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2024年10月17日に亡くなったことが報じられた、俳優の西田敏行さん。ネット上では、多くの人が悲しみの言葉をつづっていました。共演経験のある俳優やタレント陣も、西田さんとの思い出を明かしており、悲しみの声が広がっています。丘みどり「あの時私も撮ってもらえば…」演歌歌手の丘みどりさんは、バラエティ番組『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送テレビ)で西田さんと共演したといいます。その時のエピソードを、このようにつづりました。西田敏行さん。探偵ナイトスクープでご一緒させていただいた時「友達に自慢したいから写真一緒に撮ってもいい?」と素敵すぎる笑顔で話しかけてくださいました。あの時私も撮ってもらえばよかったな。本当に本当に優しい方でした。心よりご冥福をお祈りいたします。— 丘みどり (@okamidori0726) October 17, 2024 西田さんから「友達に自慢したいから写真一緒に撮ってもいい?」と声をかけられたという、丘さん。笑顔で話しかけてもらい、とても優しい人だったと振り返ります。その時は、西田さんのカメラでしか撮影できておらず、丘さんは「あの時、私も撮ってもらえばよかった」と悔やんでいました。中野英雄「あなたに憧れて俳優の仕事を選びました」俳優の中野英雄さんは、タレントの北野武さんが監督を務めた映画『アウトレイジ ビヨンド』で、西田さんと共演。「あなたに憧れて俳優の仕事を選びました」とコメントし、共演した際の様子を明かしました。西田敏行様貴方に憧れて憧れて俳優のお仕事を選びました、共演するまで25年掛かりましたアウトレイジビヨンドの一度だけです震えて芝居したのを覚えます 悲しいです私の太陽がまた1人沈んでしまった…さよならご冥福をお祈り致します pic.twitter.com/2nRRyfZE29 — 中野英雄 (@bugsyinc) October 17, 2024 中野さんは「共演するまで25年かかりました」とし、共演できた同作では「震えて芝居をしたのを覚えています」と振り返りました。そして「悲しいです。私の太陽がまた1人沈んでしまった…」と悲しみを惜しんでいます。田中健、西田敏行との最後のLINEを明かす西田さんと古くから交流のあった、俳優の田中健さん。西田さん、田中さん、俳優の柴俊夫さん、歌手の松崎しげるさん、そして2022年に亡くなった俳優の志垣太郎さんで『五人会』を結成し、よく集まっていたそうです。田中さんはブログを更新し、「何がなんだか分かりません。現実の事とは思えないのですが」と、突然の訃報に驚きを隠せない様子でした。そして、2024年9月24日に撮影した4人の写真を公開。当時の西田さんの様子を「いたって元気だった」とつづり、最後に西田さんからもらったLINEも明かしました。そして、 「五人会が三人会になってしまった」と悲しみをあらわにしています。若い頃からたくさん遊んで、歌って飲んでいました五人会が三人会になってしまった4人で集う番組の企画もあったし西ヤン一押しの福島温泉旅行も行こうって話してたのに…実現出来ないじゃないか早すぎだよ、西やん早すぎだよ。今日も仕事だったと聞いたよ。田中健オフィシャルブログーより引用「もっともっと一緒に愉しみたかった…」と悲しむ、田中さん。「たくさん西ヤンと時を共有できたことをまずは感謝しなければ…」と、西田さんへの感謝の言葉で締めくくっていました。広瀬アリス「私が捻くれていて暗黒期に…」2015年にテレビドラマ『釣りバカ日誌 ~新入社員 浜崎伝助~』(テレビ東京系)で、西田さんと共演した俳優の広瀬アリスさん。当時を「私が捻くれていて暗黒期と呼んでいた時期」と振り返り、西田さんとのエピソードを振り返りました。まだ私が捻くれていて暗黒期と呼んでいた時期に釣りバカ日誌でご一緒して地面ばかり見ていた私にお芝居って楽しいよ、こうするとどんどん楽しくなっていくよと真正面から教えてくださったのが西田さんでした。何か作品に出るたびに連絡くださって、アリスちゃんは最高なコメディエンヌだね!って9年前から変わらず、ずっと言ってくださいました。言われた当初はピンと来なかったけど今となってはコメディーが私の強みでもあって、今の私があるのは西田さんの存在があったからです。私を救ってくださいました。突然の事で信じられないですし悲しいって言葉では表せない程落ち込んでいますが今私ができることは笑顔でお仕事を続けることです。コツコツと頑張るのみです。きっと見ててくれると思うので。スーさん。どんな時も優しく包み込んでくださってありがとうございました。とても感謝しています。心よりご冥福をお祈りいたします。@Alice1211_Mgーより引用西田さんは、広瀬さんに芝居の楽しさを教えてくれたといいます。そして「アリスちゃんは最高なコメディエンヌだね!」と褒め、広瀬さんを救ってくれたのだそうです。「悲しいという言葉では表せないほど落ち込んでいる」とつづった広瀬さん。そして「今私ができることは、笑顔で仕事を続けることです。コツコツと頑張るのみ」と、前を向いて仕事に励むことを宣言しました。【ネットの声】・西田さんは人望の厚い方だったんだなと改めて思った。・優しい役から、強面の役まで、本当幅広い役を演じられる名優だった。・日本中がショックを受けたと思います。大好きな俳優さんでした。多くの芸能人が、西田さんとの楽しい時間を振り返り悲しみをつづっていました。西田さんが残した功績は、それぞれの人の心の中で、生き続けるでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年10月18日タレントの松村邦洋が、18日放送のニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(前11:30)に生出演。17日に亡くなった西田敏行さんを、ものまねで追悼した。松村は、西田さんの訃報に触れ「さみしくなりますね。(自分のところにも)たくさんメールがきましたですね」とコメント。「映ってないところを大事にする人。楽屋とかを和ませる」と人柄を紹介しながら「高田先生が倒れた時に、西田さんから連絡がきて『先生のこういう時は一肌脱いじゃうよ』っておっしゃってくれました」と振り返った。また、2017年出演時の音声も流されて、西田さんの妻がかつてニッポン放送で働いていたことも明らかに。その後は、松村が『白い巨塔』『タイガー&ドラゴン』『釣りバカ日誌』『葵 徳川三代』『アウトレイジ』といった名作をものまねで披露していた。番組の模様は、放送後1週間以内は「radiko」で聞くことができる。
