福岡県出身東京都練馬区育ち。日本大学芸術学部デザイン科中退後、絵本作家のぶみさんの弟子を経験しフリーに。手描きでぬくもりのあるタッチを得意とし、CDジャケット、絵本、シャッターペイントの制作などに携わる。
Facebook:https://www.facebook.com/chaz.AiTakahashi
人が憧れるステージで活躍する大人って、どんな子ども時代をすごしたのでしょうか? 夢を叶えた大人はどんな風に育てられたのか、人生まだまだヒヨっこのちゃずがインタビュー!
人気連載『それいけ!子肉ちゃん』の子肉と肉男がついに結婚! 新婚夫婦のドタバタな日常を描いた、ウェブマンガです。
「パッククッキング」ってご存じですか? ポリ袋に食材を入れて、お湯を張った鍋で熱するだけで料理が出来上がる、魔法のような調理法のことです。ひとつの鍋で複数の料理を同時に調理できて、洗い物も出ないことから、災害時に役立つと言われています。そんなパッククッキングのレシピをご紹介します!
ウーマンエキサイト新連載&初のマンガコラム! 外ではなんとか“デキる女”をやっていても、おうちの中ではちょっと“ズボラ”になっちゃうOL・子肉(こにく)。同棲中の彼氏・肉男(にくお)の元カノ自慢をきっかけに、子肉のちょっとズレた女磨きがはじまります。はたして肉男を見かえすことができるのか!? その先にあるのは達成感と別れ? 障害を乗り越えた結婚? 結婚適齢期ど真ん中の子肉の珍行動に注目です。
皆が憧れるステージで活躍する大人って、どんな子ども時代をすごしたのでしょうか? ゆめを叶えた大人はどんな風に育てられたのか、人生まだまだヒヨっ子のちゃずがインタビュー! 第7回は、今年3月に著書『キッズのココロわしづかみ術』(主婦と生活社)を発売した小島よしおさん。「そんなの関係ねぇ!」のネタでお茶の間を湧かせてから10年、最近は子ども向けのライブが大人気の小島さんに、ご自身の子ども時代からこれからの未来まで語っていただきます。 小島よしおさんプロフィール 1980年、沖縄県生まれのお笑い芸人。早稲田大学在学中にコントグループ「WAGE」のメンバーとして活躍。解散後、ピン芸人としての活動を開始。2007年、「そんなの関係ねぇ!」のネタで大ブレイクし、同年の「ユーキャン新語・流行語大賞」トップ10に入賞。近年は、子ども向けの単独ライブを中心に活動を続け、2016年放送の「R-1ぐらんぷり」で決勝に進出。2017年3月、著書『キッズのココロわしづかみ術』(主婦と生活社)を発売し、注目を集めている。オフィシャルブログ 母の影響で、目立ちたがり屋の明るい性格に ちゃず: 先日、『キッズのココロわしづかみ術』を読みまして、そのポジティブな内容に励まされました! となると、気になるのは小島さんご自身の子ども時代。ぜひ、お話を聞かせてください。 小島: 本を読んでくださってありがとうございます! 僕はとにかく目立ちたがり屋の、明るい子どもでしたね。学級委員とか、応援団長とかに積極的に手を挙げていました。 ちゃず: ご家族からの影響もあるんですか? 小島: それは大きいと思います。母が社交的でパワフルな人だったので、明るくあることが当たり前になっていました。それが、小学校高学年くらいになると、友だちのお母さんに会う機会が増え、大人しいお母さんも存在するんだと知ったんです。うちは特別明るいんだな、と。 いまでも忘れられないのが、母に裸足で追いかけられたこと(笑)。学校へ行くとき、「いってきます」を言わなかったからって、ものすごい勢いで追いかけてくるんですよ。一緒に登校していた友だちが驚いていました。 ちゃず: 明るくて厳しいお母さんだったということがとてもよく伝わるエピソードですね(笑)。 小島: 遅くまで遊んだり、テレビを観すぎたりすると、よく叱られました。 テレビといえば、我が家のテレビは“貯金”ならぬ、“貯視聴”システム制。1日30分は観ていいことになっていて、観なかった分は貯蓄することができたんです。たとえば、7日間観なければ30分×7日間=210分を後日観ることができる。 ちゃず: おもしろいシステムですね! 小島: “貯視聴”を兄と競っているうちに、貯めることのほうに夢中になっちゃって、最高で1300時間くらい貯めました。 いま思えば、このとき、目標を定め、夢中になって取り組むことを覚えたような気がします。 ちゃず: とても素直な子どもだったんですね。 小島: とはいえ、反抗期はありましたよ。中学生の頃なんかは、母に「ふざけるな、ばばあ」とか言って泣かせてしまうことも。 当時、同じことでも、誰から言われるか、によって全然違ったんです。たとえば、先輩から言われたことはとてもよく聞いていましたね。大人になってからは、周りの人からもらった意見やアドバイスを参考にすることで、うまくいくことがより多くなったと思います。 「そんなの関係ねぇ!」は失敗から生まれた ちゃず: 小島さんは、最初からお笑い芸人を目指していたんですか? 小島: 高校までは野球部に所属し、プロ野球選手を目指していました。帰宅部の同級生に背筋力で負けたのを機に、別の道へ進むことを決意したんです。一浪し、1日16時間くらい勉強して進学しました。 進学後、なんとなくタレントオーディションとかにも応募したんですけど、合格するのは登録にお金がかかるものばかり。当時、家計が厳しかったので、その道に進むのは断念しました。 ちゃず: お笑い芸人への道は、挫折ののちに開かれたんですね。 小島: お笑いを始めたきっかけは、大学のお笑いサークルに入ったこと。サークル内で組んだコントグループの一員として事務所と契約し、ネタ番組へ出演させてもらうこともありました。 ところが、大学卒業と同時にグループが解散、事務所を辞めることに。一度は路頭に迷ったんですが、遊んでいた先輩や、たまたま知り合った預言者から、「お笑いを続けたほうがいい」とアドバイスされ、新しい事務所に入りました。 ちゃず: ブレイクのきっかけとなった「そんなの関係ねぇ!」は、どうやって生まれたんですか? 小島: ある日、クラブでネタ見せをする機会があったんです。そのときやったネタが全然ウケなくて、思わず発したのが、「ウケなくたって、そんなの関係ねぇ!」というフレーズ。リズムに乗せて言ってみたら、思いのほか盛り上がったんです。 数ヶ月後、当時の彼女から、「あのときのやつ、いまでもお母さんとやるよ」って言われて。試しに、ラジオ番組でネタとして披露してみたんです。そうしたら、その番組で優勝して、「これはいけるかもしれない」と思い、ライブでもやるようになりました。 ちゃず: 現在は、子ども向けのライブを中心に活動を続ける小島さん。子ども向けにシフトした理由は? 小島: 同じやり方を続けていたら、仕事が減ってきてしまったんです。気づくと、かつて自分のいた位置に、別の芸人がいることもしばしば。ライブにも手応えが感じられなくなってきた頃、「思いきって子ども向けにやってみたら?」と、先輩が提案してくれたんです。 はじめは、子どもに何がウケるのかわかりませんでした。最近になって、やっと少しずつ手応えが得られるようになった感じです。ネタをつくるときは、「面白いものより、好きなものをやったほうが伝わる」という先輩からのアドバイスもあり、自分が楽しむことを大切にしています。 ちゃず: 大人が子どもと一緒に楽しむって、いいですよね! 小島: ライブで率先して歌ってくれたり、子どもと一緒に楽しんでくれたりする親御さんの姿を見ると、嬉しくなりますね。 逆に、以前、ロケ先の学校の先生が生徒たちに、「おまえたち、この先、芸能人に会える機会なんて二度とないぞ」みたいなことを言っているのを見て、残念な気持ちになりました。大人が未来を諦めるような態度を見せたら、子どもも希望が持てなくなってしまいます。子どもは大人の影響を受けやすいのです。 僕の場合、常に両親が未来に希望を持たせてくれる環境で育ちました。父はずっと選挙活動を続け、政治家になったし、母は苦しい家計を助けるため、イチから始めた沖縄料理屋を繁盛させた。だから僕も、こうして仕事を続けられているんだと思います。 ライブを観に来てくれた子どもたちが、寒い日も暑い日も一生懸命楽しくやっている僕の姿を見て、こういう大人もいるんだな、と感じてくれることを願っています。 ちゃず: 「キッズコーディネーショントレーナー」の資格を取得したと聞きました。どんな資格なんですか? 小島: NESTA(アメリカのフィットネス協会)の認定資格で、子どもの運動神経を鍛えるトレーナーの資格です。 これを取得することで、いままでなんとなくやっていた動きについて、体系立てて説明できるようになりました。何より、ライブに来てくださった親御さん方への説得力がぐっと高まったのを感じています。 世界中の子どもたちにネタを届けたい ちゃず: ここまでのお話を聞いていて、小島さんはとても精神力の強い方なんだな、と感じました。 小島: 僕、もともとはすごく弱いんです。弱いからこそ、メンタルを鍛える啓発本を読んだり、どうすれば強くなれるか考えたりしています。 弱いところや、ダメなところから、打開策が生まれることってよくあると思うんです。「そんなの関係ねぇ!」も、最初から持ちネタが成功していれば、生まれていなかったフレーズですから。 ちゃず: では、緊張することなんかもあるんでしょうか。小島さん流の緊張のほぐし方があれば教えてください。 小島: もちろん、緊張することはあります。ほぐし方は、遠くを見ることですかね。リラックスしたいときは遠くを見て、逆に、集中したいときは近くを見る。野球をやっていたときに、発見したやり方です。 ちゃず: かつて、「一発屋」と言われたり、「死亡説」を流されたりした時期があったかと思いますが、その状況をどのように捉えていましたか? 小島: もちろん傷つきましたけど、落ち込んでばかりもいられませんでした。料理にたとえて言うと、そこにある“食材”は変わらないんですよ。であれば、それらをおいしく食べられるように調理するしかありません。 他人と比べてもきりがないから、自分の“食材”の調理法を極めていくのが一番。僕の場合、最近では、「そんなの関係ねぇ!」という“食材”にマリオネットを加えて、新しい料理(新ネタ「コジマリオネット」)を生み出しました。 ちゃず: ときには逆境を乗り越えながら、お笑い芸人としてご自身の道を拓いてきた小島さん。今回、なぜ『キッズのココロわしづかみ術』という本の執筆を? 小島: 全国でライブを行い、各地の子どもたちと接するようになり、「子どもにはこういう傾向があるから、こういう対応をするといいんだ」という気づきや、学びの機会が増えてきたんです。子育ての答えはひとつではありませんが、共通する土台みたいなものはあると思うので、それを自分なりに考えてきました。 自分の子ども時代を振り返ると、親から受けた影響は大きい。だから、自分の気づきや学びを、本をとおして伝えたいと思ったんです。子育てをしたことはありませんが、年間100本以上×6年間=計600本以上の子ども向けライブを通じ、いろいろな子どもたちと触れ合ってきました。その経験を活かして書いた本です。 ちゃず: 今後、どんな活動を予定していますか? 小島: 現在のような活動を、さらに進化させながら続けていきたいですね。目標は、お笑いを世界平和につなげること。言葉の通じない相手にもわかりやすいネタをつくり、世界中の子どもたちに向けてライブを行いたいと思います。 ちゃず: 楽しみにしています! 本日は貴重なお話をありがとうございました。 「そんなの関係ねぇ!」のネタが生まれた瞬間もそうですが、小島さんには、どんな状況も受け入れ、よい方向へ進ませる力があります。お話を聞いていて、そこが小島さんの一番すごいところだな、と思いました。 また、イベントなどで、小島さんは子ども目線に合わせてネタをつくること以上に、ご本人が楽しむことを大切にされています。それが伝わるからこそ、見ているみんなも楽しくなれるんですね。 小島さんの新刊「キッズのココロわしづかみ術」を、私も読ませていただきました。この本は、小島さんの自伝でありながら、子どものいるお父さん、お母さん、子どもにかかわる仕事をされている方などの参考書にもなるかと思います。最後のほうに書かれている、小島さんのネタでエクササイズができるコーナーもおすすめです。お子さんと一緒に読めば、きっと盛り上がると思います! キッズのココロわしづかみ術 著:小島 よしお 取材:イラストレーターちゃず 文:馬島利花
