かわいい我が子を育てるのは、嬉しさや楽しさも多いものの、それだけとは限りません。夜泣きや食事の準備、寝かしつけなど、数多くの大変なことも待ち構えているのです。そのため、子供が何人いるかや、年齢差などの違いが、苦労を軽減するといったことはありえません。しかし、元バレーボール選手で、双子の娘さんがいる大山加奈さんは、理解に欠ける言葉をいわれたといいます。大山さんよりも年上で、子育てをした経験のある女性が、「双子はいっぺんに終わるから、年子より楽」といってきたのです。今日もまた「双子はいっぺんに終わるから年子より楽」おばさんに遭遇。まぁまぁな確率で遭遇するのだけど…年子と双子の両方を育てたことある人に言われるなら納得できますけどね。そうでないのならわざわざ比較しないでいただきたい。どちらも間違いなく大変。— 大山加奈 (@kanakanabun) March 1, 2023 年子と双子を育てたことがある人からいわれたなら、納得できるという大山さん。しかし、「そうでないならわざわざ比較しないでもらいたい。間違いなくどちらも大変」と、女性の意見に懐疑的な見方をしました。上述したように、子育ては大変なことが多いもの。双子を育てている当事者である大山さんは、心身ともに疲れる時もあるでしょう。大山さんに対する、理解に欠けた女性の言葉に、反響が上がりました。・根拠もなくいわれるの、結構イラっとしますよね。自分も似たようなことがありました。・子育ての大変さって、簡単に比較できることではないと思うんだけど…。どうして比べようとするのかな。・自分の周りでも似たような出来事を聞きますが、言葉の意図も意味も、よく分からない。子供を育てる苦労がどれほどなのかは、実際にやってみないと分からないはず。当事者の気持ちに想像力を働かせず、無責任な言葉をかけるのは、相手を傷付けることになりかねません。子供がいる親すべてに、優しい言葉をかけたり、協力したりすることが、大切なのではないでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2023年03月02日《バスに乗れなくて泣く日が来るなんて…》11月7日、自身のブログにこう綴ったのは元バレーボール選手の大山加奈(38)だ。双子を育てている大山。子供たちの靴を買うために《一度チャレンジして撃沈した》という“双子用ベビーカーでのバス利用”に再挑戦するも、バスが来て、後ろのドアから乗り込もうとしたもののドアを開けてもらえず。そして次に来たバスでも待っていた困難をこう明かしている。《次のバスはドアは開けてくれましたが歩道の段差とバスのステップまで大きな溝が…歩道から直接バスに乗り込むというのも無理な距離だし一度車道に降りる幅もないというどうにもならない状況…困っていても運転手さんはスルー》《乗客のご高齢の女性が手伝ってくださろうと動いてくれましたがこんな重いベビーカー持たせられません…》なんとか乗り込んだものの、降車する際にも苦戦したという大山。前述の高齢女性は助けてくれたものの《運転手さんは再びスルー》。そして大山は《迷惑な存在だと思われたことがやはりとても悲しくて…あのバスが走り去る光景思い出すとまた涙が出て来ます…》といい、こう綴った。《前回は東急バス 今回は都バスでした。どちらの会社も運転手さんは席を離れてはいけないというルールがあるのでしょうか?あるのであれば仕方のないことですがもう少し手を差し伸べてもらえたらありがたいなと》《でもきっとこれを書くとまた子連れ様とか双子ベビーカーで公共交通機関使うなとか言われるんだろうな。公共交通機関って誰でもいつでも利用できるものではないんですかね。本当にもっと優しい世の中にならないかな》大山の訴えは大きな反響を呼ぶことに。8日に「弁護士ドットコムニュース」が配信した記事では、取材に対して都営バスを運営する東京都交通局は、大山の件について「現在、乗務員の聞き取り等も含めて事実関係を確認中」とコメント。いっぽうで「中扉の前でお待ちになっていた場合、運転手席から見えずに通り過ぎてしまった可能性もある」といい、系統が複数ある場合は乗車意思がはっきり分からないこともあり、今回は乗務員の確認が足りなかったと説明。また同記事では、東急バスも取材に応じ、「乗車拒否だとすれば論外だが、実際はケースバイケースのことが多く、対処の仕方を定期的に研修している」と説明していた。■大山の告白が波紋「バスは難易度高い」「さすがにかわいそう」多胎育児の苦しみを訴えた大山。しかし、ネット上では「あえて双子用ベビーカーでバスに乗る必要はないのでは?」というように、大山の対応に疑問を呈する反応が。《私も双子の母だけど、双子用ベビーカー自体が公共交通機関で活躍することを考えて作られてないから、超重いし超デカい。なぜ巨大双子用ベビーカーで危険を冒しながら乗り込むことにこだわるのか理解できないよ。一人おんぶ&一人用ベビーカーで乗れば即解決なのに》《ベビーカーを開いたまま乗せるのは不向きな乗り物だと思うし、双子ベビーカーなら尚更だと思う。双子で乗るなら抱っこ紐+一人用のベビーカーにしないとなかなか難しいんじゃないかな。自分はバスを乗る時はベビーカー畳んで抱っこ紐だった。畳むと大変だし、開いたまま乗りたい気持ちはものすごくよく分かるけれども、バスはなかなか難易度高いよ》《私も双子の母だけど全然共感できない。双子用ベビーカーでバスに乗車って無謀すぎる。抱っこ紐とベビーカー(1人用)にするとか、タクシー使うとか、臨機応変にやらないと》いっぽうで昨年5月、双子用ベビーカーに子供を乗せたまま乗車することが都営バスの全線で可能となった。