俳優の中村雅俊と五十嵐淳子夫妻の三女でモデルの中村里砂が、芸能界デビュー1周年を迎えた。2010年にモデルデビューを果たし、女性誌『LARME』(徳間書店)のレギュラーモデルを務めるなど、ガーリー系女子の間で高い人気を誇っているが“2世”であることを公表したのはタレント活動を始めた1年前から。活動の場を広げたのも自らの意思で、「テレビに出演することも全部決まってから報告した」という。「最初は両親とも、すごく驚いていました」と話す中村が、芸能界デビュー後の変化や両親への思いを語った。<全身ショット>中村里砂、キュートなミニスカ&バニー風衣装2014年、両親の結婚記念日でもある2月1日から本格的にタレント活動をスタートさせた中村。1年間を振り返り「改めてデビューと言われると恥ずかしいですね」と照れ笑いを浮かべる。自身としては「モデル業に加えて、テレビという活動の場がひとつ増えた程度にしか捉えていなかった」というが、テレビ露出が増えることでファン層の変化や広がりを実感。「これまでのわたしを知らない人にも、常に新しいわたしを発信していけたら」という思いと旺盛なサービス精神から、最近ではバラエティ番組で家族とのエピソードやプライベートを明かして注目を集めている。「仕事が忙しい時には、お母さんが作るあたたかいごはんは、やっぱり嬉しいですね」と良好な親子関係を明かした中村。「すごく料理が上手なんですよ。ごはんも土鍋で炊くなどしてこだわっていて。特に和食がおいしいんです」と、母・五十嵐淳子の料理を絶賛した。また、2月1日は父・中村雅俊の誕生日だが、「プレゼントってあげたことがなくて…」とポツリ。「何をあげればいいかわからないんです。今年は渡せたらいいなと思います」と、娘としての顔ものぞかせる。家族のエピソードを語ることが増えたが、ここまで両親の力を借りることなく自らで道を切り開いてきた。“2世タレント”という言葉の裏に“親の七光り”という特権を見る視聴者は多いが、「自分のやっていることには責任を持ちたいし、やるからには1ミリも妥協したくない」と力を込める。もともと自立心は旺盛で、「(幼少の頃から)なんでも自分で決めたいタイプ。両親がダメといっても聞かない子だった」という中村。「小さい頃から舞台などは連れられて観に行く機会も多くて、役者の仕事をやってみたら、と言われたこともあった」というが、自らの意思でモデル業からスタート。「みんなでひとつのものを作り上げる作業が好き」だったこともあり、モデルの仕事を続けているうちに、俳優業にも自然と興味を抱くようになった。「両親とは進んできた道が違うから、自分はマイペースに」と語る中村。その大きな瞳からは、持ち前の自立心と、芸能生活2年目に挑む決意が感じられた。
2015年02月01日1世紀に渡り親しまれてきた新宿の老舗食品メーカー「中村屋」が、新宿本店ビルの建て替えにあたり、新たに「中村屋サロン美術館」を開館する。10月29日のグランドオープンに先駆けた内覧会では、開館記念特別展「中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた―」がお披露目された。新宿中村屋ビル3階に設えられた中村屋サロン美術館は、展示室と多目的スペースを備えた約240平方メートルの文化芸術施設としてオープンする。白と赤の壁、木製の什器とレトロなランプが落ち着いた雰囲気。開館記念展は、中村屋から広まった近代日本の芸術潮流であり、また館名の由来ともなった「中村屋サロン」にスポットを当てる。荻原守衛、中村彝、高村光太郎、會津八一、中原悌二郎ら関連する作家による絵画、彫刻および書など約50点を集め、明治から昭和に掛けての芸術家達の文化交流の様相を提示した。