2017年06月06日皆が憧れるステージで活躍する大人って、どんな子ども時代をすごしたのでしょうか? ゆめを叶えた大人はどんな風に育てられたのか、人生まだまだヒヨっ子のちゃずがインタビュー! 第6回は、2017年4月8日(土)より公開中の『映画 きかんしゃトーマス 走れ!世界のなかまたち』にゲスト声優として出演する渡辺直美さんにお話しいただきます。多彩な才能は、どのようにして磨かれたのでしょうか。 渡辺直美さんプロフィール 1987年、茨城県生まれのお笑い芸人。吉本興業所属。NSC(吉本総合芸能学院)東京校12期生。歌手ビヨンセのモノマネで一躍人気に。ファッションブランド「PUNYUS」のプロデューサー、“インスタ女王”としても注目を集めている。洋画の日本語吹替えやアニメでは声優としても活躍し、2017年4月8日(土)より公開中の『映画 きかんしゃトーマス 走れ!世界のなかまたち』では女の子の機関車アシマ役を務める。 Instagram: ■コンプレックスを笑顔でプレゼン! ちゃず: 『映画 きかんしゃトーマス 走れ!世界のなかまたち』は、トーマスがコンプレックスを乗り越える様子も描かれています。渡辺さんは、子ども時代にそういった経験、ありましたか? 渡辺: 私は日本人の父親と、台湾人の母親から生まれたんですが、両親の離婚により母子家庭で育てられました。あまり裕福ではなく、洋服やお菓子は物価の安い台湾のものを与えられていたのを覚えています。 台湾の洋服って、本当に安いんですよ。「Tシャツ5枚で100円」みたいな。その代わり、偽物のキャラクターがデザインされているものとか、ものすごくダサいものばかりでした。 ちゃず: 日本と台湾の文化の違いがあったんですね。それを理由に、いじめられることなんかもありましたか? 渡辺: それが、全然なかったんですよ。例えば、私が台湾の飴を友だちにあげると、「こんな飴、見たことがない」とか言われて、恥ずかしい思いをしたことはあります。 でも、私が「美味しい」って言って食べ続けていると、友だちのほうから、「あの飴、また買ってきて」って言ってくれるようになるんです。 コンプレックスって、自分がコンプレックスだと思えば思うほどより強くなってしまうもの。私の場合、コンプレックスを笑顔でプレゼンすることで乗り越えてきました。 その結果、友だちにも受け入れてもらえたし、それを認めてくれるのが本当の友だちなんだと思います。 ■子ども時代のパワーが、いまの芸につながっている ちゃず: 渡辺さんご自身は、どんな性格だったんですか? 渡辺: 人見知りだけど八方美人! 小学生の頃からものすごくおしゃべりで、めちゃくちゃうるさかったと思います。オタク系やヤンキー系まで、誰とでもしゃべれたので、学年全員と仲良しでした。あと、面白いことが大好きで、面白いことを追求し続けていました。 休み時間には、モノマネを披露して、みんなを笑わせて。外で遊ぶのも大好きで、一輪車で坂を登ったり、バドミントンクラブに通ったり、とにかく活発に好き放題やっていました。 ちゃず: それで、お母さんに叱られることは? 渡辺: 「うるさい!」ってよく叱られていました。でも、私は言われ慣れていたので、「はいはい」みたいな感じで受け流していて。お母さんもお母さんで、ダメなことはダメと伝えつつ、好きなことをさせてくれていたんだと思います。 加えて、本当にやってはいけないことや、相手に嫌な思いをさせてしまうことっていうのは、学校の友だちを見て学んでいました。そういう意味でも、よい環境だったと思います。 ちゃず: だからこそ、のびのびと成長できたんですね。 渡辺: 好き放題にしゃべったり、走り回ったりさせてもらえたおかげで、いまこうして踊ったり、歌ったりする活動ができています。 子ども時代からの溢れんばかりのパワーを、仕事に替えることができたわけです。 だから、おてんばすぎて大変な子もいると思うけど、見守ってほしいって、世の中のお母さん方に伝えたいですね。将来、お子さんがそのパワーを、活かせるときがくるかもしれませんと。 ■年上からは最初に嫌われ、あとから好かれる ちゃず: そんなパワフルな渡辺さん。周りの人たちからも、すごく好かれていたでしょうね。 渡辺: 悪気はないのですが、年上の人から態度が大きいと思われがちです。 最初は誤解をされたり、嫌われたりして、あとから誤解が解けて好かれるパターンが多いです。 高校時代、バレー部の部長に選ばれたときも、最初は顧問の先生と折り合いが悪かったんです。 先生が、後輩たちの前で、「おまえたち、渡辺が部長で本当にいいのか? であれば、渡辺のいいところを挙げろ」とか言って。 ちゃず: え!? それで、後輩たちはなんて? 渡辺: 「明るくて楽しい人です!」「とにかく面白いです!」「歯がきれいです!」って、そこかよ! みたいな(笑)。でも、そんな感じでほめてくれました。 それで、私からも、その後あらためて先生に、「私に何かあるようでしたら、ごめんなさい」って謝ったんです。 そうしたら、先生も、「あれ? こいつ素直なやつじゃん」って思ってくれたみたいで。最後には、「渡辺が部長で本当によかった」と言ってくれました。 ■渡辺直美流! 友だちづくりの秘訣 ちゃず: こうしてお話を聞いていると、渡辺さんは本当に人間関係に恵まれていますよね。友だちづくりの秘訣はありますか? 渡辺: 友だちづくり、と聞いて思い出すのはNSC時代のことです。18歳で自分としてははじめての大きな決断をし、東京へ出てきて、入ったNSC東京校。そこには、年齢もタイプもさまざまなライバルたちがたくさんいたんです。 八方美人な部分がありつつも、人見知りな性格で自分から「相方になろうよ」って言えませんでした。 ちゃず: では、当時どうやって相方を見つけたんですか? 渡辺:NSCではネタ見せの機会があるんですが、そのときに、まずはピンでネタをやってみて、自分がどういう人間かを伝えようと考えたんです。それで、面白いと思ってくれた人と組みたいな、と。 中学校のときからやっていたモノマネを披露したんですけど、それからいろいろな人から声をかけられるようになりましたね、「ご飯食べよう」とか。 ひとりと気が合えば、そこからどんどん気の合う人たちが集まって、自然と友だちの輪が広がります。 ちゃず: まずは、自分を知ってもらうことが大事なんですね。 渡辺: 自分から声をかけられないのなら、別の手段で自分を知ってもらうようにするのもひとつの手かな、と。自分の得意なこと、苦手なことを思いきって発表しちゃったほうが、友だちになりやすいと思うんです。 苦手なことを発表するのは、確かに恥ずかしい。でも、それについてとやかく言う人とは、どちらにしても友だちになんてなれないですよね。 だから、私は素直に苦手なことを伝えるし、相手に相談したり、頼ったりします。それを受け入れてくれる人と友だちになれたほうがいいじゃないですか。 ちゃず: 渡辺さんの素直さ、見習いたいです! どうやって身につけたんですか? 渡辺: なんでしょうね。誰かから怒られたら、何がよくなかったかを考え、それをすぐに反省して謝る。そういうのを繰り返してきたからかもしれません。 さっきお話ししたバレー部のときもそうでした。 いまでも、先輩芸人の吉村さん(平成ノブシコブシの吉村崇)や綾部さん(ピースの綾部祐二)から、よく怒られるんですが、「おまえのことを信じているから怒るんだよ」「おまえはパワーがあるし、素直に頑張ってくれるから」って言ってくださるんです。 素直さで大変な思いをすることもあるけれど、それがあるからこそ、先輩方も見放さないでいてくれているのだと思います。 ■トーマスは現代にピッタリの映画 ちゃず: 家族、友だち、先輩、先生など多くの方々に愛され、才能を開花させ、表現の幅を広げてきた渡辺さん。『映画 きかんしゃトーマス 走れ!世界のなかまたち』アシマ役を演じてみていかがでしたか? 渡辺: アシマは、精神的にはお姉さんだけど、まだまだ子どもらしい一面もある。その絶妙な強さ、明るさを演じるのが難しかったです。 私の声って、もともと低いんですよ。それでいて、高い声を出そうとすると、ふざけているみたいな声になっちゃう。アシマの可愛らしさを表す、ちょうどいい声色が出せるよう、精一杯頑張りました。 ちゃず: 子どもの頃から、『きかんしゃトーマス』は観ていましたか? 渡辺:観ていました! 毎朝、保育園に行く前に、チーズパンを食べながらトーマスを観る。それが、保育園時代の私の日課だったんです。だから、今回のお仕事前にも、チーズパンをかじりながら思い出を振り返りました(笑)。 ちゃず: 映画でお気に入りのシーンは? 渡辺: 歌のシーンです。私の歌が、そのままアシマの歌として流れますからね、 納得するまで撮り直してもらいました。歌詞のいいところをきちんと聴かせるように意識しましたね。 歌詞がとてもいいんです。 トーマスが抱える「他人をうらやむ一方で、自分にも自信がある」という葛藤に対する、「いまのあなたのままでいい。いまのあなたを輝かせましょう」というメッセージを感じることができます。 私もトーマス側だと思うから、アシマの声を演じながら、自分に言い聞かせているみたいでした。まさに、現代にピッタリの映画だと思います! ちゃず: ありがとうございました! いまや、ステージでたくさんの人を笑わせている渡辺さんが、実は人見知りだということが意外でした。人前に出ていく道を選ぶのは、とても勇気のいることだったのではないでしょうか。 渡辺さんは、小さい頃から「うるさい!」と注意されてしまうほどの溢れるパワーを大切にし、いまのスタイルを築かれてきました。他人と違った感性を塞いでしまうか、活かしていくかは自分次第なんですね。 ヒヨっ子ちゃずの欠点は、どうやって活かしていけるかな。そんなことを考えさせられました。刺激的で楽しいインタビューの時間を、ありがとうございました。 『映画 きかんしゃトーマス 走れ!世界のなかまたち』 4月8日(土)より、シネ・リーブル池袋、全国イオンシネマ(一部劇場除く)ほかにて公開中 HP: 【提供】ソニー・クリエイティブプロダクツ 【配給】東京テアトル (c) 2017 Gullane (Thomas) Limited. 取材:イラストレーターちゃず 文:馬島利花
