イラストレーター。クセ強めの息子(小学生)と、やっぱりクセ強めの夫との3 人で暮らしている。そんなイカしたメンバーとの愉快な日常をつづった漫画ブログ「ちょっ子さん」、ゆるく更新中。
ウーマンエキサイトの読者のみなさま、こんにちは。ちょっ子です。 今回のテーマは「夫のトンデモ育児」ということで、 夫の息子・きゃん太(現在小学二年生)への教育方針にスポットを当ててみたいと思います。 ■正直に生きること ごまかしばかりの大人になって欲しくない。そんな思いから夫はきゃん太によくこう言って聞かせています。 そしてその教えはこんなシチュエーションでも… オナラをした時も堂々と。 潔い人間であれ、というメッセージを常に息子に伝えていくのが夫のスタイルなのです。 ■対価を得るということ 人間、お金を得たければ働かねばならない。 夫は、お手伝いを通じてきゃん太に世の中の仕組みを教えようとしています。 しかし、そうかと思えばこんな日も… 労働どうなった? とツッコミたくもなりますが、 時には思い切り甘い顔をしてメリハリをつけるのも夫のスタイルなのです! ■世渡りの心得 欲しいものをたまには買ってあげるけど、「パパさま」などと呼ばせてお菓子売り場で コール&レスポンスを繰り広げる夫 。 こうしてきゃん太に世渡りを教えるのも夫のスタイル……なのでしょう。 ツッコミどころは色々あれど、甘さと厳しさを使い分け真剣に我が子の教育に関わろうとする夫のことを頼もしく感じています。 ※この後、きゃん太は「本当はママとパパどっちも一番好きだからね」とフォローを入れてくれました。(世渡り術身についてる)
2020年03月08日ウーマンエキサイトの読者の皆さま、こんにちは。ちょっ子です。 わが家では、息子のきゃん太(小学二年生)に対し基本的には 「褒めて伸ばす」 方針をとっています。 自分に自信を持って生きて欲しいから…! 例えば、絵。 きゃん太は絵を描くのが好きで、毎日のように何かしらの絵を一生懸命描いています。 決してお世辞を言ってるわけではありません。 本当に上手だなと思っているので、その感想を惜しみなく伝えます。 ポイントは 「どこがどういう風にいい」かを具体的に言う こと。 細かいこだわりに気付いてもらえると嬉しいものですし、さらにやる気が湧きますよね。 以前は照れながら「そうかな〜」と言っていたきゃん太でしたが、 ベタ褒めされているうちにだんだん自分の絵に自信を持つようになりました。 ある日、またいつものように絵を褒めると… しかし! まさに巨匠。 自分の作品に自信がつき、その見せ方にもこだわりを見せるようになったのです。額には思いっきりケチをつけられましたが、まあ自己プロデュース力も大事ですからね! そして、そんなある日。嬉しいことが起きました。 きゃん太の歓喜の踊りは3日ほど続きました。 きゃん太が文字通り自画自賛しまくるのを見つめながら あれ?ちょっと自信つけさせすぎちゃたかな…? 自信過剰の域までいっちゃってないかな? 場合によってはちょっと周囲をイラっとさせちゃうやつ? と、一瞬不安になったりもしましたが それでも自信がないよりはある方がいいはず…! とりあえず絵で表彰されるという成功体験も得て、きゃん太の自信はさらに育まれているようです。 結果よりも「頑張ったね」と過程を褒める方が子供は伸びる と聞いたことがありますが、私たちの場合、ついつい親バカが先行し「すごい!」「天才!」などと言ってしまいがちです。 今後はちょっと言い方にも工夫して、変わらず「褒めて伸ばす」教育を心がけたいと思います!