中村屋の創業者である相馬愛蔵・黒光夫妻は芸術に深い理解を示した文化人である。愛蔵と同郷の彫刻家・荻原守衛(碌山)を中心に、中村屋には多くの芸術家達が自然と集い、その様子がさながらヨーロッパのサロンのようであったことから、夫妻のもとに開花した芸術潮流は「中村屋サロン」と呼ばれた。同館の染谷省三館長は、「ここ新宿中村屋で生まれ、発信された芸術文化は中村屋のアイデンティティーである。それを後世に伝え、また人々の文化的集いの場“サロン”となる美術館にしたい」と話す。本展の目玉となる作品が、萩原守衛によるブロンズ彫像『女』だ。不安定な膝立ちのポーズに秘められた躍動感を感じる一作であり、その造形美は必見である。同館の太田美喜子学芸員は、「美術史上ではよく知られた“中村屋サロン”の一般認知度の低下を食い止めるとともに、若者にその存在をもっと知ってもらいたい」と言い、若い世代の鑑賞者に向けて、出品作の中から中村彝の油彩画『小女』を推薦した。相馬夫妻の長女・俊子をモデルに制作された本作は、肺病に侵された画家とモデルの恋のエピソードで有名。俊子の強いまなざしときりりとした太い眉、頬にさす紅色の生命感が鮮烈で、どこか現代にも通ずる魅力を持った作品だ。その他、高村光太郎の『自画像』や、鶴田吾郎の『盲目のエロシェンコ』など有名作が出展され、コンパクトながら見どころの多い展覧会にまとめられた。かつて多くの企業美術館が立ち並んだ新宿。新たな新宿の芸術サロンとしての同館の今後に注目したい。【イベント情報】中村屋サロン美術館 開館記念特別展「中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた―」会場:中村屋サロン美術館住所:東京都新宿区新宿3-26-13 新宿中村屋ビル3階会期:2014年10月29日から2015年2月15日時間:10:30から19:00休館日:火曜日、1月1日(火曜が祝祭日の場合は開館、翌日休館)入館料:300円
2014年10月22日中村アン 秋冬イベント出演抜群のプロポーションにストレートな発言で人気急上昇中の中村アンさん。バラエティ番組にひっぱりだこの彼女はタレントとして活躍の幅を広げています。もちろん、本業ともいえるモデルのお仕事もノリにのっていて、彼女のオフィシャルブログによれば、8月~10月にかけて複数のファッションイベントに出演が決まっています。ヘビロテアイテムは?同ブログでは、彼女のプライベートをのぞき見ることができ、7月23日付けの記事ではヘビロテアイテムを紹介。「カシウエアの触りに病みつきです」と愛用品を大絶賛しています。また、私服も公開されており、同ブログ7月26日付け記事では、オーシャンパシフィックの水着写真が載せられています。「かわいいし 形がキレイだししっかりしてる」とモデルらしいコメントも。もう秋物ですトレンドの先取りがモデルの宿命。同ブログ7月27日付けの記事では、「and GIRL」の撮影で秋物の撮影をしたことを明かしました。スタッフが半袖のなか、長袖のトップスや厚手のパンツをスマートに着こなす姿はさすがプロ!モノトーンのシックなコーディネイトが秋らしさを誘っています。しかし、同日の私服はスイカ柄のワンピース。スタバのドリンクを片手にまだまだ夏を楽しんでいる写真がアップされています。【参考】・中村アン オフィシャルブログ
