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今年で第40回の節目を迎える『24時間テレビ40「愛は地球を救う」』(日本テレビ系・8月26〜27日)。同番組で、“看板”のひとつとなったチャリティーマラソンだが、今年はランナーの発表がオンエア当日ということになり、大きな注目を集めている。 「(5月に『幸せ! ボンビーガールSP』の収録中)『走っていただきたいのはDAIGOさんです!』っていきなり指名されて。数々の番組に出ていますが、あれだけ素になった瞬間は最初で最後のことです」 こう語るのは、’15年にチャリティーマラソンの走者をつとめたDAIGOさん(39)。オファーに対する結論を出すまでの1週間は、本当に悩み抜いたという。 「オファーをもらえたのは光栄でしたが、このマラソンには歴史の重みがあります。それに、あの年はいろんな方がリレーでたすきをつなぎ、最後にそれをゴールに届けるという役割でしたから、絶対に失敗はできないという思いが強くありました」 折しも自身のバンドBREAKERZのツアー中でもあり、練習スケジュールも十分に確保できないかもしれない。そんな不安を抱えていたDAIGOさんが出した答えは、ひとこと「HM」。 「『HM』は、走りますとも走りませんともとれるから、一瞬、テレビ局側も戸惑ったみたいです(笑)」 それから本番までの3カ月弱。100キロを走るための体作りは急ピッチで進められた。 「俺の体って『HYW(ひよわ)』でしたから。とにかく筋力をつけようと、走った後にさらに筋トレ。あまりにきつくて、スクワット中に何度『帰ろうか』と思ったことか」 そして迎えた本番。はやる気持ちを抑えながら走っていたが、50キロ過ぎから足に激痛が走り、痛みをこらえながら夜明けを迎えることに。このときの気持ちだけは今でも忘れられないという。 「甘く見ていたわけではないけれど、ここからゴールまでが果てしない道のりに感じられて、ひたすら『1歩でも前に進む』ことだけを考えていました。一度止まってしまうと、もう足が動かなくなるような気がしていましたから」 そんなDAIGOさんに力をくれたのは、沿道からの応援の声だった。 「めったに人前では泣かないんですが、このときばかりは自然に涙がこぼれてしまいました。武道館に近づくと声援がすごくて、感謝の気持ちで胸が詰まりましたね」 今年で25回目を迎えるチャリティーマラソン。いったいどんな“感動”のたすきがつながれていくのだろうか。
2017年08月25日「放送開始当時は1回やってみて、反響が大きければ続けようというくらいでした。ここまで続くとは誰も想像していなかったんじゃないかな」 そう感慨深く語り始めたのは、唯一、第1回から『24時間テレビ「愛は地球を救う」』(日本テレビ系)に携わってきた徳光和夫さん(76)。今年の『24時間テレビ40「愛は地球を救う」』(日本テレビ系・8月26〜27日)で第40回の節目を迎える同番組。徳光さんは、長年総合司会をつとめただけでなく、70歳を迎えた’11年には、最年長ランナーとしてチャリティーマラソンにも挑戦。まさに番組の“顔”ともいえる徳光さんは、この40年間を次のように振り返る。 「40年の間には、募金は本当に届いているのか、障がい者を利用しているのではないか、などと意地悪く報じられたこともありました。しかし番組が社会に与えた影響の大きさを考えれば、圧倒的に“功”の部分が大きいのです」 たしかに、日本社会にチャリティーという文化が根ざしてきた背景には、同番組の存在が大きい。 「駅などの公共機関で、車いすの方々が階段を上がれるように整備されたのは『24時間テレビ』以降のこと。教育現場でも、体の不自由なお子さんが特別支援学級ではなく通常学級に入れるようになってきました。これらは現在では当然のこととして受け止められていますが、それもやはり『24時間テレビ』の影響があったからだと思います」 番組の存在感は、作り手側にとっても大きくなっていると徳光さんは感じている。 「先日、長嶋茂雄さんに『24時間テレビは40年を迎えるんです』とお伝えしたら、『もうそんなになるの?エチオピアへ行ったときはすごかったねえ』とおっしゃっていました。現地へ実際に足を運び、難民の方々と接した経験は長嶋さんにとっても、とても貴重だったようです。また、広末涼子さんや宮沢りえさんといった女優さんも、お目にかかるといまだにこの番組の話題が出るくらいです」 海外の紛争現場で活動するNPOの医師や看護師たちの奮闘ぶりを伝えることができたのも、大きな功績だと徳光さんは振り返る。 「やはり僕らがやってきたことは間違いではなかったと思うんですよ。僕はこの番組のことを考えるといつも“テレビ屋”でよかったなと、つくづく感じるんです」 そんな徳光さんも今年で76歳。『24時間テレビ』とはいつまで関わっていくのだろう。 「しゃべるスピードや瞬発力が衰えたら退かせていただこうかと思っていますが、いまのところはまだ大丈夫。オファーがある限りは続けさせていただきたいですね」
2017年08月25日「現在と違って、まだ福祉とかボランティアとかいう言葉になじみがない時代です。スタッフの間では『1億円集まったらすごいね』と話していました。ところがふたを開けたら、たいへんな金額が集まったんです」 こう話すのは、’78年8月の第1回『24時間テレビ「愛は地球を救う」』(日本テレビ系)から第3回まで制作スタッフとして番組に関わった小俣匡彦さん。同番組は、今年の『24時間テレビ40「愛は地球を救う」』(8月26〜27日)で第40回の節目を迎える。「すべてが手探りだった」という小俣さんが、第1回の制作現場のドタバタ舞台裏を明かしてくれた。 「この年(’78年)は日本テレビ開局25周年。その記念番組企画の募集に、当時『11PM』のプロデューサーだった都築忠彦さんが、24時間生放送でチャリティーをテーマにした番組を提案し、それが採用されたのがきっかけでした」(以下・小俣さん) 第1回のメインキャスターは萩本欽一と大竹しのぶで、メイン会場は港区芝公園の東京郵便貯金ホール(現・メルパルクホール)。このころまだ麹町にあった日本テレビのスタジオには大橋巨泉、竹下景子、タモリら豪華メンバーがならんでいた。そしてスタジオ内には、視聴者からの電話をスタッフが取り次ぎ、大橋巨泉らと直接やり取りするための直通電話が引かれていた。 「数百台の電話機を用意して対応したのですが、番組スタートと同時に日本テレビ中の電話が鳴りっぱなし。スタッフだけでなく局員も全員で対応しましたが、回線がパンクして、その半数が一時通話不能になってしまいました」 番組のオープニングでは、チャリティーパーソナリティーであるピンク・レディーの歌が流れていたが、それを横目にスタッフたちは予期せぬトラブルと必死に闘っていたのだ。 「十分に用意したはずの電話がパンク……。事前の想定が甘かったといえばそれまでですが、スタッフの想像をはるかに超える反響が全国的に巻き起こったということです」 小俣さんが忘れられないのが、回線のパンクで殺気立つ現場にやってきた1人の男性。 「黒いニット帽にサングラス姿の男性がふらりとスタジオに入ってきて『僕にも電話番をやらせてほしい』と」 スタッフ全員が誰かといぶかしがるなか、率先して電話対応を始めたのが、出演依頼もしていなかった歌手の故・尾崎紀世彦さん(’71年『また逢う日まで』で日本レコード大賞)だった。 「もちろんまったくのボランティア。黙々と手伝ってくれる尾崎さんの姿を見て、この番組は大成功するかもと思いました」 番組最後のグランドフィナーレでは募金総額を発表することになっていた。そのため、お金を数える最新式の機械を銀行が持ち込んでいたのだが……。 「あまりに金額が多すぎて機械が読み取れない。その周りには大人1人では持ち上げられないほどお金が入った袋がつぎつぎと運ばれてくる。結局生放送でカウントできたのは4億円でしたが、最終的には12億円近い募金が寄せられました」 欽ちゃんや大竹しのぶ、タモリなどが先導して青山通りをパレード、代々木公園で番組はエンディングを迎えた。そのパレードの中にいたのが、当時の日本テレビの社長だった小林與三次氏。沿道の人から口々に寄せられる「(番組をやってくれて)ありがとう」の声に感激。本来は開局25周年記念で1回きりのはずだったこの番組を、代々木公園のステージで「来年もやります!」と宣言してしまった。 「スタッフは、相次ぐトラブルと、準備段階から不眠不休だったこともあり疲労困憊。その社長の言葉を聞いて思わず『えっ!』と座り込んでしまったスタッフも多かった。私もその1人でした(笑)」