そして今年6月からは私営含む都内のバス全路線で、双子用ベビーカーを折りたたまずに乗車することが解禁されている。そのためSNSでは大山の訴えに、こんな声も上がっている。《都営バスのホームページで二人乗りベビーカーも大丈夫って書いてるのにヤフーコメントでまあまあ叩かれる大山さんさすがにかわいそう》《双子ベビーカーはデカすぎで乗ろうとするのが間違いでしょ的な意見いっぱいだけど、そう言ってる方々は車椅子の方も邪魔だからバス使うな派なんかな?》《双子だけでなく、ベビーカーや抱っこ紐で子連れのお母さんが、当たり前に乗車できて、周りの人たちが当たり前に助けられる環境になってほしい》大山は8日、Instagramのストーリーズで《手伝ってもらう前提で行動するなという声が多数きていて…それ以外にも心ないコメントに心がやられそうでSNS開くのも勇気がいる状況》と投稿。続けて、《来週、ふたご飛行機デビューの予定だったけど自信なくなっちゃったな…みんな迷惑だと思ってるんじゃないかって外出するのさえ怖くなる…》とも綴っている。“外出の安心感”は、このまま遠ざかってしまうのだろうか。
2022年11月09日■前回のあらすじ悩んだ末、仕事のチャンスを諦めることにした加奈。そこに美加から緊急の呼び出しが! 行ってみると他のママたちも揃っていて…。 >>1話目を見る 駿介の本音を知り、私が仕事を続けられるよう会則に特例を設けようとしてくれるママ友たち…しかし私は申し訳ない気持ちになり、その計らいを断ることにしました。そんなとき、美加さんから想像だにしない提案が…!いままでずっと仲良くしてきた美加さんからの突然の勧めに、私は突き放されたように感じてしまいショックを受けました。この時は素直に受け止められなかったのですが、これには美加さんのある想いがあったのです…。次回に続く(全11話)毎日15時更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・ なせもえみ イラスト・ ユキミ
2021年11月03日Upload By 発達ナビ編集部自閉症者の独特な世界観を表現した作品編集部(以下、――) 映画の原作となったエッセイ『自閉症の僕が跳びはねる理由』は、自閉症者の内面の感情や思考を分かりやすい言葉で伝えたことで注目され、34か国以上で出版され、117万部を超える世界的ベストセラーになりました。書著を書こうと思われたきっかけを教えてください。話せなかった僕が気持ちを伝えられるようになってから、母は僕の行動について「なぜ、そんなことをするの?」と、ことあるごとに聞くようになり、僕の説明を聞いては驚いていました。僕の行動の理由が分かるようになり、僕に接する母の態度に余裕が出てきたと思います。僕は母に尋ねられなければ、自分の行動を言葉にすることはなかったのではないでしょうか。なぜなら、それが僕にとっての日常だったからです。僕の世界が母の世界と違うと知ってから、僕が見たり感じたりしている世界を母に伝え、母からは“普通”と呼ばれている人たちが見たり感じたりしている世界について教えてもらうようになりました。当時の母は僕の行動の理由を知り、親子関係がよりよくなったと感じていたようです。自閉症者である僕の気持ちを知ってもらうことで、自閉症者に関わる人たちの気持ちが少しでも楽になればと思い、この本を出版しました。――映画は「自閉症と呼ばれる彼らの世界が“普通”と言われる人たちと、どのように異なって映っているのか?」を世界各地の5人の自閉症の少年少女たちの姿やその家族たちの証言を通して追い、明らかにしていく内容でした。著書がこのような形で映画化されたことについて、どのように思っているか教えてください。すばらしい映画にしてくださり、制作者のみなさまに感謝しています。僕は、自閉症者の生きづらさや独特な世界観について文章で表現しましたが、ジェリー・ロスウェル監督は映像で表現してくださいました。多くの方にこの映画をご覧いただき、自閉症とは何かということについて考えていただければうれしいです。――本作では、自閉症のある人が世界をどのように感じているのか、視覚や聴覚で伝えている描写がありました。東田さんが完成した映画の映像を見て、感じたことを教えてください。とても芸術的な映像だと思いました。自閉症者が見ている風景のように描かれている場面がありましたが、僕が日常のすべてにおいてこのような風景を目にしているわけではありません。僕は著書の中で世界の見え方について「最初に部分が目にとびこんできます。その後、徐々に全体が分かるのです。」と書いていますが、僕の視界にそう映っているというよりは、意識の向け方がそういう感じだということです。意識というのは本人にしか分からないものだと思っていました。意識下で起きていることを映像で表現し、それを見ている人に自分の視界で起きているかのような錯覚を起こさせる映画の技術に感動しました。Upload By 発達ナビ編集部「繰り返し行動」「動きを制御できない不安」、言葉にするなら――「不安に感じるとき、繰り返し行動を行うと安心する。不確かさから自分を守ってくれる」という言葉がありました。映画のなかでも、ある女の子がキラキラしたひもをいつも持っていて、集中している時は平穏、目を離すとさまざまな刺激が飛び込んでくる描写があります。東田さんも、繰り返し行動をしていないとさまざまな刺激が飛び込んでくるのでしょうか。また、どのようなことをすると気持ちが落ち着きますか?