女性自身がお届けする新着記事一覧 (850/893)
「私の不注意でけがをしてしまい、本日のコンサートの演出を一部変更させていただきます」 7月8~9日、日本武道館でコンサートを行った松田聖子(55)。開幕直前、彼女自身の声で、こんな衝撃的なアナウンスが流れた――。全国ツアー前半のラスト公演とあって、楽しみに駆けつけたファンも多かったが、聖子は“不慮のけが”で椅子に座りっぱなしだったという。 「聖子ちゃんは『こんな姿をお見せしてごめんなさい』と何度も何度も謝罪。唯一動かせる上半身をできる限り大きく使って、2階席の観客にも見えるように頑張っていました」(観客の女性) 一部週刊誌では、9日の公演直後、慶應病院勤務の夫・Kさんが、聖子の車椅子を押してシンガポールに向かう姿を報じている。これも治療のためではないか、と言われていたのだが――。 「現地で歯科医のKさんの学会発表があり、聖子さんが同行されたんです。Kさんは『無理して来ないほうがいい』と止めたのですが、どうしても一緒に行きたかった聖子さん。そこで、聖子さんのお母さんが手伝いについてきてくれるなら大丈夫だろう、ということで家族旅行になったと聞いています」(芸能関係者) 武道館公演では、歌の合間に「転んで腰と背中を強打した」と観客に語った、聖子。だが、いつどういった状況でケガしたのか、具体的な詳細は明かされていない。 「実は、“ぎっくり腰”ではないかといわれています。骨折やヒビが入る重症だとしたら、座って歌を歌うことやシンガポールまで長時間飛行機に乗ることすら難しいはずですから」(前出・芸能関係者) 整形外科医の陳維嘉さんは、ぎっくり腰についてこう警鐘を鳴らす。 「一般的にぎっくり腰は、加齢による筋肉の衰えなどが原因で発症すると言われています。筋力は25歳をピークに1年に1%ずつ低下していきます。聖子さんが今回初めてのぎっくり腰だとすると、若いときには大丈夫だった激しい動きも、筋力が低下しているため負担が大きくなったということでしょう」 「まだまだ現役よ!」と“過信”してしまう40~50代は逆に要注意ということだ。そんな同世代ファンに聖子が心遣いを見せる場面も――。 「聖子ちゃんは、立つこともままならない深刻な状態なのに『転んじゃったんです。皆さんも気を付けてね!』と笑い飛ばして……。ファンに心配をかけまいと気丈に振舞っていました」(前出・観客) ツアー再開まで20日あまり。それまでにぎっくり腰は完治するのだろうか。 「軽ければ1~2週間くらいで治りますが、3~4週間、痛みが残る人もいます。無理は禁物ですが、痛み止めを使えば立って歌うことも可能でしょう」(前出・陳維嘉医師) 来月のステージでは、歌姫の“完全復活”をきっと見せてくれるはずだ――。
2017年07月18日最旬韓国スターのインタビューをお届けしているK☆STAR LOVES。 今回のゲストは、2年間の兵役を終え、7月1日に除隊したパク・ジョンミン。SS501の内でも、トークの面白さではNO.1の彼が、流暢な日本語で軽快なトークを繰り広げる。入隊直前から約17キロの減量に成功し、さらに磨きをかけた美貌とウィットに富んだ会話は、2年間のブランクを感じさせない鮮やかさ。 22日、原宿クエストホールで開催される復帰コンサートの演出の構想など、ここでしか聞けないマル秘エピソードが満載です! ■パク・ジョンミンHP■韓国エンタメ情報&オリジナルインタビュー満載!『K☆STAR LOVERS』記事一覧■女性自身韓流Twitterアカウント(動画/Bravoworks,inc.)
2017年07月18日モデルでタレントのローラ(27)が、年内にも所属事務所から移籍する方向で調整が進められていることを、複数のメディアで報じられている。 発端は6月中旬にローラがツイッターで発信した意味深なツイートの連発だった。 《最近裏切られたことがあって心から悲しくて沈んでいる》 《黒い心を持った人とは絶対に一緒にいたくない》 《10年の信頼をかえしてください》 など、ファンならずとも心配な内容。テレビなどでは天真らんまんなキャラが売りのローラだが、抱えている“心の闇”をさらけ出してしまった。 「ローラが現事務所から芸能界デビューしたのが07年。ツイッターで主張した『10年の信頼』と見事に符合します。30代後半の事務所社長との金銭トラブルを抱え、シャレにならない事態に発展してしまったと報じられています」(芸能プロダクション関係者) ローラといえばバングラデシュ人の父親が海外療養費などの詐取事件で逮捕・起訴され、執行猶予付きの有罪判決を受けた。だが彼女には同情の声が集まり、仕事にもまったくダメージはなかった。先日発表された「2017上半期タレントCM起用社数ランキング」では、首位で女優の広瀬すず(19)の14社に続き10社で2位タイにランクインしている。 そんな人気タレントの騒動だけに、CM業界も大困惑しているという。 「今後は事務所から独立するか移籍することになりそうなので、現状では怖くて新規のCMオファーを出すことができないのです。起用したいクライアントはいまだに多いのですが、どうにもならない状態。そのため今後は、CMの契約本数が大幅に減ることになりそうです」(広告代理店関係者) しばらく、ローラにとって決して「オッケー!」ではない状況が続きそうだ。
2017年07月17日妻の松居一代(60)との離婚バトルで連日注目を集める俳優の船越英一郎(56)。だが司会をつとめるNHKの情報番組「ごごナマ」にはいま、“追い風”が吹き始めているという。 「『オトナの井戸端、作りました』の触れ込みで4月3日にスタートした同番組。社会問題などには触れず、ゲストとの緩いトークと生活情報がメインで放送していた。そのため裏かぶりする各局の昼のワイドショーに押され大苦戦。視聴率はとってもせいぜい3%ほどだった。ところが松居との騒動が勃発すると船越が生でどんな発言をするか注目が集まり、視聴率が4%を超える日もあるといいます」(放送担当記者) 松居はYouTubeに船越の不倫を“告発”する動画を投稿。船越の事務所は不倫を否定したものの、船越本人は一切コメントしていない。NHKとしては、扱いが難しいようだ。 「船越さんが不倫をしていたとしても法に触れる行為ではないので、局の内規では番組を降板させる基準には当たらない。とはいえ船越さんが松居さんに申請している離婚調停がこじれた場合は、離婚訴訟で長期化することが濃厚です。となると、視聴者からの抗議が想定される。局内でもどうすべきか、評価が二分しています」(NHK関係者) だが船越サイドにとって厳し過ぎる決断が、10月の改変を前に下されそうだという。 「視聴率はもうしばらくすると徐々にダウンしていくでしょう。そうなると局としても『視聴率の低迷を理由に10月改編でリニューアル』という体のいい理由をつけることでしか、船越を“降板”させる術がない。実際、その方向で話が進められていると聞いています」(前出・NHK関係者) 離婚騒動が解決しない限り、この先も船越は“無傷”ではいられないようだ。
2017年07月17日歌舞伎俳優・坂東彌十郎さんの両国散歩も、いよいよ佳境。 まずは彌十郎さん、相撲にまつわる芝居のお話をしながら両国の町の象徴、両国国技館の前をぶらりぶらり。ついつい興が乗って、三波春夫の浪曲を一節、ご披露してくれちゃいます。さらに、名横綱たちの手形のレリーフにご自分の手のひらを合わせながら、交流のあった関取たちとの思い出話まで。 そして、歩き疲れた彌十郎さんがたどり着いたのは……彌十郎さんが子供の頃から気になっていたというお店。歌舞伎界でも大のグルメで知られる彌十郎さんが今回、セレクトしたのは来年で創業300年、両国で九代続く、“ジャパニーズ・ジビエ”の老舗「もゝんじや」です。「山くじら」とも呼ばれる猪肉料理が有名で、彌十郎さんも伝統の味噌仕立てのすき焼き「猪鍋」(4,000円/税別)を注文。臭みゼロ、脂の甘さが絶品の丹波産天然猪肉に、彌十郎さんも大満足です。 【もゝんじ】住所:東京都墨田区両国1-10-2TEL:03-3631-5596営業時間:17:00~21:00(火・木・土のみ、ランチタイム11:30~14:00も営業)定休日:毎日曜日 坂東彌十郎(ばんどう・やじゅうろう)1956年、往年の銀幕の大スター・初代坂東好太郎の三男として生まれる。祖父は十三代目守田勘彌。1973年5月、歌舞伎座 『奴道成寺』 の観念坊で初舞台。八代目坂東三津五郎、三代目市川猿之助のもとで芸を磨く。近年ではコクーン歌舞伎や平成中村座など、十八代目中村勘三郎との共演も多数。平成中村座の海外公演にも参加してきた。また、今年(2016年)5月には、ヨーロッパ(フランス、スイス、スペイン)で歌舞伎の自主公演を敢行。大好評を博した。長男は初代坂東新悟(26)。