2017年08月25日「結婚したいです!」 7月28日放送の『怪傑えみちゃんねる』(関西テレビ)に出演した矢口真里(34)。恋人で元モデルの梅田賢三(29)との結婚の意思を聞かれるとこう断言した。4年前、不倫相手だった梅田を自宅に連れ帰り、夫だった中村昌也(31)と鉢合わせて離婚に至った矢口。離婚後は梅田と同棲を始めた。 「梅田さんは矢口さんの離婚騒動の責任を取るかたちで事務所を解雇されました。仕事もなく、矢口さんの“ヒモ恋人”と呼ばれた時期もありました」(スポーツ紙記者) だが同棲開始から3年。“永すぎた春”を終わらせるべく、梅田は奮闘していた。 8月中旬の平日朝9時すぎ、矢口のマンションから一人の男性が出てきた。半袖の開襟シャツの胸元までボタンを留め、黒髪を短く刈り込んだスラックス姿のサラリーマンだ。 本誌記者が声をかけると、「女性自身さんですか。いろいろお世話になっています」と笑顔で会釈をした。この男性こそ梅田賢三なのだ。茶髪で“チャラ”かった面影はもはやない。 「今はまじめなサラリーマンですから(笑)。これから会社なんで、駅まで歩きながらでいいですか?」 そう前置きした上で、取材に応じてくれた。サラリーマン生活2年目の梅田は以前よりふっくらして見える。 ――ふっくらしたのは矢口さんの手料理のおかげですか? 「そうかもですね(笑)」 ――矢口さんが結婚を考えていると、仰っていましたが。 「ええ、知っています。確かに逆プロポーズですよね。でも彼女がそう思ってくれているんだなって。嬉しいし、僕も男として応えなければいけないなと、思っています」 過去の取材で、「以前、矢口の資金で梅田が『バーかスナックを開きたい』と言っていたそうだ」(矢口の知人)という証言もあったが、今は矢口に頼る気持ちは微塵もないようだ。梅田は笑いながら、こう続ける。 「ちゃんと(矢口を)食わしていかないといけませんからね。ちゃんと働いて……」 ――結婚するんですね? 「はい、もちろんそうです。でも(時期については)正直まだ、これからですね。今も(矢口と)めちゃくちゃ仲良くしていますよ」 駅に着くと、梅田は記者に手を振り構内に入っていった――。 「あの騒動で矢口の仕事は激減し、今も騒動前の水準に戻りません。もはや彼女に甘えてばかりではいけないと梅田は決意したようです。しっかりと稼いでいけると自信がついたとき、結婚するのでしょう」(前出・矢口の知人) サラリーマン梅田賢三は愛する矢口と結婚するため、今日も満員電車に揺られている。
2017年08月25日「結婚発表の3週間後、5月に夫の婚外子報道があった直後から菊川さんの降板についての話が持ち上がっていました。局と所属事務所が話し合い、今回の降板が決まったそうです」(テレビ局関係者) 9月いっぱいでMCを務める情報番組『とくダネ!』(フジテレビ系)を降板することが発表された菊川怜(39)。今年4月、菊川は実業家の穐田誉輝氏(48)と結婚。その直後の報道で、穐田氏に4人の婚外子がいたことが明らかになった。 8月中旬の早朝5時30分過ぎ。菊川は、結婚前から住んでいた都内のマンションから車で出勤していく――。“寿降板”で、新婚ライフ満喫かと思いきや、入籍から4カ月経ったいまも夫とは別居が続いているようだ。 「当時、週刊誌の取材を受けた菊川さんサイドは『婚外子の存在を知っていた』と答えていましたが、実際は知らなかったそうです。報道が出る直前になって、穐田さんから話を聞かされた菊川さんはかなり取り乱したといいます。それ以降、夫婦の話し合いは進まず、なかなか一緒に住めない状況のようです」(芸能関係者) そんな悩み多き彼女の“女磨き”の1日を本誌はキャッチした。8月15日、『とくダネ!』の生放送を終えた菊川は、午前10時半頃に車で移動。向かった先は、都心の複合ビルだった。彼女はマネージャーと一緒にレストランに入店し、美容のためか2千円の“高級サラダランチ”を注文。昼食を終えた2人はふたたび車に乗り込んだ。 走り出した車が近くの交差点で止まると1人で降り立ち、すたすたと歩き始めた菊川。リュックを背負い、スパッツにスニーカー。頭にはサンバイザーを被り、さらにキャディーのようなスカーフをその上に巻いている。 彼女がウォーキングを始めてから30分が経った頃、ぱらぱらと小雨が降ってきた。それでも傘を差しながら歩き続けること、1時間以上。ただ黙々と歩き続ける菊川の表情には“苦悩の色”が浮かんでみえた。 午後1時頃、次はエステサロンに到着。コースは痩身からマッサージ、マタニティー向けのものまで多種多様に揃えられている。料金は、ボディーマッサージが180分3万円という、超高級店だ。3時間ほどエステで過ごした菊川は、迎えの車に乗って帰路についた――。 「婚外子報道後も気丈に振舞っていた菊川さんですが、ある日の放送後、番組上層部に『辛いです』と涙ながらに訴えてきたそうです……。番組中に小倉智昭さん(70)らが新婚や夫婦の話題を菊川さんに振ってイジることもありましたが、苦笑いで切り返すのが精一杯。スタジオで婚外子の話は“タブー”となっていました。今回の『とくダネ!』降板を機に、妻として本気で夫と向き合いたいという思いもあるようです」(前出・テレビ関係者) 本誌が目撃したこの日、仕事終わりの貴重な時間を美容に費やした彼女。それは“別居夫”のためなのだろうか。それとも“新たな転身”の準備なのだろうか――。
2017年08月25日「私のような脚本家ではなくても、女性の人生とは『自分のシナリオをつくること』なのだと思います。悩みやピンチを迎えたときに、『自分をいちばん大切にする』ことができる女性は、たとえいつ命を終えても『悔いなき人生だった』と胸張って言えると思うから……」 こう話すのは、放送を重ねるごとに、50代女性を中心に共感の声が増している人気ドラマ『定年女子』(NHK・BSプレミアム)の脚本家である田渕久美子さん(58)。田渕さんは、これまでにも大河ドラマ『篤姫』や『江』など、数々の名作を手掛けてきた。 『定年女子』で久々の主演を務めているのは女優の南果歩(53)。商社の管理職を務めていたものの「役職定年」(=役職がなくなること)を言い渡され退社し、再スタートを切った深山麻子を演じている。長女・葵は「デキ婚」して出産。夫・聡と離婚してシングルの麻子は、53歳の若いおばあちゃんとなる。人生が動き出す麻子は、なんと「23歳年下」の商社マン・町田啓太に見初められ、3カ月の「交際お試し期間」に突入する。 そんな話題のドラマ『定年女子』の制作秘話を田渕さんが明かしてくれた。 「ドラマ『定年女子』の主人公・麻子は、19年前の夫の不倫が許せず離婚し、シングルマザーとして過ごします。その撮影を前に、意気込んでいた南果歩さんだったのですが……」 そんな南を襲ったのが、「夫・渡辺謙の不倫報道」だった。 「撮影に入る前、彼女は本当に暗い顔で元気がありませんでした」 南は報道があった今年3月以降、公の場に姿を見せず沈黙を貫いていた。彼女にとって、それは一時「出演辞退」も考えたほどの大きな“アクシデント”だった。田渕さんは冷静にその悩みを受け止めて、南に次のようなアドバイスを送ったのだという。 「このドラマをやるために、これまでもいろいろな経験があったんじゃないの?この役は絶対にあなたしかできないし、後のことは、撮影が終わったら考えればいいじゃない。そう、きっと撮影が終わったら、あなたは変わっているはずだから!」 そう伝えると、うつむいていた南はフッと顔を上げて、「あっ、そうか!」と口にしたという。 「そのとき、彼女に何かがひらめいたんでしょうね。『やろう』と決意したような強い表情が印象的でした」 そしてクランクインすると、田渕さんの“予言”どおり、南はみるみるうちに、麻子という主人公になりきっていったという。 「撮影が進むにつれて、表情がどんどん明るくなっていって……。『南果歩』という俳優さんが『変化していく姿』を間近で見させていただくことができました。まさに、南さんは夫でも誰でもない、『自分を中心にすること』がこのときからできるようになったんでしょう。あのとき、出演をあきらめないように勧めて、本当によかったと思っています」 「南果歩」というひとりの女優の“危機”を救った田渕さんは、ドラマ制作中のことを振り返ってこう続ける。 「クランクアップしたあとの南さんは、本当に吹っ切れた感じの笑顔でした。とてもきれいでしたね」 今回の騒動について、南は「私の人生の一ページだったと笑顔で語れるような“腹のくくり方”ができた」と言えるまでになったという。田渕さんは『定年女子』に込めた思いを次のように語る。 「仕事、夫婦&男女関係、子育て、子離れ、親の介護……。50代女性はさまざまな問題を抱えています。そこで起きるトピックスをちりばめた理由は、『女が持つ独特の直感を家族のためだけに費やさないでほしい』=『自分を最優先に生きてほしい』という私の願いがあったからなんです」
2017年08月25日FOX43のニュース動画より 米ペンシルベニア州に住むザック・スミスさんとその婚約者アリシア・ジークさんは第三子の出産を目前に控え、病院で子宮内エコーを撮った。そこには、赤ちゃんと彼女を見つめるイエス・キリストが写っていたそうだ。 「明らかに、娘を見ている顔が写っていました。気づいた瞬間泣きそうになりましたね。信じられません」とスミスさんは地元テレビ局FOX43に語る。 スミスさんとジークさんの間にはすでに2人の子どもがいるが、長女は軸前性多指症で親指を2本持って生まれてきた。第二子にあたる長男は大変な難産で、ジークさんは命を落としかけたという。やっとのことで誕生した子には口唇裂と口蓋裂があった。 そんな経験を経たがゆえに、第三子のエコーに写ったキリストのような影を、2人は瑞兆だと受け取っている。スミスさんはFacebookで「天使か神か救世主か、何であれこれは祝福のしるしです!」とこの写真をシェア。安産であることを祈りたい。
