ベビーカレンダーがお届けする新着記事一覧 (60/1287)
妊娠、出産、子育ての間で私のおっぱいは大きく変わりました。今回はそれぞれの段階での私のおっぱいの変化と、その中で私が気をつけていたこと、感じたことについてお話しします。 妊娠時期のおっぱいの変化妊娠前までⅭカップだった私のおっぱいは、妊娠5カ月ころから今まで見たことないくらいに大きくなりました。乳輪も大きくなり、色は黒っぽく変化。 どんどん変わるおっぱいにびっくりしましたが、パパが「これも赤ちゃんに母乳をあげるためだな!」と明るく言ってくれたので、気持ちがラクになり、「これもママの証だ!」と受け入れられました。この時期は妊娠線ができないようにお風呂上がりは毎日おっぱいにクリームを塗りました。 断乳後に垂れてしまったおっぱい出産後、おっぱいの出はよかったのですが、そのため赤ちゃんがおっぱいを飲む間隔があくとおっぱいがぱんぱんに張って、衣服が当たるだけでも痛かったのです。おっぱいが詰まらないように和食中心の食事を心がけ、衣服も締めつけが少ない物を着ました。※母乳分泌と食事には関連がないと言われています。 子どもが1歳のころに断乳をしたのですが、断乳したとたんにおっぱいがしぼんでしまって、インドのナンにレーズンがくっついているような状態に……。すっかり垂れてしまったおっぱいの変化にショックを受けました。 落ち込んでいた私に、パパからのひと言おっぱいの変化に落ち込んでいると、パパから「年を取ったら、おっぱい垂れる人いっぱいいるんじゃない? それは“ママ”としての勲章だよ!」と、力強い励ましの言葉が。その「勲章」という言葉で、落ち込んでいた気持ちが一気に吹き飛びました。 それからは、おっぱいをしっかり持ちあげてくれるブラジャーにしたり、猫背にならないよう胸を張って歩くことを心がけていくうちに、見た目のシルエットではおっぱいが垂れていることは気にならなくなってきました。 私の場合は出産や妊娠、子育ての期間でおっぱいが変化しましたが、もしかしたらちょうどおっぱいが垂れる時期と重なっていたのかも?と思ったりします。はじめは変化する自分のおっぱいに戸惑いを受けましたが、今ではこのおっぱいを「勲章」と思い、誇りに感じながら過ごしています。 著者:菅谷里奈1女、2男の母。現在第4子目妊娠中。ベビーマッサージインストラクター、ベビーヨガインストラクター、ベビーシッターの資格所得。子育て経験を活かしながら、妊娠・出産・子育てに関する記事を中心に執筆中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター 漫画家 まっふ
2024年05月03日私の夫は若く見えることが自慢の年下夫。最近はことあるごとに私に向かって「老けた」と言います。職場の若い子たちに混ざるのも大好きで、平日は飲み会、土日はゴルフやBBQと、留守ばかり。子育ては私のワンオペで成り立っていました。それでもなんとかやってこられたのは、近くに住む義母のおかげ。いつも助けてくれるので頭がありません。家族なのにバイキン扱い!?ある週末、私と娘は同時に高熱を出してダウンしてしまいました。高齢の義母に移すわけにはいかないので、今回ばかりは頼れません。 さすがに夫が看病してくれると思っていましたが、夫は私と娘をバイキン扱い! その上「俺はホテルに泊まる!」と言い、荷物をまとめて出ていってしまいました。 取り残されたのは、高熱でフラフラの私と娘。病院に行く気力もなければ、病人が食べられるような食材もありません……。 「ごめんね…」義母の言葉で決意!熱はどんどん上がり、娘も苦しそう……。ひとりでは限界を感じ、意を決して義母に助けを求めました。 義母はわが家に着くなり、家事をテキパキとこなし、卵がゆや生姜湯を作ってくれました。そして、ひと通りの家事や看病を終えると、私にそっと1枚の紙を渡してきました。 よく見ると、それは離婚届。「こういうときに助けてくれないのは家族じゃないよね。ごめんね。もし2人が別れても、私はいつでも助けるよ!」 義母の言葉で私の覚悟が決まりました。 もう会えないよ!数日後、熱が下がり始めた私は、夫の声で目を覚ましました。どうやら夫が荷物を取りに帰ってきたよう。耳を澄ますと義母の声も聞こえます。 「もう2人には会えないよ。あんなに高熱の2人を残して、いなくなるから……」 その言葉を聞いて、夫は涙を流していました。義母の言う「もう会えない」のは離婚を決めたからでしたが、夫は妻と子が亡くなったと勘違いしているようです。 私はタイミングを見て夫の前に登場。「幽霊だ!」と驚いていましたが、義母の看病のおかげで元気になったこと、でも放置されていたら死んでいたかもしれないことを伝えました。ショックを受けた夫は…夫は相当ショックだったようで、泣いて謝っていました。 一度は離婚を決めましたが、今回のことは夫にとっていい薬。義母が味方してくれることもわかりました。念のため離婚届にはサインをもらい、いつでも出せるように保管しつつ、夫の変化を見ることにしたのでした。 子どもが小さいうちは、自分が体調を崩してしまうと本当に大変ですよね。そんなとき、他人事のように振る舞う夫にはガッカリです。 自分が体調を崩したときに、自分のおこないの愚かさがわかるのではないでしょうか。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月03日長男を出産し、初めての育児に戸惑いながらも育児書などで情報を集めながらなんとか慣れてきたころ、女性である自分では経験のない男の子の性器ケアの問題に出合いました。いろいろな情報があり、個人差もあるそう。夫に相談しても記憶にないからわからないという返答に、「どうしたらいいの?」と悩んでいた私の体験談をお話しします。 育児に奮闘するも1つの疑問が…わが家には男の子2人、女の子2人の4人の子どもがいます。今でこそ子育ての経験があるので次男、次女では余裕をもって子育てできていますが、長男を出産したときは、初めての育児でわからないことだらけ。情報を集めながら1つひとつ対応していました。 長男が寝ているときに育児雑誌を見ていると、男の子の性器ケアのことが目に入りました。お風呂に入れたときにきれいに洗ってはいたものの、それだけでは足りない場合があることがわかり、どういうタイミングでどうしたらいいのか疑問だらけに。夫に相談しましたが記憶にないと言われ、ますますわかりませんでした。 ※男の子の性器ケアは清潔に保つことが基本ですが、健診などで、おちんちんの皮をむく「むきむき体操」を指導されることがあります。「むきむき体操」が必要ない赤ちゃんもいるので、健診などで受診した際に医師に相談しましょう。 思いきって相談することに長男は生まれたときに先天性肺炎でNICUに入っていたこともあり、病院に定期健診に行っていました。幸い心配していた後遺症もなく、1歳で病院での定期健診を終えたのですが、健診の最後に「わからないことはありませんか?」と先生が聞いてくださったので思いきって性器ケアについて相談することに。 すると、「心配ならやっておきますね」と皮を下げて亀頭を出す処置をしてもらいました。成長とともに自然にという話や、むきむき体操をやったほうがいいなどいろいろな説はあると思いますが、私は小児科の先生に相談して不安な要素がなくなったので長男にとってもよかったのではと思います。 3歳で男の子あるある長男が3歳になったころ、「ちんちんが痛い」というので病院へ行きました。トイレトレーニングも終わり、パンツを自分ではけるようになっていたころ、自分でおちんちんを触って菌が入ったようで炎症を起こし、膿が溜まっていました。 病院で膿を出し、消毒してもらい、抗生物質を処方してもらうことに。本人は痛かったようで、それからは触って遊ぶことはしなくなりました。病院の先生からも「きれいに洗って、バイ菌のついた手ではさわらないようにね」と注意されました。 ママにとって男の子の性器ケアは、自分に経験がない分心配になります。お風呂できれいに洗っていれば成長とともに見守っていてもいいようですが、小さいうちにできることはやっておいてあげられればと思っていました。長男は1歳のタイミングでしたが、高校生になった今、特に問題ないようなので安心しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/ライコミ著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月03日昨夜、彼氏のうみくんと営みをしようとしたときから、原因不明の下腹部痛が続いているにしこさん。近くの急患センターで検査をしてもらった結果、医師いわく「普通の状態ではない」とのこと。急患センターの設備ではそれ以上調べられないらしく、別の病院で改めて検査を受けることになって……。 看護師に連れて行かれた先は…医師が受け入れ先の病院を探して、紹介状を書いてくれることに。受け入れ先の病院が見つかるまで、にしこさんは診察室の外で待機することになったのですが……? 医師から「外で待ってて」と言われてからしばらく経ち、看護師さんが現状報告にやってきました。看護師さんによると、新型コロナの影響で近くの病院はどこもいっぱいで、病院が見つかるまでもう少し時間がかかりそうとのこと。 その後、看護師さんが「座っていてもつらいままだと思うので」と案内してくれた先は……患者さん用のベッドが並んだ場所。にしこさんいわく、体を起こしているだけでもつらかったから、横になれるのは素直にうれしかったそうです。 たしかに、座っているよりも横になったほうが腹筋などに力を入れなくて済みますし、多少はリラックスできるかもしれませんね。受け入れ先の病院が見つかるまで、できるだけ安静にしておきたいところです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダー、ムーンカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター にしこ
