日本の可愛いを求めに、越境北上。福島県の玄関口郡山から電車で1時間、野口英世ゆかりの地である会津若松にはすでに本格的な夏が訪れていたようだ。会津若松の伝統工芸品、会津木綿を使用してキュートなテディベア「あいくー」を作る庄子ヤウ子さんの元へ訪れる前に、会津木綿の織元「山田木綿織元」へと足を運んだ。明治38年創業の山田木綿織元は会津若松の駅から歩いて10分ほど、ノスタルジックな街並みが残る七日町にある創業100年を超える老舗の織元。小さな敷地の中で糸の染色から織り、製品化まで全て一貫して行っている。会津木綿は今から約400年前に誕生した。当時の会津藩主、蒲生氏郷公が産業振興のために綿花栽培を始め、木綿を織ったのが起源と言われている。丈夫で厚手の生地、地域によって異なる地縞と呼ばれる縞模様、ランダムに現れる横糸のぷっくりとしたふくらみが会津木綿の特徴だ。経糸と横糸の間に空気をよく含むため汗をしっかりと吸い保温性に優れる生地は、夏はうだるほど暑く、冬は雪で埋もれるほどの極寒という会津の盆地独特の気候にもよく合うのだそう。伝統工芸品として400年以上続いてきたが、明治末から大正にかけての木綿生産の最盛期には30以上あった工場も、現在は山田木綿と原山木綿工場の2社にまで減ってしまった。それでも続いてきた伝統を絶やさぬようにと、毎日工場は動き続けている。音を立てて織る優しい縞山田木綿織元では昭和初期の豊田式織機を使用し、昔ながらの風合いを今でも大事に受け継いでいる。しかし現役で動いているのは10数台程度で、修理が必要で稼働していないものもある。機械が古いため部品がなく、修理できないままになっているのだ。一反の大きさは横幅37cm、長さ約12メートル。織り機一台で1日に織り上がるのは約一反半だが、日本全国から発注が相次ぎ今では生産が追いつかなくなっているのだとか。工場で働くのは熟練した織職人のおかあさん、おばあちゃんたちで、中にはこれから工場を担っていくのだろう若い女性もいた。生地の生産から服や小物の製品化まで、現在は20人程度で回している。小さな部屋一面に置かれている織り機とは別に、糸を整える作業をする機械やボビンに巻きつける機械もある。大きな歯車に色とりどりの糸が巻きついているのは“整経”をする機械。一反の幅を織り上げるのに必要な経糸(たていと)を作りたい縞模様、長さに合わせて揃えていく作業である“整経”の工程が会津木綿では特に重要になる。ここであの鮮やかな縞模様の配列が決まっていく。作業途中で止まっていた機械を覗いてみると、縞が出るように途中で経糸の色が変わっているのがよくわかる。上、下、上、下、と交互に離された経糸の間に横糸を通すことで一段一段織られていく。ガシャンガシャンという大きな音とともに横糸を巻き付けた杼(ひ)と呼ばれる棒が規則正しく高速で往復していく光景はなかなかダイナミック。この横糸に凸凹としたアクセントがつくのが会津木綿の特徴であり、素朴な質感が出るポイント。「工場全体がまるで機械のように動くんですよ。スイッチを入れると、みーんな動くの」製品の制作や営業を担当している3代目の奥さんが、針と木綿を持った手を動かしながら嬉しそうに答えてくれた。工場の天井には織り機一つ一つに繋がるベルトを動かす機械が連なっており、一つのスイッチで全てが稼働するそう。まるでハウルの動く城のようだった。オリジナル商品も制作工場の隣には縫い場兼販売スペースがあり、山田木綿を使用して作られた雑貨やIIE(イー)のストール、山田木綿織元のオリジナルアイテムが並んでいる。この日も頼んだ品を取りに来たり、商品を見に訪れる人が多くいた。一軒家の居間がそのまま工房になっているのもどこか暖かい雰囲気を感じる。会津木綿を使用したぬいぐるみを作る會空(あいくう)の“しまくま”も山田木綿の生地を使用。キャスケットやネクタイなど、縞模様を活かしたポップなアイテムも並ぶ。山田木綿織元オリジナルブランド「Le Cotonnier d’Aizu」はフランス語で “会津の紡績工” という意味。工場で作られた会津木綿を使用したワンピースやシャツ、エプロンや帽子といった小物をその場で制作し販売している。「木綿って素朴なイメージがあって若い人には馴染みがないから、今っぽくも着れるようにね」と、ガウチョパンツやギャザーの寄ったフリルブラウスなど、若い女の子たちでも着たいと思うようなデザインも多くあることに驚いた。しっかりとした生地、しゃりしゃりと清涼感のある肌触りは今の季節にもよく合いそうだ。木綿というと少し野暮ったくて渋い色合いで、若い子が身につけるイメージはあまりなかったが、実際生地を見てみるとカラフルな色合い、ぷっくりとした糸が出す表情に思わず「可愛い!」と声をあげてしまった。この生地が、一体どんな可愛いものに変身していくのか。どんな思いを編みこまれ形になっていくのか。可愛いを求めに越境北上はまだまだ続く。続き:会津木綿のテディベア 「あいくー」が結ぶ、私の笑顔と故郷の空Text : Azu Satoh
