歌手で女優の仁支川峰子(64)は、’01年、43歳のときに7歳年下の一般男性と結婚し、ちょうど50歳で離婚が成立。出会って3カ月、その間、会ったのは16日と短期間で結婚を決めるも、相手の素顔が見え失望してしまったという。「酒乱だったんですよ。親子でも兄弟でも誰彼構わず男同士になると取っ組み合いのけんかになる。私が彼を、彼のお母さんがお父さんを羽交い絞めにして止めるようなことが、しょっちゅう起きるんです。もう勘弁してよって、本当にしんどい時間でした」出会ったのはテレビの撮影で行った島根県・隠岐島。後鳥羽上皇の墓所を守る旧家の人で、現地の撮影アテンドをしていたが、「よく働く人」という印象だったという。「私は自然と釣りが好きで、隠岐島はとても気持ちのいい場所だったんです。島の人たちもみんなやさしくて。それで、この撮影を機に社員旅行で再び訪れようと、彼にアテンドをお願いしたんです」社員旅行で5日滞在する間に親交を深めたというが、このときは、楽しく、明るい飲み方だった。「ずるいでしょ。本来私は人をしっかり見るタイプなのに、島の雰囲気がそうさせたんでしょうね。もう少し時間をかけていたら結婚していなかったかもしれません」さらに、結婚後の生活費はすべて仁支川が負担。相手の両親に生活費も渡していたという。それでも、離婚することをなかなか考えられなかったのには理由がある。「彼の祖母が、私の母と同世代で。うちの母は私が39歳のときに亡くなったので、母と重なりましたし、大好きだったんですよね。彼が暴れていても、おばあちゃんだけが『ごめんなさい』『堪えてやって』って言うの。おばあちゃんのことを苦しめたくなかったし、守りたいと思っていたんです」■離婚後は恋愛観も変化。男性との付き合いはゼロしかし、結婚から6年たったころに義祖母が他界。何かがプツリと切れ、一周忌を見守ったうえで離婚することを決意したという。離婚当時の会見では相手の不倫が原因だと発表していたが、「それも事実です。ただ、当時のマスコミは『酒乱で別れました』と言っても納得しないでしょ(笑)。離婚って、どんな人でもいろいろな理由があると思うんですよね」義祖母のためとはいえ度重なるストレスに加え、我慢を続けたことで、体には異変が起きていた。「離婚する2年前から右目がぴくぴくしだして、ずっと続いていました。彼がどこかへ飲みに行くと、『誰かに迷惑をかけているんじゃないか』と考えてしまって疲れてしまう。精神的に限界だったんでしょうね。医師から言われたのは、顔面神経痛のほかに、6つくらい神経の名前が入った病名でした」今でも右目の痙攣は続いており、定期的な注射で抑えているという。「でも、離婚してとにかく楽になりました。苦労からの解放、何も心配することなく自由に過ごせることほど幸せなことはありません」島の人たちとは今でも仲がよく、結婚したことも後悔していないという。だが、この先は考えていない。「あんな結婚生活してきたら2回目なんて考えませんよ。また自由に恋愛しようとも思えないくらい。威張って言うことじゃないですけど、離婚後は誰とも付き合っていません。男性を男性として見られないという感じですかね」だからといって、「絶対一人で生きていく!」ということでもない。「今はまったくその気がないっていうだけで、どこで何が起きるかわからないですから。そもそも、23歳で結婚するのが夢だったのがあっという間に過ぎて、もうないのかなと思っていたら40代で結婚したんだから。本当に人生、何が起きるかわからないですよ」16歳でデビューし、歌手、女優として活躍。順風満帆な表舞台の裏では、度重なる試練を経験してきた。極貧だった幼少期には栄養失調に、大人になってからも病気、事故などで「何度も死にかけた」といい、離婚直後には甲状腺乳頭がんが発覚。手術の麻酔トラブルで何度も息が止まりそうになった。「昔から“戦うときは一人”と決めてきました。弱っているところは誰にも見せたくないんですよね。私は、人間は平等だと思っていて、お金持ちでも貧乏でも、パートナーがいてもいなくても、波の大きさは違うかもしれないけど、苦楽の割合は同じなんじゃないかなと。