2014年07月29日資生堂ギャラリーは、昨年永眠したグラフィックデザイナー兼アートディレクターの中村真の没後初となる回顧展「中村誠の資生堂 美人を創る」を開催している。6月29日まで。本展では、資生堂のイラスト広告を写真広告へと転換させた中村の創作プロセスを、自宅に遺されていた記録写真や校正刷りポスターなどの未公開資料を交えながら展示。モデルに山口小夜子を起用した香水の広告など、数々のポスターも紹介する。デザイン評論家の柏木博、グラフィックデザイナーの佐藤卓と松永真を迎えてのトークショーも6月22日の14時より資生堂銀座ビル3階の花椿ホールにて実施(申し込み制)。中村は1926年岩手生まれ。東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後し、49年に資生堂に入社。写真を用いた写真表現で頭角を表し、50年代半ばから80年代まで多くの広告を製作した。資生堂の宣伝部政策室長から顧問までを務め、国際グラフィック連盟などで幅広く活動し、93年に紫綬褒章受章。2013年6月永眠。【イベント情報】「中村誠の資生堂 美人を創る」展会場:資生堂ギャラリー住所:東京都中央区銀座8-8-3東京銀座資生堂ビル地下1階会期:6月3日から6月29日時間:11:00から19:00(日曜日は18:00まで)休館日:月曜日入場無料
2014年06月10日戦前のイラスト広告を写真へ資生堂ギャラリー(東京都中央区)で昨年永眠した中村誠氏の回顧展「中村誠の資生堂 美人を創る」が開催される。中村誠氏は資生堂の広告を数多く手がけてきたグラフィックデザイナーでアートディレクター。1949年に資生堂に入社してから戦前の資生堂のイラスト広告を写真広告へ転換させた人物として知られている。ただ単にイラストから写真へ変えただけでなく、その仕事内容は実に繊細なもの。中村氏は生前「計数に表現することのできない表情とか、雰囲気、空気感を大切にしてきた」と語っていた。資生堂が確立していた独自のイラスト広告の伝統を受け継ぎながら、製版の工夫、大胆なトリミングといった手法により広告を進化させていった。(画像はプレスリリースより)「一業、一社、一生、一広告」中村氏が築いたスタイルは他の人ではできなかったということは、こんなエピソードからうかがえる。「一業、一社、一生、一広告」、これは中村氏が企業デザイナーとして掲げていたモットー。「企業のアイデンティティーをビジュアライズするのがアートディレクターの仕事」と語っており、生涯、企業イメージの創出に力を注いだ。そんな実直な意識のもと生み出された広告だからこそ、見る人に深い印象を与えるものになったのだろう。中村氏の広告は国内だけでなく海外でも賞を得るなど世界的に高く評価されている。回顧展は2014年6月3日(火)~6月29日(日)11:00-19:00 (日曜のみ11:00-18:00) 開催される。【参考】・株式会社資生堂 プレスリリース(PRTIME)
2014年05月30日シビアで観察眼のするどいタクシー運転手たちは、雑誌広告のオススメ飲食店情報に決してだまされない。観光客からの求めに応じて、ちょっとした観光ガイドも兼ねる彼ら。口コミ評価の高い飲食店を食べ歩きして、情報収集する運転手さんも多いとか。今回は東海地方の中でも、岐阜、静岡、名古屋で活躍する地元タクシー運転手さんへ突撃取材。「徳川園の敷地内にあるガーデンレストラン徳川園。ここには美術館、庭園、おみやげショッピング、カフェ&バー、西欧料理レストランとすべてがそろっています。平日に、シニア世代のご夫婦をよくお連れしますよ」(愛知県/名鉄タクシードライバー・K氏)徳川御三家筆頭の尾張徳川家、その第二代藩主である光友の隠居所だった「大曽根屋敷」を、日本庭園として公開しているのが徳川園だ。その中にタクシー運転手さんオススメのフレンチがある。徳川園内にある「ガーデンレストラン徳川園」は、この幽玄な池泉回遊式の庭園を一望できるスポットとして、名古屋セレブの間で人気が高い。運営するzettonグループは今でこそ本社機能を東京に移したが、ナゴヤ飲食業界の雄として名古屋の業界で知らぬ者はいないリーディングカンパニーだ。