2020年02月08日ウーマンエキサイトの読者のみなさま、明けましておめでとうございます。ちょっ子です。 本年もどうぞ「ちょっ子さんちの育児あれこれ」をよろしくお願いいたします! さて、お正月といえばお年玉ですね。 息子のきゃん太も毎年たくさんの親戚からお年玉をもらっています。 そんな中、私の父・カズヨシからきゃん太へのお年玉はいつも現物支給。彼がチョイスした品物をプレゼントしてくれます。 人気の足こぎ自転車でしたが、 きゃん太の怖がりで慎重な性格を考えると難しいのではないか…と思っていました。 あっという間に乗れました。 こういうの、乗れるんだ…?ふ、ふ〜ん…? そしてその3年後 今度は… 補助輪はあるものの、足こぎ自転車に比べサイズがかなり大きい自転車にきゃん太はすっかりおびえてしまいました。 やはり彼の性格上、慣れた足こぎ自転車からの移行はすぐには難しいだろう、ましてや補助輪をはずせるのなんてだいぶ先になってしまうんだろうな。そう思っていたのですが… 乗れました。 補助輪、取れました。 足こぎ自転車で培った感覚のおかげで、夫が少し指導しただけできゃん太はすぐに補助輪なしで自転車に乗れるようになりました。 このように毎回ちょっとハードル高めに感じてしまう父からのお年玉ですが、私の心配をよそにきゃん太はいつしか乗りこなしているのです。 私は「まだ無理だろう」「きっとできないだろう」ときゃん太の能力を低く見て、無意識に彼の可能性を狭めるような考え方をしてしまうことが時々あるように思います。 そんな思い込みを打破してくれるのが父からのこんなお年玉だったりするのでした。 父・カズヨシのエピソードは こちら
2020年01月01日ウーマンエキサイトの読者のみなさま、こんにちは。ちょっ子です。 さてクリスマスも近くなってきて… 前回の話 に引き続き、小学二年生の息子・きゃん太のワクワクはどんどん盛り上がっているようです。 サンタにリクエストするプレゼントが決まったきゃん太、次はこんなことに頭を悩ませていました…。 きゃん太の気配りはさらに… 「さん」付けしろと。 この時のきゃん太の厳しいまなざしを、私は生涯忘れることはないでしょう。 サンタ、いやサンタさんへの感謝の気持ちをおもてなしに込め、やれ温かい飲み物だ、やれ使い捨てカイロだと色々考えたようですが…結局お菓子を置いておくことにしたみたいです。 もちろんそのお菓子は、サンタさん(私)が夜中の間に責任を持って美味しくいただきます!
2019年12月15日ウーマンエキサイトの読者の皆さま、こんにちは。ちょっ子です。 早いもので来月は12月。 子どもたちが楽しみにしているクリスマスがやってきます。 小学二年生の息子・きゃん太はまだサンタクロースの存在を信じており、サンタクロースにお願いするプレゼントを何にするか、ワクワクしながら考えていました。 なんと… きゃん太は私が当たり前に毎日こなしていることをちゃんと 「ねぎらわれるべきこと」 だと思ってくれていたのです。 自分がママにプレゼントを用意するということではなかったけど。 サンタに委託するスタイル だったけど。 この際それはどっちでもいいのです! 私は彼の優しさが嬉しくて、気を抜くとうっかり号泣してしまいそうなところをグッとこらえ、心で嗚咽しました…。 それなのに…。 手伝いを頼むとたまにしぶしぶ感を出してくることがあるきゃん太! 「あの優しさは気まぐれだったのか?」 とショックを受けるのですが、それでもあの日の発言は嬉しかった、クリスマス前のできごとでした。
2019年11月20日ウーマンエキサイトの読者のみなさまこんにちは、ちょっ子です。 小学校でのイベントの一つ、 「授業参観」 。 家では見られない我が子の様子から、その成長を感じることができる機会ですよね。 今回は私の小学2年生の息子・きゃん太の授業参観での様子を記録しましたので、ご覧ください。 いつもできているような簡単な問題なのに、きゃん太は全然手をあげようとしません。 どちらかというとおとなしいタイプの子なので、授業中もあまり積極的になれないのかな…と残念に思っていたら やっと手をあげましたが当てられず。しかし… コレで満足してしまったのか、彼はこの後一切手をあげませんでした! その後も授業が進む中…。 他の保護者の方々がいる前で私に向かって堂々のバキューン。やめて。こんなとこでハートを射抜こうとしないで。 彼はこの後三回「バキューン」をやりました。 授業参観を終え、その帰り道に私はきゃん太に聞いてみました。 恥ずかしさの基準がわからない! このように授業参観においても静かに「俺ワールド」を展開してくるきゃん太。 私はいつも母として楽しみなような怖いような、なんとも言えない気持ちで授業参観にのぞむのでした。