2017年08月24日小西博之(57・以下小西)「僕が自分のがんを受け入れることができたのは、大将の教えがあったからです。大将は常々、『小西、人生は50対50だよ。どんな人でも幸せと不幸せは同じようにくるんだよ』と、話してくれていましたよね」 萩本欽一(76・以下萩本)「人は悪いことがあれば、嘆き、悲しむ。落ち込んでもいい。けれどその不幸せは拒絶せずに、きちんと受け止めなければいけない。人生とはそういうものだってね」 小西「大将の人生訓が僕の血肉になったんです。それだけじゃない。視点を変えることで心も変わること、言葉の持つ力を信じること。だからがんになったときも発想を変えたんです。『腎臓にがんができてしまった』を、『2つある腎臓でよかった』。『日本では3人に1人ががんで死ぬ』から『がんになっても3人に2人は助かって生きている』って」 師匠・欽ちゃんの前に日焼けした顔で、はにかみ笑いを見せる小西。欽ちゃんもうれしそうにほほ笑む。末期がんから奇跡の回復を遂げ、がんに立ち向かう心構えと、あきらめない気持ちの実体験をつづった『生きてるだけで150点!』(毎日新聞出版)を7月に出版した小西。その生きざまを大絶賛した師匠の欽ちゃんと、今回本誌で師弟の初対談が実現した。小西ががん告知を受けたのは’04年12月。45歳だった。 年明けにはがんは左の腎臓に縦20センチ横13センチの大きさだと判明。主治医から「この腎臓に圧迫された脾臓が腫れて破裂寸前。椅子から転げ落ちたりしたら、衝撃で破裂し、即死するかもしれない。この瞬間に死んでもおかしくない」と、余命ゼロ宣告を受けた。 小西「僕ね、大将、手術室で麻酔が効き始めたとき、こう挨拶したんです。『先生方に今日この手術室でお会いすることができたのも何かのご縁だと思います。僕は意識がなくなりますが、自分のがんは絶対に治ると信じています。ですからどうか、僕の命を救ってください。お願いします』」 萩本「(小西の言葉を聞いて大きくうなづき)なるほどね〜たくましい!!小西はずっと勇気がある。僕、その先生と同じ気分だよ。『(小西を)ぜったい助けたい』って、思わせる力があるんだよ」 小西「この挨拶で、医師、看護師さん、全員が泣き出して、手術の開始時間が遅れて仕切り直しになったんです。改めて執刀医の先生の『行くぞ!小西博之を助けるぞ!』という掛け声とともに手術がはじまったそうです」 9時間半に及ぶ手術で、みぞおちの下から脇腹、胸腔まで大きなV字を描くように50センチにわたり切開。無事に手術を終えた執刀医は「勝利のVサインをつけた」と話した。 萩本「(その傷に触れて)いやぁ、先生にそのせりふを言わせるって。小西は、がんという病を受け入れて、“がんちゃん”と友達になり、“コンビ”を組んで。そして主治医と信頼関係を築いて、それが“トリオ”になった!素晴らしい“コント”をつくってくれたね」 小西「そして5年後。定期検診で先生から『診断書。自分で読んでみてください』と手渡されたんです。いぶかしむ僕に『涙で読めないから』って。おそるおそる見ると、『異常なし。完治』。僕以上に先生が喜んでくれました」 萩本「治した先生を感動させて泣かせる。コレ小西だけの話じゃなく、多くの人に知ってもらったほうがいいね。そして涙はうれしい涙のほうがいい。粒の大きさも、悲しみよりも喜びの涙のほうが大きいんだ」 73歳で大学に入学し仏教を学んでいる欽ちゃん。6月には新刊『ダメなときほど「言葉」を磨こう』(集英社新書)を出版。11月には初となるドキュメンタリー番組が公開になる。 萩本「大学3年で来年の卒論に向けて準備中なの。70代になって思うのは、人はのんびり余生を過ごす『老人』と、自分がじいさんだと思わない『年寄り』の2手に分かれるね。でも、70ってまだまだ人生のスタートラインなんだよ。小西は病いを乗り越えて、きっと神様から『やることがある』と、何かバトンを渡されたんじゃないかな」 小西「今は、生きているだけで150点です」
2017年08月24日「’83年生まれの有名人が、これだけ立て続けに世間を騒がすと、今後何かをやらかした有名人が出るたびに、“何年生まれだろう?”と調べたくなりますね(笑)」 そう語るのは、漫画家のやくみつるさん。7月に元SPEEDの今井絵理子参議院議員(33)と、神戸市議会議員の橋本健氏との不倫疑惑が報じられた。また、8月に同じく元SPEEDの上原多香子(34)にもスキャンダルが発覚。3年前の夫・TENNさん(享年35)の自殺は、なんと上原の不倫が原因であるとの報道も……。 この2人は、ともに’83年生まれだ。冒頭でやくさんが話すように、最近の“お騒がせ女子”は、「’83年生まれ」がやたらと目立っているのだ。’15年、男性秘書と“不倫温泉旅行”に出かけていたことが報じられた上西小百合衆議院議員(34)は、いまだテレビやSNSでの発言などで注目の的となっている。’13年、自宅マンションに不倫相手を連れ込み、現場で夫と“鉢合わせ”した後に離婚した矢口真里(34)もその1人だ。そして記憶に新しいところでは’16年1月、上西や今井らと“同学年”のベッキー(’84年3月6日生まれ)が起こした“ゲス不倫騒動”……。 これって、単なる偶然ではないはずーー。そこで本誌は、’83年生まれ、お騒がせ女子多すぎ問題の真相を探った。まず、社会心理学者で新潟青陵大学大学院の碓井真史教授に、この世代の特徴を聞いてみると……。 「’80年代前半生まれは、“個性重視”に教育方針が大きく変わった時代に育ったんです。たとえば、小中学校では『自分の思いを主張すること』に重きを置いたプレゼンの勉強なども始まりました」 ’83年といえば、東京ディズニーランドが開園し、ファミコンが発売された年でもある。 「当時は景気もよく、どんどん子どもたちの夢が広がっていくような時代背景がありました。小学生のころに“ディズニーランドに行きたい”“ファミコンが欲しい”といった願いを、親にかなえてもらった人も多かったことでしょう」 思春期を迎えたころには、当時の最新システム「ウィンドウズ95」搭載のパソコンが発売されたことによって、インターネットの普及に弾みもついた。 「個性を尊重した教育を受け、環境も整い、『キミたちには無限の可能性がある』なんて周りから言われながら育ってきたのですが、バブル崩壊後に景気はどんどん下降することに。そして自分たちが社会に出るころ、ちょうど就職氷河期の真っただ中にさしかかるわけです。つまり、幼少のころから言われてきた、自由で個性を尊重する夢のような時代はもうなかった。待っていたのは“夢と現実とのギャップ”。その差が大きかったのが、この世代の特徴です」(碓井教授) いっぽう、この世代は「直情径行」(自分の感情に赴くままに行動する)だと分析するのは、前出のやくさん。 「人とのコミュニケーションよりも、まず自分を優先する。そして相手とやり取りをするというより、自分を発信することのほうに重きを置くタイプが多いのがこの世代の特徴ではないかと思います。そういう意味で、’83年生まれのお騒がせ女子の中で、いちばんわかりやすい人物は上西小百合議員でしょう。SNSでの自己主張で“炎上”してしまうのも、その典型例といえます」(やくさん) ’83年生まれの中でも、実際にトラブルを起こすのは「成功者たち」だと、やくさんは指摘する。 「就職氷河期も経験したこの世代は、格差がはっきりわかれている。だから、格差社会の中、有名人になった彼女たちは、同世代の中でも成功者なんですよ。“勝ち組”たちは、『人生は己れの天下』と考えるものですから、何をするにせよ己れの思うがまま、向こう見ずに行動するんです」(やくさん) ’83年生まれの有名人に多いのは、不倫問題だけではない。STAP細胞の研究論文に不正疑惑があがった小保方晴子さん(33)も同い年だ。現在33〜34歳のお騒がせ有名人たち。世間的にはいい大人のはずなのだが……。 「30代になってからようやく大人の自覚を持つ人もいれば、まだ自覚を持てない人もいる。かといって、20代の人と同じ行動をすると、世間からは評価されない。“もう30代なんだから”という目で見られます。それでも気持ちは少女の心のままで、まだまだ青年期の感覚を持っている人が多いのかもしれません。自分が起こしてしまった“失敗”のケジメが、自分でつけられないケースも見られますね」(碓井教授) これまでの常識にとらわれず、結婚しても家庭に縛られたくない、自由で素敵な恋がしたいーー。そして人生何もかもがうまくいけば、こんなに楽しいことはないーー。 いつまでもそんな甘い考えを持っていた“夢子ちゃん”たちが払った代償は、あまりに大きいものだった。
2017年08月24日萩本欽一(76・以下萩本)「小西ががんになったという話は聞いていたんだよ。しかも完治が難しい腎臓だと……。もし見舞いに行って、それが最後みたいになるのも嫌だったもん。今日はこんなに元気な笑顔で会えてうれしいや」 小西博之(57・以下小西)「日本の腎臓がん史上5本の指に入るという大きさでしたが、大将に教わった心の持ち方で乗り越えられたんです」 師匠・欽ちゃんの前に日焼けした顔で、はにかみ笑いを見せる小西。欽ちゃんもうれしそうにほほ笑む。末期がんから奇跡の回復を遂げ、がんに立ち向かう心構えと、あきらめない気持ちの実体験をつづった『生きてるだけで150点!』(毎日新聞出版)を7月に出版した小西。その生きざまを大絶賛した師匠の欽ちゃんと、今回本誌で師弟の初対談が実現した。小西ががん告知を受けたのは’04年12月。45歳だった。 小西「先生が明らかにどう話そうか悩んでいて。僕から先生に『先生、僕は「がん」ですね?』と、尋ねたんです。帰りに事務所で仲間に伝えるとショックを受けて、みんな泣き出しました」 萩本「小西も泣いたの?」 小西「はい。その日から毎晩、風呂の中で顔がぐちゃぐちゃにして1時間ほど泣きました」 年明けにはがんは左の腎臓に縦20センチ横13センチの大きさだと判明。主治医から「この腎臓に圧迫された脾臓が腫れて破裂寸前。椅子から転げ落ちたりしたら、衝撃で破裂し、即死するかもしれない。この瞬間に死んでもおかしくない」と、余命ゼロ宣告を受けたのだ。 小西「そんな僕が自分のがんを受け入れることができたのは、大将の教えがあったからです。大将は常々、『小西、人生は50対50だよ。どんな人でも幸せと不幸せは同じようにくるんだよ』と、話してくれていましたよね」 萩本「人は悪いことがあれば、嘆き、悲しむ。