第32回林忠彦賞は、78点の応募作品の中から厳正な審査の結果、奥山 淳志(おくやま あつし)さんの「BENZOESQUISSES 1920-2012」(ベンゾウ エスキース)に決定しました。この賞は、戦後の写真界に大きな足跡を残した、周南市出身の写真家・林忠彦の多彩な業績を記念し、周南市が周南市文化振興財団とともに創設したものです。時代ととともに歩む写真を撮り続けた林忠彦の精神を継承し、未来を切り開く写真家の発掘を目指すものです。授賞式は、4月20日(土)に周南市にて行います。また、受賞記念写真展を4月20日(土)から4月29日(月・祝)まで周南市美術博物館で開催します。また、4月21日(日)には、奥山淳志さんのトークショーも行います。授賞式日時:4月20日(土)14:00~16:00会場:遠石会館 千歳の間(周南市遠石2丁目3-1)第一部授賞式第二部大石芳野選考委員長の講演※参加無料※参加ご希望の方は電話でお申し込みください。(周南市美術博物館 0834-22-8880)受賞記念写真展日時:4月20日(土)~29日(月・祝)9:30~17:00※22日休館会場:周南市美術博物館※観覧無料奥山淳志氏トークショー日時:4月21日(日)10:30~会場:周南市美術博物館講座室定員:40名(先着順)話し手:奥山淳志氏聞き手:有田順一(周南市美術博物館館長、林忠彦賞選考委員)※聴講無料※参加ご希望の方は電話でお申し込みください。(周南市美術博物館0834-22-8880)受賞作品「BENZO ESQUISSES 1920-2012」第32回林忠彦賞受賞作品作品について奥山淳志 写真集「BENZO ESQUISSES 1920-2012」発行所 私家版発行日 2023年8月1日発行定価 6,600円(税込)A4変型(300×225mm) 176ページ写真点数127点内容作者の奥山さんは、北海道の大自然の中で自給自足で暮らす井上弁造さんと25歳のときに出会いました。彼の暮らしぶりや生き方に触れ、彼が2012年に92歳で亡くなったのちも現在まで、26年にわたり彼の生きざまを写真で伝え続けています。2018年に『BENZO 弁造』、続いて翌年には『庭とエスキース』にまとめあげ、この『BENZOESQUISSES 1920-2012』は3作目となります。様々な事情により絵描きへの夢は叶わなくても一生絵を描き続けた弁造さん。この写真集は、長年にわたり弁造さんと向き合ってきた作者が、彼の死後、遺されていた膨大なエスキース(習作)を通して、人間が生きるということがどういうことかを真摯に見つめようとした作品です。本作は、一見、画集のようにも見えますが、絵を単に複写しているわけではなく、弁造さんが暮らしていた丸太小屋の周りの植物などを絵に重ね、またそれらを影としても写し込んでいます。弁造さんが遺した絵を通して、彼の心情や思いを読み解いていこうとする斬新な表現が高く評価されました。写真集には詩情豊かでポエジーな雰囲気が漂います。作者の弁造さんへの愛情あふれる温かいまなざしが感じられる作品です。受賞者プロフィール奥山 淳志 さん経歴1972年大阪生まれ、奈良育ち。京都外国語大学卒業1998年岩手県雫石に移住し、写真家として活動を開始2006年フォトドキュメンタリーNIPPON(『Country Songs ここで生きている』)2015年 第40回伊奈信男賞(『あたらしい糸に』)2018年 日本写真協会新人賞(『弁造 Benzo』)2019年 第35回写真の町東川賞特別作家賞(『弁造 Benzo』)2022年 令和3年度岩手県美術選奨(『動物たちの家』)主な活動【写真展】2006年「Country Songs ここで生きている」ガーディアンガーデン(東京)・ギャラリーヒラキン(岩手)2008年「明日をつくる人」新宿ニコンサロン(東京)2010年「Drawing 明日をつくる人 vol.2」トーテムポールフォトギャラリー(東京)2012年「彼の生活 Country Songsより」銀座ニコンサロン(東京)2015年「あたらしい糸に」銀座ニコンサロン(東京)・大阪ニコンサロン(大阪)2018年「庭とエスキース」銀座ニコンサロン(東京)・大阪ニコンサロン(大阪)2019年「さようならのはじまり」KOBE819 