2024年10月18日俳優の要潤が18日、自身のインスタグラムを更新。【画像】渡辺謙「また大好きな先輩を失った」西田敏行の死を悼む「西田さんが旅立たれました。昨年お会いした時は変わらずお元気で、芝居も変わらずナチュラルで、待ち時間には口笛を吹きながら、皆の緊張を和らげてくださっていました。」などと綴り、1枚の写真を投稿した。俳優・西田敏行の訃報を受け、追悼のメッセージを送った要。「「要くんとはもう何回も共演してるね。」と、僕なんかの事を覚えてくださっていた時には本当に感激しました。」と西田との思い出を振り返った。 この投稿をInstagramで見る jun kaname(@jun_kaname_official)がシェアした投稿 この投稿にファンからは「昭和の名俳優さんがまた1人天国に行かれて寂しいばかりです」「素敵な写真ありがとうございました。要さんにとって大事な存在なんですね。心からご冥福をお祈り致します」といったコメントがよせられている。
2024年10月18日俳優の西田敏行さんが死去したことが17日、関係者への取材で分かった。76歳。一夜明けても悲しみは癒えず、後輩俳優らから続々と追悼のコメントが寄せられている。俳優の西島秀俊(53)はインスタグラムで「ショックです。あまりに急な事に言葉もありません」と悲しみ。「西田さんが演じる事でなにげないシーンが生き生きと輝き出すのを、いつも魔法を見ているような気持ちで見ていました。誰に対しても優しい、大きな方でした」と思い出を振り返り、「もっともっと会いたかった。色々な話を聞きたかった。本当に残念でなりません。ご冥福をお祈り申し上げます」と締めくくった。仲間由紀恵(44)はインスタグラムで「突然の訃報に、言葉がでてきません 西田敏行さん、あたたかく優しい本当に本当に素敵な先輩でした 笑顔の優しいお顔が、思い出されます 寂しいです」とつづり、「どうか、ゆっくりお休みください」と伝えた。ドラマ『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』(TBS系)で共演した新木優子(30)は2ショットを添えて「撮影の合間に日常の何気ないことや、素敵なお話しを沢山してくださったことを今でも鮮明に覚えています。本当に楽しかったです」と感謝をつづり、西田さんの役名で「大好きー!!こむちゃん」とコメント。「西田敏行さんに心から哀悼の意を表します」と追悼した。土屋太鳳(29)は「西田敏行さんはスーパームーンのように明るいかたでした」と振り返り。「『ずっと真面目にしてたら、つかれない?』とある時、西田さんが私にいたずらっ子のような顔をしておっしゃいました。『私、ダメダメなんですよ。』と言うと、『そうか、それでいいんだよ!』と満月のような笑顔でおっしゃってくださいました」などと振り返り、「『いつかまたお会い出来る』と、思っちゃいけなかったんだなと 寂しい気持ちでいっぱいです」とつづり感謝も伝えた西田さんは1947年11月4日生まれ、福島県出身。オフィスコバック所属。1970年に劇団青年座に入団。翌年、舞台『写楽考』で初の主演を務める。81年にリリースしたシングル「もしもピアノが弾けたなら」が、累積売上51.7万枚のヒットを記録(オリコン調べ、2024年10月21日付現在)。以降は俳優として映画・ドラマ・舞台で活躍し、数多くの作品で主演を務める。代表作である映画『釣りバカ日誌』は、人気シリーズとして88年~09年まで公開された。その他、映画『学校』(93年)、映画『陽はまた昇る』(02年)、映画『ゲロッパ!』(03年)、映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(17年)、ドラマ『池中玄太80キロ』シリーズなど多数出演。08年、紫綬褒章を受章した。
2024年10月18日俳優の広瀬アリスが17日深夜、自身のXを更新。同日亡くなった西田敏行さんを追悼した。広瀬は「まだ私が捻くれていて暗黒期と呼んでいた時期に、釣りバカ日誌でご一緒して地面ばかり見ていた私にお芝居って楽しいよ、こうするとどんどん楽しくなっていくよと真正面から教えてくださったのが西田さんでした」と回顧。「何か作品に出るたびに連絡くださって、アリスちゃんは最高なコメディエンヌだね!って9年前から変わらず、ずっと言ってくださいました」と明かした。続けて「言われた当初はピンと来なかったけど今となってはコメディーが私の強みでもあって、今の私があるのは西田さんの存在があったからです。私を救ってくださいました」と感謝。「突然の事で信じられないですし悲しいって言葉では表せない程落ち込んでいますが今私ができることは笑顔でお仕事を続けることです。コツコツと頑張るのみです。きっと見ててくれると思うので。スーさん。どんな時も優しく包み込んでくださってありがとうございました。とても感謝しています。心よりご冥福をお祈りいたします」と記した。