2016年08月23日資生堂パーラー 銀座本店「サロン・ド・カフェ」では、2016年6月1日(水)より、クラウンメロンのパフェ&デザートが、6月14日(火)よりさくらんぼ“佐藤錦”のパフェが登場する。メロンパフェは、マスクメロンの王様と称される“クラウンメロン”を果肉、ソルベ、ピューレ、ゼリーなど贅沢に使用した珠玉のスイーツ。とろけるような柔らかい果肉からは芳醇な香り、濃厚な甘さが口に広がるのが特徴だ。また、別添えの抹茶ソースがきりっとした渋みを与え、味わいの変化も楽しめる。加えて、クラウンメロンのムースに爽やかなヨーグルトパルフェを合わせ、可愛らしくメロンに見立てたスイーツも見逃せない。一方、山形県・岡田果樹園産の佐藤錦を使ったさくらんぼパフェは、爽やかな酸味と上品な甘さが魅力。シャーベット、コンポートにも佐藤錦を使用し、華やかな見た目に仕上げられている。また、資生堂パーラー 日本橋髙島屋店・横浜髙島屋店・横浜そごう店・名古屋店では、静岡県産のマスクメロンパフェや、山形県産 「佐藤錦」さくらんぼのパフェ、山形県産 「紅秀峰(べにしゅうほう)」さくらんぼのパフェなどが登場。こちらも贅沢な一品だ。【詳細】<資生堂パーラー 銀座本店 サロン・ド・カフェ 新作パフェ>■静岡県 袋井地区産 クラウンメロンのパフェ価格:1,980円(税込)発売日:2016年6月1日(水)〜■静岡県 袋井地区産 クラウンメロンのムース(コーヒーまたは紅茶付)価格:1,980円(税込)発売日:2016年6月1日(水)〜■山形県 岡田果樹園産 佐藤錦のパフェ価格:2,480円(税込)発売期間:2016年6月14日(火)〜6月30日(木)【店舗情報】資生堂パーラー 銀座本店 サロン・ド・カフェ住所:東京都中央区銀座 8-8-3 東京銀座資生堂ビル3階営業時間:・火〜土曜日 11:30〜21:00(L.O.20:30)・日曜日 / 祝日 11:30〜20:00(L.O.19:30)定休日:月曜日(祝日の場合は営業)TEL:03-5537-6231(予約不可)<資生堂パーラー 日本橋髙島屋店・横浜髙島屋店・横浜そごう店・名古屋店 新作パフェ>■静岡県産 マスクメロンパフェ発売期間:〜2016年6月30日価格:1,728円(税込)■山形県産 「佐藤錦」さくらんぼのパフェ発売期間:2016年6月1日(水)〜6月中旬価格:1,890円(税込)■山形県産 「紅秀峰(べにしゅうほう)」さくらんぼのパフェ発売時期:6月中旬〜価格:1,890円(税込)
2016年05月30日フルーツタルト専門店のキル フェ ボン(Qu’il fait bon)から、夏至に合わせた限定メニュー「佐藤錦のキャンドルナイトケーキ」が登場。2018年6月20日(水)・21日(木)の2日間限定で、全国の店舗にて販売される。2003年にスタートした、夏至と冬至に夜の2時間の間で電気を消そうと呼びかける「100万人のキャンドルナイト」。2005年の夏至からこの活動に賛同しているキル フェ ボンは、毎月20日にキャンドルナイトを開催。17時から閉店までの間は店内の照明を落としてロウソクを灯した状態で、この日限定のキャンドルナイトケーキの販売を行っている。2018年度の夏至は、さくらんぼの王様と呼ばれる「佐藤錦」をふんだんに使用したキャンドルナイトケーキが登場。杏仁ムースとクコの実でロウソクの灯火をイメージした限定ケーキは、甘酸っぱくみずみずしい佐藤錦とクリーミーなチーズムースの組み合わせが相性抜群の一品となっている。【商品情報】キル フェ ボン 夏至限定「佐藤錦のキャンドルナイトケーキ」販売期間:2018年6月20日(水)・21日(木) ※数量限定価格:ピース 1,075円、ホール(25cm) 10,260円販売店舗:キル フェ ボン全店舗(グランメゾン銀座/青山/東京スカイツリータウン・ソラマチ店/横浜/静岡/浜松/京都/グランフロント大阪店/仙台/福岡)※東京スカイツリータウン・ソラマチ店、横浜、グランフロント大阪店はLEDキャンドルでの演出となる。※キャンドルナイトケーキはオープン時刻より販売する。