GALLERY(神戸)2019-20年「弁造さんのエスキース展」全国巡回2020年「光のゆくさき」上り屋敷ギャラリー(東京)2021-22年「動物たちの家」全国巡回2023-24年「BENZO ESQUISSES 1920-2012」全国巡回【写真集】2018年『弁造 Benzo』(私家版)2019年『庭とエスキース』(みすず書房)2021年『動物たちの家』(みすず書房)2023年『BENZO ESQUISSES 1920-2012』(私家版)受賞コメントこのたびの林忠彦賞の受賞を大変光栄に思っております。今回の写真集は、僕が25歳のときに、北海道の新十津川で出会った井上弁造さんが遺したエスキース(習作)がモチーフとなっています。一見するとそれは女性を描いた絵に過ぎません。実際、僕もずっとそう思っていました。しかし、弁造さんの「生きること」に触れ続けてきた25年間以上の日々は僕に、エスキースの声なき声を聞きとる力を与えてくれたように感じます。絵のなかの女性たちは歌うように話しかけてきます。「井上弁造さん」という、すでにこの世には存在しないひとりの人間の存在の物語を語って聞かせてくるのです。写真を撮り続ける毎日は、表現することへの逡巡を噛み締める日々だったと思います。しかし、その一方、写真を撮る行為を通じてしか得られない大切なものに出会うことができたとも思っています。この賞を授けてくださった審査員の先生方、そして、今も僕のそばにいてくれる井上弁造さんの魂に感謝いたします。第32回 林忠彦賞最終候補作品※五十音順、敬称略安掛 正仁 (あがけ まさひと)「朧眼風土記」 写真集金川 晋吾 (かながわ しんご)「長い間」 写真集菅野純(かんの じゅん)「Planet Fukushima」 写真集・写真展藤本巧(ふじもと たくみ) 「朝鮮通信使誠信の交わり全弐巻」写真集淵上 裕太 (ふちかみ ゆうた)「上野公園」 写真集・写真展松村 和彦 (まつむら かずひこ)「心の糸」写真展三島正(みしま ただし)「Flat」 写真集・写真展水島 貴大 (みずしま たかひろ)「環島回憶錄Memoirs of Huandao」写真展山下 晃伸 (やました あきのぶ)「夜光性静物観察記」写真展梁丞佑(やん すんうー)「荷物」 写真集林忠彦賞について賞についてこの賞は、戦後写真界に大きな足跡を残した写真家・林忠彦の多彩な業績を記念し、周南市と公益財団法人周南市文化振興財団が1991(平成3)年に創設したものです。1996(平成8)年には第46回日本写真協会文化振興賞を受賞しました。趣旨わが国の写真文化の発展において、林忠彦は木村伊兵衛、土門拳、渡辺義雄各氏などの先輩写真家とともに日本写真家協会設立に尽力する一方、昭和28年、二科会に写真部を創設、以後、全国のアマチュア写真家の資質の向上に最後まで全力を傾注しました。こうした氏の遺志を生かしアマチュア写真の振興を目的として本賞を設立しました。デジタル化の急速な進歩により多極化する表現形態に対応するため、第12回から新しい写真表現を目指す作家の参入も推し進めました。さらに第18回より、これまでの経験をもとに、対象をプロ作家にまで広げ、時代とともに歩む写真を撮り続けた林忠彦の精神を継承し、それを乗り越え未来を切り開く写真家の発掘を目指す賞へと拡大しました。応募資格国内居住であれば、アマチュア、プロ、年齢、性別、国籍を問いません。ただし、2023年1月1日~2023年12月31日の写真展、写真集、カメラ雑誌等の表現媒体で、すでに発表された作品に限ります。選考できるだけ広い視野のもとで候補作品を絞るために、写真界各層の関係者約250名より推薦を受けた推薦作品と、公募による自薦作品の中から選考委員5名(大石芳野、笠原美智子、河野和典、小林紀晴、有田順一(周南市美術博物館館長)の各氏)による選考委員会によって決定します。公式サイト周南市美術博物館:林忠彦賞公式サイト : 【この件に関する問い合わせ先】周南市美術博物館林忠彦賞事務局TEL : 0834−22−8880 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年03月29日マンション大規模修繕工事を主軸とする株式会社セラフ榎本(所在地:埼玉県川口市、代表取締役:榎本 修、以下「当社」という)は、2024年3月に川口市立岸川中学校のSDGs学習の一環として、代表取締役の榎本が講演を行いました。