2017年07月17日タレントの松居一代(60)が17日、自身のブログを更新し、離婚調停中の夫で俳優の船越英一郎(56)が司会を務めるNHKの生放送番組『ごごナマ』を批判した。 松居は『時代はSNSなんだよ』という記事で「NHK様は、民放じゃないよあたしたちはお金を、それも大金をお支払いしているんだよ」と言及し「だったら…クリーンじゃないとダメだろう不道徳、不謹慎、不誠実、嘘、不倫はいかんだろう」と船越を起用しつづけていることに苦言を呈した。 そして家族と呼んでいるファンに向けて「頼んだよしっかりと、頼んだよ家族のみんな、頼んだよみんなの力で戦うんだよ」と念押しをし、「勝利したらみんなと、抱き合って勝利に浸ろうよ」と呼びかけた。 ブログの最後でも「では、NHK様のことた!の!み!ま!し!た!よ」と改めて強調した。
2017年07月17日7月8~9日、武道館でコンサートを行った松田聖子(55)。全国ツアー前半戦の最終公演とあって、会場は大盛況。しかし、この日の聖子はいつもと違っていた――。 「開幕直前、聖子ちゃんの声で『不慮のけがにより、公演の内容を一部変更させていただきます』とのアナウンスが入りました。私たちはもうびっくり。聖子ちゃんは立つこともままならない状態で、終始椅子に座ったまま歌い続けたんです。聖子ちゃんがいちばん辛いはずなのに『こんな姿をお見せしてごめんなさい』と何度も謝っていて……。その姿に心が打たれました」(観客の女性) 13日発売の『女性セブン』ではコンサートが終わった直後、聖子がシンガポールに旅立つ様子を報じている。羽田空港で車椅子に乗った聖子。その車椅子を押していたのは、慶応大学病院勤務の歯科医夫・Kさんだった。 「聖子さんがKさんと再婚したのは12年のこと。実は、結婚後もあまり2ショットを撮られないことから、一時は別居や離婚が噂されることもありました。Kさんは恋多き聖子さんの3人目の夫ということもあり、色眼鏡で見られることもあったんだと思います。でも、2人は今でもとってもラブラブなんですよ。海外でKさんの学会発表がある際、聖子さんは必ず同伴されるほどなんです」(芸能関係者) Kさんの愛妻家な一面は職場でも評判のようだ。 「K先生は聖子さんと結婚してから本当に幸せそう。仕事が終わると、いつも真っ直ぐ家に帰られるんですよ。まさしく“聖子ちゃんファースト”。今も仕事が忙しいにも関わらず聖子さんの身体を誰より心配し、今こそ妻を支えてあげるんだと張り切っていらっしゃいます。お互いを支え合う、理想の夫婦ですよね」(病院関係者) 結婚5年目、Kさんの献身愛に曇りはなさそうだ。
2017年07月17日その霊能力のために、楽屋では霊視を求める先輩芸人たちが行列をつくることもあるという、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の“霊がよく見える”ピン芸人・シークエンスはやとも(26)。『ポップな心霊論』は、彼が人生で見てきた霊たちや霊現象などを紹介していくコラム連載! 【こんな人は、死んでも幽霊になれないかも……】 僕は霊視するとき、その人の霊体が持っている「根っこ」のような部分を見ています。 でもたまに、どんなに探してもこの「根っこ」が見つからない人がいるんですよ。たぶん、周囲の人に気を使いすぎて「確固たる自己」というものを持っていない人なんだと思います。そういう人って、話す相手が変わるたびに、霊体が“スパン、スパン”って入れ替わるんです。根こそぎ別人になってしまう感じで。僕には小さいころからそれが見えていたんですけど、霊体が入れ替わる瞬間は、なかなかシュールな光景ですね。 経験上、そういう、霊体に「根っこ」がない人って、ひとりっ子のことがほとんどなんです。だから実は、僕自身もそうなんじゃないかなって思ってるんですが。ひとりっ子って、親が子どもに期待する役割を全部ひとりで請け負わないといけないじゃないですか。末っ子みたいに、ベタベタに甘えたり、長男や長女みたいに、自立したところを見せたり。親に対する気遣いから「自分ひとりで全部の役割をこなさなきゃ!」って思っちゃうんでしょうかね。 そうすると、自分が本当はどんな人間なのかわからなくなる。だから霊体に「根っこ」がなくて、次から次へと入れ替わっちゃうんだと思います。ちょっとでも思い当たる部分がある人は、周囲に気を使うのをやめて、自分の「根っこ」を育ててみてはどうでしょうか。「根っこ」がない人って死んでも幽霊になれないんじゃないかな。
2017年07月17日「読むと心が軽くなる」「蛭子さんなのに、またいい話してる」「安定の競艇オチ」……とネット上で話題を呼び、たちまち4刷というヒットとなった単行本『蛭子能収のゆるゆる人生相談』(光文社・630円+税)。その好調な売れ行きに、「え、あの本が?信じられない……」と驚く蛭子能収(69)が、本誌読者からの相談に答える! 【Q】「ファミレスやレストランでもメニューを決めるのに時間がかかります。とくに旅先だと悩んでしまい、友達からヒンシュクを買っています。優柔不断な性格をどうにかしたい!」(ゆゆか~さん・31・OL・埼玉県) 【A】「好きなことだからこそ悩む。“優柔不断”の何が悪いの?」(蛭子能収) オレは、メニューを決めるのに時間をかけませんね。「ロイヤルホスト」ならミックスグリルしか食べないし、食堂でもカレーかラーメンかカツ丼を選びます。食べ物に興味がないんです。アナタは食事に関心があるようだから別に時間をかけたっていいんじゃないですかね。好きなことで悩むのは優柔不断とは言わないと思います。そんなことで眉をひそめる友達なんていりませんよ。 とはいえ、最近のオレは競艇でも時間をかけずに舟券を買ってしまいます。昔は、西島靖選手や今村豊選手などが好きで、彼らが出るレースは、じっくり予想していました。今は何も考えずに数字の出目だけ。選手など考慮しないで、本命が来やすい「1」「2」枠、大穴の可能性が高い「5」「6」枠。これらの数字の組み合わせだけで選んでいます。しかも、この前は、同じ舟券をダブって買ってしまい……。当たれば2倍ですが、当然ながら勝てませんでした。軍資金を女房に絞られている今、もう少し慎重に予想したほうがいいかもしれませんね。
2017年07月17日16日、フジテレビ系トーク番組『ボクらの時代』に、私生活でも仲のいいという俳優の佐藤二朗(48)、安田顕(43)、ムロツヨシ(41)が出演。番組では、映画『大洗にも星はふるなり』(2009年)の共演、現在公開中の映画『銀魂』でも再び共演をしている3人がトークを展開。ムロが知名度を上げるための秘訣について語った。 佐藤はムロに「ものすごい人気者になってるじゃん」と質問を投げかけると、ムロは「人気者を使っていきました」とし、現在も仲が良い小泉孝太郎(36)や小栗旬(34)の名前を利用していったと説明。「(小泉は)『僕の名前を使ってください』と言うし、小栗も暗にそういうことを言ってくれましたし。小泉孝太郎の親友ですよ、嘘つけーみたいな感じで、いろんな方から知ってもらって、お芝居という部分での自分を見てほしいがために名前を売っていました。」と明らかにし「やり方としては汚いかもしれないけれど」と付け加えた。 さらに、佐藤から「俺が分からないのは若い女の子から人気じゃん。心を動かす何かがあるんだろうね」との問いに、ムロは「それは嵐の番組に出たから」と回答。若い女性から「かわいい」と言われることについては、「辛い」とし「マスコット的な可愛さは飽きるし、『かわいい』じゃないところにいたいわけですから」と語った。
2017年07月16日ダウンタウンの松本人志(53)が7月16日放送の「ワイドナショー」(フジテレビ系)に出演。本誌が報じた、俳優のベンガル(65)と女優の朝加真由美(61)の不倫疑惑について言及した。 松本は、「同じ一座というかグループで、お芝居を長いことやるでしょ。本人たちには確認が取れないでしょうけど、(恋愛関係は)絶対あると思うんですよ」と話しつつ、「もしそういう大人の関係があったとしても、(出会った)当初じゃないですか。今はもう、完全に友達だと思うんですよね」と見解を述べた。 さらに松本は、ベンガルが9年間別居生活をしていることにも言及。「たとえば9年禁煙していたら、禁煙じゃなくて“非喫煙者”じゃないですか。それと同じようなもので、9年別居していたら、もう“非既婚者”だと僕は思うので。そこに対して不倫と言うのも」と、2人の関係に理解を示していた。 いっぽう、ドラマ『Dr.コトー診療所』(フジテレビ系)で朝加と共演していた泉谷しげる(69)は、「ありえない。なるわけがないよ。性格を知っているから。(本人から)直接聞いたわけじゃないけど、馬鹿馬鹿しい」と、真っ向から不倫疑惑を否定。 すると、司会の東野幸治(49)は、記者に直撃されたときのベンガルの様子を、「しどろもどろな感じが伝わってくる」と指摘した。これに泉谷は、「それは、周りから……」と言葉を濁したものの、「ちょっとその気になってみようかなって、遊んでいるんだと思うんだよね。俺は、(不倫は)考えられないね。実際そうだったとしても、俺は信じない。信じたくもない」と、あくまで擁護の姿勢を貫いた。 ベンガルと朝加の“密会”があったのは6月下旬。寿司店で食事をし、スーパーで買い物をする姿を本誌に目撃されていた。