2024年10月18日きょう18日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』(月~金後1:00)は、俳優の西田敏行さんがきのう17日に76歳で死去したことを受け、「緊急追悼 西田敏行さん」と題し内容を変更して放送する。公式サイトでは「過去の貴重な映像で、西田敏行さんを偲びます」としている。公式Xではきのう「放送内容変更のお知らせ」とし、「明日10月18日(金)は、『緊急追悼西田敏行さん』を放送します。なお、18日に予定していた木村カエラさんの放送は10月21日(月)に変更になります」と発表。最後に「西田敏行さんのご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます」と追悼した。
2024年10月18日俳優の西田敏行さんが死去したことが17日、関係者への取材で分かった。76歳。訃報を受け、西田さんと映画『ザ・マジックアワー』、NHK大河ドラマ『八重の桜』で共演した俳優・綾瀬はるか(39)が、所属事務所を通じて追悼コメントを発表した。綾瀬は「また共演したかったです。大河ドラマや映画でご一緒させていただきましたが、どっしりとしているけれど、やさしく軽やかで、頼もしい大先輩でした。心よりご冥福をお祈り申し上げます」としのんだ。
2024年10月17日歌手の松崎しげるが17日、自身のXを更新。同日に亡くなった俳優の西田敏行さんを追悼した。松崎は「盟友西田敏行が亡くなった…自分が歌手として、西田が俳優として売れる前からずっと一緒に過ごしてきた仲間が…体の一部が剥ぎ取られたみたいに悲しい、虚しい、悔しい…」と思いの丈をしたためた。■全文盟友西田敏行が亡くなった…自分が歌手として、西田が俳優として売れる前からずっと一緒に過ごしてきた仲間が…体の一部が剥ぎ取られたみたいに悲しい、虚しい、悔しい…2週間前にも酒を酌み交わした大親友…その時の彼の笑い声がまだ心に響いていて、帰りにハグして、握手して、笑顔で「またね!」って西ヤンとの想い出が沢山あり過ぎて…西ヤンが頑張っていたから僕も頑張ってこれたのに…先に逝かないでよ、、、西ヤン一緒に創った最後の仕事は、二人が歩んできた証を形にしようってレコーディングしたね…楽しかったよ…飲んで、飲んで、飲んで…歌って、歌って、歌って…遊んで、遊んで、遊んで…僕達は出逢ってからずっと最高な青春を過ごしたね…西ヤン、また歌おう、そして酒飲もう!酒飲むぞ!!!!
2024年10月17日俳優の西田敏行さんが死去したことが17日、関係者への取材で分かった。76歳。同日、宮藤官九郎氏がコメントを寄せた。宮藤氏は「悲しいです。たくさん笑わされ、たくさん泣かせていただきました。どんな役のどんな台詞も、絶対に面白くしてくれたし、いつも全てをさらけ出してくれました。本当に悲しいです。お疲れ様でした!」と偲んだ。西田さんは1947年11月4日生まれ、福島県出身。オフィスコバック所属。1970年に劇団青年座に入団。翌年、舞台『写楽考』で初の主演を務める。81年にリリースしたシングル「もしもピアノが弾けたなら」が、累積売上51.7万枚のヒットを記録(オリコン調べ、2024年10月21日付現在)。以降は俳優として映画・ドラマ・舞台で活躍し、数多くの作品で主演を務める。代表作である映画『釣りバカ日誌』は、人気シリーズとして88年~09年まで公開された。その他、映画『学校』(93年)、映画『陽はまた昇る』(02年)、映画『ゲロッパ!』(03年)、映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(17年)、ドラマ『池中玄太80キロ』シリーズなど多数出演。08年、紫綬褒章を受章した。
2024年10月17日俳優の西田敏行さんが死去したことが17日、関係者への取材で分かった。76歳。世田谷区にある西田さんの自宅前には多くの報道陣が集まった。40年前に付き人だったという男性は「気遣ってくれた」と感謝。仲人をしてくれるなど、面倒見のよかった西田さんの人柄を偲んだ。しばらく会っていなかったそうで、訃報はニュースで知り「うそだろと思った」と語った。40年前から今も人柄は変わらず「飲みに行ったら盛り上げてくれた。即興で歌を歌ったり…」と懐かしんだ。その後、西田さんの妻と面会していた。西田さんは1947年11月4日生まれ、福島県出身。オフィスコバック所属。1970年に劇団青年座に入団。翌年、舞台『写楽考』で初の主演を務める。81年にリリースしたシングル「もしもピアノが弾けたなら」が、累積売上51.7万枚のヒットを記録(オリコン調べ、2024年10月21日付現在)。以降は俳優として映画・ドラマ・舞台で活躍し、数多くの作品で主演を務める。代表作である映画『釣りバカ日誌』は、人気シリーズとして88年~09年まで公開された。その他、映画『学校』(93年)、映画『陽はまた昇る』(02年)、映画『ゲロッパ!』(03年)、映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(17年)、ドラマ『池中玄太80キロ』シリーズなど多数出演。08年、紫綬褒章を受章した。
2024年10月17日俳優で歌手の西田敏行さんが都内の自宅で亡くなったことが分かった。76歳だった。“ハマちゃん”の愛称で親しまれた「釣りバカ日誌」シリーズ、「ドクターX~外科医・大門未知子」シリーズではあくの強い蛭間重勝を演じ、森繁久彌のあとを継いだミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」は、1994年4月から2001年6月まで、通算261回にわたって主役テヴィエを演じた西田さん。1998年8-9月「屋根の上のヴァイオリン弾き」サンライズ・サンセットほかにも、バラエティ番組「探偵!ナイトスクープ」や紅白歌合戦への出演、「人生の楽園」ではナレーションを担当。近年では、「さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~」「終りに見た街」『ナミヤ雑貨店の奇蹟』『大怪獣のあとしまつ』などに参加し、12月6日(金)公開予定の『劇場版ドクターX FINAL』では、蛭間重勝役で続投している。今回の訃報に際して、「ドクターX」シリーズで長年共演する米倉涼子や、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』『大怪獣のあとしまつ』で共演した「Hey! Say! JUMP」山田涼介は自身のInstagramのストーリーズを更新。胸中を綴った。「人生の楽園」で共演する菊池桃子はSNSにて「突然の訃報を受け、偉大な先輩とのお別れが信じられずにおります」「人生の楽園のナレーションをはじめ多くの現場で沢山のことを教えていただきありがとうございました。優しいお声が胸に残ります。心よりお悔やみ申し上げます」と2ショット写真とともに投稿し、故人を偲んだ。(シネマカフェ編集部)■関連作品:劇場版ドクターX FINAL 2024年12月6日より全国にて公開Ⓒ2024「劇場版ドクターX」製作委員会
