現在、第一子を育てています。初めての妊娠中、出産前に「まさかこんなことが!?」となった衝撃の体験談を紹介します。 パンツが濡れている感覚が…そのとき私は妊娠37週でした。夜間の3時ごろ、パンツが濡れている感覚がありました。そのころは尿が漏れることも度々あったので、特に気にせずトイレに行くと、パンツに少量の血がついていました。 少しの出血なら大丈夫と聞いていた私は、「大丈夫だろう」と思いつつ、とりあえず夫に報告しました。 私が初めての妊娠なので、夫も「大丈夫?」と心配していましたが、私は「大丈夫」と返しました。友だちからも「出産前に出血があった」と聞いていたし、すぐ治まると思っていたのです。 しかし、その1時間後、またパンツが濡れている感覚があり、再びトイレへ行くとまたパンツに血がついていました。心配になった私は、お世話になっている産婦人科に電話し、状況を伝えました。 「見ないとわからないので、心配なら来てください」という言葉に逆に冷静になり、様子を見ることにしました。しかし、それからまた1時間後、また出血がありました。 突然の破水に戸惑い…その日は土曜日で、夫は休みでした。出血が続いて心配になった私は、早朝から夫に産婦人科に連れて行ってもらいました。そのとき、私も夫も特に何も問題ないだろうから、見てもらったらすぐに帰れると思っていました。 コロナ禍だったので、私ひとりで助産師さんに診てもらいましたが、特にまだ大丈夫とのことでした。正直、痛いとしか聞かない出産に怯えていたので、ほっとしました。 しかし、先生の診察を待っていたとき、大量に何かが漏れる感覚がありました。「尿? 出血?」と、私は混乱。「あの、また出血があったみたいで」とおろおろしながら助産師さんに伝え、すぐ先生に診てもらうことになりました。 そして、パンツを下ろすと、そこには水分が大量に出ていました。私は状況が把握できず、「尿?」と思っていましたが、先生に診てもらうと「破水ですね」とはっきり言われ、即入院が決まりました。 万が一に備えることも大事まだ出産に対する覚悟ができておらず、私は混乱していましたが、夫に連絡して入院することを伝えると、「え? 生まれる? え?」と、夫のほうがもっと混乱していました。 コロナ禍で、夫は産婦人科にいることはできず、助産師さんに入院セットを渡してそのままひとりで家に帰りました。そして、なんとか無事に長女を出産することができました。 妊娠37週だったので、まだまだ出産は先だと勝手に思っていましたが、「妊娠中は予想がつかない出来事があるんだな」ということがよくわかりました。万が一に備え、入院セットを持ち歩くなど対策を講じることも大事なんだなと、あらためて思いました。 監修/助産師REIKO 0歳を育てる新米の母。現在は子育てをしながら専業主婦をしています。
2022年10月09日初めての出産で不安なことだらけだけど、多くの女性が経験していることだからきっと大丈夫。初産だと出産は14~15時間かかるって聞くけど、ちゃんと終わりが来るから大丈夫。 陣痛は男性が失神しちゃうレベルの痛さだって聞くけど、女だからきっと大丈夫。鼻の穴からスイカだよって聞くけど、実際はオレンジだって聞くから大丈夫。そう、きっと大丈夫……。ようやく授かった待望の命6年前、長女を出産したときのお話です。私たち夫婦はなかなか子どもを授かることができず、結婚してから3年、不妊治療をして人工授精7回目にしてやっと赤ちゃんが私のおなかに宿ったことがわかりました。 しかも、出産予定日は私の誕生日と同じ日。それから晴れて妊婦となった私は、妊娠中の過ごし方や出産について片っ端から調べました。出産に向けての準備は万全です。 そしていよいよ出産予定日。日付が変わってすぐに破水し、まだ外が真っ暗な中、前もって休みを取っていた夫と一緒に車で病院まで向かいました。 病院へ着いて、先生の診察を受けると子宮口は1cm。破水しているのでそのまま入院となり、陣痛が来るのを待つことになりました。 夕方になっても本格的に陣痛が始まらなかったため、夫は一旦家に帰ることになったのですが、夫が家に帰ったあとすぐおなかに違和感が……。本格的な陣痛が来たのです。 「もう少しお産が進んでから、旦那さんを呼びましょう」と助産師さんが言ってくださったので、夫への連絡はもう少ししてからすることにしました。 長時間にわたる死闘に……そして、陣痛が始まり5時間ほど経ったころ、お産がだいぶ進んできたので助産師さんが夫を呼んでくれました。 1時間後、夫が到着するころにはかなりお産が進んでいて、私は初めて味わう激痛になりふり構わず叫んでいました。夫は私のお尻にテニスボールを押し付けて痛みが和らぐよう頑張ってくれていました。 途中、私は痛みのため呼吸を忘れてしまい、赤ちゃんに酸素がいかなくなってしまうからと、酸素マスクを装着。かなりの痛みで陣痛の間隔も5分ぐらいになったので、子宮口のチェックをしてもらうことに。 陣痛と陣痛の間の痛みが治まっているときに先生の診察を受けなくてはならず、陣痛室から診察室まで急いで移動。普段ならすぐ移動できるぐらいの距離なのに、おなかも大きいし、すでに陣痛の痛みでヘトヘトだし、途中で陣痛は来るしで診察室までがとても遠く感じました。しかし、先生に診てもらうと「1.5cmです」と……! 全然開いていない!? こんなに痛いのに!? そんなことある?? 本格的な陣痛が始まって10時間経つころには、陣痛の間隔は1〜2分! そのころには私も夫も疲れて、「陣痛と陣痛の間に爆睡&陣痛が来た瞬間に飛び起きる」を繰り返していました。 助産師さんによる子宮口チェックは3cm……。3cm!? そして再び夫と陣痛・爆睡・陣痛の死闘を繰り広げました。 出産後も痛みの連続!?そして再び診察室へ。全然診察室に辿り着かない……。診察台にも全然乗れない……。 そんな私の様子を見て先生は、「え? なんかおかしくない?」と……。何人もの出産の現場に立ち会ってきた先生がそんなこと言うなんて……。「やばくない?」と思いつつ、先生も「ん~切る(帝王切開する)のもなぁ、理由がないしなぁ」とブツブツ……。「いやもう、切ってくれ!」と思いましたが、再び陣痛室へ戻されてしまいました。 本格的な陣痛から13時間、陣痛の間隔が5分切ってから6時間。あまりにも限界が近づき、私はナースコールを押して「もう無理です……」と伝えると、助産師さんが急いで来てくれました。 そして出産となったのですが、そのころにはもう私の力もほとんど残っておらず……。先生と助産師さんによって赤ちゃんが引っ張られるように出てきました。 破水から約32時間、本格的な陣痛から約15時間。赤ちゃんの泣き声は、想像していたかわいらしい「ほぎゃぁほぎゃぁ」という泣き声ではなく、「ギャギャギャギャー!」という怪獣のような泣き声でした。 そして、分娩台の上で待望の赤ちゃんとの初対面。ドラマや漫画で見るような天使のようにかわいい姿とはまるで違って、「しわくちゃのおじさん」でした。 その後、分娩台で2時間ほど休み、病室へ移動したのですが、急に体がとても重く感じ、赤ちゃんがいなくなったはずのおなかも「妊娠7カ月ですか?」というぐらい大きかったです。歩くたびに痛みが走り、病室までまったく歩けませんでした。胎盤を出すときも痛かったし、授乳のときの後陣痛も痛い……。出産が終わってからもまだ痛いなんて知りませんでした。 出産の形はいろいろで、子どもによっても全然違う。出産は壮絶だったけど、この世に人が1人誕生するって本当に奇跡だと思いました。何もかもが予想していなかった出来事ばかりの出産でしたが、思い出として記憶に残る経験ができてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:たつこ6歳、3歳、2歳、0歳の4児の母。現在、実家で夫と子ども4人、実の両親と同居中。夫の自営業をお手伝いする形で仕事をするかたわら、自身もインターネット関連の仕事を始める準備中。
2022年10月09日初めての出産後、私が2人目を考え始めたのは長男が1歳3カ月のころでした。それから毎月妊娠検査薬とにらめっこをして約半年、待ちに待った陽性判定が! ですが、順調にいくと思っていた妊娠は思いがけない結果となってしまい……。改めて妊娠・出産は奇跡なのだと感じずにはいられなかった体験談をご紹介します。考え始めた2人目私が長男を出産したのは20代前半のころで、授かり婚だったため、1人目を妊娠するにあたり妊活をすることはありませんでした。できれば長男にきょうだいを作ってあげたいこともあり、私が2人目を考え始めたのは長男が1歳3カ月のころです。 ちょうどそのころになると2人目の話をするママも多く、実際に妊娠するママ友もおり、自分も2歳差で産めたらいいなと思っていました。 待ちに待った陽性判定2人目を考え始めてから、毎月生理が来るたびに落胆していましたが、避妊をやめてから半年後、妊娠検査薬で待ちに待った陽性反応が! 妊娠5週にあたる日に産婦人科へ行き、正常妊娠であることを確認できました。 このままいけば長男と2歳半、2学年差での出産予定。ですが、胎嚢の大きさが小さめで、排卵日がずれているのかもしれないと医師から言われたことが少し気になりました。 2週間後に再診。しかし……初診から2週間後、妊娠7週で再度受診したときのことです。心拍が確認できるころでしたが、あるはずの心拍が確認できず、赤ちゃんの姿も見当たりません、あるのは大きくなった胎嚢のみです。ここで医師から私が告げられたのは「流産の可能性がある」ということでした。 ただ、翌週になれば心拍が確認できるかもしれないということで、1週間後に再診になりました。つわりもありましたが、長男の妊娠時と比較してラクだったのを覚えています。 初診から1カ月。結果は……妊娠8週に再度受診しましたが、やはり大きくなっているのは胎嚢のみで心拍は確認できませんでした。もう1週様子を見ることになりましたが、妊娠9週になっても心拍は確認できず……。胎嚢も崩れてきており、「稽留流産(けいりゅうりゅうざん)」の診断がおりました。 このまま自然排出を待つより手術してしまったほうが良いということで、翌週には流産の手術をしました。幸いにも私の場合、他の病気などが原因ではありませんでしたが、医師の話によれば経産婦でも半分近くの方が流産を経験しているそうです。 流産から3カ月経ち再度妊娠しましたが、「また流産するのでは……」とヒヤヒヤしていたのは忘れられません。