2017年04月13日皆が憧れるステージで活躍する大人って、どんな子ども時代をすごしたのでしょうか? ゆめを叶えた大人はどんな風に育てられたのか、人生まだまだヒヨっ子のちゃずがインタビュー! 第5回に登場していただく松本梨香さんは、アニメ『ポケットモンスター』の主人公サトシ役を演じることで有名です。また、同アニメの初代オープニングテーマ曲『めざせポケモンマスター』を歌うなど、歌手としても人気を集めています。 松本梨香さんプロフィール 横浜市出身の声優・女優・歌手。アニメ『新・おそ松くん』で声優デビュー。以来、さまざまなアニメ、洋画の吹き替えなどで活躍している。NHK『わしもWASiMO』わしも役『CSI:サイバー』エイヴリー・ライアン役『ブリジット・ジョーンズの日記』ブリジット・ジョーンズ役など。 歌手としても、女性ではじめて『仮面ライダーシリーズ』の主題歌を担当したり、映画『生まれ変わりの村』のために書き下ろされた楽曲『SOUP』で大ヒットを記録したりと話題が多い。自ら立ち上げた「まんまるプロジェクト」ではチャリティー活動にも力を入れている。 twitter: 松本梨香公式LINEブログ: 松本梨香ファンクラブ~JOLLY DOG~: ■子どもの頃から、ポケモンのサトシみたいな性格だった!? ちゃず: 当サイトの読者には、松本さんがキャラクターを務めるアニメを親子で観ている方がたくさんいらっしゃいます。私も、小学生の頃から『ポケットモンスター』のサトシを観てきたひとり。こんな男の子がクラスにいたらいいのになあ、といつも思っていました。 松本さんご自身は、どんな子ども時代を送られていたんですか? 松本: 劇団の座長を務める父と、面倒見のよい母のもとに生まれました。両親ともに性格が明るく、人望が厚い。下町で近所づきあいも良く、家に鍵をかける必要がなかったんですよ、必ずいつも誰かしら遊びにきていたから(笑)。 毎年、大晦日には劇団員の人たちが大掃除に来てくれて、私も指示したり、一緒に掃除したりしていました。そういう家庭にいたからこそ、自然と誰にでも話しかけ、よく話しかけられる、人見知りしない子に育ったんだと思います。 ちゃず: 松本さんのとても明るい性格は、家庭環境によるものだったんですね。 松本: 実は、明るくなった理由はもう1つあって。学校で自分がした発言や行動で、友だちが笑ってくれるのがうれしかったんです。歌もそう。私が歌うと、両親が「うまいうまい」と言って笑顔になってくれるのがうれしかった。 人前で何かすることが、昔から好きでした。3歳の頃から習っていた日本舞踏のお教室でも、先生の前で踊ると飽きちゃうのに、先生のお弟子さんたちの前では間違えずに最初から最後まで完璧に踊れる、みたいな(笑)。 ちゃず: では、昔からの知り合いの方々は、現在の松本さんの活躍を見て、「やっぱりな」って思っているかもしれませんね。 松本: 「オリンピック目指せばよかったのに」って。横浜市の800メートル走の新記録を出したりしているんですよ。逃げ足が速かったので(笑) 父には、「芸は身を助ける」と教えられて育ちました。だから、小さい頃から三味線、英会話、日本舞踏と、習い事もいろいろやらせてもらってました。 ちゃず: それで、その能力を将来に活かそう、と? 松本: ハイ。 兄が障害をもっていたので、この能力を活かして兄を養おう、とずっと考えていたんです。私が何でもできるのは、兄が母のおなかのなかに忘れてきたものを、私が全部拾って生まれてきたからなんじゃないかなと思ったりしました。 兄をいじめる子とは真っ向から喧嘩もしました。もともと正義感が強かったんです。泥棒を走って捕まえたこともあるくらいですから。 ちゃず: まるで、サトシそのものみたい! 松本: 確かに、サトシの正義感に似ていると思う。サトシと言えば、ポケモンの言葉がわかるじゃないですか。私も動物の言葉がわかるんです。だから、サトシがピカチューに話しかけるシーンは、自分が飼い犬に話しかける感覚でやっています。けっきょく、「演じないことが、演じること」なんです。それを目指しています。 ■主治医から告げられた、「舞台に立ったら死ぬ」 ちゃず: 現在のお仕事を始めるまでの経緯を教えてください。 松本: 10代の頃、父の劇団で3年間演劇の勉強をしたのち、商業演劇の世界に入りました。それからずっと舞台に立っていたんですが、19歳のとき大病を患い、主治医から「舞台に立ったら死ぬと思ったほうがいい。当分、舞台には立ってはいけない。」と告げられたんです。やむを得ず舞台を降り、入院したんですが、目の前が真っ暗になったのを覚えています。 ちゃず: どのくらい、病気と闘ったんですか? 松本: 1年くらいかな。薬の副作用が強く、耳が聞こえにくいこととかもあって、本当につらかった。早く復帰して元気なところを見せないと、女優生命が断たれると思って、必死で主治医の先生に泣きつきました。 でも、主治医の先生は小さい頃から看てくれていたので、私のことを娘のように思っていました。 先生は本気で私を治したいがゆえ、副作用の強い薬を出したがりませんでした。そんな先生に対して、泣きながらお願いしました。 ちゃず: 松本さんのお芝居に対する本気と、先生の松本さんに対する本気がぶつかりあったんですね。 松本: おかげさまで徐々に回復してきたものの、しばらくは歌ってもすぐ息が切れ、長時間立っていられない状態が続きました。そんななか、俳優の名古屋章さんが、声優のオーディションを受けることを勧めてくださったんです。お芝居は舞台だけじゃないよ、と。 ちょうどその頃、同期の山寺宏一さんも声優・俳優をやっていて、「梨香なら出来る」って背中を押してくれました。兄もアニメ好きだったので、導かれているような気もして。それで、チャレンジしたのが、アニメ『新・おそ松くん』の声優オーディションだったんです。 ちゃず: それが声優への道の第一歩だったわけですね! 松本: 当時、声優として演じるのは初めてのこと。声優って、ディレクターさんがうしろから見ている状態で演じるんですけど、ずっと舞台に立っていた身としては、相手にお尻を見せることが落ち着かなくて。それくらい、ド素人だったんです。 でも、このオーディションのとき、「ギャグのアニメだからこういう言い回しのほうが良いんじゃないかな」と思ってアドリブを入れてみたんですよ。そうしたら、ディレクターさんが気に入ってくださって。「この子がいたら現場が明るくなって、よい作品ができそうだ」と言ってくださっていたようです。 ちゃず: それから20年以上もの間、声優を続けられている。これってすごいことですよね。 松本: 続けていると、声優をやっていてよかったと思うことがたくさんあります。例えば、あるお父さんから、柔道の練習に行かなくなってしまった息子について相談されて、その息子さんにサトシの声で電話をかけたんです。 それから10年後、そのお父さんが私に会いにイベントへ来て、とてもうれしいことを報告してくださいました。「息子は、あれから黒帯を得て、いまは子どもたちに柔道を教えているんですよ」と。 ちゃず: 感動です! 今後はどんな活動を? 松本: 日本を越え、全世界の子どもたちと笑顔で繋がっていきたいです。いまや、日本のアニメソングは海外でも合唱してもらえるくらい浸透しているんですよ。ライブもたくさんやっています。 お客さんが、みんな笑顔で帰れるようなエンターテインメントを生み出していきたいんです。それって、病気になって1度は「無理」と言われたこと。でも、やるべきだからこそ生かされている。そう考え、いまいろいろ頑張ってます。 ■三途の川で、家族に報告できる人生を ちゃず: 松本さんが発起人となっている「まんまるプロジェクト」とは、どんなプロジェクトですか? 松本: いつも支えてくれている子どもたちに何か恩返しをしたいな、と思って始めたプロジェクトです。最初にやったのは、オリジナルのグッズをつくって販売し、その売上で子どもたちが必要としているワクチンを買う、という活動でした。 東日本大震災があったときも、すぐに仲間と連絡を取り合って動こうとしました。でも、周囲から慎重な行動を求められたんです。このときは、近くに困っている人がいるのに、なぜすぐに助けられないんだろう、となんとも言えないもどかしさを感じました。 ちゃず: そういうとき、自分のやっていることが本当に正しいのかどうか、迷いますよね。 松本: 「まんまる」とは人と人を繋ぐ輪、愛、HAPPY、あふれる笑顔を繋げるチャリティー活動です。 まんまる精神を忘れずに、これからも仲間たちとずっと続けて行きたいと思っています。 実際に活動している中で後押ししてしてくれる奇跡がいたるところで起きるというか、沢山の“まんまる”と遭遇するんです。 例えば、偶然出会った2匹の蝶々が頭上を旋回して“まんまる”を描いたり、沖縄のチャリティーイベントの帰りにバスを降りたらちょうど真ん前に虹が出たり。 そういうのを見ると、すでに他界した父や母、兄が応援してくれているような気がするんです。 ちゃず: 本当に、そのとおりだと思います。ご家族のみなさんが松本さんを応援されているんですね、きっと。 松本: 私のなかで、「家族」というのは永遠のテーマなんです。松本家でたくさん愛情を受けて育ったから、そこで育んだ笑顔を「まんまる」プロジェクトを通してみんなに伝えるのが使命の様な気がしてます。 30年近くこの業界にいて、自分のやりたいことに賛同してくれる仲間も増えてきました。であれば、自分が旗を上げなければいけないと。 人と人をつなぐ“かすがい”のような存在になって、もっとたくさんの人を笑顔にできる自分自身になりたいと思っています。 ちゃず: 松本さん、なんだか座長みたいですね! 松本: そんな風に言ってもらえると嬉しいです。でも、気持ちのよい人たちが集まれば、どんなことも大変だと思わなくなるはず。私は、人が好きなのでみんなが笑顔になれば、周りによい人たちが自然と集まる気がします。 家族が見守っていると思っているので、いずれ自分が他界するとき、三途の川で自分のやってきたことを家族に報告すること。そして、家族に褒めてもらいたいなぁと思います。 ちゃず: ご家族もきっと喜ばれると思います。松本さん、本日は貴重なお話をありがとうございました! 取材をとおしてわかったのは、松本さんは生死と向き合ってきたからこそ、常に「自分はいま、後世に何を残していけるのか」を意識しながら生きているのだ、ということ。「声優」という肩書きを飛び越えた、計り知れない行動力と思考力をもつ方です。笑いあり、涙ありの素敵なお話から、たくさんパワーをいただき、「なんだか生きていてよかったなあ」と思いました。 そして、帰りの電車のなか、私も思わず考えちゃいました。「ちゃずには、どんな使命があるんだろう?」と。 取材協力/キネコ国際映画祭 取材:イラストレーターちゃず 文:馬島利花
2017年04月06日皆が憧れるステージで活躍する大人って、どんな子ども時代をすごしたのでしょうか? ゆめを叶えた大人はどんな風に育てられたのか、人生まだまだヒヨっ子のちゃずがインタビュー! 第4回は、音楽プロデューサー・ベーシストの亀田誠治さんを訪ねます。亀田さんは、アーティストと一緒に曲をつくり、それを世に出すプロデューサーとしてだけでなく、2012年に解散した東京事変のベースを担当するなど、プレイヤーとしても活躍する人物です。 亀田誠治さん プロフィール 1964年、アメリカ・ニューヨーク生まれ。音楽プロデューサー兼ベーシスト。これまでに椎名林檎、平井堅、スピッツ、GLAY、いきものがかりなど多数のアーティストをプロデュース。本人いわく、「アーティストの喉元にあるアイデアを引き出し、かたちにするお手伝い」をしている。2004年に椎名林檎らと東京事変を結成し、2012年に解散。2007年、2015年には日本レコード大賞において編曲賞を受賞。現在も、さまざまなかたちで音楽を世に届けている。 Official Web Site『亀の恩返し』 ■オリジナル子守唄「♪誠治はよい子」で育つ ちゃず :亀田さんの子ども時代について教えてください。 亀田 :僕は、両親が仕事でニューヨークに駐在していたときに生まれました。我が家はあらゆる思い出を8mmビデオに納め、週末に上映パーティーを開く習慣があったんですが、僕が生まれて退院する様子もそちらに記録されています。 そこには白人の医師、黒人とアジア人の看護師、日本人の僕らが映っていて、とてもリベラルな雰囲気がうかがえます。当時のアメリカは高度成長期で、活気に満ちあふれていたんです。 ちゃず :多様な国籍の人が集まる、ボーダーレスな環境だったのですね。当時の様子を8mmビデオに記録されるという習慣が、なんとも素敵です! 亀田 :とてもオープンな家庭環境でした。そして、両親からよくほめられたのを覚えています。母は、シューベルトの子守唄をアレンジして、「♪誠治はよい子」という歌詞が延々と続く替え歌をいつも歌ってくれていました(笑)。 ほめられる教育は、大きくなってからも変わりませんでした。大学生の頃、音楽にのめり込んだ僕が、自宅のクローゼットの扉を壊してDJスペースみたいなものをつくったときもそう。母は叱るどころか、「それ、すごいね!」と絶賛してくれたんです。 ちゃず :そういう家庭環境だったからこそ、いまも自由な発想が生まれるんでしょうね。 ■母の影響+初恋が、音楽を始めるきっかけに ちゃず :ところで、亀田さんが音楽を始めるきっかけは何だったんですか? 亀田 :母の影響が一番大きかったと思います。母は、僕が29歳のときにがんで他界したのですが、昔から音楽を聴くのが大好きな人でした。だから、自宅では常にステレオからクラシックの名曲や、当時流行っていたビートルズなど、さまざまなジャンルの音楽が流れていたんです。 僕自身が楽器にはじめて触れたのは3歳のとき。教育に熱心な家庭だったので、その頃からピアノを習っていたんです。音大生が先生として教えに来てくれていたのですが、その先生がとてもきれいで優しくて、好きになってしまいまして(笑)。それで、ピアノに夢中になった時期がありました。 ちゃず :3歳で初恋!? とても早い!! 亀田 :ベースとの出会いは小5のとき。母が通信講座で買ったクラシックギターがリビングに置いてあったので、ステレオからビートルズの『ハロー・グッドバイ』を流しながら弾いてみたんです。そのとき、曲から拾って鳴らした音が、たまたまベースのフレーズでした。 それが思いのほか楽しくて、母にお願いしてギター教室に通わせてもらったんです。よい先生にも出会えて、ますます音を楽しむようになりました。ところが、小6で転校することが決まり、ギターはそれっきりに。 ちゃず :音楽からも離れてしまったんですか? 亀田 :いいえ、小6でラジオを聴くようになって、音楽により夢中になっていきました。 毎週末、ラジオでアメリカのヒットチャートをカウントダウンする番組、「全米トップ40」を聴いてはメモを取ったり、他局のチャートと比較したり、ということを始めたんです。 やがて、「FM亀田」という仮想放送局をつくり、オリジナルチャートも考えるようになりました。「FM亀田」では、自ら番組を構成し、DJを務め、リスナーにもなるという1人3役。これを、小6から高2までの5年間、毎週末やっていたんです。 ちなみに、放送局の間取りも設計していたんですが、それが「東京タワーと富士山が見える、都心のビルの33階」で… ちゃず :え! それって実際に亀田さんがいま放送しているJ-WAVEのラジオ収録スタジオと同じじゃないですか。奇遇すぎて、鳥肌が立ちます! 亀田 :振り返れば、いまやっていることって、ほとんどあの頃やっていたことと変わらないんですよ。音楽のジャンルも、ポップなものからマニアックなものまでいろいろ聴いていたから、いまも一切アレルギーがありません。 ■中学の卒業アルバムに、「10年後、武道館で会おう」 ちゃず :本格的に音楽プロデューサーやベーシストの道を目指そうと決意したのはいつ頃ですか? 亀田 :「FM亀田」を続けるかたわら、中2でベースを購入したんです。その頃から、プロのミュージシャンになろうって意識していたと思います。 ただ、中3の夏から高校受験が終わるまではそのおもいを封印し、受験に集中しました。見事、志望校に合格し、卒業アルバムに「10年後、武道館で会おう」と書いたのを覚えています。 ちゃず :素敵です! ゆめをあきらめず続けられたのは、なぜですか? 亀田 :何より音楽が楽しかったし、周りの応援があったから。ただ、父だけは反対していたんですよ。僕が「音楽で人の心を動かしたい」と言ったら、「人の心を動かす前に、日本の政治と経済を動かせ」と。普段は僕の10倍くらい穏やかな父に、はじめて怒られました。 ちゃず :では、お父さんは亀田さんのゆめにずっと反対されていたんですか? 亀田 :実は、それについては面白いエピソードがあって。僕が27歳のとき、中野サンプラザっていう大きい舞台にバックミュージシャンとして立つ機会があり、両親を招いたときのことです。 その日、帰宅したら机に父からの手紙が置いてあったんです。「今日の舞台、素晴らしかった。ところで、誠治の弾いているベースという楽器が何の役を果たしているかわからない。明日からギターに変更しなさい」って(笑)。 ちゃず :面白い! でも、お父さんはすでに亀田さんのゆめを認められていたんですね。そのお手紙から、亀田さんへの愛を感じます。 ■アーティスト椎名林檎との運命的な出会い ちゃず :その後も、亀田さんは音楽業界で活躍し、1998年に椎名林檎さんの音楽プロデュースでいっきに脚光を浴びましたね。 亀田 :林檎さんとの出会いは、僕にとって運命的なものでした。当時、彼女のような個性をもつアーティストはほかにいなくて、レコード会社もそれをどういかしていくか悩んでいたようです。 そこで、担当者が、「亀ちゃん(亀田)なら彼女と上手に向き合って、何か生み出してくれるのではないか」と期待して僕に声をかけてくれたんです。実際、林檎さんとは初対面で意気投合。大変なヒットにつながりました。 ちゃず :なぜ、レコード会社の方は、亀田さんを指名されたのでしょうか。 亀田 :アーティストの方への接し方が決め手だったのかもしれません。僕は、アーティストの方の意見に対して、まずは受け入れる。頭ごなしに否定することがないんですよ。周囲からはよく、「打たれ強い」と言われます。だからこそ、どんなアーティストの方とも打ち解けるんだ、と。 ちゃず :そういうお人柄も、幼少期からの家庭環境が影響しているのかもしれませんね。 亀田 :僕のパーソナリティは、父と母の両方からよいところをいただいて形成されたと思っています。両親がつけてくれた「誠治」という名前には、「誠をもって人を治める人になってほしい」という願いが込められていて。実際、常に誠実であることを大切にしています。 ■子育ては100%思いどおりにいかない! だから楽しい! ちゃず :亀田さんご自身も、現在2人のお子さまがいますね。どんな子育てをしてきたんですか? 亀田 :23歳の長男と、18歳の次男がいます。2人に強く伝えてきたことは、「嘘をつかない」ということ。これを守らないときだけはきつく叱ります。厳しくしてきたのはそこだけです。 自分に子どもができてわかったのは、子育てって100%思いどおりにはいかないってこと。それが、自分とは違うかたちで命が育っていく楽しさでもある。そのことに、ようやく気づけました。 ちゃず :お仕事が忙しいなか、子育てするのは大変だったんじゃないですか? 亀田 :多くは妻にまかせていました。ちゃずさんが言うように、仕事が忙しくて、ほとんど家にいられなかったので。その分、最近はできるだけ家族との時間を大切にしています。 例えば、いま次男が受験生なので、一緒に朝5時に起きています。僕のツイッターが早朝に更新されるのは、それが理由。あと、苦手だったテレビのバラエティ番組も、子どもたちと一緒にいるときは観ちゃいます。 ちゃず :亀田さんの奥さまは、歌手でいらっしゃいますね! 亀田 :そうなんです。結婚した当時、妻はスタジオ・ミュージシャンとして、僕以上に活躍していました。音楽業界内では、妻のおかげで僕に目をかけてくれた先輩もいたほど。 それが、出産後は子育てに介護に、とほとんど妻が引き受けてくれたんです。僕が仕事に没頭できたのは、妻のおかげ。そのかわり妻は、仕事に10年くらいブランクがあいてしまったんですが、最近また歌い始めています。 ■40歳でゆめが叶った! でも、まだまだやり続けたい ちゃず :これからの目標を聞かせてください。 亀田 :死ぬまで音楽をつくり続けることです。まだ全然やり足りないんですよ。音楽をつくるたびに100%納得して世に出しているんですが、もっともっと力のある音楽をつくることで、音楽業界に貢献したい。そう思っています。 ちゃず :家庭内での目標はありますか? 亀田 :家族みんなが健康であれば、それでいい。子どもたちも健康な心と身体があれば、きっとよい生き方をしてくれると信じています。 ちゃず :読者の方にもメッセージをお願いします。 亀田 :伝えたいのは、ゆめを叶えるのに時間制限なんてない、10年20年遅れてもいい、ということ。ちなみに、僕が中学の卒業アルバムに書いた「10年後、日本武道館で会おう」は、実際は25年後の40歳のときに叶いました。 亀田さん、本日は貴重なお話をありがとうございました! 今回、私と編集部のメンバー計3人で取材に伺ったところ、その全員の名前をメモして覚えたり、一人ひとりと丁寧に接したりしてくださった亀田さん。家族や周りの方への感謝の気持ちがたくさん伝わってくる取材となりました。 取材のなかで一番驚いたのは、亀田さんのように活躍されている方でも、「まだ全然やり足りない」とおっしゃっていたこと。でも、だからこそ次々とアイデアや曲を出し続けていけるのかな、とも思いました。これからも、亀田誠治さんから生み出される音楽を聴けることがとても楽しみです! 取材協力/ J-WAVE 81.3 FM RADIO 取材:イラストレーターちゃず 文:馬島利花
2017年03月16日皆が憧れるステージで活躍する大人って、どんな子ども時代をすごしたのでしょうか? 夢を叶えた大人はどんな風に育てられたのか、人生まだまだヒヨっ子のちゃずがインタビュー! 第3回は、アメリカのロサンゼルスを拠点として活動する日本人プロデューサーstarRoさんのところへ。 starRoさんは、The Silver Lake Chorusの楽曲をリミックスした『Heavy Star Movin’(starRo Remix)』で、第59回グラミー賞「最優秀リミックス・レコーディング部門」にノミネートされました。 starRoさんプロフィール 横浜市出身、ロサンゼルス在住のプロデューサー。音楽共有サービス「Sound Cloud」に投稿した楽曲が話題となり、2013年、世界的に注目されるレーベルSoulectionと契約。同年12月にリリースした『White Label EP』(Sound Cloud限定デジタルリリース)は1ヶ月で24万回再生を記録した。以後、リミックスワーク(既存曲を編集して新たな楽曲にすること)のほか、オリジナルソングの作曲、往年の名曲のカバーなど幅広く活動。今後はメジャーアーティストへの楽曲提供などにも期待される。2016年10月にニューアルバム『Monday』(TOY’S FACTORY/MIYATERRACE)が発売された。3児の父。official FB: ■ノミネートの事実はTwitterで知った!? ちゃず ─グラミー賞ノミネート、おめでとうございます! ノミネートされたことを知ったとき、どんなお気持ちでしたか? starRo ─ありがとうございます。実は、僕にとっては突然のできごとだったんです。朝起きてTwitterを見たら、担当させていただいているラジオ番組のディレクターさんから、お祝いのメッセージが1件だけ届いていて。そのとき初めて、ノミネートされたことを知ったんですよ。 ちゃず ─それはびっくりですね! グラミー賞の主催者さんから直接連絡はなかったんですか? starRo ─2週間くらい経って、ようやく主催する協会から書面が届きました。グラミー賞って、各レーベルが同協会に提出した曲のなかから選ばれるんですが、僕は、自分の曲が提出されていることすら知らなかったんです。 ■きっかけはジャズピアニストの“親父” ちゃず ─そもそもstarRoさんが音楽を始めたきっかけは何だったんですか? starRo ─親父がジャズピアノを弾いていたんです。普段はサラリーマン、週末はライブ、という生活を送っていて、自宅でもよく練習していました。だから、僕は自然と音楽を聴きながら育っていったわけです。 自分が音楽をやり始めたのは、小学校1年生のとき。従兄弟が通っているピアノレッスンに連れて行ってもらったとき、僕も弾いてみたくなって。自分から、「ピアノを習いたい」と親にお願いしました。 ちゃず ─お父さんから習う、ということにはならなかったんですか? starRo ─いや…やっぱり親から習うのは難しいですね。お互い、いちいち腹を立ててしまうので、けっきょく無理だなと思い、ほぼ習いませんでした。 ちゃず ─どんな音楽を弾いていましたか? starRo ─最初はクラシックを弾いていました。