結婚に興味を持てない人が、自分を責めてしまう理由【石井ゆかりの幸福論】
「恋愛をして結婚をする」ということと、「人生を共に生きるパートナーを得る」ということは、部分集合的にしか重ならないのではないか、という気がします。
結婚という形をとらずにパートナーシップを結ぶ人たちも、最近は増えているようです。また、結婚していても一緒には暮らさない、というカップルもあります。
一人で生きることは古来、決しておかしなことでも、めずらしいことでもありません。
さらに、「性」は2つだけではない、ということは、昨今常識として浸透しつつあります。
こう考えていくと、「パートナーを得る」「パートナーと生きる」ということは、世の中の「結婚」という形式に自分を当てはめていくようなこととは、大きく違うのだと思います。
世の中で一般的に言われる「結婚」という枠組みに、むりやり自分を当てはめようとする必要はないはずなのです。
親や親族が「結婚しろ」「なぜ早く結婚して子供を持たないのだ」と急かすとき、彼らは「世間的な結婚の枠組み」のイメージしか、抱いていません。
でも、その枠組みに自分をムリヤリ押し込むようなことは、おかしな話です。
「自分」は、彼らのものではないからです。
自分は自分のものだからです。