歌誌「短歌人」所属。新聞・雑誌の読者投稿を経て、記者に転身。美容と健康に関する記事を中心に、多数メデイアに記事を発表する。また、動物や地球環境にまつわるコラムも執筆。幻想怪奇小説や、京劇に、関心を持ち研究中である。1982年10月26日岡山県玉野市出身。(フォークラス)
2016年8月15日は終戦記念日。今年で戦後71年目をむかえます。憲法改正をめぐるニュースも報道されていることから、あらためて平和について考えさせられる方も多いことでしょう。 あの悲惨なできごとを風化させないためにも、家族で読みたい絵本を紹介します。 ■『まちんと』(偕成社)文・松谷みよ子 絵・司修 原爆投下直後の広島。まもなく3歳になる女の子はトマトを口に入れてもらうと「まちんと、まちんと」とねだります。お母さんは焼け崩れた街にトマトを探しにいきましたが、なかなかみつかりません。 ようやく、たった1つだけみつけて戻ったとき、その子は、「まちんと、まちんと」といいながら、もう息をひきとっていました…。 “まちんと”とは、「もうちょっと」という意味の方言を幼い子が舌たらずにしゃべっている感じのことばです。 よけいな説明はなく、原爆で燃えあがる街でトマトを欲しがる女の子を描写するだけのシンプルな構成です。だからこそ、傷ついて息も絶えそうな幼子が求めるトマトの冷たい感触やみずみずしさが強調され、原爆の残酷さを歴史上の物語ではなく、実際に起こった悲劇してとらえることができるのではないでしょうか。 極限の状況で出てくることばに混じる、ふるさとなまりの「まちんと」。その語感がかなしく懐かしい響きに思えてなりません。 ■『チロヌップのきつね』(金の星社)文・絵 たかはしひろゆき 太平洋戦争末期、北の孤島「チロヌップ」を舞台に、漁に来たおじいさん、おばあさんと兵隊に襲われるきつね一家の交流を描く物語です。 作者の高橋宏幸は、兵士として1944年の暮れに千島のウルップ島に上陸しました。そこは、たくさんのきつねが暮らす美しい島だったそうです。 ある日、密猟者のしかけた鉄のわなに子きつねの白骨体がかかっているのを見つけ、どこにもぶつけようのない激しい怒りを感じたそう。その体験が『チロヌップのきつね』を生み出すきっかけとなったのだとか。 実話をもとにつくられた創作童話だからでしょうか、静かな迫力とかなしみにあふれています。 鳥や獣が人間のことばを話す物語はよくあります。『チロヌップのきつね』は擬人化されていないにもかかわらず、坊やのきつねを探すため、銃声がこだまするなかへ飛びこむ父きつねの勇敢な姿や、わなにかかった娘のきつねを救おうとする、けなげな母きつねに胸が熱くなります。 戦争だけでなく、親子の結びつきや環境問題についても考えさせられる名作です。 ■『小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話 戦争童話集〜忘れてはイケナイ物語り〜』(世界文化社)原作・野坂昭如 画・黒田征太郎 戦争がテーマの連作童話12編がおさめられています。食糧難で空腹の子どもたち、オオカミやクジラの視点で語る人間の修羅場など、さまざまな切り口で展開します。 すべての書きだしが「昭和二十年、八月十五日」ではじまります。戦争は終わったけれど、平和の幕開けではないことがわかります。 戦争が原因で妹や養父を亡くしている野坂昭如は、このように語っています。 「日本人は、いつの間にかあの戦争をなかったことのようにしてしまった。戦後というが、今もなお、戦争は続いている。戦争は、気づいた時にはすでに始まっているものだ」 出典:『小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話 戦争童話集〜忘れてはイケナイ物語り〜』 『戦争童話集』は1975年に出版され、昨年、黒田征太郎のイラストとコラボレーションして美しい絵本になりました。絵に託されたメッセージと物語の行間ににじむ想いをくみとりながら読んでみてください。 子どもといっしょに読みながら、戦争について、生き方について、平和について家族で話しあう機会になれば幸いです。
2016年08月14日「センスがいい」とほめられると、うわべだけではなく、これまでの生き方全体を評価されたようでうれしいものです。美術館や一流のホテルに通い、質の高いものをながめる習慣がつくとセンスは磨かれます。とはいえ、忙しいとなかなか大変。いつでも気軽に楽しめて、読んでいるうちに美意識が高まるような本をご紹介します。 ■ショーウインドーはまるでミュージカル 『八鳥治久JRタワー札幌ステラプレイスショーウィンドウ2003-2013』 (八鳥治久デザイン事務所)八鳥治久 JRタワー札幌のショーウインドー・ディスプレイの作品集。まるで舞台美術のように洗練された“非日常の世界”があふれています。 帽子から飛びだす黄金の鳩、夜空をかけぬける豹、三日月、火の鳥など、さまざまなモチーフのディスプレイは、とても躍動感があります。ページを開くと、これからミュージカルが開演するかのようで、拍手が聞こえてきそうです。 重厚な雰囲気とクールな空気感がただよい、日本人離れした、スケールの大きさを感じさせます。それもそのはず。デザインした八鳥治久さんは、1936年満州(現・中国東北部)生まれ。少年時代を過ごした厳しい自然と広々とした大地の記憶が、手がけた作品に影響を与えているのでしょう。日本人の繊細な感性と異国情緒の両方を楽しめる、まぶしい写真集です。 ■芸術と科学 『芸術と科学のあいだ』 (木楽社)福岡伸一 ベストセラー『生物と無生物のあいだ』で有名な、生物学者・福岡伸一ハカセが芸術と科学の間にメスを入れました。紹介されているのは、DNAの神秘、昆虫、フェルメール、邪馬台国ロマン、建築物など。これらは何の関係もなさそうに思えますが、終盤にさしかかるにつれて、本当は、理系・文系・芸術系とわけて考える必要がないことに気がつきます。 現在福岡ハカセは、研究者として活躍する一方、エッセイストや、フェルメール愛好家としても知られています。 ハカセの興味の対象は、驚くほど広い範囲におよびますが、少年時代は友達と遊ぶよりも、虫を追いかけたり、1人で読書をするのが好きだったそうです。 変わり者と思われても、誰かに合わせるより、〈好きなこと〉を、とことんつきつめていく熱意が、ジャンルをこえた非凡な感覚をささえているのです。 幾何学的な写真とわかりやすい解説文で、読みすすめているうちに頭の中が整理されてくるように感じられます。 ■中華料理とアンティーク食器のコラボレーション 『うつわと宴 中国料理とアンティーク食器』 (求龍堂)脇屋友詞、大里成子 2014年度に紫綬褒章を受章した中国料理店オーナーシェフ・脇屋友詞さんの創作料理を遊び心いっぱいの中国アンティーク食器によそう。そんな、ゴージャスな企画が本になりました。 器のグラビアからはじまり、次に食器と料理の組み合わせが披露されます。最後に詳しいレシピが紹介され、1冊で3通り楽しむことができます。 骨董品の世界は狭くて深く、初心者にはむずかしいイメージがありますよね。中国美術の特徴は、おおらかさと、力強さです。たとえば、龍や鳳凰のような、神獣をモチーフにした皿。補色を組み合わせた大胆な色彩。 一見、どんな献立とあわせるのか、想像できないような遊び心があるデザインですが、ふしぎと、静けさが感じられます。 迫力のある世界観を「うつわと宴」で堪能してみませんか。 これらの本は、直接、美の秘訣を書いているわけではありませんが、ながめているうちに、内側から美のモチベーションを高めてくれます。どれか1冊でも読んでいただきたいおすすめの本です。 ・ 芸術と科学のあいだ(木楽舎) ・ JRタワー札幌ステラプレイスショーウィンドウ2003‐2013(八鳥治久デザイン事務所) ・ うつわと宴―中国料理とアンティーク食器(求龍堂)
