日本オリンピック委員会は10月6日、東京都、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会と共同で、「1964東京オリンピック・パラリンピック50周年記念ウィーク」を開催する。開催期間は10月12日まで。10月6日には、「メモリアル展示/オープニングセレモニー」を開催。1964東京オリンピック・パラリンピックの貴重な品々やポスター等の制作物を展示する。初日にはオリンピアン・パラリンピアンをゲストに迎え、オープニングセレモニーも実施する。時間は12時~12時30分(予定)。会場は、丸の内オアゾOO広場(おおひろば)。10月7~9日には、1964年から50年間の「スポーツの力」をテーマに、50年を3つの年代に分け、歴代オリンピアン等による「アスリートトークショー」を行う。7日は君原健二さん(陸上競技)、8日は大林素子さん(バレーボール)、鈴木大地さん(水泳・競泳)、高橋尚子さん(陸上競技)、9日には入江陵介さん(水泳・競泳)が登場する。時間は18時~。会場は丸の内オアゾOO広場。10月10日には、3日間のアスリートトークショーを振り返りながら、オリンピアン・パラリンピアンが50年間の「スポーツの力」について語る「スペシャルトークショー(1964to2020)」を開催する。第1部出演者は、上村愛子さん(スキー・フリースタイル)、大林素子さん(バレーボール)、荻原次晴さん(スキー・ノルディック複合)、ほか。第2部出演者は、阿部一二三さん(柔道)、安西飛呂さん(陸上競技)、一ノ瀬メイさん(水泳・競泳)、入江陵介さん(水泳・競泳)、江村美咲さん(フェンシング)、小谷実可子さん(水泳・シンクロナイズドスイミング)、ほか。スペシャルトークショーの時間は、14時~16時。会場は東京商工会議所 東商ホール。10月11日には、メモリアルイベントを実施。1964東京オリンピックの開会式をオマージュした一般参加型イベント「メモリアルマーチ(1964人の大行進)&メモリアルラン」を行う。出演者は、有森裕子さん(陸上競技)、瀬古利彦さん(陸上競技)、苫米地美智子さん(カーリング)ほか。時間は、メモリアルマーチ(1964人の大行進)が9時30分~10時10分(予定)、メモリアルラン・記念撮影が10時30分~12時(予定)。会場は駒沢オリンピック公園総合運動場、駒沢公園 ジョギングコース。なお、10月10日のスペシャルトークショーでは50組100名、10月11日のメモリアルイベントでは1964名の参加者を一般募集している。募集に関する詳細は、「1964東京オリンピック・パラリンピック50周年記念ウィーク特設サイト」で案内している。
2014年10月02日東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は、2020年に開催される「東京オリンピック・パラリンピック」の大会エンブレムのデザイン募集に関して、同委員会の公式Webサイト上にてエントリー受付を開始した。エントリー受付の期日は10月10日 12:00まで。審査対象となる制作物の受付期間は11月4日~11日 12:00正午(必着)。このたびの募集は、最初にWebサイト上にてエントリー手続きを行った後、審査に必要な制作物を指定された期間内に提出するフローとなっている。応募資格は、「東京ADC賞」、「TDC賞」、「JAGDA新人賞」、「亀倉雄策賞」、「ニューヨークADC賞」、「D&AD賞」、「ONE SHOW DESIGN」といったデザインアワードのうち、過去にふたつ以上を受賞しているデザイナー・グラフィックデザイナー・アートディレクター。ただし、佳作・ショートリスト・インブックの場合は応募対象外。一方、同一の賞を2回以上受賞している人は対象内となる。加えて、デザイナー個人としての応募が必須で、事務所・会社名義での応募は不可。そのほか、日本語でのコミュニケーションが可能な人(通訳によるコミュニケーションも可)、日本国内での行事・打ち合わせなどに参加可能な人とされている。審査員は、グラフィックデザイン領域からは永井一正、浅葉克己、細谷巖、平野敬子、長嶋りかこといった面々が名を連ね、CMを中心に広告分野で活躍する高崎卓馬、インテリアデザイン領域で国際的に活動を続ける片山正通、インタラクティブ/デジタルアート領域からはライゾマティクスの真鍋大度らが参加している。また、エンブレムが採用されたデザイナーに対する賞金・エンブレム制作および著作権譲渡対価は100万円(税込)。副賞として、2020年東京オリンピック競技大会・パラリンピック競技大会開会式へ招待される。そのほかの入選作品(8名程度)には、賞金・エンブレム制作および著作権譲渡対価として10万円(税込)が支払われるということだ。エンブレムデザインに際する条件や提出物の内容といった詳細については、デザイン募集の要項ページを参照してほしい。
