Be inspired!がお届けする新着記事一覧 (15/30)
これまであなたの人生にアートはどんな影響を与えてきただろうか?映画、音楽、写真、絵…アートは様々な形で存在し、私たちの日常を豊かにしてくれる。あるいは、人生を変えてくることだってあるだろう。Be inspired!では環境や人権、貧困などあらゆる「社会問題」を独自の形で表現、発信するアーティストに焦点を当てた新連載『GOOD ART GALLERY』で、まだ日本ではあまり取り上げられていない国内外の社会派アーティストを紹介していきたい。アートだからこそ、ときには美しく、ときには面白おかしく、そしてときにはショッキングに人の心に届くものがある。
2017年07月31日日本では「女性=メイクをする」という事柄が定着している。でも思い返してみれば子供の頃、メイクに興味を示したら両親からは「不良のすることだ」と言われた。中学高校ではメイクは校則で禁止されていた。しかし突然、成人を迎えた頃には社会ではメイクはマナーだと言われた。急にメイクをして出かけることの方が「普通」になった。なぜ女性であるがゆえに、メイクを禁止されたり、強要されるのだろうか。メイクってしなくちゃいけない?日本では15歳から64歳の女性の64%がメイクをする。しかし、うち94.2%の女性はメイクを面倒だと感じているそうだ。 そして、女性はメイクをするという風潮がなければメイクの頻度が減る、もしくはしないと答えた人は61.5%。(引用元:リサーチバンク)多くの女性はメイクが「好き」だからというよりは、社会通念上「義務」であるからしているのかもしれない。「女性だからしなければいけない」という根拠のない「普通」に圧力を感じる。そこで今回Be inspired!ではメイクをしない日本人女性4人にインタビューを行った。Ai(25歳)Photo by justin “yuefoh” carterーノーメイクにこだわりを持ったきっかけは?母の影響が大きかったかなと思います。母がよく、「メイクが好きではない」と言っていて、その記憶がいつも片隅にある。ーなぜノーメイクなの?逆にメイクをすると、なんだか皮膚呼吸出来ていないような気がする。ノーメイクの時は、自然な気分でいられるし、なんならメイクの時間を節約出来るし、お得感満載。ーノーメイクにしてから何か変わったことは?洗顔の時に肌(とくに目の周り)をゴシゴシしなくてもいいこと。それから、むしろメイクをしていると、周りがちょっと騒いでくれること。ーノーメイクのデメリットと感じることは?on/offがなくなること。ーノーメイクを するにあたって、ファッションとマナー の線引きってするべきだと思う?もしくは、どうしてあると思う?清潔だったら、なんでもいいと思う。ー日本の美の常識について思うことある?ノーメイクは好きだけど、頑張っておしゃれして可愛くなりたいと思う人たちはいつでも素敵だと思います。MADINA(25歳)美容学生ーノーメイクにこだわりを持ったきっかけは?母とアリシア・キーズ。ーなぜノーメイクなの?完璧なんて求めてない。ありのままの自分が今までで一番力強く、エンパワーで、自由で、心から自分を美しいと感じられるから。ーノーメイクにしてから何か変わったことは?ノーメイクにしてからありのままの自分をさらけ出せて、自由の身に解放された。ニキビ、肌荒れが無くなった。ーノーメイクのデメリットと感じることは?時間と職場。来年からサロンで働くようになると毎日メイクをし始めないといけない。ーノーメイクを するにあたって、ファッションとマナーの線引きってするべきだと思う?もしくは、どうしてあると思う?別にしなくてもいいんじゃないかな!ー日本の美の常識について思うことある?日本人はメイクをしすぎなのではと思う。Miki Gee Murata(26歳)プロジェクトマネージャーーノーメイクにこだわりを持ったきっかけは?強い違和感を持ったのがきっかけかもしれません。中学を卒業して高校に入った頃、周りの女子たちが一斉に濃いメイクを始めたのですが、なんで周りに合わせるためにお化粧しなくてはいけないのかなと違和感を持ちました。その矢先、「自分らしいと思わないのならしなくていい」と母に言われ、お化粧は自分の選択肢であって「やらなくてはいけないもの」ではなくなった気がします。あと、アメリカに留学していた頃、ファッション中心のブランディングを行う会社でインターンをしていたのですが、女性の社長が一切お化粧をしていなくてかっこよかったことを覚えていて、もしかしたら、無意識のうちに彼女の影響を受けているのかもしれません。ーなぜノーメイクなの?メイクは過剰にしなくてもいいと常に考えています。髪型とか服とか身なりに、自分らしいところがあればいいのではないかと思います。ーノーメイクのデメリットと感じることは?稀にメイクした時の変わりよう。あと、小さい変化(ほくろとかそばかすとか)でも結構違いが目立つ。ーノーメイクをするにあたって、ファッションとマナーの線引きってするべきだと思う?もしくは、どうしてあると思う?その人が自分の印象をしっかり理解していて、髪型や身なりを状況に合わせることができるのなら、不必要だと思います。ー日本の美の常識について思うことある?化粧とか服装で自分を『隠す』文化があると思う。拡張したり強調したりすることで自分らしさを殺すというか。会社や平日の女性は、だいたい決まったお作法でメイクをして、だいたい決まった色を使って、メイクの本来の「楽しさ」や「自分のこだわり」の表現とは違うメイクをする気がします。でも週末となると、突然派手な人が増えたりするので、メイクを自分を模索するためのツールとしてみているのかなと思う時があります。モナ(24歳)コミュニケーションコンサルーノーメイクにこだわりを持ったきっかけは?ノーメイクを心がけ始めたのは、日本に引っ越してきて、やたら人の目を気にする自分に気づいてから。前から服装、髪の毛、メイクに特に気合を入れるタイプでもないのに、新しい環境に慣れない中、やけに周りの人に合わせている自分がいることに違和感を感じ、ノーメイクにすることで素の自分に戻るための第一歩のようなものになった。もう一つのきっかけは、11月からヨガの資格を取るために毎週日曜日勉強しはじめたこと。ヨガスタジオにいる周りの人たちがみんな自然体で落ち着いていて、その雰囲気に惹かれていたら、気づくと自分もノーメイクになっていた!また、ヨガの哲学を学ぶ中で、段々と「見た目なんか気にしてても、まずは心とカラダを磨かないと」と、色々考え方が変わってきたこともある。ーなぜノーメイクなの?まず第一にノーメイクは楽。マスカラがにじんでいないかとか、口紅を気をつけて食事するのが面倒で落ち着かない。ある意味、面倒くさがりやだからノーメイクになるのも簡単。ただ仕事に行く日なんて、そこまで見た目を意識しなくてもいいと思ってる。オフィスは少人数で、家と会社が近いから、誰のためのメイクなんだろうっていう思いもある。ズボラすぎるかな?やはり2017年にもなって、女性はメイクとヒールが必須とか、ルール付けられている職業や場所があることは、男女平等にはまだまだ遠い道のりという問題があるから。メイクをしないから男女平等になれるとはもちろん思っていないし、メイクをすることが悪いとは全く思っていない。私も特別な日や、気が向いた時にメイクをする時ももちろんある。するもしないも、女子が自由に決めるのが本当の意味の男女同権。私は、他の人や社会の期待に応えるためにメイクをしていた時がきっと数多くあった。でもよく考えると、ノーメイクがマナー違反だなんて、とんでもない発想だと思う。初めは、特に仕事場では「全くノーメイクだとだらしなく見えるかな?」とかも考えたけど、そうやっておどおどしている自分が好きではなかったから、自分の意思で堂々と決めるようにした。ーノーメイクにしてから何か変わったことは?メイクをしないことで本当の意味の自信に繋がっている気がする。メイクをすれば気に入らない部分を変えて、好きなところを強調することができるけど、それって自分だけの問題で、思った以上に他人からすればどうでもいいこと。眉毛が薄いとか、まつ毛がパッチリしていないとか、気にしているのは自分だけであることに気づけただけでも、なんか気が楽になった。あとは、朝の時間が余分にあることと、目とか眉毛とかこすっても大丈夫なのもボーナスです。ーノーメイクのデメリットと感じることは?メイクをしないことで、気合を入れてないとか、キチンとしていないと思われる可能性があるかな?実際は誰もメイクをしてもしなくても気づかないから、デメリットは感じていない。ー日本の美の常識について思うことある?日本の美の常識は、自然体から遠ざかっている気がする。日に焼けないだの、全身脱毛だの、人間っぽさを無くすほど綺麗であるような考え方は残念だと思う。自分らしいスタイルは自分で決めていい彼女たちは「ありのまま」の「自分らしさ」をノーメイクで得たという。もし、本当はしたくないけれどしょうがなくしている人がいるのならば、しなくてもいいのだと自信を持って言いたい。インタビューを受けてくれた女性たちはそうやって、自分らしく生きている。もちろん、メイクをすることが自分らしいという人いるだろう。私は、その人がその人らしくいられるスタイルで生きていくことを受け入れる社会になったらとても素敵な世の中になると思う。 グラミー賞歌手のアリシア・キーズはノーメイクで撮影に挑んで以来、義務としてのメイクからの開放感と自分らしさを感じ、ノーメイクを貫いている。2016年8月、ビデオミュージックアワードにノーメイクで登場し、賛否両論を巻き起こした。そして、批判する人々にこんなメッセージを送った。「皆さん、私はメイクをしないことを選んだけれど、それがメイクをしている人を批判するということではない」そう、人は自分らしくいられる、自分の居心地の良いスタイルでいていいじゃないか。自分のスタイルは自分で決めていいのだ。Text by Hinako OnoーBe inspired! この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!“美の常識”に抗う日本人女性4人に聞いた「ワキ毛を処理しない理由」。 “女性がワキ毛を処理するのが常識”なんて、いつから言われるようになったのだろうか?女性誌で「マナーとしてワキ毛を処理するべき」と書かれているのを読み、電車で「脱毛サロン」の広...
2017年07月31日世界最大の動画プラットホームYOUTUBEでは、自分自身の意見や考えを誰でも発信したり、自作の映画や音楽を、見ている人たちと共有したりすることができる。そのYOUTUBE上では、社会をよくするために動画をアップロードするYOUTUBERが存在していて、Be inspired!は彼らをGOOD YOUTUBER、略してGOODTUBER(グッチューバー)と呼んでいる。本連載を通して、皆さんが新しい価値観や考えに出会い、世界が広がるきっかけになれば嬉しい。先ほども話したように、ビクトリアはもともと生理に悩み、「生理なんて必要ない」「どうして女の子だけ生理になるの?」と生理が大嫌いだったそうだ。しかし生理を「自分の一部」と考えることで、自分自身を嫌うのには良いことがないのと同じように、生理を嫌うことにもポジティブな結果はないと悟ったそうだ。自分の生理への態度を意識的に変えることで、生理への不満を減らしていったそうだ。生理は身体に必要なこと毎日やらなくてはならない仕事・課題や時間に追われて、「身体と心を休める」ということを忘れがちではないだうか。生理だからこそ、そんな忙しい生活と離れて、睡眠時間をたっぷり取ったり、金曜日の夜は出かけずに家でのんびりしたり、自分にリラックスする時間として生理を考えるようになったのだ。月一回、“生理”に喜びを感じる生活へYOUTUBE:::@thefemmeheadAll photos by Victoria unless otherwise stated. Text by Chisano NezuーBe inspired!この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!7人目:「動物から作られたものは食べない・使わない」。環境と動物を守る生活で彼に起きた5つの変化。|Bi が選ぶ今週のGOODTUBER(グッチューバー) 世界最大の動画プラットホームYOUTUBEでは、誰も挑戦したことのない新しい取り組みだけでなく、自分で制作した音楽や映画、流行りの食べ物などを世界中で共有できる。そのYOUTU...