落ち込んでもいい。けれどその不幸せは拒絶せずに、きちんと受け止めなければいけない。人生とはそういうものだってね。番組の収録の後、毎週のように、みんなに雑談として話していただけだよ〜」 2人の出会いは、’82年『欽ちゃんの週刊欽曜日』(TBS系)のオーディションだ。小西は3,000人のなかから合格。だがその直前、一度不合格になっていたという。 萩本「僕ね、『不合格』と言われてスタジオを去っていくときの小西の姿をずっと覚えてるの。てくてく歩いてスタジオを出た小西に、作家の大岩(賞介)が声をかけて。離れているから会話は聞こえないんだけど、落ちた小西が、デカい声で『大丈夫ですよ。ありがとうございます』って、笑顔で逆に大岩を励ましてるの。人はね、『不合格』など、ダメになったときに、その人の本性が現れる。小西は最後の最後に、自分じゃなく他人への思いやりがあったんだよ。あの笑顔が忘れられなくてね。名古屋に帰った小西を、すぐに呼び戻したの」 晴れて欽ちゃんファミリーの一員となった小西は、コニタンとして人気を博した。 小西「一事が万事、ものごとをいろいろな視点で見ることを、毎週収録後に3年間みんなに話をして教えてくれました。でも当時は、大将の教えを理解できていなかったんです。思い知ったのは、がん告知の3年前に、突発性難聴になり右耳の聴力を失ったとき。『悪いことも受け入れなければいけないと、大将も言ってた』と、思い出して」 萩本「小西、忘れてたの?(笑)」 小西「はい、それまで忘れてました(苦笑)。そのとき、大将の人生訓が僕の血肉になったんです。それだけじゃない。視点を変えることで心も変わること、言葉の持つ力を信じること。だからがんになったときも発想を変えたんです。『腎臓にがんができてしまった』を、『2つある腎臓でよかった』。『日本では3人に1人ががんで死ぬ』から『がんになっても3人に2人は助かって生きている』って」 萩本「僕の雑談を無駄にせずに、病いの治療という生きた体験に置き換えてくれたんだね。小西は主治医の先生に、『大丈夫ですか?』じゃなく『大丈夫ですかね?』って言ったんだよね。この『ね』がいいよ。その一語に先生への信頼がこめられている。『先生助けてください』じゃなく、先生に『助けよう!』と思わせたんだから」
2017年08月24日8月12日、グランドオープンイベントより JYJのキム・ジェジュン(31)が今夏、自身がオーナーを務める複合ビルを日本でオープン。渋谷センター街に新たに建築された5階建てのKAVEビルには、ジェジュンが直接セレクトした韓国のユニークなブランドを販売するアパレルショップ「KAVEMALL」(2F)をはじめ、都内有名ホテル出身のイタリア人シェフとフランスから来日したパティシエが提供する本格的な料理やデザートを堪能できる「cafe de KAVE」(3・4F)、落ち着いた雰囲気を楽しめるラウンジ(5F)には、天井が開閉できる屋上テラスも設置されている。 ショッピングモール「KAVEMALL」 「cafe de KAVE」(写真左3F・右4F) カフェメニュー/スイーツ カフェメニュー「JJスペシャル」(写真左・ホット、右・アイス) 先日、グランドオープンのために来日したジェジュンは、オーナーとして各店舗を視察。イベントのトークコーナーでは、カフェのスイーツを「美味しすぎてビックリした」と絶賛し、ラウンジでは極上ウイスキーを堪能し、屋上テラスは「僕のいちばんお気に入りの場所です」と“営業トーク”もさえわたった。 ラウンジ「屋上テラス」 女性自身は、歌手、俳優、そして新たな才能として“ビジネスマン”の道を歩み始めたジェジュンに独占インタビューを敢行。オーナーとしての意気込みを聞いた。 8月12日、グランドオープンイベントより 【SPECIAL INTERVIEW】 ――このたび、日本上陸をはたしたKAVE MALLについて。いつごろから計画し、どのような準備をされてきましたか? 2年前から計画を始め、どのようなブランドが日本のお客様のニーズに合うかを第一に考えました。 ――アパレルショップは、ジェジュンさんがご自分でセレクトしたブランド品を販売すると伺いました。どのような顧客層を狙っているか、ブランドセレクトのポイントや、いちばんのPRポイントを教えてください。 店舗を渋谷にすることで、さまざまな年齢層のお客さまが来店してくれるのではないかと考えました。PRポイントは、僕がアートディレクターを務める『MOLDIR(モルダー)』はもちろんですが、『YOHANIX』『BEONGLEE』などいろいろな韓国ブランドをお客様に見ていただきたくて、店舗のデザインからアクセサリーの什器選びまで自ら参加し、とてもこだわりました。ジェジュンこだわりの空間をお客様に見ていただきたいです。 ――カフェのインテリアはどのような点にこだわりましたか? いつでも、誰とでも、何度でも行きたくなるような雰囲気づくりにこだわりました。とくに店内の家具ですね。ソファからテーブルまでハンドメイドの家具を用意しました。 ヨーロッパを基調にした空間をおくつろぎください。 ――ジェジュンさんおすすめのメニューは? 「JJスペシャル」です。ブルーマウンテンコーヒー豆を使ったホットでもアイスでも楽しめる、名前のとおり“スペシャル”なコーヒーです。ホットはお店特製のモカクリームをトッピング。アイスは生ビールのような泡を楽しめます。私の名前が入ったメニューなので自信あります!! ――KAVEがお客様にとって、どのような場所になることを願っていますか? 五感を満足させる場所、安らぎを得られる場所ですね。お客様の日常のストレスを解消できる場所になれば嬉しいですし、たくさんのお客様に愛されるKAVEになれるようにこれから努力していきます。
2017年08月24日数年前に日本で巻き起こった空前のK-POPブームをけん引した、韓国のガールズユニット・KARA。先日、同じ事務所に所属し弟分にあたる長身イケメン男性5人組・A-JAXが都内でイベントを開催した。 各スポーツ紙によると、同グループは新曲「Romeo」(9月19日発売)の発売記念イベントを8月18日に開催した。 ピンクのおそろいの衣装で登場した5人は、同曲など5曲を披露。イベント2回で集まったファン300人を熱狂させたという。 日本で一般的な知名度こそそれほど高くない同グループだが、実はすでに一度日本でデビューしていた。 「また7人体制だった12年、大手レコード会社からCDデビューしました。同年に2枚シングルを発売しましたが、売り上げは1万枚にも満たなかった。翌13年まで日本で活動していたのですが、いつの間にか撤退していたのです」(レコード会社関係者) 昨年7人から5人になり、新体制で初のシングルが同曲。発売後は日本で積極的にプロモーション活動を行う予定で、“再起”にかける意気込みはかなりのもの。 イベントの際、リーダーのドウ(28)は「全世界で活躍するグループが多いですが、(自身は)日本でもっと頑張りたい」と意気込んだ。 「売れる要素は十分にあるだけに、あとは売り方次第でしょう。一度日本デビューしたときからのファンも多いため、『K-POP界に多いトラブルさえなければ軌道に乗るのでは』と期待されています」(韓国の芸能界に詳しい芸能ライター) “再出発”は吉と出るか凶と出るか。
2017年08月24日「グランプリの発表で自分の番号が読み上げられたときは、『エッ!? 4番? 私!?』って感じで。最初は実感がわかなかったけど、次第にわぁ〜本当なんだなぁって、うれしくて涙があふれてきました」 そう語るのは、米倉涼子(42)、上戸彩(31)らを輩出してきた「全日本国民的美少女コンテスト」の15代目グランプリに輝いた井本彩花(13)。京都府出身の中学2年生で、特技はクラシックバレエ。本選大会の歌唱審査では、緊張しながらも、最後まで懸命に歌う姿が印象に残った。 「ふだん友達とカラオケに行かないし、人前で歌うこともなかったので、歌は得意ではないんです。今回、審査に備えて毎日カラオケに通って練習したのですが、なかなか上手にならなくて。そんなとき、お母さんがいつも『ここの音程はこうだよ』とアドバイスしてくれました。賞金の300万円は、感謝の気持ちをこめて全額お母さんにあげることにします」 応募総数8万150人のなかから見事頂点に輝いた原石は、特技を生かして“踊れる女優”を目指したいと瞳を輝かせる。 「受賞後の取材で、(所属事務所の先輩で)あこがれの武井咲さんの隣に座ってインタビューを受けたときは、もう夢のようで最高でした!」 まだあどけない表情の彼女が、先輩女優たちのように活躍する日が待ち遠しいーー。