2016年05月29日世界的に注目されるロースターカフェ7店舗が集結するコーヒーイベント「コーヒーコレクション・アラウンド・神田錦町2015(COFFEE COLLECTION around KANADA NISHIKICHO 2015)」が、10月31日に神田錦町の複合ビル・テラススクエアにて開催される。同イベントは、国内外の厳選されたロースターカフェ7店のバリスタによるハンドドリップコーヒーを同時に飲み比べることが出来るというもの。ラインアップは、世界バリスタチャンピオンのポール・バセットを、チーフバリスタ兼ヘッドロースターとして支えてきた鈴木清和が今年4月にオープンした「GLITCH COFFEE & ROASTERS」や、コーヒー王国であるノルウェーで1963年から続くコーヒーバーの海外進出1号店「Fuglen Tokyo」など。当日は各店が同じ抽出器具を使用し、同条件でコーヒーを淹れるため、各店の豆の性質や焙煎方法、抽出技術による味の違いをじっくりと感じることが出来る。なお、7店の味を楽しめるテイスティングセット「7 cups TICKET」を1,000円で発売。その他、会場ではハンドドリップ日本チャンピオンによるハンドドリップセミナーの開催を始め、世界各地から届くコーヒー豆の麻袋を用いたトートバッグブランドや、自家製パンのパン工場・ファクトリーなども登場する。「コーヒーコレクション・アラウンド・神田錦町2015」が開催される10月31日、神田錦町では「神田古本まつり」や「神田カレーグランプリ」、「神田スポーツ祭」、またアートプロジェクト「TRANS ARTS TOKYO」などのイベントも同時開催される。コーヒーを片手に古本まつりを楽しんだり、カレーを堪能した後に食後のコーヒーを飲んだりと様々なイベントと合わせて楽しめるはずだ。【イベント情報】「COFFEE COLLECTION around KANADA NISHIKICHO 2015」会場:テラススクエア住所:東京都千代田区神田錦町3-22会期:10月31日時間:11:00~19:00
2015年10月01日資生堂パーラーではこのほど、「山形県 岡田果樹園産 佐藤錦のパフェ」(税込2,480円)を「資生堂パーラー銀座本店 サロン・ド・カフェ」にて期間限定で発売した。販売は6月30日まで。同商品は、山形県の岡田果樹園が生産した大粒のさくらんぼ「佐藤錦」を、デコレーション、シャーベット、コンポートに使用したスイーツ。店舗で毎日製造する伝統のアイスクリームと合わせ、酸味と上品な甘さが楽しめる一品に仕上げたという。また、日本橋高島屋店(東京都)、横浜高島屋店・横浜そごう店(神奈川県)、名古屋店(愛知県)では、銀座本店の商品とは味やスタイルが違う「さくらんぼのパフェ」を販売している。使用するさくらんぼは「佐藤錦」と「紅秀峰(べにしゅうほう)」。提供期間は各店舗によって異なる。なお、銀座本店レストランでは6月23日~7月26日、「シェフのお薦めコース」も用意する。魚料理はイサキのポワレ、肉料理は仔羊背肉のローストなどを提供。昼のコースは、メインが肉料理だけのAコースが税込5,500円、メインに肉・魚も付くBコースが税込9,000円。夜のコースは、メインを肉・魚のどちらか選べるAコースが税込6,500円、肉・魚の両方を楽しめるBコースが税込9,000円。銀座本店レストランでは、サービス料10%が別途必要。メニュー内容は一部変更の場合あり。
2015年06月23日最先端表現技術利用推進協会(以下、表技協)は5月30日、日本三名橋のひとつである山口県岩国市にある錦帯橋(きんたいきょう)へのプロジェクションマッピング「時空の架け橋」を実施する。錦帯橋は日本三名橋のひとつとされており、錦川に架かる全長約200mの木造五連のアーチ橋で、その景観の美しさも含め日本を代表する木造橋として知られている。今回のプロジェクションマッピングは岩国青年会議所が主催する創立60周年記念事業のプログラムとして行われるもので、錦帯橋でのプロジェクションマッピングは今回が初となる。「時空の架け橋」と命名されたプロジェクションマッピングは、木造五連のアーチ橋という建造物の特長を生かして、橋の橋脚部に岩国にゆかりのある映像を映し出す。表技協は岩国青年会議所の依頼を受けて同イベントに協力し、3Dスキャニングからプロジェクションマッピングまでの実施を担当する。岩国青年会議所では記念パーティーの特別プログラムとしてこの企画を実施し、錦川の河川敷からその様子が見ることができる。開催時間は初回19:40~19:55以降、21:00まで4回実施する。なお、天候などにより実施時間の変更や中止になる場合がある。最新情報は岩国青年会議所のホームページを参照。