2017年07月30日“女の子はこうしなさい、男の子はこうしなさい”なんて言われることは、昔と比べて少なくなった。ニュースで「LGBT」という言葉を頻繁に耳にするようになるなど、「多様な性」の存在が認識され、ジェンダーステレオタイプを押し付けてはいけないという風潮が強まったからであろう。それでも多くの場合、女性やクィア(セクシャルマイノリティ)の人々と比べると「男性のあり方の多様性」は無視されがちではないだろうか。「男性は涙を流すなど感情的になるべきではない」と思っている人は、未だに多いのかもしれない。フランスのパリでは、子どもでも大人でもない若者たちが「この時代に“大人の男になる”とはどういうことなのか」を考えるインディペンデントマガジンを作っているという。
2017年07月28日もうすぐ夏の大型連休がやってくる。海に泳ぎに行ったり、ビーチフェスの計画を立てている人もいるだろう。もちろん多くの人がそこで出た自分のゴミは持って帰っているはずだが、中にはごくまれにそのまま海辺に捨てていく人もゼロではない。では、そのゴミは一体どうなるのか。それらは日本から遠く離れたケニアの海にたどり着き、雇用を生み、そして我々に警告を与えはじめている。 「ゴミの山」が生んだ「雇用」しかし同時に、「環境を守ることができて嬉しい」、「自然が破壊されていることは知っていたから、この事業に参加できてよかった」と、雇用だけを利点だとしない声も聞こえてくるそうだ。(引用元:Ocean Sole FLIPTHEFLOP) 彼らはお金を生み出し、自分や家族を助けられたことを嬉しく思うと同時に、あくまでもこの活動は海洋保全であることを忘れていない。その給料はもちろん先進国に比べたら多額ではないものの、今でも収入の10パーセント寄付し、自然を守るための費用に回している。(参照元:Ocean Sole FLIPTHEFLOP)事業の拡大は「目的」ではない彼らは今、次なるステップとしてナイロビ以外のスラム街で自然を守りながら雇用を生むことを計画している。スラム街に行きついた多くのゴミが、また何かに化けることができないかと考えているのだ。私たちのゴミを拾う、ナイロビの人々残念なことに、ナイロビは多くのゴミが流れ付く先の一つで、その量は年々増え続けている。そしてそれが環境だけではなく、街の景観も壊しているのだ。Ocean Soleはその問題も解決すべく、今では清掃デーなるものを設け、有志で集まった400~500人のボランティアたちとビーチのゴミを拾っている。 「人々がゴミがどれだけあるのかの現実と向き合い、リサイクルに理解を示す必要があります」と、ジュリーさんは言う。リサイクルや環境を守ることが叫ばれていても、実際にはこのままいくとゴミの量は10年後には今の2倍になるそうだ。私たちは彼らの活動を見て「素晴らしい」の一言で片づけてはならない。寄付することやリサイクルをすることで満足をするのではなく、まずはこの現状をもっと真剣に受け止めなければならないだろう。All photos by OceanSoleFLIPTHEFLOP & OceanSoleText by Asuka YoshidaーBe inspired! この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!真夏のビーチでイスラム女性が“あえて”ビキニを着ない理由 イスラム教では、女性が肌を露出することを禁止している。そのため、ムスリマと呼ばれるイスラム教徒の女性たちは、頭からから足まで全身を覆える服を身にまとう必要がある...
2017年07月28日東京の喧騒に疲れた若者がいま、自分らしさを求めて田舎に集まっている。古い、ダサいという田舎のイメージは、だんだんと“人間らしい豊かな暮らし”に変わりつつあるのかもしれない。千葉県いすみ市。都心部から電車を乗り継ぎ2時間半。のどかな風景が広がる大自然の中に、そんな若者たちが住むブラウンズフィールドがある。ブラウンズフィールドは、料理家中島デコさんが18年前に“自然と繋がる暮らし”をコンセプトにつくった場所。農園でオーガニックな米と野菜を育て、醤油や味噌、梅干しなどの発酵食品を手作り。それらをカフェや宿泊施設で提供している。この場所に集い、働く人たちはみんなで共同生活を送るいわゆる「住み込み」。なぜ彼らはいま、このようなライフスタイルに注目するのだろうか。都会にいると麻痺しちゃう。自然から学ぶ“生きるすべ”とは3.11がきっかけで食べ物に不安を持つようになったんです。自分の食べるものを作れれば安心するし、ここでは生きるすべを学べる気がして。必要なものをお金でしか買えない都会と違って、ここには生きた自然があるこう話すのは2年前から働く高橋哲平さんだ。哲平さんの1日は早朝、畑をチェックするところから始まる。以前は農業に携わったことがなかった彼だが、いまや野菜が育つ喜びが何にも代えがたいと笑顔で話す。ここでは、暮らしと仕事が一体になっている。畑を見て「ああ気持ちいいなあ」って毎日がスタート。肉体的に大変なことはあるけど、自分の育てたい野菜を植えているし、“仕事している”感じではない。やらされてる感が全くないんですブラウンズフィールドの畑では化学肥料や農薬を使わない。馬糞など動物性の肥料も一切使用しないいわゆる「無肥料無農薬栽培」だ。大地の豊かな恵みのおかげで、水やりも滅多にしない。「虫に食われてもしょうがないんです。循環の一部だし」と、虫除けもなし。その代わり、日々の野菜の健康管理は欠かせない。「少しでもタイミング逃すと美味しくなくなっちゃうから」と、毎日二回野菜の収穫をしている。ブラウンズフィールドで育てるのは野菜だけではない。米と小麦、大豆の栽培も哲平さんの仕事だ。小麦はうどんと小麦粉に、大豆はスタッフみんなで醤油と味噌に加工する。写真は今年仕込んだ醤油ヤギのゆきちゃん。草刈機では刈れない狭い部分の草を食べてくれるが、たまに野菜も食べちゃうとか自分で野菜を育てると、食べ物にかなり自覚的になるんです。都会にいたら、とりあえず食べたいものをぱぱっと食べちゃう。けど「この食べ物がどこでどうやって作られたのか?」とか「身体にどんな影響があるのか?」ということを知れば、もっと視野が広くなると思う。都会は都会で楽しいんだけど、毎日満員電車に乗って働きに出て、高い家賃や食費を払わなきゃいけない。「いい服着なきゃ」とか見栄も出ちゃうし、将来への焦りもあった。都会って多様な人がいるから価値観が広そうなのに実はすごく狭い気がするし、生きづらい感覚があって敷地内にあるナチュラルストア「ASANA」にはブラウンズフィールド自家製の食品やおすすめの食材が並ぶ東京とブラウンズフィールド、二足のわらじで働くASANAの尚子さん「人」と「食」をベースに、もっと生きやすい世の中へブラウンズフィールドに10年前オープンしたカフェ「Rice Terrace Cafe」。ここで働くのが牧内優さんだ。ヘアメイクの仕事を8年間していたんだけど「綺麗ってなんなんだろう?」とだんだん葛藤が生まれて。ニキビ隠したいとか目を大きくしたいとかすごくわかるなって思う反面、外面からだけじゃなくて、人間は内面からもっと美しくなれるって思ったんです。そう考えて行き着いたのが、“食”だったRice Terrace Cafeでは、ブラウンズフィールドや近隣農家の畑で採れた食材で作る、玄米菜食の料理を味わうことができる。身体に優しいシンプルな味付けだが、食べた後の満足感は想像以上カフェの料理は、旬の野菜を生かした玄米菜食。肉や魚、卵や乳製品は使わず、自家製の調味料を生かして自然の恵みがそのまま味わえるように工夫している。優さんの担当は、カフェのメニュー作りから調理まで全て。他のカフェスタッフ2人と週替わりで、ランチプレートとデザートメニューを考えている。月の満ち欠けによって身体が心地よいと感じる調理法があって。だから、月のリズムでメニューを決めています。満月のときは揚げ物にするとか、全体のバランスをとるように気を付けています田舎暮らしは健康面のメリットが大きいという。ここに来るまで落ち込みやすかったという優さんだが、いまはストレスフリー。美容液を使っていたときよりも、肌の調子もいい。玄米菜食にしてから感覚が鋭くなったとも話す。食べ物だけではない。都会人は消費活動全般に対して、どこで何を買うのか、捨てたものがどこに行くのかということに注意が向かなくなっている。なぜ、そんな都会を離れ田舎暮らしを選んだのか、優さんに尋ねてみた。田舎って、不便なことが多いから人に頼らないと生きていけないんです。だからこそ、ここでは「人と人との繋がり」がある。お金を払ってすぐ解決することよりも、ここで四苦八苦して得たものの喜びのほうが何十倍も高い。都会にいると、自分の技術や持ち物をすぐお金に換算するマインドになっちゃうから。「人」をベースに考えると、もっと生きやすい世の中になるんじゃないかな?カフェのランチやスタッフ用の食事のため、お米は毎回かまどで炊くハーブや茶葉なども収穫して保存食やカフェのメニューに生かす毎日料理しているけど、迷ったり悩んだりしたときは、気持ちを切り替えてから作るようにしています。いまは「感じること」がテーマ。都会にいたときのように「感じること」を忘れちゃったら怖いなって。だから、自分にも他人にも向き合える環境で丁寧に暮らしたいと思うんです。もちろん田舎は虫も多いし、なんでもカビるし、困ることもあるけど「またこの季節がきたな」って季節を移ろいを感じることもできる。やっぱり自然はいいなって思います「地方には可能性、余白がある」と口を揃える哲平さんと優さん。もはや飽和状態の都会では、毎日が戦いだ。そんな都会から逃れたい人のために大事なのは「都会のセンスを持った人が田舎でおしゃれなもの」をつくることなのかもしれない。そうすればブラウンズフィールドのように、人が自然に集う。泥臭いこともたくさんあるけど、田舎暮らしがもっと注目されて、自給自足のイメージが変われば、都会に辟易している人がもっと暮らしやすくなるんじゃないかなさらにブラウンズフィールドのことを知りたい方は、ブラウンズフィールドの全てが詰まった本『ブラウンズフィールドの丸いテーブル』をぜひご一読ください。 ***Brown’s FieldAll photos by Junko KobayashiText by Reina TashiroーBe inspired! この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!ファッション業界から農業へ。“東京生まれ、無農薬育ちの野菜”で「ファストファッション化した日本の農業」に革新を起こす男。 「おれの農業はファッションだ」。そう言い放ちオーガニック率0.2%の日本の農業界にイノベーションを起こそうとしている男が存在する。彼の名は太田 太(おおた ふとし)...
2017年07月28日「未来を担っていく若者」である私たちは物心ついたころには「失われた20年」がはじまっていて、ゆとり教育を受けて育った。この失われたといわれる「時代の産物」である私たちは成長期を終え、さとりがちな大人になりつつある。「不遇の世代」「欲がない」「内向き」など様々なレッテルを貼られることがあるが、「社会を良くしたい」と願い、立ち向かう人はいつの時代にもいるように、私たちの世代にもいる。 確かに過去の世代とは違って、熱が失われがちな、引きこもりがちな、スマホと向き合いがちな世代かもしれない。でもそこから私たちのスタイルで起こすレボリューションがあるのだ。この連載では、さとり世代なりの社会を良くする方法とはどんなやり方なのかを紹介していく。そして、イラストから執筆まで、記事製作を「失われた20年」「さとり世代」でおこなっていく。その名も『さとり世代が日本社会に起こす、半径5mの“ゆる”レボリューション』。ゴミからも、高級なものからも「美」を見つけ出したいアーティスト、Kathimi連載第二回目に登場するのは女性を描く23歳のアーティスト、Kathmi。ミステリアスな印象を人に与えるかもしれないが、口を開いた彼女から紡ぎ出される言葉は素直で、純粋なものたちだった。私の描く女性は理想の女性像。凛として女性として芯をもっていて、女性として美に溢れているのが理想の女性。自分がなりたいというよりも、この女性の理想を通して夢を与えられたらいいし、空間に彩りができたらいいし、何かひとつの気付きになればと思う。彼女の描く数々の女性は、彼女にとって女性を描いているというよりは「美」の表現であるようだ。しかし、彼女がしていたのは芸術を通して「美」を創り上げることではなくて美を見つけ出すことだった。人が気持ち悪いとか嫌だって思うモノだって美しいものがあるし、キラキラした高級なものや意匠が凝らされたもののような美しさも好き。自然界の何かしらのモノも、創り出された美からもインスパイアされているものも多い、目に入るものから見出したい。噛み砕いて、的確に魅力を伝えることができるのが芸術だと思う。だから日頃から道端のゴミからだって、もちろん高級なものからも美しさを見つけ出したい。自由そのものよりも、自由に生きていいという選択肢に気づいたことが「幸せ」ウォールアートからイベントのビジュアルまで、幅広く手がけており、私がうらやましいと思うほどにアーティストとして「自由」な生き方をしているKathmiもかつては自由ではなかったという。生まれてから20年くらい辛かったので、これ以上辛いとかはないんじゃないかな。今は自由という選択肢を知って選ぶことができてる。自由そのものよりも、「自由に生きていい」という選択肢に気付くこと自体に彼女は幸せを感じているという。7人兄弟の下から2番目。母子家庭で育った彼女は小さい頃から“社会”の中で生きてきた。7人の中でバランスを取りながら生きてきた故、今の彼女の深みがある。そして大学を中退し、アーティストとして起業をした。大学を辞める前にメリットとデメリットを書き出した。メリットの方が大きかったので辞めた。起業をしたということはあまり意識していない。自分が好きでやっていたことが仕事になってきたのでその受け口をつくろうっていう感覚。「起業家」と世間では囃し立てられるが、彼女にとって起業とは「何にも囚われずに、自身で自由な世界を創り出す手段」でしかないようだ。まわりと比べても仕方ない。大事なのは自分が持つ手札をどう活かすか。彼女にも些細ながら「さとり世代」としての意識はあるという。死ぬほど不幸ではないし、生きてはいけるっていう中で、周りはいつも自分より幸福そうに見えた。経済ばっかり下がっていくのと同時に何だか幸福度も下がっていった。現代はSNSなどで身の回りと比べやすいからこそ、ないものねだりに陥りやすい。でも上を見たら青天井でしょ?でも比べる範囲を狭くして、上手くライバルを見つけたら成長においては燃料になる。そもそも人はそれぞれ与えられた手札が違うから、比べても仕方がない。人と比べるよりも自分の持っている手札をどう活かして生きていくかが大事。話すのが苦手だから、アートで伝えたい。彼女に将来の夢を聞いてみた。日本ではまだアートの文化が根付いていない。まだまだ街中に溢れているわけではない。創造性が高くて、バリエーションが無限のアートに小さい頃から触れられるような機会をつくって、感覚的なところから心が裕福になる人を増えればいいな。でもすごく個人的には皆がアッと驚く何かを創りたい!彼女はまだアーティストとして幅を広げていくようだ。最後に、かなりベタだが、Kathmiにとってのアートとは?という質問をしてみた。心が動けば何でもアートだと思う!アートのそういうところがいい。と笑顔を見せた。今回の記事、または彼女の活動を見てみると、彼女について浮かぶワードは「アート」「女性」「自由」といったものだろうか。私自身も取材前、限定的なイメージを持っていた。しかし、Kathmiはそれだけに留まらないだろう。彼女の言葉を借りると、彼女の持つ「手札」は私たちかみるKathmiからは想像出来ないほどたくさん“隠し”持っているように思える。それほどに自由な人間であった。過去や未来、型にとらわれずに自由に「自分」について話す彼女は眩しかった。そして、ミステリアスさから垣間見えるKathmiのアートへの純粋さは私にとって「美」だった。***KathmiHP:: photos by Ken NagasawaText by Hinako OnoーBe inspired! この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!1発目:「ムカつくから」。怒りを原動力に“命”をいただく野生児大学生 菅田悠介が考える「いただきますの意味」│さとり世代が日本社会に起こす、半径5mの“ゆる”レボリューション Illustration byPOTECHI「未来を担っていく若者」である私たちは物心ついたころには「失われた20年」がはじまっていて、ゆとり教育を受けて育った...