2024年05月03日シングルマザーのハナさんが運営するYouTubeチャンネル「なないろfamily」。ハナさんは1LDKの家で、娘のメイちゃん(6歳)と独身アラフォーのお姉さんと、3人で暮らしています。普段は、3人で仲良く暮らす様子を配信している「なないろfamily」。今回はハナさんがシングルマザーになるまでの経緯についてご紹介します。 娘が2歳のときに離婚 ハナさんが離婚したのは、メイちゃんが2歳のとき。メイちゃんに、パパの記憶はないそうです。離婚後に、元旦那さんはうつ病で他界しました。 お金はすべて元夫が管理、厳しい倹約生活結婚前の元旦那さんは、穏やかで誠実。「真面目」という言葉がぴったりの人だったそう。金銭面も倹約家で、コツコツと貯金するタイプだったそうです。 対して、ハナさんはどちらかというとズボラで面倒くさがり。金銭面でも計画性のないタイプでした。 2人の夢は「マイホームを建てること」。結婚前から話し合いをして、ハナさんが浪費しないように通帳を元旦那さんに預けていました。結婚後、お金はすべて元旦那さんが管理し、厳しい倹約生活をしていたそうです。 妻が妊娠中、転職を繰り返す元夫結婚してから、約1年でメイちゃんを妊娠。幸せいっぱいと思った矢先、つわりで水すら飲めずに体重が減ってしまい、入院することになりました。ほぼ寝たきりの状態が続いたハナさんは、当時勤めていた会社を退社。 そんな中、元旦那さんが急に転職を繰り返すようになってしまったのです。ハナさんに、事前に相談はありませんでした。何度、相談して欲しいとお願いしても、同じことを繰り返す元旦那さん。 経済的にも不安を抱える中で、無事に出産。産後も体調が優れなかったハナさんは、しばらく育児に専念することになりました。 そんな中、また元旦那さんが突然会社を辞めてしまいます。 出産後、勝手に起業!?ある日、元旦那さんは「起業して店を始める。もう場所は借りている」と言い出しました。びっくりして固まるハナさん。当時のハナさんは、妊娠中からの体調不良に加えて、娘さんが早産&未熟児だったため、毎日NICUに通っていました。 娘さんが退院してからも、夜泣きや慣れない育児でノイローゼ気味に……。自分が1日を無事に過ごすのがやっとの状態で、夫のことは何も考えられない状況だったそう。 元夫がうつ病に……お店を始めた当初は、ハナさんもビラを配るなどできる範囲で手伝いました。その後、お店が繁盛しはじめ、ハナさんの体力も少しずつ回復。順調だと思った矢先、元旦那さんがうつ病を発症したのです。 元旦那さんは、自営業の重圧や先の見えない不安にかられて「なんで会社を辞めてしまったのだろう」と頭を抱え、悩むようになりました。情緒不安定になり、夜は眠れず、食欲は減り「何もかも怖い。消えてしまいたい」と、泣きながらつぶやくようになりました。 ハナさんは、嫌がる元旦那さんを無理やり病院へ連れて行くと、症状が重く、そのまま緊急入院となりました。 高額セミナーに生活費をつぎ込んでいたことが発覚元旦那さんの入院中に、ワンオペ育児、片道1時間かけてのお見舞い、お店を畳む準備をするハナさん。当時2歳になったメイちゃんと税理士事務所へ手続きに行くなど、毎日大変でした。 しんどい日々を送る中で、元旦那さんのパソコンのメールや書類、すべての通帳をチェックしていると、とんでもないものを発見! 元旦那さんは、ハナさんに内緒で高額な起業セミナーに通っていたことが発覚したのです! 総額で、車を1台買えるくらいの金額をつぎ込んでいました。 ジュース1本を自動販売機で買うことすらためらうような夫が、こんな高額セミナーに!? 衝撃事実を知り、冷や汗をかきながら、急いで解約。元旦那さんにお金の管理を完全に任せていたことを反省しつつ、趣味やささやかな娯楽まで我慢して、マイホームやメイちゃんのために貯めていたお金をこんなことに使ったの? と、怒りがわいてきました。 この一件で、元旦那さんに対する気持ちが、急激に冷めてしまったハナさん。しばらくして、元旦那さんは退院しましたが、退院後も体調が優れなかったため、お互い自分の実家で暮らすことに。 怒涛の店じまいもひと段落したため、ハナさんは就職活動を始めました。 義両親からの衝撃的な言葉 それから、程なくして元旦那さんの実家へ行き、離婚の話をしました。義父母は「息子を捨てるのか」と言わんばかりにハナさんを叱責したそう。ハナさんは「もう夫を信頼することはできない」と正直に話しました。 メイちゃんもまだ小さく手がかかる時期で、元旦那さんの面倒を見ながら、ハナさんがひとりで家計を支えていける状態ではありませんでした。 「養育費は元気になって働けるようになってから、少しずつ支払ってくれたら良い」と、伝えると、義父母はとんでもないことを言い出します。 「養育費なんて払う必要はない。ひとり親になれば手当も出るだろう。子どもは女の子なんだから大学に行く必要もない。そんなにお金もいらないはずだ」 信じがたい考えと言葉に衝撃を受けたハナさん。その後もいろいろ言われたものの、なんとか離婚が成立しました。 元夫が他界したと知り……ハナさんは、就職先とメイちゃんの保育園が決まり、実家で暮らしながら忙しい日々を過ごしていました。メイちゃんのことで元旦那さんに連絡をしましたが、連絡は繋がらず音信不通。 離婚してから半年以上たったころ、共通の知人から元旦那さんが1カ月前に亡くなったことを知ったハナさん。義父母からは、何の連絡もなかったそうです。 元夫の他界を知り、自分を責めて泣き明かしたハナさん。お姉さんに電話すると、すぐに駆けつけて抱きしめてくれました。 このころから、実家で両親と折り合いが悪くなったハナさんは、お姉さんに相談すると「うちにおいで。一緒にメイちゃんを育てよう」と言ってくれてたそう。そして、3人での生活が始りました。 今思うことハナさんは、いまだに「あのときこうすればよかった」という後悔があるそう。 「ただ、当時は自分なりに精いっぱい過ごしていました。自分の行動や選択が正しかったとは思いません。でも、どんなに悔やんでも過去は変えることができません。目の前のことに向き合って、少しずつ進んで行くしかないのかなと思います」と、語っています。 離婚、元夫の他界、義父母の理解しがたい対応……これまでたくさんつらいことがあったハナさんですが、素敵なお姉さんがいてくれてよかったですね。子育てを一緒にしてくれる人がいるだけで、すごくありがたいと思います。 この動画には、励ましのコメントや、同じような境遇の方から「勇気づけられました」とのコメントが多数寄せられていました。 ハナさん・お姉さん・メイちゃんの3人が出演するYouTubeチャンネル「なないろfamily」では、和やかな日常の動画がメインで投稿されています。こちらも合わせてチェックしてみてくださいね。 著者:ライター 廣瀬尚子
2024年05月03日私は5歳の娘と夫と暮らす兼業主婦です。フルタイムで働いていて、家事や育児に追われる毎日です。しかし、夫は「家事や育児は妻の仕事だ!」と言いはり家では何もせず、私の努力に感謝の言葉ひとつありません。 手作りのお弁当に文句ばかり昼食は絶対に手作り弁当が食べたいという夫。私がお弁当に前日のおかずを入れると、「残り物なんて入れるなよ! 全部イチから作れ!」と怒鳴ってきます。 さらに、「俺の母さんはもっとうまい料理を作ってたからな」と義母と比較して文句を言うので、頭にきていました。 結婚前に義母の手料理を食べたことがありますが、その料理は私にはとても食べられないほど味が濃いものでしたが、夫は義母を見習えと言うので困ります。 限界を迎えたある日私が冷凍食品を弁当に入れた日は、家に帰って来た途端「全部手作りにしろって言っただろ!」と激怒していました。 「母さんはあんなマズイおかず入れたことない! いい加減、母さんを見習えよな!」と言われ続け、私は我慢の限界に達しました。 「それなら自分で作ったら? 1時間早く起きたらできるんじゃないの?」と提案すると、「俺は男だぞ! 台所になんて立てるかよ!」とふて寝してしまいました。 この時、私はとっておきの方法を思いつきました。 義母の手料理と衝撃の真実ある日、会社から帰宅した夫は開口一番「今日の弁当、なにあれ。マズすぎ。さすがに一口でお手上げ。即捨てたわ~」「あんな激マズ料理しか作れないなんて、人間として終わってるわ」と非難する夫に、私はスマホを差し出しました。 実は、夫が義母の料理を褒めるので、私は義母に連絡を取り、今日のお弁当を義母に作ってもらっていたのです。 そして、夫の今の発言はすべて電話が繋がっていた義母に聞かれていました。きっと私の薄味に慣れていた夫は、以前はおいしいと感じていた義母の料理を受け入れられなくなっていたのでしょう。 母親に見捨てられた夫夫の発言を聞いた義母は激怒し、「いつもお弁当を作ってもらってるくせに、毎日そんなひどい文句を言っているの!? ありえない! 一生懸命作ったお弁当を捨てるような息子に、二度と手作り料理は食べさせるか! もう二度とうちに来るな!」と絶縁を宣言しました。大好きな母親に絶縁され、ショックをうける夫……。 そんな夫へ、私も「育児も家事もしない父親は、うちに必要ないんだよね。それに料理もできないくせに文句ばかり言って……。そんなにお義母さんが好きなら実家へどうぞ? あっ、今絶縁されたっけ。私たちと家族でいたいなら、あなたもちゃんと家のこと分担してくれる?」と言いました。 実母に絶縁された直後、妻子まで失うことを恐れた夫は、しぶしぶ家事分担を承諾。私が作成した家事分担表どおり、朝保育園に娘を送ったり、休日に家事をやってくれるようになりました。 「自分の弁当は自分で作る」というルールにしたところ、弁当作りの大変さを思い知り、「早起きも、朝からおかずを何品も作るのも、すごく大変なんだな……今までごめんな」と謝ってくれました。 離婚という最後の切り札を言い渡されて、ようやく父親らしくなってきた夫。これまでの仕打ちは心から消えることはありませんが、夫の変化を見守りつつ、家族で平穏に暮らしていければと思っています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月03日私は30歳の専業主婦。大企業に勤める夫と暮らしていました。先日義父が亡くなり、義母と同居するようになってから、憂鬱な毎日がスタートして……。同居して判明した義母の正体真面目で大人しい人だと思っていた義母と同居すると、掃除も料理もしない人だと判明。これまでは義父に怒られるのが怖くて、きちんとした生活を送っていたよう。 しかも、私の部屋に勝手に入って、化粧品やバッグ、靴下までも勝手に使ってしまうことも。何度言っても言うことを聞いてくれません。 夫に相談しても「俺が注意すんの? 面倒くさいこと、苦手なんだよなぁ。嫁姑問題に俺を巻き込まないでくれる?」と話しをろくに聞かずに寝てしまう始末。その上、「お前はいいよな、毎日楽そうで! 俺なんか上司にペコペコする日々を送っているのに!」と仕事のストレスをぶつけてくるようになってきました。妻の我慢が限界にある日、買い物から帰って玄関をあけると、大事にしまっていた私のドレスを、義母が無理矢理着ようとしているではありませんか! 注意しても、義母はまったく反省する様子がありません。 