結果として長男と3歳差で次男を出産し、その後に次男と2歳差で長女を出産しました。自分とは無縁だと思っていた流産を経験し、妊娠そして出産は奇跡なんだと改めて感じた出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:佐藤祐子二男一女の母。幼~高(中高は家庭科)の教員免許と保育士資格保有。洋菓子メーカーを退職後、現在は地元にて3人の子育てに日々奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年10月09日立ち会い出産は家族とともに新しい命を迎える瞬間を共有できる、とても貴重な経験だと思っています。 1人目の出産時は里帰り出産だったため、出産に夫が間に合いませんでした。2人目こそは立ち会い出産をしてほしかったので、里帰りしませんでした。今回は、立ち会い出産時のエピソードをご紹介します。※コロナ禍前の体験談です。 普段焦ることのない夫が…妊娠40週4日の早朝、お産は突然始まりました。まだ夜明け前で外も暗いころ、生理痛のような痛みがやって来ました。もしかしたら……と思い、次は起きたまま時間を計ってみると10分間隔で痛みが来ていました。産院に連絡をしたら、すぐに来てくださいとのこと。 普段、焦ることなどない夫は、「陣痛が来たかも」という言葉に起こされ、明らかに慌てている様子が垣間見えました。私はまだ冷静だったので、入院準備を済ませて、急いで産院へと向かいました。ここでも夫は慌てており、見事に道を間違えていました。 意外と腰のさすり方がじょうずだった夫産院に到着したときはまだまだ歩けるくらいの痛みでしたが、陣痛が来ているので、そのまま入院することになりました。さすがに1人目の出産に立ち会っていない夫は、ここでも見事な慌てっぷり。今度は携帯電話を自宅に忘れたということで、自宅にとんぼ返りしました。 ひとりで夫を待っている間に陣痛の痛みも増してきて、テニスボールをおしりに挟んであぐらをかいて、ひたすら痛みに耐えていました。夫が戻ってきたころ、助産師さんに「順調におなかの張りも来ているので、動けなくなる前に分娩室に移動しておきましょう」と言われました。 分娩室に移動して間もなく、強い陣痛の波が短い間隔でやってきて、夫と助産師さんに、代わる代わるテニスボールでおしりに圧をかけてもらいました。夫の腰のさすり方が意外とじょうすだったのが印象的でした。しかし、強い痛みが来るたびに、思わずウゥーっという唸り声が漏れてしまったのですが、夫が一瞬、その声を聞いて笑ったのを私は見逃しませんでした。ちなみにこのときのことを、私はあとで散々責めたのですが、私も自分の声を思い出して夫と2人で笑ってしまいました。 夫に立ち会ってもらえて本当に心強かった!痛みがピークに達したころ、先生や助産師さんが次々と分娩室に入ってきました。「え? なんで?」と思っている間に、横向きだった体勢をあお向けにかえるよう指示されて、臨戦態勢に。思わず助産師さんに「子宮口、今何cmですか?」と聞くと、「もう全開大ですよ!」と言われ驚きました。 助産師さんに陣痛に合わせていきむようを言われて、強い痛みと共に、グーッといきみました。途中、赤ちゃんの心拍が急に落ちてきたので、私も必死で深呼吸をして、赤ちゃんにたくさんの酸素を送ろうと頑張りました。そして、とてつもなく強い陣痛の波に合わせて、3回程いきんだところで、ニュルンとした感覚が。その感覚のあと、かわいいかわいい赤ちゃんが生まれ、私も夫も元気に泣く赤ちゃんを見て、自然に笑みが溢れました。 病院到着から2時間半。あまりの早さに自分でも驚きました。1人目のお産は、初めてのことでいろいろな不安もあり、微弱陣痛で時間も長く、陣痛中もひとりだったので、正直しんどかったです。今回のお産は、2人目ということで、痛みを知っている分、痛みの怖さが蘇りましたが、夫に立ち会ってもらえたので本当に心強かったです。 今回のお産で、新しい家族を迎える瞬間を夫とともに過ごせました。また、あとから笑えるエピソードや感動を共有でき、かけがえのない思い出を夫と作ることができてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/まっふ著者:大島 みな4歳、0歳の2児の母。現在は専業主婦で、2人の男の子の育児に日々奮闘中。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2022年10月08日私は長年に渡る不妊治療をおこない、やっとかわいい命を授かることができました。ですが、息子がおなかにいるときに病気が見つかり、やっとの思いで出産してみると……! 息子の顔を見たときの衝撃エピソードを紹介します。 突然の医師の言葉に言葉を失い…妊娠9カヶ月目に入り、いよいよ産休も目前で、ドキドキワクワクの日々でした。「また今日もかわいいお顔が見えるかな」と思って楽しみに行った健診で、先生が「あれ?これはもしかして……」。突然の先生の言葉に、何か悪い予感が働きました。 「口唇裂がありそうです」と言われ、無知だった私たちは、「?」で頭の中がいっぱいになりました。その後、先生から「口唇裂は赤ちゃんの唇が割れて生まれてくる先天性の病気で、先天性の病気の中では比較的発生確率が高い」「原因はいろいろと複雑に絡み合って発生するため、特定ができない」「口唇裂はきれいに治る」ということを言われました。 私たちは口唇裂の知識がまったくなく、先生の話を聞いてもどこか他人事のように聞こえて、呆然と帰宅しました。しかし、帰宅してからインターネット検索し、他の方の写真を見つけてからは検索の嵐に。 「口唇裂」「症状」「術後」「経過」など、あらゆるワードで検索し、情報収集をおこないました。検索をすると、初めて目の当たりにする写真に恐怖を覚えました。インターネット検索で出てくる写真は重症のものばかりに見え、「これからどんな生活が待っているのだろう」という不安に駆られました。 インターネット検索しても、出てくるのは不安になる情報が多いことはわかっていても、やっぱりどういう症状なのかが気になり、少しでも情報を入手して今後のことを検討したいと思っていました。 毎日不安になり泣いて、また調べて……。悪循環ですが、ひたすら毎日同じことを繰り返していました。 「きっと大丈夫」そう信じて…そんなとき、エコーを見ていた先生から、「口唇裂は高確率であるけど、そんなに深くはなさそう。口蓋裂は生まれてみないとわからないけど、たぶんなさそう」との言葉をいただきました。 「100%言い切ることはできない」ということだったので、先生の言葉をどれほど信じて心の準備をして良いのかわからず、モヤモヤしながらも、「きっと大丈夫。あったとしてもそんなにひどくはないからすぐにきれいに治る」と信じて、むやみに検索するのを控えるようにしました。 でも、「口唇裂がない」と思い込むこともできず、頭の片隅には常に口唇裂のことがあり、状態が気になって仕方がないという気持ちでした。 その後、なかなか陣痛が来なかったため、陣痛促進剤を使用しての分娩を試みたのですがうまくいかず、翌日に帝王切開で出産することになりました。 やっと会える喜びと不安が一気に押し寄せてきて、また泣いてしまいました。すると、助産師さんが「大丈夫だよ、出産後も私がフォローするからね」。本当に素敵な助産師さんの存在に、気持ちが少し落ち着きました。 2歳児のするどい突っ込みに脱帽翌日、麻酔をして手術開始。あっという間に赤ちゃんが出てきました。まず、すぐに聞こえた産声のかわいさにホッとしました。「赤ちゃんが息をした!」。それだけで感動でしたが、その後の私の心配は口唇裂について。 不安でドキドキしながら待っていると、「口唇裂だけで口蓋裂はないですよ」との先生の言葉に本当に安心しました。そして、顔を見せてくれて、感動しました。 「かわいい!」 口元が少し割れていたので、なんだか笑っているようにも見えました。顔を見て不安は一気に吹き飛び、かわいいと思えて安心しました。もちろん、口唇裂の手術はあるし、見た目にも影響するので大変なことは多いと思います。ですが、待ちに待ったわが子の誕生、そして小さな体で頑張って息をしている姿、それだけで何よりも幸せでした。 「口唇裂を持って生まれた子を見て、私はどう感じるのだろう」と、生まれてくる前は思っていましたが、ただ「かわいい、生まれてきてくれてありがとう」と、それだけを素直に思えたのです。 ホッとした産後初めての夜、「ホギャー」とかわいく息子が泣いたので、「授乳だね、待っててね」と息子を見ると、なんと、かわいかった息子の顔が変化していました! パパ譲りの太い眉毛、口唇裂で少し大きく開いた口、泣いたことにより垂れ下がった口角により、かの梅サワーのマスコットそっくりになっていたのです。 ミルクが欲しくて泣いている息子を横目に、笑いを堪える母……。「泣いているところごめん」と思いながらも、すぐに写真撮影をしてしまいました。 口唇裂のショック、出産のつらさ、コロナ禍での出産の寂しさ、育児の不安、そんなことをすべて忘れさせてくれるように、初日から笑顔にさせてもらいました。口唇裂があるとわかったときは、ショックと不安でつらかったですが、口唇裂による特別なかわいさもあることを実感した出来事となりました。 監修/助産師 REIKO 0歳一児の母。長年に渡る不妊治療の末、息子を授かりました。息子には口唇裂があり、治療も経験しました。
2022年10月08日妊娠を機に「大きなおなかが気持ち悪いから」と、夫が家に帰って来なくなってしまったさちこさん。切迫流産で3カ月間入院し、1人で双子の男の子を出産。退院後、話し合いのために義実家へ戻り、かずおさんとの再会。出産しておなかがへこんだ姿を見たとたん「愛してる」と言うかずおさんに、鳥肌が立ちます。「私も愛していたけど、生理的に無理」と気持ちがすれ違う2人は……。「DVだ!離婚だ!子どもを置いて出ていけ」と逆ギレするかずおさんを、必死に止めるお義母さん。「ごめんなさいね。でも、あなたも手を出したんだし喧嘩両成敗ってことでね?」と取り繕おうとするお義母さん。そこに、「おい!もういい加減にしないか」と声が……。 お義父さんの本心 お義父さんが登場し、さちこさんに謝罪します。「正直に言うと、かずおのことを知っていて黙っていました。前の奥さんと別れたときは死に物狂いで説得したけど無駄で……。でも、さちこさんが倒れて、私たち家族がさちこさんと孫たちを殺しかけたと気づき血の気が引きました」 さらにお義父さんは話つづけ、「さちこさんが入院中に妻と何度も話し合ったのですが、自分のことしか考えられないようで……。せめてもの償いに、さちこさんの望む形を叶えさせてください」 「私が望む形……」 今まで沈黙を守っていたお義父さんがついに動き出しました。さちこさんの望む形とはどんな形なのでしょうか?さちこさんと子どもたちが、早く落ち着いて暮らせると良いですね。 もちさんの最新投稿は、ブログから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。著者:マンガ家・イラストレーター もち