2016年08月13日日々、成長していく子どもたち。少しずつ変わっていくのは、子どもだけではありません。母になったことで見えてくる風景、人のあたたかさ、人生の過酷さなど、さまざまな場面と感覚があります。歌人たちは母親になった「わたし」をどのように作品に投影しているのでしょうか。 ■かけがえのないこの一瞬が楽しい 「マスクしたまま面接を受けし子が人は見た目じゃないよと言えり」 俵万智(『短歌研究』2016年3月号) まだ幼いとばかりおもっていた子が、「人は見た目じゃないよ」と、まるで大人のような受け答えをしました。どう見ても外見は子どもなのに、中身はいったいどうなっているの。自分が知らないところで覚えてきた言葉をすました顔で話す子ども。たのもしく感じる反面、さみしくおもう気持ちの両方がうかがえます。 「温めし牛乳を飲む子の頬ゆ仏陀の微笑(みせう)うかびては消ゆ」 武下奈々子(『樹の女』) 「頬ゆ」は「頬より」という意味です。作者はホットミルクを飲む子を見ながら、お釈迦様をおもいだしています。ういういしい母と子の姿は1枚の絵のようです。 ■いとしすぎるから心の奥で痛みを感じることも 「幽門の閉じてしまいし子の身体われはからっぽになり抱いていたりき」 江戸雪(『椿夜』) 歌集『椿夜』によると、作者の子どもは生後1か月で幽門狭窄症の手術を受けたことがわかります。生まれたての子が背負う大きな病を、どのように受けとめたらよいのかわからなくなり、まるで自分の体内が空っぽになったように感じています。痛々しい作品です。 「こわいのよ われに似る子が突然に空の奥処を指すことも」 江戸雪(『椿夜』) 子どもが自分に似ているのがこわい。素直で自然な心境を「空の奥処を指さすことも」という具体的な描写にたくしています。空の深い部分には、いったい何があるのでしょうか。平易なことばだけで構成されていますが、奥行きがありミステリアスな1首です。 ■子離れは自分自身を見つめるチャンス 「いつよりか恥ずかしがらず髭を剃る息子がをりぬ五月の鏡」 米川千嘉子(『あやはべる』) 息子はもうすでに子どもではなく、大人の男性に近づきつつあるようです。堂々と髭をそっている姿は、母親にしてみると恥ずかしいようなこそばゆいような、独特の感覚をともなうものなのでしょう。しかし、「五月の鏡」とさわやかにうたい、変になまなましくならずに後味のよい作品になっています。 「古代ガラスのあわいくすみが吸う光 母の時間の過ぎた青空」 東直子(『歌壇』2015年12月号) 現代のガラスとちがい、古代ガラスは透きとおっていません。淡くくすんでいることにより、反射する光が鋭くならず、まろやかに屈折します。育児から解放され、自分の時間が増えた日常を絶妙なことばで表現しました。 「自分の歌集をまた熱心に読んでゐる 娘の気配がふとなくなれば」 花山多佳子(『木立ダリア』) 「歌つくるわれの背後に他人(ひと)の歌読みあげてゐる娘なりけり」 花山多佳子(『胡瓜草』) この作者は、父・娘・自分自身の親子3代で歌人です。娘がいるときには短歌実作者ではなく、意識して母親の顔をしています。母と歌人のあいだを行ったり来たりする自意識を冷静に詠んでいるのが、この2首の見どころです。 母になった「わたし」を見つけるのは甘酸っぱく、ちょっぴりせつない気持ちになります。けれども、それはさみしいのではなく、とても心地よい感覚なのかもしれませんね。
2016年06月04日子どもが成長していくにつれ、ママも自分のために使える時間も少しずつ増えてきます。通勤途中や就寝前、休日のひとときなどに、読書ライフを再開しませんか? 太陽が恋しくなる梅雨シーズンにおすすめの、天気や空、自然にまつわるユニークな視点で書かれた本を紹介します。 ■ネコが顔を洗うと雨になるのには理由があった 『アマタツさん、ネコが顔を洗うと雨が降るって本当ですか? 知って得する天気のことわざ』 天達武史(著)、ハレックス製作チーム(著)/ 徳間書店 人気お天気キャスターによる天気にまつわる雑学コラム集。ちょっぴりエキセントリックな着眼点とたしかな科学的根拠にもとづき、気象のメカニズムをわかりやすいエンタテインメントに仕立てています。 「ネコが顔を洗うと次の日は雨になる」、「くしが通りにくいのは雨の前兆」、「スズメが朝早くさえずる時は晴れる」など、民話のような通説をサイエンスの視点から解説。お年寄りのひとりごとや迷信だとおもっていたことも、実はきちんとした裏づけがあることがわかり、意外な結論にたどりつきます。 ■鳥を追いかけて世界中を冒険してみよう 『鳥の不思議な生活』 ノア・ストリッカー(著)、片岡夏実(訳)/ 築地書館 北米を代表するバードウオッチャーが執筆した本格的な鳥研究の1冊。ペンギンを観察するために南極へ、野生のシロフクロウを追って北極圏からハワイまで追いかける。鳥を観察するためだけに世界中を旅していきます。熱意にあふれる研究は鳥類のくらしにとどまらず、ヒトの行動を知ることにも通じることがわかります。 「この本は鳥の世界について書いたものかもしれないが、人間の世界についての本でもある。鳥の行動は派手で驚くべきものだろうが、私たちと同じ基本的なもの、つまり食料、すみか、なわばり、安全、交流、遺産を求めている。〈中略〉これから驚くべき鳥の物語が次々と登場する。圧倒されることを覚悟してほしい」(本書より抜粋) 青空が恋しいときは本をひらいて鳥の世界へ旅してみませんか。読みすすむうちに大自然を冒険しているような気持ちになれますよ! ■読めば地球の奇跡を実感できる 『改定新版 地球のはじまりからのダイジェスト 地球のしくみと生命進化の46億年』 西本昌司(著)/ 合同出版 地球は奇跡の惑星といわれます。特別なのは生命の誕生だけではなく、複雑な山脈、海の輝き、白い雲などは広い宇宙のなかで地球にしかないとされています。同書では地球誕生から現在までを1話完結、全42話のエピソードで紹介。 地球の歴史としくみを知ったら、今までとおなじ風景をみても受けとめ方がちがってくるはず。わかりやすい挿し絵と文学的な説明文は、まるで神話のよう。 自然の風景や動物の生態を知れば知るほど、見えてくる世界が広がります。思わず子どもにも教えてあげたくなるエピソードばかりで、夏休みの自由研究の参考資料にもおすすめ。雨の日は本をひらいて、小さな冒険をはじめてみませんか。