我慢の限界に達した私は、「お義母さんともう同居したくない! お義母さんがうちから出て行かないなら、離婚して出ていく!」と夫に宣言。体裁を気にする夫は大慌て! 義母に毎月仕送りをする代わりに、同居を解消することになりました。 仕送りしているはずが、振り込まれていない!?数カ月後、夫が「母さんがお前から一度も仕送りされたことがないって泣きながら俺に電話してきたんだよ! どういうことだ!」と私に説教をしてきました。しかし、私は毎月きっちり振り込んでいます。 私は義母がお金を使い込んでいると予想し、探偵に身辺調査を依頼しました。すると驚くべき事実が発覚したのです。 義母の嘘が明るみに私は夫と義母の家に行き、「お義母さんはね、仕送りしたお金で、パチンコに行っているのよ。」と夫に真実を告げます。体裁ばかりを気にしてオロオロする夫に離婚届を突き付け、義母とも絶縁宣言をしました。 2人は泣きながら謝罪してきましたが、もう後の祭りです。親子だからって甘えすぎるのはダメ。家族だからこそ、時には相手の成長を願い、厳しく接することも重要ですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月03日マキノさんは長女が1歳9カ月のとき、めでたく第2子を妊娠。妊娠中でありながらも、平日はほぼワンオペ育児をおこない、毎日がつわりとの闘いでした。娘を育児しながらの生活の妊娠生活は想像以上に大変で、抱っこをせがまれればその都度応じていたマキノさん。しかし、ある日突然不正出血が……! 次の日に病院を受診すると異常はなかったものの、医師から「娘の抱っこは控えるように」と指摘されてしまいます。その言葉を真摯に受け止め、安静にした生活を送っていると次第に出血は治まったのでした。それから月日は流れ、妊娠7カ月を迎えます。そのころになると、マキノさんのおなかは大きくなっていました。おなかが出てきたせいで、娘の育児がしにくくなってしまったのを実家の母親に伝えると、「里帰り出産する時期を早めたらどうか」と提案されたマキノさん。 夫に相談すると里帰りを早めることに賛成してくれたため、当初の予定より少し早めの8月末ごろ、マキノさんは娘と一緒に帰省したのですが……? 実家最高と思っていたママ。しかし、1カ月が経つと… 最初のうちは「実家最高!!」と思っていたマキノさん。 しかし、時間が経つにつれ、「早く産んで家に帰りたい」と思うように……。 その理由は、家族がいることで娘の躾や自分の生活ペースを乱されてしまったからでした。 そして、家族それぞれも次第にストレスを感じ始めていったのです。 さらに、実家のお風呂は別棟にあったため、お風呂場は極寒! 出産予定日が11月というのを考えると、出産を終えたらすぐ帰るのが賢明だと判断するのでした。 ワンオペ育児を早めるのを覚悟で、「出産後はすぐ家に帰る」という選択したマキノさん。今までそれぞれのペースで生活をしていたわけなので、急にそれが変わってしまうというのは、お互いしんどいものがあったではないでしょうか。何を優先したいのかその順位は人それぞれだと思いますが、自分にとって精神的負担が少ない選択をしたいものですね。 著者:マンガ家・イラストレーター マキノ食べることが大好きな元気な姉弟、くうちゃん、へうくんの母親。真面目で優しいパパと、二人の子どもたちとの4人暮らしです。SNSで、日常の笑ったこと、泣いたこと、感じた事など、絵にしています。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月03日私の母は長男である父の家に嫁いで30数年、姑との同居を続けています。家庭を守るタイプの祖母と、いわゆるワーママタイプの母。そんな2人の反りはなかなか合わず、長年犬猿の仲です。私も物心ついたころから、度々母が口にする祖母の愚痴を聞きながら育ちました。「長男の嫁が墓守するなんて、一体いつの時代よ!」 母を通して語られる「姑」はいくつになっても厄介な存在で……。 義母のお墓に対する考え方とは 帰省時は義母の手料理を褒めたり、贈り物をしたり、義母に気に入られようとしていた私。結婚当初から孫を楽しみにしていた義両親からの「赤ちゃんはどうなの?」という質問に、放っておいてほしいと思いながらも、愛想笑いで対応することもありました。ものすごく不快感を抱くような出来事はありませんでしたが、母に刷り込まれた「姑=わずらわしい存在」という先入観のせいで、義母の発言にモヤモヤすることも。 お盆を少し過ぎ、久しぶりに義実家に帰省したときのこと。義母に連れられ向かったのは夫のご先祖様が眠るお墓でした。「ここがうちのお墓よ」 とうれしそうに話す義母に「ついに私も墓守をすることになるのか……」と、苦々しい気持ちに。 帰宅後、一息つくと義父が「お母さん、あの話」と切り出します。「ついに墓守の話がきたか……」と身構える私に、義母は「私たち永代供養を頼んできたから」と言うのです。続けて「あなたたちのお墓は、自由にしてね」と言い、びっくりした私は「そうなのですね」と答えるのが精いっぱい。子どもたちに負担をかけないよう、早めに終活を終えている親がいるとは思ってもいませんでした。私の知っている「姑像」をいとも簡単に壊してくれた義母。「姑」というフィルターで勝手に毛嫌いしてしまっていたことを反省し、今も良好な関係を築いています。 作画/mosu 著者:斎藤アキ
2024年05月03日生理中は、なんとなく生理中であることを周りに知られたくない気持ちになる私。そんな私が「私は生理中です!」と名札を貼って歩いたような出来事を起こしてしまいました。私にとって、かなりショックだった失敗談です。 私はびっくりして、すぐに確認すると、おしりの真ん中辺りが10センチ四方くらいの大きさで真っ赤に……! 私はすぐ近くのトイレに駆け込み、ナプキンを替えましたが、スカートの汚れは取れず、仕方なくカバンでおしりを隠しながら帰宅しました。 経血が漏れてしまった原因は、きっと椅子に浅く腰かけて、背もたれにもたれかかるような姿勢でパソコン作業を続けたからだと思います。私は、このことをがあってから、ナプキンはこまめに取替えないといけないなと改めて思ったのと、姿勢が悪いということは本当にいいことないなと感じました。あと、経血量が多い日は、オシャレしたくても、薄い色の服は極力避けようと思いました。原案/山田小春さん作画/まっふ監修/助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダー、ムーンカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター 漫画家 まっふ
2024年05月03日息子は義実家にとって初孫で、義父も義母も息子の誕生をとても喜んでくれました。初節句が近づき、義母から「息子(私の夫)の五月人形を譲りたい」という申し出が。いったんはその申し出を受け入れてしまった私の後悔と、そこで学んだことをお伝えします。初節句が近づき、義母からの提案息子の初節句が近づいたころ、私の両親から息子に五月人形を贈りたいと提案がありました。私たち夫婦はその提案をありがたく受けようと思い、念のため夫の両親にもその旨を伝えました。 すると義母から「息子の五月人形をずっと保管しているので、それを譲りたい」と連絡が。せっかくの申し出でしたが、夫の実家はお世辞にもきれいとは言えず、物が多く散らばっている印象……。夫の初節句の人形なら30年以上も前の物なので、嫌な予感がした私は夫に実家に帰って実際の人形を確認してもらうことにしました。 夫曰く、「たしかに古いけれど、目立つ汚れもなく状態はよかったよ」と。それであればと私の両親からの提案は断り、夫の五月人形を譲っていただくことにしました。 汚れが目立ち、壊れている五月人形数日後、五月人形を持って実家から帰宅した夫。夫が出した人形を見ると、明らかに人形は劣化して汚れが目立ち、付属品は壊れている物もあったのです。その人形の状態を見た私は思わず絶句……。わざわざ確認に行った夫にも、この状態の人形を譲りたいと言った義母にも怒りに似た感情がわいてきました。 そうは言っても、もういただいてしまったもの。でもこの人形をせっかくの息子の初節句に飾るなんて嫌! そう思った私はすぐにネットで調べ、こどもの日に間に合うタイミングまでに五月人形のクリーニングと修理をしてくれるところを探しました。見つけた業者にすぐ依頼し、子どもの日の3日前に壊れた部品の交換とクリーニングを終えた人形が無事に帰ってきました。 人形をしまうとき、さらなる追い打ちが……戻ってきた五月人形は年月が経っているため劣化はあるものの、夫が持ち帰ってきたときよりはだいぶマシな状態に。初節句のお祝いも無事に終え、せっかくいただいた物だし来年からもちゃんと飾ろう、と考えていた私。しかし、人形をしまうときにまた私は絶句するのです……。 夫が持ち帰ってきたときは夫が箱から出したため気がつかなかったのですが、保管されていた箱がカビだらけ!! 何か鼻をつくような臭いもします。こんな状態の箱に入っていたら、人形の内部もカビているかもしれません。この人形をこれからずっと息子の節句に飾ると思うと、悲しい気持ちになりました。 夫にキレてしまった私そして私は夫にブチ切れ! なぜ箱がこんな状態なのに気がつかないのか、そもそも人形自体、劣化も汚れも、壊れている部分もあったのに、と。こんな物をこれから先ずっと飾るなんて到底無理だと伝えました。 私の怒りと箱の状態を目の当たりにし、夫もようやく事の重大さに気がついたようでした。「自分の初節句に母方のおばあちゃんが買ってくれたものだから、断りにくさもあった。汚れや壊れているのに気がつかなかったのも悪かった。たしかにこの状態はひどいと思う」と認めてくれ、夫と話し合った結果、五月人形は夫の実家に返すことになったのです。 結局翌年、息子の2回目の節句に五月人形を買うことにしました。私たち家族と私の両親で選び、良いものが購入できて大満足! 今回のことで夫の実家からは基本的に何かをいただくのはやめたいと夫に話しました。もしも何かいただくときは、必ず私も実物を見て確認することに。五月人形に関しては、夫がきちんと確認せずに大丈夫と言ってしまったこともあり、義母も悪気があったわけではないと思いますが、価値観の違いを感じた一件です。 著者:林 ゆり2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2024年05月03日イヤイヤ期真っ最中の娘を育てながら、正社員として働くりささんは、現在第2子を妊娠中。平日は働きながらワンオペ育児でヘトヘト……。