繰り返し行動をしていないとさまざまな刺激が飛び込んでくるのではなく、さまざまな刺激が飛び込んでくるために繰り返し行動をしてしまうのです。どちらが先でも同じではないかと思われるかもしれませんが、繰り返し行動は、したくてしているのではないという意味では、自分を守るために繰り返し行動をしてしまうという表現の方が、自閉症の人の心境をよく表しているのではないでしょうか。僕も刺激には弱いです。気になる音や風景が目に入ると、自分を落ち着かせるために、いつも見ている絵本や昔の写真を見たり、手で耳をふさいだりしていました。今は、周りの刺激にもだいぶ慣れました。――発達ナビを読んでいる人たちのなかには、お子さんが突然家を飛び出してしまったりすることにどうしたらいいか悩んでいる人もいます。東田さんもよく家を出て外にいらっしゃったと言います。外に飛び出すことで得たかったものはなんですか?外に出ることで自分が何かを得たかったわけではなく、脳が僕にそう指令を出すのです。外に出てしまったら、あとは歩き続けるだけです。赤い靴を履いた女の子のように、僕はただ目的地に向かって足を動かします。目的地といってもどこを目指しているのか、自分でもよく分からないのです。自分がどうなるのかなんて考えませんでした。自分の行動を自分でうまくコントロールできないというのは、なぜこんなことをしているのか、自分でも説明できない状況なのだと思います。僕の場合は、警察に保護されたり、車にひかれそうになったりしたことで、勝手に外に出て行かなくなりました。――東田さんは、記憶は線でつながっておらず点としてばらばらに存在し、突然思い出されるといいます。そのような時間の感覚を持っていることで大変だと思う点、逆に良いと思っている点等があれば教えてください。大変だと思っているのは「前にやったでしょ」「もう忘れたの?」などと注意されることです。普通の人たちは、これくらい覚えているのは当たり前という前提のもと、僕たちが記憶していないことに対して、叱ったり怒ったりします。けれど記憶というのは本来、意思の力だけでどうにかできるものではなく、脳の機能も関係しているものではないのでしょうか。僕がこんな文章を書けることを不思議に思われる方もいますが、僕が言う「点のような記憶」というのは、記憶が線のようにつながらないだけで、場面ごとの記憶はあるということです。場面としての記憶があれば、言葉や知識そのものは増えていきます。僕の記憶で良かったと思っているのは、過去から現在、どの地点においても、自分という人間の存在感が変わらないことではないでしょうか。小さい頃の自分も今の自分もそれほど変わらないのです。過去に思いをはせ遠い昔を振り返るというよりは、自分がたくさんいるようなイメージです。自分という人間がこの世に無数にいるような感覚は、時間を超越しているとも言えるでしょう。フラッシュバックに怯えることもありますが、もしかしたらこれは、四次元を体感している状態なのかもしれません。――自分の体や行動を制御できない不安はありますか?そのような不安から守るためにしていることがあれば教えてください。僕は、体の機能に問題がないにもかかわらずみんなのように動けない自分のことを、「壊れたロボットのようだ」と表現してきました。大人になった今も、あまり違いはありません。指示に従うことも、集団行動も上手くできないのです。じっとしていることさえ苦痛です。そんな自分を不安に思う気持ちはずっと続いています。特別な対策はしていませんが、失敗してもそれほど落ち込まなくなりました。なんとかなると、自分で自分を励ませるようになったからだと思います。――「人間にどれだけ否定されても、自然は僕を抱きしめてくれる」という表現がありました。東田さんはどのように自然とふれあい、感じてきたのでしょうか。光を浴びれば僕の体は分解し、分子となって周りに飛び散るような感覚になります。風が吹けば風よりも速く走りたくなり、水中に潜れば自分に手足がついているのを忘れてしまいます。僕は自分が人であることが、いまだに信じられません。人の中にいる自分より、自然の中にいる自分の方が安心できるからです。嫌なことがあったら空を眺めます。流れる雲やまたたく星を見ているだけで、気持ちが癒されるのです。自閉症者として、人として、自分に向き合うUpload By 発達ナビ編集部――思ったことを会話で伝えられないことで、人とのコミュニケーションに苦労されてきたと思います。そんななか、人との関わりで癒されたり救われたりした経験はありますか?僕が心から信頼しているのは家族です。僕がここまで元気に生きてこられたのも、家族の支えがあったから。自分が信じた道を歩くことの大切さを身をもって教えてくれた母には、感謝しています。父からは、世の中にはさまざまな価値観が存在するということを教わりました。学校の先生も、僕に優しかったです。僕が友達に笑われることはあっても、いじめられることはありませんでした。先生は僕をいつも気にかけてくれていました。僕が人を嫌いにならなかったのはこのような経験も影響していると思います。僕はコミュニケーションでずっと苦労していますが、人との関わりを拒絶しているわけではありません。むしろ、人にとても興味を抱いています。――人の、どのようなところに興味があるのですか?人はいつも正反対の性質を持って生きています。「善と悪」「やさしさと厳しさ」「期待する気持ちと失望する気持ち」…どんな人もさまざまな一面を持っています。誰でも自分の気持ちに正直に生きたいと願う気持ちと、人として正しくありたいという気持ちの間で揺れ動いているし、それは僕も同じです。