳の子は動作が遅いことがありますが、そんな時は「1,2,3……」ゆっくりカウントするんです。先月までは靴を履くのに5秒ほどかかっていましたが、今月になって3秒で履けるようになりました。「めっちゃ早なってるやん!」と褒めまくると、得意満面の顔を見せてくれました。ちょっとしたことでもいいんです。その子の変化を褒めることは本当に大事だと思います。駆けていく我が子の後ろ姿を久しぶりに見た「子どもの考えることは、面白い!」——昨年発売された哲夫さんの新刊『がんばらない教育』(扶桑社)ではさまざまな質問に答えていますが、人のお悩みに回答するときはどんなことに気をつけていますか?哲夫目線を配ることを大事にしています。これは相談を受けるときに限らず、漫才をするときも一緒なんですが、相方にしか目線を向けない芸人がたまにいるんです。そういう人を見るとがっかりします。自分はいま誰に向けて話しているのか、ということを意識すると、おのずと相手の目を見て話すと思うんです。でも、それができていない人が最近多いように思います。——言葉を伝えたい相手をしっかり見るということは、親子の関係でも同じかもしれません。哲夫それに加えてお悩み相談の場合は、相手が求めていることは何なのかを判断し、適切な提案することを意識しています。でも芸人なので面白いこと、相手が笑顔になってくれるような話を無意識にしたくなってしまうんですよね(笑)。——パパとして、ご自身のお子さんから質問されることもありますか?哲夫真ん中の3歳の子が最近は「なんで? なんで?期」なんでしょうね、どんなことでも質問してきます。たとえばこのあいだ、「どうして車は動くの?」と聞いてきたので、僕は「エンジンがあるから」と答えました。すると次は「エンジンがあるとなんで動くの?」と聞いてきました。しばらくは子どもが質問する、僕が答えるのやり取りを続けましたが、僕も八方塞がりになってくるので(笑)、最後は「自分で考えてみ」と提案すると、3歳なりの面白い答えを出してくるんですね。こういうやりとりの時間も大事にしたいなと思います。——0歳児もいて、哲夫さんはまだまだ子育て世代ど真ん中ですね。哲夫よく「40代での子育ては大変でしょう」と声をかけられますが、僕自身は大変だとは思っていません。体力的にもまだ問題ないので、子どもの送り迎えも楽しんでいます。先日、保育園の帰りに子どもが自転車を降りて走りたいと言うので「車に気を付けて走るんやで」と言って自転車からおろしました。すると、しっかりとした足取りで走っていました。ここのところ我が子の走る姿を後ろから見ることがなかったので、「ああ、大きくなったな」と成長をつくづく感じました。人によっては、子どものやることに先回りしてなんでも「ダメ」と言ってしまう人もいるかもしれません。自転車から降りて走るなんて危ないし、早く帰りたいのに時間もかかるし、って。でも、しっかり注意してからやらせてみると、子どもの意外な一面が見えることもあるんですよね。笑い飯 哲夫(わらいめし・てつお)1974年奈良県生まれ。2000年に西田幸治さんと漫才コンビ「笑い飯」を結成し、2010年には『M-1グランプリ』で優勝。2014年より小・中学生に向けた格安補習塾「寺子屋こやや」の運営をスタートし、教育分野にも積極的に関わっている。著書に『がんばらない教育』(扶桑社)、『えてこでもわかる 笑い飯哲夫・訳 般若心経』(ワニブックス)など。0歳、3歳、6歳の3児のお父さん。みんなのお悩みに哲夫さんが答える!『がんばらない教育』(扶桑社)『がんばらない教育』¥ 1,540(取材・文=安田ナナ)
2024年03月04日お笑い界屈指の仏教通である凄腕漫才師、お笑いコンビ・笑い飯の哲夫。最新著書『ザ煩悩』など書籍も出版し、4月から相愛大学の人文学部に客員教授として就任するなど、仏教関係の仕事でも活躍を見せている。コンビ結成20周年を迎える節目の今年。20年のキャリアを振り返るとともに、今後の抱負を語ってもらった(※取材は緊急事態宣言の発令以前に行ったもの)。――笑い飯さんは、今年の7月に結成20周年を迎えます。20年のキャリアを振り返ると、結成当初に描いていたものとは違いますか?結成当初は、僕が仏教の仕事をするなんて、全く思ってなかったですから(笑)。その辺は思い描いていたところとは違う形に。『M-1グランプリ』も、9年決勝に行かせてもらって、9年目、最後の2010年に一応ご慈悲で優勝させていただいたんですが(笑)。あれも「もうちょっと早くに優勝できるかな?」なんて、勝手に、偉そうに思っていました。