そして、妊娠4カ月を迎え会社の上司に報告をしたところ、参加していたプロジェクトのメンバーからも外されてしまいました。さらに休日は義実家で家事を押し付けられ、まったく休む暇がありませんでした。自由気ままに過ごす夫が羨やましく思えて、つい夫に「入れ替わりたい」と非現実的なことを言った、その瞬間。なんと本当に入れ替わってしまい、夫はりささんとして過ごすことに。夫は覚悟を決めたものの、ひどいつわりに耐えながらの家事や育児は想像以上に大変。しかし、娘と向き合ってみて初めて気付くことも多く、すこしずつママとしての生活も楽しめるようになってきて……。ある日、夫が娘と歩いていると、とある女性から声をかけられました。どうやらりささんのママ友のようで、別のママ友の家へ行くお誘いの返事がないから、心配していたと言われます。 慣れない場に気が進まなかったものの、りささんのためだと思い参加した夫でしたが、ちょっとした失言をしてしまい……。娘がかわいそう? ママ友会は、いつの間にか子どもの教育についての話で盛り上がり始めました。そこでは「保育園に預けるなんてありえない」「習い事をさせていないなんてかわいそう」と、まるで娘・ひまりのことを否定する発言が飛び交います。 そして1人のママから「ママがしっかりしないと、娘ちゃんがかわいそうよ」と言われ、りささんがどんなに一生懸命娘を育てているかも知らず、なぜこんなことを言われなければいけないのかと思った夫。 入れ替わったことで見えてきた部分もあり、今ではりささんが仕事も子育ても十分すぎるくらい頑張っていることを理解していた夫は、我慢の限界……。思わず「それって、個人的な感想ですよね?」と切り込んでしまいました。 年齢の近い子どもを育てるママが集まる場なので、子どもの教育についての話になるのはごく自然なことだと思います。ただ、それぞれ違う環境であることを配慮して発言するようにしないと、自分ではそんなつもりがなくても、誰かに不快な思いをさせてしまうかもしれません。ママ友との付き合いは、楽しくもあり難しくもありますね。みなさんはママ友とお話をする際、気をつけていることはありますか? >>次の話 著者:マンガ家・イラストレーター しろいぬしろ 著者:原作者 中澤夕美恵
2024年05月02日亮太さんは妻の麻耶さん、4歳の息子・和馬君の3人家族。亮太さんは、麻耶さんに対して不満があり、会社で寝泊まりして1週間になります。亮太さんが家を出ることになった理由とは……?何を伝えてもいつも屁理屈ばかりの麻耶さんに、亮太さんはいつしか「話し合うだけ無駄」と考えるように。しかも、麻耶さんは毎日のように浮気ともとれるような電話のやり取りをしている様子……。ある日、和馬君を保育園に迎えに行って帰宅した麻耶さんは、いつものようにイヤホンで電話を始めます。しかし電話に夢中の麻耶さんは、和馬君が家の中からいなくなったことに気付きません。そんな矢先、体調不良で早退した亮太さんは、和馬君の姿が見えないことを麻耶さんに問いただします。どこにも和馬君がいない状況に、いよいよ2人が焦り始めたタイミングで、隣人の山田さんが「家の前でうろうろしていた」という和馬君を送り届けてくれました。そして、この事件がきっかけで、とうとう武器を持ちだした本気の夫婦喧嘩が勃発してしまったのです! 野球のバットで麻耶さんに力いっぱい腰を殴られてしまった亮太さんは、ついにぶちギレ! 「そんなに不満なら出てけよ。」と、とうとう離婚話にまで発展してしまいます。 2人の喧嘩はどんどんエスカレートしていき…? 麻耶さんの、日ごろの自分に対する言動に不満を感じていた亮太さんは、ついにその思いが爆発! 「やさしく言ってるうちに出ていけ。」「出ていかないのなら携帯代も食費もお前が出せ。」 と、一気に麻耶さんを責め立てます。 しかし、麻耶さんに出ていく意思はなく、いつまでも2人の話し合いは平行線のまま。 結局、最終的に両親を見かねた和馬君が2人の間に入るまで、夫婦の激しい言い争いは止まらないのでした。 たしかに、毎日一生懸命家族のために働いている亮太さんの気持ちを考えると、浮気と思われる行動をとったり夫を殴ったり、麻耶さんの仕打ちはあんまりかもしれませんね。 亮太さんが「修復の仕方がわからない。」と言うのも、仕方がないことのように思えます。 しかし、夫婦とはいえ元は他人同士なので、相手の気持ちが理解できなかったり価値観が合わなったりするのも当然のこと。 意見がぶつかったときは、お互いが歩み寄るほかありません。 まず2人には、一旦子どもの前であることを再認識してもらい、冷静になった状態で改めて折り合いをつけてもらいたいものですね。 >>次の話 著者:マンガ家・イラストレーター くろねこ
2024年05月02日2児のママ・モグさんの夫・マロくんは、イケメンですがモラハラ気質を持っています。ある日の夕食後、パパは娘・ハナちゃんの熱に気が付きました。しかしパパは他人事。ゲームを優先し、病院への送迎も、長男・タロくんの面倒を見ることも拒否し、さらには、お酒とおつまみの買い出しまで頼んできたのです。しかし体調不良の子どもを連れた夜間診療の帰り道、買い出しなどできるわけがありません。 それでもパパは「家事を後回しにして今すぐ買い物に行け!」と大声を出しました。モグさんが注意して断っても、パパはわがままを通そうとしてーー。自分の要求を通したい夫は… 子どもが寝ている家の中で大きな声を出してほしくありません。パパは「静かにするから買い物に行けと」まるで脅迫のような口ぶり……。 結局モグさんが折れ、お望み通りコンビニに行くことにしました。 それなのにパパは、お礼を言うこともなく「やって当たり前」と言わんばかりに袋を奪い取ったのでした。 夫婦は対等な関係のはずなのにこんな扱いを受けるなんて、信じられませんね。また、寝かしつけたとは言え、体調が急変する可能性もゼロではないので、ハナちゃんを残して出かけるのも不安です。 ゲームをする暇があるのなら、パパには自分で買い物に行ってほしいですよね。 著者:マンガ家・イラストレーター モグ
2024年05月02日トイレで出した物を毎回報告してくれる3歳の息子。健康観察のためになるのでいいなと思っていたのですが、このことがきっかけで幼稚園のお迎え時に恥ずかしい展開に!?そんなこと言わないでー!息子が4歳のころのお話です。そのころわが家では、トイレで大きい方をしたとき健康観察のために「出たものをママに見せてね」と教えていました。息子は私のお願いをよく聞いてくれて、その都度教えてくれるように。その度に「今日も立派なのが出たね! バイバイ!」という声かけをして流していました。 そんなある日、幼稚園のお迎えに行くと先生が「今日は園で立派なのが出たみたいですよ」と報告してくれたのですが、その話を聞いていた息子がなんと「朝ママがしたのと同じくらい立派だったよ!」と大声で言ったのです! その日の朝は、私がトイレに入っていたときに息子がトイレの外から、「ママ、立派なの出た? 僕が見るから、一緒にバイバイしよう」というやりとりがありました。周りには他のママさんもいたので、とても恥ずかしかったです。 そのときは恥ずかしさでいっぱいでそそくさと帰宅しましたが、あとで園長先生からは「お子さんとコミュニケーションがしっかりと取れていていいですね」と言ってもらえたので、救われました。チェックする習慣のおかげで、息子が成長した今は自分で状態を確認し、食事などに気をつけてくれるようになったので、よかったです。 作画/森田家著者:大谷 祥子
2024年05月02日2010年ごろに受けた人間ドックで、3cmほどの子宮筋腫が3つ見つかった猫野サラさん。6〜7年ほど治療をせずに放置した結果、筋腫はグレープフルーツよりも大きいサイズに肥大してしまいました。総合病院に転院してMRIを撮ったあと、手術が得意だという井上先生(仮名)から「筋腫を取っちゃいましょう」と告げられて……?主治医の井上先生(仮名)から手術をすすめられ、今後を考えて子宮を全摘出することにした猫野サラさん。入院期間は10日前後になるとのことで、手術はGWに合わせておこなうことに。入院前検査を終えた猫野サラさんは自宅のネコたちに別れを告げ、いよいよ入院生活に移ります。 16.入院受付 入院や手術に必要な物をリストアップし、準備万全で入院初日を迎えた猫野サラさん。自宅にいる愛猫たちに別れを告げ、いよいよ病院へと向かいます。 受付を済ませると、看護師さんから「7階へどうぞ」と案内されました。 17.個室へ 入院初日(手術前日)から手術翌日までは、4人部屋ではなく個室を予約していた猫野サラさん。あとから夫が荷物を持ってきてくれ、初日は荷ほどきや手術の準備をしながら、ゆっくり過ごすことに。 そんなとき、「2週間ほど入院する」と言っていたお母さんから突然「退院しました!」との連絡が。まさかの1週間前倒しでの退院に、猫野サラさんは思わずびっくりしたそうです。 18.母の愛 まだまだ病み上がりなのに「明日会いに行きます」と言い出したお母さん。なんと、もう新幹線のチケットを買ってしまったとのこと。なかなかにパワフルで行動力のあるお母さんですね。いくつになっても、わが子はかわいいものなのかもしれません。そんなお母さんの気持ちを汲んで、夫は「お義母さんを車で迎えに行くよ」と提案してくれました。 夫が帰宅したあと、看護師さんがやってきて「明日の手術のために剃毛をさせてほしい」と声をかけてきました。 19.剃毛・手術セット ※水差し…水飲み・吸い飲みとも呼ばれます※受け皿…医療現場ではガーグルベースンと呼ばれています 今回、猫野サラさんが受けるのは、へそ下から恥骨までを縦に切る「下腹部正中切開」という開腹術。そのため、おへその下から恥骨の上までの剃毛が必要になるようです。 看護師さんから「おへそがきれいですね」と褒められた猫野サラさん。実は他の方の体験談ブログを読んで、前もって自宅でおへその掃除をしていたのだとか。たしかに、もしおへその中がかなり汚れていたら、看護師さんに掃除されるのはちょっと恥ずかしいかもしれませんね。 20.麻酔の説明 その後、猫野サラさんは看護師さんから「手術は明日の午後1時からです」との説明を受け、病院からのアンケートを受け取ります。 少し経ってから麻酔科の担当医が現れましたが、猫野サラさんいわく、彼はとてもイケメンでさわやかな印象だったとのこと。紙芝居形式で、手術開始とともにまずは硬膜外麻酔を投与し、全身麻酔をかけながら手術をおこない、術後は再び硬膜外麻酔に切り替わる旨を説明してくれたそうです。 硬膜外麻酔のメリットは、術中から術後まで持続して鎮痛剤の投与が可能(持続注入法と呼ばれます)なことと、カテーテルの先端の位置によって麻酔を効かせる範囲を限定できる点、そして意識を保ちながら鎮痛を図れる点だと言われています。 猫野サラさんのような、子宮筋腫による子宮全摘術のケースに限らず、術後痛が強く予想される開胸手術や開腹手術、下肢の人工関節置換術などで、持続注入法が選択されます。また、硬膜外無痛分娩や、帝王切開術で脊髄くも膜下麻酔と併用することも。つまり、硬膜外麻酔とは、今回のような腹部の手術以外にも、開胸手術や無痛分娩でも用いられる方法です。 紙芝居形式だとイラスト付きで説明してもらえるので、硬膜外麻酔をどこに打つかなど、イメージがしやすそうですよね。今回、人生で初めて手術を受けることとなった猫野サラさんですが、麻酔科の先生の説明を受けて「全面的にお任せします」と納得できたそうです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダー、ムーンカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター 猫野サラ