2024年10月17日2024年10月17日、俳優の西田敏行さんが亡くなっていたことが分かりました。西田さんは、都内の自宅で倒れているところを発見され、その場で亡くなっていることを確認されたといいます。【訃報】俳優の西田敏行さん76歳逝去自宅で倒れているところを発見西田さんの訃報は、芸能界に大きな衝撃を与え、SNSを通して悲しみの声が広がっています。ドキュメンタリー番組『人生の楽園』(テレビ朝日系)で楽園の案内人として、ナレーターを務めていたのが、俳優の菊池桃子さんと西田さんでした。西田さんは、2003年からナレーションを担当。菊池さんは、2009年から担当していました。西田さんの訃報を受け、菊池さんは自身のXを更新。「偉大な先輩とのお別れが信じられずにおります」とコメントしました。突然の訃報を受け、偉大な先輩とのお別れが信じられずにおります。歌番組で「もしもピアノが弾けたなら」を一緒に歌おうと約束してくださっていたのに果たせず残念でなりません。人生の楽園のナレーションをはじめ多くの現場で沢山のことを教えていただきありがとうございました。… pic.twitter.com/zZmKTSfI45 — momoko kikuchi 菊池桃子 (@momoko_kikuchi_) October 17, 2024 菊池さんは西田さんと歌番組で、西田さんの名曲『もしもピアノが弾けたなら』を一緒に歌おうと約束していたといいます。その約束が果たせないままお別れとなってしまったことに、無念の思いをつづっていました。【ネットの声】・毎週楽しみにしていたので残念です…。・西田さんの声が聞けなくなるのは、とても悲しい。・いつも2人の声に癒されていました。西田さんのナレーションは、多くの人の記憶に残り続けるのでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年10月17日2024年10月17日、俳優の西田敏行さんが亡くなったことが報じられました。国民的俳優として、多数の作品に出演してきた西田さんの訃報に、芸能界からも悲しみの声が相次いでいます。【訃報】俳優の西田敏行さん76歳逝去自宅で倒れているところを発見米倉涼子、西田敏行さんの訃報に「悲しすぎて」同年12月6日に公開予定の映画『劇場版ドクターX FINAL』で、西田さんと共演している、俳優の米倉涼子さんは、Instagramのストーリーズを更新。米倉さんは、逝去が報じられる直前に、同作の撮影後、西田さんと一緒に食事をした際のオフショット写真を公開していました。そんな中で、突然知らされた悲しいニュース。米倉さんは、このように思いをつづっています。西田さん突然の訃報に接し、言葉もありません…一昨日写真をのせるからね!と話したばかりなのに。悲しすぎて悲しすぎてまだ信じられませんryoko_yonekura_0801ーより引用米倉さんは、同月15日時点で、西田さんと「オフショット写真をInstagramに載せるね」といった会話を交わしていたようです。突然の別れを、まだ受け止められていない旨をつづっていました。米倉さんの投稿に対し、ネットではこのような反応が上がっています。・『ドクターX』大好きでした。本当にショックです。・直前に話していたなら余計につらいだろうな…。・映画、観に行きます。・本当に急だったんですね…。ご冥福をお祈りいたします。これから公開される『劇場版ドクターX FINAL』でも、西田さんは、素晴らしい演技を残しているに違いありません。西田さんは、たくさんの作品を通じて、人々の心の中で生き続けることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年10月17日俳優の西田敏行さんが死去したことが17日、関係者への取材で分かった。76歳。訃報を受け、同日、映画『釣りバカ日誌』 シリーズで脚本を務めた山田洋次氏と、西田さん演じたハマちゃんの妻・みち子役の浅田美代子が、松竹を通じて追悼コメントを発表した。山田氏は「訃報を聞いて、喜劇のヒーローを演じる役者をぼくたちは失った、という喪失感の中にいます。『学校』シリーズは企画の最初の段階から西田さんをイメージにおいていたし、彼なしにはつくれなかった。『釣りバカ日誌』 シリーズもこの人がいなかったら、成り立たなかったはず」と伝え「偉大な日本のクラウンが去ってしまったことを私は心から悲しく思っています」としのんだ。浅田は「突然の訃報にただただビックリしています。あの 元気ないつも笑顔の浜ちゃんが亡くなってしまうなんて 、どう 信じたらいいのでしょう。三國さんが亡くなった日に、二人で献杯したね」と回顧し「今日は私一人 献杯します。浜ちゃん、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。天国で大好きなお酒を思う存分飲んで、そちら にいる仲間と宴会を楽しんでください」と、天国の西田さんに呼びかけた。■山田洋次監督コメント訃報を聞いて、喜劇のヒーローを演じる役者をぼくたちは失った、という喪失感の中にいます。『学校 』シリーズは企画の最初の段階から西田さんをイメージにおいていたし、彼なしにはつくれなかった。『釣りバカ日誌』 シリーズもこの人がいなかったら、成り立たなかったはず。いくつになっても福島弁の抜けない、懐かしい人柄。小太りの肉体・響きの豊かなバリトンの声、愛嬌のある目元、ヨーロッパではこういう役者をクラウンというそうだが、あの姿がもう見られない。偉大な日本のクラウンが去ってしまったことを私は心から悲しく思っています。山田洋次■浅田美代子さんコメント突然の訃報にただただビックリしています。あの元気ないつも笑顔の浜ちゃんが亡くなってしまうなんて 、どう信じたらいいのでしょう。三國さんが亡くなった日に、二人で献杯したね。今日は私一人献杯します。浜ちゃん、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。天国で大好きなお酒を思う存分飲んで、そちらにいる仲間と宴会を楽しんでください。合掌浅田美代子