中学校にて講演をしている様子〈概要〉今回、川口市経済部経営支援課経営支援係様を介して岸川中学校SDGs学習協力のご依頼をいただき、当社からはドローンを用いたSDGsの取り組みについて講演をしました。講演は当社の基本的な事業内容から始まり、動画や生徒とのやりとりを交えながら活発に進められました。当社社員が実際にドローンを教室で飛行させると、生徒や先生も真剣に、楽しそうに機体に注目する様子が伺えました。最後の質疑応答では、ドローンに関する質問をはじめ、事業のペットリフォームのことや大規模修繕工事のこと、そして社員の給与など中学生らしい素直な質問もありました。学校としても今回のような企業と合同で行う取り組みは初めてとのことでしたが、SDGsに限らず今後も市や教育機関と協力して、事業推進に加えて社会・地域貢献にも一層取り組んでまいります。(ドローン飛行に関しては、学校側からの許可を得た上で、生徒とドローンの距離を充分にとり、ドローンにはプロペラガードを装着するなど最大限安全に配慮して飛行を行っております。)ドローン飛行時の様子〈株式会社セラフ榎本〉昭和38年創業。昨年の7月に創業60周年を迎えました。ビル・マンションの大規模修繕工事を主軸とし、そのほかドローン事業やペットリフォームにも全力を注いでおります。2022年3月にSDGs実現に向けた取り組みを開始しました。TEL : 048-265-1883本社所在地: 〒333-0847 埼玉県川口市芝中田2-34-16社員数 : 90名HP : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年03月28日第31回 林忠彦賞は、新田 樹(にった たつる)さんの「Sakhalin」(サハリン)に決定しました。この賞は、戦後写真界に大きな足跡を残した写真家・林忠彦の多彩な業績を記念し、周南市が周南市文化振興財団とともに創設したもので、時代とともに歩む写真を撮り続けた林忠彦の精神を継承し、それを乗り越え未来を切り開く写真家の発掘を目指すもので、2022年1月1日から2022年12月31日に写真展、写真集、カメラ雑誌等の表現媒体ですでに発表された、全73点の応募作品の中から選ばれた賞です。新田さんにはブロンズ像(笹戸千津子作「爽」)と賞金100万円を贈ります。授賞式は、4月28日(金)に東京にて行う予定です。また、受賞作品展を4月28日(金)から5月4日(木・祝)まで東京・富士フィルムフォトサロン、5月12日(金)から5月21日(日)まで周南市美術博物館で開催します。写真集「Sakhalin」(発行 ミーシャズプレス)第31回 林忠彦賞受賞作品作品名新田樹「Sakhalin」発表形態写真集・写真展写真集タイトル「Sakhalin」発行所ミーシャズプレス発行日2022年5月31日定価3,000円(税込) 500部限定A4変型(265mm×210mm) 164ページ写真点数110点写真展名称「続サハリン」会場ニコンサロン(東京・新宿区西新宿)日時2022年5月31日(火)から2022年6月13日(月)展示点数52点内容等ロシア・サハリン(樺太)、この島の北緯50度から南半分は、日露戦争後の1905年から1945年8月の第二次世界大戦終結までの40年間、日本の統治下にあった。1945年8月のソ連参戦時の緊急疎開と翌年に始まる引き揚げで、そこで暮らしていた日本人の多くはこの地を後にした。一方で多くの朝鮮半島出身者やその配偶者であった日本人らは、ソ連が支配したこの地を離れることはかなわなかった。戦後50年を過ぎた1996年、写真家としての最初の地としてロシアを旅していた作者は、サハリンのユジノサハリンスク(豊原)で日本語を話す女性たちと出会い、サハリンとそこに生きる残留韓国・朝鮮人やその配偶者であった日本人がいることを知った。しかしその時はまだ、これらの人々と向き合う自身が持てなかった。14年後の2010年、作者はこうした人々の現実を残したいと決意を固めた。