「親友の“裏アカ”投稿に傷つけられている」雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第25回
これからもいろいろな話をしたいです。でもしないほうがいいのかなとも最近は思います。私のこと以外にも、共通の友人知人に対して彼女がどんな風に思っているのか、私と話しているときよりも(かなりざっくばらんな話をしているのですが)更にひとまわり本音に近い形で発露された文章を目にしてしまうと、なんだかよくわからないダメージがあります。
なんだか不思議だなと思うのは、私が彼女と全くの赤の他人で、インターネットの中でのアイコンと短文が彼女について知っているすべてだったなら、きっとすごく面白かっただろうなと思うことです。知らない人の知らない日常はもうフィクションですよね。そうやって味わうのだったら最高に魅力的な文章だっただろうし、実際に私もそうやって見知らぬ人のブログやツイッターを楽しんでいます。エッセイを読むときも同じです。
彼女は自分や周囲の人間の個人名は一切出していませんし、住んでいる地域もおおよそしかわからないようにしてあります。
でも、私のように読む人が読めばわかってしまうような投稿ですし、読んだ人の気持ちについて想像してみることはできるはずです。そうした可能性を彼女がどこまで考えているのかはわかりません。