2017年07月16日「物質的には豊かではないけれど、かつての日本には家族みんなでちゃぶ台を囲んで、暮れにはご近所と餅つきをしたり、にぎやかで活気のある暮らしがあったんです」 そう語るのは、小泉和子さん(83)。小泉さんは、東京都大田区南久が原にある「昭和のくらし博物館」の館長である。「昭和のくらし博物館」は、’51年(昭和26年)に建てられた木造住宅(登録文化財)。家具調度も家族が暮らした昭和という時代そのままに保存、四季折々の庶民の生活ぶりが公開されている。そして、もともとは小泉さんが17歳から25歳まで過ごした実家なのだ。 「昭和30年代から40年代というのが、江戸時代以降の日本の歴史のなかで、もっとも幸福な時代だったと思います。平和になり、理想に向かって進もうとした輝かしいころ」(小泉さん・以下同) 小泉さんは庶民の家具の歴史を研究する「生活史研究所」の所長でもある。83歳の現在も旺盛な執筆活動のほか、講演会やイベント、学会などで全国各地を飛び回る日々だ。 小泉さんは、’33年(昭和8年)11月19日に生まれ、現在の東京都文京区小石川で4人姉妹の長女として育った。 「東京っ子の父は、東京市役所(現・東京都庁)勤務の建築技師でした。病弱で、学究肌の芸術好き。一方の母は神奈川の農家の出で、丈夫で温かくて、近所の子どもからも慕われる専業主婦。そんな母のおかげで、うちは貧乏でも明るい家庭でしたね」 太平洋戦争前の小石川は、緑豊かなハイカラな街だった。精肉店の店先には、当時としては珍しいウインナがぶら下がっていたり。 「ピノキオの鼻みたいで、私はずっと木でできていると思っていました(笑)」 笑い声のあふれる穏やかな暮らしは、しかし、戦争によって奪われていく。小学校5年の小泉さんは、宮城県や神奈川県の山間部へと集団疎開を余儀なくされ、小石川の家は行政による強制疎開で撤去。 「横浜の母の伯母を頼って引っ越しました。しかもトラックなんて使えないので大八車に家財道具を積んで、東京から横浜までの距離を母と祖母が押していったんです」 そして、’45年(昭和20年)5月29日の横浜大空襲。 「両親は町内の蔵を守る役目があって、私が7歳と4歳の妹を連れて逃げました。機銃掃射や焼夷弾で一面の火の海。下の妹が『火がついた、熱い!』って泣くんですね。体に火はついてなくても、それほど空気も熱かったんです」 家は焼失。家族はなんとか無事だったが、いまあらためて小泉さんは「戦争には絶対に反対です」と声を大にする。 「私は忘れません。食べるものがどこにもなくて、大人も子どもも栄養失調で、電車を待っている駅のホームで全員がしゃがみ込んでいた光景を。揚げ句の果ては、塩までなくなりましたから」 ’45年(昭和20年)夏、11歳で小泉さんは終戦を迎えた。東京は焦土と化し、戦後2年目まで、一家は横浜の農村地帯の牛小屋を改築した家で生活。続いて東京・羽田近くの工場を改造した家に転居。そして戦後6年目の’51年(昭和26年)春、ようやく落ちついた先が、現在「昭和のくらし博物館」になっている大田区の木造家屋だ。 やがて’54年(昭和29年)4月、20歳の小泉さんは女子美術大学の洋画科に入学。学費を作るために2年間働いてからの進学だったが、努力だけではプロの画家になれないと断念。卒業直後に、「家具の設計事務所を始めるので、手伝ってくれませんか」と声がかかる。 「家具に興味がありましたからお受けして、昭和33年、25歳のときに、経営者である男性と結婚しました」 だが、結婚生活は10年間で終わりを告げる。いま、離婚の経緯を語ることはないが、その間に小泉さんはライフワークを見つけた。家具の歴史研究である。離婚後は、東京大学工学部建築学科の研究生になり、’71年(昭和46年)には、生活史研究所を設立。’90年(平成2年)から約10年間は、文化庁の文化財保護審議会の専門委員をつとめ、建物を国宝や重要文化財に指定する審議に参加した。ここで、小泉さんは素朴な疑問を持った。なぜ文化財に指定されるのは、城や大名屋敷など立派な建物ばかりなのだろう、と。 「私は、『もっと庶民の暮らしがわかる住宅も残しておくべき』と主張しました。家具などもまるごと残しておくことが大事だと思ったんですね。でも、受け入れられなかった」 じゃあ「自分でやろう」と決意するところが小泉さんならではだ。念頭には、大田区の実家のことがあった。小泉家は、長女の小泉さんが結婚を機に家を出たあと、三女も嫁いだ。四女は小泉さん宅に同居するようになり、実家には両親と次女が長らく生活。’82年(昭和57年)に父が81歳で亡くなり、その後、寝たきりになった母を小泉さん宅に引き取った。次女が一人で住んでいたのだが、’94年(平成6年)、彼女は事故で急死してしまう。家族6人の暮らしていた家は、時の流れのなか、家財道具を残して無人になったのである。 「もちろん、家は処分するという選択肢もありました。でも、当時でさえ昭和20年代に建った家はほとんど残っていませんでした。戦争が相次いだ昭和という時代、いちばん最初に犠牲になったのが庶民の暮らしです。そこを生き残った家を家財ごと残しておくことで、のちの世代が、昭和という時代を学ぶ場になると思ったんです」’99年(平成11年)3月、小泉さんの個人運営による「昭和のくらし博物館」がオープン。金・土・日・祝日の開館ながら、いまや年間入場者数は約5,000人を数える――。 子どもいない小泉さんには、若い世代に受け継いでいってもらいたいことが多々あるという。そのひとつが、戦時中の記憶だ。毎年8月は、「小泉家に残る戦争」展を開催。チラシの言葉を引用してみよう。 〈きな臭い法律が次々と一方的に制定され、憲法9条はいよいよ危なくなってきました。(中略)日本が“戦争できる国”へと変えられてしまう前に、私たちにできることがあるはずです〉 館内まるごとを使って戦時中の暮らしを再現。例年、灯火管制の部屋では、「こんな暗い中で爆音を聞いていたのは、さぞ不安だったろう」との感想が聞かれるという。小泉さんは、語気を強める。 「繰り返してはいけないんです。とくにいまの戦争は、軍需産業のための戦争です。そして誰も責任を取らない。東日本大震災で起きた原発事故でも、結局、誰も責任を取っていません。経済優先でひずみが生まれている現在、昭和30年代の暮らしは、この先の日本の在り方のヒントになると思うんです。いまこそ、あの戦争をどう生き抜いてきたかを、見つめ直す必要があると思えてならないんですね」
2017年07月16日(写真:THE FACT JAPAN) 再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く! 【第14回】『隣人の妻』――同年代女性が共感した意外な痛快シーン ドラマの本筋とは一見関係のないような、さりげないシーンがいつまでも心に残るのが、名作の証拠と筆者は以前より考えているが、これは韓国ドラマでも例外ではない。そんなシーンが満載の作品を今回は紹介してみよう。 本欄では期せずしてケーブル局制作のドラマを紹介することが多くなっているが、それだけ、今のケーブル局ドラマは韓国の現在をストレートに投影しているともいえる。従来の多様な世代が見ることを前提にした家族ドラマ以外の、特定の層の「家族ドラマ」を現在見るにはケーブル局しかないといっていい。要するに自分の希望する番組を見たいのであれば、その選択は当然有料に直結するわけで、この方式を最良の形で実践しているのが韓国のケーブル局だ。 その中でも、’13年の『隣人の妻』(JTBC)はその典型的な作品例といっていい。おそらく、家族ドラマでありながら、親子の日常と同じ比重で、夫婦の性生活が扱われたのは、韓国ドラマの中でこの作品が初めてである。 医師と広告代理店勤務の共働き夫婦には中学生、高校生の2人の子どもがいる。夫婦の性生活にトラブルがあった夜の翌日、朝食は母親が適当に作るが、食事中、子どもたちはそのよそよそしい態度から、親たちの事情にある程度感づいている。これは見方によっては、少し危ない設定である。地上波放送では絶対ありえない設定とドラマ展開ともいえる。 メインストーリーはもう1組の夫婦と、会社、家庭共々、不倫も含めて密接な関係になっていく過程が中心の一種の不倫ドラマだが、2組の夫婦それぞれが親密な間柄になる設定はそんなに珍しくない。この作品はシリアスとコメディがないまぜになっている展開が新鮮で、なかでも見どころは、広告代理店勤務の母親(ヨム・ジョンア)と会社の同僚でもある、40代の独身遊び人OLとの奇妙な友人関係だ。ある時、話があるといって、その友人を夜中に呼び出し、2人でドライブして愚痴を言いながら朝まで飲み明かすシーンは痛快の一言に尽きる。 何とその回の半分近い時間を占めていて、本筋には意味のないこんなシーンが効果的に効いていたためか、ドラマの視聴者は敏感で、平均3%で同局の最高記録となった(因みにケーブルの視聴率を3~4倍すると地上波と同等になるという)。同年代の女性は、例えば、こういったシーンに最も共感したのに違いないと思うのだが、どうだろうか。