2024年10月17日俳優の西田敏行さんが死去したことが17日、関係者への取材で分かった。76歳。同日、テレビ朝日がコメントを発表した。西田さんは同局系『人生の楽園』で長年にわたってナレーションを務め、人気ドラマ『ドクターX~外科医・大門未知子~』などに出演。8日に行われた『劇場版ドクターX』(12月6日公開)完成報告会見に出席し、同作が完結することへの思いなどを語っていた。【コメント全文】あまりにも突然の訃報を受け、驚きと悲しみに包まれております。テレビ朝日でも本当に多くの番組にご出演をいただきました。「人生の楽園」では温かみのあるナレーションを20年にもわたりつとめていただきました。また、数多くのドラマは西田さんの存在なしでは決して生まれないものばかりだったと思います。その圧倒的な存在感に裏打ちされた西田さんの表現は、まさに余人をもって代えがたいものでした。中でも「ドクターX~外科医・大門未知子~」では…米倉涼子さん演じる大門未知子に相対する・蛭間重勝役としてご出演され、先日の記者会見でも、「演じる愉しさを存分に味わえ、キャリアの中でもベスト5に入る幸せな時間だった」と感慨深いコメントをいただいております。アドリブを交えた丁々発止のやり取りが特徴で、作品の名物となりました。西田さんは、「ドクターX」が日本中から愛される作品となった、紛れもなくその立役者でした。西田敏行さんの長年のご功績に、深甚なる感謝を申し上げますとともに、心よりお悔やみを申し上げます。
2024年10月17日俳優の西田敏行さんが死去したことが17日、関係者への取材で分かった。76歳。俳優の木村拓哉が同日、自身のインスタグラムのストーリーズを更新し、追悼した。木村は「西田さんご逝去の報に接し心から哀悼の意を捧げます」と記した。西田さんは1947年11月4日生まれ、福島県出身。オフィスコバック所属。1970年に劇団青年座に入団。翌年、舞台『写楽考』で初の主演を務める。81年にリリースしたシングル「もしもピアノが弾けたなら」が、累積売上51.7万枚のヒットを記録(オリコン調べ、2024年10月21日付現在)。以降は俳優として映画・ドラマ・舞台で活躍し、数多くの作品で主演を務める。代表作である映画『釣りバカ日誌』は、人気シリーズとして88年~09年まで公開された。その他、映画『学校』(93年)、映画『陽はまた昇る』(02年)、映画『ゲロッパ!』(03年)、映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(17年)、ドラマ『池中玄太80キロ』シリーズなど多数出演。08年、紫綬褒章を受章した。
2024年10月17日女優の米倉涼子が17日、自身のインスタグラムのストーリーズを更新。西田敏行さんの訃報を受け、心境をつづった。2人はテレビ朝日系ドラマ『ドクターX~外科医・大門未知子~』シリーズで共演。今月8日に行われた『劇場版ドクターX』(12月6日公開)の完成報告会見にも2人そろって登壇していた。米倉はインスタのストーリーズで「西田さん突然の訃報に接し、言葉もありません…」と吐露。「一昨日写真をのせるからね! と話したばかりなのに」と西田さんとのやりとりを明かし、「悲しすぎて悲しすぎてまだ信じられません」とつづった。訃報コメントの前に、西田さんとの笑顔の2ショット写真を投稿していた米倉。「撮影後に西田敏行さんにスッポンの唐揚げご馳走になりました」と思い出を振り返っていた。
2024年10月17日俳優の西田敏行さんが死去したことが17日、関係者への取材で分かった。76歳。ABCテレビ『探偵!ナイトスクープ』で共演したバイオリニスト・タレントの松尾依里佳は、同局ニュース情報番組『news おかえり』(月~金後3:40※関西ローカル)に生出演した。黒の服に身を包んだ松尾は「信じられない」「えっ?ていう、それが最初でした」と涙ぐんだ。当時の出演者のグループLINEで訃報を知ったとし、「ちょっとまだ現実のことと思えない」と漏らした。西田さんは『ナイトスクープ』で2代目探偵局長を務め、松尾は3代目秘書として7年半共演した。松尾は、西田さんの人柄を「ほんとうにもうあったかくて、それでいて気さくで」と振り返り、現場で「もっと大御所感出したらいいのに」と言われていたエピソードを披露。「本当にやさしくてお父さんみたいな感じ」と愛を伝えた。『ナイトスクープ』では、西田さんの涙もろい姿が人気に。松尾は「スタジオを暗くして、観覧のお客様とみんなでVTRを見るんですけど、“泣かはったな”とわかる。人間を本当に愛おしむ、ちょっとした傷があっても愛おしもうよみたいな、すごい懐の深い方だった」としのんだ。『ナイトスクープ』2代目秘書を務めた岡部まりも同日、自身のブログを更新。西田さんの訃報に接して「まだ、呆然としています」とし、「ついこの前、高齢の父を見送りましたが、私にとって大きな存在の2人が同じ時期に旅立つ現状は、最早言葉になりません。今でも『局長』と変わらず、呼んでいた西田局長、、、ご冥福を祈らなきゃいけませんが、今は悲しくてなにも考えられず、ただただ、あの優しい笑顔が甦るばかりです」とつづった。