2022年10月07日2022年に娘・ぽっぽちゃんを出産し、夫・ハトさんと3人で暮らすえんさん。このお話は、えんさんがハトさんと結婚される前の出来事です。卵巣のう腫が破裂し、緊急手術をしたあと、えんさんは手術の際に見つかった子宮内膜症の薬を飲みながら生活を送っていました。しばらくしてえんさんはハト氏さんと結婚。その後、妊娠し、いよいよ出産まで間近。子宮口が全開大になり、えんさんは分娩台へ……! いきんで…いい!? いきみを我慢し続けていたえんさんにとって、助産師さんの「いきんでいいよ!」という言葉には解放感を覚えたと言います。「いきめるって、素晴らしい!」と、えんさんはこのときを振り返ります。 そして、このときまでは不安だった痛みも、生理痛や卵巣のう腫破裂以上のものはなく、少し安心。とはいえ、「最後まで油断できない」という気持ちだったそうですよ。 監修/助産師 REIKO ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 えんさんのマンガは、このほかにもInstagramやブログで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター えん30代凡人。夫と娘(2022年2月誕生)の3人暮らし。インスタやブログで過去の話や現在の日常をイラストで描いています。
2022年10月07日みなさんは義実家の方々とは上手く付き合えているでしょうか? 大なり小なり義実家トラブルは皆さん経験があるみたいです…。 今回は実際に募集した義実家トラブルエピソードをご紹介します!義母への不信感…私と主人は元々地方に住んでいたのですが、現在は都心に住んでいます。ありがたいことに初めての子どもを授かり、夫婦で名前を決めようとなったのですが…。義両親は「初孫の名前は私達が決める」と言って聞かず、主人も何も言い返しませんでした。結局、義両親が決めた名前の中から私たちが納得がいく名前を選び、子どもに付けることに…。その後、無事に出産したのですが、義母が赤ちゃんを見た瞬間に「あら〜あなたよかったわね!こんなに息子(主人)にそっくりならDNA鑑定しなくて済んだわね(笑)」と一言。名付けのときからモヤモヤしていましたが、今回の一言でさらに義母に対しての不信感が募ってしまいました…。(女性/会社員)用意されていなかった息子のご飯3歳になる息子を連れて夫の祖母の法事に行った際、なぜか息子のお弁当だけ用意されていませんでした。事前に来るのかを確認して、それによってお弁当を用意すると話していたのにも関わらず、用意されていなかったことに腹が立ちました。いくら子どもとは言え、3歳にもなればお弁当はしっかり食べられます。せめて「大人用しかなかったから、子どもの分は持ってきて」と事前に伝えて欲しかったです。「家で息子の大好物のお弁当を作ってあげられたのに…」と思うと残念でした。出典:lamire(女性/主婦)あなたの周りでもこんなこと、ありませんか?こんな義両親と付き合うとなると骨が折れそうですね。適度な距離を保ちながら、いい関係でいたいものです…。以上、義実家トラブルエピソードでした。次回の「義実家トラブルエピソード」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。"
2022年10月07日2022年に娘・ぽっぽちゃんを出産し、夫・ハトさんと3人で暮らすえんさん。このお話は、えんさんがハトさんと結婚される前の出来事です。卵巣のう腫が破裂し、緊急手術をしたあと、えんさんは手術の際に見つかった子宮内膜症の薬を飲みながら生活を送っていました。しばらくしてえんさんはハト氏さんと結婚。その後、妊娠し、いよいよ出産まで間近。つらかった生理痛の経験から、陣痛に不安を抱いていたえんさんですが、なんとか耐えることができて……。 「早くいきみたい!」内診してもらうと… 「いきみたい」という気持ちでいっぱいだったえんさんですが、このときついてくれていた助産師さんからは「赤ちゃんが苦しくなってしまいますよ」という言葉が。いきみたくても、いきめない……なかなか苦しい時間を過ごすこととなってしまいましたね。その後、交代でやってきた助産師さんが内診すると、すでに子宮口は全開大に! 助産師さんとしては悪気はなく、助産師さんなりの考えで動いていたかと思いますが、えんさんにとってはビックリしてしまいますよね。 監修/助産師 REIKO ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 えんさんのマンガは、このほかにもInstagramやブログで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター えん30代凡人。夫と娘(2022年2月誕生)の3人暮らし。インスタやブログで過去の話や現在の日常をイラストで描いています。
2022年10月05日1人目を回旋異常から帝王切開に切り替えて出産しました。無事産声を聞き麻酔で眠らされましたが、目が覚めるとまだ手術中で少しずつ痛みが……。なんと麻酔が切れかかっていたのです。そんな経験から第二子を望んでいたものの不安が大きかった私。でも覚悟を決めて妊娠、出産に臨みました。 麻酔が効きにくい経験から…第一子の帝王切開での出産時、麻酔が切れかかった経験から、第二子を出産するために入院した際に麻酔科の先生に相談したところ、通常の麻酔に加え効かない場合に追加できるよう背中に管を入れることに。 「麻酔が効きづらいのかもしれませんね。痛かったときは遠慮なく言ってください」と言われ、少し安心して手術日を迎えることができました。 麻酔が切れた痛みとの闘いそして帝王切開当日。麻酔の効きを確認し、いざおなかにメスを入れられ、「あ、大丈夫かも」と思った矢先に痛みが……。 「先生痛いです……」「じゃあ追加しましょう」と、予定どおり麻酔薬が追加されたものの、“痛みが消えては戻る”の繰り返し。 何回追加されたかはわからないまま手術は進み、急に思わず肩を左右に動かして押さえつけられるほどの激痛が! 段々耳が遠くなって、周りの音がエコーになっていき、これはまずいと思った私は、先生になんとか「先生、意識失いそうです……」と伝えました。 「笑気麻酔をかけたので眠っていいですよ」。あぁ、それなら大丈夫か……と意識を失いかけたそのとき、遠くのほうから「赤ちゃん産まれますよー!おめでとうございます!」との声が……。 「ん? 産まれたの?? でも無理ー…… 」と、意識がなくなりました。 無意識に流れた涙次に目覚めたのは、名前を呼ばれながら肩を何度も叩かれたとき。気づくと赤ちゃんは元気な声で泣きながら、横の奥のほうで処置を受けていました。 そしてその泣き声を聞き、自然と涙が流れました。 産声を聞けなかったことは残念でしたが、助産師さんによると「おなかから頭が出た瞬間泣いてたよー!」とのこと。上の子とまったく同じで笑えました。 何回も麻酔を追加したおかげで、なかなか麻酔が切れなかった私は、術後の出血がひどく一時的に血圧が急降下。コロナ禍で手術が終わり次第、病院から連絡が入るのを駐車場で待っていた夫は、予定の時間が過ぎても連絡がなくハラハラだったようで、手の痺れが取れた私からの取り急ぎのメールのほうが先で驚いたそう。 経膣分娩、帝王切開といろんな出産はあるけれど、そのどれもが命がけで、すべてが奇跡なんだと思える経験をさせてもらいました。 監修/助産師 REIKO 著者:みく2歳、0歳の二児の母。出産前は幼稚園教諭だったが、今は専業主婦。
2022年10月05日第2子を出産したときのお話です。出産予定日の11日前。朝起きるとおしるしがあり、おなかの張りと痛みがあったので急きょ病院へ。母と上の子と一緒に車で病院へ向かったのですが、そのとき何気なく言った上の子の発言に衝撃を受けた体験談です。予定日の11日前におしるしが!妊娠38週3日のときのことです。前の日の夜中に上の子(当時3歳)が嘔吐をしてしまい、朝には落ち着きましたが、私はまったく寝ていない状態で朝を迎えました。そして、朝トイレに行くと「おしるし」が! 第二子を妊娠してから、まったく抱っこしていなかった上の子を抱っこしたからかも……と焦りました。 おしるしは上の子のときにはなかったので、「ついに!」と思ったものの、もうそろそろという目安なだけで、「おしるしがあってから出産まで1週間かかる場合もある」という情報をネットで見てしまったので、仕事に行く夫に軽い気持ちで「妊婦姿見納めかも〜」なんて伝えていました。 妊婦健診のあとにおなかの張りを感じ始めて……その日はちょうど妊婦健診があり、母に送迎してもらう予定だったので、保育園をお休みにした上の子を小児科に連れて行き、そのまま妊婦健診へ。 11時の時点で子宮口は1cm。2人目なので、「痛みがあったら早く来てね」と言われ帰宅しました。帰る車の中、なんとなくおなかが張って定期的な痛みはあるなぁと、陣痛アプリを使ってみると、すでに3~4分! いやいや、まだわからない……そう思いつつも不安だったので、念のため母にはしばらく自宅で一緒に待機してもらい様子を見ていました。 しかし痛みは引かず、15時30分に病院へ電話。すると、「入院セットを持ってきてください」と言われたので、急いで病院へ出発しました。 上の子の予言が的中!?病院に向かう車の中で、上の子に「何時に生まれるかねぇ?」と何気なく質問したところ、「ろくじ!」と言われました。ちなみに当時、上の子はまだ時間のことは理解できていません。私は、「18時ならあと2時間か〜。それくらいなら耐えられるわ。がんばってくるねー!」と言って別れました。 助産師さんにそのやりとりを伝えると、「子どもの言うことは意外と当たるよ」と言われましたが、「もしこれが朝の6時だったら結構キツイなぁ」なんて思っていました。そして、陣痛室に入ったのが17時30分。すると助産師さんが、経産婦だから早め早めにと言って、子宮口が7~8cmになったところで早々に分娩室へ。 分娩室に入ってからいつまで経ってもいきんでいいと言ってもらえず、いきみ逃しをしているはずが……何とそのままスルッと誕生! そのとき17時52分。まさかの上の子の予言が的中してビックリでした! 出産後、本人に「生まれる時間当たったよー!」と伝えたのですが、言った本人は無反応(笑)。 産後、複数の助産師さんから「小さい子どもの言うことは当たるから!」と言われました。あんまり信じてはいなかった、上の子が言った下の子の誕生した時間。出産直後に時間を聞いて、とても不思議な気持ちになったのでした。 著者:ミルク3歳、0歳の2児の母。ただいま育休中。