2014年09月19日佐々木蔵之介、溝端淳平、平幹二朗が出演する舞台、 二兎社『こんばんは、父さん』の制作発表が9月4日行われ、出演の3人と作・演出の永井愛が会見に登場した。二兎社「こんばんは、父さん」チケット情報物語の登場人物は男性3人のみ。たたき上げで財をなしたが、今では全てを失い借金とりから追われる70代の「父」を平が、その父と長年音信不通だった40代の「息子」を佐々木が演じる。溝端は父と関わりを持つ20代の若者役だ。会見で佐々木は「平さんは大先輩で(山の)頂のような方。しかもぼくのお父さんという役。半分平さんの血がぼくの中に入っている、DNAを受け継いでいると考えると、どうしたらいいのかなと思いますが、遠慮なく胸に飛び込んで父の愛に包まれようと思ってます」と抱負を語った。溝端はさらに恐縮した様子で「雲の上のような大先輩の平さん、蔵之介さんと共演させていただけて、本当にぼくでいいのかと、そわそわ緊張しています。永井さんから愛のあるダメ出しをしてもらい、しっかり成長していきたい」と話し、意欲を見せた。平は台本を読んで「ぼくにはとても痛い作品でした」と語り、女優の佐久間良子と離婚後、息子で俳優の平岳大と離れていたことを思い出し「10年近く自分の息子に会えなかった時期があったので、(役の父の)痛みがよくわかります。会えなかった息子の立場も痛いほどわかるので、そのへんを頼りに役作りをしていこうと思っています」とコメントした。「3人の男性がひょんなことをキッカケに自分の人生を振り返る芝居を書きたいと思っていた」と話す永井。これまで多くの印象的な女性像を描いてきた永井にとって、男だけの3人芝居は初の試みとなる。また、この公演は永井が主宰する二兎社と公立劇場5館が共同で制作する。5館は作品づくりをサポートし、制作資金の確保を二兎社と共に計画する。共同制作する劇場は、埼玉・富士見市民文化会館キラリふじみ、愛知・パティオ池鯉鮒(知立市文化会館)、愛知・豊橋市民文化会館、岩手・盛岡市文化振興事業団(盛岡劇場)、福岡・北九州芸術劇場の5館。公演は10月13日(土)のキラリふじみを皮切りに、3か月にわたり全国15か所で巡演する。東京公演は10月26日(金)から11月7日(水)まで、東京・世田谷パブリックシアターにて上演。チケットは一部を除き発売中。
2012年09月06日リアーナが、パラリンピックの閉会式に出演することになった。9月9日(現地時間)にロンドンのオリンピックスタジアムで開催される閉会式「フェスティバル・オブ・フレイム」には、すでにロックバンド「コールドプレイ」の参加が決まっており、リアーナは同バンドとのコラボ曲「プリンセス・オブ・チャイナ」だけではなく、自身のヒット曲も披露する予定だという。一方コールドプレイのフロントマン、クリス・マーティンは先日同閉会式の参加への喜びをこう語っている。「ロンドンでパラリンピックの選手のために閉会式での演奏を依頼され、大変光栄です。(閉会式の芸術監督)キム・ギャヴィンと(バンドのライブショーデザイナー)ミッツィ・バックリィの2人は、そのスタジアムにいる選手、観客、そして世界中の視聴者のため、華々しいパラリンピックの閉会式にしようととても努力していて、僕らもそれに関われるのがとても嬉しいです」。さらに同閉会式が開催される9日の午後2時には、イギリス中で数多くのバンドがコールドプレイの曲「ヴィヴァ・ラ・ヴィダ(美しき生命)」を披露する野外イベント「ザ・バンドスタンド・マラソン」も行われる予定だ。“啓蒙”をテーマにした先日のパラリンピックの開会式には、車椅子の物理学者スティーヴン・ホーキング博士やイアン・マッケランらが登場したほか、イアン・デューリーの1981年の曲「スパスティカス・オーティスティカス」をダンスデュオの「オービタル」と「グレイアイ・シアター・カンパニー」が披露し、さらにビヴァリー・ナイトが「アイ・アム・ホワット・アイ・アム」を歌い上げた。
