コミックエッセイ たんこんちは ボロボロゆかい
ゲームも勉強のうちかも!? わが家のゆる~い「ゲームルール」【たんこんちは ボロボロゆかい Vol.41】
■ゲームに熱中することで犠牲になるもの、得られるもの
私は、やり尽くしたのだと思います。
だから、私はゲームをやめることができたし、執着することもなかった。
…しかし!!
この、“やり尽くす”は傍から見ると終わりが見えないし、何かが必ず犠牲になる。
というのが、世の親御さんの不安要素なのだと思います。
勉強する時間、運動する時間…そんな大切な時間だけでありません。
私も“やり尽くす”ことで、輝ける! 若さはじける!! 青春時代を犠牲にしてしまいました。
ゲームをやり尽くすことで、貴重な青春時代を無駄にしてしまった私。
ですが私はそれに後悔はしていません。
当時ボロクソに病んでいた私の心が、ゲームに救われていたからです。
もっと楽しいことや、やるべきことがあったのはわかっていました。
でも、ゲームで感動したり自己鍛錬する時間が、私にとって唯一の癒やしになっていたのです。
子どもだってそうだと思います。
大人が思っているよりなかなかハードな日常でちょっとひび割れた心が、もしかしたらゲームに癒やされているのかもしれない。
そうだとしたら、“ゲームはあまりよくないもの”とにらんでしまうのは、ちょっともったいないことだと思うのです。
ぼーっとやっているようで、ゲームも結構、忙しいです。
いかに進めるか、いかに勝つか。そんなことを考えるのも、立派な勉強だと思います。
うちの子どもたちが好きなゲームは基本的にもの作りがメインなので、見せてもらうと大人もびっくりするような想像力に感動することがあります。
攻撃的なゲームでも、いかに相手の攻撃を避けるか、いかに相手の隙を突くか。
それを一生懸命考えるのは、アタマの体育だと思います。
武器を持っていても、やっていることはドッジボールと一緒です。
モニター越しに人やモンスターを傷つける子どもに不安になってしまうかもしれませんが、少なくとも全年齢対象のゲームでは、子どもたちが見ているのはただ勝敗だけだと思います。