2022年10月05日私は子どもが2人欲しいと思っていましたが、金銭的なことを考えたとき、果たして大丈夫なのだろうか?と、正直結構悩みました。今回、当時の私が妊娠・出産に前向きになれるようにおこなったことをお伝えします。 2人目が欲しいと考えたときに悩んだこと漠然と2人目が欲しいと感じていた私ですが、真剣に考えていくと巷でも聞かれる「2人目の壁」にぶつかりました。私の壁は、育児への不安と経済的な不安の2つ。夫は転勤がある職種なので、何か困ったときなどに両親に頼れる環境ではありません。私や夫が何らかのトラブルに見舞われたとき、2人の子育てがしっかりできるのか不安でした。 さらに夫は私より7歳年上で、2人目を欲しいと考えていたころは30代後半。これから子ども2人を育てながら教育を受けさせ、先々は自分たちの老後資金も確保しなくてはならないため、経済的に大丈夫なのかととても悩みました。 2人目計画を立てる前におこなったことひとりで考えすぎて、勝手にいっぱいいっぱいになっていた私。これではいけないと思い、悩みを解消するために夫に相談してみることに……。すると、夫も2人目を望んでいたようで「言い出すタイミングがなかったから、話してもらってよかった!」とのことで、びっくり! このひと言で、育児が大変になっても頑張れると感じました。ただ、もっと早く相談しておけば、こんなに悩まずに済んだのにと少し後悔しました。 2人目計画を実行するタイミング次に、具体的にいつごろに出産したいのかを話し合いました。わが家の場合、夫の仕事が忙しく、専業主婦の私が育児をほぼひとりでおこなっていたので、引き続き私が子育てに専念しながら上の子を幼稚園に通わせる予定でした。 そのため、「上の子を入園させる前に出産できたらベスト」という結論に至りました。その理由は下記の4点です。 ●入園前のほうが幼稚園の行事などに縛られず、出産や子ども2人のお世話に専念できるから●3学年差だと幼稚園や学校の卒業と入学が重なるので、それを避けるためには2学年差がよいと感じたから●出産も子育ても感覚が残っている早めのほうが安心だと思ったから●年が近いほうが子ども同士が仲良くなると思ったから それはまさに、上の子が2歳のそのときでした。そのため、2人目計画を立てたと同時に妊活を進め、3カ月目で妊娠し、無事2歳差で2人目を出産することができました。 子どもが1人から2人になると、やはり何かと大変だと思いましたが、喜ぶ夫や上の子が下の子をかわいがる姿を見られたこともあり、育児の負担はそこまで感じませんでした。上の子の成長を感じられましたし、私は1人目の育児よりもずっとラクに思えました。神様からの贈り物とも言える妊娠は、なかなか自分たちの思い通りにいかないものですが、2人目を真剣に望み、行動してよかったなと思っています。 監修/助産師 REIKOイラストレーター/まっふ著者:大鹿恵美9歳、7歳、4歳の三姉妹の母。これまでの育児を生かした体験談を主に執筆中。365日育児と家事と仕事でフル活動だが、夫との毎晩の晩酌とたまのママ友との交流が原動力となっている。
2022年10月05日和痛分娩の予定が、急きょ陣痛促進剤を使うことになった、ほかほか命さん。必死に痛みに耐えいきみ続けるほかほかさんの隣で、出産に立ち会う旦那さんも涙を流し、2人で大泣き!「いきみます」の宣言で思い切りいきみ……ついに無事出産! 対面した赤ちゃんは本当にかわいくて、夫婦2人で大興奮! 想定外の連続! でも… 描ききれてない部分もたくさんありますが、 「本当にいろんな人が“無事に赤ちゃんを迎えよう!”と願って、支えてくれて、出産ってものがあるんだな」 「結局産むのは自分!って腹を括ってたつもりだったけど、やっぱりみんながいてくれて無事に出産ができたんだな」 と分娩レポを描きながら、改めて感じました。 最後まで読んでくださったみなさん、本当にありがとうございました!出産予定日前に予定をぎっしり詰め込んでいたのに、1週間前に破水したことから始まり、急いで準備した入院準備に、途中でできなくなってしまった和痛分娩……。 数々の「思ってたんと違う」を乗り越えて、無事に出産したほかほか命さんの出産エピソードでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ほかほか命2020年11月生まれの大天使はるくんを育てる、平泉成ボイスの母。雑界の大御所、誤字界の期待の新星。
2022年10月05日大変だっだ不妊治療からの待望の妊娠。妊娠したら幸せな毎日が待っているかと思いきや、毎日具合が悪い苦しい日々でした。もちろん幸せな瞬間もたくさんありましたが、思い出すのは苦しい日々ばかり。なんとつわりが出産まで続いたのです。自分で自分の体調管理ができないことが、こんなにつらいとは……。当時の気持ちを思い出しながらマンガを描きました。 出産まで続いたつわり 妊娠してすぐにつわりが始まってとても具合が悪い日々でした。つわりは出産まで続き、妊娠中、調子のいい日が1日もありませんでした。自分で自分の体調管理ができないことがこんなにつらいとは……。けれど、わが子を見ると、かわいくて、苦しかった日々が嘘のようです。妊娠中、毎日つらかったけれど、「産んでよかった」と心から思います。 著者:リコ不妊治療を経て妊娠、出産しました。やんちゃで独特の感性を持つ繊細な4歳の男の子と大自然の中で暮らしています。息子の忘れたくない愛おしい出来事を絵日記に残しています。Twitter:@fuddyxxduddy30
2022年10月04日2022年に娘・ぽっぽちゃんを出産し、夫・ハトさんと3人で暮らすえんさん。このお話は、えんさんがハトさんと結婚される前の出来事です。卵巣のう腫が破裂し、緊急手術をしたあと、えんさんは手術の際に見つかった子宮内膜症の薬を飲みながら生活を送っていました。しばらくしてえんさんはハト氏さんと結婚。その後、妊娠し臨月を迎えました。病院に行き、いよいよ出産というとき、つらかった生理痛のような痛みをまた感じることになるのか、と不安だったえんさんでしたが……。 「あれ」を出したい感覚…! 生理痛を強くした痛みとも表現される陣痛に不安を抱いていたえんさんでしたが、実際に始まってみると……えんさんにとっては、「痛いけれど、『大』をしたい感覚が強かった」そうです。陣痛の際、便意を感じたというママの声も多く聞きますね。助産師さんによると、「いきみたい」という感覚が、便意に似ているのだそうですよ。 監修/助産師 REIKO ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 えんさんのマンガは、このほかにもInstagramやブログで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター えん30代凡人。夫と娘(2022年2月誕生)の3人暮らし。インスタやブログで過去の話や現在の日常をイラストで描いています。
2022年10月04日いよいよ2人目の出産が近づいてきた妊娠37週。産婦人科の先生からは「もういつ生まれても大丈夫」と言われ、陣痛を待つ日々が続きました。しかし出産当日、あろうことか陣痛を放置し、入院費用を安く済ませようとした私の恥ずかしい失敗談をご紹介します。入院費用が無駄になったママ友第2子妊娠中のときのこと。出産したばかりのママ友に会いに行きました。「陣痛が来たと思って、夜中11時に入院したの。そしたら痛みが消えちゃって、病院の朝ごはん食べてそのまま帰ったんだよ」と、出産前の体験談を話してくれました。 彼女の通う産婦人科は、午前0時から翌日午前0時までの24時間で1日分の入院費がかかる仕組み。ママ友は数時間病院にいただけで、2日分の入院費約2万円を支払ったというのです。 そこで私は自分が通う産婦人科の入院費用のシステムを調べることもなく、「とにかくギリギリまで家で耐えよう」というおかしな思考に。 陣痛なのかわからない…我慢すべし!1人目の出産時は陣痛促進剤で陣痛を起こしたため、陣痛が来る前から病院でスタンバイ。痛みがあると、すぐに助産師さんに相談できる状況でした。家で陣痛を待つのは第2子が初めて。 出産予定日前日の午前4時。腰に重い痛みが出てきました。陣痛の間隔をアプリではかるものの、10分だったり、20分だったり。まれにかなり強い痛みがありましたが、起きてきた上の子の朝ごはんを作ったり、洗濯をしていたりすると痛みを忘れることも。 「こんな朝早くに行ったら、早朝の追加料金がかかるかもしれない。これは陣痛じゃない……」。間隔がバラバラという理由だけで、陣痛ではないと自分に言い聞かせ、家で我慢していました。 病院に着いたときには子宮口8cm午前10時を過ぎても、痛みは続いていました。でも間隔は、5分のときもあれば15分のときも。「外来も始まった時間。追加料金もないはず」と思った私。一度病院に電話をしてみると、電話口の助産師さんからすぐ来るようにとの指示。病院へ着き、器械を20分ほどつけて陣痛の確認。子宮口の開きもチェックしてくれました。 すると、助産師さんは焦った様子。陣痛は4~5分間隔、子宮口は8cmも開いていたのです。私はすぐに分娩台へ。点滴の処理が終わるのを待って、助産師さんから「はい、いきんで」の声が掛かります。5回いきんだら、第2子がこの世に誕生していました。病院に到着して約1時間後の話です。 「もう少し入院が遅かったら、家や道端で生まれてたよ。3人目は気をつけて」。そうやさしく注意してくれた助産師さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。入院代をケチろうと軽く考えていた私。子どもと自分にとって、非常に危険な行動をしてしまいました。陣痛か迷ったら、まずは病院へ電話をして相談するべきだったと後悔しています。 ※入院のタイミングは産院の指導に従いましょう。また、出産前に何か気になるとこがある場合は、産院に連絡し、指示を仰ぎましょう。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO著者:土田えり子2人の男児の母。元記者で、現在はフリーランスとして企業のリリース記事や、自身の子育て体験談などを執筆中。