2017年07月16日「私が思うに、真実ちゃんって、監督の分身なんです。口数は少ないけれども、自分の大事なことを心に大切にしまっているところが重なって。撮影中、姿勢や歩き方など、動きにこだわって演出される姿を見ながら、ご自身を投影されているんだろうなあ、と。尾崎さんのエッセンスを入れて表現できたらいいなあと思っていました」 こう話すのは、最新主演映画『世界は今日から君のもの』(7月15日公開)で、不器用で引っ込み思案な性格の主人公・小沼真実を演じた門脇麦(24)。ドラマ『結婚できない男』などで知られる人気脚本家・尾崎将也が、門脇の個性的な雰囲気と演技力にほれ込み、彼女をイメージしてストーリーを書き下ろし。尾崎監督の2本目となる映画作品のヒロインは、どことなく風変りでピュアな女のコとなった。 「演じるうえでいちばん意識したのは、イキイキとした女のコにすること。5年間ひきこもり生活をしていた設定ですが、決して暗いコにはしたくなかったんです。彼女自身は、何を大切にするべきかということをきちんとわかっているし、自分の“好き”を貫けるのは、強さでもあると思うから」 自分の世界に閉じこもり、現実逃避をして生きていた真実。しかし、自分の個性を認めようとしない母親と初めて対峙することで、外の世界に踏み出す。門脇自身、かつて芸能界に進もうと決意したとき、似た経験をしたと語る。 「ある日突然、塾を辞めて、大学に行かないと両親に宣言したんです。『この家でニート生活を送るのと、芸能界に進むのと、どっちがいい?』と。芸能界に大反対の父は激怒して1週間口をきいてくれませんでした(笑)」 そうして自ら選んだ女優業は、つらい時期を乗り越えて現在があるという。 「女優の仕事が心から好きって言えるようになったのは、実は、この1年ほどなんです。性格がストイックなほうなので、つい自分を追い込み、日常生活に役を引きずってしまう。仕事への意欲はあるけど、楽しむことができなかったんです。それが約1年前に体調を崩したとき、人間って、つらいと思っていたらダメだな。好きな仕事を続けていくためには楽しまなきゃ!と気持ちが変わって。好きなことを仕事にできるのは幸せです。みなさんも、真実ちゃんのように自分が本当に好きなものを見つけてください」
2017年07月16日上川隆也(52)主演のテレビ朝日系連続ドラマ「遺留捜査」が13日に2時間SPでスタート。初回平均視聴率は13.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録した。 「テレビ朝日の木曜午後8時枠『木曜ミステリー』は、他局の連ドラが苦戦するのをよそに安定した視聴率を記録しています。同枠の前作『警視庁・捜査一課長』は全10話のうち1ケタを記録したのが1回。終盤に向けて視聴率が伸び、全話平均で12.1%を記録。この数字は同じクールだと『緊急取調室』(テレ朝系)や『小さな巨人』(TBS系)に続く第3位でした。『遺留捜査』もかなり上位に食い込みそうです」(テレビ局関係者) 「遺留捜査」は11年からスタートし、今回は2年ぶりに復活。遺留品を調べて事件解決に導いていくマイペースで変わり者の刑事・糸村(上川)の活躍を描く。 大筋はこれまでと同じだが、なぜか前シリーズまでは警視庁月島中央署の刑事だった糸村が今シリーズから京都府警に。初回ではその経緯について詳しく触れられることがなかったが、異動にはテレ朝の“お家事情”が深く関わっているようだ。 「放送される『木曜ミステリー』の枠は基本的に東映京都撮影所の仕切り。そのため京都を舞台にした人気シリーズが多いんです。この撮影所、かつては時代劇の撮影で潤っていたものの時代劇の撮影が激減。ただでさえ仕事量が少ないうえ、『警視庁・捜査一課長』のように東京が舞台でないと成立しない作品では仕事が回らない。そこで少しでも同撮影所の仕事を増やすため、『遺留捜査』の舞台を変更したようです。今後も同じような流れになるシリーズ物が増えそうですね」(民放キー局のドラマ班スタッフ) 果たして、次に活躍の場を移すのはどのシリーズの主人公になるのだろうか。
2017年07月15日内山聖子さん(51・以下、内山)「三輪さんとタッグを組んだドラマは『刑事7人』の昨年のシリーズからですね」 三輪祐見子さん(48・以下、三輪)「それまでは単発ドラマも、一緒にやったことはありませんでしたよね」 内山「もしかして私たち“最強コンビ”かな!?」 三輪「そういうことにしておきましょうか(笑)」 そう笑い合うのはテレビ朝日の2人の女性プロデューサー。内山さんは米倉涼子主演の『ドクターX~外科医・大門未知子~』『黒革の手帖』『交渉人』を、三輪さんは沢村一樹主演『DOCTORS』や天海祐希主演『緊急取調室』、竹野内豊主演の『グッドパートナー』を手がけ、ともに女性の支持が高い作品で注目を集めている。“男性社会”といわれるドラマの制作現場で奮闘する2人の女性が、作品に懸ける熱き思いを語り合ってくれた。 内山「私が入社したのは’88年。学校の先生になろうと教育実習している間に、就職試験がほぼ終わってしまい、テレビ朝日だけが残っていて……(笑)。当時は、男性と同じお給料で同じ仕事ができる職場はまだ珍しく、“記念受験”のつもりでした。受かったからには現場でバリバリ働こうと思っていたのですが、最初は秘書室に配属されて」 三輪「私は’92年入社です。小学生のとき、朝礼を生中継する放送クラブの活動をしているうちに『テレビ局に入りたい』と思うようになって。それに『3年B組金八先生』をはじめ、山田太一先生の作品やトレンディドラマなどが、ずっと好きだったんですよね。入社してから3年は宣伝部勤務で、その後、希望がかない、制作部に異動となりました」 その後、内山さんは’94年、三輪さんは’97年にドラマ部に配属される。 内山「すでにそのころ、他局には華やかなトレンディドラマをつくる女性がいたけれど、うちのドラマ部は、事務を除くと私1人――。寂しかったです。それに毎クール毎クール、ドラマのAP(アシスタントプロデューサー)を泥のようにこなしていました」 三輪「そして私が’97年にドラマ部に異動して、班は違ったけど、なぜか2人で飲みに行きましたよね」 内山「女性が来てくれたのが、すごくうれしかった。『一緒にランチ』とかじゃなく、『何かあったときに話ができる』と思って。でも飲みに行っても仕事の話は全然しなくて、オトコの話ばかり(笑)」 三輪「サラリーマンの“赤ちょうちん”的な感じはなくて、まさにガールズトーク(笑)。私は異動してまず『土曜ワイド班』に入ったんですけど、そこで自分の父と同い年の上司に、ミステリードラマ制作の基本から、視聴者が望んでいること、ドラマづくりの姿勢まで、すごくていねいに教えてもらいました」 内山「『土曜ワイド班』にはドラマづくりのスキームがきちんとあったし、“ミスター・ドラマ” と呼ばれるほどの先輩もいたもんね。三輪さんは、その教えを吸収して、すくすくと育ったのがよかった」 その後、2人はプロデューサーとして頭角を現していく。 内山「女性はドラマが好きだし、実際、視聴者も女性が多い。だからもっと女性がつくったほうがいいのにと、もうず~っと思っているんです」 三輪「私もそれは思います。『キントリ(緊急取調室)』も『普通の人がいちばん怖い』をテーマに女性の闇、危うさに迫ったのですが、つくっていくうちに、男性スタッフと意見が分かれたりすることも多かった。そんなとき私は『でも、女性はこうなんです』と押し切って、言うことを聞かないんですけどね(笑)」 内山「私の場合、『私はこうです』かな(笑)」 三輪「『刑事7人』で初めて、内山さんと組んだのですが、そういう意味でもすごくやりやすい。内山さんは『女性が見る』『ミステリーが好きな人が見る』と、視聴者の目線を意識して脚本も考えるし、現場での振舞い方も男性とは違っていて、勉強になります」 内山「脚本家さんがグロテスクなシーンを書いていたりすると、『家で楽しみに見ている女性は、どう思う?』と、まず考えます。女性目線を大事にする――その感覚が同じと思うことは多いかもね」 女性ならではの目線を大事にしながら、女性がつくるドラマに、この夏は注目してみよう!