それが、小学校5年生から4年ほど、親父の仕事の関係でシドニーに住んだんです。以後は、流行りの洋楽を好むようになっていきました。 それから、自分で好きなアーティストの曲をコピーするようになり、ピアノレッスンを辞め、バンドを始めたんです。当時は、マイケル・ジャクソンとかがすごく流行っていましたね。僕のバンドで演奏していたのは、日本のBOOWYでしたけど(笑)。 ちゃず ─ジャズは聴いたり弾いたりしなかったんですか? starRo ─当時、ジャズは嫌いでした。小さい頃、親父から嫌というほど聴かされていたので。でも、いまは大好きです。いま僕がやっている音楽は、ジャズの影響が大きい。ジャズのテクニックというより、響きがいいんですよ。これは、親父からずっと与えてもらっていたものなのだと思います。 ■「仕事は安定した職を」と育てられ、サラリーマンに ちゃず ─starRoさんは大学卒業後、サラリーマンを経験したんですよね? starRo ─親父は学生時代にプロとして音楽活動をした経験から、音楽の世界の厳しさもよく知っていて「好きなことは仕事にするものじゃない」と言われて育ちました。本当は音楽の世界を目指したかったんですが、その時は踏み切れなかったですね。僕は大学在学中に1年間留学したんですが、そのときの留学費用を借りたままだったこともあって。 ちゃず ─趣味は大事だけれど、仕事は安定した職を、というのがstarRoさんのご家庭の教育方針だったんですね。 starRo ─まさに、そう言われ続けていました。それで、自動車やハードディスクに使われているゴム部品を扱う中小企業に就職したんです。 就職後すぐ、結婚したんですが、新婚旅行先から帰った直後にシンガポールへの転勤を言い渡されました。それから6年、シンガポールで働いて、支店長も務めました。 ちゃず ─えー! 支店長!? なんか意外です。 starRo ─当時は、サラリーマン生活にどっぷり漬かっていましたね。帰国後、半年くらいでその会社を辞めて、ゲーム会社に転職したんです。そこでの仕事が、またものすごく忙しくて、毎日タクシーで帰るほどでした。 その頃、一人目の子どもも生まれ、仕事と子育てに忙しく、完全に音楽活動から離れてしまって。この状況はいかんな、と。それで、思いきって会社を辞めて、アメリカ行きを決意したんですよ。 ちゃず ─そのとき、奥さまは? starRo ─まったく反対しませんでしたね。僕がストレスを抱えながら通勤している姿を見ていられなかったんでしょうね。職も決まってない状態での、子連れアメリカ行きも付いてきてくれましたし(笑)。 ■会社を辞め、アメリカへ行き、プロデューサーへ ちゃず ─アメリカへ行って、すぐ音楽を始めたんですか? starRo ─アメリカでIT会社に就職したんですが、最初の3・4年は生活するのに精一杯で、音楽どころじゃありませんでした。もう一度音楽を始めることになったのは、生活が落ち着いてきた頃。日本から遊びに来た友人と、たまたま見つけた音楽イベントに出かけたんです。 そのイベントは、いまや伝説となっているんですけど、本来裏方にいるプロデューサーたちがステージに上がって自分の曲を披露する、というもので。僕はその光景に衝撃を受けたんです。それで、もう一度ちゃんと音楽をやってみたいな、と。 ちゃず ─プロデューサーが脚光を浴びる姿を見て、音楽への情熱を思い出したんですね! starRo ─それから、2011年の東日本大震災のとき、『PRAY FOR JAPAN~心を一つに~』というドキュメンタリー映画の楽曲を提供することになり、曲づくりにのめり込みました。仕事が終わってから朝の4時まで曲をつくり、3時間だけ寝て、また出社する、みたいな。 ちゃず ─すごくエネルギッシュ! starRo ─やっぱり、それまで我慢していたものがエネルギー源になったんでしょうね。曲をつくることが本当に嬉しかったし、楽しかった。 そして時代の流れもあり、インターネットのサイトに自作の曲を投稿するようになったんです。そうしたら、徐々に注目されるようになり、有名なレーベルから声をかけられて。以降、さまざまなイベントに呼ばれたり、アーティストから楽曲提供の依頼が来たり、と音楽活動に時間を費やす日々に。 会社との両立が難しくなり、会社を辞め、本格的なプロデューサー生活が始まりました。 ■starRo流の子育ては、“嗅覚”を身につけさせる!? ちゃず ─現在は、3人のお子さまの父親でもあるstarRoさん。お子さまたちも音楽に興味をもっているのでしょうか。 starRo ─そうですね、上の2人はいまピアノのレッスンに通っています。最近は練習を嫌がっていますけど(笑)。 ちゃず ─もし、お子さまが音楽の世界を目指したいと言ったら、starRoさんは反対しますか? starRo ─反対はしないですよ。ただ、一番得意なことを仕事にしてほしいとは思いますね。 “好き”と“得意”は違いますから、そこを見極める“嗅覚”を身につけてほしい。 「No.1になれるものをやりなさい」と、子どもたちにはいつも言っています。 ちゃず ─「これをやれ」と指示するのではなく、お子さまたち自身が各々の得意なものに気づくのを見守る、というわけですね。 starRo ─僕はツアーの仕事などもあって、いつも家にはいられないので、子どもたちには、僕の背中を見て学んでほしいとしか言えません。 自分が子育てをしてわかったのは、 親が子どもをコントロールすることはできない ということ。僕も、両親から好きなことを仕事にするより、安定した職に就くよう育てられましたが、結果的に違う方向に来ちゃいましたから。 僕は「人は誰でもそれぞれの使命をもって生まれてきてる」と思っていて。子どもたちも、たまたま僕のところに生まれてきてくれただけで、それぞれの使命をもっている。その 使命が何なのか、自分自身で気づくことが大事 なんです。 ちゃず ─得意なことを見極める嗅覚や、自分自身で使命に気づく力を身につける。それって、とても難しいことですよね。 starRo ─ いろいろな経験、出会いを重ねることが必要 なんだと思います。そうして視野を広げ、全体を俯瞰するなかで自分をブランディングするというか。 例えば、サッカーなら、いきなり試合に出るよりも、控えで試合全体を見て、自分なら何ができるか考えるとかね。 自分が気持ちいいと感じたり、自分らしくいられたりするポジションを見つける ことから始まるんじゃないかな。 僕の場合は、それがアメリカのロサンゼルスでした。自分らしくいられる環境に住んだことで、音楽をもう一度始めることになり、評価してもらうことができた。だからこそ、 子どもたちにも、自分らしく生きられる居場所を見つけ、自信をもって生きてほしい んです。 ちゃず ─starRoさんとお話ししている間、「starRoさんはグラミー賞にノミネートされたのに、とても落ち着いているな」ってずっと思っていたんですが、その理由がわかった気がします。もともと芯のある方なのだと思いますが、さらにいろいろな経験を重ねてきたからこそ、どっしりと構えていられるんですね。 starRoさん、本日は貴重なお話をありがとうございました! starRoさんのお話を聴いて一番驚いたことは、大好きな“音楽”と離れている時期があったということ。その間に感じた「音楽をやりたい!」という強い気持ちが、その後を支える大きなエネルギーの源になったんですね。であれば、やりたいことから離れる時期も、人生において大切なんだとわかります。 ヒヨっ子ちゃずは、これまで、「やりたいことはすぐにやる!」が正解だと思っていたんです。でも、starRoさんのお話を聴いて、それだけが正解ではないと学びました。やりたいことばかりでなく、いろいろな経験をするなかで、「楽しい」「つまらない」を感じる時間こそが、自分のポジションを見極めるために必要な時間なのかもしれませんね。 取材:イラストレーターちゃず 文:馬島利花
2017年02月07日皆が憧れるステージで活躍する大人って、どんな子ども時代をすごしたのでしょうか? 夢を叶えた大人はどんな風に育てられたのか、人生まだまだヒヨっこのちゃずがインタビュー! 第2回はアニメーターの松原秀典さんにインタビューにいきました。松原さんは今話題の映画『この世界の片隅に』のキャラクターデザインと作画監督を担当された方。他にも『ああっ女神さまっ』『サクラ大戦』『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』等の作品も手がけられたベテランのアニメーター(キャラクターデザイナー、イラストレーター)さんです! 松原秀典プロフィール アニメーター、キャラクターデザイナー、イラストレーター 1965年生まれ。富山県出身。株式会社カラー所属。 ガイナックスに入社後、『ふしぎの海のナディア』『新世紀エヴァンゲリオン』などに参加。『サクラ大戦』『ああっ女神さまっ』ではキャラクターデザイン、作画監督を務める。映画『とある飛空士への追憶』でもキャラクターデザインとして参加。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズでは作画監督、デザインワークス、原画として参加。最近では映画『この世界の片隅に』でキャラクターデザイン、作画監督として参加している。 ■『この世界の片隅に』は、見たら結婚したくなる作品!? ちゃず─ 大ヒット中の『この世界の片隅に』。ヱヴァンゲリヲンなどとは全く違うテイストでご苦労はなかったですか? 松原─ この作品が始まった当初、前にやっていたカッコいいアニメの絵柄が手に染み付いていたので、監督には「もうちょっと下手に描いてくれ」なんて言われたりしましたよ(笑)。僕自身、こういうやわらかい絵柄はあまりやったことがなかったので、少しテイストを合わせるのに苦労した部分もありました。 ちゃず─ 作画監督というのは、具体的にどういうお仕事になるんですか? 松原─ ひと言で簡単に言ってしまえば、線画の段階での「全体の絵柄の統一」です。 ちゃず─ 私、すずちゃんの目が時々漫画的な表現になるところが好きです! 松原─ あれのおかげで、この作品の世界観ができたようにも思います。原作の漫画でもそういう表現になっているのですが、あれを採用するかしないかで、作品の幅が変わったんじゃないかなと。あと僕がちょっと気をつけたのが、ご飯のシーン。子どもに「お箸をちゃんと持ちなさい」と教えている以上、ちゃんと絵でも表現しなくちゃなと。ちゃんと持ち替えるキャラクターと、適当にやっているキャラクターと、意識して描き分けています。子どもがいると、どうしてもそういうこと考えてしまいますよね。 いろんな方に、感覚的に想像させられる作品にはなったのかなと思っています。 ちゃず─ 場面場面で違ったタッチが入ってくるのも、すごく作用しているように拝見しました。 松原─ 原作のこうのさんが、ありとあらゆる実験的な描き方にチャレンジしてらっしゃったので。漫画自体は黒と白の線画なのですが、それに近いもの、それに代わるものとしてどんな表現があるかを監督は色々考えられたようです。 すずちゃんが絵を描いているシーンが結構あるのですが、「絵の中で絵を描いている」という二重構成なんですね。現実と虚構が両方とも絵だと境界が曖昧になってしまうので、ちょっと不思議な表現を監督は入れようとしたのかな、と。「この鳥は本当にいたのか?」と思えてくるようなところとか。 ちゃず─ そういう曖昧さが想像力につながっているのかもしれませんね! すずちゃんの大人の女性っぽい表情も気になりました! 松原─ 二人きりの世界とパブリックな世界で見せる顔は皆違うよね。その感じを出そうとすると、表現が細かくなるのかもしれません。僕は作品の内容を管理する側で、アニメーターにシーンを割り当てる時に、「このシーンは女性のあの人に描いてもらおう!」なんて考えて割り振って。「どんなのを描いてくるかな?」なんてちょっとワクワクしたりもしています。 