2024年10月17日俳優の西田敏行さんが死去したことが17日、関係者への取材で分かった。76歳。訃報を受け、1978年制作のTBS系ドラマ『雲を翔びこせ』などで共演した俳優の柴俊夫(77)が所属事務所を通じて追悼コメントを発表した。柴は「今は半世紀前の出会いが脳裏をよぎりました。まだ、まだ早いでしょう、西やん」と率直な心境を明かし「帰って、又皆で楽しい時間を過ごそう!同じ年月を重ねながら育んできた素晴らしい人間性、そして、それを根幹としての役者、エンターテイナーとしての西やん、私の誇りでした。冥福を祈るばかりです」と故人をしのんだ。柴と西田さんは長年、チャリティーイベントを開催する「五人会」の一員としても長年交流があった。
2024年10月17日俳優の西田敏行さんが死去したことが17日、関係者への取材で分かった。76歳。訃報を受け、映画『釣りバカ日誌』シリーズで、西田さんが演じたハマちゃんの妻・みち子役を務めた俳優・石田えり(63)が、所属事務所を通じて追悼コメントを発表した。石田は「西田さんとは誕生日が五日しか違わないせいか、黙っていてもツーカーな感じで、そのまま自然に役になれた気がします。私の我儘な性格のため、長くは続きませんでしたが、あんなに心安まる楽しい時間はありませんでした」と振り返り「ありがとうございました」と感謝の言葉を伝えた。石田は、みち子役をシリーズ7作目のスペシャルまで務め、後任は浅田美代子が演じている。
2024年10月17日北野武が17日、公式サイトを更新。監督を務めた映画『アウトレイジ』に出演していた西田敏行さんの訃報を受けて、追悼した。北野は「西田さんの体調がよくないことは知っていたので、ずっと心配していたけど、悲しいことになってしまった。がっくりしています。本当にいい役者だった」と偲んだ。西田さんは1947年11月4日生まれ、福島県出身。オフィスコバック所属。1970年に劇団青年座に入団。翌年、舞台『写楽考』で初の主演を務める。81年にリリースしたシングル「もしもピアノが弾けたなら」が、累積売上51.7万枚のヒットを記録(オリコン調べ、2024年10月21日付現在)。以降は俳優として映画・ドラマ・舞台で活躍し、数多くの作品で主演を務める。代表作である映画『釣りバカ日誌』は、人気シリーズとして88年~09年まで公開された。その他、映画『学校』(93年)、映画『陽はまた昇る』(02年)、映画『ゲロッパ!』(03年)、映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(17年)、ドラマ『池中玄太80キロ』シリーズなど多数出演。08年、紫綬褒章を受章した。
2024年10月17日俳優の西田敏行さんが死去したことが17日、関係者への取材で分かった。76歳。テレビ朝日系『人生の楽園』(毎週土曜後6:00)で共演中だった菊池桃子が同日、自身のインスタグラムを更新し、追悼した。菊池は「突然の訃報を受け、偉大な先輩とのお別れが信じられずにおります」と心境。ありし日の西田さんと笑顔の2ショットを添えた。「歌番組で『もしもピアノが弾けたなら』を一緒に歌おうと約束してくださっていたのに果たせず残念でなりません。人生の楽園のナレーションをはじめ多くの現場で沢山のことを教えていただきありがとうございました。優しいお声が胸に残ります。心よりお悔やみ申し上げます」とつづった。西田さんは1947年11月4日生まれ、福島県出身。オフィスコバック所属。1970年に劇団青年座に入団。俳優として映画・ドラマ・舞台で活躍し、数多くの名作を生み出した。歌手としては「もしもピアノが弾けたなら」が、累積売上51.7万枚(オリコン調べ、2024年10月21日付現在)のヒットとなった。『人生の楽園』では長く案内人を務めた。
2024年10月17日俳優の西田敏行さんが死去したことが17日、関係者への取材で分かった。76歳。訃報を受け、Hey! Say! JUMPの山田涼介(31)が17日、自身のインスタグラムのストーリーを通じて、追悼した。山田は「俳優の西田敏行さんが天国に旅立ちました」の書き出しで「僕は『ナミヤ雑貨店の奇蹟』『大怪獣のあとしまつ』二つの作品でご一緒させていただきました」と伝えた。続けて「ナミヤの撮影の時、ご自身の撮影が終わった後真冬の寒空の下、『山田君達撮影してるなら、撮影現場行くよ。』と、寒い中一緒に、温かいおしるこを呑みながら僕達の事を優しく見守ってくださいました」と回顧。「一緒にご飯を食べに行かせていただいた時も、山田君と同じお酒を。と同じお酒を呑んでくださった事を今でも忘れません」と懐かしんだ。「舞台挨拶の時は、手紙をくださり、その内容に涙したこともありました。俳優の大先輩でありながら、いつも優しく接してくださり、芝居の場では、唯一無二の存在感、そしてお芝居で現場の空気を支配していた大きな背中をいつまでも忘れる事なく、心に刻んで歩み続けます」と誓い「ゆっくりとお休みください。ご冥福をお祈りします」としのんだ。
2024年10月17日俳優の西田敏行さんが死去したことが17日、関係者への取材で分かった。76歳。西田さんと同じ福島県出身で、俳優の梅沢富美男(73)が、同日放送の読売テレビの報道情報番組『情報ライブミヤネ屋』(月~金後1:55~3:50)に電話で出演。この日、訃報が伝えられた西田敏行さんへの思い出を語った。1982年にTBS系で放送された西田さん主演のドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』で初共演し、その後も親交が深かった梅沢は西田さんのことを「兄さん」と呼び思い出を回顧した。「舞台出身者のことをよく理解してくれていて、芝居も教えてくれて、飲みにも連れて行ってくれた」と感謝。また3日前に夢の中で西田さんに会ったといい「こんなこと言うのいやなんだけど、3日前に兄さんの夢を見たんですよ。『最近、足腰悪くなってさ。飲もうよ!』って」と語りかけられたことを明かし「びっくりしました。本当に昭和の名優です…」と絶句した。西田さんは1947年11月4日生まれ、福島県出身。オフィスコバック所属。1970年に劇団青年座に入団。翌年、舞台『写楽考』で初の主演を務める。81年にリリースしたシングル「もしもピアノが弾けたなら」が、累積売上51.7万枚のヒットを記録(オリコン調べ、2024年10月21日現在)。以降は俳優として映画・ドラマ・舞台で活躍し、数多くの作品で主演を務める。代表作である映画『釣りバカ日誌』は、人気シリーズとして88年~09年まで公開された。その他、映画『学校』(93年)、映画『陽はまた昇る』(02年)、映画『ゲロッパ!』(03年)、映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(17年)、ドラマ『池中玄太80キロ』シリーズなど多数出演。08年、紫綬褒章を受章した。