最後の生き残りともいうべき人たちの家を何度も訪ね、丁寧に取材し、その生活や周りの様子をカメラにおさめていった。そしてその成果を、2015年の写真展「サハリン」で発表、その後も取材を続け、2022年の写真展「続サハリン」と写真集『Sakhalin』にまとめあげた。遠い北方の地で今なお日本語を話す人々。凍てつく寒さの中でつつましく生きる彼女らの人生に寄り添いながら撮影した作品には静かな時間が流れている。歴史に翻弄されながらもたくましく生き抜いてきた一人一人の人生の重みが伝わってくる。本作品は、戦争の歴史に翻弄された人々の姿が写真の行間から浮かび上がるドキュメンタリーの仕事として、高く評価された。李富子さんブイコフ(旧内淵)2017金公珠さんユジノサハリンスク(旧豊原)2011ブイコフ(旧内淵)2011旧王子製紙株式会社知取工場マカロフ(旧知取)2017ウラジクの長女レーナさん(公珠さんのひ孫)ユジノサハリンスク(旧豊原)2014受賞者プロフィール新田樹さん経歴1967年福島県出身東京工芸大学工学部卒業後、麻布スタジオ入社1991年半沢事務所入社半沢克夫氏に師事1996年独立主な活動【写真展】2003年「SURUMA」(コニカプラザ)2007年「樹木の相貌」(コニカミノルタプラザ)2015年「サハリン」(銀座ニコンサロン)2018年「RUSSIA〜CAUCASUS 1996-2006」(Zakura Photo Concept Shop)2022年「続サハリン」(ニコンサロン)【写真集】2022年『Sakhalin』(ミーシャズプレス)受賞コメント今回林忠彦賞を受賞したと連絡をいただき驚いています。私が初めてサハリンを訪れたのは1996年のことでした。戦後から50年を経たこの地で、日本の言葉が日常的に使われていることを知りました。それは単に話ができることとは違う別の何か。あの時感じた何かは、その後幾度も繰り返される問いとなりました。自らに問い、話をきかせていただいた方たちに問うことを、2010年から続けてきました。時間が過ぎるとともに、ひとり、またひとりと、お亡くなりになり、今回の受賞をご報告することはかないませんが、地に足をつけて研鑽を重ねたいと思っております。ありがとうございます。写真家 新田樹公式ホームページ写真家 | 新田樹Sakhalin写真集サハリン : 第31回 林忠彦賞最終候補作品エバレット・ケネディ・ブラウン「Umui」(写真集)王 露(おう ろ)「Frozen are the winds of time」(写真集・写真展)キセキ ミチコ「VOICE 香港2019」(写真集・写真展)高椅 智史「男鹿ー受け継がれしものたちー」(写真展)高椅 万里子「スーベニア」(写真集・写真展)鶴巻 育子「芝生のイルカ」(写真集・写真展)新田 樹「Sakhalin」(写真集・写真展)水島 大介「おじいちゃんの写真集」(写真集・写真展)※五十音順、敬称略林忠彦賞について賞についてこの賞は、戦後写真界に大きな足跡を残した写真家・林忠彦の多彩な業績を記念し、周南市と公益財団法人周南市文化振興財団が1991(平成3)年に創設したものです。1996(平成8)年には第46回日本写真協会文化振興賞を受賞しました。趣旨わが国の写真文化の発展において、林忠彦は木村伊兵衛、土門拳、渡辺義雄各氏などの先輩写真家とともに日本写真家協会設立に尽力する一方、昭和28年、二科会に写真部を創設、以後、全国のアマチュア写真家の資質の向上に最後まで全力を傾注しました。こうした氏の遺志を生かしアマチュア写真の振興を目的として本賞を設立しました。デジタル化の急速な進歩により多極化する表現形態に対応するため、第12回から新しい写真表現を目指す作家の参入も推し進めました。さらに第18回より、これまでの経験をもとに、対象をプロ作家にまで広げ、時代とともに歩む写真を撮り続けた林忠彦の精神を継承し、それを乗り越え未来を切り開く写真家の発掘を目指す賞へと拡大しました。選考できるだけ広い視野のもとで候補作品を絞るために、写真界各層の関係者約250名より推薦を受けた推薦作品と、公募による自薦作品の中から選考委員5名(大石芳野、笠原美智子、河野和典、小林紀晴、有田順一(周南市美術博物館館長)の各氏)による選考委員会によって決定します。