2017年08月24日(写真:AFLO) 8月8日、「ZOZOTOWN」を運営するスタートトゥデイの前澤友作社長(41)との破局が伝えられた紗栄子(30)。さらには長男(9)と次男(7)がイギリスの超名門校に合格したため、ロンドンへ移住することも明らかになった。 「一部ではすでに家族でロンドンへ渡ったとも報じられた紗栄子さんですが、実はいったん子どもたちと日本に戻ってきています。帰国後は、地元・宮崎で祖父の四十九日法要に出席。その後もチャリティマーケットに参加していました」(芸能関係者) 紗栄子たちが前澤氏と暮らしていたマンションは、都内にある。8月中旬の朝、紗栄子の子どもたちが迎えの車に乗って習いごとへ出かけた。5分で目的地に到着すると、子供たちは元気よくビルの中へ。お昼過ぎになると迎えの車に乗り込み、マンションへ戻っていった。 「子供たちは前澤さんと暮らしていた都内のマンションで過ごしています。いがみ合って別れたわけではないので、彼も支えてくれるみたいです。マンションは200平米を超える部屋ばかりで、家賃200万円超。前澤さんは紗栄子さんや子どもたちを呼び寄せただけでなく、別の部屋を借りて彼女のご両親も住まわせていました」(プロダクション関係者) 一部では“結婚秒読み”とまで言われていた2人。前澤氏の地元である千葉県には100億円ともいわれる新居が建設中だった。子供たちが名門校に合格したとはいえ、いったいなぜ別れなければならなかったのだろうか。そこにはセレブ界の厳しすぎる洗礼があった。 前澤氏といえば、米経済誌「フォーブス」が発表した「日本の富豪50人」にも選ばれるほどの世界的セレブ。総資産は4千億円ともいわれており、今夏には会社の時価総額が1兆円を突破した。また美術品コレクターでもある彼はアート界でも知られており、昨年にはバスキアの絵画を62億円で落札。今年も同作家の別の絵画を123億円で収集している。 「アート界の人たちはパーティ好き。前澤さんは彼らと親交を深めるため、世界中を飛び回っています。紗栄子さんは前澤さんに『君も同席してほしい』と言われたため、先のスケジュールを押さえる仕事を全て断るようにしていました。茶道教室にも通うなど、社交界で通用する教養を身に着けようと頑張っていました」(前出・プロダクション関係者) セレブたちとのパーティ出席から習い事まで、多忙な生活を送っていた紗栄子。そんななか、彼女の“本音”が垣間見えるときがあったという。 「紗栄子さんが『私はかごの中の鳥だから』と言ったことがあったんです。もちろん彼女も十分稼いでいますが、前澤さんと比べれば“格差”は歴然です。両親もマンションに引っ越してくる生活は、見方によっては“依存”しているようにも見られかねません。紗栄子さんのお母さんは前澤さんに気を使っていたそうです」(前出・プロダクション関係者) だからこそ、彼に見合う女になろうとしていた紗栄子。しかし、周囲からは容赦なく辛辣な言葉が飛び交っていたようだ。 「紗栄子さんは『彼のまわりの人たちが大変』と言っていました。前澤さんの取り巻きはかなりの数。彼らは近づいてきた人を品定めし、気に入らなければ良くない“評判”を流すの。『あの人はやめたほうがいい』と露骨に陰口を叩く人もいるようです。紗栄子さんも例外ではなかったようで、参っているようでした」(前出・プロダクション関係者) 耐え続けた“屈辱の仕打ち”――。そんなとき、イギリスの名門校から息子たちの合格通知が届いた。そして紗栄子は、新天地で子供たちと生活する道を選んだのだ。
2017年08月24日平昌冬季五輪まであと半年となった8月9日。カナダ・トロントで羽生結弦(22)の今季フリープログラムが発表された。 それは2シーズン前と同じ『SEIMEI』。再演プログラムで平昌五輪に挑むという決定にフィギュア関係者からは驚きの声が上がっていたが、この日の公開練習で関係者を注目させるものがもう1つあった。 「手袋が、いつも使っている黒の無地のものではありませんでした。黒地にゴールドで、氷と水の妖精のイラストが描かれたものに変えられていたのです。『アイスリンク仙台』のキャラクターショップで売られている、定価799円のアクリル製の保温用手袋でした」(フィギュア関係者) 羽生は4歳のときから、母に連れられてこのリンクを利用してきた。そのため彼は、これまで折に触れてリンクや地元への寄付を続けてきたのだ。総額は3千万円以上にのぼるという。『アイスリンク仙台』の関係者はこう語る。 「ここの送迎用バス2台は、羽生選手が寄付してくださった『蒼い炎』の印税で購入することができました。このリンクには顔見知りの子どももいますから、シーズンオフになると様子を見に、顔を出してくれていますよ」 新シーズン最初の公開練習に大切なリンクの手袋をつけて臨んだ羽生。故郷へ特別な思いを抱いている彼にとって、その手袋には大きな意味があった。 「故障明けの大会や優勝が懸かった演技の午前練習など、これまでも羽生選手は重要な節目にこの手袋をよく着けていました。今回のプログラム決定に際して、彼の心は大きく揺れました。そんな自分を奮い立たせるために、そして『僕はいつでも故郷・仙台のことを忘れない!』というメッセージを込めて、手袋をつけたのかもしれませんね」 自分を支え、育ててくれた故郷の人たちに、今度は自分が五輪連覇で恩返しを――。羽生はそんな思いを799円の黒手袋に込めていたのだ。
2017年08月24日叶姉妹が23日、ブログを更新し、歌手・きゃりーぱみゅぱみゅ(24)にデビュー6周年のお祝いとして178本のバラを贈ったことを明かした。 妹の美香はこの日、「ファビュラスな姉と私のヘブンリーな心を込めたエスペランサのバラのお花はファビュラスな姉のこだわりの大きなヘッドで(大輪)178本の魔法のナンバーはプレシャスなぱみゅちゃんの6周年のアニバーサリーのさらにアメージングな進化の縁起のために…」とバラの写真を公開。 つづけて「美香さん…久しぶりにTelしてプレシャスなぱみゅちゃんの美しく透明な天使のお声を聞きましょう」と姉・恭子の提案で電話をかけたことも明かした。 きゃりーも22日に自身のツイッターに写真をアップし、「恭子先生、マシュマロ美香先生からお祝いのお花をいただきました!嬉しい、、、ファビュラスすぎる、、、、、大好き、、、はあ」と感謝をつづっていた。 ネットでは「さすが太っ腹!」「すごく素敵です」「ほんとファビュラス」と叶姉妹のプレゼントに驚く声が上がっている。
2017年08月23日「500円玉は、レートによっては世界一になることもありますので、まさに『硬貨の王さま』。だからこそ、コレクション欲をそそるのです(笑)。実際に、貯金箱に入れたときの『ガシャン』という音や、1回のお会計で1枚しか手に入れられないというゲーム性も500円玉貯金の魅力。同じ硬貨でも、1円や5円と違って早く貯まるのも特徴で、1日1枚でも、1年365日で18万円以上貯まるんですよ!」 そう語るのは、日本初となる500円玉貯金の解説本『ズボラな人でも毎日500円玉が貯まるすごい方法』(サンマーク出版)が話題の、マネーコンサルタントの市居愛さん。’85年に玩具メーカー・トイボックスが、「○○万円貯まる」という500円玉貯金箱「メタルBANK」シリーズを発売し、一躍大ブームとなった500円玉貯金。これがなぜか今、100円ショップでも類似品が発売され、リバイバルブームが到来している。 しかし、裏を返せば1カ月で1万円以上、使えるお金が減るということ。主婦にはやはり不向きに思えるが……。 「いえいえ、実は500円玉貯金は節約にもなるんです!お金持ちなら『500円玉をゲットするために、どんどん紙幣を崩す』という集め方もありますが、私がオススメしたいのは『500円のお釣りが出るように、買い物額を減らす』やり方。これなら節約しながら500円玉を収集できます」 しかも、つねに計算しながら買い物をすることで、認知症予防&早期発見にもつながるという。では、どうしたら挫折せずに続けられるのだろう。そこで、市居さんが絶対失敗しない6つのステップを教えてくれた。 【1】小さめの貯金箱を用意 500円玉貯金で100万円を貯めた「ミリオンズ」たちの多くは、小さな貯金箱から始め、徐々に大きくしている。 「大きな貯金箱だと、成功体験に結びつかず挫折しやすいのです。まずは小さな貯金箱から始めましょう」(市居さん・以下同) 【2】月に1週間の現金生活を! ポイント目当てでクレジットカードを使う人も多いが、500円玉貯金には向かない。 「精神科医のデビッド・クルーガー博士の研究によれば、人はクレジットカードを持つと支出が平均23%も増えます。なので、節約という点でも、現金生活はオススメ。とはいえすべてを切り替えるのは非現実的ですので、まずは1カ月のうちの1週間だけやってみてはいかがでしょう」 現金生活になれば当然、500円玉を得るチャンスも増える。ちなみに500円玉収集家のあいだでは、1日1枚貯めたらシングル、2枚をダブル、3枚をトリプル、4枚をミラクルと呼ぶ。これが、ゲーム性を高めるポイントだ。 【3】買い物前に小銭を確認 「お釣りで500円玉をゲットするためには、そもそも財布に小銭がいくら入っているかを知っておく必要があります。レジに行く前に勝負は始まっているのです!」 【4】少額の買い物は500円以下に 500円前後の買い物は、細かく値段を考えずに買っていることが多いもの。 「そこで、たとえばコーヒーを600円から480円に変えてみる。それだけで飛躍的に500円玉ゲットの機会が増えるうえ、節約にもつながります」 【5】買い物は「500円ゾーン」内で スーパーなどで複数の品物を買うときにはこのワザを。 「私は『下3ケタが500円以下』になる金額を『500円ゾーン』と呼んでいます。この500円ゾーン内で買い物をすれば、お札を出せば500円玉をゲットできます。たとえば、1,450円なら2,000円を出せば500円玉が手に入りますが、1,550円だと『500円ゾーン』を超えてしまい、お釣りの500円玉は手に入りません。わずか100円でこの違い!ざっくりでいいので、会計前に計算するクセをつけましょう」 節約スキルをアップしながら、計算の習慣をつけることで認知症予防にもつながる。 【6】500円玉専用スペースを作る つい使ってしまうのを防ぐため、専用の保管場所を作る。 「財布の小銭入れに仕切りがあれば、片方を500円玉専用にするなど、ほかの小銭と分けておくことが重要です。財布に入れないというのもひとつの方法。専用の500円玉入れをポケットやポーチに忍ばせておきましょう」 節約しながらご褒美が手に入る500円玉貯金。やりくり上手な主婦の皆さまこそ、レッツトライ!!