2015年05月23日キリンビバレッジは12日より期間限定で、プレミアム果汁飲料「小岩井 厳選果汁 佐藤錦」を発売する。○山形県産佐藤錦の果汁とピューレ、青森県産りんご果汁を合わせた同商品は、さくらんぼの甘酸っぱいリッチな味わいが楽しめるという、大人のための果汁飲料。「小岩井」果汁シリーズでは、親子で楽しむ果汁飲料をコンセプトにした「小岩井 純水果汁」シリーズと、品種や産地を厳選した国産果汁に濃厚な味わいの特製ピューレを加えて仕上げたプレミアム果汁飲料「小岩井 厳選果汁」シリーズを展開している。同商品は、「小岩井 厳選果汁」シリーズの2015年第2弾商品となる。山形県産佐藤錦のおいしさを凝縮した果汁とピューレを使用。甘い青森県産りんご果汁を合わせて仕上げた、濃く甘酸っぱいリッチな味わいになっているとのこと。着色料、保存料は不使用。パッケージは、果物のギフトをイメージした品質感、高級感のあるデザインを採用している。320ml・ペットボトルで、希望小売価格は150円(税別)。
2015年05月03日JR東日本仙台支社は27日、「走るカフェ」がコンセプトの乗って楽しい列車「フルーティア」について発表した。2015年4月下旬以降、磐越西線郡山~会津若松間で運転開始される予定だという。JRグループは2015年4~6月の3カ月間、福島県・地元自治体・観光事業者らと連携し、大型観光キャンペーン「ふくしまデスティネーションキャンペーン」を開催。これに合わせて運転開始される同列車は、719系を改造した2両編成(カフェカウンター車両1両・座席車両1両、座席36名)の列車となる。車両愛称の「フルーティア」は、「FRUIT(果物)」「TEA(お茶)」を組み合わせて命名された。エクステリアデザインは赤瓦や黒漆喰壁、明治・大正時代の西洋モダンが織り成す独特な街並みと雄大な自然との調和を表現。建築外板に使用される質感表現を車両デザインに取り入れ、新しいイメージの創出をめざすという。インテリアデザインは明治・大正時代の近代建築や会津塗の持つ豊かな質感を基本にデザイン。カフェカウンター車両は大きく伸びやかなカウンターで優雅な鉄道旅行を演出し、カウンター席も設定する。座席車両は車窓風景を眺めながら会話を楽しめるような座席・テーブルの配置とする。車内ではカフェサービスとして、「福島県産フルーツなどを使用したケーキやタルトといったオリジナルスイーツ」とドリンク類をセットにして提供予定。なお、具体的な運転日や座席の発売、車内で提供するメニューの詳細については、「決まり次第、別途お知らせいたします」としている。
2014年11月27日福島県の会津鉄道はこのほど、昨年12月25日から1月27日まで実施した「車両ラッピングデザイン」公募の選考結果を発表した。ラッピングデザイン公募は、2015年4~6月に実施される「福島デスティネーションキャンペーン」と、今年4~6月に実施する「プレ・デスティネーションキャンペーン」に合わせた企画。「花咲く会津」をデザインテーマとして公募を実施した。応募作品の中から最優秀賞に選ばれたのは、会津若松市内の企業の作品。ピンクとパープルのグラデーションに県内のゆるキャラを配し、明るく楽しいデザインになっている。最優秀作品はAT500型車両(1両)にラッピングされ、この春から運行を開始。来年の「福島デスティネーションキャンペーン」期間中まで継続する予定となっている。
2014年02月12日福島県会津若松市一箕町、飯盛山の白虎隊士墓前で「白虎隊慰霊祭」が開催される。開催日時は9月24日、10時30分~12時まで。白虎隊は幕末、戊辰戦争時に会津藩が組織した部隊で、16歳から17歳の武家の男子で構成されていたが、中には13歳、15歳の少年もいたといわれている。白虎隊の士中二番隊は戸ノ口原の戦いで打撃を受け、飯盛山に潰走。多くが自刃して果てたという。同祭は、この白虎隊の霊を慰めるため、飯盛山の白虎隊士墓前で行われるもの。慰霊祭のほか会津高校生徒による「白虎隊剣舞」の奉納が行われる。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2013年09月20日福島県会津若松市門田町の北御山集会所で天皇・皇后両陛下を始め宮家に献上する「会津身不知柿(あいづみしらずかき)」の箱詰め作業が11月26日に行われた。