2017年07月27日WHAT’S GOODーお店の一番のオススメの品と、理由はなんですか?もちろんコールドプレスジュース!
2017年07月27日サラボナよりこんにちは。カミーユ綾香です。▶︎前回の連載記事はこちら ① & ②
2017年07月26日日本に住んでいて「難民」に関するニュースを聞くことがどのくらいあるだろうか?日本での難民の状況よりも、シリアの内戦などの影響でヨーロッパに避難してきた人々についての報道のほうが多いかもしれない。2016年に日本で難民の申請をした10,901人のうち、たった28人(わずか0.6%)しか「難民」と認定されておらず、その数は同じG7(主要7カ国)の国のなかでも圧倒的に少ない。ちなみに、G7で日本の次に受け入れた人数の少ないイタリアでは3573人(申請人数に対して5%)、一方最も多いドイツでは138,666人(申請人数に対して59%)を同年に受け入れている。(参照元:難民支援協会)日本の状況については、政府が難民の受け入れに積極的な姿勢をとっていないことが原因かもしれないが、あなたもなんとなく事実を知っていながらも身近に感じられず、問題を政府や専門機関に任せきりになってしまっていないだろうか。そんな人々にも簡単に参加できるツイッターのキャンペーンが2016年の「世界難民の日」に合わせて大きく動き出し、現在も続けられている。
2017年07月25日出版社や新聞社の編集者100人の投票で決められる「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」。23回目を迎える今年の大賞は「ベッキー31歳禁断愛お相手は紅白初出場歌手!」(週刊文春1月14日号)だった。雑誌ジャーナリズムの未来のために作られた同賞だが、他の賞も「一夫一婦制では不満足『乙武クン』5人との不倫」(週刊新潮3月31日号)のような不倫をスクープしたゴシップ記事ばかりが受賞している。(参照元:編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞, 朝日新聞デジタル, 産経ニュース)こんな日本の状況に、あなたは危機感を感じるだろうか?
2017年07月25日2000年代後半に日本のファッション業界でファストファッションブランドが台頭するようになってから、10年近くが経とうとしている。ファストファッションは製品の質が悪く、劣悪な労働環境で生産されていることが問題となりながらも、未だに人気が絶えていない。つまり私たちが手に入れられるファッションアイテムの選択肢が広がったのと引き換えに、世界のどこかでで苦しむ人を増やし続けているのかもしれないのだ。社会の行方を左右する1人の消費者として、私たちはどんな商品を選んだらいいのだろうか。「服をただ着るのではなく、マニフェスト(宣言)として着よう」というモットーを持つBe inspired!は、編集部がセレクトしたブランドの詰まった「人や環境、社会に優しく主張のあるWARDROBE(衣装箪笥)」を作り上げる連載を本日から始める。第1回目の今回は、オーストラリア発のシンプルなスタイリッシュさが魅力のアンダーウェアブランド「HARA」を紹介する。
2017年07月24日世界最大の動画プラットホームYOUTUBEでは、誰も挑戦したことのない新しい取り組みだけでなく、自分で制作した音楽や映画、流行りの食べ物などを世界中で共有できる。そのYOUTUBE上では、社会をよくするために動画をアップするYOUTUBERが存在していて、Be inspired!では彼らをGOOD YOUTUBER、略してGOODTUBER(グッチューバー)と呼んでいる。本連載を通して、皆さんに新しい知識や価値観に出会い、そして世界が広がるきっかけになれば嬉しい。①活力が溢れてくるようになったヴィーガンの生活にしてから、朝早く起きれるようになったり、また趣味のフットボールでは以前より良いプレーができるようになった。毎朝7時に起床し、お気に入りのオーガニックショップで食材を買うこと、鳥のさえずりを聞くことや朝の新鮮な空気を吸うことが日課となり、毎日充実した生活が送れてるそうだ。②動物や植物との“繋がり”を感じるようになったヴィーガンになってから、食生活が変わったことで自己免疫力が上がり、病気にかかりにくくなった。風邪を引いたとしても、薬に頼らずに一日で治せるようだ。未来の環境や動物を考えた生活まだヴィーガンに馴染みのない日本。野菜、豆や穀物だけしか食べないヴィーガンの食生活が「不健康そう」と感じるかもしれない。しかしヴィーガンになることで、環境や動物を守れるだけでなく、彼のように自分自身にも良い変化が現れるのだ。初めからヴィーガンになるのは難しいかもしれないが、一週間ヴィーガン生活をしてみたり、夜ご飯だけヴィーガンの食事をしてみたり、実際に彼が感じた変化を体感してみるのはどうだろうか。***KC
2017年07月23日みなさま、こんにちは。紅子です。今回は、私も含め若い世代が大人たちから頻繁に“ゆとり”と呼ばれることについて思ったことをまとめてみました。▶前回の連載記事はこちら現在の20代を中心とした若者を指してしばしば使われる言葉「ゆとり」。どちらかというとややネガティブなニュアンスを込めて使われることの多い「ゆとり」だが、そもそもゆとり世代とは具体的にどういった世代のことを指し、そうでない世代と何がどのように違うのだろうか。今回、一般的に「ゆとり世代」に対しどういった場面でゆとりだと感じるのか、また、なぜそう感じるのかを、ゆとり世代本人たちとそれ以外の世代とに分けて、前回の記事でアンケートを実施した。その結果に基づいて、この実体のあるようでない「ゆとり」とは何なのか、ゆとり世代本人たちは「ゆとり」に対し何を思うのか等々、少し掘り下げてみた。そもそも「ゆとり世代」の定義とは「打たれ弱い」「協調性がない」「野心がない」等、なんとなく甲斐性のない若者をざっくりと指して使われることの多い「ゆとり」という言葉だが、これにはきちんと該当する世代と定義がある。いわゆる「ゆとり世代」とは、1999年に改正され、2002年より実施された学習指導要領に基づく「ゆとり教育」を受けた世代のことで、これに該当するのが1987年4月2日〜2004年4月1日生まれの現在13歳〜29歳*となっている。(*2017年7月時点)ゆとり教育が実施された背景には、それまで行われていた暗記中心の詰め込み教育や過度な受験戦争、偏差値重視の教育が、いじめや不登校、非行を誘発しているという批判を受け、無理のない学習環境で自ら学び考える力を育成することを目指し実施したという流れがある。(出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)具体的にゆとり教育の実施によってそれまでと変わった事は以下の4つなど。・完全週5日制・絶対評価の導入・教科にとらわれない「総合的な学習の時間」の新設・各教科の学習内容を3割程度削減私自身も1990年生まれのゆとり教育直撃世代なので、小学校のある時期から、それまで隔週であったはずの土曜の半日授業がなくなり、「総合的な学習の時間」という、授業内容が毎回バラバラな(ある時は道徳の授業と似た内容を、ある時は自習の時間、ある時は体育館でドッジボールをし、運動会の前はその準備に充てられたりする)謎の時間が突如時間割に組み込まれたのは覚えている。でも何より一番よく覚えているのは、学年が上がるたびに配られる教科書がペラペラになっていたことだ。特に算数の教科書は70数ページまでしかなく、それなりに重量感のあった低学年の頃と比べ中3の頃には夏の暑い日にうちわ代わりに扇ぐ事が出来るくらいに薄くなっていた。また、私の代は円周率3.14で習ったが、次の年から円周率は3にされるのだと塾の講師が嘆いていた記憶もある(実際に翌年実施されたのかは定かでないが、周りの同世代に聞いて回ると円周率3で習った人とそうでない人がいるのは事実のようだ)。「ゆとり教育」をざっとまとめるとこんな感じだが、ではこれらが世間の持つ「ゆとり」のイメージに、一体どう結びついているのだろうか。どういう時「ゆとり」だと感じるの?前回の記事の最後に、この記事を書くにあたってのアンケートを「ゆとり世代(65人)」と「ゆとり世代以外(126人)」とに分けて、『どういう場面で「ゆとり」って言われる?』と聞いてみた。その結果がこちら。※訂正:こちらのアンケートを実施した際、「感じたことがない」という項目を入れていなかったため、ゆとりだと感じたことがない人が「その他」の項目に記載してくれたものをここでは新たに分けてグラフにしている。(ゆとり世代として、自覚もなしに「当然ゆとりだと思われているのだろう」という思い込みでもあったのだろうか…)ゆとり世代・それ以外の世代共に、少々差はあれどやはり「仕事中」に何かしらのギャップを感じる人が多いようだ。具体的な事例として挙げられた回答はこちら。 ゆとり世代の回答・新入社員時代の時に、営業で成績が出せず、周りの先輩とも馴染めず、胃腸炎や鬱っぽくなって会社にいけなくなったときに言われた。同じように後輩も、精神的に病んで会社に来れなくなったときに言われていた。 「弱い人間」「我慢できない人間」「従順に会社のルールに従えない人間」のことを指していたように思う。・強いて言えば、仕事に求めるものって何?ってバイトしている企業の店長よりも偉いエリアマネージャーの方に聞かれた時に、僕が「福利厚生や…」と答えた際、最近の子っぽいねと言われた。・私はきっちりと休み時間をとり、残業をなるべくせずに帰るようにしていますし、会社の飲み会でも自分の意見を通すように発言します。たとえ目上の人と反対の意見でも。それをゆとりと茶化されます。・私もアパレル関係の仕事をしているのですが、仕事柄労働時間が非常に長いです。先輩やベテランの方は自分の時間を全て捨てて仕事や仕事の勉強をするべきだと教えられてきました。 もちろんそれはプロ意識であり素晴らしく尊敬することだとは思うのですが、自分の時間も欲しいと思う時は「これがゆとり世代の考え方なのか」と感じます。 ゆとり世代以外の回答・仕事で、人と比べられること(営業成績等)に対して、とてもネガティブになる所・以前の勤務先に学生インターンが来た時、社長が雑用を頼んだら、そんな事をする為に来たんじゃない、とすぐ辞めてしまった。・会社を学校だと思っているフシがある。新入社員が仕事の知識を自主的に身に付けようとしなくなっており、業務上、基本中の基本の知識を尋ねると「教えてもらってないんで!」と半ばキレ気味…。会社にいる以上はお客様からしてみればプロなわけで、1から10までをすべて研修プログラムのように教わるつもりでいたらしい。ちなみに営業職です…。・私も音大出、仕事柄新しく会った若い人に「連絡下さいね!」と頼んでも返信さえしてくれない。礼儀も何もあったもんじゃないです。仕事を頼みたいのに! ゆとり世代の回答を見ると、定時上がりや福利厚生などのライフワークバランスを重視し、自分の体調や、自分の意見を大切にしたいといった、「個」を尊重する考えを「ゆとり」と結び付けられた経験が多いようだ。一方、ゆとり世代以外の回答を見ると、仕事の場面で感じることとしてやや共通しているのは「必要最低限に留まろうとするところ」だろうか。「教えてもらっていないからわからない」「目的以外のことに時間を費やさない」「必要に駆られないと連絡を返さない」等、少々受け身で消極的な姿勢や、他者と比べられる事への嫌悪感などは「野心がない」などと揶揄される所以でもあるのかもしれない。私が注目する「ゆとり教育」の欠陥。では、これらの「ゆとり」に対する見方は、その名の通り「ゆとり教育」と関係している事なのだろうか。ゆとり教育の実施に伴い変更された主な内容をもう一度見てみよう。・完全週5日制・絶対評価の導入・「総合的な学習の時間」の新設・各教科の学習内容を3割程度削減個人的な感想としては、この項目だけ見ると先程挙げられた「ゆとりたちの言動」がこれに直結しているとは少々考え難く、どちらかというとゆとり教育を受けたからではなく、単に誰もが通る若さ故の責任感や余裕が持てるまでの段階を彼らは踏んでいるに過ぎず、たまたまその「若い世代」に該当するのが今のゆとり教育を受けた世代であることから「ゆとり」と呼ばれるようになったのではないだろうか、とも思う。ただ、我々ゆとり世代の人格形成にゆとり教育が全く無関係かというとそうでもないと思っている。