2019年10月26日ウーマンエキサイトの読者のみなさま、こんにちは。ちょっ子です。 今回のテーマは「実家とのつきあい方~実母・実父と私~」ということで、私の実父との関係とその影響についてお話したいと思います。 私の実父はときどき意味不明な行動や無神経な発言をしてしまう、ちょっと個性的な人物です。 それゆえに腹が立ったり呆れたりしたエピソードをたびたびブログにも描いてきましたが、彼には実はこのような一面もあったのです…。 褒める! 褒める!! 褒める!!! そう、父は とんでもない親バカだったのです。 小さい頃は父から褒められることを素直に喜んでいましたが、思春期にもなると自分が美人じゃないことくらいわかっていたし、成績や絵の技量も飛び抜けて優れていたわけでもありませんでした。 なのでやたらほめちぎってくる父の親バカ発言を、「何言ってんの?」と冷ややかに聞き流すようになっていたのです。 しかし年月は流れ私も母親となり… 父の気持ちを完全に理解しました。 息子のきゃん太よりかわいい子、よくできた子なんてたくさんいることくらいわかっていても、 でもそんなの関係ねえ。 私にとっては誰よりも誰よりも我が子の姿が、そのやることなすことが輝いて見えるのです。 父もこんな気持ちで私を見てくれていたのか…。と、彼のストレートな愛情表現をうっとうしく思っていたことを 自分が親になり初めて反省したのでした。 父が、思うだけではなく逐一言葉に出して私に伝えてくれていたこと。もしかしたらそれは 私が生きていく上で、無意識のうちに励みや自信になっていたのかも しれません。 私も父のように、いつまでも素直に子供のいいところを口に出して伝えてあげたいと思っています。 そのうち「何言ってんの?」とウザがられるのかもしれませんが…!
2019年09月12日ウーマンエキサイトの読者のみなさま、こんにちは。ちょっ子です。 今回は 「小さな恋のものがたり」 特集ということで、息子・きゃん太が一年生の時の出来事をお話ししたいと思います。 幼稚園までは恋多き男だったきゃん太。 クラスの女子、全部俺の女。 くらいの勢いがあったものですが 小学校に入ると落ち着いたのか、どの子が好きだとかそういう話をすることがめっきりなくなり、私は少し寂しく思っていました。 そんなある日…。 学校から帰ってきたきゃん太が「同じクラスのあいちゃん(仮名)からもらった」と言い、手紙を見せてきたのです。 それは「結婚しよう」という旨の熱烈なラブレター。 その手紙を皮切りに、「あいちゃん」からのラブレターが続々と届くようになりました。 その中には「きゃん太くんも私のことが好きなら返事を書いて欲しい」という切ない乙女心をつづった内容もあり 「ちょっとちょっと、どうすんのよ。はっきりしてあげた方がいいんじゃないの?」ときゃん太に聞いてみましたが 「あいちゃんのことは友達だと思ってるけど、よくわからない」とのこと(全部俺の女だった幼稚園時代と比べるとえらい成長ではないですか…)。 はっきりと返事はしないままになっていました。 そして後日、きゃん太の同じクラスの親友・きみたん(仮名)のママと話していたとき…。 きみたんも「あいちゃん」から手紙を受け取っていたことが判明。 あいちゃん、君、きみたんにもラブレターを? そりゃきゃん太は明確な返事してないかもしれないけど… 何!?この感情!!…複雑!! 色んな想いが頭を駆け巡りました。しかし… まさかの「きゃん太が好き」報告でした。 実はきみたんがあいちゃんのことを好きだと言っていて、それに対しての「私はきゃん太くんが好きだからその気持ちに応えられない」という返事かなとも思いましたが、きみたんのママの話ではそういうことではないとのこと…。 純粋に友達であるきみたんに自分の気持ちを報告したかっただけのようです。 情熱的でちょっと不思議な女の子、「あいちゃん」。 二年生になりクラスが分かれた今でも友達関係は続いているとのこと。 きゃん太との進展は今後あるのか、ないのか。小さな恋のゆくえを静かに見守りたいと思っています。