だから、そんな思いは自分だけではないと知ることで、僕は未来に希望を感じるのです。僕の悩みも自閉症だからではなく、人として生まれたからだと思えるからです。――映画に出てきたある自閉症の方は、文字盤で意思を伝えられるようになる前の学校教育について、苦い思いを語っていました。東田さんは、受けてきた教育についてどのように感じていますか?僕は小学校時代、5年生まで地域の学校(通常学級)で学びました。ただし、授業中も母がずっと付き添ってくれていました。小学校6年生から中学3年生までは特別支援学校に通い、高校は障害のある生徒も受け入れてくれる通信制の学校に在籍しました。普通の学校も特別支援学校も、一長一短があったと思います。子どもには教育を受ける権利があります。どんな人生を歩みたいのか、学校の選択も含め本人が決められれば理想だと思っています。――東田さんは、どのようにご自身の学校を選択してきたのでしょうか。学校は、基本的に自分で選択してきました。小学校では、とにかくみんなと一緒に勉強したかったです。けれどもだんだん周りが見えるようになり、他の人との違いに気づき始めたのです。自分はいったい何者なんだろうと、思春期の入り口で深く考えるようになりました。みんなとの違いは努力だけではうめられないことも知りました。当時は、みんなのことがまぶしかったです。そこで小学6年生から特別支援学校に転校することを決めました。小学校の卒業まであと1年、せっかくだから頑張ったら?と言われたこともありましたが、将来のためにも、自分で自閉症という障害を受け止めるべきだと思いました。特別支援学校では、自閉症である自分と向き合うことができたと思います。世界中の自閉症者が、自分らしく生きられるように――発達ナビの読者は、主に保護者や支援者です。自閉症など、特性がある人の保護者、支援者に対して伝えたいことがあれば教えてください。当事者にとっては、自分のことを心配し、気にかけてくださる方々の存在が生きる希望につながっています。人が生きるうえで最も大切なものは、希望ではないでしょうか。どうすればできるようになるのかを考えることは大切ですが、そのためにも次も頑張ろうと思えるよう応援をしてあげてください。――映画に出てくる自閉症の人たちを見て、何を感じましたか?僕が気になったのは、やはり自閉症であるために差別されている人たちがいるということです。人は生れながらに平等で誰もが幸せに生きる権利を持っているはずです。そして、幸せかどうかを決めるのは、周りの人ではなく本人だと思います。世界中の自閉症者が自分らしく生きられることを祈っています。そして、これからもどうして差別が起きてしまうのか考えていきたいです。――自閉症のある人とまわりの人たちには、どの様な対話が必要だと思っていますか。また、どの様な人に対話へ加わってほしいですか。特別な対話はいらないと思います。ただ普通の人たちとは少し違う人たちも、社会の中にいることを知ってほしいのです。「どの様な人に対話に加わってほしいですか」というご質問には、「どなたでも」と僕は答えます。――今日はありがとうございました!インタビューを終え、東田さんの繊細かつ独特な感受性と、人に対する温かいまなざしの伝わってくる言葉の数々が印象に残っています。著書では自閉症者の見ている世界観が言葉で的確に表現されていますが、映画では映像と音声で、その世界観を体感することができます。ぜひ鑑賞してみてください。※インタビューは、東田さんにお送りした質問事項に文章で回答していただく形と、オンライン対面で質問してその場で文字盤を使いながら回答していただく形の2つをとりました。この記事は、その両方の回答をあわせて執筆しています。Upload By 発達ナビ編集部東田直樹さんの著書『自閉症の僕が跳びはねる理由』が原作となった映画、『僕が跳びはねる理由』 が、4月2日(金)より、角川シネマ有楽町、新宿ピカデリー、アップリンク吉祥寺 ほか全国順次公開。東田さんが文字でつづった自閉症のある人の感じている世界を、東田さんの言葉と美しい映像とともに描いた作品。アメリカをはじめ、さまざまな国で暮らす自閉症当事者の暮らしや夢、友情などを丁寧に取材している。原作:東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール、角川文庫、角川つばさ文庫)翻訳原作:『The Reason I Jump』(翻訳:デイヴィッド・ミッチェル、ケイコ・ヨシダ)監督:ジェリー・ロスウェルプロデューサー:ジェレミー・ディア、スティーヴィー・リー、アル・モロー撮影: ルーベン・ウッディン・デカンプス/編集: デイヴィッド・シャラップ/音楽: ナニータ・デサイー原題:The Reason I Jump2020年/イギリス/82分/シネスコ/5.1ch/字幕翻訳:高内朝子/字幕監修:山登敬之/配給:KADOKAWA