この2者のコラボレーションとはがぜん、期待が高まるではないか!石造りの通路を渡り、エントランスをくぐると「いらっしゃいませ」というスタッフのにこやかな声が響く。レストランの窓越しに日本庭園を望むロケーションの何と雄大なこと。龍仙湖(りゅうせんこ)と名付けられた涼しげな大池が目に飛び込む。昼は昼の、夜は夜の趣があり、飽きさせない。テーブルはゆったりと配され、木をふんだんに使った和の趣の中に、じゅうたんやシャンデリアなどが洋のエッセンスを醸している。ランチタイムは女性客がほとんどだそうで「ご予約していただいた方がよいと思います」と、ダイニングマネジャーの滝塚一広さん。さすがセレブ御用達の人気店だ。料理のコンセプトは伝統的なフレンチをベースに、現代風のセンスを融合させた「ネオ・クラシック」。歴史と品格の徳川園ならではの味わいといえる。ランチは2カ月に1回、ディナーは季節ごとに内容を変えている。地産地消よろしく季節感に満ちた地元産の食材やフランスをはじめとした、世界の厳選食材を使用している。そんな秋メニューの中から、特にオススメという2品を紹介しよう。1品目は「フランス・シャラン産のヴィルゴー家のカモのロティ・大根のラグー・レギューム・ミニャルディとトリュフのエッセンス」。メニュー名にはいろいろな食材が登場するが、この一品の主役は、フランスでも最上級とされるヴィルゴー家のカモだ。この高級カモを、大胆にも厚切りにしてソテーしている。濃厚なカモの風味が脳の隅々にまで広がり、心がとろけるようだ。素材が素晴らしいのはもちろんのこと、トリュフの香りをきかせた芳醇(ほうじゅん)なソースが洗練された味わいを引き立たせている。赤ワインとともに幸せな時間を過ごそう。2品目は「フランス産エスカルゴと帆立て貝・モリーユ茸のポトフをイメージして・秋野菜の彩り」。この一品は、地元の契約農家で収穫された新鮮な秋野菜が主役といえる。ポトフ風に野菜をたっぷり使い、エスカルゴと帆立て貝の海産物が素晴らしいダシを提供。高級食材のフランス産モリーユ茸(網笠茸)のコリコリとした食感も楽しい。昨今のヘルシー志向を反映して、オイルやバターは控えめに。帆立て貝のダシを泡状にして乳化させることでコクを補い(エミュルジョン)、素材と絡みやすくさせるなど、繊細な技法が料理の味わいをワンランク引き上げている。総料理長の中村昌之さんは、マキシム・ド・パリ名古屋店の総料理長を務めたこともあり、その技能は折り紙付き。素晴らしいロケーションの中、最高の料理に舌鼓を打てる至福の時間に酔いしれようではないか。なお、ワインは300種類がそろっているので、必ずやベストマッチの1本が見つかるはずだ。●infomation<ガーデンレストラン徳川園>愛知県名古屋市東区徳川町1001番地営業時間レストラン11:00~14:00、17:00~22:00カフェ&バー蘇山荘10:00~23:30「静岡・御殿場エリアでは、そばが有名。いくつもそばそば屋がありますが、長時間待ちにも関わらず客足が途絶えることのないのが、この艸季庵(そうきあん)。私も時々、ひとり車を飛ばして食べに行きます」(静岡県/御殿場タクシードライバー・T氏)「ひきたて・打ちたて・ゆでたて」。そばはこの「三たて」が重要だというのが常識だ。その例えを引き合いに出すのなら、富士山の湧き水を毎朝くみに行くという艸季庵は、「くみたて」を加えた「四たて」の店といえる。「そば粉の半分は水です。富士山の湧き水を使うことで、そば本来のみずみずしい味と香りが引き立つんです」という、店主の横山誠さん。長らくうどん店を営んできたが、そばの魅力に目覚めて一茶庵(伊東市)や無庵(立川市)などの名店で修行。平成16年に生まれ育ったここ御殿場で、艸季庵をオープンさせた。