2019年08月27日ウーマンエキサイトの読者のみなさま、こんにちは。ちょっ子です。 今回は 「私がコミックライターになるまで」というテーマ で、私が漫画ブログを描き、こうして連載させていただくようになった経緯をお話ししたいと思います。 エッセイ育児漫画を書こうとしたキッカケは… 私は息子のきゃん太が生まれる前からイラストの仕事をしていました。 出産後は子育てをしながら仕事をこなす日々…。(私の住む街は待機児童が多く、きゃん太は保育園に入れなかったのです) 育児と仕事に追われ、趣味など自分のための楽しみに使える時間はほとんどありませんでした。 そんな日々を経て、ついにきゃん太が幼稚園に入園。 少しずつ手がかかることも減っていき、時間と気持ちにいくらか余裕ができたところで何か仕事以外で楽しいことがしたいと思うようになりました。 そこで考えたのが、日常を綴ったエッセイ漫画のようなものを描いてみようかということ。 昔からエッセイやエッセイ漫画を読むのが好きだったのですが、書こうとしたことはありませんでした。 それがここに来てなぜやってみたくなったかと言いますと… 前から薄々、 うちの息子、めちゃめちゃ面白いのではないか? と思っていたからです。 記録したい。このオモロさを。文章だけじゃ追っつかない。 育児の記録は手帳にメモしたりはしていましたが、もうちょっと違う形で残してみたくなったのです。 こうして私は息子の様子をマンガに描き始め、どうせならブログを開設し公開することにしました。しかし夫に見せて感想を聞いてみると…。 微妙な反応でした。 夫の反応は微妙だし当然アクセスも少ない。そんなスタートだったのですが、誰にも読まれなくても自分が楽しめればそれでいいかな、という思いであまり気にせず描き続けました。 しかし続けていくうちブログの読者数と、同じころ始めたTwitterのフォロワー数が少しずつ少しずつ増えていきました。他のブロガーさんや、読者の方々との交流も生まれ、ブログをやっていなければ味わうことがなかったであろう楽しさを感じていました。 仕事の息抜きで始めたことがさらに仕事に そしてブログを始めて一年半ほど経ったころから、少しずつですが寄稿や連載の依頼が入るようになったのです。 嬉しいのと同時に、「私がそんな漫画家みたいなことを…!?」といちいち動揺していました。 自分がひっそり楽しめたらいいと思って始めたブログでしたが、継続することで思いもよらない貴重な経験ができたと思っています。 こうして仕事の息抜きで始めたことがさらに仕事となり、本業との兼ね合いでバタバタしてしまうこともありますが、寄稿のお仕事は自由度が高く毎回楽しんでやらせていただいています。 現在もブログや連載のネタのため、息子のおもしろ行動は見つけ次第すぐに携帯のネタ帳にメモしていますが、 これから息子が年頃になるにつれ、書く内容には今までよりも気を配る必要が出てくることでしょう。 そういうことに気をつけながら、今後もお見せできる範囲で我が家の日常の記録をお届けしていきたいと思いますので、楽しんでいただければ幸いです。 ちなみに最初は微妙な反応だった夫も、だんだん面白くなってきたと言って読んでくれています。 自分がネタにされている回ではやはり微妙な反応ですが…。
2019年07月28日ウーマンエキサイトの読者のみなさま、こんにちは。ちょっ子です。 小学二年生の息子・きゃん太はちょっと大人びたところがある子で、子どもなんだからそんなことに気にしなくていいのに…と思ってしまうほど人を気づかった発言をすることがあります。 今回はきゃん太のそんな気づかい発言の中から、私に向けられたものをピックアップしてみましたのでご覧ください。 ママを傷つけてしまったのではないか?と思ったのか、チャンバラの手を一旦止めてまで釈明。 当の私はそんなことは全く気にも留めていなかったのに、なんという気の回しようなのでしょうか…。 またある日、きゃん太が通う学童保育の話を聞いていたときのことです。 「ママ=おばさん」と言っていることになってしまう、と気づいて即座に 表現を「お姉さん」に訂正してきた のです。 優しい。優しいんだけどそこに気をつかわれてしまうと余計にむなしい…!! 優しいのはいいことですが、気をつかいすぎていつか彼自身が疲れてしまわないか、おばさんは少し心配に思ったりもするのでした。