2021年03月26日大山加奈さんは元バレーボール選手です。2001年の高校在学中には、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会と言われるすべての試合に出場。日本を代表するプレーヤーとして「パワフルカナ」の相性で親しまれ、活躍しました。現在では、全国での講演活動やバレーボール教室、メディアの出演など活動の幅を広げるなど、さまざまな分野で活躍しています。2年間の治療をお休みしていた大山さんですが、あることをキッカケに不妊治療を再び始めることになります。前回の治療時に比べて、どういう風に気持ちの持ち方や取り組み方が変わったのか。また、コロナ禍での妊娠ということで妊娠中に気を付けていたこと、不妊治療が保険適応されるかもしれないという今、大山さん自身が思うことなどを答えてもらいました。 「もう待てない…」と思い、治療を再開ー不妊治療をやめてから2年後に、再度治療をしようと思ったのは何がきっかけだったのでしょうか。 大山さん:当時は2020年の東京オリンピックが終わってから、不妊治療のことを考えようと思っていました。でも、オリンピックが延期になったときに、これ以上は待てないと思ったんです。それまでは仕事も忙しくて治療にも通えなかったので、“今ではないな”と思っていたんですよね。でも、コロナ禍で仕事がなくなり、時間が出来たときに、今なら治療に専念できると思ったんです。もちろん、コロナ禍で妊娠することに対しての不安はありましたが、“今しかない”とも思いました。 ー時間があることで、精神的にも余裕を持てたのかもしれないですね。 大山さん:そう思います。2年前は藁にもすがる思いで、できることは何でも取り組んでいました。今思うと、自分にプレッシャーをかけすぎていたのかもしれません。年齢に対しても焦っていましたし……。でも今回は、「子どもができたらいいな」くらいの感覚で取り組めたことが、良い結果につながったような気がします。 大好きな先輩の妊娠! 「私も続きたい」という願いが叶うー不妊治療をするときに、大山さんが気を紛らわせるためにしていたことはどんなことでしたか? 大山さん:1人で抱え込むことが1番つらいことなので、同じ環境下にいた仲のいい先輩とお話をして、苦しさを共有できたことはすごく救いになりました。その先輩は、同じくらいの時期に体外受精にステップアップして、お子さんを授かることができたんです。そのときの先輩の妊娠は、心から喜ぶことができました。その成功体験を見ていたからこそ、私も続きたいなと思っていました。 ーいざ、妊娠をしたときの旦那様の反応はいかがでしたか? 大山さん:旦那さんにはLINEで「陽性だった」と伝えたら、「すごいじゃん」と返ってきました(笑)。不器用で分かりづらさはあるんですが、妊娠をしてから家事を積極的にやってくれますし、支えてくれていることは伝わりました。 ー今改めて、旦那様にどんな言葉をかけたいですか? 大山さん:はじめは積極的ではなかったかもしれないけど、不妊治療に付き合ってくれたことに対して感謝しています。また、だいずと出会うきっかけを作ってくれたことに対してもありがとうと伝えたいです。 ーこれからだいずくんと双子ちゃんたちが遊ぶ姿が見られるのが楽しみですね。ちなみに、コロナ禍での妊婦生活ではどんなことに気を付けていましたか? 大山さん:移動はできるだけタクシーや、旦那さんに送ってもらうようにしていました。また、公共の乗り物を出来るだけ避けて、人と触れ合わないように気を付けていました。ただ、心配過ぎても良くないと思うので、緊急事態宣言が出ていないころは、感染対策をきちんとおこなった上で友達とランチに行くなど、気分転換をするようにしていました。 自分の納得のいくまで治療が受けられる世の中に…ーさて、現在は不妊治療が保険適用化されるような話題が出てきています。経験者として大山さんはどのように思いますか? 大山さん:不妊治療は本当にお金がかかります。その金銭的なところで諦めてしまう人もたくさんいると思うんですが、それってすごくつらいことだと思うんですよね。だからこそ、今後は金銭的な部分で不妊治療を諦める人が出てこないような社会を作ってほしいと思います。さらに、子どもを望む方が自分の納得がいくまで治療できるような環境や制度は、しっかりと整えて欲しいと思っています。今、保険適応という言葉が出てきていますが、パフォーマンスではなく本気で取り組んでほしいですね。 ーただ、不妊治療は1人ひとりの状態に合わせて必要なオプションを付けるなど、それぞれに合った治療方法が受けられるようにしているそうですが、保険適用化することで、自分に合った治療が受けられなくなるかもしれないなど、ネット上では反対の意見も出てきているようですが……。 大山さん:そこは大きな課題だと思います。1人ひとりにあった治療がちゃんと出来なくなってしまったり、最先端のものは保険適応が難しいと聞いたりもするので、本気で子どもを望んでいる方に、ちゃんと子どもが授かれるような社会を確立してほしいです。 ーありがとうございました。では最後にメッセージをお願いします。 大山さん:子どもが欲しくても、なかなか授かることができず苦しんでいる人がたくさんいるということを、もっとたくさんの人に知ってもらいたいですね。さらに、それと同時に子どもを望まない人生も尊重されるべきだと思っています。子どもを持つ、持たない、結婚する、しないなど、どんな選択をしても、それはすべて尊重されるべきだし、お互いのことを思いやることができる社会になることを心から願っています。 1つ1つの質問に対して真摯に向き合ってくださり、ご自身の言葉でしっかりとインタビューに答えてくれた大山加奈さん。この度はリモート取材にてご協力くださり、誠にありがとうございました! また、取材日から1カ月後の2月19日に双子の女の子を無事にご出産されましたこと、本当におめでとうございます! 家族が増えて、これからますますご家庭が賑やかになるかと思いますが、お体に気を付けながら子育てを頑張ってください! PROFILE:大山加奈さん1984年6月19日生まれ。小学2年生からバレーボールを始め、小中高すべての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部。高校在学中の2001年に日本代表として初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップに出場し、小中高全ての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部した。日本代表には高校在学中の2001年に初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会すべての試合に出場。2010年6月に現役を引退し、現在は全国での講演活動やバレーボール教室、解説、メディア出演など多方面で活躍中。著者:ライター 吉田可奈
