グラミー賞2017ノミネート日本人プロデューサーstarRo 【ゆめを叶えた大人の子ども時代、ヒヨっ子ちゃずのイラストインタビューVol.3】

2017年2月7日 06:00
 

ちゃず ライター
ちゃず

皆が憧れるステージで活躍する大人って、どんな子ども時代をすごしたのでしょうか? 夢を叶えた大人はどんな風に育てられたのか、人生まだまだヒヨっ子のちゃずがインタビュー!

第3回は、アメリカのロサンゼルスを拠点として活動する日本人プロデューサーstarRoさんのところへ。

starRoさんは、The Silver Lake Chorusの楽曲をリミックスした『Heavy Star Movin’(starRo Remix)』で、第59回グラミー賞「最優秀リミックス・レコーディング部門」にノミネートされました。



starRoさんプロフィール
横浜市出身、ロサンゼルス在住のプロデューサー。音楽共有サービス「Sound Cloud」に投稿した楽曲が話題となり、2013年、世界的に注目されるレーベルSoulectionと契約。同年12月にリリースした『White Label EP』(Sound Cloud限定デジタルリリース)は1ヶ月で24万回再生を記録した。以後、リミックスワーク(既存曲を編集して新たな楽曲にすること)のほか、オリジナルソングの作曲、往年の名曲のカバーなど幅広く活動。今後はメジャーアーティストへの楽曲提供などにも期待される。2016年10月にニューアルバム『Monday』(TOY’S FACTORY/MIYATERRACE)が発売された。3児の父。official FB: https://www.facebook.com/starRoofficial/


■ノミネートの事実はTwitterで知った!?

ちゃず─グラミー賞ノミネート、おめでとうございます! ノミネートされたことを知ったとき、どんなお気持ちでしたか?

starRo─ありがとうございます。実は、僕にとっては突然のできごとだったんです。朝起きてTwitterを見たら、担当させていただいているラジオ番組のディレクターさんから、お祝いのメッセージが1件だけ届いていて。そのとき初めて、ノミネートされたことを知ったんですよ。



ちゃず─それはびっくりですね! グラミー賞の主催者さんから直接連絡はなかったんですか?

starRo─2週間くらい経って、ようやく主催する協会から書面が届きました。グラミー賞って、各レーベルが同協会に提出した曲のなかから選ばれるんですが、僕は、自分の曲が提出されていることすら知らなかったんです。

■きっかけはジャズピアニストの“親父”

ちゃず─そもそもstarRoさんが音楽を始めたきっかけは何だったんですか?

starRo─親父がジャズピアノを弾いていたんです。普段はサラリーマン、週末はライブ、という生活を送っていて、自宅でもよく練習していました。だから、僕は自然と音楽を聴きながら育っていったわけです。

自分が音楽をやり始めたのは、小学校1年生のとき。従兄弟が通っているピアノレッスンに連れて行ってもらったとき、僕も弾いてみたくなって。自分から、「ピアノを習いたい」と親にお願いしました。

ちゃず─お父さんから習う、ということにはならなかったんですか?

starRo─いや…やっぱり親から習うのは難しいですね。お互い、いちいち腹を立ててしまうので、けっきょく無理だなと思い、ほぼ習いませんでした。



ちゃず─どんな音楽を弾いていましたか?

starRo─最初はクラシックを弾いていました。それが、小学校5年生から4年ほど、親父の仕事の関係でシドニーに住んだんです。以後は、流行りの洋楽を好むようになっていきました。

それから、自分で好きなアーティストの曲をコピーするようになり、ピアノレッスンを辞め、バンドを始めたんです。当時は、マイケル・ジャクソンとかがすごく流行っていましたね。僕のバンドで演奏していたのは、日本のBOOWYでしたけど(笑)。

ちゃず─ジャズは聴いたり弾いたりしなかったんですか?

starRo─当時、ジャズは嫌いでした。小さい頃、親父から嫌というほど聴かされていたので。でも、いまは大好きです。いま僕がやっている音楽は、ジャズの影響が大きい。ジャズのテクニックというより、響きがいいんですよ。これは、親父からずっと与えてもらっていたものなのだと思います。

■「仕事は安定した職を」と育てられ、サラリーマンに

ちゃず─starRoさんは大学卒業後、サラリーマンを経験したんですよね?

starRo─親父は学生時代にプロとして音楽活動をした経験から、音楽の世界の厳しさもよく知っていて「好きなことは仕事にするものじゃない」と言われて育ちました。本当は音楽の世界を目指したかったんですが、その時は踏み切れなかったですね。僕は大学在学中に1年間留学したんですが、そのときの留学費用を借りたままだったこともあって。

ちゃず─趣味は大事だけれど、仕事は安定した職を、というのがstarRoさんのご家庭の教育方針だったんですね。

starRo─まさに、そう言われ続けていました。それで、自動車やハードディスクに使われているゴム部品を扱う中小企業に就職したんです。
就職後すぐ、結婚したんですが、新婚旅行先から帰った直後にシンガポールへの転勤を言い渡されました。それから6年、シンガポールで働いて、支店長も務めました。

ちゃず─えー! 支店長!? なんか意外です。

starRo─当時は、サラリーマン生活にどっぷり漬かっていましたね。帰国後、半年くらいでその会社を辞めて、ゲーム会社に転職したんです。そこでの仕事が、またものすごく忙しくて、毎日タクシーで帰るほどでした。

その頃、一人目の子どもも生まれ、仕事と子育てに忙しく、完全に音楽活動から離れてしまって。この状況はいかんな、と。それで、思いきって会社を辞めて、アメリカ行きを決意したんですよ。



ちゃず─そのとき、奥さまは?

starRo─まったく反対しませんでしたね。僕がストレスを抱えながら通勤している姿を見ていられなかったんでしょうね。職も決まってない状態での、子連れアメリカ行きも付いてきてくれましたし(笑)。

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