2017年07月15日「米倉さんの演じた役を私が……。重たいくらいのプレッシャーを感じますが、今となっては楽しみ。ほかの人が演じたら嫉妬するくらい、自分がやるんだという気持ちがあります」 そう話すのは、’82年の山本陽子、’04年の米倉涼子に続き、松本清張の名作『黒革の手帖』(テレビ朝日系・7月20日21時~)で主人公の悪女・原口元子を演じる武井咲(23)。 「ものすごく見応えのあるドラマで、銀座の街で起こる出来事や、その非日常的な世界観が面白くて、時代を超えて愛されているんだと思います」(武井・以下同) 派遣の銀行員・元子が銀座のママへと転身する物語の中で、重要な鍵を握る“黒革の手帖”。武井自身のスケジュール管理は手帖ではなく“スマホ”で行っているとか。 「手帖を使いたいとは思っているんですけど、現代はやはりタブレットになってしまいますよね。日記を書いても三日坊主で終わっちゃいますが、何かを書き続ける習慣がないからこそ、字を書く機会を大切にしたいと思っています」 役作りついては「こんなに気持ちいい役はなかなかないので、私自身もこの世界を生きる人間として過ごしたいです」と。そして、彼女は元子との共通点を次のように語る。 「人に嫌われても家族がいればそれでいい、という考え方なんです。嫌われないほうが幸せだけど、嫌われないために取り繕うことはない。家族がいるから何を言われても平気なところがとても共感できます」 武井版“悪女の孤独な闘い”が、今まさに始まろうとしている--。
2017年07月15日三輪祐見子さん(48・以下、三輪)「AD(アシスタントディレクター)時代は“駐車場取り”“お弁当配り”“控室の手配”の3つの仕事で忙殺される毎日。そんななかで、お酒が“いけるクチ”だったのは助かったかもしれません」 内山聖子さん(51・以下、内山)「“飲める”とわかると付き合わされるよね」 三輪「余計に帰れなくなる」 内山「(仕事で)帰れないうえに、さらに帰れない。『またコンビニでパンツ買ってる……』なんてこともありました」 そう笑い合うのはテレビ朝日の2人の女性プロデューサー。三輪さんは沢村一樹主演『DOCTORS』や天海祐希主演『緊急取調室』、竹野内豊主演の『グッドパートナー』を、内山さんは米倉涼子主演の『ドクターX~外科医・大門未知子~』『黒革の手帖』『交渉人』を手がけ、ともに女性の支持が高い作品で注目を集めている。“男性社会”といわれるドラマの制作現場で奮闘する2人の女性が、作品に懸ける熱き思いを語り合ってくれた。 内山「私が入社したのは’88年。学校の先生になろうと教育実習している間に、就職試験がほぼ終わってしまい、テレビ朝日だけが残っていて……(笑)。当時は、男性と同じお給料で同じ仕事ができる職場はまだ珍しく、“記念受験”のつもりでした。受かったからには現場でバリバリ働こうと思っていたのですが、最初は秘書室に配属されて」 三輪「私は’92年入社です。小学生のとき、朝礼を生中継する放送クラブの活動をしているうちに『テレビ局に入りたい』と思うようになって。それに『3年B組金八先生』をはじめ、山田太一先生の作品やトレンディドラマなどが、ずっと好きだったんですよね。入社してから3年は宣伝部勤務で、その後、希望がかない、制作部に異動となりました」 その後、内山さんは’94年、三輪さんは’97年にドラマ部に配属。2人はプロデューサーとして頭角を現していく。それぞれが作品に込める熱い思いがある。 三輪「内山さんは“テレビ朝日初の女性ドラマプロデューサー”で、華々しく見えるのですが、実は水面下での水かきがすごい。ドラマづくりの地味な部分も、まるで“土木作業”のように黙々とこなして、“総合職のパイオニア”として、時代を切り開いてくれました。私の世代は、先輩が懸命に耕してくれたところを受け継ぎ、次の世代につなげていかなければと思っています」 内山「私は『黒革の手帖』(’04年)以来、強いヒロインものが好き。自分でドラマを見るときも、偽善的なキャラクターが苦手で、登場人物には、なかなか表に出せない“人間の本音”を言わせたいんです。たとえダーティであっても、本音で語るキャラクターづくりを大事にしています」 そんな内山さんが手がけたドラマ『黒革の手帖』のなかで、米倉涼子演じるヒロインが横領をした銀行の上司から「金を返せ」と迫られ、「初めて私の目を見て話してくれましたね」と返すシーンがある。 内山「これは私も味わった男性社会で“人間扱いされない”感じを表現したもの。“20代で結婚”が普通の時代に、社会に出た友人たちが会社でスポイルされ、辞めていくのを見てきた経験が大きいかもしれません。初めてヒロインに“どす黒い本音”を言わせてもいいんだとも思えました」 三輪「みんな聞きたかったセリフですよね」 内山「そう。ドラマって、現実社会で生きている人の“心の中継”だと思うんです。このとき、『ドラマは女性が見ているんだ』ということも、再確認しました」 この夏、内山さんの『黒革の手帖』、三輪さんの『遺留捜査』と、手がけたドラマが放送される。 三輪「『遺留捜査』では今回初めて京都が舞台になりますが、一生懸命な主人公がブレずに、どう暴れるかを見てほしい。ドラマによって表現の仕方は違いますが、『一生懸命な人を主人公にしたい』というのが、私の基本テーマなんです」 内山「『黒革の手帖』に登場する“欲の強い”ヒロインが、今のような“欲のない”時代に、“モンスター”と捉えられるか、“正直な人”と感じられるか、わからないですが、『いえ、私なんか……』と欲張らない姿勢が本当に美しいの?ということは問いかけたい。『あれもしたい、これもしたい』と欲張って、頑張って、もちろんつらいこともあったけど、そのぶん楽しいこともたくさんあった私たちの世代――だからこそ、若い女性たちに『いっぱい欲張ったほうがいいんじゃない?』と伝えたいですね」
2017年07月15日最近、芸能人のSNSアカウントがたびたび話題になっています。ある人は日常のオフショットをアップし、ある人はファンからの返信に答えたりと、それぞれ交流をはかっているようです。そんな中でも注目なのが、7月からスタートしたドラマ『セシルのもくろみ』で主演をつとめる真木よう子さん(34)のTwitterアカウントです。 真木さんのイメージは、クールで美人でナイスバディ。普段は男っぽい役柄が多い印象ですが、本作では有名ファッション誌の読者モデルとしてスカウトされた、ガサツな主婦を演じています。13日に放送された視聴率は5.1%。苦戦のスタートを切った『セシルのもくろみ』ですが、ドラマの中ではクールとは言い難い真木さんの弾けた姿が印象的です。 真木さんのTwitterアカウントは、このドラマの制作とあわせて開設されたようで、ファンと交流したり自身の非公式botと会話したりしています。先日は「『セシルのもくろみ』観てください!」と叫びながら土下座する動画がアップされ、驚いた人が多かったようです。 クールな人が親しみやすさや笑える姿をみせる行為は“ギャップ芸”と筆者は勝手に呼んでいます。ギャップ芸は芸能人が行うと話題になりやすいものの、SNSで使いすぎると長い目でみて面倒臭さともワンセットになる気がします。 ■ギャップ芸で魅せる3つのメリット ギャップ芸のメリットを考えると、1つ目は「親近感を感じてもらいやすい」ということが挙げられます。 これは、心理学的には「ゲインロス効果」と呼ばれます。最初に自分の印象を下げておくと、後に良い印象を相手に抱かせたとき評価がより上がりやすいというものです。女優や俳優などの場合、最初に印象が悪いとはいいません。ただ私生活がみえない謎の多き存在がSNSを通じてコミカルな姿をみせたとき、親近感を覚える人が多くなるのもわかります。 ・新たな引き出しのアピールができる俳優業は元来、役柄のイメージなどもあって私生活を外に出さない人が多いもの。そんなときにSNSでプライベートを発信すると、レア感に加えて新たな需要を生み出すことがあります。 たとえば元AKB48の前田敦子さんは、親しい俳優仲間とおこなう『ブス会』と称する定期飲み会をSNSで発信。ファン以外にも話題となり、ブス会メンバーでバラエティ番組にゲスト出演しました。 タレントや芸人であれば特別驚かれないような発信も、ギャップ芸を使える立場の人の場合は新たな引き出しや需要のきっかけになることがあります。 ・ニュースとして話題を呼びやすいSNS上での振る舞いがネットで話題を呼ぶと、もれなくニュースサイトに取り上げられて宣伝効果を生むことがあります。今回の真木さんの土下座の動画も、まさに番宣効果もたらしました。 とはいえ、視聴率はまだまだこれからという結果からも、ネットで話題になるということに、実質的な効果がどれほどあるのかは疑問。 個人的に筆者は真木さんの土下座動画をみて、『セシルのもくろみ』を鑑賞した一人です。SNSでの異常なはっちゃけ具合は真木さんの素なのか、それともドラマの役柄と合わせているのか。どちらか気になりましたが、ある意味体当たりな彼女の姿を引き続き見守りたいと思います。 ■ギャップ芸がもたらす2つの落とし穴 話題を呼んだり新たな一面をアピールできたりと、SNSには良い効果がいっぱい。しかし、長くおこなうとデメリットもあります。 ・一般人から無駄にイジられる1つは一般人との距離が近くなった結果、ネタとしてイジられることが増える点です。これは歌姫の浜崎あゆみさん(38)がよい例です。画面の中だけの歌姫だった彼女がSNSで発信することで、思わせぶりなコメントや写真の質に対して細かく言及されるようになりました。 現在はSNSツッコミが1つのネタとして成立している気もするあゆ。ここまでいくと、メリットとデメリットどちらが大きいか考えものです。・言葉が一人歩きしてネガティブな意味になることもまたSNSは取り消し不可の言いっぱなしの文化です(のちに削除したり返信はできますが)。逆を返せば、ちょっとした一言が思わぬ誤解を生む可能性を秘めています。 例えば10日に新曲「大地を抱きしめて」を発売した、歌手の宇多田ヒカルさん(34)の発言は、たびたび賛否を集めています。少し前ですが、日本でアイドルなどがスリーサイズを公表することについて「日本でしか見たことない現象」と発言。これには賛否ありましたが、実際日本だけのことではないと疑問を呈する声も多くありました。 ただの世間話であればなんら問題ない一言が、芸能人という特殊な立場だからこそ話題を呼んでしまう。SNSを始めたばかりのころは反響の大きさに新鮮さを感じるかもしれませんが、果たして長く続けた場合に良さを感じつづけられるのか疑問です。 最近のSNSは芸能人や一般人かかわらず、痛い人や不謹慎な人をさらしあげる文化があります。真木さんの飾らなさすぎる発信がドラマの視聴率とあわせてプラスに働けばよいですが、なんだかちょっぴり危なっかしい。そう思うのは私だけじゃないはずです。 でも女優が自主的に土下座するなんて、そうあることじゃありません。『セシルのもくろみ』、この作品は彼女にとってそれだけ気合いが詰まっているということなのでしょう。