2021年02月28日大山加奈さんは元バレーボール選手です。2001年の高校在学中には、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会と言われるすべての試合に出場。日本を代表するプレーヤーとして「パワフルカナ」の相性で親しまれ、活躍しました。現在では、全国での講演活動やバレーボール教室、メディアの出演など活動の幅を広げています。 そんな幅広い分野で活躍する大山加奈さんですが、去年の9月に不妊治療の末、双子の赤ちゃんを授かったと公式ブログで妊娠を報告。2021年2月19日には、双子の女の子を無事出産し、念願だったママになる夢が叶いました。 今回は大山さんの不妊治療の体験談を中心に、これまでに悩んでいたことや、現役スポーツ選手時代を振り返って感じた生理と不妊の関係の重要性などを取材させていただきました。 ブログで報告する際、ためらっていた理由…ー昨年の9月にブログでの妊娠報告をされていましたが、そのときの心境を教えて下さい。 大山さん:私はずっと不妊治療をしていたので、最初は報告することをためらいました。でも、今も治療を続けている方や、不妊で悩まれている方から、「勇気をもらった」「励まされた」という声をたくさんいただいたんです。その言葉がなによりもうれしかったですし、誰かの役に少しでも立てたのなら、よかったのかなと思っています。 ー報告をためらっていた1番の大きな理由は何だったのでしょうか? 大山さん:まずは妊娠したのが双子ということで、出産のリスクが大きいからこそ、何があるか最後までわからないんですよね。なので、まだ無事に生まれていないタイミングで報告をしてもいいのだろうかということに悩みました。あとは何より、私も子どもが欲しくてもできない時期が長かったので、誰かの妊娠のニュースを目にすることでつらい想いをする方もいらっしゃると思ったんです。そんな想いが頭を駆け巡って、この報告が果たして正解なのかどうかはすごく悩みました。だからこそ、「勇気をもらった」という言葉は、本当にうれしかったです。 もっと早く知りたかった! 生理と不妊の関係性とはー不妊治療についてもお伺いさせてください。大山さんは生理不順や生理痛などに悩まされていたのでしょうか? 大山さん:いや、私は特に生理不順ではなかったです。でも、現役時代を振り返ると、厳しい練習の影響で生理痛が重くなってしまったり、生理不順になっていることに対して、知識がないためにそこに重きを置かない人たちが多かったように思います。不妊治療の先生によると、実際には生理が止まったり生理痛が重いということは、体になにか異常が起こっている可能性が高いそうです。そして、それを放っておくと「赤ちゃんが欲しい」と思ったときには不妊症になっていたり、取り返しのつかないことになっているケースもあるそうで……。だからこそ、学生時代に生理のことについてちゃんと学ぶ場所が大事だと思うんです。 ーたしかに、生理のことって、なかなか相談しづらい現状がありますよね。 大山さん:そうなんですよね。学校によってはトレーナーさんなどがいて、生理についてもちゃんと相談できる人がいるケースもあるんですが、まだまだ少ないのが現状です。なので、学校の先生や保護者と連携を取ってサポートすることが何よりも大事だと思っています。 ーこうやって発信していくことも、すごく大事ですね。 大山さん:はい。こういった記事を若い子が目にすることで、自分の生理と向き合ってもらえたらうれしいですね。実は、生理前や生理中ってホルモンのバランスの関係でケガが多くなるらしいんですよ。 ーそうなんですか!? 初めて聞きました。 大山さん:まだまだ知らない人が多いと思います。お仕事でシンポジウムなどに登壇させていただいた際に先生方がおっしゃっていたり、ネット記事やSNSなどでもそのような情報を見かけて私も知ったのですが、そう言われてみれてば……と、過去を振り返って納得したんです。その事実を指導者の方が知っていれば、その人にあったトレーニングメニューを組むことができますし、無駄なケガに苦しまなくてもすむようになると思うんです。自分自身が不妊治療を経験したからこそ、今スポーツを頑張っている方たちにはスポーツ選手として悔いがないよう選手時代を送って欲しいですし、子どもが欲しいと思ったときには手遅れにならないよう、こういったことも知っておいて欲しいです。 数値が低すぎる…! ブライダルチェックの結果にがく然ーその後、大山さんはご結婚されるときにブライダルチェックをしたとお聞きしたのですが、実際に受けてみていかがでしたか? 大山さん:私は生理不順ではありませんでしたが、体の冷えがひどかったのと現役中に腰の手術もしていたほか、痛み止めの薬をたくさん飲んできました。