2019年06月29日ウーマンエキサイトの読者のみなさまこんにちは。ちょっ子です。 今回のテーマは「子どもに言われてショックだった言葉」…ということで 約6年前、息子・きゃん太が2歳のころのエピソードです。 その日、私はそれまで長かった髪を美容室でバッサリとカットし色も明るめに変え、スッキリとした気持ちで夫ときゃん太が待つ家に帰ってきました。 しかし… これ以上怪訝な顔というのがこの世にあろうか…というほど怪訝な顔をして無言で私を見るきゃん太。 そして… 「いや」 。 そう一言発したきり、きゃん太は全く私に近寄らず目も合わせてくれなくなってしまいました。 つらい…。 突然見た目が変わった母親に戸惑いが隠せなかったのか、 それとも、知らないオバサンがいきなりやってきてママの座に居座ろうとしているとでも本気で思ったのでしょうか? きゃん太、私だよ…ママだよ…!! しかしその後… 今気づいたみたいな口ぶりでやっとママと呼んでくれました。 それからは何事もなかったかのようにいつも通りベタベタしてきて、いったいこの数時間は何だったのでしょう…。そんなに受け入れるのに時間がかかることだったのでしょうか…。 しかし全力で拒絶されたように聞こえた重みのある 「いや」 。 それが今も思い出す、言われてショックだった言葉のひとつです。 ちなみに現在もきゃん太は時々「ママ、髪のばしたらもっとかわいいんじゃない?」と言ってきます。単純にロングの女性が好みなのでしょう…。
2019年06月09日ウーマンエキサイトの読者のみなさま、こんにちは。ちょっ子です。 今回は断乳時の思い出をお話ししたいと思います。 色々と考えるところあって私が断乳を決めたのは息子・きゃん太が1歳4ヶ月のころ。授乳回数は多い方だったので不安ながらも挑んだ断乳でしたが、三日目くらいでパタリと母乳を欲しがらなくなり、拍子抜けするほどアッサリと成功してしまいました。 そして本当の試練はむしろこれからだったのです…。 ■恐怖の乳腺炎 息子がオッパイなしでもすっかりご機嫌で過ごす一方で、私はガチガチに張ったオッパイに対処せねばなりませんでした。 日に何度か、行き場をなくした母乳を一人風呂場でしぼり出してはその絵ヅラの情けなさにうちひしがれていました。 そのうちオッパイに激痛が走るようになり、発熱までする始末。そう、 乳腺炎 を引き起こしてしまったのです。 解熱鎮痛剤でどうにか乗り切りましたが、断乳とはこんなにつらいものなのかと涙が出てしまいました…。 ■1回約4,000円のマッサージ 乳腺炎を引き起こし、自己処理に限界を感じた私。 うまくしぼれないとしこりが残るなどして、乳がん発見の妨げになることもあると知り、近所の産婦人科の 母乳外来の断乳後ケアに通う ことに決めました。 助産師さんによるオッパイマッサージ、一回4000円弱。 出費もオッパイも痛いですが背に腹は代えられません。 乳をしぼられながら和やかにエ●ザイルの話をする。 人生でこんなシチュエーションが訪れようとは予想もできませんでした。 女に生まれるとこうした摩訶不思議な状況にたびたび遭遇するものだなとつくづく思います。 ■課せられる制限 母乳を徐々に作られなくしていくため、助産師さんからの指導でいろいろな制限が課せられることになりました。 妊娠中も色々と我慢してきたのに、また制限か…とゲンナリしましたが仕方ありません。 四六時中冷やしっぱなしのオッパイからは冷気が漂っていました。 ■そして変わり果てた姿に こうした制限と数回の通院を経て、私のオッパイは徐々に母乳が作られない状態に戻っていきました。 そしてふと裸で鏡を見てみると… そこに映っていたのは変わり果てた私のオッパイでした。 妊娠前に戻るどころか、そのさらに2カップはサイズダウンしたのではと思われる、貧相にしぼみきった乳…。 病めるときも健やかなるときも、一緒に頑張って(?)きた私のオッパイ。 こんなに痩せちゃって…!どうしたの?雰囲気変わったじゃん!(泣) 妊娠、出産で自分の体が変わっていくことは経験してきましたが、この時のショックは想像以上に大きいものでした。 夫からの同情が余計に哀しい…。 「同情するなら乳をくれ。金でもいい。」 そう言いたい気持ちになりました。 その後、サイズは少し戻りましたが確実に妊娠前より小さくなったままです。 息子がオッパイを卒業した一抹の寂しさと乳腺炎の痛み、そして変わり果ててしまったオッパイ…。 断乳は私にとってほろ苦い思い出なのでした。