2016年05月29日子どもを授かる喜びは男女同じですが、つわりや陣痛のすさまじさは実際に体験してみなければわからない感覚ですよね。 女性歌人がみずみずしい感性と冷静な目線でとらえた妊娠と出産にまつわる短歌と、男性歌人が出産シーンをとらえた歌を紹介します。 ■健診、つわり、生殖医療にまつわる妊娠のうた 「白鯨の棲みかとなりしわが胎の超音波画像(エコー)に黒く水が映れり」 澤村斉美(『短歌往来』2015年10月号) 健診のときに胎内を映す超音波機器のモニターをみている場面。作者にとって、まだ対面していないわが子は、人間というよりも白い鯨のようにロマンティックな生き物です。白鯨が黒い水に息づく様子を美しく詠いあげています。 次に紹介する早川志織の作品は、妊娠を新しい詠いかたでチャレンジしています。 「生殖医療の善悪をいう新聞はいつでも新聞の匂いしていて」 早川志織(『クルミの中』) 医学の進歩により、生殖医療を受けることで子どもを授かる女性は多くいます。一方で、子は自然に授かるものという考え方があります。どちらが正解だと白黒をつけられる問題ではありません。生殖医療にまつわる話題は誤解や論争をまねきやすいもの。ナイーブな問題をそのままうたうのではなく、嗅覚に訴えかけることによって迫力のある1首になりました。 「医術だから、目をつむり針を受け入れる人工授精は十秒で終わる」 早川志織(『クルミの中』) 具体的な医療現場の臨場感を詠みこんでいます。時間にすると、たった10秒間のことですが、忘れられない体験であり、なまなましい感覚がつたわってきます。 「みごもれば感官一途に尖りゆき柑橘の強き酸(さん)を欲せり」 小島ゆかり(『水陽炎』) つわりのうた。妊娠すると味覚が変わったり、においに敏感になったりすることも。すっぱいものが欲しくなるのは感官器官がとがるから、という見立てに共感しました。 ■命の誕生をドラマチックにあらわす出産のうた 「子を負える埴輪(はにわ)のおんなあたたかしかくおろかにていのち生みつぐ」 山田あき(『山河無限』) スケールの大きさが魅力。母から受けついだ遺伝子を子に伝えていくさまを、「はにわ」にたとえるところに作者のゆたかな感性があらわれています。 「海原にうしほ満つべし現身を揺り上げていま吾子生まれたり」 小島ゆかり(『水陽炎』) 女性のバイオリズムは月と海にたとえられます。月の引力と潮の満ち干きは深いかかわりがあります。満ちてきた潮がからだを揺りあげるように新しい生命が誕生した。宇宙と一体化するような出産の名歌といえるでしょう。 「巻尺をもちて計れるその体、声だして指の数は数へる」 大松達知(『ゆりかごのうた』) 男性は冷静です。出産の余韻がさめない妻の横で、夫はわが子の体を観察していました。さりげないシーンですが、はっきりと男女の考え方のちがいがわかりますよね。 「生まれたる日の体重の四ケタをアマゾンの暗証番号にせり」 大松達知(『ゆりかごのうた』) うれしいという言葉を使っていませんが、出生時の体重をネットショッピングの暗証番号にするところに作者のよろこびがうかがえます。 妊娠や出産をうたう作品はきれいなものだけではありません。作者の顔が見えるようなリアリティのあるうたや、現代の問題点を鋭く指摘する名歌も多いのです。人が人を産みだす過程は、それだけドラマチックで起伏に富んでいるのですね。
2016年05月28日骨董品を鑑定するとき、作品のうしろ側や裏面の印象はとても大切。実は、うしろ姿というのはよく見られており、その人の印象に大きく影響します。自分の目が届きにくいうしろ姿をブラッシュアップして絵画に登場するような見返り美人をめざしてみませんか? ■和服美人に学ぶ! うしろ姿チェック 日常的に和服を着ている女性は洋服姿もあかぬけています。なぜでしょうか。きものは、襟のぬき方や帯の位置、結び方など、こまかく調整しながらいちばん美しく見えるポイントをさがして着つけていきます。 そのため何度も鏡を見てチェックします。正面から、横から、ななめから、そしてうしろ姿も念入りに確認します。自分の姿を多面的に見る習慣がついているのです。ぜひ、まねしたいですね。 以前、ある老舗旅館の女将さんがテレビの取材で美の秘訣をきかれたとき、「後頭部にも目がついていると思いながら動いています」とこたえていました。うしろ姿に気を配ると美意識が高まり、洗練された印象へ導いてくれます。 ■襟足をすっきりとシェービング 見返り美人になるために注意したいことは3つ。襟足、もみあげ、耳の裏です。とくに襟足と、もみあげのうぶ毛が処理されているだけで、すっきりして清潔感がアップします。逆にもみあげが濃すぎたり、襟足のおくれ毛が目立つと生活感が出てしまいます。 でも、襟足を自分でお手入れするのはむずかしいですよね。鏡を合わせながら手を動かそうとしてもむずかしく、よけいな部分までそり落としてしまうおそれも。 そこでおすすめなのは、理容室(床屋さん)のレディスシェービング。理容室は男性が行くところというイメージですが、最近はメニューにレディスシェービングをとり入れているお店が増え、顔のうぶ毛そりのために床屋へ通う女性も増えているようです。 料金は店舗によって異なりますが、1000円~2000円前後で、顔と襟足までのシェービングサービスを受けることができます。少し料金はアップしますが、美容クリニックやエステティックサロンで脱毛コースを利用するのもいいでしょう。襟足を整えると髪と肌のコントラストがくっきりとして、洗練されたうなじ美人になれますよ。 ■首と肩の力をぬいてすっとした立ち姿へ すぐれたバレリーナや舞台女優は、顔よりも背中での表現力が素晴らしいものです。白鳥のような、すっとした立ち姿を目指して姿勢をチェックしてみましょう。 まず、肩に力を入れないこと。力むのは簡単ですが、力を抜くのはむずかしいものです。おもいっきり両肩を上げて、ストンと肩を落とすとよぶんな力がぬけます。また、胸の前で合掌のポーズをすると、首と背中の力みがとれて女性らしいラインになります。 見返り美人は、昔からくりかえし描かれてきました。人から見られることを常に意識して、自分の目が届かないパーツまでお手入れを欠かさない女性こそ美しい、というメッセージかもしれませんね。