北御山生柿生産出荷組合の農家が生産した柿を厳選し、会津地方振興局の職員らが柿を一つ一つ丁寧に磨き上げ、和紙に包んで箱詰めした。今年は、夏場の雨不足で例年よりやや小ぶりであるものの、甘味の強い柿ができた。「身不知柿」は、ビタミンAやビタミンC、カリウムなどの栄養を豊富に含むのが特徴。さらに二日酔いや悪酔いに効果があるタンニンが多く含まれている。名称の由来は、「枝が折れそうなほどにたくさんの大粒の実をつける」ことからだという説や「あまりに美味しいので我が身も考えずに食べすぎてしまう柿」だという説などがある。「献上柿」は1928年、会津藩主ゆかりの松平勢津子様が秩父宮様とご結婚されたお祝いとして献上されたのが始まりだ。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年12月04日福島県で臨時列車「極上の会津喜多方号」が運行される。運行日時は11月23日(金・祝)~25日(日)まで。全車指定席。「喜多方まち歩きとマイ喜楽弁(きらべん)づくりの旅!」と題したイベント列車は、郡山~喜多方間で運行される列車の旅を楽しむとともに、喜多方駅到着後、蔵の街である喜多方市内を「蔵ガイド」の案内でめぐり、人気の食事処をまわって「マイ喜楽弁」を完成させるというもの。「マイ喜楽弁」づくりは、「食堂つきとおひさま」で厚焼き玉子と野菜の煮物、「塩川屋」でエゴマ豚メンチカツとロース醤油麹漬けの焼き物、「会津田舎家」では芋がらの胡麻和えと胡瓜の紫蘇漬け、菊の甘酢漬け、鰊の焼き物、「若喜商店」ではかつお風味焼生姜と黒胡麻ごぼうを弁当箱にトッピングする。そのほか、「会津田舎家」からおにぎり、「ぬりの里」から郷土料理の「こづゆ」、「若喜商店」からはみそ汁が提供される。完成したお弁当を若喜商店内の「ふれあい夢くうかん」で味わい、その後解散となる。イベント詳細はJR東日本仙台支社ホームページで確認を。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年11月22日博報堂は11月15日、同社旧本社ビルの有効活用を目的として推進してきた、「神田錦町三丁目共同建替計画」の新築工事に着手した。同計画は、住友商事、三井住友海上火災保険、大修館書店、安田不動産とともに行っている。同計画は東京都神田にある博報堂旧本社ビルを含む6棟のビルを、高い環境・防災性能を有する地上17階・地下2階建ての複合ビル1棟に建て替えるというもの。ビルには、オフィス、商業施設、カンファレンスセンターなどが入る。完工は2015年3月を予定している。また同ビルとともに、「学士会館」「共立講堂」と並んで神田地区の歴史的景観のひとつとなっていた、同社旧本館(1930年完工)の正面外観も復元する予定だ。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年11月16日福島県会津若松市のシンボル鶴ヶ城で、紅葉の時期に合わせてライトアップが行われる。期間は10月19日(金)~11月11日(日)の日没~21:00まで。見どころは黄色に色づいたイチョウと青白く幻想的にライトアップされた鶴ヶ城天守閣、石垣、赤い廊下橋など。昼間とはまた違った美しい姿が現れる。鶴ヶ城は会津藩の松平氏を始め、数多くの大名が城主として君臨した城。鶴ヶ城を有名にした出来事は、幕末、戊辰戦争の戦いの舞台となったこと。特に飯盛山での白虎隊の自刃は、薩摩琵琶の語りやドラマや映画などで現在に伝えられている。ちなみに、2013年の大河ドラマは会津藩の砲術指南役である山本権八の娘、新島八重を主人公にした「八重の桜」だ。鶴ヶ城では幕末当時の姿である赤瓦への葺(ふ)き替えが2011年に完了。現存する天守閣では国内唯一の赤瓦だ。また、天守閣では「鶴ヶ城博物館」として貴重な資料を展示公開している。石垣の内部には塩倉、第一層には歴代藩主と城の変化、第二層には江戸時代の会津庶民の暮らし、第三層では戊辰戦争の様子を描いた錦絵が展示されている。第四層は四季をテーマに会津の人々の暮らしを展示。第五層は東西南北が見渡せる展望室となっており、白虎隊最期の地である飯盛山も見える。鶴ヶ城は唱歌「荒城の月」の作詞者である土井晩翠が詩の構想を練った場所の一つとされ、「荒城の月」の歌碑も建てられている。