古民家を改装した瀟洒(しょうしゃ)な店構えは、庭の緑がよく映える。ランチタイムは行列ができるほどだが、夜は「ゆったりとそばを楽しんでほしい」と、予約制となっている。店に入るとまず出てくるのは、お茶ではなく”そば湯”だ。その濃厚さと強いそばの香りに、強烈な期待感を抱かずにはいられない。ちなみに器にもこだわっており、センスを感じさせる。人気はやはり、そば本来の味を満喫できる「せいろ」だそうだ。細口に切られた一九そばは、透き通った白さの中に微細な粒が見える。聞けば、ひいたそばをふるいにかけて粗びきと甘皮、微粉の3つに分け、細心の注意で配合してそば粉を仕立てているのだとか。ひと箸たぐって啜(すす)る。いかにもゆでたてのエッジのきいたそばは、なめらかさだけではない素材感のある喉越しが絶妙。そばつゆは枕崎産(鹿児島県)の本ガツオの枯節(かれぶし)を使用。シャープさと奥深いコクがそばの味わいを引き立てている。店オリジナルの「しぼりせいろ」も試してみた。辛味大根の汁に信州みそを付けていただく。刺激的な大根汁とまろやかなみその風味はまさに大人の味わい。一食の価値ありだ。ほかにカモ南そばなど、温かいそばもラインアップされているので、寒い季節にはぜひ食していただきたい。そばに大満足し、さぁ、帰るかしたものの、艸季庵にはもう一つの楽しみがある。それはデザートだ。それもそばを使ったスイーツとくれば、食べないわけにはいかない。という訳で、「そばあんみつ」をオーダーした。出てきたそれは、そばアイスにそばフィナンシェ、そば寒天、季節のフルーツに黒蜜とボリュームも満点。そばのかぐわしい香りとやさしい甘さがマッチして、おなかいっぱいでも不思議と食べられる。とにかく仕事が丁寧。ランチタイムは待たされるが、それでも行く価値は大という店だ。●infomation<艸季庵(そうきあん)>静岡県御殿場市杉名沢306-1営業時間11:30~15:00(L.O.14:30、土日祝は~15:30(L.O.15:00))18:00~20:30(L.O.19:30、当日17:00頃までに要予約)定休日月曜日(祝日は営業、翌平日休み)「養老焼肉街道って、聞いたことある?ここ10年くらいでしょうか。焼き肉のうまい店の集中しているエリアが、岐阜県にはあるんです」(岐阜県/個人タクシードライバーA氏)岐阜県の西美濃(みの)エリアに位置する養老町(ようろうちょう)。「養老の滝」の伝説で知られるこの街で、もう一つ忘れてはならないのは焼き肉店の密度がやたら高いことだ。中でも岐阜県道56号南濃関ヶ原線は通称「養老焼肉街道」と呼ばれ、名うての店がしのぎを削る激戦区である。県外からも多くの人が集うこの焼肉街道。今回は、その中の1店「焼肉道場ローヤル」で、自慢の肉を味わってみた。ご当地ブランドの飛騨牛、泣く子も黙る松阪牛の2大巨頭をメーンに、厳選された品質の国産牛・特選牛・黒毛和牛をそろえる。ちなみに松阪牛を扱う店は、焼肉街道でも数少ないそうだ。牛を1頭買いするので、あらゆる部位が手に入ることも特徴だという。今回はオススメの3品を用意していただいた。そのどれもが、尋常じゃないサシの入り具合。素人目でも「こりゃ上等な肉だ」と、よ~~く分かる!まずは「A特上霜降りカルビ」をいただく。厳選牛のバラ肉で、あらかじめタレに漬け込んである。炭火焼のロースターで軽く炙(あぶ)ると、肉の焼けるたまらない香りが鼻孔をくすぐる。思わず、「うぉぉ!」と、声にならない声がでるほど。ジューシーな肉汁が口の中でしたたり、1口目にしてもう降参だ。5~6切れで1,029円と、「ホントにいいの?」というお値段なのだ。次に控えるは「大トロみすじのあみ焼」。1頭から3キロしか取れない希少部位だという。葉っぱのようなカタチが特徴で、これも見事な霜降りだ。