2022年10月04日痛いのがとにかく苦手なほかほか命さん。和痛分娩を希望していたものの陣痛が遠のいてしまい、急きょ陣痛促進剤を使って出産することに!出産に立ち会う旦那さんも涙を流し、2人で大泣き! 「頭見えてるよ! あともう少し!」。励まされ、思い切りいきみます。そして…… ついに赤ちゃんとのご対面のとき! 無事出産! おめでとうございます! 「がわいいー!!!」 赤ちゃんを初めて抱いたほかほかさんは、ますます号泣! 「頑張ってくれて、本当にありがとう」 「私こそ!」 涙を流しながら、感謝の思いを伝える旦那さん。そんな旦那さんの姿を見て、胸を熱くするほかほかさん。お2人の関係性が、とても素敵ですね。 次回、最終回です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ほかほか命2020年11月生まれの大天使はるくんを育てる、平泉成ボイスの母。雑界の大御所、誤字界の期待の新星。
2022年10月04日子育てにはいろいろな方法があり、時代や家庭によって良いとされることやそうでないことがありますよね。今回は、私が第1子を妊娠・出産し、子育てをする中で習慣にしておいてよかったことを紹介します。子育てについて夫と情報を共有する初めて出産をしたとき、私も夫も子育て初心者でした。私の場合は妊娠中に妊娠や出産、子育てに関する情報を本やインターネットで調べたり、先輩ママから話を聞いたりしていました。一方、夫はあまり自分から情報を収集しないタイプ。そのため、妊娠中から妊娠や出産、子育てに必要になりそうな情報についてはSNSで記事を送ったり、直接伝えたりして情報を共有していました。娘が生まれてからは、娘の様子や娘に対する自分の対応をなるべく頻繁に伝えることで、一緒にいる時間は少ないけれど子育てについてお互いの意見を言い合えるようになりました。 実家の母とも子育てについて話し合う私の中でかなり苦戦したのが、実家の母との子育てに対する考え方のすり合わせです。母には母の考え方があるけれど、私が娘を産んだときとは時代が異なります。湯冷ましをあげる・あげないから始まり、娘に対するしつけの仕方など、時にはかなりキツイ言い争いになることもありました。けれど、何かあったときに頼りにする人でしたし、何度も私自身の子育てに対する考え方を伝えていくうちに 「あなたの考え方があるんでしょう」 と見守ってくれるようになりました。 友だちと子育てに対する考え方を伝え合う子どもを育てていくうちに知り合った友だちとも、子育てに対する考え方を伝え合うようにしています。そうすることで、一緒に子どもを遊ばせたときにそれぞれの家庭で大切にすることを尊重することができるからです。また 「娘は慣れない友だちには少し攻撃的である」といったことや、「子ども同士の喧嘩はできる限り見守りたいと考えている」といったことを伝えることで、子ども同士が喧嘩になってもトラブルになることなく親同士で見守ることができています。 子育てに対する考え方や方法がいろいろある中で、自分なりの考えについて周りの人に伝えることを習慣にしたところ、周りの人たちの協力を得やすくなって子育てがしやすくなりました。娘は今4歳。これからも周りの人たちと意思疎通を図りながら楽しく子育てをしていきたいです。 イラスト/ののぱ監修/助産師 松田玲子著者:ライター 吉川麻和
2022年10月03日2人目の妊活中、マタニティ用品や育児グッズは1人目のときの物をまた使えばいいので、妊娠・出産に向けて特に何か準備が必要だとは考えていませんでした。しかし、実際に2人目を授かってみると、予想しなかった問題が生じたのです。つわりがつらい!1人目のときはつわりがほとんどなかったのですが、2人目を妊娠すると、つわりがつらく、ひどい船酔いのような状態が何週間も続きました。 そのころ、上の子はまだ幼稚園入園前。1日中遊びの相手をするのが大変で、一時保育を利用してみたいと考えました。ところが、それまでに一時保育の利用経験がなく、預けられる施設を探すところからのスタートになってしまいました。 一時保育の予約がとれない!?近所で見つけた施設は、事前に利用登録が必要でした。なんとか登録手続きを済ませたものの、いざ利用の予約を入れようとすると「すみません、その日は一時保育の枠はいっぱいです」と、思いがけない回答が……。 つわりの具合を見ながら、どうしてもつらいときだけ預けようと思っていたのですが、予約は早めに入れておかないとすぐいっぱいになってしまうようです。結局、思ったようには利用することができませんでした。 早めの情報収集と利用登録を!当時住んでいた地域は子どもが多く、保育園や幼稚園の入園は激戦状態。一時保育も例外ではなく、「使いたいときに使うためには、複数の施設に利用登録しておいたほうがいいよ」と、あとになってママ友から教わりました。 妊娠前は特に一時保育の必要性は感じていなかったのですが、何かあったときのためにもっと早くから情報収集をして利用登録を済ませておけばよかったです。 1人目のときは妊娠経過が順調だった人も、2人目以降も同様とは限りません。実家が遠方など頼れる人が近くにいない場合は、不測の事態に備え一時保育等を利用できるよう準備しておくことをおすすめします。 イラスト/imasaku監修/助産師 松田玲子著者:奥田美紀2児の母。IT企業にてSE・プログラマーとしてシステム開発やWEBサイト運用等をおこなう。夫の転勤や子育てのために退職し、現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年10月03日痛いのがとにかく苦手なほかほか命さん。和痛分娩を希望していたものの陣痛が遠のいてしまい、急きょ陣痛促進剤を使って出産することに!出産中のほかほか命さんを見た旦那さんは、ボロボロ大泣き! 「あともう少し! 頭見えてるよ!」 それを見てほかほかさんも泣いてしまい、目はかすむし、息苦しいし、すっごく痛い……! 夫の涙を見ながらいきみ、ついに…! 初めて見る、夫の涙。 「ふふっ、めちゃ泣いとる……」 そして、 「いきみます!」 宣言して大きく息を吸い、思い切り力を入れていきみます。 そしてついに……?! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ほかほか命2020年11月生まれの大天使はるくんを育てる、平泉成ボイスの母。雑界の大御所、誤字界の期待の新星。
2022年10月03日元々は夫にいろいろしてあげることが好きだった私。家事は自分のやり方やこだわりがあり、特に家事をしない夫に対して不満はありませんでした。ところが、子どもを出産したことがきっかけで疲労が蓄積し、だんだん家事をしない夫に対してイライラするように……。私がいかにして夫をイクメンに変えたのか、その方法をご紹介します。まずは真剣に話し合いを女性は出産する前に長い妊娠期間があります。そのため、夫よりも親としての実感や子どもに対する愛情が早く芽生えやすいように感じました。はじめはそれほど感じていませんでしたが、いざ出産を終えると、お互いの家事・育児の認識に対してギャップが生まれることに……。 今までの家事に加えて夜間の授乳や夜泣きの対応など、休む暇もなかった私。そんな私の状況を目にしていながら、特に何も手伝ってくれない夫に嫌気がさすようになりました。「このままでは産後クライシスになる!」と思った私は、夫に自分の気持ちを打ち明けました。少しは子どもの面倒を見てほしい、休日は私も休ませてほしい……。 夫はそこまで私が思い詰めていたとは気づかなかったらしく、素直に謝ってくれました。まずは真剣に今後どうしたいのか、話し合う場を設けることが第一歩だと思いました! とにかく褒める! 褒めまくる!今まで家事・育児を何もしてこなかった夫に、完璧を求めるのは無理な話。そのため、私は夫がすることに寛容でいるよう心がけました。 おむつ替えは私の3倍の時間がかかり、皿洗いは雑で泡がついていることも……。それでも言いたいことをぐっと我慢して、とにかく褒めます! 誰だって褒められて嫌な思いをしませんよね。特に夫は頼りにされると喜ぶタイプなので、「いつもすごく助かる!」「さっすがパパ!」など少々大袈裟に褒めるようにしています。 すると、頼まなくても自らやるべきことに気づいて行動するように。ここまで成長するとは思っていなかったので、本当にうれしい驚きです。 子どもが夫に懐くようになった子どもが生後5カ月になったころ、パパとママの区別がだんだんつくようになったらしく、子どもが夫にも懐くようになりました。喃語しか話さないものの、明らかに夫を意識してニコニコしている子どもを見て、夫はうれしかった様子。子どもフィーバーにはならないタイプだと思っていましたが、子どもの写真を携帯の待ち受けにするほど子ども好きになっていました。 そして、休日はベビーカーで近所を散歩したり、泣いたら抱っこをしてあやしたりするなど、すすんで子どものお世話をするようになりました。今では立派なイクメンになったと思います。 最初はハードルが高いかもしれないと思っていたイクメン。わが家の場合はちょっとした工夫で変わることができました。今後もさらなる成長を期待して、イクメン育成期間をもう少し延長しようと思います! イラスト/sawawa監修/助産師 松田玲子著者:中原けいこ2歳男児の母。妊娠を機に金融機関からライターへ転向。現在第2子妊娠中。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆。