2012年09月04日日本パラリンピアンズ協会は、8月29日~9月9日に開催されるロンドン2012パラリンピック競技大会(ロンドンパラリンピック)を直前に控え、「第2回パラリンピック選手の競技環境その意識と実態調査」と題した調査を実施した。調査は6月13日~8月6日に、2012年ロンドンパラリンピック日本選手団代表選手およびコーチ・スタッフ、2010年バンクーバーパラリンピック日本選手団代表選手およびコーチ・スタッフを対象に実施。232名(夏季選手110、冬季選手26、夏季コーチ・スタッフ70、冬季コーチ・スタッフ26)の有効回答を得た。最初に選手に対して「普段どれくらい練習しているか」について聞いたところ、33%が「ほぼ毎日」、約5割が「週に3~5日」と回答。多くの選手が仕事との両立をしていることから考えると、かなりのハードスケジュールといえる。練習拠点について尋ねると、前回調査では「障害者スポーツセンター」「障害者スポーツセンター以外の公共施設」の回答が多かったが、「民間スポーツクラブ」の役割も高まっている。競技のために選手が個人負担した年間費用についての質問では、「50~100万円」が最も多く(32.6%)、次に「100~150万円未満」が17.0%だった。「150万円以上」とした人が全体の約3割。「250万円以上」と回答した選手も11.9%いた。推計では平均で年間144万円程度の負担となっている。続いて専任(パーソナル)コーチについての質問では、前回調査では「専任コーチがいない」(55.3%)が「専任コーチがいる」(44.7%)を上回っていたが、今回は「専任コーチがいる」(54.5%)が多数となった。しかし、「競技を継続するうえでの課題は?」の問いに「コーチ、指導者の不足」と挙げる人が27.9%おり、コーチや指導者の確保については引き続き大きな課題となっているようだ。競技を継続するにあたっての課題では、その他に「費用がかかる」(64.0%)「練習場所がない」(33.0%)、「仕事に支障が出る」(27.9%)となっている。同様の質問をコーチやスタッフに行ったところ、約6割が「費用がかかる」と回答。次いで「自分以外に練習をサポートする人の確保」(43.8%)、「職場の理解」(32.3%)、「練習場所の確保」(32.3%)で、選手とほぼ同じ認識であることが分かった。選手・コーチに対し「オリンピック選手との違いは?」と尋ねたところ、選手は「競技団体の組織力」「一般の関心」がともに1位で51.2%。競技環境、マスコミの扱いがそれに続いた。コーチやスタッフも、選手と同様に「競技団体の組織力・経済力」(56.3%)が1位。次いで「競技環境」(47.5%)、「一般の関心」(41.3%)、「スポンサー」(28.8%)、「マスコミの扱い」(20.0%)だった。2020年東京オリンピック・パラリンピック招致について尋ねると、85.1%の選手が「とても賛成」「賛成」と回答。その理由として「パラリンピックに対する関心を高めるいい機会となる」(78.2%)、「障害者スポーツ全体の活性化になる」(75.6%)、「パラリンピック選手の競技環境が良くなると期待できる」(71.4%)などの意見が寄せられた。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年08月21日日本パラリンピアンズ協会は、8月29日~9月9日に開催されるロンドン2012パラリンピック競技大会(ロンドンパラリンピック)を直前に控え、「第2回パラリンピック選手の競技環境その意識と実態調査」と題した調査を実施した。調査は6月13日~8月6日に、2012年ロンドンパラリンピック日本選手団代表選手およびコーチ・スタッフ、2010年バンクーバーパラリンピック日本選手団代表選手およびコーチ・スタッフを対象に実施。232名(夏季選手110、冬季選手26、夏季コーチ・スタッフ70、冬季コーチ・スタッフ26)の有効回答を得た。最初に選手に対して「普段どれくらい練習しているか」について聞いたところ、33%が「ほぼ毎日」、約5割が「週に3~5日」と回答。多くの選手が仕事との両立をしていることから考えると、かなりのハードスケジュールといえる。練習拠点について尋ねると、前回調査では「障害者スポーツセンター」「障害者スポーツセンター以外の公共施設」の回答が多かったが、「民間スポーツクラブ」の役割も高まっている。