20年になって、まさかコロナウイルス、こんなに無観客になるとも思ってなかったです。――お客さんがいない中でのネタやトークは、いかがですか?お客さんがいない分、すべるっていうことがないんですよ。だから、むちゃむちゃできるっていうのは、強みだったりしますね(笑)。――『M-1』で優勝を達成するまでの9回のチャレンジで、支えになっていたものは何だったんでしょう?根拠のない自信っていうやつですよね。ただただ「俺めっちゃおもろい」って思い続けるっていうことですね(笑)。「どう考えても、俺が日本一面白いんだ」って。みたいなことを、勝手に無根拠で信じるという。――西田さんとコンビとして歩んでいく中で、危機はありましたか?特に、辞めるっていう話にはなっていないですかね。――客観的に見ると、笑い飯はどういうコンビだと思いますか?小田和正さんと佐藤竹善さんが組んではったPLUS ONEというユニットの「クリスマスが過ぎても」という歌があって、それをカラオケで入れるんですが、誰も「知らん」って言うんですよ(笑)。(皆が)知らん歌を歌い続けるのが趣味だったりするんですけど、それが笑い飯だと思っています。誰も覚えていないっていうのは、どやねんと思うんですが(笑)。(PLUS ONEの)お二人ともめっちゃ声きれいで、そんなすごいユニットがあったんですよね。(笑い飯は)2人ともめっちゃおもろいんですよ。その2人が組んでいるという、勝手な考えなんです(笑)。――個人として、コンビとしての、今後の野望は?コンビとしては、関西でずっとやらせてもらっていて、漫才というものがすごく好きで、劇場というものがすごく大きな存在なんです。年齢的にも、まあ中堅になってきたのかなと思うんです。この先、もうあと何年もしたら「師匠」って言われる年齢になってくるんか…というような考えの域の及ぶ年齢になったなと思いますね。だから、すごいおじさんやのに、めちゃめちゃ変なことを言っている二人やなっていう、年齢がいい振りにできるようなコンビになっていくんだなと思います。個人としては、ほんまにありがたいことに、仏教のお仕事をさせてもらっていて。本を出すのは『ザ煩悩』で7冊目なんですけども、他に吉本の芸人で7冊も出している人って、松本(人志)さんくらいちゃうか? みたいな話を聞いたことがあって。又吉(直樹)も、他の媒体ではいっぱい出しているけど、一冊の本としてはそこまで出してないかもわかんないみたいな話を聞いたんですよね。だから個人としては、ぶっちぎりで本を出している芸人になれればなあと(笑)。あと、三島由紀夫さんが亡くなって50年で、今年はいろいろなことをやられるみたいですけど、三島由紀夫さんが亡くなったのが45歳で、今、僕45歳なんですよね。で、50年経っているので、11月25日に、とりあえず市ヶ谷駐屯地に行こうかなと。何をするかとは決まっていませんが、11月25日、三島由紀夫さんの御命日には、市ヶ谷駐屯地に行こうと思います(笑)。――哲夫さんのファンが集まっちゃうかもしれませんね(笑)。そこで仏教講座ができたら。あのバルコニーから、お客さんを集めて、仏教講座をやれたらなって。で、皆から「降りろー!!」って言われて「黙って聞けえ!!」って言おうかなと思います(笑)。罰当たるわ(笑)。■哲夫(笑い飯)1974年12月25日生まれ。奈良県出身。吉本興業所属。2000年7月に相方の西田幸治と笑い飯を結成。Wボケ漫才で繰り出す個性的なネタを武器に『M-1グランプリ』決勝に9度進出し、ラストチャンスとなった2010年に悲願の初優勝を果たし、全国区の知名度を獲得。これまでに仏教関連の本では『えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳 般若心経』『ブッダも笑う仏教のはなし』などを出版。
2020年05月25日岡山大学は1月27日、ビタミンB12関与酵素の再活性化「シャペロン」である「ジオールデヒドラターゼ(DD)再活性化酵素(DD-R)」の「ヌクレオチドスイッチ」と「サブユニットスワッピング」に関与するアミノ酸残基を同定したと発表した。成果は、岡山大の虎谷哲夫 名誉教授、同・大学院 自然科学研究科の森光一助教らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、2013年12月3日付けで米生物化学系国際雑誌「Biochemistry」に掲載された。