2022年10月02日痛いのがとにかく苦手だというほかほか命さん。和痛分娩を希望していたものの陣痛が遠のいてしまい、急きょ陣痛促進剤を使って出産することに!ベテラン助産師さんのめっちゃニュアンスなアドバイスで、的確にいきむほかほか命さん。さあ、赤ちゃんとの対面はもうすぐそこ! 痛いのが大の苦手だというほかほか命さんが、陣痛と向き合って出産する様子を見た旦那さんが、なんと……?! 出産する妻の隣で、夫の反応は…? このころはもうムラカワさんの厳しさがクセになってきていた。 旦那さんはとても冷静なタイプで、大人になってから一度も泣いた記憶がないと言っていたそう。 そんな旦那さんが、まだ誕生前なのに涙をボロボロ流す姿を見て、 無性に愛しさがこみ上げてきて、泣いてしまったというほかほか命さん。 お産中に、夫婦で号泣するというボロ泣き出産スタイル! 懸命にいきみ続けて、ついに……!? ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ほかほか命2020年11月生まれの大天使はるくんを育てる、平泉成ボイスの母。雑界の大御所、誤字界の期待の新星。
2022年10月02日無痛分娩を希望していた長女の出産時、さまざまな場面で「出産は思うようにいかないな」と思った体験談を紹介します。 無痛分娩を予定していたけれど…私は約4年にもわたる不妊治療の末、ようやく第1子を妊娠しました。里帰り出産を予定していましたが、実家のある地域は妊娠8週ごろには分娩予約をしないと、希望する病院の予約が取れないという地域。出産時の痛みが怖いので無痛分娩を希望し、またやっと授かった赤ちゃんであることや、切迫流産も経験していたことから、何かあったときのために総合病院を希望していました。 いくつかの病院のHPや口コミを調べに調べ、幸い実家近くの無痛分娩をおこなっている総合病院を予約することができました。予約したらすぐに一度その病院で健診をおこなう予定でしたが、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言と私の切迫流産による安静生活のため、最初の健診は1カ月以上遅れてしまいました。 健診時にあらためて説明されたところによると、この病院では平日の9〜16時しか無痛分娩に対応していないとのこと。やや不安がありましたが、無痛分娩を実施できる時間が決まっている病院は、計画分娩をおこなうことが多いと聞いていたので、この病院もそうなのだろうと思っていました。また、今からでは他の病院の予約も埋まっており、変更は実質不可能でした。 細かい条件に戸惑いながらも…その後は住んでいる家の近くで健診を受け、妊娠32週からは再び分娩予定の病院での健診が始まりました。それと同時に、無痛分娩希望者は麻酔学級を受けるよう言われ参加すると、驚きの事実が! なんと、この病院では基本的に計画分娩はおこなっておらず、平日9〜16時以外は麻酔ができないこと、運良くこの時間内に麻酔を開始できても、分娩の進行が遅く産まれないまま16時になってしまった場合、麻酔を切られるというのです。 無痛分娩を希望して、実際に無痛分娩できる割合は3割ほどとのこと。無痛分娩する気満々だった私はびっくり。でも、今さら他の病院に変更することも不可能なので、とにかく毎日「平日の9〜16時に産まれて来てね!」とおなかの赤ちゃんに話しかけることしかできませんでした。 妊娠36週ごろの健診時、赤ちゃんの体重があまり増えず、「早めに出産したほうがいいかもしれない」と言われました。その後、2,500gをぎりぎり超えたので、「このまま出産予定日を待ってもいいけど、無痛分娩も希望してることだし、妊娠39週で陣痛促進剤使って産もうか?」と医師から提案を受けましたが、その日はさんざん苦労してようやく予約が取れた新型コロナのワクチン接種日。これを逃すと次はいつワクチンの予約が取れるかわからない状況だったため、泣く泣く見送り、自然に予定日を待つことになりました。 その後、ワクチン接種前に陣痛が来ないかヒヤヒヤしながらも無事にワクチン接種が終わり、出産予定日前日の健診で自覚はないものの、すでに子宮口が4cmも開いているとのこと。そのため、医師からは「明日入院して、明後日9時から無痛分娩を開始しましょう」と言われ、入院が決まりました。私は内心ガッツポーズ! 無痛分娩できる確率がかなり高くなったと思いました。 思いどおりにいかないのが出産…!?無痛分娩なら、「産むまでリラックスして過ごせるはず」と、何冊もマンガを持ち込み、動画もダウンロードして、次の日の昼に無事に入院しました。この時点で、私はもう完全に無痛分娩できるものと思っていました。 ゆっくり部屋の荷物を整え、病院内のコンビニで次の日のお菓子や飲み物も買い、明日に備えて「さぁ寝よう」と思った21時過ぎ、だんだんとおなかが痛くなってきました。最初は「気のせいかな」くらいだったのがだんだん強くなり、間隔感覚を測ると15〜20分くらい。「前駆陣痛かもしれないし、初産は時間がかかるから、明日麻酔を入れるころに陣痛が来てバルーンを入れなくて済むかも」と、このときはまだ呑気に考えていました。 しかし、夜中の12時過ぎには10分を切り陣痛に。その後どんどん痛みが強くなり、私は「まだ産まれないで!もしくはめちゃくちゃすぐ産まれて!」と、よくわからないことを思いながら必死に耐え、明け方5時過ぎには破水、全開大になり分娩室へ。 ちなみに、新型コロナの感染対策のために立ち会いも面会も一切禁止のため、陣痛中もほとんど腰をさすってもらえず、1人で耐えるのみでした。もちろん、持ってきた本や動画も一切手つかずでした。 子宮口が全開大になってからが非常に長く、何十回といきんでもなかなか産まれず……。そうこうしているうちに9時を過ぎ、とにかく痛みから逃れたくて今からでも麻酔できるのか助産師さんに聞くと、「ここまで進んでからでは無理」とのこと。いきむ体力もなくなってきて、赤ちゃんの心拍も下がってきたことから、最後は吸引分娩になり、おなかもぎゅうぎゅう押されて9時半にやっと産まれました。 産まれた直後、朦朧とした意識の中で携帯電話を手渡され、「ご家族に報告してくださいね」と言われ、最後の力を振りしぼってLINEしました。家族は「そろそろ麻酔始まったかな〜」と思っていたら、「産まれた」と連絡が来てびっくりしたそうです。 その後、胎盤を出したり会陰裂傷で外科医の先生まで登場して縫うのに時間かかったりと、1〜2時間後にすべてがやっと終わり、ほぼ気絶状態でした。 何回か「無痛分娩できる!」というチャンスがあったにもかかわらず、結局最後は惜しいところで自然分娩になってしまい、「出産は思い通りにはいかないな」と痛感しました。また、病院のホームページ上には書いていない、細かいけれど重要なルールがいろいろあるので、もっと調べておけばよかったと思いました。出産にかかった時間は約8時間と、「比較的安産だった」と言われましたが、それでもものすごく痛かったので、もし2人目を産むことがあれば、今度こそは無痛分娩がいいなと思っています。 監修/助産師 REIKO 著者:さびにゃん不妊治療を経て産まれた0歳の女の子の母。医薬品メーカー勤務だが、現在育休中。
2022年10月01日第二子の出産ということで、精神的にも日数的にも余裕のある産休入りを迎えました。さっそく高級宿に宿泊したり、断捨離したりと、産休を謳歌し、「これからどうやって出産まで毎日を過ごそうかな〜」とルンルンの私。まさか、この後壮絶な出来事が繰り返されるとは知る由もなかったのです。 産休後から始まる数々の試練…産休入りして間もなく、妊娠29週で長女が新型コロナウイルスに感染し、一家全滅して自宅療養に。夫・娘は無症状でしたが、妊婦の私が重症化……。発熱、喉の痛み、咳、痰、鼻水、倦怠感の症状、パルスオキシメーターで「赤ちゃんに十分な酸素がいっていない?!」など経験しましたが、なんとか事なきを得ました。 ところが、妊娠34週で雪道で滑って転倒。転び方が悪かったのか、利き手の右腕のあまりの痛さに救急車を呼ぼうと思いましたが、ひとまず夫に整形外科へ連れて行ってもらうことに。「ひどい打撲かな?」と思っていましたが、医者から「折れています。手術が必要です。大病院に紹介状を書きます」との言葉が! 痛さや不安、絶望感で目の前が真っ暗になりました。 不安に押し潰されそうに…紹介状を握りしめ、いざ大病院へ。診断結果は、右腕の上腕骨遠位端(肘関節を形成している部分)の粉砕骨折でした。三日後の手術宣告。これをきっかけに分娩施設は、整形外科と産婦人科がある大きな病院に転院しました。 しかも、滑った拍子に赤ちゃんがひっくり返って逆子になっていたことも判明しました。あれやこれやと手術前日。 「麻酔で一緒に寝てしまう赤ちゃんは大丈夫なの?ちゃんと目覚めるの?」 「母子共に手術に耐えられるの?」 「利き手が折れて、今後分娩でいきめるの?」 「こんな手で新生児のお世話できるの?」 など、考え出したらキリがなく、不安で不安で泣いてばかりいました。転倒した自分も責めました。 整形外科、麻酔科、産科の先生方のチーム医療のもと、全身麻酔で8時間を超える手術は無事終わりました。当初3〜4時間の手術と聞いていましたが、やはり赤ちゃんも気にしながらなのと、かなりひどい折れ方で時間がかかり大変だったよう) 。 ところが、手術直後に切迫早産に! 麻酔から覚めて気持ち悪い私に、助産師さんたちが「いつ破水してもおかしくないからね!破水したら帝王切開だよ!」と声をかけてきます。それどころじゃない私は、「立て続けに手術しても大丈夫なの……?」なんて、痛みと気持ち悪さの中そんなことを思っていました。 妊娠中のため、ロキソニンなどの強い鎮痛剤が使えないのでカロナールしか服用できず、右腕は激痛MAXです。入院中のお腹のハリ止めのおかげで、なんとか破水は免れましたが……。赤ちゃんは逆子のままなので、「帝王切開は免れない!もう痛い手術は懲り懲りだ!」と念じていたら、帝王切開かどうか決める最終的なエコーで、逆子が直っていたのです。 試練はまだ終わらない…!?右腕の手術後、10日間入院して晴れて退院しました。その間パパも長女も頑張ってくれました。 そこからリハビリ生活が始まりましたが、右腕がまったく曲げ伸ばしできなくなっていました。