2024年05月02日3歳の息子は、保育園の運動会で披露するお遊戯を自宅でもノリノリで練習中。私は息子が一生懸命踊るお遊戯をいい場所で見ようと、事前に息子の立ち位置を確認していました。しかし、運動会当日、まさかの事態に……!? 事前にばっちり準備したはずだったのに…息子が家でも一生懸命練習していたお遊戯を、何としてもいい場所で見たい私。保育園の先生から事前に息子の立ち位置を聞いて、カメラも用意して準備万端。そして迎えた運動会当日。息子のお遊戯が始まります。事前に担任の先生からどのあたりに息子が立つか聞いていたので、息子の姿がバッチリ見える位置を確保できたとガッツポーズ! しかし、まさかの角度が悪くて後ろ姿しか見えない状況に……。移動しようと思いましたが人が多くて難しく、そうこうしている間に息子は他の子と重なってさらに見えなくなっていきました……。 帰宅後、なんとか撮った写真や映像を仕事で来られなかった夫に見せると、やはり「え? これじゃ、息子のお顔が見えないよ……」と悲しそうな顔をします。後日、同じクラスのママ友に相談してみると、そのママ友が撮った動画に息子が踊る様子が映っており、データをもらえることに。息子はその動画を見て「ぼく、これ?」と照れながらも誇らしげです。夫も「よかった~! ありがとう!」と喜んでくれました。 「立つ位置さえ分かっていればどの方角から見ても息子の顔が見えるだろう」という勝手な思い込みが招いたこの失敗。初めてのことは入念に確認しないといけないな……と反省しました。来年の運動会は、しっかり正面から息子の晴れ舞台を楽しみたいです。 作画/yoichigo著者:佐々木りか
2024年05月02日当時、小学5年生だった私が初潮を迎えたとき、両親には感慨深いものがあったようです。とはいえ、男性である父親は娘の気持ちがよくわかっていないようで……。デリカシーのない父親に腹が立って仕方なかった思い出をお話しします。 大人になったお祝いをしていたら…私が初潮を迎えたのは小学5年生のときでした。授業で生理のことを学んではいましたが、いざ生理が始まると戸惑いのほうが大きかったです。母親に生理になったことを報告すると、サニタリーショーツとナプキンを出してくれました。そろそろではないかと用意してくれていたようです。初めて使うサニタリーショーツにドキドキしたのを覚えています。 その日の夕食は、母親がお赤飯を炊いてお祝いしてくれました。父親に知られるのは恥ずかしかったのですが、「大人になったな」と言われてちょっとうれしかったです。そのとき、たまたま父親の友人家族が遊びにきました。 すると、父親がいきなり「娘が生理になったお祝いをしていたんだ」と言い出したのです! 知られたくなかったのに!父親によって、私が初潮を迎えたことが赤の他人に知られてしまいました。そのときの私は、恥ずかしくて恥ずかしくて顔を上げられなかったです。 父の友人にも「おめでとう」と言ってもらいましたが、まったくうれしくありません。何が恥ずかしいのか自分でもわからなかったのですが、生理を迎えたことを、とにかく家族以外の人に知られたくなかったのです。 その夜、私は布団を被って泣きました。自分の大切な部分を勝手に晒されたような気がして、とにかく悲しかったのです。 後日、父親は私に謝ってくれました。父親いわく、うれしくてつい話してしまったそうです。ですが、年頃の娘にとっては深く傷つく出来事でした。しばらくは父親と口を聞くのも嫌だったほどです。この一件で、親子といえど多少の気づかいは必要だと思うようになりました。 著者/村井貴子作画/モリナガアメ 監修/助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダー、ムーンカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター モリナガアメ
2024年05月02日学生時代に親友に彼氏を奪われた私。それから3年後、元カレと親友の結婚式の招待状が届いたのです……。当時、同じ高校のよしみもあり、同じ大学に入ったことをきっかけに付き合うことになった私と彼。しかし、大学時代にできた親友に、その彼を奪われてしまいました。ミスターキャンパスの彼と、ミスキャンパスの親友。傍目から見たらお似合いのカップルです。 親友は略奪後、彼に近づくために私と仲良くしていたと暴露してきました。さらには「今後私の彼に近づいたら容赦なくあんたの悪い噂流すから」「結婚式には呼んであげるから楽しみにしててね~」と言って私との関わりを絶ったのです。 結婚式の招待状大学を卒業して数年――。 絶縁したと思っていた親友から突然電話がかかってきました。 「どうして学部の同窓会もサークルの集まりにも顔出さないのよー!みんな寂しがってるわよ」と言われたので、私は正直に「仕事が忙しくて……」と答えました。すると、親友は相変わらずの調子で「私と彼の幸せな風景を見るのが辛かったんでしょ?」と煽ってきたのです。 本当に仕事で忙しくしていた私。ちょっとムっとしながらも、「それで、何の用?」と尋ねました。すると、親友は1トーン高い声でこう言ったのです。 「実は、私と彼、結婚することになりましたー!!」 「それはおめでとう」とお祝いを言うと、親友は不満な様子。「『結婚式するの?』とか『プロポーズの言葉は?』とかいろいろ聞きたいことあるでしょ?」と言われましたが、まったく興味が湧きません。 「まぁ、私の幸せな現実を聞いて落ち込むのが嫌だっていうのはよくわかるわ」となぜか勝手に納得している親友。どうやら私にマウントを取るために連絡してきたようです。 「たくさんの人を呼んで大きい式場で結婚式を挙げるから準備が忙しすぎて、私も仕事辞めちゃったし」「彼、就活に大成功して大企業に就職したのよ?しかも上司に気に入られて評価も高いから、私が専業主婦になっても何も問題ないの」 「結婚式も寿退社も良かったわね、おめでとう、それじゃさようなら」と電話を切り上げようとすると、食い気味に「ちょっと待ちなさいよ!」と親友。「招待状を出したいから住所を教えなさい!」と言ってきたのです。 「欠席するからいらないわ」と言っても、「来なさいよ!ご祝儀はいらないから」と聞く耳を持ちません。「お金には困ってないから、あんたごときのちっぽけなご祝儀はいらないし、タダで飲み食いさせてあげるわよ」「サークルの仲間たちも来るし、彼に未練がないならちゃんと出席しなさい!」と親友。 どうにか断れないかとスケジュール帳を確認してみたものの、なぜか親友と元カレの結婚式だけ予定がぽっかり空いていたのでした。 ため息をつく私とは対照的に、ふふんと満足気に鼻を鳴らした親友は、「あんたのために、とっておきの特等席用意してあげるからね♡」と言ってようやく電話を切ってくれました。 特等席はどこ?そして元カレと親友の結婚式当日――。久々に顔を合わせたサークル仲間たちと一緒に会場に入った私。そのタイミングを見計らっていたのか、私の携帯電話に親友から連絡が。 「ごめんね、アンタの席だけ用意するの忘れちゃったw」「祝いに来てくれて悪いけどやっぱ帰ってくれる?w」「大丈夫、式は中止だからw」「え?」 ぽかんとする親友に、私は「新郎からの招待なのに、まさか席がないとはね」と続けました。すると、親友は「何言ってんの?私が招待してあげたんじゃない!」と激昂。 「だって、私、夫と一緒に出席するつもりで来たんだもの」「私の席がないって聞いて、私よりも夫の方が怒っているわ」と言うと、親友は「え?あんた、結婚してんの……?」と驚いた様子でした。 しかし、すぐに我に返ったようで「どうせ地味な式場で地味な式を挙げたんでしょ!」「高級取りの私の夫と違って、どうせ薄給の普通の庶民と結婚したんでしょ?」とマウントを取ることをやめません。 呆れた私は、真実を告げることに。 「何も知らないのね……」「自分の夫が務めている会社の社長のことくらい、把握しておかないと」 元カレを親友に奪われて自暴自棄になった私は、大学在学中に起業。人脈を広げようと参加した経営者のパーティーで、今の夫と知り合いました。 元カレを会社でかわいがって取り立てているのは私の夫だったのです。だからこそ、元彼は「ぜひ奥様といらっしゃってください」と私の夫に招待状を渡したのでしょう。妻が私だとはつゆ知らず。略奪婚の末路親友は自分の招待客のリストしか見ておらず、気付かなかったようなのですが、新郎側のリストには夫の姓となった私の名前がちゃんと記載されていました。もちろん、夫の隣に私の席も用意されていました。 「席がなくておろおろする惨めなあんたが見たかったのに!」と親友。やはり私に恥をかかせるつもりだったようです。 「どうしてそんなことをするの?」と尋ねると、「だってあんた、私が彼を奪った時に泣き叫ばなかったじゃない!」「なんか妙に冷静で!私はあんたが悔しがる姿が見たかったのに!」と親友。 「とりあえず、夫と私は帰らせてもらいます」「このやり取りの一部始終を見ていたサークル仲間たちも一緒に帰るって。友人席はぽっかり空いちゃうけど、仕方ないわよね」「ご招待ありがとう、主賓の夫はいないけど式を楽しんでね!」 その後――。 上司の妻をないがしろにしたことが周囲にバレた親友。元カレも怒って、婚姻届を破り捨てたそうです。 夫やサークル仲間たちと楽しく飲んでいた私のもとに、親友から何度も「友だちなんだから助けてよ!」と連絡が来ましたが、まともに取り合う気はさらさらありませんでした。気に入らないからといって、大勢の前で私に恥をかかせようとした彼女はもう友だちですらありません。 私のサークル仲間たちと夫は意気投合。