もしも一般的に言われる「ゆとり」像がゆとり教育と関係しているとすれば、上記4項目のうち私の考える注目すべき点は「絶対評価の導入」だ。絶対評価とは、それまで採用されていた相対評価が文字通り“学級や学年など、全体の中でどのくらいの位置にいるのかという評価基準”であったのに対し、“全体の出来に対してどうかではなく、あらかじめ設定された指導目標を基準に評価する”というものである。この絶対評価が何故ゆとり世代の人格形成に影響しているように感じたかというと、絶対評価は相対評価に比べ、教師の主観による判断の傾向が強くなり、客観性に欠けるという指摘が導入当時から数多く寄せられていたから。また、ゆとり教育導入以降、評価の観点において「関心・意欲・態度」が重要視されるようになったことで、内申点は実質テストの点数が50%、残りの50%は授業態度等で決まるようになった。つまり、苦手な教科でも授業態度を良くすることで半分はカバー出来、逆に得意な科目でも授業態度が悪ければ5段階評価をつけるにあたって減点対象となるわけである。当然、受験を控えた生徒達は内申点を上げるためにその評価基準に則って良い成績をつけてもらえるよう努めるわけだが、関心や意欲の強さというのは一概に人の目で見て判断出来るものではない。そうなると、内申点を上げたい生徒としてはより模範的な生徒として振る舞おうと意識するだろう。学校側から言われた事に従い、規則からはみ出ることをしないよう、より気を遣うようになるのではないだろうか。私が中2・中3の頃のことを思い出しても、苦手な教科ほど得点稼ぎができるよう、「全然分かんないけどとりあえず挙手!(笑)」と言いながらやる気をアピールする生徒や(無論それが悪いことではないが)、通知表の他に内申書に書いてもらえる項目を増やすべく「やりたくねー」と言いながら嫌々ボランティアや役員業務に立候補するクラスメイトは少なくなかったように思う。覚えている限りのこれらの言動から、私たちゆとり世代は、求められた人物像に近付くべく「自分の意思よりも言われた事に従う方が賢明である」という、悪く言えば見え方を優先、質は後というような価値観を、絶対評価を通した教育を経て少なからず持つことになったのではないだろうか。そしてこれが、「言われた事しかやらない」「自分の意思がない(消極的)」などと言われる要因の一つになっているとは考えられないだろうか。もしそうだとしたら、自ら学び考える力を育成することを目指し実施したというゆとり教育本来の目的とは逆を行ったことになる。そして世代の性格として自然発生的に根付いたものではなく、少なからずこれらの教育が影響しているとしたら、やはり「これだからゆとり世代は」などとゆとり世代本人たちを責めるのは少々理不尽なのではないかとも思う。ちなみにゆとり教育が始まった2002年、私は小学校6年に上がった年だった。本当は当時中学生だった兄の通知表を参考にしたかったのだが、所在が分からずじまいの為、参考程度に小学校の通知表を比較してみた。こちらは2001年、ゆとり教育導入前年(小学5年)の通知表である。ぜんぶできている。素晴らしい。各項目を見てみると、授業に関する具体的な内容について出来たか出来ていなかったかが評価されているのがわかる。続いて2002年。ここで「ゆとり教育」が導入される。学校教育目標にも「よく考え進んで実行する子」と表記されるようになる。各項目の前に「関心・意欲・態度」「技能・表現」などのカテゴリーが加わっている。小6の私は我が国の歴史がさまざまな人々の働きによってつくられていることを分かっていなかったらしい。では中学の頃はどうなっていたかというと、こちらは2005年度、中3の時の通知表である。4ばっかり!それまでオール5だった英語はオール4になり(満点近く採って4だったのでものすごく不服だったのだが、2年の終わりまでいた教師が異動になってから後任の教師にめちゃくちゃ嫌われていたのは覚えている。前期なんて全部Aなのに4だし)、体育に至ってはオール2。ひどい。運動能力の無さは今も健在である。授業態度は軒並み微妙だったらしい。小学校と違い具体的な項目はなく、全て統一された観点にABCで評価が付いていることがわかる。久しぶりに見てみた感想としては、英語の評価の不当性を思い出して今更腹が立ってきたということである。あれは完全に教師の主観だったと思う…。ご家庭に通知表の残っている人は読み返してみて欲しい。ゆとり世代だって悪い面ばかりではない!しかし、ゆとり世代も悪い面ばかりではない。アンケートの回答を見て行くと、ゆとり世代の回答は「仕事」に次いで「知識(学力)」だったが、ゆとり世代以外の回答と合わせて見てみると「言われたことがない・感じたことがない」という回答や、ゆとり世代に対しての肯定的な意見も多い。具体的な事例は以下にまとめた。 ゆとり世代の回答・どちらかといえば自虐的な冗談で言う事が多い ゆとり世代以外の回答・世間で言われるほどゆとり世代なんて感じたことはない。おっさんにだって所謂『ゆとり』的な人はいる。結局はその人次第だと思うよ・全く気にしたことがないし、「ゆとり世代」と一括りにすることは失礼だと思う・僕は経営者で若い子も雇っていますが、感じる事は無いですね。この『ゆとり』という言葉を良い意味で使う事は無いでしょうから、その解釈から言えば、いつの時代も良い奴も出来ない奴もいます。 僕が思うに上に立つ人間の人材不足なのではと思います。部下を上手く操れないから、『ゆとり』という概念で整理すると対外的にも自分的にも楽だし共感を持って貰えるからその言葉を使うのではと思っています。(一部抜粋)・塾講師をしています。 いわゆる「ゆとり世代」もそれ以外の世代も教えていますが、特に学力面、社会常識等で違いを感じたことはありません。 もちろん、教える内容の変化はありましたが。 個人的には「ゆとり世代」というのは都市伝説のような類の意味のないものだと捉えています。(一部抜粋)・私の娘がゆとり世代ですが、この世代の人達は、差こそあれ、大体において想像力豊かで、ディベートもでき、発想が柔軟です。 指摘されて以来お付き合いの途絶えてしまう大人もたくさんいるけれど、この世代の人々は概して指摘にも耐え、反論も出てきます。 知識は確かにそう詰め込まれなかったかも知れませんが、調べる自主性、考える力、組み立てる能力、つまり生きる力に富んでいると感じます。 授業も興味深いものでした。うらやましいことがよくあります。・いい意味で意見を持っていると思う。会社でも創造的な提案を聞きます。個性的だし自分らしく生きることを私たちより自然体でできているように感じます。・ゆとり世代に対する批判は、各年代共通する年寄りの若い世代に対する批判と考えています彼らは「いい子」ですが、社会情勢に翻弄されている中、それでも努力していると思っています・彼らはすばらしい!この世代は文武両道で成功している子が多い。柔らかいものの見方ができ、創造的な子も多く、伸びようとする力もある。学力や知識が足りないうえに、型にはめたがるバブル世代のほうが問題だと思う。・1960年生まれです。90年代生まれの子供がふたりいます。彼らやその友人と会話していると、発想の柔軟さ、多角的な思考、周囲への強烈な配慮に驚かされます。 仕事のシーンにおいて打たれ弱くすぐ辞めてしまうとか、自発的に食らいついていかない受け身な姿勢などが嘆かれているのは、裏を返せば一歩引いて冷静に世界を見ていることや、スマホやSNSの普及によって昔に比べ圧倒的に情報量が増え、多様な価値観を目にする機会も増えたことで選択肢がたくさんあるということを知っているため、どこか一箇所にとらわれるのではなくより自分に合ったものを見つけたいという気持ちが強いからではないだろうか。また、ゆとり世代の回答にあった「自分の体調を優先する」「休みはきっちり取る」「ワークライフバランスを重視する」ことによってゆとりと関連付けられたという事例に関しては、ゆとり世代の判断は何も間違ってはいないように思う。電通の一件で特に大きな注目を浴びたが、近年は絶えない過労自殺などによって働き方を見直されている時代でもある。もちろん欠勤はしないに越したことはないし仕事を残さないよう頑張れるだけ頑張るというのは素晴らしい事だが、自分の生活や体調を犠牲にして根性だけで乗り切ろうとすることは時に人生を大きく狂わせる。それをゆとり世代はよく知っているのではないだろうか。社会の中では歯車として働いていてる身体でも、個人の人生においてはエンジンそのものである。「世代」ではなく、「個人」で人間を見ることが大事。今回実施したアンケートで「ゆとり世代」についてわかったことを以下の4つにまとめた。①「打たれ弱い」「協調性がない」などいわゆる今の若者に上の世代が抱いているとされる「ゆとり」イメージは確かに存在する②しかしそれを「ゆとり」という名で括る根拠については曖昧、もしくは一定ではない③「ゆとり」という括り方に疑問を持つ人も同じくらい多い④「ライフワークバランスを大切にする」「柔軟なものの見方ができる」等、嘆かれる面ばかりではない教育も社会も人を造る。時代が変われば価値観も変わり、一人一人は歳を重ねることで変わっていく。価値観はたぶん確立されないし、統一させることも不可能だ。確立されないものをカテゴライズすることで見えなくなるものは多いし、危険だ。「ゆとり世代」は確かに存在するが、ゆとり世代の中の「個人」であること、バブル世代の、団塊世代の「個人」であることを忘れないように他者を見つめ、受け入れて行く社会であって欲しい。 BENIKO HASHIMOTO(橋本 紅子)神奈川県出身。音楽大学卒業後、アパレル販売をしながらシンガーソングライターとして活動を続ける。2015年5月に結成されたSEALDs(=自由と民主主義のための学生緊急行動)に参加しSNSやデモ活動を通して同世代に社会問題について問い掛けるようになる。Instagram: by Beniko HashimotoーBe inspired! 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2017年07月23日「時間がない」、「忙しすぎる」。日々生きていて、そう思ったことはないだろうか。世間は休む暇も与えてくれず、時間にも心にも余裕はなく、自分が何のために生きているのかも分からなくなってくる。そんな世の中で生きる私たちに普段は忘れてしまいがちな「幸せ」や「生きる」ことの意味を届けてくれる映画が日本で7月29日から公開される。フィリピンを舞台にある孤児の少女と盲目のギター弾きとの旅を描いた映画『ブランカとギター弾き』だ。2015年に監督・長谷井 宏紀氏によって制作された本映画は、「幸せとは、生きるとは何か考える余裕を心に与えてくれる」。今回、Be inspired!は長谷井監督に本作への思い、そして現代社会における彼の使命についてなどの話を伺った。「生きる力」の輝きを物語にしたかった『ブランカとギター弾き』はフィリピン、マニラの路上で生きる少女ブランカが「お母さんをお金で買う」ことを思いついたところから始まる。そして彼女は路上で知り合った盲目のギター弾きピーターを巻き込み、母親を買うための旅に出た。この旅を通して、不公平な世界のなかで、様々な困難に直面する彼女だが、ピーターとの絆を深めながら、やがてお金では買えない大切なことに気づくのだった…。長谷井監督・ブランカ・ピーターPhoto by Dorje Film今作が長編監督デビューである長谷井氏。最初から映画を撮りたいと思っていたわけではなく、映像や映画を撮り始めたきっかけを聞くと、「特にないかな」とあっけらかんに答えた。今回の制作は、彼が世界中をバックパックで旅していた時、毎年通っていたフィリピン・マニラのスラムである「スモーキーマウンテン」での子ども達との出会いや経験がきっかけだったそう。自分にとって、そこにいた力強い子ども達から、「前向きな力」を感じることができた。そして彼らのその生きる力がすごく輝いているところを本当に物語にしたかった。そして彼は社会に対してこんな疑問を抱いていたという。子どもの頃って、ちょっとよく分からないことって世界中にいっぱいあるじゃん。「なんでお金持ちと貧乏はいるの」とか疑問に思うことが結構あって、大人になるといろんな角度で理解して、“分かった風”になる。でもそれをほんとに突き詰めていったら、すごいみんな分からなくなると思うんだよね。確かに世界はとてもシンプルな問いで溢れていてる。でもそれをいちいち疑問に思い、解決するために行動に移している人は、多くないのではないか。