というエクスキューズがどうして必要なのか。ここにもうっすらと、お金にまつわる倫理観のようなものの影が見えるのです。
私たちが満たされることは、そんなに悪いことなのか。
「過剰に満たされるのは善くない」という考え方もありますが、そこには自分の体や心を害する恐れがあるという意味の「良くない」に留まらないものが含まれています。
私は個人的に、「そんなに申し訳ながる必要は、無いのではないか」と思っています。
罪悪感というのは、確かに誠実で清らかな、人として正しい感情かもしれません。でも、本当に感じるべき罪悪感と、そうでもないものがあると思います。少なくとも「被災しなかったことへの罪悪感」は、私にはとてもよく理解できる感情なのですが、同時に、とても理不尽な感情でもある、と思えます。
それは、被災した人々の苦悩への共感とは、別のものです。
私たちはそんなにも、多くを「負って」しまうのか。満たされることに罪悪感を抱き、蕩尽する人々に嫌悪を感じる世の中は、なぜそうなっているのだろうか。
幸福とお金の関係を考えると、どうしても私は、その疑問にたどりついてしまうのです。
>>次回もお楽しみに(6月25日更新)