2017年08月23日「メイプル超合金のカズレーザーさんは、いわゆる“事故物件”に引っ越してから急に運が上向き、仕事が一気に増えたんです」 こう話すのは、占い芸人の島田秀平(39)。カズレーザー(33)によると、それはJR新宿駅から歩いて15分ほどにある物件だったという。6畳間で相場では家賃7万円程度の部屋が3万7,000円と格安で貸し出されており、さっそく部屋を見に行くことに。だが畳の中央が黒くシミになっていたことを不審に思い、不動産業者に尋ねたところ、「実は……」と、前の住人が自殺したことを知らされた。 「畳ぐらい替えておいてほしいところですが、カズさんは『安いし、いいか』と即決し、そこで暮らし始めたそうです。すると’15年に漫才新人大賞とM-1グランプリで決勝進出と大ブレーク!」(以下・解説コメントはすべて島田秀平) なぜ事故物件に引っ越したことで運が開けたのか? 「一般的にはこうした事故物件は運気を下げるといわれているので、お勧めしません。ただお笑い芸人の場合は、自分の不幸をネタにしてまで笑いをとる特殊な仕事です。運で大事なのはバランスです。カズさんの場合はとんでもなく運気の悪い場所に住み始めたことが、“売れない芸人人生”を転換するきっかけになったのでしょう」 島田は、運気にまつわるエピソードを耳にするたびに、当事者たちに詳細を聞いているという。今回はそんな強運伝説を紹介するとともに、“運をつかむ人”の共通点を教えてくれた。 「運は“はこぶ”とも読みます。読んで字のごとく、幸運は人から人に運ばれるもの。運がよい人になりたければ、強運の人から授かるのがいちばんの早道です」 島田が例に挙げるのが「運をもたらす家具」の存在だ。 「アンタッチャブルの山崎弘也さん(41)は、M-1グランプリで優勝するなどして大ブレーク直後に、白いテーブルを買っていたんです」 収入も増え、転居を決めたザキヤマ。引っ越しの手伝いに来ていた後輩・ゆってぃ(40)に『このテーブルいるか?』と、譲ったという。 「すると今度はゆってぃさんがR-1ぐらんぷりサバイバルステージで入賞したんです。その後もテーブルの持ち主になった鬼ヶ島の和田貴志さん(39)がキングオブコントの決勝に進出しました。いまや“ブレークを呼ぶテーブル” として若手芸人たちの垂ぜんの的になっています。ちなみに現在の所有者はHi-Hiの上田浩二郎さん(43)で、『誰にも渡さない』と言っているそう(笑)」 また、占い芸人として島田がもっとも得意とする手相だが、強運な人たちは特別な手相を持っていた。 「生命線というと長さを気にする人が多いのですが、実は本数が大事なんです。先日、米国のトランプ大統領の手のひらを写真鑑定することになりました。調べてみると、大統領は生命線が縦に2本ある“二重生命線”だったのです。これは一般の人より生命力が2倍の相です。その上をいくのが黒柳徹子さん(84)。なんと生命線が3本!『すごいですよ』というと『あらそう』と笑ってらっしゃいました。私はこれまで3万人以上の手相を見てきましたが、ただ1人だけ生命線が4本あったのがレスリングの吉田沙保里さん(34)。さすが霊長類最強女子の手相です」 お笑いレジェンド・萩本欽一(76)が実践するのが、運気コントロール術だ。 「萩本さんとは何度かお会いしているのですが、運に対して、独特の考えをお持ちです」 半世紀以上にわたり、芸能界で活躍してきた萩本だが、たとえば新しいレギュラー番組を持つことが決まると、競馬で絶対に来ないと予想される馬券を購入していたという。 「運というものはバランスであり、よいことが起これば、悪いことも起きる。だから先に損をしておいて、仕事では成功しようという発想です」 そんな萩本の前で「最近ツイてないんですよ」と、ボヤく人がいた。彼は「イヤなことがあった日付にちなんだ宝くじを買うといいよ」と、アドバイスしたのだが……。 「その人が半信半疑だったので、イヤなことがあった日付を聞いた萩本さんが、その数字にちなんだ宝くじを買ったところ、1等の組違い賞10万円が当たったのです。最初に言ったように、運とは運ばれ動くもの。それをつかまえるのにはなにより行動力が大事で、強運の人たちは、みんなフットワークが軽いです。それにどんなときでも自分の運を信じていますね。誰かに勧められたことを素直に実行してみるのも、運をつかまえる秘訣です」
2017年08月23日「私、昔から500円玉が大好きだったんです。世界で1、2を争う高額硬貨ですし、大きさも重さも魅力的で(笑)。そんなことを考えているのは私だけかと思っていたのですが、実はみんなが大好きなことがわかったので、達人たちの方法を研究し、本を書きました」 そう笑うのは、日本初となる500円玉貯金の解説本『ズボラな人でも毎日500円玉が貯まるすごい方法』(サンマーク出版)が話題の、マネーコンサルタントの市居愛さん。’85年に玩具メーカー・トイボックスが、「○○万円貯まる」という500円玉貯金箱「メタルBANK」シリーズを発売し、一躍大ブームとなった500円玉貯金。これがなぜか今、100円ショップでも類似品が発売され、リバイバルブームが到来している。 嵐の二宮和也や向井理など有名人でも収集家は数多く、故・野際陽子さんに至っては、’82年の500円硬貨発行以来貯め続け、グランドピアノを購入したという。 とはいえ、私たちは芸能人ではない。使えるお金にはかぎりがあり、毎日500円を貯めるなんて無理……と思うことなかれ!2児の母でありながら、自身の病気と夫の会社の倒産によって無一文になった経験もある市居さんは、「ベテランの主婦ほど500円玉貯金はオススメです!」と断言する。 「レートによっては世界一になることもありますので、まさに『硬貨の王さま』。だからこそ、コレクション欲をそそるのです(笑)。実際に、貯金箱に入れたときの『ガシャン』という音や、1回のお会計で1枚しか手に入れられないというゲーム性も500円玉貯金の魅力。同じ硬貨でも、1円や5円と違って早く貯まるのも特徴で、1日1枚でも、1年365日で18万円以上貯まるんですよ!」 しかし、裏を返せば1カ月で1万円以上、使えるお金が減るということ。主婦にはやはり不向きに思えるが……。 「いえいえ、実は500円玉貯金は節約にもなるんです!お金持ちなら『500円玉をゲットするために、どんどん紙幣を崩す』という集め方もありますが、私がオススメしたいのは『500円のお釣りが出るように、買い物額を減らす』やり方。これなら節約しながら500円玉を収集できます」 しかも、つねに計算しながら買い物をすることで、認知症予防&早期発見にもつながるという。 「買い物をしたときの計算ができなくなるのは、認知症の代表的な初期症状の1つ。日々の買い物で計算するクセをつけることは頭の体操になりますし、計算が怪しくなったときにも早く気づけます」 そして何より「貯まったら何を買おう」と考えることが、500円玉貯金の醍醐味。 「もちろん老後や教育資金にあててもいいのですが、成功者の多くは明確な目的を定めずに、この妄想を楽しんでいます。楽しみ方としては宝くじに似ていますが、宝くじと違って、こちらは確実です」 つまり500円玉貯金とは、決まった生活費のなかで、いかにやりくりするかを楽しむゲーム。「お金がない」と漫然と過ごす日々から脱却し、妄想を楽しみながら節約&脳トレ。そして、確実な成果が得られるものだったのだ!