2016年05月21日2016年2月12日、重力波の初観測が発表されました。それはアインシュタインが存在を予言してからおよそ100年後のことでした。でも「重力波」と聞いても「いったい何のことだか、さっぱりわからない」そんな人が、ほとんどではないでしょうか。当然ですよね。これまで体感したことのない未知の波長ですから。 かぎりないロマンをかきたてるサイエンス。でも科学の世界はむずかしく、敷居が高いもの。そんな文系女子におすすめの 「わかりやすくて深いサイエンス本」 を紹介します。 ■猫たちが語りだすサイエンス 『真夜中に猫は科学する エクレア教授の語る遺伝や免疫のふしぎ』 (薬袋摩耶/イラスト浅生ハルミン/亜紀書房) 猫の集会。それは人間にとっては謎だらけのシロモノでしかありません。ところが、この本ではちがいます。毎週水曜日の夜、猫たちはひとところに集まって勉強会をひらきます。ある夜は「ウイルスと細菌は、どのようにちがうのか」。別の晩は「ワクチンと免疫について」と、いうふうに。また、「iPS細胞とは何か」などと最新の科学の話題を猫にでも理解できる言葉で語っています。 個性的な猫たちの会話に楽しく耳をかたむけながら、サイエンスの専門用語を覚えることができます。そして、 科学が抱える問題点 がみえてくる、ユニークな入門書です。 ■原因不明の病を克服した、サイエンスライター 『生命(いのち)のふしぎ』(柳澤桂子/集英社文庫) 著者は生命科学者として、またサイエンスライターとして活躍中。経歴だけに注目すると「まあ、エリートなのね」と、いいたいところですが、彼女はおよそ 20年間も寝たきり の生活を送っていました。 まったく原因がわからず、病名もあいまい。そのためにどのように治療をすればよいのか、方針がたてられなかったのです。しかし、あるうつ病の薬が効き、劇的に回復します。そんな奇跡の人の言葉の、ひとこと、ひとことが胸にひびきます。 「孫が生まれてから、私は地球の行く末を今までより深刻に考えるようになった。(中略)この子がお嫁さんになって、子供を産んで、またその子が子供を産んで、と連綿と続く未来が具現化して、心に映るようになった。その子供たちは、延々と私の遺伝子のコピーを受け継いでいくのである。 私という個体が消滅したのちも、私の一部が残っていく。そして、いつかは人類滅亡の日を迎えるであろう。私は、子供を産んでしまったことをなかば悔いているが、子供や孫の存在が幸せをもたらしてくれることも確かである」(本書より抜粋) サイエンスエッセイとしてはもちろんですが、ことばに奥行きがあり、 人生論 としても逸品です。 ■なぜ、私は私なの? 『人体600万年史 科学が明かす進化・健康・疾病』上・下巻あり (ダニエル・Eリーバーマン/訳・塩原通緒/早川書房) ヒトの 体のしくみ は、謎につつまれています。この本は健康本でもなければ、人類学の解説書でもありません。けれども、なぜ人間は人間になったのか。という疑問にいどむためには、進化の歴史は避けて通れない道。現在、私たちの体内ではなにかが変わりはじめているのでしょうか? それを知るためには人類史をたどり、科学の発達していく過程をあきらかにすることが必要なのです。 おもしろそうだけど初心者には読みこなすのが大変そう。そんなため息が聞こえてきそうですが、ひとつひとつの章が短いので、すぐに読破できました。登場人物が多い外国の小説を読むよりも、むしろ理解しやすいかもしれません。物事を 大きなスケールで考えられるようになる 大作です。ミステリアスで、簡潔なサイエンスの世界のドアをノックしてみませんか?
2016年04月17日俳句にあって短歌にはないもの。それは 「季語」 です。短歌は俳句のように季節を感じる言葉を入れなければならないというルールはありません。しかし、1首の中に 春夏秋冬 が入ると、くっきりとした情景がたちあがります。 ■短歌で感じる「春」 「春に来て春に去り行くこの町の貯金通帳二冊が終わる」 大田省三(『第10回 若山牧水青春短歌大賞入選作品集』) 作者は「二冊」の「貯金通帳」という具体的な小道具を使い、町への愛着となごり惜しさを表現しました。さりげない言葉の奥の感情が刺激されます。 「置時計よりも静かに父がいる春のみぞれのふるゆうまぐれ」 藤島秀憲(『すずめ』) しんとした春の情景画のような作品。「置時計よりも静か」という描写で父親の存在感が深く胸に響きます。 ■「草花」のうた 春といえば桜。桜の花を題材に詠ったことがないという歌人は、おそらくいないことでしょう。しかし、いっせいに草が芽吹き花がわらう春の花は、桜だけではありません。 「エタノールの化学式書く先生の白衣に届く青葉のかげり」 小島なお(『乱反射』) 着眼点が非凡です。青葉のかげが映る白衣とは、ポエジーにみちています。春の教室特有の、空気のやわらかさや、あたたかさが伝わってきます。黒板に向かってC2H5OHと書く、教師をながめている一瞬がドラマになりました。 「宇宙時間思えば一瞬にも満たずわたしの記憶にパンジーが咲く」 小島なお(『サリンジャーは死んでしまった』) はるかな「宇宙時間」と「わたしの記憶」のコントラストがあざやかです。まだ若い作者は、自分が生きてきた時間をパンジーに重ね合わせました。冬から春にかけて庭にひろがるパンジーのかれんさと、作者の感性がオーバーラップするようです。 「菜の花の黄(きい)溢れたりゆふぐれの素焼きの壺に処女のからだに」 水原紫苑(『びあんか』) 桜や梅はフォーマルな花。けれども、あぜみちや、バス停にひっそりと咲く菜の花はカジュアルなイメージがありませんか? ところが、かわいた素焼きの壷や、無機質な生娘のからだにあふれる「菜の花」は、幻想的で、美しい毒をはらんでいます。陽気なだけではない、ミステリアスな名歌だといえるでしょう。 ■春の「余韻」 「ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は」 穂村弘(『ジンケート』) 冷蔵庫をあけると卵を置くための独特の空間があります。あのくぼみにひと粒ずつ涙が落ちていきます。ぬるくてしょっぱい涙も落ちてしまえば、もう誰のものなのかわかりません。「ほんとうにおれのもんかよ」と、つきはなしているのは自分自身なのか、それともまた別の誰かのことなのでしょうか。悲しい場面に悲劇的にならず、ちょっぴり投げやりにうたう技法は上級者ならではのテクニックです。 「音楽になる一歩手前のまっさらな風だけが吹いてゆける市街」 井辻朱美(『コリオリの風』) 風は、やがて音楽にかわるのでしょうか。急激にあたたかくなる春は風が強い季節。まっさらな、洗いざらしの木綿のような風がかなでる名曲に耳をすませてください。 歌人たちはうたいます。きびしい寒さにたえて芽吹く木々の生命力を。まぶしい青空を。光と風を。そして、永遠にもどらない現在という、その一瞬を。 春を詠んだうた。春に読みたいうた。春は、ドラマがはじまる季節です。