公式サイト周南市美術博物館:林忠彦賞公式サイト : 【この件に関する問い合わせ先】周南市美術博物館林忠彦賞事務局TEL : 0834−22−8880 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年03月07日周南市立徳山駅前図書館蔦屋書店 周南市立徳山駅前図書館にて関連フェア開催記念すべき30回目となる林忠彦賞は、117点の応募作品の中から、初沢亜利さんの「東京 二〇二〇、二〇二一。」(徳間書店)に決定しました。その受賞作品展を6月10日から周南市美術博物館で開催します。また、受賞記念写真展の開催に合わせ、周南市立徳山駅前図書館、蔦屋書店 周南市立徳山駅前図書館にて関連フェアや初沢亜利さんのトークショーを開催します。第30回林忠彦賞受賞記念写真展チラシ第30回林忠彦賞受賞記念写真展開催概要初沢亜利「東京 二〇二〇、二〇二一。」[会期] 2022年6月10日(金)~ 6月19日(日)※月曜休館[開館時間] 9:30~17:00(入館は16:30まで)[開催会場] 周南市美術博物館[会場住所] 山口県周南市花畠町10-16[入場料] 無料[お問い合わせ] TEL 0834-22-8880(周南市美術博物館)[主催] 周南市文化振興財団[共催] KRY山口放送[後援] 読売新聞社[協力] 富士フイルム株式会社[URL] 地図 : 関連フェア・トークショー開催概要周南市立徳山駅前図書館では、受賞作「東京 二〇二〇、二〇二一。」の写真集を中心に、今回の作品から抜粋した写真のパネルと、今回の最終候補作品と過去受賞作品の所蔵写真集を展示します。また、蔦屋書店 周南市立徳山駅前図書館では、受賞作を中心に、初沢亜利さんの過去作品や最終候補作品を通じて、あらためて写真集にふれていただくフェアを開催します。6月11日(土)には、初沢亜利さんのトークショーも予定してます。周南市立徳山駅前図書館フェア[会期] 2022年6月3日(金)~ 6月19日(日)[開館時間] 9:30~22:00[開催会場] 周南市立徳山駅前図書館 1階アートウォール蔦屋書店 周南市立徳山駅前図書館フェア[会期] 2022年6月3日(金)~ 6月19日(日)[開館時間] 8:00~22:00[開催会場] 蔦屋書店 周南市立徳山駅前図書館 1階フェア台[会場住所] 山口県周南市御幸通2丁目28番2(JR徳山駅前)[お問い合わせ] TEL 0834-34-0834(周南市立徳山駅前図書館)[URL] 初沢亜利さんトークショー「東京 二〇二〇、二〇二一。」[内容] 初沢亜利さんによる作品解説有田順一(周南市美術博物館館長 林忠彦賞選考委員)[開催日時] 2022年6月11日(土) 10:30〜11:30[開催会場] 周南市立徳山駅前図書館 3階交流室2[会場住所] 山口県周南市御幸通2丁目28番2[定員] 50名(先着順)[参加費] 無料[お申し込み・お問い合わせ] 0834-22-8880(周南市美術博物館)※受付時間 9:30~17:00(月曜日を除く)地図 : 林忠彦賞について林忠彦賞は、山口県周南市出身の写真家 林忠彦の功績を顕彰し、写真文化の振興を目的に1991年(平成3年)故郷である周南市と周南市文化振興財団が創設したものです。時代と共に歩む写真を撮り続けた林忠彦の精神を継承し、アマチュア、プロ、年齢、性別、国籍を問わず、未来を切り開く写真家の発掘を目指す写真賞。[第30回林忠彦賞最終候補作品]石川 竜一「いのちのうちがわ」岩波 友紀「One last hug 命を捜す」宇井 眞紀子「伝え守る アイヌ三世代の物語」兼子 裕代「APPEARANCE」キセキ ミチコ「A complicated city」蔵 真墨「香港 ひざし まなざし」古賀 絵里子「BELL」田川 基成「見果てぬ海」初沢 亜利「東京 二〇二〇、二〇二一。」本山 周平「日本 2010-2020」山元 彩香「We are Made of Grass, Soil, Trees, and Flowers」Ryu Ika「The Second Seeing」(敬称略・五十音順)[選考委員]大石 芳野<選考委員長> 写真家笠原 美智子(公財)石橋財団アーティゾン美術館副館長河野 和典編集者、(公社)日本写真協会出版広報委員小林 紀晴写真家有田 順一周南市美術博物館館長第30回林忠彦賞初沢亜利「東京 二〇二〇、二〇二一。」