さらに千利休の子である千少庵が建てた茶室、「麟閣」もライトアップされる。千少庵は父の千利休が豊臣秀吉の命により切腹したあと、時の鶴ヶ城主蒲生氏郷にかくまわれていた際に「麟閣」を建てたと伝えられている。その後明治になり、鶴ヶ城取り壊しとともに「麟閣」も取り壊されようとしていたが、それを惜しんだ森川善兵衛が明治5年に自宅へ移築、その後120年の歳月を経て平成2年に元の鶴ヶ城へ移築された。ライトアップの詳細は会津若松観光物産協会ホームページで確認を。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年10月15日JR東日本仙台支社はこのほど、只見線の一部区間(会津坂下~会津川口間)で行っていた「タブレット閉塞式」による運転保安方式を廃止し、9月23日より「特殊自動閉塞式」に変更すると発表した。機器の老朽化によるもので、ローカル線の象徴的な風景として親しまれてきた「タブレットの受渡し」が只見線で見られるのは22日までとなるという。これに合わせ、同社は22日限定で、「JR只見線ありがとうタブレット記念の旅」を実施する(すでに完売)。会津若松駅発、会津川口駅着の列車に乗り、会津川口駅または会津坂下駅で「タブレット閉塞機」に触れる体験ができるツアー。かつて只見線で使用され、現在会津若松駅で保管されている本物の閉塞機を使用する。会津若松駅をそれぞれ7時37分、11時5分、13時10分に出発する列車が対象となる(11時5分発は臨時列車)。各列車20名の参加者を募集したが、即完売している。22日には、会津若松~会津川口間の10駅の入場券をセットにした「只見線タブレット記念入場券」も限定発売される。発売額は1,400円。会津若松駅、会津坂下駅、会津宮下駅、会津川口駅の各駅にて取扱う。発売時刻は会津若松駅が5時40分から、その他の駅は10時から。500セット限定で、1人5セットまでの購入制限あり。売切れ次第終了となる。「タブレット閉塞式」は、列車の衝突や追突の防止を目的として、一定の区間に同時に2つ以上の列車を走行させないために用いられてきた運転保安方式。運転士が出発駅の駅長から、「タブレット」と呼ばれる円盤状の金属を受け取らない限り、その列車は出発できない。その区間にタブレットは1つしかないため、必然的にその区間に同時に複数の列車が走行することはできなくなる。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年09月12日大正時代から人々に親しまれて、会津のガンコおやじがプライドを持ってその味を守り続けている。会津のソウルフード「伝統会津ソースカツ丼」だ。現在、「伝統会津ソースカツ丼の会」加盟店は23軒。その1軒1軒、味に個性があり、比べて食べるのもこれまた一興(いっこう)だ。一般的にカツ丼といえば、玉ねぎとカツをしょうゆで煮込み、その上に卵をからめたもの。しかし会津のカツ丼は、その名の通りソースで味付けしたカツ丼だ。誕生の経緯は定かでないそうだが、定義としては、「ほかほかのごはんの上にサクサクのキャベツを敷き、揚げたてのカツを店独自のソースで絡めた丼」となるよう。そんな会津オリジナルのカツ丼に一家言ある飲食店数店が一致団結して、2004年に「伝統会津ソースカツ丼の会」を誕生させた。ソースカツ丼誕生の経緯は、カフェ全盛期だった大正時代、洋食のコックが手軽なまかないとして考案したという説がある。余った肉片を当時人気だったカツレット(今のカツレツ)にして、ウナギのかば焼きからヒントを得た甘めのソースで絡める。それを食べやすいように、さっと丼に盛ったのが始まりではないかというのだ。いまなお古い街並みを随所に残す会津若松に、なんとも似つかわしい説ではないか。ところで、このレトロな街並みと相性ぴったりな、「ハイカラさん」という周遊バスをご存じだろうか?市内観光の足として利用されているこのバスは、「伝統会津ソースカツ丼の会」加盟店23店舗のうち、15店舗の店にほど近い各バス停に停車する。1日に数軒でも回れるというツワモノは、バスに乗って食べ歩きしてみてもいいかもしれない。しかし、ソースカツ丼はいずれもボリュームたっぷりで、中には、丼からはみ出るような大きなカツを揚げている店もある。胃腸と相談しながらにすべし!同会の会長を務めている「なかじま」は、創業63年を数える老舗だ。スパイシーでまろやかなキャベツソースカツ丼と、先代社長が考案したという、コクとうまみたっぷりのソースで煮込んだソースカツ丼。