2016年04月11日優秀なカメラマンはタイミングを知っています。何気ない街なみ。どこにでもいる猫。こどもたちの一瞬の笑顔を、あざやかな作品にして私たちの目をたのしませてくれます。 同じように才能のある歌人は、当たり前の風景を詠っても、そこには新しい発見があるものです。 ■短歌は、瞬間のドラマ 短歌のタネは、旅や、病気などのドラマチックな体験だけではありません。むしろ、料理や掃除や、通勤中の1コマ、自宅でくつろいでいるときなど、日々の生活のなかにこそ、落ちているものなのです。 一見、平凡な日常にこそ、新鮮な発見があります。そんな、一瞬と永遠が交差する名歌を紹介しましょう。 ■時計も置き方ひとつでこんなに違う 「むかうむきに時計を置けばざまあみろ 時は勝手に流れてゆくさ」 岩田正(『レクエルド』) 「ざまあみろ」と、つぶやく小気味よさが、さわやかで、余裕があります。 あえて、文字盤をみえないように時計を置くことで、時の流れから自由になるような、すがすがしさがあります。肩の力を抜いて、自然体で楽しみたい作品です。 ■列車が持つ生命力 人間のあぶらをつけて蘇る始発列車の窓という窓 盛田志保子(『木曜日』) まだ薄暗いホームに入ってくる始発列車は、緊張感につつまれています。作者は近寄りがたい列車の全体像のなかから「窓」に注目しました。 そして、「人間のあぶらをつけて蘇る」と表現したのです。風景と身体感覚が一体化して、不思議な生命力にあふれています。 ■食材から料理になる瞬間 「まだ動く海老を掴みて熱湯に落とすやたちまち赤海老となる」 奥村晃作(『歌集 造りの強い傘』) 豚肉や牛肉とは反対に、エビやカニは火を通すと赤くなります。生き物が食材に変わる瞬間を、鮮やかにとらえています。 感情をこめずに、事実だけを伝えることで、かえって新鮮さがひきだされています。 ■読書、二度目はどこから読みますか? 「帯・カバー外し〈新刊歌集〉読む二度目はうしろの頁から読む」同 一度読み終えた歌集を、ふたたび開く場面。けれども、はじまりからではなく、うしろから読むという意外性がポイント。 言葉にしなければ、すぐに忘れてしまうささやかな日常の側面が伝わってきます。 ■毎日の家事で思うこと 「掃除機の中に家族の抜け髪は絡まりあいて縄のごとしも」 前田康子(「歌壇」2015年10月号) 作者は掃除機の内部でからまりあう髪が縄になるのではないかと想像しています。 もちろん、実際にはありえないことですが、掃除機の奥には家族たちの知らないもう1つの世界が存在しているようで楽しくなります。 パラレルワールドのようでユニークですね。 ■忙しい時の電話って面倒! 「セールスに不機嫌になる声のまま受話器をとれば義母の声のす」同(「短歌研究」2015年6月号) 「また、セールスの電話ね。忙しいのに!」と受話器をあげると、お姑さんだった…という笑えないシーン。 「まあ、おかあさん」とうろたえながら声のトーンが変わっていく、作者のようすが思い浮かびます。 ■もしも…を想い浮かべる 「生き直したい俺なのか丸善を歩けば医科の文字がまつわる」 中沢直人(「極圏の光』) 「「鱈(たら)」がいるのは、海のなかだけ」といったのは、小説家の田辺聖子さん。 けれども、「あのときに、別の道を選んでいたら」「やはり、医学部をめざしていたら」などと、「たら」や「もしも」の人生を、想い浮かべてみることはありませんか? 書店(丸善)の通路を歩く作者は医科の文字が気になる様子。 短歌は31音の、世界でいちばん短いポエム。 時計をふせたり、エビをゆでたり、書架をながめているうちに、味わい深いドラマがはじまります。 あなたのまわりの何気ない風景、そこにもいろいろなドラマが転がっているかもしれません。
2016年02月15日人が人を思う気持ちは、古代から今日まで変わらないものです。文化や生活習慣が変化しても、瞳の色や言葉がちがっていても…。 しかしなぜ、いつの時代も男と女はわかりあえないものなのでしょうか? 女性の恋心を男性は重く受けとめ、男性の愛情に女性は不安を抱きます。 男性歌人がつむぐ恋の名歌を読みとき、男性の心を探っていきましょう。 ■さわやかでういういしい恋愛 「空が傘を見せてほしくて落とす水のようなキスに君は応じる」木下龍也(「短歌研究」2016年2月号) 「君とゆく道は曲がっていてほしい安易に先が見えないように」同 さわやかな短歌。まるで、ミントティのようです。雨が降るのは、空が傘を見たいからだというのは、新しい考え方ですね。はにかむ恋人の顔を傘が隠しているような風情があります。 けれども、彼女と歩く道は曲がっていてほしいという、すこし屈折した感情も…。近づきたい、もっと触れあいたい、けれど安易に先は見えてほしくはない。そんな揺れうごく心が、フレッシュでみずみずしい作品です。 ■「恋人」から「妻」に変わるとき 「しばらくは敬称つきできみを呼ぶ晩春の底を象が歩めば」田村元(『歌集 北二十二条西七丁目』) 「家族ではまだない人を連れて行くわれと北風の生(あ)れしところへ」同 「旧姓を木の芽の中に置いて来てきみは小さくうなづいてゐた」同 作者にとって、現在の「きみ」の立ち位置は複雑です。とくに3首目の「旧姓を木の芽の中に置いて来て」という描写に、結婚のよろこびと、覚悟の両方が感じられます。恋人を、「妻」として家族に迎える青年の心が伝わってきました。 ■恋の終わりを感じさせる水族館での逢瀬 「水族館(アカリウム)にタカアシガニを見てゐしはいつか誰かの子を生む器(うつは)」坂井修一(『ラビュリントスの日々』) この作者は、恋の終わりを予感しているのでしょう。深い海に棲む「タカアシガニ」を見るのと同じまなざしで、彼女を眺めています。 「あいつは、いつか誰かの子を生むのだろう。でも、それはきっと、僕ではない誰かだろうな」。そんな、つぶやきが聞こえてきそうです。あくまで、情感を抑えた冷静な言葉の選び方に、センスが光っています。 とはいえ、うちに秘めるだけが短歌ではありません。次の1首も、恋人との別れを詠った作品ですが、切なさよりもパワーがみなぎっています。 ■ときには、叫びたくなることも… 「俺の子供が欲しいなんていってたくせに、馬鹿野郎!」佐佐木幸綱(『群黎』) 青春映画のクライマックスを見ているかのような、ダイナミックな構図です。おとなになると、おもいっきり感情を相手にぶつけることは、なかなか難しいもの。 でも、この作者はやりきれない胸の内を大胆に表現しました。だからこそ、「馬鹿野郎!」と絶叫するこの作品に、ひかれるのではないでしょうか。 これから展開していく恋。客観的にうたう作品、おもわず叫びたくなる歌。1000組のカップルがいたら、1000通りの恋愛のかたちがあります。 時代をこえて通じあう「想い」をエネルギーにかえて、きらめく相聞歌(恋愛のうた)。ときには静かに、ときには激しく恋をうたっています。ぜひ、男性の心を理解するヒントにしてみてください。