競技のために選手が個人負担した年間費用についての質問では、「50~100万円」が最も多く(32.6%)、次に「100~150万円未満」が17.0%だった。「150万円以上」とした人が全体の約3割。「250万円以上」と回答した選手も11.9%いた。推計では平均で年間144万円程度の負担となっている。続いて専任(パーソナル)コーチについての質問では、前回調査では「専任コーチがいない」(55.3%)が「専任コーチがいる」(44.7%)を上回っていたが、今回は「専任コーチがいる」(54.5%)が多数となった。しかし、「競技を継続するうえでの課題は?」の問いに「コーチ、指導者の不足」と挙げる人が27.9%おり、コーチや指導者の確保については引き続き大きな課題となっているようだ。競技を継続するにあたっての課題では、その他に「費用がかかる」(64.0%)「練習場所がない」(33.0%)、「仕事に支障が出る」(27.9%)となっている。同様の質問をコーチやスタッフに行ったところ、約6割が「費用がかかる」と回答。次いで「自分以外に練習をサポートする人の確保」(43.8%)、「職場の理解」(32.3%)、「練習場所の確保」(32.3%)で、選手とほぼ同じ認識であることが分かった。選手・コーチに対し「オリンピック選手との違いは?」と尋ねたところ、選手は「競技団体の組織力」「一般の関心」がともに1位で51.2%。競技環境、マスコミの扱いがそれに続いた。コーチやスタッフも、選手と同様に「競技団体の組織力・経済力」(56.3%)が1位。次いで「競技環境」(47.5%)、「一般の関心」(41.3%)、「スポンサー」(28.8%)、「マスコミの扱い」(20.0%)だった。2020年東京オリンピック・パラリンピック招致について尋ねると、85.1%の選手が「とても賛成」「賛成」と回答。その理由として「パラリンピックに対する関心を高めるいい機会となる」(78.2%)、「障害者スポーツ全体の活性化になる」(75.6%)、「パラリンピック選手の競技環境が良くなると期待できる」(71.4%)などの意見が寄せられた。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年08月20日「クランクアップを迎えて『おつかれさまでした』って声をかけられたとき、思わずワンワン泣いちゃったんですよ」――。それは東出昌大というひとりの俳優が誕生した瞬間だった。10代の頃からモデルとして活躍し、3度にわたってパリコレのランウェイを歩くなど世界の舞台で戦ってきた。そんな彼が23歳にして俳優に転身し、初めて臨んだのが映画『桐島、部活やめるってよ』である。初めての演技の中で24歳のルーキーは何を感じ、何を手にしたのか?映画の公開を前に胸の内を語ってくれた。俳優としての道、その“覚悟”「小説すばる新人賞」を受賞した朝井リョウのデビュー小説を映画化した本作。学校の人気者・桐島がバレー部を退部したといううわさが校内を駆け巡り、友人、カノジョ、果ては桐島と全く接点のなかった者まで様々な視点で青春が切り取られていく。東出さんが演じたのは桐島の親友の宏樹。多くの役がオーディションとワークショップで決まったが、中でも宏樹は最も多くの候補者が集められた役でもあった。そんなこととはつゆ知らず、当時まだモデル事務所に所属していた東出さんは軽い気持ちでオーディションに足を運んだという。「最初からあきらめていたというのも変ですが、『まさか自分が役者なんて』という気持ちが強かったんです。マネージャーが先方に『東出は芝居をしたことないし、できないですよ』と伝えていたくらいで、そんなやりとりがあった後だったので興味を持っていただけるとも思ってなかったんです」。1次選考で吉田大八監督と初めて顔を合わせ「すごく面白い方で、この人と仕事ができたらいいなぁと思った」と言うが、それでもまだ「まさか」という気持ちの方が勝っていた。だが選考が進むにつれて自身の中での気持ちが変化していくのをひしひしと感じていた。「モデルの場合、オーディションはあっても2次までなんです。だから3次選考に呼ばれたと聞いて『マジで?これはもしかするかも…いやいやいや!』って感じでしたが(笑)、だんだん躍起になっていき、その次になると『ここまで来たからには絶対に受かりたい』という気持ちになってました。