虎谷名誉教授らがかつて発見したのが、ビタミンB12が補酵素として関与する酵素(以下、B12酵素)の触媒機構を詳細に研究する過程で、不活性化されたB12酵素を再活性化する3種類の「分子シャペロン」と呼ばれるタンパク質だ。「再活性化因子」または「再活性化酵素」と名付けられた。シャペロンとは日本人からするとちょっと馴染みのない単語だが、「若い貴婦人が社交界にデビューするときの介添え役」というのが元々の意味で、それが転じて分子の世界で「タンパク質が正しく折り畳まれて立体構造を形成するのを助けるタンパク質」のことを分子シャペロン、または単にシャペロンとしたのである。今回の研究は、その中で最も研究が進んでいるDD-Rが用いられ、不活性化されたB12酵素の再活性化の分子機構が明らかにしたという内容だ。ビタミンB12はコバルトを含む「錯体」(金属と非金属の原子が結合した構造の化合物)で、生体内で補酵素型(ビタミンB12補酵素:画像1)に変換され、酵素の活性部位に結合してその触媒作用を助ける。ビタミンB12補酵素はコバルト-炭素(Co-C)結合を含む複雑な構造と重要な生理機能により、理、工、農、薬、医など多くの分野の研究者らを魅了してきた。B12酵素は、化学的に起こり難い反応を触媒するため、「ラジカル」という超活性種を活用している(画像2)。ラジカルは不対電子を持つ化学種のことで、一般に反応性がきわめて高い反面、副反応を起こして消滅し易く、その結果補酵素が損傷を受けてしまう。その損傷補酵素は酵素から離れないため、B12酵素は不活性化され易いという宿命があるのだ。画像2は、触媒機構と補酵素リサイクリングの概略。B12補酵素(アデノシルコバラミン:AdoCbl)が関与する酵素はラジカル機構で触媒する(基質はSH、生成物はPH)。ラジカル中間体のいずれかが副反応を起こしてラジカルが消滅すると、補酵素が再生されず、生じた損傷補酵素(X-Cbl)が酵素から離れないため酵素は不活性化される。そして再活性化酵素として働くシャペロンはATP存在下で、強固に結合しているX-Cblを酵素から解離させる。生じたアポ酵素(E)はAdoCblと結合して活性な「ホロ酵素」を再構成する。X-Cblは「コバラミン還元酵素」と「アデノシル基転移酵素」によりAdoCblに再生されるという具合だ。そうしたB12酵素とヌクレオチド依存的に固く結合して損傷補酵素を解離させることで、B12酵素を再活性化するという作用機構を持っていたのが、再活性化シャペロンである。さらに再活性化シャペロンの立体構造が解析され(画像3)、類似した構造のサブユニットを持つ酵素との間でサブユニットスワッピング(2つのタンパク質の間でサブユニットの交換が起こること)により複合体が生成されること、およびこの複合体中で誘起される立体反発により損傷補酵素が解離するという機構が明らかにされた。しかし、ヌクレオチド依存的に酵素との結合性が変化し、シャペロン機能が発現するというヌクレオチドスイッチとサブユニットスワッピングに関与するアミノ酸残基については不明のままだった。そこで研究チームは今回、3種類のB12酵素再活性化シャペロンと熱ショックタンパク質「Hsp70」が全体的には似ていないものの、アミノ酸配列が局所的に類似した領域が3カ所存在し、それらが「ADP」結合部位の3つのループに対応することをDD-RのX線構造解析により解明したのである(画像4)。さらに研究チームは今回、これらの局所的類似領域のアミノ酸残基に変異を導入して研究を進めた。その結果、いずれのループもDD-Rの機能に必須であることがわかり、ATPの加水分解に重要なAsp残基とATP-ADPスイッチに重要なAsp残基とを同定することにも成功したというわけだ(画像5)。また、DD-Rのサブユニット界面に存在するMg2+の役割に着目し(画像6)、Mg2+に配位している残基に変異を挿入するとDD-R機能が失われることが示された。さらに、このMg2+に配位するGlu残基を含む(Glu)3クラスター領域がB12酵素DD側にも存在することに注目し(画像3)、真ん中のGluをGln残基で置換すると、DDがDD-Rによる再活性化を受けられなくなることも確認されたのである。これらの研究成果により、DD-Rのヌクレオチドスイッチ機構の一端が解明され、また、Mg2+への配位がサブユニットスワッピングとDDの再活性化に不可欠であることが明らかとなったというわけだ。今後、非加水分解性ATPアナログが結合したDD-Rの立体構造を解明することで、B12酵素再活性化シャペロンのヌクレオチドスイッチの精密な機構が解明されると期待されるとしている。
2014年01月29日