2016年02月11日以前、「職業・女優」というキャッチコピーがありました。確か、確定申告のポスターだったと思います。 女優は舞台や映画に出演し、お芝居をすることで生活をしています。また、小説家は物語を書き、漫画家は絵を描き、ストーリーを練るのが生業(なりわい)です。 ところが歌人は、短歌をつくるだけでは生活はできません。そのため歌人のプロになっても、皆それぞれに仕事を持っています。 だからこそ、創作としてつくりあげるのではない、現場の、臨場感あふれる職場うたが生まれるのです。 なかでもわかりやすくて、リアリティーある作品を紹介します。 ■21世紀の歌人がつむぐ、仕事のうた 「皮膚科医の要らぬ性なり街なかで 義髪がすぐに見抜けることも」 「訊かざれど皮膚は語れり俯ける 少年の腕の煙草の跡よ」 医師:久山倫代「星芒体」 皮膚科の医師である作者。もしも、皮膚科医でなければ、義髪も、たばこの跡もわからなかったことでしょう。 けれども、勤務時間が終わってからも、また別件で診察をしていても、意識してしまう医師としての〈性〉を、シニカルに描いています。 歌集のタイトル「星芒体」(せいぼうたい)はあとがきによると、「ある種の皮膚疾患の組織標本の中に見られる美しい物質」とのこと。 なるほど。さすが、専門家ならではの着眼点です。 「〈馬〉といふ漢字を習ひみづからの 馬に与ふるよんほんの脚」 「日本語の日記見せにくる学生の 助詞の欠落のみ補いつ」 日本語教師:大口玲子「海量」 母国語でない言語を習得するのは難しい。なぜなら正確な発音や、文法を覚えなければいけないから。 その反面、外国人が達者すぎる日本語をあやつると違和感があるときも。日本語教師の作者は懸命に漢字を覚える学生に、もどかしさと初々しさの両方を感じています。 初心の時期にしかない輝きは、美しい反面、痛々しさも秘めているのではないでしょうか。 「平身低頭謝っている鼻先で 羊羹2ミリ動いたようだ」 「身のほどを知れと言われて大いなる 机かついで帰りぬ」 会社員:奥田亡羊「亡羊」 緊迫感がある場面とは裏腹に、作者の視線はわずかに動いた羊かんや、大いなる机といったこまかい部分に注目しています。 ■21世紀の啄木たち 石川啄木が、「はたらけどはたらけど猶わが生活(くらし) 楽にならざりぢつと手をみる」と、詠んでから約100年がたちました。 さて現代の歌人は、時代と生活をどのように表現しているのでしょうか? 「たぶん親の収入超せない僕たちが ペットボトルを補充してゆく」 山田航「さよならハグ・チルドレン」 「手をつたう洗剤の泡アルバイト やめていいよと今日も言えずに」 山田航「短歌」(2015年10月号) 近年は、非正規雇用が急増。とくに男性にとって、結婚にふみきるのも度胸がいるのでしょう。21世紀の啄木ともいえる作品です。 給料と、結婚にまつわるうたといえば、第61回角川短歌賞の次席に、こんな名歌がありました。 「給料は「いくら」と問うてくる君に 「二十八」だと年齢答える」 佐々木定綱「短歌」(2015年11月号) 感情をこめずに事実のみを伝え、現実を浮かび上がらせているユニークな一首。 ちなみに受賞したのは、就職活動をモチーフにしたこちらの一首。 「鉛筆でごく簡潔に描く地図の 星のしるしのところへ向かう」 鈴木加成太「短歌」(2015年11月号) 「どんなにうまく傘をさしても容赦なく スーツを濡らす雨の散弾」 鈴木加成太「短歌」 スニーカーを履いて通学していた青年が、春からは革靴でどんな会社に通勤することになるのでしょうか。 あたらしい環境でもまれながらつむぎだす言葉の結晶に、これからも注目したいですね。
2016年01月21日「伝統工芸品」は、美術館で観賞するだけではありません。デパートの物産展やインターネットで入手できる、手ごろな価格の伝統工芸品も多くあります。 こまめに手入れしながら使用する伝統工芸品は、まさに一生ものです。職人が丹精こめてつくりあげた工芸品は、美しさと実用性の両方を兼ねそなえています。装飾品ではなく、毎日の生活で使える伝統工芸品をピックアップしました。 ■さめてもおいしい、曲げわっぱの弁当箱 はじめに紹介するのは、「曲げわっぱ」です。曲げわっぱとは、うすく削った板を円形状に曲げてつくる箱のこと。材料は、杉やひのきが一般的で、木目を生かしたデザインと、素朴な手ざわりに魅了されます。 風合いだけでなく、機能性のよさも見逃せません。天然素材のため、なかに入れるごはんや、おかずが傷みにくいのです。軽くて持ちはこびやすいのはもちろん、食材が硬くならずに、おいしくいただけるのはうれしいですよね。 木材の持つ水分を保持する性質や、弾力を利用してつくりあげる曲げ物。それは、わが国の風土と日本人の器用な手先を活かした、暮らしのなかの芸術品だといえるでしょう。 アルミやプラスチックの弁当箱を使っている方は、ぜひ一度曲げわっぱを試してみてください。 ■使いこむとあめ色になる、柘植(つげ)の櫛 日本髪を結うときのイメージが強い「柘植の櫛」。絵巻物や美人画では、なめらかな髪をとかす場面は定番です。とくに舞妓さんが持っているような柘植の櫛は、手になじみやすく、使い心地がよいのが特徴です。 木材のなかでも、粘り気が強く割れにくい柘植は、櫛や将棋の駒に最適です。静電気がおきにくく、手や頭皮の体温と油分が伝わることで、長い時間をかけて美しいあめ色になります。 毎日使っていると、持ち主にあわせて少しずつ櫛の歯先が削れてきます。本人の髪質や頭皮のカーブに沿って変化していくため、オーダーメイドのようなぜいたくさが味わえます。 皇室御用達としても知られる京都の老舗「十三や」や、素材のよさに定評がある鹿児島の「喜多つげ製作所」がオススメです。 ロングヘアや髪が多くて太い方は、大ぶりで目の荒い櫛を選ぶといいでしょう。ボリュームアップさせたい方は、目の細かいタイプを選ぶのがコツです。 はじめに荒い櫛でおおまかな汚れを取りのぞき、次にこまかい櫛を通すと、頭皮のマッサージにもなり、髪もつややかになりますよ。 ■肌触りのよい化粧筆 チークパレットを購入すると、付属のブラシがついています。近年では、どこの化粧品メーカーも品質が向上して、初心者でも簡単にグラデーションがつくれるようになりました。 美意識の高い女性なら、自分専用の化粧筆をそろえたいものです。よい筆はムラなく粉をふくむことができ、肌ざわりがやさしいのがうれしいところ。手の角度や力加減を変えるだけで、淡い色からあざやかな色彩までを自由自在に発色させることができます。 意外ですが、書道の筆をつくる職人が製作しているものに多くの良品が見受けられました。広島の「熊野筆」や「白鳳堂」は、いずれも毛質がよく品ぞろえが豊富です。ヤギやリスのやわらかな毛は、皮膚にやさしく、メイクの仕上がりがあかぬけます。 日本の風土と伝統がはぐくんだ職人技を、ぜひ毎日の生活に取りいれて活かしたいものですよね。
2016年01月17日待ち合わせをするために入った喫茶店で、こんな光景に出会いました。 窓際の席で、着物姿のおばあさんが、椅子の上に正座しているのです。冷たく、かたい木の椅子に、ひざを折って座る姿は、なんだか痛々しくみえました。 ところが、そのおばあさんの表情は、おだやかで、不自然なところがありません。むしろ、くつろいだ表情をしているように思えます。 ■正座をすると頭がスッキリする理由とは 正座に慣れていない私たちには、正座をすると、すぐにしびれが切れるため、正座はつらいものというイメージがあります。 しかし実際に正座してみると、足の痛みはともかく頭がスッキリしませんか? 目の疲れや、肩こりが楽になるような爽快感があります。 その理由は、下半身にしっかりと力が入り、逆に上半身の余分な力が抜けるためです。 ダンスやゴルフなど、どんなスポーツでも、下半身で体を支えながら肩の力を抜くことは基本。正座は力の入れ具合がつかめるため、美しい姿勢に自然と近づけるのです。 正しく座るから正座なのではなく、楽に座っても正しい姿勢を保てるため、正座と呼ぶのかもしれません。 ■日本人の生活と相性がよい 最近の住宅は畳のある部屋が減り、正座をする機会はほとんどありません。椅子の生活を続けていると、ふんばらなくても、立ったり、座ったりする動作が楽におこなえます。 これは一見便利なようですが、前かがみになる時間が増えるので、かえって疲労がたまってしまいます。 農耕民族の日本人は、前傾姿勢の傾向が強いそう。和服をまとい、帯を締める生活をおくっていた時代は、美しい所作や、立ち居振るまいに、世界中から定評がありました。 服を着て、洋風の家で暮らしはじめて、まだわずか100年ほどしかたっていません。戦後、急速に文化の近代化が進みましたが、身体面ではまだ追いついていないのではないでしょうか? しっとりとした気候がはぐくんだ、伝統的な住宅や生活様式は、日本人の遺伝子に、深く息づいているのでしょう。 ■楽に座るコツは、体軸を意識すること とはいうものの、やはり「正座はしんどいもの」と思っていませんか? 長時間でなくても、毎日たった5分間だけでも、正座は充分に効果があります。 正座初心者のために、楽に正座するコツを紹介しましょう。 まず、鼻筋がへその上にくるような感覚で、腰を落とします。そして、ひざを折り曲げるときに、両ひざは、少しだけ離してください。 女性はひざを閉じて座るのが、エレガントだといわれていますが、空間を持たせることで体軸を意識しやすくなります。この状態で、胴体に、まっすぐ細い軸が通るのがわかります。 この1本の軸を意識すると、足がしびれにくく、楽に長い時間、正座を続けることができます。 また、立ち上がるときは、反動をつけず、ゆっくりと片方ずつ、ひざを立てます。そして、つま先をのばしながら、徐々に体を起こすと、転びにくいのでおすすめです。 毎日の生活で正座を取り入れるなんて面倒と思う人は、たとえばメイクをするときや、髪を結うときなどに取り入れてみてください。 正座をすると、体が安定して、不自然に力むことなく作業ができます。日常のなかで、無理なく、楽しみながら、正座を実践してみてください。
2016年01月14日神社にいくと、おだやかな笑顔で迎えてくれる巫女さん。 長い黒髪や、緋袴(ひばかま)の装束は、清潔感にあふれています。小さいころ、あの姿に憧れて「巫女さんになりたい!」と、思った女性もいるでしょう。 じつは巫女のお仕事はイメージとはちがい、「超」がつくほどの体育会系。真夏は、めまいがするほど暑く、真冬は、しもやけ、あかぎれなどに悩まされます。 年末年始は過酷で、2週間連続で勤務なんてことも…。それでも奉仕をしている間は、ほほえみをたやすことはできないのです。 舞の披露やお守りの授与など、一見すると優雅な仕事にみえますが、その実態は自衛隊さながらのハードワークです。 ■木枯らしから全身をガードする保湿術 全国各地の神社によって、若干ちがいはありますが、授与所の寒さは、ほとんど野外と変わりません。 雨と風をさえぎるための、屋根と衝立はとりあえずあるものの、すきま風が吹きぬけてはげしく底冷えがします。 そんな、木枯らしにさらされた肌や唇の乾燥は深刻。そのため、本職巫女たちの化粧ポーチには必ず、「白色ワセリン」が入っています。 巫女たちは控室に戻るたびに、顔や、首、手や唇、そして耳まで、ワセリンを塗りなおします。 湿度の低さから肌をガードするために、保湿は欠かせません。とはいえ、うるおい対策ならば、馬油や保湿クリームでもよいはず。 なぜ、重たいテクスチャーのワセリンをチョイスしているのでしょう。 それは以下の4つが主な理由。 ・500gで1000円前後と安価。 ・どんな肌質や、肌状態でも使用できる。 ・メイクの上から塗りなおせる。 ・匂いがない。 真冬の気候から肌を守るためには、リッチなクリームを惜しみながら塗るよりも、小まめで、念入りな手入れが大切なのです。 ■寒いときでも、あたたかそうな顔で接客するには 巫女さんは薄着なため、袖や、襟元から寒気が入りこんでくることは、決してめずらしくありません。もちろん、手袋をはめたり、マフラーを巻くこともできません。 そのため薄手の腹巻と、使い捨てカイロは必需品。とくに、カイロの貼り方は、それぞれに工夫があるそう。 もっとも、一般的なのは、みぞおちと腰をカイロで温めること。その理由は、おなかを冷やさないで守ることにより、便秘を防ぐことができるからです。 また腰を温めることは、婦人科系の疾患にかかるのを予防する効果も。肩甲骨に沿って、カイロを貼り温めると風邪の治りが早くなります。 肩の周辺には呼吸器や風邪に効くツボがあるため、集中的にアプローチすると即効性があるようです。 寒いときにでも、笑顔で参拝者をお迎えするのは、大切なおもてなしです。しっとりと、優しそうにみえる巫女さんですが、その現実は、体力勝負のきびしい接客業なのです。 今年の冬は巫女さんを見習って、ワセリンとカイロで乗り切りましょう!
2016年01月12日5・7・5・7・7の31文字で表現する、世界でいちばん短いポエム。それが、短歌です。短歌のルールは、自分の思いを31音で表現するということだけ。その決まりごとさえ守れば、何を詠むのかは自由です。 よく、「短歌って、花鳥風月を入れるんでしょ?」ときかれます。おそらく国語の教科書に載っていた『万葉集』や『百人一首』の小むずかしいイメージが抜けないせいでしょうが、そんなことはありません。家族や恋愛、仕事や時事問題など、短歌はジャンルを問わないのです。 短編小説をよむように、絵本を開くように、簡単に楽しめる短歌の世界。多くの短歌のなかから、21世紀を生きる女性歌人たちの相聞歌(恋愛の歌)を紹介しましょう。 ■ドラマチックな展開を予想させる博物館での逢瀬 「触つてはいけないものばかりなのに博物館で会はうだなんて」山木礼子(『短歌研究』2013年9月号) 博物館に展示されている作品には、「お手を触れないでください」と書かれています。遠い昔に使用していた道具や、泥のなかから発掘され、研究対象として保管されている貴重な品々…。うっかりさわるとこわしてしまうこともあります。 そんな、「触つてはいけないものばかり」の展示室での逢瀬は、これからどのように発展していくかわからない恋愛模様を、ドラマチックに表現しています。 山木礼子は、この歌をふくめた連作30首「目覚めればあしたは」で、第56回短歌研究新人賞を受賞しました。当時25歳でした。 ■一途に相手を思いつづける歌 次に紹介する田中雅子は、決してふりむいてくれない人を思いつづける、静かな作風です。 「許される程度に君を思う夜壁はぶあつく距離を知らせる」田中雅子(『青いコスモス』青磁社) 「人づての便りを拾い集めれば嗚呼君が今この世に生きている」同(『令月』砂子屋書房) 「ほんとうはかなしいロシアの民謡(うた)なんだ トロイカを君は教えくれにき」同 頭では理解していても、心は一途に「君」をもとめてしまう。せつなさと、やりきれなさが伝わってきます。 田中雅子は、苦しい心情をさりげない言葉に託します。さらっとした言葉選びをすることにより、美しく哀しい情景が強く胸に迫ってくるのです。 ■熱い気持ちと冷静さを表現 最後は、情熱的でありながら、ガラスのような繊細さと、鋭さを持ちあわせている谷村はるかの作品を紹介します。 「薄い鏡貼りつめられたきみの内部小さな言葉ほど反射する」谷村はるか(『ドームの骨の隙間の空に』青磁社) 「土砂降りに打たせておいた そばで傘さしかける資格などないから」同 「少年と少女みたいに回り道少年と少女ほど時間はないのに」同 大人になれば、人と人との間合いの取り方にたけてきます。言葉を変えると、駆けひきが上手になるということでもあります。 ところが、恋をすると、そんな自分自身が逆にもどかしくなることも。思いをよせる人と素直に向きあうことは、大人になるにつれて、むずかしくなるものかもしれません。 歌集『ドームの骨の隙間の空に』は、つきつめて人を思う気持ちと、そんな自分自身を冷静にみつめるまなざしが交差する秀作だといえるでしょう。 これからはじまる恋。おそらく実らない恋。素直になれない恋。恋愛には、さまざまなバリエーションがあります。人を思う気持ちが言葉に変わる瞬間に飛びかう火花。その美しさに息をのむのは、いつの時代にも共通している感覚なのかもしれませんね。
2016年01月07日日本人が日常的にアクセサリーを身につけるようになったのは100年ほど前だとか。 当時の主流の宝石は帯留めや髪飾りで、中でもおとなの女性達の間で人気を集めていたのが「ひすい」です。 落ち着いたまたたきを放つ緑の鉱物は、たおやかさと芯の強さを併せもつ、理想の女性像の象徴だったのです。 グリーン系の宝石なら、エメラルドが有名です。 エメラルドは透明感あふれる鋭い輝きに特徴がありますが、日本人のしっとりとした、きめ細やかな肌と、漆のようななめらかな黒髪を際立たせ、神秘的な印象を与えるは、「ひすい」の方が上と言えます。 日本人の肌の色と「ひすい」の緑の光は、とても相性がよいのです。 美人を形容する「みどりの黒髪」という言葉があります。これは、青みを帯びた髪色を指す単語ではなく、艶やかと言う意味です。 生後まもない赤ちゃんを「みどり子」と呼ぶことを知っていますか?もちろん、生まれたての子が緑色をしているわけではありません。 色彩の「緑」意外にも、赤ちゃんの持つ艶々している様や、生命力あふれる様子をみどりと呼んでいたと言われています。 ■「ひすい」が彩る新しい美人像とは? 現代の日本人女性は、どのような装いに「ひすい」をコーディネートすればよいのでしょうか? 以前会った女性の新聞記者の方が、とてもシックな着こなしをしていたので紹介しましょう。 艶感のある生地のチャコールグレーのパンツスーツに、黒のタートルネックのセーター。そして、バッグも靴も、オーソドックスな黒の皮製。 そこに深い色みをした、だ円形の「ひすい」のピアスを付けられていました。 おじいさんのカフスボタンを、ピアスにリフォームしたものだとか。 ビジネスにふさわしいフォーマル感がありながらも、抜け感のある、小慣れた装いのコツは、この気品あるジュエリー使いだと感心しました。 骨格が華奢(きゃしゃ)な、日本人女性は、ゴージャスなネックレスや、大振りなブレスレットよりも、髪をかきあげた時に見える、小さなピアスや、よく手入れされた指にはめたリングなど、さりげないバランスが最もよく映えます。 レトロなアイテムとしてだけでなく、ダメージ加工のしてあるデニムスタイルに、「ひすい」を合わせると、シャープな印象に! また、紺色のワンピースにあしらえば、清楚(せいそ)なイメージにもなります。 クラシックな宝石だからこそ、女性ならではの清らかな大人っぽい印象に変身できますね。あなたもぜひためしてはいかが?
2015年12月18日メイクやスキンケアのときなどに自分の姿をうつす鏡。日常的に使ってはいるものの、チェックするのは正面の姿ばかり、ということはありませんか? じつは、他人が見ているのは、横顔やななめからが圧倒的なのです。 とはいえ、手鏡だけで客観的に自分をチェックするのはむずかしいもの。三面鏡や拡大鏡などを使って、横顔美人に近づく方法を紹介します。 ■昭和初期まで、日本に横顔美人が多かった理由とは 日常的に和服をまとい、日本髪を結っていた昭和初期までは、ごく自然に横顔や後ろ姿に気をくばっていたようです。 髪型や帯の結び方を工夫する必要があったことと、ハイライトやアイシャドーで顔の凹凸を強調するシェーディング技術も発達していなかったからです。身だしなみを整えるためには、さまざまな角度から鏡をのぞかなければならなかったそう。 戦後、急激に近代化が進み、手軽に着脱できる洋装が一般化して、重たいまげを結うこともなくなりました。すると、西洋式の姿見が重宝され、わが国の伝統的な三面鏡は減っていったといいます。 その結果、正面の顔は念入りに確認しても、ななめの角度や、後姿は忘れがちに…。着物や結髪文化の衰退とともに、横顔美人も少なくなってしまったのでしょうね。 ■もっと、鏡を使いこなすには? さてここで、質問です。現在、おうちには何枚の鏡がありますか? そして、化粧ポーチのなかには、どんな手鏡が入っていますか? 洗面所の壁にはめこまれている、くもった小さな鏡と、パウダーファンデーションの付属のミラーだけ、ということはないと思いますが…。 即答できる人は、まだまだ少ないのではないでしょうか。化粧品の性能にこだわるように、美人になるための小道具として、鏡は大切なアイテムなのです。 銀座の高級クラブで活やくする夜の蝶が、以前、テレビ番組でこんな話をしていました。「お客様の視線は、横、斜め、後ろからがほとんど。日本人男性はシャイだから、まっすぐ顔を見る方は少ない」。 私も人からの視線を意識して鏡を見てみると…耳や襟足、もみあげなどの手入れがいきとどいていないことに気づきました。 大小さまざまな大きさの鏡をそろえて、シチュエーションに合わせて使いわけましょう。全身の大きさが確認できる姿見と大きめの卓上鏡、小さな手鏡の3種類があれば便利です。そして、余裕があれば三面鏡を使用する習慣をつけたいものです。 三面鏡があれば、左右の横顔や、斜めの姿が即座にチェックできます。1枚の鏡ではわかりにくい、あごのニキビやほうれい線がうつるので、ケアをするポイントがつかめるという利点もあります。 ■拡大鏡の合わせ鏡にチャレンジ! 毛穴や、眉毛の際に生えている産毛まで、現実をくきやかにうつしだす拡大鏡。アイラインを引くときや、歯みがきのときに使うイメージがあります。 美意識の高い女性には、毎日のスキンケアの一貫に「拡大鏡の合わせ鏡」を取りいれていただきたいものです。拡大鏡を用いて合わせ鏡をした肌の状態は、近未来をあらわします。 まだ目に見えないミクロレベルのシミや毛穴の黒ずみ、肌のゆるみを冷静に残酷にうつしだします。現実にショックを受けることもありますが、ピンポイントでケアをする箇所がわかるので、スキンケアの参考にしてください。 ちなみに、合わせ鏡に使用するのは、3倍から5倍ほどの拡大鏡が適しています。倍率が高すぎるとぼやけますし、2倍では物足りないので、何種類か試しながら実践していきたいですね。
2015年12月04日