2017年08月23日(写真:AFLO) 日本時間8月22日、アメリカの歌手マライア・キャリー(47)が自身のインスタグラムに投稿した写真が話題を呼んでいる。マライアは、アメリカの人気雑誌『ペーパー』の最新号の表紙に選ばれたことを報告するとともに、自身がトップレス姿で写っている同誌の表紙写真をアップした。 表紙に写るマライアはくびれもくっきりだが、これに対して「これはあなたの本当の体ではない!」「フォトショップ(写真加工ソフト)の使いすぎにもほどがある」と多くの批判的なコメントがついている。彼女は先月、「推定119kgに“激太り”」と、コンサートでの様子がキャッチされ話題になったばかり。そのとき、関係者は「彼女は体重が増えたことをあまり気にしていない。自身の曲線美には満足しているようだ」と答えたという。 しかし、今回の“写真修正疑惑”で、やはり「激太り報道」を気にかけているのではという声も。同投稿のコメントには「いまの自分の体を受け入れるか、ジムに行きなさい」と辛辣な意見も見受けられる。 Mariah Careyさん(@mariahcarey)がシェアした投稿 - 2017 8月 21 9:10午前 PDT
2017年08月23日「20代からずっと“白馬に乗った王子さま”がいつか迎えに来ると思っていました。でも、47歳のときに友人から紹介されたのは、王子さまとは程遠い人。バブル時代の私なら絶対に選ばなかったけど、交際していくうちに、私が相手に求めていたのは、彼のような素朴な優しさだったと気づいたのです」 そう語るのは、50歳で結婚したエステティシャンの相澤美佐子さん(52・仮名)。全体の婚姻数が減少するなか、相澤さんのように50歳前後で結婚する女性は逆に増加中。再婚カップルも多いようだが、初婚の“アラ50”女性が急増している(厚生労働省・平成27年人口動態統計より)。 「“婚活”現場でも“アラ50”世代が目立っています」と話すのは、結婚相手紹介サービス「ツヴァイ」の広報担当者。 「全女性会員のうち45〜54歳が占める割合は18.6%。10年前の3.3倍に増えています。また、ほかの世代と違い、条件だけではなく、価値観のマッチングにより結ばれるケースが多いのも特徴です」 高学歴、高収入、高身長の“三高”が結婚相手の条件だったバブル期から30年。“イケイケ”だったバブル女子も、今やアラ50。初婚の“アラ50”女性急増の裏には、いったいどんな背景があるのだろうか。”“大人女子”に詳しい作家の横森理香さん(54)は、“アラ50”世代の結婚についてこう語る。 「仕事も遊びも恋愛も“イケイケ”のバブル時代を20代で過ごした女性のなかには、その勢いで40代まで駆け抜けた人もいました。でも、そんな彼女たちも今や“アラ50”−−。もう頑張らなくてもいいと思ったり、偽りの自分を演じる気力も体力もなくなったりしています。そうしたムダな力が抜けたとき、イケメンとか高収入といったこととは別の物差しで、男を見ることができるのでしょう。恋愛に関してポジティブなのもバブル世代の特徴。ただ、“アラ50”になると、同世代で命に関わる病気になる人も出てきます。なんとなく先が見えた人生において、一緒に歩いてくれるパートナーを探そうとするのは自然な流れなんです」
2017年08月23日「なんでママに隠れてこんなことするの!」。一人娘の女子大生・カホコ(高畑充希)がこっそり買ったワンピースを見つけ、娘にそれを突き付けながら叫ぶママ(黒木瞳)。ドラマ『過保護のカホコ』(日本テレビ系)では、こんな“過保護”シーンが話題になっている。 「私も年々“過保護”な親が増えていると感じています。『カホコ』を見ながら、知り合いの母娘や自身と重ね合わせて『いるいる』『うちもそうだ』と、感じている方もいるのではないでしょうか」 そう話すのは、『「親力」で決まる!』などの著書で知られる教育評論家の親野智可等さん。また、教育問題にくわしいジャーナリストの石川結貴さんも、こう続ける。 「ママの黒木瞳が自分の人生をわが子に投影して、コントロールしようとしているところがリアル。現実にもドラマ以上に子どもをがんじがらめに縛っている親もたくさん存在します」 えっ、ドラマ以上の“過保護”?驚くべき“バカ保護”の実態を親野さんや石川さんに寄せられた実例で、紹介していこう。まず、ドラマにも登場する定番の手作り弁当。カホコの弁当は、同級生役の竹内涼真が「マジ、大学4年にもなって、毎日ママにこんな弁当作ってもらってんの?」と驚くほど豪華なものだった。だが、それを上回る母親も……。 ■毎日会社へお弁当を運ぶ母 「カホコはうちの先輩とそっくり。広告代理店で私より2つ年上の先輩(30歳・女性)なんですけど、入社以来、約7年間、毎日、母親が手作り弁当を会社まで届けにくるんです。先日、先輩が外出中に私が受け取ったんですが、小ぎれいなお母さんが会社のロビーに現れて『お弁当箱って荷物になるし、満員電車に乗るのに、持っていくのは大変でしょう。それに温かいものを食べさせてやりたいから』と。この前、先輩がママに作ってもらった弁当を自分で作ったと偽って彼氏に渡したら、野菜の煮物が入っていて、『おまえ、料理の趣味渋いな』と言われたとか」(東京都・OL・28歳) こうした親の“サポート型”過保護の例は数知れない。つぎは“子ども管理型”。 ■娘のLINEに勝手に返信する母 「私の友人に20歳のお嬢さんがいるのですが、先日、電話でこんなことを言ってました。『娘が無造作に置いて寝てしまったスマホを見たらLINEのメッセージが届いてて。最近、返信が遅いだけで仲間外れになったり、いじめの対象になったりするって聞くでしょ。娘の代わりに返信しておいたわ』。うちの娘だったら『勝手になにすんのよ』とケンカになることは間違いなし。パスワードはお嬢さんから聞いたのでしょうが……」(埼玉県・主婦・50歳) ほかにも耳を疑うようなエピソードも。 ■娘をコネ入社させ、残業させた上司を叱る女社長 「私の勤めるアパレル企業の女性社長。娘が就職氷河期でどこも入社できなかったからと、自分の会社に入社させた。就業時間近くになると、毎日内線がかかってくる。帰社時間を合わせて一緒にご飯を食べられるようにしているらしい。一度、娘が残業で帰れないことがあったとき、彼女の部署の上司が呼ばれて『部下の仕事配分がきちんとできてない』と社長から怒鳴られた。私たちも残業続きなんですけど、いい気なものです」(群馬県・アパレル勤務・30歳) こうした“過保護母娘”が目立つ背景を、前出・石川さんはこう見ている。 「人生に夢中になるものが見つけられなかった女性は、自分の人生をわが子、特に同性である娘に投影しがちなんです。しかも愛情と一緒くたになっているため、わが子の世話が行きすぎていることへの自覚がない。それが、過保護が蔓延してしまった大きな理由でしょう」 また親野さんは、次のように語る。 「私の基準では『サポート型』は過保護として許せる範囲。洋服を自由に選ばせないなど、子どもの自立心を奪う『管理型』こそやってはいけないものです。『過保護のカホコ』は見ているうちに許される過保護と許されない過保護がわかってくる絶妙な展開です。いかに自分が子どもたちの自立を邪魔しているのかがわからない親は、ぜひ見てもらいたい」 ドラマの“親”見て、わがふり直せ、といえそうだ。
2017年08月23日《今日から現地校の新しいschoolが始まりました》 8月15日、インスタグラムにこう投稿した梨花(44)。15年秋からハワイ生活をスタートさせていた彼女だが、実は現地で長男(5)のお受験に奮闘していたことを明かしたのだ。 あまり知られていないが、実は、ハワイでのお受験戦争は日本に負けず劣らずの熾烈さだという。『世界標準の子育て』(ダイヤモンド社)の著者で、現地でバイリンガル塾を営む船津徹氏はこう語る。 「ほとんどの私立小学校にはキンダーガーデンといわれる1年制の幼稚園が併設されているため、ハワイで“お受験”といえば幼稚園受験です。でも公立校は学力レベルが全米平均より低いため、多くの人が私立を志望します。そのためトップクラスの私立校に入るには、より熾烈な競争が起きるのです。現地の子どもたちでも入るのが大変ですから、日本人の場合はさらに難しいといわれています」 学費は公立だと基本的に無料だというが、私立のトップクラス校だと年間200万円以上かかることも。それでも志望者は殺到し、倍率は5倍をゆうに超えるのだ。 「受験で求められるのは、まず英語力。面接官と一対一で約1時間も英語で話さなければならないからです。また自己表現力も重視され、自分の意見をきちんと伝えられなければなりません。そしてさらに、思考力も問われます。たとえば『なぜスープをスプーンで飲むのですか?』などの質問に答えられなければならないのです」 これらを4~5歳の子どもが行うのだから、日本人では並大抵の努力では合格できないだろう。冒頭のインスタグラムの投稿は、志望幼稚園に合格して待ちに待った“入学式”当日の様子。大きなリュックを背負った長男の後ろ姿とともに、こんな言葉も添えられていた。 《母ちゃん初めてのお受験モード #結構厳しくしたこともありました #そのくせ私が辛くて泣いてやっぱりお受験辞めようと彼に言った時があった #そしたら僕頑張ると言った時の事母ちゃん忘れない》 伝わってくる万感の思い。そこには、悩み続けた母子二人三脚の日々があった――。
2017年08月23日8月15日、梨花(44)がインスタグラムで長男(5)のお受験に奮闘していたことを明かした。あまり知られていないが、ハワイでのお受験戦争は日本に負けず劣らずの熾烈さだという。ハワイでイベントやブランドをプロデュースする20年来の親友Aさんはこう語る。 「仕事で妥協を許さない彼女だから、受験校選びも真剣。私も一緒に20校以上見学しましたが、彼女は校内を隅から隅まで見て歩くんです。第一志望として考えたのは、オバマ前大統領も通った超名門校。ハワイでいちばん難しい学校ですが、彼女は必死に長男をサポートしていました。結果、塾でも『100%受かる』とまで言われるようになっていました」 当時の梨花はすべてにおいて“完璧なママ”を目指していたという。あまりにパーフェクトなママでいるため、Aさんが「疲れないのかな?」と心配するほど。実際、当時の梨花は「うまくいかない」と泣くこともよくあったという。そんな彼女にある日、転機が訪れた。 「彼女がふいに『名門校に入れたいというのは親のエゴなのかもしれない。私が“理想のママ”を演じるために、子どもを付き合わせていたのかも。それよりも、子どもがのびのびできるような学校を選びたい』と言ったんです。そして彼女は“完璧なママ”を演じることをやめました。そうして本来の梨花らしい、ちょっとゆるいママになっていきました」 梨花が選んだ新たな志望先は“子供第一”をモットーに掲げる私立校。「滑り止めなんていらない。受からなかったら、日本に帰る!」とまで宣言し、背水の陣で臨んだという。そしてお受験サポートだけに集中するため、梨花はモデルとは思えない意外な行動に出た。 「彼女は『今は受験のことだけ考えたい』と言って、自分の英語の勉強を一時中断。さらにはモデルなのに、ネイルやエステのお店にも行かないようになりました。髪もいつもボサボサなままで、見かねた私がヘアサロンの予約を入れてあげたくらいです」 そんな梨花の獅子奮迅の後押しもあって、長男はついに志望校へ合格したのだ。 「合格したときは2人で『頑張ったね~!』と号泣しました。“入学式”でも彼女は息子を見て泣いていました。最近の彼女は、口癖のように『お受験を通していろんなことを学んだ』と言っています。『子育てには定義も理想もない。自分流でいいということに気づけてよかった』とも。そんな言葉を聞いていると、本当に愛しているんだなと感じますね」 ハワイでの熾烈な“お受験戦争”は、子どもだけでなく梨花をも成長させてくれたようだ。