さらに自律神経失調症も患っていたので、精神安定剤なども飲んでいたり、基礎体温もガタガタだったんですよ。そこで一度ブライダルチェックを受けて自分の体の状態を知ろうと思いました。また、母のガンがちょうどそのころに見つかり、「孫の顔を見たい」と望んでいたので、焦りながらも妊活をスタートすることになりました。ちなみにブライダルチェックの結果は、AMH(アンチミューラリアンホルモン/発育過程にある卵胞から分泌されるホルモン)の数値が低く、当時は30歳だったのに42、3歳くらいの数値が出てきたんです。それはさすがにショックでした。 ー最初に不妊治療のクリニック外来を受けたときの心境はいかがでしたか? 大山さん:私はみなさんに顔と名前を知られていますし、体も大きいので目立つんですよね。それもあって、人の目はすごく気になりました。内診台も正直な話、すごくイヤでしたね(笑)。 ーあまり慣れるものではないですよね。ちなみに不妊治療について、旦那様とはどんなお話をされていたのでしょうか? 大山さん:実は、旦那さんはそこまで子どもを欲しいとは思っていなかったんです。さらに私がケガや自律神経失調症で苦しんでいたことも知っていたので、「そんなにつらい想いをしなくていいんじゃないか」とも言ってくれていて……。でも、私はどうしても子どもが欲しかったんです。なので、不妊治療に関しては私が主体となっておこなっていたのですが、夫婦間での温度差は感じていました。話し合いもしっかりする感じではなく、「やりたいようにやれば良い」という感じだったので、私から「こうしたいと思う」ということを伝えていくことが多かったです。私の体のことを気遣ってくれるのはうれしかったのですが、「子どもが欲しい」ということに対して、私と旦那さんでは気持ちの面でのスタートラインがお互い違っていたので、寂しさやモヤモヤを感じることも多かったですね。 ーそのモヤモヤした気持ちはどのように解消していたのでしょうか? 大山さん:う~ん……。日々モヤモヤはしていましたし、ときには泣いてしまうこともありました。ただ、それを旦那さんの“やさしさ”だと受け止めて、過ごすようにしていました。あとは、一緒の時期に不妊治療を頑張っている先輩がいたので、ランチやお茶などをしながら治療に対する苦しさやつらさを共有し合えていたことは、今思い返してもすごく大事な時間だったと思います。人に言いづらい問題だからこそ、同じような状況で頑張っている人が身近にいることで励まされたり、勇気づけられることが多かったですね。すごくありがたい存在でした。 「このインタビューが誰かのためになるなら……」と熱心に質問に答えてくれた大山加奈さん。ご自身の体験を包み隠さず、正直に話してくださる姿がとても印象的でした。次回は不妊治療ステップアップや2年間の休養期間など、大山さんの心の葛藤について答えてもらいます。 <第2回に続く> PROFILE:大山加奈さん1984年6月19日生まれ。小学2年生からバレーボールを始め、小中高すべての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部。高校在学中の2001年に日本代表として初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップに出場し、小中高全ての年代で全国制覇を経験。高校卒業後は東レ・アローズ女子バレーボール部に入部した。日本代表には高校在学中の2001年に初選出され、オリンピック・世界選手権・ワールドカップと三大大会すべての試合に出場。2010年6月に現役を引退し、現在は全国での講演活動やバレーボール教室、解説、メディア出演など多方面で活躍中。著者:ライター 吉田可奈
2021年02月26日東田さんが描く―これまでの自分の人生を振り返って―今回紹介する『自閉症の僕の七転び八起き』(KADOKAWA)を執筆した東田直樹さんには、重度の自閉症があります。このエッセイには、障害のある子どもとの接し方、当事者の心の中、一人の人間としての葛藤、前向きに生きていく力、障害があるがゆえの悲しみや喜びが詰まっています。東田さん自身が振り返る、通常学級での悩みや、家族の自分への接し方、これまでのさまざまな選択からは、本人の努力だけでなく、家族や周囲の支えがどれだけ大きかったのかが伝わってきます。特別支援学校から通信制高校へ。自分がやりたいことを探し続けた青年期出典 : 東田直樹さん(ひがしだなおきさん:以下東田さん)は、重度の自閉症があり、口頭で会話をすることが困難です。ですが、パソコンや文字盤ポインティング(文字盤を指差しながら言葉を発する方法)を使うことで、コミュニケーションを取ることができます。東田さんは小学5年生までは通常学級に在籍、小学6年生から中学3年生の4年間は特別支援学校に通いました。その後特別支援学校の高等部には進学せずに、アットマーク国際高等学校(通信制)に入学、2011年3月に卒業。彼が13歳のときに執筆した書籍『自閉症の僕が跳びはねる理由』は、今や20カ国以上で翻訳・出版されているベストセラーとなっています。東田さんが発する言葉や挑戦する姿勢からは、前向きな性格を感じ取ることができますが、東田さんが初めからそうだったわけではありません。自分が一生かかっても「できない」ことを、同級生が簡単にやってのける姿を見て、苦しんだ小学5年生までの日々。逃げるように転校した特別支援学校で知った、人から大切にされることの重要性。