(写真集)「東京 二〇二〇、二〇二一。」は、新型コロナウイルス感染症に見舞われた2年間の東京を捉えた写真集である。目に見えないウイルスを写真家はどう捉えるか。作者は都下のあらゆる場所へ赴きシャッターを切った。人通りの途絶えた街並みや広場、中止になったイベント、そして東京オリンピック。一見淡々と撮影された1コマ1コマは、連続して見ることによってパンデミック下の巨大都市を俯瞰的に描き出している。そして同時に、その根底に潜む人々の感情や社会不安といったものも伝えている。この作品は、今後新型コロナが終息し、その記憶も薄れた頃、当時の東京、日本の姿を赤裸々に伝える、まさに時代を映す写真となるだろう。初沢亜利「東京 二〇二〇、二〇二一。」(徳間書店)2020.5.19 北青山3丁目2020.3.29 上野恩賜公園2021.4.18 高円寺駅前2021.8.24 千駄ヶ谷2021.7.23 国立競技場受賞者プロフィール初沢亜利 (はつざわ・あり)1973年、フランス・パリ生まれ。上智大学文学部社会学科卒。第13期写真ワークショップ・コルプス修了後、イイノ広尾スタジオを経て写真家としての活動を開始する。東川賞新人作家賞、日本写真協会新人賞、さがみはら写真新人奨励賞受賞。写真集に『Baghdad2003』(碧天舎)、『隣人。38度線の北』『隣人、それから。38度線の北』(共に徳間書店)、『True Feelings 爪痕の真情』(三栄書房)、『沖縄のことを教えてください』(赤々舎)、『東京、コロナ禍。』(柏書房)。Twitter Facebook 初沢亜利さん周南市の情報はこちらから市ホームページ 市シティプロモーションスペシャルサイト「ここから、こころつながる。周南市」 市公式Twitter 市公式Instagram 市公式Facebook 市公式note お問い合わせ先山口県周南市役所シティプロモーション課電話番号:0834-22-8238E-mail: citypro@city.shunan.lg.jp 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年06月03日佐古忠彦監督最新作となる映画『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』(3月20日公開)が18日、東京・渋谷のユーロライブにて同日開幕した「TBSドキュメンタリー映画祭」にて先行上映され、佐古監督が舞台挨拶に登壇した。本作は、『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』2部作で戦後沖縄史に切り込んだ佐古監督が、新たに発見された資料を交え、知られざる沖縄戦中史に挑んだ野心作。沖縄戦を生き延びた住民、軍や県の関係者、その遺族らへの取材を通じ、戦中最後の沖縄県知事となった島田叡(しまだ・あきら)氏の生涯と、語り継ぐべき沖縄戦の全貌に迫った長編ドキュメンタリー映画だ。沖縄で先行公開されており、佐古監督は「開館前から列を作っていただいていて。『いい映画だったよ』という言葉を残してくれる方が本当に多かった」と沖縄での反響を明かし、「沖縄戦は、今の状況につながる一つの原点。沖縄のみなさんにとっては、あの時代に何があったのか、改めて原点を見ることにつながったというところもあり、本当に作ってよかったと思うことができる沖縄の公開でした」としみじみと語った。また、3月に公開することについて、「沖縄戦は3月に始まっている。この季節の中で、あの出来事が起きたという季節感を感じながら作品を見ていただくことも意義があるのかなと」と述べ、「どういった中で人々が命に向き合っていたのか感じながら映画を見ていただけたらうれしい」とメッセージ。さらに、「命に向き合うことは、時代関係なく、一番の尊厳の部分。この映画には、昔話だけではなく、今日的なテーマがたくさん含まれている。リーダー論、官僚の在り方、そして、全体主義の中で個がどんな行動をとれるのか。時代を超えて今に投げかけてくるメッセージがある」と語った。