「見た人の心が温かくなってほしい」。彼が映画に込める思いPhoto by Dorje Filmこの映画がどこまでできているか分からないけど、やっぱり映画を見た人がどこか楽になってもらいたいなっていうのはある。見終わったあとに、心がちょっと温かくなれるような。そう長谷井は自身の作品へのこだわり、映画に対する思いについて話した。今僕たちが暮らしてる社会って「自分の居場所」がなかなか見えづらいし、見失ってしまいがち。そんな社会の中で、主人公のブランカは社会に「大事なもの」があることを見つけ、貧しい状況でも、たくましく乗り切っていく。彼女の姿を目の当たりにして、何かみんなに勇気を感じてほしい。そういう感じで映画が広がってくれると嬉しい。「大人になって行くうちに忘れてしまった感情」や、「先進国で生きることで忘れてしまった感覚」をこの映画で思い出させてくれる。先進国である日本で育った人に響く、彼の熱いメッセージが込められているのだ。また、自身のスラムでの人間関係を通して先進国に暮らすことで忘れてしまいがちな感情や感覚といったところを表現できたことも大きいという。いろんな人間関係があっていろんな人に助けられながら、ほとんど助けられながらいろんなものを経験させてもらってきた中で、自分が思っていたことをシンプルで小さな映画だけど表現できた。彼の伝えたいことや思いは“生きる力の美しさ”、“みんなに勇気を感じてほしい”というようにいたってシンプル。しかしそれが生きる上でとても大事なことなのかもしれない。発信できる人が発信し続けていくことが大事Photo by Dorje Film非常に忙しい生活を送っている我々日本人は自分以外のもの、関係のないものに対して目を向けられない、気にしていられないのではないか。生活していて、自分に関係ないものを気にする余裕がないんだと思う。忙しすぎるんじゃないかな。逆に言うと、余裕があれば、みんな自分以外のものに対して議論しあう時間も作れるけど、それを言ってられないんだと思う。だからやっぱり僕みたいな時間に余裕があって、発信できる人が発信し続けていくっていうことが大事なのかもね。こういった日本社会の現状が彼を映画製作へと駆り立て、「人の価値観だったり、心にある壁を壊してあげること」、そして「時間に追われ自分以外のものに関わっていられない人と社会から見放されている人との架け橋になること」が彼の使命になっているのではないだろうか。何かと時間に追われるこの世の中で、常に余裕を持って生活するのは難しい。しかし長谷井監督の映画『ブランカとギター弾き』が、今を生きる上でほんの少しのだけ「時間」、そして「心」に余裕を与え、「本当の幸せ」を考えるきっかけになるに違いない。長谷井 宏紀(Kohki Hasei)岡山県出身映画監督・写真家。セルゲイ・ボドロフ監督『モンゴル』(ドイツ・カザフスタン・ロシア・モンゴル合作・米アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品)では映画スチール写真を担当し、2009年、フィリピンのストリートチルドレンとの出会いから生まれた短編映画『GODOG』では、エミール・クストリッツァ監督が主催するセルビアKustendorf International Film and Music Festival にてグランプリ(金の卵賞)を受賞。その後活動の拠点を旧ユーゴスラビア、セルビアに移し、ヨーロッパとフィリピンを中心に活動。フランス映画『Alice su pays s‘e’merveille』ではエミール・クストリッツア監督と共演。2012年、短編映画『LUHA SA DESYERTO(砂漠の涙)』(伊・独合作)をオールフィリピンロケにて完成させた。2015年、『ブランカとギター弾き』で長編監督デビューを果たす。現在は、東京を拠点に活動中。【作品歴】『GODOG』2009・kustendorf国際映画・音楽フェスティバルグランプリ金の卵賞『LUHA SA DESYERTO砂漠の 涙』2012『ブランカとギター弾き』2015※動画が見られない方はこちら【あらすじ】二人でいれば、悲しみは半分。しあわせはたくさん。夏の果ての街角を、愛の歌が通り抜けていく―窃盗や物乞いをしながら路上で暮らしている孤児の少女ブランカは、ある日テレビで、有名な女優が自分と同じ境遇の子供を養子に迎えたというニュースを見て、“お母さんをお金で買う”というアイディアを思いつく。その頃、行動を共にしていた少年達から意地悪をされ、ブランカの小さな段ボールで出来た家は壊され、彼女は全てを失ってしまった。途方に暮れるブランカは出会ったばかりの流れ者の路上ギター弾きの盲人ピーターに頼み込み、彼と一緒に旅に出る。辿り着いた街で、彼女は「3万ペソで母親を買います」と書かれたビラを張り、その資金を得るために窃盗をする。一方でピーターは、ブランカに歌でお金を稼ぐ方法を教える。ピーターが弾くギターの音に合わせて、歌い出したブランカの歌声は街行く人々を惹きつけ、二人はライブ・レストランのオーナーから誘われて、幸運なことにステージの上で演奏する仕事を得る。十分な食べ物、そして屋根のある部屋での暮らしを手に入れ、ブランカの計画は順調に運ぶかのように見えたが、二人の成功を快く思わないレストランの従業員に店の金を盗んだと罪をなすりつけられ、彼らは再び路上に戻る羽目になってしまう……。Portrait photo by Jun Hirayama Text by Nozomi Hasegawa ーBe inspired! この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!4年間で800体のテディベアを病気の子どものために製作。大人が忘れかけた“世界をよくする13歳の哲学” 人に優しくすることの大切さは多くの人が分かっているが、実行するのは難しい。しかしそれを「テディベアを作る」という形で行動に移し、たくさんの人の笑顔を作った13歳の少年がいる...
2017年07月22日フリーダ・カーロというアーティストを知っているだろうか?鮮やかな色合いとトレードマークの一本眉が印象に残る彼女の肖像写真を見たことがある人は多いだろう。
2017年07月21日VOL.1に引き続き、今回Be inspired!はアメリカで育った“日本人”*1の若者に「アメリカで“日本人”として生きることとは」について話を伺った。日本では義務教育で英語を勉強するし、映画や音楽、食などの文化面でも多大な影響を受けていると言えるだろう。しかし、アメリカは日本をどう見ているのか?アメリカで“日本人”として生きるとはどういうことなのか?今記事は4人のインタビューを受けてくれた人のうちの残りの二人のストーリー。(*1)彼らのアイデンティティが日本人でも、アメリカ人でも今回は容姿的観点からアメリカ社会で「日本人」として見られたことがあるのを考慮してインタビューを行った。そのため、本人のアイデンティティとは関係なく、文章内では“日本人”と表記する。溝口香純【25歳】ーどれくらいアメリカに住んでいましたか?アメリカのどこですか?ニューヨークに1〜5歳、カリフォルニアに10〜15歳で合計10年弱いました。ーアメリカの好きなところはどこですか?人、多様性、音楽と芸術カルチャー。ーアメリカの嫌いなところはどこですか?人種・政治周りの緊張、たまに行き過ぎる個人主義。ーアメリカで“日本人”でいていいことは?外国人として見られないこと、言葉が通じる限り「日本人」を意識することがないこと。ーアメリカで“日本人”でいるのが嫌なときは?(個人的に経験することはほとんどありませんでしたが)アジア人差別。ーアメリカにいて自分が“日本人”だと強く感じるときはどんなときですか?学校にお弁当やおにぎりを持って行ったとき。家に友達を呼んだとき。(土足禁止、親と日本語での会話、和食や日本のお菓子がある、等)ーあなたにとってアメリカで“日本人”でいるとは、どういうことですか?「日本人」として生きなくて良いということ。アメリカは移民で成り立っている国だから特に意識することはありませんでした。ーあなたにとってアメリカで“日本人女性”でいるとは、どういうことですか?「日本人」を意識することがなかったのと同様、住んでた当時自分が「日本人女性(女子)」であることを意識することはありませんでした。Tumblr:岡田佑亮(ジミー)【25歳, フリーランス】ーどれくらいアメリカに住んでいましたか?アメリカのどこですか?アメリカのイリノイ州、シカゴ郊外のネーパービルという所に9年ほど居ました。ーアメリカの好きなところはどこですか? 選択肢が多いことだと思います。普段の食事から娯楽、進路、どこで誰と何をするかまであらゆるオプションが用意されています。もちろん日本でこのように選ぶことができないわけではないですが、明らかにバラエティが違うと思います。アメリカがこのようになったのも、多民族国家だからだと感じます。ーアメリカの嫌いなところはどこですか?差別や偏見は他の国より多く見受けられると思います。様々な人種が集まるなか、「自分が一番」という国民性によってお互いに対する差別はかなり感じます。ーアメリカで“日本人”でいていいことは?良くも悪くも、日本人は真面目です。アメリカで真面目に仕事や遊びに打ち込むと、一際目立ちます。これこそ偏見かもしれないですが、適当に物事を進める社会で日本人っぽく真面目に仕事をすると、「そこまでやってくれるのか!」と喜ばれる気がします。ーアメリカで“日本人”でいるのが嫌なときは?日本人に対する差別は、小さい頃は少なくとも私が住んでいたところにはありました。白人、黒人、メキシコ人が圧倒的に多い国では、アジア人はマイノリティーです。肌の色でいじめられたり、アジア人だから勉強ができるだろと言われたりもしました。ーアメリカにいて自分が“日本人”だと強く感じるときはどんなときですか?私自身は割と不真面目な方だと思いますが、アメリカ人に比べてしまうとかなりシリアスな人だと思われる気がします。アメリカのテレビ局と仕事をすることがあるのですが、彼らは「まあ、どうにかなるだろ」とかなり適当に仕事をしている気がします。そのなか、私は普段通りに手配や連絡などをするのですが、比較すると仕事に対する意識や態度が180度違うな、と感じます。(それで普通にアメリカでかっこいい番組が作れるのは、もはやセンスの違いなんでしょうね)ーあなたにとってアメリカで“日本人”でいるとは、どういうことですか?日本人としてアメリカにいるということは、他の国や人種の人々と共存しなければいけないということです。力強く、自分を持って生きないと多様な文化や風習に飲み込まれてしまいます。ーあなたにとってアメリカで“日本人男性”でいるとは、どういうことですか?アメリカでは、日本人の男性は他の人種に比べて草食的で控えめなイメージがあると思います。上の設問と同じですが、己を信じてガツガツとしないと、取り残されてしまいます。 今回Be inspired!はVOL.1、VOL.2と2部で、アメリカで育った4人の“日本人”にお話を聞いた。これはあくまでも個人の体験だから、全てのアメリカに住む日本人、日系アメリカ人、アメリカ人に当てはまるわけではない。それどころか、インタビューを受けてくれた4人ですら、とても違う経験と意見を持っているように感じた。性別、セクシュアリティによっても体験は変わってくるのかもしれないし、性格、環境、アメリカのどこか、によっても異なってくるのかもしれない。4人の体験を読んだみなさんのこれまでの経験によっても、共感するところや、新しい発見は違うだろう。それでも日本を今生きるみなさんが彼らのストーリーを通してそれぞれの形で、「日本人でいることは何か」を見つめ直すきっかけとなり、それ以上に何かを考える機会となっていれば幸いだ。 VOL.1へ:入江 嶺、biki Text by Noemi MinamiーBe inspired! この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!「多様性」と「差別」が混在する矛盾だらけのアメリカで生まれた「有色人種」というプライド。アメリカで“日本人“として生きることとは。VOL.1 アメリカ、と聞いてあなたは何を思い浮かべるだろうか。ハリウッド映画やポップミュージックは日本でも大人気だし、アメリカからチェーン店が日本に上陸すれば大行列。リベラルで...
