夫と、長女(10歳)、長男(5歳)、次男(0歳)の5人家族。広汎性発達障害と診断された長女と、夫&息子たちの面白おかしい日々を綴るコミックエッセイ。笑いとネタの絶えない毎日です。
夫と、長女(10歳)、長男(5歳)、次男(0歳)の5人家族。広汎性発達障害と診断された長女と、夫&息子たちの面白おかしい日々を綴るコミックエッセイ。笑いとネタの絶えない毎日です。
娘一人、息子一人のわが家ですが…、私はもともと、子どもができにくい体質でした。結婚したのは24歳のとき。結婚後なかなか子どもができず、不妊治療に通っていました。そして、結婚しても妊娠しないことで、周りから「子どもはまだ?」と言われ始めました。 周りからかけられる言葉に傷つき、余計ネガティブになった私。 「私には子どもが一生できないのではないか」そんな思いを話すと夫は… 「大丈夫」と、涼しい顔で言いました。 不思議なことに、夫から「大丈夫」と言われると、なぜか本当に大丈夫な気がしてくるのです。 結局、夫と話し合い、辛かった不妊治療はやめることにしました。その後、治療をやめて2、3か月経ったころ…私は自然妊娠。27歳のときに娘を出産しました。 そして、時は流れて私は31歳になり、今度は二人目の不妊に苦しんでいました。 「二人目はまだ?」という言葉に傷つき、2回の流産を経験し、また私はネガティブになっていきました。 このときも夫は「大丈夫よ」と、また涼しい顔で言い続けていました。その後、私は33歳のときに二人目を授かりました。 しかし、妊娠中はトラブルばかり。繰り返す出血で、入院や自宅安静が続きました。医者からは「あなたの場合、安定期はないよ」と言われる始末。 「もう産めないかもしれない」そんな風に考えていたとき、また夫は「大丈夫よ」と言いました。もちろん夫には、医学的な知識もありませんから、何の根拠もありません。でもなぜか「そうか…大丈夫か…」と私の緊張はほぐれていきました。 結局最後までトラブル続きではありましたが、私は無事息子を出産することができました。 その後も、私は夫のこの「大丈夫」という言葉にたくさん救われてきました。 どんな状況でも慌てることなく、いつも同じ表情で、さらっと「大丈夫」と言ってくれる夫。このさらっとした言い方が私には合っているようで、いつも安心できます。 夫のこの言葉で、私の心は保たれているといつも感謝しています。
2019年07月03日このたび、ウーマンエキサイトさんで連載させていただくことになりました。SAKURAと申します。初めまして…ということで、これから登場する、家族の紹介をしたいと思います。わが家は、4人家族です。 広汎性発達障がいを持つ、マイワールド全開の娘に… おしゃべりが大好きな、甘えん坊息子… おもしろくて頼りになる、しっかりの者の父… そして、超ネガティブ思考な母である私(SAKURA)です。 今、こうして絵を描くお仕事をさせていただけている私は、昔から絵を描くことが大好きです。じつは小学生のころ、漫画家を夢見ていました。 小学生のころは、同じように絵が大好きな友だちと、漫画家を目指していました。 そんな夢見る少女だった私。小学6年生のとき、自分でも自信があった漫画を 絵が得意だった4歳年上(当時、高校1年生)の兄に見せました。 そのとき、 私の絵を見て、なんとも微妙なリアクションをする兄を見て、 「兄が下手すぎる私の絵に気を使い、コメントに困っている」と解釈。 今考えると、 兄はどうコメントしていいかわからなかったのかもしれない…と思うのですが、 当時の私は「兄を絶句させてしまうほど、私の絵は下手だったのか」と、 そう思い、急に人に見せるのが恥ずかしくなってしまいました。 それ以来、私は絵を描くことも、漫画家の夢も諦めました。 そんな私が、絵をまた描くことになったきっかけは、夫でした。 娘の発育の遅れが発覚した時とき、私は夫に「私と同じように、子どもの発育で困っている人の参考になるように、療育の記録を書くブログでも始めようかな…」と相談しました。 そこで、絵も描くように勧められたのが始まりです。 それからふたたび絵を描き始め、ありがたいことに自分の絵と文でお仕事をいただけるようになりました。 とっくの昔に諦めていた絵のお仕事を、大人になってからできる日が来るなんて…想像もしていませんでした。 予期せぬところで、かなう夢もあるのですね。こちらでは、それぞれが個性的な家族のことを、書いていきたいと思っています。これからよろしくお願いします。
2019年06月19日