赤ちゃんのお世話はおろか、抱っこさえできるわけがありません。二人目だからと余裕でいた私にバチが当たったのでしょうか。 出産予定日までもう少しあったのと、骨折中のため自然分娩できない恐れを考慮し、帝王切開の枠は押さえられたままでした。骨折手術が痛すぎて、「腕も切って、おなかも切るなんて絶対に回避したい!」と思わずにはいられませんでした。 そんな中、出産予定日より早く妊娠39週目で自然分娩で元気な女の子を出産しました。助産師さんたちは「経産婦で良かったよ」と労ってくれました。そして、なんとその日は長女の誕生日。姉妹そろって誕生日が同じという奇跡も……! 喜びも束の間、赤ちゃんに低血糖と痙攣の疑いがあるとのことで、NICUに入院となりました。「骨折手術のせい?」などと、また不安に押し潰されそうになりましたが、時間は止まりません。助産師さんにアシストしてもらいながら、片手での育児がスタートしたのです。 骨折の手術して約1ヶ月後の時期だったので、右腕はまったく使いものにならず、自力で我が子を抱き抱えることすら簡単にできず、本当に悔しかったです。 やがて赤ちゃんの容体も安定し、一緒に退院できることになりました。……が、ここに来てまた試練が! 助産師さんが新型コロナウイルスに感染したとのことで、濃厚接触者になった次女は、生後5日でPCR検査デビュー。結果が出るまで退院できず、それはそれは長く感じました。結果は陰性だったので、ようやく退院となりました。 今は右腕のリハビリに通いながら、片手育児に奮闘中です。来年の復職前に抜釘手術(骨折治療のために体内に入れていた金属を取り除く手術)も待っています。ワーママ時代は仕事に育児に家事にと、ヒーヒー言っていましたが、今後はもう少し肩の力を抜いて育児に向き合おうと思います。 監修/助産師 REIKO 著者:にんにくママ4歳、0歳の二児の母。現在は育休中で、悪魔の4歳児と、天使の赤ん坊の子育てに専念中。
2022年10月01日■前回のあらすじ前から行きたかったマルタ共和国で結婚式を挙げてハネムーン、そして帰国後は妊活しようと計画していたが、感染症の拡大で強制キャンセルに。そこで妊活に切り替えたところ、一発で授かることができ…。■夫は妊娠に興味ないのかな…物理的に何かしてもらうのも嬉しいですが(買い物に行ってくれたり)、妊娠中1番してほしかったのが、妊娠に興味を持って一緒に考えたり悩んだり寄り添ったりすることでした。「立ち合いしたい」って言ってくれたのは嬉しかったですね。 ■健診で予期せぬことが…!子宮外妊娠ってなんだろう…?次回に続く「子どもはあたりまえには産まれない」(全27話)は12時更新!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2022年10月01日ニックネーム:まおち生年月日:2000年4月26日ライバー歴:3カ月趣味:旅行、テニス、息子と遊ぶことTwitter:@maochi_nekoInstagram:@maochi_nekoTikTok:@maochi_nekoミクチャ:まおち自分の夢を見つけるための挑戦――まおちさんが、ライバーとしての活動をはじめようと思ったきっかけを教えてください。I love mama専属モデルのオーディションに参加したことがきっかけです。私は、子どもができてから、自分のやりたいことや夢を見つけられないまま過ごしていました。オーディションのことを知り、「ママでも輝けるんだ!」と思って応募してみることにしたんです。――もともと、モデルなどの活動に興味があったのですか?小さい頃からモデルさんに憧れがあって、ファッションやメイクが好きでした。私は、高校生の時に妊娠がわかり、退学をして出産しました。その後シングルマザーになったので、ここ数年は仕事と子育てで精いっぱいの日々でした。でも、それだけで日々が過ぎていくのはいやだなぁと思ったときに、I love mama専属モデルのオーディションを知って、昔から憧れていたモデルさんになるチャンスを掴みたいと思ったんです。――オーディションに参加することでミクチャでのライブ配信もスタートしたわけですが、ライブ配信にはどのようなイメージを持っていましたか?もともと話すのが好きなので、おもしろそうというイメージがありました。以前、別のライブ配信アプリを使っていたことがあるのですが、ミクチャでのライブ配信はどんな風になるんだろうという好奇心が大きかったです。――実際にミクチャでライブ配信をしてみた感想は?以前使っていた配信アプリは、特定の人が来てくれる感じだったのですが、ミクチャは新規の人がたくさん来てくれるので驚きました。もともと動画アプリのイメージが強かったけど、ミクチャでのライブ配信は、使っている人も多いしすごく盛り上がる気がしました。子どもも一緒にライブ配信ができることで心にゆとりが――まおちさんは、普段ミクチャでどんなライブ配信をしていますか?雑談配信、コスプレ配信が多いです。私の枠は、優しいリスナーさんばかりです。リスナーさん同士も仲が良くて、コメント欄で挨拶し合っています。すごく温かい雰囲気の中でマイペースに配信をさせてもらえています。――育児とライブ配信の両立はどうですか?なかなか予定通りにライブ配信ができなかったり、配信中に子どもが起きてきちゃったりすることがあります。そんなときはリスナーさんたちが、「寝かせておいで~」と言って、待っていてくれるんです。そういう点も含めてすごくやりやすい環境がありがたいです。――リスナーさんの中には、パパやママさんもいると思うのですが、育児の相談をするようなこともありますか?息子の睡眠リズムについてリスナーさんたちに相談をしたら、睡眠に関するアドバイスをたくさんいただきました。あと、子どもが喜ぶ遊び場スポットを教えてもらったり。困ったことがあると、リスナーさんに相談するのですが、本当にみなさん素敵なパパ、ママさんばかりです。――まおちさんのライブ配信では、お子さんも登場しますよね。リスナーさんたちにすごくかわいがってもらっています。私がトイレに行くと、その間場をつないでくれたりするんです(笑)。まだ3歳なので、私でも聞き取れないようなことを話すときがあるけど、画面に向かって話したり、一人でダンスを踊ったりして、リスナーさんから褒められてすごく楽しんでいます。子どもも一緒に配信ができるので、心にゆとりを持つことができています。――ライブ配信をはじめたことで変化したことはなんですか?ライブ配信をはじめる前は、なんとなく意味のない時間を過ごしているような気持ちがありました。でも、ライブ配信をはじめてからはたくさんのリスナーさんやライバーさんとの出会いがあり、いろんな話が聞けて多くの学びがあります。人と話すことが大好きになったし、子育ての相談もできるし、今は毎日がすごく充実しています。――ライブ配信を通じてスキルアップしたと感じるところはありますか?コミュニケーションスキルは確実にアップしましたし、コスプレ配信をするので、メイクの幅も広がりました。これまでは同じようなファッションが多かったのですが、いろいろなファッションに挑戦して自分の見せ方も研究中です。それ以外にも、自分の苦手分野を発見すると、それを改善する力も身につきました。努力の分だけ結果が出せる――ミクチャで配信して一番うれしかったことはなんですか?I love mamaのイベントで決勝5位という結果を残せたことです。以前挑戦したときは9位でしたが、リベンジで参加した2回目は5位になれました。160万ポイント獲得できて、以前よりもライバーとして成長したと感じられたこともうれしかったです。――ライバーとして活動する中で感じる、ミクチャの魅力ってどんなところですか?イベント数がとにかく豊富なこと。利用している人も多くてたくさんの方との出会いがあります。夢がある人にとっては、努力すればするだけ結果が出せる配信アプリだと思います。――まおちさんにとっての「ライブ配信」とは?夢と希望が溢れている場所です。ママになって、やりたいことが何もなくて、その何かを探すこともできていなかった私が、ミクチャに出会ったことでたくさんの夢を見させてもらっています。そして、どんどん生活がキラキラしていくし、夢を実現させることができる場所でもあります。――まおちさんの将来の夢を教えてください。キラキラ輝くママモデルになることです。そして、発信力のある人になりたいです。今は、私の思いをみなさんに知っていただくツールがたくさんあるので、いろいろな方法で私を知っていただき、影響力を持ったモデルとして活躍したいです。――これからライバーを目指す人たちへのメッセージを送るとしたら?もし、「やってみたい」という気持ちがあるのに迷っているなら、1度はチャレンジしてみても良いんじゃないかなと思います。私も最初は不安だったけど、ライバーとして活動をはじめたことで人生が大きく変わりました。――これから、ライバーとして挑戦したいことや、こんなライバーになりたいという思いはありますか?ライブ配信を見ていない人にも知ってもらえるチャンスになるので、大型ビジョンに私が映るようなイベントにはどんどん挑戦していきたいと思います。私の枠は、“楽しい枠”をモットーにしているので、リスナーさんも私も楽しめる枠作りをしながら、プラスな配信をしていけたら良いなと思っています。――これから、まおちさんのライブ配信を見てくれる方へのメッセージをお願いします。笑顔をモットーに、みんなを温かく癒せるような枠を目指してがんばっています。「まおちから元気をもらってがんばれる」というリスナーさんからの言葉が私のパワーの源です。まだ私の枠に来たことのないみなさまともライブ配信でお会いできることを楽しみにしています。そして、有名になって、普通のママでも夢を叶えて、キラキラ輝くママモデルになれる!ということを伝えられるようにがんばります!妊娠・出産後はやりたいことが見つからなかったというまおちさんですが、ライブ配信をきっかけに、「やりたい!」と思うことがたくさん出てきたそうです。まだまだ若く、多くの可能性を持つまおちさんが、ライバーとして活動する中で大きな夢を掴むことを応援しています!✨あなたもミクチャ公認ライバーになろう✨ミクチャではママさんライバーを募集中!▼ミクチャに興味がある方はこちら▼あわせて読みたい🌈【ママライバー】ワンオペ育児で疲れ切ったママが人気ライバーに!!