ちゃず─ 史実に関しては、忠実に再現をされたのですか? 松原─ 忠実というより忠実風、ですね。資料がカラーで残っていない以上、完璧というわけにはいかないので。地域や性格、職業なんかによっても、戦争の受け取り方は違っていただろうし。服などに関しては調べるだけ調べて、かといって何もかもリアルに描くのではなく、ふんわりと原作に合わせて描きました。 ちゃず─ モンペにしていた着物も華やかでかわいかったです! 松原─ 昔の写真を見るとね、びっくりするくらい派手なんですよ。戦争前の女学生の服なんて、今の女子高生のスカートより短かったくらい。既製品の使い回しという意味では、派手な着物をモンペにしているので、生地は派手だったりもしてね。 ちゃず─ どのくらいの期間、この作品に携わっていたのですか? 松原─ 監督たちは準備から完成まで6年かかったそうですが、僕は2年半くらい。作画に関しては、がっつり取り組んでいたのは1年半くらいで、その間は毎日描いていました。監督は「見たら結婚したくなるような作品」を目指していたらしいですよ(笑)。 ■東京は海外のような場所だった!? 夢を叶えるまでの道 ちゃず─ 松原さんがこの仕事を始めたきっかけは? 松原─ 僕は富山出身なのですが、僕が若い頃は、東京は夜行で何時間もかけてやってくるような場所で、海外とあまり変わらないような感覚だったんです。でもアニメーションや漫画みたいな仕事は都会にしかないものだったので、やりたいとなると行くしかない。でもかなり遠い。だから夢だと思っていました。田舎で普通に暮らしていくための仕事も考えていました。 ちゃず─ この職業に就くハードルを感じてらしたのですね…。 松原─ はい、ものすごく。なので、一段クッションとして、まずはアニメ系の専門学校に行きました。そこからフリーのような形で、委託で仕事を始めて。 ちゃず─ 最初から社員ではなかったんですね? 大変じゃなかったですか? 松原─ 大体皆そうなんじゃないかな? 作品ごとに集められて、スタジオのなかに入るんだけど、その作品が終われば、また次の作品へ行く、という形です。腕が上がると色々と声がかかるようになって、あちこち移動するようになっていく。人のつながりで助けたり、助け合ったりしてきたという感じです。苦労とか頑張ったとかあんまりないですね。皆、頑張ってるじゃないですか。どんな仕事をやっていても、大抵の人は努力していると思うので。 ■パパとしての日常 ちゃず─ 松原さんが育った家庭は? どんな子どもだったんですか? 松原─ うちは放任に近かったです。親が離婚して、教育的な環境下にはなかったんですよ。上京も自分で決めました。コミュニケーションほぼゼロの家庭だったので、結果的に自分の好きにできる環境だった、というか。僕は堅実な性格なので、そういう状況でなかったら地元にいたと思うのですが、家庭という土台がなくなっていたので、だったら東京でも同じかなと思い。小さい頃にそろばんと習字を一瞬かじったくらいで塾にも大学にも行っていないので、自分の子供の習い事のことも正直よくわからないんですよね。 ちゃず─ お子さんに絵を教えられることはあるのですか? 松原─ まだしていないですね。英才教育をしたいとも全く思いませんが、一個だけ、英語が話せたらすごくいいな、というのはありますね。奥さんが話せる人で。話せるとどこでも行っちゃえるので、あれはうらやましいです。思うだけで、やらせてはいないのですが(笑)。 ちゃず─ それもひとつの方法ですね! 最後に十年後へのお子さんへのメッセージをいただけますか? 松原─ 僕はもういい歳(51歳)ですが、上の子は5歳、下の子3歳なので、最低でも17年後までは頑張らなくちゃな、なんて思いますね。普通に育ってくれればいいし、それだけで十分有難いです。 ただ、今のところ子供たちのなかで、父親は家にいないことになっているだろうな、と。将来的にその影響出てきちゃうのかな…なんて思うと気にかかっています。でも正直、この仕事だと普通なんですよね。今作でもピーク時は半年間、2〜4日に1回しか家に帰れませんでした。朝バタバタするなかで一瞬、顔を見られるくらいで。子どもからすれば、僕は「たまに朝いるだけの人」で。どんな感じに見えているんだろうな…。 ちゃず─ お休みは全然ないんですか!? 松原─ 普段はあるんですけどね。この半年間はなかったです。作品によっては追い込まれることも多々ある、という。本人はつらいと思ってないのですが、周りから見るとそう見えるかもしれません。少ないですが、休みのときは必ず家族と行動していますよ。 ちゃず─ お子さんには、どんなふうに接しているんですか? 松原─ その時その時をかみしめるような感じですかね(笑)。いつも一緒にいられるわけじゃないので、「抱っこ」と言われたら必ず抱っこしてあげるとか。すぐ大きくなっちゃうし、そのうち重くなったらできなくなっちゃうし。世のお母さんたちからも「小さいときは一瞬しかないから、もっとかわいがればよかった!」なんて証言をよく聞くじゃないですか。 会っている時間が短いせいか、僕の中ではまだ小さいイメージなんです。服を着せたり、ボタンを止めてあげたり、靴を履かせたり、奥さんからすれば「それはもう自分でできるのよ」ということでも、やってあげたいんですよね。あまり普段やっていないせいで、そういう小さな手伝いをやりたくて。「うざがられるまではやっていたいな〜」なんて思っています(笑)。 ちゃず─ こうやってお父さん側の本音を聞かせていただけると、また違う視点が得られるな、と思ったインタビューでした。 帰り際には、照れつつも「一番大事にしているのは、奥さんと子どもが笑顔でいることです」という温かいひと言も。忙しい仕事のなかでも、ご家族の存在が何よりも支えになっている様子に感銘を受けつつ、そのあたりの思いが、きっと『この世界の片隅に』の世界観にも反映されているんだな…!なんて思った、ちゃずなのでした! 映画『この世界の片隅に』 HP: アニメ『龍の歯医者』 HP:
2016年12月28日こんにちは! 子肉です。 結婚式を終えて、やっと落ち着いてきた、私たち。 みんなから送ってもらった写真を見て、幸せに浸ります。 なんか、付き合いたての頃とは違うけど、前よりもラブラブになった気がする!!!! ラブラブになった気がするだけ…かも!? 肉男は前よりも、私に本心を見せてくれるようになった。 見せ過ぎなところもあるけどね!!!!笑 こんな感じの、なんでもない日々が、なーんか幸せだなぁー。 同棲して、結婚して、こんなに肉男に対する愛情が変わったんだから、 これからもきっと、どんどん変化していくんだろうな。 私たちの生活は、まだ始まったばかり。 これから、どんな未来が待っているんだろう! 「それいけ!子肉ちゃん」は今回が最終回です。長きにわたって応援してくださり、ありがとうございました! 最後に作者のちゃずさんよりメッセージをいただきました。 「それいけ!子肉ちゃん」作者のちゃずです。ちょっとさみしいですが、「それいけ!子肉ちゃん」は、今回で最終回になります。子肉と肉男を、長きにわたって応援してくださり、どうもありがとうございました! 正直言うと、子肉ちゃんの半分は私の実体験! 最初は、肉男の事を「細かい!」とか「冷たい!」とかマイナス面からしか見れていなかったけれど、そこには、そういう肉男にさせている子肉ちゃんも居たわけで…描きながら反省することもしばしばでした(笑)。 子肉ちゃんと一緒に成長できた気がします。 最後まで、応援してくださり、本当にどうもありがとうございました! (ちゃず)
2016年11月19日こんにちは。 子肉です。 今日は、待ちに待った結婚式!!! 前日エステ&顔そりにも行ったし完璧!!!! だったはずなのに…。 なんで今日にかぎって 鼻の下にニキビできるんだーーーーーーっっっっっ!!! (名付けて鼻くそニキビ!!!) 最悪だ…。 メイクさんどうにかなりませんか…。 うおおおおおおおおお!!!!! すごいーーー!! なおったーーーー!! なに! ドレスを着ると、こんな幸せな気持ちになるの!!! シンデレラ〜になった気分♪ 肉男に初めてキレイって言われた!!!! 今日まで、とにかくケンカもいっぱいしたけど・・・ なんかふっとんじゃうなぁ。 肉男のお父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも 嬉しそう…。 感謝が止まらないやぁ。 本当に良い一日になった。 シンデレラから、いつもの私たちに戻ったけど、 式をする前した後じゃなんか、違う! やっと夫婦らしくなってきた? ちょっと絆が深まった? 肉男のことが、もっと好きになった。
2016年11月05日こんにちは。 子肉です。 結婚式のプロフィールムービを作るため、 実家に懐かしい写真をあさりに来ました! 小さい頃の写真。 久しく見てないなぁ。 ・・・・・・!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! …まぁ、違うところがあったほうが長続きするっていうもんね。 何はともあれ、結婚式まであと少し! 準備を頑張るぞー!
2016年10月22日こんにちは。子肉です。 結婚式にむけて、減量! 毎朝肉男とランニング!!! 低血圧の私には、ツライ・・・。 減量すべきなのは、私のほうなんだけど。笑 なんだろう、まだ式が先だと思って気合いが入らない!!!! シブオとは…(ご存じの方もいらっしゃると思いますが) 簡単に説明すると 肉男とうまくいっていなかった時、 私があやまちをおかしてしまった男です。 しかもシブオにも、その時彼女がいたのである。 (※くわしくは 同棲編第13話を見てね! ) あの時は、完全に洗脳されていた… あぁ思い出すのも嫌だよぉ あのときの自分も、シブオも記憶から消していたのに。 なんで今日再会すんだよぉ。 えええええ!!! 妻って…いつのまに、結婚したの!? え…………… やばいやばいやばい…!!!!!!! 完全に目が覚めた!!!
2016年10月08日こんにちは。子肉です。 この間、ウェディングドレスの試着に肉男と行きました。 この日、結局ドレスは決まらず…。 だから、今日はリベンジ! またこの間みたいにならないよう、1人でドレス選びです。 ドキドキ! どきどき どきどき ドレスはOKだけど、問題はグローブ(手袋)。 なんか、私が着けるとドレスよりもスポンジが似合う雰囲気になるな…。笑 やばい、純白着るとこんな日焼け目立つんかぁ…。 半袖焼け…のはずなのに… なぜかスルーされて、ひたすら褒められた! 恥ずかしい!!! 半袖焼けは、なんとかごまかそう。
2016年09月24日こんにちは! 子肉です。 楽しい夏休みも終わり、お休み中に溜まった仕事で大忙し! だから、今日は来週1週間分の料理を作ることにしました。 ちょっと奥さんっぽい!? 7日分をタッパーに入れてっと、 か・ん・ぺ・き! がーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。 がーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。 がーーーーーーーん。 薄味のほうが健康的なのに、 そこまで言わなくたって…。 肉男のために1週間分作ったのに結局、私が1人で食べるのか…。 結局お互い、自分の食事を7日分作るという結果になりました。 冷蔵庫パンパン!!!!!!笑
2016年09月10日こんにちは!子肉です。 毎日暑いですねぇ…。 私と肉男は、結婚式にむけて、動き出しました。 なんか、当日を思うと、ドキドキするなぁ。
2016年08月27日こんにちは! 子肉です! 両家顔合わせは無事終わり、 結婚式にむけて動き出します。 今日は、肉男と外でランチしながら、今後のことについて話す…予定でした。 なんか、大げさに言うと、 ポケモンに肉男を取られた気分である。 その夜。 わざわざ、こんな夜中! 外に!? …肉男の作戦にまんまとハマった気がするけど、まぁいっか!