2017年07月14日テレビ放送の調査・測定を行うニホンモニターが7月11日、「2017上半期タレントCM起用社数ランキング」を発表した。 その結果、男性部門では10社に出演する嵐の相葉雅紀(34)とプロ手プロテニスプレイヤーの錦織圭(27)が、女性部門は14社に出演する女優の広瀬すず(19)が、ぞれぞれ1位を獲得した。 「男性では3位の8社に出演するミュージシャンのDAIGO(39)、4位の7社に出演する菅田将暉(24)、山崎賢人(22)、女性では4位の8社に出演する吉岡里帆(24)、5位の7社に出演する山本美月(25)ら若手の売れっ子が続々ランクイン。下半期は本数を伸ばしそうです」(芸能プロ関係者) そんななか、男性部門で嵐の松本潤(33)と並ぶ9社で2位に遠藤憲一(56)、菅田らと並ぶ4位に松重豊(54)が入った。 昨年末に発表された「年間CMランキング」でも遠藤が11社で2位、松重が8社で5位にランクインしている。遠藤と松重といえば、業界では幅広く認知された名脇役。CMへの出演は商品や社名よりも起用された著名人が“主役”になるが、ここに来て2人のCMオファーが増えたのはなぜなのか? 「まず当然ながら、主役クラスの俳優陣に比べてギャラが安い。またイケメン俳優のように事務所からいろいろ“制約”されることもなく、本人たちの意思を尊重できる。そのため通らないと思うような要求でも、本人たちがしっかりこなしてくれる。ともに下積みが長いのでスタッフへの気配りも万全。また一緒に仕事をしたくなる人たちだと評判ですよ」(CM製作会社スタッフ) 2人が昨年以上に本数を増やせるかが注目される。
2017年07月14日子育てが終わり、悠々自適な老後を楽しむはずが、待っていたのは子や孫に“パラサイト(寄生)”される日々。いまや社会問題化しているという、親子共倒れの実態とは−−。 今年6月に発表された内閣府の調査によれば、60歳を過ぎても18歳以上の子や孫の生活費を一定以上負担している人が2割もいたという。この結果についてファイナンシャルプランナーで「働けない子どものお金を考える会」代表の畠中雅子さんは、次のように語る。 「子や孫の生活費の不足分を補っている親は、2割どころか、もっと大勢いると思います。本当に困窮している親御さんは調査には答えないケースも多いですからね」(畠中さん) パラサイト破産が増加している背景には、正社員になれなかったり、ブラック企業に就職してしまい長く働けなかったりなど、低収入ゆえに「親に頼らざるをえない若者・中年世代」が増えていることもあるようだ。 総務省が毎年9月に公表している、親と同居する35〜44歳の未婚男女の数は約300万人で、年々増加している。45歳以上の男女も含めると、さらに数百万人が加算されることになる……。ひきこもりの子を抱える高齢者も大変だが、パラサイトされ、子や孫を丸ごとフォローしなくてはならないケースもかなり悲惨だ。 【ケース1】失業中の長男が、家族でハワイ旅行に…… 埼玉県在住の佐藤昌代さん(74・仮名、以下同)も、そんな悩みを抱える一人。佐藤さんの長男は1年前に失業し、不憫に思った佐藤さん夫婦が、「苦境を乗り越えてほしい」と、仕送りを始めたという。だが、そんな親心があだになってしまった。 長男の再就職先はなかなか決まらず、「真剣に就職活動をしているのか?」と、昌代さんが疑いはじめたのは、先日その長男から、ハワイ旅行のお土産が届いたとき。 「失業中なのに家族で海外旅行をしていたことに驚きました。『いまだけ』と信じ、私たちは生活費として月額20万〜30万円を振り込んでいたのですが……」 佐藤さん夫婦は、借りたお金で仕送り分をやりくりしていたのだ。 「私たちは自営業です。主人は利益が出るとすぐ返済に回し、借り入れ枠ができると、また限度額まで借りることを繰り返しています。商売が少しでも回らなくなれば、もう終わりです」 自分たちも若くないのに、お気楽な長男一家のために借金は膨らむばかり……。悩む佐藤さんに夫は、ポツリともらしたという。 「俺がそのうちぽっくり死んだら、死亡保険で借金もなんとかなるだろう」 佐藤さんはこの言葉を暗澹とした思いで聞いたという。 【ケース2】食費を月2万円にして、孫の学費づくり 近畿地方に住む藤崎美和子さん(83)は、夫を20年前に亡くしている。そんな彼女に実質パラサイトしているのは、娘ではなく、2人の孫たちだった。 「長女はあまり勉強家ではなかったのに、なぜかその孫2人は勉強ができたんです。23歳になる女の子のほうは弁護士、21歳になる男の子のほうは公認会計士を目指しています」 ここまで聞くとただの孫自慢に聞こえなくもない。だが、藤崎さんは「実は、幼いころからずっと孫たちの教育費の援助を続けてきて……」と、大きな嘆息をもらす。塾や習い事、家庭教師や予備校の費用を数百万円単位で投じ、総額2,000万円以上になるという。 「そしていまは、弁護士や公認会計士になるための専門学校の費用を負担しています。私の食費は月に2万円程度に切り詰め、光熱費も限界まで抑えています。かなり厳しいですが、『孫たちのためなら仕方がない』という気持ちもあるんです」 悩みつつも出口を見つけられないでいる高齢者たち……。はたして彼らをパラサイト破産から救う手立てはあるのだろうか?前出の畠中さんは、共倒れを防ぐために必要なのは、“適切な距離を保つ勇気”だという。 「これ以上経済的な援助ができないのならば、それをお子さんやお孫さんに率直に伝えるべきです。私の経験では、『もう親(祖父母)には頼れない』と、はっきりと認識すれば、それまで働いていなかった妻が働きに出たり、家賃の安い部屋に引っ越したりするなど、それなりに生活を改めるケースも多々ありました。それを『家族の関係を壊したくないから』と、ズルズルと援助を続けていると、最悪の結果となってしまいます」(畠中さん)
2017年07月14日「50代半ばで長男と長女を社会に送り出し、肩の荷を下ろしたつもりでいました。夫と、定年を迎えたら2人で旅行に行ったり、家もリフォームをしたりしようと、計画を立てていたのです。でも、いまやすべては夢のまた夢で……」 本誌記者にそう語るのは、関東近郊に住む田口京子さん(73・仮名)。まだ70代だが、腕や足は枯れ木のように細く、表情も疲れ切って、実年齢よりも年をとって見える。子育て卒業から20年がたった田口さんの現状は、かつて描いていた夢とはまったく異なるものになってしまった。 「いまから10年ほど前、長男が嫁と孫2人を連れて実家に戻ってきたんです」 その日から、広くはない一軒家での“完全同居”が始まった。長男の経営する飲食店が赤字続きで、生活が立ちゆかなくなったためだった。調理師免許を持つ長男は、シェフとして腕をふるったものの、繁盛したのは開店当初だけ。その後は閑古鳥が鳴く状態となった。 「人件費削減のため、嫁も店を手伝っています。仕事中は立ちっぱなしで疲れているからと、いつのまにか家事も育児もすべて私に押し付けられました」 田口さんは家のローンも完済し、夫婦2人だけであれば十分に生活していける年金を受給していた。だが「今月も赤字で……」と泣きつかれるたびに、長男一家の生活費を全部負担するどころか、運転資金も補填せざるをえなかった。 「とっくに蓄えも尽き、夫の年金だけでは息子たちの生活まで支え切れません。家計が火の車なので、私は工場でのパートを始めました。今後それすらもできなくなったら、どうなるのでしょう……」 田口さんは早朝4時に起き、家族全員の洗濯を済ませた後、朝食を準備し、6時に出勤。そんな生活がすでに7〜8年続いている−−。 実は、体を張って息子や孫の生活を丸抱えしているのは、田口さんだけではない。今年6月に発表された内閣府の調査によれば、60歳を過ぎても18歳以上の子や孫の生活費を一定以上負担している人が2割もいたという。この結果についてファイナンシャルプランナーで「働けない子どものお金を考える会」代表の畠中雅子さんは、次のように語る。 「子や孫の生活費の不足分を補っている親は、2割どころか、もっと大勢いると思います。本当に困窮している親御さんは調査には答えないケースも多いですからね」(畠中さん) 子や孫のパラサイト(寄生)により困窮状態にーー。親子共倒れになる「パラサイト破産」は、いまや社会問題化しているという。パラサイトされる親たちにとって泣きどころなのは孫の存在。子どもにはある程度厳しくできても、「孫たちは見捨てられない」というケースも多いのだ。 冒頭の田中さんもこう話している。 「長男と嫁はともかく、孫たちはいい子だし、かわいくて。転がり込んできた長男夫婦には『早く出て行け!』と言いたいのですが、孫たちも困るだろうと思うと、なかなか言葉にはできません」(田中さん) 悩みつつも出口を見つけられないでいる高齢者たち……。はたして彼らをパラサイト破産から救う手立てはあるのだろうか? 「親御さんたちも60代くらいまでであれば、お子さんやお孫さんたちを援助することができると思います。ただ、それは問題を“オブラートに包んでいる”にすぎません。80代になり、介護が必要になったり、病気になったりで、それまでの家計を保てなくなったとき、オブラートは破れ、親子、もしくは孫も含め、どうにもならなくなってしまいます」(畠中さん) 共倒れを防ぐために必要なのは、“適切な距離を保つ勇気”だという。 「これ以上経済的な援助ができないのならば、それをお子さんやお孫さんに率直に伝えるべきです。私の経験では、『もう親(祖父母)には頼れない』と、はっきりと認識すれば、それまで働いていなかった妻が働きに出たり、家賃の安い部屋に引っ越したりするなど、それなりに生活を改めるケースも多々ありました。それを『家族の関係を壊したくないから』と、ズルズルと援助を続けていると、最悪の結果となってしまいます」(畠中さん) “甘えさせない勇気”が、パラサイト破産から自分や家族を救うのだ−−。
2017年07月14日7月13日、フジテレビ系バラエティー番組「アウト×デラックス」に“イタリア版マツコ”のプラティネット(62)さんが登場。初めてマツコ・デラックス(44)と対面した。 プラティネットさんは歌手業のかたわら、テレビ・ラジオ司会者としても人気のマルチタレント。女装家で体型も近いことから、マツコも以前から気になってwikipediaで調べていたという。「みんなのニュース」出演のため来日し、その“ついで”ということで破格のギャラでの共演が実現した。 この日は白髪に前髪の一部を緑色に染めたヘアスタイルに、青いワンピースで出演。登場後、突然大きなパルメザンチーズを取り出してかじりだし、マツコたちを驚愕させた。あまりのキャラ立ちぶりにマツコは「丸腰では来ないのね」とタジタジ。 山里亮太(40)が「ジブリの映画に出てませんでしたか?」とツッコむと、視聴者もツイッターで「湯婆婆にしか見えない」「ハウルの荒地の魔女では」と大興奮。ボディランゲージで下ネタを繰り出すなど、言葉の壁を超えて盛り上がる2人に「見てるだけで幸せになる」「勢いありすぎてチャンネル変えられない」「芸人より面白い」と反響が飛び交った。 その後、プラティネットさんはマツコに「世界中を笑顔にするために私たちの仕事があるのよ」「今、私たちは変に見られるけどこの先そんなことはなくなる」「社会にマツコさんみたいな人がいた方がみんな幸せ」と語りかけ、場は一転して感動的な雰囲気に。 中盤には加藤一二三(77)にプラティネットさんが目をつけ、頬にキスしたりハグしたりと大喜び。マツコたちは「ひふみんを選ぶ嗅覚がすばらしい」と感心しきりで、ネット上でも「ひふみんキター!」「ひふみんは可愛くて優しいから当然」「マツコ×イタリアのマツコ×ひふみんって神回すぎる」と一番の盛り上がりを見せた。 SNSで「マツコに激似のイタリア人がいる」と取り上げられて以来、心待ちにされていたマツコとプラティネットさんの対面。はたして、2回目の共演はあるのだろうか?