2019年05月30日ウーマンエキサイトの読者のみなさま、こんにちは。ちょっ子です。 私が息子を妊娠し、つわりを経験したのはもう8年ほど前のこと。 今回は つわり体験特集 とのことで、私のつわりがどんなものだったか振り返ってみたいと思います。 ■つわりの時期と症状は… 妊娠したことがわかる少し前からなんとなく体調が悪くなりはじめ、妊娠3~4ヶ月をピークに7ヶ月ごろまではつわりが続いていたと思います。 主な症状は吐き気や眠気、だるさなど。 ピーク時には食事はほとんどノドを通りませんでした。 当時、 「こんなことが辛くなってしまうの!?」 と驚いたのは以下のようなことでした。 ■水のにおいがツライ 台所、浴室など水気のある場所では水のにおいが気持ち悪くてたまらず、入浴しながら吐いたこともありました。 ■食材を見るのがツライ 食材を見ただけで気分が悪くなってしまい、 特に肉と魚のコーナーは近寄ることすらできませんでした。 逃げるようにスーパーを出て、道ばたで座り込んでしまったことも…。 ■テレビ、パソコンの光がツライ 画面の光の刺激を強く感じるようになりました。 数分も耐えられず、しばらくテレビもネットも見られない時期がありました。 ■文字がツライ 活字が並んでいるのを見ただけで吐き気に襲われるようになり 大好きだった読書もできない状態になりました。 ■もはや生きてる事がツライ テレビも(見れ)ねえ!本も(読め)ねえ!食べ物まったく食べれねえ! 水もつれえ!もう立てねえ!天井毎日ぐーるぐる! ※「おら東京さいぐだ」のメロディーでお読みください 眠っている時間以外に体調のいい時はほぼなく、目が覚めるたびに、いつまで続くのか予想もつかない苦しみに絶望的な気持ちになりました。 本来幸せなはずの妊娠生活の数ヶ月はまさに地獄だったと言っても過言ではありません。 なかには入院するほど悪化する方もいるし、私の症状が特別にひどかったわけでもないとわかっています。 それでも今、あのとき苦しみに耐え抜いた 自分自身を盛大にほめてあげたい そんな気持ちです。
2019年04月28日ウーマンエキサイトの読者のみなさま、こんにちは。ちょっ子です。 今回はお弁当にまつわる思い出話です。 それは息子のきゃん太が幼稚園に入りたてのころのことでした。 きゃん太が通う幼稚園では週に一度、お弁当の日がありました。 きゃん太が喜ぶようなかわいいお弁当を作ってあげたいけれど そんなスキルもない私は毎回頭を悩ませていたのです。 たいしたことはできないので、 せめて少しでもかわいく見えるよう簡単な飾り付けをしたりしていました。 そんなある日… きゃん太の好きなキャラクターの絵がそのままカマボコになった商品を発見。 これを次のお弁当に使うことに決めたのです。 そしてお弁当の日。 私はきゃん太の喜ぶ様子を想像してキャラクターカマボコ入りのお弁当を持たせました。 わかってます。 何か間違えたのは今はわかってます。 今考えると完全に 「どうかしてるぜ」 という感じなのですが 当時の私は本気で「キャラクターおすしみたいでカワイイ♪」と思って このような行為(クマのカマボコを海苔でおにぎりに拘束)に及んだのです。 そして… お弁当の感想が 「かわいそう」 。 私はこのとき初めて 方向性を間違ったこと に気づかされたのでした。 かわいいお弁当を作ってあげたいと思うあまり迷宮に迷い込んでしまっていた私。人間、考えすぎるとロクなことにならないということですね…。 これ以来、私はセンスもないのに奇をてらうようなことは避けて、それまで通りのちょっとした飾り付けに、市販のキャラクター海苔やかわいいピック、バランなども取り入れてお弁当に華を添えることにしました。 きゃん太も喜んでくれたので、それで充分だったようです。 今は100円ショップでもお弁当を簡単に彩れるかわいいグッズがたくさん出ています。 春から入園などでお弁当づくりが始まるお母さま方…無理のない範囲で楽しんでくださいませ!
