まずその呼び名は、母を「こうあるべき」と気負いさせてしまうのでした。
そんな
あたたかい存在でいなくてはならない、そう自分で自分を追い込んでいったのでした。
周りからも「おばあちゃんなんだからこうあるべき」というプレッシャーがあり、母は気づけば「頑張らなきゃ」と必死になっていました。
今思うと、「自分さえ我慢すれば平和になると、自己犠牲に陶酔していただけ」と母は話していました。
たしかに以前の母なら、私に対して言いたいことがあればストレートに伝えてくれました。
私もその場で言いたいことを言う。だから仲良くやってこれたんだと思います。
その母が、私に子どもが生まれてからストレートにものを言わなくなりました。
すべてを許す。そんな「いつもの母じゃない」母になっていたことに、私も不思議に思うところがありました。
そう思うと今回のトラブルは、そんな母のたまりにたまった何かが、私たちの無神経な行動によって爆発したんだと思います。
母は「我慢し続けるのはいけなかった。衝突したけど、結果的に良かった」そんなふうに話していました。