2024年10月17日俳優の西田敏行さんが死去したことが17日、関係者への取材で分かった。76歳。同日放送のCBC・TBS系『ゴゴスマ〜GO GO!Smile!~』(月~金後1:55)では、東国原英夫が、北野武が映画『アウトレイジ』での西田さんの演技について語っていたことを紹介した。東国原は「『アウトレイジ』に出てらっしゃった時は、おそらくアドリブの部分もけっこうあったんじゃないかなと推察しています。ウチの師匠は、いいアドリブをせりふに登用してらっしゃるので。監督として、ウチの師匠がボソッとおっしゃっていたのは『うめぇーな』って。なかなか、監督として言わないんですけど」と紹介した。西田さんは1947年11月4日生まれ、福島県出身。オフィスコバック所属。1970年に劇団青年座に入団。翌年、舞台『写楽考』で初の主演を務める。81年にリリースしたシングル「もしもピアノが弾けたなら」が、累積売上51.7万枚のヒットを記録(オリコン調べ、2024年10月21日付現在)。以降は俳優として映画・ドラマ・舞台で活躍し、数多くの作品で主演を務める。代表作である映画『釣りバカ日誌』は、人気シリーズとして88年~09年まで公開された。その他、映画『学校』(93年)、映画『陽はまた昇る』(02年)、映画『ゲロッパ!』(03年)、映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(17年)、ドラマ『池中玄太80キロ』シリーズなど多数出演。08年、紫綬褒章を受章した。
2024年10月17日俳優の西田敏行さんが死去したことが17日、関係者への取材で分かった。76歳。訃報を受け、芸能界から続々と悲しみや追悼の声が届いた。テレビ朝日系ドラマ『ドクターX~外科医・大門未知子~』で共演した、俳優の米倉涼子は、自身のインスタグラムのストーリーズを通じて「西田さん突然の訃報に接し、言葉もありません…一昨日写真のせるからね!と話したばかりなのに。悲しすぎて悲しすぎてまだ信じられません」とつづった。声優の山口勝平は「X」を更新し「え!?西田敏行さんが。。。池中玄太80キロの頃から大好きな、役者になってからは勝手に目標とする方でした。素敵でチャーミングなお芝居を沢山残していただき、ありがとうございます!”心からご冥福をお祈りします。。。」としのんだ。演歌歌手の丘みどりは「西田敏行さん。探偵ナイトスクープでご一緒させていただいた時『友達に自慢したいから写真一緒に撮ってもいい?』と素敵すぎる笑顔で話しかけてくださいました。あの時私も撮ってもらえばよかったな。本当に本当に優しい方でした。心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼した。お笑いコンビ・次長課長の河本準一は「西田敏行さんと、映画で共演した時に河本君の羽柴秀吉は気取らず飾らず自分らしくで凄く良いよと褒めてくださいました。一生の宝言葉です。本当に優しいお方でした。ありがとうございましたご冥福をお祈りします」と伝えた。作家・クリエイターのいとうせいこうは「西田敏行さんにはニッポン放送での『想像ラジオ』ラジオ版を小泉今日子さんと共にこころよく引き受けていただいた。まさかと思ったが、福島郡山のご出身だった。したまちコメディ映画祭にも来ていただいた。その時のご恩は大きいものでした。ありがとうございました」と感謝の思いを伝えた。俳優の中野英雄は「西田敏行様悲しくてなりません貴方に憧れて憧れて俳優の仕事を選んだ私です初めてお会いしたのは松竹撮影所でしたねいつか共演したくて結局、共演するまで25年掛かりました西田さんが出演する素晴らしい作品には呼ばれる事など無い俳優ですのでね、アウトレイジビヨンドでやっと共演出来ました当時は元嫁がマネージャーでした第一声が西田敏行さんと絡んでるよ!!」と、思い出を回顧。続けて「泣きそうになったのを覚えてます撮影の時も震えていました…待ち時間に沢山のお話をして頂きました有難う御座いますまた私の太陽が沈んでしまった…もう一度、お芝居がしたかったですさよならご冥福をお祈り致します」と記した。俳優の三倉茉奈は「西田敏行さんとは1998年公開の『花のお江戸の釣りバカ日誌』でご一緒させていただきました。当時まだ幼かった私にも、とても丁寧に接して下さって、一瞬で大好きに。先日ある場所で偶然西田さんとお会いし、当時のことを覚えていてくださっていて…嬉しかった。寂しいです。ご冥福をお祈り致します」と結んだ。西田さんは1947年11月4日生まれ、福島県出身。オフィスコバック所属。1970年に劇団青年座に入団。翌年、舞台『写楽考』で初の主演を務める。81年にリリースしたシングル「もしもピアノが弾けたなら」が、累積売上51.7万枚のヒットを記録(オリコン調べ、2024年10月21日付現在)。以降は俳優として映画・ドラマ・舞台で活躍し、数多くの作品で主演を務める。代表作である映画『釣りバカ日誌』は、人気シリーズとして88年~09年まで公開された。その他、映画『学校』(93年)、映画『陽はまた昇る』(02年)、映画『ゲロッパ!』(03年)、映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(17年)、ドラマ『池中玄太80キロ』シリーズなど多数出演。08年、紫綬褒章を受章した。