2022年09月30日第2子を妊娠中、妊娠32週のとき、出血があり病院を受診すると、切迫早産の診断でそのまま緊急入院することに。結局入院の翌日に出産となり、長男にきちんと事情を話さないまま1週間会えない結果に……。しかし産後に再会したとき、息子の反応は意外なものでした。 まさかの切迫早産の診断で緊急入院第2子妊娠中、健診で問題もなく普段通りの生活をしていた私。妊娠32週のある日、朝トイレに行くと出血がありました。その日は予定があり、息子を地域の一時保育に預けて出かけるつもりでした。午前中に息子を施設に連れて行って、いつも通り「いってらっしゃい! 夕方に迎えにくるね!」と送り出したのです。 病院を受診するか悩んだ私は、予定をキャンセルして念のため診察してもらうことにしました。病院で内診してもらうと切迫早産の診断で、家に帰れずそのまま緊急入院することに! すぐに夫に連絡して息子の引き取りを依頼し、入院に必要な物も持ってきてもらいました。息子にしっかり話ができないまま、入院となってしまいました……。 入院の翌朝に陣痛、そのまま出産入院直後の内診やエコー、血液検査の結果だと「おそらくすぐに出産、ということにはならないと思います。安静にして様子をみて、大丈夫そうなら1週間ほどで退院となります」という医師からの説明でした。 しかし入院翌日の朝、驚くことに陣痛がきてしまいました。結局、その夜に経腟分娩で長女を出産。妊娠32週での出産ということもあり、娘はNICU(新生児集中治療室)に入院することになりました。 息子とは1週間会えず出産後、私は5日間の入院となり、結果的に自宅に戻ったのは緊急入院してから1週間後になりました。その間2回テレビ電話で息子と話したものの、まだ1歳3カ月の息子はスマホの画面の向こうにいるのがママなのか、しっかりは理解できていない様子……。 本来なら計画無痛分娩を予定していたので、「ママはこれから赤ちゃんを産むから1週間帰ってこないよ。お留守番しててね」としっかり息子に話をしてから入院したいと思っていたのに、何も言わずに1週間いなくなったことに罪悪感を覚えました。 退院後に再会したときの息子の反応は入院生活が終わり、いよいよ退院! やっと息子と会える! そう思い自宅に戻り息子に「いきなりいなくなってごめんね! ただいまー!!」と抱きしめても、きょとんとする息子。 特別うれしそうにする様子も、逆にママを忘れてしまったというわけでもなく、一時保育に預けたあとに迎えに行ったときにするいつも通りの反応でした。驚いて喜んでくれるか、突然いなくなったことに怒るかどちらかの反応かなと予想していた私は拍子抜けしてしまいました。 私が不在の間は夫が毎日公園に遊びに連れ出し、慣れない離乳食づくりもしてくれました。息子としては妊娠中で体が重かった私が面倒を見るよりも、楽しい毎日だったのかもしれません。頑張ってくれたパパに感謝です。その後、入院していた娘も無事に退院しました。2人の育児が始まるので息子も娘も寂しい思いをさせないよう、頑張ろうと思います! イラストレーター/山口がたこ監修/助産師 REIKO著者:森まり子1歳3カ月差の兄妹ママで、長女は妊娠32週で生まれた低出生体重児。本業は育休中で、現在は子育てをしながらライターとして子育て・共働きに関する体験談や、ママ向けの記事を中心に執筆している。
2022年09月30日■前回のあらすじ助産師さんのお尻サポートもあり、無事に出産。陣痛から解放され一安心するのだが、医師から「胎盤出してお股縫いますね」と声を掛けられ、痔のことを思い出して嫌な予感がするのでした。■陣痛に比べれば…■私はあることを決意!これで、痔持ちである私の長女出産エピソードは終わりです。促進剤を打って本陣痛が来てからは4時間くらいで産まれたので、時間だけ見ると「安産」と言われてしまい、大変複雑な想いをしています。そして、産後すぐに私は決心しました。絶対痔を取ること、ふたり目は必ず無痛分娩にすることを…!これから出産のみなさま、がんばってください! 特に痔持ちの妊婦さん、全力で応援しています!最後まで読んでいただき、ありがとうございました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2022年09月29日私は義父母と同居しながら、妊娠・出産・育児を経験しました。妊娠中から育児に対する心構えなどを教えてもらっていましたが、息子が生まれてからもそのアドバイスという名の口出しが止まらず、育児に対する考え方の違いを感じていました。そんな私が義父母と育児常識のずれを感じ、解決していった体験談をお伝えします。 室内では赤ちゃんに靴下は必要?「足が冷たい。靴下は?」。 義父母が息子を抱っこするたびに決まって言う言葉でした。「足は第二の心臓だから、靴下は履かせるべきだ」と言うのです。しかし、健診では「手足で温度調節をするから室内では靴下はいらない」「足の裏から情報を得ることも多い」と、室内では裸足をすすめられていました。 そんな中、靴下を履いた息子がフローリングで転倒。それを機に靴下を履かせることはなくなりました。室内での靴下は、家族で認識の統一をしておくことが大切だと思いました。 発熱したら厚着させるべき?息子が突発性発疹になったときのことです。機嫌がよくて元気なのに、熱だけが38.5度以上の状態でした。そこへ「薄着をさせすぎだ」と義母が注意してきました。息子の手足が熱かったので、普段着ているパジャマを着せていましたが、そのことで言い合いに……。 私の言うことをわかってくれないので、病院でもらった発熱時の説明冊子と育児本を見せました。育児本はママのためだけでなく、家族の理解を得るためにも必要だと感じました。 離乳食のタイミングは生後半年?離乳食を始める目安は生後半年ごろといわれていますが、子どもの食べ物への好奇心やペースに合わせて進めることが大切だと教わりました。ところが、義母は「生後半年をすぎたら母乳に栄養はない。もっと積極的に離乳食を進めるべきだ」と言い切ります。もちろん、そんなことはありません。 息子の場合、離乳食の進みが遅かったので、義母に理解してもらうためにも、離乳食の育児本を購入し、参考にしました。そのおかげで義母を説得することができ、息子のペースに合わせて、母乳を与えながら離乳食を進めていくことができました。 育児に対する常識は時代によって変わっていきます。でも、育児を経験してきた義父母の常識を変えていくことはなかなか難しいことだと思います。育児本を活用するなどして、うまくコミュニケーションをとり、理解し合えるようにしていきたいと思っています。 ※赤ちゃんの熱の上がった際は、寒く感じるので温め、熱が上がりきったら暑く感じるので1枚少なくしましょう。※赤ちゃんが発熱しているとき、体温が上がって汗ばみ、手足が温かくなってきたら、掛け物を薄くするなど、熱が体にこもらないように調節しましょう。 イラストレーター/ライコミ著者:手塚みく三兄弟の母。義父母と同居し、異母兄弟の母として毎日奮闘中。妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆をおこなう。
2022年09月28日■前回のあらすじついに「いきんでOK」の許可がおり、いざいきもうとすると、外に出ている痔に引っ張られ大腸も飛び出てしまうような感覚に襲われる。助産師さんにお尻を押さえてもらい、なんとかいきみ始めるが…。■一気に進むお産お股を「切る」「切れた」という会話を聞いてそわそわしていたら、気づかぬうちに生まれていました!出産ってほとんど助産師さんと共にあると思いました。助産師さんに感謝です!■赤ちゃんと対面!ついに赤子と対面!「かわいい」より、この小さな人間が私のお腹から出てきたことが不思議という気持ちが強かったです。次回、陣痛からは解放されましたが、まだまだ痛いイベントは待っていた…!?次回に続く「“痔”獄の出産レポート」(全7話)は12時更新!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2022年09月28日