2019年03月23日ウーマンエキサイトの読者のみなさまこんにちは。ちょっ子です。 みなさまはお子さんが「ワンワン」などの言葉を発するようになった時のことを 覚えていらっしゃいますか? 現在小学生の私の息子、きゃん太の場合はどうだったか 振り返ってご紹介したいと思います。 夫の実家では「サブ」という犬を飼っています。 一歳のきゃん太は「サ」が発音できず「ハブ」と呼んでいました。 きゃん太はサブが大好きで、義実家に遊びに行ったときはいつもじゃれあって遊んでいたのです。 しかしある時、別の犬を見て 犬はすべてサブなのだと思っていることが発覚。 クスッとしながら「あれはサブじゃないよ、よそのワンワンだよ」と 教えていましたがなかなか直らず、さらに 彼にとっては猫もまたサブであることが発覚。 そして他の生きものはどうだったかと言いますと 全部ハブでした。 鳥もハブ、虫もハブ、ヘビもハブ(ややこしい)、 森羅万象すべてハブ。 しかしそんな彼も少し時間はかかりましたが 自然と「ワンワン」「ねこ」「とりさん」などの言葉が出てくるようになり、 サブ含む動物をちゃんと識別して呼べるようになっていきました。 私は義実家でサブとたわむれるきゃん太を見るたび すべてがハブだった時代のことをなつかしく思い出すのでした。
2019年03月10日ウーマンエキサイトの読者のみなさま、こんにちは ちょっ子です。 私は手帳に日々のスケジュールだけではなく 息子・きゃん太の様子などもちょこちょこ記録しています。 小学生となった今では口が達者でボキャブラリーも豊富なきゃん太ですが 先日、ふと彼の2~3歳頃の記録を読み返してみると それは言葉がまだまだ拙いゆえのシュール&キュートさであふれていたのです…。 今回はそんな幼かったきゃん太の言動から、いくつかご紹介します。 「両親と自分の名前、言えるかな?」 彼にももちろん、両親と自分の名前を正しく言えない時期があったんです。 自身の名においては、ミドルネームや父の名を入れるなど独自のアレンジを展開。 不覚にもカッコイイ…と思ってしまいました。 「パパとママのどこが好き?」 メガネごと(私は普段メガネをかけています)、オナラまでも 愛してるってことだよね…って思いたい。 「将来の夢は?」 なぜ食べたことすらないビビンバになりたいと言い出したのかは いまだ深い謎に包まれています。 もう今は聞くことのできない、こんなシュールな受け答え。 思い出しては懐かしさとオモシロさで胸がキュンとしてしまいます。
2019年02月15日こんにちは、ちょっ子です。 この冬もインフルエンザが全国的に猛威をふるっていますね。 先日、きゃん太が熱を出したのでまさかと思い病院に行ってみたら バッチリ、 インフルエンザA型に感染 していました。 人により症状はさまざまでしょうが 今回のきゃん太の場合は 鼻の粘膜も弱ってしまったのか 挙げ句の果てに 可哀想なきゃん太。 熱のつらさ、度重なる嘔吐と鼻血が彼を襲いました。 鼻血がまた結構な量だったため、寝具や床にはあまたの血痕が…。怖い。絵面も怖い。 血染めのインフルエンザとして我が家の歴史に語り継がれてゆくこと でしょう。 そして感染防止のため、独り部屋に隔離される寂しさで ついにきゃん太は 泣きました。 しかし止まない雨はないように治らないインフルエンザもない。 発熱から3日後、きゃん太はすっかり元気を取り戻し 残りの出席停止期間を家でのんびり遊んで過ごしました。 なんで? 何はともあれ通常通りのきゃん太節が戻って来たことに胸をなでおろしています。 (ちなみに本当にもまれました)