2017年07月19日アメリカ、と聞いてあなたは何を思い浮かべるだろうか。ハリウッド映画やポップミュージックは日本でも大人気だし、アメリカからチェーン店が日本に上陸すれば大行列。リベラルで自由?オープンで自己主張が激しい?持ってる印象は人それぞれ違うだろうけど、大抵の人がなんらかのイメージを持っているのではないだろうか。アメリカは歴史的、政治的観点から見ても、文化的観点から見ても日本に大きな影響を与えてきた。しかし、アメリカは日本をどう思ってるんだろう?実際アメリカに住んだらどうなのだろう?日本人としてアメリカ社会ではどう受け入れられるのか?そんな疑問をふと感じた。そこで今回Be inspired!では、アメリカで育ったある4人の“日本人”*1に、話を聞いた。「アメリカで“日本人”として生きることとは」を理解するために、彼らがシェアしてくれた個人的なストーリーをVOL.1、VOL.2と2本の記事に分けて編成した。わたしたちが日本を出ることはたとえなくても、アメリカに実際に生きた人々のリアルな声を知ることで、少しでも日本を外から見つめ、日本人とは何か、自分とは、そして世界への理解が深まれば嬉しい。(*1)彼らのアイデンティティが日本人でも、アメリカ人でも今回は容姿的観点からアメリカ社会で「日本人」として見られることがあるのを考慮してインタビューを行った。そのため、本人のアイデンティティとは関係なく、文章内では“日本人”と表記する。入江 嶺【学生】ーどれくらいアメリカに住んでいましたか?アメリカのどこですか?19年間、アメリカ合衆国(カリフォルニア州)。ーアメリカの好きなところはどこですか?年間を通して安定した気候と人 。ーアメリカの嫌いなところはどこですか?車社会であること、日本と比べると美味しい食事が限られること。ーアメリカで“日本人”でいていいことは?日本文化に精通しているからこそ 、お米の魅力を誰よりも知っていること。ーアメリカで“日本人”でいるのが嫌なときは?私はアメリカで産まれ育ったがゆえに、自身のアイデンティティとしては、自分はアメリカ人であると常に考えていました。だが、見た目が日本人だからこそ、学校でも仕事でも日系人としてしか扱われないところが最も嫌でした。ーアメリカにいて自分が“日本人”だと強く感じるときはどんなときですか?アニメやマンガを読んでいて面白いと感じ、日本食(特にお米)を食べている時には自分はやっぱり日本人なんだなと感じます。ーあなたにとってアメリカで“日本人”でいるとは、どういうことですか?お寿司といった日本食の魅力を知っていて、アニメやマンガ文化といった事に他より精通している人はアメリカにおいて日本人っぽいとは感じる。だが、それは別に血であったり外見ということではなく、内面的な部分で日本人であると感じます。だからこそ、アメリカで日本人であるということに対して意味を深く考えたことは正直ありません。ただ1つ挙げるのであれば、文化や生まれ育ち、話す言語になんら関係なくその人は日本人であるとは思います。ーあなたにとってアメリカで“日本人男性”でいるとは、どういうことですか?自分にとってアメリカで日本人男性であることは、アメリカでアメリカ人男性であるということと同じ意味だと思っています。もちろん、見た目は異なりアメリカという場所においては、人から異質に見られることはなくはないが、だからといって自分は「異質な日本人」であると感じた事もなければ、友人関係やコミュニケーションにおいて問題を抱えたことはありません。だからこそ、見た目は異なってもアメリカにおいて自分はただの男であり、そこに「日本人」、「アメリカ人」といった違いはないと思っています。ーもし何か言い残したことがあればぜひ。アメリカにおいて日本人であるということと異なるのですが、産まれ育ちがアメリカである自分が日本の大学へ進学し引っ越して来たときに、言語をつい最近覚えたにも関わらず、住んだ経験もないのに見た目が日本人だから日本の常識を知っていて当たり前という価値観を押し付けられ怒られた時は非常に理不尽に感じました。そして、もし自分がアメリカで引っ越しなどを経験し、人間関係を0から新しく構築しなければならい状況下に置かれていたら、同じことを経験したかもしれないと感じました。biki【20代前半】Photo by Storm Luuーどれくらいアメリカに住んでいましたか?アメリカのどこですか? 幼少時代から3~4年ごとに日本とアメリカを行き来し、アメリカは合計で13年ほど住んでいました。主に東海岸のニューヨークです。ーアメリカの好きなところはどこですか?アメリカの一番好きなところは、政治的にも社会的にも深く屈折し矛盾だらけな分、それに対して必死に戦っている人が多く存在すること。移民大国として「自由の象徴」と見られがちな一方、白人警官の黒人射殺が頻発したり、世界一の囚人数を抱えていてそれが増える一方だったり、不法移民の自宅拘束や取り締まりがますます厳戒になったり、理想と現実の差がものすごく激しい国であるのも事実です。 でも私はアメリカが好きなわけではなく、自分が一員だったニューヨークのクィア(LGBTQ、性的マイノリティ)のコミュニティが好き、と言った方が正確かもしれません。私の周りのクィアの友達の中には、 特に黒人やラテン系の子達には、非常に貧しい環境に育ち、親にも見放され、幼い頃から自らを養ってきた人がいました。アメリカの社会の根底に人種差別がどれほど深く存在しているか、またそのような苦闘を乗り越えなければならないのに、親や通常の社会の支援システムに頼れないなか、どれほどクィアの友達のコミュニティが支えになるかということも、そんな彼・ 彼女らの日々闘う生き様を見て痛感しました。 ーアメリカの嫌いなところはどこですか?自己表現、つまり自分の強い芯を見つけ、それを社会に表現することが肯定される一方、いわゆるマイノリティの人々がそれを実行しようとすると社会構造によって踏みにじられ、差別され、どん底にまた突き落とされる、というループが存在するのも、アメリカという国の矛盾の大部分を占めていると思います。例えば、今アメリカではトランスジェンダーの女性への関心が高まり、Janet Mock(ジャネット・モック)*2やLaverne Cox(ラバーン・コックス)*3などの国民的人気を誇るスターも出てきている。どのようにしたら彼女らの生き様をリスペクトできるか、という議論が多く交わされています。その反面、トランスジェンダーの人の殺害件数は去年が過去最高を記録。 これはたったの一例で、星の数ほどこのような極端な矛盾がアメリカには混在しています。(*2)トランスジェンダー・アクティビスト、ベストセラー作家。(*3)トランスジェンダー女優。Netflixテレビシリーズの『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』で一躍有名に。ーアメリカで“日本人”でいていいことは?アメリカで日本人として生きることで一番メリットを感じること…というのは難しいけれど、私がアメリカに長く住んでて一番大事だと思うことは「solidarity」。あまり日本語でぴっ たりする言葉はありませんが、強いていうなら「連帯感」でしょうか。日本にいると、中国人や韓国人、在日外国人の方への差別的な言及が絶えないことに、心からうんざりしてきます。アメリカの、特にニューヨークや他の都市部に行くと、日本人という枠組みがどれだけ狭苦しくて制限のあるものかが実感できるようになったからです。そして、チャイナタウンで必死に生き抜いている中国人に親近感を感じたり、アジア系アメリカ人の友達とアイデンティティーについての会話を重ねるうちに、日本人ではなくアジア人、もしくはアジア系アメリカ人 (Asian-American) としての連帯感が深まるのです。また、有色人種(People of Color)の一員として他のアジア人やラテン系、そしてアフリカ系などの人々と共に人種差別を体験し、日本人という概念が薄まり、他の国の人々との横のつながりへの意識が高まりました。それは同じアジア人への差別も絶えない今の日本に住んでいるだけでは、なかなか身につかない考え方だと思っています。ーアメリカで“日本人”でいるのが嫌なときは?ニューヨークにいると、やはり移民だらけの多種多様な大都市なので、日本人という意識は薄れていく気がしますが、少しでも田舎へドライブしたり、都市を出て、アジア系が少なく白人が多い地域にいくとガラッと雰囲気は変わります。スーパーのレジやレストランなどで「あなたはどこからきたの?」や「まあ、英語が上手ね!」などとアメリカ出身である可能性を最初から否定するような質問をされる機会が一気に増えます。つまりアジア系アメリカ人であるかもしれないのに、出身国を聞かれたり、英語が上手などと言われるのは他国者扱いされるということ。私は国籍は日本人ですが、人生の半分以上をアメリカで過ごし、アジア系アメリカ人と日本人の中間あたりに存在している感覚なので、そういう扱いをされるといつも複雑な気分になります。ーあなたにとってアメリカで“日本人のクィア”でいるとは、どういうことですか?先ほどの質問と重なりますが、アメリカに住むことによって、私が日本人のクィアであること、というよりも、アジア系のクィアであること、及び有色人種のクィアであること(これを Queer Trans People of Colorと指し、略してQTPOCと言います)の連帯・同胞意識が強まりました。私が肌で感じたアメリカのクィアの特徴は、ジェンダーやセクシュアリティだけのアイデンティティーというよりは、生き方全体を示唆するものです。その考え方においては、クィアとして生きるには自分のジェンダーやセクシュアリティの問題だけでなく、人種、階級、障害、 経済システムなどの色々な差別に対して抵抗して生きるという思いが込められています。ですので国籍などの枠組みを超えて、根本的に、人類における差別、という一番醜いものをどうすれば少しでも改善できるのか。そのような大きな課題にコミュニティが一丸となって取り組む姿勢があります。例えばQTPOCの人への暴力が日々絶えないのが現状で、ニューヨークのコミュニティのトランスジェンダーの人が帰り道に何者かに襲われ大怪我などをした場合、SNSを通じてそのニュースがたちまち拡散され、クラウドファンディングで治療費や生活費が何千ドルと集まり、知り合いのつながりで病院から送り迎えをするなどのサポートチームが完全なボランティアで結成されたりします。もちろんこのようなひどい現状が存在するからこそ、なくてはならないコミュニティの支援システムなのですが、私は実際にニューヨークでこのQTPOCコミュニティの自立し徹底したサポートを見受け、「日本人」という枠組みではなくコミュニティベースの連帯感の中で生きていくことの重要性を感じました。bandcamp:へ:溝口香純、岡田佑亮(ジミー) Cover photo by Storm LuuText by Noemi Minami ーBe inspired! この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!「日本人男性は生真面目で草食」。自分の性格に関係なく、アメリカで決めつけられてしまう日本人の姿。アメリカで“日本人“として生きることとは。VOL.2 VOL.1に引き続き、今回Be inspired!はアメリカで育った“日本人”*1の若者に「アメリカで“日本人”として生きることとは」について話を伺った。日本では義務教...