2017年07月14日そこのあなたにロックオン!キメつけ炸裂、偏見連発、ゴメンなさいっ!!横澤夏子が鋭い観察眼でチェックする「週刊ヨコナツ砲」 【アップされた写真からあふれ出る情報の泡】 またまた先日、SNSで超絶幸せそうな写真を見つけちゃいました。その名も「家の中撮ったら、瓶ビールケース見切れちゃいました」の写真です。私って、どんな写真でも2本の指を駆使してアップにして細かく隅々まで見る癖があるんですよね。嫌な癖ー。うふ! そこで見つけてしまったんです、瓶ビールのケースを。これってすごいことですよ。まず絶対にひとり暮らしではないこと確定。本物のビールの味がわかる男と住んでいること。発泡酒でもおいしいこの時代にビールをケースで買うという経済力。すべてが立証されます。しかもさらに拡大してみると、左側には未開封のものが8本、右側には飲み切ってある瓶が5本入っていて、真ん中7本分は何も入ってない。うわー! あふれる生活感! きっと真ん中の7本は冷やしてあるわけで、どんだけ冷蔵庫デカイんだってことまで考えてしまい、キィーうらやましいー! っとなったわけです。 私の実家では瓶ビールケースで父が弟のベビーベッドを作っていたことを思い出しました。瓶ビールケースでベビーベッド、当時は恥ずかしかったけど、それは今思えば、まさに幸せの詰め合わせだったのかもしれません。
2017年07月14日(写真:Everett Collection/アフロ) TVドラマ『ターミネーター:サラ・コナー・クロニクルズ』でジョン・コナー役を演じたトーマス・デッカー(29)がゲイであることをTwitterで公表した。 デッカーは「読んで下さい」と一言添えて、長文のメッセージ画像を投稿。 「今週、僕の性的指向が再び取り沙汰されました。あるゲイの有名人が受賞スピーチで、僕にカムアウトするよう仄めかしたのです。名指しはしなかったものの、誰もが僕だとわかる表現でした」 この“ゲイの有名人”とは、伝えられるところによると日本でも社会現象となった人気ドラマ『HEROES』の脚本家として名を成し、ドラマ『ハンニバル』の製作・脚本を務めたブライアン・フラーだという。デッカーは『HEROES』でクレアの幼馴染みであるザック役を演じていた。フラーはスピーチで「『HEROES』に出ていたゲイの俳優は、将来におけるキャスティングに影響が出ることを懸念した経営陣によってカムアウトすることを止められていた」と語った。劇中のザックは“ゲイのオタク”だった。 デッカーの手記はこう続く。 「おかしな状況ではあるけれど、僕は彼に感謝しています。僕が男性を愛する男であるということを公にする、大切な機会を与えてくれたから。事実、この4月に僕は結婚して、これ以上ないほど幸せです。(中略)僕はゲイです。この言葉は、誰にも盗むことができない名誉の象徴です。セクシャリティと、誰を愛するかということは、ものすごく個人的で複雑なものです。ある人にとっては、それは啓発したり、発見したり、決意させたりするものです。誰にとっても恥じるべきものであってはなりません」 デッカーの勇気あるセクシャリティと結婚の公表に、祝福のメッセージが続々と寄せられている。
2017年07月14日「ほんまにやりにくいですよ(笑)。昨日は全然眠れなかったんですから……」と苦笑するのは、落語家・桂三度だ(47)。91年に漫才コンビ「ジャリズム」を結成し一世を風靡するも、98年に解散。04年に再結成したが、11年に再びコンビを解散し桂文枝(73)へ弟子入り。翌12年には、落語家として高座デビューを果たした。 あれから5年。彼の再出発は、どうなっているのだろうか。そこで元「ジャリズム」の相方で、今年6月に女性自身記者へ転身したばかりの山下しげのり(48)が初インタビュー!元相方が記者として質問するという“異例の取材”は異様な緊張感に包まれていた。 そして落語家転身について聞くなかで当然出てくるのは、なぜ解散したのかということ。記者の記憶では、芸人時代の彼はそこまで落語愛を見せていなかった。11年のジャリズム解散ともつながる話なのか。そう思い尋ねると、記者も初耳の真相が次々と明らかに! 「やっぱりそこ、聞きますよね……。昨日から質問されるだろうなとは予想していて、あなたの前で言わなあかんと思うと吐きそうになっていました(笑)。僕、あのとき『落語をやりたい。落語をやるためにはコンビを続けられない。ごめんやけど、解散してください』とお願いしましたよね。解散した理由はそれだけです。でも他にもいろいろあって……」 記者は、たしかにそう言われたことがあった。あまりにも突然のことだったため、最初はテレビのドッキリ企画かと思ったほどだ。だが家に帰っても“ネタばらし”のスタッフは現れず、そこで初めて「え、マジなん!?」と焦ったことを記憶している。 「落語家になろうと思ったきっかけは、一回目の解散にまでさかのぼるんです。最初は山下くんから言い出して、98年に解散した。当時の僕はコンビ芸人としてまあまあ売れていたけど、地に足がついてない自分が嫌やったんです。そのとき突然浮かんだのが『落語家か放送作家になる』ということ。当時は、放送作家の道を選びました。それで04年にコンビを再結成しましたよね。でも、完全に地に足がついたとは思えなかった。そこで落語家への夢が再び沸き上がりました。これが最後のチャンスやと考えて、解散を決断しました」 だが再結成後の08年、三度は「世界のナベアツ」として大ブレークしていた。当時を振り返ってもらうと、こんなぶっちゃけ話も飛び出した。 「……この機会やから初めて言うけど、いちばん辛かったのはあのとき。ピン芸人としてブレークしたことで、休みは年3日しかなかった。『このままでは一発屋になる』とも思いましたが、コンビの仕事に繋がればいいと思って頑張ったんです。仕事漬けになりすぎて、ぶっちゃけると奥さんと離婚寸前にもなっていました。そんなとき、聞いたんです……相方が休みを取って海外旅行に行っていると。僕は『今年が勝負やのになんで休むねん。今こそ2人での仕事に備えなあかんやん!』と怒りましたよね。でも、それを山下くんが先輩にチクって。先輩から『なんで山下を怒るねん。あいつも辛いんとちゃうか?』となぜか僕が怒られた。それが……いちばん悲しくてつらかったですね」 改めて聞かされる「相方・山下への不満」。本当に申し訳ありませんでした……。最後に「元相方の記者としての仕事ぶりは、どう感じましたか?」と恐る恐る聞いてみた。すると三度は苦言を交えながら、こんな言葉を贈ってくれた。 「う〜ん、直接的にお金のことを聞きすぎやね(笑)。まあ記者としての仕事上、そこを聞かなきゃいけないのはわかるけど。これが初インタビューやったんでしょ?だったら100人目のインタビューでまた僕を選んでもらえますか?そのときに今日の原稿と比べてどれぐらい成長したか一緒に見ましょう(笑)」 冷や汗タラタラだった初インタビュー。ぜひ100回目もお願いいたします!