この一件から定期的にみんなで遊びに行くようになりました。 一方、元カレと親友は破局。元カレは会社で肩身の狭い思いをしており、親友は結婚式の費用やブライダルエステ代の返済に追われているようです。親友や元カレは私たちに合わせる顔がないようで、一切連絡をよこしません。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月02日ひいおばあちゃんと一緒に過ごす赤ちゃんの様子をご紹介! 生後9カ月の男の子は、100歳のひいおばあちゃんが大好き♡100歳差の2人の遊び方生後9カ月の男の子と100歳のひいおばあちゃんひいおばあちゃんとひ孫の年の差はちょうど100歳! 生後9カ月の男の子がひいおばあちゃんのそばに座っています。ひいおばあちゃん、とってもうれしそう♡すると…… 男の子はひいおばあちゃんの指輪が気になったようす。そっとやさしく指輪をなで始めました。 夢中になっている男の子の横顔を、やさしく見守るひいおばあちゃん。 指を軽く動かして、男の子と遊んでくれました。この幸せな時間がずっと続きますように……と願わずにはいられません。 動画のコメント欄には、 「涙が出ちゃった。ひいおばあちゃんがひ孫を見つめる眼差しにやさしさ溢れたよ」「何だこの平和な世界は! ひいおばあさまも赤ちゃんも末長く元気でいてくれ」「人生の重みと、命が繋がっていく尊さを感じます」 など、思わず目頭が熱くなった人がたくさん。 こうして命のバトンは受け継がれていくのですね。ひいおばあちゃんが過ごしてきた時間と赤ちゃんの新しい発見が交差する様子は、私たちの心に強く響きます。ひいおばあちゃんにとってはもちろん、赤ちゃんやご家族にとっても宝物のような時間ですね。 画像提供・協力/@kyoko_koseki.melodyさん
2024年05月02日第1子を出産して3カ月ほど経ったころの話です。慣れない育児の疲労、寝不足に加え、ある日、私は体の関節や骨が痛いなと感じるようになりました。腱鞘炎、腰痛、謎の痛みまず痛くなったのは腕から手首にかけてで、私は慣れない新生児の抱っこ、授乳の姿勢などが原因だと思っていました。湿布やサポーターをしながら姿勢に気をつけることで軽減されましたが、次に襲われたのは腰を中心に背中からの骨の痛みです。 日がたつにつれ全身の骨が痛くなっているように感じ、「ヘルニアとかだったら大変だから病院に行ってみたら?」という夫の言葉もあり、私は整形外科へ向かいました。 レントゲンをひと通り撮ってみた結果整形外科で腰を中心にレントゲンを撮りましたが、特に異常はなし。先生によると、「産後、急に筋肉を使うようになり、無理な姿勢も増え、その結果として痛みが出たのだろう」という診察結果でした。 骨や神経に悪いところは見られないので、病院に通って筋力をつけるようなリハビリをしていくか、もしくは普段の生活で気をつけていくかのどちらかになるとのこと。 ひと安心とはいえショック…骨がきしむような感覚が抜けない中、「異常なし」と言われ安堵しましたが、「運動不足からくるもの」だとわかり脱力……。まだ生後3カ月の息子を長い時間預けながらのリハビリは、授乳時間もあり現実的ではなかったので、私は家で何かできないかと考えました。 育児には筋肉をたくさん使う動きが多いのでは?と思った私。それならと、私は息子を抱っこしながらスクワットしたり、ストレッチをしたりと家の中で育児をしながら軽く運動をするようになりました。 息子を連れて散歩に出かける機会も増え、私も動くようになり、さらに仕事に復帰すると体の痛みはほとんどなくなりました。息子のためにも、これからも少しずつ運動をして、元気な体でいたいと思った出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ななぎ著者:畑野ナツミ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月02日男の子の名前のよみは、「二音ネーム」が大人気! 男女どちらにも名付けられることの多い「ジェンダーレスネーム」や、ラ行で始まる名前が人気です。3月に生まれた3,488名の男の子の名前から、人気の「二音ネーム」よみランキングTOP10を紹介します。1位はる3月生まれの男の子にもっとも多かった二音ネームは「はる」でした。2023年のよみランキングでは13位に入っており、毎年人気の名前です。また、女の子の名付けにも用いられるジェンダーレスネームの一つでもあります。男の子では「晴」「陽」「暖」といった漢字が人気です。 「はる」は「春」を連想させ、2月から4月にかけて特に多く名付けられます。「心温かく、明るい人に育つように」という、親御さんの願いが込められているようです。 1位そら同率で1位にランクインしたのは「そら」。2023年のよみランキングでは7位と人気の高い名前で、こちらも女の子にも名付けられるジェンダーレスネームの一つです。男の子の名付けでは「蒼空」「空」「昊」といった漢字が人気です。 「そら」は頭上に広がる大きな空、美しい空を連想させ、伸びやかな印象を与える名前です。「健康に伸びのびと成長してほしい」という、パパ・ママの願いが感じられます。 1位りくさらに同率で1位に入ったのが「りく」。2023年のよみランキングでは3位と、近年大人気の名前です。主に「陸」「凌久」「理玖」という漢字で名付けられていました。 「りく」は「大陸」を連想させ、広く雄大なイメージや、強い生命力を感じさせます。「広い心を持った男の子に育ってほしい」「スケールの大きな人生を歩んでほしい」といった願いが込められているようです。 4位あお4位にランクインしたのは「あお」。2023年のよみランキングでは12位と近年人気の二音ネームで、こちらもジェンダーレスネームの一つです。男の子では「碧」「蒼」「蒼央」といった漢字が人気です。 「蒼」という漢字は、草木が生い茂る様を表すもの。青々とした草木が茂るイメージは爽やかで、すくすくと健康に育ちそうな名前です。 「碧」は、自然の生み出す美しい青緑色を表す漢字。海が紺碧の輝きを放つように、「美しく輝く人生を歩めるように」という願いが込められていそうです。有名人では、プロサッカー選手の田中碧(たなか あお)選手が活躍しています。 5位なぎ5位には「なぎ」がランクインしました。2023年のよみランキングでは30位に入っており、少しずつ順位を上げている注目の名前です。また、「なぎ」は女の子の名付けでも人気。「凪」「梛」「凪葵」などの漢字で名付けられていました。「凪」という漢字は、風や波が静まる様子を意味します。「穏やかで、落ち着いて行動できる人に。周囲にやすらぎを与えるになってほしい」という想いが感じられます。 6位れん6位は「れん」でした。2023年のよみランキングでは19位と、年々順位を上げています。「蓮」「廉」「漣」といった漢字が人気です。 「れん」という響きは、洗練された印象を与えます。また、「蓮」は泥水の中から育ち、美しい花を咲かせることから、周囲に染まらない清らかさと強さを感じさせます。有名人では人気アイドルグループSnow Manの目黒蓮さんも同じ名前で活躍されています。 7位りつ7位に入ったのは「りつ」。2022年のよみランキングでは39位でしたが、2023年は26位にランクアップ。「律」「律月」「律都」といった漢字で名付けられています。 「律」は、おきてやさだめ、法則に従うことを表す漢字。そのため、まじめでしっかりとした人間性を感じさせます。また、「りつ」という響きはどこか凛々しく知的な印象です。 7位りと同率で「りと」が7位にランクイン。2022年のよみランキングでは35位、2023年は22位で、近年注目の名前です。「莉斗」「理人」「璃斗」といった漢字が人気のよう。 ラ行で始まるみずみずしさと、男の子の名付けで人気の「と止めネーム」の安定感を組み合わせたトレンド感のあるよみとなっており、今後さらに人気が高まりそうです。 9位さく9位にランクインした「さく」は2022年19位、2023年18位と、近年安定した人気を誇る名前。「朔」「朔久」「朔空」といった漢字で実際に名付けられています。 「朔」は、月の最初の日を表す漢字。「始まり」や「新たなスタート」を感じさせます。「さく」というよみも新鮮です。 10位せな二音ネーム10位は「せな」でした。2023年よみランキングでは31位にランクインしています。また、女の子のよみランキングでも34位と上位にランクインしており、ジェンダーレスネームとしても人気です。男の子は「世凪」「世梛」「瀬凪」、女の子には「星那」「世奈」「星奈」といった名前が人気でした。 「さ」行で始まる名前は、爽やかで上品な印象に。さらに「な」で止めることで、やさしく親しみやすい印象も加わります。 3月生まれの男の子に人気の「二音ネーム」ランキングには、「はる」「そら」「あお」「なぎ」「せな」といったジェンダーレスネームが多くランクインしていました。また、「りく」「れん」「りつ」「りと」など、ラ行で始まる名前が上位を占めています。引き続き、ジェンダーレスネーム・ラ行ネームが二音ネームのトレンドのようです。これからの名付けの参考にしてくださいね。 photo:@haru03.22_swh さん(べビカレメイト)<調査概要>調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2024年3月1日(金)〜2024年3月25日(月)調査件数:3,488件(男の子)