そこで、また次があることを聞かされて、その頃にはほかの俳優のみなさんとのセリフのやりとりもあったりして、ハードルがどんどん上がっていくんです。意地もあったし、やりがいも感じたし、できないことも増えていったけどそれを面白いって感じるようになってましたね」。最終選考が終わったとき、吉田監督に改めて「これから役者一本で腹を括れるか?」と俳優の道に進む“覚悟”を問われたという。「別室に呼ばれて監督に『どうだった?』と聞かれて素直に『精一杯でした』と答えたんです。『いま、宏樹役を東出くんで考えてる』と言われたんですが、宏樹は原作でも中心人物の一人だったし出番も多い。現場に入ってから心が折れて『やっぱりできません』というわけにはいかないので、あのとき監督は覚悟を決めて『できます』と言える人にしか役は与えられないと最後に確認したんだ思います」。その言葉通り、“元パリコレのモデル”という肩書もプライドもかなぐり捨てて、撮影を通じて「とにかくできることは全てやろうという気持ち」で喰らいついていった。「監督からは『(宏樹がつるむ)帰宅部のみんなで一緒にご飯に行ってこい』と指令が出されたんですが、そういうところで『俺、今回が本当に初めてで』と最初から自分を全てさらけ出したんです。みんな年下ですが、本当にしっかりしてるし『いいものを作ろう』っていう情熱が伝わってくるんです。だから恥ずかしいとかそういう気持ちを抱くことなく『芝居ってどうしたらいいの?どういう風に考えてどう役作りしていくの?』ってどんどん聞いて、台本の読み方を教えてもらうところから始まり、勧められたことは全てやりました」。宏樹はかわいい彼女と陽気なクラスメイトに囲まれた“上”のグループの学生。放課後は帰宅部の仲間とバスケに興じるなどワイワイと高校生活を過ごしつつも、心のどこかに自分でもよく分からない不安やいら立ちを募らせている。それは映画のクライマックスでの映画部の前田(神木隆之介)とのシーンへと帰結していく――。東出さんはかつて高校時代に自身が感じた感情を引き出しつつ、宏樹の内面を作り上げていったと明かす。「僕自身、どちらかというとうるさいグループで『お前なんて悩みないだろ』って思われてたかもしれないけど、確実にモヤモヤした気持ちは抱えてました。モデルの仕事をしてはいたけどそれで一生とは思ってなくて、漠然と大学行くのかなとか。そういうときに美術部や軽音部の連中から『美大に行く』『音楽で生きていく』なんて話を聞かされると雷に打たれたような衝撃を受けたり。それはまさに宏樹と前田のやりとりですよね。限界に近づいていた宏樹が、カッコつけつつも最後の最後で心の声に正直になった結果があのシーンなのかな、と思うとすごく理解できました」。俳優業は「マイペース」、女性には「甘えさせてほしい」オーディションで覚悟を固めた東出さんだが撮影、そしてクランクアップ時の“号泣”を経て、俳優を一生の仕事とするという思いはますます強くなっているようだ。「これまで仕事のことで泣いたことなんてなかったし、ましてや23歳(当時)にもなって自分がそんな反応を示すなんて思ってなかったんですが…(苦笑)。その後、ロケ地の高知から東京に戻って年が明けてもふと『あぁ、もう『桐島』の撮影はないんだな』という思いがよぎってポカンとしてしまうこともあって…。それだけこの仕事にのめり込んでたんだなというのを改めて強く感じました。理想の役者像ですか?人間性を伴った俳優でありたいと思っています。身近なところでいいから幸せになって、それが反映されるような役者になれたらいいですね」。最後に映画ともこれまでの話とも全く関係のない自身の恋愛観についての質問を投げかけると、少しだけ頬を緩めつつこんな答えを返してくれた。「俳優の仕事って“勉強”という一言で片づけちゃうけど、釣りに行ったり慣れないボウリングをやったり、寄席や演劇に行くことも読書も全てが仕事なんですよね。だからそういう部分を理解してもらえないと付き合えないかなと思います。あと良くも悪くもマイペースでないとやっていけない部分もあると思うので柔軟に甘えさせてくださる方がいいですね(笑)」。(photo/text:Naoki Kurozu)特集:年下のカレ■関連作品:桐島、部活やめるってよ 2012年8月11日より新宿バルト9ほか全国にて公開© 2012「桐島」映画部©朝井リョウ/集英社
2012年08月06日