そこは、できないからと言って責められることも叱られることもない、居心地の良い場所でした。特別支援学校で4年間自分を見つめなおした東田さんは、自分の人生を生きたいと、通信制高校への入学を決意します。現在は紆余曲折を経て、作家や詩人として活躍している東田さん。彼は何を思い、どう生きてきたのでしょうか。今の自分があるのは家族のおかげ―東田さんはどう支えられてきたのか出典 : 大人になった東田さんは、子どもの頃に「できなかった」たくさんのことが「できる」ようになりました。幼児用の工作ワーク、人とのコミュニケーション、我慢をすること、家族に言いたいことを言うこと。それから、誰の人生も大変だということにも気づけました。できることが増えた今、東田さんは自閉症で良かったと思える機会も増えたそうです。そして、自分がここまで頑張ってこられたのは、否定せず、障害があるからできないだろうと決めつけず、長所を伸ばそうと努力してくれた家族のおかげだと言います。本書では、東田さんの経験に基づいた、自閉症のある子どもとの接し方も紹介されています。・人格を否定するような叱り方はしない・本人に選ばせる練習をする(選ばせるときは2回確認する)・機嫌がもとに戻ったら、いつものように接する・どんな人になりたいのか聞いて、将来の楽しみを一緒に考える・コミュニケーションを諦めない・問題のある行動は辛抱強く注意するこのように日々心掛けることから、あめのなめ方やおかずを取り分ける方法といった、細かい接し方まで具体的に書かれています。こうした両親のささやかなサポートが積み重なり、今の伸び伸びとした東田さんがあるのでしょう。「愛」と「自分の心」―東田さんの背中を押した、生きる希望と勇気出典 : けれど、接し方よりも大事なのは、「愛」だと言います。「人の心を育てるのは、愛情です。」「愛情を注いでもらっているから、心は育つのです。」「たとえ、自己表現できなくても、知能が低くても、愛は伝わります。自分が大切にされているという実感は、生きる希望につながります。」本書の中で東田さんは、「愛」という言葉を何度も使っています。障害のある子どもを育てることは、ときに一筋縄ではいかない難しさがあります。強く叱りすぎてしまったり、接し方を意識しすぎて疲れてしまったり。しまいには自信を失くしてしまうこともあるかもしれません。子育てに正解がないと分かっていても、上手くいかない、と落ち込むこともあるかもしれません。でも、それでいいのです。落ち込んだり悩んだりするのは、しっかりと子どもに向き合って愛を注いでいる証だからです。無理せず、自分のペースで愛情を注ぐこと。いつかあなたの愛は、その子にとって生きる希望になるはずです。もう一つ、東田さんは「自分の心」の大切さについても述べています。今何をしたいのか、どう感じているのか、本当に幸せなのか。自分の心に正直に生きること。自分の気持ちを大切にしていれば、周りの人の気持ちも尊重できるようになります。もしも、みんなが頑張っているように見えて、自分だけが頑張れない時があっても大丈夫。「頑張れないときがあっていいのです。頑張る基準は、自分の心が決めればいいと思います。」「もしも子どもに障害がなかったら」そう思うのは別に悪いことじゃない出典 : 「障害児の子育てには、たくさんの苦労があります。僕は、子供を愛せない親が悪いのではなく、愛せないほど苦しい状況になってしまうこと、そのものが「悪い」と思っています。親が、もしも子供に障害がなかったらと考えたとしても、別に悪いことではなく自然なことです。」東田さんは当事者目線で、障害のある子どもを育てることについて触れています。彼自身も、自分に障害がなかったらどんな人生を歩んでいたのだろうと考えることもあり、そのことに罪悪感を持っていた時期もあったようです。「普通である想像上の僕は、いつも笑っています。しかし、今の僕より幸せかどうかはわかりません。悩みのない人などこの世にはいないからです。」障害者は決して特別な存在ではありません。それぞれが不安や悩みを抱えて生きている。障害を抱えながら生きていくには、たしかに困難や壁がつきものですが、“普通”と言われる定型発達の人の日常や人生にも、悩みや孤独があります。どんな人も、みんな同じように心を持っている。それが東田さんの考えです。「自分らしく生きられる社会を目指して」―誰にでも必要な3つのこと―出典 : 東田さんは、障害のある人自身にも必要な3つのことを挙げています。・この社会の中で、自分の生きる意味を探すこと・自分のことを理解すること・なぜできないのか、どうすればいいのか自分で考えることこれらをすべて実現するには、周囲のサポートが欠かせません。ずっと自分と向き合い続ける努力も必要です。この3つは、どんな人にとっても大切なことだと思います。どれだけ多くの人が自分のことを理解し、生きる意味を見出し、できないことに立ち向かっているでしょうか?障害があっても、多様な生き方を選択でき、社会の中で自分らしく生きられる温かい未来を東田さんは望んでいます。そんな東田さんの今後の目標とは…「自閉症で本当に良かったと思える人生を歩むこと」。それを達成すべく、日々自分の気持ちと向き合い、行動のコントロールに挑戦しています。ちなみに外出やお金の払い方は、今もトレーニングを継続中だそうです。「どんな生き方を選ぶかは人それぞれでいい、大切なのは自分の気持ち」と語る東田さん。彼はこれからどんな未来を切り拓いていくのでしょうか。悩みや葛藤に向き合い、自分に正直に生きる東田さんの生き方は、たくさんの人の人生の選択を後押ししてくれるでしょう。
2018年05月12日