2024年05月02日アルツハイマー型認知症になった実母のことや、アラフィフ主婦の日常をあれこれ書き連ねるワフウフさん。自身の体験をマンガにしています。超音波検査を終えた母・あーちゃんと一緒に、早めのランチへ向かったワフウフさん。パンの食べ放題がある、お店に行くことに。すると、あーちゃんはワフウフさんが止めるのも聞かずに、次から次へと甘いパンを食べていました。ここ最近、食欲がない様子を見ていたので、食べてくれるのは素直にうれしいと思いつつ、糖尿病が心配に……。ランチの後、何かを探している様子のあーちゃん。どうやら口紅を探しているようなのですが「口紅ってどんな形だったかしら……」とつぶやいていて、もしかして形の概念が崩れている? と心配になりました。ただ、翌週は表情もスッキリしていて、いつもより素直にワフウフさんの言うことを聞いてくれて、なんだか調子が良さそう。そんなあーちゃんの姿を見て、少し安心したのでした。 毛糸のパンツを披露! 5月だというのに、こんな厚手のハーフコートを着ていたあーちゃん。 「季節に合わせた服装ができなくなる」という認知症の症状なのか、単純に寒いのか……? そして、なぜか見つかったマイナンバーカード。名前も存在も忘れていたはずでは? 先日に続き、調子が良さそうで安心。 この日はワンピースを着てオシャレを楽しんでいました! でも、ワンピースを着て来たばかりに、おなかに注射をする際に愛用の毛糸のパンツを披露することに……(笑)。 超音波検査に続き、胃のバリウム検査に行った日。付き添いは姉でしたが、この日もわりと調子が良さそう。ただ、もう5月だというのに、厚手のハーフコートを着ていて、「認知症が進むと、季節に合わせた服装ができなくなる」という症状に当てはまるのか、それとも単純に寒いと感じているのかはわからず……。そして、なぜかこの日は、存在も名前も忘れていたマイナンバーカードがお財布の中に入っていたそう。いつの間に? 数日後。今度はいつもの診察&注射の日。気になる調子は……なかなか良さそう! しかし、この前受けたバリウム検査が引っ掛かってしまい、胃カメラをすることになてしまいました。さらに、栄養失調気味だということも判明。明らかに調子が悪そうだったここ最近は、本当にろくに食べられていなかったのかもしれません。 この日のあーちゃんはとってもオシャレ。本人は「何十年も着ている」と言うものの、姉も私も初めて見るワンピースを着ていました。オシャレ心が失われていないのはいいこと……ですが、インスリン注射はおなかに打つ注射なので、ワンピースだとあーちゃんが年中愛用している毛糸のパンツを丸出しすることに……。看護師さん、目のやり場に困るだろうな。 --------------温度の感じ方は本当に人それぞれなので、季節外れのコートを着ていても、それが認知症の症状なのかどうか判断するのは難しいですね。でも、一時期はずっと同じ洋服で診察に来ていたことを考えると、オシャレをして来たのは調子が良い証拠かもしれません。この状態が続いてくれることを期待したいですね。 ※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 シニアカレンダー編集部では、自宅介護や老々介護、みとりなど介護に関わる人やシニア世代のお悩みを解決する記事を配信中。介護者やシニア世代の毎日がハッピーになりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター ワフウフ 監修者:医師 医療法人ONEきくち総合診療クリニック理事長・院長 菊池大和先生
2024年05月02日3歳の長男が、就寝前に「耳に入れたよ!」と私に話しかけてきました。私は聞き間違えたかと思い「もう一度、言ってくれる?」「何を入れたの?」と言いました。すると、息子は恐ろしいことを言うのです……。 救急病院に行くしかない!息子は「ビーズ、入れたよ!」と答えました。その言葉に、私は衝撃が走りました。「耳にビーズを入れたの!?」と息子に聞くと、「うん!」と元気よく言うのです。「耳は痛くないの?」と質問すると「うん!」とのこと……。私は夕飯の食器洗いをしていて、息子がおもちゃの車で遊んでいたのは知っていたのですが、まさかビーズを耳に入れていたとは……。 息子の近くで遊んでいた6歳の娘に聞くと、「そんなことしてるなんて全然気づかなかった」と言います。息子に何度聞いても耳にビーズを入れたと答えるので、私は急いで病院に連れて行くことにしました。 不安でいっぱいの病院への道のり時間は20時半。夫は仕事で不在です。近くに頼れる親族や友人もいなかったので、娘を預かってもらえず、娘も連れてタクシーで夜間救急病院へ。救急病院への道中、私は冷や汗が流れていました。 ビーズの大きさは0.5cm程の大きさです。娘が遊んでいた物でケースに入れていましたが、片付け忘れたビーズが部屋に落ちていたのでしょう。私がしっかりとビーズの管理をすべきだったと後悔の念でいっぱいでした。 診察の結果…救急病院では耳鼻科医は不在で、内科医が耳の中を確認してくれましたが、ビーズは見つかりませんでした。ビーズは耳の中に入っていない可能性もあるようで、今晩は様子を見て、翌日に耳鼻科の受診をすすめられました。 その日の夜は息子が心配で、私はほとんど眠れず……。翌日の朝一番で息子を連れて耳鼻科を受診。医師が息子の耳の中を確認しましたが、ビーズは入っていませんでした。 結局、耳の中にビーズは入っておらず安心しましたが、なぜ息子が耳にビーズを入れたと言ったのかはわかりません。それからは小さなおもちゃの管理には充分に注意するようになりました。子どもは何をするか予測がつかないと改めて感じた出来事で、同じことが起きないようにと肝に免じました。 ※子どもの耳に異物が入った場合、ピンセットなどで取り出そうとしないようにしましょう。奥に入ってしまう場合があります。すぐに取れそうな場合は、詰まっているほうの耳を下にして、耳たぶを少し後ろに引っ張って頭の反対側を軽くたたいてみましょう。すぐに取れない場合や気になる症状がある場合は耳鼻科を受診しましょう。※家の中には子どもが誤って飲んだり食べたりするかもしれない、危険な物がたくさんあります。また、直径39mm以下の物は子どもの口に入るため、誤飲の原因に。触られて困る物は高いところに置く、ボタンや硬貨・電池など口に入りやすい物を出したままにしないなど、整理整頓とこまめな掃除で誤飲を防ぎましょう。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:神崎 ハナ2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。育児や健康に関する記事を執筆中のライター。教職員や福祉の資格を持つ。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月02日心臓病を患う弟くんのことをいつも優しく見守ってくれるお兄ちゃん。泣いていた弟くんを見て、お兄ちゃんがとった行動とは...?! 弟のことは僕に任せて!いつもはニコニコ笑顔の弟くんですが、この日は喘息のお薬に苦戦中。 そんな弟の様子が気になっていたお兄ちゃん。ママがお世話をしていると... おもむろに弟くんをお膝に乗せて抱っこしてくれました。 優しく寄り添う姿にキュン♡ そして、「僕にかしてみて」と吸入器を手にし、そっと弟くんのそばへ。特別なことをしているという訳ではなく、当たり前に弟くんに優しく接してくれている姿。 素敵ですね。 弟のことを大事に思う気持ちが伝わってきます。 お兄ちゃんのおかげで落ち着いてきたよ 弟くんもお兄ちゃんに抱っこしてもらって安心できたのか、少し落ち着いてきたようです。 2人の様子はぜひ動画でもご覧下さいね。お兄ちゃんのやさしさが伝わってきますよ。YouTubeでも、「お兄ちゃん優しい」「兄弟仲良しだね」などのコメントがたくさん寄せられていました。 これからも仲良しでいてね♡ 優しくて頼もしいお兄ちゃんの姿に、思わず感動する方もたくさん!弟くんにとってお兄ちゃんは安心できる存在ですね♪ YouTube「ふわりの日常@user-pk5zx8qx7q」では、他にも心温まる素敵な動画がたくさん配信されていますよ。また、心疾患のある弟くんの頑張っている姿や、ママの体験・経験なども発信しています。 ぜひご覧くださいね。 心臓病の弟を支える4歳|ふわりの日常画像提供・協力/ふわりの日常
2024年05月02日娘が生まれて、初めてのお正月のことです。実家にとって初孫だった娘は、親戚中からかわいがられていました。そんな中、いつもやさしい義姉が予定していた帰宅日よりも早くに突然ひとりで帰宅。義姉には不妊治療の悩みがあったことをあとから聞きました。もっと配慮すればよかったなと私が後悔したエピソードです。 初孫がいる初めてのお正月私の娘が生まれて、初めてのお正月の出来事です。実家にとって初孫だった私の娘は、親戚一同の注目の的になっていました。 みんなにちやほやされて、娘はとてもご機嫌。親戚も「小さい子がいると賑やかでいいねー」などと言って、娘の誕生を喜んでくれていました。 私の兄夫婦はまだ子どもがいませんでしたが、義姉はキャリアウーマンだったので、まだ仕事を優先したいのかな? なんて私は思っていました。 突然帰宅してしまった義姉しかし翌日、朝から義姉が「習いごとの予約が取れたから帰ろうかな……」と言い、その日のうちにひとりで帰宅してしまったのです。兄にあとから聞いたのですが、義姉は不妊治療に通っており、なかなか良い結果が出ていない状況だったそうなのです。義姉が不妊で悩んでいるとは知らなかった私。 義姉はやさしい人で、私の娘ともたくさん遊んでくれて、子育ての話も積極的に聞いてくれていました。親戚も不妊のことは知らなかったので、軽い気持ちで「今度は○○(兄夫婦)の家の子だね!」などと言っていました。 親戚も私も悪気はなかったのですが、義姉は内心つらかったのだとあとから気がついたのです。 その後の義姉との関係それからおよそ1年後、兄夫婦は無事に子どもを授かることができました。義姉の子宮にはポリープができていたようで、切除したところすぐに自然妊娠ができたそうです。兄夫婦はやっと授かった赤ちゃんを溺愛しています。 私は写真共有アプリで姪の成長を見ているのですが、兄一家は頻繁に家族でおでかけをしているようです。姪はいつも兄夫婦からたくさん話しかけてもらっていて、きっと兄夫婦のもとに生まれて幸せだろうなぁと感じています。 今では義姉とはお互いの子どもを遊ばせ、子育ての話もたくさんできるようになり、良い関係を築けています。 この出来事で、子どもが欲しくても授かれない人がいることを改めて認識しました。そして、子どもをなかなか授かれない人は、そのことを自分からは話さないだけで、内心とても悩んでいるのかも知れません。子どもがいるとつい子どもの話をしてしまいがちですが、今後はもっと相手のことを考えて付き合っていこうと感じました。 イラストレーター/山口がたこ 著者:本田 ひな2歳女児の母。管理栄養士として保育園に10年勤務した経験と、投資歴13年の経験を生かし、栄養やお金について執筆中。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月02日子育てをしているママにとって、1日はあっという間。子どもが寝たらコレをしよう、明日こそアレをしようと思っても、子どもと一緒に寝てしまったり、予定通りに終わらない家事に追われたりして、気づけば瞬く間に時が過ぎています。自分が休む時間もごくわずか。子どもが複数いると尚更です。そんな毎日に疲れてしまう人もいるでしょう。ベビーカレンダー公式インフルエンサー「ベビカレメイト」のママと開催した座談会でも、ママの“時間のなさ”が話題に。