本作では、佐々木蔵之介が島田叡氏の語りを担当。佐古監督は「蔵之介さんのお力をお借りし、その場面場面での島田さんの気持ちを考えに考え抜いて、素晴らしい表現をしていただいた。沖縄でも『佐々木蔵之介さんの語りが島田さんのイメージにぴったりだ』という声をたくさんいただいて、本当に蔵之介さんにお願いしてよかった」と感謝し、「実は蔵之介さん、直前に沖縄に行かれて、いろんな空気を感じとって収録に臨まれた。いろんなものをこの作品に乗せていただいた」と明かした。「TBSドキュメンタリー映画祭」は3月18日~21日に東京・渋谷のユードライブにて開催。テレビ放映版から新たに編集をした作品に加え、劇場公開作を含む全22作品を上映し、監督やゲストによるトークイベントも実施する。なお、この日の舞台挨拶ではTBSの出水麻衣アナウンサーが進行を務めた。
2021年03月18日《医師は長くて1年、突然急に悪くなることもあると言うからそれに期待するしかない確実に苦しくなってる早く早く、、して》ブログやSNSを通じて悲痛な叫びをあげ続けていた、難病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)の女性患者(当時51)が、医師によって殺害された。7月23日に嘱託殺人容疑で逮捕されたのは、呼吸器内科医の大久保愉一容疑者(42)と、泌尿器科医の山本直樹容疑者(43)。2人は死を望んでいた被害女性とコンタクトを取り、昨年11月30日に訪問。薬物を投与して女性を殺害したのだ。両容疑者は8月13日に起訴された。今後は法廷で、犯行の詳細と彼らの死生観が検証されることになるが、これまで明らかになっている両容疑者の発言やネット上の書き込みなどによると、自らの行為を正しいものと思っていた可能性が高い。「しかし、どんなに正当化をしようと、今回の事件は医療とは言い難い行為です。金銭のやりとりがあり、主治医でないばかりか、SNS等でのやりとりのみで、患者やその家族との十分なコミュニケーションが取れていたとは思えません」そう語るのは、かつて終末期医療で殺人罪が確定し、2年間の医業停止処分を科された大倉山診療所の院長で、呼吸器内科医の須田セツ子さん(65)だ。「ご本人に精神的な苦痛があったことは理解できます。ALSは体を動かすさまざまな筋肉が徐々に衰え、やがては寝たきりになり、食べること、呼吸することすらできなくなる神経難病です。脳梗塞や脊椎損傷とは違い、動かない場所の感覚がクリアなことが特徴です。患者だけでなく、家族や周囲の負担も大きいため、生きることに絶望する患者さんも少なくありません。しかし、今回のケースでは、肉体的には生きる力があった。にもかかわらず、薬物で殺害する行為は、自殺を望む人に手を貸して死に至らしめたということです」延命治療を施さずに緩やかに死を迎える「尊厳死」は日本でも受け入れられつつあるが、今回は薬剤投与という積極的な方法による死である「安楽死」とみられ、日本の法律では容認されない行為だ。須田さんは「私が偉そうに意見できる立場ではありませんが……」と前置きしながらも、殺人罪に問われ、終末期医療のあり方に一石を投じた「川崎協同病院事件」を振り返りつつ、その胸中を語ってくれた。須田さんは、大学卒業後、研修医時代も過ごした川崎協同病院の呼吸器科で勤務していた。公害による気管支ぜんそく患者の多い病院で、Aさんもその一人だった。「外来診療で主治医を務めていました。そのAさんが’99年11月2日に重い発作を起こし、意識不明の状態で搬送されたのです」懸命の救命処置を行ったが、Aさんは15分にわたる心肺停止状態で、脳に重大なダメージを受けている可能性が強く、容体が安定しても植物状態か、重大な障害が残ることが予想された。「意識不明とはいえ、痰がつまれば苦しそうな咳を出すし、頬にすっと涙が伝います。これ以上の延命をするのか、ご家族とも話し合う必要を感じました。Aさんの妻も『子ども夫婦は孫の育児に追われ、看護することが難しい。施設に入れるにも、経済的余裕はない』と、不安を抱えていました」搬送から2週間後の16日、妻が「抜管してほしい」と訴えてきた。自発呼吸ができていたため、人工呼吸器は外されていたが、気管にはチューブが差し込まれた状態。