2019年01月30日こんにちは、ちょっ子です。 今回は我が家での子どもの叱り方のお話です。 私には「きゃん太」という小学一年生の息子がいます。 彼は言動のひとつひとつがロマンティックで 母親の私が言うのも何ですが、心の優しいスーパーイケメンなのです。 しかしそんな彼にもイケてないところがあるのです。それは… 面倒くさがりでのんびりしすぎているということ! 動かざるごと山の如し! 小学生一年生ともなると、 そろそろ自分の身のまわりのことは自分でできるようにならなければいけない年ごろです。 朝は遅刻しないよう時間配分を考えて支度をしなきゃならないし 宿題、明日の持ち物の準備など帰宅後のタスクも盛りだくさん。 しかしきゃん太ときたら、私が何度も何度もしつこく言わないと何にもやろうとしないのです。 毎日毎日毎日毎日、何度も何度も何度も何度も「早く◯◯しなさい!」を言い続けた私は 飽きました。 同じ事を何度も言うのにウンザリした私は、 言い方を変えてみることにしたのです。 このように、急かすのではなく 「これをやらなかったら困るのはママじゃない、君だ」 というメッセージ性を込めた言い方で (きゃん太が虫歯になったり、勉強についていけなくなったりしたら本当は私だって辛いし困るんですが…) 何のためにそうするべきなのか?を、ちょっとイメージさせてみる作戦 に出てみたのでした。 そうすると「あ、困るわ」とハッとしたのか、(はたまた単に私の言い方が不気味だったのか) 以前よりきゃん太が自主的に行動を起こすことが増えてきました。 しつけとは、感情的にガミガミ言ってしまいそうになる自分との戦いでもありますが 「怒られるからやるのではなく、自分のためにやるのだ」という意識を育てるような言い方、叱り方 を心がけねばと思っています。
2019年01月22日はじめまして。このたび連載させていただくことになりました、ちょっ子と申します。 これからよろしくお願いいたします! 私は現在7歳の息子を育てていますが、 今回はその息子を出産した時のことを振り返ってみたいと思います。 その日は早朝におしるしがあり、それから夜中にかけて 少しずつ少しずつ痛み(陣痛)が強まり、間隔も短くなっていきました。 ガマン強い方だと自負していた私でしたが 人生で初めて経験する激痛に、さすがに余裕ではいられませんでした。 「鼻からスイカ」、「腰を金属バットで思い切り殴られる」など 陣痛に関する色々な例えは聞いたことがありましたが 私の場合は 体の中から爆発が起こった ような感覚…。 次の痛みの波が来るのが怖くて怖くてたまらず、おかしくなってしまいそうでした。 こうして友人のアドバイス通り、イキむまではとにかく呼吸をすることに集中したおかげか パニックになったりわめいたりすることはなく、どうにか痛みに耐えぬき…息子との対面を果たしたのでした。 宇宙が見えるほどの苦しみ でしたが 助産師さんが言うには私の様子は冷静に見えたそうで、 「まるで2~3人産んだ人の落ち着きだ」と褒めていただきました。 しかしそのせい(?)で、 もっと叫んだりわめいたりするものだと思っていた夫からは こう言われてしまい、 出産早々イラっとしたところまでがセット で私の出産時の思い出です!
2019年01月03日