2017年08月23日米各地に人種差別主義者への抗議デモが広がっている写真:The New York Times/アフロ 米国最大の銀行JPモルガン・チェースは21日、白人至上主義者らと戦う非営利団体に100万ドル(約1億1000万円)を寄付したことを公表した。 「シャーロッツビルで起こった出来事は、場所を問わずヘイトと不寛容、そして差別に対抗する緊急性を高めた」と、ピーター・シャー頭取は従業員向けのメモで発信。 この「出来事」とは言うまでもなく、今月12日に米ヴァージニア州シャーロッツビルで起きた悲劇のことだ。大規模な白人至上主義者による集会が行われ、これに抗議する人々の中に車が突っ込み、1人の死者と大勢の負傷者を出した。 寄付金は南部貧困法律センター(SPLC)と名誉毀損防止同盟(ADL)の間で均等に分配されるという。SPLCは公民権運動の発祥地である南部アラバマ州モンゴメリーに本部を置く非営利団体で、白人至上主義者団体やネオナチを監視したり、人種差別被害者のために無償で訴訟を起こすなどの活動を行っている。ADLは反ユダヤ主義に対抗するユダヤ人団体だ。 先週、同行のジェームズ・ダイモンCEOは、トランプ大統領が「白人至上主義者と抗議者の双方に責任がある」と発言したことに激昂。「曖昧な表現をしている場合ではない。今回のヘイトクライムの加害者たちが見せた悪魔性は、断固として非難されるべきであり、多様性と人間性によって強さを培ってきたこの国において決して容認されるべきではない」と強い言葉で糾弾していた。
2017年08月22日(写真:AFLO) 兵役で芸能活動を休止していたユンホ(31)とチャンミン(28)の人気デュオ「東方神起」が8月21日に都内で会見を行い、約2年ぶりに再始動することを宣言した。 東方神起は10月25日に復帰記念アルバムを発売。アルバムを引っさげ、11月11日からは海外アーティスト史上初となる3回目の5大ドームツアー(5都市14公演)開催を発表。ツアーには75万人を動員する見込みだというのだ。 「すでにチケットの価格が発表されているが、最高値のファンクラブ会員限定のスーパープレミアム・プレミアムシートは1枚2万4,800円。2年間待ち望んだファンにとってノドから手が出るほどほしい“プラチナチケット”。ネットオークションで1枚40万~50万円という空前の高値がついてもおかしくないといわれています」(音楽業界関係者) 一部情報番組によると21日にツアー日程が発表されるや、すでに希望の公演地のチケットと航空券を予約した熱狂的なファンもいるとのこと。そんな状況だけに、活動再開がもたらす経済効果はすさまじいものになりそうだという。 「まずアルバムはミリオン突破の可能性があるでしょう。ほかに配信などの収益も見込みが70~80億円。チケット売り上げは100億円以上。それにグッズ販売、公演地でのファンの飲食代・ホテル代・交通費などを含めると、少なく見積もっても200億円以上の経済効果が見込めるといわれています」(レコード会社関係者) 東方神起の再始動で景気も上向きになりそうだ。
2017年08月22日俳優の高嶋政伸(50)に第1子となる男児が21日に誕生していたことが分かった。22日、所属事務所が書面を通じて発表した。 高嶋にとっては初の子供となり、「今日21日、3時のおやつの時間に、我が家に新たな命が誕生いたしました。私と家内の両親にとっての初孫で、ちょっと大きめの男の子です」と報告。 父でタレントの高島忠夫(87)、母で女優の寿美花代(85)にも電話で報告をしたそうで「“おめでとう”と大変大きな声で喜んでくれました。涙が出ました。これからは、このかげがえのない命を頂いたことに感謝して、人間として再出発するつもりで頑張っていきたいと思っております」と初めて父親になる喜びと決意を記した。 高嶋は’08年9月にモデルの美元と結婚し、’12年に離婚。’15年9月に14歳下の医師と再婚している。
2017年08月22日ママ友のランチミーティングに初参加しましたよ。息子のクラスの仲良しお母さんたちが週1回、昼食会を催しておりまして、そこにオブザーバーとして初参加。フランソワーズ、ルイーズ、イザベルという、いかにもパリジェンヌっぽい名前のお三方。年齢は40代から50代くらいだと思われます。フランス人のマダムたちってどんなことを話すの? ファッション? 政治? 経済? いいえ、実にくだらないことを延々しゃべり続けています。あの人のカツラはどうにかならないか、とか、給食の先生がかっこいい、とか、マクロン大統領の奥さんのスカートが短すぎる、とか(笑)。 でも、日本みたいにTVドラマの話にはなりません。連ドラ文化じゃないんです。フランスのテレビは討論会がメインだから。話題になるのは身近な人のことばかり。しかも超辛口。学校の先生への辛辣な批判、旦那との辛辣な別れ話、近所に住んでいる有名人の辛辣な裏話、などが多いですね。 私? もちろん、頷いているだけです。この人たちを敵に回したら学校での立場難しくなるかなぁ、なんて思いながら(笑)。で最後に、私に話がふられましたよ。ルイーズが「ムッシュ辻、あなた恋人つくらないの?」。来た来た。私はほくそ笑みました。「いろいろとあったからね、疲れて、しばらく1人でいたんだよ」「1人で寂しくないの?」「息子の世話で手一杯だよ。仕事もあるし」「もったいない」「もったいないな、まだ若いのに」「もったいないわ~」と3人が同じようなことを言いました。57歳でもったいない、だなんて、口説かれてるみたいで嬉しくなりますね。あはは。ママ友、でも、大事なんですよ。私が忙しい時、息子を大事に預かってくれるわけですから。 さて、暑い日が続いていますが、辻式冷やし西洋麺をご紹介したいと思います。 まず下準備(2人前)から。ジュレ材料:だし1カップ、だし醤油大さじ4、酢大さじ4、砂糖大さじ2、ごま油大さじ1、しょうが粉末小さじ1、ゼラチン4g。鍋にだしを入れ、ひと煮立ちさせる。そこに、だし醤油、お酢、砂糖、ごま油、しょうが粉末を入れもう一度煮立たせる。熱いうちにタッパーに移し、水で戻したゼラチンを入れて再度混ぜ、冷蔵庫で固める。 ごまだれ材料:ごまペースト大さじ2、だし醤油大さじ1、砂糖小さじ1、生クリーム大さじ2、マヨネーズ大さじ2分の1、すりごま大さじ1。全てをボウルに入れ、混ぜる。 トマトスープ材料:トマト大1個、パプリカ100g、玉ねぎ15g、きゅうり60g、耳なし食パン1枚分、オリーブオイル大さじ4、塩小さじ1。トマトの皮を湯むき、きゅうりの皮をむいて、全ての野菜を小さめに切る。材料全てをミキサーにかけてジュース状になったら冷蔵庫で冷やしておく。 下準備もラストスパート。薄切り牛肉100g(分量外)をさっとしゃぶしゃぶする。そして、沸騰した湯に酢と塩(分量外)を適量入れ、箸で円を描くようにかきまぜる。そこに、卵2個(分量外)を落としてポーチドエッグの完成。 では、作ってみましょう。まず、大鍋に水2リットル(分量外)を沸かし、重曹大さじ2、塩大さじ1(全て分量外)を入れ、お好きなパスタ160g(分量外)を投入。フェデリーニの場合、通常(6分)より2分長く茹で、水でよく洗い、ぬめりをとる。皿にトマトスープをベースに敷き、中心にパスタを置き、薄切りにしたきゅうり(分量外)を周囲にちりばめる。その上にジュレを満遍なく散らし、パスタの上にしゃぶしゃぶ肉、その上にごまだれ、さらにポーチドエッグをのせましょう。 真夏にぴったりの豪華で美味しい冷やし西洋麺です。 ボナペティ! 本誌連載の料理をえりすぐったレシピ本『パリのムスコめし世界一小さな家族のための』も絶賛発売中です!
2017年08月22日女優の芦田愛菜(13)が21日に放送された日本テレビ系『しゃべくり007』に出演。お笑い芸人・ブルゾンちえみ(27)のキャリアウーマンネタを、with Bことブリリアンのふたりと披露。13歳とは思えない貫禄にネットでは「クオリティー高すぎ!」と話題になっている。 芦田は「友達が“35億”をやっていて、知りました。最近よくやっています」と学校でブルゾンのネタをマネしていることを明かすと、スタジオにブリリアンが登場し、“芦田愛菜 with B”としてネタを披露することに。 しゃべくりメンバーから「入り込んでよ」「ガチでやって」と注文された芦田は、セリフの言い回しや、表情までセクシーなキャリアウーマンになりきり、ネタを完璧にコピー。あまりの完成度にしゃべくりメンバーも総立ちで拍手を送った。 ネットでもこの映像が話題になり「不覚にもドキッとした」「さすが天才子役!」「本家超えたと思った(笑)」と絶賛の声が上がっている。
2017年08月22日第137飯「大人のパンナコッタ」■材料(4人分)牛乳300cc生クリーム200cc砂糖30gゼラチン5gラム酒小さじ1季節のフルーツアイスクリームシャンパン ■作り方①たっぷりの水でいたゼラチンを戻しておく。(粉ゼラチンの場合は説明書を参考に) ②小鍋に牛乳、生クリーム、砂糖を入れて弱火にかけ、ふつふつ煮立ってきたら1のゼラチンを水気を切って加え溶かす。③パンナコッタ液をボールに移し、それを氷水の入った大きめのボールに浮かし、液が冷たくなるまでゴムベラ等でよく混ぜる。 ④ガラスのカップなどにパンナコッタ液を分け入れ、冷蔵庫で2時間くらい冷やし固める。 ⑤固まったら季節の果物とバニラアイスをのせ上からシャンパンをかけていただく。
2017年08月22日