2016年08月13日■パッククッキングでおやつ!(1)~ういろう~ 今回のレシピは、お子さんと一緒に作っても楽しいですよ。 驚きがあるので、夏休みの自由研究としてもおすすめです。 次は蒸しパンを作ります! ■パッククッキングでおやつ!(2)~蒸しパン~ ところで、岡部さんはなぜ、防災アドバイザーになったのでしょうか? ■岡部さんが防災アドバイザーになった理由 <パッククッキング連載の感想> 1話から始まり、ラストまで連載させていただけたこと、とても嬉しく思います。どうもありがとうございました!! 「パッククッキングを知って役に立った!」という方が増えること&シェアされることを祈ります^^ (イラストレーター:ちゃず) ・レシピ提供:<パッククッキング倶楽部> ●監修者プロフィール● 防災アドバイザー 岡部梨恵子 東日本大震災によって街の86%が液状化現象の被害を受け、ライフラインが停止した浦安市、特に上下水道が使えない状況での生活苦を、身を持って体験する。 その後、防災に関心を持ち取り組むようになり、まったくの素人から、災害時の生活や食、無理なくできる備蓄法を研究。片づけのプロとして誰もがやりやすい備蓄法を考案し、2014年の片づけ業全国大会で審査員特別賞受賞。被災後の食については、調理しても排水も出さないで、温かく美味しい料理が作れる、「パッククッキング(ポリ袋調理)」も学び、パッククッキングの講師としても現在活躍している。 また、防災ファシリテーターとして、全国で講演活動を展開。「実践できるセミナー」として口コミで全国に広まり、数多くの講演やメディア出演もしている。
2016年08月05日■お野菜を使ったパッククッキング(1)~ポテトサラダ~ <ポテトサラダの感想> 保存のきく魚肉ソーセージが、ポテトサラダにとても合う! 個人的にはちょっと薄味だったので、マヨネーズを足したくなりました(笑)。 あ、いいことを思いついた! ■パッククッキングのレシピを作って、冷凍したら…? 続いてはポトフを作ってみましょう! ■お野菜を使ったパッククッキング(2)~ポトフ~ <ポトフの感想> ホクホクで、とてもおいしいポトフができました! こまめに裏返すと、全体に熱がいくようになり、均等な固さになります。 次回は、パッククッキングで、お子さんと一緒に作れるおやつのレシピをご紹介します! ・レシピ提供:<パッククッキング倶楽部> ●監修者プロフィール● 防災アドバイザー 岡部梨恵子 東日本大震災によって街の86%が液状化現象の被害を受け、ライフラインが停止した浦安市、特に上下水道が使えない状況での生活苦を、身を持って体験する。 その後、防災に関心を持ち取り組むようになり、まったくの素人から、災害時の生活や食、無理なくできる備蓄法を研究。片づけのプロとして誰もがやりやすい備蓄法を考案し、2014年の片づけ業全国大会で審査員特別賞受賞。被災後の食については、調理しても排水も出さないで、温かく美味しい料理が作れる、「パッククッキング(ポリ袋調理)」も学び、パッククッキングの講師としても現在活躍している。 また、防災ファシリテーターとして、全国で講演活動を展開。「実践できるセミナー」として口コミで全国に広まり、数多くの講演やメディア出演もしている。
2016年08月05日こんにちは! 子肉です。 今日は、両家顔合わせ! わたしたちは、レストランを予約して…この日に挑みます! 私が心配なのは、見栄っ張りな父です。 それさえ、ちゃんとフォローできれば、うまくいくはず。 肉男のお父さんも、意見をドシドシ言うタイプだし… ケンカにならないことを祈ろう…。 来た!!! どうしよう… 肉男のお父さん、お母さん、 やばい顔してる…。 後で、私が怒られてもいいから、 今はなんとか失礼のないようにしないと…。 また来た!!! ……。 うわあああ。 褒めてくれた・・・・!!!! なんとか、大丈夫そうかも…。 さて、これからが本題です。
2016年07月30日■思わず驚くスイーツ、あんぱんがゆとは? ■いざ実食! お味は果たして…? <あんぱんがゆの感想> あんこ好きにはたまらないおいしさ! 見た目で遠慮せず、ぜひ試してみてほしいと思いました。 あんぱんと水を一緒に煮込むだけなのに、いつもとは違う味に感じられるから不思議! 岡部さんのお子さんは、あんぱんがゆがとても好きらしく、普段のおやつにもよく作っているそうです。 次回は、ポテトサラダを作ってみます! ・レシピ提供:<パッククッキング倶楽部> ●監修者プロフィール● 防災アドバイザー 岡部梨恵子 東日本大震災によって街の86%が液状化現象の被害を受け、ライフラインが停止した浦安市、特に上下水道が使えない状況での生活苦を、身を持って体験する。 その後、防災に関心を持ち取り組むようになり、まったくの素人から、災害時の生活や食、無理なくできる備蓄法を研究。片づけのプロとして誰もがやりやすい備蓄法を考案し、2014年の片づけ業全国大会で審査員特別賞受賞。被災後の食については、調理しても排水も出さないで、温かく美味しい料理が作れる、「パッククッキング(ポリ袋調理)」も学び、パッククッキングの講師としても現在活躍している。 また、防災ファシリテーターとして、全国で講演活動を展開。「実践できるセミナー」として口コミで全国に広まり、数多くの講演やメディア出演もしている。
2016年07月29日袋が…! めん類調理は要注意 モチモチおいしい煮込みそうめんの完成 <煮込みそうめんの感想> 煮込んでいるので、麺の食感がモチモチっとしている感じがしました。 個人的には、ふつうにゆでて、つゆにつける、冷たいそうめんが好きですが、それができない状況のとき(寒い時期や被災時)とてもありがたいレシピだと思いました。モチモチした麺を食べて、つゆを飲んでホッとできます。 乾麺をくだくとき、ポリ袋を破かないことだけ注意すれば、パッククッキングの中でも、かなり簡単に作れるレシピです! 次回は、パッククッキングで作る、ちょっと変わったスイーツのレシピをご紹介します! ・レシピ提供:<パッククッキング倶楽部> ●監修者プロフィール● 防災アドバイザー 岡部梨恵子 東日本大震災によって街の86%が液状化現象の被害を受け、ライフラインが停止した浦安市、特に上下水道が使えない状況での生活苦を、身を持って体験する。 その後、防災に関心を持ち取り組むようになり、まったくの素人から、災害時の生活や食、無理なくできる備蓄法を研究。片づけのプロとして誰もがやりやすい備蓄法を考案し、2014年の片づけ業全国大会で審査員特別賞受賞。被災後の食については、調理しても排水も出さないで、温かく美味しい料理が作れる、「パッククッキング(ポリ袋調理)」も学び、パッククッキングの講師としても現在活躍している。 また、防災ファシリテーターとして、全国で講演活動を展開。「実践できるセミナー」として口コミで全国に広まり、数多くの講演やメディア出演もしている。
2016年07月29日パッククッキングで、ごはんにピッタリの料理を作ってみよう! パッククッキングで作る、キャベツとさばのカレー蒸しのレシピ 煮込んでいる間にもう1品! パッククッキングで作る親子丼のレシピ 煮込みが足りなければ、新しいポリ袋でまた加熱 <レトルト食品を使ったパッククッキングの感想> 缶詰にしっかりと味がついているので、シンプルな味付けで、おいしい親子丼と、カレー蒸しが出来上がりました! カレーや親子丼の防災用非常食も販売されていますが、パッククッキングだと、とても安くすむのもいいですね。 次回はパッククッキングでの、めん類の調理法をご紹介します! ・レシピ提供:<パッククッキング倶楽部> ●監修者プロフィール● 防災アドバイザー 岡部梨恵子 東日本大震災によって街の86%が液状化現象の被害を受け、ライフラインが停止した浦安市、特に上下水道が使えない状況での生活苦を、身を持って体験する。 その後、防災に関心を持ち取り組むようになり、まったくの素人から、災害時の生活や食、無理なくできる備蓄法を研究。片づけのプロとして誰もがやりやすい備蓄法を考案し、2014年の片づけ業全国大会で審査員特別賞受賞。被災後の食については、調理しても排水も出さないで、温かく美味しい料理が作れる、「パッククッキング(ポリ袋調理)」も学び、パッククッキングの講師としても現在活躍している。 また、防災ファシリテーターとして、全国で講演活動を展開。「実践できるセミナー」として口コミで全国に広まり、数多くの講演やメディア出演もしている。
2016年07月22日パッククッキングって知っていますか? Let's パッククッキング! 時間を守れば、煮付けにはなりませんのでご安心を。 ポリ袋(高密度ポリエチレン製)は約110度の温度に耐えることができ、 農水省の 緊急時に備えた家庭用食料品備蓄ガイド (※1)にもパッククッキングの安全性が書かれています。 (※1)P.13 コラム4 : いざという時のポリ袋調理 (ごはん) パッククッキングレシピ(1)ほかほかごはんの作り方 パッククッキングは災害時にも役立つ お皿を洗う必要なし、鍋の水は何度も使える <パッククッキングでご飯を作った感想> ふっくらしていて、料理が苦手な私でも、とてもおいしいご飯ができあがりました! 今回、「水に浸け置きしたお米」と「そのままのお米」の2種類を作ってみましたが、「水に浸け置きしたお米」は30分熱したものだと、個人的にはちょっと固いかなと感じました。 なので、こちらに書かれている時間はあくまで目安として、手でもんだ感触で硬さ確認しながら熱することをオススメします! 試食して、「おいしい~!」と言ったときの、岡部さんの笑顔がとても印象に残っています。 次回は、「ご飯に合う! レトルト食品を使ったレシピ」をご紹介します! お楽しみに! ・レシピ提供:<パッククッキング倶楽部> ●監修者プロフィール● 防災アドバイザー 岡部梨恵子 東日本大震災によって街の86%が液状化現象の被害を受け、ライフラインが停止した浦安市、特に上下水道が使えない状況での生活苦を、身を持って体験する。 その後、防災に関心を持ち取り組むようになり、まったくの素人から、災害時の生活や食、無理なくできる備蓄法を研究。片づけのプロとして誰もがやりやすい備蓄法を考案し、2014年の片づけ業全国大会で審査員特別賞受賞。被災後の食については、調理しても排水も出さないで、温かく美味しい料理が作れる、「パッククッキング(ポリ袋調理)」も学び、パッククッキングの講師としても現在活躍している。 また、防災ファシリテーターとして、全国で講演活動を展開。「実践できるセミナー」として口コミで全国に広まり、数多くの講演やメディア出演もしている。
2016年07月22日こんにちは。子肉です。 肉男も出張から帰ってきまして、突然ですが、 明日肉男のご両親と、うちの両親の顔合わせをすることになりました。 今日はお互いそれぞれの実家に泊まってます。 人が家に来ると、 わざわざ屋根裏にあった絵画を玄関に置くし… 家計に余裕のないときでも、他人におごるし… そういうところあるんだよなぁ。 いつもの、お父さんでいいじゃん!って思うのに。 (父の妄想↓) 肉男から、ビデオ通話かけてくるなんて、めずらしい!! なんか、みんな酔っぱらってかけてきたっぽいな!笑 …まぁ、大丈夫だよ!