誰しも人生いいことばかりじゃないから、覚悟を持って生きる。“死ぬときは死ぬさ”と腹をくくれば何があっても怖くないじゃない」本人いわく「60代は大人になりつつある年代」。仕事もプライベートもさらなる充実を目指していく。■“熟年離婚”を考えているあなたへ1日1日を一生懸命生きていれば、何が起きてもはねのけられる力がついていくはず。誰も見ていなくても、大事があればあるほど笑っていたほうがいいですよね。友人でもご近所の方でも誰かが見守ってくれていたらありがたい。周りの人を大切にするっていうのも大事なことですね。【PROFILE】にしかわ・みねこ/’58年5月24日生まれ。福岡県出身。’73年に「全日本歌謡コンテスト」で優勝し、翌年に歌手デビュー。女優としても活躍する。’09年に西川峰子から改名した。
2023年01月08日フジフイルム スクエア 企画写真展 織作峰子写真展「ハクグラフィーオマージュトゥホクサイ(HAKU graphy Hommage to Hokusai)~悠久の時を旅して~」が、東京・六本木のフジフイルム スクエア内 富士フイルムフォトサロン 東京にて2021年7月21日(水)から8月19日(木)まで開催される。日本の伝統工芸“箔”と写真の融合を試みてきた織作峰子の写真展織作峰子は、2017年に純金やプラチナ、銀、アルミ箔などを用いた写真作品「HAKU graphy」を発表して以来、日本の伝統工芸である箔と写真の融合を試みてきた写真家。世界各国の美しい風景や人物の瞬間を撮り続けている。葛飾北斎の「冨嶽三十六景」と同位置で富士山を撮影そんな織作峰子の写真展「ハクグラフィーオマージュトゥホクサイ~悠久の時を旅して~」では、浮世絵師・葛飾北斎のオマージュとして、「冨嶽三十六景」の作品が描かれたポイントで撮影した富士山の写真を展示。いずれも、デリケートな箔に富士フイルムのラージフォーマットデジタルカメラGFXで撮影した写真をプリントした綺羅びやかな作品だ。なお、同期間中は富士フイルムフォトサロン 東京スペース1、2で、フジフイルム スクエア 企画写真展「日本人の魂・冨嶽今昔(こんじゃく)三十六景」~北斎と4人の巨匠たち~も開催されるので、岡田紅陽、白簱史朗、竹内敏信、大山行男が撮影した富士山の写真と併せて楽しむことができる。詳細フジフイルム スクエア 企画写真展 織作峰子写真展「ハクグラフィーオマージュトゥホクサイ~悠久の時を旅して~」開催期間:2021年7月21日(水)~8月19日(木)時間:10:00~19:00(最終日は16:00まで、入館は終了10分前まで)※会期中無休※ 写真展・イベントはやむを得ず中止・変更する場合がある。事前確認を推奨。開催場所:フジフイルム スクエア内 富士フイルムフォトサロン 東京 スペース3住所:東京都港区赤坂9丁目7番3号(東京ミッドタウン・ウエスト)TEL:03-6271-3350入場料:無料作品点数:約20点(予定)
2021年05月13日ニコンイメージングジャパンは3月13日、「第63回ニッコールフォトコンテスト」の作品募集を開始した。募集期間は7月6日まで。ニッコールフォトコンテストは1953年より開催され、国内有数の規模と歴史を誇る写真コンテスト。プロ/アマ、プリント/デジタルを問わず、誰でも参加できることが特徴だ。前回・第62回は47,409点の作品が応募された。今回、作品を募集するのは、「第1部モノクローム」「第2部 カラ―」「第3部 ネイチャー」「第4部 U-31 (2015年3月末現在30歳以下の方を対象)」の4部門。第1部と第2部、第3部の大賞受賞者(1名)には賞金500,000円と一眼レフカメラ「D750 24-85 VR レンズキット」が、第4部の大賞受賞者(1名)には賞金300,000円と「D750 24-85 VR レンズキット」が贈られる。審査員は大西みつぐ氏、織作峰子氏、小林紀晴氏、ハナブサ・リュウ氏、三好和義氏。ゲスト審査員として熊切圭介氏、菅原隆治氏、ハービー・山口氏が名を連ねている。
2015年03月13日