“さすが老舗の逸品!”とうならされる味だ。ちなみに、使用している肉は福島県鮫川村(さめがわむら)の銘柄豚「健育美味(けんいくびみ)豚」。この豚はサツマイモを飼料として与えるなどして育てられており、深い味わいがあるだけでなく、ビタミンやオレイン酸などといった栄養分も豊富。肉のもつ強い甘みが、ソースの酸味に見事にマッチしていている点も魅力である。また、同じく創業60年以上の歴史をもつ「白孔雀食堂」のソースカツ丼は、丼からはみ出る大きなカツとやや甘みのあるソースが特徴。どんぶりからのはみ出しっぷりには最初驚くこと必至だが、いざ箸を付けると、薄くたたかれていて、見た目からは想像できない食べやすさであることが分かるだろう。お客に楽しく食事してほしいと願う店主の優しさがそこはかとなく感じられる。いずれの店も会津っぽ(会津魂)の優しさとこだわりで、長い間、店独自の味や盛り付け法を貫いてきたことは間違いない。ガンコな会津の料理人の心は、昔も今も変わらずに、この地に脈々と息づいているのだ。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年08月31日福島県会津若松では、「カレー焼きそば」のことを「B級グルメ」とはカテゴライズしない。ではどのように位置づけるのかというと、カレー焼きそばは「ソウルフード」、つまり「故郷の味」なのだという。「カレー」と「焼きそば」の見事なコラボレーション、会津のカレー焼きそばは会津市民にとって青春の味であるとともに、「会津っぽ(会津魂)」を象徴する、ソウルフードとして定着した。カレーと焼きそば。日本人の老若男女のほとんどが好きなB級グルメの両雄をコラボレーションさせることは、どうして会津若松以外の人たちは気づかなかったのだろうかと不思議になるほど、会津のカレー焼きそばとの出合いは、鮮烈な印象を与えるものであった。現在15店舗が加盟する「会津カレー焼きそばの会」の事務局がある、一七市町村物産市場「会津ブランド館」の一階にあるカフェを訪ね、運営責任者でテクニカルスタッフの代表取締役社長・佐藤正彦氏に会津カレー焼きそばを発想するに至った裏話を聞いてみることにした。その前にまず試食。トッピングを組み合わせたメニューは10種類近くになるが、まずは原点でもあるトッピングなしのカレー焼きそば(500円)をオーダーしてみた。太麺に会津産の野菜と、同じく会津特産のエゴマ油で炒め、ソースで味付けした焼きそばに中辛のカレーを上からかけている。もちろん、カレーの中にも会津産の人参が顔をのぞかせている。「いかがですか?カレー味の焼きそばではなく、焼きそばにそのままカレーをかけるというスタイル、おもしろいでしょう?」と佐藤氏。「本当にどうして全国の他の地域では考え付かなかったのか不思議でなりませんね。でも、なんでこの組み合わせを思いついたんですか?」との私の質問に、佐藤氏は軽く笑いを浮かべ、「ひょうたんからコマみたいな話なんですよ」と返してきた。カレー焼きそばの誕生は今から40年も前のこと。部活で腹をすかせ、家まではどうしても持ちそうにないと、発車までの時間、焼きそばを頼んだ高校生の一団が「発車時刻が迫ってるから、焼きそばとカレーと一緒に出して」と店の経営者に注文。出てきた焼きそばの上からカレーをかけたところ、これがなんと初めて食べる味ながらビックリするほどおいしい!!高校生の一団はみんなで皿を回しながら、「おいしい、おいしい」とがっついた。この話を翌日学校中に触れて歩いたところ、あっという間にみんながまねして人気メニューになったという。取材の途中、女子高校生のグループに話を聞いてみた。すると、カレー焼きそばを出す店は15店あるのだが、各店それぞれレシピは違うしトッピングも違うので、ひいきの店はみんな違うということが分かった。そして驚くべき事実も判明した。現在、カレー焼きそばの主なファンは高校生ではなく、40年前にこれをヒットさせ、今はもういい歳のオヤジたちとなった連中なんだとか。酒飲みが〆にカレー焼きそばを食べるというのだ。オヤジたちだけではない。店を閉めた後のママさんやホステスさんたちも、お客と一緒にお酒の〆に食べているという。「寝る前に食べると太るっていうけど、でもカレーは脂肪を燃焼させてくれるっていうし、気にしないで食べてるわ」と話す人も。カレー焼きそばの元祖「トミーフード」が店を構えるのは「野口英世青春広場」。そして、カレー焼きそばは会津の青春の味。読者の皆様、まずは一度、その味をご自分の舌でお試しあれ。