2016年07月16日こんにちは!子肉です。 週末ですが、肉男は出張中。 今日も暑いし… ひまだなぁ~~。 なんだか、肉男がいないとお家が広く見えるなぁ~~。 あ、肉男、パソコンつけっぱなしにしてる…!! 消しておいてあげよう。 肉男、ふだん、パソコンで どんなもの見てるんだろっ~。 いけないってわかってるんだけど、 覗きたくなるよねー! いや、やめよ。 ここに幸せはないよ。 ふつーにシャットダウンしよ…。 …っと思ったけど、検索の履歴だけ見ちゃお。 いやらしい検索してたりして…。 なーんだ。 昨日より前の履歴消してるし!!! でも、なんで履歴削除してるんだろう? 気になってきた! ぐふふ… メールとかさ! 見知らぬ女の子からのメールが来てるとかさ! 肉男にも、そういうことあるのかな!? だめだよね? そんな勝手に見るなんて最低だよね?? 見ちゃだめ見ちゃだめーーー!!! アレ! マウス ガ 、カッテニ ウゴクー! ありゃ、仕事のメールしか来てない…笑 なーんだっ。 なんか、ホッとした。 …けど、なんだろう。 なんか腑に落ちない。 本当は、なんかあるでしょう!? 怪しげな動画とかさ、 なんかあるでしょう!? あ! ひみつのフォルダ!!! 来た!! これ! こういうの!! パスワード… 肉男の誕生日かな? あ、違った。 西暦? 電話番号? めんどうだから、1234? 違った…。 うーん、なんだろう。 あ、あれかも! わたしたちの記念日! 当たったー!!!!! 肉男かわいいぃぃぃぃ☆ ファイルをクリック…っと。 あれ、画面黒くなった。 なになに~~♪ 記念日パスワードにしてて、 ここに、やばいやつあったらウケる~~。 あはは。 お!!! あ、去年行った熱海旅行の スライドショーだ… な、なんだろうこの複雑な気持ち…。 肉男に対する罪悪感…。 そして、これを読んでくれたひとに 特にオチのない話をしてしまった…罪悪感。 やはり、人のパソコン見ても 良いことはひとつもないってことはわかった! うん。 あー。今日は、暑いひまだ。 早く肉男帰ってこーい。
2016年07月02日こんにちは! 子肉です。 今日は、肉男の姉とランチ! ふつうは婚約者の姉に恋愛相談なんてするもんじゃないと思うんだけど… 恋愛経験豊富な肉男姉は、唯一の相談相手です。 うち… 肉男とお風呂… 毎日一緒に入ってるかも…!!! 思い返すと、 最初の頃は、ドキドキのお風呂だった。 でも、最近は… あ、やべっ。 一応恥ずかしいフリするけど、 全然恥ずかしくない!!!笑 今さら、お腹が出たって、ムダ毛が見つかったって 嫌われない!!!って心のどこかで思ってるし! いつのまにか、恋愛というよりは、家族みたいな気持ちになっている。 わたしがこんな感じで、 肉男に「女として見られてない〜!!!」なんて言うなんて、 わがままな話かも…。 こんな関係が築ける人と出会えるなんて、 本当キセキだし、感謝だけど、 やっぱり、わたしはまだ新鮮さがほしい!!! 関係が近すぎるのかな…?? ちょっと距離置いたほうが良いのかな…?? それとも、わたしは幸せを求めすぎ…?? 肉男…。 わたしは、肉男のこと大好きだよ。 肉男と今日1日のできごとを、あったかいお風呂に入りながら しゃべる時間が好き! そんなこと思って、ごめんね。 肉男。 でも… やっぱり、つき合いたてのころの、 キュンキュンがほしい!!!
2016年06月13日雨の多いこの季節はヘアスタイルも決まりにくく、「なんだか疲れた雰囲気がただよってる…」なんて感じたことありませんか? そんな忙しい働きママに、コームひとつで とにかく簡単 にできる“こなれヘアアレンジ”を「コレットマルーフ 新丸ビル店」のスタッフの方に教えて頂きました! こんなコームと1~3分さえあれば、サクッと完成です。寝坊した朝の30秒アレンジもご紹介します! ■見た目より簡単! 3分でできるギブソンタック ギブソンタックのやり方 1.ざっくりとひとつ結び 2.ゴムを下げて穴をあける 3.くるりんぱの要領で、毛束を穴の上からくぐらせる 4.くるりんぱの完成 5.片手で結び目をおさえて、トップの毛をひきだす 6.毛先をみっつの束に分け、くるりんぱの穴へ巻きつけていく 7.コームを裏返し上下逆にもち、巻き込んだ毛束の一部を、少しすくいながら返して根本に差し込む 8.できあがり ■くるりんぱよりも大人っぽくキマる コームハーフアップ ハーフアップのやり方 1.アップにする部分をひとつの束にまとめる 2.まとめた部分の地肌に対して、垂直にコームをいれる。地肌にそってすくいあげるように、上方向へ差し込む 3.片手で毛束をおさえながら、コームを深く差し込んでいく 4.トップの毛をひきだす 5.できあがり ■所要時間30秒! 寝坊した朝のおたすけアレンジ ポンパドールのやり方 1.前髪をとる 2.毛束をクロスするようにたおす 3.たおしたところに、毛流れにさからってしっかりと奥までコームをさしていく 4.できあがり ざっくり横わけのやり方 1.前髪をサイドに流す 2.毛流れにさからって、コームを深くさす 3.できあがり どれも慣れてしまえば、すぐにできるアレンジばかり。 忙しい朝でもヘアスタイルをサクッとキメて、“家族みんなのママ”から、“余裕のあるオンナ”に変身しましょう! 【撮影協力】コレットマルーフ 新丸ビル店 東京都千代田区丸の内1-5-1 新丸の内ビルディング1F Passage内 tel.03-3211-2585(直通) open.11:00~21:00(日・祝は20:00まで) 公式サイト
2016年06月06日こんにちは! 子肉です。 お互いの親への挨拶も終わり、ひとまず ほっとする休日。 (両家の顔合わせは、まだこれからなの。) 天気も良いし、アイスを買って近くの公園ぶらんぶらん。 あどけない表情!!! わー、お子さん2人いる、妊婦さん~! すごいな、ママ~~! 妄想ひろがるなぁ〜。 男の子だったら、どんな名前なんだろう? 子肉男? ん? なんか、ややこしいな。 肉男との子どもは、どんな子になるかなぁ~~!!! 肉男の妄想も聞きたい♪ 聞きたい♪ 聞かせて~~♪ え! まじ!? なんだろう。 この切ない気持ち。 うん。たしかに、貯金は大事よ。 大事だけどさ… そんな事言ったら… そんな事言ったら… もう遅いよぉぉぉお!!!! そんなこと言われても、このタイミングではもう無理!!! 私が子どもを授かるかどうかも、まだわからないけど… 私、肉男と結婚して、自分の好きな人生歩めるのかな?? もしや、これってマリッジブルー!?
2016年06月04日こんにちは。 私、子肉は、肉男の実家へ行って結婚報告をしにきたのですが… なんと、肉男パパとママは別居中。 空気の読めない肉男姉によって、 最悪のタイミングで結婚の報告をすることになりました。 (※詳しくは 前回 を見てね!) 別居中のパパ!!! 肉男パパとママ、仲良さそうに見えるけどなぁ…。 こんなフランクで楽しいパパなのに、 なんで、肉男のママは、パパと離婚したいんだろう? 私、今は「肉男とずーっと一緒に居たい!」って思ってるけど、 いつか「別れたい」と思ったりするのかなぁ? 気になる… 肉男のママの気持ちが気になる… わわわーーーー聞いてしまったぁ!!! 初対面で家庭の事情に首つっこんでしまった…。 なんて失礼なことを…。 お? なにこの人!!! 面白っ!!! たしかに、肉男がこんな風に人前で、鼻毛ぬいたりしてたら すごく嫌だよ!!! すごく嫌なんだろうけど… 他人としては、すごく面白いパパ!!! ママから同意を求められているし… ここは、笑っちゃダメだ…!!! 笑っちゃダメだ… こらえろ子肉…!!! こらえて… こらえて… やっぱ、むり… このときばかりは、空気の読めない肉男姉の存在に 助けられた子肉でした。 しかし、肉男のパパとママ、うちのパパとママ。 全然合う気がしないんですけど!!!!! これから顔合わせの計画を立てます。
2016年05月21日どうも。子肉です。 いよいよ婚約者である肉男の家に結婚報告にいきます! 肉男の家族構成は、お母さん、お父さん、 キャラ強めのお姉ちゃんの4人家族。 (※ それいけ子肉ちゃん同棲編Vol.6 参照) 今日は肉男の実家へ挨拶に行く予定で、 早めに着いちゃったのでカフェで時間つぶし。 肉男、なんか様子が変。 聞いても答えないし…。どうしたんだっ 緊張してるのかな。 と思っている間に、実家に到着! どきどきする…。 どんなお父さんと、お母さんなんだろう。 どんなお家に住んでて、どんな暮らしをしてるんだろう…! あれ、肉男、わたしが今日おじゃまするってこと言ってなかったんじゃないの!? まじかあああああああーい!! 私が非常識な娘みたいになるから、伝えておいてよぉぉぉおおお!! ん? あの事? なんだろう。 モヤモヤ。 わぁ…肉男、 こんなアルバムちゃんと作ってもらって… 愛されているんだなぁ。 素敵な家族。 きゃーかわいい♪ また、どうした肉男!! だから、落ち込んでたのか。 こんな大変なときに、結婚の報告、なんか言いづらいなぁ。 ん。だれか来た。 肉男のお姉ちゃん!!
2016年05月07日こんにちは!子肉です! いろいろなことがあった私たちですが、なんとか平穏(?)な日々を取り戻してきました。 今日は、私の両親に結婚の挨拶に行ってきます。 さすがに肉男の金髪は印象が良くないので、黒染めスプレー!! お母さんには何回か会わせた事があるけど、お父さんに会わせるのは初めて。 気難しい父です。 正直、心配です。 だけど! なんとしてでも肉男を気に入ってもらわないと! 肉男今まで見た事ないくらい緊張してる…。 わたしにまで緊張がうつるよっっっっ!!!!!! わわわ!!!!!! あああーーーーーーー やめてよ…すぐ戦闘態勢になるの… わ! 肉男まで…! 笑顔だよっ! 笑顔で言ってね! …は!? まったく… ヒヤヒヤすんなぁ…。 あ、黒染めスプレーとれてる。 今度は、わたしが肉男んちに行く番。 緊張するけど、楽しみ。
2016年04月23日ウーマンエキサイト連載のマンガコラム! 外ではなんとか“デキる女”をやっていても、おうちの中ではちょっと“ズボラ”になっちゃうOL・子肉(こにく)。 同棲中の彼氏・肉男(にくお)の元カノ自慢をきっかけに、子肉のちょっとズレた女磨きがはじまります(vol.1は こちら )。はたして肉男を見かえすことができるのか!? その先にあるのは達成感と別れ? 障害を乗り越えた結婚? 結婚適齢期ど真ん中の子肉の珍行動に注目です。
2016年04月02日