抜管すると気道をふさいだり、痰が吸引できず、近い将来、Aさんの死が訪れる可能性が高い。カルテにも、須田さんは《家族の抜管希望強し。大変辛いが夕方、家族が集まってから抜管することとする》と書き込んでいる。「そのときは、抜管で急変するとは考えておらず、ゆるやかに死に向かうと思っていました」ところが抜管後、Aさんは苦しそうに体を反らせ始めた。「病室にはご家族が10人くらい集まり、小さなお孫さんもいたので、苦しみを取るように鎮静剤を投与したんです。その後も、ゴーゴーという苦しげな呼吸が続いたので、同僚医師に相談して筋弛緩剤を少量ずつ点滴で投与。Aさんの呼吸が次第に弱まり、死亡を確認しました」その3年後、一連の行為をした須田さんが殺人容疑で逮捕された。「患者さんが苦しむことが予想できなかったことは申し訳ないですが、私の行ったのは医療であるという信念があります」11年もの歳月をかけ、最高裁まで争ったが、殺人罪が確定。しかし量刑は懲役1年6カ月、執行猶予3年と非常に軽かった。判決文にも《この問題は、国を挙げて議論・検討すべきものであって、司法だけで抜本的な解決が図れるような問題ではないのである》とあるように、最高裁にとっても苦渋の決断だったことがうかがえる。だが、この判決後に、尊厳死や安楽死が日本でしっかりと議論されてきたとは言い難い。「たとえば、延命効果のある胃ろうや人工透析、人工呼吸器などの取り外しに関しても、そろそろ本音で議論すべきです。現状、一度つないだ延命装置を外すのは、殺人に問われる恐れもあり、医療現場ではちゅうちょされる行為。その結果、積極的な医療に踏み出せない。ALS患者は、7割が人工呼吸器を拒否、つまりその後の死を選択しているのです」今回の事件で被害女性は、栄養剤を注入する胃ろうに関して、後悔の念をブログやSNSでつづっている。《胃ろう、、、つくらなきゃ良かった、、造らないという選択を選べるなら、使わないという選択はできないのか、、、??》こうした声は無視できない。「患者の容体急変で、考える時間がなく、『ともかく救ってください』と延命治療を始めるようなケースもあります。しかしその後“こんなはずではなかった”と後悔したとき、病状や年齢、経済状況などを含めた患者や家族の思いに医師が寄り添い、尊厳ある死を迎える方法を選択できる道筋が必要なのではないでしょうか」須田さん自身、ALS患者の医療について葛藤した過去がある。「私自身も呼吸困難で意識が混濁したALSの患者さんに人工呼吸器を入れて、本当にこれでよかったのか自問したことがあります。そのときは患者さんの容体が安定してから、ご本人に生きたいという意識があったことを知ってホッとした覚えがあります」しかし、仮にその患者が治療を望んでいなかった場合、後からそのことが判明しても、人工呼吸器の管を抜くことは罪に問われる可能性が高い。当事者や患者家族はどう感じているのだろうか。被害女性の父親は、京都新聞(7月28日配信)の取材に対し《犯人にくそったれ、と思う。悔しい。許せない。なんでこんな卑劣なやり方するんや》と感想を述べつつ《精いっぱい生きた。娘本人が納得して選んだこと》と複雑な心境を述べている。日本ALS協会は《当協会はこれまで「尊厳死」の法制化に賛成できない旨の声明を出したことがあります。また今回の事件で報じられている薬物による死を早める「安楽死」に関して、個人としての意見はあっても協会組織として認めておりません》と、ALS患者でもある嶋守恵之会長名義で声明を発表している。ALS患者の妻を持つ、同協会常務理事の岸川忠彦さんが、こう付け加える。「妻はゆっくりと進行するタイプで、発症から13年たっています。かつては『死にたい』と漏らすこともありましたが、その気持ちは時間の経過とともに変化しました。今後は、心のケアにもより力を入れなくてはなりません。また、人工呼吸器などは、装着した時点で臓器の一部になっていると、私自身は考えているので、それを取り外すことには疑問を感じます」医療の進歩により“死なない社会”が加速するなか、どのように尊厳ある、自分らしい死に方を迎えればいいのだろうか。被害女性の問いかけに、われわれは答えを出さなくてはならない。「女性自身」2020年9月1日 掲載
2020年08月21日