「素材の味を満喫して」と、ここは店自慢のユズ塩でいただく。うわ、濃厚なお味なことで……でも後口がいい。塩で正解だ。お値段は1,659円……うむ、納得。そして最後はついにキタ~!「極上SA飛騨牛トロ・ロース」だ。マグロのトロを思わせる最高級の一品。口の中でとろけてしまう。ここまでくると、もう脳が思考停止状態。3,307円とさすがに値が張るけど、1.5人前あり、ボリューム感も大満足。ここ一番の時には奮発したい、リーサルウェポン的存在だ。タレは自慢のオリジナルで、肉の味を引き出す少々甘目の仕上げ。そのほか、ユズ塩やポン酢、わさび、韓国風のピリ辛、そしてみそダレなどでも味わうことができる。「肉はすぐ焼けます。一気に焼いて焦がさないよう、ゆっくり落ち着いて焼いてくださいね」と、丹羽さん。もう心が浮世に行っちゃって、俗世間に戻れなくなりそうだ。●infomation<焼き肉道場ローヤル養老本店>岐阜県養老郡養老町五日市 1008-1営業時間11:30~14:30(L.O.14:00、土日祝のみ)16:15~PM10:30(L.O.21:45)定休日 毎週火曜日【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年08月29日2月より六代目中村勘九郎襲名披露興行を行う中村勘太郎が都内で取材会を行い、現在の心境を語った。襲名興行は2月に東京・新橋演舞場にて、3月に東京・浅草の平成中村座で上演後、主要都市を回る。新橋演舞場二月大歌舞伎<中村勘太郎改め六代目中村勘九郎襲名披露>チケット情報「演舞場と中村座で襲名興行ができるのは、なんだか勘九郎らしいですね。父が19歳の時から夢見て建てた中村座で初の襲名ができる。うれしいですね」と勘太郎。父・勘三郎が勘九郎時代に築いてきた功績は数限りない。1994年よりほぼ毎年、若者の街渋谷で『コクーン歌舞伎』を上演。また、現代の作家に新作歌舞伎を創って欲しいという思いから、串田和美、野田秀樹、渡辺えり、宮藤官九郎などに演出や執筆を依頼し新たなファンを掘り起こした。2000年には中村座にゆかりある浅草に仮設劇場を建て、“平成中村座”として公演を行った。その後この一座は日本国内のみならず、世界各地で上演を行っている。そんな勘九郎の名を継ぐ重責については「とりあえず怖い」と話す。「やっぱり戦ってきた名前ですから。(中村座やコクーンでの上演は)歌舞伎を愛してもらいたい、色々な人に知ってもらいたいって。危機感をずっと持っていたんでしょうね。お客様が入ってくれなきゃ話にならないですし。ただ、新しいことをするとよく思わない人もいますよ。いいものをすることによって戦うというか。熱い魂を持って戦ってきた名前ですね」12月の中村座は勘太郎として最後の舞台出演になる。「今月はいい最後を迎える事ができるんじゃないかな。『積恋雪関扉』の関兵衛は今までの役者人生の中で一番苦心した役ですね。演じた者にしかわからない苦しみや疲れがあります。勘太郎という名前で関兵衛をやらせてもらい、偉大なる先輩方が愛した役で、同じ疲れを自分自身で体感でき、歌舞伎ってこういう楽しさもあるんだなと思いました」今年は震災はもちろん、長男の誕生、父の病気、祖父(七代目中村芝翫)の逝去と勘太郎にとっても大きな出来事が続いた。「すごい年になっちゃいましたね。(父の代役を務めた際)命を削ってでもやりますと言ってたら、本当にそれぐらい大変でした(笑)」2月興行では『土蜘』の僧智籌と、『河内山』松江出雲守、『春興鏡獅子』の弥生での出演が決定している。「『土蜘』は、今まで中村屋にあまり縁のなかった役ですが楽しいです。弥生は、祖父(七代目中村芝翫)と1対1でずっと稽古をやってました。父も祖父もすごく大事にしています。