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年08月10日夏休み。青春18きっぷでどこに行こうかと鉄道路線図を眺めていたら、只見線の駅名が興味深かった。始発駅の会津若松をはじめとして、会津坂下、会津宮下、会津川口など、17の駅に「会津」が付いている。只見線は全部で38駅だから、半数近くが「会津」の付く駅名だ。そういえば、JRには地方名や旧国名を付けた駅が多い。特急「ワイドビュー南紀」の終点でもある紀伊勝浦駅。北陸本線と越美北線が分岐するのは越前花堂駅で、越美北線も「越前」の付く駅が多い。JR四国は「阿波」「伊予」「讃岐」が付く駅が多い。ちなみに高松駅の愛称も「さぬき高松うどん駅」になった。高松駅の場合はうどんにひっかけたのだろうが、そもそもJRには旧国名や地方名を被せた名前の駅が多いのだ。これには理由がある。旧国名や地方名が付く駅を俯瞰すると、JRに多いだけではなく、「東京や大阪など大都市はわりと少ない」「幹線より支線に多い」という傾向も見えてくる。これは鉄道路線が建設された順番ともいえる。大都市のほうが鉄道の整備は早かったし、幹線の後に支線がつくられた。つまり、後から開業した駅に旧国名や地方名の付く駅名が多いということになる。「新しい駅のほうに古くさい旧国名(地方名)を付ける」とは不思議かもしれないけれど、これは鉄道の発達にともない、全国で駅名の重複を避けようとした結果でもある。「新しい駅を作ろう」「地域の名前がわかりやすい」「いや、その名前はすでに別の駅が使っているぞ」「それなら目印を被せよう」といったような経緯で被せられたのだろう。只見線の会津川口駅の場合、「川口駅」としたくても、すでに埼玉県に川口駅が存在した。どちらも同じ名前では、川口行きのきっぷを買うとき間違えやすい。だから地方名である「会津」を付けよう、といったところだろう。これならどの地域にあるかもわかりやすい。同じ地域で駅名の重複を避ける場合は、東西南北の方角を付けたり、「新」を付けたりもする。異なる鉄道会社の場合、「近鉄四日市」「京急蒲田」など会社名の略称を付ける場合もある。遠い地域なら同じ駅名でも不便はなさそうだが、JRの前身である国鉄は全国に路線網があり、「離れていたとしても、同じ駅名があると混同されやすい」というわけで、なるべく違う駅名にしようとした。その一環で旧国名・地方名が使われたようだ。だから、「JRの駅には旧国名・地方名付きが多い」というよりは、「旧国鉄の駅には旧国名・地方名付きが多い」ということになる。JRグループに分割民営化された後、JR北海道の函館本線に桂川駅があるにもかかわらず、JR西日本が東海道本線の桂川駅を開業させた例もある。ちなみにJR九州にも、国鉄時代から桂川駅(筑豊本線)があるけれど、こちらは「けいせん」と読む。国鉄当時から問題ないと判断されたようだ。同じ地域で駅名の重複を避けるため、旧国名を付けた例もある。たとえば三河安城駅。JR東海が発足してから誕生した駅だが、安城市にはすでに東海道本線の安城駅があった。しかし他の新幹線駅にありがちな「新安城」では、名古屋鉄道の新安城駅と間違われてしまう。東海道新幹線の駅だし、遠方からの利用者も多いだろうから、地域全体の位置をわかりやすくするためにも旧国名を付けよう、ということなのかもしれない。埼京線と武蔵野線が接続する武蔵浦和駅も、浦和駅から近いのに旧国名が被せられている。浦和の場合、浦和駅のほかにも東浦和駅、西浦和駅、南浦和駅、北浦和駅があり、言うなれば”浦和ネタ”は尽きかけていた。新しい駅だから「新浦和」でもよかったのではないかと思うけれど、新幹線と並んでいるため、新幹線の駅と間違われないようにとの配慮があったのだろう。武蔵浦和駅と同日に開業した埼京線の隣駅も「中浦和」となった。気の毒な事例といえるのが岩手川口駅(現・IGRいわて銀河鉄道)。いま川口駅といえば埼玉県にある京浜東北線の駅のイメージが強いが、岩手川口駅はその川口駅が開業する前から「川口駅」を名乗っていた。伊勢川口駅や越後川口駅は、こちらの川口駅との混同を避けるために旧国名を付けたわけだ。一方、現在の川口駅はかつて「川口町」という駅名だったが、川口市の発足と同時に川口駅を名乗ることに。岩手県にあった川口駅が現駅名に改称させられることになった。当時の地元の人々は悔しかったに違いない。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年07月21日