2017年07月14日「え〜僕は以前、ジャリズムというコンビを組んでいまして。ピンでも『世界のナベアツ』という名前でやっていました。落語家になった当初は放送作家としても活動していましたが、今は落語一筋。寄席での活動のほか、大阪に部屋を借りて個人的な落語の会も開かせてもらっています。ただ落語家として活動していにも知名度はあったほうがいい。なのでラジオのパーソナリティを務めたり『ルミネtheよしもと』の出演も続けています」 こう語るのは、落語家・桂三度だ(47)。91年に「ジャリズム」を結成するも、98年に解散。04年に再結成し、08年には「世界のナベアツ」名でピン芸人としてもブレーク。だが11年にコンビ解散し、桂文枝(73)へ弟子入り。翌12年には高座デビューも果たした。 あれから5年目……落語家転身の今を元「ジャリズム」相方で女性自身記者に転身した山下しげのり(48)が初インタビュー!昨年10月のNHK新人落語大賞では、優勝まであと一歩というところにまで上りつめた三度。お笑い芸人としてはキャリア20年だったが、落語界では新入り。記者も驚くほど、入門から3年間の修業生活は過酷を極めたという。 「苦労するのは予想していましたけど、41歳での弟子入りは肉体的にキツかったですね。重たい荷物も運ばないといけないのですが、僕は腰が悪いので……。そういうのは年下の“兄弟子”さんに手伝ってもらったりして、なんとか乗り切りました。だからその分、僕は“大人力”を発揮。師匠が欲しいものを二手三手先回りして、若い人では気づかないことまで全て用意するんです。結果、修業1年目で『三度、しっかりしてるな』と師匠に言ってもらえた。今の僕は、高級ホテルで働けるぐらいの動きができると思います(笑)」 また芸人から落語家への転身による、さまざまな面での文化の違いもあった。 「僕は外から来た“転校生”みたいなものですし、当初は快く思わない落語家さんもいたようです。信頼している人からも裏ではいろいろ言われていたと知って、挫けそうになったこともありました。でも付き合ってみると、本当によくしてくれる人もたくさんいた。今ではみんなに『悪口なくそうキャンペーンをやろう!』とか『落語界を美しく!』など幼稚なことを言っています(笑)」 そして気になるのが、現在の収入だ。一からの再出発となると、経済的にも大変だったのでは?そう聞いたところ、意外な答えが! 「収入ですか、う〜ん……。具体的な額は言えないですけど、落語家になる前と比べたら10分の1くらいになりました。こないだなんて、1時間しゃべって500円(笑)。よく『安定を求めて落語家になったんだろ』と言われますが、声を大にして言いたい。落語家はぜんぜん儲からないですよ!新人になったことで、吉本からもギャラを下げられて(笑)。『ルミネtheよしもと』の出演は、落語家として出られるからまだいいんです。でもイベント営業のギャラまで下げたらアカンでしょ!そこは吉本にツッコミを入れました(笑)」 そんな生活を支えてきたのが、ほかならぬ妻だ。08年の本誌インタビューでは5歳年下の堀北真希似と語っていた三度。記者も知らなかったが、結婚15年目になる夫人は夫の挑戦を静かに見守ってきてくれたという。 「落語家になって収入が減っても、奥さんは文句も言わずついてきてくれています。節約もしてくれて、ママチャリなんて17年前に買ったのをまだ乗っているんですよ。僕が『もう買い替えようか?』と聞いても『まだ乗れるからええんや』と言ってくれて。今年の落語コンテストで優勝したら賞金で奥さんにママチャリを買ってあげたいと思います」
2017年07月14日「とにかく体が大きくて、人気者でした」 そう話すのは、横綱・稀勢の里(31)がかつて通った「竜ヶ崎みどり幼稚園」(現・認定こども園竜ヶ崎みどり)理事長の秋山治子さん。秋山さんは、横綱の園児時代をこう振り返る。 「縄跳びでも何でも、『頑張れば必ずできる』、と考え、諦めない子でした。まわりに上手にできない子がいると、手助けをしてあげて、その子が上達すると大喜びするんです」(秋山さん・以下同) そういえば、稀勢の里は横綱昇進時、「(同部屋の後輩)高安をオレが大関に引き上げる」と宣言し、高安の昇進が決まると「自分のことのようにうれしい」と喜んでいた。 「食べる量も当時からすごかったですね。お弁当箱が大きくて。最初は普通サイズでしたが、家に帰って『お弁当が少なかった』とシクシク泣いたそうで、その後大人サイズのアルミのお弁当箱に変わって(笑)」 また、おやつの時間にはこんなことも。 「そしゃく力をつけるために、おやつの時間に食べていたスルメも、ほかの子が1本食べるうちに、あの子は2〜3本食べるんです。それで、何本か食べたい子には事前に自分のぶんを確保させるようにルールを変えました(笑)」 相撲ブームをけん引する横綱・稀勢の里。その魅力である精神面と力強さの原点が、食いしん坊だった幼稚園時代にあったようだ。
2017年07月14日「稀勢の里関は、大相撲に自分の肉体、精神、すべてを捧げる覚悟を持っている。いかに相撲だけに集中できるかを考えて生活しています」(相撲協会関係者) 春場所に痛めた左上腕と胸の筋肉の影響で、横綱、稀勢の里(31)は厳しい戦いを強いられている。途中休場した五月場所では、けがで思うように稽古できず、体重が増えすぎた状態での強行出場だった。今回は十分な減量を行って臨んだという。 「人より多めに野菜を食べるようにしているそうです。稀勢の里だけ、最初にてんこ盛りのサラダを食べる。それからちゃんこを適量食べるようにしていました」(田子ノ浦部屋関係者) だが、けがは完治しておらず、得意の左手を使った攻めができない状態だ。 「五月場所はけがをおして強行出場した結果、途中休業となりました。今場所も休場して十分にけがを治すように勧める声はありましたが、横綱はまったく聞く耳をもたなかった。稀勢の里関はまさに求道者。体が動く限り、休むという発想は持たないのです」(相撲記者) それは稀勢の里の恋愛観にもあらわれているという。 「恋愛や結婚は集中を乱すものと考えている。だから、本人は横綱として土俵に上がり続ける限り、結婚もしないし、彼女もいらんと言っています」(前出・相撲協会関係者) だが、その境地に至るまで、つらい恋の経験もあった。 「稀勢の里関は`12年に大関に昇進しましたが、そのころから真剣な交際を始めた女性がいたそうです。地方での場所にも応援に来て、合宿先を抜け出して会いに行くこともあったとか。ただ大関にもなると、もう有名人ですから、なかなか人目を避けて会うことが難しい。そのことで神経を使うのは相撲にとってよくないと、3年ほど前に別れてしまったのです。そうして相撲道に邁進(まいしん)した稀勢の里関は、念願の横綱昇進を決めました」(田子ノ浦部屋関係者) 横綱が万全の状態で相撲をとれる日は再び来るのか…。ファンとしては、稀勢の里の結婚が伸びれば伸びるほど嬉しくはあるが。
2017年07月14日Instagramを中心に話題沸騰中のイラストレーター・横峰沙弥香さん。2015年に産まれた愛息「まめちゃん」の爆笑成長記録を、ほっこりするイラストとともに本誌で連載! いよいよ臨月。泣いても笑ってもあと一ヶ月ほどで妊婦生活は終わり。まめには妹ができて、今よりももっともっと慌ただしい毎日が始まるのですね。 いざ産まれるとなると、ひどく頭がぼんやりしてしまって惚けたように毎日を過ごしていますがそんな様子を絵日記に描いてインスタグラムに投稿したところ、たくさんの反響をいただきました。 そう、妊娠中ってとにかく頭の働きが鈍くなるんです。 ・自分が書いたはずのメモ帳の内容が理解できない・突然電話がかかってくると、何の話か理解するまでに時間がかかる・ら行がうまく言えない・千切りができない 生活に支障が出るレベルなものでさすがにこれはまずいのではないか……これは自分だけなのだろうかと思って不安になっていたのですが「自分もです!」というようなコメントをたくさんいただいて心底ほっとしました。 ・小説を読んでいても内容が入ってこなくて同じ行をエンドレスで読み続ける・ポン酢が冷蔵庫に3本もあった・時計の読み方がわからなくなったり暗算ができなくなったりする などなど。いただいたコメントの一部ですが、もう分かりすぎて頷きすぎて首が痛いです。これもコメントで教えていただいたのですが、なんでもこれから出産という大仕事に取り組む上で、心身を守るために感覚が鈍くなるんだとかなんとか。(諸説あり・全くぼんやりしない人も存在する模様)なんだか納得です。 そんなこんなで、安心してぼんやりしていることにしました私。今回は里帰り出産をしないので、その分パパにしっかりしていてもらわなければね、と話していた矢先のパパの言動が これ。大丈夫なんでしょうか横峰家…… さてさて、そんな不安もありつつですが、これから出産へ向けての準備に入ろうと思います。しばらくお休みをいただき、元気な赤ちゃんを産んで、さらにさらにパワーアップしたエピソードをひっさげて帰ってきますので!その時はまたよろしくお願いいたします! 『まめ日和』発売記念!横峰沙弥香サイン会開催決定! 横峰沙弥香さんの新刊『まめ日和』(光文社)を記念し、「リブロ パルコブックセンター調布店」にて、ご購入の方50名様限定で、横峰沙弥香さん自身によるサイン会イベントを開催予定です! 【日時】2017年7月22日(土)午後1時~(開場は12時45分~になります) 【会場】リブロ パルコブックセンター調布店 特設会場【参加方法】7月11日(火)以降、『まめ日和』(7月19日発売)横峰沙弥香サイン会に参加ご希望のお客さま先着50名様に、レジにて整理券を配布、及び電話予約を受け付けております。 ※当該店舗で必ず『まめ日和』をご購入ください。※整理券は入場用です。無くなり次第、終了となります。※本券をお持ちの方にサインいたします。当日、当該店舗でご購入の『まめ日和』をご持参ください。※開始時間10分前までにご来店ください。時間を過ぎてしまった場合キャンセル扱いになります。※入場は整理券番号順ではなく当日先着順になります。 【お問い合わせ先】リブロ パルコブックセンター調布店042-489-5351(10:00~20:30/金曜のみ~21:00) ▼新刊『まめ日和』Amazon予約ページ※サイン会参加をご希望の方は、必ず「リブロ パルコブックセンター調布店」にて上記に従って本書をご予約・ご購入ください。
2017年07月14日