2017年07月19日うつ病をはじめとするメンタルヘルスの病の認知が上がり、自分もうつ病ではないかと検診を受けたり、そこでうつ病だと診断されたりする人の数が増えている。だがあなたは子どもの頃、不安な気持ちや気分の落ち込みにどのように対処していただろうか。その状態を打ち明けたり、「精神疾患」と診断されることに恐さを感じていなかっただろうか。著名人が「精神疾患や学習障害を患うことは異常ではない」と人々に訴えかけるキャンペーンが5月から6月にかけて行われた。#MyYoungerSelf begins on Monday!Can you guess any of the participants? pic.twitter.com/MdjCN0eUxf— Child Mind Institute (@ChildMindDotOrg) April 29, 2017メンタルヘルス問題を抱えている子どもを救うため、立ち上がったセレブたち#MyYoungerSelf(幼かった頃の私)を使ったハッシュタグ・アクティビズムは、5月のメンタルヘルス啓発月間に合わせて、アメリカの国家規模の非営利機関「Child Mind Institute」(子どもの精神学会)が始めたものだ。このキャンペーンは、子どもの頃に精神疾患や学習障害を患ったことのある著名人が、自身の経験を話したり、そのような問題に偏見を持つべきではないと訴えたりし、多大なインパクトを与えた。その背景には、アメリカの子どもの5人に1人が精神障害・学習障害を抱えているというデータがある。日本では全人口の40人に1人が精神疾患の治療のために医療機関を利用しており、多くの子どもが同様の問題を抱えていると考えられる。(参照元:Child Mind Institute, 日本精神神経学会)トミー・ヒルフィガー(ファッションデザイナー)※動画が見られない方はこちら日本でも人気なカジュアルプレッピーブランドのトミーヒルフィガーのデザイナーである彼は、「失読症」を抱えていた。彼が自分の症状について話すのを恥ずかしがっていた過去を振り返って人々に呼びかけたいのは、もし自分に何か問題を感じたら大人に話すべきだということだ。エマ・ストーン(俳優)
2017年07月18日2015年9月、大阪で活動するタトゥーアーティスト、タイキ氏が警察により突然の摘発を受けた。理由は「医師法違反」。彼はこれまで衛生面の管理は怠ることなく、客からのクレームや問題が起きたことは一度もなかった。しかし、警察は「針先に色素をつけながら皮膚の表面に色素を入れる行為」は医師法上の「医行為」にあたると解釈、タトゥーを彫るには「医師免許」が必要だと主張したのだ。はたして本当にタトゥーを彫るのは免許を持った「医師」でなければいけないのだろうか?偏った法解釈と伝統文化の間で揺れる日本の刺青業界の今とは。「イレズミ文化」を守るため始まった、「法」との戦い2015年、タイキ氏が摘発された時にはすでに大阪では警察によるタトゥー/刺青スタジオの一斉検挙が行われており、スタジオのオーナーや従業員に何人もの逮捕者が出た。元々は暴力団絡みの事件などのみを取り締まっていた警察が純粋なタトゥーアーティストにまで捜査の手を伸ばし始めたのだ。現在、タイキ氏は「医師法違反による刑事裁判」で「偏った法解釈」から「日本の伝統文化・アート表現」としての「イレズミ」を守る為戦っている。そしてタイキ氏を中心に彼の仲間たちが立ち上げたプロジェクトが「SAVE TATTOOING 」だ。Photo by APOCARIPTBe inspired!(以下、Bi):自己紹介と自身のタトゥースタイルについて教えてください。 幼い頃からラクガキをするのが好きでした。高校卒業後ファッションの専門学校でスタイリスト科を専攻し、在学中からスタイリストをはじめ、独立と同時にパリに渡りました。1年後に帰国し、東京でスタイリスト再開した際、タトゥースタジオAPOCARIPTの大島托氏に自分の絵をタトゥーとして入れてもらったときにこの世界に誘われました。現在は、スタイリストをしながらタトゥーアーティストとして活動しています。タトゥースタイルとしては既存の形やジャンルに捉われず、自身の内側から湧き出たものを形にする、「アールブリュット」を得意とし、作品によって手彫りとマシン彫りを使い分けています。小さな作品の点在でバランスをとることが好きで、気の抜けた、風の通る作風でありたいと思っています。にじんだりかすれたりしているラインの方が人間や人間の細胞っぽさがあり、その人の内側から浮き出たものを感じさせるので好きです。もともとその人の心の中にあるものを彫っている感覚なので、そんなラインがしっくりきます。Photo by CILOBi:タトゥーを入れる人が増えつつある中、まだまだ施設や職業など規制されることの多い日本の社会についてどう考えていますか日本は偏見の多い社会なので仕方がないなと思います。みんな右に習えで、拒否しておいたほうが楽なこともあるから。偏った情報の中にいる限りそれは無くならないと思います。Be inspired!さんのように、いろんな角度から彫りを示してくれるメディアが増えればいいなと思います。きっと少しづつでも変わっていくと思います。こんな考え方もあるんだよ。こんな人もいるんだよって。広めてほしいし、知ってほしい。知ってから判断してほしいなと思います。Photo by CILO日本の伝統、和彫文化の後継者。「彫天」Photo by 彫天Bi:女性×彫師という存在でいることについて、周りの反応や自分自身が感じていることは両親は最初は賛成ではありませんでしたが、その後の私の様子を見て真剣さが伝わり、今では家族、友人は皆応援してくれています。その他の方については、不動産屋で相手にされなかったり、弁護士事務所ではっきりと「見た目の問題があるので、出入りは遠慮してほしい」と言われたり、やはり世間の風当たりは強いですね。Bi:タトゥーを入れる人が増えつつある中、まだまだ施設や職業など規制されることの意多い日本の社会についてどう考えていますか上記のような経験があり、 私自身も風当たりの強さを感じていますし、海外へ行く際も入国拒否の問題も大きいと思います。暴力団でもない、前科もないのに必要以上に調べられ入国できなかった話もよく聞きますし、銭湯や温泉については現在こんなにも外国人のタトゥーを入れておられる方が増える中、とても先進国の対応とは思えません。Photo by 彫天「彫る側」「彫られる側」両者の様々な思いや決意、信念が一つの形となって刻み込まれるタトゥー/刺青。今回の「純粋なタトゥーアーティストの摘発」により、今後タトゥーだけでなく私たちの生活の中にある様々な伝統文化やアート表現が「偏った法解釈」によって規制される可能性が見えてきた。アートや文化を守るのは「法律」ではなく人々の「意志」であり、古くから受け継がれる伝統や私たち一人一人の「表現の自由」を守るためには自分たちで行動を起こさなければならない。そしてその一歩を踏み出したのがタイキ氏率いる「SAVE TATOOING」。彼らの活動の詳細やプロジェクトへの支援はこちらのリンクからご覧いただける。また、2017年8月4日にはタイキ氏が戦う「大阪タトゥー裁判」の最終弁論が開かれ、この最終弁論に多くの人が集まり、本件の重要性を世間に広く認知してもらう事で法整備活動にも大きなメリットに繋がるため、是非多くの人に参加してもらいたい。
2017年07月18日「顔で人生が決まる」とか「年齢を重ねると性格が顔に出る」とか、人生を物語るのは「顔」だと言われることが多いかもしれない。けれども、本当にそうなのだろうか。ニューヨークには、顔でなく身体で人生を語らせるアーティストが存在する。「顔」ではなく、「身体と言葉」のポートレート
2017年07月17日世界最大の動画プラットホームYOUTUBEでは、誰も挑戦したことがない驚くような取り組みをしたり、ファッション、スイーツ、音楽など世間で話題になっていることを世界中で共有することができる。そのYOUTUBE上では社会をよくするために動画をアップしているYOUTUBERが存在していて、Be inspired!では彼らをGOOD YOUTUBER、略してGOODTUBER(グッチューバー)と呼んでいる。本連載を通して、新しい価値観や知識に出会い、「社会をよくするためのには自分には何ができるのか?」を考えるきっかけになれば嬉しい。社会や環境を考慮した商品だけを買い続けることは経済的に難しい、しかしファッション産業で起きている問題は無視したくない。そこでタラが提案するのは、誰でもできるサステイナブルファッションの方法だ。①「どのように洋服を手入れするか」を学ぶ。彼女は「洋服をどのように洗濯をするか」、「自分でどのように修理するか」を学ぶことが大切だと話す。洋服の破れやほつれを直すために縫い方を学ぶ、服が傷まないように乾燥機に入れることをやめる、洋服の素材に合った洗濯をする、といったことを実践するだけで洋服はいい状態で着続けるができる。彼女はこのようなスキルを身に着けたことで、使い捨ての洋服だと思われがちのファストファッションの洋服も長い期間使うことができているという。②自分の経済力と価値観に合うスタイルを見つけるもう一つの方法は、社会や環境の影響を考え、負担なく長く続けられるオシャレの楽しみ方を見つけることだ。タラが購入した古着彼女は部分的にサステイナブルファッションの洋服を取り入れたり、古着屋でお気に入りの一着を見つけるなど、経済力に合った自分だけのサステイナブルファッションを実現させている。そして「企業が社会や環境のためにどのような取り組みをしているのか」をチェックできる“Project JUST”というサイトを使って、彼女の価値観に合った企業を選び、商品を買うようにしている。社会を考えた“自分オリジナルのファッション”を楽しむタラが実践していることは明日からすぐに始められること。洗濯機に無造作に洋服を放り込むことをやめて、柔らかい素材の洋服やお気に入りのTシャツは洗濯網に入れて洗濯したり、お気に入りの古着屋を見つけたり、方法は数えきれない。またファストファッションを買うことがタブーだと思われているが、彼女のようにファストファッションを大切に長く使うことから始めてみるのはどうだろうか。社会や環境を考慮したオシャレは、サステイナブルファッションの洋服を買うだけでなく、自分自身で創り上げていくものなのだ。***Tara Efobi
2017年07月16日WHAT’S GOODBe inspired!(以下Bi)お店の一番のオススメの品はなんですか?メキシカンタコスです。
2017年07月15日シャーっと風を切り裂いて、悠々と板を乗りこなし、街に繰り出すスケーターたち。カッコイイ!と思ったり、筆者のように気持ち良さそうだな〜と勝手に羨ましくなったりしている人もいると思う。でもスケーターを「不良」だと思っている人が存在しているのも事実。東京のスケーターたちはよく警察に止められたり、おじいさんおばあさんに怒られたりするそう。スケーターたちはストリートで輝く存在、どこかワルだというイメージはどこの国でもある程度共通しているのかもしれない。でも、インドやエチオピア、ヨルダンなどの国々で、世界中からスケーターたちが集まり、せっせと現地の人のためにスケートパークをボランティアで建設していることを知っているだろうか?
2017年07月14日人に優しくすることの大切さは多くの人が分かっているが、実行するのは難しい。しかしそれを「テディベアを作る」という形で行動に移し、たくさんの人の笑顔を作った13歳の少年がいる。なぜ彼は何の見返りも求めず誰かのために優しくできたのだろうか。その答えに私たちはハッとさせられるだろう。「9歳の少年」の運命を変えた、イブの夜Photo by Son Whittaker現在13歳になるキャンベル君が自身の人生を変えるきっかけとなったのは、彼が9歳のときのクリスマスイブだ。この歳の少年なら、たいていの場合、サンタさんを待ちわび両親からのプレゼントにも胸を躍らせることであろう。しかしキャンベル君は違った。自分がプレゼントされることよりも、“プレゼントすること”に興味をそそられたのである。 病気で苦しむ子どもたちのために何かをプレゼントしたい。(引用元:YouTube) クリスマスイブの夜、キャンベル君は両親にこう告げた。しかし彼の両親は彼の言葉に理解を示しつつも費用の面から反対。ならば自分で何かを作ってプレゼントをしようと、キャンベル君はテディベア作りに励むことを決心した。テディベアをつくるための資金は、お小遣いとゲーム機を売って工面したという。(参照元:Project365byCampbell公式Facebookページ)もちろんミシンの使い方なんて分からなかったため、インターネットで調べて一から独学でスキルを身に付けたそうだ。最初は1体作るのに5時間もかかっていたが、ミシンを使いこなせるようになってからは、1時間で1体のテディベアを仕上げられるという。(参照元:The Feed)テディベア制作のノルマは、「1日1体」Photo by Project 365 By Campbellキャンベル君はこれを『プロジェクト365』と名付け、1日1体のテディベアを作って、病院にいる子どもたちにプレゼントすることを目標にした。9歳から現在の13歳になるまで毎日ミシンに向かい、これまでに贈ったテディベアの数は、800体を越える。(参照元:TheTelegraph) 毎週木曜日に病院にテディベアを手渡しにいくんだけど、その時にみんなが笑顔になって僕をハグしてくれる瞬間が一番幸せなんだ。(引用元:boredpanda) キャンベル君はそう語る。しかし、いつまでも自分のお小遣いが資金として続いていくわけではない。そこで彼はSNSを使って寄付金を集めたり、リボンや布などの材料を恵んでくれる人を募ることにした。 テディベアを作っている合間に、いつも5分だけ離れてSNSに書き込みをするんだ。(引用元:ABC NEWS) その効果は抜群で、彼の活動は瞬く間に広がり多くのメディアにも取り上げられた。多くの寄付が集まったが、それでもキャンベル君は自身のお小遣いのほとんどをテディベア作りに費やし、テディベア作りを辞めることはなかった。 僕は僕がやりたいと思ったことをやるだけさ。(引用元:ABC NEWS) どんなに資金が集まろうと彼がやろうとしていることは決してブレない。売り上げ全て「寄付」。Photo by Project 365 By Campbell資金に少しだけ余裕が出てきた現在は、Webサイトでテディベアを欲しいという人を募りさらに活動の幅を広げている。キャンベル君の母は、宿題もきちんとこなしながら、9歳の時以来、毎日ミシンに向かう彼に関心していると話す。 「きっと彼はXboxよりも縫うことが好きなのね。24時間365日テディベア作りができるのなら、きっとやると思うわ」という母の言葉に対しキャンベル君はあっけらかんとこう答える。(引用元:DailyMail) スケートボードが好きな友達がいるように、僕は家に帰って縫うのが好きなんだよ。(参照元:DailyMail) 彼の活動はこれだけにとどまらず、さらには自分で作ったテディベアをインターネットオークションサイトebayで販売し、その売上金をチャリティ活動「Relay For Life」に寄付することも開始した。(参照元:Mashable)キャンベル君の作ったテディベアはユニークで個性があり、販売も好調なようだ。世界に必要なのは、「意地悪」ではなく「優しく」することPhoto by Son Whittaker「2日に1回はメディアのインタビューを受けている」と母のソニアさんが明かすように、すでにキャンベル君は地元でちょっとした有名人になっていて、彼の周りも少しずつ彼に対する目が変わってきているが、キャンベル君は変わらない。毎日黙々と次の笑顔に出会うためにテディベア作りに励んでいるのだ。(参照元:DailyMail)しかしなぜ彼は何の見返りも求めず、自分の時間とお金を費やすことができるのだろうか。それは単純に、病院で悲しい気持ちになっている人たちを笑顔にしたいから。 入院中のネガティブな感情をポジティブなものに変えてあげたいんだ。意地悪をするのではなく、みんなが誰かに優しくしたらきっと世界は変わるよね。(引用元:The Feed) 13歳のその言葉を聞いて、大人はハッとさせられるだろう。今、世の中は自分のことだけを考える人が増えてきて、それによって嫌な事件が起こっている。そればかりではなく、自分の国のことだけを考えるがあまり、新たな憎しみを生んでしまっているかもしれない状況でもあるのだ。しかしそんな“意地悪”な心を捨てることができれば、少しだけねじれ始めた世界を変えることができるのではないだろうか。キャンベル君が教えてくれたように、世界のみんなが優しさを持って行動できれば、きっと世界はいい方向に向かうはずだ。***Project 365 By CampbellPhoto by Son WhittakerText by Asuka Yoshida ーBe inspired! この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!Googleじゃなくて「手紙」が世界情勢を知る手段。193ヶ国に1158通の手紙を出した「9歳の少年」から教わる“行動の重要性” 「世界の大きさはどれくらい?」 そう聞かれたら、あなたはどう答えるだろうか?想像ができないくらい大きいと思う人もいるだろうし、そもそも想像したことのない人もいるだ...