2024年10月17日俳優の西田敏行さんが死去したことが17日、関係者への取材で分かった。76歳。西田さんは8日に都内で行われたテレビ朝日系ドラマ『ドクターX~外科医・大門未知子~』の『劇場版ドクターX』(12月6日公開)完成報告会見に出席し、同作が完結することへの思いなどを語っていた。西田さんは1947年11月4日生まれ、福島県出身。オフィスコバック所属。1970年に劇団青年座に入団。翌年、舞台『写楽考』で初の主演を務める。以降は俳優として映画・ドラマ・舞台で活躍し、数多くの作品で主演を務める。代表作である映画『釣りバカ日誌』は、人気シリーズとして88年~09年まで公開された。その他、映画『学校』(93年)、映画『陽はまた昇る』(02年)、映画『ゲロッパ!』(03年)、映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(17年)、ドラマ『池中玄太80キロ』シリーズなど多数出演。08年、紫綬褒章を受章した。西田さんが81年にリリースしたシングル「もしもピアノが弾けたなら」は、オリコン調べ(2024年10月21日付現在)で、「オリコン週間シングルランキング」で最高4位。累積売上51.7万枚を記録している。「オリコン週間シングルランキング」は、1968年1月4日付よりスタート。
2024年10月17日俳優の西田敏行さんが死去したことが17日、関係者への取材で分かった。76歳。西田さんは8日に都内で行われたテレビ朝日系ドラマ『ドクターX~外科医・大門未知子~』の『劇場版ドクターX』(12月6日公開)完成報告会見に出席し、同シリーズが完結することへの思いなどを、しっかりした口調で語っていた。「蛭間重勝っていう役は好きな役のベスト5に入る」と明かし、「ずっと蛭間重勝でいたいなっていう気持ちがあったもんですからね。終わるのが嫌だなって感じがしてました」と声を震わせる場面もあった。以下、記事を再掲する(2024年10月8日掲載※敬称・肩書・年齢などは当時)■西田敏行「これまでの中でベスト5に入る」蛭間重勝役への愛情語る俳優の西田敏行(76)が8日、東京・テレビ朝日本社で開かれたテレビ朝日系ドラマ『ドクターX~外科医・大門未知子~』の『劇場版ドクターX』(12月6日公開)完成報告会見に出席し、演じた東帝大学病院の院長・蛭間重勝役への思いを語った。今作でシリーズ“FINAL”を迎えることについて西田は「蛭間重勝という役とこれでさよならするのかなと思ったら、ちょっと寂しいというか、なんかそういう気持ちになりましたね」としみじみ。さらに「役者をやってて、いろんな役をいただくわけですけど、蛭間重勝っていう役は好きな役のベスト5に入る」と打ち明け、「ですから、ずっと蛭間重勝でいたいなっていう気持ちがあったもんですからね。終わるのが嫌だなって感じがしてました」と声を震わせ、完結への思いを吐露した。会見には米倉涼子(49)、田中圭(40)、内田有紀(48)、勝村政信(61)、鈴木浩介(49)、遠藤憲一(63)、岸部一徳(77)も出席した。
2024年10月17日俳優の米倉涼子が17日、自身のインスタグラムのストーリーズを更新。同日、西田敏行さんが亡くなったことを受けて追悼した。米倉は「西田さん突然の訃報に接し、言葉もありません…一昨日写真のせるからね!と話したばかりなのに。悲しすぎて悲しすぎてまだ信じられません」とつづった。西田さんは8日に都内で行われたテレビ朝日系ドラマ『ドクターX~外科医・大門未知子~』の『劇場版ドクターX』(12月6日公開)完成報告会見に出席し、同作が完結することへの思いなどを語っていた。西田さんは1947年11月4日生まれ、福島県出身。オフィスコバック所属。1970年に劇団青年座に入団。翌年、舞台『写楽考』で初の主演を務める。81年にリリースしたシングル「もしもピアノが弾けたなら」が、累積売上51.7万枚のヒットを記録(オリコン調べ、2024年10月21日付現在)。以降は俳優として映画・ドラマ・舞台で活躍し、数多くの作品で主演を務める。代表作である映画『釣りバカ日誌』は、人気シリーズとして88年~09年まで公開された。その他、映画『学校』(93年)、映画『陽はまた昇る』(02年)、映画『ゲロッパ!』(03年)、映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(17年)、ドラマ『池中玄太80キロ』シリーズなど多数出演。08年、紫綬褒章を受章した。
2024年10月17日2024年10月17日、俳優の西田敏行さんが亡くなったことが分かりました。76歳でした。産経ニュースによると、西田さんは、東京都世田谷区の自宅のベッドの上で倒れているのが見つかり、その場で亡くなったことが確認されたといいます。西田さんは、明治大学を中退後、1970年に劇団青年座入団。舞台、テレビ、映画など多方面で活躍していました。1989年には、映画『敦煌』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。映画『釣りバカ日誌』シリーズでは、主人公の『ハマちゃん』こと浜崎伝助役、相棒の鈴木一之助役を演じ、2010年には同作品で日本アカデミー賞会長功労賞を受賞しました。直近では同年9月21日に放送されたテレビドラマ『終りに見た街』(テレビ朝日系)に出演。人気バラエティ番組『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送テレビ)の2代目局長を務めたり、楽曲『もしもピアノが弾けたなら』で大ヒットを記録したり、ドラマや映画以外でも多くの人の記憶に残る功績を残しました。ネット上では「また1人名優が…」「大好きな俳優さんでした」「信じられない…」などと悲しみの声が広がっています。西田さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年10月17日