おじいちゃま(十七代目中村勘三郎)も。全員の血が入っているから大切にしなければと思いますね。3人とは体型が違うので、当時振り付けられた踊りをどうこの身長で踊るかですね」襲名興行まであと僅か。「今月の“勘太郎”最後をまずは楽しみたいです。襲名はお祭りですからね。お客様にも楽しんで頂いて、一緒に祝って欲しいです」。公演は2月2日(木)から26日(日)まで新橋演舞場で上演。その後、3月平成中村座、9月に大阪・松竹座、10月に名古屋・御園座、12月に京都・南座、2013年2月に博多・博多座で上演される。
2011年12月22日歌舞伎俳優の中村勘太郎が、来年2月に六代目中村勘九郎襲名披露の成功を祈願して11月27日、東京・浅草寺でお練りを行った。父、中村勘三郎と弟の中村七之助らとともに雷門前を出発し、ゆっくりと本堂までお練りを開始。晴天となったこの日、人気役者を一目見ようと2万5千人が集まり、「中村屋!」と声がかかると笑顔で応えていた。新橋演舞場二月大歌舞伎<中村勘太郎改め六代目中村勘九郎襲名披露>チケット情報勘太郎は「勘九郎という、父が46年間名乗っていた名前を継ぐプレッシャーはあります。みなさまからの笑顔とご声援を胸に、1年間しっかり務めたいと思います」と挨拶。また勘三郎は「勘九郎っていい名前ですけど大した事ありません。(自分が)勘三郎を継いだ時のほうがプレッシャーがありました。気楽にいい勘九郎にしてもらいたい」とエールを送った。勘九郎を名乗る実感がまだ湧かないという勘太郎だが、「謙虚な気持ちと向上心と、ハングリー精神を忘れないように務めたい」と話し、気持ちを引き締めていた。なお、勘太郎としての出演は今年12月の『平成中村座』(東京・浅草)が最後となる。襲名披露は、来年2月2日(木)から26日(日)まで東京・新橋演舞場にて興行を行い、その後、3月に平成中村座、9月に大阪・松竹座、10月に名古屋・御園座、12月に京都・南座、2013年2月に福岡・博多座と各地を回る。新橋演舞場のチケットは12月23日(金)より発売。
2011年11月28日今年9月、東京・新橋演舞場『秀山祭九月大歌舞伎』興行で、三代目中村又五郎、四代目中村歌昇をそれぞれ襲名する歌舞伎俳優の中村歌昇と長男の中村種太郎が、中村吉右衛門、中村歌六らとともに8月22日、東京・浅草寺で「お練り」を行った。チケット情報鳴物の山車と木遣り(きやり)に先導され、雷門を盛大に出発。1万人の人で賑わう仲見世を経て、「播磨屋!」、「又播磨!」などの掛け声が飛び交う中、本堂に向かい成功を祈願した。朝から激しく降っていた雨も「お練り」が始まるとすっかり止み、天さえも味方につけているかのよう。なお、浅草寺での「お練り」は2005年1月の中村勘三郎以来6年7か月ぶり。三代目又五郎を襲名する中村歌昇は、「本日は本当にありがとうございます。お天気の悪い中、木遣りの方々、お囃子のあやめ連の方々、浅草の芸子の皆様、ありがとうございます。皆様のご声援に応えるべく、この道一層の精進をいたし、ひとかどの役者になることが、皆様へのご恩返しだと思っております」とコメント。また、四代目歌昇を襲名する中村種太郎は「このようにお練りをさせていただくことは、色々な方々のお力があってのことだと思っております。感謝の気持ちを持って、一所懸命舞台を勤めることが一番の恩返しだと思ってております」と抱負を語った。播磨屋一門の長である中村吉右衛門は「本日はお足元の悪いなか、かくも賑々しくお運びいただき誠にありがとうございます。皆様方のお力によって、舞台で力を発揮できることと思います。ぜひとも又五郎、歌昇をどうぞ宜しくお願いいたします」と締めた。公演は同劇場にて9月1日(木)から25日(日)まで上演。チケットは発売中。
2011年08月23日