そんな時、6歳と4歳の2児を育てる先輩ママからのアドバイスがありました。下の子が3歳までは辛抱!「子育てがしんどいのは下の子が3歳まで」という先輩ママ。自身の経験を振り返ると、下の子が3歳になったころ「子育てが楽になった」と感じたと話します。 なぜそう感じたのかを尋ねると、3歳を境に子どもが自分のことは自分でできるようになったのだそう。たとえば、お風呂で自分の体を洗う、寝室に行って自分で寝るなど、これまでママが一緒にやっていたことをやらなくなるだけで、急に時間に余裕が生まれます。 しかし、疑問に思うのは「誰もがそうなるのか?」ということ。先輩ママは3歳までの期間、子どもとどのように過ごしたのでしょうか。子育てを楽にする秘訣どうやら、子育てを楽にするためには3歳までの道のりも重要なようです。どんなふうに接していたのか詳しく聞いてみると「当たり前のことを当たり前にやるように教えた」のだそう。 たとえば、物を運ぶのが好きになる時期には、食事の準備として割れない食器を運ばせる、ゴミをゴミ箱に捨てさせるなど、その時々に子どもが興味を持ったことに合わせて、生活の“当たり前”を自然に教えたと話します。未来の自分への投資なるほど! と納得の座談会会場でしたが、そううまくいくのか? という疑問の声も挙がります。 先輩ママ曰く、ポイントは「手を出しすぎないこと」。まだ小さい子どもに教えるとなると、一つひとつに時間がかかるので忍耐は必須です。 大人のマネをしたがる時期が来たら、それはいつか来る “自分の時間が持てる日” への第一歩! 未来の自分を助けるために、グッと堪えて子どもに任せることに徹するといいと話していました。 「3歳になったら楽になる」という体験談。今、子育てがキツいと思うママにとってはまだまだ先に思えるかもしれません。でも、個人差はあれど子どもはいつか大きくなります。それが少しでも早くなるように、できることからやってみるのもいいかもしれませんね。
2024年05月02日私が5歳のとき、母親が再婚。実父のことを何も知らない私は、継父を本当の父のように慕ってきました。私の結婚が決まってからというもの、父は事あるごとに泣いていました。アルバムを見ながらお酒を飲み、涙する父。今からそんな風では、結婚式当日には一体どうなってしまうのでしょう。しかし結婚が決まってから、母の様子がおかしくなりました。妙に婚約者の父親を気に入り、ソワソワしっぱなし……。両家の顔合わせの席でも、私が恥ずかしくなるほどにキラキラした顔で彼の父親を見ていました。様子がおかしい母彼の父親は、ロマンスグレーの髪をした渋い弁護士。イケメン好きの母を興奮させるには、十分過ぎる人です。婚約者の彼は母親を早くに亡くしており、父親はそれ以来ずっと男手ひとつで彼を育てたそう。 母は次第に、父と彼の父親を比較するようになりました。父をさげすむ姿を見ると、胸が痛みます。それでもミーハーな母のことなので、そのうち落ち着いて元に戻るだろうと思っていたのです。 父へのひどい仕打ちいよいよ結婚式当日。私は支度をして、父が会場へ着くのを待ちました。大好きな父と一緒にバージンロードを歩くことを、本当に楽しみにしていました。 それなのに母は、父を家に置いてきました。継父である父がくるべき場所ではないと告げ、来ないようにキツく伝えたのです。20年もの間ともに私を育て、一緒に生きてきた夫に対して、そんなことを言うとは思ってもみませんでした。 後日聞いた話ですが、母は父を目の前にして邪魔だと言ったそうです。これからは自分と彼の父親・婚約者と私の4人で1つの家族になるから、父は必要ないとも……。 彼の父親はそんな素振りを見せないので、おそらく母は私の結婚を機に猛アプローチする気でいるのでしょう。恋多き女だった母も父と再婚して落ち着いたと思っていたのですが、彼の父親に出会ったことで再燃してしまったのでした。 父とバージンロードを歩きたい父親として完全否定され、大切に育ててきた娘の結婚式の出席を拒否されたことを、父は一体どう思ったのでしょう。私は考えただけで、悲しくて仕方ありませんでした。 何としても父に出席してもらいたい。一心にそう願い、私は意を決して彼とブライダルプランナーに相談。行動を起こしました。 まず自宅にタクシーを向かわせ、父をピックアップ。式場で急遽燕尾服を借りました。その間、母にはアクシデントを装って頭からシャンパンがかかるようにし、ヘアメイクを直してくるようメイクルームに促したのです。 その隙に私たちは空いていた別のバンケットに移動。母を除いた招待客と父と共に、結婚式を続けたのでした。母の末路着替えや化粧直しを終えた母が会場に戻ると、そこはもぬけの殻。もちろん母には移動した部屋を伝えないよう根回ししておきました。 これを機に、母とは縁を切りました。実の母であることに違いはありませんが、父と再婚するまではほぼ私のことはほったらかし。再婚後は父に任せっぱなしで、母親とは思えない行動ばかりで辟易していたのも事実。今回の父への態度で踏ん切りがつきました。 もちろん義父が母になびくことはありません。母が勝手に気に入り、アプローチを試みた結果自爆した、という残念な話です。 これから私の親は、父と義父だけです。一緒に生きてきた年月、そして心のきずな。血のつながりがあるかないかは、問題ではないと思っています。 長年心を通い合わせ、積み重ねてきたものが生んだ、人と人との結びつき。それは、血よりも濃いものになることがあります。 これは夫婦にも言えること。血のつながりはありませんが、日々の積み重ねが強い結びつきを作り出すことでしょう。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月02日マキノさんは長女が1歳9カ月のとき、めでたく第2子を妊娠。妊娠中でありながらも、平日はほぼワンオペ育児をおこない、毎日がつわりとの闘いでした。娘を育児しながらの生活の妊娠生活は想像以上に大変で、抱っこをせがまれればその都度応じていたマキノさん。しかし、ある日突然不正出血が……! 次の日に病院を受診すると異常はなかったものの、医師から「娘の抱っこは控えるように」と指摘されてしまいます。その言葉を真摯に受け止め、安静にした生活を送っていると次第に出血は治まったのでした。それから月日は流れ、妊娠7カ月を迎えます。そのころになると、マキノさんのおなかは大きくなっていました。おなかが出てきたせいで、娘の育児がしにくくなってしまったことを実家の母親に伝えると、「里帰り出産する時期を早めたらどうか」と提案されたマキノさん。 夫に相談すると里帰りを早めることに賛成してくれたため、当初の予定より少し早めの8月末ごろ、マキノさんは娘と一緒に実家に帰ることになったのでした。 ママが不安を抱えながら、帰省をすると…? 娘のくぅちゃんが筋金入りのママっ子だったため、里帰りするにあたり、実家で人見知りを発動させないか不安に思っていたマキノさん。 そこで、里帰り出産が決まった7月ごろから毎日母親にテレビ電話を繋いでもらい、娘とコミュニケーションを取ってもらうことを思いついたのです。 その結果、帰省するとさっそく「ばあば! きたよー!」と母親に懐く娘。 マキノさんはその光景を見て、思わず安堵するのでした。 毎日ばあばの顔を見てお話しすることで、次第に心を開いていったくぅちゃん。じぃじには人見知りを発動させてしまっていますが、ひとまずばぁばに懐いてくれるのは心強いですよね。ビデオ通話の作成が功を奏して本当によかったです。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター マキノ食べることが大好きな元気な姉弟、くうちゃん、へうくんの母親。真面目で優しいパパと、二人の子どもたちとの4人暮らしです。SNSで、日常の笑ったこと、泣いたこと、感じた事など、絵にしています。
2024年05月02日家族で外食に行くのは、家で3食自炊している主婦の私にとって息抜きの時間でもあります。でもひとつだけ不満が……。それは、外食しているとき、いつも子どもが食べ終わってからしか自分の食事がとれないこと。せっかくのおいしそうな食事。冷めたものを食べるのはちょっとテンションが下がります。この不満を、ある日の外食時に夫に伝えたところ、まさかの返答が……!? 私ばかり食事が後回し!? 夫への不満わが家にとって外食は休日の家族団らんのレジャーであり、毎日食事を作る主婦の私の息抜きです。家族そろっての外食は楽しみですが、私には不満がありました。それは、まだまだ食事の介助が必要な2人のわが子たちを食べさせてからしか、自分が食事にありつけないということ。 子どものお世話をしていると食事が提供されてからすぐに食べられないので、冷めた食事を食べることに。そんな私を横目に夫は自分の注文した物が提供されたらすぐに食べているのです。それに気づいて「パパだけずるい!」と思うようになったのです。 ずるいと思っていた行動。夫の言い分とはある日、私は夫に「パパだけいつもあったかいごはんが食べられていいな。子どものお世話代わってほしい!」と不満と要求を伝えてみました。そこで夫が言ったことは私には驚きの視点でした。 外食先で周りの人の視線が気になり、先に子どもの面倒をみる役割を代われなかったというのです。夫は「男をたてられない妻」のレッテルが私に貼られるのを懸念してくれていたということ。夫なりの気遣いがあったとは知らず、自分の思いだけで怒ってしまっていたことに気づきました。 考えを共有して、お互い納得するかたちに夫の考え方も聞けて、それが私を思っての行動だったことをうれしく感じました。しかし帰宅後、周りがどう思うかは私たちにとって一番大事なことだろうかと夫婦で考えることに。 家では夫婦で協力してできることを率先しておこなってくれる夫を頼もしく思っているので、外だからとか周りの目とかを気にしてほしくない! 私たち家族にとって一番は、不満が偏らないように家事も育児も分担することだと認識を合わせることができたのです。 今回の経験を通して人目を気にする夫に、私の気持ちにも気づいて! 私のことも尊重して! と伝えられてよかったです。夫は私に言われて初めて、私が我慢していたことに気づけたといっていました。今後も他人の目よりも、私たち夫婦がどう考え相手を思いやり行動するかということを大切にしたいと思っています。 作画/キヨ著者:三宅ちよこフリーランスとして働きながら1男1女を子育て中の母。ファイナンシャルプランナーの資格を持ち、株や不動産投資を副業としている。ライターとして主婦のためのお得な情報や子育てに関する体験談を執筆している。
2024年05月02日