2017年07月14日なんとなく馴染めない、と感じたことはあるだろうか。初対面の人とうまく話せない、とかいつもの友達といるのに急に自分だけ部外者みたいって感じてしまう、とか。急に孤独を感じることはないだろうか。理由もないのにひとりで信じられないくらい悲しくなって、自分でも言葉にできない感情に悩まされる夜。人間の、ときに脆く繊細な存在を美しくも生々しく、独特の世界観でフィルムに描くのが映像作家UMMMI.。i-D、装苑、GINZAなどでも取り上げられた今注目の24歳のクリエーターである。今回Be inspired!は、彼女の作品や思想、現代の日本社会の中でのアートの役割について話を聞いた。
2017年07月13日Photo by LUI ARAKI優しい声で「いらっしゃーい」と奥から顔を出すのは、「HATOS OUTSIDE」のオーナーの一人である望月 玲児郎(モチヅキ レイジロウ、以下Ragelow)氏。Photo by LUI ARAKI『100年先も評価される絵を描きたい』アーティストとして活動しているRagelow氏は、作品ごとに違うテーマを設定してから制作に取り掛かるという。2006年には、葛飾北斎にインスパイアされ制作したという 『Survival Drive』を発表した。これは、現代のツールを用い、日本一周記録の旅をするというもの。移動距離34033km、計131日間にもおよぶ車泊と野営によるスケッチと写真での記録の旅。まさに「Survival Drive」と呼ぶにふさわしい大作のアート作品である。同年“THE NORTH FACE”の協力にて、“PANORAMA”よりアートブックとしてリリース。Photo by SOICHIRO FUKUDAPhoto by LUI ARAKIPhoto by LUI ARAKIまた、これらに加え、Ragelow氏には現在取り組んでいる活動がある。それは、渋谷のスケッチだ。気ままに街を散歩しピンと来たらその場で風景を描く。それを持ち帰り、巨大な紙の上に書き写す。そこに暮らす事で感じる東京の街並みを空想で描くというもの。とことん細かく、細部まで描き込んだという大作である。現在製作中の巨大な東京のイラストレーションPhoto by HATOSなぜ彼はアーティストになり、どのような思い込めて「東京の街並み」を描いているのだろうか?自分ではアーティストだとは思っていません、好きなことをやってきた結果です。 感じた事を感じたままに表現したかった、街はそれ自体が大きなアート作品。どんなアート作品よりも圧倒的だと思っています。それは人の手でつくられているからこそです。スケッチでは要所要所に抽象的なモチーフを入れ込んでいます。自分が率直に感じたものを、具体的なものである「街の風景」に織り交ぜているんです。要はメッセージを忍ばせているということなのかな。Photo by SOICHIRO FUKUDAこれまでの人生で、一般的な「就職」をしてこなかったRagelow氏。彼は人生のテーマとして『Normalization(正常化)』、『Think Outside the System(体制の外側から考える)』という言葉を掲げている。前者に関しては、原来、障害を持つ方を隔離してしまうのではなく、就労や家庭環境などに、普通の人と平等に参加してもらうという意味を持つ医学用語だ。また、後者の「Think Outside the System」は、前述の『NEW TOKYO POST』のテーマでもあり、一般的な物の見方に囚われてしまうことなく、一歩引いた位置、つまり「第三者的目線」からモノやコトを見るのが大切だ、というメッセージである。これらは、彼がこれまでの人生において貫いてきた、いわば「普通ではないスタイル」に対するアンチテーゼとも取れるだろう。世間一般の普通に対して、彼は彼なりの“普通”を体現し、アートの形で社会に提唱しているのだ。例えば、就職活動。みんなが同じ黒のスーツに身を包み、同じような髪型をして、同じようなスタイルで行うことに関してRagelow氏はこう述べた。高校受験して、何となく大学に行かなきゃという普通。まずは親に感謝ですよね。でも、もしやりたいことが見つからないでそうしているなら、まずは飛び出す事。実家を出てなんでもいいから体使って働いて、そのお金で外国にでも旅にでたらいいと思う。若いときこそ、興味のある専門的な事を学ぶべきだし、学校じゃなくても実践的に働いて学べばいい。スーツ着て就職したから一生安心だなんて幻想だから。Photo by DAILY WORKERSインターネットの普及は、現代人の生活を一変させた。知らなかったことは、Googleがすべて教えてくれるし、インスタグラマーやユーチューバーになれば、素人でも多くの人に情報を発信できるインフルエンサーとして活動ができる。イラストだって、Adobeのイラストレーターやフォトショップなどを使えば手描きの作業なしで制作できる。しかし、彼はSNSを利用して、オンライン上で多くを語る訳ではなく、号外新聞(『NEW TOKYO POST』)を手配りする、というアナログな形で自分の考えや思想を社会に発信している。必要に応じてインスタグラムなどのSNSを活用しているため、インターネットを完全に排除するわけでもない。また、どんなに巨大で、精密な絵を描くときも必ず手描き(オフライン)だ。全てがオンライン化し、便利な時代になった今、彼のオフラインに比重を置くスタイルは時代に抗っていて、「変だ」と感じる人もいるかもしれない。しかし、これが彼にとってのスタンダードなのだ。「オンライン作業とオフライン作業」だけでなく、「コンサバティブとリベラル」「ハードコアとポップ」など、黒と白のどちらかに偏るのではなく、両者を知り、両者の良い部分を受け取ることのできる「自分のグレーゾーン」を彼は持っているのだ。情報過多で、目紛しくテクノロジーが発展する現代社会で、時には立ち止まり、じっくり物事を俯瞰して見ることで、「Outside the System(体制の外側)からの視点」、そして「自分のグレーゾーン」を持つことが、現代を生きる私たちに必要なのだと伝えるため、彼は今日もペンを握り、活動を続けている。***Ragelow
2017年07月12日2017年も気が付けば半年が過ぎ、いよいよ夏に近づく7月に突入した。“夏”の風物詩といったら、花火大会、バーベキュー、海水浴場やキャンプ、そしてなんといっても“音楽フェス”。友人やフェスに参加している全員で音楽を楽しみ、夏の思い出を作る最高のイベントのひとつではないだろうか。誰かのために働く有意義な4時間。このフェスの特徴は、「お金でチケットが手に入らない」というところ。チケットを手に入れたい人は、4時間のボランティアに参加し、その対価として無料でフェスを楽しむことができるのだ。東日本大震災の被災地支援をはじめ、都市部の環境管理や自然保全など、20種類ほどの活動があり、誰でも気軽にボランティアを楽しめるものになっている。誰かのために体を動かし得たチケットで参加するロックコープスは、間違いなく人生の特別な時間や体験になるはずだ。ロックコープを日本で開催する「6つの意義」ロックコープスは、日本にボランティアの活動を広げられるだけでなく、将来的に私たちの常識を革新させる「6つの意義」があるとスティーブン氏は話してくれた。①日本の若者に「新しい世界」に飛び込むチャンスを与えることができる。Photo by ⓒRockCorps supported by JTスティーブン氏はインタビューで、社会の中の“サードセクター”の重要性を言及した。サードセクターとは政府や営利企業以外に、社会貢献を目的としてチャリティーやボランティアを行う非政府・非営利団体のような組織のことである。日本では東日本大震災後、社会をサポートする組織として注目され、2011年に発表した『東日本大震災からの復興の基本方針』では、サードセクターが“新しい公共”として、復興の担い手になることが提言され、サードセクターは社会を良くするためには欠かせない存在になりつつある。社会を変えるムーブメントを起こすには、政府や営利企業ではなく、サードセクターの存在が不可欠である。彼らと国民が一緒に活動することで、国民は自分自身に社会を変える力があるという事実に気がつくはずだ。国民が「自分たちにも社会を変えられる」と実感するようになるには、ロックコープスのように、NPO・NGOや市民団体のようなサードセクターと国民が力を合わせ、社会を良くするためのムーブメントを作っていくことが重要となってくる。③音楽は社会問題を問いかける存在になる。Photo by ⓒRockCorps supported by JT世間では若い世代を悪く評価することが多い。しかし彼らは、野心家で「なにか新しいことをしたい」と感じ、またコミュニティーを大切にする世代。そんな世代だからこそ、活動する場を作ってあげれば、それを上手く活用して社会を変える大きなムーブメントを起こせると期待している。大人やメディアは「いまどきの若者は~」「これだからゆとりは~」と言うことがある。しかし、スティーブン氏は若者の力を強く信じていて、「若者がスマートフォンに依存していると社会で言われているが、実際はデバイスそのものではなく、“友達とのつながり”を大切にしているのだ。コミュニティーを重視し、地位を得ることよりも新しい経験を得るために行動する若者だからこそ、ロックコープスを土台にして、社会をよくするために一丸となって活動してくれると思う。」と話してくれた。ロックコープスを通して、日本の若い世代の力を存分に発揮できる場が与えられれば、「若者の力」は再認識されるだろう。⑥将来的にボランティアが若者にとって身近な存在になる。ロックコープスは今の若い世代だけでなく、これから生まれてくる世代に「社会問題を解決するために取り組むのは、決して難しいことではない」ということを教えてくれる。現代の日本では「社会問題に取り組むって意識が高い」と思われている。しかし、ロックコープスが日本で続いていくことで、ボランティアのような社会活動が日本のスタンダードとなり、また新しい体験や出会いから社会活動をすることの充実感を得られるようになる。今後の日本の動向はロックコープスを通じて、著しく変化していくことに期待したい。***Stephen Greeneボランティアに参加したい方はこちらからチェック!Interview and photos by Jun HirayamaText by Chisano NezuーBe inspired!この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!いくらお金があっても参加できない。「都市型 × 社会派」の夏フェスが、今年は首都圏で開催決定。 気温も次第に暖かくなり、今年もついに夏フェスのことを考え始めるシーズンに差し掛かってきた。「どのフェスに行こうか」と迷っているあなたに今回はBe inspired!がオススメし...
2017年07月11日学校や職場に行く前にコーヒーを買う習慣のある人は多いのではないだろうか。目を覚まし、冴えた頭で授業や仕事に取り掛かるために欠かせないものかもしれないが、そのコーヒーを「紙カップ」で買うことが環境に多大な影響を与えている。それはコーヒー用の紙カップの多くがリサイクルできない素材で作られているからで、世界では毎年500億個もの紙カップが埋め立て地に運ばれており、その数は1分間で約10万個という計算になる。
2017年07月11日オンライン動画プラットフォームYOUTUBEでは誰でも好きな動画を世界中の人たちと共有することができる。音楽、ショートフィルム、音楽動画から、お笑いまでと実に様々だ。その中には社会をよくすることを目的とした動画を発信している社会派YOUTUBERもいて、Be inspired!では彼らをGOOD YOUTUBER、略してGOODTUBER(グッチューバー)と呼んでいる。毎週新しいGOODYOUTBERを紹介する本シリーズを通して、新しい価値観や知識に出会い、みなさんの世界が広がれば嬉しい。
2017年07月09日